人民新報 ・ 第1123 号<統合216> (2004年2月25日)
  
                  目次

 ● 3・20反戦集会へ大結集を

         「自衛隊のイラク派遣NO! STOP!有事法制」2・13集会に12000人

 ● 注目すべき警務隊の動き

 ● 自衛隊はイラクへ行くな! 殺すな! 殺されるな!  2・15 防衛庁抗議行動

 ● 団結した力ですべての争議に勝利しよう  2・18けんり総行動

 ● 資 料

    イラクへの自衛隊派遣承認に抗議する談話  /  日本労働組合総連合会事務局長 草野忠義

 ● 超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) E  /  関 考一

 ● 映 評

    「この世の外へ クラブ進駐軍    OUT OF THIS WORLD」

 ● パンフ紹介

  「被ばく者 核兵器と原発をなくす戦いを 広島・イラク・東海村」(たんぽぽ舎パンフ 55)

 ● 複眼単眼  /  辺見庸に言う 跳べ!ここがロードスだ




3・20反戦集会へ大結集を

  
「自衛隊のイラク派遣NO! STOP!有事法制」2・13集会に12000人

 二月一三日、明治公園で「自衛隊のイラク派遣NO! STOP!有事法制」をスローガンにした「守ろう!平和といのち 2・13大集会」が開かれ、一二〇〇〇人が参加した。

 実行委員会を代表しての開会の挨拶は、戦争反対・有事法制を廃案へ!市民緊急行動の土井登美江さん。
市民、労働者、宗教者、多くの人びとの共同した力で、イラク占領の中止と自衛隊撤退を求め、思いを行動に移していこう。全国各地で沢山の行動をつくり出そう。アメリカでもイギリスでも、「大量破壊兵器」などの開戦の口実が崩れ、ブッシュにもブレアに非難がひろがっている。この中で、イラク戦争開始から一年目の三月二〇日は、世界同日行動が呼び掛けられている。私たちも世界の人びとと手をつなごう。もっともっと沢山の声をあつめて三月二〇日午後一時、東京・日比谷公園にあつまろう。
 つづいて、「CHANCE pono2」の星野ゆかさん。
 イラク戦争に反対する私たちは少数派ではない。氷山の一角のようなものだ。まだ声をあげていない人びとに良心をもって平和の呼びかけをしていこう。一人でも多くの人びとが本当の意味での平和貢献をしていかなければならない。インド・ムンバイでの世界社会フォーラムに参加してきたが、一人ひとりが顔と顔を合わせて平和をつくっていける、「もう一つの世界は可能だ」ということを確信した。昨年の二月一五日、戦争反対で世界の二〇〇〇万人が手を繋いだ。この三月二〇日には、日本でも昨年に倍する大きな結集で世界の平和の声をアピールしよう。
 日本共産党の志位和夫委員長。
 小泉首相は戦後はじめて戦争状態にある他国に武装した自衛隊を派兵するという日本の歴史を大きく変える道にふみだしながら説明責任をはたそうという姿勢がない。しかし米英がイラク戦争の最大の「大義」とした大量破壊兵器は見つからないし、占領への参加は一方の当事者になるということだ。そもそも派兵の根拠であるイラク特措法では「非戦闘地域」でしか活動できないとしていることにも違反している。自衛隊派兵計画の中止、派兵した部隊の即時撤退を強くもとめて、たたかいをさらに広げに広げよう。
 社会民主党の福島瑞穂党首。
 戦争をしない国を子どもたちに残すのが私たちの義務だが、イラク派兵、憲法の問題など小泉首相は国民の思いを踏みにじった政治をしている。米英が戦争の口実としてきた大量破壊兵器がなかったことが明らかになっているのに小泉政権は再調査するつもりもない。イラクでは劣化ウラン兵器の被害がひろがっている。日本は大義のない戦争を支持し、もっと人とお金を使ってアメリカを支えようとしている。イラク派兵に反対し、平和憲法を守る運動を強めていこう。
 民主党有志を代表した生方幸夫衆議院議員。
 自衛隊のイラク派遣については民主党一丸となって反対しているが、本来菅代表がくるべきだがなぜか私があいさつしている。小泉首相はアメリカのポチと言われたりしているが、日本外交は世界に友をなくして、間違った方向にすすんでいる。
 集会ではフォーラム平和・人権・環境の福山真劫事務局長からのメッセージが紹介された。
 全国港湾労働組合協議会からの発言につづいて、航空安全推進連絡会議の大野則行議長が閉会のあいさつとシュプレヒコールをおこなった。
 集会終了後、参加者は国会請願コース、代々木公園コース、新宿コースに別れてデモ行進を行った。

集会宣言

 私たちは、自衛隊のイラク派遣に、強く、強く反対します。
 私たちは、自衛隊のイラク派遣を決定した政府に、断固として抗議をします。
 私たちは、自衛隊をイラクから直ちに撤退させることを、強く要求します。
 なぜなら、自衛隊をイラクに派遣する目的は、「復興支援」などではけっしてなく、米軍による「占領支配の援助」であることを、よく知っているからです。
 イラクの人々がもっとも望んでいることは、軍隊の派遣などではないことを、よく知っているからです。
 占領に加担することは、イラクの人々の反感をかい、自衛官や多くの人々に、犠牲が出る危険性が高まることを、よく知っているからです。
 「平和といのちを破壊する政治の流れを、止めなくてはならない!」
私たちは、その強い思いで固く手をつなぎ、日本中の人たち、世界中の人たちととともにたたかい続けます。
 イラクヘの無法な占領をやめさせるために、世界中の人々が、三月二〇日、いっせいに行動をします。私たちも、この呼びかけに応えて立ち上がりましょう。日本全国津々浦々でいっせいに行動を起こしましょう。首都東京に集まることのできる人は、日比谷野外音楽堂に集まりましょう。
 いのちと安全を守るために!
 有事法制の完成を許さないために!
 自衛隊をイラクから撤退させるために!
 日本の平和を!
 アジアの平和を!
 世界に平和を!

二〇〇四年二月一三日


注目すべき警務隊の動き

 自衛隊は旧帝国軍隊からの強い継承性があるにもかかわらず、言葉の言い換えでそれをごまかそうとしている。
 国防を防衛にしたのを筆頭に、軍ということの言い換えでは、軍旗を隊旗に、軍旗衛兵を旗衛隊に、軍艦旗を自衛艦旗に、軍楽隊を音楽隊に、陸軍軍楽隊を方面音楽隊に、また平和維持作戦を平和維持活動にしたり、兵を隊員、歩兵を普通科隊員、工兵を施設科隊員などと呼ぶ。そして、自衛隊は軍隊でないのだと強弁している。
 旧軍での悪名高き憲兵は、自衛隊では警務隊と言われる。
 イラクへの陸上自衛隊派兵でも十数人の警務隊員が派遣されることが明らかになった。警務部隊も他の部隊と同じように防衛庁長官から部隊旗を受け、初めて本格的な部隊規模でサマワ入りする。
 警務隊は、防衛庁長官の直轄機関で、自衛隊内で刑事事件の捜査を専門にし、隊員を逮捕・送検する司法警察権を持つ。陸自警務隊員は全国各地の駐屯地などに配属されているが、一般部隊の指揮官の統制は受ない。陸自警務隊員は現在、約八百人。
 二月一七日の防衛庁を狙った「ゲリラ事件」といわれる事態に際して、警視庁は防衛庁の敷地内に着弾した可能性もあるとみて、防衛庁に捜索を申し入れたが、防衛庁は警務隊が捜索・調査するとして拒否した。また、反戦運動への調査活動も活発化させるなど、警務隊の動きは国の内外で強化されている。
 イラク派兵強行以降、石破茂防衛庁長官をはじめ防衛庁・自衛隊幹部の横暴は一段と露骨なものとなってきている。警務隊(憲兵)活動の活発化を許してはならない。


自衛隊はイラクへ行くな! 殺すな! 殺されるな!  2・15 防衛庁抗議行動

 二月十五日、市ヶ谷・外濠公園で「自衛隊はイラクへ行くな! 殺すな! 殺されるな」行動実行委員会による防衛庁抗議行動が行われた。
 はじめに主催者を代表して、太田昌国さんが発言。
 自衛隊がイラク派兵された。今年は日露戦争開戦の一〇〇年にあたるが、イラク派兵を正当化するためにいわゆる司馬史観などによる歴史の再評価が行われている。しかし明治維新以降のさまざな戦争による帰結は内外の多くの人びとに大きな悲惨さを与えるものであった。私たちは即時撤退を要求して運動をつくっていこう。
 つづいて2・22集会実行委員会の池田五律さんが、二月二二日に全国各区地で展開される闘争についてアピールを行った。
 天野恵一さんは北海道で行われた交流会などについて報告した。
 集会を終わって、防衛庁にむけてデモが出発。
 自衛隊の即時撤退のシュプレヒコールをあげながら行進した。
 防衛庁前で、2・15集会実行委員会、北海道ピースネット、ピースリンク広島・呉・岩国などからの要請書を読み上げ、防衛庁職員に手渡した。
 2・15防衛庁行動実行委員会の「自衛隊のイラク派兵中止、イラク派兵部隊の即時撤退を求める要請文」は次のように要求している。
 「……いかなる口実をつけたところで米英などによるイラク戦争と軍事占領は国際法や国連憲章が違法としている侵略行為ですが、開戦の最大の根拠である『大量破壊兵器の脅威』がでっち上げである以上、その不法性はもはや言い逃れできません。自衛隊のイラク派兵そのものが戦争犯罪にあたるのです。陸上自衛隊の先遺隊による『サマワ現地調査報告書』なるものが、あらかじめ先遣隊が現地に入る前に防衛庁側で準備されたものであることも明らかになっています。もうこれ以上、不法な侵略と占領を正当化するためのごまかしや逃げ口上は通用しません。私たちは、訴えます。自衛隊はイラクに行くな!イラクから、いますぐ撤退せよ!派兵『基本計画』と『派遺命令』を撤回せよ!」。


団結した力ですべての争議に勝利しよう  2・18けんり総行動

早朝からの総行動

 二月一八日、東京で、冷たい風が吹く中、「国鉄闘争はじめ全ての争議に勝利しよう」とけんり総行動が闘われた。
 午前八時半からの最高裁行動をはじめに、NTT大手町(解雇 全国一般東京労組NTT関連分会)、みずほ銀行(組合否認 全統一労組光輪分会、工場閉鎖 全造船いすゞ分会)、郵政公社(解雇 4・28郵政不当処分)、国土交通省(国労一〇四七名解雇)、日逓(賃金差別 郵政全労協日逓支部)、東京スター銀行(倒産 全国一般埼京ユニオンカメラのニシダ)、メレスグリオ(解雇 なかまユニオン)、昭和シェル石油(賃金差別・不当配転・転籍 全石油昭和シェル労組)、フジTV(解雇 反リストラ産経労)、由倉工業(不当労働行為 全国一般全国協由倉工業労組)、都庁(解雇 全国一般東京労組文京七中分会)、大熊整美堂(解雇 なかまユニオン)、大塚製薬(解雇 全国一般全国協大塚製薬労組)、ケーメックス(団交拒否 全統一労組ケーメックス分会)まで、総行動の団結した力で個別の闘いに有利な状況を切り開くために闘い抜いた。

郵政ユニオンがトヨタ方式を暴露
 
 総行動で郵政労働者ユニオンは、郵政に導入されたトヨタ方式(JPS)が地域に大きな迷惑をかけていることについて情宣活動を行った。当日にも配布された組合員以外向けの「郵政ユニオン」第64号は、トヨタ方式のモデル局=越谷郵便局の「実験」は失敗したと暴露している。
 郵政ユニオンは越谷局管内地域でお客さまアンケートを行った。その結果、誤配・遅配の苦情の指摘が増えているとして次のように述べている。
 「これほどの誤配が生まれる原因にはやはり越谷局の特殊な実態を見なければならない……JPSの名の下に行われた『縦型区分・立ち作業』は配達作業をこれまでになく困難にしてしまい、それを著しく遅延させてしまった。結果、他局ではありえない、通常郵便物の多くを夕方から夜間に配達するという状況を生み出してしまった。たそがれ時にでもなれば、宛名面の識別さえ難しくなるのは明かである。また、休息のイスさえ用意されない連日の長時間労働からくる疲労は、集中力を失しなわせ、日々の業務の業務に支障を来すこともまた明らかだ。」「取り急ぎ郵政ユニオンは以下のような取り組みを当局に求める。@当局の責任で、この間、とりわけ昨九月以来の遅配・誤配の増加等不良サービスについて、地域のお客様に対する謝罪の広報を行なうことを求める。A地域のお客様、現場職員、公社・局幹部の三者による意見交換の場をもうけ、越谷局における実験が真にお客様サービスとしての実態を持ったものとして改善されるよう追求する。B緊急に対策が必要なものとして、遅配改善を位置づけ、増員措置を求める。また配達準備作業遅延の原因となっている『縦型区分・立ち作業』を中止し、能率的な従前の方法に戻すことを求める。」


資 料

    
連合のイラクへの自衛隊派遣にたいする態度

 二月九日、参議院で自衛隊のイラク派兵が自民・公明によって承認された。連合は、これに抗議する事務局長談話を発表した(編集部)。
 
イラクへの自衛隊派遣承認に抗議する談話

         日本労働組合総連合会事務局長 草野忠義


 本日の参議院本会議において、イラクへの自衛隊派遣が、自民、公明両党の賛成で承認された。これにより、今後一〇〇〇人を超えるとも言われる陸海空自衛隊がイラク国内、周辺国に数ヶ月間にわたり展開することが最終的に決定された。

 連合はこの間、このイラクへの自衛隊派遣について、様々な観点から異議を唱え行動してきた。
 第一に、米英両国によるイラク戦争の根拠自体が極めて疑わしい、ということである。大量破壊兵器の捜索にあたったアメリカの前調査団長が、大量破壊兵器が存在しなかったことを明言したこと等により、米英両国ではこの件に関する調査委員会を設置する事態となっている。
 第二に、イラクは、治安情勢が全く好転しておらず、今なお事実上の戦闘状態にあるということである。このことは、政府がよりどころとしてきたイラク特措法の基本にさえ反するものである。
 第三に、今回の派遣が、極めて重大な政策決定であり、派遣に反対あるいは政府による説明が不十分であると感ずる国民が多数を占めているにもかかわらず、政府・与党が、国会における論戦と国民に対する説明責任を極めて軽視してきたという事実である。派遣を既成事実化しようとする政府は、一月三一日の衆議院本会議において、野党不在のまま自民・公明両党のみによる強行採決を行った。また、派遣の是非の判断材料となるべき先遣隊の報告書は調査以前から作成されていたものであった。さらにここに来て、現地に関する「情報統制」とも言えるような姿勢を政府は見せている。

 以上のような数多くの問題点・疑問点にもかかわらず、小泉首相は、国会や国民に対して意を尽くして説得しようという態度すら全く見せることはなかった。連合は、イラクへの自衛隊派遣が最終的に承認されたことに強く抗議するものである。また、今後の国会の中で、問題点の解明や現地における自衛隊の諸活動について徹底的な検証・審議を行うことを与野党に求めていく。

       以 上

二〇〇四年二月九日


超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) E

                                 関 考一


 十一、過剰生産の深奥の動因=進行する労働手段の革命的変革


 A 今日における機械から質的に飛躍した労働手段の登場

 前項で労働手段=機械の登場こそが、産業革命の深奥の動因であることをたどった。
機械の革命的生産能力は、道具が一つの機構に包摂されることにその核心があることを見たが、機械はその制御の面において大量の人間労働を機械に付属させる苦役を強いる問題を新たに生み出した。
 しかし絶え間ない資本の増殖過程は科学技術の生産へ飛躍的応用を発展させ機械生産に欠如していた制御の機能(人間の知的労働・精神労働)を担うコンピューターを軸とするオートメーション=自動制御機構をもった自動機械の連鎖体系を新たに生み出した。
 この労働手段の発達の面=技術論的側面から資本主義を分析することに着目し戦前から先駆的な研究を続けてきた一群の研究者がいるが、なかでもその集大成的文献を数多く著した中村静治氏はマルクスに依拠しつつ現代の革命的労働手段=オートメーションについて次のように述べている。
 「その中心は人間の労働だけにそなわる特殊のフィード・バック機能の一部ないし相当部分が機械の機構にうつされたことにある。その急速な発達をもたらしたものは、もっとも単純なフィード・バック以外のあらゆるものに不可欠なエレクトロニクス(電子技術)の進歩である。」(中村静治 現代工業経済論 第五章合理化 汐分社)
 「オートメーション自動制御機構は、人間有機体の一連の精神、神経機能にとって代わるのであり、機械は人間労働特有の一部をもつことになったのである。……… 機械は人間の労働器官の延長であったが、電子計算機や自動情報装置は人間的知性の延長である。自動制御技術とコンピューターの導入によって、生産過程はプログラム化した決定機構と頭脳をもつことになり、多品種のものを大量に生産することが可能とした。」(同前)
 人間が自らの肉体を駆使した道具による作業を一つの機構に移し変えた革命が機械の登場であり、人間の知的・精神的労働を一つの機構に移し変えたのがコンピューターとオートメーション自動制御機構なのである。
 ここ三十年位にわたるコンピューターとオートメーション自動制御機構の驚異的発展は、様々な生産の部門に浸透しインターネットの爆発的普及、事務的労働の大幅な軽減・単純化や工場における監視・制御労働の増大・指揮管理の集中とそれに伴う中間管理・職制の廃止、膨大な商品の生産・物流におけるコンピューターとバーコードやICチップなどによる一元的管理・制御の進行そしてロボット化に象徴される生産過程における「無人化」の画期的進展を現実のものとし、この趨勢は一段とそのスピードと拡がりを増している。
 今やあらゆる生産部門を捉えたコンピューターによるオートメーション化の進展は、これまでの機械の段階に比べても飛躍的な生産力の増大を可能とし、今日における世界的な過剰生産の極めて大きな要因となっている。
 しかし、このオートメーション化の進展を単にこれまでの機械の高度な発達としてしか評価せず、新たな労働手段としての段階を画する特質を否定する見解はまだ根強く存在している。
 問題はオートメーション技術の発達を、機械としての延長=量的な拡大としてみるのか、その制御における発展を質的に段階を画するものとして評価するかにかかっている。
 技術の発達に関しては、実践的に卓越した分析と理論化(技術論)を行なった石谷清幹氏は技術の内的発達の法則について次のように規定している。
 「実績が尊重されるのは技術だけではないが、技術ではとくに実績が尊重されるといってよい。しかし、社会の生産力発達により技術需要は天井しらずに上昇する。この増加分はさしあたり在来方式(構造)の技術によりまかなわれ、そのわく内で単位機能も発達する。しかし技術需要の増大は天井しらずであるので、単位機能のもっとも大きなものが必要となる。すべての方式には好適範囲があるが、実績が尊重されることに由来する技術の保守性ゆえに、過渡的には在来形式のままでこの需要がみたされる。このときにはゆきづまりが認識されるにいたり、新方式の探求が始まる。新方式が誕生し、種々の欠点をさらけ出しながら特殊用途で実績を獲得し、嵐のように発達し、たちまちのうちに在来方式を圧倒して優位に立つ。これが新技術誕生の一般的図式である。」(工学概論 コロナ社)
 この定式化によって、道具から機械の発展の歴史を的確にたどることができだけでなく、今日のインターネットを始めとするコンピューター技術の全てがアメリカの軍事技術という特殊な用途を出自として発達してきたこと、そしてその後の疾風怒濤の発展をみればコンピューターとオートメーション自動制御機構が機械とは質的に異なる飛躍を遂げた新しい労働手段の登場として見なければならないことが明瞭となる。
 この新たな労働手段の発達は、今やオートメーションによるオートメーション機械生産まで波及し生産財生産部門をとらえつつある。大量のロボットや自動搬送装置、人間による制御をコンピューターに置き換えた限りなく無人化された工場で生産財生産部門が再生産される状況の進展は、マルクスが機械の発達ついて、機械による機械の生産によって大工業はその技術的基礎をつくりだして自分の足でたつようになったとした新たな段階における再現であるといえよう。

 B 革命的な新たな労働手段はなにをもたらすのか。


 新たな労働手段の圧倒的な発展は、オートメーション化が進行すればするほど生産性と生産能力が増大する一方、これまで機械による生産に欠如していた人間による制御労働を不要とするのであるから資本による大量の労働力の削減や複雑・専門的な制御労働から単純労働への置き換えが可能となった。このことが世界的な「雇用の過剰」=失業者の増加と実質賃金の大幅な低下による労働者の消費能力の急激な減退をひき起こしている大きな要因の一つとなっているのである。今日の長期雇用労働の削減、パート化や派遣労働化などはこうした事態の表出でもあり「失われた一〇年」などといわれる長期不況の根底の一つともなっているのである。
 フランス人女性思想家のヴィヴィアンヌ・フォレステル氏の著書「経済の恐怖―雇用の消滅と人間の尊厳」(丸山学芸図書)で「人間はもはや搾取の対象でさえなくなった、いまや人間は排除の対象になった」と述べ飽くなき剰余価値増殖のため盲進する資本の実態を鋭く暴いている。
 マルクスは道具から機械という労働手段が登場し労働者にどのような影響を与えたかについて次のように指摘している。「機械としての労働手段はすぐに労働者自身の競争相手になる。機械による資本の自己増殖は、機械によって生存条件をなくされてしまう労働者の数に正比例する。資本主義的生産の全体制は、労働者が自分の労働力を商品として売るということを基礎としている。……道具を取り扱うことが機械の役目になれば、労働力の使用価値といっしょにその交換価値も消えてなくなる。労働者は通用しなくなった紙幣のように、売れなくなる」(資本論第一三章機械と大工業)
ここでは機械とオートメーションを置き換えて見ると今日の事態が一段と明らかになろう。
 オートメーション=新たな労働手段は、一方で労働時間の大幅な短縮をもたらすものであり、これまで以上の生産が僅かな時間で可能となる生産性の飛躍的向上を現実のものとする。本来労働手段の進化発展は、労働の節約や軽減を基準として人間活動の自由時間を増大させるものである。「社会が小麦や家畜等々を生産するために要する時間が少なければ少ないほど、ますます多くの時間を、その他の生産―物質的または精神的な―のために社会は獲得する。個々の個人の場合と同じく、社会の発展、社会の享楽、社会の活動の全面性は、時間の節約にかかっている。時間の節約、すべての経済は結局そこに解消する」(マルクス『経済学批判要綱』)のであるが、資本主義ではオートメーションによる生産性の大幅な向上も資本の利潤増大の手段として転倒した形態(=可変資本の極限までの削減)を労働者に強要するのである。
 「この生産様式(資本主義)にとっては、労働力を一日に一二時間から一五時間も働かせることがもはや必要でなくなれば、早くも労働力は過剰となる。労働者の絶対数を減らすような、すなわち、国民全体にとってその総生産をよりわずかな時間部分で行なうことを実際に可能にするような、生産力の発展は、革命をひき起こすであろう。なぜならば、それは人口の多数を無用にしてしまうだろうからである。この点にもまた、資本主義的生産の独自の制限が現れており、また資本主義的生産がけっして生産力の発展や富の生産のための絶対的な形態ではなく、むしろある点までくればこの発展と衝突するようになるということが現れている。
 部分的にはこの衝突は周期的な恐慌に現れるが、このような恐慌が起きるのは、労働者人口のあれこれの部分がこれまでどおりの就業様式では過剰となるということからである。
 資本主義的生産の限界は労働者の過剰時間である。社会のものになる絶対的な過剰時間は資本主義的生産にはなんの関係もない。資本主義的生産にとって生産力の発展が重要なのは、ただ、それが労働者階級の剰余労働時間をふやすかぎりのことであって、それが物質的生産のための労働時間一般を減らすからではないのである。」(資本論 第一五章この法則の内的な諸矛盾の展開)
 これまでみてきたように新たな労働手段であるコンピューターとオートメーションは資本にとって一層の剰余価値創造の可能性とそれに伴う労働者の排除によって恐慌の要因を作り出しているのであり、また同時に人間の精神労働と労働時間の大幅な軽減をもたらす物質的生産条件をもたらすものでもある。(つづく)


映 評

      
 「この世の外へ クラブ進駐軍    OUT OF THIS WORLD」

      監督・脚本 阪本順治   

      主演     萩原聖人  オダギリジョー


 監督の阪本は、一九八九年「どついたるねん」で映画監督デビューした。この映画は「浪速のロッキー」と呼ばれた元プロボクサーの赤井英和が主演したボクシング映画で、再起不能となった元チャンピオンが復活をかけて再びリングに立つ姿を描いて話題となった。また二〇〇二年には「KT」を発表した。これは中薗英助原作の「拉致―知られざる金大中事件」を映画化したものだ。
 「この世の外へ クラブ進駐軍」で一三作目になり、コンスタントに作品を発表し続けている。
 広岡健太郎(萩原聖人)は、敗戦を知らずに仲間とジャングルをさまよっていた。飛行機からまかれた敗戦を知らせるビラを見ても謀略だと信じて疑わなかった。やっとのことで日本に戻り、食べるために占領軍―進駐軍の一般米軍兵士用の娯楽施設・EMクラブでバンドマンとして寄せ集めの仲間たちと演奏をしていた。彼らにとって、つい先日まで敵として闘ってきた米軍兵士のもとで金をかせぐことにうしろめたさはみじんもなかった。大金をかせげるとあって楽器に一度もさわったことのない池島昌三(オダギリジョー)もメンバーにまぎれこんできた。広岡は実家が楽器店だったため、もともと音楽的素養は培われていたのだ。
 彼らはEMクラブでコカコーラやハンバーガーなどを飲食して目をかがやかせた。やがて、クラブにヨーロッパ戦線からラッセルという若い兵士が赴任してきた。かれは弟をレイテ島で日本兵に殺されていたので、日本軍―日本人を相当憎んでいた。メンバーが演奏している時、自信のあるテナーサックスを演奏して彼らに実力の差を見せつけたりもした。
 池島は長崎で被爆した両親にかせいだ金を送金していた。また池島がいそうろうしていた平山一城(松岡俊介)の家では、レッドパージ旋風が吹き荒れるなか、兄が警察に常時監視されていた。またMITCH(浅川広行)というメンバーはヒロポン(塩酸メタンフェタミン)を常用しており、最後には薬物死してしまうのだった。
 やがて、一九五〇年、朝鮮戦争がはじまり、ラッセルは朝鮮半島に行き、戦死してしまう。かれらメンバーはラッセルの追悼のために出入り禁止になっていたEMクラブで再び演奏し、絶賛を受けるのだった。
 実をいうと、阪本順治作品を観るのは初めてなのだ。「KT」すら観ていない。この作品だけを観て全体を推し量ることはたいへん危険なことは承知の上で感想を述べよう。
 映画の作り方は、かなりオーソドックスで、あまり意外性は感じられない。彼らの生きた時代(この作品については一九四五〜一九五〇)のスパイスは随所にちりばめられているが、なにか遠く離れた感覚しかもてない。心のなかにぐっと入ってこない。音楽―特にジャズを通して敗戦後の日本をとらえる観点はたいへんおもしろいし、支配される側とされる側ととの人間の葛藤も音楽を通じてやがて融解していくということも事実としてあるだろう。闇市の活気、地下道に寝泊まりする子どもたち、傷痍軍人など戦争の傷跡は生々しく描かれており、それがやがて新生事物として変遷していくこともよくわかる。ところがなにかが足りない。それは人間の描き方ではないだろうか。ひとりの人間の苦悩、叫び、そして喜び、その表現があまりうまくできていないのではないだろうか。敗戦直後に、音楽―ジャズを通したこのような青春もあったのだろうかということはよく描かれているが。
 この映画のなかで演奏されている「ダニー・ボーイ」は出兵するわが子を見送る親の悲しみをうたった曲であり、「センチメンタル・ジャーニー」は外国に派兵されている米兵の故郷への思いをかきたてる歌だそうだ。考えてみれば一九四五年に第二次世界大戦が終わり、もう五年後の一九五〇年には朝鮮戦争が勃発したのだ。
 闇市の一角にあるバー「チェリー」には五人のメンバーが集まって飲んでいたが、旧満州から帰ってきたという元兵士(徳井優)の怪演ぶりにはわらわせられてしまう。軍人の服を着ていたかと思うと、賃上げを要求するプラカードを持っていたりと。(サカイ引っ越しセンターのCMのおばあさん役の人です)
 阪本監督は、9・11事態の後、この映画をつくることを思いついたそうだが、阪本のことばを紹介しよう。「武器を楽器にもちかえたとき、憎しみが和解にかわる。そんなことを信じてこの映画を作りました」
 「この世の外へ クラブ進駐軍」の上映は座席数が五〇席にも満たない小さな映画館で上映された。当然、スクリーンも小さい。そのすぐ近くの映画館では「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」「ラスト・サムライ」が上映され、平日の昼間にもかかわらず立ち見がでる盛況ぶりであった。現在の日本の映画興業状況を大げさに言えば文化状況が見えてくるようだ。(敬称略) (東 幸成)


パンフ紹介

  
「被ばく者 核兵器と原発をなくす戦いを 広島・イラク・東海村」(たんぽぽ舎パンフ 55)

 アメリカはコソボ、アフガン、イラク戦争で劣化ウラン弾を使用してきた。イラクでは米軍が使用した劣化ウラン弾という核兵器の被害の拡大が明らかになってきている。
 日本ではJCO事故(一九九九・九・三〇)が起こり、地震源の真上にある浜岡原発をはじめ大事故の危険性がいっそう高まっている。
 核の惨禍は繰り返されている。イラク反戦闘争は反核運動でもあり、反戦=反核運動のいっそうの協働・発展が望まれる。
 JCO事故「9・30の会」の編集による「被ばく者 核兵器と原発をなくす戦いを 広島・イラク・東海村」(たんぽぽ舎パンフ aE55)が出た。このパンフは、昨年の九月三〇日におこなわれた東海村臨界被曝事故四周年・東京圏集会の講演録が中心になっている。
 元広島陸軍病院の医師だった肥田舜太郎さんの「広島・長崎への原爆投下で多くの人々が放射能被爆し殺された―核兵器と原発をなくす戦いを」は、広島原爆投下直後の惨状を報告したもの。
 おなじく肥田さんの「核兵器廃絶運動の更なる発展を願って 低線量放射能による被害」(『軍縮問題資料』<二〇〇三年一〇月号>より転載)は、肥田さんが戦後一貫して精力的に全世界に核兵器廃絶を訴えてきた記録だ。
 山崎久隆さんの、「臨界事故から四年」は、被曝(被爆)の現実とJCO事故の教訓がまったく生かされていない現状を暴露している。
 臨界事故被害者の裁判を支援する会の大泉実成さんは「四年目の東海村と健康被害裁判」について報告している。
 四〇〇円(二八ページ)
 たんぽぽ舎 03(3238)9035


複眼単眼

     
辺見庸に言う 跳べ!ここがロードスだ

 作家の辺見庸がまたぞろイラク反戦運動にごちゃごちゃと文句を言っている。
 雑誌『世界』の三月号の「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないか 閾下のファシズムを撃て」というもったいぶった題をつけた論文だ。
 最近、東京で行われた「三千人ほどのパレード」に加わった辺見は、かつて数万のデモでアスファルト道路が「揺れた」記憶と比べ、「戦後最大級の反動と予定調和」しているような「無抵抗を衒」ったデモに加わったことを「軽率にすぎた」と後悔し、このデモを批判している。
 しかし、これが昨年、本欄でとりあげた『サンデー毎日』に辺見が書いたものとそっくりなのだ。その記事で辺見は、WORLD PEACE NOWなどの運動を批判して「なぜあそこまで『健全で温和な市民』を装い、非暴力と無抵抗を誇る必要があるのか」と書いた。
 そして、辺見はある種の人々独特のひねくり回した難解な用語をちりばめて奇を衒いながら、この乱暴な論文が各所で矛盾をきたすことについてあらかじめ予防線をはって、「なんとなく大儀だ」と書いたり、「齢六十になんなんとする私は、このまま私でありつづけることにも、正直、何年も何年も前から飽き飽きしている」などと投げやりなところも見せるのだ。
 辺見がペシミストぶったり、絶望的になって世を拗ねるのは一向に構わない。
 しかし、こんなことで辺見が言う「閾下のファシズム」が「撃て」るのか。
 自分が「闘う気はない」と告白しておいて、そのかどで他人を非難するなよ。なにやら、兵士の後ろで自分は身を安全なところにおきながら、「突撃」を叫ぶ将軍様みたいな図ではないか。
 しかも昨年の『サンデー毎日』に書いたのを焼きなおすような売文行為は惨めに過ぎる。昨年のデモに対して「犬の糞」とまで罵倒しておきながら、辺見は今年のWPNのデモに参加した。そして、また非難する。本当に「軽率に過ぎる」とおもう。
 辺見よ、売文家として書くことに事欠いての故なのかどうかは知らぬが、他に書くべきことはないのか。それともどういう意図があるのか。このような文書を書いているのでは売文かというより「挑発者」といわれても仕方がない。こういう輩は不思議と運動が高揚しかけるときに出てくるのだ。
 かつて七〇年闘争を闘った者たちの一部に、この辺見のような感覚があるのは事実だろう。しかし、自分が反戦運動に取り組めていないことに対する罪悪感を、いまの若者たちの運動のせいにすることで解消するのは卑怯ではないか。
 傍でイラク反戦運動を見ているだけだった「団塊の世代」の一部の人は、辺見の分を読んで、「そうだよ、そうだったんだ。だから反戦運動に参加しにくかったんだよ」などと納得しそうだ。よしてくれ。いいかげんいしてくれ。
 諸氏の好きそうな一言をプレゼントしよう。自分がロードス島にいた時は高く跳べたと自慢する者に言った「跳べ、ここがロードスだ」という言葉だ。 (K)