人民新報 ・ 第1126 号<統合219号> (2004年3月25日)
目次
● 3.20 日本で世界で数百万の反戦行動
日比谷では自衛隊即時撤退!イラク占領反対!で3万人
● 被爆地ヒロシマで改憲反対の声強く
憲法調査会広島地方公聴会
● 毎日一人づつが提訴 イラク違憲訴訟
● 労組法の「改正」 物的提出命令とは
● 超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) H / 関 考一
● 今、「リストラ時代」を問う 長編劇映画『ひだるか』 製作への協力を
● せ ん り ゅ う / ゝ 史
● 複眼単眼 / 民衆思想史の研究者・安丸氏とWORLD PEACE NOW
3.20 日本で世界で数百万の反戦行動
日比谷では自衛隊即時撤退!イラク占領反対!で3万人
一年前、アメリカ・ブッシュ政権とそれに追随する勢力は、世界に広がる反戦の声を無視してイラク侵略戦争を強行した。小泉政権は国内世論の大きな反対を押し切って、巨額の資金援助でアメリカ侵略者を支援し、さらに、憲法を蹂躙して自衛隊のイラク派兵を強行した。
米英によるイラク侵略戦争開始から一年が過ぎた現在、米英による占領統治はイラク民衆の高まる抵抗を前に重大な困難にたち到っている。アメリカ主導のイラク戦争への加担を拒否したフランス、ドイツ、ロシア、中国などはその批判をゆるめていない。それだけでない。イギリス・ブレア政権とならんで米国・ブッシュ政権を積極的に支えてきたスペイン・アスナール政権は崩壊し、スペイン次期政権はイラクからの撤退を言いはじめた。またアメリカの援助とひきかえにイラク戦争に加担してきたポーランドも、アメリカに対する不満を表しはじめている。戦争のための「有志同盟」の瓦解がはじまった。
イラク侵略戦争開始一周年の三月二〇日、イラク反戦の世界一斉行動が取り組まれた。
全世界の行動は、アメリカ数十万人、イタリア二〇〇万、スペイン二〇万人。イギリス一〇万など、世界五一カ国、二五〇都市で百万人を超えるひとびとが参加したと言われる。日本でもこの反戦の波に一五〇ヶ所以上、数十万人の人々が呼応し、行動した。
日本では、「イラク占領反対」や「自衛隊の即時撤退」をもとめて全国各地で数十万人の人びとがさまざまの行動に参加した。
東京では、冷たい風雨がが激しい悪天候の中で、日比谷公園での「ワールド・ピース・ナウ3・20」(大音楽堂)と陸・海・空・港湾労組二〇団体集会(小音楽堂)には三万人が参加し、芝公園での「3・20国際共同行動」にも三万人が集まった。
日比谷公園大音楽堂では、ワールド・ピース・ナウ(WPN)実行委員会による「〜世界の人々とともに〜終わらせようイラク占領! 撤退させよう自衛隊!」というスローガンで「WORLD PEACE NOW 3・20」がひらかれた。
はじめに「CHANCE pono2」の星野ゆかさんが主催者を代表してあいさつ。
戦争で失われた人びとのいのちはかえってこない。スペインでは派兵を行った政権が選挙で敗北し、新政権はイラクから撤兵すると言っている。これは遠い国のことではない。私たち自身の問題でもある。戦争を起こし継続するブッシュ大統領と小泉首相を許すわけにはいかない。私たちはもうとどまることはない。もっと良い世界を実現するために世界の人びとと手を合わせて一緒に進んで行こう。
つづいて沖縄からかけつけた喜納昌吉さんのライブ。「アリラン」「花」などの歌を熱唱し、また、沖縄で反戦行動を行っている「世界と連帯し沖縄から平和を発信する実行委員会」からのメッセージも紹介した。
つづいて日本国際ボランティアセンター(JVC)の熊岡路矢代表が発言。
一年前、戦争がはじまった時は残念無念という気持ちだった。いま人道復興支援の美名の下でビジネスが行われている。戦争で儲けたところがあるが、しかし、復興支援はあくまでもイラクの人びとのためのものでなければならない。自衛隊には人道復興支援は出来ない。イラクでも、アフガンでも、パレススチナでも、外国軍の駐留に反対し平和な世界を実現して行かなければならない。
反戦運動に取り組む米軍人家族の会(MFSO)のロバート・スミスさんは第二次大戦に参加しドイツ軍の捕虜になった父親と、ベトナム戦争で心身ともにぼろぼろになり若死にした弟の話をし、家族をイラクに送らないで下さい、悲しむ人を増やさないで下さい、日本の自衛隊もすぐに撤退させて下さい、と訴えた。
弁護士の藤原真由美さんは、イラク特措法が憲法に違反していることはもちろんだが、自衛隊は戦闘地域に送らないとしている特措法すら無視して派兵が行われた、日本弁護士連合会は非軍事の手段での復興支援を求めている、イラクからの即時の自衛隊撤退、今後の派兵の中止を求める、と述べた。
集会を終えて、パレードに出発。あとからあとから、それぞれに工夫したプラカードなどをかかげて隊列が進んだ。
同時刻、日比谷公園・小音楽堂では、陸・海・空・港湾労組二〇団体主催の「世界の人々とともに 3・20 平和コンサート」が開かれた。航空労組連絡会の内田妙子議長が開会あいさつを行い、全労連の坂内三夫事務局長とワールド・ピース・ナウ実行委員の富山洋子さんが連帯のあいさつ。ロックバンドの「ゴッド・ブレス」による「音楽を通してメッセージを伝えて行きたい」との迫力ある演奏や横井久美子さんのコンサートで反戦の声をあげた。集会の後はアメリカ大使館にむけてデモ。
芝公園の3・20国際共同行動集会では、全労連の熊谷金道議長が開会発言を行い、志位和夫日本共産党委員長、評論家の佐高信さん、陸・海・空・港湾労組二〇団体の中川香さん、ワールドピースナウ実行委員の高田健さんが連帯あいさつをおこなった。
日本各地でも様々な行動が展開された。大阪では扇町公園で「終わらせようイラク占領!撤退させよう自衛隊!関西集会」が開かれ、一万人が結集した。フォーラム平和・人権・環境近畿ブロック会議議長の山田保夫さんが主催者を代表してあいさつ。韓国の「イラク派兵反対非常国民行動」からの発言があり、アメリカの反戦団体「ANSER」からのメッセージが紹介された。集会アピールを採択して三つのコースに分かれてのデモで反戦を訴えた。
世界一斉反戦行動は大きな勝利を勝ちとった。日本でも日比谷公園をはじめ各地での取り組みで、市民、宗教者、労働組合、政党などが従来の枠組みの違いを超えてかつてない大きな結集を実現し、国際共同行動の一翼を担った。
今後、この成果にたって、自衛隊のイラクからの撤退、イラク占領をやめよを共通の課題にした共同行動をいっそう拡大させなければならない。そして、有事法制反対、改憲反対の世論と行動を強め、小泉戦争内閣を打倒する闘いを前進させていこう。
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日本政府への申入書 内閣総理大臣 小泉純一郎様
私たちはイラクの占領を終わらせることと自衛隊の撤退を求めます
一年前の三月二〇日に米英両国などが開始したイラクヘの軍事攻撃は、多くの人命を奪い、命と暮らしに不可欠のインフラを破壊し、不発弾や取射能兵器による汚染など莫大な戦争の負の遺産を残しました。イラクの現状は、武力では平和をもたらすことができないことを証明しています。戦争や経済制裁によってイラクを破壊した米英など「同盟国」は、人びとが安心して暮らせる社会を一刻も早くイラクに戻す責任を負っています。
今後イラクの人びとが公正な社会を築いていくためには、失業率の軽減、教育・医療などのサービスを立て直すための行政の復興が不可欠です。また、貧富の格差を生まないような経済システムの確立が望まれます。
しかし、現在米国・英国などの占領下にあるイラクでは、占領国の企業などが多くの「復興事業」を受注しており、このような不透明な復興媛助の構造が、イラクの人びと自身による社会作りや彼らの雇用確保を妨げています。
いま日本政府はイラクに自衡隊を派遣しつつあります。軍隊組織である自衛隊が混乱の続く現地に赴くことで、イラクの人々を殺傷する危険性が生じ、また武装組織の攻撃の対象となる可能性が高まり、かえって治安の悪化をもたらしかねません。「戦闘地域」と言える現在のイラクに自衛隊を送ることは、イラク特措法の違反ですらあります。また、今回の派遺では米軍など占領軍への協力も任務とされていますが、このような軍事的な活動が「人道・復興支援」の名目で行われることは、今イラクに緊急に必要な人道・復興活動の中立性を脅かします。
日本政府は、武装した自衛隊員の派遣や米英等の同盟軍への協力に税金を使うのではなく、イラクの人びとが安定した生活を再び営むことができるよう、国際社会やNGOなどによる人道・復興活動の継続と占領軍の早期撤退、そしてイラクの人びとによる民主的な自治が築かれるよう占領当事者である米国政府や「同盟国」に要求すべきです。
同時に私たちは、自衛隊のイラクからの一刻も早い撤退を求めます。
二〇〇四年三月二〇日
WORLD PEACE NOW 3・20世界一斉行動参加者一同
被爆地ヒロシマで改憲反対の声強く 憲法調査会広島地方公聴会
衆議院憲法調査会(中山太郎会長)が行う最後の地方公聴会が、三月十五日午後の三時間余り、広島市(中国ブロック)内の全日空ホテルで開かれ、二〇〇人を超える傍聴人が詰めかけ、論戦に熱心に耳を傾けた。
しかしながら公聴会を終えて、多くの傍聴者は「これで中国ブロックの主権者の声を聞くのは終わりなのか」と、時間が短く、議論が生煮えのまま終わった公聴会に疑問を抱いたようだ。
衆議院憲法調査会はこのあと、各小委員会での討議を続け、四月と五月に「中央公聴会」を開催する予定だ。その後、来年年頭に予定されている最終報告書のとりまとめの作業に入る予定。
今回の広島公聴会は先の衆院選の結果、圧倒的多数になった改憲派が、従来から見ても異常な形で恣意的に仕組んだ運営となった。一般公募された意見陳述人の応募者総数は四五人だった。応募時に必須とされる発言要旨で見ると、うちわずか五〜六人だけが改憲賛成の意見だ。にもかかわらず、憲法調査会幹事会(自民、民主、公明で構成)で選出された陳述人は、改憲の立場三人、改憲反対三人の同数だった。改憲派はわずか五〜六人の改憲意見の中から三人を選んだために、当然にもその質は低くなった。
これらの人々からは「日本民族単一民族論」(自民党岡山県会議員)や、「たとえ核爆弾が落ちても今の医学では救われる」(広島大学教授・医師)などという暴論が飛び出す始末だった。
しかし、これに比して改憲反対の三人の主張は明快だった。
地方自治体の福祉の現場で働く佐藤周一さんは「まず政府に憲法を守らせるべきだ。そうでなければ憲法の重みはない。いま、労働者や高齢者、若者の生活は苦しくなっており、基本的人権が侵されている。小泉首相が言う『改革なくして成長なし』ではなくて、『人権なくして成長なし』だ。戦争は最大の人権侵害であり、環境破壊だ。イラク戦争に加担した小泉内閣の政策は誤りだ。絶対に九条を変えてはならない」と発言した。
病気がちの体をおして延べ三〇万人の若者に被爆体験を語ってきた元原爆資料館館長の高橋昭博さんは、「輸送艦『おおすみ』が『日の丸』と『軍艦マーチ』で送られて呉の港をでるのを見て、恐ろしい時代になったと思った。憲法九条を変え、徴兵制や核武装をすることは被爆者として許せない。世界に一つ、二つは、こういう憲法を持つ軍隊のない国があってもよいではないか」と述べた。
その後行われた委員の質疑は、繰り返しや主旨が不鮮明なものが多く、陳述者をとまどわせる有様で、憲法調査会の質が問われるものだった。
多くの傍聴者が発言を求めたが会長は三人のみを認めただけだった。
中山太郎会長は終了後の記者会見で「護憲、改憲の両論があったが、すべては主権者である国民が選んだ国会議員がきめるべきことだ」などとのべて、地方公聴会軽視の姿勢を露わにした。
これで二〇〇一年四月、仙台市から始まった全国九カ所での地方公聴会は終わった。
公聴会に先立ち、超党派の市民団体でつくる「憲法調査会ひろしま見張り番」(岡本三夫共同代表ら)は十四日午後、市内で池田香代子講演会を開き、二〇〇名の市民が参加した。
また公聴会の当日は午前中には広島市の繁華街で街頭宣伝を行い、終了後は記者会見を行った。
その後、市民三〇〇名が参加した「広島公聴会報告集会」を開いた。
報告集会では憲法調査会派遣委員団から社民党の土井たか子さんと共産党の山口富男さんが報告、陳述人の三人と、応募して落選した人々も報告した。
最後に憲法調査会市民監視センターの高田健さんが、これまでの憲法調査会の実態と今回の広島公聴会の評価、今後の憲法改悪反対運動の展望などについて報告した。
こうした市民の側からの積極的な憲法調査会への異議申し立ての運動は、過去九回の公聴会のなかでも指折りの熱心な取り組みとなり、広島の平和運動の広がりと深さを示すものだった。
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憲法調査会・広島公聴会報告集会アッピール
本日、広島市で衆議院の憲法調査会の地方公聴会が開催されました。これは、二〇〇一年一月に国会の衆参両議院に憲法調査会が設置され、同年四月に仙台で初の地方公聴会が開かれてから順次全国各地で行われ、衆議院では最後の地方公聴会になると思われます。
私たちは、数年前から広島市で地方公聴会が開かれることを予想して、公聴会で意見を述べることや傍聴することができるように準備してきました。それは、憲法調査会は、その名前の通り、憲法の基本である平和主義、基本的人権の保障や民主主義が十分に実現されていない現実やその原因に目を向けることが目的のはずですが、実際には憲法「改正」を目指すための議論をしてきた経過があることから、私たちが被爆地ヒロシマから平和のうちに生存する権利の保障を実現しようという肉声を届けたいと考えたからでした。
しかし、実際には、そもそも地方公聴会が開かれることや、そこで意見陳述等の機会があること等に対する情報の提供はほとんどなされず、また、意見陳述人の選考についても護憲の立場の意見が多数であるにもかかわらず少ない割合になっているなど、真に国民の声を聞こうとしているのか強い疑問を抱かざるを得ませんでした。
本日の公聴会の様子は、国会議員、実際に意見陳述した方、傍聴者の方々からこの集会の中で話された通リです。私たちは、憲法調査会はもっと多くの国民から憲法に対する熱い思いを聞くべきであリ、憲法「改正」の地ならしとなるような運営をすべきではないと考えます。
今年、戦後初めて公然と武器を持った軍隊として自衛隊がイラクに派遣させるというあからさまな憲法違反が強行されました。このような憲法違反の実態にこそ調査の目を向け、二度と憲法が蹂躙されることのないことを目指すことこそが調査会の役割だと考えます。
私たちは、自らが不断の努力と学習によって憲法の保障する諸権利を実現することを決意し、多くの国民と平和主義を壊そうとする憲法「改正」をさせないために行動することを訴えるものです。
二〇〇四年三月一五日
憲法調査会・広島公聴会報告集会参加者一同
毎日一人づつが提訴 イラク違憲訴訟
自衛隊のイラク派兵は憲法に違反しているだけでなく、小泉政権がつくったイラク派兵特措法にも反している。イラク特措法では戦闘地域には自衛隊を送らないとしているからだ。このようにイラク派兵はまったくでたらめな基礎の上に強行されている。
こうした不法・不当なイラク派兵に反対して、各地でデモや集会などの抗議行動が展開されている。これらの行動に呼応して、派兵違憲訴訟が取り組まれている。これまで、北海道では箕輪登元郵政相を原告とする訴訟が提起され、一〇〇人を超す弁護団がついた。名古屋では全国から一二〇〇人を超す原告団が闘いに立ち上がっている。
三月一七日、東京・日本弁護士会館会議室で、「イラク派兵違憲訴訟の会・東京」が結成された。共同代表は、尾形憲さん(法政大学名誉教授)、平山基生さん(沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動)、本尾良さん(非核・みらいをともに)。違憲訴訟の会・東京は、イラクから自衛隊が引き揚げるまで土日を除く毎日一人づつ国を被告にした訴えを東京地裁に起こしていく。請求は、「一、被告は『イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支鐸活動の実施に関する特別措置法』により自衛隊をイラクおよびその周辺地域並びに周辺海域に派遣してはならない。二、.被告は原告に対し金一万円及び本訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え」というのもの。
一七日には、前田哲男(東京国際大学教授)訴えを起こし、一八日(鎌田慧・ルポライター)、一九日(佐高信・評論家)、二二日(尾形憲・共同代表)、二三日(生越忠・元和光大学教授)、二四日(石川文恵・市民)、二五日(平山基生・共同代表)、二六日(神納正春・平和のための裁判を考える会)、二九日(北沢洋子・国際問題評論家)の皆さんがつづき、すでに百人をこえる人びとが提訴の準備している。
一七日には、東京地裁記者クラブで、記者レクチャーが行われた。
弁護団の内田雅敏弁護士は訴訟の意義について次のように述べた。長期にわたって裁判所は憲法に規定されている違憲立法審査権の活用を促す要求を退けてきた。「湾岸戦争戦費拠出違憲訴訟」「カンボジアPKO違憲訴訟」「ゴラン高原PKF違憲訴訟」「テロ特措法・海外派兵は違憲訴訟」などについてことごとく判断を避けてきた。イラク派兵違憲訴訟は、三月二〇日のイラク反戦世界一斉行動に連帯して開始した。毎日一人ずつ主権者が次から次へとリレー式で訴えを起こす。この訴訟は裁判所の姿勢を改めさせるための主権行使でもある。主権の行使は選挙権行使だけではない。
訴訟を起こした前田哲夫教授は闘いの決意を語った。違憲・無法な自衛隊のイラク派兵対する訴訟の一番バッターとしての責任を果たして行きたい。自衛隊の行動は、急迫性をもつもの、最低限、直接間接侵略に対抗するということが基本となっている。またこれまでの国会決議でも海外での活動には制限を決議している。こうしたことの担保により自衛隊に一定の合憲性があると主張されてきた。しかし今回のイラク派兵はこれらのことすらまったく無視して行われている。派兵の法的根拠は自衛隊法附則であるが、それは札幌雪まつりの「支援」や鳥インフルエンザでの出動と同等の行動とされるものからきている。それで殺し・殺されるかも知れないイラク派兵を行おうというのだ。訴訟では、これがいったいどういうものなのか裁判所ははっきりした態度を示して欲しいといこうとだ。
「イラク派兵違憲訴訟の会・東京」のホームページ
http://comcom.jca.apc.org/iken_tokyo/
労組法の「改正」 物的提出命令とは
三月五日、厚生労働省は労働委員会制度の改革にかかわる労働組合法の一部を改正する法案を国会に提出した。労働委員会における不当労働行為審査の迅速化を図るためだとされているが問題点が多い。そのひとつが物的提出命令である。労働委員会は、事件に関係のある帳簿書類その他の物件の所持者に対し、その提出を命じることができるとしているが、これを有効に機能させるという面で重大な「欠陥」をもつ。使用者が、命令を受けたとしてもその都度処分取消や裁決取消の訴訟を提起すれば、労働委員会の不当労働行為事件審査は、その都度司法審査を受けることになり、その結果として審査手続が事実上中断し、物件提出命令がかえって、審査遅延を招くことになりかねないのだ。
労働弁護団は意見書で言っている。それを実効的なものにするためには、「物件提出命令に対する不服申立制度は、労働委員会の審査手続の枠内において設けることとし、裁判への出訴は認めない旨の特則を設けるべきであり、このような制度であってはじめて、物件提出命令は審査の迅速化と適正な事実認定に資するものになるというべきである」としている。
超大国アメリカの持続可能性(サステイナビリティー) H
関 考一
@ 一段と拡大する世界的不均衡
ここであらためて現実的な世界的不均衡の実態をみてみよう。
三月一二日アメリカ商務省が発表した二〇〇三年の経常収支の赤字額(速報、季節調整済)によると予想通り前年比一二・七%増の五千四百十八億三千万ドルと過去最高を記録し初めて五千億ドルを突破した。経常赤字は二年連続となる過去最大の更新である。これはアメリカが身の丈を超えた異常かつ過剰な消費を続けているため輸入が天井知らずに増大し赤字が累積している結果である。
こうした深刻な事態にもかかわらずブッシュ米大統領は二〇〇五会計年度の国防予算を前年度比七%増の総額約四千十七億ドル(約四十二兆五千八百億円)を「対テロ戦」や「米軍のハイテク化」のために計上している。しかも今回の予算にはイラク関連費用は含まれておらず新たな追加支出を強いられる可能性が高いとされている。(日経〇四・二・三)
過剰な消費には、超大国アメリカ帝国主義の覇権の源泉であるこの野放図な軍事費も含まれているのである。
アメリカの累積する経常赤字を表の問題するならば、その財源(ファイナンス)を一方的に負担する裏側もまた問題とならざるをえない。昨年二〇〇三年の円・ドル為替相場は年初の一ドル=一二〇円前後から年末の一〇七円まで上昇する円高(ドル安)となったが、日本政府・日銀はその間に史上空前の二十兆円を越える円売りドル買い介入を行なってきた。さらに二〇〇四年一、二月のわずか二ヶ月間で十兆円を超える市場介入を実施した。これは昨年一年分の介入額の半分に達する異常な規模である。また日銀は一段の円高を阻止するため「景気回復」基調との判断にもかかわらず量的金融緩和を実施している。この政府・日銀のなりふりかまわないドルの買い支えは「日本経済の歴史に残る異例な政策」(日経社説〇四・三・七)とまでいわれるほどである。〇四年度の市場介入の資金調達枠は百四十兆円に増枠される見通しといわれている。また注目すべきはこのドル売りの主体は投機的要因だけでなくEU諸国がアメリカからの輸出代金をドル安による大幅な減価から守るためドル売って円に換える大量のリスクヘッジが含まれていることである。政府・日銀による大量のドル買い介入で膨らんだ外貨準備高は、七千八百億ドル(〇四・二月末)に達しておりその大半が米国債で運用されドル安が進行すれば巨額の為替差損を被るリスクを抱えており(一〇円の円高で七・八兆円の評価損)、最終的には税金の投入という新たな負担が発生しかねない。〇三年度米国債保有残高の純増額のうち、日本が買い増した額は全体の四四・三%の千六百七十一億ドル(約十七兆五千五百億円)にのぼり英国の八・六%中国の八・二%に比べても日本の突出が際立っている。同年の純増額のうち日本を含めた海外全体の保有比率も七十七・五%に達し米国債の海外依存が一段と深まっている。赤字を垂れ流すアメリカとその米国債を際限なく買い支える日本という構造は、米長期金利の低下を誘導しアメリカの景気回復が加速するという一種の陶酔状態さえ生み出している。米連邦理事会(FRB)は二〇〇〇年に経常赤字がGDP(国内総生産)比率で五%を越えた先進国の事例では「通貨の下落」のメカニズムが作動するという研究結果を盛り込んだ調査報告を出したことがあるがアメリカは今や自ら下した予測の正否を問われているのである。
こうしたアメリカの生みだす不均衡は持続可能なものではなく、市場の関心はいつ陶酔から覚めるのかそのきっかけに移りつつある。
アメリカの常軌を逸した経常赤字と財政赤字は、いずれも市場金利を大幅に上昇させる圧力を増大させる要因であり「米長期金利」の動向は今後の世界経済に重大な影響を与えることになろう。「不均衡に対する内外投資家の不信はたまり続ける。マグマがはじけたときには市場の暴力的な調整が待っている。」(日経〇四・二・六「危険水域」の米経常赤字)
A 恐慌の及ぼす作用(激甚性+拡張性+長期性)
資本主義的生産の矛盾の爆発である恐慌が勃発した場合如何なる事態が引き起こされるか考えてみたい。
想定される恐慌は、今日の過剰生産のしわ寄せが米経常収支の赤字と財政赤字に集中的に表現されているところから、国際的金融システムの急激で大幅な収縮を引き起こすことになろう。それはバブル状態にある米株式市場の暴落も連動する金融的逼迫を招かざるをえない。そこで取り得る手段は金融緩和による流動性の急膨張=ドルの大増発しかないのであるが、一方ではすでに信用失墜によるドルの大幅な減価とアメリカの信用力低下による国債価格の暴落=金利の高騰が同時に発生する中では二律背反的ジレンマに遭遇することになると考えられる。それはドルと米国債に過剰に依存しているGDP(国内総生産)で世界第一位のアメリカ(二〇〇一年 三三・〇%)と同第二位の日本(同 一三・六%)の両国で世界GDPの過半近くを占める中では、世界経済を震撼させる影響を持つと思われる。
今日の国際金融体制は、世界中が緊密に結びつきリスクを分散させるシステムを機能させ破綻の連鎖を阻止する強固な防壁を築いてきた。例えばユーロ市場における銀行間取引の場であるインターバンク市場では、仮にA行が大口預金を一週間物で一〇億ドル受け入れた場合、A行は二・五億ドルを非銀行向け中・長期貸出に回し、七・五億ドルをインターバンク市場に放出しリスクを分散させることが出来るが更にその七・五億ドルをB行が受け入れA行と同様に二五%の一・九億ドルを中・長期貸出に振り向け残りの五・六億ドルをインターバンク市場に再放出するという操作を繰り返すことによって無限にリスクの小口化と分散が可能となるようなシステムが網の目のように構築されている。(「平成金融不況」高尾義一著 中公新書参照)確かにこのネット型リスク分散システムは一定の規模までの個別の破綻に際しては、銀行や保険会社などのリスクを軽減し旧来型の連鎖的破綻を防止する有効な手段として機能してきたのであるが、仮に資本主義の中枢であるアメリカを震源とした大規模な金融逼迫(支払手段の枯渇)に直面した場合には、セイフティーネットとしての機能が逆に災いとなって破綻を連鎖的に拡散する危険性を有している。となればこれは一種のマルチ商法=ねずみ講的システムへの変質であり中枢の麻痺がすべての末端組織をも壊滅に巻き込むまさに現代的なWWW(ワールドワイドウェブ)型恐慌となりうる可能性をもっている。また今ひとつの問題は一九二九年のNY大恐慌からの回復に大きな効果をあげたケインズ主義的財政政策が膨大な累積国債を有する今日の資本主義各国においては、更なる国債大増発は困難であり恐慌からの回復を長期化させる大きな要因となる可能性である。
B恐慌と世界的基本矛盾の激化
恐慌の勃発の有無にかかわらず、過剰生産のはけ口を求めて自由な世界市場化(グローバリゼーション)を目指すアメリカ帝国主義を盟主とする資本主義体制は現代世界を構成する基本矛盾を激化させている。とりわけ帝国主義と途上国(被抑圧民族)の矛盾は、一段と激化している。帝国主義が途上国に対して安定的な原料・資源供給源として服従を強制し、そしてまた帝国主義の巨大な生産力を受け入れる自由な市場化への一方的要求は、連合した途上国の闘いによって極めて鋭い対立として現れている。
帝国主義の巨大な生産力がオートメーション化によって更に強大化し世界市場化(グローバリゼーション化)が推進される中でなにが起こったかについて北沢洋子氏(アジア太平洋資料センター)は次のように述べている。「まず第一に、莫大な貧困層が生まれた。……第二に、地球規模のすさまじい格差の増大である。例えば、マイクロソフトの会長ビル・ゲイツ一人の資産は、最貧国四九か国のGDPのすべてをあわせたものより多い。……第三に、世界経済が巨大なカジノとなった。……グローバリゼーションがもたらした貧困、格差、経済のカジノに対して、ついに人びとは『ノー』と言って立ち上がった。これが今地球上を吹き荒れている反グローバリゼーションのデモである。」(オルタ二〇〇四・一 PARC)こうした中での恐慌は、途上国の民衆に耐え難い困窮を迫ることになるのは必至であり帝国主義・資本主義に反対する闘争は一段と激しさを増すことになろう。「ブルジョア的身体の末端部においては、その心臓部におけるよりも当然、よりはやく暴力的爆発が起こらざるをえない。それは心臓部においては末端部よりも調整の可能性大きいからである。」(全集H 九四P)
C 恐慌と労働者階級の課題
経済的な破綻である恐慌は資本主義の自動的崩壊を決して意味するものではない。「ブルジョアジーはなにによってこの恐慌を克服するのか?一方では、おびただしい生産力をやむなく破壊することにより、他方では新しい市場を獲得し、また古くからの市場をいっそう徹底的に搾取することによって。結局、それはどういうことか?より全面的な、より強大な恐慌を準備し、恐慌を予防する手段をすくなくすることによって。」(共産党宣言)
恐慌が起ころうとも資本は、飛躍的な発展を続けているコンピューターとオートメーション化により極限まで労働力を削減し高い利潤を追求しようとするのは必至であるから、より短期間で再び「生産と消費の矛盾」に突き当たらざるをえなくなるのが二十一世紀の時代的特性であろう。こうして資本主義を覆す物質的生産条件はますます発展せざるをえないのであるから残された課題は労働者階級の自発的革命闘争の再構築である。「プロレタリア運動は、圧倒的な多数者の利益のための圧倒的な多数者の自主的な運動である。」(同前)「この階級への、それとともにまた政党への、プロレタリアの組織化は、労働者自身のあいだの競争によってたえずくりかえしうちくだかれる。だが、それはいつも、いっそうの強力な、いっそう有力なものとなって復活する」(同前)とするならば、未曾有の嵐が近づきつつある現在、一切の消極性と不活発性を払拭して、根本的な社会革命を目指す強力で全国的なそして国際的連帯を実現する労働者階級の政党をいかに形成するかが焦眉の課題となっている。
その政党は、意見の違いを暴力や排除によって「解決」することを断固拒否することを前提とし、T労働者階級を基礎とし、U社会主義を志向し、Vマルクス主義を指針とする大同的団結を実現すべきと考える。それはまた、これまでの数十年の「繁栄」のもとで資本に包摂されてきた労働者階級自身の変革をも迫る運動の創造でなければならない。「……労賃の高まりは労働者たちのあいだの過度労働を来たす。彼らはより多くかせごうとすればするほど、ますます多く自分の時間を犠牲に供し、完全にすべての自由を手ばなし貪欲に奉仕して奴隷労働を遂行しなければならない。」(経済学・哲学手稿)という労働者の負の側面とも正面から格闘する運動が是非とも必要なのである。「この共産主義的意識の大量産出のためにもまた主義そのものの成就のためにも人間たちが大きく変化することが必要なのであって、このような変化はただなんらかの実践的運動、なんらかの革命のなかでのみおこなわれうる。したがって革命が必要なのは支配階級を倒すにはそれ以外の方法がないからというだけではなく、また倒すほうの階級はただ革命のなかでのみ古い垢をわが身から一掃して、社会を新しくつくりうる力量を身につけるようになるのだからである」(全集BTフォイエルバッハ)
資本主義による貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取がますます耐え難いものへとなりつつある一方、米ブッシュ政権と小泉政権は、巨大な不均衡の増大=「単なる量的な増減がある特定の結節点で質的飛躍を引きおこす」(反デューリング論)法則を一顧だにせず、帝国主義としての「覇権」と「繁栄」の擁護に狂奔している。彼らの共通の標語は次の通りである。
「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ”これがすべての資本家およびすべての資本家国のスローガンである」(資本論 第八章労働日)
最期にこの資本の論理に真に対抗できるのは労働者階級の哲学・弁証法でしかないというマルクスの言葉を写しとって終わりとしたい。「それは、現状の肯定的理解のうちに同時にまたその否定、その必然的没落の理解を含み、いっさいの生成した形態を運動の流れのなかでとらえ、したがってまたその過ぎ去る面からとらえ、なにものにも動かされることなく、その本質上批判的であり革命的であるからである」(資本論 第二版後記) (完)
今、「リストラ時代」を問う 長編劇映画『ひだるか』
製作への協力を
一九六〇年の三井三池闘争は、同じ年の安保闘争とともに日本の歴史に残る大闘争であった。
その「三池争議」をモチーフにしながら、現代社会で最も深刻なリストラに視点をあて、問題を提起していく長編劇映画「ひだるか」が製作されようとしている。
「ひだるか」とは、九州の大牟田・荒尾地区の方言で「ひもじく、だるい」という意味で、現代の若者にある満たされない心や生き方そのものがわからなくなっている彼らの中にもある一種の雰囲気と結びつくものがある。
映画の主人公は、福岡のテレビ局の女性キャスター。彼女の職場は合理化攻撃をかけられ、それへの対応を巡って労働組合は分裂した。そんな状況の中で、彼女はかつて、父が炭鉱の労働者だったことを想いだすが、父は何故か当時のことをまったく話さなかった。三池労組も合理化、組合分裂があった。彼女は同じような組合分裂が起きた三池争議について取材を始める、三池の労働者のように団結することが必要だと考えながら。
脚本・監督でもある港健二郎さんは、一九四七年生まれの団塊の世代。小学校六年から中学一年にかけ、三池争議に出会った。港さんは、これまでも、近代化遺産の撮影などで、郷土を取材している。この三池争議の映画化という構想は、昨年秋に持ち上がり、三池高校や周辺高校の同期生や、団塊の世代のメンバーが集まり、費用を調達するための活動がはじまった。
この映画は、いわゆる「商業娯楽映画」ではなく、「市民が創り、上映していく映画」だ。当然のこととしてビジネスとしての出資は望めない。製作には現実に険しい状況にある。
一番大きな難題は、制作費の調達で、全国各地で上映を応援する市民による小口の資金を集め、前売り券(製作協力券)の販売や「製作出資金」募集が行われている。すでに「ひだるか」支援組織は東京・福岡・大牟田などで準備委員会が発足している。
映画「ひだるか」前売り券(製作協力券)は、一枚一五〇〇円で、映画完成後、どこの劇場・ホールでも鑑賞できる。
映画「ひだるか」製作委員会が正式に発足した後、映画「ひだるか」前売り券を予約した方に前売り券を発送し、指定の郵便振り替え口座に入金するとなっている。(K)
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<長編劇映画『ひだるか』製作協力のお願い>
今、「リストラ時代」を問う映画が生まれようとしています!
現在、「構造改革=リストラ」の名もとに多くの人々が痛みを強いられ、それが「当たり前」だとする風潮さえ出てきています。 人々の雇用を守る最後の砦であるはずの労働組合の多くが、そうした事態を見すごし、人員整理を迫る会社側に対して対峙する気概を失ってしまったのも、こうした「リストラやむなし」の風潮を蔓延させる原因の一つだと思われます。
そうした時、一九六〇年、福岡県大牟田市と熊本県荒尾市一帯に広がる三井三池炭鉱を舞台に展開された壮大なリストラ反対の闘いである「三井三池争議」は、遠い過去から私たちに何を訴えかけてくるのでしょうか?
この映画の主人公・原陽子は、福岡の地方TV局で働く花形のニュース・キャスター。だが、陽子の職場・福岡中央テレビでは、テレビ放送のデジタル化という大きな時代のうねりの中でその存亡の危機に立たされ、その対応をめぐって労働組合が分裂。そうした組合分断化は、「三井三池闘争」でも起り、分断化で力を弱められた組合側は、一二〇〇人を超える仲間の首切りを撤回させることができなかった。陽子は、職場の組合分裂に直面するとともに、かつて三池の労働者であった父・謙作の「謎の沈黙」を大きな契機として、かつて「三井三池」で何が起ったのかを検証し始め、そのことを通じて、我々の社会に、今、何が必要とされているのかを考え始める…
* 「ひだるか」…九州地方の方言で、三池地区(大牟田・荒尾)では「ひもじくだるい」状態の意味。
■ プロデューサー 岡田 裕
主な作品…「家族ゲーム」「桜の薗」「お葬式」「復活の日」「天と地と」など
■脚本・監督 港 健二郎 (一九六六年三池高校卒)
主な作品…「荒木栄」・「核トマフォーク」日本映画復興会議奨励賞「分ける」教育映祭優秀賞「燃えるマニラの女たち〜フィリッピン革命を支えた女性キャスター」(テレビ東京)ギャラクシー賞「ある女優の挑戦」(テレビ朝日)等々、主にドキュメンタリー映像の分野で活躍
■完成目標予定
二〇〇四年夏頃クランクイン。上映は福岡での先行公開を予定。
- 「ひだるか」のホームページは、
(http://www.hidaruka.com)、
「ひだるか」メールマガジンの申し込みは、(minato@hidaruka.com)へ
せ ん り ゅ う
世界へと日の丸武力イケンです
自らを自閉隊とはよくいうよ
軍を呼び僧侶はいない鶏埋葬
選挙前秘書が秘書がとせめどころ
税上げへ総額表示はずるっこい
カネボー支援国家主義そのまんま
地雷原水爆ブッシュはやめない
PEACEデモするアメリカ兵の家族
全世界反戦の声聞こえてる
ゝ 史
二〇〇四年三月
○ 政権自民党議員は頭が悪い、それとも頭脳明晰な知能犯、大嘘吐きばかりだ。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という文章の解釈を求めてみよ。とんでもない無知、とんでもない嘘妄想、とんでもない!。
○ クリントン前大統領が約束していたオタワ条約(対人地雷禁止)調印をブッシュはしないと表明。
複眼単眼
民衆思想史の研究者・安丸氏とWORLD PEACE NOW
安丸良夫という日本思想史、民衆思想史の優れた研究者がいる。
「神々の明治維新」(岩波新書)、「出口なお」(朝日新聞社)、「近代天皇像の形成」(岩波書店)などの著作がある。この安丸史観は伝統的なマルクス主義史観とは異なるのだが、一時期、私は彼の研究に惹かれたことがある。たとえば安丸さんには「日本の近代化と民衆思想」(平凡社)という文庫版五〇〇頁ほどの本(一九九九年一〇月発行)がある。幕末明治期の民衆闘争の思想についての分析だ。
「あとがき」にこうある。
…本書は、歴史をおしすすめる根源的な活動力は民衆自身だという理解にたつ。しかし、民衆はそのようなものであるからこそ、民衆は歴史をおしすすめることによって自分の内部に新たな問題をかかえこむのである。…歴史における民衆の問題は、単純に意気軒昂としたものであることはできず、困難と苦渋とに満ちたものであるほかない。そうした困難と苦渋を生きしかも根源的には不思議な明るさを失わない民衆の生き方・意識の仕方を通して、歴史のより根源的な真実に迫りたいというのが、本書の著者としての私の立場である。
以前、友人たちとの歴史の研究会の席で「この本で、『真忠組の偽官軍事件』と書いてあるのは真忠組の九十九里反乱事件と相楽総三の赤報隊の偽官軍事件の混同で、安丸さんにしては残念だ」などと指摘して、「重箱の隅を突くのではなく、もっと安丸史観自体の評価をすべきだ」とひんしゅくを買った経験がある。
この本の「あとがき」は一九六〇年六月一八〜一九日の六〇年安保闘争の国会包囲に参加した経験の回想で始まる。
そこで安丸さんは「多様な諸勢力がそれぞれの仕方であの場に居あわすことを望んだのであり、また別の諸勢力は、それぞれの仕方であの場に居あわせないことをえらび、じつはそのことによってもあの場に固有の仕方で居あわせたのであった。日本社会の多層な現実が、よくもあしくもあそこに凝縮していたのであって、歴史にはときとしてそうした時空があるように思う」と書いている。
最近の安丸さんの著作に「現代日本思想論〜歴史意識とイデオロギー」(岩波書店)というのがあり、その「あとがき」は前掲書同様に安丸さんの個人的体験から始まる。
これは昨年のイラク反戦の運動でのWORLD PEACE NOWの一連の行動に自ら幾度も参加した経験を書いている。「あとがき」としては異例の長文だ。
…私は一九六〇年六月一八日に行われた安保闘争の最後の日のデモに、京都から夜行列車で上京して参加したのだが、そのときと比べて今回の運動の規模はもとよりずっと小さい。
しかし、現代のこうした大衆運動には、若い人たちを中心に、あの時代とは異なった、ずっと多彩でゆたかな感受性が表現されているように思った。六〇年の闘争のさいの安保条約改定阻止国民会議や全学連のような組織は存在しないから、大動員はできないが、その分、小さな集団や個人の相違が活かされていて、戦争に反対するさまざまの思いや感性が活き活きと表現されていたというのが、私の感想である。
いま、「WORLD PEACE NOW」の周囲では、「辺見・高田論争」と呼ばれているものをはじめさまざまな議論がある。安丸さんの「あとがき」はこの問題を論じる際に必読だ。(T)