人民新報 ・ 第1132 号<統合225> (2004年5月25日)
  
                  目次

● 有事関連七法案  参院での廃案に全力を

● 一万人が結集して「守ろう!平和といのち集会」

● 普天間基地の返還を  一六〇〇〇人が「人間の鎖」  東京でも連帯する諸行動

● 辺野古沖  ボーリング調査開始を阻止するぞ

● イラクにも朝鮮半島にも平和を! 6・13日韓共同行動への参加・賛同の呼びかけ

● 「人らしく生きよう―再出発」完成試写会

● 国労本部へ処分撤回申し入れ  不当不誠実な酒田執行部の対応

● 米大使館前で拷問・虐待に抗議の行動

● 有事関連法案・条約反対 国会前行動

● 人びとの目や耳に代わって  没後五〇年「知られざるロバート・キャパの世界」展

● 農民の地学者 宮沢賢治の世界  /  小山 富士夫

● 複眼単眼  /  満天の星の下で育てられた国際主義



有事関連七法案  参院での廃案に全力を

 自民・公明の与党と民主党は五月二〇日、有事関連法案を午前中の衆院有事法制特別委員会で採決し、午後の本会議で衆院を通過させた。

 イラクで、アメリカは唯一の超大国としての地位を過信して傲慢な侵略戦争を引き起こした。イラク戦争の帝国主義的侵略的な本性はイラク人民に対する虐殺、拷問・虐待で世界中にいっそう明らかになった。イラク人民の怒りと解放闘争は日増しに高まっている。もともと世界世論とフランス、ドイツ、ロシア、中国などの協力を得ることが出来ず、国連での支持をも欠くアメリカ・イギリスなどの占領軍は、戦争一周年を経てますます窮地に立たされようとしている。国連憲章を無視し、国際社会の戦争反対の声に逆行して戦争を引き起こしたアメリカは、今度はジュネーブ条約違反の虐待事件までひきおこし、アメリカ国内を含む広範な国際社会からの強い批判と憤りにさらさられている。大統領選挙を秋に控えるブッシュ政権は破綻をきたしはじめたイラク戦争によって支持率を急落させている。
 小泉政権も、年金改悪、自衛隊派兵先サマワの治安状況の悪化などきわめて厳しい状況に追い込まれているが、小泉はこうした苦境を拉致問題の解決にむけての朝鮮民主主義人民共和国への訪問によって切り抜けようとしている。そして、ブッシュと同様にこれまでの反動路線を一段と加速している。
 小泉政権は、ブッシュの大義なきイラク戦争を支持し、占領政策の破綻と泥沼化にもかかわらず依然として米軍主体の占領支配の一翼をになっている。
 有事関連七法案・三条約協定は、昨年に強行成立させられた「武力攻撃事態法」にもとづいて、アメリカ軍による戦争を日本が支援し共同して軍事行動を遂行する体制をつくりあげるものであり、憲法を蹂躙するものである。
 政府は「国民の保護」を強調しているが、これはまったくのまやかしだ。有事体制は、戦争動員のためのものであり、政府と地方自治体、指定公共機関・事業者などに戦争協力の責務を課し、それに「違反」すれば罰則を持って戦争協力強制するものであり、そして、協力・動員の日常的な訓練などによって、全国全国民総ぐるみでの軍事動員即応態勢をつくりあげようとするものにほかならない。
 イラク戦争の現状がアメリカへの軍事協力の未来を示している。小泉政権の政策は、アメリカの世界的な侵略・支配の確立のために犬馬の労をとろうとするものだ。それは、世界と日本の人びとに多大な犠牲をもたらすものである。有事法案は衆院を通過させられたが、よりいっそう広範な人びとを結集して、参院での廃案をめざして断固として闘い抜こう。

一万人が結集して「守ろう!平和といのち集会」


 五月二一日、東京・明治公園で開かれた「守ろう!平和といのち5・21大集会」には一〇〇〇〇人が参加して、自衛隊の即時撤退! STOP!有事法制の声をあげた。
 はじめに主催者を代表して航空安全会議の大野則行議長が、日本の平和には有事関連法案は必要ない、ただちに廃案にし、自衛隊をイラクから撤退させる運動を強めていこうようと述べた。
 平和に向けたアピールでは、共産党の穀田恵二衆議院議員、社民党の土井たか子衆議院議員、日本弁護士連合会有事法制問題対策本部の内田雅敏弁護士、国立市市長の上原公子さん、ピースボートの木下壮さん、日本原水爆被害者団体協議会の藤平典代表委員、全日本海員組合関東地方支部長の牧添正信さん、平和ゼミナールで活動する都内の高校生からの発言がつづいた。
 参加者は、集会宣言を確認した後、宮下公園コース、新宿コースにわかれてデモで、反戦平和をアピールした。

集会宣言

 イラクでは泥沼の戦闘が続き、毎日、多くの人びとの命が失われています。米英軍が、捕えた人びとを拷問・虐待していたことも明るみに出ました。武力では何も解決せず、戦争が人びとの命と人権、尊厳を奪い尽くすことが、ますます明らかになっています。
 イラクに派遣された自衛隊は、米英軍の物資や武装兵も輸送するなど、占領に深く協力しています。このため自衛隊も攻撃の対象にされつつあり、いつ自衛隊員が殺し殺されることになるか分かりません。すでに多くの派兵国が撒退に向かう中、小泉内閣は「撤退しない」ことだけにしがみついています。そして、公然と平和憲法の改悪を主張し、日本が米国とともに世界中が戦争できるように、戦争国家の体制を作ろうとしています。
 そしていま、国会では、有事七法案と三条約・協定の成立の動きが強まっています。日本を攻撃する国も見当たらないというのに、戦争体制を作ることは、アジア諸国に「日本はいつでも戦争できる」という構えを示すものです。
 有事法制は、米国がアジアで戦争を起こしたら、自衛隊が米軍と一緒に戦うための準備にほかなりません。有事法制が完成すれば、住民も労働者も平時から戦争法制の組織と訓練に組み込まれます。有事法制が発動されれば、私たちは自由と人権を奪われ、戦争協力を強制されます。私たちは、このような有事法制の完成と発動に断固として反対します。
 平和こそ、すべての生命と安全と人権の土台です。武力によらない紛争の解決、軍隊によらない国際協力だけが、この地球の私たち、みんなの平和といのちを守ります。
 ● 私たちは、日本がこれ以上、戦争への道を歩むことを許しません。
 ● 私たちは、自衛隊のイラクからの即時撤退と、占領の終結を求めます。
 ● 私たちは、あくまで有事七法案と三条約・協定の廃案のため奮闘します。
 これから一日一日の私たちの努力が、きわめて大切です。私たちは、すべての心ある人びとに、平和といのちを守るため、ともに歩むことを呼びかけます。

二〇〇四年五月二一日

     自衛隊の即時撤退! STOP!有事法制 守ろう!平和といのち 5・21大集会参加者一同


普天間基地の返還を  一六〇〇〇人が「人間の鎖」

                 
東京でも連帯する諸行動

 五月一六日、沖縄・米軍普天間飛行場の早期全面返還を求めて、県内外から結集した一万六千人は同基地の周囲約一一・五キロを「人間の鎖」で取り囲んだ。
 包囲行動は、十六日午後二時三十分の二回目の挑戦で成功が確認され、佐久川政一実行委員長が包囲完結の宣言をした。なお、三カ所ある基地ゲート(大山、佐真下、野嵩)は閉鎖された。
この行動は沖縄平和運動センター、連合沖縄、社民党、社会大衆党、共産党、民主党などのよびかけで、普天間基地の早期全面返還、日米地位協定の抜本的改定、返還後の跡地利用に向けた整備、地主への補償・基地従業員への雇用対策など四つを中心スローガンに掲げた。
 米軍普天間飛行場は二八〇〇メートルの滑走路をもつ海兵隊専用の航空基地で、復帰以降も所属機の墜落など多くの事故が発生しており、日米両政府はともに「危険な飛行場」と認めている。そして、一九九五年の米兵による少女暴行事件をきっかけとして移設条件つきでの返還が合意され、二〇〇二年に名護市辺野古沖を埋め立て、軍民共用空港を建設することが決まった。今年の四月一九日、那覇防衛施設局は中止を求める声を一切無視して、抜き打ち的にボーリング調査と調査のための資材置き場設置を強行したが、名護市・辺野古の人びとの闘いで阻止されつづけている。
 普天間飛行場の包囲行動は三回目で、前回(一九九八年)以来六年ぶりとなる。基地のある宜野湾市は市として実行委員会をつくり包囲行動を支援したし、伊波洋一市長は今年夏に今回の基地包囲行動の記録ビデオや市民のメッセージを携えてアメリカに行き、政府や議会や市民団体などにアピールを行う予定だ。

 沖縄での普天間基地包囲行動に連帯して、東京でも行動が取り組まれた。
 一五日には、「沖縄『復帰』三二年 米軍用地強制使用を許さない防衛施設庁抗議行動」(主催、沖縄一坪反戦地主会関東ブロック)が行われた。牛込箪笥区民センターで集会、その後、防衛施設庁へ向けての抗議行動を行い、石破茂防衛庁長官と山中昭栄防衛施設庁長官にたいして「私たちは貴殿が沖縄の人々の基地建設反対の声に耳を傾け、ただちにボーリング調査を中止し、辺野古への新基地建設を取りやめ、普天間基地の全面返還にむけて米国と強く交渉するよう要求する」という抗議文をとどけた。

 一六日には、「今すぐイラク占領をやめ、自衛隊は即時撤退を! つぶそう国民保護法案! 許すな有事法制! 普天間基地包囲行動に連帯する5・16行動」<主催・自衛隊の海外派兵と戦争協力に反対する実行委員会(新しい反安保行動をつくる実行委員会)>が行われ、水谷橋公園での集会後、デモを行った。

包囲行動アピール  「人の輪を作る」

 太陽が円く輝き
 太陽を巡って惑星たちが
 円環運動をして終わりがない

 一年がまろやかに巡って
 うりずんの季節に入ると
 天地を循環する雨水が
 乾いた土地にしみこんで
 生命活動をうながす

 この地球の生き物と
 人間の生活は
 大自然の営みの巡る輪の中で
 和やかに進むのだ

 雨水にうるむ天地をかく乱し
 命の循環を荒々しく破壊する
 戦争の道具とこれ以上
 共に生きることを私たちは拒絶する

 普天間基地を私たちは
 手をつなぎ三度包み込んだ
 巨大な人の輪に血の温かさを
 一瞬に循環させた

 軍事基地よ 去れ

二〇〇四年五月十六日


辺野古沖  ボーリング調査開始を阻止するぞ

 普天間基地の代替基地として沖縄県名護市辺野古沖に新たな基地建設が行われようとしている。四月一九日早朝五時、辺野古漁港に那覇防衛施設局はボーリング調査の機材を搬入を強行。実質的な基地建設と受け止めている地元では、ボーリング調査開始を実力で阻止。以来一月以上にわたり連日、朝六時から夜の六時まで座り込み闘争を続けている。基地建設に反対の地元住民、政党、市民団体、労働組合など毎日七〇〜一〇〇人の態勢で座り込み。防衛施設局の動きを監視すると共に、テントの中で団結を固めている。
 辺野古の現状を沖縄ではテレビや新聞は連日報道しているが、ヤマトのマスコミは全くといっていいほど取り上げていない。しかし、インターネットを通じて事態を知った人々が全国から支援のボランティアで辺野古に集まっている。
 座り込みテントの中では、辺野古の基地問題や、各種団体のアピール、沖縄戦の歴史など連続して話が続く。と思えば、三線と太鼓で歌って踊っていつの間にか三線教室が始まる。また、基地建設予定海域に船を出したり、時間を利用してカヌー教室を開催したりと様々な企画で緊迫した中にも有意義に、そして楽しく座り込み闘争を継続している。
 「決して条件闘争ではない、防衛施設局が止めるというまで座り込む」と地元のオジー、オバーをはじめ、基地建設反対の闘う決意は固い。
 新たな基地建設反対、普天間基地の無条件返還を実現するために、今こそ辺野古の闘いに連帯するときだ。カンパ、メッセージ、現地への結集、そして全国各地での運動展開と創意をこらし、可能な行動を追求しよう。
 今日も炎天下、座り込んでいる辺野古の仲間と共に闘おう。


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イラクにも朝鮮半島にも平和を! 6・13日韓共同行動への参加・賛同の呼びかけ
 

 米軍のイラク占領、虐殺と拷問・虐待をやめろ!
 自衛隊は今こそ撤退しろ!
 とめよう有事関連七法案


 イラクの戦場では、ファルージャを包囲した米軍の無差別攻撃で七〇〇人もの市民が殺され、拘束されたイラク人への米軍の拷問・虐待の事実は、イラク民衆ばかりか世界中の人々の大きな怒りを呼んでいます。マスメディアで公表された映像は男性だけですが、女性拘束者に対しても衣服を剥ぎ拷問・虐待が加えられていることが明らかになっています。
 いま、イラク全土で占領軍に対する怒りが渦巻き、頑強な抵抗が繰り広げられています。虐殺するな!占領やめろ!自衛隊は直ちに撤退しろ!の声をさらに大きなものにしていきましょう。
 五月九日付「ニューヨークタイムス」は、一〇〇年前に朝鮮人に拷問を加えている日本軍の写真と今回の虐待問題の写真を掲載し、「一〇〇年前と今日」が何も変わっていないと指摘しています。それは侵略者・征服者のおぞましい姿です。
 日本人五人をはじめとする人質事件はこんな中で起こりました。解放され、無事帰国した日本人人質から、事件が「ファルージャの虐殺を世界に知らせるためにやむにやまれず行ったものと思う」との発言がなされていますが、米軍の占領と虐殺、そして占領と一体となった日本政府による自衛隊派兵が事件の大きな要因です。五人が自衛隊派兵に反対し、市民運動がさまざまなルートで働きかけたから彼らは解放されたのです。人質となった人々への「自己責任論」を振りかざしたバッシングは、その本質を覆い隠すための世論操作にほかなりません。
 日本政府はいま、有事関連七法案を国会に提出していますが、日本が再び「戦争のできる国」をめざすことを私たちは断じて許すことはできません。

 韓国女子中学生二名の米軍装甲車によるひき殺し事件から二年、南北首脳会談から四年

 米軍は沖縄・日本、韓国から撤退しろ!


 六月一三日、この日は韓国で女子中学生二名が米軍装甲車によってひき殺された事件の二周年の日です。二年前、サッカー日韓W杯の最中のこの日午前一〇時四五分ごろ、キョンギ道パジュ郡に住むシン・ヒョスンさんとシム・ミソンさん(ともに中学一年生の一四歳)が、友だちの誕生会に行こうと一般道を歩いていて、米第二師団工兵隊所属の架橋運搬用装甲車(重量五四トン)にひかれて即死しました。米軍は当初、「事故」だと主張して事件を見舞金程度で処理しようとしました。ところが、次々と明らかになる疑問点は、これが単なる事故ではなく、駐韓米軍が韓国でわがもの顔にふるまっている現実から必然的に起こった殺人事件であることを示しています。しかし、米軍は不平等な韓米地位協定(SOFA)を盾に、加害者を自分たち軍事法廷で無罪にしました。韓国の人々の怒りは瞬く間に広がり、連日のように数万、数十万人の抗議のキャンドルデモが繰り広げられたことは記憶に新しいことです。
 この間、米国政府は東アジアに一〇万人の兵力を張りつかせてきました。この東アジアの米軍一〇万人体制とは、沖縄・日本、韓国にその約九割が駐留する体制です。
 在沖縄海兵隊からは三〇〇〇人がイラクに派遣されています。横須賀などを母港とする第七艦隊の軍艦がイラクにトマホークミサイルを打ちこみました。
 この地に米軍が居座り続けていることが、イラク戦争や朝鮮半島の緊張、そして韓国や沖縄の米軍被害の元凶です。
 いま、米軍は新たな「対テロ戦争」のための再編成に着手していますが、そんななかで、沖縄・辺野古のボーリング調査をめぐる目下の攻防をはじめ、沖縄基地強化の動きもよりシビアな局面を迎えつつあります。
 韓国の人々は、梅香里射爆場の来年八月閉鎖の新たな成果かちとっています。日韓の民衆連帯、そして世界の人々と連帯し、韓国、沖縄・日本から米軍基地撤去の声を挙げましょう。
 また六・一五は二〇〇〇年の南北首脳会談・南北共同宣言から四年を迎えます。これは朝鮮半島の南北の人々の和解と平和・統一のための大きな成果であり、その実現のために朝鮮半島の人々の努力が続けられてきました。朝鮮半島の民族自主、和解・平和・統一は、アジアの平和にとって大きな意味を持っています。

 世界を弱肉強食で覆うグローバリズム推進の六・一三ソウル会合に反対!

 しかし今年は、六月一三日を前後して、こうした日に敢えてぶつけるように、ソウルで各国の政財界首脳が集まるダボス会議(新自由主義・グローバリゼーション推進の世界経済フォーラム)の東アジア版の会合が予定されています。イラク戦争が、米国の石油利権のための戦争であることは誰の目にも明らかです。そして、世界を股にかけた巨大企業の利益のために、働く者の権利や世界各地で人々が築いてきた営みを奪い去り、世界中を弱肉強食の論理がまかり通る世界に代えつつあるのが「新自由主義・グローバリゼーション」と呼ばれるものです。イラク戦争は、その暴力的な形態にほかなりません。これを推進する六・一三世界経済フォーラム東アジア会合にも反対の声を挙げましょう。

 六・一三日韓共同行動に集まろう!

 私たちは、こうした趣旨で六月共同行動を開催します。韓国の人たちからは上記の韓国の六月行動への各国市民団体の招請と連帯行動が呼びかけられています。六・一五は、かつて六〇年安保闘争で樺美智子さんが虐殺された日であり、反安保の六月共同行動がさまざまに繰り広げられてきた歴史もあります。日本が公然と派兵し、憲法改悪すら日程に上りつつある今、さまざまな課題が合流し、韓国民衆の六月行動とも連帯した六月共同行動を創り出していきましょう。

●参加・賛同費 団体三千円/個人一〇〇〇円

●主催 イラクにも朝鮮半島にも平和を!六・一三日韓共同行動実行委員会

 協力 ワールド・ピース・ナウ


●連絡先
 日韓民衆連帯全国ネットワーク 〇三(五六八四)〇一九四  
 基地はいらない!女たちの全国ネット 〇九〇(八五〇八)九七二二
 戦争反対・有事を作るな市民緊急行動 〇三(三二二一)四六六八
 自衛隊の海外派兵と戦争協力に反対する実行委員会 〇三(五二七五)五九八九
 在日韓国民主統一連合〇三(三二九二)〇六七一
         
 郵便送付先 東京都文京区小石川一―一―一〇―一〇五 日韓ネット気付
 郵便振替 〇〇一一〇―八―一四〇六一八「日韓民衆連帯全国ネットワーク」(必ず「六・一三日韓共同行動」と明記し、公表の可否も明記ください)


「人らしく生きよう―再出発」完成試写会

 五月一七日、中野ゼロホール視聴覚室で「人らしく生きよう―再出発」(二〇〇一年冬〜二〇〇四年春)の完成試写会が開かれた。会場の通路まで埋めての一三〇人を超える参加者があった。
 この「人らしく生きよう」パート2では、三人の国労組合員の活動・生活が描かれている。全国に国鉄闘争をオルグする中野勇人さんと西川信雄さんの二人はともに北海道・北見闘争団員で、中野さんは四国で、西川さんは東京・多摩地区でオルグ活動を続けている。東京の山田則雄さんはJRの国労組合員への宣伝・組織活動を地道に続けている。
 「人らしく生きよう」パート1から四年。しかしこの四年は、国鉄闘争にとっても大きな変化を迎えた時期であった。国労本部は「JRに責任なし」とする四党合意路線にもとづいて闘争団処分と生活支援資金ストップという裏切りを行った。それに対して鉄建公団訴訟など闘う闘争団独自の闘い継続と組織化が闘いとられてきた。現在、四党合意は完全に破綻したが、本部は誤った路線から離脱しようとはしていない。こうした逆流に抗して、闘いつづけられる国鉄闘争、闘争団と家族、闘争を支援するさまざまな人たちの姿が生き生きと描かれている。
 四国常駐オルグの中野さんは、町職労の仲間などにささえられて毎日、四国中を飛び回って、国鉄闘争の宣伝や物販を一人でこなしている。中野さんの話を聞いて青年労働者が国家的な不当労働行為にたいする認識をもち闘争に参加してくる。オルグによって闘いがジワジワ浸透して入っていることが見えてくる。中野さんはこの数年、サロマ湖一〇〇キロマラソンに国労バッジをつけて参加している。映像の最後に流れる中野さんのマラソン練習中の若々しい疾走は国鉄闘争そのものの生気を感じさせるものだ。上映会の当日の発言で、中野さんは、好きな言葉は「道険笑歩」だと述べていた。険しい道でも笑って進んでいくという言葉を座右の銘にしているとは厳しい状況でもしなやかに闘っている労働者ならではの発言だった。
 北見闘争団の事務局長である西川信雄さんも東京でのオルグ活動を行っている。しかし、中野さん、西川さんその他の活動家を全国オルグなどに出すことは地元の闘争団にとっては大変しんどいことだということが描かれている。闘いを継続・拡大していくためのオルグ派遣は地元にはアルバイト収入減をもたらすなど財政的な困難を生み出す。国労本部の生活支援金ストップ、そして地元の経済不況の深化などが闘争団の前に立ちはだかっている。地元では、仕事先の会社の倒産など状況が出てくる。また郵政は小包配達下請けでの年一〇%以上のコストダウンなどを押しつけてくる。こうした中で闘争団は闘い続けている。西川さんの東京での活動は国鉄闘争に限られているわけではない。早朝から駅頭で、イラクからの自衛隊撤退を要求するビラをまくなど、国鉄闘争と反戦闘争が表裏一体であることも描かれている。
 パート1ではJRの隔離職場で差別されながらそれに怯むことなく働き続ける姿で登場している山田さんは、国労本部の誤りを正し闘う路線に復帰させようとする「国労に人権と民主主義を取り戻す会」の共同代表の一人だ。ビデオでは、山田さんが手書きのニュース「小さな声 大きな力」を配りながら、JR職場の労働者に声をかけてまわっている姿が映されている。運動に絶対勝利するぞという決意がみなぎるこやかな顔がいい。
 それから、闘争団の家族の姿が印象的だ。
 中野、西川、山田さんそれぞれの家族では、幼かった子供たちも成人して、国鉄の分割・民営化とはなんだったのか、父親が何をしてきたのか、について、しっかりした発言を行っているのが感動的だった。中野さんには二人の男の子がいるが、下の子は一〇四七名首切りの頃はまだ生まれたばかりだが、当時の抗議集会には両親とともに参加する姿が映っているが、その子も高校生になった。上の子は高校を卒業して東京の専門学校に通う。それぞれが父親や闘争に対しての考えを述べていた。
 
 上映後には、中野さん、西川さん、山田さん、製作したビデオプレスの松原明さん、佐々木有美さんが発言した。
 好評だったパート1とともに、多くの人びとに見てもらいたい作品だと思う。
 「人らしく生きよう」パート2は東京試写会をはじめとして、大阪その他各地で上映会が計画されている。なお、六月四日には、フランス・パリでフランス鉄道労組(SUD―RAIL)主催で「パート1」大上映会が開催される。
 ビデオについての問い合わせは、ビデオプレス 03(3530)8588 http://www.vpress.jp/


国労本部へ処分撤回申し入れ  不当不誠実な酒田執行部の対応

 ニュース「がんばれ闘争団 ともにGO!」(一〇四七名の不当解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議)の40号(二〇〇四年五月号)は、鉄建公団訴訟原告団・被処分者が二二名の処分(三年間の組合員権停止)の撤回を求めて国労本部に申入れを行ったことが報告されている。(編集部)

 話し合うこともできない ?
 国労本部に二二名の処分撤回を申し入れ !


 四月二六日鉄建公団訴訟原告団・被処分者等一〇名で国労本部に二二名の処分撤回を申し入れました。
 この間、原告団と被処分者は昨年の一二月から数度にわたり、二二名の鉄建公団訴訟原告団に対する「三年間の組合員権停止」処分について撤回するよう申し入れてきましたが、いまだに誠意ある回答がなされないばかりか、交渉に応じる姿勢さえ示しません。

 処分そのものは、前本部書記長寺内や前北海道本部書記長佐藤らが闘争団切り捨てと新たな組合に参加する為に行われたものであり、査問委員会の決定そのものが不当であることは明らかです。
 私たちは、団結回復はこの寺内や佐藤ら脱退者が進めた査問委員会の答申を速やかに撤回し二二名の処分撤回をすることが団結回復の前提と考えて、この間数度となく要請を行って来ました。

 当日は、本部酒田委員長と芝崎執行委員がいましたが、相変わらずの姿勢で委員長は要請に「時間が無い、仕事がある」と言い、まったく要請に応じる態度ではありませんでした、それを支える芝崎執行委員も「帰りなさい、会えません」と要請団の妨害をし、全国からの処分撤回の署名についても受け取る姿勢を見せず前回同様ゴミ箱に置くと言う態度で、国労本部が気に入らない署名についてはそうした取り扱いをすると言う姿勢でした。団結回復と言うなら少なくとも委員長はわれわれの話に応じ、意見を聞くぐらいの姿勢が有ってもいいのでは無いでしょうか。

 要請内容は、@二二名の処分を速やかに撤回すること、A生活援助金の凍結を解除すること、の二点で、本部が速やかに対処しない時は、「話し合いでの解決は困難」との判断をし、法的手段を講じることを申し添えました。

 現在も、国労から脱退した寺内や佐藤に対する査問委員会はいまだ開催されていません。一体どうなっているのでしょうか? 本部は組織破壊者に対する処分を速やかに行い、二二名の処分を早急に撤回することが現執行部に求められていることです。


米大使館前で拷問・虐待に抗議の行動

 五月一三日午後六時から、ATTAC Japan、アジア太平洋平和フォーラム、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動憲法を生かす会、許すな!憲法改悪・市民連絡会など二二団体の呼びかけと、WORLD PEACE NOW実行委員会の協力で、アメリカ大使館への「米英イラク占領軍の拷問・虐待に抗議し、戦闘の即時停止と占領の終了を求める申入れ」行動が行われた。参加者は一五〇人を越えた。大勢の警官が動員されアメリカ大使館への道を封鎖したが、参加者は、JTビル前で、大きな紙の袋をかぶるなどのパフォーマンスを行い、シュプレヒコールをあげた。集会では、アムネスティ・インターナショナル・ジャパンからの発言などがあり、代表団はブッシュ大統領あての要請文を大使館前で読み上げた。


有事関連法案・条約反対 国会前行動

 五月二〇日、有事関連七法案、三条約協定は衆院本会議を通過した。
 前日の一九日、正午から衆議院第二議員会館前で、平和をつくり出す宗教者ネット、平和を実現するキリスト者ネット、陸・海・空・港湾労働組合二〇団体、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動の呼びかけによる、七法案・三条約に反対する緊急国会前集会がひらかれた。
 主催者を代表して、宗教者ネットの木津博充上人が、ヒロシマ・ナガサキをはじめ朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして現在のイラクでの戦争と増大していく死者の数をあげ、有事体制をつくらせない運動を強めて行こうとあいさつした。
 つづいて、キリスト者ネット、二〇労組、日本原水爆被害者団体協議会、日本青年団協議会、明治大学駿台文学会、全労連、Chance pono2、憲法生かす会、新聞労連から、ともに闘おうとの決意が表明された。社民党の福島瑞穂党首、共産党の佐々木憲昭衆議院議員からは国会内での闘いが報告された。


人びとの目や耳に代わって

   
没後五〇年「知られざるロバート・キャパの世界」展

 イラクで「人質」事件に遭って帰国した郡山総一郎さんの話を聞く機会が幾度かあった。
 「今回は僕が形の上では被害者だけど、本当の被害者は、今回は『加害者』とされたイラクの人びとです」
 「僕たち五人のことを大変心配してくれた。それは心から感謝します。でもイラクの人びとは毎日たくさん殺されながら、カウントもされないのです」
 「僕たちフリーの記者はこれからもみなさんの目となり、耳となって現場に行き、伝えます。それをみなさんが生かしてくれることを信じています」
 別のところでは安田純平さんの同様の発言も聞いた。フリーランスのジャーナリストの誇りと使命感が熱く伝わってくる発言だった。
 彼らの発言が、全く偶然なのだが、折から東京都写真美術館で開催されていた「没後五〇年『知られざるロバート・キャパの世界』展」を観に行く動機のひとつとなった。イラク戦争の報道のあり方、自衛隊に従軍する報道大手企業のジャーナリストたち、それへの防衛庁側からの規制、いま戦争報道のあり方が深刻に問われている。
 会場には「TAIZO」の上映案内のチラシも置いてあった。TAIZO、一ノ瀬泰造、一九七三年十一月、二七歳でアンコールワットで行方不明になったフォトジャーナリストだ。映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」で紹介された彼が友人に書き残したメモ、「うまく撮れたら持って帰ります。うまく地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を耳にした読者も多いと思う。
 戦場、饑餓地帯、貧困地域、民族問題、被差別、自然破壊、災害、地球上のさまざまな直接的暴力や構造的暴力が行われている現場からの報道は、企業ジャーナリストだけでは伝えきれない多くの部分をこれらフリーランスのジャーナリストが身を挺して報道している。これらのフリーランスの人びとにもさまざまな動機やねらいがあって、一概に美化してはいけないと思うが、今回の郡山さんや安田さんが取り組んできた仕事は評価できる。

スペイン内戦でのキャパ

 「二十世紀最大の報道写真家」と言われるロバート・キャパはちょうど五十年前、フランスのインドシナ戦争の取材の最中にベトナムで地雷を踏み、四十歳で亡くなった。
 一九一三年、ユダヤ人を両親としてブタペストで生まれ、ファシストの差別によって、大学への道を閉ざされた。キャパはそうした抑圧に抗議する闘いによって、一七歳で国外追放され、ベルリンで学ぶ。
 そして、生涯を通じて、スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦、中東戦争、インドシナ戦争と五つの戦争を取材し、圧政と破壊を告発し、自らの意志で解放のために闘う人びとに心を寄せ、戦禍に苦しむ民衆に心を寄せた。
 今回の「ロバート・キャパ展」は、主としてキャパの名を世界に登場させる契機となったスペイン内戦に関する写真を中心に展示(「民兵の死の瞬間をとらえた『崩れ落ちる兵士』をはじめ、オリジナルプリント八三点をスペインのサマランカ内戦資料館、国立図書館の協力で日本初公開した」と説明がある)されていて、とりわけ感銘が深かった。
 少なからぬ読者も何かの機会に見たであろうキャパの名作『崩れ落ちる兵士』はスペイン内戦の初期、コルドバ付近の村でファシスト・反乱軍に撃たれた兵士が倒れ、銃を手放す瞬間を撮ったもので、この作品はきわめて偶然の産物だ。見てよくわからないが、この兵士の帽子にはCNTのイニシャルが刺繍されているという。CNT、それはアナルコサンディカリストの労働組合、労働者全国連合のイニシャルだという。
 のちにキャパは内戦の避難民の姿を撮りながら「何もしないで傍観し、まわりの不幸を記録するしかないのも、つらいことだ」とつぶやいたことがあるそうだ。

スペイン内戦と義勇軍

 写真展で川成洋氏(法政大学教授、スペイン現代史会長)がスペイン内戦について解説しているので要約しておく。
 一九三六年七月一七日、スペイン陸軍のファシストが共和国政府に対して蜂起した。しかし民衆は反乱軍の進撃に果敢に抵抗した。「ノー・パサラン(奴らを通すな)」は反ファシズム闘争のスローガンとなった。そして、マドリード、バルセロナ、バレンシアの三大都市で反乱軍を制圧してしまった。世界中から義勇兵が駆けつけた。五五カ国五万人の青年が自由のための義勇兵「国際旅団」として、さらに後方勤務のために二万人の人びとがピレネー山脈を越えて、スペインに入った。 キャパは三六年八月、恋人のゲルダ・タロー(三七年七月戦場で事故死)とともに労働者階級によって運営されたカタルーニャ革命のメッカ、バルセロナに着いた。
 民衆の抵抗によって、激戦が続き、スペインは世界の民衆の解放闘争の象徴となった。しかし、三八年三月、ファシスト軍はマドリードに入り、内戦は終了する。
 スペイン内戦で戦争報道カメラマンとしてデビューしたキャパであったが、彼は現代の戦争が途方もない暴力で人類に「非人間化」を強要している現実に対して、「熱い血が流れている人間」を取り戻そうとしたのだった。彼の写真こそ、「平和への祈り」であり、「戦争の告発」であったはずだ。(K)


農民の地学者 宮沢賢治の世界          小山 富士夫

 宮沢賢治は石の詩人である。
 と同時に、東北地方の冷害から農民の命と財産、農地を育てて、かつ自らの命をかけて守ろうとした社会性に富んだ実践家である。
 詩人という芸術家と実践家としての現実性の嵐のなかを苦闘し続けた賢治にとって、森の動物・植物や鉱物・岩石は欠かすことのできない「お友達」であったに違いない。
 岩手県花巻郊外の北上川の岸辺をイギリス海岸あるいはプリオシーン(鮮新世)海岸と呼んだり、「風の又三郎」ではモリブデンの鉱石である輝水鉛鉱の話が出てきたり、詩・童話・短歌に何気なく鉱物・岩石が顔を出す。よほど鉱物や岩石が好きであったのであろう。
 宮沢賢治は、江戸時代の愛石家、木内石亭の生まれ変わりなのかもしれない。しかし、ただの鉱物や岩石の収集家ではなかった。自分が学んだ学問や知識を社会に実際に役立たせるために日夜奮闘したのである。
 東北地方の慢性的な冷害をなくすために、肥料の研究をしたり、今で云うところの農協のような組織である羅須地人協会を主宰したりした。そればかりではなく、青少年に光り輝くばかりの素晴らしい童話を創作したり、奇想天外で宇宙的な夢を私達にイメージさせてくれた。創造的(クリエイティブ)とは現実社会の世界とともに精神的世界でもそうでなくてはならないのである。宮沢賢治はまさにそれを実行した人なのである。

 「雨ニモマケズ」が宮沢賢治の代表作のひとつといわれているが、私はそうは思わない。むしろ、自然界の色々な現象―風・雨・雪―や森の動植物・河原の石・太陽や星などが複雑に織りなす、なにか混沌したもののなかに親しみとも三次元的世界の幽玄とも云える、暖かく厳しい風景(世界)を観ていたのではないかと思う。
その意味からすれば、宮沢賢治の代表作は「春と修羅」ではないかと考えている。社会をこの現実世界を少しでも良くしようと強く思ったからこそ、「グスコーブドリの伝記」や「烏の北斗七星」の素晴らしい作品が生まれたのではないか。「雨ニモマケズ」は死に直面した宮沢賢治が、死後の世界でも世の中に役に立ちたいと思っていた心情の現われと思う。
 死んでからも頑張ろうとした宮沢賢治に、私は語るべき言葉を持たない。宮沢賢治は精神的にはすでに現実社会に生きる人間ではなかったのかもしれない。
それほど不思議で異常ともいえる強烈な精神を持った人なのに違いない。宮沢賢治の詩や童話の世界には、超宇宙的なものを感ずる。
 それは宮沢賢治が敬虔な法華経の信者であったからであると思うが、科学と宗教を融合し、貧しい東北地方の人々の生活の改善に努力しようとした人は宮沢賢治のあと誰一人として出ていない。
 なんでもない、そのへんに転がっている石や鉱物を愛し、東北の貧しい農民のことをいつも考え、かたときも人々の生活や精神世界のことを忘れなかった宮沢賢治の生き方に学ぶべきことは数知れない。
 宮沢賢治は鉱物で云えば濁りのまったくない水晶のようである。
 どこまでも恐ろしいくらいに透明で、風雪にめげない精神はものに例えれば、まさに水晶そのものである。私も宮沢賢治のように生きたいと思う。

 かすかに光る火山塊のひとつの面
 オリオンは幻怪
 月のまはりは熟した瑪瑙と葡萄
 あくびと月光の動転
 火口丘の上には天の川の小さな爆発
 みんなのデカンショの声も聞える
 月のその銀の角のはじが
 潰れてすこし円くなる
 天の海とオパールの雲
 あたたかい空気は
 ふつと撚になって飛ばされて来る

(宮沢賢治 「東岩手火山」の一節より)

・参 考 文 献
 宮城一男
 『農民の地学者 宮沢賢治』築地書館(一九七五)


複眼単眼

    
 満天の星の下で育てられた国際主義

 先般、イラクでムジャヒディンに拘束され、人質になった今井紀明君の手記を「東京新聞」で読んだ。
 全五回連載の最終回のタイトルは「同じ空の下 虐殺と希望」。新聞社の整理部がつけたのかもしれないが、タイトルもまとめの箇所もなかなかいい文章だった。
 今井君はこう言う。
 「プラネタリウムのような満天の星の下にいた私は、何を思っただろうか。『この空の下に家族も友人もいるんだ。早く帰れないかな。同じ空の下にいるんだから、無事だということも伝わっているんだろうな』 イラクは私の中で生きている。今、こうしている時も令状のない拘束や虐待、虐殺がくり広げられているイラク。それも同じ空の下で起きていることをわかってほしい。星空の下で、高遠さんと見張り役の年配の男性が交わした会話を忘れることができない。『イラクの人びとはすばらしい』と声をかけると、『日本の人々もすばらしいと思うよ』 武器を持っては、本当の信頼関係は築けない。拘束の最中にも、自然に互いを認められる会話があったことに、希望を見いだしたいと思う」と。
 イラクで満天の星を見ながら、被拘束の苦しみに耐えつつ、ムジャヒディンと会話を交わしていた日本の青年たちがいた。
 「プラネタリウムのような星空」はかつて、筆者が子どもの頃、山村地帯で毎晩見ていた空だ。
 星の白い光と、暗い闇の空とで、どちらが多く占めているのかわからないほどの満天の星空。「星明かり」というが、そうした星空の下は、結構、互いに会話ができる程度には明るいものだ。
 同じ頃、東京の永田町の首相官邸前でも、見える星の数は少なかったけれど、プラカードを掲げて座り込み、今井君たちを何とか救出したいと考えて、毛布にくるまって野宿して夜明かしをしていた若者たちが何人もいたことを記録にとどめておかなくてはならない。
 もし、高遠さんのように「イラクの人びとはすばらしい」と思えていたら、いま暴露されているような米英軍によるイラク人の拷問・虐待など起きていなかったに違いない。
 イラク人をさげすみ、人間と思わない心が軍隊の中でつくられ、殺人や虐待ができるマシーンに仕立てられるのだ。ムジャヒディンたちも日本の若者たちを本当にすばらしいと思ったからこそ、虐待はせず、客人として扱ったのだ。
 三人がムジャヒディンの青年に「こういう方法でなく、別のやり方はないのか」と質したとき、悲しそうな顔をして「あったらおしえてくれ。ぼくらもそうしたい」と言ったという。
 これは小泉首相が言ったような「テロリスト」の言うことではない。まさにレジスタンスの戦士の言葉そのものだ。重武装した自衛隊を送り、送らせてしまった日本人にイラクのムジャヒディンの武装抵抗闘争を非難する資格はない。
 今井君が「今こうしている時も令状のない拘束や虐待・虐殺が繰り広げられている」と指摘するその重みを受け止めよう。
 先般の報道ではイラクで結婚式の集まりに米軍が砲撃し、四十数人が殺されたという。パレスチナでは民衆のデモにイスラエル軍がミサイルを撃ち込んだという。
 こうした苦しみの中で、若者たちの中に育ちつつある国際主義と平和主義が、帝国主義の戦争を押さえる日が来ることを固く信じたい。 (T)