人民新報 ・ 第1134 号<統合227号> (2004年6月15日)
目次
● 「9条の会」が発足 改憲阻止へ大合流を
「九条の会」アピール
● 有事法案を廃案へ 国会前行動
● あくまで有事法案の廃案をめざして
自衛隊の即時撤退!STOP!有事法制 守ろう!平和といのち6・10集会
● スプリングピースサイクル (3・20〜6・4) 首相への要請行動
● 東北アジアに非核・平和の確立を!
6・4シンポジウム 日朝国交正常化の早期実現を求めて
● 図書紹介 / ジョセフ・S・ナイ著 「アメリカへの警告―21世紀国際政治のパワー・ゲーム」
● KODAMA / 石のつぶやき ―仕事と趣味のはざまで― ( 小山 富士夫 )
● 複眼単眼 / 雅子の憂鬱と、改憲・女帝論議の残酷さ
「9条の会」が発足 改憲阻止へ大合流を
六月一〇日、日本の代表的な知識人九人の呼びかけによる「九条の会」が発足し、記者会見で「アピール」が発表された。
この背景には、イラク派兵や、有事法制の強化などと合わせて、自民党「立党五十年プロジェクト基本理念委員会」は来年十一月三日の結党五十周年に発表する新綱領原案をまとめ、その中で「近い将来、新憲法が制定されるよう国民合意の形成に努める。党内外の実質的論議が進展、加速されるようつとめる」などとし、また同党の「憲法改正プロジェクトチーム」が全面改憲のための「論点整理(案)」を作成するなど、明文改憲の動きがかつてなく強まっていることがある。 呼びかけ人には会の発足を働きかけた大江健三郎、加藤周一両氏をはじめ井上ひさし、梅原猛、奥平康弘、小田実、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の九氏で、記者会見には大江、加藤、奥平、小田、鶴見各氏が出席した。 加藤、大江氏らは「会はさまざまな九条改憲反対の運動や声をネットワークし、その結び目の役割をはたす」と、結成の目的を説明した。「九条の会」は当面、七月二四日に会見に出席した五氏をはじめとした公開の講演会(会場、時間未定)を開くなど、次第に体制を整え、活動を強化していくことになる。
改憲の動きが加速している中で、こうした組織の発足は運動側から切実に望まれていたもの。思想信条や党派などの違いを超え、九条改憲反対の一点で最も広範なネットワークを組織することは緊急の課題だ。これが実現すれば、改憲反対の運動の様相を大きく変え、勝利の展望が切り開かれるに違いない。発足した「九条の会」がそうした役割を果たすことが期待されている。
記者会見は、「九条の会」事務局長の小森陽一さん(東大教授)の司会ではじまり、出席した五人の呼びかけ人が発言した(発言順)。
加藤周一さん
この会の趣旨は二つありまして、まず第一点は、憲法一般の問題を議論するのでなくて、日本国憲法九条の改定にわれわれの関心は集中していること、第二点は、九条を護ろうという人たちの運動が色々とあるが、横のつながりがほとんどない。お互いの横の連絡、ネットワークを作りたい。そのためにできることをしたいということです。しかし、さまざまな運動を統一することを目指しているのではありませんし、全国的な組織を作ろうということなどとは考えていません。有効な相互連絡ができるようにするために、できることをしたいというのが趣旨です。
鶴見俊輔さん
憲法改悪をとめるという問題は、長く遡って捉えないとしっかり取り組むことはできません。憲法九条を日本国の外交方針の支えとして生きていくということですが、その心構えは明治以前からの日本人の知恵を私たちの心の中に掘り起こしていくことだと私は思います。明治以前の万葉集の防人の歌の日本から掘り起こさなければいけないと思います。憲法九条を護ることは女の力なくしてはできない。私は、女と女に協力する男にしか期待していませんが、そういうふうに運動が変わっていくことを望みたい。日常の言語と身ぶりから出発しなければ、戦争を止めようという考えは出てきません。
奥平康弘さん
この会の目的は憲法九条に絞って、改定反対の声をあげていこうというものです。このところ「憲法改正問題」は九条以外のところに問題が拡散されてきて、九条改定という争点がぼやけてきています。改憲派が仕掛けてきた九条が争点だということをぼやけさせること、このことが持っている危険な意味、そのことが与える影響というのが問題です。いま必要なのは、憲法九条を積極的に押し出していくことです。九条が持っていて、九条が生きていくための平和的環境、国内だけでなく世界に向けて平和主義を積極的に利用する、外交政策にも経済政策にも現れるような形で九条の問題を、国際的な環境から見てポジィティブに引き出していくことが、日本国憲法の中で九条が占めていた要素というものをいまこの段階で活かすことになるのではないかと思うのです。
小田実さん
四月に私の住んでいる西宮市で憲法集会があり、そのときの題名が「今でも旬(しゅん)の憲法」でした。私は違和感を持ちました。「今こそ旬の憲法」というべきだと。いまイラクでもパレススチナでも全世界で、武力を使ったらダメだということがはっきりしてきました。そうすると憲法が持っている平和主義が正しいことが証明されてきているわけです。だから、「今こそ旬」なんです。戦争が終ったときに国連が世界人権宣言を出しましたが、本当は世界平和宣言も出すべきだったんです。日本国憲法というのは言ってみれば世界平和宣言なんです。それを大いに使うべきなんです。そういう話をしたら、みんな元気が出てきた。認識を改めて、今こそ日本が憲法を使わないと世界がダメになります。
大江健三郎さん
私が十二歳のときに憲法が施行されて教育基本法が出来あがりました。それから現在まで自分がどのように生きてきたかということを考えてみますと、憲法が常に基本だったと考えるわけです。たとえば、イラク戦争が始まれば憲法について考えますし、自分に障害を持った子どもができれば憲法のことを思ったり、教育基本法のことを考えます。講演会などに呼んでいただければ「自分は憲法についてこのように考えている」ということをお話ししたいと思っていました。この会の呼びかけ人にならないかと言われた時に、私にも講演会などで話すことはできると思い、喜んで加わわらせていただきました。喜んだというわけは、一人で憲法について突き詰めて考えるというのは不十分で、今日ここに集まった方たちと話をしていると自分の憲法に対する考え方というものが明かに広がっていくという気がしました。自分の考えを広げてもらっているという気持ちでこの運動をしていきたいと思います。憲法を護る数多くの運動が集まって大きなネットワークにしたい。南方熊楠に「萃点(すいてん)」という言葉がありますが、これは、いろんな考え方や動きが、交差しまとまって、ある点になるということです。憲法九条を護るという人びとのさまざまな声が重なっていくある場所の一つにこの会がなれば、皆さんにそういうものとして使ってもらえたらどんなにいいだろうかと思います。それから教育基本法について話します。私は教育基本法をだいたい「そら」で言えますが、実にいい文章です。内容があります。日本は悲惨な戦争をしてアジアに悲惨を撒き散らし、世界的にも断絶して、また日本国内にも大きな損害をもたらしました。教育基本法は、こうした経験をした大人たちが子どもたちに「私たちはこういう教育をしようとしているんです」と本気で訴えかけている言葉です。子どもたちに語りかけている言葉です。教育基本法は憲法全体のエッセンスを取り出して、しかも分かりやすい言葉でみんなに伝えようとしています。世界に向かって開いていく教育というものが基本的な構想で、たとえば、平和と真理を目指す教育をするとか、個性というものを表現しながらしかも普遍的であるものを文化として作りたいと言っています。その方向づけが教育基本法の一番いいところで、そして憲法につながるところだと思います。自民党は教育基本法の作り変えの構想を出していますが、そこでは「愛国心」という言葉を入れるとなっている。それは世界に開くというよりは、世界から日本に閉じこもるという考え方だということです。また伝統という言葉もそうです。自民党の人たちが言う伝統という言葉も日本の国内に閉じこもる方向にあるものです。教育基本法を焦点にして、個人から普遍に向かっていく、国内から世界に開いていく教育、そういう日本人の生き方というものを、言葉ではっきり表現しながらやっていくという方向にしたいと思います。私はそういう考えでこの会に参加しました。
五人の発言の後、小森事務局長が結成までの経過を報告し、記者からの質問に呼びかけ人が答えた。
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「九条の会」アピール
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
二〇〇四年六月一〇日
井上 ひさし
梅原 猛
大江 健三郎
奥平 康弘
小田 実
加藤 周一
澤地 久枝
鶴見 俊輔
三木 睦子
有事法案を廃案へ 国会前行動
有事関連七法案三条約の参議院の審議の大詰めの時期に際して、これに反対してあくまで廃案を求めるため、「STOP!有事法制・緊急国会前行動6・11&14」行動(呼びかけ、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、陸・海・空・港湾労組二〇団体)が取り組まれた。
一一日は、小雨が降る中で、市民・宗教者・労働組合など一〇〇名を超える人びとが参加し、参院での有事法案の廃案の声を上げた。
あくまで有事法案の廃案をめざして
自衛隊の即時撤退!STOP!有事法制 守ろう!平和といのち6・10集会
六月一〇日、赤坂コミュニティープラザで、平和をつくりだす宗教者ネット、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動、平和を実現するキリスト者ネット、陸・海・空・港湾労組二〇団体の呼びかけによる「自衛隊の即時撤退! STOP!有事法制 守ろう!平和といのち6・10集会」が開かれた。
開会あいさつは市民緊急行動の高田健さん。
フランスでは「茶色い朝」という本がはやっていると聞く。世の中が次第に茶色く染めあげられていく話だ。茶色はファシズムの色ですが、その過程はそんなに不便だとも危険だとも感じられない。いま、立川の自衛官宿舎へのビラ入れへの弾圧、社会保険庁職員が休日に政党ビラ配布したことへの処分、アメリカ大使館前抗議者の会社へのガサ入れ、駅への警官の配備、などなど社会の軍事化とも言えるものが進行している。そして、近日中に有事関連法が参院でも採決されようとしている。「戦争のできる国」づくりの最終的な仕上げ段階に入ろうとしている。しかし、最後まで諦めずに闘い抜こう、そして闘いを継続させていこう。
基調報告は航空労組連絡会の村中哲也さん。
陸・海・空・港湾労組二〇団体は出来て五年ほどだが、有事法制に対する闘いは九五〜六年からだ。九六年に日米安保共同宣言があり、その後、新ガイドライン、周辺事態法がつくられた。二〇〇〇年には森喜朗首相が「有事法制」を明言したが、これは「アーミテージ・レポート」の実現であり、日米が協力して戦争が出来る集団的自衛権が言われた。森が失脚して小泉が首相になったが「有事法制はやる」と明言した。アメリカの9・11を契機に、ブッシュはアフガニスタンへの「報復」戦争をはじめたが小泉は支持を声明し、「テロ特措法」によるアメリカ軍艦船などへの給油活動を行った。アメリカのイラク戦争にもいち早く支持を打ち出し、自衛隊をイラクに派兵した。そして、有事法案の強行採決と今国会での関連法案の成立がもくろまれている。憲法改悪の動きが強まっている。
闘う側も、九六〜八年の新ガイドライン反対運動を経て、九九年三月に二〇団体が発足した。戦争での兵站協力をさせられる労働者の共通の危機感からだ。そして、市民や宗教者との共同が出来るようになった。青年層とも接触がはじまった。イラク戦争反対とむすびついて有事法制反対の運動は二〇〇三年の通常国会では法案の成立を阻止した。その後の臨時国会で成立させられたとはいえ、この意義は大きいものだったことを確認しよう。
これまでの成果は、第一に二〇団体が結成され運動自体が拡大し続けてきたこと、労組、市民、宗教者、学生の共闘が出来たこと、第三に多様な運動が全国各地で取り組まれたこと、そして連合傘下、全労連傘下の組合の共同が反戦だけでなく教育基本法や個別争議でも広がったことだ。
今後の展望・課題という面では、まだ全面的統一が出来ておらず、これをどう実現していくかだ。平和フォーラムとの交流は出来はじめたが、とりわけ連合傘下の大労組をなんとかしていきたい。そして、反対運動を報道しないマスメディアの報道姿勢を変えること、文化人・研究者の運動への参加、国際的な連携の拡大だ。戦時下においては労働者・市民は無権利だ。それに比べればまだまだ条件はある。とくに従事命令を出され戦争の片棒を担がされる労働者・労働組合がつくっている二〇団体の闘いは重要だ。
まだ二〇団体は憲法についての方針はないが、有事法制と憲法改悪は同根のものだと考えている。
最後に、来るべき参院選ではわれわれとともに闘った政党・議員の当選をめざそう。
つづいて、各界からの平和のアピール。日本弁護士連合会有事法制問題対策委員会事務局長の内田雅敏弁護士、中学生の菱山南帆子さん、在日韓国民主統一連合の宋世一事務総長、成田空港から郷土とくらしを守る会、日本国際ボランティアセンター、また東京交通労働組合、全日本赤十字労働組合、川崎市職員組合港湾支部の労働者、新聞労連からの発言が続いた。
スプリングピースサイクル (3・20〜6・4) 首相への要請行動
戦争と改憲への動きが急な中で、春のピースサイクルが行われた。
スプリングピースサイクルは、三月二〇日に大分を出発し、各地のピースサイクルが自転車によって受け継ぎながら、「憲法・教育基本法改悪反対」、「イラク派兵反対・自衛隊即時撤退」、「脱原発・環境権確立」、「反差別・人権確立」などの平和に向けたメッセージを集めながら、六月四日に東京に到着した。
四日の正午から、大分の池田年宏さんと東京、神奈川、埼玉、千葉のピースサイクルが新橋駅前で合流し、駅頭で宣伝行動を行った。
新橋から国会へ向けて走行し、国会前で反戦・年金問題で座り込み闘争を行っている全労協の抗議行動に参加し、ピースサイクルとしてアピールを行った。
ピースサイクル二〇〇四全国ネットワーク共同代表の吉野信次さん(千葉県松戸市議)など六名が内閣府を訪れ、ピースメッセージや要請書を手渡した。
衆院議員会館で、スプリングピースサイクル報告集会が開かれた。はじめに、ワールド・ピース・ナウ実行委員の高田健さんの「イラク情勢・有事法制」についての話があり、スプリングピースサイクルについての感想・総括の意見が出された。
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全国の市民の平和への思いをつなげる要請
総理大臣 小泉純一郎様
私たちピースサイクル二〇〇四全国ネットワークは、一九年目の今年の夏も、八月六日ヒロシマ、八月九日ナガサキを目指し、全国で自転車の平和行進を予定しています。
しかし、自衛隊のイラク派兵はこの日本の平和を揺るがしかねないとの思いを受け、三月二〇日大分県を出発し広島、大阪、愛知と自転車の輪でっなぎ、昨日の神奈川県から今日、国会のある東京に到着しました。
日本各地で市民の平和へのメッセージを集め、引き継いで来ました。今日は、市民のメッセージをお屈けすると共に、小泉総理大臣に次のことを強く要請するものです。
一、アメリカのイラク占領は「大量破壊兵器」が見つからず、劣化ウラン弾等でイラクの人々を被爆させ、一万人以上の死者を生み、拘束されたイラク人への拷問・虐待を行っています。アメリカの占領を止めさせ、自衛隊を撤退して下さい。
二、今、国会に上程されている有事法制関連七法案に私たちは反対です。日本を「戦争する国」にしないで下さい。
三、私たちは戦後五九年間、日本の平和を守ってきたといえる「日本国憲法(特に第九条)」の改悪に断固、反対します。
四、日本の未来を担う子どもたちに、民主圭義教育を支えてきた「教育基本法」を引き継いでいくため、改悪しないで下さい。
二〇〇四年六月四日
東北アジアに非核・平和の確立を!
6・4シンポジウム 日朝国交正常化の早期実現を求めて
六月四日、総評会館ホールで「6・4シンポジウム 日朝国交正常化の早期実現を求めて」(主催、東北アジアに非核・平和の確立を!日朝国交正常化を求める連絡会)が開かれた。
開会あいさつで、許すな憲法改悪市民連絡会の高田健さんは、戦争につながる敵視ではなく、国交正常化によって平和な東北アジアを実現しようと述べた。
シンポジウムでは五人が発言した。
朴淳成さん(韓国・参与連帯平和軍縮センター代表、東国大学助教授)は、「北朝鮮の変化の可能性と市民の役割」(別掲)と題して講演した。
「日朝国交正常化はなぜ必要なのか」 中江要介・元中国大使
なぜ日朝国交正常化が必要か。それは第一に戦後処理だということだ。戦争がおわって植民地問題の解決・戦争の後始末が是非ともやられなけばならなかった。しかし冷戦で三八度線で分断され、日本はアメリカの言いなりになって北朝鮮の問題を放っておいてきた。第二に、なぜ怠ってきたか。それは戦争に対する認識の不足で反省がないからだ。だから歴史認識の問題で、アジアから「日本はまた間違うかも知れない」と信頼されなていない。第三に国際社会が変化が大きく変わったのについて行けないことだ。冷戦が終わり、平和を確立にむかう動きがある。今の世界は、グローバルであるとともに、地域的(リージョナル)に残された問題を解決しつつあるが、東北アジアではなにも出来ていない。第四には、日本の安全保障にかかわる。日米同盟だけが日本の安全を守るという短絡的な意見が湾岸戦争・イラク戦争以降広がっているが、日本にとってそういう安全保障が必要なのか考えなくてはならない。第五に自主独立の外交の問題だ。被爆国である日本こそ核廃絶を主張しなければならない。東北アジアの非核化は、まず朝鮮半島の非核化だ。いまこそ集団的な安全保障体制の確立にむけて動き出すべき時だ。
「日朝国交正常化交渉の回顧と展望」 前田康博・大妻女子大学教授
今後、日朝国交正常化がどうなっていくのかを見るときシビアな展望を抱かざるを得ないものがある。小泉訪朝から二年たつが、状況は行かなければよかったくらい悪化している。しかし私は局面の打開のためには再度の小泉訪朝が必要だと言ってきた。小泉首相は拉致問題の解決なくして国交回復なしと言っていたが、この五月の訪朝では平壞共同宣言の誠実な履行と国交正常化交渉の中で問題を解決すると変わってきている。このことは評価したい。しかし、今回も違った意見が出ている。自民党も民主党も一緒になって特定船舶入港禁止法案が通り、国交正常化は必要ないという意見もある。日朝関係は戦後処理の唯一残ったテーマだが、日本国内にはその認識が欠如している。首相の任期もあと少しだ。私は小泉のあとの見通しをあやぶんでいる。
「六カ国協議の展望」 吉田康彦・大阪経済法科大学教授
日朝間には平和条約ができていない。朝鮮半島の冷戦構造の解消がなされなければいけない。北朝鮮は体制の保証を求めているが、それができるのはアメリカしかない。南北交流がいくら進んでもそれだけでは問題は解決しない。小泉首相の気持ちは、日朝国交正常化を実現して歴史に名の残る首相になりたいということだ。アメリカと北朝鮮の対立の解消が朝鮮半島の平和の基礎だが、小泉首相はアメリカに対して物を言うべきだ。
「北朝鮮人道支援の経験と実績」 筒井由紀子・KOREAこどもキャンペーン代表
KOREAこどもキャンペーンは、九六年の北朝鮮の大水被害が出たときコメを送った。その後、九七〜八年には、大いに北朝鮮への支援が行われたが、九八年の「テポドン騒動」がおこり多くの団体は支援活動から撤退した。いろいろな国のNGOと協力しながら活動しているが韓国GOは活発な活動をやっている。日本円で五億とか一〇億とかで日本のとは規模が違う。小泉訪朝でのコメ支援が決まった。小泉首相は人道支援だと言っているが、人道支援はいろいろな条件をつけないことだ。NGOとして、やることはもっとある。
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「北朝鮮の変化の可能性と市民の役割」
韓国東国大学 朴淳成(パク・スンソン)
今日は、東北アジアの平和の実現のために運動している人が多く参加し、とくに若い人の顔がみられるのはたいへん嬉しい。ヨーロッパでは戦争の後に平和な統一を実現できたが、東北アジアでは二〇年後、三〇年後にもそうした展望を持つことが出来ない。
二〇〇二年に小泉首相が北朝鮮を訪問したが、韓国の世論はこれは日本の外交史上まれにみる成功のひとつとなるだろうと評価した。小泉首相自身が何を思って行ったかは知らないが、東北アジアの平和のためには寄与した行動だった。
本日、私は北朝鮮がどのように変化してきたのか、それをどのように見ていくべきなのか、それを活用して朝鮮半島および東北アジアの平和をどのように実現しているかについて話したい。
いま、北朝鮮はふたつの危険に直面している。ひとつは北朝鮮の体制自体の限界からくる内部の危機であり、もうひとつは体制の外部からくる脅威である。北朝鮮の指導部は外部の脅威を強調しているが、本当に恐れているのは内的な危機である。すでに体制の正当性と指導部の政策的力量が住民から否定されている状態において、指導部は外部の脅威を政権の維持の手段として利用せざるをえない。
北朝鮮の体制の「危機的局面」は東北アジアの安全保障にとって困った問題」である。北朝鮮の体制が外部の脅威を強調しつつ推進していた核兵器をふくむ大量殺戮兵器開発は東北アジア地域に緊張をもたらし軍拡競争を引きおこす。北朝鱗の体制が過去から譲り受けた、攻撃的でテロを辞さない国家であるという遺産は、周辺国、特に日本と米国にとってみずからの行為を正当化するよい口実になっている。しかし、軍拡競争は結局は関連国すべてを危険に陥れる。軍拡競争の行きつくところは安保のジレンマでしかない。北朝鮮の体制の内的な危機は、やはり周辺国にとっては深刻な安保の脅威になる要因である。北朝鮮内部の騒擾は難民を発生させ、万が一おこるかもしれない安保上の危機状況は意図せざる軍事的事態を呼び起こすかもしれない。何よりも北朝鮮の体制の崩壌は、覇権的な葛藤が潜在している東北アジアにおいて地域秩序の急激な変化を引きおこすかもしれないからこそ、余計に危険である。
だが、北朝鮮の危機的状況を暴力的な方法によってではなく地域協力を通じて克服することができれば、北朝鮮は東北アジアの問題の発生源ではなく平和のための拠り所となるであろう。北朝鮮の改革開放が成功し、体制転換がなされる時、北朝鮮だけでなく、より大きな実りを東北アジア地域の各国が受け取ることが出来るであろう。平和と繁栄という二一世紀の人類が最も希望するものが、まさにそれである。
現在、北朝鮮を見る視角は私の考えるところでは、ふたつの偏見にとらわれている。ひとつは北朝鮮を「悪魔の体制」と考えるもので、ブッシュ大統領の立場とも言える。これは北朝鮮の体制を特殊なものと見るもので、この善と悪の二分法は、私たちの意識をマヒさせ私たちの内部にある悪の要素をすべて集約して外部に投影する。北朝鮮は私たちの内部にあるあらゆる悪魔的な要素を結集した「絶対悪」の化身である。北朝鮮は人類杜会の体制がもちうるすべての悪を見せてくれる鏡の役割をしている。もうひとつの偏見は北朝鮮を「完壁な体制」と見るものである。多くの安保専門家、社会理諭家にとって、北朝鮮は社会会工学がまったく間違いなく実現されている国家であり、完全な統制と完壁な動員が可能な社会という烙印を押されている。この見方では北朝鮮の失敗はかき消されてしまう。北朝鮮指導部と体制の失敗を認め、みずから失敗に直面して北朝鮮指導部が提示した政策を検討し、そしてそうした政策が再び失敗することになった理由を把握しようとする時、私たちは北朝鮮の体制の過去を正しく把握することができるだろうし、同時に未来をある程度正確に予測することができるであろう。
それだから、北朝鮮の改革開放政策を私たちの期待や規範ではなく、北朝鮮の現実から見つめ北朝鮮の現実に基づいて批判することが必要だ。北朝鮮の改革開放政策は、北朝鮮の現実に基づいてはじめて成功しうる。批判が重要でないわけではないが、それよりももっと重要なことは成功的な改革開放を通じ東北アジアの平和を妨げることなく、そして住民たちの苦痛を最小限にとどめつつ体制転換を成し遂げることである。
北朝鮮も変化をしてきた。そして一九七〇年代以降今日にいたる体制の変化の特徴として、金日成―金正日体制、主体思想と体制硬直化、計画と動員のメカニズムの不全であり、経済政策では、自立的民族経済政策路線の動揺、対外開放の試み、内部の成長エネルギー喪失、自力更生と対外開放の間で動揺があるということがあげられる。そして、九〇年代では計画経済が失敗したということが明らかになった。
こうした北朝鮮経済の崩壌は社会的にも深刻な結果を生んだ。自分だけの力では回復できない「貧困の泥沼」に落ち込んだ北朝鮮経済は社会全体を機能不全と無気力に陥れ、一般住民だけでなく、中間以下の官僚たちでさえ、社会的規範を守らず逸脱行動をとるようになり、国家はこれを黙認せざるをえなかった。結局、一種の「社会的空洞塊象」に直面した。
北朝鮮は九〇年代に経済政策の根本的で体系的な修正を行おうとした。しかし四六年という長期にわたって単一路線をとってきた結果、簡単に変えるわけにはいかなかった。北朝鮮は七〇年代にも八〇年代にも経済開放政策をとったことがあり、この時は在日朝鮮人も多く投資したが残念ながら失敗した。九〇年代のそれもまたしても核問題で失敗した。一九九三年にはそれまでの経済開放政策が失敗したことをはじめて認めて、農業、軽工業、貿易第一主義を打ちだしたが、これはそれまでの経済政策とはまったく違う。しかし、経済政策が失敗を続けるともとのやり方に戻りやすい。北朝鮮も三回の失敗により過去の経済政策に戻ろうという動きが出てきた。しかしこのような政策でも、重工業優先ではあるが、科学技術と「実利」も強調された。これは指導部の未来志向であり、二〇〇二年七月の経済管理改善措置移行というものが出てきた。これは将来的に北朝鮮が市場経済へ移行しようしていることを表している。北朝鮮は、物価や賃金を引き上げ、為替レートを現実化し関税を調整したり、協同農場および企業の経営自律権を拡大し、食料・生活必需品配給の段階的廃止をしたり、個人耕作地の拡大などをおこなった。
そして、二〇〇二年の九月には新義州、一〇月には金剛山、一一月には開城をそれぞれ経済特区に指定して、本格的な開放政策を推進し始めた。
小泉首相はこの様なときに北朝鮮を訪問した。しかし、二〇〇二年一〇月、米国は北朝鮮が「ウラン濃縮計画保有を認めた」ことを理由に北朝鮮に強硬政策を展開し始めた。これは日朝交渉にも影響を及ぼすことになった。このような状況の中で、北朝鮮は変化するのか、それとも過去へ戻ろうとするのかの分かれ道にいる。
北朝鮮経済のこれからは、北朝鮮が経済政策の一貫性を確保できるのか、また対外的な関係にかかっている。
つぎに、韓国市民社会と東北アジアの平和について述べたい。
北朝鮮の核問題をめぐる韓米間の対立、南北関係改善にともなう朝鮮半島の緊張緩和と韓国民の外交安保観の変化、イラク派兵をめぐる韓国国内の世論、世界的な米軍再配置と駐韓米軍のイラク転出などは、韓米同盟がもはや根底から変わりつつあることを示している。こうした韓米同盟の転換期に韓国は二つの方向の安保戦略のうちのいずれかひとつを選択すべき岐路に立たされている。ひとつはこれまでどおりの、米国の世界戦略の変化に合わせて、より強化される米国中心の安保国防戦略である。もうひとつは南北関係の改善と東北アジア多者協力の韓国中心の平和外交政策である。
韓国の平和を求める市民団体は、平和志向の政策を持つことを求めているが、韓国政府は最近、「協力的自主国防」という概念を発表した。しかし実際にはこれは、「協力」よりは「同盟」を、「軍縮」よりは「軍備増強」を意味していて、実際的にはアメリカ中心の安保・国防戦略となっている。これでは、朝鮮半島の平和と安定、南北朝鮮および東アジアの繁栄、国民生活の安全確保はできない。
私たちは南北関係の改善のためにいくつかのことをしたいと考えている。まず第一に韓国社会全体の認識を変えていくこと。これは北朝鮮観、アメリカ観を変えていくということだ。北朝鮮の竜川で大きな事故があったときに韓国の多くの市民たちは自主的に支援した。これは六〇年代、七〇年代には予想もできなかったことだ。
第二には、北朝鮮への批判ということについてだ。北朝鮮の多様な国家政策への善意と信頼に基づいた批判が必要だ。これは北朝鮮の指導部が正しい方向に北朝鮮社会を変化させることができるように助けるためのものだ。北朝鮮は「悪の枢軸」ではないけれども、非常に閉鎖的政策をとっており、国内には多くの問題がある。北朝鮮の対外政策、核政策、改革開放政策への建設的批判をしていくことによって、北朝鮮の指導部を正しい方向に導いていくことができる。そうなれば北朝鮮の体制の変化と世界秩序への編入は、今よりももっと早く、もっと少ない犠牲で成功することができる。
第三にやろうとしていることは、核兵器の問題をはじめ東北アジアの平和に韓国と日本とアメリカの市民たちが手をとりあって進んでいく態勢をつくり出すことだ。そして、韓国、日本、アメリカの国会議員たちを動かしていくことだ。
第四には、人的交流をもっとすすめることだ。
最後に、軍縮と東北アジアの平和のために市民社会レベルにおける共同研究プロジェクトをたちあげる必要があるということだ。
<韓国・参与連帯平和軍縮センター代表、東国大学北韓学科助教授。著書に「北朝鮮経済と朝鮮半島の統一」、共著に「朝鮮半島平和報告書」など。>
図書紹介
傲慢な単独主義へ米支配層内部から批判
ジョセフ・S・ナイ 著 アメリカへの警告―21世紀国際政治のパワー・ゲーム
日本経済新聞社
2500円
ブッシュのイラク戦争は、「主権委譲」をまえにいっそう泥沼化の様相を明らかにしている。
ブッシュは、昨年三月二〇日に侵略戦争を開始し、圧倒的な軍事力の優位でフセイン政権を崩壊させ、そして五月一日には「戦闘終結・勝利宣言」を行った。
しかし、それから一年、ブッシュはイラク民衆の反占領の闘い、フランスなどの国のアメリカ批判、大統領選を前にしての支持率の急落などの難問に直面している。「反テロ」を口実に侵略戦争でイラク・中東の支配権を独占し、アメリカ一国の覇権を確立すること、同時に戦勝大統領として再選を確実にすること、これらの目標の実現はきわめて困難なものとなっている。
世界とアメリカの世論で、ブッシュの戦争が行き詰まっているという評価がひろがっている。国際的にアメリカの評判は落ちる一方であり、ブッシュ政権はイラク国連決議などで大きな譲歩を余儀なくされている。にもかかわらず、小泉は、日米首脳会談やサミットで、アメリカの確固とした政策がイラクをめぐる情勢を好転させたなどと言い、また多国籍軍への参加まで約束する始末である。
冷戦終結で唯一の超大国となったアメリカは、現在、どうなっているのか。
ジョセフ・S・ナイの「アメリカへの警告 21世紀国際政治のパワーゲーム」は二〇〇二年に出版(日本語版・二〇〇二年九月)された。ブッシュがアフガニスタンにつづきイラクへの戦争発動を準備していた時期である。
目次を見れば、第一章「アメリカという巨像」(アメリカの力の源泉、ソフト・パワー、……)、第二章「情報革命」(過去の教訓、力の集中か分散か、……)、第三章「グローバル化」(グローバル化はアメリカ製なのか、グローバル化の性格、……)、第四章「アメリカ国内の動向(倫理観の衰退と文化の対立、移民とアメリカの価値観、……)、第五章「新しい時代の国益(アメリカの力の限界、総合戦略と世界的公共財、……)となっている。
ナイは、ハーバード大学で教え、クリントン政権時代の米国家情報会議議長(一九九三〜九四年)、国際安全保障政策担当の国防総省次官補(九四〜九五年)を歴任した。そして日米安全保障同盟の再構築プロセスでは指導的な役割を演じ、ハーバード大学ケネディースクール学長であった二〇〇〇年一〇月には、リチャード・アーミテージなどと「合衆国と日本―成熟したパートナーシップにむけて」(いわゆるアーミテージ・レポート)をつくりあげた。
しかし、共和党ブッシュ政権の国務副長官となったアーミテージなどとは、民主党政権の高官だったナイは、アメリカのとるべき政策についていささか違った考えを提起している。
ナイは、一九九〇年版の『不滅の大国アメリカ』(読売新聞社)では、当時流行していたP・ケネディ「大国の興亡」などのアメリカ衰退論を批判し、アメリカが依然として強大なパワーを保持していることを主張していた。「アメリカへの警告」でも、「ソ連の崩壊後、アメリカに対抗できる国はなくなった。アメリカは世界に並ぶものがない軍事大国、経済大国、文化大国だ」としている。だが世界は、「情報革命」と「グローバル化」によって大きな変貌を遂げた。そこでは、軍事力、経済力の「ハードパワー」だけでなく、文化などの「ソフトパワー」の重要性が決定的に高まっている。そうした変化を見ずに「一極支配、覇権、国家主権、単独主義」をごり押しすれば、「こうした政策がともなう傲慢さによって、問題解決のひとつとなっていることが多いソフトパワーが損なわれるだろう。帝国の幻想に酔って、ソフトパワーの重要性が増してきた現実を無視してはならない」と言う。そして、「アメリカにとっての歴史の試練は、原則と規範に関して国際社会の合意を取り付け、政治の安定、経済の成長、民主主義の価値観という目標を他国と協力して追求する体制を構築できるかどうかにある。アメリカの力は永久に続くものではない。傲慢さと無関心によってソフトパワーを浪費していけば、攻撃されやすい点が増え、アメリカの価値観を損ない、圧倒的な優位を急速に失っていくだろう」。
イラク戦争においては、大量破壊兵器問題、イラク人への拷問・虐待の暴露などによって、アメリカの戦争の大義・道義は完全に失われ、アメリカ国内にも大きな亀裂が走った。
ナイの警告は、ブッシュ、ネオコンによるイラク侵略戦争の強行と失敗を予測しているようだ。
本の帯に「現代を代表する戦略家が傲慢な単独主義に警鐘を鳴らし、情報革命、グローバル化の下での世界戦略を提示する」とあるが、「傲慢な単独主義」こそがアメリカの地位を危うくすると警告しているのだ。帝国主義者は戦争をはじめてしまったら頭をぶつけるまで止めることはできない。
アメリカ帝国を崩壊に導くブッシュ。ブッシュに追随する小泉。しかし、アメリカ支配階級でもナイのような主張の支持者が増えてくるだろう。敵内部の矛盾も利用しながら戦争・占領反対の運動を強めていこう。 (MD)
KODAMA
石のつぶやき ―仕事と趣味のはざまで―
小山 富士夫
自分が石(鉱物)というものに初めて接したのは、昭和三一年であった。それからあっという間に四〇年以上が過ぎてしまった。その時の鉱物は母岩から分離された鉄礬ざくろ石で、今でもざくろ石というと、当時の感激と思いが昨日のことのように鮮明な記憶としてよみがえる。
地質に関係した仕事に従事して、早くも三〇年以上の歳月が流れた。
人の一生は最近は七〇余年といわれるが、「仕事」が実質出来るのはそのうちの半分くらいの三〇年くらいであろう。
そう考えると、これから仕事が出来るのは、残り一〇年くらいとなった。
生まれ変わることが出来たら、やっぱり地質のことをやっていると思う。石を手にした時の何とも云えない不思議な感動が忘れられないからである。
「仕事」で山野を歩くときは、整備された道路や登山道を歩くことはほとんどない。薄暗く荒れ果てた沢や倒木・薮で目の前が見えない尾根や斜面である。人の通行がまったく途絶えた踏み分け道を通る。けもの道を通ることもある。文字どおり踏査である。山で炭を焼かなくなったり、人が薪を採らなくなったためか、山は荒れ果て深い傷を負い瀕死の状態に措かれている。斜面の昇り降りで滑落して思わぬ怪我をしたり、熊や猪などの猛獣に出くわすこともある。身の危険と隣り合わせの「仕事」である。
踏査をするときはひとりで行う場合が多い。誰一人としていない沢を露頭を求めてさまよう。独りごとを言うこともあるが、無言である。音といえば岩石を割ったときと、鳥や獣が発するざわめきだけである。その時の何とも云えない寂しさ―恐ろしさは経験したことがないとわからない。
踏査の仕事は本来一人でやるべきではない性質のものである。常に事故や遭難のリスクと背中合わせだからである。今までよく無事でいたと、自ら不思議な思いに駆られている。きっと、「山神」様がわが身を守ってくれたに違いない。
ハンマ―で岩石を割っていると、ときどき美しい鉱物が顔を出す時がある。誰も訪れたことがない鉱山のズリ場に偶然出くわすこともある。
その時は仕事(?)を忘れて、周囲の岩石を叩きだす。鉱物に出会ったことにより、山にひとりでいる寂しさや恐ろしさからしばし解放される。何かホッとしたような安堵感に浸ることが出来る。鉱物は無言であるが、手にとって眺めていると私に何か話し掛けているように感じられる。久しぶりに友人に逢った感激を味わうようである。
私は仕事と趣味のはざまで、ときどき、小さな感激を味わっているのである。これからも思わぬ所で地球の宝石(鉱物)に遭遇することを夢見ている。
複眼単眼
雅子の憂鬱と、改憲・女帝論議の残酷さ
自民党など永田町筋からの改憲論議が盛んになっているなかで、天皇条項については「象徴天皇制を維持する」ことを前提に、「天皇はわが国の文化・伝統と密接不可分の存在」であり、そうした「国柄」について明記すべきだなどという意見が強い。また「女帝」問題については、自民党改憲PTの「論点整理案」では、「憲法に規定するか、皇室典範の改定にするかもふくめて今後の検討課題」とされた。
改憲で天皇制をさらに明確に位置づけようとする勢力にとって、この「女帝問題」にみられる天皇制の危機は深刻だ。日本国憲法第二条は「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。そして「皇室典範」の第一条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とある。もちろん養子は不可能だ(同第九条)。しかし、「皇統に属する男系の男子」がいなくなったらどうするのか。この可能性が現実のものとなっている中で、「世継ぎ」問題が深刻な問題となり、皇太子の妻雅子に男子が産まれることへの期待、あるいは皇太子の弟、秋篠家に男子が産まれることへの期待が強まっている。その一方では「女帝」を容認することで、この危機を突破しようという論議も盛んだ。ともかく、このいずれかによってしか天皇制が維持できないからだ。しかし「子生み」だけを期待される身は、雅子も生身の人間である以上、これはひどく残酷なことであり、ものすごいプレッシャーとなる。とうとう雅子は病にかかってしまった。
某週刊誌が伝える英紙「タイムズ」の「プリンセスの鬱病」という特集記事では「ハーバード大卒の雅子妃が日本の皇室に嫁いだ時、彼女は自分の独立性とプライバシーを失った。彼女には、プライベートな電話も自分のお金もない。皇室儀礼に窒息状態で、お世継ぎを産むプレッシャーにさらされ、雅子妃はひどく不幸になっている」「『雅子妃は、皇室からドロップアウトしている。不躾ながら、彼女は天皇ご夫妻に対して敵意を持っており、おふたりが死ぬのを待っている。恐ろしくて衝撃的な話だが、これは宮内庁の皇太子周辺で起こっていることで、国民はこのことを知らない』と話しているのは、新聞の皇室記者だ」とも書いているようだ。
五月一〇日、病気の雅子を残して訪欧する直前、皇太子は密かに自分だけで原稿を用意し、記者会見で天皇家と宮内庁が仰天するような「大胆な」発言をした。
「雅子にはこの一〇年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私が見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と。
この発言から「犯人捜し」も始まり、一時は湯浅宮内庁長官などがやり玉にあがって、「何様だと思っているのか、恐れ多いことだ」などというTVのコメンティターもいた。皇太子本人は「湯浅長官の時代のことではない」とコメントしただけで訪欧に出発し、帰国後、十一回目の結婚記念日に文書で意見を公表した。ここでも「雅子の人格否定」の具体的なことは明らかにしなかったが、雅子の病気は相当に深刻であるらしい。
しかし皇太子がいう「雅子の人格否定」云々は、誰がどうこうというより、「タイムス」が指摘するように皇室という異常な制度そのものにあるのであり、この問題にふれないままの議論は無意味だろう。また「外交官出身の雅子にもっと親善外交の機会を」などということで、憲法違反の皇室外交・皇室の政治活動の拡大に利用する動きにも注意が必要だ。戦争のための改憲論議と天皇制の利用に反対することと合わせて、このような天皇制そのものが民主主義や人権と両立しえないという根本的な議論もまた必要だ。 (T)