人民新報 ・ 第1136 号<統合229> (2004年7月5日)
  
                  目次

● 小泉無法政権を許すな  改憲反対のための投票を

● 郵政4・28闘争の大きな勝利  東京高裁で逆転勝利判決

● 沖縄名護・辺野古の座り込み闘争に連帯して  海上基地ボーリング調査を許さない集会

● 04オキナワピースサイクル報告  戦争を行うための基地を作らせてはいけない

● 朝鮮半島に平和と統一を!  朝鮮南北共同宣言4周年記念フオーラム

     六者協議の行方と「北東アジア」  /  李鐘元(立教大学教授)

     「6・15共同宣言と在日同胞」  /  康宗憲(韓国問題研究所所長)

● 防衛庁行動  辺野古ボーリング調査をやめろ!

● WPNが記者会見  候補者アンケートについて

● KODAMA  /  純朴な地学少年の育成を願う 

● 複眼単眼  /  「改憲派」の攻撃の裏に潜む危険な「憲法思想」



小泉無法政権を許すな  改憲反対のための投票を

 「自民党をぶっ壊す」と豪語して登場した小泉純一郎首相の三年余の政治が実現したものは、その実、平和と人びとの生活の破壊であり、立憲主義、民主主義の破壊だった。小泉内閣は国会での与党の多数の議席と先頃までの高支持率を背景に、無理無法な政策と屁理屈としか言いようのない粗雑な主張を乱発し、この国をきわめて危険な道に引きずり込んだ。有事法制然り、自衛隊のイラク派兵然り、そしてその多国籍軍参加然りだ。小泉の政治手法は、従来の政府・支配層の論理では考えられないような無茶を平然とやってしまうものだ。だから戦後政治の保守本流に属する野中広務らは悲鳴を上げ、「自衛隊を強引にイラクに派遣したうえ、今度は多国籍軍への自衛隊参加を国会の論議もなく独断で表明。国民への説明の際も、正確な情報を伝えずに屁理屈を展開するのみ。日本はこのままではなし崩し的に、いつか来た道へとまっしぐらです」と怒る有様だ。
 かくも暴論を繰り返し、屁理屈による弁明を乱発し、憲法と歴代政府の法解釈まで無視する政権はかつてなかった。この政権は危険きわまりないアウトロー政権だ。その危険な発言が、この国の前途を左右する戦争と平和に関する問題で、最も頻繁に乱発されるのだから、我慢がならない。この政権を倒さなければ、野中がいうように日本がきわめて危険な戦争の道に引きずり込まれるのは不可避だ。
 この参議院選挙の最中にまたもデタラメ極まる暴論が飛び出した。六月二七日のNHKの党首討論での「集団的自衛権行使のための改憲を」という主張だ。そこで小泉はこう述べた。
 「日本を守るために米軍が協力してくれる。(その際)米軍が攻撃されても米軍と共同行動ができないのはおかしい。その点は、憲法ではっきりさせていくことが大事だ。憲法を改正し、日本が攻撃された場合は米国と一緒になって行動できるようにしたい」
 これは集団的自衛権の行使が可能であることを憲法に明記するよう主張したものだそうだ。そして小泉首相はこの場で「『集団的自衛権の行使は憲法解釈の変更でできる』との意見もあるが(註・中曽根康弘元首相など)、私はそれはとらない」とのべた。この発言は産経新聞の解説でも「首相が日本有事や周辺事態における日米共同行動との関連で憲法改正に言及したのは異例」と指摘された。
 この発言は無知と無法さ加減、論理的粗雑さを示す典型的な例だ。小泉は歴代政府が国会で説明してきた日米安保条約とは何かに関する論理構成が全くわかっていない。安保条約では日本が攻撃されたら日米は共同作戦をすることになっている。そしてこれはいわゆる集団的自衛権の問題ではなく、個別的自衛権の問題なのだ。いま米国が日本に要求している集団的自衛権の行使は、グローバルな規模における日米攻守同盟態勢づくりであり、その下での共同行動なのだ。小泉の発言は全くトンチンカンだ。小泉首相はその用語の正確さにおいても、またこの間の国会での論議と政府の答弁などの理解においても全くデタラメなのだ。このような理解のレベルでこの国を「戦争のできる国」にされてはたまったものではない。
 小泉がまき散らすこうした乱暴な議論に悪乗りして、三〇日の読売新聞は「『集団的自衛権』解釈変更を急げ」と題した社説を掲載し、「小泉首相は、憲法改正で集団的自衛権の行使を明確にするというが、それには時間がかかる。政治の責任で、ただちに政府解釈を変更すべきである。自衛隊法を改正し、国際平和協力活動を本来任務の一つに位置づける必要もある。国の安全という重要な責務を担う防衛庁の『省』昇格も急ぐべきだ」とのべた。
 周辺事態法が成立し、有事三法と有事関連七法三条約協定が強行成立させられたあと、支配層が狙うものは集団的自衛権=グローバルな規模での日米攻守同盟態勢の確立であり、そのための改憲か、改憲なしにその行使を保障する「国家安全基本法」の確立、あるいは「派兵恒久法」の策定だ。
 改憲問題はいよいよ焦眉の課題となった。私たちはこの闘いに備えなくてはならない。
 中山太郎・衆院憲法調査会会長は来年の通常国会に「憲法改正のための常任委員会の設置や国民投票法案」を提起すると言っている。この参院選が終われば改憲への動きが加速されるだろう。最終的には国民投票に至る、現行憲法下で名実共に最大の政治的な闘いが迫っている。この闘いに勝つか、負けるかは、今後、長期にわたる日本社会のありかたを左右する分岐点であり、それは違憲国家の変革をめざす歴史的な政治決戦となる。
 本紙前号で報道されたように、六月一〇日、「九条の会」が加藤周一、大江健三郎、奥平康弘、鶴見俊輔、小田実、梅原猛、井上ひさし、澤地久枝、三木睦子の各氏によって発足した。これらの人びとは思想信条の違いはあれ、今日の日本社会の知性を代表する人びとだ。これは今日の情勢に対する日本の知識人の危機感のあらわれであり、「九条の会」の発足は、改憲攻撃に対する一大反撃の足場となりうるだろう。
 当面、この参議院議員選挙で、改憲反対派の議席を一つでも多く確保することに全力をあげながら、その結果をふまえて、改憲を主導しようとする小泉内閣に対する広範な戦線を形成し、一大反撃を組織する闘いを構えなければならない。すべての政党政派はこの闘いの中で、その力を試され、ふるいにかけられざるをえないだろう。


郵政4・28闘争の大きな勝利  東京高裁で逆転勝利判決

 六月三〇日、郵政4・28不当処分の撤回を求めて闘ってきた労働者たちは大きな勝利をかち取った。この日、東京高裁(江見弘武裁判長)は、解雇を認めた一審・東京地裁の「原判決を取り消す」という逆転勝利判決を出した。
 全逓信労働組合は、人減らし合理化の郵政マル生に対する闘争の一環として一九七九年の年賀郵便処理拒否を指令し、組合員は全国的に闘争に決起して闘った。これに対し郵政省は五八人を懲戒免職処分を行い、それに対する裁判闘争などが展開された。その後全逓本部はこの闘いを裏切り、現在七名の原告が闘争を継続している。原告は、徳差清、神谷努、黒瀬英之、庄野光、斉藤昇、名古屋哲一、池田実のみなさん。七名全員に二五年目に勝利判決がでたのである。
 判決の後、弁護士会館で「4・28控訴審逆転勝利判決報告集会」が開かれ、原告をはじめ闘う郵政労働者たちが、高裁判決での勝利を確認するとともに、完全勝利・職場復帰まで闘い抜こうと決意を表明した。
 この判決の大きな意義をつかみ、4・28闘争のみならず、闘う郵政労働運動の前進と、また国鉄闘争をはじめ全国で闘われる争議の勝利的な展望を切り開くものにしていかなければならない。
 祝 4・28処分東京高裁逆転完全勝利判決!


「九条の会」発足記念講演会

 憲法改悪攻撃が強まる中で、さまざまな改憲阻止の動きが活発化している。六月一〇日には、憲法9条改憲阻止の広範な運動のネットワークの結び目となることを目的に「九条の会」が発足し記者会見が行われ、アピールが発表された(本紙、6月15日号参照)。当日は、評論家の加藤周一さん、作家の大江健三郎さんをはじめ、憲法学者の奥平康弘さん、評論家の鶴見俊輔さん、作家の小田実さんのみなさんが出席して、九条改憲阻止の熱い思いを語った。「九条の会」の呼びかけ人はこの五人のほかに梅原猛さん、井上ひさしさん、澤地久枝さん、三木睦子さんで合わせて九人で、これは憲法九条にちなんだものだという。
 自民党は来年の立党五〇年を期して改憲試案を出し、民主党も改憲の方向を強めている。小泉首相は、この間アメリカの無法イラク戦争に積極的に加担し、また有事体制をつくり、そして「集団自衛権を憲法に明記する」と言い出している。いまこそ、憲法九条改悪阻止のための広範な統一した運動の高揚が求められている。「九条の会」の発足はそのための大きな礎をつくった。
 「九条の会」は七月二四日に発足記念講演会を開き、記者会見に出席した五人が講演し、またその他の呼びかけ人も参加する予定となっている。
 なお、多数の参加者が予想されるので、事前に入場整理券を事務局に申し込むことが必要。
(返信用封筒を同封のうえ、「東京都千代田区三崎町 二−二一−六−三〇二 『九条の会』まで」。

7月24日(土)午後2時〜
        (午後1時30分開場、午後4時終了)
ホテル・オークラ別館「曙の間」
    (地下鉄 神谷町または赤坂溜池)  参加費 1000円


沖縄名護・辺野古の座り込み闘争に連帯して

              
海上基地ボーリング調査を許さない集会

 この日で六九日目になる沖縄名護・辺野古の座り込み闘争に連帯し、海上基地建設・ボーリング調査を許さない集会が、六月二六日夜、都内で開かれ、一六一名の市民らが参加した。主催したのは、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック、日韓民衆連帯全国ネットワーク、許すな!憲法改悪・市民連絡会、日本山妙法寺など、多数の市民団体でつくる「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」で、集会には辺野古の座り込み現場から大西照雄さん(ヘリ基地反対協議会代表委員)も参加し、報告した。
 冒頭、主催者挨拶にたった関東ブロックの上原成信代表は、要旨、以下のように発言した。
 沖縄の基地問題はウチナンチュの問題であるだけでなく、日本政府を支えている日本全体の問題だ。実行委員会全体の力で、カンパなどによって現地の基地建設阻止の運動を支えたい。いま米軍の編成が大きく変わりつつある。この時にみんなの力でこの基地問題を打ち返さなくてはならない。韓国でもイラク派兵反対の運動が高まりつつある。連帯してがんばろう。いま沖縄では全野党統一候補が参院選を戦っている。この選挙戦も重要だ。共に闘おう。
 ヘリ基地反対協議会の大西照雄さんの報告は「辺野古の闘いの発展をめざして」と題するもので、今後の運動の勝利の展望が語られた。
 二六日でかつての名護市民投票以来二六三九日、今回の座り込み以来六九日になる。辺野古では命を守る会の八年余の闘いを発展させ、ヘリ基地反対協市民共闘組織として、ボーリング阻止行動を責任を持って闘っている。
 昨年三月のヘリ基地反対協の総会は、イラク侵略戦争反対運動の国際的行動の大波の中で、「二一世紀は平和と環境問題の時代だ」と考えた。基地建設反対を軸に据えながら、平和・自然・環境・市民団体・学問分野を含めた組織の模索がはじまっている。
 那覇防衛施設局はさまざまな攻撃に出てきているので、現地では「@現地技術調査」の問題点の分析・学習、A辺野古土曜集会、海岸の掃除や学習、情報交換の場としてすでに四〇週にわたって開かれている。B海上でのあらゆる闘いの準備としてカヌー教室の開催などをやっている。
 こうしたなかで、「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」が結成された。このジュゴン監視団は、ヘリ基地反対協とともに、幅広く共同の輪を広げ、環境影響評価の各段階で重要な理論的提起と、行動提起を担うつもりだ。これらの中で、国民的・国際的広がりと共同をいかに形成するかだ。
 集会は沖縄県人会青年部有志などの演奏のあと、集会決議を採択し、今後、東京でも呼応する闘いをいっそう強めることが確認された。

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集 会 決 議

 防衛庁・防衛施設庁が強行している米軍普天聞基地の名護移設・辺野古海岸でのボーリング調査にわれわれは強く抗議し、直ちに中止するよう要求する。
 地元の調査・設置反対の声を踏みにじって軍事基地建設を強行すれば、沖縄でのこれまでの基地重圧はさらに高まることになるであろう。沖縄に米軍基地が集中しすぎていることは、防衛庁・防衛施設庁すら認めている。さらに米国政府さえ「地元に歓迎されない軍事基地の設置は避けるべきだ」として、辺野古移設の見直しを検討していると伝えられているほどである。
 基地建設に先立って、那覇防衛施設局作成の環境アセスメント方法書が去る四月二八日から縦覧された。この方法書に対して今日までに「白紙撤回を含む方法書反対」の意見書が一二七五通あった、と報道されている。空港のはずなのに飛来航空機の機種さえ記入されておらず、方法書の必要要件を備えていない。しかもポーリング調査をこの環境アセスメントの対象外としているが、重大なごまかしである。ボーリング調査によって辺野古海岸の形状も潮流も地質も一変してしまうことは明らかであり、調査は事実上基地建設の着工である。これでは環境アセスメントは不可能になる。ジュゴンや珊瑚礁は死滅してもよいのか? いったい米軍に提供するために辺野古海域の巨大な自然破壊をする資格が防衛庁・防衛施設庁にあるのだろうか?
 台風の接近するなか、那覇防衛施設局が撒去作業を行わなかったために座り込みのメンバーがやむなく作業ヤードのフェンスをかたづけた。ところが那覇防衛施設局は、台風通過後の六月一四日、座り込み抗議を続けているメンバーに対し、「四月一九日の状況に作業ヤードを戻せ」と迫っている。メンバーらはあくまでももの静かに、落ち着いて説得する姿勢で臨んでいる。
 それに対して施設局側は余りに要求が一方的である。これまでも「基地建設を進めていくだけだ」として一切の誠意ある姿勢はなかったが、今回も「四月一九日の作業ヤードの状況に戻せ」と一方的に言うのみである。彼らは暴力的で排他的である。もともと那覇防衛施設局は、往民を無視し、反対している心ある人々の声を踏みにじり、四月一九日未明に闇打ち・騙し打ちで調査強行をもくろみ作業ヤードを作ったではないか。辺野古漁港を「四月一九日以前の状況に戻」さなければならないのは施設局の方ではないのか!
 われわれは防衛庁・防衛施設庁に対する次の二点の要求を本日の集会で確認しあい、本決議を採択した。

   記

  一、ボーリング調査を直ちに中止せよ!

  二、普天問基地を無条件で返還せよ!

              二〇〇四年六月二六日


04オキナワピースサイクル報告

   
戦争を行うための基地を作らせてはいけない

 六月一九日から二四日までの日程で04オキナワピースサイクルが取り組まれ、二〇〇四年のピースサイクルがいよいよスタートをきった。
 大阪の郵政労働者がヒロシマまで自転車で走って始まったピースサイクルはやがて全国化していった。オキナワピースサイクルも九〇年から始まり、今年で一五年目を迎えた。
 今年は戦後五九年、沖縄は六月二三日、沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた。米軍基地は五九年も居座ったまま状況は何も変わっていないばかりか、むしろ悪くなっている。
 いま、小泉政権は有事法制を強引に制定して、再び侵略戦争に乗り出し沖縄に再び沖縄戦を強要し、いよいよ改憲に踏み出そうとしている。
 オキナワピースサイクルは、このような状況の中で行われ、沖縄における軍事基地の実態を知り、沖縄戦の戦跡をめぐり、沖縄の文化、自然を体験し、そして何よりも沖縄で闘っている人たちとの交流することを目的にしていた。

六月一九日(土)
 今回は長崎、大分、広島、大阪、滋賀、東京から一二名と子ども二名が参加したが、大型台風六号が接近していたため宿での待機を余儀なくされた。昨年、反戦・平和の発信地として無人島の平島にポストが設置されたが昨年の台風によって損壊したのを取り付け直す行動も中止となった。ポストの取り付けは来年リベンジすることとし郵政公社に対して正式にポストを設置するように要請することにした。

六月二一日(月)
 実際のスタートは二一日からとなった。現在、名護市辺野古では米軍普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査(基地建設着工)に反対する座り込みが四月一九日より行われている。環境と生活、平和を破壊するボーリング調査を阻止するため、オジーやオバーたちが国からあらゆる差別を受けながらもそれに耐え、基地建設を止めるために闘い続けている。那覇防衛施設局との攻防の中、この「美ら海」に一本の杭も打たせない闘いが続き、辺野古周辺はとても緊張した状況が続いている。
 米軍はというとボーリング調査に対し、ジュゴンの生態や環境問題での非難を考慮してか「われわれは知らない、日本政府が勝手に行っていることだ」と言っているそうだ。
 私たちも座り込みに参加し、基地建設反対のために座り込みを続けている人たちに連帯し、この思いを全国に発信することを約束した。
 激励のカンパとピースメッセージの檄布を手渡し、見送られながら出発した。辺野古周辺は勾配がきつく非常に厳しいサイクリングとなった。宿での待機と日頃の運動不足でとてもつらかった。
 その後、金武町伊芸に立ち寄り米軍キャンプ・ハンセンの都市型戦闘訓練施設建設問題について話を聞いた。そこは、ゲリラ戦を想定した施設で扉の鍵を破壊し、建物内に強行突入するなど非常に危険な訓練が行われる。民家から三〇〇メートルしか離れていない。来春にも建設予定だが、反対運動も町全体へと広がりを見せている。過去にも恩納村やグアムでの建設計画があったが地元住民の猛反対で中止に追い込んでいる。説明された方は米軍のやりたい放題に怒りを覚えると言っていた。この日は、読谷村まで走り、知花昌一さんの民宿『何我舎(ぬーがや)』で宿泊。

六月二二日(火)
 読谷村を出発して「象のオリ」や元飛行場後などを回り嘉手納へ。「安保の丘」の前に新しく立てられた「道の駅かでな」を見学。米軍飛行場を一望できる展望場や展示パネル室などあり、修学旅行生も多く見学に来ていた。その後、宜野湾市に立ち寄り市長を表敬訪問。伊波市長は普天間飛行場の無条件返還を公約にかかげて宜野湾市長選挙(四月二七日)で当選し、日本政府をはじめ米国国防省にもそのことを働きかけている。今回は議会の間をぬって会ってもらった。市長は、米軍は普天間飛行場問題をテコに辺野古や新しい基地を手に入れようとしていること、県民の声として基地の受け入れには反対が大半だが県を含めた自治体としては弱いと言っていた。

六月二三日(水)
 この日、沖縄では慰霊の日として様々な取り組みが行われる。摩文仁では、県主催の慰霊祭が行われ、小泉首相も参加。米国の言いなりで多国籍軍参加を勝手に決めた小泉首相が、沖縄を訪れ慰霊祭に参加とは沖縄県民の神経を逆なでする行為だ。まったく何を考えているのか! 
 私たちは、魂塊の塔で行われた6・23国際反戦沖縄集会(今回で二一回目)に参加。若者の参加も多く、歌あり踊りあり戦争体験の話しありと充実した集会だった。一フィート運動の会事務局長の中村文子さんが主催者を代表してあいさつし、「今、憲法九条が揺さぶられている。子孫にあのようなむごい死に方をさせないためにも、声を上げていかないとならない」と呼びかけた。悲しい歴史に胸がつまる思いだった。この日で自転車走行は終了した。
 
 六月二四日(木)
 沖縄県知事あてのピースメツセージを県庁に届け、04沖縄ピースサイクルを終えた。今回オキナワピースサイクルに参加し、この沖縄で様々な闘いが行われている実態を見た。しかし、それが日本全体の問題であるにもかかわらず、残念ながら本土ではテレビ・新聞の報道はない。沖縄では随時報道されているのに。
 辺野古の状況も参議院選の緒果次第では予断を許さない。
 ぜひ訴えたい! 戦争を行うための基地を作らせないためにも、辺野古の座り込みにあらゆる手段を行使して連帯しよう。新しい基地を作らせない、普天間飛行場の無条件の返還を実現するためにも全力で辺野古の闘いに結集しよう!

       (04オキナワピースサイクル参加者)


朝鮮半島に平和と統一を!  朝鮮南北共同宣言4周年記念フオーラム

 六月二七日、文京シビックセンターで「朝鮮半島に平和と統一を!在日同胞の命と人権を守ろう! 6・15南北共同宣言発表4周年記念フオーラム」(主催、6・15記念フォーラム実行委員会)が開かれた。
 二〇〇〇年六月一五日、ピョンヤンで、金大中韓国大統領と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長の南北首脳会談が開催され、「6・15共同宣言」が発表された。
共同宣言では「南北は国の統一問題を、その主人である我が民族同士でお互い力を合わせ、自主的に解決していくことにした。南北は国の統一のため、南側の連合制案と北側の緩やかな連邦制案がお互い、共通性があったと認め、今後、この方向から統一を志向していくことにした。南北は、今年8・15に際して、離散家族、親戚訪問団を交換し、非転向長期囚問題を解決するなど、 人道的な問題を早急に解決していくことにした。南北は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、体育、保健、環境など、諸般の分野の交流を活性化させ、互いの信頼を固めていくことにした。南北は以上のような合意事項を早急に実践に移すために、早い時期に当局間の対話を開催することにした」としている。

 フォーラムでは、在日韓国民主統一連合の金政夫議長の主催者あいさつがあり、つづいて、韓統連の黄英治宣伝局長が、六月十四日から十七日まで韓国の仁川で南・北・海外の代表一千三百人が参加して開かれた「六・一五共同宣言発表四周年わが民族大会」のビデオ上映と報告を行った。
 つづいて、李鍾元・立教大学教授と康宗憲・韓国問題研究所所長が講演した(文責・編集部)。二人とも一九七二年にソウル大学に入学、ともに民主化運動で逮捕・投獄され大学退学処分を受けている。

第一講演

 六者協議の行方と「北東アジア」

         
李鐘元(立教大学教授)
 
 はじめに先ごろ開かれた六者協議についてです。この協議では、表面的にみると、北側が強気で米日がすりよっているように見えます。小泉再訪朝でもそうした見方が出されています。そして日本には戸惑いが見られます。なぜなら、これまで日本のマスコミでは、崩壊寸前の北が米日の攻勢に譲歩を重ねてきているという報道ばかりでしたからです。
 これまでアメリカは、懸案の北の核については、二つの原則がありました。ひとつは、検証可能で後戻りのない廃棄ということ、もうひとつは北の核の先行放棄です。これに対して、北は核の平和利用は可能だと主張するなど意見の隔たりはたいへん大きなものでした。
 しかし、六者協議の中国による議長集約によると、アメリカはこれまでの「検証可能で後戻りのない」という言葉は使わず、「非核兵器化」という言葉を使っています。小泉再訪朝の時もそうでしたし、G8でも非核兵器化と言っています。六者協議のアメリカ代表のケリー国務次官補の冒頭あいさつでも「核兵器をなくす」と言っています。これらのことから核の平和利用を交渉の視野にいれているのではないかと思われます。
 先制放棄の面でも、議長声明では、凍結にたいしての補償という「段階的プロセス」が出ています。
 では、なぜブッシュ政権の柔軟姿勢が出てきたのでしょうか、この政策転換は戦術的転換なのかそれとも戦賂的変更なのかが問題になりますが、なんと言ってもアメリカにとってイラク情勢の悪化があり、もうひとつアジアで紛争を起こすことは出来ないという状況があります。また、大統領選挙がこの秋に迫っていることです。朝鮮半島で問題解決が進んでいるということをブッシュ政権は示す必要があったわけです。それに、ブッシュ政権内のネオコン勢力は昨年の夏頃から凋落しはじめており、ブッシュ政権主流もそれらと距離をとりはじめていて、影響力は低下は明白になっています。
次回の六者協議は九月に開催予定ですが、今回の形式的な合意は今後の協議の基礎になるし、もしもアメリカ大統領選挙でブッシュが負けて民主党政権になったとしても、これは今後の米朝交渉の基礎になるでしょう。
 六者協議についての北の評価は、韓国、中国、ロシア、そして日本も動き始めたというものではないでしょうか。
 しかし、仮に民主党大統領が実現しても問題があります。それは、民主党大統領では、軍・国防総省がおさえられない。軍にいうことをきかせるには共和党のそれもタカ派の大統領の方がいい面があります。
 つぎに北の核問題には諸側面があるということです。
 まずプルトニウムです。これはアメリカCIAや旧ソ連のKGBも九〇年代はじめに北はすでに核爆弾一〜二個分のプルトニウムを保有していると見ていました。しかしそれがどこにあるのかを見つけだすのは極めて困難です。一〜二個くらいなら政治的に影響力はあってもアメリカにとっては直接の脅威にはなりません。しかし、そのままにしておいたら将来もっと多くを持つようになるからいまのうちに核開発を止めさせなければならない。九四年の米朝の枠組み合意はアメリカそうした判断から来ています。
 アメリカにとって直接の脅威になるのは、核兵器をノドンやテポドンといわれるミサイルに搭載しなければなりませんが、そのためには小型化・弾頭化しなければならず、まだ時間がかかると見られています。
 つぎに高濃縮ウラン問題です。クリントン時代にはプルトニウムだけでこの問題はありませんでした。しかも北のウラン濃縮についても、アメリカは北の高官が言ったというだけできわめて曖昧な証拠しかありません。どのようなレベルなのかもわかりません。
 北が核実験の脅しをかけてきていると一部報道されましたが、北はそれを否定し、@核兵器をこれ以上増やさない、A誇示(実験)しない、B輸出しないと発表しました。アメリカにとって危険なのは、核の移転(輸出)ですからこの声明は重要です。
 ブッシュ政権の内部は対北政策をめぐって深刻な内部対立があります。政策目標を金正日政権の打倒という体制転換におくのか、それとも金正日政権の一部の政策の変更をさせるのかという根本的な違いです。また、手段として外科的な対処すなわち軍事行動でやるのか、それとも外交的孤立・経済制裁をはかるのかという対立があります。そういう大きな意見の違いが、ネオコンといわれる勢力とリアリストとのあいだにあります。
 しかし、軍事行動はできず、孤立化・経済制裁も成果をあげることは出来ず、結局どこかで妥協するしかなくなります。ブッシュ政権は、いまのところ、戦争もできず、交渉もせずという中途半端な無視政策をとっていますが、やがてブッシュもクリントンと同様に妥協に動くことが予想されます。
 いま東アジアではパワーバランスの大きな変化があります。急上昇する中国、没落する日本、統一にむかう朝鮮などです。こうした状況を前にアメリカは東アジアの戦賂態勢の再編を迫られています。アメリカでは中国に対するために、日本、東南アジア、インドを結ぶ、冷戦時代にアチソン国務長官が唱えたのと同じ様な「新アチソンライン」も想定されています。そういう「新冷戦」とも言うべき事態になれば、日本は日米同盟、ミサイル防衛で、アメリカの最前線にたたされる可能性があります。
 
第二講演

 「6・15共同宣言と在日同胞」

       
康宗憲(韓国問題研究所所長)

 今年の六月一五日には、南北関係の進展を象徴するいくつかの行事がありました。仁川・ウリ民族大会とソウルの国際討論会などです。ソウルの国際討論会では、グレッグ元駐韓米国大使が、南北首脳会談、「6・15共同宣言」の意義について次のように発言しました。南北首脳会談と共同宣言は、東アジアにおける三つの大事件のひとつだ。第一番目には一九五四年にベトナムでフランスが大敗北したこと、つぎに一九七二年に当時のニクソン米大統領が中国を訪問したこと、三番目が二〇〇〇年六月の朝鮮南北首脳会談だ、と。
 朝鮮は特別な地政学的位置を占めていたが故に、多くの苦難な歴史を歩むことになりました。一九四三年のアメリカ、中国、イギリスの首脳が署名した「カイロ宣言」は、「前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」と言っています。しかし、そのことは、米ソ冷戦が朝鮮を分断して以降、いまだに実現されていません。
 これまでにも、南北には「7・4共同声明」(一九七二年)、「南北基本合意書」(一九九一年)などがありましたが、「6・15共同宣言」は双方の最高指導者が署名したばかりでなく、まえのものが調印されてすぐに互いの不信感から決裂してしまったのと違って、共同宣言はすでに四年、着実に貴重な成果を積み重ねてきています。この結果は、韓国の四月の総選挙の結果に歴然と表れています。民主労働党、ウリ党はもちろんハンナラ党までもが「太陽政策」を対北政策の基本にしています。そうした政策に反対した自民連は没落しました。
 いま韓国の若い人たちの対北、対米意識は大きく変化してきています。北の脅威を一番感じていないのは韓国ではないでしょうか。そしてもし第二次朝鮮戦争が起こるなら、その根本原因はワシントンにあると考えているのです。また北も変化しつつあります。改革開放政策への変化です。金大中前大統領はイギリスの「フィナンシャル・タイムズ」紙に、北の現状は一九七八〜七九年頃の中国と同じだ、と語っています。ケ小平の「改革開放」政策が始まった頃と同じだということです。ですから、北のそうした政策をサポートすればよいのです。関係諸国は非核化よりも正常化を進めたほうがよいし、またそうした流れが強まっています。小泉再訪朝でもピョンヤン宣言の意義が確認されています。
 アメリカも在韓米軍の削減を発表しましたが、このことはアメリカが朝鮮半島での戦争勃発を考えていないということではないでしょうか。また南北関係も緊張緩和・軍縮へ向かっています。
 ですから韓国政府は、在韓米軍の削減に対応した軍事力強化が必要だなどと不安になることはないのです。また、国家保安法も和解・協力の時代に相応しく変えていく必要があります。
 次に在日同胞社会の変化についてです。先ほど仁川でのウリ民族大会の報告がありましたが、民団や総連などという組織の枠を超えた交流や祖国・故郷訪問の活性化がありました。こうしたことは6・15宣言によるものでしょう。なぜ6・15宣言が実現できたのでしょうか。それは相互尊重の精神でした。
 同胞社会では日本への帰化、世代交代などで在日同胞は減少していると言われていますが、私はそうは考えません。在日同胞の意識には民族意識、北と南の国家に属するという国民意識、また日本に住んでいるという市民意識があります。また、ニューカマーと呼ばれる新しく日本に来る人もいます。いずれにしても朝鮮半島をルーツにしている人びとが同胞なのです。
 拉致問題を契機に、石原都知事をはじめ政治家の妄言やマスコミのキャンペーンが広がっています。歴史歪曲が深刻化していますが、日本の対朝鮮観は昔からあまり変わっていません。戦後のもっとも影響力を持った政治家であった吉田茂は、まだ日本がアメリカの占領下にあった時代にマッカーサーにあてた手紙で、次のように言っています。
 日本にいるたくさんの在日朝鮮人の処遇については早急に解決をはからなければならない。彼らは総数百万に近く、その約半数は不法入国であり、早期の帰国を願う。その理由は、第一に、日本の食糧輸入の一部を在日朝鮮人を養うために使用していることは我慢できない。第二には、大多数の朝鮮人は日本の経済復興にまったく貢献していない。第三に犯罪分子が大きな割合を占めているが、彼らは日本の経済法令に常習的違反しており、多くが共産主義者とそのシンパである。原則として全員を日本国の費用で本国に送還すべきである。残留を希望する朝鮮人は日本政府の許可を受けなければならない。しかも日本の経済復興に貢献する能力を有すると思われる者だ、と。
 これが吉田氏の朝鮮人観です。それ以降、何十年も続く、日本の政治家たちの朝鮮人観はこの延長線上にあるのです。
 残念なことに日本のマスコミでは石原慎太郎などの発言に対して、事実報道だけでかつてのように社説などで批判したり糾弾することがありません。植民地支配について触れることに躊躇してしまう雰囲気があります。建国義勇軍と名乗る団体が去年の後半、朝鮮総連の事務所などに火をつけたり銃弾を送りつけたりのテロ行為を行いました。その建国義勇軍の別名が朝鮮征伐隊というのです。こういう歴史観が若い世代に広がっていますが、とくにひどいのが政界・国会議員です。
 最後に私の子どもの通っている京都韓国学園の話をします。京都韓国学園は、京都「国際」学園と名称を変更しました。助成金のためで、これは平成版「創氏改名」とも言うべきものです。しかし地理の授業には感心させられました。朝鮮半島の北半分の名前は何かという問題がでました。かつては「北韓」などと呼んでいました。「朝鮮民主主義人民共和国」。これが正解なのです。「6・15共同宣言」でここまで来ているということです。
 私はいま「統一コリア」のイメージをもっています。それには六者会談が五者会談になるということもあります。北と南がひとつになって関係諸国と話あうというイメージです。

 第二部では、黄英治局長のコーディネートで、李鍾元教授、康宗憲所長が参加者からの質問に答えた。


防衛庁行動

    
辺野古ボーリング調査をやめろ!

 沖縄・辺野古の闘いに連帯して、六月二八日夕刻、防衛庁正門前で申しいれ行動が行われた。
 呼びかけたのは「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」で、この毎週月曜に行われる防衛庁行動はこの日で三回目。
 防衛庁門前での集会では、許すな!憲法改悪・市民連絡会、新しい反安保実行委員会、日韓民衆連帯全国ネット、駿台文学界などが挨拶し、二六日の集会決議が防衛庁係官の前で読み上げられ、手渡された。
 この日も警察の妨害は執拗で、参加者を門前の狭いエリアに押し込めようとして、参加者と幾度ももみあった。


WPNが記者会見  候補者アンケートについて

 六月二九日、衆院第二議員会館で、WORLD PEACE NOW実行委員会による「自衛隊イラク派遣問題の候補者アンケート発表と7・4 VOTE for PEACE行動の説明のための記者会見」が行われた。
 はじめに司会の国富建治さんが、今回参院選は年金とイラク派兵を焦点としているが、そのなかで候補者が平和のためのどのような意見表明をするのかが問われており、アンケート調査を行ったことなどについて発言した。
 つづいて高田健さんが報告。
 アンケートは参院選立候補者予定者に、「いま自衛隊はイラク派遣されていますが、これについてあなたはどう思われますか。次のいずれかの番号をマルで囲んで下さい。@すみやかに撤退すべきだ、A現時点では撤退すべきではない」というもので、アンケートの回収率は五六・六%だった。このようなものとしては普通三〜四割なので大いに反響があったと思う。このことはほとんどの候補者もこの問題を争点と考えていることをあらわしている。結果は、自民党の一〇人、公明党の七人、無所属の二人が「撤退すべきでない」、共産党の六七人、民主党の四〇人、社民党の一五人、みどりの会議の六人、無所属の九人が「すみやかに撤退」というものだ。答えたのは候補者の全員ではないがおおよその傾向はわかると思う。
 イラクでは主権委譲が行われたと言われているが、戦闘状況は変わっていない。小泉首相は自衛隊の多国籍軍参加を言っているが、とんでもないことだ。
 七月四日には「多国籍軍参加は違憲・違法だ! VOTE for PEACE 7・4 渋谷 平和のための投票で自衛隊のイラクからの撤退を」という集会で、平和のための投票をよびかけていきたい。


KODAMA

    純朴な地学少年の育成を願う          
小山 富士夫

 ここ数年、やたらに○○自然教室、アウトドアー志向などといった野外趣向の風潮が巷に満ち溢れている。これはこれで大変結構なことであるが、全般的な傾向をみると、型にはまった、お仕着せの感じがしないでもない。
 これは「自然回帰」、「自然志向」などと言って森林浴や里山ウオーキングなどを奨励していることと無縁なことではない。勿論、森林浴や里山ウオーキングそれ自体は良いことで、健康促進、ストレス解放のために絶好の方法であることには間違いない。しかし、地球規模でものを考えると熱帯雨林の人為的大規模破壊や森林の砂漠化、CO2による地球温暖化、原発による重大な放射能汚染の危険の増大などの問題が汎世界的に進行している。このような地球規模の深刻な事態とは裏腹に「自然との共生」が叫ばれており、この相反する事態のギャップには愕然とする。
 巷では次に示すような『不自然』で異常ともいえる事態が生じている。
 @「自然」の商品化、私物化そしてペット化
 カブトムシ、クワガタが都会の林や里山から姿を消し、デパートの売場に『商品』として売られている。オオクワガタの大きなものは、数十万円で取引されるという。昆虫を商品として扱う(資本主義そのもの!)。
 昆虫業者はいいけれど、子供がかけがえのない命として昆虫をみない、金を出せばもの(昆虫)が買えると思ってなんの疑問も持たなくなる。これは忌々しき問題である。最近は希少動物がペットとして売られている。世に爬虫類オタクが横行している。

 A外は野外、内は家電製品。
 キャンプ・バーベキューセットを車に積込み、河原や森林で『野外』を楽しむ。このこと自体は健康的で素晴らしいことであるが、家での生活に必要なもの(家電製品)を持っていくため、発電機があれば野外で困ることはまずない。  野外での遊びは、いろいろと不自由を体験したり、不自由それ自体を楽しむ事だと思うが、最近の事情はそうではないらしい。

 どうやら人は「自然」のなかで遊ぶということを勘違いしているようである。自然の商品化に毒されているようにもみえる。一方、中高生の理科系離れが深刻な問題となり、高校で地学を教える学校が少なくなり、大学の地質学教室も地球物理系に吸収されてしまい、野外地質学を専攻した学生が社会に出る人数が激減した。
 私が関係している地質業界では、若年技術者の養成について深刻な問題に直面している。

 ● 少年時代の感動を大切に
 かつて、人は少年期に自然界の動植物や化石などと出会い、感動して育ってきた。この場合、それらを美しいもの、命をもった生命体、地球の驚くべき神秘の世界として認識し、決して「商品」などとはみていない。
遊び道具は店で買わなくとも、外に普通にあるものをみんなで工夫して遊んでいた。友達との遊びのなかで、色々なことを知り、驚き、仲間との連帯感を自らの心で感じ取った。生活は貧しくとも「心」は豊かであった。しかし、現代は石や化石に興味を持った子供は、親に「そんなこと興味を持っても受験に関係ないから止めな」とあっさり言われる。これは子供の自発性、自立性、創造力を奪う許しがたい行為である。

 ● 純朴少年の育成を願う
 最近、ある自然系の博物館で遭遇したことがある。それは標本棚に並べられた見事な鉱物や化石の標本に目を輝かせ、しばらくその場所から離れなかった少年がいた。ずっとその場に立ち尽していた。その目は澄み切って爛々と輝いていた。
 標本そのものに素直に感動していたのである。なによりも替えがたく大事なのは、この少年の感激した心、思いである。間違っても標本を「商品」としてなんか見ていない。世の中で貴重で大切なものは数多くあるが、もっとも貴重で素晴らしいのは「もの」ではなく、ひとの「思い」や「こころ」の中身である。
 私はその少年がいつまでも今日の感動を忘れずに居て欲しいと願わずにはいられなかった。大人になっても、「自然のなかで遊ぶ」、「自然を愛しむ」、「自然に対して畏敬の心を」という精神が自らの生き方の中核になって、鮮烈で素晴らしい人生を過ごして欲しいという願いである。ただ願うのではなく、こうした
 純朴少年の育成には、私自身に果たすべき役割と責任があるとも思うのである。


複眼単眼

    
「改憲派」の攻撃の裏に潜む危険な「憲法思想」

 憲法改悪を狙って策動する改憲派のターゲットが第9条であることは言うまでもない。
 しかし、この改憲攻撃を支える思想がまた、大変危険なものなのだ。それは「憲法とは何か」「憲法とはいったい誰が守るものか」という問題に関わる憲法思想の改悪、変質の問題だ。日本国憲法第九十七条、九十八条、九十九条の規定にみられる憲法思想は、憲法は「権力の暴走をチェックするための権力制限規範」だという思想だ。いわば主権者たる「国民」が権力を委託した国家に対し、権力の行使を抑制し、人々の権利や自由を最大限に保障するという「立憲主義」の思想であり、立憲主義の思想に基づく「憲法は国民が守るものではなく、主権者である国民が、権力を信託した国家に守らせるもの」という思想だ。とりわけ個人の自由・権利の保障を目的とし、そのために権力の抑制を図るという近代立憲主義の思想は、人類の歴史的英知の産物なのだ。繰り返すが「憲法は国民に対する命令ではなく、公務員に対する命令である」という思想だ。
 いまこの「憲法思想」への攻撃が「新しい装い」のもとで行われている。
 自民党憲法改正PTは六月に論点整理をまとめ、その中で以下のように言っている。
 「これまではともすれば、憲法とは『国家権力を制限するために国民が突きつけた規範である』ということのみを強調する論調が目立っていたように思われるが、今後、憲法改正するにあたっては、そのような権力制限規範にとどまるものではなく、『国民の利益ひいては国益をまもり、増進させるため公私の役割分担を定め、国家と国民とが協力しあいながら共生社会をつくることを定めたルール』としての側面ももつものであることをアピールしていくことが重要である」と。自民党はこのように「憲法は国民が守るもの」という復古主義的な憲法思想をそっと導入しながら、たとえば「国防の義務」等を憲法に書き込もうとしている。
 ところが、こうした憲法思想のねじ曲げが、実は民主党に依っても主張されている。自民党との違いは、その復古主義的な憲法思想を賢明に「新しい憲法思想」であるかのように装うことだ。
 やはり六月に出された民主党の「創憲に向けて、憲法提言 中間報告」でも以下のようにいう。
 「もともと憲法(コンスティチューション)は国家権力の恣意や一方的な暴力を抑制することに意味があった。あるいは国家権力からの自由を確保することにあった。これは言わば『…するべからず』というものであるが、これに対して今日求められているものは、こうした『…べからず集』としての憲法に加えて、新しい人権、新しい国の姿を国民の規範として指し示すメッセージとしての意味を有するものである。時代は今、禁止・抑制・解放のための最高ルールとしての憲法から、希望・実現・創造のための新たなタイプの憲法の形成を強く求めている」と。
 つまりは民主党も「憲法は国民の規範」でもあるという憲法思想を導入しようと言うのだ。これが自民党改憲派の後追いでなくて何だろうか。
 いま、憲法思想と関連する最大の問題は九条の「解釈改憲」に見られるように権力が憲法を無視して、暴走していることであり、この立憲主義に反する行為と非妥協的に闘うことだ。それを容認して、憲法を現実に合わせようなどという改憲論と闘うことだ。 (K)