人民新報 ・ 第1139 号<統合232> (2004年8月5日)
  
                  目次

● 「九条改憲許すな」の旗印を高く掲げて、改憲勢力の企てをうち破ろう

● 九条の会発足記念講演集会 

    「九条の会」発足記念講演会  発言要旨 <上>

     井上ひさしさん / 三木睦子さん / 大江健三郎さん / 奥平康弘さん / 小田実さん

● 日の丸・君が代処分、強制研修に抗議

● 東京ピースサイクル2004報告

      全国ルート・東京コース / 練馬ピースサイクル

● 講演会「イラク市民と語る〜私たちにできること」  高遠菜穂子さん、今井紀明さんらが発言

● 「最低賃金」では生きられない

● 辺野古沖の新基地建設ボーリング調査に反対座り込み100日目  連帯して防衛庁への抗議行動

KODAMA  /  おめでとう、まさみさん!

● 複眼単眼  /  さあ、ナベツネの横暴に抗して伝家の宝刀を抜け!



「九条改憲許すな」の旗印を高く掲げて

               改憲勢力の企てをうち破ろう


 この夏、各種の「憲法改正」論議が噴き出している。 例年、日本の政治家や財界人は夏になると訪米をしたり、合宿をしたりするが、今年はその中でとりわけ改憲論がかまびすしい。
 五月末に「国の基本問題検討委員会」を発足させた日本経団連は、七月下旬の「東富士夏期フォーラム」を開催、積極的に憲法「改正」論議を行った。フォーラムでは一部に疑問は出たが、年末か来年初めには論点整理とりまとめをする予定でいる。
 一方、七月二一日、訪米中の中川秀直自民党国体委員長と会談したアーミテージ米国防副長官から「憲法九条は日米同盟関係の妨げとなっている」などという発言もとびだした。この発言は中川が頼んで引き出した発言だ。中川はこれに先立つ十九日、ハドソン研究所で「米中枢同時テロ以降の日本の新たな防衛計画と改憲」と題して講演し、九条改憲案を公表、「『他国への侵略』を否定したうえで、『軍事力や集団的自衛権の保有』を明確に示せることになる」とのべ、各党が来年までに改憲案を示すが、その際「自民、民主の大連立」もありうるなどと述べた。
 山崎拓・前自民党副総裁も七月六日、米戦略研究所(CSIS)で講演し、「次期総選挙では改憲問題が各党の最大の争点になる」とした。
 一方、七月二七日には民主党の岡田代表が米国で「自民党は来年、(改憲案を)出すと言っている。われわれも来年中にはまとめたい」と発言した。そして二九日にはワシントンで「憲法改正をして、国連安保理の明確な決議がある場合には日本の海外における武力行使を可能にし、世界の平和維持に日本も積極的に貢献すべきだ」などと発言した。
 この発言には民主党内から、さまざまな疑問と反発が出ている。
 参院選で事実上、敗北した自民党は米国などの援護射撃を受けながら、憲法問題で党内に矛盾がある民主党を揺さぶろうとしている。事実、民主党の中では若手議員の勉強会「リベラルの会」が近藤昭一、生方幸夫衆院議員ら十七人の国会議員の呼びかけで動き始めている。岡田代表ら民主党執行部はいまのところ、改憲案の作成のテンポを早めつつ、次期総選挙での政権奪回にむけて、大連立の呼びかけなどは無視している。
 参院選前の六月には自民党憲法調査会憲法改正プロジェクトチームが「憲法改正プロジェクトチーム『論点整理』」をだしたし、民主党憲法調査会は「創憲に向けて、憲法提言中間報告〜『法の支配』を確立し、国民の手に憲法を取り戻すために」を発表した。
 それぞれに党派的な思惑を秘めつつも、こうして改憲の合唱の声が大きくなっている。
 これに立ち向かい、勝利するためには、先に立ち上がった『九条の会』の主張に見られるような、九条改憲阻止の一点で団結する広範な統一戦線の形成が必要だ。
 これは私たちが繰り返し指摘してきたように世論の多数派としての運動の形成に道をひらくものであり、また現在の自民、公明、民主それぞれの改憲派内の矛盾を鋭く突くものとなる。
 だからこそ今必要な運動スローガンは「憲法改悪阻止の一点での団結」ではなく、「九条改憲を許さない」の一点での共同なのだ。
 各種選挙が集中する二〇〇七年はその節目とならざるを得ない。私たちは準備を急がなくてはならない。


九条の会発足記念講演集会 

 七月二四日、東京で「九条の会発足記念講演会 憲法九条、今こそ旬(しゅん)」が開かれ、一〇〇〇人が参加した。事前予約制であったため会場前にはキャンセル待ちの人も並ぶほどだった。
 九条の会は、井上ひさし、梅原猛、三木睦子、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔の九人のよびかけで発足した(六月一〇日)。九条の会アピールは「日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力をいますぐ始めることを訴え」ている。
 講演会では、九人の呼びかけ人のうち梅原猛さんを除く、八人が登壇して発言した(発言要旨・三面)。
 最後に、事務局から、九条の会の当面の活動が提案された。それは、@各地・各分野で「アピール」に賛同する会をつくる。A九条の会発足記念講演会のビデオ・ブックレット、九条の会ポスターを活用して、改憲反対の運動を全国に広げる。B各地で大小様々な講演会や学習会を開く、の三項目だった。
 講演会は、京都、大阪、福岡、仙台、札幌、沖縄などで予定されている。
 「九条の会」のウェブサイトも立ち上げられ、今後は、日本語版だけでなく、中国語・韓国語・英語・フランス語版もつくり、世界にも活動状況を発信していくと報告された。

「九条の会」事務局
 〒101―0065 東京都千代田区西神田二の五の七神田中央ビル303 電話 03(3221)5075 ファックス 03(3221)5076
「九条の会」ホームページ
 http://www.9-jo.jp/



「九条の会」発足記念講演会 憲法九条、いまこそ旬(しゅん)

                          
 発言要旨 <上>

 七月二四日に開かれた「九条の会」発足記念講演会では、九人の呼びかけ人のうち哲学者の梅原猛さんを除く、作家の井上ひさしさん、平和運動家の三木睦子さんの二氏があいさつ、作家の大江健三郎さん、憲法学者の奥平康弘さん、作家の小田実さん、評論家の加藤周一さん、作家の澤地久枝さん、評論家の鶴見俊輔さんの六氏が講演を行った。
今号には、井上ひさしさん、三木睦子さん、大江健三郎さん、奥平康弘さん、小田実さんの発言要旨を掲載する。
加藤周一さん、澤地久枝さん、鶴見俊輔さんの発言は次号。(文責・編集部)


井上ひさしさんのあいさつ

 私は仙台一高の出身だが先輩に政治学者の吉野作造氏がいる。吉野氏は憲法について次のように言っていた。憲法とは主権者である国民が、時の権力である政府に対して発する命令であり、政府が国民に命令するものが法律だ。憲法と法律では常に憲法が優越する。法律が憲法に準じているかを見ているのが最高裁判所である、と。
 国民の政府に対する命令である憲法の中心となるのが九条である。憲法九条は、アメリカの押し付けではない。一九二八年のパリ不戦条約そのままだ。この九条を最後に何人になろうとも守るつもりだ。

三木睦子さんのあいさつ

 かつて、夫(三木武夫元首相)に「あなたはなぜ自民党などにいるの」と尋ねたら、「僕がたじろいでよその党にいったら憲法九条は守られなくなるんだよ」という答が返ってきた。いま思うと、たった一人だとしても、三木武夫が生きていたほうがもっと人びとが九条に関心を持ってくれるのではないかと思った。彼は死んでしまったから、私が彼を引き継いで大きな声でわめきちらさなければだめだと考えて、九条の会をよびかけ人となった。
 いま、終戦間近か戦後生まれの戦争の苦労を知らない政治家たちが政治の方向を決めている。彼らは、戦争をしないと言いながら自衛隊に武器を持たせてイラクに行かせているが、自衛隊は水害や震災などのなど災害から国民を守るために働くべきだ。若い政治家たちは戦争をさせたいのではないか。九条を守るために大勢のみなさんに賛同していただきたい。

大江健三郎さんの講演

 九条の会は憲法こそ大事だと訴えているが、それとは逆の声が新聞に連日載っている。最近、日本経団連は武器輸出三原則と宇宙の平和利用原則の見直しを求めた提言を打ち出した。これは防衛費予算削減に危機感を抱いたからだ。アメリカの米国務副長官アーミテージが自民党国対委員長中川秀直らに対して、憲法九条は日米同盟の妨げになっていると発言したが、中川たちは、憲法を守るためにアーミテージに反論するのではなくそれに同意して帰ってきた。次の国会の焦点はアメリカと財界の要求に政治家たちがどう対処するかということだ。
 私の一二歳のとき、憲法が施行され教育基本法ができたが、私はそれらに大きな感銘を受けた。
 憲法と教育基本法の両方に「希求する」という言葉がある。あらゆるテキストには文体というものがある。どういう時、どういう気持ちで、どういう読み手に向けて書いたのかを示すものが文体だ。憲法を書いた個人については知らないけれど、どういう時に書かれたかについては誰もが知っている。明治以降の近代化の趨勢の中で日本が入り込んでしまった戦争とその惨禍という歴史的な「窮境」のなかから、新しい国家の民主主義と平和主義の秩序をつくり上げることを願っていたのが戦後の国民感情であった。そういう気持ちが憲法の書き手にもあり、それが「希求する」という言葉となっている。
 また、文体からは戦争で多くの死を経験した者の倫理観がにじみでている。哲学者のハイデガーは言っている。「人間は身近な死を受けとめたとき、倫理的なものと正面から向き合うものだ」と。
 昨年の八月、広島の「原爆の子の像」に捧げられていた一数万羽の折り鶴が燃やされた。燃やされた折り鶴は、原爆症の女の子が回復を願って鶴を折り続けたという話を受け、世界中から寄せられたものだった。それは思想的な背景によるものではなく、学生が「気分を盛り上げる」ためにやったものだった。こうした状況からヒロシマの風化が言われている。だが人びとが心の中で、「鶴を折って死んだ少女、鶴を折ろうとする少女を思い起こすならば、その瞬間に広島は風化からよみがえる。

奥平康弘さんの講演

 現在、さまざまな改憲が言われているが、憲法「改正」の中核に九条の問題がある。向こう方は、九条に限定せずに改憲論を出したり、ひっこめたりしている。だが、九条「改正」が最大の目標で、その他のものを付着物としていろいろ画策しているのだ。
 これに対して、われわれにとっての九条の果たすべき役割を再確認すべきだ。
 憲法の平和主義、国民主権、基本的人権尊重などの思想は、相互にリンクしながら統一したシステムをつくっている。平和は主義は、単に政治的な綱領やプログラムとして掲げられのではない、制度化した形で打ち出されているところに特徴があるのだ。
 戦後ずっと、われわれは、憲法とその制度を生かし続けてきた。九条は日本に住む人びとを統合する象徴としてあった。
 九〇年代に入って、一部の知識人の間に憲法を冷笑する風潮が出てきた。九条は占領軍に押しつけられたものだから、そんなものを持ち出さずに素手でやればいい、などというものだ。
 しかし、憲法という政治規範は政治的正当化を図るために最も説得力を持っている。憲法は平和を守るだけでなく、積極的に平和をつくり出していく攻める道具であるのだ。

小田実さんの講演

 かつて「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行ったが、それを歌っていた世代が「戦争を知らない大人たち」になり、いま政治をやっているのはそうした世代だ。
 (小田さんは自らが体験した大阪空襲の写真を示しながら)、これは、一九四五年六月の大阪空襲の写真だ。私はその中にいた。しかし、当時のアメリカの新聞を調べてみたとき、アメリカ人がなにも感じていないことがわかった。沖縄の玉砕の時もアメリカはまったくの平時だった。
 一方で、幼かった私も日本の飛行機が中国の重慶を爆撃したニュース映画を何気なしに見ていた。多分、アメリカの子どもたちも日本の空襲の模様を何の気持ちもなく見ていただろう。日本がアジアで展開した、殺しつくし、焼きつくし、奪いつくすという歴史全部がわれわれに戻ってきた。
 そうした歴史から、戦争はどんなことがあってもしてはいけないという気持ちになり、それが九条となった。日本のも民主主義には特徴がある。それは民主主義と平和主義が結合し車の両輪となっていることだ。アメリカなどの民主主義は平和主義と一体となってはいない。
 憲法にアメリカ人の手が入っていることは事実だが、そのアメリカ人はアメリカ人として書いてはいない。数千万人も殺し合ったというこの戦争を終わらせたい、繰り返させたくないという気持ちからだった。日本各地に大空襲が続いたが、低空から焼夷弾を落としたアメリカ爆撃機の搭乗員たちは、死体が焼かれる匂いを嗅いでいたが、彼らももう戦争はやめよう、これを最後の戦争にしようと考えるようになっていた。日本人だけでなく、アメリカ人も、平和を祈る世界の多くの人の気持ち九条をうみだしたのだ。ベトナム反戦運動の中で出会ったアメリカ軍の脱走兵士たちは、すばらしい憲法のある日本で暮らしたいと言っていた。国連には世界人権宣言がある。憲法は世界平和宣言だ。がたがたになった日本を憲法九条を中心にしてつくり直していきたい。


日の丸・君が代処分、強制研修に抗議

 東京都教育委員会は、今春の卒業式や入学式で「君が代」を起立斉唱しなかったり、ピアノ伴奏を拒否したなどを理由に処分した教員に対する転向強要研修(「服務事故再発防止研修」)を強行した。
 研修は、処分した約二四〇人を八月二日と九日のそれぞれ午前と午後に分けて実施される。
 八月二日は朝から、会場の都総合技術教育センター前では、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」を始め、労働組合、市民が集まって、街頭情宣や抗議のシュプレヒコールをあげた。
会場前では、弁護団が研修センターへ申し入れを行う。押し問答がつづいた。センター側は、都教委に言われて研修をするだけだなどと無責任な回答に終始した。
午前と午後の研修には、処分を受けた教員たちが、あつまった人びとの激励を受けながら会場に入って行った。
 研修には、処分を受けた教員のいる学校の校長も同席させるというものだった。
 しかし、研修の内容は、形式的に服務命令を守れというおざなりのもので、当初一時間半と予告されていた「講演」は一時間ほどで終了し、講師は質問も受け付けずに逃げるように会場から出て行った、そして講義を聴いたという確認だけのレポートを提出させられただけのものだった、という。
 都高教(東京都高等学校教職員組合)は、声明「『日の丸・君が代』強制反対 都教委の『再発防止研修』強行に抗議する」で、「この『研修』の要綱によれば、教職員が行った自己の『非行に対する反省を促す』都あります。しかし、今回の対処者は『日の丸・君が代』にかかわる問題で都教委に不当にも『処分』された教職員です」と述べ、都教委が、思想・良心の自由にかかわる問題を「非行」として処分しようとしていることを批判して、研修中止を求めている。
 今回の研修は、教育への不当な介入支配そのものである、断じて許されないものだ。学校行事での日の丸・君が代強制を定めた都教委の「実施指針」と教職員への処分の撤回、研修の取りやめを求めて闘いを強めていこう。


東京ピースサイクル2004報告

 東京ピースサイクルは、七月一八日、一九日、の二日間の日程で行われ、延べ四〇人が参加した。
 三五℃を越える猛暑が続き、アスファルト上では四〇℃は、あるのではないかと思うほど、下からの照り返しが肌に突き刺す厳しい実走となった。
 一八日は、千葉ネットから引き継ぐコースと練馬ピースサイクルの二つのコースに分かれ江東区にある潮見教会を目指した。
 
全国ルート・東京コース

 このコースは、千葉県松戸市と接する新葛飾橋で松戸市議会議員の吉野さんを中心に取り組まれた千葉ピースサイクルの報告を受けて出発した。最初に立ち寄った東部労組では、熱烈な歓迎を受けた。小泉構造改革は、労働者国民に全面的に「痛み」を押し付けている。リストラの名の下、労働者にしわ寄せがきており、多国籍軍参加など戦争のできる国家に突き進んでいる。市民運動と労働組合運動がスクラムを組み小泉政権を打倒しようと「団結がんばろう」で確認し、激励を受けた。その後、京成青砥駅でリレートークを行い、戦争反対、自衛隊のイラク撤退、九条改憲反対を訴えた。
 続いて、朝鮮学校の廃校問題が起こっている江東区枝川に向かった。昨年一二月、東京都は枝川にある朝鮮初級学校の土地明け渡しを求める裁判を起こした。裁判で都の主張が認められてしまえば、半世紀以上の歴史がある民族教育を続けることが出来なくなってしまう。一九四一年、当時の東京市は埋め立てたぱかりの枝川地区に朝鮮人一〇〇〇名を強制移住させた。劣悪な環境の中で住民たちは、助け合って生活をしてきた。そして、父母、祖父母の言葉、文化を伝える民族教育の場として学校が作られ今日まで維持されてきた。
 見学した校舎は古く、体育館もブールもなく冷房もない中、民族教育を受けようと学校に通っている子供達から学校まで奪ってもよいのか。なりふりかまわず、差別的な対応を行う石原都政に怒りを覚えた。見学を終え、潮見教会まで走り、練馬ピースサイクルと合流し交流会を行った。
 翌一九日はビキニの水爆実験で被爆した第五福竜丸展宗館で出発式を行った。管理責任者の安田さんからビキニ水爆実験被災から五〇周年であること、核廃絶にむけてピースサイクルも頑張ってほしいと激励を受けた。第五福竜丸から出発し、有楽町マリオン前でピースメッセージと広島、長崎に平和の折り鶴を折ってもらうよう呼びかける街頭宣伝を行った。炎天下の中、なかなか立ち止まる人はいなかったが、待ち合わせの女性がピースメッセージと折り鶴を折ってくれた。その後、海岸通りを走り大田区蒲田にある生活センターへと向かった。そこで、羽田空港を監視する会主催で羽田空港の拡張問題について学習会が行われていて参加し終了後、交流をした。
 二〇日は、神奈川県川崎市の中原平和館でピースサイクル神奈川ネットの出発式に参加した。三月から六月に取り組まれたスプリングピースサイクルで大分ネットから託された憲法改悪反対、教育基本法改悪反対の横断幕と汗と平和への想いがいっぱいつまった、たすきを神奈川ネットの責任者に渡し、無事に引き継いだ。
 多くの反対の声を無視して小泉政権は有事法制関連七法案三条約協定を成立させ、戦争への準備が着々と進められている。そして、国会での論議もすることなく、憲法に抵触する自衛隊の「多国籍軍」への参加を独断で決定した。しかし、米・英では「イラク戦争」を強行した両国の調査委員会から「イラク戦争の大義」が全面的に否定されたのである。まさに小泉内閣は「イラク戦争」を日米同盟の強化、自衛隊のイラク派兵、日本の政治の反動化に利用したのである。今後、予想される九条改憲、集団的目衛権の行使、教育基本法の改悪を全力で闘い阻止しなけれぱならない。
 今回、ピースサイクルを終えて、多くの方の戦争反対の想いを受け止め、ピースサイクルを通じて全国に発信したい。戦争の悲惨さ、愚かさを。そして、日本が二度と同じ過ちを燥り返さないよう、04ピースサイクルはヒロシマ、ナガサキ、六ヶ所村を目指して平和を創るために全力で成功させよう!(04東京ピースサイクル参加者)

練馬ピースサイクル

 全国ルートにつなぐため、七月十八日、今年も「練馬からピースサイクル」は出発した。今年の練馬のテーマは、「日本の戦争観を考える」で、コースも様々な資料館や展示館を回るように設定した。
 朝の九時半、練馬区役所を出発した一行は、一時間もかからずに新宿副都心に到着。立ち寄ったのは、住友ビル内にある平和祈念展示資料館。ここは、シベリア抑留者と期間が短く軍人恩給を支給されない元軍人・軍属の人々の「労苦をねぎらう」ことを目的の中心にした資料館で、漫画家の水木しげるさんがポスターなどのイラストを書いている。
 次は、靖国神社の遊就館。ここは日本の戦争を支える施設。遊就館自体は新しく建替えられ、天皇と戦争を賛美する超ハードなイデオロギー丸出しの施設だ。展示は歴史的な構成となっており、神武天皇から始まり、明治維新の頃から「アジアに迫りくる欧米列強」というタイトルに見られるように俄然力が入ってくる。
 日本軍がそれぞれの戦争、その中の個別戦闘においていかに勇敢に戦ったかを、力説する展示だ。そこには、戦争で苦しんだ民衆の姿(アジアおよび日本)はいっさい出てこない。極めつけは、「靖国の神々」という名で、提供された「英霊」の写真をブロマイド風に展示。索引帳があって、どこの誰が何番の写真かわかるようになっている。この靖国神社と資料館を訪れる人の多さには驚かされるが、戦争を支える側のイデオロギーがどのようにつくられているか、一度は見てみるべきだろう。
 次に向ったのは、江東区にある東京大空襲の戦災資料センター。ここは作家の早乙女勝元さんが館長をつとめる、平和運動の側でつくった資料館。一昨年にオープンしたばかりだ。展示は、上記二つと比べるとどうしても貧弱に見えるが、民衆的な視点は好感が持てる。
 練馬から出発したピースサイクルは、夕方には無事、潮見教会に到着。東部や南部の仲間と交流し、お互いにその日の行動を確認しあった。練馬からの参加者は十人で、自転車七台と宣伝カー一台。
 今回、三つの資料館を巡ったが、靖国は論外として、アジアの民衆に対する加害の問題を対象化した施設がないことは、やはり戦後平和運動の限界かなと思う。 (練馬通信員)


講演会「イラク市民と語る〜私たちにできること」

           高遠菜穂子さん、今井紀明さんらが発言


 イラクのファルージャ(バグダッドの西約六〇`b)で、四月七日に高遠菜穂子さん、郡山総一郎さん、今井紀明さんが武装グループによって拘束され(一五日解放)、一四日には安田純平さんと渡辺修孝さんが拘束された(一七日解放)。
 二〇〇三年三月にアメリカ・ブッシュによるイラク侵略戦争は開始された。二〇〇三年四月二八日夜、小学校前に集まったデモ隊にアメリカ軍が発砲し、子どもを含む一四人が死亡、四〇人ほどが負傷した。これ以降、米軍は住民に対する攻撃を強め、緊張が高まり、三〇日にはまたもデモ隊に発砲し三名が殺された。翌年の二〇〇四年三月三一日には、米軍の食糧輸送の警備会社のアメリカ四人が殺されたことにたいして、米軍は四月五日からファルージャ掃討作戦を始め、多くの死者が出た(約二カ月で七〇〇人以上とも言われる)。 「人質」問題では、首相官邸筋が操作した「自己責任論」バッシングが横行し、「人質」と家族、市民運動を攻撃したが、高遠さんたち「人質」は、日本での連日にわたる自衛隊撤退を求める闘いと国際的なネットワークによって、かれらは日本政府・自衛隊とは違い、イラク人の友人であることが現地に伝わり解放がかち取られた。
 
 七月二二日、なかのZEROホールで「イラク市民と語る〜私たちにできること」が開かれ一三〇〇人が参加した。
 つどいでは、今井紀明さん、高遠菜穂子さん、ジャーナリストの田保寿一さん、イラク人自身によるイラク再建をめざし、バグダッドで「ストリートチルドレンセンター」樹立をめざして活動しているイフサン・アリ・スレイマンさん(イラク北部クルド出身)が発言した。
 はじめに今井さんが開会のあいさつ。
 「自己責任」論バッシングのなかで、一部の週刊誌などが、自分を過激派のメンバーだとか家族のことやらを攻撃していたが、それはまったくの事実誤認であったが、これは反戦などを主張する左翼は異質なものとして排除するやり方だ、それを一部のマスコミはいっそう助長させたことは非常に危険なことだ。いったいこの国はどこへ行ってしまうのだろう。
 田保寿一さんが、事件が起こった前後のファルージャの情勢を写真を映しながら説明し、米軍のイラク人に対する横暴ぶり、無差別の発砲、そしてそれが米兵の恐怖感からもきていることを暴露した。
 つづいて高遠菜穂子さんが登壇し、「私のイラク・ノート」と題して話した。
 いろいろご心配かけ、また私たちの解放のため絶大なるお力を出していただいたことに心から感謝申し上げます。
 最初にイラクでいちばん最初に訪ねたところがファルージャ総合病院でした。私が二〇〇三年に最初にイラクに入ったとき、私はジャーナリストではないので、そこで人びとの喜怒哀楽を自分の身体で受け止めることしかできません。薬の調査とともにノートに書いてきましたのでそれを簡単に紹介します。あるイラクの青年から、ファルージャでこんなに人が殺されているのになぜ報道陣が取材にこないのかと訴えられました。ジャーナリストに聞くと、大変なことになってると言いました。そこでファルージャに駆けつけるとそこは聞いた以上に悲惨な状況でした。
 早速、病院に行ってみました。ファルージャでは医薬品も足りません。驚愕するような状況でした。ベッドに寝かされていてもほとんどなんの手当もされず、添木には段ボールが使われていました。
 そこで私が活動できるようになったのは、そこの人たちが非常に親日的だったということです。ファルージャ周辺はいわゆるスンニー・トライアングルと呼ばれる地域で、非常に反米感情の強い怖いところだと思われていますけれど。非常に素朴なおおらかな人たちでした。
 いまでも、イラクからメールが届いています。それには自分たちの手でイラク再建の活動を始めたことなどが書かれていて、たいへん嬉しかった。しかし、最近のメールには、米軍によって息子を殺され、家屋を接収され、自宅の庭に埋葬したその遺体さえも掘り返された老人のことが書かれていました。
 人道支援とは協力です。私は、これからもこうした活動を行っていきたいと思っています。
 イフサン・アリ・スレイマンさんは、高遠さんが拘束されたと聞いて一万枚をこえる「なおこはイラク人の敵ではない」というビラをまき救援の活動を行い、高遠さんの志を継いで、バグダッドでストリートチルドレンへの支援のための活動をおこなっていることを報告した。
 最後に、発言者とスタッフが登壇し、高遠さんが、今後の活動として、イラク支援「アラブ・ホープ・ネットワーク」への参加を呼びかけた。

      * *  *  *

アラブ・ホープ・ネットワーク(仮称)呼びかけ

 イラクでは「主権委譲」後の今も、十数万の米兵・多国籍軍が占領を続け、イラク市民に銃口を向け、罪のない人々が殺されつづけています。暴力の連鎖は続いています。自衛隊もこの「多国籍軍」に加わっています。私たちは、平和を求めるイラクの人々の声に応えているといえるでしょうか? 来日するイラク市民がイラクの真実を語り、イラク市民の声を届けにきます。……(中略)
……是非みなさまご参加ください。そして、ひとりひとりが今後のイラク支援に動き出しましょう。

 呼びかけ人 高遠菜穂子(ボランティア)今井紀明(ライター)郡山総一郎(フォト・ジャーナリスト)森住卓(フォト・ジャーナリスト)鎌仲ひとみ(映画監督)きくちゆみ(グローバル・ピース・キャンペーン)広河隆一(ジャーナリスト)伊藤和子(弁護士)七尾寿子(ほっかいどうピースネット)相澤恭行(ピースオン)高遠修一(会社役員)
 呼びかけ団体 ピースボート 日本国際ボランティアセンター ピースオン 三人を応援する会 劣化ウラン廃絶キャンペーン 日本ビジュアルジャーナリスト協会 イラクから帰国された五人をサポートする会 イラクの声を届ける会



「最低賃金」では生きられない

 七月二六日、厚労省の中央最低賃金審議会が、〇四年度の地域別最低賃金について引き上げゼロの答申。三年連続の据え置きだ。
 最低賃金法では「この法律は、賃金の低廉な労働者について、事業若しくは職業の種類または地域に応じ、賃金の最低限を保障することにより、労働条件の改善を図り、もって、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に質するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」とある。地域最賃は、都道府県が毎年定めている最低限の賃金基準で、それ以下の賃金での労働契約を結ぶと違法になる。
 では、最低賃金で決められた金額でどのような生活が可能なのか。「毎日新聞」(七・二七)に千葉労連の労働者が、千葉県の地域最賃での生活を実体験した記事が載っていた。
 それによると、参加者二九人、月二二日間の労働を想定して月収一一万九一五二円。それから各種税金や保険料、千葉市中央区の最低家賃額などを引くと残りは六万四一二八円で生活。税金、保険料、家賃で半分近くがなくなっている。
 記事によると、参加者は毎日の生活費を「食費」「教養娯楽費」などの項目ごとに帳簿に記入(同居家族がいる場合は家族と家計を分けた)。結果は、参加者二九人中、最低賃金内で生活が賄えたのは五人。一四人は途中で家計簿をつけるのをあきらめて「リタイア」した。残る一〇人が最後まで参加したが額をオーバー、となっている。

 こうしてみると現行の最低賃金制は、生活のできない賃金額しか規定していない。これでは、労働条件の改善を図り、労働者の生活の安定、労働力の質的向上などは不可能であり、かえって低賃金を合法化するものでしかないことがわかる。賃上げ闘争とともに、底辺金労働者の賃金底上げをかちとる最賃制の闘いは重要な課題である。そして、現行の地域分断の最賃制でなく、全国一律最賃制とその額の引き上げの闘いをすべての労働組合の課題として闘いぬく必要がある。


辺野古沖の新基地建設ボーリング調査に反対座り込み闘争 100日目

                         
連帯して防衛庁への抗議行動

 七月二六日には、防衛庁正門前で「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」の月曜日定例の抗議行動が行われた。集会では、参加者は防衛庁への抗議と辺野古での座り込みに連帯するシュプレヒコールをあげ、日韓民衆連帯全国ネットワークの抗議・要請文が読み上げられ、防衛庁の係官に手渡された。

  * * * *

抗議申し入れ書


 防衛庁長官 石破茂殿

 防衛施設庁長官 山中昭栄殿

 私たちは、韓国の民衆団体と連帯しながら、侵略植民地支配の清算の間題を始めとした日本と朝鮮半島の間で起きている歴史的、社会的な様々な問題を解決し、朝鮮半島の平和と南北民衆との本当の友好・連帯を目指している市民団体です。
 私たちは、朝鮮半島の平和、アジアの平和を実現しようとする立場から、沖縄・辺野古に建設されようとしている新しい米軍の海上基地は、朝鮮半島の緊張を高めるものであり、絶対に反対です。
 沖縄の海兵隊は、イラクヘ派遣され、ファルージァでの住民虐殺をはじめ、イラクでの残虐な占領政策を遂行しています。またアフガニスタンヘの侵略にも出撃しています。もし朝鮮有事となれば、沖縄がまさに出撃基地となり、新たな基地がその中心的役割を果たすのは明らかです。このような侵略のための新たな基地を絶対に認めるわけにはいきません。
 韓国では、二年前に米軍装甲車によって道を歩いていた二人の女子中学生が後ろからひき殺されるという事件が起こりました。犯人の米兵は軍事裁判で無罪となりアメリカヘ帰ってしまいました。このようなあまりにも理不尽な米軍の犯罪に対して韓国全体で怒りが噴出し、米軍撤退の運動が全国で展開されています。
 こうした韓国民衆の願いを逆手にとって、アメリカは、世界的な米軍再編の中で、表面的には大幅な人員削減をする一方で、韓国にはイージス艦や新型ミサイルを売りつけて、韓国軍を前面にたて、米軍は後方に退き広大な新たな米軍基地を建設し、全体的には攻撃能力を高めようとしています。
 日本との関係では、韓国を第二ランクの主要作戦基地とし、日本は第一ランクの戦力展開拠点と位置付け、相互に補完し、より一層戦カを強化しようとしています。
 日米防衛協議の中で、沖縄の海兵隊を一部本土へ移転する案が出されたとの報道がありましたが、まさにこれは新たな米軍戦路の展開であり、日本全体を米軍が自由と使おうとするものであり到底許すことはできません。
 また、七月二三日付け日経新聞によれば、米軍は普天間基地の移転先に、名護市にはこだわっておらず、沖縄の「下地島」「伊江島」、九州の航空自衛隊基地などを具体的に移設先としてあげ、日本側は、目米特別行動委員会(SACO)で決めた計画を堅持し、名護移転計画の加速をしたいとの考えを示し、調整難航は必至であると報道しています。
 私たちは、新たな米軍基地が名護でなければ良いということでなく、戦争のための基地はどこにも必要がありません。対テロ戦争という侵略戦争のための米軍再編の下では、沖縄の役割が増えることはあっても滅ることがないことは明らかです。今米軍が進めていることは米軍基地の分散強化です。
 以上のような点から、辺野古での薪米軍基地の建設は、米軍再編の一環であり、ボーリング調査を強行するということは、防衛庁、防衛施設庁が米軍と一体になって新たな侵略戦争のための基地を作ろうとすることであり、ボーリング調査を直ちに中止すべきです。
 辺野古では、七〇、八〇のおじー、おばーを先頭に、戦争のための基地はいらないと、度重なる台風の襲来や、照りつける強い日差しの中で、すでに三ヶ月以上にも渡り、ボーリング調査の阻止のために座り込みを続けています。私たちは、平和を求めるこうした沖縄の人びとに心から敬意を表します。私たちは、こうした沖縄の人びとに連帯し、本土においてもボーリング調査の中止を求める声を上げつづけ広めて行こうと思います。
 最後に、先日の参議院選挙では、新基地建設反対を掲げ沖縄選挙区から立侯補した糸数慶子さんが当選しました。平和を求める沖縄の人びとの意思が、はっきり示されました。政府は、この事実を厳粛に受け止め、基地建設のためのボーリング調査を即刻中止することを強く要求します。

二〇〇四年七月二六日

 日韓民衆連帯全国ネットワーク

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 沖縄名護市では、米海兵隊普天間基地の代替と称して名護市辺野古沖への新基地建設に伴うボーリング調査に反対する座り込み闘争が継続され、七月二十七日で百日を迎えた。辺野古では同日夜、基地の県内移設に反対する県民会議が「基地建設阻止座り込み百日集会」を開き、六百人を超える人びとが参加した。ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表は、新基地建設をやめさるまで闘い続けようとあいさつした。


KODAMA

 おめでとう、まさみさん!

 七月二八日、さいたま地裁川越支部で青梅信金(あおしん)裁判の判決があった。
 裁判では、検察側の立論にたいして弁護側は、検察側が証拠とする防犯ビデオの映像を緻密に分析して、まさみさんが客から受け取った金を横領したということがまったくの冤罪であるということを立証した。
 横領冤罪事件を闘ってきたまさみさんに無罪の判決だった。郵政4・28闘争の東京高裁判決(6・30)と同じように嬉しい。
 まさみさんは、青梅信用金庫北野支店のパート職員だったが、二〇〇〇年七月、客が払い込んだはずの公共料金が紛失する事件が発覚し、まさみさんがその犯人にされてしまった。まさみさんは一貫して無実を訴えたが、あおしんはその訴えを全く聴こうとせず就労を拒否した。まさみさんは女性ユニオン東京に加入して、団体交渉を申し入れてきたが、あおしんは団交に一度も応じないまま、二〇〇一年三月にまさみさんを雇止め解雇した。一一月には埼玉県警が業務上横領容疑でまさみさんを逮捕し、二〇〇二年一月起訴、四月にようやく保釈許可となった。なんと四ヵ月半も勾留されたのである。
 会社側の証拠は唯一「防犯ビデオ」だった。女性ユニオン東京などによる「ある日あなたも……青梅信金事件に見る濡れ衣の実態」集会(〇二・一二・一二)では、弁護士さんが、まさみさんがお金を盗んだとされるそのビデオの解説・分析を行っていたが、どう見ても証拠となるようなしろものではなかった。支店内で職員たちが働いている映像があり、その中でほんの一瞬、まさみさんが机などの陰に入る、それだけで犯人扱いされたのだ。おまけに、お金の紛失に気付いたのはだいぶ後になってのことだということだった。
 あおしんは、本店職員が元暴力団組員に総額約九億七千万円を不正送金する事件が発覚した(一九八八年)ことをはじめ、他の支店でも現金が無くなる事件が複数発生していたが、それらは公表されることなく内部で処理されるなど、事務リスク管理のずさんさが問題とされていた。まさみさんの冤罪事件は、一人のパート職員に罪をなすりつけて「一件落着」にさせようとするあおしんの体質からでてきたものだ。
 たしかに事件は発生したのだろうが、あおしんにとってその「真相究明」は、安易な「犯人捜し」となった。「パートならやりかねない」「パートなら濡れ衣を着せてもかまわない」「パートなら大人しく辞めて行くだろう」、これがあおしんの上司の考えたことだろう。それによって、自分の「責任」は回避される。残念なことに、パートでない職員の対応も、上司に加担したり、無関心を装ったりの感心できないものだったようだ。
 しかし、パート労働者など無実の弱者に犠牲を押しつけて、偉いさんは生き残るというのは、どこにでもありそうな怖い話なのである。判決は、泣き寝入りではなく、苦しても闘い抜いたことの成果である。闘いがなければ、なんの結果もない。
 今回の判決で、あおしん、検察がどう出てくるか予断を許さないが、まずは、まさみさん、女性ユニオンのみなさん、おめでとう!(MD)


複眼単眼

 
 さあ、ナベツネの横暴に抗して伝家の宝刀を抜け!

 「巨人、大鵬、卵焼き」などという言葉ももはや死語になったが、ある時期、これらは子どもの好きなもののたとえだった。
 東北地方の山村で育った筆者は、ご多分に漏れず(当時のメディアはラジオで、それはジャイアンツの試合ばかり流していた。日本シリーズで川上がホームランを打ったことを幼心に憶えている)巨人ファンだったし、大人になっても何となく巨人が勝つとうれしかった時期がしばらくつづく。
 しかし、このところ、読売の渡辺オーナーなどの言動がいやで、プロ野球自体にかなり興味を失ってしまった。
 それでも今回の「球界再編」の動きは見逃すことができないのだ。
 「プロ野球改革」などと言われる今回の「球界再編」「合理化」は、とりわけパリーグ球団の深刻な経営危機にみられるように、有力選手の米大リーグ移籍の続発問題も含め、野球ファンから見放され始めたプロ野球をどう立て直すのかという問題に端を発している。ジャイアンツが読売巨人軍などと自称して、プロ野球界で絶大な権力をふるっている現状。この巨人人気におんぶして生き延びることだけを考える他の球団経営者、そして肝心の巨人人気にかげりが出てきたことなどなど、確かにプロ野球の改革の課題は多い。しかし、これらは果たして「一リーグ制」で解決されるのだろうか。ナベツネやその追従者堤(西武)などの思惑は、選手のクビを切り、ジャイアンツを中心にした一リーグにすることで、他球団の観客動員は増え、ジャイアンツも新しいカードを組むことで新しい客層を呼べるという計算なのだろう。しかし、選手とファンを無視した「改革」がうまくいくはずはない。
 労働組合日本プロ野球選手会(ヤクルト・スワローズの古田敦也会長)がオーナーとの直接交渉を求めたことに対して、読売ジャイアンツの渡辺オーナーが次のように言い放った。
 「たかが選手が無礼なことをいうな。分をわきまえよ」と。
 言ってくれるよ。この「たかが選手」発言は渡辺の本心だ。
 選手会は一九八五年に労働組合としても認められ、組合員は七五一人。日本人選手全員が加入し、外国人選手も日本で長くプレーする選手は加入している。選手会はこれまで選手の地位向上や待遇改善に取り組んできた。古田会長はなかなかの労組委員長ぶりを発揮しており、私が好きな選手の一人だ。
 組合を愚弄し、話し合いを拒否する渡辺発言は労基法違反そのものだ。
 七月一〇日の選手会の臨時大会ではスト権確立は古田会長ら執行部に一任された。古田会長はあくまで話し合いを求めているが、大会は全員による無記名投票での「ストライキも辞さず」という立場でスト権確立に道を開いた。
 野球の本場の米国ではプロ野球のストライキはしばしば行われており、九四〜九五年のストは二三二日に及んだ。日本のプロ野球はストの経験はないが、選手の最低年俸の引き上げなどでは成果を上げている。伝家の宝刀のストライキはしょっちゅう抜くわけにはいかないが、全く抜かないとさび付いてしまうから、ここらでがつんとナベツネに鉄槌を食らわせるのもよかろうというものだ。
 すでに球団合併や一リーグ制に反対する署名運動もファンによって始められ、近鉄、中日、横浜、阪神、ヤクルトなどの選手会も署名活動に起ち上がり、ついにジャイアンツの選手会も起ち上がった。試合の前や後に、選手やファンによる署名の呼びかけが球場前や最寄りの駅頭などで行われている。さらに三〇日からは十二球団の全選手が球団合併反対のシンボルとして、十二色の糸で作ったミサンガを手首に巻くことになった。いよいよ腕章闘争だ。画期的なことだ。ご同輩、こうした争議にも協力しようではないか。 (T)