人民新報 ・ 第1143 号<統合236号>(2004年9月15日)
目次
● イラク占領反対! 自衛隊は即時撤退せよ! NO MORE WAR ! NO MORE 9・11 !
● 基地撤去、地位協定の見直しを 宜野湾市民大会に3万人
● 基地のない沖縄を! 国会議面・首相官邸前行動
● 普天間基地をただちに閉鎖せよ! 伊波洋一宜野湾市長の話を聞く
● 改憲派がねらう権力制限規範としての憲法の意義と役割の変質
● グローバリゼーションは食とくらしをつぶす 自由貿易から公正な貿易へ!
● 書評 / ボブ・ウッドワード著 「攻撃計画
ブッシュのイラク戦争」 ( 日本経済新聞社 )
● 複眼単眼 / 120年前の秩父農民の自由民権・反天皇制革命闘争
イラク占領反対! 自衛隊は即時撤退せよ!
NO MORE WAR ! NO MORE 9・11 !
九月一一日の正午から午後九時すぎまで、明治公園で、もう戦争も、「9・11事件もいらない 奪いあう世界から、わかちあう世界へ 差別する世界から、認めあう世界へ」を合い言葉に「BE―IN & WORLD PEACE NOW 愛と平和と自由のチカラ
、あつまれ! NO MORE WAR! NO MORE 9・11!」が開かれ、パレードには二五〇〇人、のべ六〇〇〇人の人びとが参加した。
会場には、さまざまな舞台やテントが並び、ライブ、スピーチ、講座、ビデオ上映などさまざまな催しに人びとが集った。
午後二時過ぎからはトークラリーが始まった。
映画監督の鎌仲ひとみさん
劣化ウラン弾はじつに非人道的な兵器だ。私は劣化ウラン弾とその影響についての映画を製作し、劣化ウラン弾に反対の声をひろげている。最近イラク・サマワの友人から連絡があった。かれは、自衛隊の活動を観察している。自衛隊は道つくっているが、金・時間かかりすぎる。サマワの人びとも当初自衛隊が来れば就職できるとかいろいろな期待があったが、いまは失望に変わってきている。イラクの隣国のヨルダンのアンマンでの会議に行ってきた。イラクの白血病・ガンの子どもを救う「JAPAN IRAQ MEDICAL NETWORK」のためのものだ。本来は日本から医師を派遣する予定だったが、外務省がイラクへの入国だはだめだと妨害している。そこで、アンマンでの会議となった。アンマンでは高遠菜穂子さんにあった。彼女はイラク・ホープ・ネットワークをたち上げ、イラクの学校の再建のために元気に活動していた。一見すると平和な日本では、原発のゴミを出しつづけている。それが劣化ウランで、それでイラクの人びとを傷つけ殺している。大切なのは、他人に関心を寄せ、共感することだ。
教育基本法改悪に反対している高橋哲哉東大教授
平和そうに見える日本は米英軍のイラク人虐殺につながっている。いま、この国は戦時下にある。戦争は第二次世界大戦の最終局面のような総力戦だけではない。民主主義、言論の自由が保障されている、そういう国が戦争をすることができる。清沢洌はその「暗黒日記」で、敗戦の年の元旦に書いている。ようやく日本国民は戦争を実感しはじめた、しかし敗戦しても戦争を反省するか疑問だ、と。沖縄の普天間ヘリ事故でもヤマトのメディアは扱いが小さかった。これからわかるように沖縄は殺される側におかれているのだ。日本では軍事行動ができるように憲法九条が変えられようとしているが、この前哨戦が教育基本法の改悪だ。戦争は軍隊、法律だけではできない。それを支持するように国民の心をつくりかえること、愛国主義教育が必要だ。それを教育基本法を変えることでやろうとしている。来年の通常国会には教育基本法の改悪案が上程されようとしている。今後の教育基本法改悪に反対する運動への参加を訴える。
在日コリアンのジャーナリスト姜誠さん
9・11から三年たった。ブッシュは「悪の枢軸」への攻撃をつづけているが、世界はいっそう不安定になり、貧困、疎外、格差が拡大した。共和党大会でのブッシュの演説を見たが、ブッシュには他者への寛容さがない。この日本でも、ものが言いづらい、書きづらいという状況になった。こんなのははじめてだ。イラク戦争以降、日本もキュークツになったと感じる。在日コリアンは拉致問題でさらに厳しい。日本の言論では左翼が撤退し、女性、外国人がそれにかわって頑張っている。しかしバッシングをもろにうけている。イラクの五人の「人質」でも日本の状況はひどかった。他者への寛容、想像力が求められており、それが憲法九条を変えようとしている人びとへの大きな打撃となる。
パロディストのマッド・アマノさん
私は「属国」と書いたTシャツを着ている。日本は独立国のように見えるが、完全にアメリカの属国だからだ。沖縄のヘリ事故に何の捜査権もない。それが証拠だ。ヘリには放射性物質があったという。そのために米軍は防護服を着て事故機を運んでいった。小泉純一郎は国民の痛みをなんにも感じていない。だから、彼を「鈍」一郎と呼んでいる。自民党の選挙ポスターに「この国を想い、この国を創る」というのがあったがこれを「あの米国を想い、この属国を創る」とやったら、自民党の安倍幹事長から「勝手に改ざんした、名誉毀損」だという通告書が来た。とんでもない。日本をこんなにして、彼らこそ名誉棄損だ。それから、敵はブッシュなどを動かしている勢力だ。ビルダーバーグ会議に集まっている連中だ。大事なのは、属国精神を払拭して自立し、小泉政権に対して一揆をおこそう。
ミルクユの会の島袋陽子さん
一九九五年の米兵による少女暴行事件を契機にして、土から海から生産されるものを生かして緑豊かな平和の世を実現し「弥勒」がおりてくるようにと在京の沖縄女性六人で「ミルクユの会」をつくった。普天間ヘリ事故は沖縄の新聞は大きくあつかった。辺野古の新基地建設のためのボーリング調査に反対してずっと座り込みつづけている。沖縄は頑張っている。頑張れ頑張れでなく、この首都圏で闘いをつくって欲しい。ぜひ、沖縄の人が東京も頑張っているなと言えるような闘いをつくり出して欲しい。
三時にパレードに出発。原宿・表参道などで大勢の人たちに平和をアピールした。パレードは一周して明治公園にもどり、さまざまな催しが続いた。
夜、八時からは、公園全体をつかってキャンドルで大きなピースマークを描いた。
基地撤去、地位協定の見直しを 宜野湾市民大会に3万人
九月一二日、「沖縄国際大学への米軍ヘリ基地墜落事故に抗議し、普天間飛行場早期返還を求める宜野湾市民大会」が開かれた。沖国大、市内の全自治会など七二団体をはじめとして多くの人びとが参加、会場となった沖縄国際大学グランドには、主催者の予想をはるかにこえる三万人が集まり、基地撤去を求めるとともに、大学に隣接する普天間基地に対して抗議のシュプレヒコールをあげた。
大会では伊波洋一宜野湾市長が実行委員長としてつぎのように述べた。
ヘリ墜落事故によって、普天間飛行場は欠陥基地であることが宜野湾全市民、沖縄全県民に明らかになった。日米両政府は普天間基地の閉鎖と返還に向けた協議を行うべきだ。小泉首相は二一日の日米首脳会談で普天間基地閉鎖を主張すべきだ。稲嶺沖縄知事には、名護市辺野古移設では問題解決にならず、市民、県民の声を真摯に受け止めて、基地をただちになくす取り組みを求める。
宜野湾市議会の伊佐敏男議長、沖縄国際大学の渡久地朝明学長が発言し、ヘリの飛行停止と日米地位協定の見直しを求めた。
市民代表十二人が登壇して、事故への怒りと、平和への思いを語った。
稲嶺沖縄県知事は、当日の集会に参加しないばかりかメッセージもよせず、県の取り組みに対する批判の声が続いた。
市民決議(二面に掲載)では、「被害の徹底調査と事故原因を明らかにし、すべての被害に対する謝罪と完全補償を早急に実施すること」、「すべての米軍機の民間地上空での飛行を直ちに中止すること」、「ヘリ基地としての運用を中止すること」、「危険極まりない普天間飛行場を早期返還すること」、「SACO合意を見直し、辺野古沖への移設を再考すること」、「日米地位協定を抜本的に見直しすること」が確認された。決議は、アメリカ(ブッシュ大統領、在日米国大使、在日米軍司令官、在沖米四軍司令官、在沖米国総領事)、日本(小泉首相、外務省、防衛庁長官、防衛施設庁長官、外務省特命全権大使、那覇防衛施設局長、沖縄県知事)に送りつけられた。沖縄米軍の最高位にあるロバート・ブラックマン在沖米四軍調整官は決議文の受け取りを拒否している。
ヘリ事故抗議、普天間基地の即時閉鎖、辺野古海上新基地建設阻止!
米軍ヘリ沖縄国際大学への墜落事故に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める市民決議
二〇〇四年八月一三日、午後二時一五分頃、沖縄国際大学本館に米海兵隊所属CH―53D型ヘリコプターが接触し、墜落炎上するという大惨事か起こった。
墜落ヘリは、沖縄国際大学本館の機能を麻痺させ、本館を削り取ったブロック片や部品が地域住民を襲い、その結果、多くの市民が被害を被った。
墜落ヘリの乗組員三人の負傷だけですみ、民間人には犠牲者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。今回の事故は過去に起きたヘリ事故の中でも、最悪の事故であり、日米両政府及び米軍に対し、強い怒りを持って抗議する。
さらに、米軍は日米地位協定を盾にして、拡大解釈により事件現場の立ち入りを制限し、所有者である沖縄国際大学関係者はじめ、宜野湾市及び県の関係機関を含め日本側の捜査、調査を排除した。そのために、大学運営の回復や地域住民の不安を取り除くための事故原因の究明や被害実態の把握に支障をきたした。提供施設外において米軍が優先され、法治国家である日本の主権が侵害された実態は、異常な事態と言わざるを得ない。
また、市民、県民が、連日この事故に対して抗議し、米軍機の飛行停止を求めている最中、「原因究明まで事故機は飛ばさない」と在沖米第四軍調整官が自ら発表したにもかかわらず、八月二二日の静かな日曜日に次々とCH―53Dヘリを飛行させたことは、私たち宜野湾市民はもとより、沖縄県民に対す悔辱であり、挑戦と受止めざるを得ない。
一九六六年のSACO最終報告によると普天間飛行場の返還合意の原点は、危険きわまりない欠陥飛行場を取り除き、県民の基地負担の軽減を図ることであったはずである。返還期限の七年がすでに経過し、今回のヘリ墜落事故は、その原点が極めて問われるものであり、日米両政府には今こそヘリ基地としての運用を直ちに中止させ、普天間飛行場の早期返還を実現するよう求める。
すでに普天間飛行場所属機五〇機のうち四〇数機が同基地を離れていることが発表されており、残る一〇数機を早急にハワイ等に撤退するように併せて強く求める。
記
一.被害の徹底調査と事故原因を明らかにし、すべての被害に対する謝罪と完全補償を早急に実施すること
一、すべての米軍機の民間地上空での飛行を直ちに中止すること
一、ヘリ基地としての運用を中止すること
一、危険極まりない普天間飛行場を早期返還すること
一、SACO合意を見直し、辺野古沖への移設を再考すること
一、日米地位協定を抜本的に見直しすること
以上決議する。
沖縄国際大学への米軍ヘリ基地墜落事故に抗議し、普天間飛行場早期返還を求める宜野湾市民大会
<あて先>
米国大統領、在日米国大使、在日米軍司令官、在沖米四軍司令官、在沖米国総領事館
内閣総理大臣、外務省、防衛庁長官、防衛施設庁長官、外務省特命全権大使
那覇防衛施設局長、沖縄県知事
基地のない沖縄を! 国会議面・首相官邸前行動
六日の衆議院につづき、七日に行われた参議院の沖縄北方特別委員会の閉会中審査に合わせて、その報告を聞き、合わせて首相官邸に抗議する市民の緊急行動が、七日夕刻から国会周辺で行われた。
呼びかけは「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」で、約七〇人の市民が参加した。
参議院議員面会書での集会は実行委員会の高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)の司会で行われ、委員会で質疑にたった紙智子議員(共産党)、喜納昌吉議員(民主党)と福島瑞穂社民党党首が報告し、赤嶺政賢衆議院議員(共産)、仁比聡平参院議員(共産)が挨拶した。
紙議員は沖縄国際大学の事故現場から拾ってきたコンクリートの破片を示しながら、普天間基地撤去を訴えた。
喜納議員は野党が結束して沖縄の基地を撤去するためたたかうことの重要性を訴えた。
福島議員は沖縄のヘリ墜落事故の現地調査の報告と、最近中国で行われた国際会議で訴え、関心を集めたことなどを報告した。
また特別委員会を傍聴した女性からは「審議で政府が少しも真剣に答弁しない」ことへの怒りが表明された。
集会後、参加者はデモ隊形で首相官邸前に移動してシュプレヒコールを繰り返した。
普天間基地をただちに閉鎖せよ! 伊波洋一宜野湾市長の話を聞く
九月九日、東京・星陵会館ホールで、「米軍ヘリの墜落に抗議する集い 宜野湾市長・伊波洋一さんの話を聞く会」が開かれた。
この集いは、沖縄の野党六人国会議員のよびかけによるもの。
糸数慶子参議院議員の司会ではじまり、墜落事故現場のビデオが上映され、いまさらながら人口密集地にある普天間基地の危険性と事故のすさまじさを感じさせられた。
集会で伊波市長は次のように語った。
私は昨年の四月に宜野湾市長に当選したが、その選挙戦では普天間基地の五年以内の返還を訴えてきた。それ以降、市としての普天間返還をいろいろなところに要請してきた。
しかし、日本政府と稲嶺沖縄県政は、県内移設・軍民共用空港建設ということだった。私は県議二期の間、そうした政策に反対してきた。宜野湾市長となって、普天間基地問題は、いよいよまったなしの課題となったと感じている。飛行回数の増加、騒音などもう放置できない状況だ。
一九九六年にSACO(沖縄にかんする日米行動委員会)は、普天間の五〜七年以内の返還を決めた。それから十年にもなろうとしている。市としては、基地対策協議会をもうけ、その答申受けて四月にアクションプログラムをつくり、五月から政府にたいして遅くとも二〇〇八年までの返還を強く求めている。その中で、残念ながら事故起こってしまった。
SACOは一九九五年の米兵による少女暴行事件を契機に、地位協定や基地負担の軽減についてどうするか論議された。その当時から米軍においても普天間は住宅密集地で危険だと認識されていたこともあるが、五〜七年以内の返還は全県民的な反基地運動のもりあがりが懸念されたからだ。だが、昨年の一二月で七年の期限も切れた。
政府と稲嶺県政は普天間のかわりに、辺野古沖に新基地を建設しようとしている。これは、これから十数年もかかるやりかただし、稲嶺知事は新基地の一五年間の使用と言っている。これでは、三〇年も使ってくれと言っているに等しい。知事はまったく間違っている。
今回の事故は起こるべくして起こったものだ。普天間の飛行実態は、一九九七年で二万回だったものが、二〇〇三年には三万五〇〇〇回にもなっている。一・五倍だ。ますます危険になっている。それに一日に二〇〇回をこえる日が五〇日以上もあり、三〇〇回をこえる日もある。
これには米軍基地閉鎖のしわ寄せということがある。ハワイ、グアム、カルフォルニアの基地が閉鎖され、それが普天間や岩国の基地へヘリ部隊が移転して来ている。ハワイやグアムは海、カルフォルニアは荒野だが、普天間、岩国は住宅地で人口密集地だ。
私は七月に訪米して、国務省、国防総省などに普天間の返還を訴えてきた。その感じでは、アメリカ自身も普天間基地の危険性を深刻に考えているようだった。
八月の五・六日には、防衛庁・防衛施設庁に要請に行ったが、彼らの言い分は、SACO合意通り粛々とやる、何年かかろうとそれが日本流だというものだった。
いま米軍は、全世界的な編成がえ(トランスフォーメーション)をやろうとしている。これまでアジアでは米軍一〇万人体制だったが、韓国では撤退させるが、その一方で沖縄など日本に米軍の戦力が集中され強化されるとも言われている。しかし、トランスフォーメーションは基地返還の絶好の機会でもあり、この機会をとらえて是非とも基地問題の解決をはかっていかなければならない。
宜野湾市は人口密集地帯だ。ラムズフェルド米国防長官さえも、基地を見て、こんな危険な基地はないと言った。基地司令官も、明日にでも出て行きたいと発言している。沖縄の四軍調整官も、在日米軍司令官も同じだ。
ヘリは落ちるもので、今回の事故で民間人に被害者がでなかったのはまったく奇跡としか言いようがない。しかし、これは最後の警告だと受けとめなければなならないことだ。
宜野湾市で私は少数与党だ。議会の多数派は政府・稲嶺県政の政策で普天間問題に対処するとしてきた。しかし、今回の事故では、全会一致で普天間基地の閉鎖、全面返還の決議ができた。沖縄県内では三〇をこえる市町村が決議をあげている。
しかし、事故前から、基地にたいする県民の意識には変化が生まれていた。この七月の参院選では糸数慶子さんが圧勝した。また事故前のアンケートでは、普天間基地の辺野古沖新基地への移設への賛成は六〜一〇%だが、県外・国外への移転は六〇%をこえる。事故以後はこの数字はもっと大きくなっているだろう。
宜野湾市としては、五年以内の返還をもとめて運動してきたが、事故を通して、政府・稲嶺県政ではだめだの声が広がっている。それなのに、今日、那覇防衛施設局は辺野古のボーリング調査を強行開始した。だが、辺野古は普天間の解決ではない。普天間はいますぐ解決しなければならない問題だ。何十年もかけることではない。 沖縄の中核部隊は第三一海兵遠征隊だが、これはいまイラクに行っている。普天間のヘリ部隊はこの部隊を支援するものだ。普通、五〇数機のヘリがいるが、いまは一〇機しかいない。
沖縄基地の問題は解決すべき時期にきている。「SAPIO」という雑誌に小林よしのりがヘリ事故について書いているが、こういう人までが発言するようになっている。
もう一つ報告しておかなければならないことがある。事故で危険なのは燃料だが、今回の事故ではとんでもないことがおこっている。ヘリの部品は事故で広範囲に飛び散ったが、その一部がストロンチウム90という非常に危険な放射性物質だった。その六個のうち一個がいまだに発見・回収されていない。こんな危険なことはない。 今回の事故について、日本政府は米軍になんの抗議もしていない。米軍の言うことになんの抵抗もできないのだ。
宜野湾市では一二日に市民大会を予定している。この集会を成功させること、また普天間基地返還の署名を集めて首相官邸へもっていく。
基地返還のためにいっそう力を合わせていこう。
つづいて沖縄から到着したばかりの照屋寛徳衆議院議員が、辺野古現地でのボーリング調査阻止の闘いを報告し、一緒になって頑張りぬこうと述べた。
改憲派がねらう権力制限規範としての憲法の意義と役割の変質
自公民三党、改憲への中間的まとめを発表
本年六月、自民党、公明党、民主党の三党は相次いで憲法「改正」のための各党の具体的検討作業の中間報告を公表した。このことは間もなく設置後五年を迎える衆参両院での憲法調査会野木論と合わせ、与党や民主党内での改憲論議がいよいよ大詰めに入ってきたことを示すものだ。一九四五年の日本帝国主義の敗戦の結果生まれた現行憲法下での最大の政治的課題、「憲法改正」の是非をめぐる闘いの山場が到来しつつある。
明文改憲を急ぐ自民党は、結党五〇周年にあたる二〇〇五年十一月までに改憲草案をまとめることを決め、自民党政務調査会(額賀福志郎会長)と自民党憲法調査会(保岡興治会長)による憲法改正プロジェクトチームが六月にこの間の自民党内での改憲論議の「論点整理」を公表した。これは現行憲法の全面的な再検討の形をとっている。
また連立与党の公明党憲法調査会(座長・太田昭宏幹事長代行)も六月一六日、「論点整理」を発表し、本年秋に開かれる同党の大会に向けての憲法論議のための交通整理をはかった。
六月下旬、民主党憲法調査会(仙谷由人会長)も「創憲に向けて、憲法提言 中間報告〜『法の支配』を確立し、国民の手に憲法を取り戻すために」を発表した。
これら各党の報告は、大方、自民党は全面改憲論、公明党は加憲・九条護憲論、民主党は創憲(全面改憲)論という主張とになっている。自公民三党を軸に総論としての改憲の方向は急速に強まっているが、各党間では各論でさまざまな違いもあり、それぞれの政権戦略と関連して、改憲派も一枚岩ではないのがは明らかだ。
公明党は党内に同党憲法調査会の赤松正雄事務局長をはじめ九条改憲論者を抱えているが、創価学会との関係を含めて九条改憲にブレーキをかける勢力が同党の地方組織には根強くある。必ずしも自公連立政権を推進する神崎中央執行部の意図ではないが、同党はまだ九条改憲論に踏み切っていない。もちろん公明党のいう九条護憲は、小泉内閣のイラク派兵や自衛隊の多国籍軍参加などの解釈改憲を容認する立場であり、明文改憲は主張しないものの実質的には改憲の政策を進めている点も見逃せない。
民主党は党内の多数派は何らかの意味で九条改憲の立場をとっているが、必ずしも九条改憲を急ぐ事で合意があるわけではなく、先般結成されたリベラルの会(生方幸夫衆議院議員ら五〇人)などが九条明文改憲に消極的な立場だ。
改憲の具体化の道はいまだ不透明
「論点整理」を見ると、自民党は全面改憲=新憲法の制定の立場での見解をまとめつつあるが、国会議員の三分の二を要する改憲の発議には他党との妥協、協調が必要であり、必ずしも自説の全面改憲には拘らないとしている。
こうした立場から自民党は民主党の改憲派への接近を試み、保岡興治・自民党憲法調査会会長が再三にわたって民主党にエールを送っているのをはじめ、衆議院憲法調査会の自公民委員らによる訪欧調査段派遣などさまざまな動きがある。
先のアーミテージ米国務副長官、パウエル国務長官の国連常任理事国入りとからめての九条改憲要求発言に見られるように、九条改憲や集団的自衛権の行使に関する米国の対日要求は従来になく強まってきている。しかし小泉内閣からはこのあからさまな「内政干渉」的発言に対して広義の声はあがらない。
当面、改憲派は@米国の要求とも関連して改憲のターゲットを九条に絞って来ざるを得ないだろうが、Aその場合、九条に手をつけることを渋る与党公明党をどう扱うか、B自民・民主の積極改憲派を軸とした政界再編に踏み切るのか、C九条改憲を先送りして派兵恒久法、国家安全基本法、多国籍軍参加の恒常化などの応急措置をとりつつ他面にわたる改憲の準備を進めるのか、などなどの問題は確定していない。二〇〇七年を前後する国政選挙と合わせて、これらが詰められていくだろう。
日本を戦争のできる国にするねらいを持つ憲法改悪に反対する人びとは、九条改憲に反対する広範な戦線の構築に全力をあげつつ、これらの改憲派の動向に慎重に注意を払って行かなくてはならない。
その過程で、以下取り上げる改憲派による「憲法の意義と役割」についての考え方の変更の問題も重大であり、注視しておかなくてはならない。
改憲派がねらう憲法の意義と役割の思想の改変
自民党の「論点整理」では「議論の方向性」として、「権力制限規範」としての憲法ではなく、「国民の利益ひいては国益」を守るための「国民の行為規範」とする方向が強調されている。これは改憲によって「国家が守る憲法」から「国民に守らせる憲法」への転換を狙っていることを示すものだ。これは「憲法とは何か」「憲法の意義と役割は何か」という憲法の基本問題にかかわる変質の企てだ。
この立憲主義的憲法思想の変更は、自民党が言うように「新しいもの」などではない。それどころか日本では「大日本帝国憲法」に見られる「国民に守らせる憲法」の思想の復活だ。日本国憲法が持っているこの憲法思想は決して古くなってはいない。
民主党の「中間報告」でも、自民党の「論点整理」同様に、「権力制限規範」としての憲法の位置づけを変えようとしている点が要注意だ。民主党は「新たなタイプの憲法の創造」と唱えながら以下のようにいう。
「もともと憲法とは、国家権力の恣意や一方的な暴力を抑制することに意味があった。あるいは国家権力からの自由を確保することにあった。これは言わば『…するべからず』というものであるが、これに対して今日求められているものは、こうした『べからず集』としての憲法に加えて、新しい人権、新しい国の姿を国民の規範として指し示すメッセージとしての意味を有するものである。時代はいま、禁止・抑制・解放のための最高ルールとしての憲法から、希望・実現・創造のための新たなタイプの憲法の形成を強く求めている」と。
このように民主党も抽象的な表現で、その主張の根拠も説明しないまま「時代」の要請だとして、権力制限規範としての憲法という近代の民主主義が獲得してきた憲法思想、立憲主義を変質させようとしている。
国会第一党の自民党と第二党で野党第一党の民主党が、期せずして日本国憲法の憲法思想を「古いもの」として批判し、この考え方を変えることを提唱していることは全く重大な問題だ。
読売改憲試案も同一方向
一九九四年に読売改憲試案を発表して以来、改憲のための世論作りの先頭を走ってきた読売新聞社の「憲法改正読売試案二〇〇四」では、前文に「この憲法は、日本国の最高法規であり、国民はこれを遵守しなければならない」として、「権力と個人との間に一定の緊張関係がある以上、このこと(権力制限規範という考え方)は尊重すべきだ。しかし、これだけをもって憲法ととらえることはできない。憲法は、その国の基本的枠組みを定めるものであるからには、どのような国を目指すのか、あるいは、その際に大事にすべき価値とは何か、国家と個人、国際社会と国家の関係をどのようにとらえるのか……など、つまり、理念や基本的価値が反映されるべきだと考える。個人の権利を守るために権力を制約するのが憲法だという考えにとどまれば、国家と個人を対立的にとらえがちとなる。…国家と個人の関係は、このような構図でとらえるべきではない」(読売新聞社憲法問題研究会調査研究本部 山本大二郎)と主張している。公明党の主張もこれらの点では明確に立憲主義の変更の要求だ。
主張の仕方の硬軟は別にして、自民党、民主党、読売改憲試案のいずれもが「国家と個人をいたずらに対立させるな」と主張することで、国家にたいする憲法のくびきを取り払い、国家と人権の関係では国家主義を免罪し、復活の道を開くところにその特徴がある。
こうした重大な謬論が大手を振ってまかり通ろうとしている。改めて「憲法とは何か」について考えておかなければならない。
憲法とは何か
この「憲法とは何か」「憲法の意義と役割」について憲法学は例えば以下のように解説してきた。
「一般に『立憲的意味の憲法』あるいは『近代的意味の憲法』と言われる。一八世紀末の近代市民革命期に主張された、専断的な権力を制限して広く国民の権利を保障するという立憲主義の思想に基づく憲法である。その趣旨は、『権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない』と規定する有名な一七八九年フランス人権宣言一六条に示されている。この意味の憲法は、固有の意味の憲法とは異なり、歴史的な観念であり、その最も重要なねらいは、政治権力の組織化というよりも権力を制限して人権を保障することにある」(芦部信喜「憲法」)。
この指摘に見られる憲法思想は、近現代における全世界の人びとの人権のための歴史的な闘いの中でかち取られてきた最も新しい憲法思想=近代立憲主義の思想である。国家が人権を抑圧し、権力を思いのままにふるう危険性に対して、あらかじめ制限を加えておこうとするものだ。改憲派はこの「権力制限規範としての憲法」という、日本国憲法もまたそれに立脚しているところの最も普遍的で新しい憲法思想を攻撃しる。この動きは用語上での「新しさ」を装ってはいるが、その実、「国民に(あるいは『国民にも』)守らせる憲法」という復古主義的な憲法思想を導入しようとする改憲派の企ては歴史の逆流であり、これを許してはならない。
いま発表されている自民党と民主党の改憲案の方向が、この立憲主義の憲法思想の改変を含んでいることを考えれば、改めてこれらの改憲論が何をめざしているのか、何のための改憲なのか、その本質的な問題が明確になってくるだろう。(G)
グローバリゼーションは食とくらしをつぶす 自由貿易から公正な貿易へ!
九月一〇日、文京区民センターで、「WTOは農民を殺す!韓国農民イ・ギョンヘさん自死抗議一周年シンポジウム グローバリゼーションは食とくらしをつぶす 自由貿易から公正な貿易へ!」(主催 脱WTO草の根キャンペーン実行委員会、「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーン)が開かれた。
イ・ギョンヘさん(韓国農業経営者中央連合会前会長)は、昨年メキシコのカンクンでひらかれたWTO第五回閣僚会議に反対する行動に参加していたが、WTOと多国籍資本による韓国経済の収奪と農業の疲弊、労働者、民衆の生存権抹殺に抗議して自死した。
韓国民衆WTO闘争団が制作した韓国はじめ世界の民衆がメキシコ・カンクンでWTOと闘った記録ビデオ『キロメートル・ゼロ』が上映され、開会あいさつが行われたあと、小林尚朗・明治大学助教授が「アジア経済とグローバリゼーション、その問題点と課題」と題して問題提起を行った。
冷戦終結と第三世界とりわけ東アジアの経済成長によって世界的な規模での市場経済化が進んだ。そして輸入代替という内向きの経済ではなく輸出主導という外向き経済化すすんだ。これには技術進歩という背景もある。緊縮財政、各種自由化・規制緩和、民営化などによって経済は成長するとして、IMFなど国際機関が推奨・強制している。これが、いわゆるワシントン・コンセンサスといわれるものだ。しかし、東アジアとくに韓国、台湾などでは貿易・金融の自由化はそれほど進んでおらず、輸出主導型成長を遂げながらも、輸入代替や外資規制などが継続された。FTA(自由貿易協定)も日本、中国、韓国、台湾、香港など経済成長にとって不要だった。市場経済化、グローバリゼーションというのはすぐれてイデオロギー的なものだ。アジア通貨危機を契機として、地域主義の気運が高まり、世界的なFTAブームが起きた。東アジアでのFTAの動きはアメリカ依存からの脱却をめざす側面もあるが、日中間の駆け引きの問題もある。今後の課題はFTAに伴うコストを域内レベルで解決しなければならないということだ。
そして、WTO体制に対しては、それや企業の行動を監視、代案の提案、などが必要だ。
つづいてのシンポジウムでは、農業の現場から(千葉県・三里塚の農民の柳川秀夫さん)、野宿者運動の現場から(日雇全協・山谷争議団の荒木剛さん)、日韓自由貿易協定は何をもたらすか(「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーンの土松克典さん)が発言した。
最後に今後のスケジュールでは、一一月上旬のFTA反対の日韓労働者連帯行動をはじめ各種の学習会、集会への取り組みが確認された。
書 評
「攻撃計画 ブッシュのイラク戦争」
ボブ・ウッドワード著
日本経済新聞社 ¥2310
9・11同時多発テロと、それを口実としたアメリカによるアフガニスタン戦争・イラク戦争は世界を大きく変えた。
イラク戦争・占領は、ブッシュ政権の当初の甘い幻想を打ち破って「泥沼化」「ベトナム化」の状況を明らかにしてきた。
ブッシュ政権は、どのようにして、どのような思惑をもってイラク戦争をはじめたのか。
ボブ・ウッドワードの「攻撃計画 ブッシュのイラク戦争」は、アメリカ帝国主義の権力中枢において、イラク戦争開始の内幕を暴露したものだとして、評判をよんでいる。
「本書に記されている情報は、戦時内閣、ホワイトハウスのスタッフ、国務省や国防総省やCIAのさまざまな地位にある政府関係者など、重大な出来事に直接かかわった七五人をこえる重要人物から得た。」(読者へのノート)
たしかに、ブッシュ大統領をはじめとするインタービューとさまざまな資料を駆使しての分析には圧倒的な力量がある。
すこしウッドワードの叙述を追ってみよう(「……」は本書からの引用)。
イラク戦争は、二〇〇一年一一月二一日にホワイトハウスのシチュエーションルームでブッシュ大統領がラムズフェルド国防長官に作戦計画作成を命じたことから始まった。
イラクのサダム・フセイン政権は、抑圧的な独裁体制であり、しかも化学・生物兵器という大量破壊兵器を開発・保有し、ビン・ラディンなどのテロリスト集団と連携して危険な状況が生まれているとして、ブッシュ政権は、中東の平和と民主化のために先制的にフセイン政権を打倒する、それが唯一の超大国としてのアメリカの神聖な使命だというのだ。
9・11事件が起こった当日のこと、ジェット機に突入された国防総省の中での話として「その日の午後二時四〇分、埃と煙か指揮所に立ちこめるなかで状況を把握しようとしていたラムズフェルドは、テロ攻撃の対象としてイラクを攻撃できるだろうかと、国防総省幹部にたずねた」という証言があり、「九月一六日日曜日の午後、ブッシュはライスに、テロとの戦争の最初の攻撃目標はアフガニスタンになると告げた。『いまはイラクはやらない』とブッシュは言った。『イラクは除外する。だが、いずれはその問題に戻ることになる』」とある。
しかし、アメリカがフセイン政権の転覆を狙ったのはブッシュ政権がはじめてではない。
パパ・ブッシュはどうだったか。「一九九一年の湾岸戦争後、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、CIAにフセイン政権転覆を許可する大統領令に署名した」。
次のクリントン政権も同様だ。「……クリントン政権から引き継ぐことになる対イラク政策……。これを理解している向きはそう多くないが、その根幹をなす政策は『政権転覆』である。一九九八年に議会が成立させ、クリントン大統領が署名した法案は、イラク反体制派に九七〇〇万ドルの援助を行い、『サダム・フセインを頭目とする政権を取り除いて、民主的な政権の出現を促す』ことを正式に承認している。」
パパ・ブッシュ(共和党)、クリントン(民主党)、現ブッシュ(共和党)政権と、歴代アメリカ政権はいずれにしろフセイン政権の打倒を政策としていたわけだ。
だが、そういう政策を持っていたとしても、具体的に戦争を発動するというのには、それに適した政権の登場、無謀な首脳たち、特異な性格の大統領の登場が必要であろう。それが現ブッシュ政権だった。大統領選挙戦でかろうじて勝ったブッシュは、これまでの政権と違う突飛な行動で目立っている。
イラク現地時間、三月二一日午前六時、第一海兵師団がクウェート・イラク国境をこえ、第三機械化歩兵師団が続き、イラク戦争が開始された。
翌日、ブッシュはイギリス首相ブレアと電話で話し合った。
「『イラク軍は熔けてなくなろうとしている』ブレアが言った。『熔けてなくなろうとしている』ブッシュがオウム返しに言った。」
「ブッシュ大統領は勝利の踊りはやらない、戦勝に浮かれてはいけないという、みずからの言葉をないがしろにした。五月一日、テキサス州空軍のジェット戦闘機パイロットだったブッシュは、飛行服を身につけ、サイディゴ沖の空母<エイブラハム・リンカーン>に降り立った。飛行甲板から国民に向けての演説を行い、『イラクにおける大規模な戦闘作戦は終結した』と宣言した。とはいえ、厳密にはそれを修正するように、こういましめた。『イラクでの困難な作業が残っています』 戦勝の演説であることは、疑いの余地がなかった。演説するブッシュのうしろに、《任務完遂》と描かれた大きな垂れ幕があった。」
これが、ブッシュにとって絶頂期だった。それから、ブッシュはベトナム戦争の時と同様にアメリカが「泥沼」に引きずり込まれたことを感じさせられる。
好戦派はつねに戦争を甘くみるが、ブッシュ政権も同様だ。
イラクとの戦争を想定して議論が重ねられたが、軍からは慎重な意見が続出、派遣軍は五〇万人をこえるものが必要だと意見が出され、陸軍参謀総長のエリック・K・シンセキ大将は兵站の支援に懸念を表明した。だが、それらは、無視されることとなった。
このことについて、ベトナム戦争、湾岸戦争を戦ったパウエル国務長官は言う。「戦争計画の立案が一年四カ月近く進められるあいだ、パウエルが感じていたのは、戦争が楽に思えてくるにつれて、ラムズフェルドと国防総省とフランクス(中央軍司令官)が戦後の影響に無頓着になっていくということだった。まるでイラクがクリスタルのゴブレットで、こつんと叩けば割れるとでも思っているようだった。ところがビールのマグカップぐらい頑丈だった。」
ラムズフェルドらは、イラク戦争は短期で決着がつくと想定して、ウォルフォウィッツ国防副長官などと、RMA(軍事分野での革命)による最新鋭兵器による爆撃・砲撃・ミサイル攻撃でほとんど勝負が決まるとしていた。この攻撃は、見えない多数を敵と見なして攻撃を仕掛けるものであり、イラクの民衆に膨大な死傷者をうんでいる。しかし、現実はパウエルなどが危惧していたように、フセイン政権残党のみならず、スンニー派、シーア派、その他の勢力のゲリラ戦にとりまかれ、九月には米兵の死者はついに一〇〇〇名を上回った。
この本では、ブッシュ政権ではチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官らの好戦派とこれに批判的なパウエル国務長官、アーミテージ国務副長官ら対立があったとされている。
そして、ラムズフェルドらのイラク戦争の強行にアーミテージは不安を持つ。
「イラク戦争には、後々まで残るふたつの重大な困難があると、アーミテージは考えていた。騒擾を押さえて最後には治安を維持できるとは思うが、米軍は一〇年以上も犠牲を出しすぎることになるだろう。陸軍はとくに手薄になっている。なにしろ三つの戦争を同時に行っているのが現実なのだ―――まだ片付いていないアフガニスタン、イラク、そしてテロリズムとの戦い、クリントンの政権の平時の規模とおなじ軍隊でそれをやろうとすること自体、論理的でなく、不可能である、というのがアーミテージの意見だった。しかし、ブッシュ政権はそれをやろうとしている」。
イラクには大量破壊兵器はなかった、アメリカなど占領軍はイラク民衆の敵意に取り囲まれ、イラク暫定政権への「主権委譲」はまったくうまくいっておらず「イラク・中東の民主化」など砂漠の蜃気楼以下のものになっている。
イラク戦争はアメリカになにをもたらしたか。アメリカ軍の力への誇大妄想だけではない。単独行動主義はアメリカの孤立をもたらした。湾岸戦争時には各国がアメリカの戦費を負担させられたが、イラク戦争では米軍は、イギリス、オーストラリア、日本など少数の国を除いて「助け」はない。全部、自前でやらなければならない。クリントン政権時に黒字となった米国家財政は、ブッシュの金持ちへの減税政策とあいまって急速に悪化している。兵士の犠牲は増えつづけている。それも貧しい階層の若者たちが大部分だ。仕置きも士気も落ち、アブ・グレイブ刑務所での拷問・虐待も起こった。
本書を読んで思い出すのは、アメリカのエリートたちがベトナム戦争に入っていく時に示した「愚劣」さを描いたデイヴィッド・ハルバースタム「ベスト アンド ブライテスト」だ。その教訓はまったく生かされていない。
それと関連して、最近出た田中宇「非米同盟」(文春新書)に触れておきたい。田中は新進気鋭の若手ジャーナリストで面白い分析が多い。しかし「アメリカの行動の異様さ」(9・11事件に対する捜査の不十分さ、先制攻撃や単独覇権主義の提唱、大量破壊兵器でウソをついてのイラクへの侵攻)を、アメリカの世界多極化にむかっての自覚的な「自滅作戦」だとしているのは、どうだろうか。東条英機は、すでに侵略した中国で全民族的な抵抗に直面し、完全に「泥沼」におちいっているにもかかわらず、一九四一年、アメリカ、イギリスなどへの戦争にうって出た。客観的にみれば、負けるとわかっている、そうなれば国体(天皇制)に重大な打撃がくる、にもかかわらず戦争を世界を相手の戦争に入っていった。東条は、大日本帝国を破滅させるためにそうしたのか。それとおなじように、ブッシュのイラク戦争も帝国主義侵略者の驕りと愚劣さとしてよいのではいないだろうか。(MD)
複眼単眼
120年前の秩父農民の自由民権・反天皇制革命闘争
「恐れながら天朝様に敵対するから加勢しろ」
この言葉は一二〇年前、埼玉・秩父・風布村の農民大野苗吉(困民軍副大隊長)のすさまじいばかりのオルグの言葉だった。
追いつめられたがゆえにたたかうのではない。苦しいがゆえにたたかうのではない。
いや、そうではあるが、無謀なやけっぱちの暴発などではない、この秩父の農民たちの持っていた思想の高さは感動的でさえある。
言うまでもなくこの場合の「恐れながら」は本当に恐れ入ってのことではない。「天朝様」などと言っても、実は何ほどの者ぞという気概がある。天皇を頂点にした圧政を変え、民衆の国を作るという気概がある。
この少し前、農民たちが秩父の小鹿野警察に負債年賦の請願をだしたとき警察が言った。
「貴様ら自由党に何ができるか」、そのとき農民たちは叫んだ。「やるとも、やるとも」と。
「世直しだ、加勢しろ」、明治の初年に命がけでこういうことを叫び、農民を説得して回った者たちが秩父の山間部の農村にいた。
時は一八八四年(明治十七年)十一月。明治天皇制国家の草創期であり、絶対主義天皇制の基礎が作られた頃のことだ。
山々が赤く彩られた秩父の村々から蜂起した農民たちが椋神社にあつまり、さらに行軍しながら膨張し、「潮の涌くがごとく」大宮の町(現・秩父市)を見下ろす音楽寺に終結した。そこから寺の鐘の音を合図に「迅風のごとく」川を渡り、野を越えて郡役所のあった大宮の町(現・秩父市)を襲い、官吏を追い払って「革命本部」を設置した。
一〜二万の武装した農民に占拠された大宮郷は「無政の郷」となった。
「無政の郷」といわれたが、これは中央の国家権力の支配が及ばないところの意味であり、私的な乱暴狼藉はなかった。民衆の中から生まれた、民衆自身が武装した困民軍の真骨頂だ。あの日本人人質を確保したファルージャのゲリラたちを思い起こす。あのとき、高遠さんたちが夜となく、昼となく語り合った彼らもまた農民であり、ゲリラであった。
蜂起軍の参謀長・菊池寛平が起草した軍律五カ条は以下の通り。
第一条 私ニ金円を略奪スル者ハ斬
第二条 女色ヲ犯ス者ハ斬
第三条 酒宴ヲ為シタル者ハ斬
第四条 私ノ怨恨ヲ以テ放火其他乱暴ヲ為シタル者ハ斬
第五条 指揮官ノ命令ニ違背シ私ニ事ヲ為シタル者ハ斬
かつての中国紅軍の「三大規律八項注意」にも似た軍律だ。こうした「軍律」の持つ意味は現代の価値判断の物差しで測るのではなく、当時の物差しで測るならば、そのぬきんでている民衆性が理解できよう。
その昔のNHKの大河ドラマ「獅子の時代」では、乱の中で「自由自治元年」ののぼり旗が立ったことになっているが、これを立証する資料は今のところない。しかし、立ち上がった農民の中にそうした意気込みがあったことは否定できないだろう。この旗はすばらしいロマンだ。
今年は秩父蜂起から一二〇年目、それを記念して神山征二郎監督が作った映画「草の乱」の公開上映が始まった。
筆者はまだ観ていないので、評価はできない。映画のキャッチフレーズは「一二〇年前の埼玉に凄いやつらがいた!」となっている。
本当は「一二〇年前のこの国に凄い奴らがいた」と言ってもよいほどの闘いだった。観に行きたいものだ。(T)