人民新報 ・ 第1144 号<統合237(2004年9月25日)
  
                  目次

● 教育基本法改悪ストップ

● 憲法九条、いまこそ旬  九条の会・発足記念(大阪)講演集会

● 9・17 けんり総行動  フィリピントヨタ労組が全造船労組加盟・団交要求提出

● 公共サービス低下・労働条件低下の郵政民営化に反対しよう

● 伝統的な保守本流の行き詰まりの中で登場した改憲論

● 秩父蜂起のめざしたもの ー映画『草の乱』を観てー   北田 大吉

● 複眼単眼  /  それでもやっぱり コスタリカ憲法はすばらしい




教育基本法改悪ストップ

 与党教育基本法改正に関する協議会が「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(中間報告)」(六月一六日)を公表し、政府・支配階級が憲法改悪の前段と位置づける教育基本法改悪をめぐる闘いは新たな段階に入った。秋の臨時国会、来年の通常国会にも教育基本法改悪案の上程が予想され、全国的な統一した反対運動が求められている。

 九月一八日には、日比谷公会堂で、日教組をはじめフォーラム平和・人権・環境、部落解放同盟、平和・人権・民主主義の教育の危機に立ち上がる会、子どもの人権連、子どもと法・21、全国退職女性教職員の会、日本退職教職員協議会、教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会呼びかけ人など九団体で構成する教育基本法改悪ストップ!実行委員会の主催で「徹底討論『愛国心』『伝統文化』とは何か? 教育基本法改悪ストップ!全国集会」が開かれ、教職員をはじめ二五〇〇人が参加した。
 この集会の目的は、憲法・教育基本法の改悪を許さないための幅広い運動をつくりだすこと、教育基本法・子どもの権利条約を生かす運動をつくりだすこと、だった。

 はじめに、前中教審委員の市川昭午国立大学経営財務センター名誉教授が、「与党教育基本法改正に関する協議会『中聞報告』の特徴と問題点」と題して特別報告を行った。
 現行教育基本法の特徴は第一に教育や学習の権利章典であること、第二に目本国憲法と不離一体の教育憲法であること、第三に教育に対する教育行政の介入について抑制規定を有することの三つだ。今回の報告は一口でいってそうした教育基本法の特色を抹殺することを狙っている。
 問題点の第一は教育に関する権利章典から教育勅語へと教育基本法の基本的性格を全面的に変えようとしていることだ。それは「民主的で文化的な国家の建設、個人の尊厳の重視、真理と平和を希求する人間の育成、平和的な国家及び社会の形成者の育成、個人の価値の尊重、自発的精神の涵養、文化の創造と発展への貢献」など教育の目的や方針として重視されてきた教育基本法の基本理念の大部分を削除し、それに代わって国民が順守すべき徳目を教育の目標として、「真理の深究、豊かな情燥と道徳心の涵養、健全な身体の育成。一人一人の能力の伸長、創造性、白主性と自律性の涵養。正義と責任、自他・男女の敬愛と協力、公共の精神を重視し、主体的に社会の形成に参画する態度の涵養。勤労を重んじ、職業との関連を重視。生命を尊び、白然に親しみ、環境を保全し、よき習慣を身に付けること。伝統文化を尊重し、郷土と国を愛し(大切にし)、国際社会の平和と発展に寄与する態度の涵養」など二〇項目をあげている。
 問題点の第二は教育基本法を日本国憲法から切離そうとしていることだ。教育基本法は「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示」すると共に、日本国憲法と関連する事項に限って教育上の原則を規定、教育基本法は日本国憲法を補完するものである。であればこそ教育基本法の全部改正は憲法の全面的改正の踏み石としての役割を担うものとなっている。
 第三は教育基本法を実質的に裁判規範として機能させない方向を目指していることだ。中間報告は一〇条一項の前段「教育は不当な支配に服することなく」を「教育行政は不当な支配に属することなく」に変えている。主語が教育であれば不当な支配をする勢力の中に教育行政も含まれるが、主語が「教育行政」となれば不当な支配をする勢力から「教育行政」が除かれる。それどころか教育行政の正当性は自明とされ、教育行政に対する外部からの働きかけを「不当な支配」として俳除する口実にも使われかねない。

 つづいて、歌やコント・ニュースペーパーなどのパフォーマンスをはさみながら、「愛国心」「伝統文化」についての「鼎談」(ていだん)が行われた。鼎談ではジャーナリストの斎藤貴男さん、作家の朴慶南さん、高橋哲哉東京大学教授が登場し、渋谷での若者へのインタビューのビデオを織りまぜての発言が続いた。
 集会はアピールを採択し、銀座・東京へのパレードに出発した。

ア ピ ー ル

 生き方の選択 まさに時代の分岐点としての今
 ここに立ち 選択を迫られていることを
 わたしたちは 今日 この集まりに参加して 改めて確認した そして決意した
 再び 選択の過ちは繰り返さない
 再び 生命を国家に捧げるような世の中はつくらせない

 選択――わたしたちの生き方にかかわる社会のあり方
 個人の尊厳・人権が基調か 国家の威信と「国益」が基調か
 平和・戦争放棄を大切にするか 戦争のできる国家を目指すか
 国家を形成する主権者としての市民か 国家に従属し利用される国民か
 機会均等・平等の社会か 能力主義・差別の社会か
 個人の良心を大切にする国家か 愛国心を強制する国家か

 憲法・教育基本法を定めることで選びとった
 個人の尊厳・人権 戦争放棄・平和 民主主義・自治を基調とする社会
 その価値が その基調が さらにしっかりと根を張り伸ばすときが今
 憲法・教育基本法を定めることで選び取った
 この生き方の基調を 私たちは手放さない
 その価値が その基調が さらにしっかりと根を張り伸ばすときこそ今

 だから この「今」に抗う者たちが 叫ぶのだ
 伝統文化! 道徳の振興! 国旗掲揚・国歌斉唱! 畏敬の念を持て!
 日本人としての自覚! 国を愛する心! お国のために生命を捧げろ!
 だから その「今」を捻じ曲げようとするものたちが たくらむのだ
 教育の権限を国家が握り 子どもたちをお国のための人材に作り上げる
 それが 教育基本法と憲法の改悪
 市民のための教育から 国家のための教育へ
 権利としての教育から 義務としての教育へ

 わたしたちは けっして許さない!
 教育基本法・憲法の改悪を その精神を踏みにじる改悪を
 私たちは決意する! 教育基本法の精神を生かす教育を みんなでつくり出すことを!

二〇〇四年九月一八日

 教育基本法改悪ストップ!全国集会参加者一同


憲法九条、いまこそ旬  九条の会・発足記念(大阪)講演集会

 九月一八日、大阪・中之島中央公会堂で、『九条の会』発足記念大阪講演集会が開催された。今回、作家の井上ひさし氏、小田実氏、澤地久枝氏の三氏のお話を聞くことができた。会場につめかけた人は約四〇〇〇人。約二五〇〇人の人は公会堂に入れず何重にも会場を取り囲んでスピーカーで講演を聞くという盛況ぶりであった。
 井上ひさし氏は、国民と憲法と時の権力者そして最高裁判所の関係を分かりやすく説明した。イタリア、ドイツでも憲法の基本は絶対に変えてはいけないと謳っている例をだしながら、日本国憲法の三つの基本原理『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』は恒久の将来にわたり変えてはならないものだと述べた。また、改憲論者の「押しつけ憲法」論やプライバシー権、環境権に名を借りた改憲の新しい手口のナンセンスさを強調し、プロ野球で選手会がストライキを行うことができるのは日本国憲法が生きている証拠であるとし、私たちは静かにゆっくりとにこにこと運動をやりましょうと述べた。
 小田実氏は開口一番、私たちは敗戦直前の大阪大空襲の出来事を忘れてはいけないと言い、米軍の写した廃虚となった当時の大阪の写真を示しながら話した。それは意味のない一方的な破壊と爆撃で、それが今もアフガニスタン、イラクで繰り返されている。一九四五年五月にはヒトラーは自殺しドイツは降伏した。六月一九日に大阪の大空襲、六月二三日には沖縄が制圧され、八月六日に広島、九日に長崎に原爆が投下された。だが日本政府は「国体護持」つまり天皇の命乞いを条件としてつけ、敗戦をなかなか認めなかった。しかし、八月一一日のアメリカの全新聞は『日本は負けた』と書き、ニューヨークの市民はVサインで戦勝パレードを行っていた。大阪大空襲は日本の敗戦の一日前のことであった。八月一四日B29六〇〇機による空襲再開で大阪は壊滅した。そこでは爆弾と一緒に『国は降伏した』というビラを落としていった。いったい死んでいった人は何のために死んだのか。これは日本軍が中国重慶で行った大爆撃と同じ残虐な行為なのだ。アメリカが行った破壊と爆撃は世界に「世界人権宣言」をつくる必要を知らせることになったが、「世界平和宣言」もつくらなければならなかったという教訓も残している。日本の平和憲法の価値をもっと考えなければならない。戦争によってはなにも解決できない。
 澤地久枝氏のお話。今日は九月一八日、七三年前に関東軍の策謀によって起こされた満州事変のはじまった日であり、中国では「屈辱の日」として銘記されている。当時の歴史を振り返ってみると日本軍は戦争はすぐ終わると思っていた。そこに誤算があった。そこには相手の内容・変化などきちっとものを考えるという姿勢がない。その当時の中国国内では大変な困難を克服して国民党と共産党の国共合作に成功して日本軍と闘った。日本軍はインド・ビルマ戦線などでも補給路も確保せずやたら攻撃しつづけるという愚行を繰り返した。私たちは、内容のない空虚な意見がまかり通ってしまう間違いだらけの愚かな歴史経験を持ってしまった。


9・17 けんり総行動

  
 フィリピントヨタ労組が全造船労組加盟・団交要求提出

 九月一七日、争議団の一斉行動である「けんり総行動」が闘われた。
 朝から、みずほ銀行(全統一労組光輪分会 組合否認)、朝日新聞(全国一般東京なんぶ 差別)、昭和シェル石油(全石油昭和シェル労組 賃金差別・不当配転・転籍)、フジTV(反リストラ産経労 解雇)、東京スター銀行(埼京ユニオン・カメラのニシダ)、タイソンフーズ(労働安全センター 組合否認)、由倉工業(全国一般由倉労組 不当労働行為)、郵政公社(4・28郵政不当処分)、国土交通省(国労 一〇四七名解雇)、NTT(東京労組NTT関連労組 解雇)、メレスグリオ(なかまユニオン 解雇)、都庁(東京労組 文京七中解雇)、日逓(郵政ユニオン日逓支部 賃金差別)、ケーメックス(全統一労組ケーメックス分会 団交拒否)、大塚製薬(全国一般全国協大塚製薬労組 解雇)、トヨタ(全造船関東地協)の企業官庁に対する抗議・要請行動を展開した。

 国土交通省前では、けんり総行動と東京争議団共同行動が統一して集会をもった。
 はじめにけんり総行動の押田議長があいさつ。
 国鉄闘争では、一〇四七名の解雇についての政府の責任を追及していかなければならない。国労闘争団、全動労争議団の闘いは、労働者の魂は断じて売らないという気持ちをあらわしている。多くの労働者による支援をひろげていこう。鉄建公団訴訟は近々に結審の時を迎える。八月の建交労(全動労)大会は鉄建公団訴訟への取り組みについて決定を行った。国際的にもILOの場においてわれわれの闘いへの理解が深まっている。国を追い込み責任をとらせるための闘いを強めて行こう。
 つづいて東京争議団共闘会議の小関議長があいさつ。
 東京争議団は四二年の歴史のなかで七〇〇をこえる争議の解決のために献身してきた。いま三人に一人が不安定雇用の状態にある。二つの総行動の結節点としてこの国土交通省前の闘いがあるが、労働者の大きな団結で闘いを前進させて行こう。
 つづいて、国労闘争団第四五波上京団団長と全動労争議団事務局次長が決意表明した。

フィリピン・トヨタの闘い


 一日行動の集結地はトヨタ東京本社。フィリピントヨタの二三三名の労働者解雇に抗して、フィリピントヨタ労組のエド・クベロ委員長ら代表が来日し、けんり総行動で闘った。
 フィリピントヨタ労組は一九九八年四月に独立組合として結成され、二〇〇〇年三月に「組合承認選挙」が行われた。賛成は過半数をこえたが会社は異議を申し立てたが、二〇〇一年三月一六日に、フィリピン労働雇用省長官の裁定で組合勝利が確定した。にもかかわらず、同日、会社は組合員二二七名(その後二三三名に)を解雇、七〇名を停職処分とした。口実は、労働雇用省の公聴会への参加が「無断欠勤」にあたるというものだった。二〇〇一年四月に、エド委員長が初来日し、日本の労働者とともにトヨタ東京本社への抗議と申し入れを行った。日本では神奈川を中心に支援運動が大きく広がった。フィリピントヨタ労組は、総行動前日の一六日付けで、日本の全造船関東地協に加盟し、総行動ではトヨタに日本の組合の支部として正式に団体交渉を申し入れた。
 トヨタ東京本社前の行動ではエド委員長があいさつし、交渉団とともに本社に入った。本社前集会では、フィリピンのタガログ語や南米日系人のスペイン語などの歌・シュプレヒコールが行われ、グローバリゼーション時代の労働運動の様相を呈していた。
 本社に入った労組側は、加入通知を提出すると同時に、団体交渉要求書を提出した。
 しかし、トヨタ側は「フィリピンの問題であり、日本トヨタとは関係がない」という不誠実な対応に終始した。国際的に連帯した闘いでトヨタを追いつめる運動を進めよう。

フィリピントヨタ労組の団体交渉要求書

 フィリピントヨタ労組(TMPCWA)が神奈川地域労働組合に加入したことにより、以下の要求を行います。
 一、二〇〇一年に行ったフィリピントヨタ労組(TMPCWA)組合員二三三名の解雇を直ちに撤回すること。
二、労使間の交渉ルールを確立すること
 三、以上の二点について、二週間以内に団体交渉を行うこと。
 四、団体交渉の出席者は、会社側についてはトヨタ自動車の社長或いはフィリピントヨタ担当重役が出席すること。組合側についてはフィリピントヨタ労組(TMPCWA)組合三役と上部団体である全日本造船機械労組関東地方協議会・神奈川地域労働組合の三役。
 五、団体交渉開催場所は、トヨタ本社内としフィリピンから出席する場合の交通等関係諸費用は会社が負担すること。


公共サービス低下・労働条件低下の郵政民営化に反対しよう

 九月七日政府財政諮問会議は、郵政民営化の基本方針をまとめ、一〇日には、小泉首相の専断強行によって与党合意がないまま閣議決定され、郵政民営化法案が来年年明けの通常国会に上程されようとしている。
 「はじめに民営化ありき」の小泉内閣の郵政民営化方針は、民営化の必要性や民営化による市民・利用者への公共サービスの変化についてなんら説明がされていないものである。この郵政民営化は、市民・利用者には国鉄の分割・民営化と同様の結果をもたらすものとなろう。JRでは赤字不採算ローカル線は廃止された。郵政合理化でも、全国一律の公共サービスは崩壊していくことは間違いない。労働者にとっても賃金・労働条件の低下は必至だ。そして、一部の独占資本経営者・高級官僚たちが甘い汁を吸う構造がつくられるのだ。

 郵政労働者ユニオン中央本部は、九月一二日、「『郵政民営化基本方針』に対する見解」を発表した。「見解」は、経済財政諮問会議の基本方針が「銀行や生保業界の利益擁護のための論」であり「当初から市民・利用者の視点を排除した民営化議論」であるとして、五つの問題点を指摘している。

 純粋持ち株会社の下に窓口ネットワーク会社を含めた四つの子会社を置き、それぞれ株式会社として独立させるとしているが、各事業会社として独立した運営が可能か否かの説明、つまり、四会社独立後の採算に関する詳細な説明が一切なされていない。
 公共サービスの柱として郵便局は全市町村に設置され、それによってこれまで地域の公共サービスとしてのインフラ機能を維持してきたのであるが、不採算地域における郵便局の維持は「経営上困難」ということになり、廃局という流れが加速し、ネットワークが解体されることは必至である。
 目先の利益のためにコスト削減と収益力強化のための事業体質の転換を企図したリストラは必至である。
 公共サービスは公共の福祉という土台の上になされなければならないのに、政策的かつ福祉的サービスである第三種や第四種郵便物が廃止される可能性が極めて高い。
 「民営化の時点で現に郵政公社職員である者は新会社設立と共に国家公務員の身分を離れ、新会社の職員となる」としているが、これは 日本経団連等の「首切り自由」の社会システム作りの流れをさらに加速させる効果を生む。
 そして、「私たちは、民営化には……反対であるが、現在の郵政公社をそのまま存続せよという立場には立たない。営利企業化を推進し、特定局制度を含めた利権・天下りを温存した郵政公社をこのまま放置すれば、民営化にならずとも郵政事業の公共性を破壊することは明らかであるからである。 公共サービスは広義の社会保障制度であるが故に、市民・利用者とそこで働く労働者が共に、管理と運営に参加できるシステム作りが重要である。市場経済万能主義の中で、社会のセーフティネットの構築が求められているが、その役割を郵便局が果たさなければならない。

 また、郵政ユニオンは、市民不在の郵政民営化に対して「郵政民営化を監視する市民ネットワーク」の形成を呼びかけている。
 小泉内閣の郵政民営化、郵政労働者にたいする大合理化攻撃に反対する広範な戦線をつくり出して行こう。

郵政民営化問題を考える市民懇談会のご案内

 市民のみなさん、こんにちは。
 私たちは、郵政関連で働く常勤職員だけでなく、ゆうメイトと呼ばれる非正規雇用の労働者などで組織されている労働組合です。
 私たちは、これまで、「サービス残業」の告発やゆうメイト職員の雇い止め解雇問題、過労死や過労自殺を生んでいる現在の郵政公社の労務実態や労働実態を職場から告発してきました。
 また、連合系大労組が、「強い公社」を追い求めるのとは異なり、「市民・利用者に開かれた公社」「社会的に有用な郵政事業」をもとめ、シンポジウムの開催やパンフレット等を発行してきました。
 九月一〇日、政府は、臨時閣議を開き、「郵政民営化の基本方針」を決定しました。この間、経済財政諮問会議での意見対立をうけ大手メディアがこの民営化問題を取り上げてきましたが、大半が「いかに郵貯・簡保が日本の金融システムをゆがめているのか」という早期民営化を後押しする主張が目立っていました。
 とにかく、「民営化すればいい」という結論だけが支配する議論からはとてもこれからの社会に必要な金融・財政システムのあり方は生まれないと思われます。郵政事業に係わる議論も同様でした。
 議員の関心事は、「局舎の利活用」と「物流部門での海外進出」で、これまで果たしてきた郵政事業の役割への評価やこれから求められる郵政事業のあり方・サービスの内容についての真摯な論議は聞かれませんでした。
 これから法案作成作業に移り、来春の通常国会には民営化法案が提出されようとしています。法案作成作業でどのような修正がほどこされるかは不明ですが、道路公団の民営化と同じく、利害関係者の政治力学で決着させられてしまう可能性もあります。
 秋から来春にかけて市民・利用者と郵政職場で実際に働くものが協力しながら議論の進行を監視することが必要です。また、市民・利用者や働くものの声をこれからの論議に反映させていかなければならないと思われます。

 私たち郵政ユニオンは、そのための第一弾として下記の要領で「郵政民営化問題を考える市民懇談会」を設定しました。
 市民・利用者、ジャーナリストの皆さんとユニオンとの共同がこの懇談会を契機に更に広がることを期待して取り組みます。
 時節柄お忙しいとは思いますが、万障繰り合わせてご参加いただければ幸いです。

 と き / 9月26日(日)14時〜17時

 ところ / 東京秋葉原・和泉橋区民館

 内 容:
 @ 市民運動から見た郵政民営化問題 / アタック・ジャパン
 A 「基本方針」をどう見るか / 郵政ユニオン
 B 「郵政民営化を監視する市民ネットワーク」についてのご提案 / 郵政ユニオン

郵政労働者ユニオン  東京都千代田区岩本町3―5―1 スドウビル 郵政共同センター
 п@03(3862)3589   postunion@pop21.odn.ne.jp


伝統的な保守本流の行き詰まりの中で登場した改憲論

 本紙前号では、六月に自民・公明・民主の各党憲法調査会が相次いで中間的報告をまとめたことと関連して、その中で憲法の意義と役割に関する根本的な変質が企てられていることについて指摘した。
 今回はこれらの「報告」のもう一つの特徴について指摘しておきたい。

自民党における復古主義の復活


 一九九六年四月の橋本クリントン会談における日米安保共同宣言は従来の二国間安保からアジア太平洋安保、さらにはグローバルな規模での日米同盟へと安保を再定義し直し、九七年の新ガイドライン安保へと進んだ。今日の改憲論はこの時期に合わせて準備された「憲法調査会設置推進議員連盟」(会長・中山太郎)の動きと不可分のものであり、新しい改憲論だった。
 それは従来の天皇の元首化や国家主義の復活などの復古主義的改憲論とは一線を画するもののように装っていた。
 たとえば同議連を準備するための「賛同のお願い」(九七年五月)はこう書いていた。
 「日本国憲法制定以来五十年、わが国は、国の内外で極めて大きな変貌を遂げました。……しかしながら現行憲法制定時には想像もできなかった国際社会の変化や、地球規模での情報化の進行、環境問題の深刻化、地方分権と共生社会の必要性や、青少年教育の荒廃などが生じており、現行憲法との乖離現象も多々指摘されております。……時あたかも憲法施行五十年を経過した今、二十一世紀に向けたわが国のあり方を考え、新時代の憲法について議論を行う絶好の機会であります」と。
 そして環境権やプライバシー権など新しい人権論を積極的に唱えようとした。これらによって九条改憲の企てをオブラートに包みつつ、改憲論議を進めようとしたのである。その後、設置された憲法調査会でも、従来型の奥野誠亮、中山正暉、中曽根康弘ら長老の主張する改憲論とは異なるスタンスからの改憲論が自民党の若手を中心に展開されてきた。
 これは現行憲法成立以来の日本の政治をになってきた保守本流の日米同盟(核の傘)のもとでの軽武装・経済成長という路線が行き詰まり、折からの米ソ冷戦の終焉という国際的情勢の変動と合わせて、日本の支配層が新しい路線を必要としていたことと不可分の動きだった。それは国家主義にとどまらない「新」国家主義をどこまでうち出せるかという問題だった。
 しかし結論的に言えば、経済や社会構造における「小泉改革」がうまくいかなかったように、改憲派は新しいイデオロギーによる改憲論の創出に失敗した。保守本流に取って代わった、戦後政治の総決算路線、中曽根→森→小泉の流れ、従来の政治で言えば傍流のタカ派路線は、米国でのブッシュ政権の誕生と、その反テロ先制攻撃戦略にみられる覇権主義に追随することで自らの役割をとらえ直し、日米同盟のグローバルな規模での展開と有事法制など戦争のできる国づくりへと進んだ。小泉首相による自衛隊のイラク多国籍軍への参加と、最近の国連安保常任理事国入りのための積極外交などはそうした動きに他ならない。
 最近の自民党の改憲論における復古主義的傾向はこれらの反映なのだ。

最近の自民党の改憲論調

 六月一〇日、自民党は「憲法改正プロジェクトチーム『論点整理』」を発表した。また同じく六月に自民党政調は「憲法改正のポイント」というパンフレットを同党所属の衆参議員に配布、参院選でのアピールの「虎の巻」に使った。
 この「論点整理」の冒頭で自民党憲法調査会の保岡興治会長が、「議論は、結果的に『新憲法を制定すべきである』という方向性を示すものとなった。もちろん、近い将来に行われるであろう現実的な憲法改正は、両議院の三分の二以上の多数の合意が必要であることから、各党間の具体的な憲法改正協議によっては、必ずしも全面改正という形にならない可能性も否定できない」として、全面改憲を主張するが、民主党など他の政党との調整を行い、両院とも三分の二の合意ができるものに絞って改憲の発議をするという考え方を述べた。
 また「論点整理」は「新憲法がめざすべき国家像」として、「品格ある国家」を掲げ、その内容には国民の「愛国心」と、「国際社会からの尊敬」を挙げ、「我が国の歴史、伝統、文化等を踏まえた『国柄』を盛り込むべき」とか、「天皇の地位の本来的な根拠はそのような『国柄』にあることを明文規定をもって確認すべきかどうか、天皇を元首として明記すべきかなど、様々な観点から、現憲法を見直す必要があると思われる」といっている。また「国の防衛及び非常事態における国民の協力義務規定を設けるべきである」と述べ、戦後のわが国では個人主義が利己主義に変質させられた結果、家族や共同体が崩壊したのだ、家族・共同体における責務を明確にする方向で新憲法に規定したいという復古主義的な考えが強調されている。
 前文や九条の平和条項に関しては、「自衛のための戦力の保持」の明記に加えて、集団的自衛権行使規定、非常事態規定、国際平和構築・国際貢献、集団的安全保障、地域的安全保障規定などを盛り込むべきだとしている。そして「二十一世紀において、わが国は、国力に見合った防衛力を保有し、平和への貢献を行う国家となるべきである」と主張して、米国のブッシュ政権が要求している「集団的自衛権の行使」のための改憲を積極的に進めようとしている。
 選挙演説用に作られた「ポイント」は有権者受けを狙ってこれを柔らかく表現しようとして「国民しあわせ憲法」を作るなどと言っているが、「品格ある国家」「家族や共同体が『公共』の基本」などとした上で、「歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値(すなわち「国柄」)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識を大切にし、同時に、日本国、日本人のアイディンティティを憲法の中に見いだし、憲法を通じて、国民の中に自然と『愛国心』が芽生えてくるような、そんな新しい憲法にしなければならない」と言っており、タカ派的色彩は「論点整理」と同じく濃厚だ。この時代に米国と共に米英同盟なみの日米軍事同盟を実現しようとする改憲派が「戦争のできる国」「戦争をする国」への転換を進める上で、やはり国家主義は不可欠であったというべきだろう。

民主党=新しい装いの改憲の主張の役割

 タカ派色、復古主義色を表面にださざるを得なかった自民党に対して、民主党の「中間報告」は破綻した保守本流路線にかわって、参院選で岡田代表のイメージを売りに出したような「クリーンな保守本流的路線」を前面にだした改憲論を試みている。その改憲論はできるだけ国家主義的復古的な者でなく、前向きのポジティブな改憲を主張している。これが新たな政治路線を模索する財界などの支配層に受け入れられるのかどうか、注目に値する。
 「提言」は「未来を展望し、前に向かって進む」などという章を設けて新しさを強調しているが、しかし、ここで言われている「自然と人間の共生」や「多文化社会」などの箇所には恐ろしく復古的なことが書いてある。「私たちは、日本が培ってきた『和の文化』と『自然に対する畏怖』の感情を大切にするべきであると考えている。……日本の伝統的価値観の中にその可能性を見出し、それを憲法規範中に生かす知恵がいま必要である」「『一神教的な』唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、日本社会に根付いた『多神教的な』価値観を大いに生かすことができるものである」などという文章をみると、その思考は驚くほど底が浅い。「和」の思想とか文化といわれるもの、例えば俗に言われる聖徳太子の「和」の思想などが、果たして何と何の「和」であったのか。ここでいう「和」は支配階級内部の闘争に終止符を打つためのそれに他ならない。
 あるいはかつての皇国史観が「国体の本義」の中で称揚したのが「和の精神」であったし、「五族共和」などの大陸侵略のスローガン、あるいは明治期の「北海道経営」とアイヌ民族抑圧、「琉球処分」等々においてこの「和」の思想は歴史的にどのような使われ方をしてきたのか。これらの歴史に思い至らないままに、「日本が培ってきた『和の文化』」、伝統的価値観などという安易な使い方をしていることを含めて、民主党の「提言」は全く問題にならない水準である。
 また「提言」は改憲派がうち出している九条問題に正面から対応することを避け、「文明史的転換に対応する創憲を」とか、「未来を展望し、前に進む」などといって、「アジアとの共生」「脱官僚」「脱集権」「新しい人権」などを先に論じ、そのあとで九条問題を論ずるという形をとって、独自性を示そうとしている。しかし、これは結局、争点を曖昧にすることで、九条改憲を容認するものであり、自民党などの積極的九条改憲派を利するものにはならないか。
 民主党内の明文改憲反対派の動向も含めこの党の今後は目が離せない。

ありうべき改憲の道の二つの可能性

 今後改憲派はどのような道を進もうとしているのか。世界平和研究所の会長をつとめる中曽根康弘は九月一五日、産経新聞のインタビューでこう述べた。
 「今年から来年にかけて各党、各界から改正草案が出てくるので、二、三年後には改正が政治日程に上ってくるだろう。その後、権力闘争ではなく、憲法という国家的課題を処理するための政界再編や連合勢力の形成、情勢次第では大連立もあり得ると思う。超党派的力を作り上げながら改正を実現すべきだ」と語っている。
 自民党は第一に、全面的改憲のために、あるいは現行憲法の大幅改定のためには時間がかかるので、当面は国会での多数議席を駆使してさらに解釈改憲や立法改憲(派兵恒久法の制定や、集団的自衛権行使のための国家安全基本法の制定)で切り抜けて行く可能性がある。
 もう一つは、第九条を中心に、米国の対日要求なども勘案し、必要最小限の改憲を実現する道だ。その場合、九条三項に自衛隊の国際貢献任務を明記するなどが考えられ、これは民主党の多くの見解と合致する可能性がある。この改憲には比較的時間がかからないと考える可能性がある。
 これらの策動に反対することと合わせて、いずれにしても改憲のためには国民投票は避けられないのであり、ここでの勝敗が当面のこの国の前途を大きく左右することは疑いない。日本の左翼が中曽根らの大連立構想と対決し、この歴史的な闘いで改憲阻止の統一戦線の提唱者、組織者、推進者としての役割を成功裏にはたせるかどうか、前途はここにかかっていると言っても過言ではない。 (G)


秩父蜂起のめざしたもの ー映画『草の乱』を観てー 

                    
北田 大吉

     120年前の日本に凄いやつらがいた!「草の乱」     
        監督 : 神山征二郎  
        出演 : 緒形直人(井上伝蔵)/ 藤谷美紀(井上こま) /杉本哲太(加藤織平)


 久々によい映画をみた。感動で胸をつまらせるシーンがいくつもあった。ときにはあまりの感動で涙が頬をぬらすこともあったが、秩父蜂起に対する思いいれが強すぎるという個人的な事情もあるから、これはかなり割引して考えなければなるまい。
 秩父蜂起は一八八四年一一月のことだから、ことしの一一月でちょうど一二〇年目になる。これを記念して神山プロダクションが二年の歳月と四億五〇〇〇万円の制作費をかけて今回、完成に漕ぎつけたのが、この映画である。もちろん自主制作である。製作資金をよせたのが一四〇〇余名、エキストラには実に八〇〇〇余名の人々が参加したという。

井上伝蔵の告白と回想


 場面は、一九一八年、北海道野付牛(現在の北見市)からはじまる。死の床にふせるひとりの老人が妻と長男を呼び寄せ、これまで名を隠し経歴も隠してきたが、実は自分は一八八四年の秩父蜂起で死刑を宣告された井上伝蔵だというのだ。
 蜂起から三四年…自分を含めて八人が死刑の判決を受け、そのほかにも多くの人々が権力によって虐殺された…

 映画はこうして、伝蔵の回想からはじまる。

 井上伝蔵は秩父下吉田村の豪商…といっても伝蔵の生家跡をみているので、豪商といってもピンとこない。しかし、かなりの文化人で、戸長役場の筆生でもあり、芸事にも堪能であったらしく、東京の芸者を落籍させて妻としている伝蔵は、やはり旦那衆のひとりだ。
 秩父蜂起がはじまったとき、「東京横浜毎日新聞」は、秩父は埼玉県内の北海道で、県の三分の一の面積を占めているが、周囲山岳でないところはない」と紹介していた。「風俗質朴なるも固陋にて、只他郡と交通するのみ、実は別国の如く農桑狩猟を業とし、生糸絹織物を産し、県下に於ては比較的貧なる地なり」と。
 岡山県の日本原で半世紀以上も反自衛隊闘争を闘っていた農民・内藤勝野さんを秩父にご案内したことがあったが、典型的な山村である日本原とくらべても秩父は山また山の国で、内藤さんはまず、こんなところで農民たちが暮らしていたこと自体に驚いておられた。
 田や畑はほとんどない。人々は切り立つような斜面に桑を植えて、蚕を飼って暮らしをたてていた。江戸時代には絹布、開港後は絹糸が秩父の唯一の生産物であった。人々は蚕からとれた絹糸を小鹿野、八王子、鎌倉街道を経由して、横浜まで運んだ。この絹糸の価格は、当時の松方大蔵大臣のデフレ政策によって大暴落し、さらには横浜の外国商人によってとことん買い叩かれた。
 農民たちはやむをえず高利貸に金を借り、とりあえず生活を維持した。農民が高利貸から金を借りる場合、土地を担保とするが、土地使用権はすぐには移動しない。この債権担保の形式を「書入レ」というが、この書入れにともなう利子は、「五両一分三月縛り」といい、元金五円につき一ヶ月二十五銭の利子ということである。
 このほかに、「切金貸」という様式がある。具体的には「二分切」「三分切」(二割引、三割引の意味)といわれ、債主があらかじめ二割、三割をさしひき、三ヶ月間二割、三割の利子とすることである。かりに「二分切」である年の一月に額面十円を借りたとすると、書換え、書換えで、十一月には額面二十六円十六銭になるという。
 期限までに元利ともども返せない人々は、高利貸が裁判所に訴え、「身体限り」となり、担保の土地は奪われることになる。一八八四年当時の秩父は、このような「身体限り」となった農民たちであふれていた。
 このような状態は秩父だけではなかった。北から福島、茨城、栃木、群馬、武蔵、信濃、山梨と東山道養蚕地帯は多かれ少なかれ、似たような状況におかれていた。これに政府の「富国強兵・殖産興業」政策が追討ちをかけた。道路、電信、徴兵、教育などの急激な開発のため重税が課せられた。政府のこのような政策に抵抗する人々は、当時の「急進派」である自由党に期待をかけた。政府は、自由党撲滅に血道をあげ、県令などの地方官を使って、自由党に期待する人々の反対運動を押しつぶしていった。
 おりしも福島、群馬と自由党殲滅に成功した政府は、その攻撃の刃を秩父に向けてきた。福島事件弾圧のついでに群馬事件を起し、宮部襄を中心とする群馬自由党を壊滅させた政府は、その矛先を村上泰治を中心とする秩父自由党壊滅に着手いようというのである。

秩父困民党の結成と蜂起の準備

 このような状況を背景として、井上伝蔵のもとにも自由党のオルグがやってくる。宮部襄と村上泰治だ。豪商とはいえ、農民たちの苦悩を日夜、まのあたりにし、専制政府を倒すことなしに人民の平穏はないと考えた伝蔵は戸長役場の筆生をやめ、自由党に入党する。上吉田の農民・高岸善吉も相次いで入党。
 秩父自由党の当面の活動は、農民たちの借金証書をもって高利貸と交渉し、借金の返済を四ヵ年据置、四十年間年賦償還を実現することである。かれらは自由党とは別に高利貸から借金している農民を「困民党」に組織し、高利貸との集団交渉をはじめる。しかし高利貸はこれに応じようとしない。かれらは、秩父の警察に請願し、高利貸を警察から説諭させようとするが、高利貸の鼻薬のまわっている警察は、逆に、農民たちの請願活動を妨害する。結局、警察も、裁判所も高利貸とグルだったことに農民大衆が気づいたとき、かれらの闘争は国家権力との闘争に転化する。風布の大野苗吉が「天朝さまに敵対するから、加勢しろ」と農民たちに呼びかけた言葉は、困民党の闘争の本質を衝くものであった。
 大宮郷(現在の秩父市)の田代栄助を総理に選んだ困民党は、ついに十一月一日の蜂起を決定する。十一月一日を待たないで行動を起したのは、郡北の風布を中心とする村々であった。大野苗吉、大野長四郎、石田造酒之助などの組織者は、自村だけでなく郡境の外側にも働きかけていたが、二九日には風布を結集の中心とした。となりの金尾でも最後の集会が開かれた。翌三十日には、他村からきて潜んでいたものも姿をあらわし、武器をもって村内に駆出しをかけたため、八十戸の村で出ない家は三、四戸になった。
 蜂起の予定時刻は、十一月一日の午後八時で、午前二時ごろ大宮に向かって出発することになっていた。田代栄助は、午後七時ごろ、下吉田の椋神社で用意の「役割表」を発表した。副総理には石間村の加藤織平、会計長には井上伝蔵と上日野沢村の宮川津盛、参謀長には信州北相木村からかけつけた菊池貫平が任命された。参謀長菊池貫平は、軍律五カ条を読み上げた。
 夜八時、半鐘がなり、竹ぼらがほえ、農民の大集団は隊列をつくりながら、二手に分かれて出発した。十一時ごろ、甲乙両隊は、三百余の銃を乱射し、鬨の声をあげながら、東西から小鹿野の町へなだれこんだ。かれらは警察分署に乱入して書類を焼き捨て、一軒の高利貸の家に放火し、六軒に打壊しをかけた。この日、困民軍は小鹿野の鎮守・諏訪神社を中心にかがり火をたいて露営した。
 十一月二日、午前六時ごろ小鹿野の町を出発した困民軍は、十一時ごろには、荒川本流を望む寺尾山の長尾根に出て、やがて小鹿坂峠に達する。峠の真下に荒川の竹鼻の渡しがある。頂上の少し下に札所二十三番音楽寺がある。偵察にやった地元の柴岡熊吉から警備なしの二発の銃声がとどろく。困民軍は音楽寺の梵鐘をここをせんどと打ち鳴らし大宮郷に攻め込んだ。映画では、千四百名のエキストラが一斉に荒川を渡河するさまはまことに圧巻というほかはない。
 秩父神社ついで、秩父郡役所に本陣を移し、「革命本部」に集った農民たちは、手分けをして高利貸を攻撃した。この夜、借金証書を奪われ打壊しにあったもの四軒、焼き打ちにあったもの三軒だった。つぎに軍用金の募集である。軍用金集方の信州組・井出為吉を中心に、町内の豪家十件から合計二九八〇円…このなかに二五七円の官金が含まれていた。また近村に対するはたらきかけがなされた。宮川寅五郎の出番である。そのほか高岸善吉や坂本宗作の別働隊も動き、大宮に集合した農民は七、八千あるいは一万といわれた。

大宮郷の死守か東京への攻撃か


 幹部たちは、大宮占拠後の戦略を論議する。田代総理はあくまで大宮占拠を継続し、関東の一斉蜂起を待つという主張である。副総理などは、政府の戦略は困民軍を秩父郡内に封じ込めることであるかぎり、ここで空しく時を過ごすのではなく、浦和・東京へ押し出すべしと主張した。のちに田代栄助は「菊池貫平は最初から信州をめざしていた」と述べている。そこへ憲兵隊到着の報がとどき、とりあえず大宮防衛に策は決定した。しかし訓練されていない軍隊は、攻めるのは得意であるが、守るのはどうも苦手である。甲乙の両大隊は、防禦線を越えて進撃してしまった。そこで防禦のためにも大宮に本陣をおくことはできなくなった。田代総理はやむなく本陣を皆野に移すことを決定した。
 三日、皆野の本陣に凶報がもたらされた。甲大隊長の新井周三郎が捕虜の巡査に斬られて重傷を負い、指揮がとれなくなったというのだ。そこへ大野苗吉の乙隊が群馬で蜂起が起ったとの誤報につられて金屋方向に進撃し全軍壊滅という情報だ。田代総理はもはやこれまでと、事実上の本陣解体を決定する。
 こうして困民党の戦いは事実上、四日で敗退するが、ここから井上伝蔵の逃避行がはじまる。井上伝蔵は、関の斉藤家の蔵に二年余りかくまわれ、それから北海道にいって、そこで死ぬまで潜伏するのだ。
 しかし困民軍の戦いは、参謀長の菊池貫平を中心に、態勢を整えなおして、さらに続く。菊池貫平は、信濃の南北相木と連絡をとりあって、信州遠征をおこなう。途中、農民たちに困民軍への参加を呼びかけながら、八ヶ岳山麓の東馬流まで続く。東馬流では、憲兵隊と壮絶な銃撃戦をおこない、ついに壊滅した。菊池貫平は、井上伝蔵と同じく、欠席裁判で死刑を宣告されるが、やっと逮捕されたのちは余罪多数で裁判が長引き、ついに恩赦で釈放される。
 映画は、確かに、東馬流の銃撃戦までの史実を感動的に描き出しているが、井上伝蔵を中心として回想するかぎり、戦いは皆野の本陣解体で実際には終わっている。 (次号につづく)


複眼単眼

  
それでもやっぱり コスタリカ憲法はすばらしい

 中米のコスタリカについては本欄でも書いたことがあるように思うし、憲法の運動圏ではこの国の「非武装憲法」はかなり知られるようになった。2チャンネルレベルなど低い次元での中傷はあるが、人口四百万のこの国はやはり世界でも有数のすぐれた非武装国家であることは間違いない。詳細に述べる紙面はないが、一九四九年制定の憲法十二条で「恒久的機関としての軍隊の保有の禁止」「個別的、集団的戦争の審議、決定、参加の禁止」などを規定した。以来半世紀、環境立国、観光立国を国是として、高い教育水準を誇っている。
 ところがである。昨年三月下旬、米ホワイトハウスがそのサイトでコスタリカをイラク攻撃の「有志連合」に加えたことが物議を醸した。その後、コスタリカの現パチェコ政権は「三月十九日、米国のイラク攻撃当日、米国支持を表明していた」ことを明らかにした。この声明では「イラクでの軍事紛争の責任はフセイン側に」「平和とテロの紛争に於いて我々は中立ではない」などといっていた。
 コスタリカの学生や弁護士協会などがただちに違憲訴訟を起こした。
 コスタリカの最高裁には憲法法廷が設置されている。
 九月八日(現地時間)最高裁憲法法廷は米国のイラク侵攻を支持するとした政府の行為は、平和を求める同国憲法や国際法などの精神に反し、意見だとする判決を下したのだ。同時に有志国連合リストからコスタリカを外すよう米国政府に求めることも命じた。判決は即時発効し、過去に遡るため、コスタリカが米国を支持したことはなかったことになる。
 これはすばらしいことではないか。パチェコ政権のとった態度はけしからんことだったが、コスタリカの平和憲法は生きていた。裁判所はまさに憲法の番人として機能している。この国では立憲主義が機能しているのだ。
 日本ではコスタリカ憲法より明白な非武装不戦の憲法があるにもかかわらず、一九五九年一二月の砂川事件最高裁判決以来、統治行為論なる論理が裁判所を支配しており、このコスタリカのような判決が望めない仕組みになっている。統治行為論とは、「高度に政治的な意味を持つ国家の行為を裁判所は憲法審査をしない」という議論で、実は憲法上、何の根拠もない議論なのだ。だから日本の裁判所には具体的事件を離れて政府の行為の憲法適合性を審査する権限はないことになっているのだ。この行政権力と癒着した司法権力の欺瞞的論理が歴代政府の解釈改憲を許しつづけ、この国を違憲国家にしてしまったのだ。
 「現実と憲法の乖離」などといい、政府の際限ない解釈改憲を許してきた人びと、あるいはこれ以上の改悪をさせないためにも現実的な憲法判断を、などといって間違った「現実主義」を唱える人びとはコスタリカ最高裁の爪のあかでも煎じて飲めばよい。四〇〇万の人口だから日本とは違うなどと愚にもつかないことを申されるな。沖縄だってこの国にほとほとあきれて、自治・自立に向かいたいという人びとが増えてきているぞ。 (T)