人民新報 ・ 第1145 号<統合238(2004年10月5日)
  
                  目次

● 改憲・タカ派色を前面に押しだした小泉改造内閣と闘おう

● 大阪に続き九条の会京都講演会大きく成功  2000人の参加者が改憲阻止の決意

● 辺野古現地闘争に連帯して  海上基地建設のボーリング調査の即時中止を求める

● 原発事故多発時代  JCO臨界事故5周年行動

● 資 料 / 鉄建公団訴訟原告団の国労本部に対する抗議声明

● 『雅子の挫折・皇太子の不満 ―― 皇室スキャンダルを問う』

● 郵政民営化を監視する市民ネット

● 秩父蜂起のめざしたもの ー映画『草の乱』を観てー   北田 大吉

● KODAMA  /  プロ野球のストに思う  (東京・山田道美)

● 複眼単眼  /  国際社会の名誉ある地位と国連常任理事国




改憲・タカ派色を前面に押しだした小泉改造内閣と闘おう

 九月二十七日、第二次小泉改造内閣が発足した。小泉首相は、みずから「改革実現内閣」呼んでいる。この第二次改造内閣は、これまでにも増して改憲・タカ派色を鮮明に打ち出している。しかし、同時にこれまでになく矛盾を抱えた内閣でもある。われわれは、この第二次小泉の危険は本質を暴露し、憲法改悪阻止闘争を基軸とし、イラク・朝鮮反戦闘争を前進させ、郵政民営化、増税・大衆収奪などの攻撃に反撃する態勢を作り上げて行かなければならない。

 小泉は内閣改造を前に自民党三役を選んだが、その体制は改憲・反動シフトと呼ぶべきものである。
 幹事長となった武部勤は山崎派。派閥の頭の山崎拓(自民党前副総裁)は女性問題スキャンダルで落選中だが、小泉は川口順子前外相を首相補佐官(外交問題担当)とするとともに山崎拓を特命事項担当の首相補佐官に任命した。山崎は、自民党が二〇〇五年に改憲案を策定するようにと小泉に進言した改憲派である。その山崎の側近・山崎の代理としての武部を幹事長のポストにすえた。
 総務会長に旧橋本派の久間章生幹事長代理が就任。久間は、橋本内閣時代の防衛庁長官で日米安保再定義による軍備増強、自衛隊の海外派兵を強行した人物である。
 政調会長の与謝野馨も改憲派の中心人物である。党基本理念委員会の委員長として、憲法「改正」・教育基本法「改正」を明記した自民党の新綱領原案をつくった。そして参院選敗北の責任をとって「辞任」したはずの安倍晋三は幹事長代理として党指導部に残留している。

 改造内閣の外交・安保面での顔ぶれは、いっそうの日米軍事同盟強化・イラク侵略戦争への加担とアジア周辺諸国との緊張拡大の布陣となっている。
 外相には町村信孝を起用。町村は名うてのタカ派で、森内閣の文部科学相として、侵略戦争美化の「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を検定合格させた。町村は新任早々の記者会見で、小泉首相の靖国神社参拝について、「英霊に誓う行為そのものは当然」「中国側も少々むきになり過ぎているのではないか」などと述べている。アジアとりわけ中国との政治関係が良好でないのは小泉の靖国神社参拝の強行があるからだ。町村は、また拉致問題での進展がなければ、朝鮮への経済制裁を行うとも発言している。
 防衛庁長官は大野功統。大野は自民党党国防部会長を務めた軍事タカ派である。大野は、今年二月の衆院予算委員会で、「集団的自衛権のあり方について決めていくべきだし、政治のリーダーシップで憲法改正の道筋をつけていくべきだ」などと発言しているように確信的な九条改憲派だ。新たな「防衛計画の大綱」策定ではいっそうの軍事力の増強がおこなわれることは疑いない。
 なお、特命事項担当の首相補佐官となった山崎の任務は、アメリカ軍の世界的な再配置(トランスフォーメーション)への対応だと見られている。大野防衛庁長官も山崎派だ。

 経済閣僚では、谷垣禎一財務相と竹中平蔵経済財政担当相が留任した。これは、ポスト小泉の〇七年度からの消費税増税の実施へむけて道筋をつけるものである。
 消費税について、小泉は「在任中は引き上げない」と言っているが、その一方で増税論議をすすめようとしている。民主党も〇七年度増税論だ。もちろんその背後には財界の意思があることは言うまでもない。それだけではない。細田官房長官は、小泉内閣の任期中にも増税の計画を決めることはありうるなどとも言うようになっている。谷垣は、財政再建を強調することによって増税に話を向けさせようとし、竹中の持論では、消費税は最低でも一四%と言うものだ。
 そして、この内閣の目玉商品である郵政民営化では、郵政民営化担当相を新設した(竹中経財担当相が兼務)。郵政行政を所管する麻生太郎総務相も留任した。国鉄、電電につづいての民営化は、一般利用者サービスの低下、労働者への合理化、そして巨大な利権構造と金融資本が自由に儲ける場の形成となる。
 こうした新自由主義イデオロギーにもとづく「構造改革」政策は、規制緩和による大資本の自由な行動領域をひろげ、弱肉強食の風潮を推進する以外のなにものでもない。小泉内閣の経済政策は、大企業・金持ちへの減税や不必要で環境破壊をもたらす公共事業など財政危機をもたらしている原因に真剣に対処するのではなく、ひたすら犠牲を労働者勤労大衆にしわよせするものである。
 小泉内閣の犠牲のしわ寄せ攻撃はなおつづく。来年度予算では介護保険や生活保護など社会保障面での改悪があり、地方への攻撃として、国庫補助金や地方交付税の削減が予定されている。

 小泉内閣ははじめから、憲法九条を改定し、戦争ができる国づくりに向かい、「改革」を口実に労働者勤労大衆に「痛み」を押しつけるという本質をもつものだったが、改造内閣ではその性格をいっそう強めている。
 小泉内閣は、大衆との対立を一段と激化させずにはおかない。しかし、小泉改造内閣の抱える大きな矛盾は明らかになりつつある。九条改憲への強引なやり方が全国的に大きな反発の波を呼び起こした。町村外相、大野防衛庁長官、山崎補佐官らの外交政策はアジア・中東諸国人民のからの批判を強めざるを得ない。それだけではない。郵政民営化や「三位一体」改革などは自民党内、それも小泉を支えてきた勢力からさえも離反・反対を生み出している。そして、アメリカのイラク侵略戦争・占領政策の破綻がある。イラクにおける抵抗運動の前進、自衛隊のサマワ宿営地周辺の治安を見ているオランダ軍が来年三月までに撤退するなど多国籍軍からの離脱、イギリス・ブレア政権への批判の高まり、現地アメリカ軍の苦境、アメリカの戦費の増大と財政赤字の拡大、そして世界的な反戦運動などは、アメリカ・ブッシュ政権に追随する小泉政権にとってきわめて大きな問題となっている。
 われわれは、九条改憲阻止の大きな統一をつくりだし、小泉政権と闘い、打倒するために奮闘していかなければならない。


大阪に続き九条の会京都講演会大きく成功

         
2000人の参加者が改憲阻止の決意

 九月一八日の大阪講演会に三七〇〇人の参加があったのに続いて、九月二〇日、同じ関西で開かれた京都講演会には、第一会場と特設の第二会場に合わせて二〇〇〇人の市民が参加し、入りきれずに帰った人が三〇〇人もでるという大盛況だった。日頃、いろいろと言われるマスコミもこの動きを無視できなくなっており、「(大阪、京都と)憲法関連の催しとしては異例の盛況ぶりが続く。何が人びとを駆り立てているのか」(朝日新聞)と書くほどだ。
 会場になったシルクホール(京都産業会館)には、開場の数時間前から人びとの行列ができはじめ、一時は数百メートルになった。主催者が急遽、二日前に用意した特設の第二会場は、フロアの上にシートを敷いただけだったが、約一二〇〇人の参加者が座り込んで大型のスクリーン二機の前で熱心に講演に聞き入った。

 最初に、「九条の会京都講演会」の開催を支えた「憲法署名京都実行委員会」の上田勝美・龍谷大名誉教授が主催者挨拶をした。
 講演は大江健三郎氏、鶴見俊輔氏、奥平康弘氏で、熱のこもった各氏の講演に会場には大きな共感の拍手が鳴り響いた。
 大江氏は、奥平康弘氏やサルトルのいう「想像力」、水島朝穂氏のいう「憲法の構想力」論を紹介しつつ、憲法についてのこれらの「想像力」が多くの人びとに「親密な手紙」となって伝わり、現実を変える力になると確信していると話し、自分が「九条の会」に加わっていることはたいへん喜ばしいことだと結んだ。
 鶴見氏は三国連太郎、槇村浩、Sの三人の、命を大切にする「三つのおとぎ話」を紹介した上で、それらが抑圧と戦争という権力の本質を暴いていることを示した。
 奥平氏は、憲法九条を軽んじて進められている小泉内閣の国連常任理事国入りの動きを批判した。また今年初めに起きた立川自衛隊官舎と社会保険庁職員の二つのビラまき事件に触れながら、自由を確保するための闘いにとって、この憲法は生きていることを強調した。
 講演終了後、三人の講演者が第二会場を訪ね、それぞれ熱のこもった挨拶を行った。
 歩き始めた「九条の会」は今日の情勢の下で、全国各地の多くの人びとの期待と共感を集めつつある。いま、各地・各領域で「九条の会」が誕生し始めた。この流れをさらに大きく発展させることは、憲法改悪に反対するすべての人びとの共同の課題となっている。


辺野古現地闘争に連帯して

   
海上基地建設のボーリング調査の即時中止を求める


 九月二五日、東京・渋谷で、辺野古への海上基地建設に反対し、ボーリング調査の即時中止を求める集会とデモが行われ、三五〇人が結集した。
 午後五時から宮下公園で集会。
 はじめに、主催者を代表して上原成信さん(辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会、沖縄一坪反戦地主会関東ブロック)があいさつ。
 沖縄では、辺野古の新基地建設を阻止するための海上での闘いが進行中だ。国家権力は人と金をつぎ込んでやってきている。むこうは大きい、こちらは小さいが、もっともっと力を合わせて沖縄の闘いを支えていきたい。ここがはじまりだ。何千人という集会を実現しよう。
 つづいて、辺野古現地での座り込みの責任者の一人として活動している当山栄さん(平和市民連絡会事務局長)が沖縄からの訴え。
 東京では毎週一回防衛庁への抗議行動が行われているが、沖縄の闘いに連帯する動きは大阪その他にも広がっている。
 沖縄では、一九九五年の少女暴行事件で県民の怒りが爆発した。普天間基地の撤去はもちろんだが、辺野古への移設にも名護の市民投票で拒否をした。しかし、日米政府は県民の意思を無視し、稲嶺沖縄県政、岸本名護市政もそれに従っている。長い闘いで疲れもあるが、昨年九月にジュゴン監視団を立ち上げ新たなスタートとした。年末の県議会でも稲嶺県政を追及した。だが、沖縄防衛施設局は新基地建設のための工事を強行しようとしている。そして、この四月一九日に強引に工事着工をやろうとした。現地では一五〇名余りで阻止し、その後一六〇日に及ぶ座り込みが続いている。すでに三二回にわたって「工事をさせろ」と押しかけてきてる。
 一四四日目に、座り込みを実力排除するという情報が入り、緊急に連絡を取って四〇〇名が駆けつけた。私たちはスクラムを組んで非暴力に徹して座り込み排除を絶対にやらせない態勢をとって、かれらの野望を打ち砕く決意を固めた。むこうは、作業船をだし、それにダイバーを乗せてやってきた。ダイバーは潜水して不発弾があるかを調査し、ボーリング工事開始の第一歩として目印のため六三カ所に杭を撃ち込もうとした。むこうは本船二隻、施設船一隻、漁協の船四隻、小型船六隻がでている。私たちは四〜五隻の船で海上での闘いを行っている。物理的な力ではわれわれは小さいが、絶対に阻止するという闘いの気概で、調査ポイントでの工事を阻止している。海上での闘いは朝九時から四時頃までつづく。むこうも時間がないから交代で昼飯を食っている。こちらも帰って昼飯を食う余裕はない。こうした対峙が調査ポイント周辺でつづいている。
 マスコミでは、工事が「うまくいっている」と報道しているが事実ではない。マスコミも金がないから海上での継続した取材ができていない。工事ではポイントをめがけてブイを落としただけのことが多いが、それすら強風に吹き飛ばされて「撤去」されてしまっている。
 われわれの現在四〜五隻の船ではまったく足りない。八隻のカヌー隊をつくろうと思っている。長期化すればもっと増やしたい。しかし、チャーター料、ガソリン代の負担は大きなものがある。是非ともカンパをお願いしたい。
 オジー、オバーたちは頑張っている。県民を裏切る稲嶺県政を追い詰めて一日も早い決着を実現したい。
 沖縄県人会青年部による歌「メデタイ節」につづいて、連帯のあいさつ。フォーラム平和・人権・環境の五十川事務局次長、全労協中岡事務局長、「学校に平和の風を!」、辺野古現地座り込み闘争参加者が発言し、日本平和委員会からのメッセージも読み上げられた。
 集会終了後、デモ行進に出発し、沖縄の軍事基地撤去をアピールした。


原発事故多発時代

  
JCO臨界事故5周年行動

 一九九九年九月三〇日、茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで臨界事故が発生し、二人の作業者が死亡し、多くの人が被曝してから五年たった。それは日本の原子力史上最悪、最大の事故であった。だが、国、電力会社などは、責任を現場作業者におしつけ事故原因を曖昧にしてきた。原発の危険性をかくそうとする結果はすぐにでた。今年八月九日には福井県の関西電力美浜原子力発電所で二次系配管の破断事故が起こり五人の死者と多数の負傷者をだした。これはJCO臨界被曝事故からなにも学んでいないことのあらわれであり、原発事故の多発・大惨事の発生の可能性を増大させている。
 
 九月三〇日、JCO東海村臨界被曝事故五周年東京圏行動が行われた。
 当日は経済産業省前で、実行委員会は宗教者などとともに、JCO事故の二人の死者を追悼し献花を行い、その後、経済産業省、原子力保安院に抗議・申し入れを行った。申し入れでは、東海村JCO核臨界事故の徹底した原因追及、東海村住民被曝者全員の救済、美浜原発事故の原因追及、美浜事故被害者・家族への補償、東海大地震前に浜岡原発を止めること、原発建設の中止、六ケ所村再処理工場のウラン試験の中止、核燃料サイクル事業からの撤退、を求めた。

 午後六時からは、渋谷勤労福祉会館で「美浜原発事故とJCO臨界事故」の講演集会が開かれた。
 はじめに実行委員会の柳田真さんが基調報告。
一年間の活動の総括を行い、今後の重点目標として、原発事故の教訓を深め広げる研究会・学習会の開催、原発事故多発時代に備えて大惨事の前に原子力からの撤退を迫る活動、ヒバクシャ(原発事故・原爆被爆者・劣化ウランの被害者)を応援、などを提起した。
 JCO臨界事故被害者の裁判を支援する会の大泉実成さんは、二〇〇四年度の事故関連健康診断(国の依頼によって茨城県が実施)のアンケートの調査結果を発表した。受診者は三〇一人でアンケート回答者は一四五人だった。そのうち最近心身ともに気になるという人が三割以上もいる。またせき込むことや息を吸うとき苦しい、赤血球数が戻らない、などの症状を訴える人もあった。受診者のほとんどは健康診断をつづけて欲しいと思っているが、国や県の一部はやめようとしている。
 つづいて、9・30の会の望月彰さん、映画「ヒバクシャ」の監督鎌仲ひとみさん、たんぽぽ舎の山崎久隆さんが報告を行った。
 最後に集会決議が採択された。
 決議では「……いまや『日本の原発は安全』という神話は完全に崩壊している。手抜き検査や定検短縮は、効果第一主義のもとで構造化しており、しかも日本の原発の三分の一は二五年をこえる老朽化が進み、次々と問題が噴出し事故多発時代をむかえる。JCO事故、そして今回の美浜原発事故という痛苦な教訓を生かし、市民の力で原発推進政策をストップさせて行かなければならない。
 来年は広島・長崎に原爆が投下されて六〇年の節目の年を迎える。しかし核兵器はなくなるどころか拡散をつづけ、放射能兵器劣化ウラン弾によってイラクの人びとをはじめ自衛隊員など派遣されている各国兵士にもヒバクシャが増えている。日本国内では東海地震による原発震災の危険が迫っている。ヒバクシャをつくらない世界にしていくために、多くの市民の力をあわせ、ねばり強い運動をつづけていこう」と確認された。


資 料

  
鉄建公団訴訟原告団の国労本部に対する抗議声明

国労中央本部執行委員長 酒田充様


 八月二六日〜二七日に行われた第七二回国労定期全国大会は、「総団結・総決起の歴史的大会に」とした本部の決意とは裏腹に、鉄建公団(現:鉄道運輸機構)訴訟原告団二二名に対する統制処分を撤回するわけでもなく、最高裁判決を受けて、新訴訟への決断を示すこともなく、何ら組合員の期待に応えるものではなかった。
 昨年一二月二二日に出された最高裁判決が「不当労働行為があったとするならば、国鉄、次いで国鉄清算事業団がその責任を負う」とまで言及しているにもかかわらず、なお訴訟方針を示さないことは事実上、闘争を放棄し闘争団(家族)を切り捨てることを意味する。
さらに、本部指示五号で、七月から生活援助金を「凍結解除」する旨の内容が一方的に示された。生活援助金凍結「解除」について、この間、私たちは凍結が行われた二〇〇二年五月に遡って、凍結を解除するよう求めてきた。
 しかし、国労本部は二〇〇四年七月からの生活援助金の「解除」にとどめ、「別に流用することはない」としながらも、未払のカンパ金をどのように取り扱うのか何ら示していない。援助金はJR組合員から寄せられた浄財であり、その性格上、制裁として援助金を凍結する行為自体が誤りであり、解除は当然のことである。
 本部が総団結を言うのであれば、凍結時点に遡り無条件で解除するのが本筋である。従って七月からの解除は、団結回復及び相互理解の道につながる措置とはいえない。
 また、指示五号の中で、闘争団の団結回復を「全国連絡会」に求めているが、直接原告団代表を窓口として話し合いを行うべきだ。
 今回の大会で、鉄建公団訴訟原告など「二二名の統制処分」は、当然のごとく撤回すべきであった。それが、団結回復の扉を開ける第一歩だったと考える。
 国労本部が、国鉄闘争の歴史と経過を正しく認識するならば、最高裁判決が示唆した、鉄道運輸機構の責任を問う闘いに団結し、勝利の展望を切り拓くべきであった。
この選択こそが、一八年余にわたり国鉄闘争を闘ってきた組合員や家族の気持ちに報いる姿勢であることを、私たちは確信を持って提言する。
 以上、国労本部の国鉄闘争と国労に結集する組合員に対する誠意のない態度に強く抗議し、私たち鉄建公団訴訟原告団の意思を内外に明らかにするものである。                  以上

二〇〇四年九月二八日

 鉄建公団訴訟原告団 団長 酒井直昭


『雅子の挫折・皇太子の不満 ―― 皇室スキャンダルを問う』

 九月二三日、文京区民センターで、『雅子の挫折・皇太子の不満――皇室スキャンダルを問う』(主催・反天皇制運動連絡会)が開かれ、約一〇〇人が参加した。
 はじめに、反天連の天野恵一さんが発言。
 皇太子の「雅子の人格」発言以来、いま皇室ものがメディアに氾濫している。しかし今回のものは改憲を前提にした新しい天皇制論議だということを見ておかなければならない。右派の方から天皇制論議を開いてきた。皇太子の意思を全面に押し出して、新たな段階における天皇像をつくろうとしている。天皇の公務の見直し、その中での宮中祭祀の公務化などが狙われているのだ。
 浅見克彦さんは、天皇制はすでに機能的に麻痺していることは明らかで天皇制を「ポシャらせる」好機だ、だがもっと機能的なものをつくろうという危険もある、と述べた。
 小倉利丸さんは、保守派は戦争国家に見合った天皇制へと変えようとしているが、皇位継承についての彼らの危機意識は予想以上のものがある、と述べた。
 北原恵さんは、いまの論議は宮中祭祀の公務化と女性天皇をめぐって行われている、しかし天皇制はいつも危機を好機に乗り換えてきた歴史がある、と述べた。
 佐藤文明さん天皇制と戸籍制度は切り放せない、家制度と万世一系はともに危機にあると述べた。
 鈴木裕子さんは、今度の事態は、皇太子夫婦が新しい天皇制にづくりにむけてうった芝居の可能性もある、女帝論では平等原理主張されているが女が天皇になってもなんら解決はしない、と述べた。
 中山千夏さんは、戦前はともかくウーマンリブを経た後のフェミニズムにも天皇制に対決できないことをはっきりさせなければならない、と述べた。


郵政民営化を監視する市民ネット

 第二次小泉改造内閣は郵政民営化をその目玉商品として押し出している。しかし、この郵政民営化は、国鉄の分割・民営化と同様、に真摯な議論もなく「何がなんでも民営化すればそれでいい」というもので、そこで働く労働者の労働条件の低下・人員削減と一般利用者サービスの低下、そして新たな巨大利権構造の発生をもたらすものである。闘う郵政労働者の全国労組である郵政ユニオンは、郵政民営化に反対して闘う一環として、「秋から来春にかけて市民・利用者と郵政職場で実際に働くものが協力しながら議論の進行を監視することが必要で……市民・利用者や働くものの声をこれからの論議に反映させていかなければならない」として、「郵政民営化問題を考える市民懇談会」をよびかけた。

 「郵政民営化を考える市民懇談会」は、九月二六日、東京・和泉橋区民館で開かれた。
 はじめに、郵政ユニオン書記長の松岡幹雄さんが発言。
 現在、市民・利用者不在の郵政民営化が進行中だ。これは郵政省の郵政公社化につづく第二ラウンドの闘いだ。今日の懇談会をその第一歩としていきたい。
 つづいて、郵政ユニオンの鈴木英夫さんが、経済財政諮問会議の「郵政民営化基本方針」をどう見るかについて報告。
 基本方針をつくる会議は、民営化実現を前提としたもので、「民営化反対を臭わす資料は却下するしかない」というもので、民営化がどういう結果を利用者にもたらすかは全く論議されなかった。タウンミーティングや世論調査でも説明不足の声が多かった。営利企業化と利権天下りを温存したままでの事業運営は公共性を破壊する。労働組合運動は企業内での利権の分け前をもらうのではなく、「公共サービス」を守れという社会的運動と結びついて民営化阻止の闘いを進めなければならない。
 アタック・ジャパンの湯川順夫さんは、市民運動から見た郵政民営化問題について、海外諸国での公共サービスが民営化によって破綻していっている状況を紹介した。
 民営化は公共サービスの解体攻撃だ。市場にまかせれば最適なものが生まれるという新自由主義イデオロギーで、大口利用者など収益に貢献する者だけが優先され、一般利用者は軽視される。そしてフランス、イギリスなどのように日本でも破綻の可能性が高い。しかし、ヨーロッパの労働者の闘いは、グローバリゼーションに対抗して、水、下水処理、ごみの回収、電気、医療、教育、そして郵便制度などは基本的人権を保障するための不可欠の要素であるという視点を確立し、市民や利用者とともに反撃の闘いを進めている。
 最後に、今後の郵政民営化反対運動づくりについて提案があり、それにもとづいて論議が行われた。「郵政民営化を監視する市民ネットワーク」は、郵政三事業の公共サービスを守り・拡充させるために郵政民営化を監視する、現在の郵政事業の問題点を明らかにし「もうひとつの郵政改革」を市民・利用者の立場から発信することを目的として、今後、広く賛同人を募集し、来年四月に結成総会を開く、ことを決めた。懇談会は、市民ネットワークの結成を呼びかけるアピール(別掲)を確認した。

「郵政民営化を監視する市民ネットワーク」についての問い合わせは、郵政労働者ユニオンへ。

 東京都千代田区岩本町3―5―1 スドウビル 郵政共同センター п@03(3862)3589  postunion@pop21.odn.ne.jp

創ろう市民プロジェクト  「郵政民営化を監視する市民ネットワーク」の呼びかけ


 時事通信杜が九月一八目まとめた世論調査結果によると、郵政民営化の基本方針を「評価できる」と答えた人は三二・七%、「評価できない」と答えた人は四一・五%でした。また、郵政民営化に関して「首相の説明は不十分」と答えた人は八二・七%にものぼっています。政府が閣議決定した「基本方針」には、全国均一サービスが守られている郵便や、身近で安心して預けられる郵貯や簡保がどうなるのか、市民利用者へのサービスがどうなるのかという肝心の問題は何も明らかにされていません。
 また、天下り郵政ファミリー企業問題や特定局長制度問題がこの間の民営化論議からスポイルされていることも不思議なことです。
 さらに、郵政民営化によって「官から民へ」お金の流れを変えるといいつつ、国債管理や財政再建、待殊法人改革とどこがどう結びついているのか、全く説得力ある説明が行われていないことも見過せません。
 現在、日本郵政公杜と競合する民間企業・銀行などとの競争が一段と過熱しています。
 いったい、何のための郵政民営化なのかさっぱりわからなくなっているのが現状といえます。これまで、郵政民営化問題は、経済財政諮問会議という小泉首相を議長とする閣僚、財界、学者の中だけで取り上げられてきました。しかも、「はじめに民営化ありき」の議論だったことがこのように問題をより複雑にしています。そして、この議論を後押ししてきたのが大手メディアでした。時の権力者の暴走をチェックするのがジャーナリズムの役割であれば、小泉首相の独走でスタートした郵政民営化をなぜ大手メディアは冷静に検証することを放棄したのか、大きな疑問として残りました。
 私たちは、郵政改革にとどまらず、特殊法人改革も「さきに民営化ありき」という議論から卒業し、問題を冷静につかみ、問題の原因を明らかにし、問題解決のための最善の方法を幅広い市民の参加で議論すべきであると考えています。
 このたび、そういった視点から市民・利用者が運営し、だれでも広く参加できる郵政民営化を監視する市民ネットワークを立ち上げたいと思います。このネットワークは、現在進められている郵政民営化の動きを市民・利用者が実際に郵政で働く皆さんとともに監視する共同のネットワークです。
 多くの市民・利用者の皆さんの賛同をお願いします。

二〇〇四年九月二六日

 郵政民営化問題を考える市民懇談会


秩父蜂起のめざしたもの ー映画『草の乱』を観てー 

                           
 北田 大吉

          120年前の日本に凄いやつらがいた!「草の乱」     
             監督 : 神山征二郎  
             出演 : 緒形直人(井上伝蔵)/藤谷美紀(井上こま) /杉本哲太(加藤織平)


秩父蜂起そのものについての評価


 この映画を全体的にどう評価すべきかはむずかしい。神山監督は、井上伝蔵を軸に秩父蜂起を描いたが、田代栄助を軸にした秩父蜂起も成り立つし、あるいは菊池寛平を軸にした秩父蜂起も確かにありうる。
 田代栄助を軸にしたストーリーはどうなるか。田代栄助を侠客にしたて『最後の侠客・田代栄助』なる本も出ている。しかし田代栄助はいわゆる侠客稼業をこととしていたのではない。普通の養蚕農家とは異なるが、野生の蚕を使って養蚕をやっている。田代は、「三百代言」とよばれる非公認の弁護士で、「義を見てせざるは勇なき也」というかたちで、トラブルの解決を買って出て、農民たちの信頼を得ていたようである。このような男気からであろう、困民たちの難儀を救うためには自分が自由党に入って腕を振るうほかないと、自由党の若き指導者であった重木の村上泰治をはるばる訪ね、自由党への入党を申し入れるが、スパイと勘違いした村上に体よくあしらわれてしまう。
 その後、高岸善吉らが、困民党の総理を引き受けてもらいに何度も田代を訪ねるが、田代は言を左右にして、この依頼を断り続けている。高岸らの執拗な慫慂に田代はついに重い腰をあげるが、田代としては、農民たちの苦しみを見て見ぬふりを続けることができなかったのだ。田代の目的は、あくまでも秩父地方の農民を借金地獄から救いだすことであり、そのためには命を投げだす覚悟であった。
 一一月一日の蜂起予定日を前にした幹部たちの会合で、田代と井上伝蔵は蜂起の一ヶ月延期を主張した。これは群馬の小柏常次郎が以前より吹聴していたようには、秩父以外の組織活動が進んでいなかったからである。田代は、一ヶ月かけて関東甲信の一斉蜂起を準備するために、蜂起の日程の延長を提案したのだ。しかし、秩父の農民の窮状はもはや一刻の猶予もありえなかった。それに一ヶ月かけたところで一斉蜂起の条件が整うとも思えなかった。結局、田代と井上は蜂起の即時決行に同意するが、ふたりの心境としては蜂起の前途はかなり暗いものと映っていたであろう。
 したがって田代は、一一月三日に困民軍の本陣を皆野に移した段階で、すでに蜂起の行く末をかれなりにみきわめたに違いない。田代としては、秩父一円の高利貸の証文を撒かせた以上は、やるべきことは皆やったという心境であった。田代には東京の専制政府を倒すことはすでに目標ではなかった。
 もうひとり侠客と呼ばれた男がいた。上吉田の石間耕地の加藤織平である。石間耕地には、坂本宗作・高岸善吉・落合寅市の在地オルグ・トリオがいるが、加藤は豪農らしく立派な土蔵をもっていたが、かれはトリオの先輩としてよくめんどうを見ていたようだ。もとは手すさみの賭博でもやっていたらしいが、トリオが農民の窮状を見るに見かねていろいろと動いていたことは聞き及んでいた。映画によると、蜂起も近いある日、トリオが加藤に詳細な事実を打ち明け、加藤に涙ながらに加盟を訴えたところ、加藤は自分がもっていた借金証書をその場で破って、加盟を誓ったという。加藤は推されて副総理となったが、彼自身は指導者、組織者というより頼りになる先輩、後見人というところか。
 加藤は背後を絶って困民軍に参加した以上、どこまでもやってやろうじゃないかというところがあって、浦和でも東京でも、どこまでも行こうではないか、と勇ましい啖呵(たんか)をきったが、大宮堅持を主張する田代の心情にもついほろりとする男でもあるのだ。

自由党の時期尚早論

 大井憲太郎ら自由党関東左派も、一一月一日の秩父蜂起決行には反対であった。
 『自由党史』によると、秩父自由党は獄中の村上泰治の妻ハン(映画では伝蔵の妻こま)を大井のもとに送り、秩父の蜂起近しと報告したところ、大井はおどろいて、軽挙はことをあやまると、蜂起阻止のために氏家直国を秩父に説得使として派遣したことになっている。氏家は説得どころか、秩父の人々に共鳴して、蜂起の戦術を教えたという。
 大井の時期尚早論ないし延期論は、加波山蜂起に代表される自由党の過激化に恐れをなした板垣など指導部がすでに自由党解党の決意を固め、「関東一斉蜂起」どころの話ではないところから、むしろ中止論に近いものであったろう。自由党はこのころ、すでに自由民権主義から国権主義へ舵を切り替えつつあった。したがって秩父が蜂起することは、国会開設・憲法制定というコースに乗って国家権力の一翼たらんとして指導部にとっては、まさに驚天動地というべきことなのだ。大井ら左派もこのような動きには抵抗しがたく、韓国の開明派・金玉均らと組んで、自由民権運動のエネルギーを対外的に発散すべく大阪事件を準備しつつあった。
 このような大井の立場からいえば、関東甲信の一斉蜂起の展望のない秩父蜂起は軽挙にすぎないのかもしれない。大井はそもそも秩父困民党の活動は、百姓一揆に近いものとしか思えなかったのであろう。同じようなことは、信州組についてもいえる。かれらが二十八日に秩父に着いて、三十一日にやっと田代と会うことができたとき、菊池はたんなる百姓一揆なら自分たちは信州へひきかえすといったという。十一月二日の戦略会議で菊池が何を言ったかはっきりしないが、のちになって田代は、菊池は最初から信州進出をめざしていたと述べている。              

信州組の戦略

 十一月四日午後四時ないし五時ごろ、皆野の本陣に残っていたのは、菊池貫平、坂本宗作、小柏常次郎、伊奈野文次郎、門平惣平らであった。かれらは、田代や伝蔵や織平のように、もはやこれまでとは感じておらず、敗北感もあまりなかった。田代のいっていた信州進出の方針はここで決定的方向をとった。
 貫平、宗作らは午後六時ごろ皆野をすてて、百名ぐらいで吉田に向かい、新井寅吉らの上州勢を加えて百五十名ぐらいになった。合流するものあり、途中で脱落するものあり。常次郎や惣平はやがて消えうせた。この夜の十二時ごろから上吉田の塚越部落の河原で夜遅くまで会議を開き、信州進出を決定した。貫平が総理に推され、宗作と伊奈野文次郎が大隊長格、恩田卯一、新井寅吉、横田周作ら上州組が幹部の列に加わった。
 ゲリラの大将嘉四郎は、城峰山裏に分散したゲリラ隊を二手にまとめ、五日の二時か三時ころ、椋神社で休息しているとき、軍隊と警官が多数侵入したという報告を受けた。

 最早己ハ信州地ニ立越、多人数ヲ集メ再ビ当地ヘ立越スベシ、仍テ命ノ惜シキ者ハ勝手ニ帰レ。信州ヨリ人数ヲ集メテ再度来ルベシ、ソノ際直チニ駆ケ付ケヨ。
 
 この言葉に家に帰る者もいたし、戦意を燃やす者もいた。嘉四郎は三十名ぐらいを引きつれ、これから信州路に進出し、やはり幹部として活躍する。
 信州進出の目的は、道々、困民軍への加盟を呼びかけながら、高利貸に借金証書を撒かせることであった。政府軍が困民軍討伐に向かうことは必至であったが、どこまでいけるかは別にして、やれるところまではどこまでもやるというのが、新困民軍のモットーであった。高利貸に苦しめられている農民はどこにでもおり、それらの農民を結集して政府軍と戦いながら、最後には専制政府を打倒するという戦略であった。ただ一気に敵の本拠である東京をめざすのではなく、主体となる困民軍の組織と強化に全力を挙げて取り組み、そのような運動のなかから展望を切り開いていこうという楽天主義が特徴的であった。

自由党と困民党
  
 秩父の農民の窮状を打開するために自由党に期待したのが、井上伝蔵の立場であった。高岸善吉も当初は同じように考え、早速、自由党に入党した。しかし、彼が入党したときには、自由党は解体の危機を迎えていた。結局、自由党は秩父蜂起の前に解党し、関東左派も自由党と革命的に袂を分かつのではなく、韓国のクーデタと戦争を通じて、国内の改革のきっかけにしようという姑息かつ排外主義的な方針しかとれなかった。国内の政治危機を対外的問題を利用して回避しようとする傾向は、日本の宿痾の如きものである。征韓論然り、日清戦争然り、日露戦争然り、太平洋戦争然り…。
 それはさておき、当時の自由党は、民衆にとってなんら期待に値すべきものではなかった。田代もかつては自由党を利用して人民の窮状を打開しようと期待したことがあった。しかし自由党は所詮、豪農・豪商の自由党であり、旦那衆の自由党であった。田代は村上泰治とあったとき、それを実感した。しかし、村上だけでなく高見沢薫という幹部クラスの自由党員でも、秩父蜂起になんらの積極的役割も果たすどころか、きわめて消極的な参加を強制された者もいた。
 自由党は、所詮、憲法制定と国会開設を期待し、いずれ権力のおこぼれに与ろうという国権主義紛々たるブルジョア政党であった。板垣は当時「世直し」を提唱したが、「世均し」を抜きの「世直し」などは国家権力の編成替え以上の意味をもたない。このような世直しは秩父の人民の期待するものとまったく異なるし、そのようなことは「雲の上」のことなのだ。秩父の人民が自由党に期待したものは、「今にお金が自由党」というように、世の中が変われば「世均し」がなされるという社会主義的平等主義であった。
 『自由党史』は秩父の人民が要求する「世均し」が、自分たちの国権主義的政治参加と違うことを自覚しており、秩父蜂起をさして「一種社会主義的運動」ととらえている。秩父困民党の要求は、確かに、借金返済の四年間猶予であり、四十年年賦の返済という高利貸相手の経済闘争であった。しかし国家にとっては、それは「富国強兵殖産興業」政策に対する真っ向からの挑戦であり、これを認めるならば明治維新の過程全体を否定する重大な要求であり、軍隊を含め権力の総力を挙げて制圧すべきものであった。このような私企業相手の経済闘争がなお国家相手の政治闘争たるところに、秩父蜂起の本質的な社会主義的性格が見え隠れしているのだ。
 したがって、秩父蜂起をただ自由と民主主義を求めるブルジョア的要求としかみないとすれば、それは秩父蜂起の本質を見誤ることになる。映画では確かにそこのところが明らかであるとはいえない。自由党を通じての革命という声は大きいが、どうして自由党の政治と秩父の蜂起が本質的に異なるのか、そこが問題である。かつて寺尾五郎は「秩父蜂起は百姓一揆の最後にして最高の形態である」といったが、どうして秩父蜂起が百姓一揆なのか、かれらが不本意ながらも敵対した相手は、いかなる封建的権力でもなく、大野苗吉がいみじくもいったように「天朝様」なのだ、つまり明治維新によって樹立され、上から資本主義を構築しつつある明治国家なのだ。天皇制の絶対主義的性格を考えれば、それは単純にブルジョア的とはいえないが、すでに封建制を打ち破ってきた権力で、百姓一揆が相手としてきた分散的な封建的権力ではないのだ。明治国家は旧下級武士階級の有司専制国家であり、確かにブルジョアジーの政治権力とはいえないが、世界の諸帝国主義に伍して進むためには、どうしても日本に資本主義を根付かさねばならないと決意し、ブルジョアジーを人為的に作り出すとともに、自らもブルジョアジーになりつつある階級の国家なのだ。 

秩父蜂起の主体とは誰か

 ひるがえって秩父蜂起の主体の問題を考えてみよう。蜂起の主体はいうまでもなく人民である。多くは農民であるが、実にさまざまな人々がこの人民には含まれる。詳細は省くが、このような民衆が蜂起の主体である。
 井上伝蔵や菊池貫平などはいわば知識人として蜂起に参加し、蜂起の中で重要な役割を果たした。田代栄助や加藤織平、井出為吉などもこれに準ずる立場であろう。
 ところで高岸善吉や坂本宗作などはどうであろうか。かれらはれっきとした農民である。かれらはほかの農民たちと同様に日ごろは養蚕に励んでいる。人々が愛した『秩父音頭』のなかには、「秋蚕しもうて 麦蒔きおえて あとは夜祭待つばかり」という歌詞が出てくる。米ができなくても麦ならなんとかなる、農業は米作に尽きないのだ。かれらは農民であるが、農業だけでは食えなかったからかもしれないし、あるいは別の理由があるのかもしれないが、宗作は「鍛冶屋の宗作」とよばれ、善吉は「紺屋の善吉」と呼ばれていた。あるいは群馬の小柏常次郎は屋根瓦葺きであった。このような農業以外の生産にたずさわる人間が秩父には大勢いたし、このような「前期的プロレタリアート」が高利貸との団体交渉を実際に組織し、そのなかで困民党を育て上げていったのは事実である。井上幸治が秩父蜂起の主体をジャコバンからサンキュロットに訂正したことは前に述べた。
 このような指導的人々はまだ若く、したがって人生経験も足りず、田代や伝蔵や織平や貫平の経験や熟練を必要としたのは事実である。かれらは政治的経験や理論において自由党のような「党」の必要は身体で感じていたであろう。しかし自由党に期待すべきではなかった。困民党という立派な大衆的な党を政党のようにではなく、革命の党としてもっともっと鍛えるべきであった。
 困民党はまさに非常時に高利貸との闘争のために臨時に組織されたという性格をもつ。そのかぎり組織の最終的な目的も組織形態も百姓一揆とそう変わらなかったかもしれない。その意味で困民党を困民軍へと編成する上で、菊池貫平の功績は大きい。しかし困民党を有事の党ではなく平時の党としても育て上げることが将来の革命に必要不可欠であったろう。残念ながら秩父困民党には、そのような時間的ゆとりが与えられてはいなかった。
 このようなことを映画の世界に求めることは無理かもしれない。しかし映画を観るものとしては、そこまでいろいろ思いを馳せながら考えてみることも必要であろう。映画を観て感激し、涙をながしながら、いったん外へ出たら哲学的日常が待っているというのでは余りにも淋しいかぎりであろう。監督の目的は面白い映画をつくることにあるかもしれないが、それはそれである。四億五千万円という巨額の投資を回収するためには、一回で二度も三度も噛みしめるような観方があってもよいのではなかろうか。(以上)


KODAMA

   
プロ野球のストに思う

 ストはプロ野球が誕生して七〇年ではじめてのことである。プロ野球選手は労働者であるのでストをうてる。
 ストのポイントはセ・リーグ、パ・リーグ共に六チームであるものを、パ・リーグを五チームにすると言うのである(近鉄・オリックス合併)。選手会は反対で、一年間の凍結をしろというものであった。来年もダーエー・ロッテの合併がありそうなムードである。そうすると、セ・リーグ六チーム、パ・リーグ四チームとなるので、一〇チーム一リーグ総当たり制を考えているらしい。選手会は一リーグ制に反対である。現在二社(ライブドア、楽天)が、プロ野球界入りを申し出ている。球団側は査定に時間がかかるので来シーズンは無理と云う。選手会は頑張って、二日間のストを打ち抜いて、一定の前進をかち取った。
 読売のオーナーの渡辺は選手を人とも思っていない発言をしている。現在、ストを行う労働組合が少ない中で選手会のストは素晴らしい。 (東京・山田道美)


複眼単眼

 
 国際社会の名誉ある地位と国連常任理事国

 日本国憲法前文の一節にはこうある。
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
 日本国憲法が目指す国際社会における「名誉ある地位」とはこのようなものだ。ここでいう「国際社会」は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会」であって、これらには「平和」にたいする「戦争」、「専制」にたいする「民主」のように、いずれも対立概念があり得るから、この反対の「国際社会」ではない。ましてここでいうのは国連という国際機構で「常任理事国」になることが名誉ある地位を獲得することを意味するのでもない。「小国」でも、いろいろ問題はあるにしても、例えばコスタリカのように尊敬を受ける国がある。北欧の国々にしても、国内では階級対立もあり、問題がないわけではないがそれなりに尊敬を受けている。別の意味で、戦争責任を一定追及してきたドイツは尊敬を受けている。
 小泉内閣が今回、自らのよこしまな望みから追求している国連常任理事国入りは果たして憲法のいうところの「名誉ある地位」に連なるのか。まったくそうではあるまい。中国では大多数の人びとが日本の常任理事国入りに反対しているという。韓国の世論もそうだ。ハンギョレ新聞は「小泉発言は厚顔無恥。靖国参拝など侵略戦争を正当化する国が国際社会の平和を守る中核的地位を占めてはならない」とのべた。北朝鮮を含めれば国連加盟の隣国三国に反対されている日本の常任理事国入りの願いは、正当なものとは言えないし、恥ずべきものだ。
 アナン事務総長までもが「違法、無法」と指摘し、パウエルが「大量破壊兵器は存在しない」と認めた米国のイラク戦争を依然として支持し、国際的少数派の「多国籍軍」に自衛隊を参入させた小泉内閣。政府のいう「国際社会」とは「米国」と同義語でしかないという、日本政府の日米軍事同盟偏重の外交政策が、憲法の精神に違反しているのは明らかだ。
 小泉首相の国連演説は第一日目に行われたが、それは発言順をパラオからカネで買ったものだといわれる。発言が目立つようにという工夫だという。しかし、小泉首相の発言時間の各国参加者はまばらだった。これが「本当に名誉ある地位」と言えるだろうか。国連総会のために訪米して、米国プロ野球の「始球式」で球を投げたり、宮本某の米国公演初日に挨拶したり、相変わらずパフォーマンスには熱心な小泉首相だが、彼の「名誉ある地位」についての理解はせいぜいこんなものだと思うとあきれかえる。
 国連常任理事国入りはなにか国民にとっても名誉なことだと思うような低次元のナショナリズムの風潮もあるが、これへの異議申し立てをしっかりとやろうではないか。
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」のがわれらの目指すところなのだから。 (T)