人民新報 ・ 第1156 号<統合249(2005年1月25日)
  
                  目次

● 財界三団体の改憲提言出そろう  帝国主義的「国益」追及をめざして

● ブッシュ大統領就任式に抗議

● 九条の会憲法学習会  熱心な参加者300人超

● 関生労組への弾圧はね返せ

● 国会議員と市民の院内集会  『改憲国会にさせない』〜行動のうねりを

● 安倍・中川は責任をとり、議員辞職せよ  自民党との癒着・NHK海老沢体制

● 「技術論」再論     北田大吉

● 山東出兵は「成功例」か!   帝国主義列強との協調と民衆的協調

● 複眼単眼  /  人びとと星々と「あどけない星空の話」




財界三団体の改憲提言出そろう

     帝国主義的「国益」追及をめざして


【カネも口も出す財界へ】

 日本経済団体連合会(日本経団連=会長・奥田碩・トヨタ自動車会長)は一月一八日、「わが国の基本問題を考える〜これからの日本を展望して〜」(以下、「経団連報告書」と略)と題して、憲法「改正」や「安全保障」などに関する意見書を発表した。
 他の主要な経済団体である経済同友会と日本商工会議所も、すでに改憲提案を発表しており、これによって財界・経済三団体の「改憲」についての主張が出そろったことになる。
 経済同友会憲法問題調査会(委員長・高坂節三・栗田工業顧問)は二〇〇三年四月に「憲法問題調査会意見書〜自立した個人、自立した国たるために」(同友会意見書と略)をだし、日本商工会議所は東商とともに「憲法問題に関する懇談会」(座長・高梨昌芳・高梨乳業会長)が二〇〇四年一二月、「憲法改正についての意見〜中間とりまとめ」(日商意見と略)を出している。
 自民党などの政治のスポンサーの役割を担ってきた財界が、いよいよ公然と「カネも口もだす」存在として、自民党などの改憲派の動きに呼応し、それを後押しする形で改憲に動いてきたことはただならぬことである。

【財界の危機感と改憲提言】

 経団連は昨年、組織的な政治献金を復活させ、会員企業が政党の政策の評価を基準に政治献金をするようにさせ、「外交や安全保障」もその評価対象にするなどしつつ、国の基本政策に公然と口出しし、またその発言力を強めていくという姿勢を積極的にとりはじめた。
 従来でいえば当時の経団連の今井敬会長が、憲法改正に関して「経団連としてのたたき台を作る考えはない」(二〇〇一年七月)などと述べたことに見られるように、これらの問題に公然と踏み込むことは一種の「タブー」とされ、公然たる政治介入の動きは避けてきたところである。 しかし、ここにきて、財界の動きは危機感をベースにしてなりふり構わずとなった観がある。
 これは日本経団連の奥田会長がいう「政治と経済は不離なもの」であり、「日本の国体についても明確な主張をする」という発言に典型的に表現されている。
 財界の危機感は冷戦後の世界、とりわけ「9・11」後、「非国家主体によるテロ」の脅威と、東アジア地域に残る冷戦期の対立の「危険」に対応すること、「グローバルな活動をすすめるわが国企業や国民にとって、これらの脅威は他人事ではなく、自らに対する直接の脅威である」(経団連報告書)との認識によるものである。そしてこれらに対応するには「現行憲法や一九六〇年改定の日米安保条約、省庁縦割り・官僚主導の統治システム、また、五五年体制と呼ばれる国内政治体制は、右肩上がりの成長期において、わが国の繁栄の基礎を支えてきた。しかし、今日、わが国が直面する諸課題は、こうした歴史的枠組みの下では、十分な対応が困難となりつつある」(経団連報告書)と主張する。
 また「高度成長時代と今日ではあらゆる面で環境が変わっている。特に明らかなことは『自分だけよければそれでよい』では、世界を相手に商売せずには生きていけない日本が世界で孤立するということである」(日商意見)とも言う。こうまであからさまに言われると「なにをかいわんや」ではあるが、これでは「国益」どころか、自社益、財界益の露骨な追及の告白である。
 例えば経団連報告書にはその財界のねらいを露わにした次のような記述もある。
 「わが国の輸出入は、量においてほぼ全てを海上輸送に依存しており、その輸送ルートであるシーレーンの安全確保は死活問題である。とりわけ、中東からマラッカ海峡を経て、わが国に至るシーレーンは、原油調達の八割以上を中東に依存するわが国の生命線であり、沿岸国との協力の下で、テロや海賊などへの対応を強化すべきである」
 そして「二十一世紀を迎え、わが国は、内外の荒波を受けながら、依然として進むべき大きな方向性を見出しかねている。次世代のためにわが国の新たな基盤を築いていくためには、辻褄合わせの対応を積み重ねるのではなく、これまで前提としてきた基本的枠組み自体にもメスを入れていくことが強く求められている」(経団連報告書)というのである。
 こうして財界は自らのグローバルな規模での経済活動の保障としての軍隊の活動を合憲化するような改憲の要求をするのである。まさに「商船は軍船を呼ぶ」の警句を地でいっている。
 こうして財界はいまや「国際情勢が日々揺らぎ、緊張をます中、躊躇して問題を先送りすることはもはや許されない」(同友会意見書)と認識し、改憲攻勢に打って出てきたのである。

【財界各団体の改憲論の特徴】

 「経団連意見書」は前述の危機感に基づいて「優先的に取り組むべき基本問題」として、@全ての活動の前提としての安心・安全確保のための安全保障、国際社会への積極的な関与、信頼の獲得に向けた外交、Aこのため国の基本法である憲法の見直し、B民主的・効率的な国の統治システムづくり、Cその他重要政策課題をあげた。
 「経団連意見書」は憲法では第九条第二項を変え、「存在する自衛隊」から「機能する自衛隊」へ、自衛隊の役割を明確にし、自衛隊による自衛権の行使と、国際平和貢献・協力を明示するとした。そしてさらに、「国際社会から信頼・尊敬される国家の実現」をめざして、集団的自衛権の行使を憲法上、明らかにするよう主張している。
 そしてこれを憲法改正を待たずに「一刻を争う課題」として、集団的自衛権行使を可能にするよう主張している。
 加えて、第九六条の「改正要件、改憲の発議要件の緩和」を主張し、いったん改憲をすればその後は容易に改憲できる仕組みを作ろうとしている。ついでに「意見書」は改憲の国民投票法の早期制定も主張している。
 要するに「経団連意見書」は、自衛隊の合憲化と海外派兵、および集団的自衛権の行使の合憲化など、第九条第二項の改憲と第九六条=改憲要件の改憲に着手することを主張しているのが特徴である。
 「日商意見」は、「前文」では「日本人のアイディンテティーを築き上げることをめざすべき」とし、九条は「全面改正すべきである。自衛権の保持と、そのための『戦力の保持』を明記すべきである。国際貢献としての国際協力活動に自衛隊の海外派遣を認めるべきである」などとしている。「集団的自衛権」などについては継続討議し、今年の五月に最終的な提言を行うとしている。
 そして「全ての条文に手をつける必要はない。又、賛否両論があるテーマに関しては継続審議とし、ともかく合意できる部分からでも、現代に合った憲法改正を実現することに『意義』がある。制定以来六〇年近く改正されなかった憲法に、国民が責任と関心を持つこと自体が重要なのである」と指摘している。日商の改憲戦略も部分改憲優先論である。
 これに対し「同友会意見書」は〇三年四月の提案ではあるから現在の意見は確かではないが、相当に幅広い憲法の再検討を主張している。要点は@憲法の顔、前文の見直し、A象徴天皇制の位置づけ、B外交・安全保障の再検討、C国民の権利・義務・公共の福祉の再検討、D統治機構、E改正手続きなど、である。そして結論としては「憲法改正をすすめることは……あらゆる側面における、制度の再設計が必要となる。そのためには、真摯な議論とある程度の時間が必要であり、そこに妥協が許されないことは明らかである。よって、そのような議論と併行し、現憲法の改正を必ずしも前提としない問題、具体的には有事法制整備、集団的自衛権行使に関する政府見解の変更、『憲法改正のための国民投票手続き法』の整備などについては、早急に解決を図るべきである」と主張している。
 これは改憲への道筋として考えられる一つの路線である。そして新憲法制定には時間がかかるから、それまで立法措置によって解釈改憲をさらにかさね、当座の米国の世界戦略の要求に応えるようにするのである。
 これらの報告から見る限り、緊急の部分改憲を主張する経団連や日商と、全面改憲を主張する経済同友会の間には、改憲の道では差異がある。
 ちなみに、自民党憲法調査会が昨年末に作成し、その後、形としてはお蔵入りとなった「改憲草案要綱たたき台」は相当に復古主義的な全面改憲、新憲法制定の主張である。この主張は一月一八日に開かれた自民党七一回大会でも引き継がれており、大会は教育基本法の改定、靖国参拝推進などと合わせ新憲法草案を本年十一月までにまとめるとして、自民党らしさを強調しようと、復古主義を前面に押し出した宣言をだした。
 しかしながら、小泉首相も再三発言しているように、自民党は野党第一党の民主党との協議なしに、改憲の発議は不可能と考えており、この「要綱」の路線をごり押しするつもりはない。改憲の発議の際には、いくつかの項目、例えば経団連報告書がいうようなものになる可能性が濃厚である。
 この点でも自民党支援を軸にしつつ、民主党への援助も視野に入れて活動する経団連の報告書は注目に値する。

【結び】

 しかし、この時期に日本財界の主要三団体が、あいついで改憲の世論起こしに本格的に乗り出した意味は重大である。これは永田町の諸政党の動きに大きな影響を与えずにはいかない。
 二十一世紀、日本帝国主義のグローバルな規模での収奪と延命のための改憲は、財界にとってもはや不可欠の作業になっているのである。
 一月二一日から始まった通常国会には改憲の手続き法案=国民投票法案や、憲法調査会の変質をねらう国会法改定案などが出されようとしている。さらにスマトラ沖地震の救援などに便乗し、自衛隊の海外派兵を本務化するための自衛隊法改定案、防衛省設置法案、教育基本法の改悪案、そして派兵恒久法など、悪法が山積している。
 この通常国会を改憲国会化させるな。そのための国会内外呼応した積極的な運動の展開が望まれる。 (S)


ブッシュ大統領就任式に抗議

 1月20日は、ブッシュ大統領の二期目の就任式。イギリスBBC放送による世界21カ国の世論調査の結果によると、ブッシュ政権の継続で世界は危険になると考える人が全体で58%となる。
 この日、アメリカをはじめ世界中でブッシュ就任式に抗議行動が展開されたが、東京でも、WORLD PEACE NOWのよびかけによるアメリカ大使館にむけての行動がおこなわれた。集会では、ブッシュのイラクでの人殺しなどを糾弾し、戦争・占領をやめさせ、自衛隊の撤退を求める発言がつづき、シュプレヒコールがおこなわれ、ブッシュあての要請文を大使館に手渡した。

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もう戦争はやめよう。米軍はイラクからただちに撤退を

                              2005年1月20日

 アメリカ合衆園大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュ様

 私たちは、あなたが開始したイラクでの戦争に反対している市民です。私たちが住む日本の小泉純一郎首相は、はじめからあなたの戦争に賛成し、自衛隊までイラクに送って、最後まであなたと同一歩調をとるつもりのようですが、私たちは違います。私たちはあなたの戦争に反対しているだけでなく、小泉首相が決めた自衛隊のイラク派兵にも反対です。日本に住む人の過半数がこの戦争と占領に反対しています。
 今日は、あなたの二回目の大統領就任式典です。そしてアメリカで戦争に反対している市民たちは、今日ワシントンDCで、戦争・占領をやめさせ米兵たちを帰還させるための行動を行っています。あなたにもその声が聞こえるでしょう。平和を愛するアメリカの市民たちは、世界の人びとに対し、ともに戦争―占領を終わらせようと呼びかけました。私たちもその訴えにこたえようと、アメリカ大使館の前に来ました。
 一昨年三月、あなたは「大量破壊異器」や「9・11テロヘの関与」というまったくの虚偽の口実で、国際法をも踏みにじって、イラクヘの侵略を開始しました。しかし戦争は一向に終わる気配を見せません。それどころかイラクの人びとの抵抗は日を追って激しくなるばかりです。
 すでに米軍は一〇万人を超えるイラクの市民を殺しました。あなたたちの兵士の死者も一四〇〇人を超え、その数は毎日のように増え続けています。この戦争と占領には、なんの正当性もありません。あなたが大統領だった四年間で、世界に戦争の火の手が拡大し、人びとが平和と安全のうちに暮らす権利は踏みにじられました。
 米国とともにイラクに兵を送った諸国も、スペイン、タイ、フィリピン、ハンガリー、ノルウェー、ニュージーランド、カザフスタン、ホンジュラス、ドミニカと、統々と兵を引き上げています。今年、撤兵する国は、ポルトガル、オランダ、ルーマニア、ウクライナ、ポーランドとさらに増えることになっています。孤立しているのはあなたたちです。
 もうこれ以上人殺しを続けるのはやめましょう。イラクの人びとの人権を無視するのはやめましょう。もしかすると、そのうちにみんな戦争に反対することなどあきらめるさ、とあなたは思っているのでしょうか。だとしたらそれはとんでもない恩い違いです。
 私たちは、あなたのやってきたことを忘れません。戦争が統くかぎり、占領が統く限り、あらゆる言語で叫ばれるあなたへの怒りの声は止まらないでしょう。私たちは、世界の市民たちとともに、ここ東京の日比谷野外音楽堂で、三月一九日に戦争と占領に反対する大きな行動を準備しています。
 最後にもう一度呼びかけます。戦争はもうたくさんだ。これ以上の人殺しをやめろ。ただちに兵士を帰還させろ。よく考えてください。
 これで終わりです。

 日米市民団体共同行動・ブッシュ就任式にイラクからの撒退を要求する米大使館行動参加者一同(よびかけ・WORLD PEACE NOW案行委員会)


九条の会憲法学習会  熱心な参加者300人超

 自民党などによる改憲の動きが急速に強まる様相を見せている中、「九条の会」事務局が主催した「憲法学習会」が二〇〇五年早々の一〇日、東京の日本教育会館で開かれ、高知県や石川、長野など各地からの人びとを含めからの参加者を含め、三〇〇名を超える人びとが参加し、熱心に講師の講演や質疑応答に耳を傾けた。
 テーマは「自民党改憲草案大綱(たたき台)の検討」として、九条の会賛同人の小沢隆一・静岡大教授と事務局長の小森陽一・東京大教授が講演した。
 司会をした九条の会事務局の高田健氏は冒頭に「結成以来、九条の会への期待が急速に強まってきている。今年はさらに協力して奮闘したい。この草案大綱は発表されたあと、まもなく自民党内の矛盾や自衛隊現職幹部の関わりなどから博し撤回されざるを得なくなった。いわば幻の草案大綱だが、この考え方は自民党の中では変わっておらず、検討し、批判を加えておく必要がある」と述べた。
 小沢氏は自民党の改憲草案大綱を逐次、詳細に分析、批判した。草案は現行憲法の例外規定から基本原理へと天皇制の強化をはかり、反対に民主主義と人権を弱めるものだと批判。また平和主義についても、環境保全主義を含めることで、平和の破壊原因を曖昧にし、その克服の道を曖昧にするものだ。そして平和主義問題を二章と八章に分離し、目先をごまかしながら、自衛軍の設置を明記し、その任務として「防衛、治安、災害」を並列した。自然災害と防衛は性格の全く異なるものなのにわざわざ並記してごまかしていると批判した。自民党がめざす「国柄」は海外での軍事行動、天皇制、新自由主義改革、首相の権限強化などだ、とした。
 小森氏は「あなたが語る日本国憲法」と題して、この学習会参加者が今後スピーカーになることを訴え、必要な論点として、憲法の権力制限規範としての最高法規性、米国と財界による改憲策動、九条を活かすことこそが平和と生活の改善をもたらすのであり、これをすすめる広範な運動を作る必要性などについて述べた。
 質疑応答では改憲の国民投票法案の問題や、自民党憲法改正論点整理にあった二四条問題などがでた。
 九条の会としての初めての試みであったが、参加者の熱気が感じられるものだった。


関生労組への弾圧はね返せ

 イラク戦争への積極的加担によって小泉政権の「戦争のできる国」づくりは進み、国内的にはそれを保障するための弾圧と言論の自由の圧殺が強められている。立川自衛官官舎ビラ入れ逮捕・起訴事件、共産党のビラを配った社会保険庁の職員の逮捕・起訴、WORLD PEACE NOWへの弾圧・ガサ入れ、東京・葛飾区で共産党の区政報告などをマンションに配布した人の逮捕・勾留が続いている。立川の事件は、地裁で完全無罪の勝利判決をかち取ったが、この当然な判決に対して検察は高裁に控訴した。これらの反戦運動・政治活動への監視・弾圧体制の強化は、憲法の保障する人権と民主主義の侵害であるが、弾圧は労働運動にもひろがっている。

 一月一三日未明、労働者の生活と権利を守って戦闘的に運動を展開している全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部に大阪府警による弾圧が加えられ、武建一支部委員長と支部執行委員三人を不当逮捕し、支部事務所など三〇カ所余りを家宅捜索した。
 警察は弾圧の口実にふたつあげている。ひとつは、業務妨害である。関生支部は、この一〇年、建設不況下での業界の過当競争と生コン販売価格の値崩れ、業界共倒れの危機を打開するため生コン産業再建と労働者の雇用安定をめざす業界再建政策を推進してきた。その主な目的は、中小生コン業者が法律で認められた協同組合の下に団結し、セメントメーカーとゼネコンの横暴をゆるさず、適正な価格や取引条件を実現して経営を安定させて、そこではたらく労働者の雇用・労働条件を守り、また欠陥生コンを追放して高品質な生コンを提供する社会的役割をはたすことなどである。だが、セメントメーカーやゼネコンは、協同組合に入らないで私的な利益をはかろうとする未加盟業者利用して不当な利益をむさぼってきた。今回の弾圧は、その未加盟業者に対する行動を、強要未遂だとか威力業務妨害だと称してとして行われたのである。しかし、こうした行動は、労働者と中小企業を利益を守る正当な労組としての行為でありまったくの不当なでっちあげだ。
 もうひとつは、武委員長が、協同組合の役員を努める企業に組織に無断で融資を行ったというものだ。労組側は、「連帯労組関西地区生コン支部の財政活動は、毎年の定期大会をはじめとする機関会議に公認会計士の厳格な監査を経て会計報告がなされており、何ら問題があるはずはない。それにもかかわらず、大阪府警が背任などと主張すること自体、今回の弾圧の本質が、国家権力による前代未聞の組合つぶし攻撃にほかならないことを示している」と反論している。
 全日建労組は、当日に発表した、<緊急声明>「関西地区生コン支部に対する1・13不当弾圧に抗議する」(全日本建設運輸連帯労働組合中央執行委員長 長谷川武久、近畿地方本部執行委員長 戸田ひさよし、関西地区生コン支部執行委員長 武建一)で、「『嵐は樹を鍛え育てる』とのたとえのとおり、四〇年にわたる闘いの歴史をもつわれわれは、過去にも幾度かの権力弾圧を受ける都度、それを反面教師として受け止め、より一層団結を強化して運動を発展させてきた。われわれは、これまですすめてきた我々の政策活動こそが、未来を失った大企業中心の経済・産業秩序に代わって、労働者と中小企業のあるべき未来を切り開く道であり、これ以外に現在の危機を打開する方法はないとあらためて確信する。
 そうした確信を全組合員、そして、中小企業家と分かち合いながら、われわれは、不当な権力弾圧をはね返し、不当に拘束された仲間を早期に奪還する闘い、そして組織に加えられた言われなき汚名を見事に晴らす闘いに立ち上がることを表明するものである。さらに、われわれは、これまでにもまして政策活動を強化し、〇五春闘期間中により大きな成果を達成する決意であることをも表明するものである」と闘う決意を表明している。
 関西生コン支部への弾圧は労働者の闘いにおびえた大資本と権力の不当な弾圧であり、弾圧の政治的な本質を暴露し、労働組合をはじめ、反戦・市民運動など多くの仲間の連帯をひろげて反撃して行かなければならない。


国会議員と市民の院内集会  『改憲国会にさせない』〜行動のうねりを

 一月二一日、第一六二通常国会がはじまった。この国会は、郵政民営化法案とともに、憲法改悪にむけた法案が目白押しだ。憲法調査会を改憲提案させるものに変えようとする国会法改悪、国民投票法案、海外派兵を本来業務とする自衛隊法改悪、愛国心を軸とする教育基本法改悪などなどだ。
 国会の開会にあわせて、同日午後、衆議院第二議員会館で、「二〇〇五年五・三憲法集会実行委員会」による「国会議員と市民の院内集会/『改憲国会にさせない』〜行動のうねりを」がひらかれ、一三〇人が参加し、国会の内外で運動を強めていく決意をかためた。
 主催者を代表して高田健さんがあいさつ。
 この国会は大変な国会になる。経団連など経済三団体が改憲提案を行い、その影響うけて政党、民間右派も動き始めた。5・3憲法集会実行委員会は大きく共同して共同して憲法集会をやってきた。悲惨な戦争の経験から、二度と戦争の武器はとらないと言ってきたこの国の国会を改憲国会にしてはならない。国会法「改正」をはじめさまざまな悪法が上程されであるが、それぞれがとんでもない内容のものだ。この国会の会期は六月一九日までとなっている。今年の5・3憲法集会(日比谷公会堂)を成功させ、世界の人びととともに平和に生きていけるように頑張っていきたい。 
 社民党を代表して福島瑞穂党首(参議院議員)、共産党を代表して山口富男衆議院議員があいさつし、また民主党の円より子参議院議員、無所属の糸数慶子参議院議員が発言した。
 福島党首は、辺野古新基地建設やキャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部の移転など、いま沖縄を前線に、神奈川を司令部に、そして日本全体をアメリカの五一番目の州にしてしまう動きがあり、改憲問題が正念場に入った、すべての力を結集して闘おう、と述べた。
 山口議員は、経団連の提言は、九条をかえろ、そのために早く投票法案をつくれということだ、その投票法案は骨子だけで中味がない、それはもっと野党勢力を取り込むために摺りあわせの余地を残しておくためだ、だから私たちは法案そのものを出させない闘いをするしかない、九条での共同を広げていこう、と述べた。
 市民団体からは、VAWW―NETジャパン、陸海空港湾労組二〇団体、日本青年団協議会が意見表明し、実行委員会参加団体の、許すな!憲法改悪・市民連絡会、憲法を生かす会、平和憲法21世紀の会、憲法会議、平和を実現するキリスト者ネット、憲法を愛する女性ネット、女性憲法年連絡会が発言した。


安倍・中川は責任をとり、議員辞職せよ

    
自民党との癒着・NHK海老沢体制

 自民党の安倍晋三と中川昭一によるNHKへの政治圧力によって番組内容が「改変」させられた。この番組は、NHKが二〇〇一年一月三〇日に放映した戦時中の慰安婦問題を扱った特集番組「ETV2001 戦争をどう裁くか」の四回シリーズの第二回「問われる戦時性暴力」だ。番組は、前年一二月に開かれた「日本軍性奴隷制を裁く『女性国際戦犯法廷』」を取り上げた。
 「女性国際戦犯法廷」は、二〇〇〇年一二月八日から一二日まで東京で開催された。主催した実行委員会は日本と被害国(六カ国)からの代表、国際諮問委員会(第三国から国際法の専門家六名が委員)で構成され、それぞれの代表者が共同代表となった。日本からはNGO「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(VAWW−NETジャパン)の松井やよりさんが共同代表の一人となった。法廷は、加害国日本、被害国、武力紛争に取り組む女性人権活動家などの陣容で開廷され、二〇世紀最大規模の戦時性暴力といわれる日本軍性奴隷制(「慰安婦」制度)を裁く民衆法廷として開かれた。八カ国六四人の被害女性など国内外の延べ五〇〇〇人近くが参加した。法廷は、被害女性、加害兵士、専門家の証言と各国検事団提出の証拠に基づいて、二人の首席検事の起訴を受けて、国際的に著名な法律専門家である四人の裁判官が、当時の国際法に照らして、昭和天皇の有罪と国家の責任を認定する判決を下した。
 この歴史的な判決は海外で大きく報道されたが、日本国内のメディアはほとんど黙殺した。しかしNHKだけは「法廷」を記録する番組を制作したいという意向があり、それを評価したVAWW−NETジャパンは「法廷」の準備段階から開廷中まで取材に全面的に協力した。ところが、シリーズ第二回目に放送された番組は、「法廷」についての部分が異常に短く、「法廷」のフルネームも、「日本軍」や「性奴隷制」などのキーワードも、「法廷」会場内の光景も、主催団体も、主催者の発言もまったくないばかりか、核心である判決については一言もふれていないものとなっていた。被害者証言も極端に短くされ、加害兵士の証言はまったくカットされた。一方で、右翼学者に「慰安婦の強制連行はなく、売春婦である」という発言をさせたりしている。その他にも、さまざまな問題を含んだ番組となっていた。従軍慰安婦問題、とくにこの民衆法廷には右翼からの妨害がすさまじいものであったが、安倍・中川などの自民党内タカ派も民衆法廷に反対の意向を鮮明にしていた。NHK首脳が元の番組の重大な手直しの命令を行ったが、そのの背後に政治的な圧力があったと言われたのも当然の状況だった。
 番組改変に対してVAWW−NETジャパンは、NHKに責任ある説明を求めたが、NHKは一貫して「番組は企画通りにつくった。右翼の圧力には左右されなかった」と、番組改ざんの事実さえ認めない態度をとり続けた。このためVAWW−NETジャパンは、法的手段をとる以外ないと判断し、東京地裁に提訴し、同時に「放送と人権等権利に関する委員会機構」(BRO) にも申し立てを行った。地裁では敗訴したが、現在は東京高裁で裁判が闘われている。
 政治圧力が問題となっているのに、安倍・中川らは、あいかわらずの暴言・妄言をつづけている。VAWW−NETジャパンは、一月一七日に抗議声明「安倍晋三氏の事実歪曲発言について」を発表した。それは、「安倍氏はこの間、頻繁にマスコミに登場し発言を行っています。その中で、安倍氏は、女性国際戦犯法廷の事実関係について重大な事実歪曲、誹謗・中傷を続けていますが、それに対してマスメディア側は知識不足、勉強不足のためほとんど事実の間違いを指摘することができず、そのまま一般市民に垂れ流されているという状況にあります」として、マスコミに「問題点のすりかえ」に注意するよう促した。安倍や右派言論は、「最初から結論ありきはみえみえ」と言っているが、抗議声明は事実を次のように明らかにしている。「女性国際戦犯法廷は民衆法廷といっても、世界の五大陸から選ばれた世界的に信頼の高い国際法の専門家や旧ユーゴ国際刑事法廷の裁判官らによって、当時の国際法を適用して、被害者・専門家・元軍人の証言や膨大な証拠資料(日本軍・日本政府の公文書等を含む証拠文書)に基づき厳正な審理を経て、判決が出されたものである。判決は、まず二〇〇〇年一二月一二日に『認定の概要』が公表され、一年の休廷を経て二〇〇一年一二月にオランダ・ハーグにて『判決』が下された。主催者に対しても『認定の概要』および『判決』は発表まで全く知らされず、『結論先にありき』という発言は根拠なき誹謗中傷であり、『法廷』の事実に基づかない。また、旧ユーゴ国際刑事法廷で裁判長をつとめたマクドナルド氏などの本法廷の裁判官たちの名誉を著しく傷つけるものである」。
 法廷の裁判官は、ガブリエル・カーク・マクドナルドさん(アフリカ系米国女性・旧ユーゴ国際刑事法廷の前所長)、クリスチーヌ・チンキンさん(イギリス人女性・ロンドン大学国際法教授)、カルメン・マリア・アルヒバイさん(アルゼンチン・アルゼンチンの判事・二〇〇一年国連総会で旧ユーゴ国際刑事法廷の判事に選出・現国際刑事裁判所判事)、ウィリー・ムトゥンガさん(アフリカ人男性・ケニア人権委員会委員長)などであった(インド人男性の裁判官は病気のため欠席)であった。
 安倍・中川は、政治的圧力問題の論点をすりかえて逃げきろうとしている。だが、NHKの番組の内容を事前に知っているなど安倍ら自民党首脳とNHK幹部の癒着・特殊関係はあきらかだ。追及と糾弾の手をゆるめず、不当な政治的な圧力問題の暴露し、安部・中川、NHK首脳部を追いつめ退陣させよう。


寄 稿

    
 「技術論」再論     北 田 大 吉

十一、戦後の技術論論争について

 第二次世界大戦後の技術論論争は、戦前の唯研技術論にたいする物理学者・武谷三男の異議申し立てからはじまる。ここで技術論論争史を展開するつもりもゆとりもないから、戦前の技術論論争がどのような経緯を辿ったかについては割愛せざるを得ないが、戦前、相川春喜が提起した「技術は労働手段の体系」説は、戦時中の日本帝国主義による烈しい弾圧なかで次第に影をひそめていったのはやむを得ないことであった。
 戦後といったが、武谷が「労働手段体系」説に牙をむき、はじめて「技術とは人間実践(生産的実践)における客観的法則性の意識的適用である」という規定を公にしたのは敗戦後のことであるが、戦前理研で原爆の開発に従事していた武谷が、技術論の研究をはじめたのは第二次世界大戦がはじまる一九三九年九月頃のことであった。武谷は『弁証法の諸問題』のなかで「科学者、技術者が社会にたいしてもっと正しい認識と関心をもつためには、技術論を技術者の実践によって役に立つものとして築くことだと思った」と彼の問題意識について述べている。武谷を技術論研究に駆り立てた直接のバネは、哲学者・中井正一との対抗ならびに唯研内の「技術論争」が労働手段体系説でまとまっていったことにたいする不満であったといわれる。
 「労働手段の体系ではダメだという考え方の一つは、日本資本主義は労働者の安全を犠牲にし、さらに労働者を搾取することによりかかって、技術の本格的な発展をサボることができた。これが日本の技術体系の特徴である。本格的な技術というものはそんなものではない。労働者の安全と労働者の搾取に依存しないことが技術の発展をもたらすということに根拠をおいている。」
 労働者の安全を犠牲にしない資本主義、労働者の搾取に依存しない資本主義はどこにも存在しないはずであるが、日本の場合、搾取度、労働強化あるいは剰余価値率や労働災害率は抜群であった。すなわち日本の資本家は、相対的剰余価値よりも絶対的剰余価値の獲得に血道をあげてきた。これを可能にした条件は、おくれた農業を基底とする低賃金労働力の過剰、労働組合法の制定さえ容認しなかった「半封建的」権力、基礎的機械工業を欠いたまま強力に構築された兵器産業とその素材生産を中心とする重化学工業、これらが一般産業の技術的構成の低位性を規定したのである。
 武谷は一九四一年頃、神田の喫茶店で相川春喜と会い、相川技術論を批判している。「相川技術論もまずいのじゃないか…材料にも技術はあるし、製品にも技術はある。労働の側にも技術はある。だからおかしいのじゃないかというようなこと」をいわれたと相川は『技術論入門』の序文で記している。
 大阪大学工学部の名物教授・石谷清幹は、「『技術は労働手段の体系』という定義では労働対象が除外されているが、それは欠点というより長所である」と言っている(『工学概論』)。
 敗戦後、「労働手段体系」説批判の寵児として颯爽と登場したのは、武谷の高弟・星野芳郎である。星野は戦前の唯研における技術論論争を戸坂潤と相川春喜の対立に矮小化したうえ、星野は相川に矢を絞って攻撃を加える。星野は、相川説の根拠がマルクス『資本論』の第一巻第十三章の註八九であることを発見して、鬼の首を取ったかのごとく大騒ぎをしている。
 星野によれば、戸坂は相川の拠って立つ根拠に反対であったという。星野は「しかるに戸坂の相川批判は、依然として『資本論』の当該箇所をいかに解釈すべきかという枠を一歩もでるものではなかった」と批判する。しかし戸坂・相川論争は唯研の内部論争であり、唯研メンバーが技術に関する見解を相互にだしあって自由に討論したものであり、最終的には戸坂を含めて唯研は「労働手段体系」説でまとまっている。さらに海外では「労働手段体系」説はむしろ「定説」になっており、なにも相川が世界ではじめて唱えたものではない。要するに、その内容が正しいのか否かが問題である。
 星野は、まず生産の目的というところからはじめる。生産の目的は、生きた人間主体の意識に生ずる。それは、主体と環境との矛盾から生じてくる。…目的は主体と環境との適応の矛盾から、主体の意識のなかに生まれてくるものであり、この際の目的の措定は、主体、環境の両者の状態によって限定されている。目的はまだ主体の意識のなかに、主観的表象として存在しているにすぎない。人間の生産的実践というのは、このまだ主観的な表象を客観的世界に実現せしめることである。…ある一定の生産的実践における労働力、労働手段、労働対象には、その「生産的実践における合目的的法則」の適用」が物質化し、対象化されている、と。そして、この「適用」の物質化し、対象化したものを、私は合目的的機能と名づける。この合目的的機能というのは、結局は、それぞれ労働力、労働手段、労働対象の目的を達し得る能力のことである。…労働力、労働手段、労働対象のいずれにおいても、その合目的的機能には客観的に表現される部分と、されぬ部分とあり、現実の合目的的機能というのは、その二部分の統一であることが分った(『技術論ノート』)。
 「技術とはまさに『生産的実践における客観的法則性の意識的適用』である。これは一九四六年の『新生』二月号紙上に、武谷三男氏がはじめて発表された概念規定であった。私はここにあらためて氏の規定を全面的に再確認したいと思う。」(同)
 生産とは主体である労働力が、「それ」を使って、労働対象を意識的に変化させることである。労働力は主体であり、労働対象は主体の外に存在する客体(もしくは物体)である。この場合「それ」が技術であるというのであれば、この面では武谷=星野は「労働手段体系」説を承認していることになるが、武谷=星野説においては、「それ」は客観的法則性であるから、さしあたりは主体の意識のなかにしか存在しないのであるから、そのかぎりは「主体的」であろう。これを主体が生産過程のなかで適用するということになるが、主体が客観的法則性にしたがわなければ労働手段が動かないということはあるが、主体が労働手段を具体的に動かさないとしたら、やはり生産というものは不可能である。
 もうひとつ、武谷=星野説が、技術は労働手段だけではなく、労働力や労働対象のなかにも存在するというのは、「適用説」と矛盾するのではないか、少なくとも説明不足は免れ難い。労働力における技術というのは、おそらく「技能」をさしているのではないかと思われるが、労働対象のなかの技術とは何を指しているのかよく分からない。(おわり)


 山東出兵は「成功例」か!   帝国主義列強との協調と民衆的協調

「歴史を鑑(かがみ)に」

 イラク派兵、戦争体制づくり、憲法改悪という流れが強まる中で、右派言論による歴史の見直し・改竄が進行している。右派雑誌として有名な文藝春秋のオピニオン雑誌である「諸君」の二月号は、井上寿一学習院大学教授の「イラク派遣は、あの悪名高き『山東出兵』に学べ 小泉首相が近代史から学ぶべきは、幣原『無責任』外交ではなく、田中義一の中国派兵である」なる文章を載せている。「《歴史を鑑に》してみました」なるサブタイトル付きで。
 井上は、昨年末の小泉首相の自衛隊のイラク派遣延長の理由説明は「いかにもわかりにくいものだった」、「これとは対照的に、一年前の派遣決定は、その目的が明確だった。それゆえ著者は派遣を支持し、その目的が達成されたとは思えない以上、派遣延長も肯定している。ところが今回の派遣延長の場合、他の派遣国が次々と撤退の意思を表しているにもかかわらず、なぜそれでも自衛隊は留まるのか、小泉内閣は、国民に対して説得力のある理由を説明していない」として「自衛隊のイラク派遣を失敗に終わらせないためには、これからどうすればよいのだろうか。ここでは問題の根本に立ち返って考える、つまり原理的に考えることにしたい。原理的に考えるとは、歴史的に考えるということでもある。過去の事例と通底する原理的な問題を発見することによって、自衛隊のイラク派遣の問題を歴史的に考えるというのが、ここでの基本的な立場である」という。そして、山東出兵(第一次は一九二七<昭和二>年、翌年に第二次、第三次出兵)が取り上げられる。田中義一内閣の「山東出兵は成功例としてあげることができる。井上は、山東出兵は、目的限定的で、目的(現地居留民保護と権益の保全)が達成されると、すぐに撤兵を開始し、対中関係へのダメージを最小限に抑え、対列国協調関係を維持した。以上のような山東出兵の事例から、自衛隊のイラク派遣問題を歴史的に考えることが、ここでの課題である」としている。
 だが、山東出兵を「歴史の鑑」として、自衛隊派兵延長の正当化をはかろうとする井上の目論見は成功するだろうか。

山東出兵とその後の経過

 山東出兵をめぐる状況は次のようなものだった。
 一九一一年、辛亥革命によって清朝が倒れ中華民国が建国されたが、中国の半植民地・半封建の状況は改まらず、中国は軍閥抗争の時代に入った。各軍閥の背後では帝国主義列強が糸を引いていた。一九二六年、日本を後ろ盾とする張作霖を頭とする北方勢力など軍閥勢力打倒のため、国民党・共産党は合作して南方革命勢力=国民革命軍による北伐戦争を開始した(北伐軍の総司令は蒋介石)。北伐軍は、広東省から湖南、江西省を経て、一九二七年一月には孫傳芳軍を破って淅江省・上海に迫った(上海ではこの時、共産党の指導する労働者・市民のストライキで軍閥勢力を駆逐した。しかし、上海に入った蒋介石はイギリス帝国主義と浙江財閥の利益のために反共クーデタをおこし、多くの共産党員、労働組合員を虐殺した。その他、中国側には、国民党と共産党の第一次合作の崩壊、国民党の分裂、蒋介石の一時的下野などの事態が進行するがそれは省く)。
 北伐が進むとともに、それは満州東蒙古に権益(いわゆる満蒙特殊権益)をもち、第一次世界大戦のどさくさまぎれに山東省・青島などのドイツ権益を奪った日本帝国主義の利益をおびやかすものとなった。北伐軍が山東に接近する事態を前に、日本政府(政友会・田中義一内閣)は、一九二七年五月二七日に「山東出兵に関する閣議決定」を行った。
 「一、陸軍大臣、外務大臣間ニ協定シタル左記四項ニ付五月二十七日閣議ニ於テ大体承認
 (イ)済南帝国居留官民及膠済鉄道沿線要地ニ於ケル帝国臣民保護ノ為不取敢満洲ヨリ歩兵四大隊及之ニ付属スル部隊ヲ派遣ス(約二千人)
 (ロ)右派遣部隊ハ差当リ第十師団ノ部隊ヲ充当シ得へキモ同師団ハ近キ将来ニ於テ交代ヲ要スルヲ以テ駐留長キニ渡ルノ見込ナルニ於テハ成ル可ク速ニ新ナル部隊卜交代セシムルヲ要ス
 (ハ)北支那駐屯軍兵力ノ増加ヲ必要トスル場合ニハ第一項ニ準シ不取敢満洲ヨリ所要ノ部隊ヲ派遣ス
 (ニ)第一項及第三項ノ派兵ノ為生スル在満兵力ノ不足ハ内地ヨリ補充ス
二、前項(イ)ノ実行トシテ直ニ満洲駐屯軍ヨリ二千人ヲ不取敢青島迄派遣シ形勢ヲ見テ済南ニ前進ノコト
 三、其他ノ事項ニ付テハ今暫ク時機ヲ見テ更ニ協議決定スルコト
 四、右派兵決定シタル時ハ直ニ南北ノ当局ニ対シテハ在外公館ヨリ東京ニ於テハ外務大臣ヨリ英、米、仏、伊四国ノ代表者ニ対シ派兵ノ説明通告ヲナシ同時ニ新聞ニ依リ別紙声明書ヲ発表スルコト
 五、列国ニ対シテハ協議事項(ハ)北支兵力増加ノコトヲモ同時ニ通告スルコト」。<不取敢=とりあえず>
 「在留邦人保護」を理由とした中国への出兵である。こうした政策は、前代の幣原外相の対中国「和親方針」と対比して、田中「サーベル外交」とよばれる。
 山東出兵は三次にわたる。日本は五月二八日、済南及び膠済鉄道沿線の居留民保護のため、歩兵第三三旅団を青島に派遣し、膠済鉄道沿線の情勢が悪化してきたので、第三三旅団主力を済南に前進させ、歩兵第八旅団基幹の部隊を青島に上陸させた。八月上旬、徐州付近の戦闘で北伐軍が敗れて後退したため(北伐の一時的停止)、日本は八月末に部隊を撤収させた。この出兵は、直接の衝突・流血事件をおこすことはなかったし、中国に権益を有する列強からはかれらの権益や居留民の保護について効果があったものとして感謝された。だが、中国民衆の感情を著しく悪化させることになった(第一次出兵)。
 その年の六月、田中内閣は、外務省で東方会議を開催し、満蒙特殊地位を確認したが、中国側は日本が満蒙積極政策を強めたとみなし、列強も日本に対する警戒心を高めた。
 そして、翌一九二八年、またも「邦人保護」を口実に第二次山東出兵を強行した。それは蒋介石が、四月に北伐を再開したからで、これに対し日本は支那駐屯軍から済南に歩兵三個中隊を派遣した。同時に、日本内地から第六師団が山東に派遣され、四月二五日、青島に上陸を開始し、済南および膠済鉄道沿線に部隊が配置された。五月一日、北伐軍が済南に入城し、国民革命軍と日本軍警備兵との間に衝突が起った(第二次)。
 この事態に、日本は、六月五日、第三師団を派遣したが、北伐軍は、主要目標である北京の張作霖攻撃のため、日本軍との戦闘を回避した。その後の、日中交渉によって、一九二九年五月、第三師団は撤退した(第三次)。
 北伐戦争の結果、国民革命軍は北方勢力を圧倒し、張作霖はその本拠地である東三省(満州)へむけて撤退した。その途中、関東軍の河本大作大佐らによって張作霖の列車が爆破され張は殺された(六月)。この事件に対する政府の処分に陸軍は抵抗して、軽いものにおわらせ、軍部の独断専行はいっそう強まった。
 一九二八年六月、北伐は完了し、蒋介石を中心として南京政府が生まれた(国共合作崩壊以降、共産党はソビエト運動を展開し、国民党政権打倒にむけて「国内革命戦争」を闘っている)。そして、張作霖爆殺によって満州の新しい支配者となった張学良は、日本に対する批判を強め、二八年一二月二九日に「易幟(えきし)」を断行した。易幟とは、幟(旗)を変えることで、それまでの張作霖軍閥の旗にかえ、中華民国国民政府の「晴天白日満地紅旗」を東三省に掲げさせ、敵対していた蒋介石側と和睦し、蒋介石は、軍閥混戦以来十数年にわたった分裂を克服し、「国民党による中国の統一」が達成されたと宣言した。
 だがこれは、「日本の満蒙特殊権益を犯すもの」だだった。それに対抗して、石原莞爾ら関東軍は柳条湖事件(一九三一・九・一八)が起こし、カイライ「満州国」の建国を強行した。その後、軍国日本は周知の破滅への道を転げ落ちていった。国際的な対日批判の高まり、日本の国際連盟脱退(一九三三年)、盧溝橋事件(一九三七・七・七)からの中国との全面戦争、日独伊軍事同盟(一九四〇)、真珠湾奇襲攻撃(一九四一・一二・八)……。

「日米英三国間の協調」

 井上にかえろう。
 井上の評価の中心は、「第二次山東出兵の際に起こった軍事衝突、済南事件によって、日中関係が悪化したのは、たしかである。しかし米英等の反応は肯定的だった」というところにある。井上は、アメリカのマクリー中国駐在公使の覚え書きなるものを引用しているが、それは「日本軍が、済南の居留民に適法な保護を与える過程で起こった事態は、神の恩寵がなければ、上海か天津で我々アメリカ人に起こったかもしれないことと少しも変わらないはずのものだった」「この事件で最も現場の近くにいた外国代表団の人々は、米国の極めて有能な済南領事も含め、日本軍が自国居留民の生命・財産保護のために、その任務を達成すべく誠意をもって行動したものと信じていた」というもので、これに井上はつづけて「済南事件にもかかわらず、山東出兵は列国によって支持されたのである。……田中の第二次山東出兵決定は、出兵に先だって、日米英三国共同の軍事行動を模索していたことに示されているように、日米英三国協調の基本的な枠組みに準拠しようとするものだった。……田中内閣は、中国をめぐる日米英三国間の協調への意思を堅持していたのである」と書く。対中政策は、アメリカ、イギリスと協調したものであり、それが評価されるべきだとしているのだ。 (つづく)


複眼単眼

  
人びとと星々と「あどけない星空の話」

 昨晩は寒かった。寒いといってもこのところの都内の夜の寒さは摂氏三度程度。本紙の読者には北海道の方も、沖縄の方もいるのだから、寒さの感じ方はそれぞれに異なるだろう。毎朝、テレビの天気予報を見ながら、今日は札幌は何度、那覇は何度だなどと友人たちの顔を思いだしたりする。
東京にしては寒さが厳しかった昨晩の帰路、空を見上げてみたら珍しく星々が多く見えた。思わず子どもの頃に帰ったような気持ちになり、体を反らせてしばらくの間、星空を眺めた。
「北斗七星はどこだろう」「北極星は見えるかなあ」などと思いながら、背骨がきしむのもものかは、結構、熱中してしまった。
 もとより天文学や星座の知識はほとんどない。星のことなど書くと間違えて笑われるかもしれない。ただ子どもの頃に育った東北地方の寒村は、星だけはすばらしかったのだ。海も川もない。高い山もない。低山の起伏がつづく。街はずうっと遠い。何の変哲もない農村だったが、それゆえ空だけは大きく広がっていた。
椎名誠だったと思うが、最近の文章で「モンゴル人は星を見ない。星が日常的にたくさんあるからだ。都会には人がたくさんいるが故に、私たちは人を見なくなってしまっているのではないか」という意味のことを書いていたと思う。なかなか考えさせる文章だった。人が人に関心を払わなくなるという指摘は鋭い警句だ。
筆者は「モンゴル人が見ているような夜空」をみて育ったが、たしかに子どもの頃、そんなに熱心に星々を眺めた記憶はない。それでもわりと空を眺めた子どもだったような気がする。以前、本欄にも書いたと記憶するが、当時、眺めた天の川は本当に白かった。天空にかかる川そのものだった。イギリス人はこれをミルキィウェイと呼んだが、これと比べても日本語の天の川という呼称はなかなかすばらしい。星座でわかりやすく、好きだったのは北斗七星だ。そのひしゃく型の「星座」は満天の星空の中からでも比較的すぐ見つけられた。当時、誰に教わったか、北極星の見つけ方も知っていた。ひしゃくの先の二つの星を直線に結んで五倍の幅をとると、そこにあるのが北極星なのだ。昨晩はそんな記憶をたどりながら北斗七星を探した。北斗七星も北極星を中心に一日一回りするのだから、天空のどの位置にあるかは時間で異なる。それでもようやくか細い光の北斗七星を見つけ、北極星にたどり着いた。寒空の東京で北斗七星と、北極星を見つけたことがすこしうれしかった。
 北斗七星はほんとうは星座の名前ではなく、「おおぐま座」の尻尾にあたる部分に過ぎない。子どものころ、どれとどれを結べばおおぐま座になるのか、懸命に探した記憶があるが、つなげる星の多さに熊の形など見つけることができなかった。ちなみに北極星はこぐま座の一部だ。
高村光太郎の「智恵子抄」にある「あどけない話」で智恵子は「東京に空が無い」と語った。光太郎が見ている東京の空は「ほんとの空」ではなく、智恵子の空は「阿多多羅山の山の上の空」なのだが、東京に智恵子の星空はあったのだろうか。智恵子が星空について語らなかったのは、「阿多多羅山の山の上の星空」をたくさん見ていたからだろうか。
排気ガス、目に見えないさまざまな人工の浮遊物、そしてこれでもかこれでもかとばかりに電気を浪費して照らされる街、それにならされてしまった私たち住人。
 冬の東京の、か細い光の星々を眺めた「あどけない星空の話」である。 (T)