人民新報 ・ 第1160 号<統合253(2005年3月5日)
  
                  目次

● オキナワの闘いに連帯し、辺野古沖基地建設阻止・米軍基地撤去へ

● ブッシュに挑んだ大学生 ロベルト・サモラ君が講演

● ヒロシマで、教育基本法の改悪をとめよう2・11集会

● 「九条の会」をきく県民のつどいー神奈川

● 平和のための二〇〇五年運動がスタート   「日本と朝鮮半島―過去・現在、そして未来へ!」集会+

● 介護保険はどこへ行く ――えっ! 散歩の介助もできないの?――

● 東アジアの趨勢と小泉政権

● 追悼・吉岡徳次さん

● 複眼単眼 / 原理主義、一神教、多神教、俗論の横行




オキナワの闘いに連帯し、辺野古沖基地建設阻止・米軍基地撤去へ

 政府・防衛施設庁は普天間飛行場の代替基地として名護市辺野古沖に新基地建設をすすめている。だが現地の人びとによる陸海での阻止闘争は日米政府の移設計画に重大な打撃を与え、日本政府・自民党内からも辺野古沖案見直しを示唆する発言がつづいている。
 二月一九日、山崎拓首相補佐官は、在日米軍再編協議の成り行き次第では、「見直すこともあり得る」と言明。二三日、額賀福志郎・自民党安全保障調査会会長(元防衛庁長官)はローレス米国防副次官と会談し、「(移設合意から)九年近くを経ながら実現のめどが立っていない。その理由を政府が検証し、現実的な対応を探るべきではないか」と見直し検討を伝えた。二五日、大野功統防衛庁長官は「日米特別行動委員会(SACO)最終報告と米軍の再編との接点がある可能性は完全には否定しない」と発言。二七日には、町村信孝外相が「辺野古以外ということがあるか、ないか。私はその可能性は排除しない」と述べた。
 こうした動きの背景には、住宅密集地にある危険な普天間基地問題の早期解決の必要性と建設の目処もたたない辺野古沖新基地建設にたいする米軍の不満があり、政府・自民党の内部から、辺野古基地建設見直し、県内移設で問題解決を図ろうとする声が上がりはじめたのだ。
 沖縄の闘いでSACO路線は破綻しつつある。沖縄の闘いに連帯して、日米政府の県内移設策動に反対し、辺野古沖新基地建設阻止、普天間基地返還、そしてすべての米軍基地撤去の闘いをいっそう前進させるために闘おう。

 二月二四日、星陵会館で、「在日米軍基地の強化を許さないぞ 沖縄から基地をなくそう! 2・24集会」(平和フォーラム、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動、辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会、アジア太平洋平和フォーラム(APPF)、日本消費者連盟による2・24集会実行委員会が主催)が開かれた。
 オープニングで「辺野古の闘い」のビデオが上映され、主催者あいさつは、福山真劫平和フォーラム事務局長が行った。
 沖縄には在日米軍の七四・八%があり、それは東アジアの緊張を激化させ、また沖縄県民の生活やインフラを破壊している。いま、沖縄では、名護市の辺野古沖新基地建設阻止が闘われているが、東京などでは充分な闘いが展開できていないことに内心忸怩たる思いがある。二〇〇四年九月一三日、宜野湾市にある米海兵隊普天間基地のヘリが、隣接する沖縄国際大学に墜落し、住宅地の中心にある基地の危険性が改めて明らかになった。これに対して、九月一二日には「宜野湾市民大会」が開かれ、沖縄国際大学のグランドに三万人の市民が集まって、ヘリ墜落に抗議し普天間基地の早期返還を求めた。普天間基地については、一九九六年のSACO合意では、五年から七年以内の返還が決められたが、それは基地の県内移設を前提とするもので、日本政府は名護市辺野古に新しい海上基地を建設しようとしてきた。全国から沖縄の闘いに連帯する運動をひろげよう。今年も五月に沖縄平和行進をおこない、その一五日には普天間基地包囲・県民集会を成功させよう。世界各地の米軍基地に反対する共同行動の中で、アジアから、世界から、米軍を撤退させる展望を広げていこう。
 国会議員からの情勢報告は、斉藤つよし民主党参議院議員。
 国会では沖縄米軍基地の縮小にむけて野党議員らで「沖縄米軍基地問題議員懇談会」を三月一六日に発足させる。そこでは、基地の整理・縮小、日米地位協定の改定、沖縄の将来ビジョンの策定などについて動きをおこしていくことにしている。民主党、社民党だけでなく共産党にもよびかけていきたい。
 集会には、社民党の福島瑞穂党首(参議院議員)、近藤正道参議院議員(無所属)、川内博史参議院議員(民主党)、若井康彦衆議院議員(民主党)、赤嶺政賢衆議院議員(共産党)が参加し発言した。
 沖縄から参加した代表が出席した国会議員に、沖縄米軍基地撤去署名を提出した。
 つぎに沖縄からの報告。
 宜野湾市による基地問題への取り組みのビデオの後、宜野湾市長・伊波洋一さんが発言した。
 現在、米兵五〇〇〇人がイラクへ行っている。普天間基地の米軍ヘリの五六機のうち四六機もイラクに派遣されている。また六機はインドネシアに行き、この一〜二月はヘリの活動はほとんど無い。アメリカ軍は事故が起こると、志気を高めるためにより激しい訓練を行う。昨日から飛行場外に出てのローカル飛行訓練が再開された。しかも、もうすぐイラクなど兵員二二〇〇名、ヘリ二九機が帰ってくるし、私たちはこれをはねかえしていかなければならない。アメリカ軍の世界的再編の中で、韓国では基地の三分の一、兵員の三分の二が減らされ、グアムに戦力が集中される。こういう時代に日本政府はなにをやろうとしているのか。アメリカの海兵隊など在日米軍は日本を守るためのものではない。それは米軍の出撃拠点としてあるのだ。アメリカは四〇近くの国々と安全保障の関係をもっているが、基地を置いているのは日本、韓国、ドイツ、イギリスなどわずかである。また沖縄の基地は経済・雇用面でもマイナスだ。普天間をはじめ米軍基地は県外へ、海外へということで運動して行かなければならない。
 ヘリ基地反対協共同代表・安次富浩さんは辺野古現地闘争について報告した。
 今日、二月二四日で、辺野古での闘いは三一二日目だ。昨年の四月、沖縄防衛施設局と業者は突然に工事着工の攻撃をかけてきたが、私たちは、雨の中、午前五時半から身体をはった闘いで阻止し、座り込みをつづけてきた。闘いは陸上だけでなく、海でも展開されている。米政府筋からは、辺野古への新基地建設計画変更の意向も出されているようだが、そうだとしても、下地島や嘉手納への移設ということらしい。依然として県内移設だ。それは沖縄差別にほかならない。ラムズフェルド国防長官も「歓迎されないところには基地はつくらない」と言っているが、政府がはっきりと基地建設断念を表明するまで現地での闘いの手はゆるめない。
 最後に、辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会、WORLD PEACE NOW実行委員会、神奈川平和運動センター、自治労青年部が発言し、集会アピールが確認された。

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沖縄から基地をなくそう! 2・24集会ア ピ ー ル

  私たちはきょう、沖縄から米軍基地を撤去するために集まりました。
 住宅地に墜落するヘリコプター、
 ジュゴンの住む海で強行されようとする海上ヘリ基地移設、
 民家からわずか三〇〇メートルの場所に建設される、都市型戦闘訓練施設、
 後を絶たない米軍兵士による事件や犯罪。
 沖縄の人々は、日米安保と米軍基地の重圧の中で暮らしています。
 いま日米両国政府は、在日米軍基地の強化についての協議を進めています。
 日本を、米軍が行う侵略戦争の拠点にしようというのです。
 在日米軍基地の強化が合意されれば、沖縄の米軍基地は固定されてしまいます。
 私たちは、在日米軍基地の強化、沖縄の基地の固定化を許すことはできません。
 日米両国政府が進める軍事基地強化に反対し、沖縄から日本から、米軍基地を撤去しましょう。
 そのために沖縄と本土、市民と労働者、大衆運動と国会をしっかりと結びつけ、基地撤去の広範な連帯を築きましょう。
 私たちは、以下の項目を実現するためにがんばります。

 一、普天間基地の即時返還を実現します。
 二、名護市辺野古への基地移転を許しません。
 三、在沖縄米軍基地を縮小・撤去します。
 四、日米地位協定の抜本的な改正を求めます。
 五、基地撤去後の沖縄を見据え、基地跡地の平和利用を考える法律の制定を求めます。

 2・24集会参加者一同


ブッシュに挑んだ大学生 ロベルト・サモラ君が講演

 中米コスタリカの学生ロベルト・サモラ君が来日した。サモラ君は、コスタリカ政府がブッシュのイラク戦争を支持したのは、軍隊の保持を禁じる平和憲法に違反すると同国の大統領を提訴し、コスタリカ最高裁は昨年九月にサモラ君たちの勝訴の判決を下した。

 二月二七日、文京区民センターで、つどい「〜イラク戦争支持は憲法違反!!
〜ブッシュに挑んだ大学生」(主催、ロベルト・サモラ君を招く会)が開かれた。
 はじめに、ジャーナリストの伊藤千尋さんが、コスタリカの歴史について報告し、「今、日本の平和憲法が風前の灯という状況で、世界でもうひとつ平和憲法をもつコスタリカのサモラ君を招いて話しを聞くのはたいへん有意義なことだ」と述べた。

 大きな拍手に迎えられてロベルト・サモラ君が話しはじめた。
 コスタリカはすごくリラックスした国だ。それは平和な文化があるためだ。来日して、大統領を訴えて裁判で勝つというようなことがおこったのはなぜかなどいろいろな質問をうけた。その答はコスタリカが辿ってきた、他の国とは違う歴史にある。中南米の国々は、暴力によってつくられ、最初の政権はみな軍事政権だった。しかし、コスタリカは違った。初代の大統領は教員だった。一八二五年から、子どもたちは「人を殺す暴力を使うな」と教育された。子どもたちは非常に早い時期から、基本的人権とそれを守ることについて教えられる。一八四八年、世界人権宣言から一〇〇年も前に、人権を守ることを当時の大統領が宣言している。一八七一年には憲法上で死刑を廃止した。一九〇三年には国歌を公募した。それは、青い空、白い雲の下に平和がある、そして国のために働こう、と言うものだ。
 一九四九年には、内戦の結果第二共和制となり、平和の国をつくろうといまの憲法ができた。この憲法には、軍隊の廃止と国際法遵守を義務とすると書かれている。義務教育は無償で、共和国予算の大部分は教育にあてること、社会保障は誰でも健康であること、人権というものを通じて国民が自由を享受することが定められている。一九六九年、米州機構にはいり、米州の人権裁判所が設立された。一九八三年には、モンヘ大統領が積極的非武装永世中立宣言を行った。永世だから今後、直接的にも間接的にも戦争にかかわらない。積極的とは、他の二国間で紛争があった場合に仲介者としての役割をはたすことだ。非武装とは憲法で武器を放棄しているからだ。私たちは「ピストルを本に、銃弾をノートにかえる」というスローガンの下で、昔の兵舎を博物館にかえ、平和を学ぶ場所の変えている。 つぎに、ブッシュの戦争を支持した大統領に対する裁判についてだ。大統領はコスタリカ民衆の平和の心に攻撃をかけたのだ。長年にわたって私たち人民、国家が求めてきたものを無視したのだ。私たちは平和の国に生まれ育ってきた。私たちは心からこの国を賞賛したい。平和のために働く権利は誰であれ蹂躙することはできない。
 日本では平和憲法が危機に瀕していると聞く。憲法九条を守るかどうかは、この国が平和に生きられるかどうかの問題だ。コスタリカという本当に小さい国の一人の学生が、大統領に戦争を支持してはいけないということが出来た。皆さんが団結して大きな力となれば平和を守る土台になれる。憲法九条を守るには、日本だけでなく世界の国々に平和を訴えることだ。兄弟姉妹、家族、友人、そして知らない人にも訴えてもらいたい。平和を守るのはみんなの仕事だ。

 サモラ君の話につづいて、メインスピーカーにサモラ君をおいてパネルディスカッション。コーディネーターに伊藤千尋さん、パネリストは、岩田忠士さん(一橋大学 PARMAN)、早乙女愛さん(映画監督)、須黒奈緒さん(アジアン・スパーク)、田部知江子さん(弁護士)で、コスタリカの情勢や若者の様子、社会運動などについて質問があり、サモラ君が応えた。集会の後には交流会がもたれた。


ヒロシマで、教育基本法の改悪をとめよう2・11集会

 <子どもは「お国のために」あるんじゃない!〜教育基本法の改悪をとめよう〜2・11 ヒロシマ集会>が広島市内の原爆資料館で開催された。

 開会のあいさつは栗原君子さん(元参議院議員)。
 つづいて山今彰さん(広教組委員長)が、ジェンダーフリー教育が各地方議会で、ありもしないデマによって葬り去られようとし、その代わりに「創る会」の教科書を採択しようとしている動きを糾弾した。
 三宅晶子さん(千葉大学助教授)からは「教育基本法の改悪と心の管理」と題して、講演を聞いた。
 冒頭に、政府・自民党は今国会には教育基本法の「改正」案を上程しないようである。そうはいいながら、油断を許さない情勢であり、新たに、憲法改悪とセットとして登場する恐れがあるのではないかということを指摘した。今後の粘り強い現場の闘いが鍵を握っているといっても過言ではない、共に闘おうと連帯を訴えた。
 続いて、講演に入った。講演の要旨は、次の通りである。
 今の教育「改革」は、サービスとしての教育、統治としての教育という思惑でもって行われている。前者は、新自由主義の考え方で、教育への市場原理の導入を図り、国益中心の人材を育成するものである。つまり、一%のエリートと99%のノンエリートの育成をめざしている。後者は、新国家主義の考え方で、「日の丸・君が代」で上位下達システムを完成させ、国益のための「心」の育成をめざしている。
 そして、二〇〇二年より「心」の育成、つまり、愛国心を培うために文部科学省が全国の小中学校に『心のノート』を配布した。わが息子二人を小学校に通わせる私にとっては、とても憂鬱である。
 教育基本法の「改正」は、差別と愛国心を法制化して、生きることそのものが競争であり、国策への動員であるような社会を人材と心の両面において作り出していき、国民投票で憲法9条「改正」を望む心の育成を図ろうとしている。
 伏見忠さん(都高教、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会)からは、石原都知事の教育支配の実態の報告を受けた。
 日の丸・君が代」の強制で入学式・卒業式の目的が大きく変わった。つまり、子どものためではなく、「お国」のためになった。最後に、処分の撤回のため最後まで闘うことを誓い、共に闘おう。
 続いて、各界からのアピールを受け、教職員、保護者、労働者、市民が連帯して教育基本法の「改正」を阻止しようという集会アピールを採択した。
 集会後、デモ行進をした。

 都教委は今後の教育「改革」の先取りを行い、広島県教委も追随していると、私は実感した。
 私の教員生活はあと十年。残りの教員生活を憲法・教育基本法を守るために闘うことをここに決意する。(通信員 内田)


「九条の会」をきく県民のつどいー神奈川

 前夜の雪で風の冷たい神奈川県民ホール前に、開場予定時刻の二時間以上前から長蛇の列がつくられた。三〇分繰り上げて開場、みるみる座席が埋まって行く。入りきれない人々は一〇分ほど離れた第二会場の大さん橋ホール(同時中継装置が設けられた)に向かう。両会場を四八〇〇人の聴衆が埋め尽くし、第二会場にも入りきれずに県民ホールに戻り、ロビーでモニター画面に目を凝らす熱心な参加者も少なくない。あきらめて帰ってしまう姿も。
 開会時、司会から「九条の会」の井上ひさしさんが急遽駆けつけ、第二会場に参加している旨紹介されると一段と大きな拍手が沸いた。
 呼びかけ人の本間愼フェリス女学院大学長が挨拶。
 最初に演壇に立った作家大江健三郎さんは、夏目漱石は一九一一年の有名な講演で日本の文明開化は外発的と喝破した、一九四六年、丸山真男は戦後初の論文でこれを引用し、日本ではまだ内発的な知識人が育っていないと書いた。樋口陽一は「憲法の復権」の中で丸山真男の言う二種の自由…拘束からの自由と自己決定としての理性的自由…を引いて、後者を規範創造的自由と言い換え、一九四五年の民主主義革命を完成させなければならないとした。自分は六〇年安保闘争に参加したが、五月一九日、国会に五〇〇人の警官隊を導入して会期延長を強行採決したことに怒った人々が立ち上がり、デモは一挙に三〇万人規模へと膨れ上がった。時の政治家はあれは一過性のものだと言ったがそうではない、まさに民主主義革命の完成に向けた人々の意思があった。六〇年六月に丸山真男は講演で「復初にかえる」八月一五日に戻れと訴えた。憲法、教育基本法は日本の内発的開化の出発点だ、と時にユーモアを交えて会場を沸かせながら語った。
 次に、作家小田実さんが登壇。一九五八年フルブライト留学生として訪米した経験から話し始めた。当時のアメリカは差別の国だった、有色人種と白人の結婚を法律で禁じている州が六つあり、二州でははっきりジャパニーズと明記していた。南部に行ってみたが、トイレ、バス、待合室どこも白人用・有色人種用に分けられている。当時のアメリカの自己認識はルツボ社会…様々な人種の人々をルツボに入れて民主主義と自由を放り込んでどろどろに溶かし合わせ均質化する…というものだった。その後公民権闘争、ベトナム反戦運動、女性解放闘争が闘われ、アメリカを変えてきた。アメリカの自己認識もサラダ社会…人それぞれが自己主張して調和する…へと変わってきた。しかし、今、アメリカは再度ルツボ社会、ルツボ世界を作ろうとしている。小泉首相も同じだ。サラダ社会は本質的に平和そして民主主義を必須の条件としている、平和と民主主義を結合した日本の憲法は世界史的な大きな意味をもっている、と熱っぽく語った。
 最後に、評論家加藤周一さんが、平和・民主主義・国民主権(人権)の三原則は密接に絡んでいる、例えば人権の柱の一つ表現の自由がなければ民主主義はないのだ、とし、改憲の動きを批判しながらスーザン・ソンタグの言葉「みんなで一緒にバカなことをするのはやめましょう」で話を締めくくった。 
 合唱をバックに男女中学生によって「・・・・平和のない国で自由に生きることはできない 平和のない国で人間らしく生きることはできない 平和のない国で豊かに生きることはできない この国に戦争はいらない 世界に戦争はいらない・・・・」とアピールが力強く朗読された。
 閉会挨拶には、病気治療の報道で心配された脚本家小山内美江子さんが立ち、自身のアジアに学校を作るボランティアの活動を紹介しながら、みんなで平和を創っていこうと訴えた。最後に全員で憲法九条を朗読し、会を終えた。


平和のための二〇〇五年運動がスタート

   
「日本と朝鮮半島―過去・現在、そして未来へ!」集会

 二月二七日、水道橋の韓国YMCA会館で、「朝鮮侵略一〇〇年、朝鮮解放・分断六〇年、日韓条約から四〇年を問う二〇〇五年運動」の主催による「3・1朝鮮独立運動から66年を迎えて 日本と朝鮮半島―過去・現在、そして未来へ!」集会が開かれた。

 はじめに主催者あいさつ。
 日本人側は、渡辺健樹日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表。
 今年は、実質的な韓国併合である「乙巳(ウルサ)保護条約」による朝鮮植民地支配から一〇〇年、また日本の敗戦=朝鮮半島の人々にとっての解放そして朝鮮半島の南北分断から六〇年、日韓条約から四〇年の節目の年にあたる。いま、再び日本は戦争への道をあゆみつつある。ブッシュ政権は朝鮮にたいして平和共存も認めない戦争策動をつよめている。この二〇〇五年運動は、日本と朝鮮の不正常な状態を終わらせ、核も米軍基地もない東北アジアを実現することを目指し、今日から「乙巳保護条約」の結ばれた一一月までおよそ九カ月の間、全国各地の人びとと連帯して大きな運動を展開していきたい。
 韓国人側は、孫享根・韓国民主統一連合副議長。
 「乙巳保護条約」から一〇〇年、日本軍国主義は暴力、陰謀によってわが国の主権を蹂躙してきた。一〇〇年たっても根本的な状況は変わっていない。侵略と戦争、自主権が剥奪されたという歴史にたって、民衆が主体となった民族国家をうちたてるためにはなにより自主統一が必要で、いま共同の行動が準備され、南北や海外の同胞が力を合わせている。六月一五日や八月一五日の記念日には三八度線を開放したマラソン大会なども計画されている。新しいアジアをつくろうとしている人びとは、日本では少数でもアジアでは多数派で、特に朝鮮半島ではほとんどの人がそうだ。
 主催者あいさつにつづいて、映画「日韓併合への道」の上映。
 講演は、「記憶は長―く、未来に生きる」と題して、中塚明・奈良女子大名誉教授が行った。
 今年は敗戦六〇年だ。日本の歴史をふりかえって、なぜ大敗北したのかなどの論議がさかんだ。多くは、「昭和前半は汚辱の時代」だったが「明治は栄光の時代」だったというという主張だ。作家の司馬遼太郎などが代表的だが、それだけではない。日本の外務省に「日本外交の過誤」(一九五一年一月)というものがある。これは、吉田茂が命じてつくらせたものだが、これもあやまりを「満州事変以降」に限っている。このように、「明治栄光諭」がさまざまなニュアンスで繰り返されている。明治の指導者、政治家・軍人は立派だったが、「二代目」は無能だった、日清・日露戦争当時の日本は国際法をよく守った、とかいう主張だ。だが、ここには、朝鮮についての見方がない。
 明治を考えるなら、江華島事件に遡って考える必要がある。江華島事件は、一八七五(明治八)年におこった。だから今年は事件から一三〇年目にあたる。これまでの江華島事件の日本での常識的な見方は、朝鮮に開国を求めていた日本の軍艦「雲揚」が水の補給を求めたところ江華島の砲台が突然攻撃してきたということになっている。ほとんどの日本の教科書にもそう書いてある。しかし事実はそうでなかったことがあきらかになった。東大の鈴木淳による「《雲揚》艦長井上良馨の明治八年九月二九日付け《江華島事件報告書》」(『史学雑誌』二〇〇二年一二月号)がそれだ。軍艦「雲揚」艦長井上良馨は「朝鮮領有は我が国が世界に雄飛する第一歩……速やかな出兵を」なる進言をおこなっている。九月二九日は江華島事件の直後だ。一九〇九年七月の「韓国併合に関する件」(日本政府の閣議決定)では、「韓国ヲ併合シ帝国版図ノ一部トナスハ……帝国百年ノ長計」としているように、江華島事件は朝鮮併合の第一歩だったのだ。
 当時の日本では、朝鮮は「遇廃して外国の勢力に好き放題にされていた」、だから日本が早く支配すべきだという意見が横行していた。だが、朝鮮では自主的開国・近代化の動きがあり、それらをことごとく押しつぶしたのが日本による侵略・支配だったのだ。こうした状況が見過ごされている。戦後の日本、韓国・朝鮮における歴史研究が無視されつづけているが、これは知的退廃というしかない。
 では何故記憶が失われたのか。日本では、明治以後、事実の改竄、秘匿が行われ、書かれた歴史でも事実の歪曲・偽造が系統的に行われた。とくに、天皇制専制国家の下では、事実にもとづかない架空の歴史教育が行われた。では、どうしたら記憶を回復することができるのだろうか。そのためには、長い歴史的スパンから考えること、第一次史料から事実を徹底的に確かめ、そこから歴史を考えること、韓国・朝鮮の目線から日本のことを考えてみることが大事だ。戦後の日本における朝鮮研究では山辺健太郎という人が傑出している。かれは戦時中、獄中で金天海など朝鮮の革命家に出会った。そのことがかれを朝鮮研究に導いた訳だが、国会図書館の憲政資料室にある第一次史料にあたって立派な研究をおこなった。こうした姿勢が必要なのだ。
 最後にいくつかの数字をあげる。スマトラ沖地震・インド洋津波は大きな被害をもたらした。死者は、総数三〇万人と言われている。うちインドネシアが二三万二九三六人だ。六〇年前の日本による戦争・占領期間の犠牲者は、アジア諸国・太平洋上諸島嶼で二〇〇〇万人、うちインドネシアが四〇〇万人だ。日本の犠牲者は三一〇万人。この意味は重い。こうした被害をもたらした歴史的原因はなにか、いま改めて考えなければならない。
 講演につづいて、日本と朝鮮民謡のコラボレーション。
 西野留美子・VAWW―NETジャパン共同代表は戦後補償問題について発言。
 安倍晋三らのNHK番組への介入は、メディアの表現の自由の問題であるとともに、歴史認識の問題にかかわるものだ。番組は、 日本軍「慰安婦」、天皇の戦争責任とそれに対する裁きということをあつかったもので、そこをきちんとおさえなければならない。安倍たちは、「慰安婦」問題を取り上げることは拉致問題を鎮静化させる謀略であるだとか、二人の北朝鮮の人が検事に入っているのが問題だとかくりかえし主張している。しかしこれはまったくの歪曲で、介入の真実を覆い隠そうとするものだ。番組が放映される前日にNHK幹部たちは安倍に会っている。介入問題が起こった当時、日本とは違って海外のメディアはこれを大きく報道した。例えばイギリスの「ガーディアン」紙は、日本は前の事件と同じく真実を隠したと報じた。その事件とは南京大虐殺のことだ。韓国の「ハンギョレ」紙は、「世界の注目、日本の沈黙」と批判した。さきごろアジア連帯会議が開かれたが、女性への戦時性暴力問題の運動は世界へとひろがっている。
 集会では、石原都政によって閉鎖されようとしている枝川朝鮮学校(東京朝鮮第二初級学校)の闘いについて同校校長先生から、また北朝鮮の子どもに粉ミルクを送る活動をつづけている北朝鮮人道支援ネットワークからの報告があった。
 韓国「統一連帯」から集会に寄せられたメッセージが紹介され、最後に「二〇〇五年運動のスタートにあたって 3・1アピール」(別掲)が読み上げられ、朝鮮半島の伝統楽器演奏とパフォーマンスが行われた。

2005年運動のスタートにあたって 3・1アピール

 「テハン トンニップ マンセイ!」「大韓国独立万歳!」
 ソウルのタプコル公園に行ったことがありますか?
 タプコル公園にある「3・1独立鍾動」のレリーフを見たことがありますか?
 「テハン トンニップ マンセイ!」「大韓国独立万歳!」
 日本の朝鮮植民地支配に反対して、朝鮮半島各地で巻き起こった独立運動を描いたレリーフ。血を流し、投獄され、拷問を受けながらも叫び続けた「独立万歳!」
 一六才の少女柳寛順(ユ・グアンスン)を始めとする青年・学生・農民たち。傷つき倒れながらも叫び続けた「トンニップ マンセイ!」「独立万歳!」
 武力によって日本が朝鮮植民地支配を事実上開始してから今年で一〇〇年。また、日本の敗戦=朝鮮半島の人びとにとっての解放と新たにもたらされた南北分断から今年で六〇年。
 しかし日本は、朝鮮侵略・植民地支配に対する反省を行ってきたでしょうか。
 日本の植民地支配の結果、南北分断を強いられた朝鮮半島の人びとの苦痛に思いをめぐらすことがあったでしょうか。
 今年二月一三日に行われた日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議のシンポジウムに、韓国から参加した沈達蓮(シム・ダリョン)さんは「死ぬ前に日本政府から謝罪を受けたい。安らかな気持ちで死なせてほしい。日本政府は謝ってほしい」と訴えています。また台湾やフィリピンから参加した被害者たちも、日本軍により目の前で親を殺されたこと、性暴力を受けたことについて、日本政府の謝罪を要求しています。
 日本政府は被害者たちの声を無視し、その事実を、負の歴史を封印しようとしていますが、「恥」を知るべきです。被害者の声に耳を傾け、狙した過ちを素直に認めて謝罪すべきです。反省のないところに友好関係は築けません。
 今、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への「経済制裁」論議が高まっていますが、今そこで生活する全ての人たちが犠牲になる「経済制裁」には反対です。「拉致事件解決のための経済制裁」といわれますが、北朝鮮に拉致された被害者家族の真相解明を求める気持ちは、朝鮮半島から日本に強糊連行された人びとの家族も同じではないでしょうか。私たちは北朝鮮に誠意ある対応を求めますが、日本政府に対しても日本軍「慰安婦」や、強制連行の被害者への誠意ある謝罪と補償を求めます。
 私たちは、今日ここから、平和のための二〇〇五年運動をスタートします。
 平和を愛する私たちは、いま真摯に歴史に向き合い、未来に向けて和解と平和・友好の関係を築くために努力したいと思います。そして、核も米軍基地もない平和な東北アジアを実現したいと思います。武力で平和は創れません。戦争のない平和な世の中を創るために、知恵と力を出し合いましょう。

二〇〇五年二月二七日

2・27集会参加者一同


介護保険はどこへ行く

  
――えっ! 散歩の介助もできないの?――

 私は民間の事業所で働く在宅介護ヘルパーです。某月某日の仕事開始は朝七時、A子さん宅を訪問(A子さんはお孫さんとの二人暮らし。ベッド生活を送っている)。排泄介助、食事の見守り、腹薬確認等が主なケア内容だ。まずオムツ交換から。洗浄と清拭を行って新しいオムツに変え更衣などを済ませたらベッドを座位に交換しテーブルをセット、洗面、口腔ケア等を行って朝食を摂ってもらう(ここではお孫さんが出勤前に簡単なメニューを用意している)。食後に腹薬を確認し、食器を片付け、ケア用具を収納して退出する。勿論、声掛けしながら体調の様子にも注視しつつ。以上の内容を三〇分でクリアしなければならない。ヘルパーは大忙しだ。
 いま、介護保険制度の「見直し」という名のもとで、ケアーサービスの中味が次々と削られている。厚生労働省は、保険財政悪化を防ぐという目的で、今後十年間で約四〇万人の要介護者抑制を目指す方針だ。シワ寄せは地方自治体にもやってきて、私の住み働くT区では財政赤字を理由に、この四月から「行財政プラン2004」によって「大幅見直し」が実施される。例えば福祉タクシー事業の見直し、利用者の制限だ。当区は都内で赤字ワーストワンとかツーとか云われながらも、一ヶ月三三〇〇円分のタクシー利用券を身障者に給付してきた実績があるのに残念でたまらない。C子さん(八四才、要介護度3)は週に一回タクシー券を使ってリハビリや検査を受けるため通院してきた。ヘルパーの私は車イスと一緒に同乗し付き添って来た。「見直し」の通知を手にC子さんは「私は歩けないのに何故打ち切られてしまうの?」と悲しむ。良心的な福祉センターの調査員や介護のメニューを組み立てるケアーマネージャーは悩み、利用者さんの最も近いところにいるヘルパーはとてもつらく、いたたまれない思いだ。また、C子さんは車イスでお散歩に出るのが大好きだ。ご近所の友人と会話を楽しみ、四季折々の草花に元気をもらう。
 ところが、役所に提出するサービス実施記録のメニューから散歩介助の項目が削られてしまった。適度な緊張感を併ない様々な視覚情報が入ることで脳を活性化し、食欲や意欲を引き出す外出散歩はとても大事で、外気や日光に当たるので健康に良いのは云うまでもない。
 ヘルパーが勝手に散歩の介助をすれば保険の不適正利用とされ、「外の空気が吸いたい」とせがまれても、ヘルパーは「できません」と断るしかないのだ(実際はいろいろ工夫して買物介助という名目で何か一品でも購入し、お散歩しちゃうけど)。今回の「見直し」は増え続ける介護費用の抑制が背景にあるというが、本当に必要な自立支援とは何かを検討せず、制度の維持ばかりに眼が向けられている。私たちヘルパーの雇用状態は不安定で低賃金。移動時間の保障もない。
 「家族に任されていた介護を社会で支える」、「行政のお仕着せでなく、自分や家族がサービスを選べる」等と鳴り物入りでスタートした介護保険は今春五年目を迎える。たしかに、この制度ができて充分とはいえないまでもお年寄りの介護を家族以外の社会に任せることに抵抗が薄らいだのは良いことだったが。老人が安心して暮らしができる介護制度、介護ヘルパーが安心して働きつづけられることは一対の今後のテーマだ。(KD)


東アジアの趨勢と小泉政権

 二月一九日、アメリカ・ワシントンでの「日米安全保障協議委員会」いわゆる2プラス2の目的は、米軍の世界的再編(トランスフォーメーション)を具体化せるものだが、そこではじめて公然と台湾問題が言及された。その関連の項目は、「中国の責任ある役割を歓迎し協力関係を発展させる、台湾海峡を巡る問題の平和的解決、中国の軍事分野での透明性の向上」など、中国の「脅威」に対抗する狙いが見えかくれしている。このところの日中関係は経済関係では相互補完関係が拡大している。それと裏腹に政治関係ではきわめて複雑な状況が生まれている。北朝鮮の核問題についての六者協議などはあるが、今回の軍事面での対中対抗の公然化などは、いっそう緊張をもたらすものとなった。
 いま、アジアは大きく変貌しようとしている。アジアとりわけ中国は急速に成長する経済を背景に発言権を強めているが、アメリカ・ブッシュ政権はそれを自らの覇権を脅かすものだとして警戒心を高め、アジアの盟主を狙う日本を取り込んで、緊張を激化させる政治・軍事的なアジア政策を展開しようとしている。しかし、この道は、日本をアジアからいっそう孤立化させるものとなるだろう。

進む東アジア共同体化

 現在のアジアを見るうえで、昨二〇〇四年一一月にラオス・ビエンチャンでひらかれたASEAN首脳会議は重要である。そこでは、包括的統合を通じてのASEAN共同体構築のための道筋を作り上げる「ビェンチャン行動プログラム」が決定されるとともに、初の東アジアサミット(EAS)を二〇〇五年にマレーシアで開くことで合意した。日本はEASについて議論するためASEANプラス3の外相会議を二〇〇五年五月に京都で開く。しかし日本は、EASについて会議直前まで開催を先送りするとみられていたのにもかかわらず、急遽、積極的な態度に変ったわけだが、その背景には、予想をはるかにこえるアジアの地殻変動がある。その軸にいまは、ASEANが位置している。
 ASEAN以外との関係では、「ASEAN―中国 平和と繁栄のための戦略的パートナーシップ共同宣言」(二〇〇三年一〇月)およびその「アクション・プラン」に注目しなければならない。とにかく中国の積極性は突出し、日本はそれに引きずられるようにして、この「東アジア共同体」の動きに巻き込まれている。
 中国はASEAN自体の共同体化に対し支持するとともに、ASEANとの高級官協議、ASEAN―中国共同協力委員会議などの対話だけでなく、信頼醸成のための軍事交流や軍事演習の相互視察も行っていく。とくにASEAN・中国協力基金の財政は中国が全面的に支える。

中国と米国、台湾、日本

 アメリカ外交問題評議会の「フォーリン・アフェアーズ」二〇〇五年一・二月号「台頭する中国と米・東アジア関係」でエリック・ヘジンボサムが、中国の新外交路線とそれがアジアやアメリカにどのような影響を与えるかについて次のようにコメントしている。
 「この数年来、中国は国際的なプレゼンスを強化しようと積極策に転じている。……外交新路線、新たな外交関係を模索するという点で、中国はきわめて果敢に、しかも先を見据えた路線をとっている。影響力の拡大と市場の力をバックに、かつては縁遠かった国際舞台で、中国は新境地を切り開きつつある。より重要なのは、中国がより多くの資源をつぎ込んで、自らのアセットをより柔軟かつ巧妙に用いることで、システマチックに広報外交を展開するようになっていることだ。……中国はアセアン加盟国との二国問貿易合意を進展させただけでなく、紛争解決メカニズムについても合意したとみてよい。合意の一部として、中国はアセアン諸国が市場を中国に開放する前に、中国市場をアセアン諸国に開放することにも合意した。ここでは明らかに経済コストを支払っても、アセアンとの関係を強化したいという意図がある。このときの会合で南シナ海における軍事活動の基準にも中国は合意している。これは偶然ではない。中国はこの二年間にわたって、自由貿易合意と南シナ海での軍事活動の行動基準を両軸に交渉を続けてきた。さらに重要なのは、農業部門の自由化に否定的な日本と違って、中国がこの部門の自由化にも前向きな姿勢をみせていることだ。」
 しかし、ヘジンボサムは中国・台湾関係については「危険水域に入った中台関係」として、「台湾と中国の関係は、アメリカの管理できる問題ではなくなりつつあり、危険な状態にある。……台湾がそのきっかけをつくり、危機をつくり出した責任の大半が台湾にあるとしても、アメリカは『政治的には』状況をそのようにはとらえないかもしれない。アメリカが紛争にかかわらずにすますのは非常に難しく、いかなる経緯でエスカレートした危機でもアメリカは引きずり込まれることになると思う」としている。
 日中国交正常化以来の日本の基本政策は、中国を代表するのは中華人民共和国であり、台湾はその一部であるこということだ。しかし、小泉政権は、さきの2プラス2という安保協議の場で台湾問題をとりあげるなど、アメリカ・ブッシュ政権とともに、台湾問題に軍事的にも介入しようとする姿勢を見せている。

戦争の道を許さない

 急速に進む東アジアの連携の一方で、日本政府は、繁栄し平和の東アジアを実現する行動にでようとはしない。二〇〇二年の小泉の訪朝とピョンヤン宣言は、日朝国交の正常化をすすめるとおもわれたが、逆転してしまった。中国との関係では、よく知られるように、「政冷経熱」の状況にはまったままだ。日本が対アジア政策を積極的に展開できないその原因は、ひとつには過去清算が出来ていないことであり、もうひとつが日米軍事同盟と日本の反動化・戦争のできる国づくり、そして九条改憲という政治方向にある。
 今年は、中国にとっては抗日戦争勝利六〇周年にあたり、各種のイベントが予定されている。小泉の靖国参拝はいまのところ行われていないが、右翼の反朝鮮・反中国策動は強まるばかりだ。2プラス2の説明についても、国内では通るかも知れないが、欧米など海外メディアは、日本の台湾への介入と報じている。台湾の陳水扁や李登輝など米日の力を借りようとする勢力は、2プラス2の台湾問題のとり上げを歓迎したが、中国の強い反発を招いた。
 「日本の対中国・対米国の貿易の推移」の表を見れば、日本がどのような位置にいるのかがわかる。昨年には日本の貿易相手国の第一が米国から中国にかわった。戦後初の画期的な転換点となった。中国以外のアジア諸国を加えれば、日本がいかにアジアの中で生きているかがわかる。経済だけではない。政治、文化の面でもアジアとのかかわりは増大する。東アジアの平和のために、われわれは、アジアの大きな胎動という歴史的な事実を見据え、自らの過去の侵略の歴史を総括し、いままたふたたびの戦争の道を許さない闘いを前進させなければならない。


追悼・吉岡徳次さん

 全港湾顧問で元総評副議長だった吉岡徳次さんが、二月一六日に逝去した。八八歳だったが、亡くなる数日前までお元気だった。
 よく知られたことだが、吉岡さんは、高野実元総評事務局長を中心とする総評左派・高野派の中心の一人であり、総評解体・労働戦線の右翼的再編に反対して闘い、国鉄闘争、郵政4・28闘争などでも中心的な役割をはたし、断固として闘う労働運動の伝統を守り通した。
 吉岡さんには、「人民新報」にもよく登場していただいたが、個人的にも全港湾の本部でのインタビュー、様々な集会のあとでの一杯など懐かしい思い出は多い。吉岡さんには学習会の講師をお願いしたこともあったし、またわれわれの先輩たちともさまざまな交流があって私も同席させていただき貴重な闘争の経験や労働界の内幕などを聞かせてもらったこともあった。
 本紙の二〇〇四年新年号にも年賀あいさつをいただいた。「イラク派兵反対、護憲勢力の結集を」と題してのアピールの中では、「こんにち労働運動が停滞し、労働者の生活と権利が抑圧されています。同時にそのことが革新的な政治活動の停滞にもつながっているわけで、政治活動や労働運動の活性化に全力をあげるとともに、国民的な平和護憲勢力の結集と拡大をはかることが重要です。そのことについての『人民新報』の果たしている役割は大きいわけで、今後なおいっそうのご活躍を期待いたします」とわれわれの活動に対する暖かい激励もあった。
 二月一九日は通夜。その日は、キャンプ座間へ米陸軍第一軍団司令部が来ることに反対する現地行動が氷雨の中で闘われたが、その闘争を終えて式に参加する人も多かったようだ。
 通夜・告別式には全港湾をはじめ全国から多くの人が吉岡さんに最後の別れのためにあつまった。
 高野実さん、高野派の中心メンバーで全港湾の委員長だった兼田富太郎さんは早く亡くなった。そしていま吉岡さんも逝ってしまった。懐かしい思い出がいっぱいだ。
 政治も労働運動もきびしい状況にあるが、しかし吉岡さんも言われたように、いまやらなければならないのは「政治活動や労働運動の活性化に全力をあげるとともに、国民的な平和護憲勢力の結集と拡大をはかること」で、しかも、いま着実にその前進の兆しが出てきている。
 吉岡さんの激励の言葉を思い起こし、いっそう決意を固めて奮闘しなければならない。 (K)


複眼単眼

 
 原理主義、一神教、多神教、俗論の横行

 検証はしていないが、9・11以降、特に一神教批判が各所で見られるようになった気がする。「イスラム原理主義のテロリスト」というふうに、ステレオタイプの「一神教批判」が行われる。イスラム文化をなにか異質な恐ろしいもののように、意図的に映し出そうとする動きもある。あるいは「ブッシュはキリスト教原理主義」という形での批判もある。アフガンやイラクの問題を「宗教戦争」などととらえる皮相な議論も見受けられる。
 日本ではこれに加えて、一神教的思想を批判し、「日本独特の多神教的価値観」を礼賛し、それを「歴史・文化・伝統」として持ち上げる場合が多い。例えば民主党憲法調査会が昨年六月にまとめた「創憲に向けて、憲法提言中間報告」の中に「人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基礎を据えた社会は、異質な価値観に対しても寛容な『多文化社会』をめざすものでなくてはいけない。これもまた、<一神教的な>唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、日本社会に根付いた<多神教的な>価値観を大いに生かすことができるものである」と述べている。多神教的文化が果たして積極的に評価すべき日本の歴史・伝統・文化であるか。この問題で、民主党があまりにも簡単に言い切ってしまうことには違和感や疑問の域を超えてあきれかえるばかりだ。これは民主主義や人権を党是として標榜する政党がいうことではない。これを書いた人々はなにもわかってないのだ。
 多神教的価値観、「八百万の神」の信仰は聖徳太子の「和の精神」なるものとあわせ、神道と結びつき、天皇制を軸とする近代日本軍国主義の精神的支柱に利用されてきた。古代大和朝廷が西国を併呑し、東国の蝦夷を併呑するに際して和の精神が語られ、明治政権がアイヌを支配し、琉球処分を行い、その上に朝鮮半島や中国大陸に侵略し、アジアに覇を唱える。そのときに使われた和の思想、あるいは天皇制神道の問題がある。あるいはこれらの神道的な多神教文化の中に部落差別にも通じる根強い差別思想と文化があったのも確かだろう。これらの思想が決して寛容が特徴であったとは言えない。これが受け継ぐべき日本の歴史、伝統、文化であるはずがない。一方、仏教には「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」と言うような思想があり、こうした寛容さもあれば、イスラームも他の宗教者に改宗を要求しない考え方がある。キリスト教もそうだろう。
 筆者は無神論者であるし、ここで一神教的価値観を擁護し、多神教的価値観を批判しているのでないことはご了解をいただけるだろう。ただ、自分は信じないが、他の人がそれぞれの宗教を大事にすることは尊重し、その権利を擁護するということだ。いま改憲派によってしきりに語られる日本のよき「歴史・伝統・文化」という議論を聞くにつけ、その底の浅さと、それ故にいっそう危険さを感じているのだ。 (T)