人民新報 ・ 第1162 号<統合255(2005年3月25日)
  
                  目次

● WORLD PEACE NOW 3・ 19   おわらせようイラク占領 撤退させよう自衛隊

● 共謀罪反対で弁護士団体・市民がデモ

● 高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉に!  最高裁が結審 五月にも判決

● ピースサイクル20周年のつどい  05ピースサイクルがスタート

● 九条護憲の訴えにヒロシマが賛意  九条の会広島講演会に二七〇〇人

● 国鉄闘争一〇四七キロを走ってアピール  中野勇人さん(北見闘争団)大阪を過ぎる

● 3・ 17 05けんり春闘行動  組織労働者と未組織、非正規雇用労働者は団結して闘おう

● 憲法改正国民投票法案についての意見  /  日本弁護士連合会  日本ペンクラブ声明

● 「構造改革」 を撃つ2冊  上田紀行 『生きる意味』  山家悠紀夫 『景気とはなんだろうか』

● KODAMA  /  成果主義賃金のゆらぎ

● 複眼単眼  /  改憲国民投票法案をめぐる報道を見ながら




WORLD PEACE NOW 3・ 19

   
おわらせようイラク占領 撤退させよう自衛隊

 アメリカ・ブッシュ政権のイラク侵略から二年、三月一九〜二〇日には全世界で「NO WAR」の声があがった。ロンドンの10万人デモをはじめヨーロッパやアメリカ、大洋州など各地で反戦のシュプレヒコールがとどろいた。日本でも全国で各種の行動が取り組まれ、イラク占領の終了と自衛隊の撤退をアピールした。

 三月一九日、東京・日比谷野外音楽堂とその周辺には、市民・労働者四千五百名が参加して、「3月19日、世界は《NO WAR》と言いつづける そして平和はワタシ・タチが創るもの WORLD PEACE NOW3・19」が開かれた。
 野音の集会では主催者を代表してチョウ・ミスさん(ピースボート)があいさつ。
 二年前のイラク攻撃から、力の正義がまかり通る世の中になった。小泉政権は一番早く戦争を支持した。それからの日本は中国や北朝鮮との関係などなんでも力で解決しようという動きが強まっているのがヒシヒシと感じられる。世の中では平和主義者は現実を見ない人だと見られているが、しかし私たち平和主義者こそが一番の現実家だと強く主張したい。ここ数年、戦争だけではなく大きな地震・災害がつづいているが、こうしたときにこそ武力を捨てて対話構造をつくりだす以外に選択肢はない。日本が誇れることは平和憲法で武力を放棄したことだ。いま、多くの人に私たちは戦争の中にいることを教えることが大切だ。今日の行動でもつよく訴えていこう。
 沖縄からは、琉球大学の崎間南津子さんが発言。
 沖縄は日本で唯一悲惨な地上戦を体験し、沖縄県民の四人に一人が犠牲となった。米軍統治下では銃剣とブルドーザーの重圧による重大な人権侵害をうけた。一九七二年に復帰したが、基地の島の現実は変わらず、米軍基地は沖縄の発展を阻害しつづけた。そして一九九五年には少女暴行事件がおこった。
 二〇〇四年八月には普天間基地のヘリコプターが基地に隣接する沖縄国際大学に墜落した。この事故で基地と生活が隣り合わせになっていることの危険性を実感した。だが、米軍は大学構内に大学長など関係者も立ち入らせなかった。小泉首相など政府の人たちは夏休みということで何もしなかったし、本土もマスコミでは事件は大きく扱われなかった。いま、普天間基地の代替として辺野古沖に新基地建設のためのボーリング調査が行われようとしているが沖縄の人たちはそれを阻止している。現在、沖縄の米軍はイラクへ出撃しているが、ひどい戦争経験をした沖縄の人たちは悲しい気持ちになる。もう一度平和について考えなければならない。
 五月一五日には、人間の鎖で普天間基地を包囲する行動が予定されている。今日の行動に参加した人など多く力を会わせて成功させたいと思っている。
 昨年イラクで「人質」となったジャーナリストの安田純平さんが発言した。
 イラクから来日したアル・バハードリイさん(イラク民主的国民潮流)がイラク情勢について報告した。
 アメリカは国際法に反してイラクに攻撃をしかけた。だが、アメリカが開戦の理由として主張しつづけてきた大量破壊兵器は存在しなかった。またイラクが9・11事件に関係していたという事実もなかった。こうした「理由」がなくなったため最近は中東の民主化だとか自由の拡大などと言いはじめている。
 今、イラクでは民主主義の名の下に、破壊・殺戮が行われている。ナジャフではイスラムの由緒ある廟が破壊されなにも無くなってしまった。ファルージャでは家々が破壊された。市内に帰るのにも二日も行列をつくって待たなければならない。しかも、元住んでいたところにたどりついても家の跡形もない。
 美しかったバグダッドも巨大な軍事キャンプに変わった。
 こうした中でわれわれは未来はまだ漠然として見えない状況にある。
 日本のみなさんは、イラク人の信頼できる親しい友人だ。知的で平和的で、自身が戦争での破壊・占領を経験している。日本人にはイラクの復興を手伝って欲しい。
 しかし、イラク・ムサンナ県にいる日本の自衛隊は復興ではなく占領の一翼を担っている。自衛隊はただちに撤退すべきだ。それから、自衛隊が無事に帰国することも望んでいる。
 最後に、いまイラクにはさまざまな勢力が入り込み、一部は破壊的で子どもや無辜の人びとを殺傷している。こうしたことは、イラク人の倫理感が許さない。国際的にも事実を明らかにしていってほしい。

 野音に隣接したひろばでは、平和フォーラムに結集する自治労、教組など労働組合の人びとが集会を行った。
 
 WPN行動参加者は、それぞれの集会を終えてパレード。はじめに労組部隊、つづいて市民団体が出発し、銀座など繁華街でイラク反戦、自衛隊撤退を訴えた。

 翌日の二〇日には、日本教育会館でWPN主催で「映画『天国はつくるもの』上映&『イラクからの声』講演会」が開かれた。

 また、二〇日には日比谷野外音楽堂で、陸・海・空・港湾労組二〇団体や宗教者などによる「いまこそ平和を守るとき 国際共同行動3・20集会」が開かれ、六〇〇〇人が集まった。


共謀罪反対で弁護士団体・市民がデモ

 「共謀罪」は、国際的組織犯罪防止条約をうけて提案され継続審議となっている。これは国境を越える組織犯罪集団による麻薬密売や人身売買、テロなどの防止を口実にしたものだが、「共謀罪」法案は、国際的犯罪に限定されず、五百五十七にのぼる死刑または無期懲役か四年以上の懲役、禁固の刑が定められている犯罪行為を「共謀しただけで犯罪」とし、最高で懲役五年の刑が科され、さらに警察によって拡大解釈される可能性大の危険なものだ。

 三月一五日、共謀罪に反対する市民・労働者と法律家の国会請願デモが行われた。
 主催は、自由法曹団、日本民主法律家協会、日本労働弁護団、社会文化法律センターで、労働組合、市民団体も多く参加した。
 集会ではそれぞれの弁護士団体を代表してあいさつ。
 自由法曹団事務局長の松島暁弁護士。いま、アメリカでは大変なことがおきている。ブッシュのイラク戦争に反対する人を弁護した弁護士が「愛国者法」違反で懲役一五年という判決をうけた。戦前・戦中の日本でも治安維持法違反者を弁護した先輩たちも弾圧された。自由法曹団はその活動を受け継いでいる。立川反戦ビラ入れ、公務員の休日の政治ビラ入れなどが弾圧されている。そして、話し合っただけで罪にされる共謀罪がつくられようとしている。なんとしても粉砕しよう。
 日本労働弁護団幹事長の鴨田哲郎弁護士。ビラ入れなどは労働組合運動・労働争議には絶対に必要なことだ。また、さまざまの要請行動などもそうだが、それが面会強要にされる。正当なものなら警察は介入しないと言うが、判断するのは警察自身だ。まして話し合うことは、労働組合のもっとも基本的な活動だ。それが犯罪にされ、すべての集団行動が警察の監視下におかれようとしている。今日のこの行動から反対運動をもっと大きくしていこう。
 民主法律家協会事務局長の澤藤統一郎弁護士。お国にたてつく者は許さない、逮捕、勾留、起訴をする。こうしたことが相次いでいる。このなかで公安警察の権限が大きくなっている。共謀罪は、向こうにとっては鬼に金棒のようなものになる。私たちが協力し反対して廃案にしていこう。
 社会文化法律センターの海渡雄一弁護士。私は日弁連の共謀罪等立法対策ワーキンググループの事務局長をやっているが、日弁連も共謀罪には絶対に反対だ。日弁連は共謀罪反対のチラシを全国会議員に配布した。廃案にむけて最後までがんばろう。
 集会を終えて、日比谷公園霞門からデモに出発し、衆議院、参議院前では議員のアピールを受けた。


高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉に!

      
 最高裁が結審 五月にも判決

 核燃料サイクル開発機構(核燃機構、旧動燃)の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(出力約28万キロワット)は試験運転中の一九九五年一二月八日にナトリウム漏れ火災事故をおこした。以後、「もんじゅ」は停止されたまま。だが、運転停止中でもナトリウムを固まらせないためパイプを温めている。その費用はこの一〇年で九〇〇〇億円にもなっている。これまで投入された税金は一兆円近くになる。
 長崎原発ではプルトニウム六`cで七万人が殺された。「もんじゅ」のプルトニウムは一二〇〇`cにもなる。これは長崎原発の二〇〇発分である。
 「もんじゅ」にたいしては、周辺市民が国の原子炉設置許可処分の無効確認を求めた行政訴訟を提起し、二〇〇三年一月二七日に名古屋高裁金沢支部は原告の主張を全面的に認める判決を出した。高裁判決は、安全審査で蒸気発生装置、床の鉄板(ライナ)、炉心暴走事故という核事故についてきちんとしないという重大な過誤と欠落があったとし、違法については重大性があれば明白性は不必要、炉の改造工事をしても判決の結論に影響はないという画期的なものだ。しかし国が上告し最高裁で争われていた。

 三月一七日には、最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)で最終口頭弁論が開かれ結審し、判決は五月にも言い渡される。この日、全国から結集して、最高裁傍聴、資源エネルギー庁・経済産業省・文部科学省前などでの宣伝活動、学習会・現状報告、院内集会、議員要請が行われた。
 午後六時半からは、二七〇人が参加し、総評会館で「もんじゅを廃炉に!最高裁でも勝利を!全国集会」が開かれた。
 主催者を代表して福山真劫・原水禁国民会議事務局長が主催者あいさつ。
 今日の行動は、原水禁国民会議、原子力資料情報室、反原発福井県民会議、ストップ・ザ・もんじゅ、反原発運動全国連絡会によってよびかけられた。政府は原子力二法案(低レベルの核廃棄物をリサイクルにまわしたり普通の廃棄物として処分できる原子炉等規制法「改正」、再処理工場の廃止費用などを電力料金に上乗せできる「使用済燃料の再処理等のための積立金の積立て及び管理に関する法律案」)を出してきた。青森の再処理工場を稼働させようとしたり、東海地震源の上にある浜岡原発など原発をめぐる状況はさしせまった問題だ。今日、「もんじゅ」最高裁の口頭弁論があった。危険な「もんじゅ」を廃炉にするために運動をいっそう強めていこう。
 現地報告では、反原発福井県民会議の小木曽美和子さんが「現地の動きと裁判の意義」と題して発言した。
 この二〇年の裁判闘争の中で、名古屋高裁金沢支部判決で王手をかけることができた。国は最高裁へ上告したが、私たちは「もんじゅ」の危険性をしっかりと述べてきた。
 「もんじゅ」の危険は三つある。第一には毒性の強いプルトニウムを使っていることで事故が起これば被害は計り知れない。また原爆の材料にもなる。第二には冷却にナトリウムを使うことだ。プルトニウムを増殖させるためには水は使えない。それでナトリウムを使っている。だが水にふれると爆発する。それが事故になった。第三には、暴走しやすい。ちょっとした異変で暴走がはじまり、ひとたび暴走したらもはや手がつけられなくなる。
 つづいて、弁護団が裁判報告。
 高裁判決は、「もんじゅ」は設置基準に違反し、その違反も重大な違法ということだった。国の上告の理由は、違反したことがあったとしても重大な事故がおこらなければ大したことではない、違法だとしても重大なものではない、ということだ。語るに落ちたとはこのことだ。自分で違法性を認めているのだ。しかし、原発は複雑な構造をもっているし、事故が起こったら大変なことになる。万が一の事故もおこらないような設置基準が求められているのである。裁判ではたしかな手ごたえがあった。判決では勝てる可能性が高い。


 ライス国務長官来日に抗議・申し入れ

 三月一八日にライス米国務長官が来日した。その前日に、アメリカ大使館に対して抗議・申入れ行動が行われた。大使館付近の虎ノ門JTビル前で集会を行い、代表団が大使館正門に赴き、申し入れ書を手渡した。
 「二〇〇五運動」実行委員会の「ライス国務長官の訪日にあたっての申し入れ書」は次のように述べている。
 「イラク開戦の日である三月二〇日を前後して、ライス米国務長官が明三月一八日に訪日、一九日に韓国、続いて中国などアジア諸国を歴訪します。一八日のライス長官の訪日にあたり平和を求める日本の市民団体からの申し入れをします。
 今回のアジア歴訪を通じライス長官は、各国首脳との間で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題を中心に二国間の懸案事項についても協議するとされ、東京では『第二期ブッシュ政権の対アジア政策の指針』ともいうべき演説を予定していると報じられています。
 しかし、ブッシュ政権とライス長官のこの間の言動からすれば、これらが東アジアの新たな緊張を生み出すことへの強い懸念を持たざるを得ません」。
 そして以下の四点を要求した。
 @イラクから撤退し、イラク戦争で被害を受けた人々に謝罪し、補償すること、A「圧制の拠点」発言を取り消し、朝鮮半島の核問題の平和解決に向け、朝鮮戦争の公式の終結、米朝間の国交正常化を含む平和共存への政策転換をはかること、B普天間基地の即時無条件返還、辺野古の新基地計画の撤回、沖縄海兵隊の自国への撤退をはかること、C在日米軍の再編強化案の撤回と現在、沖縄・日本、韓国に配備されている九万人の兵力を撤退させること。


ピースサイクル20周年のつどい  05ピースサイクルがスタート

 去る三月五日〜六日大阪コロナホテルにおいてピースサイクル20周年のつどいが開催されました。つどいは、主催者を代表して共同代表の一人である兵庫ピースサイクルの丸山さんの挨拶ではじまり、イラクへの入国は実現できなかったものの隣国ヨルダンでイラクの状況を取材し帰国したばかりのジャーナリストの西谷さんから報告をうけました。
 西谷さんは、アンマンでイラクから逃れてきた人たちを取材し、国民議会選挙の状況やファルージャでの虐殺について報告。なかでも、米兵の死者の数を減らすために死体を砂漠に埋めて隠したり、ヘリから投げ捨てる衝撃的な映像をまじえてイラクの現状を語っていただきました。そして報告は、イラクでは多くの市民が犠牲になっていることを広く伝え、日本は、軍隊ではなく医療など非軍事でイラクの復興を支える必要があると結びました。
 続いて、ピースサイクル・シンポジウムが行われ、四人のパネラーから20年を振り返りながら運動の成果と課題について報告を受けました。レセプションでは、全国の各ネットワークから挨拶をうけ歌でさらに盛り上がりました。
 翌日のスタート会議では、昨年に続き三月二〇日九州を出発し六月三日に国会に到着する国会ピースの成功させ、夏の本ピースはヒロシマ・ナガサキ・六ヶ所をめざして全国を走ることを確認しました。今年は、昨年から続く辺野古での基地建設反対の闘いや六ヶ所での再処理工場稼動反対の闘いなど全国で取り組んできた闘いも重要な年となります。さらに、今通常国会には、改憲にむけた国民投票法案などの改憲手続き法案が提出されようとしており、より広範な憲法改悪反対の声をあげることが求められています。こんなときだからこそ元気をだして、より多くのひとたちに戦争反対の声をつたえなければなりません。20周年の節目の年に、さらにネットワークを拡げ戦争反対の声をあげよう!


九条護憲の訴えにヒロシマが賛意

   
九条の会広島講演会に二七〇〇人

 昨年夏の発足以来、多くの人びとの期待と支持を集めながら全国各地で講演会を成功させてきた「九条の会」は三月十二日午後、全国八回目にあたる講演会を広島市で開催した。当日は、すでに三週間も前から札止めにするほどの関心の高さを反映して、講演会会場の広島国際会議場フェニックスホールなど四会場を埋め尽くす二七〇〇人に参加者があり、被爆地ヒロシマの平和への思いを共有した。

 講演会のオープニングはヒロシマの女子高校生たちによる合唱で、大江健三郎さんの作詞による「『新しい人』に」。
 地元実行委員会の江島晴夫弁護士の開会の挨拶、「九条の会」事務局の高田健さんの報告につづいて、大江健三郎さん、鶴見俊輔さん、澤地久枝さんが講演をした。参加者は講演者たちの憲法第九条とヒロシマに焦点をあてた、ユーモアを交えた話に時には笑いも交えながら、熱心に聞き入った。集会後に寄せられた参加者のアンケートには感動の言葉や、地域で「九条の会」を組織していく決意などが熱く書き込まれていたという。
 大江さんは会場で歌われた自作の歌詞が、ヒロシマで一瞬のうちにガスとなって消えた人たちのことを、ノーム・チョムスキーに話したときに歌詞にすることをすすめられたものだというエピソードを紹介しながら、憲法九条の重要性について語った。そして、九条がつくりだしてきた武器輸出三原則を破棄させてはならないし、憲法九条を破棄させてはならないと強調し、憲法を変えようとすれば国民投票が必要になる。私たちが国民投票で九条改憲に反対する投票をすれば、大きな力になると話をした。
 鶴見さんは被爆者と国家の問題を語り、国家から自分を見るのではなく、自分から国家を見る視点を、原爆でなくなった人びとは教えてくれたのだ。国家といえども社会の一部に過ぎないのだ。国家がどれほどひどいことをしたのか。これを忘れて国家がそれをくり返そうとしている。私はそういう九条改悪に立ち向かいたいと哲学的視点からお話をした。
 澤地さんは同じ九条の会の井上ひさしが書いた舞台「父と暮らせば」を題材にとり、被爆者のこの苦しみを忘れてはならないこと。戦争が終わると国家はいとも簡単に、無責任に消えたが、いままた憲法九条を変えようとする国の動きが出てきた。九条の会はこうした改憲の動きに対するバリアーのようになって、腹をくくって頑張りたいと述べた。
 参加者はこれらの熱い講演に惜しみない拍手を送った。


国鉄闘争一〇四七キロを走ってアピール  

      
中野勇人さん(北見闘争団)大阪を過ぎる

 三月一五日、国鉄闘争勝利に向けての一〇四七キロ(解雇者と同じ数字)を走る中野さんを大阪に迎えて、アピール行動が繰り広げられました。前日はコンサートを開き、一五日は吹田駅前から高槻市役所までピースサイクル三名と伴奏車そして単車と四色とりどりにアピールしながら走りぬけました。
 新社会党の山下けいき茨木市議を先頭に地域にうったえながら走りました。途中で地域住民の方々にカンパを貰きました。
 四月一日に東京着、鉄建公団前や報告集会を予定。


3・ 17 05けんり春闘行動

     
組織労働者と未組織、非正規雇用労働者は団結して闘おう

 三月一七日、05けんり春闘・全国実行委員会主催による「05春闘勝利中央総決起集会」が日比谷野外音楽堂で開かれた。ストライキを闘いぬき、様々な行動を展開してきた労働者が午後四時前から時折の雨をついて会場に結集してくる。
 統一スローガンは、@05春闘勝利・生活できる賃上げを勝ち取ろう、Aパート、派遺、契約労働者の権利と均等侍遇を勝ち取ろう、B民営化による労働者・下請け労働者の「命と生活」破壊反対、C自衛隊のイラク派遣反対、平和憲法を守ろう、D労働者の怒りと声を集め、小泉「構造改革」に反対しよう。
 集会は二瓶久勝共同代表が主催者を代表してあいさつ。
 労働者をとりまく情勢はきびしいものがあるが、もう一度春闘を定着させる気持ちで闘い抜きたい。小泉は戦争政策をすすめているが、この中で組織労働者が春闘を闘い、ストライキを打つということがなければ労働者の生活と権利は奪われてしまう。未組織の労働者とともに闘うことが大事だ。そして争議を勝利させることだ。国鉄闘争についてはいろいろな意見もあるが、大きな気持ちで勝利させることが必要だ。多くの力をあわせて闘おう。
 つづいては闘いの報告。
 郵政ユニオンの内田正委員長からは郵政民営化反対の闘い。
 郵政の職場では不払い残業が蔓延していた。郵政ユニオンはこの問題で闘った。その結果、七万五千人、三二億円が急遽支払われることになった。しかもこれは三ヶ月だけのものでまったく氷山の一角にすぎない。そのほかにも夜勤の拡大など労働条件の低下がつづいている。郵政公社が発足してすでに一万七千名の合理化が行われ、今年はまた一万人が計画されている。そして非常勤職員の郵メイトのおかれているきびしい状況がある。郵政民営化の狙いは郵便貯金、簡易保険の三五〇兆円を投資・投機に回させることだ。民営化反対は公共サービスを守る闘いだ。労働組合の枠を越えて、多くの市民との連携を広げていきたい。
 首都高速道路公団の料金受取員労働者からの報告。
 高速道路の料金受取員の労働条件は非常に悪い。首都公団では、ETC導入を口実に、大幅な賃下げ、全員のパート化、そしてパート労働者の解雇が提案されている。全国一般東京南部の料金所支部や首都高速道路労働組合などで首都高速道路公団関係労働組合共闘会議(略称・首都ハイウェイ共闘)をつくり反対運動をすすめている。われわれの仕事は高齢者が多い。低賃金のなかで社会保険料などを支払うと生活保護レベル以下になる。日本はこれから労働力不足社会になる。高齢者が働ける条件をつくらなければならない。われわれも精いっぱい闘う。闘いへの協力を訴えたい。
 つづいてストライキに突入した、東京労組全労働者組合、金属機器労協オリジン電機労組、東京東部労組セントラル支部、全統一労組コーリンモータース分会、電通労組から闘いが報告された。
 都労連佐野副委員長、全日建連帯労組柿沼書記長からそれぞれ官民を代表しての決意表明が行われた。
 集会の後は、七つの梯団に分かれてデモ。郵政公社、首都高速道路公団前などで抗議の行動・シュプレヒコールをあげた。
 大手の回答は出たが、中小組合の春闘はこれからだ。05権利春闘・全国実行委員会は、この日の行動を契機にして春闘勝利に向けての闘う態勢を強めた。

二〇〇五春闘勝利中央総決起集会アピール


 上場企業はバブル崩壊以降はじめての増益を記録した。日本経団連は、国際競争に打ち勝つためと言って「攻めのリストラ」と「定期昇給廃止、賃下げ」などの春闘対策を打ち出した。非正規労働者は雇用労働者の三分の一を超え、女性労働者では半数を超えている。にもかかわらず大企業労組はベア要求もしない。いま非正規労働者の抱える課題の克服なしに労働運動の活性化はありえない。
 小泉首相の新自由主義路線にもとづく大企業優遇、弱者切り捨て政策により、年金、医療、介護保険の負担増に加え、配偶者特別控除、定額減税の廃止をはじめ消費税引き上げに至る増税路線が生活を直撃しようとしている。小泉首相が成功したと自慢する道路公団の民営化は、コスト削減の押し付けであり、公団関係労働者の賃下げ、首切り、安全無視が進行している。郵政民営化は同様の問題を郵政労働者に強いている。
 公務員労働者への行革・賃下げ攻撃も強まっている。中小企業労働者・非正規雇用労働者の年収は連続して前年を下回っている。ここ数年満足な賃上げもない私たちにとって、05春闘で「人間らしく働ける安全で健康的な職場」と「生活できる賃金」を求めたたかう以外に道はない。
 イラクでは一五〇〇人以上のアメリカ兵が死亡しているが、イラク民衆は一〇万人以上が死亡している。アメリカの単独行動主義を支持し、自衛隊をイラクに派兵し続けている小泉政権を許してはならない。政府・自民党は、自衛隊海外派兵を恒常的に可能にし、アメリカと共同した軍事行動(集団的自衛権の行使)を可能にするために憲法改悪を急いでいる。憲法改悪は九条だけの問題ではない。国家に忠誠を誓い、命をささげる人間づくりである。それは基本的人権の規制であり、民主主義の制限である。われわれは、平和憲法を守るため、幅広く共闘の輪をつくりあげる。
 戦争と弱者切捨ての政治にはもう我慢がならない。中小企業労働者・非正規雇用労働者は、生活防衛と平和を求め、怒りの声をあげ、要求にし、政府と経営者にぶつけよう。職場から力強いたたかいを組織しよう。一人一人では弱くても、職場で、地域で、全国で力を寄せ合い、共同で行動を起せば、大きな前進を勝ち取ることが出来る。
 われわれ05けんり春闘・全国実行委員会に結集する労働者は、中小企業労働者・非正規雇用労倒者の団結を強化し、官民力を合わせ05春闘の先頭に立ってたたかうことを宣言する。

二〇〇五年三月一七日

二〇〇五年春闘勝利中央総決起集会


憲法改正国民投票法案についての意見    日弁連、日本ペンクラブ

憲法改正国民投票法案に関する意見書
(要旨)  日本弁護士連合会

 ……当連合会は、基本的人権擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士及び弁護士会を会員とするものであり、その使命達成のため、人類普遍の原理である国民主権とそれに基づく代表民主制、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり永久不可侵の権利である基本的人権の尊重、及び再び戦争の惨禍が起こらないよう恒久平和を念願する平和主義を基本原理とする憲法を尊重し擁護することを銘記し、一九四九年当連合会の設立以来、今日までの間、一貫して人権擁護活動に努め、幾多の具体的な提言を行ってきた。……これらの憲法原理は広く深く国民生活に定着していると考えられるところ今この時期に、憲法改正を目的とした憲法改正国民投票法を制定すること自体の是非をめぐっては議論が存するところであり、また、当連合会が同法制定に関する意見を述べることの是非についても意見があるところである。しかし、当連合会は、それらのことに十分配慮してもなお、法案の国会上程が近いという事の緊急性と重大性に鑑み「法案骨子」には看過できない問題点が存在することについて、問題点を指摘して広く国民の論議に資するべきものであると考え、本意見書を公表するものである。
 一 個別の条項ごとに賛否の意思を表示できる投票方法とすべきである
 二 表現の自由、国民投票運動の自由が最大限尊重されなければならない
 三 発議から投票までの期間は、十分な国民的論議を保障するに足りる期間とすべきである
 四 賛成は、少なくとも総投票数の過半数で決すべきである
 五 投票率に関する規定を設けるべきである
 六 国民投票無効訴訟についてはさらに慎重な議論を要する
 七 公民権停止者及び未成年者の投票権は考慮を要する
 法案骨子には以上に述べたとおり重要な問題点が多々含まれている当連合会は、今この時期に憲法改正国民投票法を制定することの是非について、国民がしっかりと議論をなしうる場が設けられることを強く求めるものである。そして、同法案を制定することとなった場合においては、法案の国会提出に先立ち、本意見書に摘示した問題点について、国民が議論を尽くすのに必要な情報が提供され、十分な期間が確保されることが重要であると考える。
 当連合会は、関係機関、関係各位に対し、慎重な対応をなされることを求め
る次第である。

二〇〇五年二月八日


憲法改正国民投票法案の白紙撤回を求める  
日本ペンクラブ声明

 憲法改正論議にあわせ、改正のための「国民投票法案」が早ければ今国会に上程されようとしている。そしてこの法案では、「国民投票に関し憲法改正に対し賛成または反対の投票をさせる目的をもってする運動」を「国民投票運動」と規定し、これを厳しく規制する条文が予定されている。

 具体的には、(一)新聞・雑誌・テレビ等の虚偽・歪曲報道の禁止、(二)予測投票の公表禁止、(三)新聞・雑誌の不法利用等の制限、を定める。立法担当者は、現在ある公職選挙法の規定と同じであると説明しているが、実際の運用では、自己の見解の発表や、世論調査・予測報道や意見広告の規制など、曖昧な文言によって過度に広汎な規制が及ぶ危険性を否定できない。

 その問題点を整理すると、まず第一に、現在の公選法自体が世界に類をみないほどの厳しい表現規制を強いている法律であって、これを基準に善し悪しを論ずること自体が問題である。第二に、公選法は人を選択する場合の手続きを定めるのに対し、投票法は政策選択のための法律であって比較の対象にならない。そして第三に、国のもっとも基本的な姿勢を定める憲法を議論するに際しては、最大限、表現の自由を保障すべきであって、それを規制することがそもそも大きな誤りである。

 さらに投票法は、(四)教育者の投票運動の禁止、(五)外国人の投票運動の禁止を規定している。要するに、教育者や外国人は憲法改正問題について口出しをするなということであるが、ここに至っては、露骨な批判封じ込め策そのものである。

 日本ペンクラブは、現在明らかにされている投票法案から、ここに示したような表現規制によって非民主的かつ理不尽な憲法改正作業を進めようとの意図を読みとらざるを得ない。これらは明らかに日本国憲法で保障され発展してきた表現の自由の意味を理解しないものである。表現者の団体である日本ペンクラブは、与党が同法案の即時白紙撤回することを求める。

二〇〇五年三月五日

社団法人 日本ペンクラブ 会長 井上ひさし


「構造改革」 を撃つ2冊

 
上田紀行 『生きる意味』  山家悠紀夫 『景気とはなんだろうか』
 
 この一月と二月に相次いで刊行された岩波新書。タイトルは一見関わりが薄そうだが読んでみると深いところで同じテーマを扱っていることが分る。

崩壊する「生きる意味」

 「私たちがいま直面しているのは『生きる意味の不況』である」と、上田は言う(「はじめに」)。「一生懸命働き、社会に貢献してきた人たちが、自分たちにはもはや価値はないと思わされ、老後の不安に駆られるような社会。どう考えてもおかしくはないか」「経済的不況が危機の原因だという人は多い。しかし、私たちの多くは既に気づいている。景気が回復すればすべてが解決するのだろうか。問題の本質はもっと深いところにあるのではないか」
 この問題意識から上田は相次ぐ青少年の凶悪犯罪、中高年者の自殺、国際比較で自尊感情の顕著に低い日本の子どもを追い、早くにルース・ベネディクトが『菊と刀』で説いた「人の目」を人格に内面化する「恥の文化」が連綿として生きていること、しかしそれは単に「前近代的」と批判して済むものではなく、こうした「伝統的な人格構造のあり方と、効率化、合理化を旨とする近代の社会システムが戦後の日本社会においては極めて巧みに結合されていた」とする。問題は「合目的性・効率性という近代のパラダイム」であり、そしてそれを一層助長するのが今推し進められている「グローバリズム主体の『構造改革』」なのだ。

反人間的な「構造改革」

 「経済活動の中心を民間に置き、国有産業と公益事業を民営化し、関税や資本市場の規制を緩和して、外国からの投資を奨励し、国内での競争も促進させ、国民の個人投資の選択肢も広げるような、政治経済的政策」としての「構造改革」。それは市場原理主義と弱肉強食的な新自由主義のイデオロギーと表裏をなしている。そこで求められる人間像とは、「自分が可能なかぎり高い価値を維持できるように常に鍛錬を怠らず、最高に効率的な場所にいるのかどうかを日々チェックして、もしそうなっていなければ転職する。常に『他人の目』からどのように見えているのか、どのような評価がされているのかを意識し、評価が下がりそうであればその評価を上げるべく努力し、市場における成功を勝ち取り最大の報酬を得るように行動する。そしてそれを生まれてから死ぬまで何十年にもわたって継続することのできる人間」であり、そんなものは「自然な人間としてはありえない」。
 さらに上田は、この政策の選択自体「世界の目」(実はアメリカの目)を気にしたもの、「グローバル・スタンダード」としてアメリカから押し付けられたものであり、それは、抑圧的な親の下でアダルト・チルドレンが生み出されるのと同じ構造であると喝破する。その結果もたらされるのは「大きな痛みであり、悲劇であ」り、「生きる意味」の一層の混迷である。

もう一つの道を求めて

 著者の「経済成長が私たちの幸せをもたらす」という「経済成長教」その下での「数字信仰」「『生きる意味』を捨象して、横断的に通用する『数字』で物事を解決しようとすること」は、「数字」と「日本人」とを入れ替えればそのままナショナリズムになるとする指摘は鋭い。共に「自分の頭も感性も使わずに」物事に対処するものであると。
 こうした「構造改革」的人間像に対置されるのが、「内的成長」「生きる意味の成長」である。キーワードは「ワクワクする」ことと「苦悩」、そしてそれを共有するコミュニケーション、 コミューニティーの創造。「前に立つ講師やリーダーの話を単に受動的に聞く従来型の『教室』型コミュニケーションではなく、皆が輪になって思いを語り合えるような『集い』型コミュニケーション」。私は労働組合運動にもこのような観点が求められているのではないか(否、むしろそもそもの出発点はそこにあったのではないか)と思った。
 著者は東工大で実施した学生による授業評価でトップの成績だったという。なるほど、語り口は平易だが、熱い思いがこもっている一冊である。

景気が良くなっても暮らしは良くならない

 『景気とはなんだろうか』は、@二〇〇三年から二〇〇四年の初めにかけて勢いよかった景気の回復が足踏み状態になったのは何故か、A景気の構造変化、日本経済の構造変化が起こっていると思われる事態の解明をねらいとして執筆されている。景気の波とは何か、コンドラチェフの波を初め様々な経済理論を紹介しながら分りやすく説いている。その上で戦後日本の景気循環をたどる。「何によって拡張期が終了したか」に着目すると、四つの時代区分ができる。一九六〇年代までは金融政策の変更(引き締め政策への転換)、一九七〇年代から八〇年代半ばまでは海外経済情勢の変化(円高、石油危機等)、一九八〇年代から九〇年代半ばにかけては、それまでとは異なる金融政策の変更と財政政策の変更、そして、一九九七年代以降は景気そのものの構造変化が見られる、という。それぞれの時代の分析は素人にも分りやすく書かれていて、勉強になった。

「構造改革」論に徹底的に反駁

 しかし、一番興味深いのはやはり一九九七年代以降の構造変化の部分だ。ここで『生きる意味』と重なる論点が提起されている。著者は「構造改革」論者の論理の誤りを丹念に事実と引き比べて批判する。そして橋本改革も小泉構造改革も共に景気を悪化させたと指摘する。その「改革」のもとで企業規模間格差、業種間格差が広がり、家計部門が沈滞し、地域間格差が増大している。一九九七年代以降の景気の構造変化とは、景気が好転しても賃金は下がり続け、正規雇用者の長時間労働は増え、就業者数は減り続け、非正規雇用が増大し、自営業の所得も従業者も減少、国民各層間の所得格差は拡大している。まさに「景気が良くなって暮らしが悪くなる」状況が展開しているのである。「生きる意味」の喪失、日本全体を覆う閉塞感の源はここにある。
 こう分析した上で、著者は「暮らしが良くなることを景気の回復には期待しない、いまは、そうした割り切りが必要な時が来ている」と断ずる。」その上で暮らしを良くするためには、所得増、雇用の安定、年金・健康保険制度等の将来不安の解消、自営業者等サラリーマン以外の人々の生活の暮らしの改善が必要であるとし、具体的な政策提起も行っている。
 すべては不景気のせい、という呪文の束縛から解き放たれ、現状打開の方策を具体的に考えるよう促される好著だ。(佐山 新)


KODAMA

   
 成果主義賃金のゆらぎ

 労働者間の競争を煽り、差別・分断を持ち込む成果主義賃金が多くの企業に導入されている。
もともとはアメリカのシリコンバレーではじまったとされるこの制度は九〇年代に日本に持ち込まれてきた。 当時はバブル景気が崩壊し、そのツケを労働者に一方的にしわ寄せして、年功賃金、終身雇用制の見直しで、企業活力を高めるとされたものだった。
 しかし、ここにきて様々な問題が噴出してきている。そもそも、「成果」(業績)というが、誰が判断するのか。 判断の基準ははっきりしないのだから、実際には上司の恣意的なものになることは導入時から言われた。富士通は日本企業のなかではじめに成果主義を導入したので有名だが、元社員が書いた「内側からみた富士通」で成果主義の実態がわかる。富士通の成果主義の基本は「目標管理」だ。労働者一人ひとりが一年間の仕事の目標を決める。その成果を上司が評価する。しかし、この制度は評価基準が曖昧で、上司と部下の関係が悪化しているという。このため、チームワークを重視して部門での成果を重視し、個人の仕事の成果は参考程度にするなどの「改革」をおこなった。その他の会社でも、評価基準の多様化・工夫が行われたり、年功的要素を残したりする動きがある。ある経営者が言っていたが、賃金制度でも労務政策でも、とにかく労働者が積極的に働いてくれるものが良いものなのだ、と。資本の原則は差別・分断、低賃金、低労働条件こそが、労働者の働く気をおこさせるということだ。そのことによって儲けが多くなる。しかし、搾取されればされるほど、積極性が出るということはない。一時的には成功しても、すぐに矛盾が出る。成果主義の「行き詰まり」、これも労働強化に対する労働者の抵抗の一種と見てもよいのだろうが、裏には、日本的経営の一つの特徴だった従業員の企業に対する忠誠心のゆらぎがある。労働者も自らの利益を守るためのチームワーク(労働組合)の活性化が求められている。 (H)


複眼単眼

     
改憲国民投票法案をめぐる報道を見ながら

 「憲法改正国民投票法案」問題がにわかに浮上してきた。衆参両院に設けられた憲法調査会が予定の五年余の設置期間を経て、その討議を事実上打ち切ったからだ。今後の政治日程としては、この憲法調査会を法案審議のできる「憲法委員会」的な常設の委員会に格上げし、そこで改憲国民投票法案も議論したいと改憲派が狙っている。
 最近の報道でいくつか注目すべき記事があった。
 三月一二日の「東京新聞」社説はこの問題での批判精神を示したものだ。「憲法改正にかかわる重要な法律を拙速で制定しようとするのは、既成事実を積み重ね改憲ムードを盛り上げるのが狙いではないのか。政治家の動きは急だが、国民の間の議論が足りない」として、与党案の骨子の問題点の「第一は、改憲条項が複数ある場合に、個別の条項ごとに賛否を問うのか、一括して投票するのか明確にしていない点である。現在の論議からは改憲発議が一カ所だけとは考えられない。ほとんどの国民は賛成個所と反対個所があることになるだろう。ポイントごとに賛否を表明する投票にすべきだ」とのべ、「問題の二点目は規制が多すぎることである。公務員、教育者の投票運動制限、結果を予想する投票およびその結果の禁止、マスコミ報道の規制、マスコミ利用の制限など、賛否の運動や宣伝を制約する条項が羅列されている。これらは公職選挙法を踏襲したものだが、複数の候補者のうちから特定人物を選択する選挙と憲法改正の国民投票は根本的に異なる。そのために、運動、報道はできる限り自由とし、制限事項があるとしても、公選法とはまったく別の角度から検討すべきである」とのべている。
 十五日の「毎日新聞」では臺宏士記者が「この法案は『公正』を盾に報道規制するメディア規制法案だ」という角度から批判を展開している。聖母大の田北康功講師の「公選法の形式を装いながら、実際はその悪い部分だけをつまんだ似て非なるもの。人を選ぶ公選法を準用しようとするから無理が出てくる。白紙に戻して再検討すべき」との発言も引用している。
 これらの批判は妥当であろう。「東京」の社説が指摘するように、これらの問題点は与党がまず改憲ありきという意図から出発しているところから来ているのだ。白紙に戻せと言う要求は妥当だ。
 ところで、三月一〇日の共産党機関紙「赤旗」がニュース情報欄で「国民投票法を容認 社民党、改憲問題で見解」という記事を掲載したことは異様だった。記事によれば、社民党が発表した「論点整理」は九条改憲反対を明確にしたうえで、新たな人権規定追加などの部分改正に対応するため、国民投票法案を条件付きで容認したというのだ。
 しかし、社民党の「論点整理」を通読しても、この指摘は該当しないのだ。与党案に全面的に反対した上で、九六条の公平で民主的な手続きを保障するためには少なくとも、一括投票でなく、運動の自由が最大限に保障され、投票権も一八歳以上などに拡大し、投票の前に長期の周知期間を設け、全有権者の過半数あるいは最低限投票総数の過半数で、投票率による成立規定などを設けるべきだと指摘しているの過ぎない。私見を言えば一八歳以上ではなく、一五歳以上にすべきだとか、社民党の見解と異なるところはあるが、大方問題点の指摘としては妥当であろう。最後に「議論なき国会だけの判断による手続き法の整備は断じて認めない」と言っている。これは「赤旗」紙の唯我独尊病の再発ではないか。社民党をこのように叩いて、「ほら、うち正しいだろう」などという議論は心が狭いし、運動の益にならない。これは謝罪して撤回すべきだ。まあ、社民党も、それなら、なぜ今頃「論点整理」などを出すのかという恨みはあるが、同党内に隙あらば「改憲反対から脱却したい」という右派の人々がいる以上、仕方がないのかも知れない。 (T)