人民新報 ・ 第1164 号<統合257(2005年4月15日)
  
                  目次

● 地球上のいずれにおいても戦争のできる国家をめざす危険な要綱

● 改憲のための国民投票法案に反対して 4・6昼休みデモ

● 沖縄の闘いと連帯して、普天間基地撤去、辺野古沖新基地阻止!

● 「君が代」処分に反撃

● 「つくる会」教科書と日本の国際的孤立

● 資 料  / 「日本の右翼教科書は反面教材(評論)」 

● 「これって犯罪? 暴走する公安と脅かされる言論社会」  四弾圧事件勝利へ 言論侵す権力犯罪を告発する集会

● 歴史は繰り返すか  対朝鮮制裁論に右派論客からも異議

● せ ん り ゅ う  /  ゝ史

● 複眼単眼  /  危険な風潮  対北朝鮮先制攻撃まで考える自衛隊




地球上のいずれにおいても戦争のできる国家をめざす危険な要綱

 自民党新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)は四月四日、新憲法試案のための起草委員会要綱(一〇の小委員会報告をまとめたもの)を発表した。要綱とはいえ、その濃厚な国家主義的主張は、政府支配層が熱望している改憲によるグローバルな規模での日米攻守同盟=日米安保体制の再々定義をすすめるための露払いの役割を果たすものであり、決して軽視できない。

@「前文」小委員会(委員長・中曽根康弘、委員長代理・安倍晋三)要綱

 要綱冒頭の「作成の指針」では、「現代および未来の国際社会における日本の国家目標を高く掲げる」「現行憲法に欠けている日本の国土、自然、歴史、文化など、国の生成発展についての記述を加え、国民が誇りうる前文とする」「戦後六〇年の時代の進展に応じて、日本史上初めて国民自ら主体的に憲法を定めることを宣言する」と規定している。そして「国家目標」に関しては、「国際協調を旨とし、積極的に世界の平和と諸国民の幸福に貢献すること。地球上いずこにおいても圧政や人権侵害を排除するための不断の努力を怠らないこと」という。この論理はブッシュ米国大統領の「先制攻撃戦略」と同一のものだ。要綱は全世界的な範囲で「圧政や人権抑圧を排除する」ために、日本の軍事力などを行使することを宣言した。
 また要綱は「天皇」を柱に、「日本の国土、自然、歴史、文化」について記述し、「アジアの東の美しい島々からなるわが国は豊かな自然に恵まれ、国民は自然と共に生きる心を抱いてきたこと。多様な文化を受容して高い独自の文化を形成したこと。和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた。先の大戦など幾多の試練、苦難を克服し、力強く国を発展させてきたこと」などとしている。これはかねてからの中曽根康弘元首相の持論であるが、これが前文小委員会の要綱に盛り込まれた意味は軽視できない。
 「前文」要綱のもう一つの問題点は「自主憲法制定」論の立場から「明治憲法(大日本帝国憲法)、昭和憲法(現行日本国憲法)の歴史的意義を踏まえ、日本史上、初めて国民自ら主体的に憲法を定める」としている点だ。現行憲法は「大日本帝国憲法」の否定の上に誕生し、存在するのであり、「要綱」がいうような両者は並列・対等の関係にないことは明らかだ。また現行憲法は要綱がいうような「昭和」憲法ではない。「昭和」には「戦前」と「戦後」の全く異質な歴史があり、この二つは絶対にひとくくりにできない。

A「天皇」小委(委員長・宮沢喜一、委員長代理・橋本龍太郎)

 この小委の要綱は現行憲法の「天皇」条項に関して、いくつかの重大な問題で修正(改憲)を主張していることは見逃すことができない。
 第一は、「天皇がわが国の歴史、伝統及び文化と不可分であることについては共通の理解がえられた」としている点だ。
 現行憲法の「(天皇は)日本国の象徴であり国民統合の象徴」との規定を愛国主義的な「歴史、伝統、文化」の象徴とすることは歴史の後退であり、反動だ。もともと天皇が「日本国の象徴であり国民統合の象徴」とされていること自体、天皇制の果たした歴史的役割と憲法の民主主義と人権の原則から見て、現行憲法が抱えている根本的な矛盾のひとつだ。天皇条項を再検討するのであれば、「国民の総意」との関係でこの問題の議論こそ必要だ。
 第二の問題は天皇の「公的行為」概念の導入を狙い、天皇の活動を拡大強化しようとしている点だ。現行憲法は第一章で天皇の「国事行為」について厳密に規定し、限定しているが、小委要綱はこれに「象徴としての行為(公的行為)」というあいまいな概念を加え、天皇の政治的役割を拡大強化しようとしている。

B「安全保障及び非常事態」小委(委員長・福田康夫、委員長代理・舛添要一)

 要綱は「自衛軍の保持」をはっきりと謳い、「積極的に国際社会の平和に向けて努力するという主旨を明記する」「自衛軍は、国際の平和と安定に寄与することができる」と主張している。
 「集団的自衛権の行使」は明文化しなくても、当然行使できるという論理だ。福田康夫は委員会で「集団はいらない、『自衛』だけでいい」と述べたが、これは民主党などと議論になる可能性のある用語はあえて使わなくても、運用で行使できるという立場だ。

C「国民の権利及び義務」小委(委員長・船田元、委員長代理・清水嘉与子)

 要綱のこの部分の最大の問題点は、「憲法の意義・意味」にかかわる問題で、立憲主義の原則の転倒が試みられている。要するに権力制限規範としての憲法から、「国民が守るべき責務をもつ憲法」への転換だ。
 二〇条の「信教の自由」との関係で政教分離原則を大幅にゆがめ、二一条の「表現の自由」との関係では「公の秩序」との関係での制限、結社の自由についても破防法の正当化を憲法にまでもちこむ規定を書き込もうとしているなど、反動的傾向が濃厚だ。
 また「追加すべき新しい責務」の箇所は、「強制可能な義務ではなく、訓示規定としての責務だ」としながら、国防の責務、(保険料など)社会的費用負担の責務、家庭等を保護する責務、生命の尊厳を尊重する責務、環境保護の責務、憲法尊重擁護義務などの新設を主張している。「家庭などの保護」では、「国民は夫婦の協力と責任により、自らの家庭を良好に維持しなければならない」「子どもを養育する義務を有するとともに、親を敬う精神を尊重しなければならない」「相互の協力と参加により、地域社会の秩序を良好に維持しなければならない」などの驚くべき時述がある。

D「改正及び最高法規」小委(委員長・高村正彦、委員長代理・山下英利)

 要綱は憲法改正の発議要件を現行憲法の「各議院の総議員の三分の二」から「過半数」に緩和し、改憲の発議が容易にできるようにした上で、国民投票条項は維持するとした。そして国民投票は「有効投票の過半数で成立」として、考えられる限りもっとも緩和した条件を導入した。

Eその他、「国会」小委(委員長・綿貫民輔、委員長代理・陣内孝雄)、「内閣」小委(委員長・林芳正、委員長代理・金子一義)、「司法」小委(委員長・森山真弓、委員長代理・松村龍二)、「財政」小委(委員長・溝手顕正、委員長代理・宮沢洋一)、「地方自治」小委(委員長・大島理森、委員長代理・岩城光英)は略。

Fおわりに

 この極めて反動的で国家主義的な自民党新憲法試案要綱は、「前文小委」要綱で「自由民主党の主義主張を堂々と述べながら、広く国民の共感を得る」と書かれているように、まずは「自民党らしさ」をだしてキャンペーンしようというねらいがある。はじめから妥協点を求めるようなことをしてはダメだと言うことだ。だが、その結果、自民党が持つあまりに古い国家主義的な地金が露骨に出てしまった。この危険正を徹底して暴露することは、自民党の支持者も含めて同党の改憲路線との矛盾を拡大し、自民党と公明、民主の矛盾を引き出すことになるに違いない。


改憲のための国民投票法案に反対して 4・6昼休みデモ

 四月六日、霞が関・永田町で「改憲のための国民投票法案に反対する4・6昼休みデモ」が行われた。これは、二〇〇五年5・3憲法集会実行委員会(憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会)と弁護士・法律家諸団体(日本民主法律家協会、自由法曹団、社会文化法律センター、青年法律家協会弁護士・学者合同部会、日本国際法律家協会)のよびかけで開催されたもの。デモには昼休みの労働者も参加し、約三〇〇人が国民投票法案反対の声をあげた。

 日比谷公園霞門での集会では、呼びかけ団体からのあいさつ。
 5・3憲法集会実行委員会を代表して高田健さん。改憲の手続きのための国民投票法案が今国会に提案されようとしている、自民党の新憲法試案要綱が出されたがまったくひどいものだ、九条の会はさまざまな所でつくられすでに一〇〇カ所以上でつくられている、今日の行動を契機に国民投票方法案反対の声をもっと大きくしていこう。
 弁護士・法律家諸団体を代表して沢藤統一郎弁護士(日本民主法律家協会事務局長)。平和や人権を大事にする日本国憲法は、日本だけでなくアジア・世界の人びとにとっても大切なものにしなければならない、国民投票法案はひどいもので、すでに日弁連や日本ペンクラブも反対の意見を出している、今日のデモを国民投票法をつぶす運動の第一歩にしよう。
 衆議院、参議院前では、共産党、社民党議員が投票法案反対署名を受け取った。


沖縄の闘いと連帯して、普天間基地撤去、辺野古沖新基地阻止!

 沖縄防衛施設局による辺野古沖新新基地建設工事着手に抗議して、現地では昨年六月以来、阻止の闘いが陸・海で展開されている。沖縄での闘いに連帯して、東京では、「辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会」による毎週月曜日の防衛庁・防衛施設庁前抗議行動がつづけられている。
 四月一一日は雨をついて集会が行われた。
 辺野古現地からは平和市民連絡会の当山栄さんからのつぎのような電話メッセージが寄せられた。
 先週の四月五日には動きがあった。中城湾から固定ブイを載せた大型台船が出港し、われわれはチャーター船九隻で迎え撃つ体制をつくった。しかし、三時過ぎに台船は帰っていった。七日にもまたうごきはじめたという情報が入って緊張したが、そのときはエンジンをふかすだけだった。今日は、沖縄では旧の三月三日で、海岸で潮干狩りをするという行事があり、会社側も仕事なしで今日は来ないということがわかって、われわれも浜に出て貝や魚、モズクを取ったりして楽しい一日を過ごした。明日からはまた決戦になる。闘いを堅持して頑張っていく。一緒に頑張っていこう。

 四月一二日で、アメリカ海兵隊の普天間飛行場の全面返還を日米政府が発表してから九年が過ぎた。一九九六年四月十二日、当時の首相橋本龍太郎と駐日米大使は、五〜七年以内の返還を発表したが、今日も依然として、米軍ヘリの訓練飛行はやまず、昨年八月には大型ヘリが沖縄国際大学へ墜落する事故を起こした。
 普天間基地返還のために、ヘリ部隊や空中給油機を県内の米軍基地や山口県・岩国基地などに分散移転し、嘉手納基地にも機能統合する、などとされていた。その中心は、「ジュゴン」の生息する辺野古沖に新たに基地建設を強行しようとするなど沖縄県内移設で処理することだったのは明白だ。
 しかしいま、頑強な反対運動によって在日米軍再編協議で辺野古沖への代替施設建設は見直しを迫られるようになってきている。ヘリ事故以降の普天間早期返還とともに、沖縄県民の怒りの声が情勢を動かしはじめているのだ。すでに、小泉首相、自民党幹部などからも、辺野古断念とも取れる発言が出てきてはいる。だが、在日米軍の基地機能の維持・向上と米軍と自衛隊の一体化の加速は、沖縄県民の願いに逆行している。
 普天間飛行場のヘリ部隊の下地島や伊江島などへの移転や、普天間の管理権を自衛隊に移管し有事の際に米軍が使用する「有事駐留案」なども出てきているが、下地島(伊良部町)でも伊江島(伊江村)でも首長、議会がともに反対を明確にしている。
 沖縄の闘いと連帯して、米軍基地撤去の闘いを強めていこう。


「君が代」処分に反撃

 東京都教育委員会から不当処分を受けた教員三十六人が、四月五日、東京都人事委員会に不服審査請求を申し立てた。「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会、「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会、「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会は連名で「卒業式処分取消を求める第一次人事委員会不服審査請求にあたっての声明」を発表した。「……教員として『譲れない思い』を貫いた私たちの行動にも多くの支援・激励が寄せられています。『憲法を命懸けで破る』と公言する石原都知事の下、暴走する都教委に対する反発と批判も満ち満ちています。私たちは、こうした生徒・保護者・市民の声に力づけられ、共に手を携え、憲法・教育基本法改悪の先取りとしての『日の丸・君が代』強制に反対し、都教委による教育破壊の暴挙を断じて許さず、不当処分撤回まで断固として闘い抜くものです」。


「つくる会」教科書と日本の国際的孤立

 三月五日、文部科学省は来年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表した。出版社が編集した教科書を文部科学省が学習指導要領などにてらして審査し、合格しないと教科書として認められない。一種類だけの国定教科書ではないが、国家の決めた枠内でのみ教科書となる制度であり、年々、検定は政府・自民党の政策に沿って右傾偏向したものになってきている。今年の検定結果は、翌六日の産経新聞主張が「中学教科書 記述の是正は不十分」でつぎのように評価するようなものだ。「改善点は、北朝鮮による日本人拉致事件が記述に濃淡はあるものの歴史と公民の全教科書に登場したことだ。……十年前の検定で一斉に登場した『従軍慰安婦』という言葉も今回はなくなり、慰安婦に関する記述も控えめになった。……南京事件の犠牲者数も、『二十万』『三十万』とする誇大な記述をする教科書は一社だけになった。特定の歴史的事象に限れば、教科書の記述は少しずつ良くなっている」。
 そして、不十分とする点をあげる。「公民教科書で定住外国人の地方参政権が制限されていることを、多くの教科書が差別問題ととらえている」ことや、「自虐的傾向」が残っていることなどだ。これらは、今後サンケイなど右派メディアの攻撃方向を示している。
 四年前と同様に侵略戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した歴史と公民の教科書(いずれも扶桑社刊)が再び合格した。その扶桑社の歴史教科書は、日本の戦争を自存自衛とアジア解放のための大東亜戦争と記述し、侵略戦争と植民地支配を正当化するものとなっている。
 公民教科書では八社中三社が、地理教科書では六社中二社が、「竹島」記述をおこなっているが、扶桑社のものは、当初の「韓国とわが国が領有権をめぐって対立している竹島」という記述を、検定意見を受けて「韓国が不当占拠している竹島」に変えた。
 こうした検定結果は、自民党や「つくる会」などの右派勢力の硬軟様々な手段を弄しての圧力の結果だ。
 しかし、日本政府・文部科学省が、歴史的事実を歪曲し、「従軍慰安婦」の記述などを認めず、逆に戦争や植民地支配を美化する教科書をつくらせる検定を行ったことは、ゆゆしい結果をもたらしている。
 日本の侵略戦争によって言語に尽くせない被害を受けた韓国や中国はきびしい批判を行った。
 戦犯を祭る靖国神社への小泉純一郎首相の参拝は、侵略戦争を美化し、再びアジアへの侵略をもくろむ日本軍国主義の策動の象徴として近隣諸国をはじめ国内外からの批判を受けてきた。
 島根県議会の「竹島の日」決議は、独島(竹島)問題をめぐって韓国の人びとの激しい抗議をうけた。それにたいする日本政府の対応は韓国の人びとの神経を逆なでするものだ。小泉は、「韓国による竹島不法占拠」教科書を韓国政府が批判したことに「感情的な対立を抑えて、両国の友好を考えるのが大事じゃないか」などと、領有決議を放置し、「つくる会」歴史教科書を認定するなど問題を激化させた自国の責任を棚にあげて、不遜にも高見にたって文句をつけている。中山成彬文科相は、扶桑社歴史教科書が「不法占拠」の言葉を入れたことにふれて、「政府見解に沿って記述を変えたのだろう」とした上で「日本の領土がどこまでかという基本的な知識で、それをちゃんと教えるのは当然のことだと」述べている。
 検定教科書は政府の方針に沿って書かれているのである。検定制度は国定教科書とは違って自由なものだという政府当局のアジア諸国からに批判に対するおざなりの「答弁」はまったくのまやかしだということを中山自身が認めているのだ。つい先ごろも、中山は文科相として従軍慰安婦などの記述をなくすことは良いことだと発言している。
 日中間には三年余にわたって首脳同士の公式訪問はない。日中関係は、政冷経熱状態といわれてきたが、今後、政冷経冷に移るだろうという観測も出てきた。中国各地では、反日デモや日本製品の不買運動が起き、日本の国連安保理常任理事国入りに反対する三〇〇〇万人目標の署名運動が街頭やインターネットで展開されている。
 日本はかつての侵略戦争と植民地支配について真摯に反省し二度とふたたびそのような加害者にならないことをつねに国の存立の基本としなければならない。それには、歴史の真実の真実を知り見つめることが前提であり、中学校の歴史や公民の教科書はそのためにつくられなければならない。ところが、自民党小泉政権の下で、歴史の歪曲と侵略戦争・植民地支配の美化が行われている。先にみた「つくる会」歴史教科書でさえも書き換えられている。こうした教科書の改悪・検定は、平和主義、人権、民主主義の憲法を改悪し、アメリカ・ブッシュ政権の世界支配戦争支援のための体制づくりの一環である。侵略美化、アジア諸国との敵対関係を煽る「つくる会」教科書と文部科学省の検定制度に反対して運動を拡大していこう。


資 料

 「日本の右翼教科書は反面教材(評論)」
  (人民網・4月6日)
 
 日本で四年に一度行われる教科書検定が四月五日に終わった。右翼勢力の支持を受けている「新しい歴史教科書をつくる会」(略称・つくる会)が編纂して史実を歪曲した「新しい歴史教科書」も検定を申請して合格した。もしこの右翼教科書に何か価値があると言えるならば、それは反面教材にすることができる点だ。
 この反面教材が作られた動機は、いわゆる「自虐史観」批判である。「つくる会」メンバーは「戦後ずっと続いた自虐史観の風潮の中で、人々は東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決を盲信し、当時の戦争の原因と責任はすべて日本にあると考えている」などと公然と発言している。日本国内である程度あえて史実を記述した教科書に対して、彼らははばかることなく「自虐史観だ」「反日教育だ」と非難する。彼らのいわゆる「正しい歴史」編纂の方針は、日本人が「誇りを持てる」ために「多くの資料から自らに不利なものを削り、自らに有利なものを探す」というものだ。
 侵略を美化し、史実を歪曲し、罪の責任から逃れようとする日本の右翼教科書は、人類の正義と良知への挑発であり、被害国人民の感情を著しく傷つけるものであり、また日本の青少年の思想に対しても有害だ。これが中国人民を含むすべてのアジア被害国人民の、強く激しい非難を浴びるのは当然だ。もちろん、一般の教科書をどう編纂するか、そうした教科書をどう検定するか、青少年をどう教育するかは、確かに日本人自身の事情である。だが、この日本の教科書は普通の教科書ではない。これはアジア近隣諸国に関する記述や、日本軍国主義の対外拡張という歴史的事実の粉飾、改ざんにかかわる問題だ。これは明らかにすでに日本の内政の範囲を超えており、日本と近隣諸国との関係や、近隣諸国の人民の感情を傷つけるか尊重するかにかかわることだ。日本の文部省は一九八二年一一月、教科書検定の基準を改正した時、かつて「近隣諸国条項」の規定を補充したことがあった。この規定は「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」というものだ。二〇年あまりの時を経て、日本政府はまさかこうした内容を全て忘れてしまったと言うのだろうか。
 教科書問題の本質は、日本が日本軍国主義による侵略の歴史を正しく認識して対応できるかどうかであり、正しい歴史観で若い世代を教育できるかどうかである。日本政府がこの分野で大きく後退したことには、警戒を禁じえない。日本政府は「教科書検定制度の特殊性」を責任逃れの口実とするが、これは口実として全く頼りないものだ。この点では、ドイツは最も明るい鏡である。ドイツは連邦制を施行しており、教育は連邦を構成する各州が責任を負う。このため全国統一の教科書はない。中学校の種類や学年数などの要素にあわせ、歴史教科書は種類が非常に多い。だがこれは歴史教育を勝手気ままに行えるというものではない。ドイツ教育相の合同会議による特別政令では、あらゆる類型の中学校が必ずナチスの歴史を詳しく教えなければならないと強調している。フランスでは第二次世界大戦中、ビシー傀儡政権がヒトラーと結託して、ユダヤ人をひどく迫害した。この恥ずべき歴史についても、フランスの歴史教科書は少しも粉飾を加えていない。
 今年は世界反ファシズム戦争・中国人民抗日戦争勝利六〇周年であり、また国連創設六〇周年でもある。当時、枢軸国を構成していた日本とドイツは、今ではいずれも経済大国となった。しかし両国が国際社会において直面している反応は全く異なる。主な原因の一つは、両国の当時の侵略の歴史に対する姿勢が全く異なるからである。右翼教科書のような反面教材や右翼教科書の編纂者のような反面教師は、日本が誇りや信頼、尊厳を勝ち取るためのものにはなりえず、日本に疑念、詰問、憤激をもたらすだけである。日本政府の容認行為は、この反面教材に恥ずべき一筆を添えただけだ。日本と周辺近隣諸国との関係において、現在見られる動向に関連して、日本が今後アジアの中のどこに身を置こうとしているのか、われわれはわからない。これは日本の為政者が深く考えるべきことである。
     
 資料として、中国「人民日報社」人民網の四月六日「日本の右翼教科書は反面教材(評論)」を転載する。


「これって犯罪? 暴走する公安と脅かされる言論社会」

   
四弾圧事件勝利へ 言論侵す権力犯罪を告発する集会

 この間、公安警察による弾圧事件が連続して起こっている。昨年には四件の逮捕・起訴が行われた。二月に自衛隊の宿舎にイラク派兵反対のビラを入れた行為が住居侵入罪とされて立川自衛隊官舎反戦ビラ弾圧事件が起こされ、三月には休日に職場とは関係のない地域で政党ビラを配布した行為が国家公務員法違反に問われている国公法弾圧・掘越事件、一二月には卒業式開始前にビラを配布した行為が威力業務妨害として起訴された板橋高校威力業務妨害弾圧事件、そしてマンションの郵便受けに議会報告を入れた行為を住居侵入罪とする葛飾マンションビラ配布弾圧事件がつくりだされた。これらの事件は自由な言論・表現活動に対する警察・検察の挑戦である。

 四月六日、弁護士会館・クレオで、「これって犯罪? 暴走する公安と脅かされる言論社会」が開かれ、弁護士や市民など四〇〇人が参加した。
 主催は、立川自衛隊宿舎反戦ビラ弾圧事件弁護団、国公法弾圧・堀越事件弁護団、板橋高校威力業務妨害弾圧事件弁護団、葛飾マンションビラ配布弾圧事件弁護団。
 はじめに主催者を代表して石崎和彦弁護士があいさつ。
 四つの事件はすべて警視庁公安部が逮捕し検察庁公安部が起訴したものであり、すべて市民の表現行為に対する弾圧だ。これら事件は、これまでなら犯罪とされてこなかったし起訴されるようなものではなかった。こうした国民の表現行為に対する公安警察の挑戦・弾圧は一〇〜二〇年なかったことだ。そして、いままで警察の暴走にストップをかけてきた検察が、警察に追随して起訴している。なぜ、国民の表現行為が弾圧されるのか、どうしたら表現行為を守ることが出来るのか。この集会で考えていきたい。
 ジャーナリストの魚住昭さんが「「公安検察・警察で何が起きているのか」と題して講演。
 鈴木宗男事件で逮捕・起訴された元外務省国際情報局主任分析官の佐藤優の「国家の罠」(新潮社)という本は近年出版された本では最上の本だ。そこには検察の捜査について書かれている。かれは、北方支援委員会の金をイスラエルで開かれた学会に出る旅費にしたことが背任ということにされて逮捕・起訴されたが、その学会のテーマは「ロシア問題」だった。法律上の問題はない。しかし、逮捕され、無罪を主張したが、東京地裁で有罪とされた。
 本には拘置所の中での検察官とのやり取りが書かれており非常に興味深いものだ。取調の西村という検事は次のように言ったという。あなたと鈴木宗男の問題は国策調査だ。象徴的事件をつくって時代を大きく変える、と。また、政治家に対する(検察の)ハードルがさがってきて、政治家にはきびしい時代となった。しかし、起訴の適用基準は検察だけでは決まられない。それを決めるのは、その時どきの一般国民の意識だ。佐藤が「では、ワイドショーや週刊誌によってそうしたことがきまるのか」と聞くと、検事は「そうだ」。佐藤「国策捜査のターゲットとなった人物は罠から逃げられないのか」。検事「正しい」。と、こういう具合だ。
 この背景には、内政面での、ケインズ主義的な公平再配分政策から、ハイエク流の傾斜配分政策、弱肉強食への展開に対応した、外交面での国際協調主義からナショナリズム・排外主義への国策の変化がある。鈴木宗男は、地方の声を中央に反映させ、外交面では協調主義的だったが、宗男たちをターゲットにするすることによって時代を転換させたのだ。
 そこには、検察の腐敗がある。検察の法律家としての良心のマヒ、モラルの欠如が国策捜査の背景にある。政治家へのハードルでは、社民党の辻元清美や民主党の山本譲治など秘書給与詐取疑惑事件があるが、これも従来なら政治家を逮捕するような事件にはならなかったものだ。検察の腐敗を象徴する事件には、大阪高検の三井環公判部長を逮捕した事件がある。三井は在職中から検察の裏金疑惑を告発していたが、口封じのために逮捕された。理由は購入したマンションに三井自身が住んでおらず、税金逃がれをしたということだが、こんなことはだれでもやっており、それをあえて事件にした。それも検事総長以下が認めた上でだ。
 これと同じようなことが公安警察でもおこっている。公安警察については、週刊「金曜日」誌の記者座談会では、ビラ入れ程度で逮捕するなどという公安警察の暴走について、ふたつの理由があがった。ひとつは、石原都政下で、都知事が喜びそうなことをやる、そして小泉官邸のご機嫌うかがいだ。もうひとつは、公安警察が自らのリストラをさけるために事件をつくり出していることだ。かつての過激派は鳴りをひそめ、公安は仕事のネタをなくした。しかし一〇年前にはオウム事件が起きたおかげで延命したが、それも一段落した。だから、一連の事件をつくりだして、自分たちの仕事、存在理由をアピールしたということだ。
 元TBSの記者で現在フリーのジャーナリストの川辺克朗さんによると、もう公安警察は崩壊してしまっている。かつての警視庁公安部には、ノンキャリアのつわものがおり、それを有能なキャリア官僚が指揮していた。それが、オウム事件での小杉警官の国松孝次警察庁長官狙撃事件で、キャリアが責任を取らされて退職し、素人のキャリアが公安になった。それ以来、公安のやることは支離滅裂だ。警察でも検察でも、外務省でもそうだが、おしなべて日本の官僚組織のモラル・内部規律は崩壊している。そのことが、暴走を生み出している。六〇年前に負けた戦争を起こしたときも、中堅幕僚が中央の言うことを聞かず、どう見ても勝ち目のない戦争に突入させた。今後、もっともっと深刻な事態が生まれるだろうが、それぞれがそれぞれのところで闘っていくいくことがなにより大事だ。
 つづいて憲法学者の奥平康弘さんが「今、表現の自由が問われている」と題して講演した。
 この事件は非常に「けったいな事件」だ。「けったい」とは四つの事件すべてに共通している。刑法のある条項を使って表現の自由をけちらかしていく。
 大正七年(一九一八)年、(ロシア革命圧殺のための)シベリア出兵が行われていたが、出征兵士の妻のいわゆる不倫事件が起こったが、そのとき適用されたのが刑法一三〇条の住居侵入罪だった。それは出征兵士たちの志気をおとさないための、見せしめのための起訴であり裁判であった。このことは法律的には適用は問題だが、機能的(ファンクショナル)には成功している。今日の自衛隊官舎ビラ入れでも、自衛隊家族の志気を落とさないようにするということでは効果はあった。板橋高校の事件でも同様だ。
 一連の事件はたまたま起こったのではない。これらの事件は今の状況を象徴するものだ。
 二人の講演につづいて、四つの事件の被告と弁護人が発言し、事件の経過と裁判闘争勝利に向けて決意を表明した。
 内田雅敏弁護士が閉会のあいさつ。
 公安警察は金があるが、われわれの力はネットワークだ。四つの事件の闘いのネットワークができた今日の集会は画期的なものだ。
 最後に集会アピール(別掲)を確認した。

(以下は各弁護団による事件の概要<要旨>)

■立川白衛隊宿舎イラク反幟ビラ入れ事件
 二〇〇四年二月二七日、東京都立川市で長年反戦平和運動を行ってきた「立川自衛隊監視テシト村」のメンバー三名が、一ヶ月以上前の同年一月一七日に行ったとされる自衛隊立川宿舎への「イラク派兵反対」を内容とするビラ配りを理由に「住居侵入罪」で逮捕され、同年三月一九日に起訴された。逮捕直後の三月三日には、事件は「表現活動への抑圧」とする憲法学者らによる抗議声明が出され、また同月五日には逮捕勾留に疑問を呈する朝日新聞の社説が掲載され、アムネスティ・インターナショナルが三名を日本で初めて「良心の囚人」に認定するなどしたが、起訴後も身柄拘束は延々と続き、保釈が認められたのは第一回公判終了後、逮捕から七五日後の五月一一日だった。被告、弁護団は、五月連休明けから始まった裁判の中で、@本件起訴は政治的、選択的起訴であり、検察官による公訴権の濫用であるから公訴棄却がなされるべきである。A本件ビラ入れには、そもそも刑法一三〇条「正当な理由がないのに人の住居に侵入」という住居侵入罪の構成要件該当性がない、Bビラ配布、とりわけ政治的意見表明は憲法第二一条によって保障された権利であり、正当行為として違法性が阻却される、Cピラ入れによって居住者が不快を感じたとしても、それは刑事罰をもって臨むほどの違法性、すなわち可罰的違法性はない、等々主張した。とりわけ、BCについては、本件ビラの内容、配布の態様、時間帯、建物内の滞留時間、人数、ビラ入れによって生じた結果などを事細かに論じた。審理の中で、本件建物の管理者による「被害屈」の作成は警視庁公安部の刑事が代行したのみならず、その署名押印をもらうために自衛隊宿舎までわざわざ出向くなど、本件が公安警察の主導の下になされたことが明らかとなった。(二〇〇四年一二月一六日、東京地裁八王子支部で無罪判決)

■国家公務員法弾圧・堀越事件
 本件は、目黒社会保険事務所に勤務する国家公務員である堀越明男氏が、二〇〇三年の衆議院選挙の際、休日に赤旗号外・東京民報号外を配布した行為が国公務員法に違反するとして起訴された事件である。警視庁公安部は、二〇〇四年三月三日、堀越氏を国家公務員法違反容疑で逮捕するとともに、六〇名の警察官を卿員して、日本共産党千代田地区委員会、鞠子区議会議員事務所、同議員自宅、堀越氏自宅、目黒社会保険事務所、東京社会保険局の合計六か所の捜索差押を行った。本件は、現在東京地方裁判所刑事第二部(毛利晴光裁判長、佐伯恒治裁判官、松永智史裁判官)に継続しており、、これまで七回の公判が行われている。

■板橋高校卒業式威力業務妨害事件
 昨年一二月三日に、都立板橋高校元教員の藤田勝久さんが、威力業務妨害罪の嫌疑で東京地方裁判所に起訴された。起訴状には、藤田さんが保護者らに向かって「国歌斉唱の時は出来たら着席をお願いします」等と大声で申し向け、教頭・校長がこの言動を制止し退場を求めたのに従わず、怒号して会場を喧騒状態に陥れたと記載されている(週刊誌のコピー配布行為は公訴事突には掲げられていないことに注意)。藤田さんは卒業式に来賓として招待されており、卒業する生徒の生活指導も担当していた。藤田さんをよく知る保護者、生徒;教職員らは、口々に「藤田さんが卒業式を妨害するなんてありえない」と言い、.捜査・起訴を異常だと感じている。

■葛飾マンションビラ配布弾圧事件
 昨年一二月二三日午後二時すぎ、荒川さんは支持政党が出している「区議団だより」等を住民に屈けるため現場マンションに向かいました、そして、「共用玄関の集合ポストに配るような横着はしたくない、きちんと各家庭に届けたい」という思いからマンション内の各戸ドアポストに配布していきました。ところが、これを住民の一人が見とがめ、配布の理由等を説明する荒川さんを無視して一一〇番通報したのです。荒川さんは一貫してビラ配布の事実を全て包み隠さず認めていたにもかかわらず、裁判所は、@この事件が組織的に行われた犯罪であること、A組織的な背景に関する供述をしていないこと、を理由に証拠隠滅を図るおそれがあるとして、逮捕の日から合計して二〇日間に及ぶ身柄拘束を正当化したのです。捜査機関の過剰対応をチェックするどころか、区議会議員の議会活動報告に関わる行為を「組織犯罪」とみなすという暴挙に出た裁判所の対応は厳しく糾弾されなければなりません。

集会アピール

 私たちは、立川自衛隊宿舎反戦ビラ弾圧事件、国公法弾圧・堀越事件、葛飾マンションビラ配布弾圧事件及び板橋高校威力業務妨害弾圧事件の弾圧四事件について、本日、弁護士会館・クレオ(東京・千代田区霞ヶ関)において、共同して「これって犯罪? 暴走する公安と脅かされる言論社会」を開催した。
 四事件は、「イラク派兵反対」を内容とするビラ配りが「住屑侵入罪」に、政党機関誌号外を配布した行為が「国家公務貞法違反」に、議会報告を配布した行為が「住居侵入」に、「君が代斉唱の際には着席」を訴えた行為が「威力拳務妨害」にとわれるという、公訴事実、罪名、行為態様は異なるものの、いずれも政治的主張を含む言論・表現活動に対する、いわれなき弾圧であり、白由な言論社会においては、あってはならない不当な起訴である。
 私たちは、ビラ配布行為や自由な表現活動は、民主主義社会においてはもっとも尊重されなければならない墓本的人権だと考える。
 私たちは、四事件が、自衛隊のイラク派兵、改憲論議が本格化するなかで連続して起きたことに憂慮をおぼえる。
 私たちは、自由な言論活勲・表現活動の制約につながる本件起訴に強く抗議するとともに、裁判所が憲法と国際法を尊重する立場に立って公正な審理と適正な判断をくだすことを求める。

二〇〇五年四月六日

          集会参加者一同


歴史は繰り返すか

   
対朝鮮制裁論に右派論客からも異議

 小泉外交の行き詰まり、アジアでの孤立化が鮮明になりつつある今日、右派論客の中にも現状を危ぶむ声がでるのも当然ではある。だが、国連常任理事国入りの野望を公然とさせた日本政府と右派勢力に北朝鮮問題などを打開する「理性と展望」があるのか。
 朝日新聞社の「論座」二〇〇五年五月号は、「北朝鮮制裁論の愚−−保守派論客二人の徹底批判」と題して、森本敏・拓殖大学教授の「国際社会の外交圧力で体制変換をめざせ」と櫻田淳・東洋学園大学専任講師「『暴朝膺懲』の錯誤に陥らないために」の二本を掲載している。森本櫻田両人のれっきとした右派論客が、朝日新聞の雑誌に論文を書くのも珍しいが、現在の北朝鮮制裁論にたいする二人の危惧も大変なものだ。
 櫻田のものにはとくにそれが色濃いように思える。櫻田は、読売、朝日の世論調査をあげ(朝日の二月一九〜二〇日実施した調査では「経済制裁などの強い態度で臨むべき」とした六一%をこえた)、「北朝鮮に対する経済制裁の発動に関しては、既に国民的な合意が出来上がりつつあるようである」としている。
 この状況はある歴史的状況と同じだという。「振り返れば、昭和一二(一九三七)年七月、日中戦争勃発直後、我が国政府は『事態不拡大の方針』を決定していたにもかかわらず、近衛文麿は、『暴支膺懲』(ぼうしようちょう)の気分に浸った世論や軍部に迎合した発言を繰り返し、翌年一月には『爾後(じご)、国民政府を対手とせず』を趣旨する声明を出した。この『第一次近衛声明』は、以後の外交交渉による事態収拾の可能性を潰したという意味では、日本外交史における失敗の最たるものと評される。もし、今後、北朝鮮政府の姿勢が我が国の人々の感情を害するものであり続けるならば、たとえ小泉純一郎(内閣総理大臣)が『暴支膺懲』とも呼ぶべき雰囲気の中で『爾後、金正日を対手とせず』を趣旨とする声明を出したとしても、それが国内からの激しい批判に晒される光景は、率直に想像し難いであろう。しかし、北朝鮮政府は、外交交渉を進める相手であったとしても、懲罰を加える相手ではない。現下の対朝鮮経済制裁論議が、このことを踏まえないものであるならば、実際に導き出される政策は、相当に歪んだものになるであろう。対朝鮮制裁が現実の選択肢として語られれば語られるほど、それが『暴支膺懲』の錯誤に陥らないようにするための考慮は、大事なものなのではなかろうか」。
 事態は、右派論客の危惧する方向に確実に進んでいる。
 櫻田は、こうした方向はアメリカと書く。「ジョージ・W・ブッシュ(米国大統領)麾下の米国政府の対外政策展開は『悪の枢軸』といった言辞に対する批判や『単独行動主義』の性格を指摘する半ば定型的な評価にもかかわらず、北朝鮮情勢への対応に関しては抑制的な色彩を示している。たとえばブッシュは、米国東部時間二月二日夜、連邦議会で行った『一般教書演説』中、『われわれは、アジア諸国との連携を密にして、北朝鮮に核の野望を諦めるよう働きかけている』と語った。……また、ハワード・A・ベーカー(前駐日米国大使)が対朝鮮制裁に言及しとものとして、『制裁は多国間で行わなければほとんど効果がないと思う』」と言った。
 そして櫻田の提言だ。「第一に、我が国は北朝鮮に絡む諸々の問題が『国際社会の共通の問題』として定義し直されるように、意を用いなければなるまい」と。それは、日本の国連常任理事国入りとも関連づけられている。常任理事国入りという「大願成就」のためにも、「北朝鮮に絡む諸々の問題を『国際社会の共通の問題』として定義し直した上で、それに取り組むと表明しておくのは、我が国には誠に相応しいものなのではないか」。
 「第二に、我が国は『国際協調』の下での対朝制裁の発動を模索するなら、特に中国との関係を考慮しないわけにはいかないであろう。……中国が北朝鮮に対しては『抗米援朝』と称される朝鮮戦争以来の影響力を持っている事実は決して無視できない。我が国の人々は、その対中『感情』がどのようなものであれ、対朝政策を展開する際には、中国の対朝『影響力』による『協調』を期待しないわけにはいかないのである」。
 そして「他国からの『畏怖』より『共感』」が必要だともいう。戦争と植民地支配をまったく反省しようともせず、「つくる会」教科書の採択などをまたしても行った日本政府に、近隣諸国からの「共感」などあろうはずもなく、あるのは、軍国主義に傾斜する日本への批判の声の高まりと反日運動の拡大である。
 櫻田は、「我が国単独での早々の経済制裁発動」に賛成しない。それは「一般的に語られるように『制裁の効果が薄い』とか『北朝鮮暴発の契機になる』といった制裁発動の結果を何よりも懸念する故にではない。筆者が懸念するのは、まぎれもなく『制裁発動の結果、どのような状況が我が国周辺に出現するのか判然としない』という事実の故にである。……我が国単独の制裁発動は、それを決して歓迎していない中韓両国との関係に、どのような影響を及ぼすことになるのであろうか。……人間は全知全能の存在ではないのであれば、対外政策の構想、立案や遂行に際してこそ、『自らは決して総てを見通せるわけではない』という謙虚さが、誰にも要請されよう。我が国単独での制裁発動を求める議論に欠落しているのは、その『謙虚さ』なのではなかろうか」。
 以上、長く引用してきたが、右派言論人の一人としてメディアに登場することの多い櫻田のこの論文を読むと、制御できなくなったものをつくりだした悪魔の弟子の話を思い出す。石原慎太郎や安倍晋三のような右派勢力は、日本こそは全治全能であり、なんでもできると煽っている。教科書検定、島根県議会の「竹島の日」決議、過去の反省もないまま国連常任理事国入りを狙う傲慢さ、こうした一連のことが、なにをもたらしたのか。櫻田もふくめて、「謙虚」に反省すべきだ。かつて石原莞爾は「満州事変」を起こした。そして、それ以上の戦線拡大に反対した。だが、一度堰を切った奔流は簡単にはとどまらない。その流れの中で石原も押し流され、敗戦にまで行き着いた。
 中国や韓国で反日運動が拡大しているが、日本の戦争責任放棄・侵略の美化、再度の軍国主義化にたいする反対というその本質を見誤ってはならない。だが、この事態にたちいたってもまだ右派は真実を見ようとしない。四月一一日の「産経抄」は、北京、広州などでの反日デモについて次のように書いている。「日本の歴史認識がどうのこうのという先に、受験競争の激化と就職難でたまったストレスをとにかく誰かにぶつけたい学生や、高価な日本製品を好きに買える一部金持ちに嫉妬を燃やす市民の鬱憤が噴出したと見るべきだろう。それを対日圧力に利用したい政府の思惑もあったようだ」。
 こうした認識が今後いかなる結果をもたらすか、産経新聞もいつまでもこの言葉を忘れず、状況に向き合う姿勢をもっていくべきだ。

「國民政府ヲ對手トセス」政府聲明<昭和13(1938)年1月16日発表>
 帝國政府ハ南京攻略後尚支那國民政府ノ反省ニ最後ノ機會ヲ與フルタメ今日ニ及ヘリ。然ルニ國民政府ハ帝國ノ眞意ヲ解セス漫リニ抗戰ヲ策シ、内民人塗炭ノ苦ミヲ察セス、外東亞全局ノ和平ヲ顧ミル所ナシ。仍テ帝國政府ハ爾後國民政府ヲ對手トセス、帝國ト眞ニ提携スルニ足ル新興支那政權ノ成立發展ヲ期待シ、是ト兩國國交ヲ調整シテ更生新支那ノ建設ニ協力セントス。元ヨリ帝國カ支那ノ領土及主權竝ニ在支列國ノ權uヲ尊重スルノ方針ニハ毫モカハル所ナシ。今ヤ帝國ノ責任愈々重シ。政府ハ國民カ此ノ重大ナル任務遂行ノタメ一層ノ発奮ヲ冀望シテ止マス。

補足的聲明<昭和13(1938)年1月18日発表>
 爾後國民政府ヲ對手トセスト云フノハ同政府ノ否認ヨリモ強イモノテアル。元來國際法上ヨリ云ヘハ國民政府ヲ否認スルタメニハ新政權ヲ承認スレハソノ目的ヲ達スルノテアルカ、中華民國臨時政府ハ未タ正式承認ノ時期ニ達シテヰナイカラ、今回ハ國際法上新例ヲ開イテ國民政府ヲ否認スルト共ニ之ヲ抹殺セントスルノテアル。又宣戰布告ト云フコトカ流布サレテヰルカ、帝國ハ無辜ノ支那民衆ヲ敵視スルモノテハナイ。又後國民政府ヲ對手トセヌ建前カラ宣戰布告モアリ得ヌワケテアル。


せ ん り ゅ う

 小泉のよだれで郵貯臭くなる

 郵貯に財閥の舌(べろ)がのびていく

                ゝ 史

 ○ 『江戸川柳で現代を読む』小林弘忠著を読んでいて江戸川柳の風の作をしてみた。
 
 ほめられる児に母親のひと自慢

 客観句である。江戸時代の川柳はみな客観句で主観句はない。理由は簡単だ。すべての作品に作者名がついていない、作者不明である。これが理由だ。自分の内面を描いても作者不明では読む者にとって空疎である。この点は俳句とは際立って特徴的とおもう。作者名とともに発表される俳句では主観句が可能だ。
 松尾芭蕉の
 
 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

 を例としてあげておきます。この作も作者不明だったら作品としてだめだろう。主観句的表現でも可能になったのは、作者名をもって発表されるようになった最近のことのように思う。時実新子の集が典型例であろう。自己観察をする現代川柳風の作をしてみた。

 捨てあぐね亡き母の使いしものを  ゝ史

 主観句である。

 古川柳よめぬは僕がバカの壁

二〇〇五年四月


複眼単眼

  
危険な風潮  対北朝鮮先制攻撃まで考える自衛隊

 四月八日の「産経新聞」報道によると、防衛庁が一九九四年に「ミサイル脅威」に対応するため、「対北朝鮮、先制攻撃作戦シュミレーション」をやっていたという驚くべき事件があったようだ。
 この時の「朝鮮半島の核危機」は以降の日米安保体制や現代改憲論に重大な影響を与えた事件だ。「全てはここから始まっている」とでも言うべき問題だったが、今回、発覚した防衛庁の「先制攻撃作戦」はこの認識を裏付けるものだ。
 当時は、一九九三年五月に北朝鮮のミサイルの発射実験が日本海に向けて行われたり、同国の核開発・核保有疑惑もあって、米朝関係、東北アジア地域が極度の緊張をました時期だった。この時米軍は真剣に北朝鮮核基地先制攻撃を検討し、日本に対して一〇五九項目の対米軍支援要請をしてきた。これは米軍の戦争に本格的に兵站支援を要求するもので、日本政府は検討はしたが、法制上、この支援を断念せざるを得なかった。結局、米国はカーター元大統領の訪朝によって、この危機を収めたのだが、以降、この教訓に基づいて、日米安保の再定義、新ガイドライン、周辺事態法、有事三法、有事七法と戦争法の整備をすすめ、いよいよ」集団的自衛権行使のための憲法改悪まで射程に入れるところまで来た。
 一九九四年の朝鮮半島核危機とはかように歴史のメルクマールをなす年だ。
 ここで防衛庁がミサイル先制攻撃のシュミレーションをしたというのだ。当時の防衛庁の危機感が極めて鮮明に出ている。いや、危機感というよりは、米軍が攻撃したときに、防衛庁=自衛隊が可能なら積極的に呼応したいという好戦主義の表れというべきだろう。
 「産経」によれば、九三年末から九四年にかけて、内局が陸海空各幕僚監部に「有効な方策の有無」を極秘に検討させた結果、陸幕と海幕は「能力なし」と回答したが、空爆は「攻撃能力はない」と回答しつつも、どのような攻撃が可能かの検討内容を内局に回答したという。
 具体的には、空自のF4要撃戦闘機、F1支援戦闘機が小松基地や美保基地から北朝鮮に飛び、地上レーダーの攪乱などで米軍の支援を受けつつ、高々度で接近し、低高度でミサイル基地を攻撃し、高々度で離脱するというものだった。結論は「敵地まで爆弾を運び、爆撃する能力はあるが、情報収集能力や電子戦能力などでは有効な攻撃が確実にできるとはいえない」との結論に達したのだという。
 これは許されざることだ。憲法は外国の基地を攻撃するなどいかなる意味においても容認しない。シュミレーションをすること自体が許されないことである。わが国最大の武力組織である防衛庁・自衛隊の「憲法擁護義務」はとりわけ厳重であるべきであるにもかかわらず、このような作戦計画が検討されたということは大きな問題だ。昨年末の吉田二佐の改憲案作りにも見られたように、やはり防衛庁の中では戦争をしたくてたまらない勢力が、春がきたとばかりにうごめいているようだ。
 石破前防衛庁長官はまたぞろ「徴兵制は憲法違反ではない」などと叫び始めた。彼は「徴兵制をいま行うことには反対だが」との前説を付けて、この道を掃き清めようとしている。
 防衛庁や防衛族のこうした独断専行を絶対に許すな。  (T)