人民新報 ・ 第1165 号<統合258(2005年4月25日)
  
                  目次

● 「反日デモ」の責任は日本政府にある  アジアの抗議に応えよう

● 国会憲法調査会が最終報告  9条改憲阻止へ壮大な闘いを

● 弁護士、マスコミ関係の労組などによる憲法改正国民投票法案を考える集会

● 第76回メーデーにあたって  /  労働者社会主義同盟中央常任委員会

● 辺野古沖新基地建設阻止  ジュゴンとさんごの海を守ろう

● 辺野古での攻防戦  5・15普天間包囲大行動の成功を

● 労働契約法制が改悪される !

● 資料  「日本はどのような反省が乏しいのか(評論)」 

● 複眼単眼  /  憲法普及の経緯雑感




「反日デモ」の責任は日本政府にある

               
アジアの抗議に応えよう

 小泉内閣の発足以来、首相の靖国神社参拝、イラクなどへの海外派兵、戦争のできる国づくり、侵略戦争・植民地支配美化をする教科書の採択などなど反動的な政策が一気に推し進められた。そして、両院の憲法調査会最終報告の採決によって憲法九条改悪の策動は新しい段階に入った。
 こうした状況の中で、中国、韓国で激しく展開されるようになった「反日デモ」は、アジアの人びとを大虐殺したにもかかわらず、それを反省もせずに、いままた軍事大国化し、国連常任理事国入りまで野望を拡大させている日本への怒りの行動として、起こるべくして起こったものである。しかし、日本政府やマスメディアは、反日デモは日本に対するものではなくて、それらの国の社会的矛盾による不満を愛国教育と排外主義的な反日デモによって解消させるものだとし、逆に謝罪と補償を求めている。しかし、日本政府は、まず過去のみずからの侵略・殺人・破壊行為に対して謝罪し、補償をしなければならない立場にあることを忘れてはならない。
 強がりをいっていた日本政府だが、アジアからの批判の拡大を恐れいささかの軌道修正をせまられることになった。
 ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)五〇周年の首脳会議で、小泉首相は植民地支配と侵略によって損害や苦痛を与えたアジア諸国の人びとに「痛切な反省と心からのおわび」を表明するなど、村山首相談話(一九九五年)に基づく歴史認識を改めて強調するはめになった。このことに関して、日本政府は最近の対中国、韓国関係をきっかけとして盛り込んだものではないとの立場であるが、産経新聞など右派言論は「屈服だ」として反発を強めている。
 また、同二二日には、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー自民、民主両党の国会議員八〇人が春季例大祭に靖国を参拝し、小泉の靖国参拝をもとめている。

 四月二二日には、ピースボート有志の呼びかけによる「緊急ピースマーチ アジアの抗議に応えよう!〜『反日』デモは日本政府の責任〜」が行われた。
 午前一一時に芝公園四号地に結集し、文部科学省など霞ヶ関官庁街を通って日比谷公園までデモを行った。参加者は、「反日游行是日本政府的責任(反日デモは日本政府の責任)」、「南京大虐殺を忘れるな」、「扶桑社の歴史教科書の検定合格撤回を」、「文科省は文句省」、「戦争に導く教科書はいらない」など日本語、中国語、朝鮮語、英語で書かれたプラカードをかかげて後進した。
 沿道で配布されたビラは次のようにアピールしている。
 「……そもそも中国で『反日』デモが広がったのは、小泉首相が過去の侵略戦争の責任者が祀られている靖国神社を訪問したり、日本の過去のアジア諸国に対する侵略戦争や植民地支配を正当化する歴史教科書を文部科学省が検定で合格させたためです。一九七二年の日中共同声明では、『過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する』という文言が謳われています。過去の侵略戦争に対する反省は日中国交正常化の大前提であったはずです。中国人が日本軍に殺されたり、生物化学兵器の人体実験の対象にされたりといった話を日頃おじいちゃんやおばあちゃんから聞いて育った中国の若い世代が日本の過去の侵略戦争を正当化する教科書を許せると思いますか? 戦争は過去のことでも歴史教科書の記載内容は今の問題です。日本の子どもたちにとっても、ヒロシマ、ナガサキの悲劇(被害者は日本人だけではありません)を伝えることが重要なのと同様に、日本軍がかつて中国で行ったこともきっちりと日本の教科書に記載することが未来に同じ過ちを繰り返さないために必要なのだと思います。人を殴っておいて、その殴られた人が怒ったとき、『もっと冷静になろうよ』と殴った側が言うのはおかしいと思いませんか? 日本の市民が今なすべきことは、まず日本政府に中国政府と中国の市民に謝罪させることであり、そして、過去の日本の侵略戦争を正当化する扶桑社の教科書の検定合格を撤回させ、今後、小泉首相に靖国神社への参拝を取りやめさせることです」。


国会憲法調査会が最終報告

       
9条改憲阻止へ壮大な闘いを

 四月一五日、衆議院憲法調査会は最終報告書の強行可決した。各種世論調査はいずれも九条改憲反対派が多数を占めていることを示しているにもかかわらず、衆院憲法調査会は九条改憲が多数意見だとして、改憲に道を開いた。自民党など改憲派は、衆院憲法調査会報告につづいて、今国会で改憲のための国民投票法を成立させようとしている。改憲の動きは新しい段階に入った。衆院憲法調査会報告決定を前に、5・3憲法集会実行委員会主催による「憲法調査会最終報告書に異議あり!私たちは憲法改悪を許さない!」緊急集会(一四日)が、そして当日の一五日には朝から国会前で抗議集会がひらかれるなど、さまざまの運動・団体などから反対の声明が出さるなどいろいろな行動が展開されている。韓国、中国などでは、激しい「反日」デモが起こっているが、その批判の的は、侵略の過去を反省せず、平和憲法を変え戦争の出来るようにしようとしている日本政府に向けられている。改憲策動を、日本とアジアの民衆の連帯した力で阻止していこう。

 * * * *

許すな!憲法改悪・市民連絡会の声明

 衆議院憲法調査会最終報告書の強行可決に抗議し、改めて九条改憲反対の壮大な運動の形成のために奮闘することを表明します


 四月一五日午前、衆議院憲法調査会はわずか三五分間の討議を経て、少数意見を押し切って起立採決しました。
 私たちは二〇〇〇年一月の両院憲法調査会の発足以来、これに重大な関心を持ち、審議を欠かさず傍聴してきました。しかし、この度の最終報告書の強行議決は第九条をはじめとする憲法の改悪に道を開くものであり、戦争のできる国作りをめざす動きに連なるものにほかならず、この暴挙に対して心からの怒りを込めて抗議します。
 最終報告書は今日の憲法問題の最大の焦点である憲法九条を変えて、軍事力を保持する方向にそった意見が多数であったなどと報告し、九条改憲の動きを後押ししています。しかし、調査会での発言の多寡で報告書をまとめるのであれば、五〇人の委員中、二六人が自民党で占める憲法調査会の結論は最初から明らかでした。こうした主張は真剣に憲法を調査しようとするのではなく、はじめに改憲ありきの乱暴きわまりない論理です。これは民主主義の原理にそむくものであり、議会制民主主義による国会の自殺行為だといわねばなりません。
 憲法調査会が各地で開催した地方公聴会では陳述者の圧倒的多数が九条改憲に反対したこと、この間のマスメディアの世論調査ではいずれも九条改憲に反対の意見が多数を占めていることなどを考えれば、永田町の憲法調査会での多数意見が民意と乖離していることは明らかです。報告書採決の後の談話で改憲派政党の代表が、これを「国民の憲法に対する無関心」のせいだと説明しましたが、こうした責任転嫁の論理は許されるものではありません。
 憲法第九条二項が「前項の目的を達するため」で始まるように、もともと憲法九条第一項と第二項はセットであり、分離できないものです。それを平和憲法の全面否定ととられるのを避けるために、「第一項はそのままでよいが、第二項は現実にあわせて変えなくてはならない」などと主張し、九条改憲をすすめようとするのは政治的な詐術だにほかなりません。
 さらに今回の最終報告書は「五年を目途」に憲法を「広範かつ総合的に調査する」という、調査会設置に際しての当初の約束に公然とそむき、調査会の継続と、議案審議権のある常任委員会に衣替えしようとしています。そして、ここで憲法改悪のための手続き法である「憲法改正国民投票法案」を審議し、将来の改憲案の審議に道を開こうとしているのです。このようなルール違反を国会が率先して行うことは人びとの政治への不信を大きく拡大するだけです。
 この憲法改悪の動きはアジアの人びとの日本に対する警戒心をいっそう強め、北東アジアの緊張を増大させるものです。「国際平和を誠実に希求」する私たちは、国内外の平和を願う全ての人びとともに、憲法調査会最終報告書の強行議決に抗議し、改めて九条をはじめとする憲法改悪を阻止するために、広範な連携と力強い運動の形成のため努力することを決意します。

二〇〇五年四月一五日


弁護士、マスコミ関係の労組などによる憲法改正国民投票法案を考える集会

 四月一八日、参議院議員会館で、「自由な報道なくして、改憲案の是非を判断できるのか〜『憲法改正国民投票法案』を考える緊急院内集会〜」がひらかれた。主催は、表現・報道の危機を考える弁護士の会、出版労連、民放労連、新聞労連など。

 第二東京弁護士会副会長の朝倉淳也弁護士が弁護士会の国民投票法案に対する態度について発言した。
 日弁連は二月一八日に「憲法改正国民投票法案に関する意見書」をだした。第二東京弁護士会は、四月八日に、「憲法改正国民投票法案についての会長声明」を出したが、それは日弁連の意見書では表現の自由についての指摘が弱かったので、その問題を中心にしている。声明では次のように言っている。
 国民投票法案は、国民主権を実効あらしめるための表現の自由の重要性を考慮することなく、憲法改正案に関する評論、あるいは意見表明の自由や、憲法改正に賛成又は反対の投票を目的とする運動を罰則付きで広範に規制しようとしています。例えば、(一)新聞・雑誌に評論を掲載することの制限(七〇条三項)(二)意見広告の禁止(七〇条一項・二項)(三)予想投票の公表の禁止(六八条)(四)外国人の国民投票運動の禁止(六六条)などがそれにあたります。
 表現の自由は、憲法の中でも、国民主権・民主主義を実現するための根幹をなす重要な権利・自由です。その理由は、国民が国政に関して自由な意思決定を行うためには、様々な意見や情報に触れる機会が保障され、自由な意見交換が保障されている必要があるからです。殊に、憲法改正手続においては、主権者である国民が、改正に関する多様で十分な情報、政治的意見や議論に可能な限り触れ、そのうえで、自由な意思決定が出来るようにしてこそ、国民主権の発現とされる憲法制定権の行使が可能となるのです。憲法そのものの正当性の根拠が国民の意思にあると言えるためには、改正に関する表現の自由が強く保障されなければなりません。
 
 第二東京弁護士会憲法問題検討委員会委員長の木村庸五弁護士が、憲法改正国民投票法案の問題点について報告した。
 第二東京弁護士会は、平和主義、基本的人権の保障などを規定する日本国憲法を尊重する立場から、有事法制関連法案の成立及びイラクヘの自衛隊派遣に反対をしてきた。近時、憲法改正論議が国会の内外で高まり始め、与党では今国会に日本国憲法改正国民投票法案(以下「法案」という)、国会法の一部を改正する法律案等を上程すべく検討が進められていると聞く。当会は、憲法の平和主義を空洞化させる動きや表現の自由を損ないかねない動きにはその都度見解を明らかにして国民の意見形成の一翼を担ってきているが、今回の「法案」には以下述べるように看過できない極めて重大な問題点が含まれている。「法案」では、国民投票に関し憲法改正に対し賛成又は反対の投票をさせる目的をもってする運動」を「国民投票運動」として、同運動に対する著しく広汎な規制をおいており、とりわけ以下のような問題がある。
 第一には、新聞・雑誌に評論を掲載することの制限だ。「法案」では、「国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって」新聞・雑誌に「編集その他経営上の特殊な地位を利用して」国民投票に関する報道・評論を掲載したりさせたりすることを禁止している(七〇条三項)。
 しかし、新聞・雑誌が、特定候楠者の当選を目的にしてその候補者を誉めたり他の侯補煮を非難したりすることは許されないとしても、憲法改正案の是非を新聞・雑誌が記事にしたり評論したりすることを禁止することは、規制の必要性・合理性がない。
 第二に意見広告の禁止。「法案」では、有償で新聞・雑誌に国民投票に関する報道・評論を掲載させることを禁止している(七〇条一項・二項)。選挙の際に特定侯補者の当選のために新聞に意見広告を出すことは、弊害が多いとしてその禁止が許されるとしても、意見広告は、情報を発信する手段を有しない一般の国民にとって極めて重要な表現手段であって、憲法改正内容について国民が意見広告を新聞に掲載することを禁止すべき必要性はない。
 第三に予想投票の公表の禁止。「法案」は、国民投票の結果を予想する投票の経過や結果を公表してはならないとしている(六八条)。しかし、選挙に際して侯補者の人気投票の結果を明らかにすることは、選挙を見せ物化するなどの弊害が多いがゆえに禁止されることに合理性があるとしても、憲法改正内容の是非を地域や職場などでアンケート投票を実施してこの結果を投票日前に明らかにする行為を禁止する必要性はない。国民投票運動の手段・方法は基本的に国民の自由な選択に任せられるべきであり、このような規制は表現の自由の過度な制限にあたる。
 第四に歪曲報道の名による萎縮効果。「法案」は、虚偽の報道や「事実をゆがめて」報道・評論することを禁止している(六八・七一条)。特定侯補者に対する虚偽の事実を報道したり事実を歪める報道をしたりすることは、選挙期間が短期であることも考慮すると、選挙の公正を著しく害して当該候補者本人にとって回復しがたい損害を与えるから、選挙については虚偽報道を禁止すべき必要性がある。しかし、憲法改正内容の是非の議論は、その前提となる社会的事実の認識、評価、憲法改正が将来の日本国内外における影響など、議論の内容が候補者選択の場合と比較にならないくらい幅広くなるのであって、その「虚偽」であるか「歪曲」であるかは一律かつ明白に判断することができない場合がありうる。虚偽報道・歪曲報道を罰則付きで禁止することは、表現の自由を著しく萎縮させることが明らかである。
 憲法改正は国民主権をまさに実現する過程であって主権者たる国民の意思が最大限尊重されるべきであること、その前提として多種多様かつ自由な情報の流通がなければ、主権者たる国民の自由かつ合理的な判断も不可能となる。国民投票に関する虚偽報道・歪曲報道を理由とする規制は、表現の理由を過度に抑制し、国民主権の発現さえも困難とさせるものである。
 第五に教育者の運動の禁止。「法案」は、教育者が「学校の児童、生徒及び学生に対する教育上の地位を利用して国民投票運動をすること」を禁止している(六五条)。しかし、選挙に際して教育者が特定候補への投票を呼びかけることは、不当な地位利用になりかねないからこれを一定の場合に禁止することが合理的であるとしても、憲法改正内容の是非を講義で論じたり、対外的に意見を発表したりする行為は、教育者であっても禁止される理由がなく、必要最小限度の規制とは到底言えない。
 第六に公務員の運動の禁止。「法案」は、国家公務員、地方公務員、独立行政法人の役員・職員、公団等の役職員に対し、地位を利用して国民投票運動をすることを禁止している(六四条)。しかし、選挙に際して一定の公務員が特定侯補への投票を呼びかけることについては禁止することが合理的であるとしても、憲法改正国民投票運動について、公務員全般に規制を及ぼすことは合理的な限度を超えた過度の規制である。
 第七に外国人の運動の全面的禁止。また、「法案」では、「外国人は国民投票運動をすることができない」としている(六六条)。国民投票運動の一環として街頭カンパ活動をした際に外国人からカンパをもらうことも、集会に外国籍のパネラーを招いて意見を発表してもらうことも許されないと解されるおそれがある。このように、運動から外国人の関与を一切排除するというのは、外国人が多く日本に居住し、外国人との婚姻が顕著に増加しているなど、日本及び日本人を取り巻く状況が著しく国際化していることを踏まえると、明らかに時代錯誤というほかない。外国人もまた、憲法上表現の自由を保障されており、その制限は必要最小限のものでなけれぱならないことは言うまでもない。投票権自体は国民にあるとしても、外国人にあらゆる態様での国民投票運動への参画を全面的に禁止することは、表現の自由を過度に制限するものである。

 作家の吉岡忍さんは、所属する日本ペンクラブの国民投票法案に反対する三月一五日の声明を紹介し、中国や韓国での反日デモは日本の戦争に対する反省がないことからおこっているが、憲法を変えることでアジアからいまどころではない反応がかえってくだろうと、述べた。
 月刊「創」編集長の篠田博之さんは、いま国会・永田町と市民社会の乖離は大きいが、マスコミは国民投票法などについてもしっかりとした報道をしていない、新聞協会や民放連など経営社側も今日のような論議の場に参加すべきだ、と述べた。
 新聞労連、出版労連、民放労連などマス・メディアの労働組合代表からの発言、会場からの発言があった。
 閉会のあいさつで、「表現・報道の危機を考える弁護士の会」の梓沢和幸弁護士が、弁護士の会は国会議員やメディアの論説委員の一人ひとりに良心をかけて手紙を書き返事をもらう活動を行い、また国民投票法をばっさり斬るパンフをつくり、反対運動をひろげていく、と述べた。


第76回メーデーにあたって

 
アジア民衆とともに日本の軍国主義化・憲法改悪阻止へ !

                
 労働者社会主義同盟中央常任委員会

 アメリカ帝国主義ブッシュ政権の無謀なイラク侵略戦争開始から二年余がたちました。アメリカが開戦の口実としたフセイン政権の大量破壊兵器の保有もアルカイダとの連携もまったくの「嘘」であることが明らかになりました。アルグレイブ収容所での拷問・虐待、ファルージャでの虐殺などなど、アメリカの戦争の醜い本質も明らかになりました。二年前の五月一日、ブッシュは勝利宣言を謳いあげました。しかし、今日、アメリカをはじめとする占領軍とそれに支援され防衛されて存在するイラク「政権」は反米抵抗運動の渦中にあります。
 この大義のない戦争に日本の小泉政権は積極的に加担して自衛隊を派兵しました。自衛隊は何もすることなく外国軍隊に守られながら「宿営地」に閉じ込もっています。開戦の口実の欺瞞性が暴露され、反米の気運がイラクや中東に広がっているにもかかわらずアメリカは撤兵しようとしません。アメリカ本国では、イラク派兵を恐れて陸軍や海兵隊に兵士が集まらない状況になっています。イラク占領軍の中では自衛隊を守っていたオランダ軍も兵員を引き上げました。アメリカは世界に広がる反米気運の中で孤立し、財政赤字、経常赤字の急速な増大など経済的にも苦境に陥り、ドル暴落の接近が言われています。
 小泉政権は、自衛隊をイラクに派兵し、イラクの人びと支配する体制の一翼を担っています。憲法九条の平和主義の原則を公然と踏みにじって、再び戦争のできる国家づくりを強行しています。そして、国連常任理事国入りで政治大国として登場し、アメリカの側に立って世界政治を動かそうとしています。この四月には、衆参両院の憲法調査会の最終報告がだされました。なかでも衆院のそれは、憲法九条の改悪を多数意見だとしています。自民党の新憲法試案では露骨に軍隊の保有、海外派兵を主張しています。そして、改憲の手続きをさだめる国民投票法案の今国会への提出・成立を狙うなど憲法改悪策動は新たな段階に入りました。憲法九条を改悪するということは、憲法下で保障されてきた平和と民主主義が否定されるということです。いま、日本は政治的に大きく右傾化しようとしています。北朝鮮への制裁論、都教委の日の丸・君が代の強制とそれに従わない教職員の処分、島根県議会の「竹島(独島)」領有決議、侵略を美化する「つくる会」教科書の採択などがつづいています。日本がみずからの侵略戦争・植民地支配を反省していないばかりか、ふたたびアジアに軍事的にも君臨しようとすることを象徴的に示しているのが、A級戦犯を祀る靖国神社への小泉首相や閣僚の参拝です。
 しかし、これらの危険な動きは国の内外からの大きな批判を巻き起こしています。韓国では、小泉の靖国参拝、歴史認識問題、「独島」防衛の激しい運動が展開され、日帝支配時代の被害の調査が進められています。盧武鉉大統領は三月に日韓関係の見直しの演説を行い、韓国政府は従来の日米韓同盟からの離脱の動きをはじめました。中国では、激しい反日デモが各地で起こりました。中国の民衆は、小泉政権の傲慢な態度に怒っているのです。
 いま、日本のアジアでの孤立が明らかになってきています。日本政府やマスコミは、アジアでまきおこる反日運動は、韓国、中国などの愛国主義教育とその国内矛盾のガスぬきであり、戦後日本の平和的発展が教えられていないための「誤解」だといっています。たしかに、戦後の日本には平和主義が存在しました。それは、憲法九条と反動化と闘う民衆が支えてきたものです。しかし、自民党などは結党以来の基本方針として「憲法改正」をおいてきたのです。アジアでの反日行動の鉾先は、憲法九条によって担保されてきた戦後日本の平和を憲法改悪によって絞め殺そうとする小泉政治に正しくむけられているのであり、決して「誤解」にmoとづくものではありません。日本政府は、アジアの人びとの正当な声に耳を傾け、戦争・侵略戦争を反省し、軍事大国化・海外派兵などはやめければなりません。首相の靖国神社参拝などはもってのほかです。小泉政権・自民党が、九条改憲を断念しなければ、これからはいっそう激しい反日行動がアジア各国で拡大して行くでしょう。
 私たちは、日本の軍国主義化・憲法改悪阻止の闘いを断固としておしすすめて行かなければなりません。このアジアの民衆と共通の敵を撃つものです。そしてこの闘いの中で、真のアジア連帯をつくり出していくことができるでしょう。
 日本では現在、社会的な格差が拡大しています。いまのような新自由主義政策の下では、ひとにぎりの「勝ち組」の大企業家が巨大な富を独り占めにし、それと対称的に失業者や不安定雇用労働者が増大していきます。若者のあいだにはフリーター、ニートがひろがり、将来への希望が見いだせない状況になっています。いま労働組合の闘いが求められています。労働者はいまの資本主義体制と闘わなければ生きて行けません。要求を鮮明に掲げたさまざまな市民運動が断固として進出する時です。
 大衆運動の前進をかちとり、社会主義勢力の再編・統合の道に大胆に踏み出し、具体的に実現しましょう。
 全世界のプロレタリアは団結し、全世界のプロレタリアと被抑圧人民、被抑圧民族は団結して、共同の敵に反対しよう!

二〇〇五年五月一日


辺野古沖新基地建設阻止

    
ジュゴンとさんごの海を守ろう

 四月一六日、上野水上音楽堂で「ジュゴンとさんごの海を守ろう 沖縄に新しい米軍基地はいらない 集会&コンサート」が開かれた。主催は、辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会と沖縄選出国会議員(照屋寛徳、糸数慶子、喜納昌吉、赤嶺政賢、東門美津子、大田昌秀)。
 午後二時からはデモで上野公園周辺の大勢の人びとに、普天間基地撤去、辺野古沖新基地阻止のアピールを行った。
 午後三時半からはステージで集会とコンサートがはじまった。
 沖縄一坪反戦地主会・関東ブロックの上原成信さんによる主催者代表あいさつにつづいて、宜野湾市長の伊波洋一さんのメッセージ(別掲)が紹介された。
 つづいて、沖縄大里教会牧師、沖縄平和市民連絡会(沖縄から基地をなくし、世界の平和を求める市民連絡会)共同代表で、辺野古現地座り込みではつねに阻止闘争の先頭で闘っている平良夏芽さんが「辺野古からの訴え」。
 辺野古に新基地建設の決定があってから、オジーとオバーが座り込みを始め、そして昨年の四月一九日に防衛施設局は工事を強行しようとして闘いは厳しい段階に入った。あれから今日で三六三日になる。本当に長い闘いだ。国は基地建設のために昨年末までに六三カ所のボーリング調査を完了すると豪語していたが、現在まで一カ所の穴も掘らせていない。私たちは毎日辺野古の陸で、海で阻止するために頑張っているが、私たちだけだったらこの阻止はできていないと思っている。辺野古のオジー、オバーを中心とする多くの人たちの熱い思いと決意、全国から集まってくる人たちの参加、カンパ、今日集まっている一人ひとり、そして今日ここに集まれなかったけれど思いを辺野古に繋げてくださっている一人ひとり、その思いと決意がボーリングを阻止する力になっている。私は、今日集まってくださった皆さんにお礼は申し上げない。ここに集まった方、集まれなかったは、この出来事の主人公であり主体者だからだ。その一つ一つが繋がって今の奇跡を生み出している。
 マスコミで辺野古建設案の見直しということが報道され、私たちは本当に抱き合って喜んだ。しかし、この報道は戦略的な非常に巧妙に組まれたリークだったと思う。辺野古は終わったという誤解が全国に広がっている。辺野古への関心が薄らいでいる。辺野古に駆けつける人たちの人数が低下し、カンパも集まり方が遅くなっている。色んな状況からそうではないかなというふうに思っている。
 一ヶ月前の三月一六日に、施設局は作業を強行しようとした。私たちは出せる限りの船を出して、台船が穴を掘るその定位置につくことを阻止しようとした。このときに、今までずっと少し離れた所で中立的な立場を維持していた海上保安庁が、私たちに向かって牙をむきだした。その日、私たちの船が五隻拿捕された。辺野古の闘いは、本当に身を挺した命がけの闘いだ。一二月の中旬以降、多くのケガ人が出ている。しかし全国の皆さんが関心を持ってくださり、そして多くのウミンチュたちが辺野古に駆けつけてくれたことによってケガ人が出るということはストップした。しかし今でも強行はされる可能性はある。来週一週間は本当に沖縄は厳戒態勢に入る。おそらく二四時間体制に入り、夜のうちに彼らが動いても対応できるような厳戒態勢に入ると思う。来週は不慣れな方たちも含めて、覚悟のある方たちにヤグラに上っていただく必要があるんじゃないかと思っている。海上のヤグラの上に一〇人、二〇人近くの人が上ってくださったら施設局が強行してきても作業することはできない。人数が拮抗していたら向こうの作業員と人数が拮抗していたら暴力沙汰が起き、私たちはいつも襲われてきた。ぼこぼこに殴られてきた。私も鉄パイプで殴られ、海に突き落とされた。しかし、こちらの人数が多ければ向こうはあきらめる。具体的な人数が必要だ。時間と気力、体力のある人は来週沖縄の辺野古に主体的に結集してほしい。集まれない人たちは、防衛庁、防衛施設庁に辺野古への強行をするなということをファックスでもメールでも手紙でも、行って直接声を届けるなり、必ず声を届けていただきたい。多くの人たちが辺野古のことについて関心を持ち続けている、自分たちは忘れない、絶対に沖縄と繋がってこのことを阻止し続けるんだということを声を届け続けたら、その声によって私たちは守られる。皆が主人公だ。皆さん一人ひとり止めているんだという自覚と自信を持って、この後もきっちりと基地建設を止めていこう。そして、いつになるかわからないが、白紙撤回のお祝いを、日本全国で本当に一日も早くやりたい。
 全国からの連帯メッセージは、フォーラム平和・人権・環境、全国労働組合連絡協議会、日本平和委員会から行われた。
 つづいて各地で米軍基地と闘う団体からのアピール。
 「キャンプ座間への米陸軍第一軍団の移駐を歓迎しない会」
 二月一九日にはキャンプ座間を包囲する行動が成功した。基地の地元の座間市や相模原市では、自治体なども積極的に動き始め、国への要請行動を何度も繰り返している。市役所や自治会の掲示板に移駐反対のポスターが張り出されるようになっている。座間では市民の半数を越えることを目標に基地反対署名がはじまった。ラムズフェルド米国防長官に一万の手紙をだし、移駐反対の意思を伝える運動もある。
 「横田基地飛行差し止め訴訟団」
 飛行差し止め訴訟は一九七四年に横田ではじまったが、それが厚木、小松、嘉手納、普天間そして韓国へと広がった。米軍基地を同時多発的に包囲する闘いが必要だ。裁判所もあまりに酷い健康被害などを見て損害賠償の判決を出すようになった。しかし過去の問題だけでなく、現在の飛行を止めることを求めて、「たとえ子孫に美田を残さずとも、静かな空を残す」というスローガンで闘っていきたい。
 「すべての基地にノーを・ファイト神奈川」 
 神奈川では、キャンプ座間の問題以外にも、横須賀米海軍基地への原子力空母の配備、逗子の池子米軍住宅地の建設がある。しかし原子力空母配備については、反対署名が多く集まり、横須賀市でも市長も市議会も反対の態度だ。池子の問題では横浜市長が受け入れを表明しているが、地元の人の怒りは大きくなっている。
 在日韓国民主統一同盟の宋世一事務総長は、在韓米軍の削減などが伝えられているが、これは、アメリカの先制攻撃戦略の具体化であり危険なものだ、米軍の北朝鮮の異変に介入する軍事戦略に韓国政府は反対した、これは韓国内での米軍にたいする批判の強まりのあらわれだ、と述べた。
 その後、休憩をはさんで第二部のコンサート。海人(うみんちゅ)のエイサー、花&フェノミナンのバンド演奏が行われた。

宜野湾市伊波市長 メッセージ

 こんにちは、宜野湾市長の伊波洋一です。 
 「ジュゴンとさんごの海を守ろう 沖縄に新しい米軍基地はいらない&コンサート」に参加者のみなさんへ沖縄から連帯のメッセージを送ります。
 私は、普天間飛行場を抱える宜野湾市長として、米軍へリによる事故や騒音から市民の生命と健康、財産を守ることが行政の使命であると考え、就任以来、日米両政府に対して普天間飛行場の早期返還を求め続けています。宜野湾市では、普天間飛行場返還アクションプログラムを策定し早期返還に向けた取組みを展開しており、その一環として昨年五月一六日には、一万六千人を超える県民・市民と共に、人間の鎖によって三度目の普天間基地包囲を行いました。
 また、七月には日本政府のみならず、米国務省並びに国防総省をはじめとする米国政府関係機関、太平洋軍海兵隊司令部等への要請行動を通じて、普天間飛行場が及ぼす被害の実態とその危険性を強く訴えてまいりました。
 ところが、そのような取り組みの最中、昨年八月一三日、米海兵隊CH53D大型ヘリが、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の本館に墜落、激突して爆発するという最悪の事故が発生しました。
 大学構内には、夏期講座受講中の学生や執務中の職員が多数いたにもかかわらず、民間人の死傷者が出なかったことは、奇跡としか言い様がなく、真っ黒に焦げた木や校舎の側壁など、現場の物語る悲惨な光景は、同様の事故がいっ起きてもおかしくないことをまざまざと市民に見せつけました。
 墜落事故を受けて、九月一二日には「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に抗議し、普天間飛行場の早期返還を求める宜野湾市民大会」を市内六九団体で構成する実行委員会の主催で開催し、当初予定の一万人をはるかに上回る三万人を超える参加者の動員と、六万六三四二人分(最終的には七万三二五三人)の署名が集まりました。
 これらの数字は、普天間飛行場が市民に与えている不安の大きさを示す何よりもの証拠であると再確認し、即刻、日本政府、米国大使館、在日米軍司令部を訪ね、民問地上空での飛行停止を含めた六項目にのぼる大会決議文と署名を手交してまいりました。 事故後、普天間飛行場は県民・市民のねばり強い運動とイラクヘの部隊派遣等によってヘリ基地としての機能停止状態になり閑静になっていました。それもつかの間、米軍は地元の反対の声に耳を傾けることなくヘリ部隊を去る四月一日に強行帰還させております。
 事故のショツクによる精神的被害にいまだに苦しんでいる市民もいる中、大学周辺や住宅地の上空を軍用機が飛行し事故以前に戻りつつあります。
 ヘリ基地としての運用を続ける限り、普天間飛行場の危険性が除去されることはあり得ません。
 戦後六〇年もの問、在日米軍の七五%の基地負担を強いられてきた沖縄で過去に新たな基地建設を自ら選択したことはありません。今、辺野古への新基地建設を認めてしまうことは、未来永劫、沖縄県民は米軍基地との共存を自ら認めてしまうことになるのです。それは沖縄の基地負担軽減にはならないし、危険な普天間飛行場問題の解決にもならないのです。
 現在、日米両政府では大規模な在日米軍再編協議が進んでおり、その中には海外基地の見直しも含まれています。一方では米国内の基地閉鎖に向け基地閉鎖委員会(BRAC)が三月に大統領から任命されています。
 この連動した三つの流れは、私たち沖縄県民の米軍基地がもたらす不安や負担から解放され、今後二〇年の沖縄の基地負担を左右する千載一遇のチャンスであります。米軍再編は周辺での危険や不安な生活を強いられている県民の負担を確実に軽減させるものであるべきです。
 辺野古移設以外にも嘉手納や下地島、伊江島等への移転情報が観測気球のように打ち上げられますが、沖縄に新たな軍事施設はいらないという確固たる信念を持ち、今こそ一丸となって日米両政府を振り向かせ平和な生活を希求することを求めなければなりません。
 最後になりますが、「世界で最も危険な基地」といわれる普天間飛行場を抱える宜野湾市として、これ以上の基地機能の強化・恒久化に繋がることへ強く反対し、県内への新たな基地建設では基地負担の軽減にならないことを強く訴えると共に本日の辺野古支援集会が成功することを願いましてメッセージといたします。


辺野古での攻防戦

   
5・15普天間包囲大行動の成功を

 辺野古では、四月二一日にボーリング調査が強行されるという情報で、闘う体制が固められた。数日前からの阻止行動には、全国から多くの人びとが参加した。ピースサイクルの仲間も阻止行動に加わっている。
 那覇防衛施設局は、も資材を積んだ作業船がリーフに新たな単管足場を設置しようとしたが、反対派は海に入って作業を妨げ、設置作業を阻止した(一九日には一〇〇人がヤグラにのぼった)。二二日日以降も、住民側は阻止行動に多数を動員して闘いを継続する。
 沖縄の闘いに呼応して全国で闘いが組まれている。東京でも街頭宣伝、要請行動、また毎週月曜日の防衛庁・防衛施設庁前の抗議集会がつづけられている。この数日、辺野古沖の情勢にあわせて、防衛庁での抗議は連続して行われている。
 沖縄の闘いは大きな転機を迎えている。阻止行動を強めて、辺野古新基地建設を断念させよう。
 そして、普天間基地撤去だ。五月一五日には、普天間基地包囲の大行動が展開される。
 辺野古ボーリング調査阻止、普天間大包囲行動を成功させ、米軍基地撤去をかちとろう。


労働契約法制が改悪される !

 小泉内閣の新自由主義政策の下で、財界主導で労働契約法制の見直しが進められている。
 経済同友会は二〇〇二年六月に「『個人が主役となる社会』を目指して−新しい日本を目指す既存システムの破壊−」を発表したが、それは、「解雇ルールの明確化−長期雇用慣行の具体的廃止」をあげ、「日本では使用者が雇用者を解雇する権利について、過去強い制限が設けられてきた。解雇権濫用が判例法理であるため、事実上見直すことが困難になっている。重要なことは、闇雲に解雇しやすい状況を作ることではなく、解雇ルールを明確化することである。労働契約法(仮称)のような、企業と個人との契約関係のあり方を明確に規定する法律の整備が必要であろう」としている。
 日本経団連「二〇〇五年版経営労働政策委員会報告―労使はいまこそさらなる改革を進めよう―」(経営労働政策委員会)の「第二部・経営と労働の課題 六 労働法・労働行政への対応」では、「労働条件決定は労使自治が基本」として「現在、労働契約法制の検討が厚生労働省で進められているが、これに仮に単なる法律による規制の追加に終わるのであるならば制定の意味は乏しい。たとえ違反に罰則がともなわないものでも、法律による規制の追加は労使自治、規制緩和の動きに逆行する。労働契約法制は、労使の自主的な決定と契約自由の原則を最大限に尊重しつつ、工場法の時代の遺制を引きずる労働基準法などの関係法令を、今日の環境にふさわしいものに抜本的に改革する実りの多いものとなることを強く期待したい」。

 四月六日に厚生労働省の「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」は「中間取りまとめ」を行ったが、それはまさに財界の路線に沿ったものとなっている。
 「中間とりまとめ」には多くの問題点がある。
 今日のような状況では、労働者の雇用を保護するために、労働契約法制では、解雇制限・解雇規制そして労使対等こそがもとめられている。しかし、「とりまとめ」では、「事業環境や経営環境の急激な変化に対して……紛争なしに労働条件の変更が迅速に行われることが必要」であるとされている。そのために「労使当事者が最低基準に抵触しない範囲において、労働契約の内容をその実情に応じて、自主的に決定することが重要」(労使自治)であるとされる。「紛争なしに労働条件の変更が急速に行われる」ことが可能であるような法改正が求められているのである。これは、解雇制限、解雇規制の方向ではなく、逆に経営者が<合法的に>、解雇・リストラを自由に行えるようにするためのものである。
 各所で行われている労働条件の一方的不利益変更、これまでの労働者の闘いで実現してきた「整理解雇の四要件」の骨抜きなど、経営側はやりたいほうだいが横行してきた。しかし、大量の首切り、労働条件の大幅な低下は、多くの紛争・争議をもたらし、闘いはいくつも勝利をかち取ってきた。こうした中で、財界は、労働契約法制を大改悪することによって、労働者の権利・闘争を一挙に押しつぶそうとしているのである。
 「まとめ」は、細かい手続きも提言している。就業規則を変更することによる労働条件の変更、雇用継続型契約変更制度、整理解雇、などだ。また、〇三年の労働基準法改悪では一度は葬られた「解雇の金銭解決制度」もまた顔を出している。このように、解雇・労働条件の切り下げが、紛争・争議になることなくスムースに進めるように実に「周到」なものとなっている。

 労働契約法制の改悪は、多くの労働者・労働組合にとってきわめて重大な関係を持つものである。秋には最終報告が出て、法制化の段階に移る。連合は「二〇〇五年度『連合の重点政策』」の「重点政策」のひとつで「労働関係諸法の周知・遵守の徹底と雇用環境の変化に対する公正なワークルール」をあげ「労働者の安心・安全・健康を確保するため、労働基準の監督・指導を抜本強化する。また、パート労働、有期契約労働、派遣労働、請負労働など、多様な雇用・就労形態に対応した公正なワークルールの確立をはかる」「労働者と使用者との労働契約に関する権利・義務関係を規定する『労働契約法』を制定する。また、契約労働や多重就労に対する労働者保護のルールを確立する」としている。労働契約法制の改悪阻止、労働者保護の労働契約法の実現のために 連合、全労連、全労協をはじめ、多くの労働組合の統一した闘いが求められている。


資料

  
日本はどのような反省が乏しいのか(評論)  「人民網日本語版」・4月16日

 国連担当記者として働いていた三年間、筆者はいつもあの石の彫刻の前を歩いた。それはカトリックの聖アグネス像だった。彫像の右腕は切断され、全身が傷だらけで、背中には深い亀裂が走っていた。この破壊された彫像は何なのか。説明板には次のように記されている。「長崎、日本、一九四五年、この破壊された聖アグネス像は現地で被爆したカトリック教会の廃墟の中から見つかった。教会は米国の投下した原子爆弾の爆心地から約五〇〇メートルにあった。彫像の上のまだら模様は強い熱輻射によるもの」。

 あるオランダの作家はかつて日本人の第二次世界大戦に対する姿勢をドイツ人のそれとを対比したことがある。彼はこう指摘した。「ドイツ人にとって第二次世界大戦を理解する上で重要なのは、スターリングラード市街戦やベルリン陥落ではなく、アウシュビッツ収容所である。日本人の理解は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦ではなく、広島の原子爆弾である」

 六〇年前の戦争が日本国民に大きな被害をもたらしたことは間違いない。しかし日本の侵略を受けたアジアの人民にとって、それは半分正しいとしか言えない。なぜなら日本こそが戦争の元凶だからだ。何百万という日本兵がアジア・太平洋地域で街を焼き払い、人々を殺し、略奪の限りを尽くした。彼らはファッシズムの残虐な実行者だ。日本列島全体が戦争の狂気に巻き込まれ、多くの普通の日本人もファッシズムの追随者になった。国連のあの風景は歴史の一断面ではあるが、多くのアジア諸国の記者は筆者とあの聖女像について語り合い、まったく同じ意見だった。

 ここ数年来、第二次世界大戦のもう一つの枢軸国であるドイツ国内でも当時の庶民の苦難の叫びが起こり、国際社会の理解を得た。なぜ自ら反省してきたと言っている日本人には、こうした理解が難しいのだろうか。数年前、筆者はニュルンベルクを訪れる機会があった。新しく建てられた「ナチス党大会会場資料センター」で、職員は筆者に彼らがいつでも専門家を組織して学生に当時のナチスの組織と宣伝の方法について説明していると教えてくれた。センターのパンフレットにはこう記されている。「パネルディスカッションの目的は小中学生にナチスの人を惑わす手段をはっきり知ってもらうためだ」。ナチスが普通の人々をどのように惑わしたかを人々に知ってもらうため、地元政府はツェッペリン閲兵場ホールで「洗脳と恐怖」展を開いた。展示会場では、当時ここで開かれたナチス党大会に多くのナチス青年団代表が参加、行進したと説明されていた。

 戦後、ニュルンベルクは「軍事裁判の街」になった。ニュルンベルク国際軍事裁判は全世界やドイツ人にもナチスの極悪非道で許し難い悪の姿をはっきりと見せつけた。しかし今から見ると、それは反省の第一段階に過ぎなかった。なぜそれほど多くの普通の庶民が意図的にナチスの追随者になったのか、進んで残忍悲道な大虐殺に手を染めたのか。「洗脳と恐怖」というこのテーマ自身が一つの警告である。ナチスには恐怖の一面があるだけではなく、ある種の十分に人々の心を引き付ける力があった。恐怖の力はまさにこうした洗脳力でもたらせるのだ。ドイツ人の反省は戦犯裁判をこうして乗り越え、人間性と民族文化の深い所へと向かった。それは当時ナチスへの追随に熱狂した多くの普通のドイツ人に心からの悔悟の気持ちを生んだ。まさにこうした反省があって、ドイツはナチス戦犯の追跡と裁判を今なお一貫して続けている。

 翻って日本を見ると、戦後の反省はこのような深い局面までにははるかに及んでいない。日本のファシズム軍国主義はドイツのナチズムと比べて勝るとも劣らないと言える。あのように普通の日本人の心を引き付けた洗脳力もドイツのナチズムと比べて大差はない。

 ファシズムが惑わす狂気と残虐性はもちろん十分に恐ろしいものである。だがもっと恐ろしいのは、第二次世界大戦終結から六〇周年がたつ今日、当時暴力を振るった者が狂気と残虐性を生んだ原因に対して相変わらず深く認識していないことである。原子爆弾の被爆は日本人の「洗脳と恐怖」への反省と引き換えられ、彼らに歴史の傷跡を覆い隠す口実をたやすく与えてしまい、まるで数十年前の狂気はもともと彼らのものではないかのようだ。これがまさに一部の日本人が今日依然として戦犯の功績や人徳をたたえる原因の一つだ。彼らは絶えず教科書改定で歴史を歪曲し、日本の一般市民の中にある一種の被害者意識を利用している。そうした一般市民の中にある被害者意識は右翼勢力が日増しに猛威を振るう社会的基盤となりつつある。国民全体の深い反省がなければ、心からの謝罪もあり得ず、右翼を誘発する土壌を一掃することもできない。かつて蹂躙されて悲惨な目に遭ったアジア人民は日本の将来にますます憂慮せざるを得ない。 (筆者は前人民日報国連駐在記者)


複眼単眼

   
 憲法普及の経緯雑感

 憲法運動界では有名な冊子だが、一九四七年八月に文部省が発行した「新しい憲法のはなし」というのがある。
 しかし一九四七年五月三日に発行された「新しい憲法 新しい生活」という冊子は案外知られていない。古関彰一さんが中公文庫の「新憲法の誕生」で書いていることだが、これは当時、二〇〇〇万部発行された。当時の人口からしてほぼ全戸配布だ。当時は物資不足だったが、GHQも最優先で用紙を都合し印刷したようだ。
 発行は「憲法普及会」という半官半民の団体で、会長の芦田均(のちの首相)が「発刊のことば」を書いている。
 芦田はいう。「日本国民がお互いに人格を尊重すること。民主主義を正しく実行すること。平和を愛する精神をもって世界の諸国と交わりをあつくすること。新憲法にもられたこれらのことは、すべて新日本の生きる道であり、また人間として生き甲斐のある生活を営むための根本精神である。…新憲法が大たん率直に『われわれはもう戦争をしない』と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであって、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である」と。
 この普及会の事務局長が永井浩。一九四五年七月から九月まで文部省学徒動員局長だった人物。その後、官選の熊本県知事になったあと、憲法普及会に入る。
 「なんと一年数ヶ月前までは、学生に向かって聖戦を説き、戦場に赴かせたその張本人が、一転平和憲法の普及にあたったのである。これほどの転身、いや戯画的『転向』がほかにありえようか」(古関)。
 戦争責任・戦後責任の問題に取り組んできた内田雅敏弁護士は、これを「戦争責任の封印」の事例として紹介している。
 この当時憲法普及会が制定した「憲法音頭」という歌も歌われた。先日、機会があってこの録音盤を聞くことができた。作詞はサトウハチロー、作曲は中山晋平。

 おどり踊ろか チョンホイナあの子にこの子
 月もまんまる笑い顔…古いすげ笠 チョンホイナ さらりと捨てて 平和日本の 花の笠 飛んできたきた うぐいすひばり 鳴けば希望の虹がでる ソレチョンホイナハ チョンホイナ うれしじゃないか ないか…

 内田弁護士は「憲法第九条を持つことによって戦争の記憶を『さらりとすてて』私たち自身の戦争責任、戦争賠償の問題に封印をしてしまったのではないだろうか」(「憲法第九条の復権」と指摘している。重要で、鋭い指摘だ。
 これは日本帝国主義の敗戦が日本の民衆によって闘いとられたものではなかったこと、憲法が日本の民衆によって作られたものではなかったという、歴史的悔恨でもある。
 しかし、問題はその後、民衆がこの憲法にいかに対応し、いかに生かしてきたかである。
 当時の共産党は新憲法に批判的立場をとった。これはこれで正当であろう。当時の人民的立場からの新憲法の提起は必要であった。問題はその呪縛によって、その後の憲法改悪反対の闘いへの取り組み、方針転換が遅れたことだ。柔軟性に欠けていた。同党が改憲阻止の戦線に本格的に参加するまでには実に一〇年もかかった。
 このことと、内田さんの指摘する民衆側が戦争責任の問題を深めることができなかったこととの関連も一考に値するとおもう。(T)