人民新報 ・ 第1166・7 合併号<統合259・60(2005年5月15日)
  
                  目次

● 5・3憲法集会  九条改憲阻止の大きなうねりを!

● 九条の会、力づよく、第二期へ  記者会見開く

● おおさか憲法のつどい  3100名を超す市民が参加  京橋までピースパレードも

● 辺野古基地建設に向けたあらゆる作業を中止せよ!  海上基地建設を直ちに白紙撤回せよ!

● 辺野古現地闘争報告

● NHK番組改竄裁判  VAWW−NETジャパンが報告集会

● 働く者の団結で平和と民主主義を守ろう!  日比谷メーデー

● 競争より共生の社会を!  第76回中之島メーデー(大阪)

● 子どもは《お国》のためにあるんじゃない!  教育基本法の改悪をとめよう

● 日本労働弁護団の労働契約法制の在り方に対する見解

● 107人はJR経営に殺された  JR西福地山線大事故は分割・民営化の必然的結果

● JR尼崎事故の責任は全JR経営陣と白民党政府にある !  /  K・K(尼崎労働者)

● 自衛隊の第六次イラク派兵を阻止しよう

● やめろイラク占領!いくなもどれ自衛隊! 自衛隊伊丹基地包囲行動

● 4・29 改憲と天皇制の戦争責任を問う行動

● 映 画  /  「ベアテの贈りもの」

● KODAMA  /  メーデー雑感

● せ ん り ゅ う  /  ゝ 史

● 複眼単眼  /  徴兵制にまつわる議論の検証と「草の実会」




5・3憲法集会

     
九条改憲阻止の大きなうねりを!

 五月三日、各地で憲法集会が開催された。東京では「二〇〇五年5・3憲法集会」が日比谷公会堂で開かれた。会場は満席で、場外にオーロラビジョンを設置し、入れなかった人はそれに見入った。会場の内外で五〇〇〇名を越える人が参加し、九条改憲反対の声を上げた。

 はじめに主催者あいさつ。
 「憲法」を愛する女性ネットの山口菊子さん。
 私たちはこの数年、共同して5・3集会を開催してきた。しかし、憲法改悪に反対する運動は五月三日だけではない。一年を通して行われるもので、この間、定期的な宣伝や昼休みデモなどもやってきた。自民党などが狙っているのは、九条変えて戦争への道を進むことだ。気がつかないうちに戦争への道がじわじわとつくられている。私たちはこれまで国会周辺を埋め尽くすような運動でつくれなかったが、憲法が大変な事態を迎えている今日、大きな力で運動を前進させていこう。
 あいさつは三木武夫記念館館長の三木睦子さん。
 私は一介の主婦で、女は人前で喋るな、雄弁は銀、沈黙は金と教えられてきた。しかし、憲法を守ることでは発言しない訳にはいかない。私はベアテ・シロタ・ゴードンさんのお父さんも戦争前から知っている。ベアテさんは深い愛情で日本憲法つくってくれた。ほんとうにありがたいことだと思う。せっかくつくってくれたものを、私たちが守らないわけにはいかない。私の夫の三木武夫は自民党だったが、なぜあなたは自民党なんかにいるのと聞いたら、彼は、僕が自民党やめたら自民党は憲法を変えるんだと言っていた。三木が死んだので、わたしがここで憲法を守ろうといっている。私も八八歳、そろそろ年貢の納め時。どうか皆さんの力で憲法を守ってください。がんばってください。

 つづいて各界からの発言
 教育教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会の八尋麻子さん
 自民党は秋にも改憲案を出そうとしている。その前に、教育基本法改悪のめどをつけたがっている。だから、いま、教育基本法改悪の上程を阻止しつづけることが憲法改悪を阻止することになっている。教育基本法改悪反対の集会が七日にある。多くの人の参加を呼びかける。
 ビラ入れと言論の自由−−葛飾ビラ配布事件の荒川庸生さん
 私は日本共産党の議員の活動報告などをマンションの一軒一軒に配布した。みんなに知ってもらいたかったからだ。昨年の一一月に逮捕されたが、その直前には立川自衛官官舎反戦ビラ入れ事件の無罪判決が出ていた。今日は日本国憲法の五八歳の誕生日だ。私のような事件がそのままになれば平和主義、基本的人権、民主主義的な権利にも波及する。私も裁判闘争に勝利し、皆さんとともに憲法を変えることに反対していきたい。
 信教の自由−−日本キリスト教協議会の糸井玲子さん
 いま、宗教者が命をかけて守るべき信教の自由が脅かされている。政教分離の見直しや宮中祭祀の公的行為化が図られている。憲法二〇条は信教の自由を誰にも保障し、また宗教上の行事への参加を強制されない。この信教の自由は、宗教者だけでなく、無神論者にも無関係ではない。
 基地問題−−原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会の呉東正彦弁護士
 横須賀では空母キティーホークが退役し、そのかわりに米軍は原子力空母を配備しようとしている。これは東京湾に大型原発を設置するより危険なことだ。原子力空母母港化に反対する署名は全国の協力も得て三〇万を越えた。それを横須賀市長や神奈川県知事に渡したが、二人とも反対の態度だ。
 つづいて、神楽坂女声合唱団有志によるコーラス。小林カツ代団長やタレントの山田邦子さんら三〇名ほどが熱唱。
 スピーチは山崎朋子さん、小林武さん、志位和夫さん、福島瑞穂さん。
 山崎朋子(ノンフィクション作家)
 私の父は帝国海軍の軍人で伊号潜水艦の艦長だった。ところが潜水艦が行方不明、大事な艦をなくした者の娘として非国民扱いされた。ところが、死んだら一転して名誉の戦死となった。そうなると、皆がちやほやする。しかし父は何処で死んだかどうかもわからないし、捜そうともしない。心の底から怒りを感じた。
 戦後、私はアジアとの関係について考えて本も出した。中心テーマはアジア女性交流史だ。女性解放運動家もふくめてエリートは欧米の影響を受けたが、底辺の一般民衆の女性はアジアとかかわってきた。「からゆきさん」「従軍慰安婦」「大陸花嫁」「内戦結婚」などだ。そして、戦前の日本では、共産党が弾圧された後でも、女性は普選獲得同盟の闘いなどをつづけた。反戦決議もだしている。憲法は戦争の惨憺たる犠牲の上に生まれた。本当に、九条こそ私たちの命だ。
 小林武(愛知大学教授)
 憲法記念日は、本来、政府が祝うべきだ。政府こそ憲法にもとづいて成立し、義務づけられているのだから。当時の首相吉田茂は新しい憲法と天皇制との関係をつけようとして、最初、憲法公布の日を四七年の二月一一日(紀元節)にしようとした。しかし憲法論議が活発になって遅れた。それで今度は、一一月三日にした。これは明治天皇の誕生日だった。政府は憲法との関係はいやいやながらのものだ。憲法ができてからは政府は二〜三年しか憲法祝賀をしなかった。その後、政府は憲法を嫌悪し、機会があれば変えようとしてきたし、憲法を嫌悪し憎んできた。いま進められようとしているのは、憲法改悪で海外で戦争のできる国にすることだ。もうひとつは、弱肉強食の社会にしていくことだ。それに憲法の性格が変えられようとしていることだ。日本国憲法は権力に対してきびしく国民に対して優しいものだが、これが変えられようとしている。権力をしばる憲法から国民を管理する憲法への変化だ。憲法九九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定されているのだ。明治憲法下で、国民は憲法は知らされていなかった。ただ命令にしたがえばいい。教育もそうしたものに沿ったものだった。
 つぎに、国会の憲法調査委員会について述べたい。これは憲法を調査するだけで、議案提出はしないことを確認して出発した。憲法調査のための調査の機関だ。しかし、改憲派各党は改憲のための委員会として運用してきた。いま、アメリカからの改憲のおしつけがあり、財界、大新聞、改憲派各党が一体となって国民投票で決着することを狙っている。
 最後に九条の会について触れたい。昨年の大江健三郎さん、加藤周一さんなど国民の信頼のあつい人びとが呼びかけて発足してから九条の会はひろく定着してきている。九条の会は三つの層が参加している。第一には、自衛隊も安保もだめでなくそうという人たち、第二には自衛隊を認めるが専守防衛に限るべきだとする人たち、第三に自衛隊の海外での活動も認めるが派兵はだめだという人たちだ。九条の会での世代の交流と出会いの体験をすることが重要だ。
 志位和夫(日本共産党委員長)
 今年は、第二次世界大戦が終結して六〇年目の歴史的節目の年だ。昨年十一月の国連総会は、「第二次世界大戦終結六〇周年を記念する決議」を採択したが、この決議では、ドイツの降伏記念日である五月八日と九日を「記憶と和解の日」と宣言し、「すべての加盟国、国連システム諸組織、非政府組織、個人が第二次世界大戦のすべての犠牲者に敬意を表するために、適切なやり方で、この両日の一方もしくは両方を毎年祝うように勧奨する」としている。
 日本では、かつての日本軍国主義による侵略戦争でたいへんな犠牲と苦痛を与えたアジアの諸国と真の「和解」がなしとげられたとはいえず、逆に、日本とアジア諸国との関係はこれまでになく悪化するという事態にある。原因はさまざまだが、根本にはかつての侵略戦争を「正しい戦争だった」と肯定・美化する動きが、日本政府や一部政治家などのなかでおこっていることにある。小泉首相は、四月のアジア・アフリカ首脳会議で、「反省とおわび」の言葉をのべたが、言葉と行動が矛盾している。そうしたことを口にするなら、靖国神社参拝や歴史をゆがめた教科書問題など、侵略戦争を肯定・美化する行動をやめるべきだ。そして過去の侵略戦争への真剣な反省にたって、アジア諸国との真の「和解」のために努力することだ。そして八月十五日もまた「記憶と和解の日」となるように力をつくすことこそ、戦後六〇年の記念すべき年に、政治に責任を負うべきものの務めだ。憲法九条というのは、あの戦争の反省のうえにつくられたものだ。「二度と戦争はしない」「戦力は持たない」と世界とアジアに誓った国際公約であり、九条を守りぬき、生かすことこそ、日本がアジア諸国と本当に心かよう「和解」をなしとげ、子々孫々にわたって平和・友好の関係を築くうえで、最もたしかな保障だと考える。
 憲法改定の動きとのたたかいは、憲法九条を焦点として新たな重大な段階を迎えている。アメリカの要求で憲法を変え戦争のできる体制をつくろうとしている。しかし、日本が戦争国家になって喜ぶのはごく一握りのアメリカの戦争派だけだ。政府はこれまで「自衛隊は戦力ではない」という建前できた。しかし、今後、憲法に「自衛軍を保持する」と書き込んだとたんに、海外派兵、集団的自衛権の行使、国連軍への参加、どんな形であれ海外で武力を行使することが可能になってしまう。憲法に「自衛軍を保持する」と書き込むことは、日本を「海外で戦争をする国」につくりかえることに道を開くものである。改憲派は国会では多数を握っているが、国民世論の中では違う。「九条の会」の運動は、全国各地に広がり、草の根での「会」は千五百を超えた。国民のなかには、悲惨な戦争は二度とくりかえしたくないという平和への熱い思いが、「地下水」「鉱脈」のように脈々と存在している。憲法改悪反対の国民的多数派を結集するために、立場の違いを超え、共同を広げるために奮闘することを誓う。
 福島みずほ(社会民主党党首)
 今年は戦争が終わって六〇年、オキナワ、ヒロシマからも六〇年だ。いま、憲法は危機的状況にある。自民党は改憲案を出し、民主党も憲法を変えようとしている。そして自民党の改憲要綱では憲法の規範性さえもが崩されようとしている。自民党のそれは憲法といえるようなものではない。自民党要綱では、前文で国を愛する心を明記しようとしているが、まずすべての人には自己実現の権利がある。しかし自民党は基本的人権より「公共の福祉」が優先するとしている。かつての大日本憲法では国民の権利は法律の留保がついたものだった。憲法二五条は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」としている。しかし自民党は、格差拡大、弱肉強食、自己責任、金を払えと言う社会にしようとしている。自民党の考えているような憲法になれば本当に住みにくい社会となる。また憲法二四条は家庭の中の個人の権利を保障している。そして、九条だ。これを変えて、海外で米軍とともに戦える国をつくるということだ。
 いまアジアから激しい日本批判が起こっている。そうした動きに直面して小泉首相はアジア・アフリカ首脳会議で戦争と植民地支配を「反省」した。しかし、小泉さんの言っていることとやっていることはまったく違う。やるべきことは、靖国神社の参拝はやめる、教育基本法は変えない、憲法を変えない、こうしたことをアジアの人びとに明言すべきだ。それが出来ないのなら、口先で何を言おうと意味はない。
 また、「論憲」を主張する人もいるが気が知れない。それは「パンドラの箱」を開けることになる。絶対に開けてはならない。

 集会は、集会アピール(別掲)を確認し、パレードに出発した。右翼は集会開催前から大音量を発しながら大型街宣車をつらねて妨害、パレードに対しても何人かが襲いかかろうとしてきたが参加者は毅然として跳ね返し、銀座を行く人びとに憲法改悪の阻止を訴えた。

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2005年5・3憲法集会アピール

 日本国憲法が施行されて五八年目の今日、私たちは東京・日比谷公会堂に集まり、九条を守り抜き、憲法改悪は絶対に許さないとの熱い思いをこめて、二〇〇五年5・3憲法集会を開きました。
 二一世紀にはいって、米国は<9・11テロ>をきっかけに、アフガニスタンヘの報復戦争、そしてイラクへの先制攻撃と軍事占領という、無法で野蛮な行動を続けています。
 誤った歴史と悲惨な戦争への反省から生まれた、世界に輝く九条を持つ日本は、戦争をやめさせ、あらゆる紛争を平和的に解決するために全力を尽くすべきです。ところが小泉内閣は、戦争を支持し、白衛隊をインド洋やイラクに派遺してまで戦争と占領に加担してきました。これは九条の破壊にほかなりません。
 しかもいま、小泉内閣と、国会で多数を占める改憲派は、米国の戦争にさらに深く加担して日本を「戦争をする国」にするため、憲法の改悪を企てています。衆参両院の憲法調査会は、その目的から逸脱して、憲法改悪の方向を打ち出した最終報告書を出しました。自民党などは、改憲案づくりの作業を急いでいます。そして、任期が切れた憲法調査会をさらに継続し、それに改憲のための国民投票法案を審議させる権限を与えようとしています。九条はもとより、法が保障する基本的人権や自由も、最大の危機を迎えています。
 しかし、どの世論調査も示しているように、大多数の人びとは九条改悪に反対しています。全国各地で「九条を守ろう! とめよう憲法改悪」という運動が広がり、大きなうねりになっています。世界とアジアの人びとは、日本国憲法第九条こそ平和の道と認め、私たちの運動に期待を寄せ、注目しています。教育や労働の現場でも、女性や青年、高齢者、在日外国人の人びとも、言論・表現の分野や宗教界の人びとも、人権を守り平和を実現するため、「二一世紀こそ憲法が生きる時代に」との声を高め、連携と協力を強めています。
 憲法改悪をとめ、九条を守る力は、多様な声を寄せ合わせ、広げる、私たちの不断の努力にあります。私たちは、今日、その決意を改めて確認しました。私たちは、全国各地の人びとに呼びかけます。「九条を守る大きなうねりを!とめよう憲法改悪」と。

二〇〇五年五月三日

二〇〇五年5・3憲法集会参加者一同


九条の会、力づよく、第二期へ  記者会見開く

 「九条の会」は四月二二日、昨年六月一〇日の記者会見をもって発足して以来、約一〇ヶ月ぶりに記者会見を行い、この間の運動の成果と今後の方針などについて発表した。
 記者会見は東京・神田の学士会館で行われ、九条の会から大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の七人が出席した。
 九条の会は昨年七月二四日の東京での発足記念講演会以来、全国で講演会を開き、参加者数の合計は九会場で二七四〇〇人にのぼった。九条の会に関心を持つ人びとは極めて多く、各会場とも超満員で、参加を断念して帰る人びとも続出した。
 また九条の会のアピールに応えて全国の各地域・分野でさまざまな「九条の会」が生まれ、この日現在で一二八〇にのぼることも報告された。
 九条の会はこれらの成果を基礎に七月三〇日、東京の有明コロシアムで一〇〇〇〇人規模の講演会を開催することを発表、各地での講演会の開催も引きつづき行っていくことを確認した。
 この日の会見での発言は要旨、以下の通り。

 加藤周一さん
 昨年の発足にあたって、さまざまな憲法擁護の運動の連携をとりたいと述べた。それが進んできた。各地で開いた講演会は予想以上の盛況で、力強い動きになった。ひきつづき各地の皆さんが自発的に行動に立ち上がることを期待する。
 平和は軍事力では達成されない、憲法九条の精神こそ、現実的で、合理的だと思う。
 澤地久枝さん
 九条の会の講演会で各地に行ったが、どこも超満員で、人びとの熱い思いを実感できた。九四歳の女性や、若い高校生たちから、何か行動したいという声が届けられた。みな真剣だ。九条を守るという熱意が、地下水のように流れている。
 三木睦子さん
 私はこのグループで最年長だが、あの戦争を子どもを育てながら、くぐり抜いてきた世代だ。いまの総理は戦争の苦しさや悲惨さを知らない。戦争は絶対にやってはならないと言いつづけたい。
 大江健三郎さん
 昨年、一人一人が声を上げれば、それが自然に集まってくる。それが「翠点」だと述べた。今、そのようになりつつある。日本人の多くが憲法を守っていきたいと考えていることを実感している。
 奥平康弘さん
 九条の会の運動は「鉱脈」を探り当てたのではないか。各地で例外なく、多くの人びとが集まっているのがそれだ。
 私は今、研究者としての責任を感じている。憲法九条二項はいじってはならないという研究を深めていきたい。
 鶴見俊輔さん
 自分の言葉が人びとのなかで浮き上がらないように注意を払っている。小学生時代以来あったことのない友人が俳人の加藤楸邨の句、「蟇(ひきがえる)誰かものいへ声限り」をまねて、「蟇九条の会よくぞ友」という句を送ってくれた。この運動に加わってよかったと思う。


おおさか憲法のつどい 

       3100名を超す市民が参加  京橋までピースパレードも


 五・三おおさか憲法のつどいが、大阪城公園野外音楽堂があふれかえる多くの市民の参加で開催された。大阪ではじめての統一集会は、宗教者九条の会、弁護士九条の会、阪大・九条の会などで「五・三憲法のつどいを成功させる会」がつくられ開催された。
 開会に先立って、JR福知山線事故で亡くなった方々への黙祷を参加者全員で行われた。
 つどいのトップとして作家の藤本義一さんが記念講演を行った。藤本さんは、「僕は、孫たちに言っている。おまえたちはこれから生きていくんだ。自衛軍をつくって徴兵制ができたらおまえたちが戦地へ連れて行かれる。俺が生きているうちは絶対させない。俺の命を失ってもさせないぞと孫たちに言った」と苦しかった戦争体験を振り返って語った。
 九条を守ろうと大きな幕を持参した高校生のグループの代表は、「私は人を殺したくもないし、殺されたくもない。高遠さんやアレンネルソンさんの話を聞き、戦争からは正義も希望も生まれない。戦争からは、死体しか生まれないと感じた。だから、絶対に九条を守りたい」と語った。
 在日朝鮮人の立場から、アピールしたキム・ヤンミさんは、「私たちは、日本の朝鮮侵略によって生み出された存在です。在日朝鮮人の存在は、大日本帝国の歴史そのもの、生き証人だと思います。戦後の日本は、戦前を引き継いで今日までやってきました。戦後六〇年、理不尽な有形無形の民族差別に晒され、最も被害を受けた一世たちは筆舌につくしがたい辛酸をなめさせられ生きざるを得ませんでした。唯一救いだったのが、戦争を否定してできた憲法九条と教育基本法が戦後日本の背骨になったということです。憲法九条は、アジア民衆の血の犠牲の上に定められた大日本帝国と決別を明文化したものだったといえます。私は、高校生になるまで自分の祖父母が嫌いでした。しかし、高校生のとき初めて正しい歴史を学んでそういう訳かと合点がいきました。今は、祖父母を誇りに思えるようになりました。この憲法すら改悪しようとすることは、今度は大手を振って日本が侵略に乗り出すことだと思います」と述べた。
 アトラクションとして、「地球のすみずみに憲法の花を」と題して漫談家木藤なおゆきさんが憲法漫談を行った。
 後半のリレートークのトップとして、主催者でもある阪大・九条の会から木戸衛一さんがスピーチを行った。木戸さんは、「軍隊は、戦争がなくても人を殺す。我々は、軍隊がない社会へ一歩を踏み出した。たいへん勇気のいることだったと思う。これをなくしてはならない」と述べた。
 また、弁護士九条の会から石田法子弁護士が、「現在五五七名の賛同を得た。弁護士の過半数を取っていきたい。改憲のターゲットは九条と思う。備えあれば憂いなしではない。アメリカと一緒になって戦争をするために九条を変えるということは明白です。九条があるから自衛隊は、宿営地の中にいる。いまは、イラクの人たちの血は流れていない。しかし、九条を変えれば、イラクの人たちの血は流れる。戦争を知らない世代は、平和は光や水と同じように当たり前だと思っている。ありがたみを感じていない世代です。でも、イラクでは、市民が殺されひどいことだということを知ったはず。九条に守られ六〇年やってきましたがこれからは、我々が九条を守っていかなければならない。この時代に生きる我々の責任だと思う」と語った。
 つづいて、宗教者九条の会から松浦悟郎さんが、「かつて宗教は、国家に寄り添い、国家に利用された。その過去の反省の上に立って、世界の人びとの平和を願ってきた。ヨーロッパで民族主義・国家主義が台頭しています。アジアや日本もです。全体主義やかつてのファシズムは、独裁者による突然の恐怖政治によっておこるものではありません。民主主義の形を取った中で一歩一歩人権を侵害することを見逃す中で育っていくものです。気がついたときには遅い、全体主義に飲み込まれていく歴史的な教訓がある。9・11以降アフガン、イラクと人びとは大きな亀裂をうけた。しかし、スマトラの大津波を人びとは自らの問題として立ち上がった。この連帯こそが、平和を作るものです。人々の連帯を断ち切る戦争に「NO」を突きつけたい。日本で誇るべきものは、九条です」と締めくくった。
 大阪生協連合会会長の津村明子さんは、「九条の会・おおさかが四月二五日発足しました。私は、五年生のときに家が焼かれ、終戦を迎えました。中学一年のときに憲法ができました。新しい憲法を教科書として学んだ者です。戦争放棄と男女平等がハッキリとうたわれた憲法を絶対に守らねばと子ども心に思いました。私にとって憲法は灯台のようなもの、残り少ない人生を九条を守り通すことで生きていきたい。生協九〇万組合員がいますが、皆さんの力強い仲間です」と語った。
 デザイナー・随筆家の森南海子さんは、「二〇年間に渡って六〇本に至る千人針を集めてきました。私があずかったものは沖縄の読谷村の資料館に預けています。若い人は分からないかもしれない。この千人針だけは絶対塗ってはいけない」と語った。
 つどいは、さいごに池田香代子さんのやさしい言葉で日本国憲法を全員で唱和し終了した。
 大阪での憲法を守る運動は、この五・三のつどいを契機に飛躍的に前進した。九条の会・おおさかの発足とこんごの活動が期待される。各地の九条の会づくりに積極的に参加し大きな前進を勝ち取らなければならない。(矢吹徹)


辺野古基地建設に向けたあらゆる作業を中止せよ!

               
海上基地建設を直ちに白紙撤回せよ!

 那覇防衛施設局は、辺野古沖新基地建設のためのボーリング調査を強行しようとしている。日米政府の一部、また自民党筋からも「辺野古沖見直し」のアドバルーンがあげられ、メディアがそれを報道するなか、四月二六日未明、単管足場の周囲に金網を張りめぐらすという暴挙に出てきた。
 沖縄県は昨年四月に施設局に対して、ジュゴンへの配慮のために「全ての作業の作業時間帯」は「ジュゴンへの影響の低減が図られるよう、随時見直すこと」を要請し、これまで施設局は日中だけの作業を行ってきたが、今回は夜明け前から作業を強行した。また山中昭栄防衛施設庁長官は、二四時間作業をやる、日中だけとあらかじめ決めていない、と国会で答弁している。
 施設庁局は、隙あらば工事強行を狙っている。辺野古現地では、連日、全国から人びとが結集して海上でも二四時間態勢で激しい阻止行動がつづけられている。
 五月九日には、防衛庁・防衛施設庁まえでの月曜抗議集会が開かれた。集会には辺野古からの電話メッセージが寄せられた。
 平和市民連絡会の当山栄さん。
 東京の皆さん、東京の防衛施設庁にも攻勢をかけて一日も早く夜間作業の禁止を共に力を併せて勝ち取っていきたいと思います。まもなく沖縄では5・15普天間包囲行動が展開されます。運動的には上り調子にきますけれども、現場の厳しい状況を早めに解決していきたいものと考えています。共に頑張っていきましょう。
 基地の県内移設に反対する県民会議の山内徳信さん
 昨年の四月一九日からボーリング調査を始めるということでやってまいりました那覇防衛施設局に、私たちは一年以上にわたって陸における座り込み闘争、海上における単管足場を中心にしたボーリングを打ち込ませないための海上闘争を見事に闘い抜いております。
 この海上基地を作らせないという辺野古闘争は、やはり正念場を迎えておりまして、沖縄におきましてもかような闘いを続けておるところでございます。従いまして、私たちは国民ぐるみあるいは国際ぐるみの闘いをやって、この闘いを必ず勝利をして沖縄に新たな基地を作らせないこの闘いと、沖縄現地と東京で奮闘していらっしゃる皆さんと力を合わせて闘いぬきたいと思います。


辺野古現地闘争報告        

 四月下旬、「ボーリング調査強行」との報道で緊迫する辺野古現地闘争に参加しました。現地での攻防経過を報告し、辺野古新基地建設阻止闘争の意義、今後の動向などを考えてみたいと思います。

 昨年四月一九日の工事開始から一年。作業ヤード建設阻止の陸上での闘いが勝利し、辺野古漁港からの積み出しを当面は断念した施設局は、はるか南部の中城湾や馬天港から大型台船を出したり、キャンプ・シュワーブ基地内から小型船で単管を運んだりと、姑息な手段を弄して建設強行を図った。しかし四箇所(台風で撤去された一箇所を除く)で掘削用足場は作られたものの、まだ一本も杭を打たせていない。足場はヤグラとして闘いの砦となり、攻防の焦点は海上に移った。海が主戦場となれば海人の出番。船とダイバーと砦守が中心となる。早朝から沖のヤグラ渡しが始まり、その周囲に阻止船・カヌー隊・国頭の海人達も連日、自船で駆けつけ、陣取る。ここから一日が始まる。
 施設局・工事業者が足場に来れば追い返し、ヤグラとテントと船が相互に連絡を取り合い、新たに足場を組もうとすれば船とダイバーで阻止する。この闘いに業を煮やした施設局は、何としても掘削の開始と足場の新設・拡大を図らんとしたのが今回の事態の中心。
 四月一七日の現地反対集会の成功を受け、一八日から三〇日まで緊迫した攻防戦が海上を中心に闘われた。ヤマトではほとんど活字にならない(意図的にされない)辺野古の闘いは、今日きわめて重大な局面を迎えている。
 この間、那覇防衛施設局は、四月二一日ボーリング調査強行をマスコミにスッパ抜かれ、様々な抗議・申し入れにさらされたが、その回答は「工事はいつやるというものではなく、毎日でもやる」と居直り、事実、陽動作戦を含めてかなり計算した動きに出た。
 一八、一九日は「ジャブ」程度の動きにおさえ、既設ヤグラへ『定番の工事許可』を求めたかと思えば、新しいポイントにブイを投入したりと、こちらの動きを探ることに終始した。無論、暴風雨で条件も悪かったが。
 「前倒しして今日が焦点だ」とされた二〇日は、早朝から阻止行動開始。普段のほぼ倍の人数が海に出た。各ヤグラも万全の体制で固め業者を追い返した。しかし狙いは足場の新設工事にあった。新たに四箇所で始まった工事をさせないため、急遽駆けつけた阻止船がポイントに割って入り、カヌー隊とダイバーが足場設営用単管の投入に体を張って阻止した。投入した単管二本を回収させた。その夜のテントでの総括で、支援に来ている海人の船をヤグラに一日中つないでおくのはもったいない。ぜひ一緒に動いてポイントを完全におさえられればありがたい、となった。
 かくして最大の焦点とされた二一日を迎えた。この日は施設局側も一二艘の船を出し、船団を入れ替えポイントを変え、五箇所での新設工事を夕方遅くまで執拗に強行しようとした。全国から参加した百名を超える海上行動に加え、事前に阻止船で新設ポイント上をおさえていたこと、周辺漁協から駆けつけた支援の海人たちの機敏な操船で工事を完全に阻止した。しかし、「強行」のわりにはどうもなあ、という不気味さが残った。強権発動を想定して法的にも準備したのに、何か腑に落ちないものだった。
 二二日、金曜日ということで定番の「週末安全点検」という、既設ヤグラの警告燈検査のみ行ってさっさと午後二時には引き上げた。これで終了と油断させる目論見だった。
 二三日は土曜で工事も休み。多くの人は持ち場に帰った。海上行動は監視配置のみで、参加者は明日の「第七回満月まつり」の会場設営に。
 二四日祭りの日。今年の祭りは大きく広がり、海外三二箇所、国内六四箇所で同時開催された。港に隣接し基地とフェンスで仕切られた辺野古ヌ浜で午後三時半から祭りは始まった。県内外のミュージシャン一六組による六時間にもおよぶ長丁場だ。途中、灰谷健次郎さんが病身をおして激励の挨拶。月も見え最高に盛り上がったところで突然のスコール。テントに避難して続行。これが辺野古の闘いを象徴しているのか。
 二五日月曜、参加規模も縮小し港の集合時刻も三〇分遅くなった。施設局側も先々 週と同じメンテ作業に戻した。これが手だった。
 二六日早朝四時、抜き打ちで新たな工事が強行された。施設局は自ら作成した「日の出後一時間は作業しない」との“作業予定”を反故にして、ジュゴンの食餌活動時間を踏みにじって、まさに闇討ち的に作業を強行した。一、三、五ヤグラを「侵入防止網」で覆い、第五ヤグラにボーリング用の機材を搬入した。そして各ヤグラの周囲に監視船を配置した。しかし急遽ヤグラに駆けつけた阻止隊によって、ボーリング作業は阻止した。この日以来、夜間もヤグラでの泊り込み体制をしき一切の作業を阻止している。
 二七、二八日、この「成果」に満足したのか施設局は、「安全確認」のためと称するヤグラ基礎部分の水中撮影作業にとどまっている。
 二九日は祝日で普段は作業をしていないが、この日は作業に向かってきた。何とかボーリングを始めたいようであったが、これも完全に阻止している。しかし、卑劣で何をするか分からない施設局のこと。五月連休に入るが、気を引き締めて中止まで闘いを継続しよう。連休明けからさらに多くの人々が辺野古に結集しよう。
 以上が四月三〇日現在までの概略的経過だ。
 こうした施設局の焦りともいえる動向から見て取れることは、何か。
 SACO合意から九年たっても普天間基地返還は実現していない。それどころか、昨年八月に米軍の大型ヘリが沖国大に墜落し、今また、イラクから帰還したヘリ部隊の飛行訓練が再開されている。危険はまったく変わらず、返還が急がれてきたのにだ。
 その最大の理由は「代替地が決まらないことにある」というが、もともと、米軍は辺野古沖での基地建設計画を持っていた。だがこれは伏せられてきた。代替地として日本側が辺野古を指定した経過から、その責任は日本側にあると言うためだ。
 しかし、推進勢力にとっては、辺野古現地のオジー・オバーの八年もの座り込み闘争と、それに触発され県内外から辺野古に張り付いている頑強な抵抗闘争の存在、そして周辺漁協の海人までもが阻止闘争に参加するに至った経過は確実に脅威となった。また、かつての住民投票でノーの意思表示がなされたが、その後の名護市長選挙で「推進派」が巻き返したものの、県民世論の八割を超える反対と、現地から全国に発信され次第に拡大する各地の連帯闘争。加えてジュゴンを原告適格と認めたアメリカでの裁判や、国際的環境保護団体からの勧告等々を無視しえないであろう。
 「普天間の辺野古移設」計画はもはや頓挫してしまっている。断念するしかない。
 だからこそ、施設庁・施設局は焦っている。なんとか既成事実を作って「辺野古以外にない」との巻き返しを図ろうとしている。同様に自民党県連も焦っている。振興費欲しさと新空港建設での経済効果を期待しているのだろうが、逆効果しかもたらさない。目の前の豊かな海を死滅させて、殺戮のための基地に置き換えることで、辺野古はもとよりその周辺地域の環境と生活は破壊されるしかない。これはすでに各地で立証済みのことだ。
 県は一五年使用期限をハードルとして、「負担軽減」の実績を上げたいと考えている。SACO合意は政府の責任。県としては、どうしても辺野古しかないなら軍民共用とし、軍の使用期限を一五年とさせることでしばしの辛抱というわけだ。しかし、完成までにあと一五年かかり、使用期限が一五年ではあまりにも「非現実的」な話なのだが。
 日本政府はほぼ、「次善の策」に傾きつつあるのではないか。それはダミーで流布された伊江島や下地島ではなく、本命は岩国への普天間基地の移転にある。すでに空中空輸機の移転は決まっているし、沖縄国際大学に墜落したCH五三Dは岩国基地所属のものであった。基地の沖合い拡張はすでに八割がた完成しており、〇八年には完成・配備可能となるのだ。地元の反対世論も弱体と見ている。
 アメリカはいつまでもできない辺野古よりは、もっと早く使用期限などの条件が付かない代替地を求めている。トランスフォーメーションの中で、厚木から岩国移駐がほぼ確実視されている。それにプラスして普天間からの移駐はもっとも可能性としては大きい。
 闘いの場と主体は近い将来、移行するだろう。その時、ヒロシマは直接の当事者としてまた、最大の被害地としてその責任が問われる。
 「銃剣とブルドーザーによって強制されたのではなく、自ら選択した基地建設の初めてのケース」とされた辺野古。しかし、オジー・オバーは「戦やならん。命ドゥ宝」「命の海」と訴え、海人もまた「漁業権は海を壊すためのものでなく、海を守るためのもの」と看破している。そして対抗する論理として、非暴力抵抗・市民不服従の権利行使が打ち立てられ、誰かが指揮するのでなく、参加者の合議で決定し、自らの意思で行動に参加する見事なまでの民主主義が貫かれている。このような運動がかつてあっただろうか。
 辺野古の闘いがそれ自体の評価を超えて、こうした運動思想からも光を当てられるとき、全国に広がる普遍的な意義を持っていると確信できた毎日だった。(I)


NHK番組改竄裁判

       
VAWW−NETジャパンが報告集会

 四月二五日、東京高裁で、「女性国際戦犯法廷」を歪曲し「慰安婦」問題の本質を伝えなかったNHK・ETV特集改ざんをめぐる裁判の第四回口頭弁論が行われた。
 同日夜、池袋・芸術劇場大会議室で、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW−NETジャパン)主催の報告集会が開かれた。

 弁護団報告は、NHK裁判弁護団の大沼和子弁護士。
 この裁判はもっと早く終わると思われていたが、朝日新聞による安倍晋三、中川昭一らによる番組改竄圧力があったことの報道やNHKの長井暁チーフプロデューサーの勇気ある内部告発によってあらたな局面が出てきた。弁護団は今回四二ページの書面を出した。今回の書面で番組改変への自民党政治家からの圧力問題についてのNHKの言い分の問題点について詳しく明らかにした。NHKのものはたった八ページにすぎない。裁判での裁判官の雰囲気も非常にいい感じだ。だが、にっこり笑って人を斬るということもあり、注意して行かなければならない。
 つづいて西野瑠美子・VAWW−NETジャパン共同代表が報告。
 NHKは五人の自民党国会議員に放映前に会っている。安倍、中川、古屋圭司、下村博文、平沢勝栄だ。いずれもみな「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の主要メンバーだ。「若手議員の会」は、九七年に、教科書に「慰安婦」問題が載ることに反対した若手(年齢でなく当選回数が五回以下ということ)議員があつまり、「歴史教育のあり方について真剣に研究・検討するとともに国民的議論を巻き起こし行動すること」を目的に設立された。当時中川は代表、安倍は事務局長、古屋は副幹事長、下村は事務局次長、平沢は委員だった。九七年の前年には、中学の歴史教科書に「従軍慰安婦」が記述された。
 二〇〇〇年一二月一二日、女性国際戦犯法廷は判決(概要)の言い渡しがあった。二〇〇一年一月三〇日が放映日だが、二六日には、日本会議が総務省片山甚之助大臣を訪ね「NHKが公共放送としてふさわしい公正な報道をおこなうよう」申し入れている。日本会議の機関誌「日本の息吹」二〇〇一年三月号では「事前にこの件を察知した本会では抗議行動を展開し、二六日には……」とかなり前から事情を知って抗議行動を行っていたことを書いている。なお、中川は日本会議の姉妹組織の「日本会議国会議員懇談会」の会長代理、安倍はプロジェクトの座長、「若手議員の会」のほとんどは同懇談会所属だ。
 こうした流れの中に、自民党政治家による圧力があり、NHKはそれに応じて番組を改竄した。
 集会では、「政治とメディアのいま? NHK・ライブドア・持ち株制限違反」と題して、桂敬一・立正大学文学部社会学科教授(ジャーナリズム論)が講演した。


働く者の団結で平和と民主主義を守ろう!

                  日比谷メーデー

 第七六回日比谷メーデーは、五月一日、日比谷野外音楽堂とその周辺に結集してひらかれた。

 集会では、JR西日本・福知山線事故の犠牲者に対して全員が黙祷。主催者を代表して阿部力・国労東京委員長があいさつし、都労連の増淵静雄委員長の連帯あいさつ、東京都産業労働局長や福島みずほ社民党党首(参議院議員)の来賓あいさつがあった。
 メツセージは、韓国民主労総、大阪中之島メーデー、神奈川メーデー実行委員会、全労連系の第七六回中央メーデー実行委員会、静岡中部地区メーデー実行委員会からよせられた。
 決意表明・訴えは三名から。
 全国一般なんぶのルイス・カーレットさん。
 いま、世界はグローバリゼーション、新自由主義、そしてネオコンの強大な津波がおしよせている。真っ直ぐに進むべき人類の歴史は脱線させられようとしている。いま、われわれは、貧富の差の拡大、労組組織率の低下、イラクやパレススチナでの侵略戦争、そして米軍の世界制圧という事態に直面している。人びとは深刻に考えるべき時だ。では、どうすればよいのか。まず、資本のグローバリゼーションに対抗する労働のグローバリゼーション化の実現だ。日本には多くの移住労働者がいる。労働者は国籍を問わず団結し、また労働者と一般市民は団結すべきだ。競争ではなく協力で世界を正して行こう。今日、五月一日はメーデーという行動を通して、世界の労働者はひとつになっている。こうしたことを、元旦から大晦日まで一年を通して実現しよう。
 郵政労働者ユニオンの内田正委員長。
 自民党の麻生太郎総務相までもが、民営化は世界のどこでも成功していない。郵政民営化については、事態が明らかになるにつれて反対の声が大きくなってきている。都道府県議会は一〇〇%、市町村でも九三%が反対の決議あげている。与党は郵政には四〇万人の公務員がいるといっている。それはウソだ。一二万人以上が非正規労働者のユウメイトだ。かれらは労働条件が劣悪であり、首切り自由という事態に晒されている。すでに民営化と同じ状況だ。JR、NTTの民営化と同じように、郵政民営化、そして三位一体改革といわれる地方行革などいっそうイタミを強いる「改革」が進められようとしている。ともに、小泉内閣の行財政改革攻撃と闘っていこう。
 国労東京闘争団の松本和明さん。
 国鉄闘争は今年の四月で一七年目を迎えた。一昨年に出た最高裁判決は、JRに責任はないとしたが、裁判官の意見は三対二ということだった。そして、不当労働行為があったとすれば、それは国鉄(清算事業団、鉄建公団、鉄道運輸機構)にあるとした。このことをしっかりとつかんで政府を追及していくべきだ。またILOの第六次勧告は問題の早急な解決を政府に求めている。行動で闘争団の団結を回復していこう。JR西で痛ましい事故が起こったが、JR東会社も同じ体質がある。国労差別、昇進差別で労働者を追い込んでいる。公共交通の安全を守ること、そして一〇四七名の解雇撤回をかち取ることを車の両輪として闘っていきたい。
 メーデー参加者は、アピールを確認し、藤崎良三全労協議長の音頭での団結がんばろうで集会第一部を終了し、土橋方向と鍛冶橋の二つのコースに分かれてデモに出発した。
 第二部では、憲法運動などからの訴えがおこなわれた。

日比谷メーデー・アピール

 本日、私たちは常七六回日比谷メーデーを開催しました。メーデーは、全世界の労働者が、生活と権利をかけて闘ってきた「統一行動日」であり、労働者こそが社会の主人公であることを確認する「働くものの祭典」です。
 05春闘では、「景気は内需を中心に比較的に順調に回復している」と言われる状況にありましたが、経営者側は、日本全体の高コスト構造の是正をと、昨年と同様に「ベアは論外」との不当な姿勢でのぞんできました。
 民間大手組合は、昨年に引き続きべア要求を断念するなか、賃金体系維持分、一時金要求の交渉となり、企業業績を一時金に上乗せする回答として妥結しました。
 一方、中・小民間の労働組合は、格差の拡大、賃金の二極化が指摘されるなか、賃金破壊、雇用破壊、人権破壊に対する闘いとして、それぞれの職場や地域で、また、職場と地域を横断する形で闘ってきました。
 小泉政権は、労働法制の改悪や企業法制の整備・改悪等で、企業リストラを支援し、パート・有期・派遣労働者等の不安定雇用労働者の拡大を進めてきました。
 また、マスコミによる公務員バッシングを利用し、公務員労働者の賃金切り下げ、「郵政事業の民営化」等の公共部門の市場化を進めてきています。さらに、「少子高齢化」が深刻な課題と言われるなか、低賃金、無権利の状態で、外国人労働者の「受け入れ」を図る移民政策を進めようとしています。
 今後、杜会保障全般の見直しや消費税率の引き上げ等の増税を行い、国民に大幅な負担と犠牲を求めようとしています。
 また、小泉政権は、「有事関連法」「テロ特措法」などの反動法案を次々と成立させてきましたが、日米軍事同盟の強化、教育基本法の改悪、そして、憲法九条の改悪・平和憲法の改悪を全面的に進めてきています。
 私達は、大手・中小の民問労働者、公務員労働者の総団結を勝ち取り、小泉構造改革に反対し、労働者の生活と権利を守る闘い、平和と民主主義を守る闘いに立ち上がらなげればなりません。
 今日、貧富の格差の拡大、杜会的不平等の拡大、飢餓と貧困の拡大、地球温暖化、自然破壊等が、全世界で深刻な問題になってきています。
 これらの問題を促進させているのは、規制緩和、市場主義の新自由主義的グロー-バリゼーションであり、自已責任、自助努力を強制する企業利益優先の社会です。
 現在、企業利益優先のグローバリゼーションを進めるWTO、FTAに対し、世界的な反対運動が広まってきています。
 私達は、公平・公正な社会を求め、共生と共存、平和と民主主義を掲げ、職場内外の仲間、全世界の労働者、そして戦争に反対する全世界の人々と手をつなぎ、共に闘っていかなければなりません。
 私達は、メーデーを「闘いの広場」と位置づけ、今日の状況、昨年までの経過を踏まえる中で、統一メーデーの実現を求めてきました。厳しく困難な時代の中、労働者の幅広い結集と一層の団結と闘いが求められていることを改めて訴え、第七六回日比谷メーデーの成功を宣言します。


競争より共生の社会を!  第76回中之島メーデー

 第七六回中之島メーデーは、小雨のぱらつく中、勇壮な関生(かんなま)太鼓のオープニングで始まった。
 集会冒頭に、4・25尼崎でのJR転覆事故の犠牲者の方々に黙祷を捧げた。
 はじめに前田大阪全労協議長が開会挨拶、加来全港湾大阪支部委員長が主催者挨拶を行った。ふたりの発言は、ブッシュの腰巾着となって憲法改悪を策し、海外利権のために自衛隊を海外派兵し、戦争国家体制への切り替えを行っている小泉政権に対抗し、労働運動が主力となって憲法改悪、グローバリゼーションと新自由主義に反対する幅広い戦線をつくりだし闘いを挑もうと強調するものだった。
連帯挨拶では、大阪労働者弁護団や市民派議員などが発言した。
 つづいて争議団からのアピール。郵政ユニオン近畿地本は、郵政民営化に反対し公共サービスを守ろうと「決議」を提案し、第二次刑事弾圧に屈せず闘う全日建関生支部、有期雇用ネット、不当な賃金削減にストで闘う尼崎外国人教師が決意表明を行った。ミニライプでは「インターナショナル」を合唱し、渡来国労近畿地本副委員長がメーデー・アピールを提案し、参加者全員で確認し、最後に団結ガンバロウを行い、雨の中で梅田までのデモを貫徹し、市民へのアビールを行った。(大阪通信員・河田)


子どもは《お国》のためにあるんじゃない!

             
教育基本法の改悪をとめよう

 五月七日、東京・代々木公園で「教育基本法の改悪をとめよう!全国集会」が開かれ、憲法と一体をなす教育基本法改悪に反対する人びと五五〇〇人が参加した。
 「かつて子どもだった人に 今の子どもに そして未来の子どもたちへ 戦争しない国で生きたい 子どもは《お国》のためにあるんじゃない!」をスローガンにした集会会場の代々木公園は交流のひろばやライブでもりあがりを見せた。
 午後二時から決起集会がはじまり、はじめに評論家の加藤周一さん(九条の会呼びかけ人)が、「徒然草」一二七段の「改めて益なき事は改めぬをよしとするなり」を引いてかえなくてもいいことは変えるべきでないとして憲法について話した。
 憲法の中心は九条であり、すべての前提は平和だ。国民の側もそれを生かしきる努力をしなければならないが、条文だけではだめで、生かすものは教育だ。だから教育基本法が大事なのだ。民主主義は、国のために国民があるのではなく、国民のために国があるということだ。いま、憲法や教育基本法に「国を愛する」ということをいれようとしている。それは、国が「私を愛せ」と命令することだ。愛するということは自発的なことだ。それを国が求めるというのはまことに図々しいことといわざるをえない。愛されたければ、魅力的な愛されるものになればいいのだ。憲法と教育基本法は表裏一体、車の両輪だ。
 つづいて呼びかけ人の発言。
 小森陽一さん(東京大学教授、九条の会事務局長)
 中国や韓国で「反日デモ」が起こったが、それは日本が侵略戦争を美化する教科書を検定合格させさせたり、首相が靖国神社を参拝したりすることが原因だ。憲法と教育基本法を守ることこそがアジアの平和を保証するものだ。そうしてこそ、周辺諸国の人びととの信頼関係をつくり出すことができる。
 三宅晶子さん(千葉大学教授)
 教育の場における労働ということについて考えてみたい。JRで大きな事故がおこったが、これは非人間的な労働によるモラルの低下だ。グローバリゼーションの名のもとにこうしたことがどこでもおこなわれている。教育の場でもそうだ。教育の場に国家の戦争のための内容が導入させられようとしている。東京では日の丸・君が代の強制、それに従わないものの処分がおこなわれている。憲法一九条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」としているが、これをまったく無視するものだ。労働者の権利と命と誇りが奪われている。憲法九条を守り抜き、戦争を拒否しよう。
 北海道、秋田、長野、東京、静岡、大阪、愛媛、沖縄からそれぞれの地での闘い・取り組みが報告された。
 呼びかけ人の高橋哲哉さん(東京大学教授)
 この会場に、「子どもはおくにのためにあるんじゃない」とあるが、これは私たちの運動の合言葉になっている。「教育基本法改正の目的は、お国のために命を投げ出してもかまわない子どもをつくることだ」と本音を語った政治家がいた。中国の作家の魯迅は「狂人日記」のなかでこの世の中は誰かが誰かを食べている世界だ。しかし、その最後で人間を食ったことのない子どもがまだいるかもしれない。「子どもを救え」といった。わたしたちは、子どもをすくわなければならない。逆に子ども達に救われるのかもしれない。わたしたちのなかにも、人間を食うのはイヤダ、平和や平等に生きたいという気持ちがある。そうしたものをもういちど私たちの中に生き返らせる運動にしていきたい。
 つぎに登壇したのは、教科書問題や日の丸・君が代で闘っている人びと。東京都教育委員会の不当な処分と闘う教職員も闘いの経過と決意を表明した。
 呼びかけ人の大内裕和さん(松山大学助教授)

 JR列車大事故は国鉄の分割民営化以来の新自由主義によっておこされたものだ。JR西日本の責任を追及すると共に、分割民営化を強行した中曽根元首相の責任が問われなければならない。国鉄の一〇四七名の解雇撤回は分割民営化と新自由主義の問題性を鋭く提起するものだ。もうひとつの貴重な闘いは東京都の日の丸・君が代強制への不起立闘争だ。戦争遂行の業務従事命令との闘いは各労働組合、労働者ひとりひとりに問われているが、東京都教育委員会の命令も同様だ。子どもたちを戦場に送るかどうかが現場教職員に問われている。陸海空港湾労組二〇団体は、有事法制を完成させない・発動させない・従わないという闘いに取り組んでいる。都の教職員の闘いは、このなかの従わない闘争にほかならない。不起立闘争は教育現場からの戦争拒否の運動であり。石原ファシズム都政、小泉内閣との闘いであり、全力で支援連帯していかなければならない。
 最後に「アピール」を採択し、渋谷パレードに出発した・

 5・7集会アピール

 教育基本法の改悪が行われようとしているなか、本日、私たちは組織・団体の枠を超えて全国から集まりました。教育基本法の改悪によって「愛国心」の強制、家庭教育への介入、教育行政による教育支配が進めば、教育が国家権力によって支配され、私たちの自由は奪われてしまうことになるでしょう。また改悪は子どもが教育を平等に受ける権利を奪い、エリートとその他大勢に分ける差別を強化します。
   ……(中略)……
 自民党は二〇〇五年度の運動方針案に教育基本法「改正」を明記しました。しかし私たちは二〇〇三年三月二〇日に中教審答申が出てから二年以上たった今日にいたるまで、「改正」法案の国会上程を行わせていません。この情勢は、「日の丸・君が代」強制への反対運動、二〇〇三年に行われた「教育基本法改悪反対!一二・二三全国集会」以降、新たな連帯を生み出しながら広がっていった多彩な運動の展開、憲法改悪に反対する運動・世論の大きな広がりなどによって生み出されたものだといえます。しかし、政府・与党は教育基本法改悪法案の国会上程をあきらめてはいません。また二〇〇五年四月五日には、近代日本の侵略戦争と植民地支配を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書が検定を通過しました。「つくる会」教科書の検定合格と採択へ向けての動きは、教育基本法と日本国憲法の改悪と密接に関係しています。私たちは「つくる会」教科書の採択に反対します。それは「つくる会」教科書の検定合格、小泉首相の靖国神社参拝、日本の急速な軍事大国化などに対して立ら上がった中国・韓国をはじめとするアジアの市民の訴えに誠実に応答し、彼らと平和に基づく連帯をつくっていきたいと考えるからです。そのためには過去における目本の侵略戦争の責任を明確にし、学校教育の場で子どもたちに教えていくことが必要不可欠です。二〇〇五年七月から八月にヤマ場を迎える「つくる会」教科書採択を阻止すること、それは教育基本法改悪法案の国会上程、さらには改悪そのものを阻止することにつながります。私たちは、教育における自由と平等と民主主義の理念を守り、実現し、今また繰り返されようとしている侵略の歴史にストップをかけるために、教育基本法の改悪を全力で阻止することを、ここに宣言します。


日本労働弁護団の労働契約法制の在り方に対する見解

 「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会中間とりまとめ」に対する見解

 二〇〇五年四月二七日  日本労働弁護団  幹事長 鴨田哲郎

 「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」(座長・菅野和夫明治大学法科大学院教授)は、四月一三日、「中間取りまとめ」(以下、「報告」という)を公表し、今秋には最終報告を提出するとしている。
 日本労働弁護団は、昨年〇四年六月二四日、「労働契約法制の基本的性格についての意見書」を公表すると共に、九四年四月に公表した「労働契約法制立法提言(第一次案)」、九五年六月に公表した「労働契約法制立法提言(緊急五大項目)」、〇二年五月に公表した「解雇等労働契約終了に関する立法提言」の今日的見直し作業を進めてきた。〇五年版労働契約法制立法提言は近々公表予定であり、本「報告」における労働契約の成立・展開・終了に関する個別事項については、上記立法提言が「報告」に対する見解と対案にもなるので、本見解では、「報告」の基本的考え方と主要な問題点について見解を述べる。五月に再開される「研究会」において、本見解及び当弁護団の立法提言を十分に検討のうえ、最終報告がとりまとめられることを要望する。 

 第一 われわれの基本的考え方 ― 労働契約法制の必要性とその基本的性格について
 一 当弁護団では、九三年一月の、いわゆるパイオニア・ショック以来、今日まで一二年にわたり、電話・面接による労働者からの労働相談活動に取組み、毎年六月と一二月には「全国一斉リストラ一一〇番」も実施しており、相談件数はここ数年、二〇〇〇件を超えている。また、全国の労基署等に寄せられた個別民事紛争の相談件数は〇三年度には前年比三六.五%増の約一四万八〇〇件に及んでいる。この他、各自治体が行っている労働相談やあっせん、様々な労働組合が取組んでいる労働相談も多くの相談の対応に苦慮するほどの状態にある。
 二 労働契約をめぐる実情や紛争から今日明らかになっていることは、使用者が圧倒的に優位なその地位に基づいて労働関係の成立、展開、終了にかかわる労働条件を実質的に決定しているという点である。就業規則の定めを利用しての、あるいは就業規則の変更を用いての労働条件の決定や変更・切り下げはもとより、「合意」の名の下の事実上の強制もその中に含まれる。
労働契約をめぐる問題の本質は労使の対等性の欠如にあり、このことからすれば、労働条件決定を労使自治に委ねることによっては公正な労働条件、適正な労働条件を確保することは困難であることがまずもって認識される必要があり、労働契約にかかわる立法の必要性と立法内容はこの点におかれなければならない。
われわれも労働契約の内容が労使の合意に基づいて決定されるべきことを否定するものでもない。しかし、労働契約における労使の合意形成に労使の自由な意思に基づく対等性を期待することは困難であるが故に、契約内容たる労働条件については、その内容および手続の両面において法による一定の準則を定めることが必要不可欠であり、その準則のうえに労使の合意がなされるべきであると考える。
また、労働契約をめぐる主要な問題が判例法理に委ねられているということは、労働契約の当事者たる労使双方にとって、準拠すべき行動規範の明確性・安定性という点から、さらには、紛争が生じた場合の裁判規範の整備という点から好ましいものではない。
 さらに、労働契約法制の内容については、最低基準の保障としての労働基準法の内容のみでは不十分であるとともに、刑罰法による対応も適切ではない。
このような点を指摘しての、労働契約法制の必要性についての「報告」の指摘それ自体については、われわれとしても異論はない。
 三 問題の基本は労働契約法制を制定するに際し、労働契約法制をどのようなものとして性格づけるか、にある。
われわれは、前述した理由から、労働契約法制の制定にあたっては、労働条件の適正な基準を可能な限り定めることに主眼がおかれるべきであると考える。
ところが、「報告」は、労働契約法制の性格を「労使当事者の自主的決定を促進する労働契約法制」と位置づけ、この基本的性格を具体化するための内容を定めようとする立場をとっている。しかし、「自主的決定の促進」によって適正な労働条件の実現が可能であるとする「報告」の立場には賛同し難い。労働契約をめぐって生じている問題の根本にあるのは、「自主的決定」による適正労働条件設定は困難であるという厳然たる事実であるからである。
「自主的決定」を、より可能にするための制度を設計することは問題を解決するひとつの方策ではあるが、それをもって労働契約法制において期待される主要な役割とすることになれば、労働契約法制は労働契約をめぐる現状、とりわけ労働者のおかれている状況を改善することに資するものとはなり得ない。「自主的決定」に委ね、その決定を容認し、決定の内容について法が容喙しないというのでは、適正を欠く労働条件が「自主的決定」の名の下に正当化されることになりかねない。
「報告」が労働契約法制の必要性を強く指摘しながら、労働契約法制を、「労使当事者の自主的な決定を促進する、公正かつ透明なルールを設定」するものと位置づけ、労働契約内容のあり方についての法規制に消極的であるのは、今日求められている労働契約法制のあり方からしてきわめて遺憾であると言わざるを得ない。「研究会」として、改めて労働契約法制に求められる今日的役割についての論議を深め、そのうえにたって「報告」の内容を見直し、最終報告に向けて真摯な議論を行うよう強く要望する。

 第二 「報告」が提起する、労働契約法制の必要性について(略)
 第三 労使委員会制度について(略)
 第四 就業規則法制について(略)
 第五 雇用継続型契約変更制度について(略)
 第六 解雇の金銭解決制度について(略)
 第七 有期契約について(略)
 第八 労働時間法制の見直し(略)


107人はJR経営に殺された  JR西福地山線大事故は分割・民営化の必然的結果

JR発足以来の大惨事

 四月二五日朝、JR西日本福知山線で列車脱線転覆事故が発生した。一〇七名のもの人命を奪い、多数の負傷者が出るJR発足以降最大の大惨事となった。
 事故原因は調査中であるが、現場のカーブは制限時速が七〇`であるにもかかわらず、一〇〇`を超えるスピードであったとされている。そして、そのような事態をもたらしたものが、JR西日本の「儲け」第一主義であることが明らかになりつつある。利潤第一主義は、当然にも公共交通としてもつべき安全を軽視させた。このJR西日本の体質が多くの死者・負傷者を生みだしたのであり、JR西日本経営陣の責任は計り知れない。
 その上、今回の事故に際してもJR西日本の対応はは異常なものがあった。事故直後から責任のがれに終始し、レール上の石粉を置石とするような発表を行い、運転士が亡くなったことが確認されるやこれで事故の真実が知り得なくなったという談話を発表したりした。JR西日本経営陣にはなんの責任もなく、なんとか他に責任を転嫁して、無事にすり抜けようという魂胆が連日テレビで放映された。
 JR西日本はこれまでも大きな事故で多くの人を殺してきた。九一年の信楽鉄道の列車衝突事故や〇二年の消防の救急隊員が救助中にもかかわらず列車に接触させて死亡させるなどの重大事故を引き起こしてきた。それら事故や遅れなどは、乗務員の個人的ミスだとされて、「日勤教育」という名の精神教育、実際は個室での陰湿なイジメがおこなわれてきた。

「儲け」は人員削減から

 こうした利潤第一主義はJR西日本だけではない。たしかにJR西日本は「完全民営化」をおこなったとされるJR三社の中ではJR東日本、JR東海に比べて経営基盤が弱いし、その上に阪神淡路大震災などで問題となった橋脚工事手抜きやトンネルコンクリートの剥落など多くの問題を抱え、そして私鉄とのきびしい競合関係に晒されている。そのJR西日本が史上最高の経常利益を上げられたのは、安全を軽視して、労働者を締め付けて「儲け」優先経営を進めてきた結果である。
 有名になったJR西日本の「日勤教育」のようなことは、国鉄分割・民営化時の「人活センター」などでもリンチまがいのことが行われ、多数の自殺者を生み出した。そしてその体質を継承した国鉄分割・民営化以降のJR各社は、合理化による効率化、とりわけ要員の削減によって利潤を競い合ってきた。なによりも儲けを優先することのもう一面は、労働者と当たり前の労働組合の権利と声を圧殺することだった。輸送をはじめ業務の一線で働くベテラン(その多くは国鉄労働組合に所属)が若い労働者に業務を教えるのを阻止した結果、業務における継承性は失われてしまった。組合差別はJRにおける技術・技能水準を低下させる原因ともなっているのだ。当然、過密ダイヤとスピードアップが極限にまで追求された。JRの職場では秒きざみの運行管理がなされ、そのために運転席の背面からの監視などで労働者は縛りつけられている。列車の遅延ともなれば、勤務を外されて出勤停止などの処分が行われる。そして「日勤教育」だ。
 この安全軽視の経営施策は、労働組合や多くの識者からならず大惨事をもたらすだろうと指摘され、警鐘が鳴らされてきた。それが今回のJR西日本の甚大な事故で現実のものとなった。しかし、このことはJR各社の実態の氷山の一角が露出したにすぎない。JRの職場の実情が明らかになるにつれて、そこには危険な事故がおこる可能性が各所にあることが暴露されてきた。JR経営に対する監視を強めるとともに、国鉄分割・民営化が再度社会的に問題にされて行かなければならない。

中曽根以来の新自由主義

 こうしたJR経営をもたらした国鉄分割・民営化を強行した当時の中曽根内閣の責任は極めて大きい。中曽根は、当時のアメリカ・レーガン大統領、イギリス・サッチャー首相らとともに新自由主義の尖兵としてあった。中曽根は、規制緩和・行政改革の断行を掲げ、その目玉として国鉄分割・民営化政策があったのである。
 新自由主義政策は、現在の小泉政権の下で、全面開花している。
 郵政民営化は国鉄の時と同じく地方過疎地域の人びとを抹殺しようとし、労働者は苛酷な労働条件を強いられようとしている。いま、新自由主義の儲け第一主義の風潮の中で、さまざまま事故・トラブルが続出している。雪印食品、三菱自動車、金融機関などさまざまな分野で重大な問題がおこっているが、公共交通機関のそれは多くの人命に直接かかわるものだ。日本航空のうちつづくトラブルはその象徴的なものだ。

事故は警告 闘争強化を

 JRをはじめ多くの企業の利潤第一主義、そして政府・自民党とうの新自由主義は、これからも多くの犠牲・惨事をもたらすだろう。今回のJR福知山線大事故は、重大な意義を持つ警告でもある。
 われわれは、JR各会社に対して、安全重視第一の公共輸送機関としての責務を果たすことを求める。そのためには、合理化の見直しと安全輸送る諸施策の実行、一〇四七名の解雇問題をはじめとする組合差別の根絶などが不可欠だ。そして、この課題を、小泉政権の新自由主義政策とアメリカ追随の戦争政策、改憲策動に反対する闘いと結び付けて前進させていかなければならない。


 JR尼崎事故の責任は全JR経営陣と白民党政府にある !

                         
K・K(尼崎労働者)

 四月二四日、私は伊丹昆陽池公園で開催される自衛隊イラク派兵反対集会に参加のため、福知山線の電車に乗っていた。
 この福知山線は帰省するときによく使ってきた。JR伊丹駅まで行って、そこから大阪空港までバスでいくと最短で最も安く行ける。この日も尼崎駅で乗り換えて車窓に広がる風景を眺めていた。駅を出ると神戸線と並行して走り、少しずつカーブしながら高度を増していく。一度、高度を増した状態で神戸線に直角の方向へと遠ざかる形になる。高度の上がった状態で、六甲山やキリンビールの跡地などJR尼崎駅周辺の再開発の様相が一望できる。この状態から尼崎卸売り市場などの建物を左手に見ながら列車は再度下っていく。この周辺は工場が点在しながらも、つい最近までたんぼがあったところである。まさか次の日に歴史的な悲惨な列車事故が起きようとは夢想だにせず伊丹駅で下車した。

 次の日、職場で食事の用意をするために食堂をかねている更衣室にいつものように一二時五分前に上がった。テレビをつけ皆の昼食を並べ始めた。そのとき尼崎という字が画面に現れたような気がしたがあまり気にしなかった。そのうち正式なニュースでどうもJRの列車事故が起きたらしいことがわかった。それから時間を増すごとにその規模の大きさと犠牲者の多さが明らかになっていった。ちょうど阪神淡路地震のときと同じ感じだ。
 それにしても、あの地点でなぜ時速一〇〇`を超えるスピードを出していたのか素人的に考えても不思議であった。事故地点の小さなカーブをすぎるとしばらくして大きくカーブしながら尼崎駅へと入って行かなければならない。なぜ?!というのが率直な疑問であった。
 少しずつ事故の原因らしいものが明らかになっていったが、一般的な感覚ではなぜそれほどまでにしてそうしなければならなかったのか理解しかねる事情であった。

 民営化による利益第一主義、安全性への軽視

 この福知山線は、かつては単練で宝塚から武田尾峡を抜け三田、篠山、福知山へといたる牧歌的な線であった、やがて複線化されたが、それは三田市やその周辺の開発による都市化がすすんだのと照応していた。交適の便とともに大阪、神戸もその通勤圏となり、自然と都市機能が共存する理想のタウンとなった。これに拍車をかけたのが東西線の開通とそれと連結することになる福知山線(宝塚線)の変貌であった。かくて三田あたりを同志社前行きが走り、大阪の東部を三田行きが走るということになった。はじめのうち大阪在住の者でもうっかりするととんでもない方向の電車に乗りそうになるほどであった。とにかく列車の本数が増えたのである。このことによってとなりの立花駅より乗降客のすくなかった尼崎駅が全ての電車が止まる駅に昇格し、周辺開発が進められ現在も進行中である。

 以上は乗客の側から眺めた情況であるが、そこで働く労働者、経営者にとってはどうであっただろうか?
 当初、伊丹駅でのオーバーランと書かれていたが、これはよく経験することであり、それだけでは事故との関係は明かではないが、過密ダイヤということはよくわかった。それというのも、地方にいく時、電車はいつでも駅にくるものではなく時間を調べていくか、時間つぶしを考えておかなければならない。都市部ではそれこそいつでも列車がはいってくるのが通常感覚である。ましてや通勤時間帯ともなればどのように全体の調整をしているのかと不思議なほどである。しかし、当然にも過密ダイヤは危険性を潜在させている。
 問題はここから先である。まず運転士の年齢の若さとその一秒単位での管理職側の管理、それにすこしでも遅れれば「日勤教育」という名の罰があった。この驚くべき世界には同じ労働者として怒りがわいてきた。JRという企業(敢えて固有名詞で呼ばないのはJNR<国鉄>民営化によってできたJR各社の経営者の体質は同じであると予断と偏見を持つからである)は政府と一体となって国鉄からの民営化を進めてきたが、とりわけ国労とそこに結集する労働者への差別、分断政策によって闘う労働者への攻撃を行ってきた。全国的な交通手段としての国鉄を解体し、利益中心の採算性のみを追求する企業集団を形成してきた。当然にも都市部中心の展開となり、地方は「赤字線」やバスなどの関連事業の廃線・縮小とともにその発展の基磯を政府によってもぎとられた。

 その後に起こったいくつかの列車事故のたびに、JRの安全面における無策が指摘されてきた。信楽鉄道事故や大阪での救助作業中の消防隊員のひき殺しなど、事故のたびに、JRのその場その場の言い訳が行われてきた。その根底にあるのは利益第一主義であり、何がなんでも列車の復旧を早めようとする姿勢であった。

過密ダイヤと日勤教育という名のみせしめ


 今回、運転士がなぜそこまで無理をしてスピードを上げ、一秒単位で時間を取り戻そうとしたのか謎であったが、少しずつJR西日本の管理職の安全政策ならぬ時間優先政策が浮き彫りになってきた。時間に遅れたり、オーバーランをすると「日勤教育」というものが施され、一種の罰をうけるのであった。
 これは職場の労働者の安全管理の感覚から考えると何を考えているのやという怒りが湧く。ましてや人命をあずかる労働である。職場での教育は、技能向上と意識向上がその柱であり、その労働者の適性も含めて問われなけれはならない。そこでは適度な緊張と労働者自身の責任の自覚が必要であり、JRの「教育」のような時間や帳尻あわせのような作風を生み出すものがあってはならない。JRの各社にも民営化によって換骨奪胎されたとは言え労働組合がある。この安全に関する領域にたいする黙視、もしくは無自覚があったことの主体的な反省、切開が必要であるだろう。自らを安全圏においての経営者追及では、今ひとつ説得力がなく後手ごてにまわることになるだろう。

 JRは、民営化によって資本の投資順位を利益第一にし、労働者と設備の合理化にたより、労働者は入れ替え可能であり、たたけばいいなりになるという信念に近いものが一般の感覚とかけ離れた日勤教育をうみだしたとしか思いようがない。
 いま日本の多くの産業の中で進行しているコンビューター化の結果としての単純作業の軽視がある。とくに単純反復作業は一見したところの作業の容易さとは別に日々これを正確に繰り返すということにはある種の熟練を要する。おそらくこの点は労働者を取替え可能な商品、それも安価な商品としか見ない経営者には理解を超えることであるだろう。
 設備の近代化によって二〇代の運転歴一年の青年も問題があっても運転をし続けられる、あるいは運転させられつづける構造というものは旧来の労働概念では理解が困難である。

 公共性の高い事業への民衆の監視

 この事故に対して消防を中心に救助作業が進められ、周辺の工場(日本スピンドルの労働者たちは社の方針もあって多数駆けつけた)や、近くの大成中学の関係者もかけつけたということであった。白井尼崎市長も消防隊員を激励するとともに被害者や列車が突っ込んだビルの居住者との話し合いに誠意をもって臨むこと、安全策最優先の復旧などについてJR西日本への申し入れを行っていた。
 おそらくこのような不幸なできごとの中で震災の時と同じような人びとの間での助け合いが行われたことがもっと明かになっていくであろう。しかし失われた人命のいかに大きかったことか、そして傷つき今後もひきずっていかなければならない人のいかに多いことか!。
 忘れてならないのはJR経営者とそのような政策を推し進めてきた自民党政権の犯罪行為である。今、民営化によって、日本の民衆が失ったものの大きさを感じざるを得ない。当然そのことは鉄道のような社会性の大きな事業を再度民衆の側に取り戻すための道筋を追求していくことに繋がることでもある。


自衛隊の第六次イラク派兵を阻止しよう

 自衛隊の第六次イラク派兵が行われることに抗議してさまざまな闘いが取り組まれている。
 第六次派兵は陸自中部方面隊第三師団(伊丹)を中心に、広島海田一三旅団など近畿・中国・四国の部隊約五〇〇名といわれる。
 ブッシュや小泉がイラク攻撃をした口実(フセインの大量破壊兵器の保有やアルカイダへの支援)は完全に捏造されたものであることが暴露された。にもかかわらず、ブッシュは、イラク戦争開始の謝罪も反省も行わず占領支配をつづけている。しかし、イラクでは米軍とそれによって支えられているイラク政府なるものは連日の攻撃を受けている。宗教・民族対立はいっそう激化している。米兵の死傷者は増大し、アメリカ本国では、もっとも犠牲の多い陸軍や海兵隊は予定した新入兵士の確保に失敗し、補充もままならない状況だ。占領軍から撤退する国も増加している。ブッシュの盟友ブレアも総選挙でイラク戦争がひとつの争点となり撤退の世論を考慮せざるを得なくなっている。アメリカの戦費もかさみ財政赤字が拡大している。
 こうした状況にあるにもかかわらず、小泉政権は、ブッシュのイラク戦争(そしてアフガニスタン戦争)への加担の度合いを強めている。イラクで自衛隊はなにをやっているのか。当初の水・医療支援はNGOなどが行うようになって大幅に減少し、現在は道路や学校などを補修する活動が主なものになっているという。だが、補修のための建設・土木作業は現地の住民が行っている。しかし、いまも、当初からの六〇〇人態勢が継続している。まさに派兵のための派兵そのものであり、日本政府がアメリカを支持し、イラク占領軍の一翼を担うという姿勢をアピールするものにほかならない。誰に対してのアピールか。それは第一にブッシュに対する忠誠の証としてである。

 五月七日には、防衛庁前で、「イラクからの自衛隊撤退と沖縄の米軍基地撒去を求める実行委員会」(反安保実\)主催の抗議行動が行われた。
 抗議集会の後、大野功統防衛庁長官にあてて「自衛隊のイラク第六次派兵の中止と第五次隊の即時撒退を求める」申入書を手渡した。
 「……自衛隊の派遺が、.米国の戦争・占預政策を政治的に支持するためのものであり、米兵を輸送する航空自衛隊の活動のように実際に『掃討作戦』という名の民衆虐殺を含む占領政策に加担するものであり、さらにまた今後も行われるであろう米軍と一体になったさらなる『対テロ戦争』へ向けて、海外派兵軍へと脱皮する自衛隊の軍事訓練(経験の蓄積)の一端として行われているものであることは明らかである。それを『イラク復興支援』と称して、イラク民衆を、私たちを、そして派遣される自衛隊員をも欺きながら進めているに過ぎない。自衛隊のイラク派兵に対しては、今回の第六次隊の地元伊丹をはじめ、全国各地で反対の声が広がっている。私たちはそれらの声と連帯しさらに声を大にして以下のことを要求する。
 @第六次支援群への派遣命令ただちに撤回し、派兵をするな、A現在イラクに駐留する自衛隊を即時撒退させよ、B米軍の対テロ戦争支援のためにインド洋に派遣されている海上目衛隊の艦船を即時撤退させよ」。
 そのほかにも、「人権平和浜松 NO!AWACSの会」、「有事法制反対ピースアクション」、「関西共同行動」、「ピースリンク広島・呉・岩国」などの抗議文なども手渡された。


やめろイラク占領!いくなもどれ自衛隊! 自衛隊伊丹基地包囲行動

 五月に伊丹駐屯地から五〇〇名の自衛隊員がイラクに派兵をされようとしています。
 四月二四日、兵庫県丹伊市の昆陽池公園で「やめろイラク占領!いくなもどれ自衛隊!イラク派兵反対大集会」が開催され、ヒューマンチェーンで基地を取り囲み、地域への訴えを一二〇〇名を越える人たちで行いました。
 集会は地元の方々による大太鼓やエイサー舞踊そして合唱などで盛り上がりました。
 各層からの決意表明を受けながら党派を超えた多くの人びと・団体が集まり、また地域の多くの仲間が参加をしました。
 伊丹市にある基地と方面隊本部を取り囲んで「自衛隊は出て行くな、今すぐイラクから帰れ、イラクの人を殺すな」とウエーブやシュプレヒコールを行い、申し入れを読み上げながら訴えました。
 一日一億円がかかる派兵、そして劣化ウラン弾での被曝問題など多くの問題をかかえる派兵、外交オンチの小泉内閣を一刻も早くやめさせないけません。
 戦争反対!
 アメリカ追従はゆるさないぞ!


4・29 改憲と天皇制の戦争責任を問う行動

 四月二九日、千駄ヶ谷区民会館で「改憲と天皇制の戦争責任を問う4・29集会」が開かれ、一二〇人が参加した。右翼は街宣車のボリュームをいっぱいにあげ妨害行動をつづけた。
 講師は、VAWW−NETジャパンの西野瑠美子さんと靖国参拝違憲訴訟の会・東京の辻子実さん。

 西野瑠美子さんは、安倍晋三や中川昭一らのNHK番組改竄は、「慰安婦」「南京大虐殺」、そして戦後民主主義の最大の躓きの石でありタブーである「天皇の戦争責任」を押しつぶそうとしたうごきであることについて、事件の経緯を詳細に述べながら説明した。
 辻子実さんは、四月二六日に東京地裁(民事一二部)判決の出た「靖国神社公式参拝違憲訴訟・東京」、および天皇の祭祀について述べた(靖国神社公式参拝違憲訴訟・東京は、小泉純一郎首相の二〇〇一年八月一三日の靖国参拝、石原慎太郎都知事の二〇〇〇年八月一五日及び二〇〇一年八月一五日参拝についての訴訟で、東京地裁は、不当にも、この裁判の争点である職務行為該当性及び宗教的活動該当性を判断せずに原告らの請求を棄却した)。
 靖国神社公式参拝違憲訴訟は、福岡を除いて、原告の請求は退けられた。みな門前払い判決だ。
 敗戦の翌年一九四六年の食糧メーデーでは「朕はたらふく食ってるぞ。汝、臣民、飢えて死ね」というプラカードが不敬罪とされた。まだそんな状況だったのだ。津地鎮祭裁判というのがあった。これは、教育施設建設にあたっての地鎮祭は、神道儀礼でありこれが拡大されていったら大変なことになると訴えたものだ。しかし当初は弁護士もつかなかった。しかし、この裁判を契機にして、山口自衛官合祀裁判、箕面や長崎などでの忠魂碑訴訟、愛媛玉ぐし料裁判などが闘われるようになった。一九九七年には愛媛玉ぐし料裁判で画期的な判決も出た。しかし、即位の礼などでは反動的判決がつづいている。
 天皇の祭祀で重要なものは新嘗祭だ。収穫したものをまつるものだ。新しい天皇が即位してはじめて行うものが大嘗祭だ。その新嘗祭には三権の長(首相、国会議長、最高裁判所長官)がでている。これは大問題だ。
 いま女帝論議が盛んで、皇室典範に関する有識者会議などが開かれている。右派の学者の中には、女帝では皇室の祭祀は出来ないとして反対し「浅薄な女帝論を排せよ」などいう論文などが掲載されたりしている。しかし、それでは天皇の血筋が絶える。ではどうするか。新しい祭祀をつくることになる。天皇制はそうした融通無碍なことで生きながらえてきたことを忘れてはならない。中曽根などは靖国神社からA級戦犯をわけようとしている。それは、対アジア外交の面での局面打開もあるが、そのことによって天皇を参拝させる条件をつくろうとするものだ。
 つづいて、実行委員会参加団体からのアピールがおこなわれた。
 最後に集会宣言が採択され、デモに出発した。

改憲と天皇制の戦争責任を問う4・29集会宣言

 …… (前略) ……  衆院憲法調査会に統いて、参院憲法調査会も最終報告を提出した。改憲に向けたステップはまた一段大きく進んだ。改憲のための「国民投票法案」も、秋の臨時国会で成立が目指されている。天皇条項については、自民党の改憲プランでも、天皇が「元首」であるとの明文化・天皇祭祀の「公的行為」としての復権といった「復古調」の中味はとりあえずは後景化した。「日本の歴史や伝統、文化に根ざした我が国固有の価値」なるものを語る憲法前文に天皇を位置づけようという動きもある。他方で、象徴天皇制を「維持」し、女性天皇を容認する方向は、議会内政党の共通認識となっている。
 そして、この六月末には天皇夫婦のサイパン訪問が予定されている。かつて「委任統治領」として日本が植民地支配をおこなった「南洋群島」の中心に位置するサイパンは、アジア太平洋戦争における激戦地であり、多くの死者を出した。多くの日本人が身を投げた「バンザイクリフ」や米軍の戦没者慰霊碑を訪れる「慰霊の旅」をするというのだ。
 それは、けっして、たんなる「過去」の問題ではありえない。とりわけ、イラクヘの自衛隊第六次派兵が強行されるというこの時期に、戦争の死者を国としてどのように位置づけるかが、靖国神社、あるいは「無宗教の国立追悼施設」問題として問われ続けている。私たちは国家による死者の利用、国家によるあらゆる「慰霊・追悼」を許さない立場から、この問題にかかわっていく。
 戦争国家化の中で新たな形で進行する、一連の天皇制の再編強化の動き、これに対して私たちは、反天皇制の闘いを強化していこう。アジアの人びととともに天皇制の戦争・戦後責任を問い続け、そして夏に向けて「皇室外交」と国家による「慰霊・追悼」を批判する行動を持続していこう。本日の集会とデモを、そのための一歩としてかちとっていこう。最後までともに闘おう。

二〇〇五年四月二九日

改憲と天皇制の責任を問う4・29集会参加者一同


映 画

   「ベアテの贈りもの」

    
藤原智子監督・「ベアテの贈りもの」製作委員会 

 議案提出権のない国会の憲法調査会は、本来ならば憲法の各条文ごとに、この映画のように六〇年間の戦後の日本社会のありようと憲法との関係を検証しなければならなかったはずである。
 最近のメディア報道にあるように、この映画を作ろうという話が出てからは、労働省婦人少年局長だった赤松良子を製作委員会代表にして、女性官僚・民間企業役員経験者や各界で活躍している女性たちが中心で製作費用をあつめた。この世代は、文字通りベアテの贈りものである憲法十四条と二十四条に励まされ、戦後の女性の社会進出をリードしてきた群像だ。映画にはそうした思いが随所に溢れている。
 憲法を題材にした映画といえば硬い感じをもつが、前半は、若くして十四条や二十四条を提案することができたベアテの豊な人間形成過程が表現されている。後半は憲法を手にした日本女性のたゆまぬ努力の道程になる。映画全体にはベアテの父親で世界的ピアニストのレオ・シロタの美しいピアノが流れ、ドラマティックかつ楽しい作品となっている。
 東北新幹線で岩手にある野村胡堂記念館に向かうベアテの映像から始まる。レコード蒐集家でもあった胡堂は、ベアテも持っていないレオ・シロタのレコードを残していて、そこでベアテはレコードを聴き、また日本の憲法作成にまつわる講演をすることになっていた。ベアテの父レオ・シロタはキエフ生まれのユダヤ人で、早くからピアノの名手として注目され、二〇歳の時には当時文化の中心だったウィーンでピアニストとして活躍していた。ベアテの母オーギュスティーヌは美貌と才気でサロンを形成し、多くの芸術家や文化人が集まった。こんな家庭でベアテは五歳までをウィーンで過ごす。
 レオは山田耕筰に請われ、現在の東京芸術大学のピアノ教師として来日する。これに伴いベアテは五歳から十五歳まで日本で暮らす。東京のベアテの家もウィーン同様に芸術家や文化人が数多く集った。両親の愛情に包まれ、文化的ななかでベアテは成長し、日本社会にも目を向けていった。当時を映した珍しいホーム・ムービーの映像では日本の友達と遊ぶベアテの姿もある。大学進学でアメリカに渡ったベアテは、戦争が激しくなり、両親との音信が途絶えてしまう。戦後、民間人では来日する道がなく、軍属として日本にきてようやく両親と再会する。突然、憲法制定のチームに加わることになったベアテは、図書館で探せる限りの資料を集め、世界でもっとも進歩的な憲法を作ろうとする。戦前の日本の女性の無権利状態に心を痛めていたベアテは、女性の権利獲得のため多くの条文を作ったが、日本側からは天皇制の条文よりも激烈な反論が起き、現憲法となった。
 映画の半分以上は、戦後の行政、政界、経済界、働く女性など各界の女性による「ベアテの贈りもの」を獲得する闘いの映像である。注文をつけるならば、制作委員会を反映してか、やや官界に偏りすぎてはいまいか。働く女性、消費者や文化面などが考慮されれば、もっと身近に入りこむ力をもてただろう。
 でも観たあとに微笑みがでてくる映画である。今は男女平等が空気のように当たり前になっている世代にも是非この映画を観てほしい。
 六月中旬まで岩波ホールで上映する。以後は、すでに全国の女性センターなどを中心に三〇か所ほどで上映の予定がある。上映計画を作って召請も可能。 (Y)


KODAMA

     メーデー雑感


 連合のメーデーは連休初日の四月二九日に開かれた。代々木公園で開かれた連合の「第七六回メーデー中央大会」で主催者を代表して挨拶した笹森清連合会長は「多くの仲間で埋め尽くされたこの会場に来て、賛否両論ある中、強い要望を汲み、五月一日にこだわることなく、メーデー開催を連休初日に決め良かった」と述べた。
 しかし、労働者の力は団結。働く者の祭典と言われたメーデーがナショナルセンター別に開催されるのが当然のようになってしまったが、五月一日に開かれた全労連(代々木公園)と全労協(日比谷公園)は相互にメッセージを交換していたし、日比谷メーデー・アピールには「統一メーデーの実現」もあった。
 連合メーデーだが、気付いたことはNGOの参加テントが多かったこと(実にさまざま)、それに笹森会長発言だ。本集会の前に音楽堂では「声を上げよう!パート・派遣・契約労働者&フリーター」が開かれていたが、そこで笹森は、非正規雇用労働者に対する組織労働者の責任を言い、連合は差別撤廃のために断固闘うなどと決意表明をおこなっていた。本集会のあいさつでは「日本では急速に二極化が進み、弱者は切り捨てられ、日本が誇ってきた安全神話さえ崩れている。給与世代八二・七%のこの国では、労働運動で社会を変えることができる。給与所得者の代表である連合が<労働運動の再生・活性化>を成し遂げ新しい労働運動を展開し、日本再生の一翼を担い、誰もが笑顔で安心して暮らせる日本を、必ず取り戻す。そんな決意を込めて挨拶します」と述べていた。
 しかし、来賓あいさつでは、尾辻厚労相、そして石原の第一の側近浜渦副知事などが、労働組合の協力ぶりをたたえる発言。

 日比谷メーデーで外国人労働者が、資本のグローバリゼーションに反対する労働者のグローバリゼーションを訴えていた。まさに、万国の労働者、団結せよ、だ。右派潮流に支配されている日本労働組合運動だが、さまざまな動きが出てきている。今度は、闘う労働者が労働戦線の左翼的再編のために協力し合うときだろう。(K)


せ ん り ゅ う

 5月3日に

 九条の歴史を歩む顔とかお

 九条の顔で国連動かせる

 憲法の平和立国庶民のねがい

 悪政が現憲法をけむたがり

  *

 反省は今度は負けぬの御参拝

 ATC小泉君に装着したい

 「稼ぐ」ため安全は二の次に書き

               ゝ 史

二〇〇五年五月


複眼単眼

     
徴兵制にまつわる議論の検証と「草の実会」

 恥をさらすのだが、先日、某市で講演をしたときに、この短歌が思い出せなくてとまどっていたら、終わり頃に参加者の一人がメモをして私のところに持ってきてくれた。面目ない次第であるが、歳のせいでこういうことがままあるのだ。礼を述べて、ただちに皆さんに披露した。
 徴兵は命かけても阻むべし 母・祖母・おみな牢に満つるとも
 これは草の実会の石井百代さんという方の作品だ。石井さんはすでに亡くなったが、暫く前、草の実会の人びとがこの短歌をプリントして広めていた。その草の実会も高齢の理由で昨年、解散した。私はこの歌を時々紹介することがある。徴兵制はもう無いというような雰囲気が運動圏にもまだある。電子戦争の時代には徴兵制は向かないんだというような説をいう人もいる。「そうだろうか」と思うのだ。
 「九条の会」の加藤周一さんが「米国が徴兵制にもどるとき日本もそうならない保障はない」という話をしたことを、「加藤は米国も徴兵制をやめたことを知らない。年令のゆえか。加藤のためにも撤回させよ」などと執拗に言ってくる人がいた。これは誤解によるものだ。加藤さんの頭脳はいまだ明晰だ。
 冒頭の私の話は先般、前防衛庁長官の石破茂が出した「国防」という本を話題のひとつに取り上げたときのことだ。四月一五日号の本欄で触れたが、石破はここで「徴兵制は憲法の禁ずる苦役にあたらないので、憲法違反ではない」「しかし、だからといって私は、日本に徴兵制を敷こうと言っているわけではありません」「現代において、一般の寄せ集めの軍隊では意味がない。超プロフェッショナルの集団でないと、弾道ミサイル防衛などできません。そしてまたコストがかかってしかたがないという面もあります。徴兵制は安く済むと思われるかもしれませんが、たくさん人を採ると当然、コストがかかるんです」などと説明している。
 これはなんとも嘘っぽい。いったん、徴兵制は合憲だと、そのたがをはずせばどうなるのか。石破の論理は満腹のオオカミを羊の群れに放して、オオカミは満腹だからずっと安全だというようなものだ。戦争は弾道ミサイルだけでするものではない。現にイラクで米軍は一三万以上の兵力を投入し、さらに民間軍事会社なども入れている。本当に兵力が不足したら徴兵制の復活など、米国では容易にあり得る話だ。石破のこんな話にごまかされるわけにはいかない。
 五月五日の東京新聞が報じているのだが、日本でも「徴兵制を視野に入れた防衛政策は現実に存在した」のだ。「一九七六年に閣議決定された『防衛計画の大綱』にでてくる『エキスパンド(拡張)条項』だ。防衛力について『情勢に急激な変化が生じたときには、円滑に移行しうるよう配慮』すると明記されている。……冷戦終結で旧ソ連の脅威が消え、改定された前大綱からエキスパンド条項も消えた。だが、自衛隊への国民の評価が厳しい時代に、ひそかに存在した事実は注目される。『憲法違反といわれ続けた自衛隊の時代にあって、合憲化された後の自衛隊に与えられない制度などあるだろうか』と陸自幹部の一人は言う」と指摘されている。
 冒頭の短歌の女性たちの「決意」の実行は女性たちだけに任せておいてはならないことはいうまでもないことだ。 (T)