人民新報 ・ 第1172号<統合265(2005年7月5日)
  
                  目次

● 共謀罪新設法案を廃案へ!

● 九条の会・有明1万人講演会の成功を

● JR尼崎脱線事故 ―107人の生命に応え労働者がつくる安全への道―

● ホロコースト記念館一〇周年のつどい 〜平和をつくりだそう 小さな手で〜

● 「すぐもどれ自衛隊」キャンペーン共同声明  WORLD PEACE NOW が賛同をよびかけ

● 劉連仁さん強制連行・強制労働裁判  東京高裁が不当判決

● 映画 「アリラン 2003」 の上演に向けて

● 民間の努力が実った日中韓三国の近現代史の副教材

    『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史――東アジア三国の近現代史』 

● KODAMA  /  血合いの味

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  バンザイクリフと天皇による慰霊、そして戦争




共謀罪新設法案を廃案へ!

 国会会期の大幅延長によって、六月二四日、衆院法務委員会で「共謀罪」の新設を盛り込んだ組織犯罪処罰法などの改正案が、自民、公明、民主三党の合意によって審議入りした。
 七月一日、飯田橋・東京しごと財団ホールで、「話し合うことが罪になる!共謀罪新設法案の廃案を求める市民の集い 言論・結社・表現の自由が危ない!!」が開かれた。
 実行委員会を代表して富山洋子さん(日本消費者連盟)が開会挨拶を行い、つづいて、海渡雄一弁護士が闘いの現状を報告。
 共謀法が国会審議入りした。審議入りしたといっても、まだ法案の趣旨説明だけだ。国会の会期末は八月一三日だ。意外と短い期間だともいえる。民主党の党内は反対で一致しているわけではないが、法務部門などは反対だ。共謀罪は廃案以外にはない。
 集会では三つの講演が行われた。
 足立昌勝さん(関東学院大学教授)「共謀罪の危険な法律的構造」
 共謀罪は、現代版の治安維持法だ。刑法であつかえないものを共謀罪を成立させることで一気にやってしまおうというものだ。刑法では、原則は「既遂」罪だ。「未遂」罪、「予備」罪もあるが、これらは少ない。しかし、共謀罪は、予備以前の「共謀」、二人以上の話し合いだけで罪になるというものだ。
 小倉利丸さん(富山大学教員)「監視社会化と共謀罪」
 日本はイラクに派兵しているある種の戦時体制にある。まさに「戦後」は終わったと言える。また、ある種のファシズム状況にある。今、立法、行政、司法の三権分立のうち、行政権が突出している。そして政府が狙っているのは新しい憲法の制定だ。共謀法にはふたつの中心がある。ひとつは国家の安全保障にかかわる問題。もうひとつは、日常生活の安心・安全ということだ。これらがセットになっている。そして、日常的な監視が強められてきているということだ。大きい部分は監視しやすい。インターネットやメールなどもわれわれの武器でもあるが監視されやすいという面がある。これにたいしての対応を考えていかなければならない。犯罪が増えているといわれるが、犯罪を生み出しているのはこの日本社会だということを見なければならない。この問題を抜きに犯罪対策はない。そして、共謀法は、多くの人を見張り、ターゲットを絞ってくるということだ。対象とされるのは、外国人、移住労働者、社会的に排除された人びと、そして市民運動、労働運動の担い手たちだ。こういう共謀法にかけた政府の狙いに、国際的な連帯も視野に入れた運動で反撃をしていかなければならない。
 渡辺治さん(一橋大学教授)「現代警察の戦略と共謀罪」
 治安の主体はひろがっている。警察だけでなく政府全体となってきているが、これは日本社会の大きな変化に対応している。
 冷戦が終わって、旧ソ連・東欧圏、中国などが市場経済に合流し、世界中でグローバル化と新自由主義改革が吹き荒れた。世界のいたるところで活動する企業を守るために、アメリカは世界に軍事力をひろげ、日本は自衛隊を海外派遣してアメリカを支えるため軍事国家化した。しかし、このことは欧米や日本の政府や大企業の思惑とは違って既存の社会統合の破綻と反抗の激化をもたらしてしまった。日本は企業社会の強い統合と自民党による利益誘導政治で比較的「安定」してきた。だが、大企業は世界的な競争に打ち勝つために、日本を自分たちの使い勝手のよい国に変えはじめた。それが構造改革だ。法人税を安くしろ、中小企業や農業保護をやめろ、などの規制緩和を要求して政府に実行させてきた。その結果は、かれらの予想しなかった事態―日本社会の安定が崩れ始めたのだ。九〇年代から失業者の増大、自殺者の増加、生活保護世帯の拡大、非正規労働者・フリーターの増加、健康保険証をもてない人の激増、教育の荒廃、離婚率の増加、そして、新しい犯罪がふえていることなどだ。
 これにたいする支配層の対応は、新たな社会統合としてアメリカ型階層社会を想定している。これは、上層二〇%のエリートによる支配というものだ。医療では公的保険制度の縮小と階層型の医療制度、教育でも学校の統廃合と階層的再編が行われる。政治的には、アメリカのような保守二大政党制で上層による政治独占を狙う。しかしそうすると、犯罪の増加や治安の問題が起こる。また、新しい労働運動や社会運動がおこってくる。これには警察力を強化する。治安国家化だ。しかし、これだけでは十分ではない。ここに日本的な特徴として「共同体」型国家の要請がある。家族の再建、地域共同体の再建、女帝と天皇制の基盤の拡大などがそれだ。
 いま治安強化がはかられようとしている。さきにものべたがさまざまなものが治安の担い手として登場してきている。
 まず、政党だ。治安・安全問題が争点化し、自民党、民主党が「安全な国―日本」を競っている。石原都政はその最先端にいる。二〇〇三年八月に、警察庁「緊急治安対策プログラム」がだされ、同年一二月には政府の「犯罪に強い社会実現のための行動計画」がだされた。地方自治体でも、二〇〇三年八月には東京都の治安対策本部が設置された。財界も、治安問題について発言しはじめた。二〇〇五年五月には日本経団連「安全・安心な地城社会づくりに向けて」がでた。
 最後に、政府と警察の治安国家戦略の特質について。第一に予防的なパターナリズムということだ。きめ細かく「予防」的措置をとるということ。第二にはテロ対策だとか外国人犯罪だとかの治安強化・捜査手法拡大の口実を使っていることだ。そして、地域共同体の管理、自覚的な反抗運動への規制、また、アメリカのように金持ちや会社の安全確保のために警察・民間警備会社を活用したりする階層型治安ということ、同時に、グローバリゼーションのもとでの世界的な同盟体制の治安版とも言うべき国際的な連携強化がある。
 共謀法は、憲法、教育基本法の改悪と一体のものだ。共謀法などと闘うことは、新しい階層社会を許すのか、それともあたらしい社会を作り出すのかを問うものだ。
 矢野まなみさん(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)、鈴木猛さん(日本国民救援会)、福島瑞穂社民党党首(参議院議員)の発言があり、フォーラム平和・人権・環境や国会議員からのメッセージの紹介があった。


九条の会・有明1万人講演会の成功を 

 七月三〇日の九条の会・有明講演会の準備が進んでいる。
 「九条のニュース」第43号(6月29日)は「参加申込五〇〇〇人を突破」「有明講演会の話題が広がり、友人同士誘いあって、また、家族が話し合って参加申し込みをするケースが増えています。また、遠隔地からの申し込みも少なくありません」と報じている。また、ニュース各号は各地からの有明講演会に期待する声を伝えている。そのいくつかを紹介したい。「朝、朝刊を見て外出、夕方の帰宅まで待てなくて、出先で封筒と切手を買い、持ち合わせたこんなメモ帳で申し込んでおります。護憲の『意思』が集結すれば大きな力になる。それを信じて一万人にもれてはならじ…、の心境です」「九条の会が大きく発展するかどうかに、日本の未来がかかっているのではないかと考えております。各地での講演会の成功や各地各分野での九条の会立ち上げのニュースにわくわくしているところです」「近年の日本の流れに、ほとんど絶望的な思いをしておりましたが、『九条の会』のよびかけ以来、平和を守ろうとする人びとの動きが求心力をもち、また広がり、大きなうねりとなってきている実感が肌身に迫ってきており、元気を取り戻しています。有明コロシアムでの一万人集会の企画、本当に嬉しく思います」「夫、娘、私三人で参加したいと思います。革で九条大好きバッチをつくり広めておりますが、まだ何をどうしたら、手さぐり状態です。講演、楽しみです」。…………
 九条改憲はイラク派兵のような自衛隊の海外展開・戦闘を恒常化させようとするものである。
 九条の会・有明講演会を成功させて、九条改憲阻止の闘いを一段と高い地平に押し上げよう。
 九条改憲阻止!
 有明一万人講演会の成功を勝ち取ろう!


JR尼崎脱線事故     ―107人の生命に応え労働者がつくる安全への道―

 七月二日、水道橋・アジア青少年センターで、「7・2シンポジウム JR尼崎脱線事故 ―一〇七人の生命に応え労働者がつくる安全への道―」が開かれた。主催の実行委員会は、国労に人権と民主主義を取り戻す会、国労東京地本中央支部、鉄建公団訴訟原告団、国鉄闘争共闘会議、中小労組政策ネット、国労高崎地本で構成されている。
 はじめに主催者を代表して国労高崎地本の中村宗一委員長が主催者あいさつ。
 つづいて、中小労組政策ネットワークの鳥井一平さんの司会でシンポジウムが始まった。
 平野敏夫さん(NPO東京労働安全センター代表・医師)
 尼崎の事故のニュースを見て驚かされた。第一にはその事故の規模の大きさだ。次にはその原因であるJR西のすさまじい過密ダイヤだ。たった一五秒ほどの停車時間で運行させている。三つ目には「日勤教育」なる懲罰的な労務管理だ。そしてJR西は社員五万人余を三万人余に人員削減して儲ける体制をつくったということだ。労災事故は、いま減少しているとされているが、死者三人以上の重大災害は逆に増えている。ベテラン中堅社員がリストラされて熟練労働者がいなくなったことが原因だ。会社は儲けのためには金を使うが、安全のためには金をつかわない。その典型がJRだ。また、労働者の間にメンタル・ヘルス問題が蔓延しているが、今度の事故の高見運転手も「日勤教育」で極度のストレス状態に追い込まれていた。医療現場でもそうだが、余裕のない過重労働ではミスがおこる。労働者の安全・健康と利用者の安全・健康は表裏一体のものだ。
 清水輝夫さん(国鉄労働組合高崎地本新前橋地区分会長・運転士)
 私は二五年間、運転士をやってきたが、今度の事故には大きな衝撃をうけた。安全とは何か、それをどう実現していくかが大問題だ。JR東日本では、上野駅であわや列車の正面衝突かという事件があった。それで多くのところに。ATS―Pという安全のための設備を設置することにした。山手線のような超過密ダイヤのところは、運転手がいなくても列車を止めるATCが設置されている。しかし、これは大変な金がかかるものだ。ATS―Pは運転手に危険を知らせるだけで、これだけでは、東日本会社の言うように「大丈夫」ということにはならない。安全は運転士だけでできるものではない。会社が本気で安全のために金をかけるつもりがあるのか、ということが問われている。
 西田郁夫さん(国鉄労働組合千葉地本西船橋保線区分会長・保線技術者)
 企業間競争の中で労働者同士が競争させられている。しかも、本来、労働者の競争を阻止すべき労働組合が企業擁護団体化している。JRの職場での安全問題について言えば、かつての「現場協議制」がなくされたことが重要だ。現協があったころは、労使間で職場の安全問題についてのやり取りがあり、その過程で労働者の安全意識が高まっていった。こうした状況がなければ現場での安全は守られない。
 地脇聖孝さん(鉄道ファン)
 私は鉄道ファンで全国の鉄道全ての乗車をめざしているが、JR西については以前から人員削減や過密ダイヤからして大きな事故を起こすのではないかと危惧していた。今回事故のニュース映像を見てびっくりした。列車の下に線路がないのだ。鉄道事故は線路の上でおこるのが普通だが、やはり大変な事故になった。JRになってから「旅情」というものがなくなった。マスコミは、もう尼崎事故のことを忘れ始めているが、ずっとこだわりつづけていきたい。
 小木和孝さん(東京労働安金衛生センター研究主幹)
 安全・安心の考え方だが、予防には複数の目が最も効果的だということだ。ポジティブな安全事例に学び、多くの人びとが参加する枠組みをつくり、低コスト策からはじめる段階的改善のグループワークを実践し継続していくことが重要だ。
 コメンテーターの東條由紀彦さん(明治大学経済学部教授)
 今日のシンポでの発言ではつぎのようなことが述べられた。今回の事故は信じられないほどの異常な事故だった。だがそれは予測されたものでもあった。いまのJRの対応ではまた甚大な被害をもたらす事故が再発しても不思議でない。厳しい企業間競争に労働者も巻き込まれていること。安全面でも現場協議制の意義を考える必要があること。事故を実際の止めるためには多くの人の目が必要だということ。そして、公共企業に対する市場原理導入の問題があきらかにされなければならないということだ。


ホロコースト記念館一〇周年のつどい

   
 〜平和をつくりだそう 小さな手で〜

 ホロコースト記念館を訪れたことはない。開館10周年記念のつどい(六月一八日 広島県民文化センターふくやま)で、アンネ・フランクのいとこのバディ・エリアスが来るということで、出かけた。
 バディ・エリアスさんは、お母さんがアンネ・フランクのお父さんの妹さんにあたる。一九二九年、ナチスが政権をとる前に、バディさんご一家はお父さんのお仕事でスイス・バーゼルに移られ、迫害を免れる。現在は、ドイツで演劇の俳優として数多くの舞台やテレビに出演してこられた。一九六六年からは、バーゼルでアンネ・フランク財団の会長として、世界中の青少年にアンネのメッセージを伝えることをつとめておられる。
 アンネは、しばしば、バディさんの家を訪れ、楽しい日々を過ごしていた。
 バディさんは、日本のこの記念館を知り、大変喜ばれた。また、子ども達のボランティア集団『スモール・ハンズ』の存在とその活動に感謝していた。
 バディさんは、平和の尊さやホロコーストの犯罪性を訴えた。そして、一人ひとりが何でもいいから、できることで平和のための取り組みを行うよう、と力説した。
 私は、バディさんの講演よりも、『スモール・ハンズ』の活動に涙が自然にあふれた。劇でアンネが隠れ家での生活しているところを演じたり、歌でホロコーストへの怒りや平和を築くことへの決意を歌っていたりしていたからである。
 『スモール・ハンズ』の活動が広まっていけば、必ず、平和を築き上げることができると信じたからである。
 バディさんの講演の後、『スモール・ハンズ』の会員が壇上に上がり、バディさんにいろいろ質問をしていた。「日本(福山)を訪れた感想は?」「今、アンネが生きていたら何をしているでしょうか」「スケートは初めは怖くなかった?」子ども達が平素から、平和を築く取り組みをしていたことがうかがえ、私は頭が下がる思いがした。
 ユダヤ人というだけで、人権を奪われ、殺される。今も、同じような社会的な立場で苦しむ人々が日本だけでなく、世界中いたるところに存在する。
 私は難聴者である。職場の上司から、『耳を直せ!』とよく言われた。また、表面上、障害が眼に見えないので、不合理や矛盾を健聴者がなかなか理解しにくい。私は、この差別をなくす取り組みをすると同時に、平和を築くために憲法九条と教育基本法を守る取り組みを行うことをここに決意する。 (広島通信員・内田)


「すぐもどれ自衛隊」キャンペーン 共同声明

  
WORLD PEACE NOW が賛同をよびかけ

 イラクではアメリカ占領軍への反発と武力攻撃がますます激しくなっている。サマワの陸上自衛隊への攻撃も本格化してきた。アメリカの世論でもブッシュの戦争政策に反対する声が過半数をはるかにうわまわった。しかし、ブッシュはイラクから撤退しようとはせず、日本に自衛隊のイラク派兵延長を求めてきている。WORLD PEACE NOWは、自衛隊撤退にむけて「すぐもどれ自衛隊」キャンペーンを開始し、「共同声明」への賛同団体をつのっている(編集部)

  * * * * 

 ★ 「すぐもどれ自衛隊」キャンペーンの「共同声明」に賛同をお願いします。
 イラク戦争開始以来二年以上が経過しましたが、イラク国内の戦争状態はますます激化の一途をたどっています。国内世論を無視して「復興支援」の名目で派兵された自衛隊の車列が攻撃を受けるなど、宿営地のあるサマワも緊迫してきました。
 わたしたちは自衛隊のイラクからの撤退を求めて「すぐもどれ自衛隊」キャンペーンを開始しました。
 以下の共同声明に、多くのNGO団体、市民団体、労働団体、宗教団体のみなさんの賛同をお願いします。
 ※ この「共同声明」は団体に限定させていただきますので、ご了承ください。
 ※ 賛同される団体の方は、下記フォームに必要事項を記入し、末尾の連絡先宛メール、FAX、郵便にて賛同をお寄せください。
 ※ なお、キャンペーン賛同の締切りは七月末とします。その後、関係政府機関及び報道機関などに届ける予定です。

「すぐもどれ自衛隊」キャンペーン 共同声明

    すぐもどれ自衛隊 終わらせようイラク占領

 国際法にも国連憲章にも違反したイラク戦争が始まってからすでに二年以上がたちました。憲法に違反して自衛隊がイラクに派兵されてから一年半になります。
 ブッシュ米大統領が戦争の口実とした「大量破壊兵器の脅威」などはまったくの捏造でした。二年前の「大規模戦闘終結宣言」から今日まで、イラク国内で戦火のやむ日はありません。米英軍などによって殺されたイラクの人びとの数は一〇万人以上に達しています。
 米兵の死者も一、七〇〇人を大きく超えています。
 ファルージャなどでの占領軍による民衆虐殺、やむことのない人権侵害によって一般市民の米軍や占領軍にたいする批判と抵抗は広がるばかりです。いわゆる「主権移譲」から一年が経過しました。この八月には新憲法案が発表され、年末には正式政権が発足するというスケジュールが出されていますが、戦闘はむしろ激化しています。占領の継続こそが、イラクの人びとの間にも分裂と対立を持ち込んでいるのではないでしょうか。イラクの復興が遅々として進まないのは、占領軍の存在が武力攻撃を引き寄せ、その衝突が復興を遅らせる悪循環に陥っているからです。
 さる六月二三日にはサマワに駐留する自衛隊の車列が爆弾で攻撃されました。六月二八日にはサマワ市内で失業者のデモに警察が発砲し、一人が死亡、一〇数人が負傷するという事件も起きました。これらの事実は占領がイラクの人びとに平和な暮らしをもたらしていないことの証です。
 アメリカでも「イラク戦争は間違いだった」と考える人びとが増え続けています。米英とともにイラク占領に参加した諸国も次々に撤退しています。今こそ、占領を中止し、すべての外国軍はイラクから引き上げるべきです。
 しかし小泉首相は、今に至っても「イラク政府が、自衛隊は帰らないでくれ、と要請している。自衛隊の活動している地域は非戦闘地域であるという状況に変わりがない限り、できるだけの支援をしていきたい」(六月二九日)と強弁するだけです。
 すでに五次にわたって自衛隊がイラクに送られ、この八月には第六次の部隊が派兵されようとしています。いったいいつまで、ブッシュ米大統領の求めに応じてずるずると自衛隊を送り続けるのでしょうか。自衛隊がイラクの人びとと、殺し殺される関係に入る可能性はこれまでになく高まっています。それはイラクの平和と独立、生活の再建を遅らせるだけです。
 私たちは訴えます。
 今こそ、この間違った戦争と占領に終止符を打つべきです。
 そして、イラクに駐留している自衛隊を今すぐ撤退させ、これ以上の自衛隊派兵をやめるべきです。

 … … … … … 

 呼びかけ:WORLD PEACE NOW実行委員会

 連絡先:東京都千代田区三崎町二―二一―六―三〇二 市民連絡会気付

 TEL〇三(三二二一)四六六八 FAX〇三(三二二一)二五五八 メールworldpeace@give-peace-a-chance.jp


劉連仁さん強制連行・強制労働裁判

          
東京高裁が不当判決

 六月二三日(木)に劉連仁事件裁判(中国人強制連行東京第一次訴訟)判決が東京高裁で言い渡されました。判決では、事実認定を詳細に認め、戦後の救護義務違反を認めながらも、国側に勝たせるためにはじめに結論ありきの国家賠償法六条(相互保証)の適用がないこと、除斥期間の経過を理由にして、原告の請求を棄却する不当判決を言い渡しました。
 国の中国人強制連行を認め、明治鉱業所での劣悪な労働条件下の過酷なものであり強制労働であること、その結果、一三年間の過酷な逃亡生活を体験したこと、それが国の救護義務違反の結果であることなどの事実をすべて認定した。また、国が国会で「外務省報告書はない」と虚偽の答弁を行い、事実を隠蔽したことの不公正さも認定した。
 今回の判決で最大のポイントは、「相互保証」で劉連仁さんの請求を棄却したことです。今までの国家賠償訴訟では「相互保証」を理由に原告の請求権を棄却したのは初めてです。劉連仁さんが発見された当時(一九五八年)、日本には国家賠償法があったが、中国には国家賠償法がなかったから、原告には請求権がないと判断しました。中国で国家賠償ができたのは一九九五年。劉連仁さんが日本政府を相手に損害賠償請求裁判を起こした一九九六年の段階では、日中両国に国家賠償法は存在していたため、国を勝たせるための判断としかいいようがなく、国際的にも通用しません。
 また、除斥についても、「劉連仁の支援団体は昭和三三年の時点で少なくともその一部を既に入手していたくもので,劉連仁が提訴できなかったということはできない」と判断し、「除斥期間を適用することが著しく正義,公平の理念に反する特段の事情があるものとは認められない。」と除斥期間を適応しました。劉連仁さんは、発見後から帰国までの間に国の責任を認め賠償するよう二度の声明を発しました。帰国後も国に対して何度も請求しましたが、国は真摯な対応をしてきませんでした。
 今年は、日本の敗戦六〇年に当たる年。国は、判決で事実と戦後の救護義務違反を認めた以上、司法の判断を真摯に受け止め、中国人強制連行・強制労働の被害者、約四万人に対して謝罪と補償を速やかに行い、全面解決に向けた政治決断が迫られています。 (A)

中国人強制連行・劉連仁裁判とは

 戦時期、侵略戦争遂行のための兵力動員と増産体制のため、鉱業、土木建築業、造船業、港湾荷役業等の企業は深刻な労働力不足におちいったが、これらの企業は日本政府にその労働力不足の対処を要求した。このため日本政府は、一九四二年一一月二七日、「華人労務者内地移入に関する件」についてと題する閣議決定を行った。その内容は、華人労務者(中国人労働者)を、まず試験的に日本に「移入」し、石炭鉱業等に従事させ、その成績を見たうえで華人労務者移入の全面的実施に移るというもの。そして一九四四年二月二八日の次官会議決定「華人労務者内地移入の促進に関する件」によって大規模な強制連行が行われ、強制連行された中国人の合計は三万八九三五人、強制労働が行われた事業場は全国一三五ヵ所にのぼり、日本の敗戦まで、まさに生き地獄のような生活を送らなければならなかった。
 中国・山東省の農民だった劉連仁さんは、一九四四年、日本軍の「労工狩り」によって捕らえられ(当時劉連仁さんは三二歳で妻は妊娠九ヶ月だった)、北海道に連行されて、昭和鉱業所で非人道的かつ苛酷な条件のもとで働かされた。劉さんは脱走を決行、日本の終戦も知らぬまま、一九五八年に発見されるまで一三年間も北海道の山野で逃亡生活を続けた。劉連仁さん発見の当時、日本政府は強制連行の事実を認めず、一言も謝罪をしなかった。劉さんは、日本政府は「旧い国際的犯罪を隠そうとして、新しい国際的犯罪を犯している」と抗議して帰国した。一九九六年、日本政府の態度に怒った劉さんは、強制連行・強制労働に対する補償を求めて東京地裁に提訴した。劉連仁さんは二〇〇〇年に亡くなったが、訴訟は劉連仁さんの息子の劉煥新さんが引き継いで闘っている。

                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

弁 護 団 声 明

二〇〇五年六月二三日

    中国人戦争被害者賠償請求弁護団(団長 弁護士 尾山宏 団長代行 弁護士 小野寺利孝)

    劉連仁強制連行・強制労働事件弁護団(団長 弁護士 高橋融)

    中国人強制連行・強制労働事件弁護団全国連絡会(事務局長 弁護士 森田太三)


 一、本日、東京高等裁判所第一四民事部は、劉連仁強制連行・強制労働事件について判決を言い渡した。
 判決は、戦後の救護義務違反による損害賠償責任を認めたものの、国家賠償法六条(相互保証)の適用がないこと、および、除斥期間の経過を理由にして、請求権を否定した。
 しかし、中国との間で相互保証がないとして国家賠償を適用しないことは、人権救済の観点から相互保証を広く認める国際社会における解釈の大勢に逆行し、極めて不当である。
 また、除斥についても、劉連仁が権利行使をしなかったことが著しく正義公平の理念に反するような特段の事情がないとしていることも不当である。

 二、しかし、他方で判決は、劉連仁が国によって強制連行された事実、昭和鉱業所での労働が極めて劣悪な労働条件下の過酷なものであり強制労働であること、その結果、劉連仁が昭和鉱業所から逃亡した後の過酷な一三年間の過酷な体験をしたこと、それが国の救護義務違反の結果であることなどの事実をすべて認定した。また、国が外務省報告書を焼却し、国会で虚偽の答弁を行って事実を隠蔽したことの不公正さも認定した。

 三、国は、すでに高齢である劉連仁氏の妻趙玉蘭さんをはじめ遺族のためにも、速やかにこの事件を解決することが求められている。日本と中国で寄せられた二六〇万余もの解決要求署名は、日本政府がこの問題の早期解決を行う政治的、道義的責任のあることを多くの人々が支持していることを示している。

 四、本判決がすべての事実と国の救護義務違反を認めた以上、国はこの司法付の判断を真摯に受け止め、強制連行・強制労働という人間の尊厳を破壊する残虐行為を行った戦争犯罪行為を正面から認め、日本に強制連行され,強制労働させられた約四万人の中国人労働者全員に対して、早急に謝罪と補償を行ない全面解決に踏み出すべきである。このことは、日中両国の未来に向け真の友好と平和を築くうえで避けて通ることのできない不可欠の課題となっている。
 国は、今こそ中国人強制連行、強制労働事件の全面解決に向けた政治的決断をなすべきである。


「平和な今」 

       与那原東小学校六年
                  上原 凛


   ぼくは戦争を知らない
   戦争は人の命をうばい
   すべてのものをうばうという
   そんな戦争が今でもどこかで続いている
   どうして?

   ぼくは戦争を知らない
   戦争は家族をバラバラにし
   人の心をメチャクチャにするという
   そんなバカな事がいつまでもやめられない
   どうして?

   ぼくは戦争を知らない
   美しい山や自然が戦争でこわされ
   明るくおだやかな生活が
   戦争でなくなっていくという
   そんな悲しい事が ずっと 終わらない
   どうして?

   ぼくは戦争はいやだ
   友達と一緒に笑い
   家族と共に食事をする
   そんなふつうなことが
   いつまでも続いてほしい

   ぼくは戦争はいやだ
   げっとうの花がさき
   青い海で元気に泳ぐ
   そんなことが
   ずっと続いてほしい

   ぼくは戦争はいやだ
  学校で授業を受け
   たん生日をみんなで祝う
   そんなあたりまえのことが
   なくなってほしくない

   今ぼくにできること
   仲間を大切に思うこと
   仲間と協力しあうこと
   そして
   いやだと思うことは
   はっきりNOといえること

   今ぼくにできること
   戦争がいやだといえること
   戦争のこわさを伝えていくこと
   そして
   みんなで平和を願うこと

   ぼくは戦争を知らない
   でも ぼくは戦争はいやだ
   今ぼくにできること
   毎日を大切に生きること
   人の痛みを感じること
   平和な今に感謝すること

   …………

 この詩は、六月二三日沖縄戦慰霊の日に行われた糸満市摩文仁での県主催の沖縄全戦没者追悼式で、上原凛(りん)君が平和の詩を朗読したものだ。上原君は、平和学習でガマに入ったり、沖縄戦の証言集を読み、いまなお世界では戦争があることを知り、「小さい子や戦争のことがわからない大人に聞いてほしい」と想いでこの詩を書いたという(編集部)


映画 「アリラン 2003」 の上演に向けて

 世の中は韓流ブームだそうである。「冬のソナタ」などの韓国製テレビドラマが放送されたり、主演俳優の来日が芸能ニュースになったりもする。「シュリ」「JSA」「シルミド」などの韓国映画の上映に多くの日本人が映画館に足を運んでいる。
 日韓両国の文化交流が政治の動向とは別に年ごとに深まっていくことは歓迎すべき現象ではある。
 しかし、このような底の浅い軽薄に浮かれたブームは、なにかをきっかけに急速に熱が冷めたりするのである。
 日本軍国主義は、一九一〇年から四五年にかけて朝鮮半島を軍事支配していたが、一九二六年、羅雲奎(ナ・ウンギュ)が主演・監督した映画「アリラン」は朝鮮民族のあいだで伝説のように語り継がれてきた。
 その理由は映画の完成度の高さだけでなく、作品自体が朝鮮半島に一本も残されていないからである。日本の場合もそうなのだが、戦前のフィルムは可燃性で燃えやすく、現存するものは少ない。作品を長期保存するためのフィルムセンターのようなものがなかったためである。
 「アリラン」は朝鮮戦争の混乱期に行方不明になったといわれている。
 一時期、大阪近郊在住のフィルムコレクターA氏が「アリラン」を所有しているとの噂がながれた。A氏もそのことを否定しなかったが、そのA氏も亡くなり、真実は闇の中に消えてしまった。その間、南北の映画関係者が、公開するように何度も要請したが実らなかった。
 韓国の映画関係者は別の道を模索した。残された資料をもとにほぼ原作を忠実に再現した「アリラン 2003」を製作した。多くの朝鮮民族が待ち望んだ映画だが、私も日本人の一人として、朝鮮映画の原点としてのこの映画に注目したいと思う。
 昨年来、中国で日帝支配下で作られた朝鮮映画が四本見つかった。「アリラン」とは別の「軍用列車」などの作品だが、かつて旧ソ連で戦前の日本の映画が発見された例もある。
 これからは日本映画、朝鮮映画という範疇(はんちゅう)ではなく、東アジア映画史の研究を築いていかなければいけない時期に来ているのかもしれない。 (東幸成)

 第一回アリラン・フェ  スティバル(韓流文化
のルーツを訪ねて)

 第一部 名唱・名奏・名舞による《アリランの世界》ソウル伝統芸術団アーティストと在日のアーティストによる競演するアリランファンタジー
 第二部 「アリラン 2003」上映

と き 七月二九日(金)       六時半開演
ところ 日比谷公会堂

 チケットA(一階席)四〇〇〇円、B(二階席)三〇〇〇円
 チケット取扱い 「アリラン 2003」全国上映委員会<TEL03(3376)3218> チケットぴあ<0570(02)9999>


民間の努力が実った日中韓三国の近現代史の副教材

 『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史――東アジア三国の近現代史』 編著者・日中韓3国共通歴史教材委員会  


 小泉首相の靖国参拝で、日本の中・韓両国との関係の悪化は改善の見通しがつかない。首相は歴史の共同研究で逃げようとしているが、戦後六〇年の節目でもある年に、真正面から歴史と向き合う姿勢がなければ決して解決できるものではない。
 そうした時期に民間の努力で本書が出版された意義は大きい。
 四年前、日本では「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書ができ、全国的な採択阻止の行動の結果、採択を極少数にとどめることができた。「つくる会」教科書への反対運動は中国・韓国でも起こり、運動の中から生まれた「歴史教育アジアネットワーク」の「日中韓3国共通歴史教材委員会」の努力によって今回の出版にこぎつけた。
 委員会は三国の研究者、教師、市民によって構成され、〇二年八月に第一回国際会議をソウルで開催し、〇五年二月の第十回会議を東京で開催した。この間、日本で四回、中国、韓国でそれぞれ三回の国際会議をへての発行となった。対象は中学校以上の副教材となっている。
 しかし、近現代史にまで時間を割かなかった従来の日本の歴史教育の中で、本書がひろく一般市民にも読者層を広げることが、閉塞感の強まる日本社会に文字通り未来を開く一助になるのではないか。
 本書の扉を開くと「読者のみなさんへ」で次のように述べている。――過去の過ちを覚えておくと、同じ過ちをまた犯すという愚かさを避けることができるのです。私たちが歴史を学ぶのも、過去を教訓として未来を開拓するためなのです。……これまでの世代が解決することのできなかった宿題を三国の若いみなさんが互いに協力しながら解決し、新しい東アジアの歴史を作り出していってくれることを願っています。――
 つづく「日本の若い読者のみなさんへ」では三国の執筆者が短い言葉を寄せている。
 日本の執筆者からは――いま何よりも大切なのは、中国・韓国の歴史を知り、お互いがどのように関わりあってきたかを知ることです。近現代の歴史において、日本が中国や韓国に対してどのようなことを行ってきたのか。その日本の行為によって今日なお癒しがたい悲しみや苦痛を受けた人々がいること、その事実をしっかりと認識し、歴史認識を共有することが求められています。――
 中国の執筆者からは――戦争のない平和なアジアを実現することは、善良な人すべてが望むことです。私たちが共通の願いを実現できるかどうかは、私たちが歴史から「学ぶ」ことができるかどうかにかかっています。
 韓国の執筆者からは――最近、韓国と日本は、以前と比べればずっと活発に社会的・文化的な交流をしています。……しかし、心を開いて付き合うには足りない部分がいまだにあります。その足りなさを満たすために、若いみなさんが先頭に立ってみませんか。そのためには、韓国と日本、そして東アジアの三国の間に生じたかつての歴史を正しく理解して、望ましい未来を描いてゆかなければならないでしょう。――
 副教材の内容は十六世紀ごろから現代までを扱っている。
 序章は「開港以前の三国」、第一章「開港と近代化」、第二章「日本帝国主義の膨張と中韓両国の抵抗」、第三章「侵略戦争と民衆の被害」、第四章「第二次大戦後の東アジア」、第五章「二十一世紀の東アジアの平和のための課題」、という構成になっている。
 各章ごとに社会の変化や文化についての記述も大事にされている。
 コラムも豊富で、例えば天皇制などの矛盾も指摘しているし、各国で評価の異なる歴史的人物像の紹介なども興味深く読める。もっとも紙幅がさかれているのは第三章で、戦争の現実が生々しく伝わり、日本の侵略の実態が民衆の側にたって記述されている。

 ほぼ時を同じくして、両国政府の合意の下に始められた日韓歴史共同研究委員会(三谷太一郎・日本側座長、趙b・韓国側総幹事)が報告書を発表した。それによると一九〇五年の第二次日韓協約(乙巳条約)は、条約が無効かどうかで評価は一致しなかった。一九六五年の日韓条約についても請求権の問題や、個人の戦後補償の問題で一致できなかった。植民地時代の経済的発展の評価でも日韓の意見は対立した。
 日本側のいう「解放後の経済発展の基盤となった」とするならば、「日本の朝鮮支配は悪いこともしたが、経済を発展させた」という巷の床屋政談とどう違うのか。
 そしてなによりも研究の成果を教育などに反映させようとしない日本側の態度は不誠実と言わざるをえない。
 同時に小泉首相が口にする第二期の歴史研究も、歴史認識に対する小泉流の浅薄な「逃げ」以上の期待は持てない。
 発行された副読本は、教材としただけでなく、学校や地域の図書館で採用され、ひとりでも多くの人々の目に触れ、考えるきっかけとなることを願いたい。           (Y)

 『日本・中国・韓国=共同編集 未来をひらく歴史――東アジア三国の近現代史』(発行所・轄uカ研)
定価一六〇〇円


KODAMA

  
 血合いの味

 記憶の中で味わっている。そういう歳になったのだなと気付いた。
 スーパーへ午後早めに行くと魚のアラがある。鮪の血合いとか鯛の頭など三パックほど買ってきて、しょうが、ごぼう、玉ねぎと煮て一〇日間ぐらいおかずになる。
 食べるだけ小鍋に取ってその都度トウフとかトマトとかカレーのルーとか何かを加えて温めると色々な味が楽しめる。トマトを入れると鍋物風、意外と旨いのがSBゴールデンカレーを加えたカレーライスだ。
 どういうわけか血合いの独特の味を噛んでいると子どもの頃の食卓風景が浮かんでくる。
 先ず、とうちゃんが一番旨いところを取って食べる。それから子ども達が競って鍋の中をあさる。かあちゃんは最後に残り物を食べていた。
 長屋住まいの極貧家族のなかでも厳然と差別があった。これを差別というか否か多々異論のあるところであろう。
 何事にも長男優先であり、男だから女だからとけじめがつけられた。どうだろう。そういうことは形の上での社会秩序であって人格的な差別はなかったのではなかろうか。
 いつも正しいかあちゃんの意見にとうちゃんはへこまされていたし、利発な兄の行いはとうちゃんより上手であった。が、とうちゃんは父の座を占め、そうしていた。
 何はともあれ社会秩序を守る生活の基礎を心棒を置いていたのだ。差別ということも考えるならば、人格と人間性を混同してはいけない。
 近代の理念は人間性の平等を主張したのであって、それは人格を超えた普遍の理念であったのである。大人と子どもに於いて人格的な差は歴然としていて、そこに敬いの念と仁愛の念が生じたのである。けれども、人間性という点では大人も子どもも共に平等に自然的に存するところである。
 社会秩序としての人格に人間性を結合してしまうと差別が生まれる。士農工商がそれである。
 魚の血合いを噛みながら子どものときに噛んでいる味がしている。

                                安藤裕三

二〇〇五年六月二三日


せ ん り ゅ う

  年沖縄を語る地獄の声を

 金持ちになった国連も買いたい

 金持ち増えた年々増える自殺

 医療ミスもっと   こわい政治ミス

 告知せぬ医師のずぼらにうらめしや

 飽食をあおるグルメな解放感

 共貧共栄の豊な大自然

             ゝ 史

二〇〇五年六月


複眼単眼

バンザイクリフと天皇による慰霊、そして戦争


 六月二八日朝、サイパンの浜辺で「マリアナ戦友会」の大池会長は天皇夫妻に一九四四年七月七日に同所で起きたことについて「車椅子を降り、砂浜にうつぶせになって説明した。天皇陛下は『大変でしたね。実際に体験した人から聞くのはうれしい』と話し、皇后さまは砂を手にした」(二八日毎日新聞夕刊)という。
 なんとも違和感のある記事だ。
 「実際に体験した人から聞くのはうれしい」とはどういうことなのか。繰り返すが、「うれしい」という感想は、果たしてこうしたときに使うものなのか。
 アキヒト天皇はこの戦争について、ヒロヒト天皇と天皇制がこの戦争において果たした役割について、何も責任を感じていないことを思わず漏らしたのがこの感想ではないのか。この会話を読んだ違和感はそこから来る。
 「激戦地で平和へ祈り」とか、「両陛下の祈りサイパン慰霊」などの見出しが新聞に一面に踊った。天皇夫妻は二八日、現在は米国の自治領になっているサイパン島の北部地域などの日米戦争の激戦地を訪れ、「スーサイドクリフ」や「バンザイクリフ」と呼ばれる場所で死者に花などを供えた。
 アジア太平洋戦争の末期、一九四四年六月、米軍はマリアナ諸島攻撃に転じ、一五日、七万の米軍がサイパン島に上陸した。当時の日本軍四万三千との激戦で七月七日には残存日本兵三千が最後の突撃をして全滅した。大池氏はその戦況を語ったのだろう。
 サイパンにはこの日本軍人だけでなく、一万数千人の日本人(多くは沖縄から移住させられた人びと)と、朝鮮人と、チャモロ人の現地島民がいた。この人々が日本軍の絶望的な自滅作戦にいやおうなくつきあわされた。
 「母親が赤ん坊を先に殺して自殺する。老人たちがお互いに自殺を手伝い合う。最後には一群の婦人たちが、島の高い断崖から海へ飛び込んで死んでいった。なぜ日本軍は自国同胞にこんなにも無慈悲なのか。天皇陛下のためには民衆の生命は虫けらほどの価値もないのか」(井上清「天皇の戦争責任」)。
 メディアがかきたて、伝えられるように、女性たちは果たしてバンザイクリフから「天皇陛下バンザイ」などといって海に飛び込んだのだろうか。
 少しでも故郷の沖縄に、日本列島、あるいは朝鮮半島に近づいて、島の北部から八〇メートル下の海に身を投げた人々の、本当の思いはいかばかりか。
 天皇はここに立ってなおその責任を考えていない。
 沖縄、韓国の塔にも慰霊したなどど報道されたが、沖縄や韓国の人びとがこれで天皇の戦争責任問題を納得できるだろうか。
 靖国問題をはじめ、歴史認識でかつてなく冷え込んでいる日韓関係、基地の重圧で苦しみ続けている沖縄の人びと、天皇のサイパン訪問と慰霊がこうした現在の状況と無関係ではない。
 再び国防軍を公然と保有し、米軍との集団的自衛権を行使する道、戦争への道を走り出している日本の状況のなかでおこなわれた天皇のサイパン訪問は大変きな臭いにおいがする。再び天皇による戦死者と戦争犠牲者の慰霊などの儀式を、支配層が要求している。
 ヒロヒト天皇の無責任だけではなく、アキヒト天皇もまた危険な役割を買って出ていることを絶対に黙認できまい。 (T)