人民新報 ・ 第1178号<統合271(2005年9月5日)
  
                  目次

● 小泉政治にNOを! 自公政権を拒否しよう

● WORLD PEACE NOW  9月11日は平和のための投票を そしてピースパレードへ

● 鉄建公団訴訟  勝利判決を勝ち取ろう

● 8・15  平和遺族会が首相の靖国参拝中止もとめて集会・行進

● 謀略とクーデタに命脈を賭けた明治新政府 A  /  北 田 大 吉

● 自民党内郵政民営化反対派の階級的側面  /  関 考一

● 書 籍 紹 介  /  フジサンケイ帝国の内乱  松沢 弘 (反リストラ産経労委員長) 著

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  「議会選挙至上主義」は 共同闘争の弊害




小泉政治にNOを! 自公政権を拒否しよう

法案否決は小泉政治批判

 郵政民営化法案を参院で否決された小泉は、衆院解散・総選挙に打って出てきた。八月三〇日から本格的な選挙戦がはじまり、小泉政治の継続か否かが問われるものとなってきている。郵政法案の参院での否決は、単に郵政民営化法案問題だけというわけではなかった。強引な小泉の政治手法に対する反発が自民党からの大量の造反となったのであり、その背景には郵政ネットワークの破壊、郵貯・簡保資金という「国民の財産」が銀行、とりわけアメリカ大資本にのっとられることへの批判、総じて小泉政治に対する人びとの嫌気が存在していたのである。小泉は、その政策を改めるべきであった。しかし、小泉は、これを「好機」ととらえ、にわか「刺客」をつくって造反派に対抗し、政権になにがなんでもしがみつこうとしている公明党と組んで、総選挙を郵政民営化の賛否を問う国民投票なるものとしようとしている。

難問山積の日本

 いま、問われているのは郵政民営化だけではない。名ばかりの景気回復と失業率の高止まり、外交的孤立、ついには今年から人口の純減までが前倒しとなってきている。そうしたもろもろの事態が物語っているように日本をめぐる状況はきわめて危機的な状況にある。にもかかわらず小泉は、ファッショ的な手法で、政権への批判を封じ込めようとしているだけだ。その結果が、広範な労働者・勤労人民に「痛み」の倍加となってくるのである。
 小泉政治とはなんであったのか。小泉政治は、日本財界の利益を代弁するものだが、基軸のひとつはアメリカ・ブッシュ政権との関係にある。ソ連の自滅により冷戦に勝利したアメリカは、唯一の超大国として覇権主義と強権政治によるわがままな世界支配を実現しようとした。そのために必要だったのが中東支配であり、二〇〇一年の九・一一事件がなくても、イラク・フセイン政権打倒の戦争発動は必至であったことがいまでは明らかになっている。初期の戦闘には最新鋭兵器の大量投入で勝利したものの、今日のイラクの情勢はアメリカにとって極めて重大だ。事態はますますベトナム戦争に似てきている。戦死者の増大を背景にアメリカ本国での反戦運動も本格化し、イラク撤兵の声は日増しに大きくなってきている。すでにアメリカの戦争・占領は大局的には破綻の様相を濃くさせて来ている。貧しさから兵役に志願せざるをえなかった米兵とそれに数十倍するイラク民衆の生命が、アメリカ権力者、石油資本、軍需産業などの利益のために無残に失われつづけている。そのイラク侵略戦争を積極的に支持してきたのが小泉政権だった。

米国の郵政民営化要求

 アメリカは毎年十月に年次改革要望書「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」をだす。それを、日本の各省庁は実施に移す。アメリカと日本の当局者は定期的な点検会合を開く。その結果は、アメリカ通商代表部の「外国貿易障壁報告書」として毎年三月、連邦議会に報告される。要望書の中で再三、郵政民営化を求めてきた。昨年一〇月の要望書では、「米国政府は、日本郵政公社の民営化という小泉首相の意欲的な取り組みに特に関心を持っている」として、「保険、銀行、宅配便分野において、日本郵政公社に付与されている民間競合会社と比べた優遇面を全面的に廃棄する」など詳細な注文をつけている。アメリカが郵貯・簡保の約三四〇兆円を狙っていることは明らかで、民営化されたら一気に米国の金融資本が入ってきて支配し、持ち去っていくことになるだろう。小泉は郵政民営化によって、日本財界の要求に応えるとともに、アメリカ資本の日本収奪のために有利な条件を作り出しているのである。

対米一辺倒外交の「成果」

 アメリカとの関係では、現代はアングロ・サクソン(アメリカ)が支配する世界なのだから、なんでもアメリカの意向にそっていけば間違いないのだ、という意見が小泉・自民党の「外交路線」だ。だが、アメリカの日本にたいする対応は、小泉などが期待するようにはなっていない。その典型例が、日本の国連常任理事国入り問題でのブッシュ政権の態度である。ブッシュは中国などの反対に対抗してまでは日本の常任理事国入りを支持しなかった。これが「最良の関係にある日米関係」の実際の姿なのだ。米国にはすでにソ連という敵対勢力が存在せず、各国を自分の影響下にとどめるためにそれなりの譲歩をしなければならないという時代ではない。日本はなにについてもアメリカの言うことを聞けばいいのだという姿勢だ。こうした超大国アメリカに反発し、みずからの権益をまもるために、ドイツ・フランスなどのヨーロッパ(EU)はアメリカとの距離をとるようになったのである。

アジアとの関係は最悪に

 小泉政権のふたつ目の「成果」はアジアとの関係悪化である。侵略戦争を美化する靖国神社への参拝は、その象徴的表現である。靖国神社の遊就館は、侵略戦争時代そのままのイデオロギーの発信基地となっている。ヨーロッパでは極右派(ネオナチ)の活動が問題となっているが、日本ではそれらの多くは政府・与党内にいるのである。この間、中国や韓国からの対日批判が強まっているが、その原因は、過去の戦争・植民地支配を反省しない日本にこそある。口先では「反省」を言うが、実際には、閣僚の靖国参拝、戦犯裁判否定を黙認し、そしてみずからの靖国参拝を否定しない。もっとも、小泉は東京裁判でのA級戦犯判決については認める発言をしているが、これはアメリカへの配慮のためだ。もし、これまで否定したら、米国の対日占領・改造までも否認するということになって、ブッシュ政権の怒りをかってしまうからだ。
 小泉政権が続く限り、アジア諸国との関係改善は不可能である。いまの中国、韓国、アセアンはかつての「遅れた」アジアではない。それらの国ぐにの経済発展はめざましく、日本が長期的な経済不況から脱出できず、さらに小泉の構造改革によっていっそう不況を深化させているあいだに、経済をはじめ政治的な力関係も劇的に変化することになろう。

深刻な社会の二極分化

 小泉政治の第三の帰結は、日本社会を「壊し」衰弱させたことだ。新自由主義政策で、一部の「勝ち組」をのぞいて、多くの人びとの生活・労働は大きな打撃をうけた。リストラ首切り、非正規雇用の増大、失業率の高止まり(とりわけ若年層)などは、生活苦、経済的理由による自殺の激増、家族の崩壊、教育の荒廃という深刻な状況をもたらしている。こうして、社会の二極化がすすみ、とくに、若者の希望の喪失が言われている。かつて、日本は、一定の層に「終身雇用」を保証することによって、企業社会による社会の安定をはかってきた。しかし、いま企業は、下からは本社員の削減、上からは社外取締役制の導入などアメリカ企業化することによって、社会的統合の役割を縮小しつつある。そして社会的統合から排除された部分には治安法制の強化やナショナリズムによる統合が強行的におこなわれている。だが、小泉政治によって、社会的統合の大衆的基盤が狭まりつつあることは事実である。

小泉政治は「日本を壊す」

 これらのことが小泉政治が実現したものだ。社会には閉塞感が漂っているが、社会主義的変革の主体が未形成の現在、現状を打破するかに演出する自民党・小泉、または民主党・小沢のような、いわゆる「保守二大政党」に収斂する一時代が到来する可能性が高い。こうなるにはマスコミの宣伝によって多くの人びとが、小泉「改革」幻想を持たされていることが大きいが、新自由主義(弱肉強食)とグローバリゼーション(対米追随)の政策は、内政・外交ともに、日本を袋小路に追い込むだけである。
 小泉政治の歴史的な意義は、「自民党をぶっ壊す」ことである。それは、かれ自身がどの程度自覚しているかは別だが、いわゆる五五年体制と戦後をも「ぶっ壊す」ことになった。自民党はもはや完全にその亀裂を修復することは不可能だ。そうした変化の土台には、日本社会が新自由主義・グローバリゼーションの嵐の中で、アメリカ的二極社会に急速に転換しつつあるということがある。
 かつて日本の軍国主義者たちは、当時の日本の「閉塞」状況を、侵略戦争で突破しようとし、そのことによって、世界中の国ぐにと敵対関係に入り、アジア民衆を大虐殺して何代にもわたって消えることの無い憎しみをかい、国力を使い果たし、最後には「大日本帝国」の崩壊に帰結した。東條英機は、A級戦犯であると同時に「大日本帝国」崩壊の第一級の「功労者」ともなっている。小泉も、「改革」という名の破壊をすすめることにより、自身の意図せざる結果をもたらす役回りを演じることになる公算は大である。

「小泉政治にNO!」を

 われわれはこうした時代に、二極分化の中で犠牲をしわ寄せされる労働者・勤労人民の側に立ち、その利益を守って闘いぬかなければならない。そうして、闘いの力を蓄え拡大して、諸矛盾の激化によって大衆闘争の高揚する時代に備えなければならない。
 今回の総選挙において、われわれは、郵政民営化=構造改革、イラク戦争、憲法改悪に反対する政党・候補者への投票を呼びかけ、小泉与党(自民党・公明党)の勝利を阻止するよう訴える。また、主体的な力の形成が急務であることについての認識をひろめ、闘う議員を当選させることのできる新しい共同、そして社会主義をめざす政治勢力の統合・形成を実現させるためにいっそう奮闘していかなければならない。


WORLD PEACE NOW

   
9月11日は平和のための投票を そしてピースパレードへ

 九月一日、WORLD PEACE NOWの9・ パレードについて、同実行委員会による記者会見が開かれた。
 実行委員会の高田健さんが発言。今年も例年通り、9・11に集会とパレードをおこなう。WPNは、約一ヶ月半にわたって、共同声明「すぐもどれ自衛隊 終わらせようイラク占領」キャンペーンをおこなったが、八月二〇日までに二六九団体が賛同した。さきほど、共同声明をもって内閣府に行って小泉首相への申入れを行ってきた。いま総選挙中だが小泉首相はイラク問題にふれない、これは日本と世界の平和にかかわる重大なことがらなのに隠そうとしていることに抗議した。また、自衛隊の派兵延長が既成事実であるかのような政府の対応に抗議し、遅くとも一二月一四日には自衛隊をもどすべきだし、そのためにただちに撤退の決定をおこなうべきだと要求した。衆院解散で9・11は総選挙の投票日と重なった。当日は平和のための投票をすませ、または期日前投票をすませてから、パレードに参加して欲しい。
 WPNとともに9・11行動をおこなうBE―INからは、昨年と同じく明治公園に大きなピースマークを描くことなど当日の催しについて説明があった。
 ジャーナリストの志葉玲さんがイラク情勢について報告した。イラクでは憲法草案の起草作業がおこなわれたが、連邦制と石油利権をめぐって大きな対立があらわになった。アメリカ軍とイラク国家警察隊が、かつてのサダム・フセイン時代と同じような恐怖管理社会をつくっている。警察内の中には多くシーア派がいてスンニー派に対する弾圧を行い、それに対するシーア派の反撃が激しくなってきている。自衛隊のいる南部地域もいっそう不安定な状況になってきている。
 もう一人のジャーナリストの田中優さんは、大量破壊兵器の保有などブッシュのイラク攻撃の口実はすべてウソであることがはっきりしたが、アメリカのイラク戦争は、カネ、エネルギー(石油)、軍需産業のためのものだ、そして日本の金がアメリカの戦争財政を支えている、と述べた。


鉄建公団訴訟  勝利判決を勝ち取ろう

 一〇四七名の解雇撤回の闘いはすでに一九年もの長きにわたって不屈に続けられている。九月一五日に鉄建公団訴訟の東京地裁判決の日を迎える。
 国鉄の分割・民営化は地方「赤字」ローカル線の廃止による地域社会の切捨て、労働者への過酷な処遇、解雇という、その後に続く新自由主義的構造改革・規制緩和・民営化路線の突破口としてあり、それに抗する国鉄闘争は反リストラ闘争の中軸として存在し、多くの闘う労働者の支持と期待を集めてきた。困難な闘いの中で倒れた仲間も多い。しかし、七月一五日の日比谷野音で五八〇〇名を結集して「国鉄労働者一〇四七名の解雇撤回! 原告団・闘争団・争議団を励ます7・15全国集会」を実現し、国労闘争団、全動労争議団、動労千葉争議団による鉄建公団(鉄道運輸機構)裁判という形で統一を実現した。その集会宣言では、@一〇四七名の解雇者を闘いの解決まで引き続き激励し、支援すること、A交通事業の「安全」と国民の「いのち」にとって、労働者の人権と職場の民主主義の保障は不可分であることの宣伝をいたるところで強める、B東京地裁への署名活動、要請活動、C政府、関係省庁、鉄道運輸機構への政府責任による早期解決の要請行動、D議会(国会、地方議会)、政党への支援、協力要請、E地方、地域における関係労働組合、支援組織へ「大同団結」路線に立つことを申し入れ、宣伝活動、F関西方面を中心に福知山線事故犠牲者家族らのJR西日本への補償等の要求行動を支援し、連帯を強める、G地域住民等の社会的運動と連帯して、JR関係労組の安全点検、安全確保の闘いを支援し、交通事業の安全確立のあらゆる運動に参加する。
 そして闘争団などはこれらの課題を実践してきた。
 だが、国労本部は依然として、勝利のための統一への合流・総団結を拒否しつづけている。八月下旬の国労大会を前に、7・15集会の呼びかけ人をはじめ国鉄闘争の勝利を願う人びとが連名で、国労酒田委員長に申し入れをおこなった。そのほかにも、早期解決に向けた陣形形成のためのさまざまな動きがあった。しかし、国労大会は鉄建公団訴訟にたちあがって三年間の権利停止された二二名の処分を「解除」しただけで、佐藤新執行部も闘う方針を提起するものではなかった。
 いよいよ地裁の判決日を迎える。訴訟団は、全力を挙げて「何が何でも勝たずにはおかないし、裁判官に解決を可能とする水準の判決を書かせる」という決意と行動に取り組んできた。この間の闘いを基礎に、支援の広がり、そしてJR西日本福知山線大事故による分割・民営化そのものの問題性の社会化などは、判決の材料となるが、裁判所はあくまでも日本国家機関の一翼を担うものだ。大事なことは、7・15集会で加藤晋介弁護士が言っていたが、国労本部の闘争放棄というなかで「われわれが鉄建公団訴訟の判決を契機に、まっとうな労働運動をどう回復し、その芽を育てていくかが課題だ」「鉄建公団訴訟の判決とこれを包み込んだ運動の盛り上がりを契機に、もう一度きちんとした労働運動を職場に根付かせること」ということだ。
 鉄建公団訴訟に勝利と労働運動の再生にむけて闘いぬこう。


8・15

  
平和遺族会が首相の靖国参拝中止もとめて集会・行進

 八月一五日、平和遺族会全国連絡会主催の「小泉首相は靖国参拝の中止を アジアの平和と和解・共生をめざそう!」が開かれた。
 キリスト者遺族の会の北川裕明さんが開会挨拶で平和遺族会について次のように述べた。
 平和遺族会全国連絡会は、国家の誤った侵略戦争の犠牲となった戦没者たちが、同時にアジア諸国民にとっては、加害者でもあったという悲しむべき事実を踏まえて、「主権在民・平和主義・国際協調主義(憲法前文)」および「戦争の放棄(九条)・政教分離原則(二〇条)」の精神に固く立ち、ふたたび国内外に戦没者、その遺族、戦争犠牲者を生み出さないため、助け合い、励まし合いつつ、靖国神社「公式」参拝など、いっさいの戦争への道を許さず、平和をつくりだすために、共に努カすることを目的とし、各種団体との協力と連帯を計りながら、交流、学習、運動を行ってきた。
 つづいて、戦没者遺族で平和遺族会全国連絡会代表の西川重則さんが基調報告。
 靖国神杜とは何なのか、真剣に歴史的に検証すべきであって、首相が、あるいは石原都知事が靖国神社参拝を当然のようにくり返すことは、憲法上、法律上あってはならない漣憲・違法行為であるだけでなく、靖国神杜の立場からも国家為政者を始め公的立場の人びとを特別視し、参拝を勧めることは、宗教団体である靖国神社が「国から特権を受け」る行為を意味し、憲法二〇条に反するものだ。私は、根本的解決の道として、すぐれて憲法問題である靖国神社参拝問題に対して憲法そのものによって解決すべきことを確信するものである。国家と宗教の分離を意味する政教分離原則は、戦前・戦中の天皇制・国家神道体制下の諸弊害を除去し、再びアジアに対して侵略・加害の歴史をくり返すことのない新しい日本の決意の表明としての歴史的・今日的意味を持つものであることを強調したい。
 筑波大学名誉教授の進藤榮一さんが「戦後六〇年と日本外交のゆくえ―東アジア共同体を構想する」と題して記念講演。
 集会に寄せられたメッセージ(中国社会科学院近代史研究所の歩平副所長、韓国太平洋戦争遺族会)が紹介され、靖国神社にむけて平和行進に出発した。


謀略とクーデタに命脈を賭けた明治新政府 A

                    
北 田 大 吉

大型使節団を海外に派遣した理由


 廃藩置県後の後始末を留守政府に預けて、岩倉、大久保、木戸、伊藤など新政府の中軸幹部は、三条、西郷、大隈、板垣、江藤など留守政府との間に「約定一二ヵ条」の約束をして、儀礼訪問と文化視察のために欧米に向けて出発した。主な約定は二項目で、派遣使節が帰国するまで新しい政策には手をつけないこと、使節団は条約改正交渉には手をださないということであった。ところがアメリカで盛大な歓迎を受けた使節団は、大いに舞い上がってしまい、条約改正もうまく行きそうだと勘違いした。ところが、これが結局うまくいかず、使節団の日程は大幅に狂ってしまった。一年の予定が二年以上にもなってしまい、使節団内の人間関係もおかしくなった。とくに使節団の中心である木戸と大久保の仲が決定的に悪くなった。

 他方、留守政府の仕事は、うるさい連中が外遊して邪魔がはいらなかったために、思いのほか順調に進んだ。よくこんな短期間によくこれだけのことができたといえるくらいよくやった。三条が帽子で西郷が事実上の首相であったが、大隈や江藤などに思い切って腕を揮わせた結果であった。廃藩置県は、島津久光を別にすれば、旧藩主層の抵抗は意外に少なかったが、農民や士族の抵抗は思いもかけず激しかった。

 とくに地租改正や徴兵制度の実施に際しては、しばしば一揆による抵抗が起った。地租は千分の三十から千分の二十五に下げざるを得なくなり「竹槍でどんと突き出す二分五厘」などと揶揄されることになったが、結局、軍隊と警察による弾圧で収拾した。戊辰戦役で戦った藩兵たちが復員しても各藩の財政力でそれを養うことができず結局リストラされ、山口のようにリストラされた兵士たちが農民といっしょになって一揆を起こすということもあった。廃藩置県はこれに追い討ちをかけた。さらに徴兵令による国民皆兵は、士族から常職を奪うことになった。政府は士族に対する授産政策を採っていたが、いわゆる「士族の商法」でうまくいかなかった。せいぜい帰農ぐらいが関の山であったが、士族授産のため農民の土地を奪うことになり、また、帰農した士族が地主になる道を拓いた結果になった。政府は徴兵軍の将校に士族を採用したり、地方の官公吏、教員、警察に士族を採用したりしたが、多くの士族を完全には収容しきれなかった。鹿児島のように人口の四割が士族であるような場合には、まったく士族たちを食わせることができなかった。鹿児島が廃藩置県後も割拠して、旧制度を解体しなかったのにはこのような事情があった。

 新政府がめざした封建制度の解体でめざましい実績を挙げたのは、司法卿江藤新平であった。穢多解放令をはじめ身分差別撤廃の施策が大いに進展した。これは農業における封建制の解体にも見られる。土地の私有が公認され、田畑の永代売買禁止が解消され、勝手つくりも認められ、農民の移動の自由も認められた。これらの施策は封建制の解体という面で評価されるが、これは同時に農民が土地を手放し離農する自由をも意味するから、地主による土地の集中の問題も含めて資本の原始的蓄積に貢献したということにもなる。

 教育の普及にもめざましいものがあった。「村に不学の家なし」のスローガンのもと、村々に学校が建てられた。教育における旧来の差別が一掃され、初等教育においては公教育が採用されたことは、これが均質な労働力を要求する資本主義の要求に応えるためであっても大いに評価できる。教育の普及は資本主義の発展のため以上に、将来の社会主義のためにも必要だからである。しかし、教育費の負担は人民の肩に課せられたから、多くの農民がその負担に苦しみ、一揆において教育費の撤廃が叫ばれた地方も多い。

 陸軍省御用達の山城屋は、生糸相場に手を拡げ、その資金に陸軍省公金十五万jを借り出した。当時、軍需品輸入用に保管していた現銀の価格低落に苦慮していたので、資金運用を理由に山形屋の借用申し出に応じた。陸軍省内部にも、山県らと山城屋の関係に不審を抱く者がいた。薩摩出身の陸軍省会計監督種田政明は、ひそかに調査をはじめ、事情を同藩出身の陸軍少将桐野利秋に知らせた。ここから山県陸軍大輔(次官)の責任を追及する声が高まった。窮地に陥った山県が辞表を提出し、西郷の庇護によって辛うじて政治生命を繋いだ。

 明治五年十一月二八日に司法省通達告諭によって、国民皆兵の原則に立って徴兵告諭が発せられたが、陸軍卿の山県は奇兵隊の経験から国民皆兵の徴兵制を主導したという俗説は史実と食い違っている。実は山県自身は士族中心の軍隊を構想していたのであって、国民皆兵制は考えていなかった。山県ら陸軍省首脳は、新国軍建設計画について説明した「四民論」と題する文書を正院に提出したが、この文書において、士農工商「四民の情実に注意し、四民服役の法を定めるべき」であるとの立場から、戸主以外の士族と卒、および手作り地主や自作農上層の二、三男のみに徴兵の対象を限定し、それ以外の階層からは代人寮料として金銭を徴収するのがいいと論じていた。つまり陸軍省は、国民皆兵制ではなくて、士族と卒を中心とする比較的小規模な軍隊の建設を考えていたのである。

 公教育の普及が将来の社会主義のためにも必要であると同じような意味で、国民皆兵(国民総武装)も将来の社会主義を展望する立場からいえば「進歩」であるという見解がある。将来は戦争そのものを消滅させる政策が否応なしに問われるだろうし、「国民」は人民と違うから「国民皆兵」がブルジョア的欺瞞に満ちたものであることは疑いがないが、しかし日本が近代化する過程で必然的に要求されたものであることも否定できない。軍隊とくに常備軍にたいする態度についてはいずれあらためて採りあげなくてはならない。 (つづく)


自民党内郵政民営化反対派の階級的側面

                      
関 考一

 七月五日の衆議院における郵政民営化法案採決に際し、賛成二三三票、反対二二八票の僅差(五票差)でかろうじて可決された。自民党衆院議員二五〇名中賛成票一九九名に対し三七名が反対票を投じ欠席・棄権した者が一四名と予想を上回る大量造反者が出たことは、郵政民営化を旗印に「新自由主義的改革」を推し進めてきた小泉政権にとって大きな打撃となった。自民党内反対派が結集する「郵政事業懇話会」(会長・綿貫民輔前衆院議長)は一時一〇〇名以上の参加する会合を持つなど活発な動きを続けてきた。この反対派は衆議院での採決直前には自民党執行部の「公認取消し」「役職罷免」更に消極的な「棄権」も反対と見做すという露骨な脅しに腰砕けになるとの観測もあったが、強権的対応が一層の反発を招くという逆効果もあり衆目を驚かせる結果となった。更には八月八日の参議院での採決に際しては一七票差という予想を超える反対票となり郵政民営化法案は否決されるに至った。行き詰った小泉政権は「政界再編」もありうる衆議院の解散を打ち出し、政治は一挙に流動化し始めている。この解散劇を生み出すにあたって郵政事業懇話会の主なメンバーは一時脚光を浴びたが、ここではこうした自民党内の郵政民営化反対派の予想を超える造反が生まれた背景を冷徹に分析する必要があると考える。

小泉政権の性格

 小泉政権の登場は、冷戦の終焉によって一国中心主義(ユニラテラリズム)的アメリカ帝国主義による軍事的覇権体制の構築とその下におけるグローバルな活動を追求する多国籍企業による世界市場の維持拡大の要求に日本支配階級が積極的に乗り出したことと表裏の関係にあることは明白である。旧来の自民党政治(=保守本流政治)は、輸出主導の大独占企業の育成・保護と巨額な公共投資のばら撒きを通じて都市部と地方から万遍なく支持を集め国会の過半を占めるというものであった。そしてその支持層(利益集団)毎の議員グループ(派閥)を形成して利害調整を図るという全資本家階級を代表する政党としてあったといえよう。しかしグローバル経済の下では保護主義的な関税などの障壁が廃止され、むき出しの競争原理に晒される過酷な市場主義が席巻するようになった。九〇年代以降は、全資本家階級の利益を代表していた自民党においても深刻な亀裂が発生するようになった。こうした中で登場した小泉政権はグローバル化を目指す独占企業の意向を受けて「規制緩和」「構造改革」を唱え、新自由主義的改革を推し進め始めたのである。小泉はこれに反対する自民党内の反対派を「守旧派」とレッテルを貼り自らは「改革派」を装ってきたのであるが、一方ではアメリカのアフガニスタン・イラク派兵と軍事的要求に応えつつ究極的には「憲法改正」を強行して日本の軍事大国化を実現しようとしている。
 こうした小泉政権の推し進める新自由主義的改革にもっとも大きな影響を受けるのは労働者階級であるが、自民党内議員グループ(派閥)にも大きな影響を与えている。旧来型の「地方への利益誘導」「公共事業」「郵政事業」に多くを依存する保守本流の「宏池会=堀内派」系や「旧田中派=旧橋本派」は近年急速にその影響力を失ってきており、反面、多国籍化した独占資本の利益を反映しようとする「旧福田派=森派」が勢力を増大させている。

郵政民営化反対派の階級的基盤

 今回の自民党内郵政民営化反対派の予想を上回る抵抗の根源にはつぎのようなものの存在がある。小泉政権登場以来の新自由主義的改革が、海外での利益が大きな比率を占めるグローバル化した独占資本やその恩恵を請ける「大都市部」での「勝ち組」資本家層と海外の安い労賃や製品の競争力に敗れ産業の空洞化にあえぎ、更には公共投資の大幅削減による経済の衰退が著しい「地方・農村部」を中心とする「負け組」中小資本家層への二極分解の進行がある。
 ここで日本の資本家階級がどのような構成となっているかを、橋本健二氏の著書「階級社会 日本」(青木書店)に基づいて見てみよう。
 まず日本社会における階級カテゴリーを橋本氏は次のように位置づけている。(同書八九P)
 @ 資本家階級―従業員規模が五人以上の経営者・役員・自営業者・家族従業員
 A 新中間階級―専門・管理・事務に従事する被雇用者(ただし、女性では事務を除外)
 B 労働者階級―専門・管理・事務以外に従事する被雇用者(女性では事務を含める)
 C 旧中間階級―従業員規模が五人未満の経営者・役員・自営業者・家族従業者
 とし、資本家階級と旧中間階級との境界を、従業員規模五人に設定した根拠を次のように述べている。「経営者・役員の所得は、自己労働による部分と労働者から搾取した部分の二つから構成されていると考えられる。そしてこの二つの部分を比較して、自己労働による部分が多ければ旧中間階級的性格が強く、搾取にもとづく部分が増えるにしたがって資本家階級的性格が強くなるとみることができよう。そこで一九九五年SSM調査データにより、経営者・役員の所得が被雇用者の何倍になるかを従業員規模別にみると、従業員一〜四名では一・六倍、五〜九名では二・〇倍、一〇〜二九名では二・五倍となる。このことは従業員規模が五名を超えると、経営者・役員の資本家階級的性格が強くなるということを意味する。」 同書九二Pの図表3・5 従業員規模別にみた階級構成によると「資本家階級が全就業人口の一割近く(九・二%)を占め、その九六%が中小零細企業経営者だというこの階級構成表に対して、「資本家階級」の一般的イメージと違うのではないかと疑問を抱かれる読者もいるだろう。しかしそれは「一握りの大ブルジョアジーと圧倒的多数のプロレタリアート」という、『共産党宣言』の図式を無意識に受け入れていることから生じた疑問だと思う。小規模といえども一定数以上の労働者を雇用している経営者は、れっきとした資本家である。むしろこの点を忘れ、資本家階級といえば「一握りの大ブルジョアジー」とイメージしたことが、資本家階級の層の厚さや社会勢力としての大きさを過小評価する傾向を生んできたのではないだろうか。資本家階級に対するイメージは、修正される必要があると思う。」この橋本氏の実証的分析に基づく提起は、私たちに欠落していた視点であり極めて重要な内容を含んでいる。この視点に基づいて見れば、小泉政権が推進する新自由主義的改革は、海外での利益に依存するグローバル化した大独占資本家(資本家階級の四%弱)をより強大にさせる一方、資本家階級の九六%強を占める中小零細企業経営者の基盤を掘り崩し、彼らを資本家階級から没落させる危機に直面させている。近年、地方都市における老舗百貨店の廃業や大都市百貨店資本による買収や資本参加の進行は地方における資本家階級の購買力の衰退を示す象徴といえよう。

郵政民営化の焦点の一つ「特定郵便局長制度」


 全国の約二万四千ある郵便局のうち、約一万九千の特定郵便局長によって結成された任意団体である全国特定郵便局長会は自民党内郵政民営化反対派の有力な支持母体である。
 この全国特定郵便局長会を成立させている「特定郵便局長制度」とは、@選考任用制A私有局舎制B無転勤六五歳定年制を三本柱とし、いずれも普通郵便局長と違うものであり選考任用制は特定局長の幹部の推薦により任用(試験はあるが高合格率)されるもの、私有局舎制は局長の家屋を郵便局として提供し賃貸料を得るもの、無転勤制は一度任用されたら原則として六五歳の定年(特例で六八歳まで延長可)まで局長職に就けるというものであり、更に私有局舎の場合、局長は次の局長を推薦できるという特例もあり、事実上の「世襲制」という特権を維持している。(郵政労働者ユニオン作成資料より引用)
 特定郵便局は二〇〇一年三月末で一万八九四一局あり、そのうち建物を借り入れている特定郵便局は一万七五〇六局にのぼっている。建物を所有する局長に支払われた賃借料の平均年額は約四九四万円であり特定局長の平均年収は約九〇五万円となっており合計の平均年収は一四〇九万円にもなる(〇三年一月十六日付 政府答弁書)。
 特定郵便局長の階級的位置は、一般的には被雇用者という点からみれば官公庁の高級官僚と同等の新中間階級上層に所属すると見られるが、資本家階級の平均年収一二九四万円(階級社会日本 一二八P)を上回る所得を得ていること、資産価値の高い私有局舎・土地などの不動産を所有していること、「世襲制」の特権保持などを考慮すれば資本家階級とみなすのが妥当と考えられる。小泉政権の郵政民営化は「不採算郵便局の整理統合」が必至であるから「特定郵便局長」とその家族は資本家階級からの没落が避けられないということを意味する。これはまさに彼らの特権的地位と収入・財産の存亡にかかわる重大問題である。

郵政民営化法案否決の要因分析


 今回の自民党内郵政民営化反対派の根強い抵抗力の根拠は、@階級的利益代表機関としての全国特定郵便局長会が、長年にわたり地方における資本家階級の「名士」として選挙などにあなどれない影響力を行使してきたことを基礎にして、強力な集票圧力団体として活発に動いたこと、A地方を中心に多くの中小零細資本家階級が自らの没落に強い危機意識を持ち小泉政治に対する反感を強めていることを背景したこと、B郵政民営化は、新中間層と労働者階級にまたがって位置する郵政労働者全体の階級的利益全体を損ない地域経済全体の不利益に直結することから、「民営化」に対する観点には大きな隔たりがあるにもかかわらず、衆議院・参議院での採決では民主党・共産党・社民党がこぞって反対したことや全国的世論調査では郵政民営化反対が過半数を占めるという現象に現れたように、一時的にせよ階級横断的連携が成立したことである。

独自性を堅持して小泉政権打倒の包囲網を!

 この一時的な階級横断的連携の成立は、小泉政権と巨大独占資本が推し進める「新自由主義改革」スケジュールに、改憲のための「国民投票法案」上程など反動法案審議の遅延など一定の打撃を与えたことは評価すべきである。しかしながら、この郵政民営化反対派の中心となった自民党議員の中小資本家階級という基盤を考慮すれば、彼らは長年に亘って政府と独占資本家階級に同調することによってさまざまな階級的利益を獲得してきたのであるから政権主流に対して妥協的で不徹底な主張や対応は想定可能な範囲内と見做すべきである。
 彼らの階級基盤からは労働者階級をはじめとする大衆的支持を獲得する戦略は出るはずもなく、新自由主義に対抗する長期展望もなく既得権の維持に終始せざるを得ない。
 労働者階級がまだ即自的階級に留まっている現在であっても、決して運動の主導を資本家階級に託すことは出来ないことは明白であり、一時的な階級横断的連携の中でも私たちは必ず自らの思想上、政治上、組織上の独自性を厳格に持つ努力を継続すべきである。
 この点を明確にした上で、郵政民営化法案の否決から衆議院解散・総選挙と政治の流動化が進行している現状で、可能な限り全ての勢力・要素を結集して主要打撃方向を新自由主義改革推進の小泉政権打倒に集中することにある。小泉政権が旧来の全資本家階級の代表という「自民党」を「壊す」のであるから中小資本家階級はさまざまな抵抗をせざるを得なくなり幾多の政治的結集を生み出す政治的流動化に繋がることになると思われる。こうした敵階級内部の矛盾の激化は、対自的階級への過渡期にある労働者階級に時間的猶予を結果的に与えることになろう。
 私たちはこうした時間を有効に活用して小泉政権打倒の包囲網の発展に努力し、新自由主義的改革路線に痛打を浴びせよう。


書 籍 紹 介

   フジサンケイ帝国の内乱
 
       
松沢 弘 (反リストラ産経労委員長) 

 著者の松沢弘さんは、フジ・産経グループの日本工業新聞(現「フジサンケイ・ビジネスアイ」)の労働者で、御用組合に抗して新労組<反リストラ産経労(「労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会」>を九四年一月に結成した。産経の過酷な労働者支配は有名だが、松沢さんたちは、御用組合の中で反対派として粘り強い闘いをおこなってきたが、日本工業新聞をはじめフジ・サンケイグループのリストラ合理化に抗して闘う労組を旗揚げしたが、会社はただちに松沢さんを千葉支局に配転し、超長時間通勤を強いるなどいやがらせと、新組合否認・団交拒否などの不当労働行為をつづけ、ついに九四年九月に不当に解雇した。反リストラ産経労は、産経グループ以外のマスコミ労働者たちとも連携行動を強め、また東京総行動に参加して闘っている。
 裁判闘争では、東京地裁で「懲戒解雇は解雇権の乱用で無効」として勝利したが、東京高裁では親企業・反労働者的な判決乱発で有名な村上敬一裁判官によって、解雇は正当、不当労働行為については裁判所は判断しない(都労委にまかせる)という反動的な「判決」がだされ、現在、最高裁で闘われている。

 本書「フジサンケイ帝国の内乱〜企業ジャーナリズム現場からの蜂起」の構成は、「第一部 帝国の覇権−フジサンケイグループは誰のものか?」(@ライブドアvsフジテレビ抗争の本質は何だったのか?、A「産経残酷物語」への反乱、B暴力株主総会の恐るべき実態!、C企業ジャーナリズム批判の原理)と「第2部 内乱は拡がる〜抵抗派潰しの懲戒解雇撤回を求めて(@反乱はいかに開始されたか、A最高裁へ、そして闘いは続く、B闘いの中から、闘いの中へ)。第二部が「反動マスコミの牙城」に挑む労組としての闘いであの手この手で攻撃をかけてくる会社に果敢に挑む闘いの記録だが、第一部の産経新聞グループについての分析が鋭い。
 現在の政治の反動化に果たしている産経新聞の役割は際立っている。しかし、それはどこに起因するのか。産経新聞グループの中で働いていた著者は「『商売としての右翼路線』をとる産経新聞」として次のように書いている。いささか長くなるが引用する。
 <論説委員となってから、何度か産経新聞や日本工業新聞のトツプ層に会う機会があった。産経の編集局長、常務を歴任し、その後、権力抗争に敗れて日本工業新聞の社長にとばされてきた細谷洋一がこんなことを言っていた。「われわれも、ホントは産経新聞のような右翼的な紙面は作りたくない。しかし、これも商売だから仕方がない」「朝日のような世間から評価される進歩的な紙面を作りたいのだが、その分野には・圧倒的なメジャーとしての朝日が存在しているから、商売にならない。その他の傾向の分野に特化するにしても、結局は中途半端に終わってしまう。だから、結局は右翼路線しかなかったのだ」。
 細谷によれば「産経新聞は、どうやって利益をあげようかということで、右翼路線を選択した」というわけだ。歴史的に見れば、産経新聞グループは、五〇年代の新聞各社の反体制な論調に危機意識を抱いた政府・財界が、自らの意見を浸透させる機関として、経営悪化に見舞われていた産経新聞に目をつけ、財界から水野成夫、続いて、鹿内信隆を経営者として送り込んで、まず、産経労組から抵抗力を奪い、それをテコに、右翼偏向路線を突っ走ったというのが事実であることは確かだ。しかし、編集責任者までのレベルでは、細谷のような屈折した意識があったこともまた、ひとつの事実なのかもしれない。
 私が産経新聞グループに入ったとき、早大で右翼学生のボスとして鳴らした二人の人物がそれぞれ、産経新聞と日本工業新聞の営業部門に在籍していた。「こんな者たちがいる企業で働くのは耐えられない」と、当時、私は思ったものだ。しかし、彼らは、ほどなくして、自分から辞めてしまった。今にして思えば、真正右翼の彼らは、産経新聞の右翼路線が「営業政策」に過ぎないことを見抜いて、あきれ果てた挙句に見切りをつけたのかもしれない。そのうちの一人は、その後、新右翼として名を上げ、今でも派手に活動している。私が産経新聞グループで見たホンモノの右翼は彼らだけだった。大学のランクや、入社試験の成績によって、産経新聞グループにしか採用されなかった、多くの記者や営業マンに、右翼思想の信奉者は皆無だろうといってよい。産経新聞グループ社員のほとんどは、自分たちが作らされている偏向紙面を「恥ずかしい」と感じているのだ。>
 産経グループが右翼・愛国・排外主義を売り物にして儲ける「営業右翼」「商売右翼」である姿が、著者自らの体験から説得的に語られている(これに続いて渡邊恒雄の読売新聞についても触れられている)。
 愛国を気取りながら、その実、汚い利権あさりと金儲けに走るのは、例えば、右翼=暴力団が典型的な例だ。街宣車で、偏向教育批判、道義の確立を精一杯がなりたてる右翼を見て迷惑顔に「道義だって、よく言うよ」と多くの人は言っている。
 フジ・産経グループの中核企業・ニッポン放送がライブドアのホリエモンに買収されそうになったとき、フジテレビの日枝久会長は、反動・軽薄メディアの最先端を走るフジ・産経グループの代表者とは思えぬ「報道の道義」のようなものを叫びだしたことがあったのは記憶に新しい。松沢さんは、フジ・産経グループは水野成夫、鹿内信隆の支配交代は「追い落とし」だった、鹿内一族から日枝体制への移行も「血で血を洗う」ようなものだったと書いている。水野、鹿内は共産党からの転向者、日枝は元労組リーダーだった。
 松沢さんは、総行動などの場でつねに、「争議に勝って、一記者に戻り、労働者に敵対ばかりしている産経新聞を変えたい」とその思いを述べている。
 産経新聞はますますその極右路線をすさまじいものにしているが、改憲、アメリカの戦争政策の支持、反アジア・排外主義の産経新聞がどうなるかは、そこで働く労働者のみならず社会的に大きく影響する。
 巨大マスコミ資本との粘り強く闘いに共感を持つ労働者だけでなく、日本政治の考える多くの人にも一読を薦めたい。
 社会評論社・1800円  (MD)


せ ん り ゅ う

  リストラもするカブシキ会社自民党

  蚊に喰われおや刺客かと夕涼み

  国会に悪霊がいるテレビにも

  ヒトラーの悪知恵かりて人気者

  マスコミが見せ場も作る面白選挙

                  ゝ 史

二〇〇五年 八月

 ○ 小泉純一郎君は自民党を我が物として議会制民主主義をぶちこわした。参議院の審議(国民の意思決定)を無視する横暴にはあきれかえる。総辞職すべきところを解散権の乱用そして乱闘劇を演じて人気を高めている。これが政治だろうか。プラトンが民主主義政治を扱(こ)き下ろしたそのままではないか。プラトンによるとそういう輩は地獄の責め苦に堕ちる。はて、大臣の職権に関する公的な瑕疵があったと思わないか?


複眼単眼

  
「議会選挙至上主義」は 共同闘争の弊害

 衆院選の公示日を目前に控えた八月二四日の共産党機関誌「赤旗しんぶん」のコラム。一〇〇行にも満たない小さな記事だが、見出しは「社民党、改憲民主と協力」「二大政党を批判するが…」とある。このところ、共産党からの社民党批判が少なくなったことに注目していたが、やはり選挙の直前になるとこうした論調が出てくる。
 記事は「社民党が今回総選挙で、前回総選挙につづいて民主党との選挙協力をすすめています。民主党は今回のマニフェストで改憲案づくりを明記、海外派兵に『正面から関与する』ことを表明しています。『政治の基本は平和憲法』という社民党と民主党の立場はあいいれません」とした上で、又市幹事長が二二日の記者会見で民主党が七選挙区、社民党が一四選挙区で候補擁立を見送り、少なくとも一〇選挙区で両党県連が協力することを発表したことを紹介した。そして福島党首が「自民党も民主党も九条を変える点ではまったく同じ、だから社民党が必要だ」といっていることと矛盾するではないかと批判している。
 記事の最後では「社民各県連は『反自民での協力』(香川)『憲法の理念を大切にという政策協定を結んでいる』(新潟)などと説明しています。ある県連幹部は『支持者から批判があるのは承知している』と矛盾を認めます。しかし支持者への説明責任については『責任と言われても…』と言葉をにごしています」と皮肉を書いている。
 こんなことを書いてどうするんだというようなつまらない記事だ。それなりに政策協定をして選挙協力をすることはままあること。共産党だってさまざまな選挙で民主党とも共同する場合があるだろう。これまでもいくらもあった。私が見ていて、選挙協力って、こんなことまでやるのかというくらい結構あった。今回はやっていないということで、社民党を批判するのは筋がとおらない。
 選挙になると、特に比例区では政党を選ぶ選挙になるので、一票でも多くほしくなる。社民党の票だって、引きはがしてでもほしいということになる。人は一票しかないのだから、自分の党が最も正しい、あっちはダメだといわなくてはならなくなる。選挙とは因果なものだ。
 大局的には共同が必要なのに、それができない。議会選挙至上主義にとっては、その結果、政治的な共同に亀裂が入ってもやむを得ないことになる。なにしろ優先順位が違うのだから。
 だが、これは共産党の問題というだけではない。社民党にもあるし、先般の都議選では杉並区で、某新左翼候補が市民派有力候補の票を奪おうと、市民派批判に熱中した。見苦しいかぎりであった。
 このひとびとの発想の優先順位を転倒させるような仕事が必要だ。だが、それは選挙が近くなるとかならず出てくるような、実現のための具体的な努力ぬきに、一般的に選挙での統一・共同を叫ぶことでもない。日頃からそうした共同の基盤を拡げ、うち固めるような献身的な努力があってこそ、いや、それがなければ可能にはならない。  (K)