人民新報 ・ 第1180号<統合273号>(2005年9月25日)
目次
● 改憲と悪法おしつけの小泉暴走内閣と対決しよう
● 郵政労働者ユニオン・郵政民営化監視市民ネット 民営化阻止第2ラウンド闘争へ
● 鉄建公団東京地裁判決 鉄建公団訴訟を軸に国鉄闘争の勝利を勝ち取ろう
● 空港管制塔占拠闘争元被告への損賠攻撃に反撃を 三里塚現地の闘いに連帯する9・18集会
● 厚労省「労働契約法制」研究会が最終報告書 労働法制の全面的改悪阻止へ!
● 謀略とクーデタに命脈を賭けた明治新政府 C
/ 北 田 大 吉
● 図書紹介 / ロバート・B・ ライシュ著
「アメリカは正気を取り戻せるか ―リベラルとラドコンの戦い」
● 複眼単眼 / 前原民主党代表の危険で古くさい論理
改憲と悪法おしつけの小泉暴走内閣と対決しよう
小選挙区制のマジック
九月一一日の衆院選を受けて、第一六三特別国会が二十一日に召集された。衆院選での自民党の「歴史的勝利」は、実際には、小選挙区制により、与野党の得票の差が劇的に議席の格差をうむマジックであったことは多くのマスコミも報じるようになっている。だが、小泉は、郵政民営化のシングル・イッシュー、それも民営化の本質をまったく明らかにしない選挙戦術で勝利したが、これを、改憲をふくむ全政策が支持されたとしている。
特別国会で、小泉が衆参両院で再び首相に指名され、全閣僚再任による第三次小泉内閣が発足した。特別国会は、一一月一日までの四二日間の会期となった。衆院選で、すべての常任委員長ポストをとった上で、委員の過半数を確保できる「絶対安定多数」の二六九議席を大きく上回る議席を獲得した与党側は、一気に、懸案の諸悪法を成立させようとしている。とくに憲法改悪のための動きはスピードアップしている。衆院に「日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法の広範かつ総合的な調査を行うため」の「日本国憲法に関する調査特別委員会」を設置しようとしていることはきわめて危険な動きとしてある。この特別国会は絶対的に重要な意義をもち、小泉内閣の反動政策に反対する広範な戦線の形成が求められている。
市民・国会議員の院内集会
国会召集日の二一日の午後四時半から、衆院第二会館で、「小泉内閣の暴走を許さない!市民と国会議員の緊急院内集会」が開かれ、市民と国会議員の一五〇名が参加した。その集会は、平和を実現するキリスト者ネット、平和を作り出す宗教者ネット、戦争反対・有事をつくるな!市民緊急行動のよびかけによるものである。
はじめに主催者を代表して、市民緊急行動の高田健さんが発言。
この四〜五年、国会の開会にあわせて、三者主催の院内集会を持ってきた。だが、今回の国会を前にして非常に緊張する情勢になっている。今日は、自衛隊即時撤退、憲法改悪反対、教育基本法改悪反対、共謀罪反対がスローガンになっているが、そのほかにも大変な法案が次々に出てくるだろう。郵政民営化法案に続いては、一〇月いっぱいで期限の切れる自衛隊のインド洋派遣部隊の撤退や、これも一二月一四日で期限切れのイラク派遣部隊の問題があるが、アメリカのブッシュ政権は、延長を求めてきており、小泉内閣はそれに応ずる構えである。
ある新聞の主張が書いていたが、小泉与党の勝利は、郵政だけに争点を絞ったものであり、その他については、小泉政策を支持したものではない、としていた。ほかの論調もそうしたものが多い。にもかかわらず、全面的に信任されたとして、小泉内閣はいろいろなことをしてくるだろう。まさに、暴走内閣というしかない。
今日の集会にははじめて参加した人も多い。なんとかしなければと思っている人が多くなっていることを非常に強く感じている。
国会議員の闘う発言
つづいて政党からの発言。
共産党の赤嶺政賢・衆議院議員。
まさに小泉内閣は暴走しようとしているが、圧倒的な勝利というのは、小選挙区制に助けられたものだ。憲法改悪の問題、そして日米同盟の強化のことがでてきている。一〇月には、米軍再編が明らかになる。しかし、そこでは、沖縄の基地負担は軽減されず、いっそう日米軍事一体化がすすめられるだろう。自衛隊は米軍と一体のものとして行動させられ、憲法の改悪の先取りが強行され、九条の空洞化が進められる。しかしこれは、世論との矛盾を拡大せずにはおかない。辺野古新基地建設は、八年間に渡る闘いで、阻止されている。まだ完全勝利とはいえないが、こうした闘いを全国に拡大していくことが大事だ。日本共産党も日米軍事一体化、改憲に反対して、みなさんとともに闘う。
社民党党首の福島瑞穂参議院議員。
小泉与党の勝利と郵政民営化法など様々な悪法案の提出で、一番喜んでいるのは霞ヶ関の官僚たちだ。社民党は選挙中、「社民党が増えなければ、九条はなくなる」と訴え続け、それなりの風を吹かせることができたと自負している。非常に厳しい情勢の中で、死にもの狂いで頑張るが、しかし明るい顔で闘いたい。憲法が大きなテーマになってきている。メディアを含めて多くの人びとに呼びかけていきたい。
民主党の喜納昌吉参議院議員
今回の選挙では、自民党がかちすぎ、民主党が負けすぎとなった。しかし、ひっくり返すことは可能だ。この選挙の結果、多くの市民派の議員もまた国会に戻ってきたのは非常に喜ばしいことだ。
社民党から、辻元清美衆議院議員、又市征治参議院議員(党幹事長)、近藤正道参議院議員、保坂展人衆議院議員、照屋寛徳衆議院議員が発言した。
つづいて三党に、国民投票法案に反対する署名五〇〇〇筆が提出された。
それぞれの闘いから発言
それぞれの闘いとして、 教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会、郵政労働者ユニオン、日本消費者連盟、平和を実現するキリスト者ネットからアピールがあり、連帯のあいさつは、日本青年団協議会、陸海空港湾労組二〇団体がおこなった。
閉会のことばで宗教者ネットの石川勇吉さんは、小泉政権は、憲法を変えて戦争のできる国家にしようとしているが反対運動が起こっている。宗教者も、宗教者「九条の和」をつくりひろげている。力をあわせて、改憲や戦争体制づくりの暴走をとめるために運動を強めていこう、と述べた。
郵政労働者ユニオン・郵政民営化監視市民ネット
民営化阻止第2ラウンド闘争へ
九月二一日、第百六十三特別国会が召集された。憲法改悪にむけた動きや悪法案の提案が連続するが、まずは、さる八月八日に参議院で一度は圧倒的な差で否決された郵政民営化法案が来る。
郵政労働者ユニオンと郵政民営化を監視する市民ネットワークは、夏の闘いに続いて「郵政民営化法案反対の第二ラウンド」の闘いを開始した。
国会召集日の二一日、午前から国会闘争が行われた。市民ネットワークの「監視ニュース」の全国会議員へのポスティング、議員会館前座り込みなどをおこなった。昼には、全労連や郵産労の国会請願デモがあり、互いにエールを交換した。午後四時半からは「小泉内閣の暴走を許さない!市民と国会議員の緊急院内集会」へ合流し、集会では郵政労働者ユニオンの棣棠浄副委員長が、郵政民営化阻止、改憲と様々な悪法の阻止を共に闘おうとアピールした。
郵政労働者ユニオンは、今後、全労協や支援共闘とともに、再度小泉政権に挑む闘いを構築し、法案廃案への請願署名、教宣ビラの配布など地域・職場での情宣活動を展開するとしている。
また、二九日の市民ネット主催の「郵政民営化から見えてくるこの国の将来」集会を成功させ、一〇月から本格的な国会行動を展開する。
郵政民営化法案阻止の第二ラウンドの闘いがスタートした。小泉与党は郵政民営化をかかげて総選挙で圧勝したといわれる。だが、実際は、小泉の郵政民営化政策が圧倒的に支持されたというわけではない。郵政民営化法案に賛成する議員の得票に対して、反対議員の得票数がうわまわっているのであり、民意は郵政民営化反対派のほうが多数なのである。法案の問題点は、小泉マジックによって覆い隠され、空語的な「民営化が全てを解決する」というデマゴギーに踊らされている世論を逆転させなければならない。小泉は郵政民営化についてさえ、総選挙中でもなにも主張していないのに等しい態度に終始した。唯一、郵政の「公務員を民間人にする」ということだけを叫んだのだった。それも、郵政職員二六万人に、非常勤職員一二万人を加え、これらの労働者の「公務員」としての身分を剥奪すれば、これで問題解決というように論点をそらした。だが、郵政民営化が、郵貯・簡保資金を国内外の金融資本へ開放し、同時に郵政ネットワークの解体という国民財産の破壊であることが、徐々に明らかにされてきている。民営化先進国のニュージーランドなどでも、郵便貯金は民から官へもどった。
今回の総選挙では、郵政民営化・郵政ネットワ―クの破壊による地域崩壊を危惧する動きがいっそう鮮明に表現された。
こうした郵政民営化反対の根強い声を背景に、「公共サービスを守れ」の声をあげ、また憲法、教育基本法などの改悪、イラクへの自衛隊派兵などに反対する多くの人びとや運動と連携して、闘いぬこう。
鉄建公団東京地裁判決「不当労働行為を認めながら、解雇は正当」
鉄建公団訴訟を軸に国鉄闘争の勝利を勝ち取ろう
旧国鉄には責任がある
九月一五日、東京地裁民事三六部(難波孝一裁判長)は、鉄建公団訴訟の判決をだした。この裁判は、国鉄の分割・民営化時に解雇された一〇四七名のうち被解雇者・被解雇者遺族の二九七人が、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(提訴当時は鉄建公団=国鉄清算事業団=国鉄)を被告として起こしていたものである。不当労働行為、組合差別による解雇を争った裁判闘争では二〇〇三年一二月の最高裁判決は、JRの責任を認めない不当なものであったが、それでも「不当労働行為があったとするなら旧国鉄にある」とした。鉄建公団訴訟が国鉄闘争の突破口を開く位置にあることが鮮明となった。しかし、四党合意が破綻したにもかかわらず「政治解決」にしがみつく国労本部はこの闘いに敵対し、訴訟に立ち上がった闘争団員に対する処分、また闘争団員への生活援助金をストップするという暴挙にでてきた。国労本部が敵対するというきわめて困難な状況で、鉄建公団訴訟は全国の労働者・市民へ支援を広げ闘い抜かれてきた。そして、国労闘争団だけではなく、全動労争議団、動労千葉争議団も鉄建公団・鉄道支援機構にたいする訴訟にたちあがった。
一八年にわたる闘いの中で、すでに一〇四七名の仲間のうち三四名が亡くなっている。原告団は、さまざまな運動を全国的に展開しながら、この地裁判決を迎えたのである。
折衷的な判決内容
当日は朝から東京地裁前に闘争団・家族、支援の労働者など大勢が集まり気勢をあげる。裁判の傍聴券の抽選には、四七席に対して、六一三名が長い列をつくった。
午後一時半過ぎ、判決が伝えられた。「折衷的判決」と報告される。折衷的とは、組合差別による不法行為があったことを認めたが、解雇は正当だったとし、それに対して、一定額の慰謝料を支払うとしたというものであり、また原告のうち五人については年齢、処分歴などを理由に「採用候補者名簿に登載しないことは、適法」とするものでだったからだ。
組合差別はあった
判決は「原告らについては、国鉄がJR北海道、JR九州の各採用候補者名簿に記載しなかったのは、同原告らが、主として、国労に所属していることないし国労の指示に従って組合活動をおこなっている事を理由として、採用基準を恣意的に適用し、勤務成績を低位に位置付けたことによるものと認められ、不法行為と評価するのが相当であり、当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない」と組合差別の不法行為があったことを認定した。
また、時効論については、被告・鉄建公団が「不採用は昭和六二(一九八七)年におこなわれた」のだから、それから「三年以上を経過してから提起された」本訴訟は「既に時効消滅」だとの主張に対しては、損害賠償請求権の起算点は最高裁判決のあった二〇〇三年一二月二二日からであるとした。
判決のこれらの積極的な内容部分については、原告団、弁護団、共闘会議の『声明』では「原告団は、本日の判決が名誉回復の一助になる」と評価している。
そして、原告側の損害について「正当な評価を受ける期待権(JRに採用される期待を含む)を侵害され、国労に加入していることで差別を受け、精神的損害を被った」として慰謝料は「一人あたり五〇〇万円(相続人については五〇〇万円の各相続分、総額一四億一五〇〇円)と認定するのが相当」とした。
鉄建公団抗議と報告集会
判決を受けて、鉄道運輸機構(旧鉄建公団)前に移動して抗議行動を展開。七〇〇名ほどがシュプレヒコールをあげ、抗議・要請団が拍手に送られて入っていった。
夕方からは、文京区民センターで報告集会が開かれた。会場はまさに立錐の余地もないほどの多くの人が参加した。
弁護団からの報告。
加藤晋介主任弁護士は、組合差別を受けての一八年の生活から見れば、このような内容では大いに不満だ。判決のだめなところは、八七年解雇以外についてはまったく問題にしていないことだ、しかし、採用差別を認めさせたことは裁判所でははじめてであり、われわれの闘いが獲得したもので、これを礎に反撃に転じていこう、と述べた。
大口昭彦弁護士は、判決にはプラスもマイナスもあるが、プラス面を評価しこれからの運動を強めていくことが必要だと述べた。
音威子府闘争団家族会の坪坂厚子さんは、この判決では納得できないが、不当労働行為が認められ、私たちの主張の一部が聞き入れられた、これからは、国から謝罪をかちとり、夫を職場にもどすために、みなさんと一緒に闘って行きたい、と発言した。
最後に、訴訟原告団の酒井直昭団長が、今回の判決は不十分で受け入れられない、これから北海道、九州オルグを行い、これからの闘いを強めて行く、と決意表明をおこなった。
訴訟へ多くの決起を
一五日、国労本部も「声明」を出し、「判決が、国鉄の損害賠償責任を認めた点は評価しうるものであるが、一八年におよぶ闘争団員らの受けた苦痛を償う慰謝料としては不十分」「被告の時効の主張を排斥」したのは「適切な判断」とした。あたかも、国労本部自身が訴訟をおこなってきたような口ぶりだ。四党合意での和解金は、せいぜい七〇〜八〇万円程度と言われていた。しかし、鉄建公団訴訟は大きな前進の可能性を開いた。今後、まだ本部の顔色をうかがって鉄建訴訟に立ち上がっていない闘争団もこの裁判闘争に合流させ、国労本部は勇気をもって路線を転換しいままでの敵対的態度を改め、もう一度、闘う旗を掲げていくべきときであろう。
二五億円を差し押さえ
翌一六日の午前一〇時より、原告と弁護団は、鉄道運輸機構に対し、「慰謝料」(一人あたり五〇〇万円)に利子を加えた総額二五億一二一六万六千五七〇円を仮執行差押さえを行った。
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声 明
本日、原告団の請求を一定程度認める判決がなされた。国鉄が原告らについて「JR北海道、JR九州の各採用候補者名簿に記載しなかったのは、同原告らが、主として国労に所属していることないし国労の指示に従って組合活動を行っていることを理由として、採用基準を恣意的に適用し、勤務成績を低位に位置づけたことによるものと認められ、不法行為と評価するのが相当であり、当該判断を覆すに足りる証拠は存在しない」と明確に指摘し、原告団の一八年間の闘いが正しかったことを証明した。
また、二〇〇三年一二月二二日の最高裁判決時が「時効消滅の起算点である」と認め、被告らの時効の主張を退けた。そして差別されたこと自体による苦痛、原告らが正当な評価を受けるという期待権とJRに採用されるべき期待権の侵害を認めて期待権としては比較的高額な慰謝料一人五〇〇万円の支払を命じた。原告団は、本日の判決が名誉回復の一助になると確信する。
しかし、再就職促進法に関する法律判断を誤り、国鉄清算事業団からの解雇に対する解雇無効の主張を認めず、解雇についての不法行為も認めず、賃金相当損害金も認めないなど全般的に極めて不十分な内容である。
また、原告らは、国鉄分割民営化に際して仕事を取り上げられ人材活用センターに押し込められるなどの差別攻撃を受け、国鉄清算事業団に収容されて人格を無視した「自学自習」という名目での無為の日々を送らされた。ところが、これらについては、判断せずに時効を認めた。その点でも不当な判断であると言わざるを得ない。
佐藤昭一他五名について請求を棄却した点は、不当な判断として弾劾するものである。
JR不採用から一八年余り、原告ら及びその家族は、就職差別、結婚差別などあらゆる差別、偏見と闘い、苦難の道を歩んできた。一八年の間に一〇四七名の仲間のうち三四名が亡くなり、この裁判を提訴してからも原告団の一名が判決を待たずに亡くなった。
この一八年間の苦難は口に出して言いあらわせるものではなく、本日の判決は到底一八年間の償いになるものではない。
しかし、原告団の意気は軒昂である。原告団の目標は、あくまでも鉄道員として地元JRに復帰することである。今後闘いの場は控訴審に移ることになろうが、第一審のとき以上に団結を強め、被告の独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構、さらには同機構が全株式を有するJR北海道及びJR九州にくわえJR東日本への職場復帰を要求する。
さる四月二五日の福知山線尼崎駅付近の事故は、極限的な人減らし、安全性を無視したスピード・アップ、日勤教育と称する異常なまでの人事管理体制が背景にあり、分割民営化が安全性を一切無視した営利至上主義であることが明らかとなった。まさに分割民営化がもたらせた必然的な事故である。尼崎事故で亡くなられた一〇七名の犠牲者に心から哀悼の意を捧げるとともに、原告団は、あくまでも国家的不当労働行為である国鉄分割民営化に反対し、必ずや鉄道労働者に復帰して二度と同種事故を起こさせないためにも闘うことを誓うものである。
二〇〇五年九月一五日
鉄建公団訴訟原告団
同事件弁護団
一〇四七名の不当解雇撤回国鉄闘争に勝利する共闘会議
空港管制塔占拠闘争元被告への損賠攻撃に反撃を
元被告たちを支え、三里塚現地の闘いに連帯する9・18集会
政府と成田国際空港会社は、一九七八年三月の空港管制塔占拠闘争の元被告たちに損害賠償請求の強制執行攻撃をかけてきている。今年の四月から給与の差し押さえ手つづきなどをおこなってきた(元被告団にかけられた損害賠償四三八四万円は、現在は利子を含め一億三〇〇万円になっている)。
政府などのこうしたうごきは、空港反対運動だけでなく、ひろく民衆的反政府運動に対する攻撃としてある。
九月一八日、文京区民センターで「三里塚管制塔占拠闘争元被告への損害賠償請求執行に抗議する 元被告たちを支え、三里塚現地の闘いに連帯しよう!
9・18集会」が開かれ二〇〇人が参加した。
はじめに占拠闘争記録「大義の春(とき)」が上映された。
呼びかけ人を代表して、吉川勇一さんが、三里塚闘争は不義を許さない闘いとしてあった、闘った人びとへの攻撃には連帯した力で反撃していかなければならない、と述べた。
おなじく呼びかけ人の鎌田慧さんが基調的な報告で、総選挙の結果、また民主党の前原体制の発足で九条改憲の動きがつよまった、こうした中で闘った人びとへの国家による非道を許すことはできない、金を集め、そのエネルギーを基礎にもう一度運動の拡大を実現していくことが必要だ、と述べた。
弁護団の虎頭昭夫弁護士の報告につづいての連帯アピールでは、作家の中山千夏さん、日本消費者連盟の水原博子さんからの発言があった。
被告団事務局長の中川憲一さんは基金運動の現状について、全国各地からカンパが寄せられて、現在六六〇〇万円があつまっている、と報告した。
反対同盟の二人から報告があり、静岡と熊本からの発言があった。
ふたたび連帯アピール。
樋口篤三さんは、「改革」には右からのものもあれば左からのもある、日本の運動はいま地に落ちている、だが、転換する可能性がある、敗戦時、労組組織率はゼロだったがたちまちどこにも労組が作られるようになった、今だって靖国や教科書の問題では勝てる闘争だ、前衛的な機能を発揮して事態の変化を実現させよう、と述べた。
最後に元被告団が登壇して決意とアピール。
行動隊長だった前田道彦さんは、今日こんなに多くの仲間に集まってもらって本当に嬉しい、むかし闘っていた人と今闘っている人がまた団結できた気がする、政府は喧嘩をうってきた、みんなで買って欲しい、と述べた。
管制塔被告団支援応援歌「正義はわれらの側にある」が披露され、最後に呼びかけ人の柘植洋三さんが閉会のあいさつをのべて集会を終えた。
厚労省「労働契約法制」研究会が最終報告書
労働法制の全面的改悪阻止へ!
九月一二日、厚生労働省に設置された「今後の労側契約法制のあり方に関する研究会」(座長・菅野和夫東大名誉教授)が最終報告書をまとめた。同研究会は今年の四月に「中間とりまとめ」を公表し、パブリックコメントを求めたが、そこには五百をこえる意見が寄せられた。その多くが研究会の検討内容を批判するものであった。
労働側の意見は聞かず
連合や全労連、全労協、労働弁護団などもコメントを送った。
連合は「この方向性が修正されることなく労働契約法が作られていくのであれば、労働者や労働組合のためにならない労働契約法であると判断する」と強い懸念を示し、再検討を求める意見を提出した。
全労連は「研究会の描く労働契約法制はリストラ・合理化を促進する方策が盛り込まれ、労働者や労働組合の権利を大きく損なうものでしかない」と批判し、直ちに研究会での検討の中止を求めた。
労働弁護団は、とくに「最終報告をまとめるからには十二分な検討がなされなければならない最も重要な二点、即ち、第一に、労働条件の自主的決定システムとして重要な位置づけをしている労使委員会制度、第二に、解雇における使用者の金銭解決申立て制度について、改めて見解を明らかにし、本見解で指摘する点につき、貴研究会において真剣な検討がなされることを強く求めるものである」との意見を出した。
しかし、これら労働側の意見はほとんど無視されることになった。
契約自由を主張する財界
財界の利益を代表しての日本経団連(日本経済団体連合会労働法規委員会労働法専門部会)による意見は、「労働契約法は契約法であるから、契約自由の原則を最大限尊重し、労使の自主的な労働条件の決定を補完する法律であるべきである。したがって、罰則が付加されないのは当然として、その性質は任意規定であるべきであり、実体規制をすべきではない。……『中間取りまとめ』は、懲戒処分、有期雇用契約、採用内定の留保解約事由、試用制度、転籍、競業避止、秘密保持などの各労働契約について書面化を要求し、書面で明らかにされていない場合は、無効等使用者側に不利に取り扱うとしている。これらの強行法規化による規制は、労働契約法の性格に合わないばかりか、かえって労使紛争を誘発するおそれがあるため反対である」とした上で、労働基準法のいっそうの改悪を提起している。
問題点がいっぱい
研究会は、就業形態の多様化、人事管理の個別化複雑化が進み、就労形態・就労意識の多様化が進んでいるということを口実にして、労側契約の成立・展開・終了等に閲する基本的なルールを作るものとして設置されたものだ。だが、その実際は、財界の意向を色濃く受けて、新自由主義・グローバリゼーションの進展の中で、資本に最大限の儲けを保証するための「リストラ・労働条件低下法」づくりの場となってきている。
研究会報告では、@職場に労働組合とは本質的に異なる労使委員会を設置し、それに、労働条件の決定・変更の協議や就業規則の変更の合理性判断など重要な機能を担わせ労働組合を形骸化させる、A就業規則の変更を労使委員会できるようにして労働条件の改悪を容易にできるようにする、B解雇の金銭解決制度を導入し、不当解雇も金銭で可能となり、解雇が少々の金さえ出せば自由にできるようになり、解雇無効の判決を勝ち取った労働者が職場復帰できなくなるようにしようとしている(これは二〇〇三年の労働基準法改悪の際には法案化前に阻止されている)、C雇用継続型契約変更制度は使用者に一方的な労働条件の変更権を与えて労働者に対して、「解雇か、それがイヤなら労働条件の変更(低下)か」を迫ることになる、Dホワイトカラー・イグゼンプション(労働時間規制の適用除外)は、ホワイトカラー労働者を三六協定から除外して、労働時間法制の原則を骨抜きにし、長時間労働を助長し労働者の健康と命を奪う危険性を増大させることになる、E「試行雇用契約」は新卒労働者の短期働き・使いすてということになる、など決して見逃せない問題が盛りだくさんに詰まっているのである。
二〇〇七年法制化の動き
政府・厚労省の予定はつぎのようなものになっている。
来年〇六年に、労働政策審議会で、この最終報告を基礎に審議し、「労働契約法」「労働基準法改正案」をつくり、再来年〇七年の通常国会に法案を提出をするとしている。
大きな力で法制化阻止へ
最終報告を受けての連合の草野忠義事務局長談話は次のように言っている。
「連合は、研究会報告が示した方向性そのままの労働契約法がつくられることを阻止し、連合案に基づく労働者と労働組合のための法制定に向けて、構成組織・地方連合会と一体なった取り組みを行う」。
、全労連坂内三夫事務局長の談話は述べる。
「今後、労働契約法については、労働政策審議会で審議されていくことになるが、全労連は『研究会』の示した方向性そのままの労働契約法が作られることを全力をあげて阻止し『労働契約法制にかかわる全労連政策案』を土台に、労働者の権利擁護、労働条件向上に役立つ『働くルール』の確立を求める運動を推進する。全労連はすでに闘争本部を確立した。今後、各単産・地方に早急に確立し、幅広い共同を構築しながら大運動を展開する決意である」。
全労協は「すでにこの間、労働法制の規制緩和・改悪が繰り返され、『不安定雇用』『低賃金・低処遇』のパート・派遣等の非正規労働が拡大されてきていますが、今回は、それらに続く新たな労働法制の全面的な改悪攻撃であります。小泉・自公政権は、三分の二以上の議席を得たなかで何でも強行しようとしています。この労働法制の新たな改悪を許さないために、各労組、職場・地城での学習・討論を行い幅広い共同行動で対政府闘争を強化してゆこう」としている。
幅広い団結で改悪阻止を
この労働法制の改悪は、すべての労働者に解雇と労働条件低下の攻撃となってきて襲い掛かろうとしている。
そして次の世代の労働者たちに極めて劣悪な労働条件・労働環境を押し付けることになるのであり、決して許してはならないものだ。
すべての労働者・労働組合はおおきく団結して、労基法改悪反対闘争を上回る労働法制改悪阻止の闘いを実現するために奮闘しよう。
謀略とクーデタに命脈を賭けた明治新政府 C
北
田 大 吉
「明治六年政変」のターゲットは西郷ではなかった
西郷が「征韓論」を主張し、大久保がこれを阻止するために古くからの友人であり同志であった西郷を切ったというのは俗論であり、誤りであった。
岩倉はじめ外遊組一行が帰国したとき、国内には問題が山積していた。廃藩置県や徴兵令に反対する人民の闘いは日々に激しさを増していた。西郷や帰国後の木戸は、陸軍の山県に関連する不祥事件の後始末で寧日暇がなかった。近衛歩兵たちのなかに山県にたいする不満が満ちみちていた。
外交面でも、樺太におけるロシア兵との軋轢、琉球島民にたいする台湾「蕃民」の襲撃問題など…三条と木戸は一行とはひと足さきに帰国して療養していた大久保を参議にして、「百事」に対応させることに腐心していた。俗説では、西郷の「征韓論」を抑えさせるために木戸を参議に起用したとされるが、それはまったく誤りであった。三条や木戸の念頭には朝鮮にたいする使節派遣の件などまったく存在しなかった。ロシアの侵略が切迫していると信じて疑わない西郷のほうが、三条や木戸の「健忘症」に腹を立てていた。西郷は三条と木戸をせっつき、木戸が帰国次第朝鮮に使節を派遣するという天皇の裁可を速やかに実行に移すべく、閣議の招集を要求した。ここにきて大久保の参議就任が重大な局面に至った。岩倉は西郷の朝鮮使節派遣に必ずしも反対ではなかったが、時期尚早だと考えて、使節派遣の延期を求めていた。岩倉の場合には「内治優先」といってもよいかもしれない。しかし強硬な西郷を説得するには大久保の出馬が必要であると考えた。一方、大久保も別に西郷使節の朝鮮への派遣に反対ではなかった。しかし三条と岩倉に西郷に対応すべく参議就任を強く迫られて、やむなくこれを受け入れた。大久保は三条や岩倉ら公家を信じ切れなかった。かれらは人を屋根に上げておいて梯子を外すくらい日常茶飯事であった。そこで大久保は参議就任に際して三条と岩倉に初志貫徹の一筆を書かせた。
閣議において、西郷の主張に反対したのは大久保一人であった。結果として、西郷使節の派遣は正式に決定された。あとは天皇の形式的裁可を待つばかりであった。大久保はただちに参議の辞表を提出するとともに、憤然として三条と岩倉に食ってかかった。岩倉も大久保とともに辞表を提出したので、三条は突如意識不明となる病に倒れた(仮病説もある)。天皇は三条邸を見舞うとともに、岩倉邸をも訪れ、岩倉を太政大臣代理に任命した。
岩倉は後日、天皇のもとに伺候し、過日の正院における審議結果を上奏し、同時に自分の意見としては西郷の使節派遣は時期尚早であると述べた。天皇は困惑したが、結局、岩倉の意見を採用せざるを得なかった。この経過を知った西郷は、すぐさま辞表を提出するとともに、東京郊外に姿を隠した。西郷が辞表を出した翌日、西郷を除く四参議も辞表を提出した。思い悩む岩倉にたいし、大久保は辞表の早速の受理を勧めた。
西郷が下野したのに続き、薩摩や土佐出身の近衛将校たちが西郷のあとをおって、辞官して鹿児島に帰った。警視庁警官やその他の官庁の官員たちのなかにも追随した者が多い。鹿児島は、前藩主の父島津久光の影響力が強く、廃藩置県後も割拠主義を貫き、あたかも独立王国の体をなしていた。鹿児島県は人口の四割が郷士を含めた士族が占め、それだけに士族たちの不満も強く、また四割の士族たちのため他藩と比べても強い搾取を受けてきた農民たちの困窮もはげしかった。士族たちのなかには西郷の勧めで帰農した者もいるが、大半は依然として無為徒食の生活で、いつかはその不満が噴出することは必至で、新政府もそのことは十分承知していた。
俗説では、明治六年政変の目的は「征韓論」をつぶすことにあったかのごとくいわれるが、これが正しくないことは以上の論議を踏まえるならば容易に理解できることであろう。
「大政奉還の大号令」からはじまり西南戦争にいたる過程を通じて、一貫して新政府の中心となってリードしてきたのは大久保利通唯ひとりといってもよい。この間の新政府の構成や性格を見ると、戊辰戦争を過程を含めて新政府の構成には親王や公家の比率がかなり高かったが、まず、最初の体制改革によって、三条や岩倉以外の公家はほとんど脱落し、倒幕諸藩出身の下級武士中心の構成となっていくが、ついには薩長土肥四藩の下級武士が実権を握り、明治四年の政変においてはついに薩摩と長州のみの構成となった。大久保はこの時点で内務省を立ち上げ、初の内務卿に就任している。内務省は、廃藩置県後の県知事など地方官を一手ににぎり、また、中央においても警察権をにぎって権力の中枢を完全に抑える立場に到達している。いいかえれば、明治十年までの過程は政治権力の真の所在がどこにあるかをはっきりさせる過程でもあったといってよい。
大久保は現在の小泉首相に似てなくもない。小泉の改革が何を意味するかについては、小論のよくするところではないが、小泉は郵政改革の実現のためには、衆議院の解散をあえておこない、反対派の自民党員に対しては公認を与えないことは勿論、その選挙区に有力な対立候補(刺客)を立てて反対者を落とそうとする露骨な挑発にでている。この間の政治過程をみていると、衆議院解散は小泉にとって予定の行動といってよく、いうならば小泉の謀略にほかならない。
明治六年の政変後、佐賀の乱、秋月の乱、萩の乱といった不平士族の反乱が相次ぐが、これらはすべて大久保の予定の計画であったといってよい。大久保は内務省傘下の東京警視庁を手足の如く使い、反乱をむしろ挑発している。西郷が下野して故郷の薩摩に帰ってのち、薩摩出身の警視庁警官二十余名を密かに薩摩に派遣して、私学校生徒と接触させていたことが明白となっている。私学校側がいうように西郷暗殺を任務としていたかどうかは分からないが、かなりの挑発的意図をもって警官を派遣していたことは間違いない。 (つづく)
図書紹介
アメリカは正気を取り戻せるか ―リベラルとラドコンの戦い
ロバート・B・ ライシュ著 東洋経済 1,890円
ラドコン=過激保守主義
総選挙での小泉自民党の圧勝によって、日本の急速に右傾化が進むことになった。民主党の前原新体制は、九条改憲を打ち出し、小泉に呼応する姿勢を示している。憲法だけではない。はやくも増税が顔を覗かせている。日本政治が極右反動・新自由主義勢力に占領された状況で、今後の闘いは新しく厳しい局面を迎えることになった。
こうした状況はすでにアメリカでつくられている。
この「アメリカは正気を取り戻せるか―リベラルとラドコンの戦い」の著者、ハーバード大学教授からクリントン(民主党)政権時代の労働長官を務めたライシュは、冒頭「リベラルであることは誇るべきことである」と書き「近年、保守派のもくろみはきわめて過激になってきている。その最新の具体的な姿はアメリカと世界にとって以前よりずっと脅威であり、潜在的にもっと不安定さを生じさせるものである」「現在、保守過激派―かれらをラドコン(ラディカル。コンサーバティブ)と呼ぶことにするーは公の政策課題を乗っ取りつつある。そして、それに対する抵抗は、嘆かわしいほどにほとんどない。公の場での議論はまったくバランスを欠くようになった。民主党は臆病になってしまい、意見のやりとり場は裏通りの屋台に引っ込んでしまった」として、ラドコンがなぜ勢力を得たのかを理解することが「アメリカが直面する代替案の選択を考える」ことの前提となっているという。
「ラドコンのもくろみは馬鹿にされることも反対にあうこともない。しかし、アメリカと世界にとって必要なものと恐ろしいほどずれている。だからこそ、それはわれわれの将来を危機にさらす」として、ラドコンの主張の中心軸を次のようにまとめている。
・われわれの経済・政治システムの健全性が、抑制のない貧欲さと権力の乱用企業経営やウォール街における不正、企業トップに支払われる法外な報酬、政治的な見返りと引き換えに政治家に流れるかってない巨額の資金によって脅威にさらされている今、しっかりした強制力と断固とした公的な慣りに裏づけされた厳しい法律が必要である。しかしながら、公的モラルの強化の代わりに、ラドコンたちは私的な性モラル、個人的な罪やセックスに焦点を当てている。彼らは企業の重役室よリも個人の寝室を監視したがっているのだ。
・冨裕なアメリカ人と一般の人たちとの所得と富の格差が「繁栄の二〇年代」以来、どの時代に比べても大きくなっている(別の測定によれば、南北戦争直後の好況期である「金メッキ時代」以降、もっとも大きい)今、ラドコンたちは社会サービスと教育予算を削減し、富裕層には減税につぐ減税をしている。大多数のアメリカ人の雇用と賃金がとりわけ不安定になっているのに、ラドコンたちは社会的セイフティーネット(安全網)を断ち切り、社全保険を民営化している。
・グローバルなテロリズムに備えるために国際的な協力が最も必要とされている今、ラドコンたちは国際社会に背を向け、しばしばそれを蔑視している。ラドコンは、アメリカは何でも単独でやれるほど當と力を十分に持っていると信じ、予防戦争を起こし、アメリカに敵意を持っているとみなす国々を占領する。アメリカ国内におけるアメリカ人の自由を守るために特別に讐戒を怠らないことが必要なのに、ラドコンたちは意見の相違を押さえ込み、市民的自由を制約したがっている。
ラドコンがアメリカの課題としているのは、「結婚前のセックスを防止する」「妊娠中絶を禁止する」「同性愛を非難する」「同性婚を禁じる」「公立学校でのお祈りを要求する」「主として富裕層向けに大規模減税を行う」「主として貧困層への社会サービスを削減する」「社会保険を『民営化』する」「企業に対する規制を撤廃する」「環境汚染を放置する」「アファーマティブ・アクション(差別撤廃措置)を禁止する」「刑務所での刑期を長くし、最も重い罪については死刑を科す」「英語を公式の国語とする」「テロリストをかくまっているか、支援しているかもしれない国を侵略し占領する」「外交政策において国連を無視し、国際条約を無効にし、単独行動をとる」「外交政策に関する異議を抑圧する」「国家安全保障のために市民的自由を制限する」……である。
これらがラドコンの主張なのだが、「しかしラドコンをラドコンたらしめているのは、これらが正しいということについて議論の余地を認めず、これらが正しくかつ必要なのだと信じ込み、同意しない者を侮蔑すること」だとライシュは言う。
こうしたラドコンの主張に対して、ライシュは、アメリカの伝統としてのリベラリズムを対置している。
「以上のすべての面については、過激保守主義に代わるものをはつきり提示することができる。それは大胆な新リベラリズム―適切な定義が必要であるが―である。今、アメリカの最富裕層における権力の乱用と歯止めのない貧欲さを停止させ、この国が極端に富める者とぎりぎりの生活をしている多数の人々から成る二重構造社会になるのを防ぎ、世界がテロと憎悪に対し有効に力を合わせるために、そのようなリベラリズムがかってなく必要とされている」と。
ラドコンによる奪権闘争
では、なぜ、ラドコンは支配的地位を占めるようになったのか。ライシュは、ベトナム反戦や公民権運動に対する批判・反動として、右派勢力は、リベラル派の隙をついて、世論工作、支持者の拡大、そして権力の獲得という長期にわたる精力的な闘いを組んできたという。
そのための要因として「資金」「政治力」「メディア」などがある。
「資金」 ワシントンに巨額の金が流れ込むようになったが「こうしたお金のほとんどは、ロビイスト、業界団体幹部、コミュニケーション専門家、メディア・アドバイザー、政治コンサルタント、そしてもちろん政治候補者などの大軍を支える大企業から来ていた。すべての企業は規制撤廃、民営化、減税を求めるのに懸命だった」「お金は右翼の大富豪やその家族の運営する財団の熱心なグループからもワシントンに流れ込み始めた。いずれも反革命のための資金を提供するのが目的である。これらの慈善行為からさまざまな種類のラドコンのシンクタンクが生まれた」。こうした資金は民主党にも入り、リベラル陣営の腐敗が進んだが、右翼の活動は巨額の資金を基礎に強力にすすめられるようになった。
「政治力」 ラドコンによる政治革命が実際に始まったのは、レーガンが大統領になってから二年後、下院の共和党が一九八二年の選挙で二六議席を失ったときだった。これに刺激されて三人の議員ニュート・ギングリッチ、ミシシッピ州選出のトレント・ロット、ワイオミング州選出のディック・チェイニーがコンサーバティプ・オポチュニティ・ソサエティを設立した。共和党に新しい、もっと力強い形の過激保守主義を吹き込むことを目的としたものだ。彼らの作戦は、人種の統合とアファーマティブ・アクションを支持し続ける民主党を不安に思う南部白人層や、所得が低下し、六〇年代左翼の残存勢力から疎外されていると感じている労働者階級の「レーガン・デモクラット」、そしてキリスト教右派に訴えることだった。この作戦は成功した。チェイニーは下院の少数党院内総務になった。ブッシュ(父)大統領が一九八九年にチェイニーを国防長官に任命したとき、ギングリッチが下院院内総務を継いだ。一九九四年、共和党が四〇年ぷりに下院で多数派を形成すると、ギングリッチは下院議長になった。「ついにラドコンが支配的立場に立ったのである。ラドコンの政治組織が出現し、その声がますます耳障りになっていったのは、福音主義キリスト教原理主義によってあおられた部分もある」。
「メディア」 反革命の三番目の要素は、ラドコンの主張を推進する評論家やトークショー司会者のとどまるところを知らない耳障りなおしゃべりである。彼らが怒りをぶつける対象は移民、環境保護論者、フェミニスト、ゲイ、貧困者、アメリカ市民自由連合(ACLU)、フランス人、アラブ人、ビル・クリントンとヒラリー・クリントン、民主党支持者、そして何よりもリベラル派である。これら「突撃部隊」のための報道機関に対しては、ルパート・マードックや文鮮明(統一教会)などラドコン・メディアの新しい大立者のグループが資金を提供していた。
こうしたもののほかに、ライシュは「ラドコンが優勢であるのは資金、規律、戦術だけによるものではない。なによりも重要なのは、彼らが何を悪と見るのかに従って一般世論を議論を方向づける能力である」ことをあげている。
リベラルの反撃は可能か
民主党の最大の敗退は、それまでの支持層―巨大な中産階級、勤労階級(そのほとんどが四年制大学卒でない白人労働者、特に白人男性)を失ったことだが、民主党はそれを「中道主義=右傾化によってとどめようとした。だが、ライシュはそれはアメリカ政治の軸を右に寄せるだけで何の解決にもならないとし「民主党に再び火をつけ、それを政治的運動に転換するには、長期間にわたってそのような献身的行為をするのに十分なだけ熱意をかきたてられた、多くの人びとの時間とエネルギーが必要である。そのような人たちはどこにいるのだろうか?」と自問し、リベラルよりの宗教グループ、組織労働者、職業を持ち、独身で、教育程度も高い女性、青年層、などについて検討をくわえる。ライシュの結論は、ラドコンによる政治の結果、着実に義憤が蓄えられているということ、そして「私やあなたが他の人々と一緒になり、民主党を蘇らせ、アメリカ建国の理念だったリベラルの思想にもう一度この国を捧げるための長期的な戦いにコミットするなら、われわれは勝利をおさめることができるだろう」という。
極端保守主義に抵抗する闘いで、ライシュの言うようなリベラル派が頑張ることのもつ意義は大きい。そしてわれわれは、ラドコンが政治権力を掌握するための「闘い」を反面教師としてそれから教訓を学ぶ必要があるのではないだろうか。
(MD)
複眼単眼
前原民主党代表の危険で古くさい論理
九月一七日の記者会見で前原氏は次のように述べた。
(民主党は)憲法改正は以前から必要だという立場だ。菅直人元代表のころから党内議論をすすめている。私の意見は九条一項はいいが、二項は削除し自衛権を明記することだ。党憲法調査会の議論をスピードアップし、受け身にならずに対応できるように進めたい。
(自民党との協力は)当然、憲法改正が必要だとしている政党としっかり議論し、まとめていくべきだ。戦う姿勢は持ち続けるが、すべて反対、何でも反対の野党にはならない。
前原氏が従来から個別的自衛権、集団的自衛権のちがいはないという論理に立っていることは知られていることだ。この記者会見での発言は、自民党が七月七日と八月一日に発表した新憲法案の論理とまったくちがいがない。
前原氏は安保・防衛問題での論客を自認している。以下の引用は今年3月の衆院本会議での発言だ。
わが国を射程距離におさめる国が複数ある。北朝鮮だけでも、日本を射程距離におさめる弾道ミサイルは二〇〇基以上あると言われており、イージス艦四隻、パトリオット部隊三個高射群だけでは、あらゆるミサイルを撃ち落すことはできない。 中国の海軍力、空軍力の増強はめざましく、このまま続くとわが国の領土、領海、排他的経済水域上空の制空権が維持できなくなるのは明らかだ。仮に中国が日本の主権を侵した場合、毅然とした態度をとる確固とした意思があるのか。
これは自民党のタカ派の安保・防衛論そのものだ。この論理によれば、わが国の防衛予算規模をとてつもなく拡大する以外になくなる。弾道ミサイルにたいしてパトリオットで防衛しようというシステムは、米国の例を見るまでもなく不可能だ。このような軍事力によるバランスで国家の安全を保持しようと言う二〇世紀の冷戦体制の論理は、すでに過去のものとなりつつあり、この二一世紀のアジアの平和構築の展望にとって有害きわまりない。自民党の防衛族と懇意の間柄で、毎年、一緒に米国詣でをするという前原氏だ。前原氏はこの使い古された論理をもって党代表に就任したのだ。民主党の党首選挙での菅氏と前原氏の争いは一部マスコミによって四三歳の前原対五八歳の菅というように、世代間抗争に擬せられた。しかし、その実、前原氏はこのように古い論理の持ち主なのだ。
それにしてもこのナショナル・マークというやつはうさんくさいものだ。松下製品のボイコット運動でもやろうかしらん。さて、この前原氏のような危険な人物が民主党の代表に就任した以上、われわれもさらに気を引きしめてかからなくてはなるまい。 (T)