人民新報 ・ 第1187号<統合280(2005年12月5日)
  
                  目次

● 民主・公明巻き込みを狙う自民党新憲法草案  改憲攻撃と闘う巨大な共闘を

● 戦争動員法(国民保護法)による自治体の初訓練〜「戦争のできる国」づくりの具体化

● キャンプ座間に反対する地元市民

● 第二回ゆうメイト全国交流会開催される

● 鉄建公団訴訟勝利への態勢を

● 寒風ついて鉄道運輸機構前で座り込み

● 1967・11・11  首相官邸前でベトナム戦争に焼身抗議した由比忠之進さん

● 複眼単眼  /  NYタイムズへの産経新聞の敵意

● 年末カンパのお願い  ( 労働者社会主義同盟中央委員会 )




民主・公明巻き込みを狙う自民党新憲法草案

          改憲攻撃と闘う巨大な共闘を


 一一月二二日、自民党は「立党五〇年記念党大会」を開き、「新綱領」を決定し、その第一に「新しい憲法の制定」を掲げた。そして、「新憲法草案」を正式に決めた。
 新憲法起草委員長の前首相の森喜朗が「新憲法草案」を発表したが、「自衛軍」保持の明記がもっとも中心的なものとしてあげられている。そして、「新憲法制定」にむけて「国民合意の形成」と「党内外の実質的論議の進展」が必要だとして、具体的な憲法改悪を進める宣言を行った。

 自民党「新憲法草案」発表の一一月二二日、東京・星陵会館で「自民党の改憲暴走にSTOPを! 自民党新憲法案に抗議!緊急集会」が開かれた。主催は5・3憲法集会実行委員会。同実行委員会は、憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会で構成されている。
 共産党の小池晃参議院議員、紙智子参議院議員、社民党の福島瑞穂参議院議員、保坂展人衆議院議員が集会に参加した。

 渡辺治・一橋大学教授が自民党新憲法草案について講演を行った。

 今日は自民党が正式に改憲に走り出す日であり、この集会の意義は大きい。
 自民党は改憲のために自由党と民主党が合同して発足したが、それ以来、政綱に改憲を掲げてきた。だが、六〇年安保闘争の大きな盛り上がりは、自民党に改憲を言うのをためらわせる状況が作り出された。七〇〜八〇年代には何度も改憲の方向を打ち出そうとしたが、自民党内の反改憲派の抵抗でできなかった。いま衆議院議長の河野洋平なども反対派だった。改憲を出すと支持が減る、改憲を落として支持拡大を図るべきだというのがそれらの主張だった。
 しかし、小泉政権の登場、とくに九月の総選挙圧勝によって、歴史は再度、危険な方向に転換した。総選挙によって、自民二九六、公明とあわせて三二七議席という圧倒的な勢力となったが、より重要なのは小泉によって八三人の新人が当選したことだ。これによって、自民党はこれまでの旧い党から構造改革の急進的な党に変わった。これは、改憲派が増えたこと、そして旧来の改憲派から新自由主義の改憲派が多数になったということだ。
 民主党は選挙で惨敗したが、護憲派、労組派の多くが落選し、改憲派の前原誠司が代表に就任した。こうして国会議員の七五%が改憲派という事態になった。自民党は長期にわたり過半数を取ってきたが、改憲発議に必要な三分の二をとることはなかった。それが、保守二大政党によって衆議院では議員の九七%が改憲派という状況にある。
 自民党は二〇〇三年一一月の総選挙で、結党五〇周年に改憲草案を出すと言った。これまで、七回の要綱、草案が出されている。はじめは、九条を変えるだけでなく、天皇の元首化など自民党改憲派の言い分をすべてぶち込んだようなものだった。しかし、これでは実際の改憲賛成は勝ち取ることはできず、ダメになった。そして自民党は大きく転換し、スタッフも変えて新しい陣形で改憲案を出すことにした。今年になってから四、六、七、八月と様々な案が出されたが、八月のものには、中曽根などの復古的な改憲条項は全部「前文」に入れられた。それが一〇月のもの(これが今回正式に発表されたものになるが)になると、「前文」からも中曽根的なものは除かれた。
 自民党の新憲法草案には五つの特徴がある。
 その第一の特徴は、いままでのごった煮的な案から、はっきりと九条と九六条に絞り、公明党や民主党が嫌う復古的な恐ろしいものを全部削った。
 第二には、九条でも、自衛隊の海外での武力行使を可能にすることを唯一の狙いとしている。現在でも、自衛隊はイラクに派兵されているが、サマワの自衛隊は他の国の軍隊と違う。人を殺せないのだ。これではアメリカといっしょに戦争はできない。自衛隊の武力行使には、ふたつ考えられている。ひとつは国連の決議がある場合、もうひとつは国連の決議なしにアメリカの戦争に加わることだ。台湾問題や北朝鮮に介入するようなことになっても国連決議は出ない。そのために、どうしても集団的自衛権でやりたい。しかし、この言葉は使えないので「国際社会の安全」のためなどという文言を入れてある。
 第三には、新しい人権規定だ。旧い改憲派は環境権などを憲法に入れるのには反対してきた。しかし、かれらは総選挙でいなくなったし、新しい人権となれば公明。民主と改憲案づくりの話がしやすい。
 第四には、構造改革推進の規定を入れてきていることだ。八三条の二項で「財政の健全性の確保は、常に配慮されなければならない」とある。これは民主党がいってきたことでもある。また六四条二項に「国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることにかんがみ、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」として政党法を制定し、党のメンバーをあきらかにせよということにしたい。これは構造改革に反対する党に犠牲を強いるということだが、民主党も与党になればこれを使えるので反対ではない。
 第五には、改憲の手続きを容易にするために九六条を変えることだ。現在の改憲発議を国会議員の三分の二から過半数にする。自民党の某が言っていたが、こうしておいて「毎年、改憲すればいい」などということが目論まれている。
 以上の特徴をこの草案は持っているが、こうしておいて、公明、民主、とくに民主党をターゲットにしてを取り込み、国会で改憲発議する条件をつくるということだ。
 中曽根などはこの案に激怒したが、早期に九条を変えろというのは、アメリカそして日本の財界の要求であり、小泉はそれに沿った形でこの草案を出してきた。
 そして、来年二〇〇六年の通常国会には、改憲に向けての国民投票法案をだしてくるだろう。しかし、改憲案が出て国民投票が行われるなら一〇〇%通さなければならない。もし否決されたら逆に大変な事態を引き起こしてしまうからだ。
 最近の世論調査によれば、九条改憲反対は六〜七割だ。九条単独で国民投票をやったら、あぶない。だから、その周りに新しい人権などをつける。そして、字句もふくめて各条項をすこしづつ変えて、一括投票にしたい。これが小泉らの考えだ。
 今回の案は「小幅な改正」といわれ、マスコミなどは「危険性が減少した」などと報じているが、とんでもない判断だ。
 そして、国民投票では、マスコミ規制、反対運動の規制が強められる。こうして、改憲を行おうというのである。
 では、こうした動きに、どう闘うのか。国民の過半数を獲得する闘いが必要だということだ。六〇年安保では五〇万人が国会を取り囲んだ。それを上回る闘い、いまだ経験したことのない闘いをやるということだ。国会内では改憲反対勢力は少数だが、国会の外の意見は反対が多数だ。これを組織していくことが重要で、もっとも大きな共闘で闘うことだ。


戦争動員法(国民保護法)による自治体の初訓練〜「戦争のできる国」づくりの具体化

 有事法制のいう「武力攻撃事態」における「住民を守るための立法」と称して政府が宣伝してきた「国民保護法」は、この間、私たちが再三にわたって指摘してきたように住民の「戦争動員法」であった。
 二〇〇四年、多くの人びとの反対を押し切って強行採決した有事関連法はその「国民の保護に関する基本指針」で有事を八つの類型に分けている。まず「武力攻撃事態」では@着上陸侵攻(政府も想定外)、Aゲリラや特殊部隊による攻撃、B弾道ミサイル攻撃、C航空攻撃(政府の想定外)、「緊急対処事態」では@危険性を内在する物質を有する施設(原発など)等にたいする攻撃が行われる事態、A多数の人びとが集合する施設、大量輸送機関(駅や空港など)等に対する攻撃が行われる事態、B多数の人びとを殺傷する特性を有する物質(生物化学兵器など)等による攻撃が行われる事態、C破壊の手段として交通機関を用いた攻撃等が行われる事態、を想定し、これらの事態が発生した際の住民の生命・財産の被害を最小限にくい止めるために「国民保護法制」が必要なのだと説明されてきた。
 「国民保護法」は都道府県は〇五年度まで、市町村は〇六年度までに地域の具体的事情に応じた「国民の保護に関する計画」を作成し、これら自治体は「国民保護協議会条例」と「対策本部設置条例」を設定しなければならないとされ、これに基づいて政府が「有事」と判断すればただちに具体的な「国民保護」措置を講じなければならないとされている。
 しかし、この「国民保護」措置は政府がやるのではなく、政府は「警報」や「避難措置の指示を出すだけで、あとは「侵害の排除」中心に活動する。「避難措置の指示に基づいて避難誘導をする」のは、実際には自治体とその統治下の地域の消防団や自治体ボランティアがやるとされ、実質的には「自己責任」に任される。東京都の「素案」では「自助七割、互助二割、公助一割」と言われている。
 まさに「国民保護法制」とは「武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護する」ためにあるのではなく、そのために住民を「動員」する法体制であり、日頃から自治体に住民統制と「国防意識」の啓発などの責務を課し、そのための訓練を行い、住民意識の改革・動員を進めるためのものなのだ。
 すでに全国に先駆けて作成された鳥取県の「国民保護計画」では、「県民に期待する取り組み」「住民への啓発」などがきめ細かに規定されている。
 「住民にたいする期待」では@地域内の危険箇所の把握、A最寄りの集合施設の把握と経路の確認、B水(一人一日三リットル)及び食料品の三日分の備蓄、医薬品、携帯ラジオなど非常持ち出し品の備蓄、C家族で対応措置を話し合う、D役割分担や避難、連絡方法などをあらかじめ決めておく、E高齢者、障害者、乳幼児対策、Fシールドルームの準備、ガムテープで特定の部屋を密封しておく、などが書かれている。
 「住民啓発」では、「国民保護法の啓発普及」「国際人道法の普及啓発」「国及び関係機関と権との役割の認識及び普及啓発」などなどで、住民向けに自衛官やコンサルタントの講演、啓発映画の上映などが書かれている。
 これによって、自衛隊が地方自治体にまで教育に進出することと合わせて、自衛隊出身者や軍需産業社員経験者などを抱えて民間のコンサルタントが「活躍」する場が広範に開かれることになる。すでに「三菱総合研究所」などが営業活動を強化しているとの報道もある。

 十一月二七日、福井県で同法の初の実働訓練が行われた。いよいよ、「戦時」に対する住民の軍事訓練が始まったのだ。
 今回の訓練が想定したのは、「国籍不明のテロリストが関西電力美浜原発を迫撃砲で攻撃し、原発からの放射能漏れの危険が発生した」という場合。訓練には国や福井県、自衛隊、民間企業、地元住民など一三〇〇人が参加し、連絡体制の確認や避難訓練が行われた。
 「午前七時頃、美浜原発がテロリストの攻撃を受け、自動停止しました」という発表とともに、美浜町の防災行政無線からサイレンが鳴り渡った。防弾チョッキとヘルメットを着けた県警官が警備し、避難用のバスは自衛隊員が乗った軽装甲機動車が誘導した。会場保安庁の巡視艇も出動した。医療職員は住民を放射能検出器で診察する、というのが当日の訓練の様子だった。
 しかし、今回も敦賀半島から北陸自動車道への二つの県道は渋滞が想定され、防衛庁幹部は「現場に行く幹線道路が避難住民の車両でふさがっている可能性が高い」と感想を漏らしたように、「侵害排除」と「国民保護」が「錯綜」する可能性は極めて大きい。これはかつて戦車兵だった司馬遼太郎が、そのエッセイで書いたことで知られているように、軍はそうした場合、「躊躇なく住民を轢き殺して前進する」のであり、戦時には住民保護などは絵空事にすぎない。
 二〇〇二年、有事法制の議論の頃、読売の記者が陸自の幹部から聞いたという言葉は「自衛隊は敵と戦い、排除するのが役目。直接、国民を助けたり、避難誘導は無理だ」というものだった。
 今回の訓練でも明らかなように、住民避難訓練など、実際に有事になればほとんど役に立たないことははっきりしている。国の狙いはこうした作業を通じて、自治体や企業および住民を戦争に動員する態勢を強める一方、社会に軍事的な価値の「正当性」を浸透させ、「戦争のできる国」づくりをすすめることにある。
 まさに、これらの動きと憲法の改悪の動きは一体のものだ。(S)


キャンプ座間に反対する地元市民

 在日米軍再編は、各地で自治体ぐるみでの反対闘争を起こしている。
 キャンプ座間へ米陸軍第一軍団司令部と陸上自衛隊の即応集団司令部が移ってくることには、地元の相模原市・座間市でも反対の声がひろがっている。
 一一月には、社民党や平和フォーラム系が一三日に、共産党・全労連などが二六日にそれぞれがキャンプ座間包囲行動をおこなった。
 また、一三日には、相模原市で、市長・市議会・自治体連合会による市民集会が開かれたが、座間市でも市民集会が開かれた。
 一一月一八日、市民文化会館ハーモニーホールで、「キャンプ座間の基地強化・恒久化に反対する市民大集会」が開かれ一五〇〇人以上の市民が参加した。主催したのは、市と市議会、市自治会連絡協議会でつくる「キャンプ座間米陸軍第一軍団司令部等移転に伴う基地強化に反対する座間市連絡協議会」(会長・星野勝司座間市長)。
 星野市長が主催者を代表してあいさつした。
 この間、何度も外務省、防衛庁に行って、座間市民は基地機能強化に反対であると申し上げ、市民の半数にあたる六万人の反対署名も届けてきた。その時には、地元の意思は十分に尊重するといっていたが、中間報告は地元の意思を反映するどころか基地強化そのものだ。国は市民をだましたというほかない。われわれはノー・ノー・ノーだ。わたしはミサイルを打ち込まれても頑張る。
 この市長の発言にはおおきな拍手が起こった。
 同じく反対運動をおこなう相模原市からは、加山俊夫助役があいさつし、病気療養中の小川勇夫市長からのメッセージが読み上げられた。また松沢成文神奈川県知事、沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長からのメッセージも紹介された。
 市議会、自治会連絡協、市民からの発言があり、最後に「決議」が拍手で採択された。

11・18座間市民集会決議

 一〇月二九日、日米協議に基づく米軍再編に関わる中間報告が示された。その中で、キャンプ座間は米陸軍の新司令部(UEX)と陸上自衛隊の即応集団司令部が置かれるというものであった。この内容は、キャンプ座間の強化・恒久化そのもので大変遺憾であり、到底容認することはできない。
 国は、米軍再編に当たり抑止力の維持と地元負担の軽減を明言していたが、自らがそれを反故にする内容である。
 我々は、これまで座間市、座間市議会、座間市自治会連絡協議会と市民が一体となり組織する「キャンプ座間米陸軍第一軍団司令部等移転に伴う基地強化に反対する座間市連絡協議会」をもって、基地の強化・恒久化につながる移転には反対であることを、日米両政府をはじめ、関係機関へ繰り返し要請を行ってきた。また、人口の約半分である市民六万余名の移転反対署名を外務・防衛の両大臣に直接渡すなど地元の声を強く訴えてきた。
 この市民の大きな願いに対し、国は「地元の意思を重く受け止めて、日米協議に臨む」「決まったので、お願いします、などということは絶対しない」「誠心誠意、事前説明を行う」と答えてきた。しかし、一〇月二八日、一〇月三一日の中間報告に対する説明は形式的で一方的な通告であり、誠に遺憾と言わざるを得ない。さらに、昭和四六年当時、自衛隊の一部共同使用に関し、横浜防衛施設局長と座間町が交わした覚書及び確認書を全く無視する内容であり、国自らが信頼関係を踏みにじった行為と言わざるを得ない。
 国は地元の切なる声に対し誠意を持って真剣に受け止め、今後の日米協議に地元の意思を反映するよう改めて強く求め、ここに、キャンプ座間に関わる中間報告の撒回を求め、強く抗議するものである。
 以上決議する。


第二回ゆうメイト全国交流会開催される

 全国で一六万人以上といわれる郵政職場の非常勤労働者は、通称「ゆうメイト」と呼ばれ他の公務職場の非常勤労働者の例に漏れず、労基法やパートタイム労働法の適用を受けず「法の谷間」に置かれている。二〇〇二年には「ゆうメイト雇い止め」裁判が七件にも及んだが、「任期一日」の任用制度を根拠にすべて敗訴している。
 しかし、裁判を通じた全国的な横の繋がりは、その後「ゆうメイト全国交流会」へと発展していった。昨年第一回ゆうメイト全国交流会が開催され、今年は一〇月九日に大阪東淀川勤労者センターに於いて第二回の交流会がもたれた。
 この交流会は組合の違いを超え、ゆうメイト自身が企画運営に携わり、「楽しく」「ためになる」ことを前提に準備し、受付、司会などはゆうメイトが担当して進められている。
 成見暁子弁護士による講演では、ゆうメイトの諸権利や法的な立場について○×クイズ形式で進められ、正規労働者と非正規労働者の均等待遇を実現するために正規、非正規が共に協力し合わなければならないと強調された。
 また、パネルディスカッションでは大阪、広島、千葉、岡山のゆうメイトがパネラーとなり成果主義賃金に対する不満や問題意識、各地での闘いの報告がおこなわれた。
 会場からは雇い止めされ、裁判を決心したゆうメイトの決意表明など熱い発言に包まれた。
 懇親会では成果主義賃金に基づくスキル認定の矛盾を改善させたゆうメイトの仲間による劇やストリートミュージシャンの歌などで大いに盛り上った。
 最後にゆうメイトの地位向上に向け「解雇権濫用法理」が適用されない公務非常勤労働者に「パートタイム労働法・指針」の適用を要求するアピールを参加者八〇名全員で採択した。

 具体的な全国運動展開は一二月に岡山で開かれる「ゆうメイト全国交流会事務局会議」で議論される予定。

 また、七月には「ゆうメイト全国交流会ホームページ」が開設され、すでに一万三千件を超えるアクセスがある。
(岡山通信員)

 ゆうメイト全国交流会ホームページ http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Eyumate/


鉄建公団訴訟勝利への態勢を

鉄建訴訟への大合流を


 鉄建公団訴訟は9・15判決をうけて、高裁に闘いの舞台を移した。
 今後の課題のひとつは、まだ訴訟に立ち上がっていない闘争団が鉄建公団裁判に合流し、一〇四七名の統一した闘う隊列を形成することである。そのためには、国労本部が、これまでの鉄建公団訴訟敵視を改めることがなされなければならない。しかし、国労本部は、9・15判決以降、鉄建公団訴訟にたいして一定の評価の転換を行うような姿勢をとりながら、それが実際にはきわめて不真面目かつ陰険な意図をもったものであるという多くの人の疑念をぬぐうものとはなっていない。「国労に人権と民主主義を取り戻す会」のニュース九三号(一一月一七日)「国労本部が『9・15判決を機に……』というなら、まず鉄建公団訴訟原告団・共闘会議に謝罪せよ」は、国労本部の態度を厳しく批判している。資料として下段に掲載する。文中には9・15判決以降の国労本部などの動き、また一一月一六日の「9・15鉄建公団訴訟判決研究会主催によるシンポジウム」(主婦会館)をめぐる問題などが批判されている。鉄建訴訟の「時効」は来年の一二月二二日だが、国労本部が本当に鉄建訴訟9・15判決を「機に」「政治的・全体的解決を実現するために全力をあげ」るというのなら、「国労本部はまず、原告団及び国鉄闘争共闘会議にこの間の様々な弾圧に対して謝罪し、内外に公表することが先決」であり、早期に鉄建訴訟に立ち上がるようにするべきである。来年一月下旬に予定されている中央委員会でそうした方向をはっきり打ち出せるかどうかが国労本部に問われているのである。まずそうしてこそ、一〇四七名の統一にむけた闘いに国労本部も合流するかどうかの話し合いの前提条件ができる。

難波判決を問うシンポ
 
 そしてもうひとつの課題は、控訴審で全面勝利判決を勝ち取るために地裁難波判決の矛盾を突く法理論を構築することだ。
 鉄建公団訴訟の難波判決は、一部組合差別を認めたとはいえ折衷的な不当判決だった。
 その意図は政治的に国鉄闘争を終息させることにあった。しかも、9・11総選挙での小泉与党圧勝をうけて鉄建公団訴訟をめぐる情勢は更に厳しさを増すことが予想されている。高裁での公正な判断を勝ちとるためには、こちらの側の法理論上の優位性を確保しなければならない。

 このような観点から、一一月二六日、エデュカス東京で「鉄建公団訴訟・難波判決の矛盾を問うシンポジウム」が開かれた。
 はじめに、国鉄闘争共闘会議の星野良昭副議長があいさつ。
 9・15判決以降、国労本部側からは「過去は水に流そう」「仲良くしよう」という声がきかれるようになったが、そのためにはまず殴ったほうが責任をとるべきだ。当事者こそが主人公だ。そのことがますますあきらかになってきている。控訴審では裁判闘争を大きく包み込む大衆運動の展開が必要だ。国鉄闘争はJR西日本・尼崎事故、アスベスト災害、労働契約法制の大改悪などさまざまな闘いと軌を一にして、新自由主義攻撃に対抗するものである。
 第一部「鉄道運輸機構の包囲網をひろげよう」では、鉄道運輸機構訴訟(いわゆる「第二次」訴訟)弁護団の萱野一樹弁護士が、難波判決の不当性を批判して覆し、解雇無効を勝ち取って全体の水準を押し上げていきたいと述べた。鉄道運輸機構訴訟原告代表の川端一男代表は、9・15判決の不十分なところに風穴をあけていく、精一杯闘うと、決意を述べた。
 第二部はシンポジウム。
 北海道大学の道幸哲也教授。
 不当労働行為は労働委員会による行政救済でやるのが本当だ。労働委員会制度は、強い労働組合と労組を尊重する使用者の存在が前提となっているが今はそうした状況にない。しかも、救済命令が出た場合でも、使用者側がそれを守らなくても制裁実効性は弱い。しかし、難波判決は清算事業団からの解雇を有効としているが、最高裁判決の内容や三年だけという期間設定に合理性がないことなどから、解雇は無効となると考える。
 つづいて、加藤晋介・鉄建公団訴訟主任弁護士をはじめ弁護団からの発言があった。

寒風ついて鉄道運輸機構前で座り込み

 国鉄分割・民営化時の国労組合員の採用差別・不当労働行為を一部認めた鉄建公団訴訟9・ 東京地裁判決をうけて、鉄道運輸機構前で座り込み行動が続けられている。期間は一〇月二四日から一二月二一日までで、北海道・九州の原告団の七名を中心に闘われている。
 「がんばれ闘争団 ともに93!ニュース」第五八号(一一月一〇日発行)で、行動団事務局の服部孝さんは次のように書いている。
 「…思いの外の寒風下での座り込みは、厳しいものがありますが、一九年になるこの闘いを一日でも、一刻でも早く勝利解決させる意気込みで頑張ってます。…(9・15判決を受けて以降は)この到達点の小さな穴からいかに突き崩していくのかが課題です。その手始めとして私たち七名の当事者が清算事業本部前連続座り込みに突入したわけですが、自分たちで企画しながら行動展開していく難しさを実感しています。しかし国交省や清算事業本部ともに私たちの一挙手一投足に注視していることも肌で感じられます。先ず、清算事業本部玄関入り口には『当ビル敷地内での集会・すわりこみ・宣伝等の行為は固くお断りします』の看板が立てられました。監視カメラが私たちのいる歩道側に向けられました。…人らしく生きたい、働きたい、そのために精一杯一人ひとりができる事、何ができるのか考え行動する事が求められていると思います。犯罪者は明確にされています。一日でも早く解決するためには、追い詰めて行くしかないのです。私たちは、力の限り、寒さにも負けず、この行動を闘い抜きます」。 

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 「国労に人権と民主主義を取り戻す会」ニュース93号(05・11・17)

国労本部が「9・15判決を機に……」というなら、まず鉄建公団訴訟原告団・共闘会議に謝罪せよ

 鉄建公団訴訟の東京地裁9・ 判決に対して、何を勘違いしたか、国労本部・国労弁護団・中央共闘会議三者の連名で、<国労差別を認め慰謝料の支払いを命じたことと、時効の起算日を最高裁判決の日としたことは評価するが、低額の慰謝料は一八年間の闘争団員の苦痛を補うのには不十分>とする「声明」を出しました。
 また、本部は闘争指示第四号(九月二九日付)で、@<9・ 判決を機に>、政治的・全体的解決を実現するために全力をあげ、<次期定期全国大会までの期間を限定し>集中した闘いを展開する、A<「9・ 判決と今後の闘い」の提起と闘争団の交流・激励を目的として>エリアの役員二〜三名編成で闘争団家族の激励行動を行う、B早期解決に向けた「中央行動」を行い、関係省庁、国会議員などへの要請行動を行う…等を骨子とする当面の敢り組みを提起しました。
 さらに、宮里弁護士が、<「9・ 判決は」「不採用問題の解決に一定の影響を与えるもの>であるとおもわれるので、<判決の内容・問題点・その評価を検討する>研究会を<個人の資格>として呼びかけ、「鉄建公団訴訟・東京地裁判決の研究会」が一一月一六日に開催されました。

 鉄建公団訴訟は「国労とは一切関係のない裁判」と断言し、あらゆる弾圧・妨害を繰り返してきた国労本部が、関係ない裁判に「声明」を出して論評し、「9・ 判決を機に」といきなり関係ない判決を我がもの顔で利用し、「大会決定に従え」とオルグと称する恫喝を繰り返した本部が、唐突に「9・ 判決と今後の闘いの提起」のために闘争団・家族に対する「激励行動」をするという。
 また、宮里弁護士呼びかけの「研究会」は、当初、「宮里弁護士個人の資格での呼ぴかけ」ということであり、打診を受けた加藤晋介弁護士も共闘会議のメンバーも、弁護士・当該を中心とした二〇〜三〇人規模と理解していました。しかし、呼びかけ文では、「国労弁護団弁護士宮里邦雄」となり、会場は一五〇名は入る主婦会館プラザエフ9F「スズラン」となっていました。さらに、国労本部闘争指示三号(九月二九目付)ではいつの間にか「国労弁護団の呼びかけで…」となり動員指示まで出しました。この間の経緯からすれば、宮里弁護士が「一緒に研究会をやりましょう」と連絡してくること自体違和感を感じますが、純粋な法律家同士の研究ということで百歩譲って受諾したとしても、上記の対応・流れはフェアーではなく、国労本部のなし崩し的・利用主義的な目論見が見え隠れしています。
 そもそも国労本部は、一九九八年五月の東東地裁判決の敗訴に驚愕し闘う意思を失い、「四党合意」という権力に土下座するような無内容な「闘争終結案」を当該の意思を確認・尊重しないまま、二〇〇一年一月の四度目の大会で機動隊を導入してまで強行採決をしました。
 納得のいく解決を求めてやむを得ず關争団当該が提起した鉄建公団訴訟原告団に対し、生活援助金凍結、二二名の処分、物販の排除、大衆行動に対する妨害、そして、ありとあらゆる罵声を浴びかけ、「決まったことに従え!」という心ない機関役員・組合員が大合唱を繰り返してきました。
 そして、鉄建公団訴訟を「国労とは一切関係のない裁判」と断言し、組織内外に宣伝してきました。さらに、鉄建公団訴訟など、門前払いになるのがオチだ」、「時効で切って捨てられる」、「箸にも棒にもかからない裁判だ」…等と、国労本部やそのブレーンたちはこき下ろしました。
 ただでも苦しい生活に耐えて闘っている闘争団・家族を兵糧攻めにし、精神的にも容赦なく追い詰めた「労働者ための労働組合」であるはずの国労本部の所業は、未来永劫免罪されることはありません。闘争団・家族の心中は察するに余りあります。
 その国労本部や多くのエリア本部・地方本部まで、9・15判決以降、手の平を返したように、「9・15判決を機に」、「生かせるところは生かし」と機関役員を中心に、今までなにも無かつたかのように、そして、鉄建公団訴訟に国労が関係あるがごとき発言を行っています。
 「国労に一切関係ない」はずの裁判に声明を出したり、闘ってもいないどころか妨害の限りを尽くしてきた裁判の『論評』をするなど、誰が考えても恥ずかしいことであり、常識では考えられないことです。「盗人猛々しい」とはこのことです。
 これは、国労本部や国労弁護団が、9・15判決を「勝利判決」と見ているからです。清算事業団からの解雇が有効とされたり、五名が除外されたことはあったとしても、採用差別を認め、時効をクリアし、約九〇〇万円という慰謝料が司法の場で具体的に明示されたことが、国労本部・弁護団の予想をはるかに超えた内容であったからです。「四党合意」であれば、〇+アルファ 八〇万円程度と言われていますから、それに比べれば一〇倍以上の金額であり、国労弁護団が一番心配していた「時効」もクリアできたのですから、そういう意味では、喉から手が出るほど欲しかったものを鉄建公団訴訟が導き出してくれたのです。
 そうなると当然、国労本部が裁判は「長期戦になるからILO勧告で政治解決」と言って、訴訟参加を抑えてきた六〇〇名の闘争団員から、「話が違う」と突き上げが出ることは予想に難くなく、その矛先を避ける意味と、この内容なら「鉄建公団訴訟」に何らかの形で乗って、その判決内容を利用しない手はないと考えたからです。
 一一月一六日の「判決研究会」は、鉄建公団・全動労・国労の三弁護団からの発言や会場発言の雰囲気とはかけ離れた「ヨイショ発言」も出て、なんとか国労や国労弁護団も「9・15判決に関わった」あるいは「関わっていく」きっかけとなる集まりに無理矢理しようという意図がありありと感じられました。当日も本部吉田書記長、久保執行委員、東日本本部の伊藤委員長、東京地本の阿部委員長、笹原書記長らが参加することで、鉄建公団訴訟に国労機関が関与するアリバイ作りは達成されたのかもしれません。一〇四七名の解雇撤回に向けた研究会であり、七〜八名の会場発言の中に、この間の国労機関のやり方に対する批判も何人かからありましたが、言うまでも無く、これらの機関役員からの発言は一切ありませんでした。
 国労本部側及び国労弁護団は、盛んに「過去にはこだわらず」「これまでの行きがかりは間わず」と言い、争議解決のために団結をと言いますが、国労本部はまず、原告団及び国鉄闘争共闘会議にこの間の様々な弾圧に対して謝罪し、内外に公表することが先決です。弾圧しておいて、平然と「過去にはこだわらず」などと言うのは非常に虫の良い話ですし、そのようなことが出来る国労本部及び国労弁護団の思想・発想・資質が、解決に向けた運動の障害となっていることに気付くべきです。
 国労本部が「四党合意」の総括をしない限り、「大会で決めれば良い」という亡霊がつきまとい、六〇〇名の闘争団員が闘いに立ち上がるのではなく、9・15判決を利用しあくまでその範囲内で国労機関が裁判を提起し、昇進差別和解のように機関が数億円をかすめ取って幕引きということも十分考えられます。
 私たちは、不当な難波判決を批判し、国労本部等の動向に振り回されず、予想される控訴審での激烈な闘いを、原告団・国鉄闘争共關会議と共に闘う覚悟です。


1967・11・11

 
 首相官邸前でベトナム戦争に焼身抗議した由比忠之進さん


トナムとイラク

 イラクからの自衛隊の撤退を求めて、一一〜一二月、WORLD PEACE NOWの毎週木曜日「スグモドレ・ジエイタイ」行動が闘われている。
 首相官邸前での反戦行動に参加するとよくあの夜のことを思い出す。
 それは、一九六七年一一月一一日夜のことだ。
 その日の翌日、当時の佐藤栄作首相は、アメリカのベトナム侵略を支えるために訪米し、ジョンソン大統領と会談(一四〜一四日)した。その共同声明では、中国の「脅威」を封じ込めるために政治、経済、軍事すべての面で協力体制を強めることが謳われた。佐藤は、ベトナム戦争について、「米国がベトナムで払っている努力に感謝」し、日本は「恒久平和が実現されるまで」「米国の撤退には賛成しかねる」と公言していた。佐藤は日本をアメリカのアジアの民族解放運動を押しつぶそうとする戦争政策の橋頭堡にしようとしていたのだった。
 その一ヶ月間には、佐藤がアメリカのカイライ政権「南ベトナム」訪問を行ったが、一〇月八日、羽田空港周辺では学生・労働者は阻止の大闘争を行い、それにたいして警察は大弾圧を行い、京大生の山崎博昭さんが虐殺されたのをはじめ多くの負傷者・逮捕者がでた。
 一一月一二日の佐藤訪米の日も、空港、とくに蒲田駅周辺では激しい反戦・訪米阻止闘争が闘われた。

 佐藤訪米の前日一一日にも、抗議集会が開かれていたが、筆者もその行動に参加し、当時その編集部にいた「労働周報」社に行こうとして首相官邸前を通った。「労働周報」は、高野実元総評事務局長を代表に、社会党の黒田寿男衆議院議員、評論家で日中文化交流協会の中島健蔵さん、坂本徳松愛知大学教授を顧問に、六七年四月に発刊され、衆議院第一議員会館の穂積七郎衆議院議員(社会党)の部屋にあった。
 首相官邸の周辺もあの頃から変っているが、官邸から道を隔てた、ちょうどいつも官邸に向けてシュプレヒコールをおこなっているあたり、だいぶ暗くなっていたが、警官など一〇名くらいがたっている。その取り囲んだ中に、真っ黒になった人が手足を折り曲げる格好で仰向けになっている。その身体からは煙が立ち昇って、まだ息をしていたように思う。
 「労働周報」に帰ると高野さんと数人が居て、翌日の佐藤訪米阻止闘争などについて論議していた。事態を報告すると、高野さんが沈痛な面持ちで即座に、佐藤に抗議する決死の行動でしょう、中国やベトナムなどの人といっしょに、米日の反動勢力を追い詰めることで私たちがこたえなければなりませんといったのを記憶している。
 翌日一二日の「朝日新聞」は次のように報じた。
 「午後五時五〇分ごろ、官邸前交差点わきの歩道を歩いていた老人が突然、ほのおに包まれ、あお向けに倒れた。通りかかった新宿区西大久保四六 日本電電公社職員本田吉晴さん(二一)が近くにいた警官二人と協力、通りかかったタクシーの消火器や官邸に備えつけの消火器で消し、近くの港区赤坂葵町の虎の門病院に収容したが、頭、顔、胸など上半身に大ヤケドで、上着はボロボロに焼け、髪はほとんど燃えつきていた」。
 そうすると筆者の通りかかったのは午後六時頃だったのかもしれない。
 その老人は名前は由比忠之進さん。エスペランチストで平和運動家だった。エスペラント語は、帝政ロシア支配下のポーランドでユダヤ人医師ザメンホフが、すべての民族はそれぞれ自言語を使うとともに、共通の第二の言語(国際共通語)を採用することによって。民族間の差別をなくし民主的言語生活をきずくようにと発表した言語だ。

反戦への志

 つぎに、反戦・平和にかけた由比さんの志を読者の皆さんに知ってもらうために、大島嘉夫・宮本正男『反体制エスペラント運動史』(三省堂)よりいささか引用してみたい。
 同書「第一〇章 雲と火の柱―戦後の運動」の「もっとも政治的な死―由比忠之進の死」は、「由比は一二日訪米しようとする佐藤栄作に対する抗議文を持っていた。ベトナム侵略をつづけるジョンソン政府とそのカイライ日本政府首脳に抗議して自殺したのであった」と書く。そして、由比さんの当日のメモ(原文のママ)を載せている。

 「今日自殺決行するとなるとやっぱり興ふんすると見え一晩中抗議書作成その他で一睡もしなかったが少しも眠くなかった。
 朝出掛けるに当って机上を整理したのだが静(注・由比夫人)は何等疑いをかけなかったので落付いて出掛けられた。
 死期が迫っているにしては冷静でおられると思って居たのだが虎の門に近づくに連れ胸がどきどきしだした。主相公邸に近づく連れ益々はげしくなった。やっぱり死と云う事は大変な事だ。
 愈々公邸の前に来たが通行人が一杯で到底決行が出来ないので素通り、夕方迄待つ事にし遂に山王に来た。石段に掛けて之を書いた。」

 「内閣総理大臣佐藤栄作閣下」とボールペンで書いた抗議文を入れた封筒を、別の大きな封筒に入れてあった。…その翌日、宮本(注・この本の著者)はベトナム平和エスペラントセンターにあてられた由比の手紙を受けとった。中には十月六日の日付でアメリカ大使館気付でジョンソンにあてた由比のエスベラント文の抗議文のコビーがはいっていた。…それは、ただちに日本語に訳されて、四〇〇名を集めて開かれた二十二日の大阪の追悼集会で参加者に配布され、のちに雑誌『世界』にのった。…由比はいかなる政党・セクトにも所属した人ではなかった。由比の思想を一口にして言えば、良心的平和主義者、戦闘的ヒューマニストということである。もっとも、こうなったのは、中国革命以来のことである。…蔵園正枝(注・由比さんの長女)が語る父は、選挙のたびに棄権する人であって、革新政党それ自身の支持者ではなかった。もっとつっこんで言えば、由比の頭の中には、いかなる意味でもの「政治」はなかったのである。それ自身「もっとも政治的な死」をとげた由比ではあったが。かれは社会変革を要求する政治的平和主義者ではなく、社会進化だけを考える、しかし徹底的な平和主義者であった。…一九六六年一一月、関東・関西の有志を発起人としてベトナム平和エスペラントセンターが作られ、Pacon en Vjetonamio(『ベトナムに平和を』)を大阪で発行しはじめた。それは、メム「世界平和エスペラント運動」の機関誌のように、しばしば共産党ジャーナリズムから取材する偏向を避け、広く各方面からのベトナム反戦非戦の声をとりあげて各国へ送り出した。キリスト者から新左翼にいたるもろもろのニュースを紹介した。商業新聞の投書からもとりあげた。ポーランドのワルシャワ放送、フィンランド・フランスなどの新聞がこの機関誌から翻訳して発表した。本多勝一―これまたエスペランチスト―のすぐれたルポルタージュ『戦場の村』の翻訳を連載し、のちに単行本にした。ソ同盟その他の諸国のチェコ侵入に反対の声明文を掲げ、ドイツ民主共和国で禁輸の措置をとられたこともあった。
(以上で引用おわり)

 ベトナム戦争とイラク戦争、佐藤栄作と小泉純一郎。いずれもアメリカの侵略戦争を支え、そのことによって自らの利益を図ろうとする輩だ。アメリカは、ベトナム戦争で結局、南北ベトナム、インドシナ人民の闘い、世界各国の反戦運動、アメリカの経済的破綻によって、敗退した。佐藤栄作も、反中国だと信じていたアメリカが米中関係正常化を、日本の頭越しに行うことによって恥ずべき末期を迎えた。
 ブッシュに追随し汚い戦争を続ける小泉に抗議のシュプレヒコールをたたきつけに行こう。(K)


複眼単眼

   
 NYタイムズへの産経新聞の敵意

 十一月二八日の「産経新聞」はワシントン特派員の古森記者の「NYタイムズ 日本叩き顕著」という記事を掲載、「同盟に基づく政策すら『危険』」などといい、「中国の主張そのまま」だと「NYタイムス」を批判した。「産経」紙によれば「ニューヨークタイムス」は「米国左派リベラルの大手紙」という規定だから恐れ入る。まあ、極右の「産経」がみれば米国民主党寄りとみられる「NYタイムス」紙は左派ということになるのであろう。古森記者は記事の前書きで、靖国問題で中国の主張を正当化するだけでなく、米国との同盟関係による安保政策や改憲の動きまで「危険な軍国主義志向」だとするなど、同紙がこのところ鮮明かつ露骨に反日的になってきたと書く。
 古森記者は「NYタイムス」の十一月十九日社説は「ブッシュ政権はすでに心配な民族主義的な日本政府に軍事に対する戦後の制約を捨てて、もっと野心的な地域的安保の目標をめざすことを積極的に促しだした」などと書いたと批判し、同日の「NYタイムス」でオオニシ東京特派員が日本で売れている「マンガ中国入門」(飛鳥新社)などのマンガ本を日本人の「長年のアジアの他民族への狭隘な排外主義」や「複雑な優越感と劣等感の表れ」と決めつけているのがその一例だと紹介した。古森記者によればこうした漫画本がでる原因は中国側の反日なのに、それには触れられていないのが不当だというのだ。古森記者はそのオオニシ特派員が九月には「なぜ日本は一党に統治されることに満足なのか」という記事も書いており、偏見に満ちた記者だと紹介している。
 古森記者は「NYタイムス」の次のような九月十三日の総選挙結果の紹介の社説も気に入らない。
「(自民党の勝利は)小泉首相の軍事的ナショナリズムという日本の伝統の愚かな擁護を容認することになった」「軍国主義者が祭られる神社への小泉首相の参拝と、より強い軍事政策への小泉首相の支持はアジアの世論全体を警戒させることとなった」
 古森記者によれば「首相の『より力強い軍事政策』というのは…みな米国から奨励されての動きなのだ。その日米同盟の本質といえる各措置を危険扱いする」のはどうしたことだと言うのだ。これはまったく笑える論評だ。「言われたとおりやっているのに批判するとは酷いではないか」というのだ。
 十一月一日の東京発オオニシ記者電が「官房長官となった安倍晋三氏は北朝鮮と中国へのタカ派的なスタンスで日本で最も人気のある政治家となり、ブッシュ政権のお気に入りとなった」と書いたのも古森はおもしろくない。十八日の「NYタイムス」社説が首相の靖国参拝に「東京での無意味な挑発」と書いたのも気に入らない。「小泉首相の靖国参拝は日本の戦争犯罪の犠牲者の子孫たちに対する侮辱だ。首相は自分が何をしているか明白に知っている。その参拝は自民党の右翼ナショナリストの礼賛を得たが、首相はこの勢力を押さえつける必要がある」と「NYタイムス」は主張した。古森はこれは中国の主張をそのまま繰り返しているに過ぎないというのだ。そして改憲の動きを「危険な軍国主義的傾向」とまで言うに至っては、「民主主義同士の同盟国の大手メディアの論調とは思えない」と嘆くのだ。
 実は「産経新聞」と古森記者の政治的立場が米国から見ても異端過ぎることを示しているだけなのだが。(T)


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労働者社会主義同盟中央委員会

読者のみなさん!
 小泉政権は、アメリカ・ブッシュ政権の世界覇権のための日本軍事同盟の強化・拡大にむけて在日米軍再編と日米軍事一体化作戦を強行しようとしています。イラク占領の多国籍軍からも次々と撤退する国がでているにもかかわらず、小泉政権は期限切れの自衛隊イラク派兵を延長を決定しました。
 さる一一月に行われたブッシュ・小泉首脳会談では、日本をアメリカの戦争戦略の一環にいっそう組み込む約束がなされました。
 そして、アメリカ軍の戦争の一部を担う自衛隊を強化し、海外での戦争を可能とするためには、どうしても憲法に自衛「軍」の保持を明記し、集団自衛権へ道を開くための憲法改悪が必要だとして、自民党新憲法草案が発表されました。いよいよ憲法改悪をめぐっての攻防戦が具体化してきました。
 小泉は今年も内外の反対を押し切って靖国神社参拝を強行しましたが、これはアジア諸国との関係を悪化させ、日本外交はアメリカの言うことを聞く以外はまったくの手詰まり状態に陥っています。
 しかし、こうした小泉政権の政策に対する反撃の闘いも前進しました。アメリカの戦争支援のためアメリカから強く要求され、また「超大国」アメリカに従って自らの権益を拡大しようとする日本の支配層の願いである九条改憲には、多くの人びとが反対し、とりわけ二〇代は強い拒否反応を示しています。そして九条の会に象徴されるように改憲阻止の声と運動は広がりつつあります。
 在日米軍機能・米日共同作戦体制の強化をめざす米軍再編への反対は、沖縄の闘いをはじめ各地でかつてない広がりを見せています。平和運動、労働団体だけでなく、自治会組織、自治体、そして保守県政まで巻き込んでの反対運動が続いています。
 小泉与党は、総選挙で大勝しましましたが、しかし、先送りしてきた矛盾がこれから噴出しようとしています。増税、年金・社会保障の切捨て、失業と不安定雇用の増大などは、これまでの自民党政治の本格的な見直しを迫っています。
 二〇〇六年を、大きく団結して闘いを進め、重要な転換をかちとる年にしましょう。

 読者のみなさん!
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 二〇〇五年冬