人民新報 ・ 第1213号<統合306(2006年11月20日)
  
                  目次

● 与党の単独・強行採決を糾弾し全力をあげて教育基本法改悪阻止へ!

● 11・3憲法集会  とめよう戦争をする国づくり

● ブッシュはイラクで米本国で敗けている

● 北海道人事委員会が、学習指導要領「国旗・国歌」  指導条項の法的拘束力を否定!

● 11・1  おおさかユニオンネット・大阪総行動

● 狭山事件・松本サリン事件から  えん罪・差別・報道を考える

● 書評  /  内橋克人『悪夢のサイクル』

● KODAMA  /  解放運動の再生を!

● 複眼単眼  /  小皇帝然とした石原の子ども観




与党の単独・強行採決を糾弾し全力をあげて教育基本法改悪阻止へ!

 自民・公明の与党は、十一月十五日、教育基本法「改正」案を衆院教育基本法特別委員会で強行可決した。「さらに慎重に審議するべきだ」として採決に反対した民主、共産、社民、国民新の四野党の欠席の中、質疑打ち切り、与党のみでの採決という暴挙を行ったのである。このような行為は断じて許されないものである。
 安倍は、あえて衆院段階での与党単独強行採決に踏み切ったが、それは、いじめ・自殺という日本の教育が直面しているまったなしの課題をなんら解決しようともせず、ただただ戦争の出来る国づくり、戦場に唯々諾々と赴く「愛国心」をもった国民を育て上げるという自民党と安倍流の教育「改革」の真の姿を自己暴露するものとなり、同時に横暴な与党のやり方に反対の声をいっそうおおきくするだろう。
 闘いの場は参院に移る。改悪法案阻止闘争が敗北したわけではない。われわれはいっそう闘いを拡大・強化し改悪阻止のために奮闘しなければならない。

 安倍内閣は今臨時国会の最優先課題として教育基本法改悪をあげ、自民・公明与党は早期採決を狙っている。教育基本法改悪法案はこれまでも何度も強行採決の危険な状況を迎えてきた。しかし、そのたびに教職員・保護者など広範な人びとによる反対運動で採決を防いできた。臨時国会の会期は十二月十五日までだ。参院での審議・採決を含めればここ数日で衆院での委員会と本会議での採決をしなければ本国会での法案成立は難しくなり、来年の通常国会へ先送りせざるをえなくなる。しかし、そうなると、残された法案とくに防衛庁の省昇格法案、改憲のための手続き法案、共謀罪新設法案などの成立に影響するとともに来年の参院選に多くの悪影響が出る、と政府・与党は考えている。来年の参院選は、小泉政治の五年間の継承をめざす安倍内閣にとってはじめての国政選挙であり、ここで勝利してはじめて安倍内閣の本格的なスタートとなるのであり、敗北すれば短命政権におわるという意味を持つものだ。だから、人びとに不安をいだかせ、与党への支持を減らすような法案はぜひともこの臨時国会で仕上げてしまうことが至上命題となっている。ここに安倍内閣が教育基本法改悪法案の成立に全力をあげている理由がある。

 ここにきて、小泉政治の負の側面が全面的に噴出してきている。新自由主義・競争原理を導入し、かつ生徒・教員を高圧的に縛り付ける文部科学省・教育委員会の目標押し付けによる教育の荒廃ぶりが明らかになってきている。たとえば「いじめ」根絶の数値目標に、校長は実際の「いじめ」を見て見ぬふりを決め込み、教育委員会に、そうした事実はないと報告していた。児童・生徒のいじめによる自殺は、こうしたシステムの中で続発している。 また、必修科目を履修させずに受験科目を重点を置く教育は、自民党と文科省による競争主義によって引き起こされたものだ。文科省は、自分で決めておきながら、「良い」上級学校に受かる学校の教育を評価しているのだから、今のようになってしまう要因を自分自身が作り出したといえよう。安倍がやろうとしている教育バウチャー制度は、受験成績による学校序列化を予算配分によっていっそう助長するものであり、生徒・教員にいっそうストレスを与えるものであり、教育格差の拡大・固定化によりいちじるしい教育荒廃の状況を現出させてくることは必至である。競争激化となるのは小泉の構造改革路線が、作り出した社会的格差の拡大と連動しているのであり、責任は文科省にだけあるのではなく、自民党政治、それをあやつっている財界にある。
 そのうえ、政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)での「やらせ」である。TMは小泉時代に「民意」を政治に反映させるとして大々的に宣伝されたものであるが、その実際は、政府が「自分の意見のように」発言してください、などとこと細かく事前工作し、それを元校長などが市民を装って発言するというまったくの八百長・出来レースそのものだった。これが、「民意」であるなら、政府方針=民意となってしまい民主主義をまったく否定されてしまうのである。ことは教育問題だけではない。大多数の「審議会」「専門家会議」などもなんら専門知識のないタレントなどが顔を並べて、最初からあった結論をあたかも多くの意見を十分に聞いたうえでのものとして仕上げる儀式にすぎない。TM問題はその氷山の一角が現れたものだが、当然にも各方面からの激しい批判が高まっている。政府は沈静化するのに躍起となっている。
 安倍は、「教育基本法の問題と、このタウンミーティングの問題は別の問題だ。教育改革を進めていく上においても、速やかにこの教育基本法の成立を図りたいと思う」と述べ、二階俊博・自民党国会対策委員長も「教育基本法を六〇年ぶりに改正しようとしている。タウンミーティングでやらせがあったなんて、やる方もやる方だが、誠につまらん」として「いつまでも慎重審議に引きずられていては、政治の生産性が上がらない」と言っている。しかし、こうした手法は決してゆるされるものではない。
 教育現場は実際に危機にあり、日本の教育は崩壊寸前である。だが、こうした状況を作り出したのは、受験競争を煽って、ひとにぎりのエリートをつくるとともに、大多数の児童・生徒が将来に希望を持つことが出来ないようにした自民党政治にあり、教育改革は安倍たちの方向とはまったく逆に憲法と教育基本法の精神を生かすことによってのみ実現できるのである。

 教育基本法改悪の動きが強まるなかで反対運動も精力的な展開を見せている。全国各地でさまざまの市民運動、日教組や全教など教職員の運動がもりあがり、国会周辺での行動も連日展開されている。
 十一月八日、国会議員会館前で、教育基本法改悪反対、少年法改悪反対、改憲手続き法と共謀罪新設反対を掲げて緊急行動「ヒューマンチェーン」(人間の鎖)が展開され、手に手にキャンドルを持って国会にむけてシュプレヒコールをあげた。この行動は、教育基本法「改正」反対市民連絡会、子どもと教科書全国ネット21、子どもの育ちと法制度を考える21世紀市民の会(「子どもと法・21」)、「子どもたちを大切に・今こそ生かそう教育基本法」全国ネットワーク、許すな!憲法改悪・市民連絡会、共謀罪の新設に反対する市民と表現者の集い実行委員会などを中心にして安倍内閣の悪法阻止の大きな共同行動となり、参加者は二〇〇〇人を越えた。
 十二日には、日比谷野外音楽堂で、「教育基本法の改悪をとめよう!11・12全国集会」が開かれ全国から八〇〇〇名が結集して大成功を収めた。
 集会では、全国集会呼びかけ人の大内裕和さん、高橋哲哉さん、三宅晶子さん、小森陽一さん、国会からは共産党副委員長の石井郁子衆議院議員、社民党党首の福島瑞穂参議院議員があいさつし、北海道人事委員会審理で勝利した北海道教職員組合など各地の教職員組合、日本弁護士連合会、平和フォーラムなどから発言があり、韓国・全教組や沖縄県知事選候補からのメッセージが紹介された。最後に集会アピール(別掲)が確認され、寒風を突いてのデモに次々と出発した。

 教育基本法をめぐる闘いは最大の山場を迎えている。多くの人びとの教育基本法改悪反対の声を合流させ、安倍内閣の弱点をついて、断固阻止しよう。

「教育基本法の改悪をとめよう!11・12全国集会」アピール 

 教育基本法が改悪されるかどうか大きな山場を迎えるなか、本日、私たちは組織・団体の枠を超えて集まりました。九月二六日から始まった臨時国会において、教育基本法「改正」は安倍新政権の「最重要課題」となっています。一〇月二五日に衆議院特別委員会での審議が始まり、一一月八日には地方公聴会が始まり、政府・与党は一一月中旬の衆議院採決、そして臨時国会での教育基本法「改正」法案の成立を狙っています。

 「いじめ」や「高校での未履修問題」など教育問題についての報道が盛んに行われていますが、それは政府・与党が行おうとしている教育基本法の改悪によっては解決しません。これらの問題は、「ゆとり」と「個性化」という名目で学校現場のゆとりを奪ってきた教育改革と学習指導要領の拘束力を強化し、教育現場の自由を管理・抑圧する教育行政によって生み出されたものです。新自由主義と国家主義を強化する教育基本法の改悪は、これらの問題を解決するどころか、それらを一層深刻化させます。今何よりも先になされなければいけないのは、OECD最低レベルの教育への公的支出の大幅アップ、三〇人以下学級の実現です。それが真のゆとりと自由を生み出します。    
 安倍新政権は、現在最大の問題となっている格差社会を是正するどころか、一層拡大・固定化する教育政策を進めようとしています。二〇〇七年四月には、小学校六年生と中学校三年生全員が参加する全国学力テストの実施が予定されており、教育の完全市場化をもたらす教育バウチャー制度の導入までが狙われています。これらは教育における差別・選別を助長し、格差社会を拡大・固定化させます。    
 教育問題の解決につながらない教育基本法改悪の真の目的とは、教育基本法と一体である憲法の改悪に道筋をつけることです。すでに憲法改悪へ向けての「国民投票法案」が国会に提出され、日米の共同軍事行動を可能とする在日米軍の再編・強化が進められつつあります。この延長上に、「戦争する国家」づくりのための憲法九条の改悪が狙われていることは間違いありません。
 特に、一〇月九日の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による地下核実験実施発表以降、周辺事態法の適用やさらには「日本も核兵器を保有すべきだ」といった排外主義と軍事大国化を煽る議論が登場しています。しかしこれらは東アジア地域の平和と安定に寄与するものではなく、ひたすら武力衝突の危険性を高めるものです。国家間、政府間の交渉のみにこの問題の解決をゆだねてはなりません。巨大な惨禍をもたらしたアジア太平洋戦争の歴史をもつ私たちは、決して諦めることなく、この問題の平和的解決をあくまで求めていくべきです。それは、アジア・太平洋戦争への強い反省によって生まれた教育基本法と憲法の改悪を阻止することにつながります。
 
 教育基本法改悪反対の運動を行っている私たちに、大きな勇気を与えてくれる事件がありました。九月二一日に東京地裁において、東京都教育委員会が「日の丸・君が代」強制を命じた「10・23通達」を教育基本法違反、憲法違反とする画期的判決が出されました。これは「日の丸・君が代」強制に、処分や移動にも屈せず、良心と勇気をもって反対した現場教職員が獲得した歴史的判決です。彼らの闘いは教育基本法の改悪阻止と深く結びつくものであり、私たちはこの闘いに心から連帯します。
  
 私たちは教育基本法の改悪を阻止するために、次の行動を呼びかけます。            
 1)一三日には、すべての国会議員に要請します。
 2)地域に帰って、この問題について広げるための行動に一人ひとりが取り組みます。
 3)地域でのアクションを起こし、全国と連帯します。  4)特別委員・地元選出の国会議員に要請します。     5)毎週火曜日の国会前集会に参加します。
 6)委員会採決前夜には国会前集会を開催します。そこに参加し、参加が難しい地域も同時に行動します。

 私たちは教育の自由と平等を新たに獲得するために、そして「平和の砦」としての教育を築くために、再び「戦争する国家」づくりを目指す教育基本法の改悪を全力で阻止することを、ここに宣言します。    

 二〇〇六年一一月一二日

教育基本法の改悪をとめよう!11・12全国集会参加者一同


11・3憲法集会  とめよう戦争をする国づくり

 十一月三日は日本国憲法が公布された日である。一九四六(昭和二二一)年六月二五日に帝国議会に上程された憲法改正案は、四か月にわたる両議院の審議を経て、十月六日、衆議院において最終的に可決され、再び枢密院に諮詢され、同月二十九日に可決し、十一月三日に「日本国憲法」として公布されたのであった。

 十一月三日、千駄ヶ谷区民舘で、「集団的自衛権の行使を許さない!教育基本法の改悪反対!改憲手続き法案を廃案へ!」をスローガンに「とめよう戦争をする国づくり 11・3憲法集会」開かれた。主催は、11・3憲法集会実行委員会で、憲法を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、全国労働組合連絡協議会、日本消費者連盟、VAWW―NET ジャパン、ピースボート、ふぇみん婦人民主クラブ、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会が参加団体である。 
 はじめに主催者を代表して平和を実現するキリスト者ネットの鈴木伶子さんが挨拶。
戦争はすべての人を不幸にする。私たちの国も戦争の体験から戦争をしない憲法をつくった。それがいま厳しい試練に立たされている。しかし日本の憲法は人類普遍の価値を持つものだ。 
 ゲストスピーチでははじめに、早稲田大学教授の西原博史さんが「国家指導者のための国民づくり〜教育基本法改正と憲法改正の目指すもの」と題して話した。
 現在、政府が進めている教育改革は、国家指導者の育成ということである。国家を支えるのは一部の指導者であり、そのほかの人びとは、そのいう通りに動いてくれればいい、すべておまかせくださいという発想に立っている。そうしたことを狙っている教育基本法「改正」法案がいまの臨時国会で成立させられようとしている。そうなれば早くて来年の四月からその法律の下で教育が行われることになる。しかし教育基本法改正については、いまようやく論議が始まろうとしているかどうかという段階だ。その上、最も怖いところがわかっていない。
 そもそも教育「改革」問題が言われ始めたのは一九八〇年代の中曽根内閣当時からで、そこには財界の強い意思があったのである。これまでの平等主義の教育ではトップエリート育成に不適合であるということだ。九〇年代には文部省もそうした要求に沿って、新自由主義的な改革を言い出して今日に至っているわけだが、安倍の『美しい国へ』は学校選択制までうちだしている。バウチャー制度で学校をランクづけして、それにしたがって教育予算を配分するというのだ。だがこの制度は日本以外でも失敗しているが、階層化・グループ化を推し進めて、将来に夢を持てない人を多く作り出す。そういう人はきっと反社会的になるから、そうならないように「愛国心」でまとめ、タガをはめていくというのだ。強制に抗する教員は処分する、それが東京都でおこっていることなのである。政府が自衛隊をイラクに戦争に行かせるようになれば、なぜ自衛隊はイラクに行かなければならないかを教える先生はいい教員で、疑問を出すようなのは不適格教員とされるようになる。国家が忠誠に値するかどうか見極めるのは個人の自由だが、そうした子どもの良心の自由を保障する学校でなくしていこうというのだ。しかし、父母は、効率と競争の教育秩序=教育の階層的分断の正当化するようなものは望んでいない。

 つづいてのスピーチは、姜恵禎(カン・ヘジョン)さん。カンさんは、日本に留学し、現在「アジアの平和と歴史教育連帯」国際協力委員長。
 この間、日本は大きく変化したが、それは危険な方向へだった。八〇年代まで韓国は軍事独裁政権だったが、日本は平和主義、民主主義、それが常識だった。しかし、いま輝かしい日本の民主主義はどこへいってしまったのか。九五年は戦後五〇年で村山首相の談話もあったが、その後には、日米軍事ガイドライン、周辺事態法などが矢継ぎ早にでてきた。どうも九九年に転機があったと思う。新ガイドライン関連法、日の丸・君が代の法制化、盗聴法などができた。そして、いま、憲法そのものが変えられようとしている。とくに憲法九条が変えられることは、周辺国に日本から戦争が起こされるということでもあり、この問題では韓国人も当事者性がある。

 日本で生まれ育ち、朝鮮半島のルーツをもつラッパー二人組ユニットのKPのアトラクションで集会参加者全体が盛り上がり、パレードに出発。行進の途中では、右翼の妨害もあったが、それをゆるさず、集団的自衛権の行使を許さない!、教育基本法の改悪反対!、改憲手続き法案を廃案へ!、航空自衛隊はイラクからすぐもどれ!北朝鮮の核実験反対!などのコールをあげながら、原宿駅、表参道から明治公園までのパレードを行った。

平和憲法改悪反対と東北アジアの平和のための韓日市民団体共同声明

   ●北朝鮮核実験を理由にした日本の平和憲法改悪の動きに反対する。
   ●北朝鮮核問題の平和的解決を目指す韓日両国政府の努力を要求する。

 一一月三日は、日本の平和憲法公布六〇周年である。北朝鮮の核実験以後、北東アジアの不安と緊張が高まっている状況の中で、平和憲法公布六〇周年を迎えた今日、私たちは平和憲法の「恒久的平和主義」の精神、そして憲法九条の「戦争放棄と戦力保有及び交戦権禁止」条項がどれほど大切な資産であるかを改めて実感している。

 去る一〇月九日の北朝鮮の核実験に対して、私たちは断固として反対の声をあげる。北朝鮮の核実験は、朝鮮半島と東北アジアの非核地帯化を推進してきた韓日市民の熱望に反し、絶対許されない行動である。しかし、同時に北朝鮮核問題の迅速で平和的な解決のためには、韓国と日本をはじめとした関連国の真剣な対話努力が必要であることを強調する。特に、北朝鮮の要求に対し無視と制裁、圧迫政策で一貫してきたブッシュ政権は、対北朝鮮政策の失敗を認め北朝鮮との直接対話に乗り出さねばならない。私たちは、一〇月三一日に、北朝鮮、中国、米国によって六者協議の再開が合意されたことを歓迎する。六力国政府は誠実に対話を進めるべきであり、事態を悪化させるようないかなる行動も慎まなければならない。

 しかし北朝鮮核実験以後、日本の安倍内閣は右傾化と軍事大国化を目指す政策を強行している。この間論争になってきた右傾化を一挙に処理し、平和憲法の無力化と改悪を強行しようとしている。このような政策と行動は、周辺国の憂慮を招いている。日本政府は独自的な追加制裁を強行し、「周辺事態法」の適用も視野に入れながら、海上自衛隊の北朝鮮船舶検査参加や米軍および第三国の北朝鮮船舶検査活動への後方支援まで推進している。これは事実上、交戦状況を想定したことであるとも言え、北東アジア地域での武力衝突を誘発する火種となるだろう。これら一連の対北朝鮮強硬政策は、集団的自衛権の行使を解禁しようとする動きともつながっている。

 それだけではなく、安倍内閣は「教育の平和憲法」と呼ばれている教育基本法の改悪を強行している。そして、防衛庁を「防衛省」に格上げし、海外派兵を自衛隊の「本来任務」に位置づけ、さらには海外での武力使用の根拠法になる「自衛隊海外派遣関連法」も狙っている。特に、麻生外相と中川自民党政綱会長の「核武装」発言は「被爆国日本」の国民世論にも反するものであり、東北アジアの核軍備競争を呼び起こす危険きわまりない発言である。
一部の政治家の不注意な行動は破滅的結果につながりかねないことを警告しなければならない。

 日本政府と改憲勢力は、朝鮮半島だけではなく、日本国民の安全と東北アジア全体の平和を脅かす動きを即刻中断すべきである。そして安倍内閣と日本の改憲勢力は、平和憲法に立脚し葛藤の平和的解決をめざし努力する「平和国家日本」が、日本と東北アジアの市民の望む日本の姿であることを肝に命じるべきである。

 私たちはこれまでも、日本の平和憲法は東北アジアに平和と人権の共同体を創設するための大切な資産であることを強調してきた。北朝鮮とアメリカの対立によって東北アジアの不安が増している今、東北アジア地域の軍事的緊張を克服し武力衝突を予防するためには、日本平和憲法が提示している「恒久的平和主義」と「国際紛争の解決における戦争の放棄」という理念がきわめて重要なのである。

 北朝鮮核実験によって起こされた北東アジアの危機は、平和憲法がもつ理念の大切さを今一度確認させてくれた。
 韓日両国の市民団体は、今後も日本の平和憲法改悪を阻止するための連帯にとどまらず、核も戦争もない東北アジア共同体をめざし平和憲法の理念を積極的に広げていくことを決議する。

二〇〇六年一一月三日

11・3韓日共同行動韓国委員会

日本側参加・賛同団体(国際法律家協会、GPPAC JAPAN、ピースボート、許すな!憲法改悪・市民連絡会、……(以下略)……


ブッシュはイラクで米本国で敗けている

 十一月七日の米中間選挙でブッシュ与党の共和党は敗北し、上下両院で野党民主党が過半数を制した。今回の選挙の主要なテーマはイラク戦争であり、ブッシュはイラク戦場で苦戦・後退を強いられるとともに、本国でも大敗を喫したのであった。
 ブッシュは、民主党への「宥和」を余儀なくされ、イラク戦争に責任ありとしてラムズフェルド国防長官を「更迭」した。責任を問うならチェイニー副大統領も同様であり、なによりブッシュ自身の罪が最大のものだ。ブッシュ政権のあと二年の任期は苦難の連続となり、ブッシュはアメリカ史の中で「もっともアホで間抜けな大統領」として記録されることになるだろう。
 すでに民主党からはイラクからの早期撤退論も出ており、盟友ブレア・イギリス首相からもイラク政策の見直しなどが聞こえてくる。もう、ブッシュはイラク戦争をこれまでどおりには続けられない。問題はいかに「名誉ある」撤退を準備するかだ。その格好の組織が、超党派で構成される「イラク研究グループ」(ISG)である。この組織の共同座長を務めるのが、「パパ」ブッシュ政権時代の国務長官であったベーカーで、ISGの報告書は年内にも出されるようだ。ラムズフェルドの後任として国防長官になるゲーツもこのメンバーだった(国防長官就任のためISG辞任)。報告書はブッシュ政権の中東政策全体の修正を迫るものともいわれ、ブッシュがこれにどう対応するかが注目されるところである。
 ISGは、イラクからの米軍即時撤退論は否定しているものの、報告の選択肢としては、@米軍増派、A段階的撤退、B治安維持で指導力を振るえないマリキ政権の交代、Cイスラム教シーア、スンニ両派とクルド人に高度な自治を営ませる三分割のイラク連邦化案などがあげられている。非常に幅が広く何が出てきてもおかしくないもののようだが、結局、米軍の段階的撤退しかないだろう。
 その目論見では、イラク治安部隊へ権限を委譲し、撤退することだ。しかし、残されたイラク「政権」は、米軍の後ろ盾を失って消滅する可能性が高い。そうなればまるでかつてのベトナム戦争の時と同じだ。ソ連のアフガニスタン戦争の末期とも似ている。その後は、イラク内戦の激化とイランの影響力拡大、反米闘争の拡大が予想される。それに比例して中東地域でのアメリカの影響力が失われ、イスラエルは国家存亡の危機に直面する。ブッシュが宣言した中東民主化構想、実は豊富な石油と地政学的に決定的な位置を持つイラクをアメリカの影響したにおくことからは正反対の結果だ。ブッシュが、史上もっともアホで間抜けな大統領の称号をいただくゆえんである。そしてこの戦争で殺された民衆の多さを考えると「残虐な」という肩書きもつけくわえなければならないだろう。


北海道人事委員会が、学習指導要領「国旗・国歌」

           
指導条項の法的拘束力を否定!

 今臨時国会で、教育基本法の改悪が審議の山場を迎えているが、去る十月二十日、北海道人事委員会は、二〇〇一年三月の中学校の卒業式で君が代演奏のテープを止めたとして、懲戒戒告処分となった教員の処分取り消しを採決した。
 二〇〇二年七月に処分取り消しを求めて立ち上がった請求者とその支援者たちは、これまで十六回の審理に臨んだが、その過程で「君が代は、明治以降の絶対天皇制のシンボルとして対外的には日本のアジア侵略を正当化し、対内的には国民の精神的自由を抑圧するために重要な役割を果たしてきたもので、その歌詞は天皇の世を賛美するものであるから、日本国憲法、教育基本法の定める平和主義、国民主権主義の原理に反し、これを教育の場に持ち込むことは許されない」ことを、再三再四述べてきた。
 今回の採決に関しては、次の五つのポイントがあった。
 (1)「日の丸・君が代」と平和主義・国民主権、(2)卒業式における「日の丸・君が代」と平和主義・国民主権、(3)卒業式における「日の丸・君が代」と個人の尊重、思想良心の自由、(4)卒業式における「日の丸・君が代」と子どもの権利条約、(5)卒業式における「日の丸・君が代」と教育の自由、国家の不当介入である。
 (1)(2)については、戦後の日本が現憲法をもとに国民主権こ平和主義を採用して現在に至っていることや、「学習指導要領」(社会科)の「国旗・国歌」条項の目的が正当である以上、「国旗・国歌」は、それ自体で違憲とは言えないとして、請求者の主張を退けた。
 また、(3)については、生徒・保護者に「国旗・国歌」を強制する形体ではなかったこと、教職員に関しては、教育公務員として、決定された学校の方針には従う義務があることを理由に、請求者の主張を認めなかった。
 さらに(4)についても、「国旗・国歌」条項の目的や、同条約に子どもの権利条約の意見表明権をどの範囲で認めるか、表明権を欠いて決定された教育課程の効力等に言及していないことをもって、「同条約違反とは解せない」と結論づけた。
 しかし、(5)について同採決は、憲法第二十六条(教育を受ける権利)と教育基本法第十条(教育への不当介入禁止)の趣旨を解説した後、「指導要領の国旗・国歌指導条項は、指導方法の細目を定めたもので、教育の内容や方法の大綱的基準とは認め難く、その法的拘束力は否定せざるを得ない」と断定し、併せて校長の校務掌理権の行使には「重大な瑕疵(誤り)があった」と、明快に断罪した。
 今回の採決は、上記の通り基本的な認識の上で、容認できない部分が多いものの、処分する側の根拠であった「学習指導要領」の「国旗・国歌条項」を、一地方のしかも同じ行政内組織が明確に否定したことは、画期的なことであった。
 この採決内容は、先の九・二一「日の丸・君が代」予防訴訟の東京地裁『国旗・国歌強制違憲判決』、昨年一月の「ココロ裁判」福岡地裁の『君が代斉唱不起立処分一部取り消し』判決に連動したもので、昨今の教育労働運動を取り巻く厳しい状況下にあっては、特筆に価するものである。
 しかしながら、本来であれば、この一連の流れを教育基本法改悪反対闘争と結合させて、大きな奔流とさせるべきにもかかわらず、日教組は言うに及ばず、日教組左派を自認する北海道教組(北教組)も、今回の採決を活かし切っていない。
 北教組は、採決に対する評価の「声明」を出したものの、直後に開催された全道的な教育研究集会で、これら一連の判決・採決を積極的に採り上げて組合員を鼓舞することも、処分撤回を勝ち取った組合員とその支後者を紹介・慰労することもしなかった。
 この度の北海道人事委員会の採決は、組合指導部の指導力の低下は否めないものの、そこに結集する組合員とその家族・支援者等々の総力戦の結果であった。
 教組指導部を「闘争放棄・指導放棄・責任転嫁」と批判しながら、自らも職場で何ら運動を創造することなく、政治主義的に立ち回ることに明け暮れている一部党派を乗り越えて闘った者たちの勝利であった。
 言うまでもなく、学校現場は多忙化の真っ只中にあり、日々様々な攻撃と分断に遭っているが、それへの反発が直接的に管理職や行政に向かわず、子どもや同僚に矛盾のはけ口が向いていることに危機感を持たなければならない。重要なことは、そうした人たちをただ批判したり同調したりするのではなく、鬱積したものを吐露させ、不平や不満の原因を整理していけるような話し合いを不断に持つことである。
 今回も含め、ここ数年の闘いは「日の丸・君が代」が法制化されようとも、校長・教育委員会が難癖をつけて処分しようとも、筋を過して連帯できる全ての勢力を束ねて運動を継続すれば、状況を変えることができることを証明した。
 たとえ教育基本法が改悪され、現場が息苦しくなろうとも、「理」が労働者側にある限り、闘いは終らないのである。 (北海道通信員)


11・1  おおさかユニオンネット・大阪総行動

 十一月一日、秋晴れの大阪市内を駆け巡る「おおさかユニオンネット・大阪総行動」が行われました。
 大阪城にほど近い有名スポーツブランド「SSK本社」に福井工場での中国人労働者を法律無視での虐待改善申し入れ等の団交要求で会社前にて支援の労働者一〇〇名が抗議集会を開催した。
 会社の正面玄関にはプロ野球や大リーグの契約選手のポスターが張ってありこの方々のイメージはこのままの会社の対応でしたらイメージダウンを免れません。
 「SSK」ブランドが野球界から去る日も間じかなと思われる対応でした。

 次には、「大阪トヨタ本社」に乗り込む。
 現在、フイリッピントヨタでは労働者に銃を突き付けての弾圧があり、それに怒ったIMF(国際金属労連)加入の全世界の労働者がTOYOTAへの抗議行動を展開している、日本でも各県段階でトヨタ本社に申し入れ、特に大阪本社は車庫飛ばし等々が大問題となっており、代表団が会社の中に入り交渉を行った。コンプライアンス(法律や社会的な倫理、規範を守って行動する法令遵守という考え方)といいながら自らが守らないトヨタなのです。
  
 最後に「京ガス」の会社整理問題での抗議行動を親会社である靭公園近くのダイダン本社で行う。団体交渉の申し入れにもかかわらず、会社側がピケットラインをはる。だが難なく一〇〇名にも及ぶ支援の労働者で突破。周りの会社の方や住人からも会社はおかしいとの批判の声が上がる中で抗議集会を開催し最後に責任者が玄関まで出てきて申し入れ文書を受け取った。
 おおさかユニオンネットワークをはじめとする労働者のパワーは全開でした。(大阪通信員)


狭山事件・松本サリン事件から  えん罪・差別・報道を考える

 十月八日、狭山事件を考える越智今治の会主催の「狭山事件・松本サリン事件からえん罪・差別・報道を考える」第八回総会記念講演&パネルディスカッションが開かれた。
 石川一雄さん夫妻と再会したのは、「狭山事件を考える越智今治の会」の結成総会以来だから八年ぶりである。
 今回は、今年の五月二十三日に第三次再審請求を高裁に提出し、狭山闘争の再構築をしている最中に開催された。もう一度原点に帰り、なぜ、えん罪事件が生まれたのかを問うた。幸いにも、松本サリン事件で「犯人」にされた河野義行さんの講演等も聞けた。
 石川さんの場合は、お兄さんに疑いがかかった時、お兄さんの身代わりになろうと決心したからであった。当時、石川さん一家の生計をお兄さん一人がまかなっていた。さらに、差別の結果、学校へも行けず、司法の仕組みを知らない石川さんは、当時、警察官(関巡査部長)の「自白をしたら、十年で出してやる」という誘導にひっかかったからであった。
 河野さんの場合は、第一通報者であり、サリンで体調を崩した奥さんの看病をせずに離れたということで犯人扱いされた。また、自宅にあったフィルムを現像するための液体でサリンを作れるのではないかというでっち上げからであった。あげくのはてに、河野さんを取り調べている最中に、自宅にいる息子さんにも「お父さんが犯人かもしれない」といううそをつき、息子さんからも河野さんを犯人扱いさせようとした。
 お二人とも、マスコミの差別性・犯罪性をも言及したが、とりわけ、河野さんの次のような話が、印象に残った。「何もしていない人が何もしていないという証明ができない」ことや「自白をさせる一番の方法はプライド・自尊心を剥ぎ取る」ことであった。
 次のパネルディスカッションでは、えん罪を防ぐために三点の改善が提言された。まず、取り調べの様子をビデオカメラなどで記録すること。次に、取り調べる時間を短縮すること。最後に、代用監獄を廃止すること。
 石川早智子さんはしめくくりの発言。
 「今日、初めて、狭山のことを知って、この会へ参加してくれた人がいたということが一番うれしい。狭山に勝利するためには、一人でも多くの人が狭山について知り、不当性をわかってくれれば、狭山闘争の輪が広がり、必ず勝利することにつながるからです。」
 私自身もこの会に参加するまで、狭山事件は心の奥に閉まっていた。でも、石川さん夫妻や河野さんの講演を聞き、懇親会で身近に接て、何が何でも狭山闘争こそ(部落解放運動での)反権力の闘いと位置付け、勝利の日まで闘うことを誓った。(広島通信員)


書 評

   内橋克人『悪夢のサイクル』


            文藝春秋 \1,500

 日本の社会的格差の拡大は深刻さの度合いを強めている。本書の冒頭に著者は、厚生労働省データより計算した次のような数字をあげている。一九七〇年代、所得階層の上位二〇パーセントの総所得と下位二〇パーセントのそれとを比較したとき、その差は約一〇倍にすぎなかったのが、一九八〇年代後半には二〇倍に、二〇〇〇年代の現在は実に一六八倍にもなっている。
 「OECD ワーキングレポート22」によると、日本の貧困率は二五・三パーセントで先進国だけに絞ればアメリカについで、ワースト2となっている。
 著者は一九九五年に『規制緩和という悪夢』(文藝春秋)という本を出版したが、「当時は、朝日新聞から産経新聞までが、『規制緩和によって生活者主権の日本をつくろう』という大キャンペーンを展開」中だった。そこでは、「このまま、『規制緩和』を始めとする無定見な自由化が、なんの検証もなしにおこなわれれば、戦後日本をささえていた中流社会は分裂し、さまざまな社会不安が生ずる」として以下の「予言」を行っていた。
 「日本の規制緩和運動は、いわば、たいへん危険な劇薬を患者に副作用を全く知らせず投与しようとしているのと同じである。医療の場合であれば、それでも、作用も副作用も一人の患者に限って現われるだろう。一人の患者がプラスとマイナスの効果を得ることができる。しかし、規制緩和の場合問題なのは、プラスの効果が働く場所とマイナスの副作用が現われる場所が違うということである。つまり、権力の決定機構に近い投資家、大手企業グループ(そこに働いている個人ではなく、法人)、都市生活者、といった集団は当面プラスの作用をうける。しかし、日本の中流層をなしていたサラリーマンを含む勤労者、中小企業、地方生活者、年金生活者といった集団は、激流のなかに放り出され、多くの人々が辛酸を嘗めることになるだろう。現在までのところ、日本の規制緩和運動という治療法は、プラスの作用が働くと思われる人々の手によって一方的に決められている」と書いた。そして現在それが現実化してしまっている。
 その原因は、アメリカ発の市場原理主義にもとづく新自由主義・規制緩和政策であり、理論的基礎を提供しているのがミルトン・フリードマンらシガゴ学派であった。
 彼らの主張する政策は次のようなものだ。
 資本自由化政策→外国資本流入によるバブル的好景気→通貨価値の過度の上昇→投機資金の海外逃避による通貨価値の暴落→バブル崩壊→資本の国外移動の規制ないし凍結、物価統制、景気刺激のための財政出動→通貨供給過剰からくるハイパーインフレ→インフレ沈静化のための財政引き締め→不況→外国資本を呼び込み景気を刺激するための資本自由化政策→バブル的好景気……。
 この循環の中で一方には巨大な富があつまり、あとの大多数の人びとは貧困のなかに落とし込まれる。これが、本書のタイトル「悪夢のサイクル」だが、ぼろ儲けをした連中にとっては「夢のサイクル」である。かれら「強者」には、これまでの規制を一切無視して富を蓄積できる「楽園」ができたのである。
 このサイクルが一番猛威を振るったのが中南米であった。第四章では、新自由主義政策から転換したチリと新自由主義を強化することで破綻したアルゼンチンの比較があるが、新自由主義猛威がどのようなものか、そして日本にもどのような選択肢があるのかについて考えるのに参考になる。
 グローバリゼーション・規制緩和は、当然にも民衆の反撃を招くから、この政策を実施するためには強権的な政府が必要だ。クーデターによる軍事独裁政権がアメリカ政府とむすんで多国籍資本に有利な環境をつくる。そして新自由主義の自由化政策(金融緩和、労働規制緩和、保護貿易撤廃)を強行する。その結果が、対外債務危機となって爆発する。アメリカやIMFはいっそうの民営化でこれを乗り切ろうとしたが、事態はより悪化するだけだった。
 だが、苦難と悲劇の中から、中南米には続々と、反米左派政権が生まれることになった。ヴェネズエラ、ブラジル、ウルグアイ、ボリビア、チリ、そしてこの十一月にはニカラグア。そしてアメリカの隣国メキシコでももう一歩で左派政権が誕生するとことまでいった。
 著者は最後に、市場でもない国家でもない第三の道を提案している。
 「人間が市場をつかいこなす道」で、「日本の経済の現場を歩いて話を間いてきた私の立場から言えば、市場というものは否定すべきものではありません。かといって野放しにして良いものでもなく、市民社会的制御のもとに市場メカニズムを置くべきだという議論になるわけです。
 市場至上主義、ITマネーと一緒になって人間を振り回す市場ではなく、市民社会的制御の下に市場メカニズムというものを置き、その市場のメカニズムを人々の幸福を増してゆく方向に利用してゆく。そうすると、あらゆる市場メカニズムが生きてくる。神のごとく完璧な市場が市民社会を支配するという考え方とは逆です」として、@経済成長を続ける限り必ず壁となってくる、エネルギー消費の増大、化石燃料の枯渇と地球環境の悪化を止めること、A経済中心ではなく人間中心の、持続可能な街づくり、B人間的なケアの領域で、金銭のやりとりだけではない、人間同士の関係を深めてゆくケアモデルの確立、をあげている。
 本書は、日本でもこれから本格化する新自由主義の猛威を先取り的に理解し、またこの状況から脱出する道がどこにあるかを考えるには最適のもののひとつであろう。


KODAMA

    
解放運動の再生を!

 部落解放運動の再生はありえるか?
 昨今、解放同盟の不祥事が相次ぎ、イメージダウンは否めない。各地で真相報告集会が開催されている。肝心の中央本部の見解は、解放新聞(二〇〇六年十月九日号)にも掲載されているが、責任の所在や解放運動に対する危機意識が余り伝わってこない。
 劣悪な生活環境・人間らしい生活からの脱出を掲げ、水平社から解放同盟へと発展してきた。そして、運動の成果で特措法がつくられ、被差別部落の生活環境は飛躍的に改善された。この流れは間違っていないと思う。間違いは、生活実態や環境実態の検証を常に行わなければならないのに、それを行政に任せっきりにしたことではないだろうか。行政からの検証に対して、まだこんな実態があることをだけ上げ漫然と続けられてきたのではないか。自分たちで検証をしても、法存続をさせる為の『こんな実態』を強調したものではなかったか。やはり、検証は客観的な目で見ることのできる完全に独立した機関・組織でなされなければならない。問題は、法依存・行政依存の体質であり、自立と自律の姿勢が必要だ。生活改善・環境改善がある程度改善されてきたら、必要なものと不必要な施策の検証を自組織でするべきで、不必要な施策は自ら返上するべきだった。勿論、返上している支部もある様だ。
 行政の責任は、一言でいって主体性のなさだろう。この様な問題が発覚すれば「相手からの強い要望や要求があり漫然とのんでしまった」と何時も理由に上げているが責任転嫁といわれても仕方がない。私たちに要求や要望があれば強く出るのは当たり前で、一方で強い姿勢を見せていて、他方で漫然とのむという理由では言い訳にもならない。
 行政闘争主体の解放運動の見直しが急がれる。法期限切れで、法律の後ろ盾がなくなった今、行政闘争は余りできなくなってくる。特措法の様に期限付きの法律はいつか切れることを前提に、解放運動の組み立てが必要だ。生活改善・環境改善は、被差別部落に対する差別を無くすための一つの手段だ。目的は、あくまで差別を無くすことのはずだ。
 「一人は万人の為に、万人は一人の為に」を合い言葉に『狭山闘争』が取り組まれている。石川一雄さんの無実は、法律を余り知らない私の目から見ても明らかなのにいまだに再審の門は開かれない。『狭山闘争』は、解放運動の原点だと私は思っている。しかし、残念ながら、今年十月三十一日の中央での狭山の取り組みは、屋内での千人規模になった。『狭山闘争』を運動の中心に置き、行政闘争はもっと周りの地域住民を巻き込める様なものがいいのではないかと思う。例えば、アスベスト問題・学校でのいじめ問題などだ。
 そして、現在、与党がもっとも力を入れているのが慧法改正であるが、私は、憲法改悪は絶対反対だ。戦争のできる国家創りが急ピッチで進んでいるが、今回の報道内容も、これらの流れで出てきている様に思う。かつての日本では戦争を始める時、労働組合や運動団体は国家に飲み込まれている経験があった。それと良く似た現象が現在の日本ではないだろうか。戦争は、最大の人権侵害、差別扇動だと思っている私はこの流れに抗していきたい。 (六車)


複眼単眼

   小皇帝然とした石原の子ども観

 
 折しも、教育基本法の国会審議が強行されている時、学校現場ではいじめによる子どもの自殺が相次いでいる。
 文科省に氏名不詳の中学生から十一月十一日を期しての「自殺予告」の手紙が届いた。これについての石原都知事の発言が問題だ。
 石原は一〇日の定例記者会見で「大人の文章だね。あれだけの騒ぎになって、当人は死なないの? 死ぬの?」などと言ったのに続いて、十一日には教育をテーマにした民放TVの生番組で「予告して自殺するばかはいない。きょうはあれ(自殺予告日)だったんじゃないの? あと一時間ね。やるならさっさとやれっていうの」「完全に人騒がせの面白がり。誤解があるといけないけど、あれは中学生の文章じゃない。いじめという深刻な問題にこと借りていたずらする存在は許してはいけない」などと放言したのだ。番組の他の出席者から「そういうことはいわないでいただきたい」とたしなめられたのだが、この石原の傲慢さと、人の命を軽んずる思考は本当に許せないと思った。
 石原の放言癖はこのところますます度を越えている。まるで中世の王様気取りだ。
 石原はこの手紙が良く整った文章なので、中学生のような子どもには書けないのだと、「完全に」否定する。はたしてそうだろうか。筆者は大人が書いた可能性はあえて否定しないが、子どもが書いた可能性も十分にあると思う。
 じつはこの二ヶ月あまりの期間に筆者は二人の中学一年生から別々に憲法についてのインタビューを受けた。昨年末には三人の中学三年生が一緒に憲法の話を聞きに訪ねて来てくれた。これら五人の中学生について言えば、まことに優秀で、いわゆる「礼儀正しい」子どもたちだった。
 先日の中学一年生は最近、こんな礼状をくれた。
 「お礼の手紙が大変遅れてしまいすみませんでした。先日はお忙しい中、取材に応じて下さりどうもありがとうございました。先日の取材では大変わかりやすく、ていねいに応えて下さり、とても参考になりました。はじめて行った対面取材でしたので、不安に思うこともあったのですが、Tさんがきちんとフォローして下さったおかげで、落ち着いて質問することができました。このようなことは初めてだったので、様々な失礼があったと思いますが、その点はお許しください。十一月一日 ○○○○」
 立派な手紙だ。石原はこれも偽手紙だというのだろうか。このようなしっかりした子どもが結構いるのだ。この子は学生服を着て、学帽をかぶった、お人形さんのようにかわいい中学生だった。ノートを出して懸命に私の話を記録をしていた。しかし、事前に憲法の本を何冊か読んできていて、事前調査もしっかりしていた。教師の影響か、親御さんの影響かは知らないが、何も調べないままに取材に来る今時の一部の新聞記者さんには見習ってほしいほどの立派な取材態度だった。
 この一事だけでも石原は都知事失格だ。
 取材を終えて帰るとき、ある子は「Tさんありがとうございました。私のクラスの生徒はみんな憲法九条が大事だと思っています」といって、ぴょこんと頭を下げた。そんなことを言われたので、瞬間、私の目は不覚にもかすんでしまった。こんな子どもたち、一人一人の命がどんなに大事か。万が一でもこうした子たちを死なすようなことがあってはならないと強く思う。 (T)