人民新報 ・ 第1215・6号<統合308・9>(2007年1月1日)
目次
● 改憲阻止・労働法制改悪阻止の闘いを前進させ、安倍超反動内閣を打倒しよう! ( 労働者社会主義同盟中央常任委員会 )
● 臨時国会闘争の成果を基礎に、安倍政権打倒にむけて闘いの前進を!
● 御手洗経団連「経営労働政策委員会報告」 いっそうの労働法制の改悪を要求
● 共謀罪法案成立を阻止・完全廃案へ!
● 声明 / 改憲手続き法、憲法改悪に反対してさらに共同のたたかいを強めよう〜第一六五臨時国会の閉会に際して ( 許すな!憲法改悪・市民連絡会 )
● 米軍と自衛隊を一体化させ、基地負担増の在日米軍再編に反対する
● 12・8憲法行脚の会集会 姜尚中さん 「地方から都市の包囲を」
● 寄稿 / 一九一七年のロシア革命とその今日的意義 ( 北田 大吉 )
● もうだまされない! 「ピンハネ」労働を許すな 偽装請負・派遣労働者の声を聞け!
● レイバーフェスタ2006 多彩な催しで、労働・生活を見直す
● 労働弁護団がパンフレット発行 『長時間労働酷書』
● 労働法国会となる通常国会 労働法制改悪阻止へ!
● けんり総行動実行委員会主催で12.5 東京総行動
● 帝国主義 … 石を持ち上げて自らの脚を撃つ
● KODAMA / 棄民する国が愛国心を強要!
● 複眼単眼 / 歴史の教訓に学べ 劇団「他言無用」の事件
改憲阻止・労働法制改悪阻止の闘いを前進させ、安倍超反動内閣を打倒しよう!
労働者社会主義同盟中央常任委員会
「戦後レジーム(体制)からの脱却」をかかげて登場した安倍内閣は、〇六年臨時国会で、教育基本法改悪法、防衛庁の省昇格法を強行成立させた。安倍は著書『美しい国へ』で「戦後日本の枠組みは、憲法はもちろん、教育方針の根幹である教育基本法まで、占領期につくられたもの」と書いている。安倍の「戦後レジーム」とは憲法・教育基本法によって基礎付けられたものであり、安倍はそれを真っ向から破壊しようというのだ。
安倍は十二月十九日の記者会見で、自民党結党五〇年に際して発表された新憲法草案について、「自由民主党としてはベストな案」であるが「これを基に、与党で、そして野党の方々とも成案を得るべく努力をしていきたい」とし、「私の在任中に何とか憲法の改正を成し遂げたい」「まずは改正手続法である国民投票法案を来年の通常国会において、成立をさせたい」と語った。
安倍は、教育基本法改悪に続いて憲法改悪に向けての決意を語ったのだが、しかし、安倍を取り巻く情勢は安易なものではない。小泉政治の負の遺産が、世界的な力関係の劇的な変化とあいまって、〇七年という年に噴出してくるからである。
いま、ブッシュ政権は極めて困難な立場に追い込まれている。ブッシュは、イラク戦争の開戦の口実として、フセインの大量破壊兵器の保持とアルカイダとの結びつきをあげたが、それらはことごとくデマでしかなかった。国際世論の大きな反対を無視してイラクを攻め、反米抵抗運動が強まる中でようやくカイライ・マリキ政権を設置しては見たったものの、米兵の死傷者は増加の一途をたどり、イラクは宗派・民族間対立の激化で内戦状況を深めている。そして有志連合から脱出する国が相ついだ。アメリカ国内でもブッシュ人気は急落し、イラク戦争を最大のテーマとした先の中間選挙では、与党・共和党は大敗し、上下両院ともに野党・民主党が多数派となった。責任をラムズフェルド国防長官に取らせたブッシュは、イラク政策の転換を余儀なくされている。ブッシュの戦争政策は、世界に反米闘争を激化させている。アメリカの影響力の後退は、中東地域だけではない。アメリカが自身の裏庭と見なしてきた中南米は、グローバリゼーション・新自由主義の最大の被害地域だが、そこではあいついで反米左翼政権が誕生している。アジアでもアメリカの力は相対的に低落を余儀なくされている。この背景には、世界敵規模での経済(生産力)の力関係の変化がある。かつてアメリカは生産と市場、金融で世界の圧倒的なシェアを誇っていた。しかし、いまアメリカは多くの地域で躍進するパワーの前に追い上げられてきている。っアジア地域でも世界全体における力関係の変化と同様な多極化の進展がある。中国、韓国、東南アジア諸国、インドなどの経済力増大、それを背景にした政治的発言権や軍事力の増大がある。このように世界歴史の趨勢はアメリカをはじめとする帝国主義に不利に、人民勢力には有利に変わりつつある。それにもかかわらずブッシュ政権は、覇権主義・強権政治によってこの趨勢を押しとどめようとして先制攻撃戦略による戦争をあちこちで起こした。だが、結局は失敗しつつあり、一段と困難に陥っているのだ。
安倍政権は、戦前回帰の復古主義を掲げながら、一方で小泉政権を受け継ぎ新自由主義と対米追随政策を推進しようとしている。だがここにきて、小泉政治の、またそれ以前の自民党政の負の遺産治が安倍を厳しい状況に立たせ、政権発足から数ヶ月で支持率を急速に低下させている。こうした中で、アメリカは日本に金をだすだけでなく、米軍との共同作戦行動、最前線にたっての行動を要求してきているのである。アメリカからの強力な要求で、集団的自衛権の行使問題は時間的猶予のないものになってきている。
日本帝国主義支配階級は、積極的にこの要求を受け入れ、日米同盟強化の中に、自己の権益の確保・拡大を狙っている。この道は、憲法改悪であり、かつて侵略を経験したアジア諸国からの反発、そして国内の民主主義勢力の反対運動の前進に直面せざるを得ないし、支配階級の内部の矛盾も拡大させずにはおかない。
そして、新自由主義政策は、一握りの日本巨大多国籍企業を肥えふとらせるとともに、社会的格差、人口減、「下流」社会の拡大をもたらした。しかも資本の側は、労働者に対する搾取強化のために労働法制の大改悪をもくろみ、〇七年通常国会での改悪法案の成立を狙っている。そのうえ、自民党自らが作り出し、現在、国家破綻直前とも言える財政赤字を大衆増税と社会福祉などの市民に切実な予算のカットによって「解決」しようとしている。他方、企業や金持ちには最大限の減税をおこなうというのである。
世界は大きく変化しようとしている。この世界の趨勢を日本にも波及させねばならない。われわれは、全世界の人びとの反戦、反帝、反米の闘いと連帯して、二〇〇七年を断固として闘い抜き、この年を労働者・人民運動の前進を切り開く転換の年にしなければならない。
改憲阻止の戦線はこの間大きく拡大した。安倍は自分の任期中に改憲をすると宣言した。だが、無謀な侵略戦争を世界各地で続けるアメリカの戦争の一翼を担うための九条改憲の本質をいっそう暴露し、全国各地のいたるところに反改憲運動のうねりと組織をつくりあげて、草の根の連携した力で改憲策動をうちやぶる展望を現実化しよう。
社会的格差拡大、地方の疲弊・荒廃は、多くの人びとに自民党政治に対する反感・反発の感情・条件を作り出している。これらの人びとと運動の力を団結・結集させていくために先進的労働者はいっそう奮闘しなければならない。
改憲手続き法案を粉砕し、参戦国体制の強化と憲法改悪を阻止しよう! リストラ・失業に反撃し、労働法制改悪を阻止して、労働組合運動の前進をかちとろう! 増税反対、福祉切捨て反対・充実を実現しよう! 自治体議員・首長選挙、参院選で、闘う候補者を勝利させよう! 超反動安倍内閣を打倒しよう!
臨時国会闘争の成果を基礎に、安倍政権打倒にむけて闘いの前進を!
十二月十九日、八十五日間にわたる第百六十五臨時国会が閉幕した。安倍政権として始めてのこの国会では、防衛庁の省昇格法や自衛隊法改悪法が自民、民主、公明の賛成で、そして教育基本法改悪法が自民、公明の賛成で成立させられた。自衛隊の海外活動を「本来任務」化し省に格上げする法律と愛国心強要の新教育基本法は、アメリカに積極的に加担して戦争をする国へ日本の姿を変え、その国に従う心を作り上げるもので、両者あいまって、戦争のできる国づくりのためのものである。まさに安倍の構想する「美しい国」とはどのようなものかをしめすものである。自民党をぶっ壊す」と豪語して欺瞞的な手法で支持を集めた小泉政治は、自民党内の旧田中派を潰して、森(旧福田)派を増殖させるだけのものであり、自民党の体質はいささかも変わらず、替わったのは、タカ派主導のものとなったことに主な目的を置くものだった。そしてこの間、アメリカへの追随政策と大企業本位の新自由主義政策による社会的格差は深刻なものとなり、小泉マジックの効力も薄れた。
安倍政権となってからはタウンミティーングでのやらせの暴露、「造反」議員の復党問題、本間政府税調会長の辞任などなどと事件が連続した。こうしてどの世論調査でも内閣支持率は急速に低下したと報じられ、過半数を割るという数字も出ている。
臨時国会は、教育基本法改悪案、防衛庁省昇格法案だけでなく、改憲のための手続き法案、共謀罪新設法案など悪法案目白押し国会だった。臨時国会冒頭には5・3憲法集会実行委員会は「憲法破壊の暴走政治を許さない!院内集会」をひらき共同して闘う体制をスタートさせた。また、さまざまな法案に反対する運動がそれぞれに進められて来たが、国会終盤には、それらが大合流しての闘争となった。国会を取り巻くヒューマンチェーンはその象徴的なあらわれであり、シュプレヒコールではくりかえし安倍内閣打倒が叫ばれた。こうした中から、継続した共同闘争・統一戦線の必要性が訴えられている。
国会内では、民主、共産、社民、国民新党が野党共闘を組んだ。民主党は、ガセ・メール問題で前原誠司が辞任したが、もし前原体制のままだったら、隠れ自民党員と見られる前原は小泉・安倍と連動して、法案成立に協力したに違いない。だが、政権交代を強調する小沢民主党も、防衛庁省昇格法案に賛成し、改憲手続き法案についても自民党との差は少なくなりつつある。野党共闘はそれなりに効果があったし、民主党の中の少なからぬ議員も反対運動の重要な役割をになった。しかし、民主党の動揺・裏切りを許さないためには、国会外の運動のいっそうの盛り上がりが前提となっている。
臨時国会での運動の経験と成果をいかし、通常国会でも安倍内閣の反動政治と対決する運動を大きく前進させていこう。
御手洗経団連「経営労働政策委員会報告」 いっそうの労働法制の改悪を要求
日本経団連(御手洗冨士夫会長)は十二月十九日、財界の労務方針となる〇七年版経営労働政策委員会報告「イノベーション(革新)を切り拓(ひら)く新たな働き方の推進を」を発表した。 御手洗が会長になってから初めてのものだが、労働法制改悪にむけての志向がきわめてつよいものとなっている。
まず、来春闘については、トヨタをはじめ日本の多国籍企業化した大企業がかつてない儲けを上げているにもかかわらず、来春闘でのベースアップはありえないとしている。
そして中心は、労働法制の規制緩和の要求である。労働時間規制の適用除外制度(「日本版エグゼンプション」)を導入し、その基準・条件などは「労使自治」でやるとして、会社の中に労働基準法はもとより憲法も入れない全くの治外法権としようとしているのだ。
「労働関連の規制改革の推進」ではつぎのようにある。「労働時間にかかわりなく働き、その成果評価による処遇を求めるホワイトカラーが増加しており、その仕事の質・水準が企業の競争力を左右する時代であるが、現行の労働基準法に基づく労働時間規制は、仕事の内容いかんに関わらず基本的に一律的(一日八時間、週四〇時間)であって、企業や働く者のニーズの変化に対応していない」として、「労働時間等規制を適用除外とする制度の導入が検討されているが、これは働く人が生活と調和させつつ、仕事を自律的に裁量して成果を挙げることを目的とする制度である。時間外割増賃金の抑止を意図したものではない」とし「新制度の要件を規定する際には、基本的に企業の労使自治にゆだねるべきである」としている。
しかし、これは資本の全面的な自由を求めるものであり、労働者には不安定雇用と失業を押し付け、儲けは経営者と一部の大株主が吸い取るシステムを強化しようとするものだ。
この報告には御手洗経団連らしさがある。これまでは、一応表面的には、人間らしさが大事だなどという言葉もあったが(たとえば昨年の報告のタイトルは「経営者よ
正しく 強かれ」だった)、それらが消えてきわめて「実務的」な要求書のようなものになっている。
そして、景気回復が家計部門までに波及しているといい、格差も「事由が合理的で、回避可能な格差」ならばよいという姿勢だ。これは大問題になっている社会的格差を解決するどころか、一段の深刻化をもたらすものでしかなく。日本経団連とりわけ御手洗自身がそうした方向を強めているのである。財界はこれまでの薄いベールもかなぐり捨てて、資本の赤裸々な要求を打ち出してきている。
労働者・労働組合の団結と闘争で経団連報告に反撃していこう。
共謀罪法案成立を阻止・完全廃案へ!
政府・与党は、臨時国会の十二月十五日の会期末を四日間延長して、さまざまな悪法をすべて成立させることをねらった。しかし、国会最終日の十二月十九日、与党は衆議院法務委員会で共謀罪新設法案の提案ができず、継続審議となった。
この間の共謀罪新設法案反対闘争では、その法案の危険性が明らかになるにつれて反対運動は広がり、国会前の抗議行動も一段と高まっていった。共謀罪の本質を鋭く突く一部マスコミの動きもあり、日弁連も共謀罪新設の口実にされた世界各国の状況の調査を行い、とりわけアメリカでも国際犯罪に関する条約の批准がそのまま共謀罪親切になっていないことを強調して政府側の説明の欺瞞性を暴露した。こうした状況で野党もまた一段と反対の立場を強めて国会活動を展開し、共謀罪反対闘争は教育基本法改悪をはじめ安倍内閣のさまざまな攻撃と闘う運動と連帯し、これらすべての力が合流して、ついに臨時国会での共謀罪審議入りを阻止した。これで共謀罪新設法案は、二度の廃案、十回目の継続審議となった。
にもかかわらず政府・与党はあきらめずに、来年一月からの通常国会での成立を狙ってくる。しかし、〇七年夏には参院選があり、その前の四月には都をはじめ首長・地方議会選挙がいっせいに行われる。安倍がこの臨時国会で悪法をすべて成立させようとしてあせっていたのは、国政選挙のある年には政府が何をやっているのか、何を狙っているのかに多くの人びとの注目が集まるから、かれら自身も簡単には大衆的には受け入れられないと思っている法案はできれば審議しないほうが有利だと思っているのだ。共謀罪法案は安倍内閣にとってアキレス腱になった。
共謀罪廃案に向けて、更に大きな運動をつくりあげよう。
声 明
改憲手続き法、憲法改悪に反対してさらに共同のたたかいを強めよう〜第一六五臨時国会の閉会に際して
任期中の改憲を標榜する安倍内閣の下での初の国会である第一六五臨時国会が終わった。この国会では与党が重視したいくつかの法案のうち、「共謀罪新設法」案と「改憲手続き法」案は院内外のさまざまな闘いによって採決を強行することはできず、継続審議となった。しかし、防衛庁の権限を拡大し、自衛隊の海外派兵を本務化する「防衛省昇格法」と、日本国憲法と表裏一体をなすと言われてきた「教育基本法の改悪」が強行成立させられた。海上自衛隊のアフガン戦線派兵と航空自衛隊のイラク戦線派兵も期間延長された。不戦非武装をうたう九条を持つ日本国憲法公布六〇周年にあたるこの国会で、この国は「戦争のできる国」に向かって、また一歩大きく歩みを進めたのだ。
私たち市民連絡会は微力ではあったが、全国各地の志を同じくする多くの人びとと共に、この危険な戦争への流れに対して力いっぱい抵抗し、たたかった。とりわけ教育基本法の改悪に反対する「ヒューマン・チェーン」はかつてない規模の運動を国会前で展開し、全国各地でも多くの人々がこれに呼応した。今後の「改悪教育基本法」の具体化に際しては憲法の基本的人権をはじめとする諸原則を対置し、あきらめることなく毅然としてたたかいぬく決意でいる。教育基本法の改悪によって、まさに平和憲法の「外堀」が埋められた感はあるが、私たちのたたかいは終わっていない。それどころか、私たちはこの間の闘いの中でより拡がり、成長した市民たちの共同の力をもって、九条改憲阻止をめざして、さらにたたかいぬく決意を固めている。
〇七年の一六六通常国会では、「改憲手続き法」案に反対するたたかいはいよいよ正念場を迎える。「共謀罪新設」の動きは予断を許さない。「米軍再編関連法」案も出てくる。「海外派兵恒久法」案の動きや「集団的自衛権行使の容認」の動きも強まるにちがいない。この時期、イラク開戦からまる四年の三月を迎える。平和のためにゆるがせにできない課題が山積している。
「改憲手続き法」は一六五国会の最終局面で自公民などの賛成で継続審議が決められ、自民・民主両党は双方の「修正案」要綱を憲法調査特別委員会に報告した。自民党の船田元筆頭理事は「両案の隔たりはごく僅か、次期国会では衆院で議決、参院で結論が出るようにしたい」といい、民主党の枝野幸男憲法調査会長は「憲法記念日までの成立に期待する」と述べた。しかし、これらの修正案では集団的自衛権の行使とグローバルな規模で日米軍事共同作戦が展開をめざし、憲法九条の改悪をねらった与党の改憲手続き法案のねらいは変わっていない。それどころか、国会の審議経過をみても、同法案が抱える危険性はますます暴露されつつある。これらの問題点の徹底審議をしないままに、次期国会で与党の党利党略で法案を強行することは断じて許されないし、野党第一党の民主党がこれに協力するようなことは絶対に許されない。
私たちは改憲阻止の運動の全国的連携をいっそう強化し、改憲手続き法案のねらいを暴露し、廃案を求めてたたかう。憲法施行六〇周年の〇七年五月三日を全国的な、共同した改憲反対の大規模なキャンペーンとするために奮闘する。その過程で、「九条の会」など九条改憲阻止で共同する市民のネットワークを全国津々浦々の草の根につくりだし、発展させるため奮闘する。〇七年の統一自治体選挙や国政選挙で、改憲反対、九条改憲反対の候補を勝利させるために協力し、たたかう。アジア、世界の人々ともに不戦・九条擁護の国際的な運動の連帯をつくり出すために奮闘する。
共同して、壮大な九条改憲阻止の流れをつくり出し、安倍政権がすすめる戦争への道を絶対に阻止しよう。
二〇〇六年一二月一九日
許すな!憲法改悪・市民連絡会
米軍と自衛隊を一体化させ、基地負担増の在日米軍再編に反対する
十二月十五日、防衛庁の省昇格関連法は、参院本会議で、自民、民主、公明などの賛成多数で可決・成立させられた。この法律は、内閣府の外局としての防衛庁を省として独立させるとともに、「付随的任務」だった自衛隊の海外派兵を「本来任務」に格上げするものである。
政府は来年一月九日に防衛省を発足させる方針で、久間章生防衛庁長官が初代防衛相に就任するとしている。
十二月十九日には、防衛庁は、財務省に来年度予算案を要求したと発表した。在日米軍再編経費としては総額七二億四〇〇〇万円で、そのうち日本国内の基地移設にかかわる新交付金制度を五〇億五〇〇〇万円としている。この早期の公表は、反対運動を懐柔し基地受け入れ予定の市町村を金の力で買収しようという意図がミエミエであり、新交付金については、「住民の生活の安定に及ぼす影響」が増える「防衛施設」の「周辺市町村」に交付し、「住民の生活の利便性の向上、産業の振興に寄与する事業」としている。沖縄の普天間飛行場移設関連の要求では、@環境影響アセスメント調査費など一〇億円、A海兵隊グアム移転アセスメント調査費三億円、嘉手納飛行場以南の土地返還の調査費一億九〇〇〇万円。また神奈川県の厚木基地から山口県の岩国基地への空母艦載機部隊移駐調査費一億四〇〇〇万円、神奈川県の相模総合補給廠の一部返還などの調査費一億円などとなっている。
安倍内閣は、日本を米軍の世界的な規模での展開の中に位置づけ、集団的自衛権の行使で自衛隊を米軍の一翼を担って血を流す戦闘部隊にしようとしている。
しかしすでに米軍のイラク戦場での敗北は明らかであり、アフガニスタンでは米軍に替わった英軍が死傷者を増大させている。ブッシュ政権が引き起こした戦争では、多くの国が当初アメリカについて参戦したものの、その後、国内の政権交代をともないつつ、撤退しているのである。そもそも米軍再編というものが、相対的に力の落ちた米軍の変わりに「同盟」国の金と血を利用するという面を持つものだ。こうした世界的な状況があるにもかかわらず、日本政府は、それに逆行してブッシュ政権の不法・無謀な侵略戦争により積極的に加担しようとしているのだ。
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十二月四日、防衛庁正門前で「海外派兵のための防衛省なんかいらない!一二・四行動」が行われた。午後六時半からは、「辺野古への新基地建設を許さない実行委員会」による定例の毎月第一月曜の日今年最後の防衛庁・防衛施設庁行動をともに闘いった。
それにひきつづいて「新しい反安保行動をつくる実行委員会」による抗議集会の行動がおこなわれた。
抗議行動では、防衛省法案反対、米軍再編反対、沖縄辺野古新基地建設阻止などのシュプレヒコールをあげ、各団体からのアピールがつづき、最後に、安倍首相、久間防衛庁長官宛に「海外派兵を本務化する防衛庁『省』昇格法案の撤回を求める要請書」(別掲)を防衛庁の職員に手渡した。
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内閣総理人臣
安倍晋三様
防衛庁長官
久間章生様
海外派兵を本務化する防衛庁「省」昇格法案の撤回を求める要請書
貴職らは、今国会で、防衛庁「省」昇格法案を可決成立させようとし、十一月三十日、衆議院を通過させた。
私達は、こうした動きに対して、断固として抗議し、撤回を求める。
この法案は、内閣府の外局である防衛庁を防衛省に格上げするものだが、名称や権限の変更に留まるものではない。その最大の眼目は、憲法違反である海外派兵を自衛隊の本来任務に格上げするものだ。それも、テロ対策特別措置法やイラク人道復興支援特別措置法に基づく作戦をも「本来任務」にするという。
これらの特別措置法の根拠とされた、アフガン戦争やイラク戦争は、報復戦争であり、侵略戦争であり、国際法に違反する先制攻撃から始まった。如何なる大義名分を掲げようとも、開戦を世界各国に呼びかけ、戦端を切った米国に大義がなかったことは、今や明白である。両国共に傀儡政権ができたものの、治安維持もままならず、イラクでは、もはや内戦と断じざるをえない状況にある。
米国ブッシュ政権は、「テロ撲滅」を掲げてきたが、却って、殺戮と混乱を激化させ、民衆の生活をいっそう苦境に追い込んでいる。そればかりか戦乱は各地に飛び火し、世界は不安定に向かっている。
米国に追随してきた貴職らは、こうした現実を全く直視せず、「イラク人道復興支援」と称しているが、現に航空自衛隊がイラク現地でやっていることは、米軍等の掃討作戦を支援するだけであり、アラビア海・インド洋での海上自衛隊による補給作戦もほぼ同様であろう。このどこが「国際平和協力活動」なのか、余りにもデタラメだ。
この法案は、この間の有事体制をつくりだしてきた「実績」に立ち、「米軍再編」と連動している。「米軍再編」とは、米国がグローバルに強行している対「テロ」戦争の為の全世界的な軍事・政治再編の一環である。それは自衛隊を米軍の指揮下に組み込み、兵粘任務から攻撃部隊へと転換させていく。そして政府・自治体相挨って、国民・市民を戦争動員していくのだ。
また貴職らが推し進めてきたアフガン戦争への軍事加担以降の一連の事態は、日米安保条約(「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与」)からも明かに逸脱している。日米両国は、それを承知のうえで「米軍再編」を推し進めており、「集団的自衛権」の行使に当然の如く踏み込んでいる。「ミサイル防衛」という名のシステマチックな先制攻撃戦略も集団的自衛権の行使にほかならない。また、日米共同作戦による「ミサイル防衛」は、日米軍事秘密一般保全協定の締結を不可欠とする。
さらに防衛庁は、省への格上げを通して、「緊急事態対処の体制を充実・強化」するとも言っている。また、「テロ対策」を名目として、防衛省・自衛隊主導で国家公安委員会(警察)を配下に置き、迅速に強硬にやろうとするものであり、「テロ対処」「領域警備」「治安出動」「防衛出動」の隙間をなくし、自衛隊や米軍が市民生活の中を閑歩しうる体制をさらに整備することになるだろう。
これでは私達の安全は脅かされ、人権は侵害されるばかりだ。
こうみてくれば、この法案は、教育基本法の改悪と並んで明文改憲のための先取りである。
私達は、貴職らに、防衛庁「省」昇格法案の撤回(廃案)を求める。さらに以下、要請する。
◆自衛隊を海外活動から即時撤兵させること。海外派兵恒久化法案を断念すること。
◆「米軍再編」を撤回すること。同関連法案を断念すること。
◆日米軍事秘密一般協定の締結を断念し、軍事機密を一掃すること。
◆集団的自衛権の行使に当たる作戦・演習の一切をとりやめること。その解釈の見直しをやめること。
◆戦時・有事関連法を廃止し、有事体制を一掃すること。
◆改憲(新憲法の制定)の動きを一切やめること。
新しい反安保行動をつくる実行委員会(10期)
12・8憲法行脚の会集会
姜尚中さん 「地方から都市の包囲を」
十二月八日、総評会館で「憲法行脚の会」主催の講演会「安部晋三とナショナリズム〜開戦責任を問う〜」が開かれた。
開会挨拶は、行脚の会呼びかけ人の土井たか子さん。
今、自民党はブッシュ政権の戦争政策に加担するとともに、憲法の全面改悪にでてきている。前文と九条がターゲットだ。それにあわせて教育基本法の改悪、防衛庁の省昇格、海外派兵の自衛隊活動の本務化、改憲手続き法案などなどの悪法を今国会で成立させようとしている。しかし、アメリカの中間選挙ではブッシュ与党の共和党は大敗北した。これは米国民のイラク戦争への批判のあらわれだ。改憲の動きもけっして強いわけではない。今日の集会を、改憲に反対するという決意を新たにする12・8にしよう。
講演は姜尚中さん。
安倍という人は無邪気で危険な人だ。しかし、それを支持する人は五〇%近くいて、ここに集まっている私たちのような人間はマイノリティーだ。しかし、加藤周一さんも言うように、今日の少数派は明日の多数派になり、今日の多数派も少数派に転落する。そのために情と理を尽くしていけば何かの変化が生まれるのだ。しかし、今の日本は、戦後第二の逆コースの中にある。一回目は一九四八年で、東西冷戦とその中での日米同盟・安保条約締結に向かった時代だ。冷戦のおかげで日本は経済的に有利な立場に立った。しかし、冷戦が終わり、第二の逆コースとなった。これは第一のものの完成でもある。
今度のものは、長い間、隠花植物のような存在であった人びとが、政治、経済、社会、文化のど真ん中にいるようになったということだ。こうしたパワーエリートとなった戦後第三世代の人たちは、戦前、戦争、戦後の辛酸をしらない。そしていま国家が国民の面倒を見なくなってきている。故郷(フルサト)は荒廃し、五五年体制を支えてきた草の根保守の人たちも「もう生きていけない」という状況が作られている。どの地方も悲鳴をあげている。こうしたことは東京にいる限りキャッチできない。地方の保守基盤は弱体化されているのだが、小泉が選挙で勝ったのには理由がある。それは、都市型マスメディア利用の国家主義キャンペーンで、対象は都市の浮遊層だ。そこに情動的に訴えたのだ。郵政選挙で自民党に投票したり、靖国神社で小泉を携帯写真を撮るようなこの層を変えない限り日本の政治は変わらないだろう。しかしかれらは自分の墓堀人を支持したのであり、非常に倒錯した姿がある。日本では自殺者が激増していま三万人ほどだが、自殺する人の大多数は多重債務者だ。自殺を考えた人はその一〇倍以上はいるだろう。こうしたことは社会の分断状況を物語るものだが、統合のためにナショナリズムが使われている。今はプレ・ファシズム状況にある。
安倍のお爺さんは岸信介で、その思想的バックボーンは大川周明のアジア主義であり、北一輝の国家社会主義で、彼は「国家あっての国民」であり、その逆ではなかった。岸は満州で国家統制の雛形をつくり、それを戦時日本に持ち込み、また戦後日本を形作ったのだ。安倍にはその隔世遺伝がある。しかし、地方で保守の基盤が変わりつつある。まさに地方、農村から都市を包囲することが必要だ。もう一方で国境を超えた交流の条件もできつつある。「敵対関係のない隣人関係のアジアを!」が求められ、私はそれを東北アジアのコモンハウスと言っている。北朝鮮の問題は非常にデリケートで、何度も煮え湯を飲まされてきたし、状況も良くわからないが、存在しているものとは交渉しなければならない。問題を解決するためにはヒートアップではなく、冷静さが必要だ。
姜尚中さんの講演につづいて、佐高信さんの司会で、姜尚中さんと香山リ力さんの対談が行われた。
寄 稿
一九一七年のロシア革命とその今日的意義
北田 大吉
今年は一九一七年のロシア革命の九〇年目
今年(二〇〇七年)は、一九一七年のロシア革命から数えてちょうど九〇年目にあたります。一七八九年のフランス革命が近代を拓くきっかけとなったように、ロシア革命は現代を切り開く重要な節目となりました。現在でも世界のいたるところで「パリ祭」がおこなわれていますが、それと同じ以上に「ペトログラード祭」がおこなわれても不思議はありません。
ロシア革命は、特殊ロシア的な現象として起きたものではなく、普遍的なもの、世界史的意義をもったものでありますので、狭い意味でのロシア的現象として捉えられるべきではありません。各国の共産党の評価のなかでは、「十月」が特別の歴史的意義をもつものとして、フランス革命と同じように「大革命」とか、「社会主義革命」とか呼ばれ、同じ年の「二月革命」と区別されてきましたが、各国の共産党にとっては、「二月革命」は所詮、「大十月社会主義革命」のプロローグとしてしか評価されてきませんでした。しかし同じ年の、しかも、わずか八ヶ月のちに連続して起った二つの革命をこのように切り離して理解することが果たして正しいといえるでしょうか。その意味で、「二月革命」は「十月革命」のたんなるプロローグではなく、同一の革命の二つの段階として理解すべきではないかと思います。
「十月革命」に必ずつけられていた「社会主義」という言葉が消えてなくなったのは、ある意味で自然なことかもしれません。よかれあしかれ「社会主義」は消えてなくなってしまったからです。これはレーニンも認めていたことですが、「十月革命」後のソ連社会は、お世辞にも「社会主義」ではありませんでした。しかし、「社会主義」をめざしたことは間違いがないのだから、「社会主義」といってもよかったのではないか、というご意見がないわけではありません。
それでは「十月革命」のなかには、「社会主義」的性格のものがまったくなかったのかといわれれば、そんなことはありません。それは、やがて追々、明らかにするつもりです。
二月革命勃発
ロシア革命については、実に多くの「歴史」があります。第一に革命を遂行した当事者が書いた「歴史」があります。たとえば、ジノヴィエフの『ロシア共産党史』やスターリンの『ソ連共産党(ボ)史』などもそうです。しかし、こうした「歴史」は、客観的・科学的歴史というよりは一種の政治的文書といったほうがよいものが多い。それはちょうど『古事記』や『日本書紀』が、まさに天皇制の正統性を主張するための政治的文書であったのと同様です。
しかし、まさに革命のさなかに書かれたものでも、科学的「歴史」の名にはじないものもあります。ジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』(岩波書店、一九五七年)などがそうです。リードはジャーナリストとしてロシアにはいり、十月革命におけるボリシェヴィキの蜂起をペトログラードで目の当たりにしました。『世界をゆるがせた十日間』はそのときの貴重な体験をもとに書かれたルポルタージュです。
二月革命が民衆の自然発生的暴動として起ったことは、周知のことですが、十月革命についてやはり自然発生的に起ったのではないかとみられます。少なくともボリシェヴィキがなにからなにまでお膳立てをしておこなわれたものではないことははっきりしています。確かに首都ペトログラードのソヴェトのなかに、ボリシェヴィキの影響力の強い軍事革命委員会ができて、それが蜂起の準備をしたことは認められます。
三七〇年間も続いた帝政は、二月革命で、ほとんど抵抗を受けることなく崩壊しました。折りしも第一次世界大戦のさなかでした。民衆の暴動のきっかけは、ペトログラード市内のパンの供給が途絶えたことでした。民衆の暴動は、二〇〇万都市であるペトログラードのほとんどの工場に拡がり、何十万という人びとがストやデモに参加しました。皇帝は「暴動を阻止せよ」との命令を発し、その結果、労働者のデモ隊と憲兵が衝突しました。
二月革命の成功を決定的にしたのは、八〇%が農民出身の兵士とバルト艦隊の水兵たちでした。かれらはこれ以上戦争を続けることを望みませんでしたし、続けることもできませんでした。
ニコライ二世の勅令によって、ドゥーマ(帝政国会)は、一九一七年二月二六日に解散していました。しかしドゥーマ内の各政党の領袖たちは、タヴリーダ宮殿に居残り、ひっきりなしに会合を続けていました。タヴリーダ宮殿では、ペトログラード・ソヴェトの会議も開かれていました。ソヴェトは一九〇五年の革命のときに同じペトログラードの地で自然発生した労働者・兵士の人民評議会です。二月二七日にここで「進歩的ブロック」の政治家たちが参加してドゥーマ臨時委員会が創設されました。数日後、この委員会はペトログラード・ソヴェトとの合意に基づいて臨時政府に改組されました。首相に選ばれたのは、カデット寄りのドゥーマ議員であるゲオルギー・リヴォフ侯で、社会主義陣営からはエスエル党のケレンスキーが法相として入閣しました。こうしてまず首都で、まもなく国全体に「臨時政府」とソヴェトという二重権力状態が生まれました。
一九一七年の一月から二月にかけて首都全体をまきこんだストライキは、二月二三日にいたって新しい段階に入りました。警察の発表によれば、この日ペトログラードでは、総勢一二万人の労働者を抱える五〇の工場が操業を停止、ストライキは政治的なデモへ移行しました。デモや集会には「帝政を打倒せよ!」「平和を!」などのスローガンが登場しました。
二月二六日の朝にはすでに一万人の兵士が民衆側につきました。その数は夕方までに七万人近くに達し、二七日の夕方には、政府が確保しているのは冬宮と冬宮に接する狭い地域だけとなりました。
一九一七年三月二日、ついにロマノフ王朝は終焉のときを迎えました。明らかなことが一つありました。ロシアは革命勢力が支配している、という事実です。
二重権力の時代
二月革命がブルジョア民主主義革命の性質を帯びているとみることは正しいのですが、このあとロシアではなぜブルジョア的発展を続けることができなかったかということが問題です。ロシアは帝政のもとで数十年にわたりブルジョア的発展の道を歩んできましたが、帝制が崩壊したということは、資本主義の発展にとってさらに有利な展望が開けたことになるはずです。
レーニンは「四月テーゼ」のなかで、革命の性格を再定義して、革命は権力をブルジョアジーに与えた第一段階から、労働者・貧農に権力を渡す第二段階へ移行しつつあると述べています。しかし労働者や貧農が革命の主体であるからといって、この革命のブルジョア民主主義的な性格は変わりません。目的は議会共和国ではなく、「下から成長してくる全土の労働者・雇農・農民代表ソヴェトの共和国」を打ち立てることです。
二月革命から生まれた二重支配は偶然にできあがったものでした。二つの公的機関がたがいに譲らず競合していました。一つは帝国政府の合法的な後継者で国外でもロシアの合法政府として承認されている臨時政府であり、もう一つは自然発生的につくりだされ、それゆえ革命的な労働者代議員ソヴェトです。
政治的観点からいうと、二月革命によってロシアは世界で最も自由で民主化の進んだ共和国の一つになりました。だが、大衆にとっては経済問題、ならびに負担の重い悪評判の戦争にかんがみ、ことさら重大な平和問題は実際のところ解決をみませんでした。一方の側は憲法制定会議の開催まで待てというし、他方はあれやこれやの口実をつけてだらだらと長引かせていました。戦争か和平かをめぐっては、たとえば、三国協商の同盟者にたいする忠誠だとか、ドイツとの単独講和は可能かそれとも受け入れ難いか、帝国主義の戦争を内戦へ転化することは得策か、などという問題が前面にでてなかなか本格的な議論にまではいれませんでした。
「パンと平和!」こそ民衆の切実なスローガン
一九一七年のはじめ頃には、前線のロシア軍は弱体化はしていましたが、まだ抵抗する力はありました。しかし、夏になると兵士のあいだで集団的な命令拒否が起きはじめました。即時停戦という考えが拡がってきました。犠牲者の数は誰にもわかりませんでしたが、民衆は犠牲の大きさを感じ取っていました。民衆の生活感覚から遊離してしまった権力者は窮地に陥りました。ロシアで決定的な意義をもっていたのは、もはや同盟国にたいする義理だとか、敵国への憎悪などではありませんでした。民衆は、戦死者、負傷者、捕虜、傷病者あわせて八三七万人という犠牲者の厖大な規模と無意味さを本能的に嗅ぎ取っていました。
二月革命から十月革命にかけてのあいだに、労働者階級の情況が悪化の一途をたどったとするのは誤りです。労働者は経済的成果は獲得していました。一九一七年の三月から六月にかけて、労働者の賃金は五〇%以上あがりました。臨時政府は労働者と資本家のあいだで第三勢力の役割を果たしていました。
労働者の立場は経済危機によって悪化したという見方もあります。臨時政府の重鎮ミリュコーフは、経済的破綻の主な原因は、プロレタリアートの過激な行動と国益拒否の態度、「労働者管理」にあったと主張しています。しかし、ジョン・リードは「経済破綻とは、反革命キャンペーンの一環」とする有力な経営者たちの談話を紹介しています。
労働者が二月革命で獲得した成果は、経済の悪化で、すべて水泡に帰していました。産業の中心地での食糧供給はいちだんと低下していました。国内に穀物はあったのですが、政府は都市部への輸送を組織できなかったのです。八月から一〇月までに届いた穀物は基準のわずか三五.八%にすぎませんでした。
ペトログラード蜂起はじまる
一九一七年一〇月に、レーニンは変装してペトログラードに帰り、党中央委員会に出席しました。カーメネフとジノヴィエフだけは頑として聞きませんでしたが、レーニンの説得により、中央委員会は直ちに権力を奪取する準備をはじめることを決定しました。準備を直接に担当したのはペトログラード・ソヴェト執行委員会内に設けられた革命軍事委員会です。トロツキーはボリシェヴィキではなく、メジライオンツィ(地区連合派)という中間派に属していましたが、夏にペトログラードに戻ってからはボリシェヴィキになり、チヘイゼに代ってペトログラード・ソヴェトの議長になっていました。トロツキーは作戦計画を練るにあたって指導的な役割を果たしました。一〇月二五日、工場労働者を主力とした赤衛隊が市の中枢部を占拠し冬宮へと進軍しました。
ペトログラード・ソヴェト大会は、臨時政府の解散と権力のソヴェトへの移行とを宣言しました。
モスクワはともかく、ペトログラードの蜂起は、ほとんど流血をみることなく、あっけないほど簡単に勝利しました。市民たちのなかには、この世界史的出来事にまったく気づくことなく夜をすごした人びとも多くいたようです。
民衆にたいする影響力の増大の反映として、ボリシェヴィキの党員数は急増しました。二月はじめに一万四〇〇〇人から四月末にはすでに約八万人、七月半ばには二四万人、一〇月はじめには約四〇万人になりました。また六月の第一回全ロシア・ソヴェト大会に向けた選挙でのボリシェヴィキ党の獲得議席数は一〇%をわずかに上回る程度で、メンシェヴィキとエスエルが優勢を占めていた指導機関に代表をだすこともできませんでした。ところが八月末には、ボリシェヴィキ党はペトログラード、モスクワその他国内の主要工業都市の各ソヴェトを管理下に収めていました。また陸海軍においてもボリシェヴィキの影響力は大きくなっていました。
臨時政府を打倒したソヴェト大会は直ちに二つの布告をだしましたが、その一つは「平和に関する布告」であり、もう一つは「土地に関する布告」です。
臨時政府の重鎮ミリュコーフは後年、戦争が革命の重要な原因であったと述べています。「帝政は自己自身の破局をはやめ、それによってロシア自体の破局もはやめてしまった。国内の敵と国外の敵にたいし同時に戦いを進めることの不可能を無視したのであった」というわけです。
「パンと平和」のスローガンに象徴されるように、人民は戦争にうんざりしていました。前線でも銃後でも、人民は一刻も早く戦争を終えることを望んでいました。人民のこうした要求にメンシェヴィキもエスエルも応えようとしませんでした。ボリシェヴィキの一部にさえ、「革命戦争」の遂行を主張する者がおりました。ソヴェト大会は、こうした人民の要求に「平和の布告」で応えたのでした。
もう一つは「土地に関する布告」です。これは元来エスエルの要求でした。ボリシェヴィキは土地の社会化を要求していましたから、いわば土地の私有を要求する政策にはなじまなかったはずです。
エスエル党の指導者チェルノーフは、一九一七年四月に、こう書いています。
「以前われわれは『土地と自由』というスローガンをもつ大衆団体になかに農業問題の解決がある、とみていた。そうすることで、この運動がもつ醜く敵対的な一面と妥協していたのである。しかし、その妥協は今はもうできない。『農業問題の解決は憲法制定会議を通して』というわれわれのスローガンは、無理のない組織の基礎の上に立っている」と。
確かにボリシェヴィキの政策は土地の社会化です。しかし土地にたいする農民の要求は執拗です。この農民のエネルギーを引き出し組織すること、そして農民が地主を収奪して土地を手に入れたのちに、ゆっくりと時間をかけて農民の自発的意思による土地の社会化を実現することが肝要だと思います。
しかし当面の農業問題は「可能なかぎり多くの穀物生産を確保する」ことにありました。エスエルは「憲法制定会議の開催まで待て」といって農民の土地要求の実現を引き延ばしていました。とするならばなおさら、ボリシェヴィキは農民の土地要求を組織して農民を味方に引きこまなければなりません。ボリシェヴィキがそうしなかったのは、社会主義とは私有財産に反対し、商品生産に反対するものという先入見があったせいだとみている者が多いと思います。
レーニンはけっして一国社会主義者ではなかった
マルクスやエンゲルスが考えていた社会主義革命は、少なくともいくつかのヨーロッパ先進国において、ほぼ同時に、勃発するというものでした。このことは、カウツキーやローザ・ルクセンブルクだけでなく、レーニンも含めてすべてのマルクス主義者のコンセンサスとなっていました。
しかしレーニンは、帝国主義の時代の世界革命は、必ずしもヨーロッパがきっかけとならなくても、つまり、ロシアのような資本主義の発展の遅れた国でも帝国主義の弱い環とであるという理由で、世界革命のきっかけとなることができると考えていました。実は、一国で社会主義が勝利する可能性について述べたのはレーニンが初めてではありません。すでに一八八〇年にドイツの社会民主主義者ゲオルク・フォルマルがチューリヒで『孤立した社会主義国家』を上梓しています。フォルマルによると、社会主義は必ずしも文明社会あるいは経済先進国で政権につかねばならないわけではなく、どこか一国のみが社会主義的構造を有する場合も大いにありうるというものです。フォルマルは、この孤立した社会主義国においては、私有財産や商品生産の廃止も性急におこなってはならないというのです。
レーニンは、ロシアのような資本主義発展の遅れた国で世界革命が勃発する可能性、いや具体的に分析すれば必然性を認識していましたが、それはいくつかのヨーロッパ諸国で世界革命が発展するための起爆剤としてロシア革命の必然性を考えていたのであって、他の国で革命がおこらなくてもロシア一国だけで社会主義の建設ができると考えていたわけではありません。いくつかのヨーロッパ諸国での革命を前提しにしてはじめて、ロシアの社会主義が維持・存続できるというのがレーニンの考えでした。
メンシェヴィキや「統一」というメンシェヴィキに近いグループに属していたプレハーノフなどは、ロシアにおける社会主義革命には反対でした。かれらにとっては二月革命だけでなく十月革命もまた、ブルジョア民主主義革命であって、その主体はブルジョアジーでプロレタリアートではないと考えられたのです。レーニンも十月革命がブルジョア民主主義革命の性格をもたざるを得ないことは承知していました。しかし、ロシアのブルジョアジーは強力ではなく、とてもこの革命を主導するだけの力量をもっていません。したがってプロレタリアートはブルジョアジーのイニシアティヴをあてにして手をつかねていることはできないと考えたのです。この革命のイニシアティヴをプロレタリアートがとることによって、この革命はブルジョア民主主義革命として開始されながら、急速に社会主義革命に転化すると考えたのです。
内戦と帝国主義の干渉戦争に抗して
比較的容易にソヴェト政権が樹立されたペトログラードとは違って、モスクワでは何日かの流血戦を経てやっとソヴェト政権が勝利しました。ドン軍管区のカレージン将軍はソヴェト政権の承認を拒否しました。しかし彼の抵抗は長くは続きませんでした。一九一八年一月二九日に全権を返上したカレージンは、その日、ピストル自殺しました。このような抵抗を打ち砕きながら、ソヴェト権力はわずか三ヶ月でバルト海沿岸地方から沿海州、アルハンゲリスク県からクバンやクリミヤ、ウラルからカスピ海にいたるロシアの大部分に拡大していきました。
兵士たちは、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、トルコ三国とのあいだで一二月二日に結ばれたブレスト・リトフスク講和条約を全戦線で歓迎しました。これが自然発生的復員のきっかけになりました。古い軍事機構は崩壊しましたが、まだ崩壊に至らない部隊では、権力は兵士委員会やソヴェト政府のコミッサールに移りました。
ソヴェト政権の確立によってボリシェヴィキ勢力は目にみえて強化されました。一一月に独立した左派エスエル党がボリシェヴィキと連立しました。鉄道労働組合や全ロシア執行員会など一部労組ややボリシェヴィキ党内のカーメネフ、カリーニン、ノギーンなど中心的活動家が一一月以来、「統一した全社会主義者の政府」、すなわち左派エスエルだけでなく、メンシェヴィキや右派エスエルなどとも同盟すべきであると主張しましたが退けられました。
憲法制定会議の解散は反民主主義的か
これまで先延ばしされてきた憲法制定会議の選挙が、一一月に人民委員会議(内閣)の承認のもとに実施されました。七九選挙区九〇〇〇万人の有権者のうち、六七選挙区四四四〇万人が選挙に参加しましたが、選出された議員総数七一五人のうちボリシェヴィキ一七五人、左派エスエル四〇人、右派エスエル三七〇人、メンシェヴィキ一五人、そのほか人民社会主義党、カデット、種々の民族団体の代表八六人が選出されました。
憲法制定会議は人民会議によって採択された諸法令の承認を拒みました。そこでボリシェヴィキと左派エスエルは議場を後にしました。一月六日朝、「警備の者が疲れている」という宮殿警備隊長の要求により会議は中断されました。その夜、人民委員会議は憲法制定会議の解散に関する法令を採択しました。
憲法制定会議は、二月革命のすぐ後に臨時政府から開催を公約されていたものですが、これは二月革命後の新しい国家体制を決定するもので、当然、カデットやエスエルなどを構成メンバーとするブルジョア民主主義的な性格のものとなることは推察できたことでした。しかし二月革命後、革命はブルジョア民主主義を追い越して前進しましたから、ソヴェトが新しい国家権力として確立した後では憲法制定会議は余計なものとならざるを得ませんでした。したがってボリシェヴィキ党は、どうかするとすぐに憲法制定会議を口実にして、当面する問題を先延ばしする勢力にたいして幻想を粉砕しておく必要があったはずです。しかし残念ながらそうはならないで、臨時政府が予定していた憲法制定会議の選挙公約をボリシェヴィキ党も尊重せざるを得なかったのです。したがってボリシェヴィキ党が結局、憲法制定会議を解散したことは公約違反のかたちになってしまいました。
戦時共産主義とは何か
レーニンの著作に「戦時共産主義」という概念が登場するのは一九二一年になってからです。ソ連では内戦と帝国主義の干渉戦争こそ「戦時共産主義」が「赤色テロル」の政策を生んだというのが定説になっていました。しかし、戦時共産主義ははたして強いられたものであったかどうかが問題になっています。当時、前線では兵士たちに食糧を供給することが最大の重要問題でした。そのためボリシェヴィキ党は農民から食糧を強制的に徴発しました。これにたいして農民たちは武装して抵抗しました。ソヴェト政府はこれに弾圧で酬いました。富農(クラーク)はともかくとして、中農以下の一般の農民はほんとうに供給すべき食糧をもっていませんでした。したがってボリシェヴィキの食糧徴発は農民の支持を失う結果をもたらしました。
ボリシェヴィキが食糧徴発をおこなったのは、もちろん、前線や都市が食糧難に苦しんでやったことですが、同時に、ボリシェヴィキの念頭に社会主義においては、商品や貨幣は撲滅すべきことという観念があり、それが農民からの穀物徴発につながったのではないか、という批判もあります。労働者の場合には、社会主義的意識を強めることによって革命を前進させることが可能かもしれませんが、農民を相手にする場合には何よりも経済的利害を重視して同盟関係を築き上げる必要があります。商品や貨幣はいずれ廃絶するにしても、それは長期にわたる協力関係の構築が求められます。
レーニンは二月革命の直前に『国家と革命』を書きましたが、そこでは国家の廃絶ではなく「死滅」を論じていました。国家と同じかそれ以上に、商品や貨幣の即時の廃絶は困難がともないます。「戦時共産主義」は状況に強いられてやむを得ず採用したのならともかく、もしも、そのイデオロギー的基礎に「商品」や「貨幣」の廃絶があったとすれば、それは性急にすぎるといわざるを得ません。労働者と農民の階級同盟は、あくまでも農民という現存の階級を前提にするほかはありません。農民という階級の廃絶とは問題が別です。
ネップは緊急避難か
一九二一年にはレーニンはまだネップを農民への一時的譲歩、一時的後退とみなしていました。レーニンの覚書には、ネップを戦術的駆け引きとする書き込みが少なくありませんでした。レーニンは商業の自由は「資本主義的賃金奴隷制の再建」となると考えていました。レーニンは「われわれが農民を援助するのは、農民との同盟なしにはプロレタリアートの政治権力を維持することは不可能だ、という理由による…この動機こそ、われわれにとって決定的である」と述べていました。
しかし一九二二年秋頃になると、レーニンのネップにたいする態度は変化しました。農民たちはほとんど何の強制もなしに食糧税を収め、そのことが経済的にも政治的のもソヴェトを強化しました。レーニンは、今度は戦術ではなく戦略であり、一時的譲歩ではなく「本腰を入れた長期にわたる」政策であり、また革命的方法から「改革型」の方法への移行であると述べ、また外国資本を国内に誘致する案も浮上しました。逮捕されていた何十万もの「担ぎ屋」や「投機家」が釈放されました。
しかしテロルについてはそうではありませんでした。右派エスエルの幹部たちが逮捕されて、銃殺刑の判決が言い渡されました。レーニンは司法人民委員クルスキーに、「裁判所はテロルを排除してはならない。…これを原則的に法律化しなければならない」といいました。レーニンは小ブルジョアジーの広範な層にたいして暴力を行使する可能性を否定しませんでした。レーニンは第一〇回党大会後に、ボリシェヴィキにたいして「野蛮と戦うには野蛮な手段も躊躇わない」ように呼びかけています。
ネップの立案と根拠づけはレーニンのもっとも重要な理論的業績ですが、このことについてはレーニン自身が「われわれは、社会主義にたいするわれわれの見地全体が根本的に変化したことを認めないわけにはいかない」と語っています。ネップはいうまでもなく「逸脱」ですが、それはロシア共産党とソヴェト・ロシアを破滅に導きかねない誤った道からの逸脱だったのです。
もうだまされない!
「ピンハネ」労働を許すな 偽装請負・派遣労働者の声を聞け!
「偽装請負」問題への関心が高まっているが、いまあらゆる職種に「偽装請負」は蔓延している。「偽装請負」は、「ピンはね」(中間搾取)事業だ。「偽装請負」の横行は、労働・社会保険の未加入をはじめ「短期雇用契約の反復更新による雇用の不安定化、重大事故や労災・職業病の発生など労働条件の悪化をもたらしている。正社員と同じかあるいはそれ以上の仕事をさせられながら、極端な低賃金で働かされている「偽装請負」で働く労働者は大きな社会的格差を生み出す一つの基盤となっている。
全国ユニオン(全国コミュニティ・ユニオン連合会・鴨桃代会長)は十月に、「偽装請負」に関するアピール『「偽装請負」撲滅と「偽装請負」で働く労働者の雇用の安定へ向けて』を出し、その中で、五項目を提起している。@私たちは、「偽装請負」の撲滅と「偽装請負」で働く労働者の雇用の安定をめざします。A「偽装請負」で働く労働者の直接雇用(正社員登用)と均等待遇を求める取り組みを進めます。B「偽装請負」撲滅へ向けて、行政機関のさらなる監視・指導を求めます。C行政機関が「偽装請負」の是正を指導するに際して、「偽装請負」で働く労働者の雇用が失われることのないよう、雇用の安定に配慮し、供給先の直接雇用につながる指導・勧告を行なうことを求めます。また、職業安定法に違反する労働者供給事業として、供給先の雇用責任を明確にした指導・勧告を行なうことを求めます。D「偽装請負」をはじめとするタコ部屋労働、日雇い労働、ピンはねなどを排除するため、労働者派遣法、職業安定法の改正は、労働者保護・規制強化の方向で行なうことを求めます。
十二月五日、参議院議員会館で「もうだまされない! 偽装請負・派遣労働者の声を聞け! 12・5国会内シンポジウム」(主催・実行委員会)が開かれた。
主催者を代表して、全日本建設運輸連帯労組の小谷野毅書記次長が開会のあいさつ。
多くのところで偽装請負が発覚している。経営側は、ルールを変えてしまえば偽装にならないということで、労働法制を都合のいいように変えようとしている。経団連の御手洗富士夫会長など財界の要求で政府の経済諮問会議で「労働ビッグバン」を決め、直接雇用をやめて派遣・請負を新しいルールにしようとしているが、実に卑劣なやり方だ。職場では請負・派遣で苦しんでいる多くの仲間がいる。こうした事態を改善するには私たち自身が運動を作っていくしかない。
国会からは、民主党の仙石由人衆議院議員、社民党からは福島瑞穂参議院議員、菅野哲雄、日森文尋衆議院議員などが参加し、ともに闘おうアピールした。
和田義光さん(日研総業ユニオン執行委員長)
十月二十七日に、日研総業の派遣社員である私たちは労働組合を結成して、日研総業と日野自動車に団体交渉を申し入れた。これは最近発覚した「偽装出向」に関連するもので、会社の経過説明と謝罪を要求し、違反が事実なら、日研総業が法律に違反してピンハネした給料を直ちに返還すべきであり、会社は求人誌で「三十一万円以上可」と約束しているので、すぐ三十一万円払ってほしい、などを要求して、団体交渉を申し入れた。日研総業と日野自動車は交渉申入書を受け取り、交渉日程などを回答すると約束した。十一月に開かれた交渉では、日研総業は、説明をしなかったことを謝罪するとともに、ピンハネ分の返還要求にも前向きの検討を約束した。日野自動車は、偽装にはあたらない、不利益はなかったはずなので謝罪しないという態度だった。引き続いての団交申入れをしている。
清水直子さん(フリーター全般労働組合)
私たちの組合は、フリーターが集まっているマンガ喫茶などでビラを配っている。フルキャストという派遣会社がある。その日給雇用契約を見ると朝の八時半から午後五時までの勤務で、基本賃金が五七五〇円、交通費が一律一〇〇〇円となっている。フリーターをとりまく状況は非常に厳しい。かなり遠いところから仕事場に通わざるを得ない。だから交通費は一〇〇〇円以上かかってしまう人も多い。その上、業務管理費(?)として二五〇円引かれる。そして福利厚生があるというがそれは融資システム(フルキャストファイナンス)があるということだ。このように日雇い派遣の労働条件はきわめて劣悪なものだ。
いくつかの現場からの報告につづいて派遣労働ネットワーク代表の中野麻美弁護士が問題提起。
いま、グローバリゼーションに対応するとして、労働分野でも規制緩和進められている。労基法、職安法など軒並みに改悪され、最低賃金にも及ばない賃金で働かされている労働者が激増している。規制緩和とは、資本による人間収奪を自由にするというものだ。そのために、労働法制が変えられているのだが、それは労資関係を商取引契約によって処理しようとするものだ。労働は商品ではないという原則の否定だ。労働はストックできないから、最も値崩れしやすい。こうした状況にあるから労資関係では競争は抑制されてきたのだ。規制を受けず、労働力を利用して、利益を受けながら、誰も責任を取らない。ただ労働者だけに犠牲がしわよせされているのだ。
最後に昭和女子大学教授で新しい労働組合ガテン系連帯の共同代表である木下武男さんが閉会挨拶。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を言っているが、これまでの日本的経営を変えるということでもある。安倍の所信表明演説には、新卒採用の見直しがあり、経済財政諮問会議では年功の見直し、正社員をなくすとしている。われわれも過去と切断した労働運動をやっていく必要がある。そして組合間の対立をこえて連帯できる運動が求められている。
レイバーフェスタ2006
多彩な催しで、労働・生活を見直す
十二月十七日、東京ウィメンズプラザで「レイバーフェスタ2006」が開かれた。映像や音楽を通じて、身近な労働や生活を見つめ直す労働者のお祭りであるレイバーフェスタは今年で五回目になり、関西でもフェスタが開かれ、全国にひろがりつつある。
第一部では、ドキュメンタリー映画『出草之歌』(井上修監督)が上映された。これは、台湾の立法委員(国会議員)でもある高金素梅さんを中心に台湾原住民が日本軍に動員された先祖の霊を靖国神社から取り戻すために、裁判や靖国神社への申入れなどで闘っているのを描いた作品だ。
午後からの音楽の部では、歌やレイバーソングDJがあり、つづく映像の部では、特別上映としてフランスの日雇い不安定雇用労働者を追った『すべて消えろ』(ジャン=マルク・ムトゥ監督)と全日建運輸連帯労組の闘いを扱った『労働者は奴隷か!〜住友大阪セメント残酷物語』が上映された。
恒例の三分間の自主制作ビデオ上映では以下の作品が一挙公開。それぞれに手作りの力作ぞろいだった。『君が代不起立』(ビデオプレス)、『ひだるか』(港健二郎)、『続・科学者として』(本田孝義)、『THE CAGE』(遠藤大輔)、『やられたままで黙ってはいない』(小林アツシ)、『ユニオンがあればこうなる』(均等待遇アクション21京都)、『私たちはもう何も恐れない〜シンディ・シーハン』(木村修)、『叫び―ベトナム人強制送還』(小山師人)、『京ガス闘争一〇〇日』、(但馬けい子・遠藤社子)、『ユニオンネットワーク総行動』(ビデオプレス)、『プレカリアートな日々』(攝津正)、『すばらしき新世帯』(亜北齋)、『JR職員のなげき』(松原明)、『UBIN WATCH VIDEO IN
桧原村』(稲垣豊)、『場所を空けろ!』(都庁行動を闘う全都野宿労働者実行委員会)、『学校を辞めます〜五一歳の僕の選択』(湯本雅典)、『戦争―ケーテ・コルヴィッツ木版画連作』(志真斗美恵)、『教育基本法を変えないで』(佐々木有美)、『ガテン系連帯登場』(ガテン系連帯)、『桃色ゲリラ2006』(増山麗奈)『三分間の履歴書』(木下昌明)、『門を開けろ〜韓国山本労組』(安田幸弘)。
フィナーレでは、参加者全員で、七〇年代初めに当時の国鉄反マル生闘争のなかで作られた「闘いはいつも」を合唱した。
労働弁護団がパンフレット発行
『長時間労働酷書』
日本労働弁護団が、パンフレット「長時間労働酷書」(◎労働者はこんなにも働かされている ◎労働者に時間を取り戻し、真のライフ・ワーク・バランスを実現しよう)を作成・発行した。
発行に当たって同弁護団は、「経済界や厚生労働省は、国際競争力をつけるためとか、労働者の自由な働き方に役立つものだとかという理由をあげて、労働時間規制を排除しようと画策しています。いかに多くの労働者が長時間労働にあえいでいるかを知っていただきたいとの思いから、ぜひパンフレット『長時間労働酷書』をお読みいただき、またできるだけ多くの労働者に配布していただき、労働時間規制排除の動きを封じ込める運動にお役立てください。パンフレットは、ホームページからダウンロードできます。無償で配布していただけるのであれば、コピーして配布していただいて構いません(著作権は日本労働弁護団に属します)。また、大量に欲しいという方は一〇部一〇〇〇円で販売もしておりますのでご利用ください、「言っている。
労働弁護団のホームページ
http://homepage一.nifty.com/rouben/
以下は「酷書」の「長時間労働の実態」から
企業の支払労働時間(従って、不払い労働時間<その代表がサービス残業です>は含まれていません)を調査した厚生労働省[毎月勤労統計]〇五年版によれば、パートタイム労働者などの短時間労働者を除いた一般労働者(企業規模五人以上)の年間総実労働時間は二、〇二八時間(ちなみに〇四年は二、〇四〇時間)、この内所定外労働時間が一五六時間となっています。このデータは、不払い労働時間を含まない点で、労働者の労働実態を正確に映し出していません。これに対して、労働者からの聴取による総務省[労働力調査]によれば、二〇〇五年の全産業の一週間平均労働時間は四一・八時間、年間総労働時間は二、一七九・六時間になります。これを所定週三五時間以上労働者で見ると、週六〇時間以上労働する労働者は二〇代後半二三%、三〇代前半二六%、四〇代前半二五%です、四人に一人は週二〇時間以上、すなわち月間八〇時間以上の法定時間外労働を余儀なくされている実態があるのです。
さらに、二〇〇六年三月労働力調査の「産業・職業別従業者の長時間労働、週平均労働時間(男性)])によれば、専門サービス業における労務作業者は七二・〇時間、広告業における労務作業者は六八・八時間と月間では一二〇時間を超える長時間残業の実態にあることが分かります。 ………
労働法国会となる通常国会
労働法制改悪阻止へ!
安倍内閣になって、労働者の権利剥奪、搾取強化の動きが加速している。今年、日本経団連会長になったキャノンの御手洗富士夫は、前会長だったトヨタの奥田碩以上に労働法制改悪の圧力をかけてきている。
一九九五年に当時の日経連が出した「新時代の『日本的経営』」は、非正規雇用労働者を大量に作り出した。国際競争力激化に対応するためと称して各企業に導入されたもので、労働者に低賃金と労働強化をもたらすものとなった。その一方でトヨタなどの大企業は大もうけをすることになった。社会的格差は急速に広がっているが、財界はさらなる攻撃をかけてきている。
現在でも、サービス残業、偽装請負をはじめすでにさまざまな違法行為が行われているが、それを法律にそって是正するのではなく、逆に違法行為を違法にしないために法律のほうをかえてしまおうというのが資本のやり方だ。それは、自民党が、憲法に違反する自衛隊をつくっておきながら合憲だと強弁し続け、あげくのはてにその軍事力を米軍の一翼を担う戦闘力として増強するために、自衛隊と軍事同盟を認めない憲法のほうを変えてしまおうとしているのとまったく同様の汚い手口だ。
現在、労働法制と労働時間法制の問題をめぐって、厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会で論議が行われ、労資の対立が激化してきている。十二月八日の分科会で厚生労働省は「今後の労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(報告)」を提案した。
まず労働時間法制に関しては、建前としては過労死や少子化防止の観点から長時間労働を抑制が必要としながら、実際には「自由度の高い働き方にふさわしい制度」とし「日本版ホワイトカラー・イグゼンプション」創設と管理監督者の明確化(実際にはその拡大解釈・適用)で労働時間規制の適用除外を拡大するものとなっている。
また労働契約法制については、就業規則の権限を強め、その変更によって労働条件の変更(低下)が容易にできるような仕組みづくりを盛り込んでいる。これらのものは、一方的に使用者に有利な労働条件の変更を合法的なものとするものである。他方、労働側が要求してきたものはことごとく無視されている。
こうした論議をもとに、法案が作られ、来年の通常国会での成立が狙われているのである。中心は、労政審分科会で労資の委員の対立が鮮明になっている労働時間規制の適用除外者の拡大(日本版エグゼンプション)、就業規則による一方的労働条件決定(合意の推定)制度、解雇の金銭解決制度であり、このような法律が成立するなら、資本のやりたい放題の労働者いじめ・搾取を合法化するものとなる。
通常国会では、改憲手続法案阻止など改憲反対の闘いとともに労働法制改悪阻止の大きな運動が作られなければならない。
労働法制問題では、労働組合のさまざまな枠を超えてすべての労働者・労働組合が団結して闘い抜くことが求められている。労働法制改悪阻止の闘いは、法案の成立を許さないだけでなく、その過程で、労働者の権利意識を目覚めさせ、労働者のための真の労働法制改革にむけた力を作り出すものでなければならない。
労働弁護団は、十二月に労政審分科会に、今求められている労働法制についての原則的観点を打ち出すことを要請している。その主なものは次のようなものだ。
@労働契約法は労使対等の実現に資するものでなければならない、A労働契約の合意原則は明確に定めるべきである、B労働時制の一時的変更、所定外・休日労働、配転や応援、成績査定、業務上与えた損害に関する賠償等々、本来、労使合意によって運用されるべき多くの事項が現実には使用者の一方的決定・命令によって処理されているが、これらに関し、労使対等を実現すべく使用者の恣意・裁量を規制するルールを定めるべきである、C「素案」は、労働者の数を削減する必要性等の事情を「総合的に考慮して」濫用性を判断するとの規定を置くことを提起し整理解雇については四「要素」論の実定法化を図ろうとしている。だが、労働者に非があることを理由とする普通解雇と労働者に非はなく会社経営上の都合による解雇である整理解雇とは性格が大きく異なるのであり、規範としての明確性を確保するという点からも四「要件」として立法化すべきである、D解雇の金銭的解決は、断固反対する。
十二月五日には、日比谷野外音楽堂で「許すな過労死促進法!人らしく生きるための労働時間・契約法制を!12・5全国集会」が開かれた。集会では過労死遺族の発言もあり、労働法制改悪に対する闘いをいっそう盛り上げていこうという場となった。
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LET’S TAKE BACK OUR TIME ! 私たちの時間を取り戻そう!
今、日本中に『時間ドロボー』が跳梁跋扈して、私たちの時間を奪っている。「サービス残業」という名の違法残業である。私たちの周りには過重な仕事に押しつぶされ、長時間労働にあえいでいる人達が大勢いる。過労で倒れ、過労うつで自殺する人達が大勢いる。
そのような過労で疲弊した労働者を不安な眼差しで心配する家族の苦しみがある。過労死した被害者の遺族たちの悲しみが渦巻いている。
『ホワイトカラー・エグゼンプション』 それは、『時間ドロボー』の新たな「道具」であり、私たちの命を脅かす強力な「武器」となる。そのような「武器」を全国に蔓延する『時間ドロボー』に与えてはいけない!
現在、財界と政府与党、厚生労働省は来年1月の通常国会で、労働基準法を改正して『日本版エグゼンプション』(「自由度の高い働き方にふさわしい制度」)を導入しようと目論んでいる。その狙いは「労働時間規制の撤廃」である。労働基準法が定めている「1日8時間、週40時間」、休憩、休日等の労働時間制度は、戦後半世紀以上にもわたって、私たち日本国民の意識と生活の中に定着してきたものである。 日本の労働者は働きすぎて自由な時間を奪われないように、また過労によって健康を害することがないように労働基準法によって保護をされている。「1日8時間、週40時間」の労働時間制度は、私たちの自由な人生の時間を保障する基本的人権である。
ところが、「日本版エグゼンプション」はこの労働時間制度を無くしてしまうものであり、これが立法化されれば、私たちには際限のない長時間労働が待ち受けている。使用者は私たちを1日24時間働かせることも可能となり、多くの人々が過労で倒れる危険が確実に増すであろう。この法律は、まさに「24時間働け!法」であり、「過労死を促進する」法律である。また、私たちが一月に何百時間働こうと使用者は割増の残業代を支払わなくてすむことになり、働けど働けど賃金は固定給のままである。「日木版エグゼンプション」は私たち日本国民の基本的人権を侵害し、自由な時間をもっともっと奪おうとするものである。このような法秩序を破壊し、私たちの生活を破壊する立法は断じて許してはならない。
今日、日比谷野外音楽堂に集まった私たちは、労働時間規制の撤廃に断固として反対し、「日本版エグゼンプション」導入を絶対に阻止する覚悟である。来年の通常国会への法案の上程を許さず、それでも法案上程を強行するのであれば、統一地方選挙、それに続く参議院議員選挙において、必ず重要な争点としてこれを廃案にするまで闘うことを決意する。
私たちは、日本の職場で働く全ての労働者とその家族、地域の市民、学生、子供たちと共に連帯して、日本の社会から過重な長時間労働を無くし、過労死や過労うつのない雇用環境を実現するとともに、残業などしなくても皆が豊かに暮らしてゆける雇用社会を作ることをここに宣言し、全ての日本国民に呼びかける。
LET’S TAKE BACK OUR TIME !
私たちの時間を取り戻そう!
2006年12月5日
許すな過労死促進法!人らしく生きるための労働時間・契約法制を!12・5全国集会
けんり総行動実行委員会主催で12.5 東京総行動
十二月五日、2006けんり総行動実行委員会による争議団・争議組合が相互に支援連帯して闘う東京総行動が闘われた。
早朝のみずほ銀行(不当労働行為 全統一光輪モータース分会、解雇 東京労組NTT関連合同分会)からスタートし、ここから二コースに分かれて住友重機(昇格差別 全造船浦賀分会)、総務省(解雇 反リストラ産経労)、朝日新聞社(三名解雇 全国一般東京南部ヘラルド朝日労組)、梶E郡司(不当労働行為 組合つぶし 全国協神奈川郡司支部)、コースは合流して国土交通省(一〇四七名解雇 鉄建公団訴訟原告団、国労闘争団全国連絡会議)前へ。ここでは一〇四七名の解雇撤回を求めての行動を展開し、つづいての厚生労働省では、労働者を殺す労働法制改悪に反対して怒りの卒塔婆を突き出しての抗議をおこなった。午後からの行動は、再び二コースで、教育情報研究所(解雇)、都庁(解雇 東京労組文京七中分会、東京都学校ユニオン、学園再建 全国一般千代田学園労組)、郵政KK(免職処分 郵政4・28ネット)、有楽町総合法律事務所(学園再建 全国一般千代田学園労組)、トヨタ東京本社(解雇・団交拒否 フィリピントヨタ労組を支援する会、全造船機械労組関東地協)、山本製作所(会社清算・解雇 韓国山本労組を応援する会)に抗議・要請行動を行い、世ウルの日比谷野音での「許すな過労死促進法!集会」に参加した。
帝国主義 … 石を持ち上げて自らの脚を撃つ
帝国主義は「敵」を生む
ソ連が崩壊して直後、世界は「平和」になるかのような議論が巻き起こった。
しかし、その後に起こったことは、唯一の超大国としてのアメリカの覇権主義・強権政治の横行であった。アメリカは、新たな敵として当初、中国を目標にした。
クリントン時代も含めて民主党の世界戦略に大きな影響力を持ったZ・ブレジンスキーは、地政学的に見ても米国に対抗するのはユーラシアにおける大国の興隆であり、ソ連なき後は中国がそれに当たるという理論を展開した(『世界はこう動く』日本経済新聞社
九八年一月)。
二〇〇一年一月にブッシュ政権が誕生したが、その春には、中国海南島付近で米軍大型偵察機と中国空軍戦闘機が空中接触し、中国軍機は海上に墜落した。この事件は、海南島の中国海軍基地から中国潜水艦が太平洋に出てくるのを米軍が常時監視していたことからおこり、その後、米軍偵察機は中国に捕まり、その返還を要求する米国と中国との関係は緊迫したものとなった。 しかし、その年に9・11事件が起こって、アメリカは対テロ戦争を中心とするようになった。しかも、その対テロ戦争とくにイラクへの侵攻では、今では良く知られているように、「対テロ」は口実に過ぎないものだった。なにがなんでも、産油国の集まる中東とりわけその中心に位置するイラクを直接の支配下におくのがブッシュ政権の狙いだった。
現在、米中関係は、比較的順調に推移しており、反中国を煽ろうとする日本の右翼にとっては心外なこととなっている。しかし、アメリカ支配層のなかには、経済界を軸に中国との良好な関係を持とうとする流れと軍需産業を背景にする米中対決派が共存しており、いずれかの声が時折聞こえてくることになっている。
これらの対立は同時に、アメリカの覇権をどう維持するかにつての見解の対立でもある。貿易と財政という双子の赤字に見られるようにすでにアメリカはかつてのような圧倒的な経済力をもってはいない。もちろん、先端軍事産業や金融面で圧倒的な影響力を保持してはいるが、基礎的な経済力・生産力の面では、ヨーロッパやアジアに追い詰められている状況にある。だが、こうしたことは、アメリカ資本主義自身が作り出したものでもあるのだ。
資本主義の「自己否定」
帝国主義国は、自国で資本が過剰になると、それをいわゆる後進国に輸出する。そこで、低賃金、悪い労働条件の下で、大きな儲けが出る。だから、競って資本の進出が行われ、現地の労働者にとっては悲惨な事態が生み出されている。グローバリゼーションではそれが全世界的規模で行われる。
だが、やがて、現地でも劣悪な条件を利用しての資本主義が発展してくる。同時に、労働者階級と中産階級を生み出し、民主化が行われる。その中で、自国の資本家と外国帝国主義に反対する意識と運動が生まれてくる。こうした過程を多くの国がたどってきた。
アメリカの対中政策でも、中国の市場経済化を図り、米独占資本は対中投資を増やしてきた。それは、中国の低賃金労働者を搾取することであったが、同時に中国の経済的な発展を促進するものとなったのであった。その結果、現在、アメリカは対中貿易赤字の増大に苦慮している。〇六年の対中貿易赤字は前年の二〇二〇億ドルを一〇%強も上回り、過去最高を更新した。
十二月には、第一回「米中戦略経済対話」が北京で開かれた。これは米中の経済閣僚が両国間の経済課題を話し合うもので、米側は貿易不均衡の是正や人民元改革の加速、知的財産権保護について中国に要求した。
かつての日米経済摩擦と同じような構造だが、違うのは日本はアメリカ要求をほとんど受け入れたことであり、中国はしたたかに対応しているようだ。
いずれにせよ、資本主義は世界に搾取の場を求めて拡がっていくが、そこでは、強行的に資本主義を植え付け、労働者階級が形成され、かれらは搾取の経験を受けながら、反帝国主義と反資本主義の意識を高めてきている。韓国の民主化・労働運動の前進、中南米でのあいつぐ反米左派政権の誕生は、資本主義が国際的にも自らの墓堀人をつくりだすことを物語っている。
KODAMA
棄民する国が愛国心を強要!
国を愛せということが強要される教育基本法改悪法が成立させられた。愛を強制することはできない。まして、自分勝手な基準で作られた「美しい国」なるものから強制されるのはまったくひどい。
では、「美しい国」はその国民を愛しているのか。まったくそうではない。それがまたまた立証されることとなった。
十二月一日に、神戸地裁(橋詰均裁判長)で兵庫県内などの中国残留日本人孤児六十五人(一人死亡)が、終戦後に国が早期の帰還措置を取らず、永住帰国後も十分な支援を怠ったなどとした訴えに判決が出た。判決は「国の違法な措置で帰国を制限された」と国の責任を認定し、自立支援についても北朝鮮拉致被害者の支援策と比較して「極めて貧弱」と指摘している。しかし、原告一人につき三千三百万円の賠償請求には、原告六十一人に対し、国に総額四億六千八百万円の支払いを命じた(四人の請求は棄却)。国の責任を認める初判断であった。
しかし、国(厚生労働省)は、「中国残留邦人の被害の性質を拉致被害者の被害と同視する誤りがある」などの理由で大阪高裁に控訴した。たしかに中国残留邦人と拉致被害者の問題は違う面がある。だが残留邦人についてはまったく日本政府に責任があるのだ。それを、拉致問題のようには政治の反動化に利用できないので、控訴(すなわち国は責任を取らないという意思表示)したのである。また原告側も判決の一部に不服があるとして控訴した。
そもそも、中国残留邦人問題が起こったのは、日本の中国侵略による移民政策があり、それが日本の敗戦が濃厚にあると、関東軍はいち早く撤退して、「残留」させられたのだ。その後も、日本政府は、かれらのために調査もせず放置し、かれらがやっと帰国した後も支援などほとんどなそうとしなかった。
厚生労働省まえで座り込みの抗議をしていた原告団の話を聞いた。日本へ大きな希望をもってやっと帰国した。だが、実際には日本の国は有効な自立支援もせず、政府に責任はないという。本当に悲しかった。怒りが燃えてきた。ここでも、私たちは国に捨てられたのだ、と。
日本の国は、戦前・戦中も、そして戦後も、民を愛しはしなかった。逆に「棄民」の連続だった。ボリビア移民問題でもそうだった。薬害エイズ問題でも長い間、認めなかった。その国が、まして安倍のような連中が、愛国心を言っている。 (MD)
複眼単眼
歴史の教訓に学べ 劇団「他言無用」の事件
関係各位。
今般、日比谷公会堂にて開催されました集会におきまして、ご皇室をパロディーとした寸劇を上演いたしまして、ご皇室を敬愛される国民各位に、大きな御不快の念をお与えしました。ここに深くおわび申し上げます。今後、ご皇室を寸劇でパロディーにしない由、堅くお約束申し上げます。
至らぬ点には、御指導たまわりますよう、御願いもうし上げます。
平成十八年十二月十二日 コント集団 他言無用 松崎菊也 石倉直樹 すわ親治
十一月十九日に「週刊金曜日」が主催した日比谷公会堂での集会「ちょっと待った!教育基本法改悪、共謀罪、憲法改悪、緊急市民集会」で、松崎らの劇団「他言無用」が「さる高貴なお方の妻」と題して、美智子皇后をパロディー化して演じたことに対して、「週刊新潮」が大々的に取り上げ、これに扇動された右翼からの抗議が集中した。「週刊金曜日」の会社の周辺では右翼の街宣車の轟音が鳴り響いた。
これは、同劇団がその後に予定していた名古屋での十二月十五日の公演を中止したときに発表した「謝罪文」の全文だ。講演を中止し、さらに「今後、ご皇室を寸劇でパロディーにしない」とまで書かれている。この劇団は「さる高貴なお方の一日」など、皇室批判が持ちネタの一つであったはずだが、それらを自ら封印してしまったのだ。
まさか、この謝罪文がパロディではないのだろう。「ご皇室」とまでいうと、パロディかと思わせられるのだが。言論封殺を誘導する「週刊新潮」と右翼に怒りを禁じ得ないが、しかし、「松崎菊也さんよ、大変だとは思うけれど、いまががんばり時ではないのかい」といいたい。
最近、都内で開かれたシンポジウムで歴史作家の半藤一利さんが次のように発言したという(「毎日新聞」十二月十八日付からの孫引きの要旨だが)。
「戦前も突然、軍国主義になったわけではない。三二年から三五年までの四年間に起きた出来事が重なり、徐々に身動きできない国家が出来上がった。この四年の教訓を学ぶことが大切だ」
半藤さんは教訓として四つの特徴をあげた。
最初の変わり目は教育・言論の統制がひそかに始まる。三三年に教科書が変わり、「ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」と忠君愛国が強調されるようになる。二番目は情報・マスコミの統制だ。三番目は三二年に設置された特高警察による取り締まりだ。四番目はテロの発動だ、と。
そして言った。「今の時代も当時と必ずしも違っていないと思う。教育基本法改正をはじめ、通信傍受法、個人情報保護法ができ、共謀罪も創設されようとしている。今年七月に日経新聞に火炎瓶が投げられたり、加藤(紘一)さんの実家が放火されたが、昔の日本人が無関心であったように今の人たちもかなりの人が無関心だ。歴史の教訓として学んでほしい」と。
この半藤さんの指摘に付け加えるものは必要ない。(T)