人民新報 ・ 第1217号<統合310(2007年1月15日)
  
                  目次


● 改憲のための手続き法案、共謀罪新設法案、労働法制改悪法案阻止し、安倍改憲超反動内閣を打倒しよう!

● 全労協の声明  /  厚労省・労政審の労働法制の全面改悪「建議」を糾弾し、関係法案の提出と成立を許さず徹底的に闘う声明

● 労働法制改悪阻止へ!

● 行き詰るブッシュがイラク増派  自衛隊がイラクからのIEDで訓練

● 女天研声明】  /  天皇制と戦争の「美しい国」はまっぴらごめん!

● マルクス主義哲学者・艾思奇の評価は?

● 複眼単眼  /  「読売」の「安保」論議に一歩も引くことなく





改憲のための手続き法案、共謀罪新設法案、労働法制改悪法案阻止し、安倍改憲超反動内閣を打倒しよう!

安倍政権の反動性

二〇〇七年は、安倍反動内閣との真っ向からの闘いの年である。安倍は、自分の任期中に改憲をやりとげると宣言し、昨年の臨時国会では、ブッシュのイラク、アフガン戦争支持特措法を延長させ、教育基本法改悪、防衛省法などの悪法を成立させた。
 一月二五日からの通常国会では改憲のための手続き法案、共謀罪新設法案、労働法制改悪法案などの成立を狙っている。まさに超反動内閣の名のとおりの矢継ぎ早の攻撃をかけてきているのである。
 四月に統一地方選挙、七月には参院選がある。安倍は選挙とくに参院選で勝利することによって、長期政権を狙い、改憲を実現しようとしているのだ。 われわれは、多くの人々との連帯を強化・拡大して安倍政権の「戦後レジームからの脱却」「美しい国」づくりという犯罪的な目論見を断固として阻止しなければならない。

安倍政権の脆弱性

 だが、安倍をとりまく情勢はきびしいものとなってきている。
 小泉政治の五年間に蓄積された負の遺産、そして安倍自身の周りに続出するスキャンダル、郵政「造反」議員の復党という古い自民党への公然たる回帰などは一昨年の郵政マジック総選挙での圧勝という状況を切り崩し始めている。
 日本経済新聞社の世論調査によれば、政権発足直後の〇六年九月末に七一%にも達した支持率が、年末には五一%に急落し、不支持は、一七%から四〇%に跳ね上がった。安倍内閣支持率は発足して数ヶ月で急低落し、依然として歯止めがかからない状況だ。そのうえ、長期にわたる自民党政治が作り出した国家財政破綻は安倍内閣を増税まったなしの段階に追い込んでいる。これは、不支持増加にいっそうのはずみをつけるものとなろう。
 また一月九日に読売新聞が報じた国の政策評価などを議論する「言論NPO」が昨年十二月末に行った安倍政権発足以降一〇〇日間の評価に関する有識者らの緊急アンケート調査結果も注目すべきものだ。それは、@新聞や放送局の記者、編集幹部、A大学生、B企業経営者、学者など有識者、C官僚を調査対象にしたもので、安倍政権の支持率は全体平均では二四%となっている。対象別では支持率が最も高かったのが官僚(四四%)で、その他では有識者(二六%)、大学生(二五%)、記者(一一%)となっている。また政権発足当初の期待と比べた評価では、「期待以下」と「そもそも期待していない」がそれぞれ三六%で、「期待以上」は四・六%にすぎなかった。
 これらの結果は安倍内閣の支持基盤が非常に脆弱なものになってきていることを物語っている。

支持率回復を狙う安倍


 安倍はこうした状況からの脱却を外交パフォーマンスでの挽回のかけ、対中対韓関係を改善しようとしている。これは、対アジア経済関係強化のためには日中韓の政治関係改善が大事だとする日本財界の要求そして中東に足をとられて動けず東アジアでこれ以上に日本と中国・韓国の外交関係が悪化するのを懸念したブッシュからの要請とによるものだ。だが、この安倍のやりかたは従来の支持層だった右派潮流の一部離反を招いてしまっている。右派勢力は、反中・反韓による「愛国」主義イデオロギーをふりまくことによって日本政治の主導権を握ろうとして、小泉、安倍を支持してきたのだが、安倍のこの間の対アジア行動の「転換」その思惑に逆行しているからである。
 安倍政権は日米同盟機軸を外交政策の要として、日本の国際舞台での発言力を強めようとしてきた。しかし今は、その同盟相手のアメリカ・ブッシュ政権自身が、イラクをはじめさまざまな政策の失敗でつまずき、米国内でも支持を失い、上下両院での多数派の位置を民主党に奪われてしまっている。ブッシュはなおもイラクに増兵するなど悪あがきを続けているが、優位の回復は絶対に不可能であろう。今後、アメリカの世界での孤立、相対的な力の低下がはっきりしてくることは、日米同盟を頼みとする安倍にとって重大な危機をもたらすものとなるだろう。

米国の戦争の一翼担う

 にもかかわらず、安倍の進もうとしている道は、日米同盟をいっそう強化し、アメリカの戦争に日本を積極的に加担させるというものである。米軍の前線を担当する自衛隊とするために防衛省設置と自衛隊の海外活動の本務化が強行された。そして、米軍との共同した戦闘行動のための集団的自衛権の行使を具体化しようとしている。こうして日米同盟は、無謀な戦争に日本を連動させるものとなった。かつての日独伊軍事同盟のような役割を演じようとしているのではないだろうか。憲法九条はその歯止めとなってきたが、安倍はその歯止めをなくそうとしているのである。
 在日米軍再編では、巨額の予算をそのために使い、そしてキャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部の移転に見られるように日本を米軍の最前線基地にしようとしている。このことは沖縄をはじめ日本の民衆にいっそうの基地負担増を強い、安倍政権と民衆の矛盾はいっそう強まることになるだろう。

安倍内閣を追詰めよう

 安倍政権は、通常国会で、改憲手続き法案、共謀罪新設法案、そして財界の要望である「労働ビッグバン」による労働法制改悪をはじめ悪法を強行成立させようとしてくる。われわれは、昨年の闘いの教訓、とりわけ共謀罪法案が社会的に知られることによって反対運動が大きく盛り上がったことに学んで、〇七年の闘いを作り上げていかなければならない。そして、地方選、参院選において自民党勢力に大きな打撃をあたえ、安倍政権の長期化を許さない闘いを展開していかなければならない。
 改憲阻止・労働法制改悪阻止の運動を前進させ、安倍超反動内閣を打倒しよう!


全労協の声明

   
 厚労省・労政審の労働法制の全面改悪「建議」を糾弾し、関係法案の提出と成立を許さず徹底的に闘う声明

 労政審・労働条件分科会は、〇六年一二月二七日、「今後の労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(報告)」を建議した。これは、分科会審議では労働者委員が強く反対しており、しかも、多くの労働法学者や日本労働弁護団等も反対の意志表明し、連合・全労連・全労協などの労働諸団体や多くの労働者が反対しているなかでの厚労省側主導による強引な建議であり、断じて許されるものではない。
 今回の建議は、労働者側と使用者側が特に対立している点は労・使の意見を併記する形式をとったものである。改めて特徴的な点を指摘すると、労働契約法制では、@就業規則について、「合理的」であれば、「そこに定められた労働条件は労働契約の内容とする」としていることである。就業規則は、基本的に経営者側が独自に作るものであり、それを「労働者への周知」がされていれば「合理的」なものとしている。また、今回は「就業規則の変更による労働条件の変更」は「労働組合との合意」を削除し、「判例法理に沿って明らかにする」としている。これは、基本的に「就業規則」=「労働契約」とするものであり、職場の「団結権」や「労働組合」が形骸化され、また、「不利益変更」の「本人同意原則」という個別労働者の権利も侵害されることとなる。
 A「整理解雇」と解雇の「金銭解決制度」問題については、今回は「引き続き検討する」とした。特に、解雇の「金銭解決制度」は、解雇を「原則自由」化し、解雇権の濫用を促進するものであったが、労働者委員の頑張りとこの間の闘いの盛り上がりが厚労省側を追い込んだ結果である。
 B有期労働契約については「不必要な短期の有期労働契約を反復更新しないよう配慮」という表現にとどまった。これまでの審議では、「一年以上」の雇用、または「三回以上」の更新者は「正社員化を優先」するという案を出していたものを日本経団連等からの圧力で全面的に後退したものである。
 労働時間法制については、@「自由度の高い働き方にふさわしい制度の創設」として、「一定の要件を満たすホワイトカラー労働者について・・・労働時間の一律的な規定の適用を除外する」としている。その対象は、@労働時間で成果を評価できない業務、A権限・責任のある者、B出退勤が自由等、C年収が相当程度高い者の四点をあげている。そして、「対象労働者としては、管理監督者の一歩手前の者を想定」し、「年収金額」は明示していない。しかし、日本経団連は「四〇〇万円」以上を主張してきており、ある程度高い金額でスタートしても年々低い金額になってゆくことは明らかである。いま、労働現場は、「低賃金・低処遇」の非正規労働が増大する一方、正社員も長時間労働とサービス残業で苦しんでいる。今回の「日本版エグゼンプション」が導入されれば、「サービス残業=タダ働き」が合法化され、労働者の健康障害・「過労死」「精神疾患」「労災事故」等をさらに多発させる結果になることは明らかである。
 また、A割増賃金については「一定時間を超える場合は高い割増賃金か代替え休日とする」とし、これまで「五割り増し」と数字で示していたものを後退させている。B裁量労働についても「企画業務型裁量労働制を拡大し、中小企業にも適用できるようにする」として全面改悪の内容となっている。
 このように今回の労政審の建議は、多くが日本経団連等の意向に沿ったものである。厚労省の労働行政は、これまでの「労働者保護」という立場から「企業擁護」という立場に変化してきている。これは、新自由主義・グローバル化のなかで「企業経営」・「利潤確保」のために労働者の権利後退という全面的な犠牲を労働者側に押しつける労働法制の全面改悪を強行するものである。
 全労協は 今回の厚労省・労政審が建議を強行したことを徹底的に糾弾すると同時に、〇七年通常国会への法案提出と強行成立を図ろうとすることに対し、多くの労働団体・労働者と連帯し、徹底的に闘い抜くものである。
 以上、声明する。

二〇〇六年十二月二十八日

全国労働組合連絡協議会(全労協)


労働法制改悪阻止へ!


財界からの強い要請

 トヨタの奥田碩にかわって経団連会長となったキャノン会長の御手洗富士夫は一月一日に「希望の国、日本」(略称・御手洗ビジョン)を発表した。その中では、二〇一五年まで名目で年平均三・三%(実質で二・二%)の経済成長を達成するためにいっそうの規制改革を進めることを求めている。また、「遅くとも一一年度までには消費税を二%引き上げる必要」があるとし、一方で、企業の国際競争力強化のため、国・地方税を合わせた法人実効税率を一〇%引き下げることを要求した。そして、九条改憲、道州制導入も提唱しているのである。
 御手洗は昨年末の政府経済財政諮問会議(議長・安倍晋三首相)で、請負では製造業者が労働者に指揮・命令できないという現行法の規定について、見直しを求める発言をしているが、キャノン自身が法律に違反しての請負労働をやっていたのに、逆に法律のほうが悪いから変えろということだったのである。
 御手洗経団連になってから労働法制改悪を要求する声は一段と強まっている。すでに労働者への違法行為が蔓延しているが、それらを適法・合法化するように法律を変えろというのが財界の要求である。
 そして一月九日には、御手洗は記者会見で、昨年十二月二十七日に労政審・労働条件分科会が建議した「今後の労働契約法制及び労働時間法制の在り方について(報告)」を「早く実現してもらいたい」と述べ、労働基準法改正案を一月二十五日からの通常国会に提出すべきだとの考えを強調した。
 財界の求める「ホワイトカラー・エグゼンプション」(労働時間規制からの除外制度)、就業規則による労働条件の一方的不利益変更の制度化、解雇の金銭的解決制度、有期労働契約などを柱とする労働法制の改悪案は、更なる格差拡大社会を本格化させることになる。たとえば、「ホワイトカラー・エグゼンプション」についてみると、経団連は年収四百万円以上のサラリーマンに導入するとしており、一〇〇〇万人を越える対象者となる。そして一人あたり一〇〇万円超の残業代がなくなってしまうと言われる。もちろんそれは資本の取り分に加えられるのである。

労働法制改悪反対広がる

 だが、労働法制の全面改悪には、連合を含めて労働組合の反対運動が展開されている。そして、改悪が、これまでも後退させられてきた労働条件、切り下げられてきた賃金、いっそうの不安定雇用を労働者にもたらすと同時に、大企業は肥え太っていくという本質が明らかになるにつれて、労働法制改悪阻止の闘いは労働者以外にも広まっていくにちがいない。
 労働法制改悪、中でも「残業代ゼロ制度」という呼び方で一般にも知られるようになった「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、ホワイトカラー労働者のみでなく、やがて多くの労働者にそれが適用されることは間違いない。低賃金・不安定雇用労働者のワーキングプア層が広がり、社会問題化している中で、マスコミもここにきて労働法制改悪についてとりあげはじめるようになってきている。

選挙での反発怖れる与党
 
 小泉政治が決定的にした社会的格差にたいして不平・不満が渦巻いている。どの世論調査でも、格差の拡大を認める人、それを批判する人は八割近くに達しているのである。
 こうした労働法制改悪反対の声のひろがりを気にしているのが、四月の統一地方選挙と七月の参院選を前にした与党である。公明党は、選挙に不利な問題を通常国会で論議するのは避けたいとし、自民党内にも選挙を控えて慎重な対応を求める声が大きくなってきている。
 七日のNHK番組で、自民党の中川秀直幹事長が、「エグゼンプション」制度について、経済が上向きの局面で導入すべきで、政府や経営者側の説明責任が十分でないと述べたのはその表れだ。丹羽雄哉総務会長や公明党の太田昭宏代表らも次期通常国会への提出に慎重な姿勢である。安倍晋三首相は例によって与党の議論を見守るとしているが、気が気ではないだろう。
 十日の日経新聞朝刊は、政府・与党は、選挙への影響を考えて、ホワイトカラー・エグゼンプション導入を当面見送る方針を固めたと報じた。だが、これは通常国会での審議入りを求める自民党のスポンサーである財界からの強い要望にさからうことになるのである。また、中川などの理由が、制度周知が足らないというのであるから、法案を提出したうえで継続審議にする可能性もあり、法案提出自体が断念されたわけではない。こうしたマスコミ報道には十分気をつけなければならないのである。
 与党の労働法制法案化に対する動きは、選挙対策用なのであり、すこしでも反対運動が弱められたりしたら、たちまち法案提出、強行採決ということになるのであり、いささかの油断もできない。

完全廃案阻止に向けて

 ヤフーが行った「厚生労働省が導入を検討している『自律的労働時間制度』に賛成? 反対?」アンケート(十一月九日〜十五日)では、投票総数一万二千八百七十二票のうち、反対一万千五百八票(九〇%)、賛成一三六四票(一一%)という結果だった。エグゼンプション制度が一定程度知られてきていて、なおかつ反対が圧倒的だということだ。こうした声を結集して闘い、通常国会上程阻止のために闘いを強めて行かなければならない。


行き詰るブッシュがイラク増派

        
自衛隊がイラクからのIEDで訓練 

 「イラクはジョージ・ブッシュのベトナムだ」。
 これは、一月九日、米政界リベラル派の長老でJ・F・ケネディ元大統領の弟であるエドワード・ケネディ上院議員(民主党)が発した言葉だ。
 翌十日、ブッシュは新イラク戦略なるものを発表したが、それはさらに二万人規模の米軍部隊の増派、イラクの復興、雇用促進のため十億ドル規模の経済支援で、「テロリスト」を孤立させて包囲制圧し、その後、イラク全土の治安権限をイラク治安部隊に移譲することを目標にしている。イラク全土全十八州のうち、現在は、三州しかイラク側に治安権限を委譲していないが、それを十一月までにすべて移譲できるようにしたい、そのためにイラク側の努力が必要だとしている。
 だが、治安権限を渡してもすべての駐留米軍が撤退するわけではない。弱体なイラク治安部隊の支援を続け、またイラク政府を監督・威圧してアメリカの言うことを聞かせ、同時に、イラク石油資源をしっかり自らの手に握っておくという狙いがあるからだ。
 しかし、アメリカ軍のこの程度の増派では、すでに内戦状況に突入しているイラク全土の治安を回復することなどできず、混乱の激化といっそうの米兵死傷者の増大をもたらすだけだろう。
 昨年十一月の米中間選挙では、ブッシュのイラク政策に反対する世論を背景にして、与党共和党は上下両院で少数派に転落した。民主党は、増派によって米軍の被害が拡大するとして反発を強め、イラク駐留米軍の段階的撤退を求めている。最近のアメリカの世論調査(ギャラップ社 九日)でも増派に賛成が三六%だったのに対し反対六一%と反対意見のほうが大きく上回っている。そして即時をふくめて撤退論が圧倒的だったのだ。
 イラク事態はまさに「ベトナム」化している。アメリカは道義的政治的にすでに敗北しているが、軍事的にも「泥沼」から敗北への過程に入った。今回の増派も、「あと一撃を与えてから名誉ある幕引き」に入りたいという願望の表れであろうが、こうしたやりかたはブッシュにとっていっそう惨めな状況をうみだすものでしかないだろう。
 ブッシュのイラク政策にたいして国際的な反対が強まっているが、ヨーロッパでもイラク開戦を支持しなかった独仏はもとより、当初は多国籍軍に参加していたスペインやイタリアも政権交代をともないながらイラクから撤退した。イギリスでもブレアは国内の反対派からの批判にさらされている。そのブレアでさえ、九日、訪英した安倍との会談後の共同記者会見で、フセイン元イラク大統領の死刑執行は執行手続きが間違っていたと批判したが、安倍はこの問題に言及することもなかった。ブレアと比べても安倍のブッシュ政策への追随はきわだったものになっている。安倍内閣は、防衛省を発足させ、自衛隊の海外活動を本来任務化した。
 いまイラク戦争はパレスチナ、イスラエル、レバノン、イランそして東部アフリカなどの地域へ戦争状況を拡大させつつある。兵力の不足するアメリカから「同盟国」日本への要求がより高まってくることは必至だ。
 最近の報道によると、沖縄県那覇市にいる陸上自衛隊第一混成団一〇一不発弾処理隊隊員など四十二人が昨年十一月、金武町の米軍キャンプ・ハンセン内で、不発弾処理訓練をおこなったが、そこでは、米海兵隊がイラクから持ち帰った簡易手製爆弾(IED)を使っての訓練だった。
 これから考えられることは、安倍政権はアメリカのための戦争にいっそう積極的に加担していくということだ。
 イラクをはじめ各地で後退を強いられる米軍、それを支援する自衛隊というこの日米同盟に反対して闘っていかなければならない。


女天研声明】

     
 天皇制と戦争の「美しい国」はまっぴらごめん! 

 「安定的な皇位の継承は国家の基本にかかわる」として、広く世論を喚起するかたちで巻き起こされた女性天皇論議は、秋篠宮紀子の悠仁(ヒサヒト)出産でけりをつけられたかたちとなりました。
 悠仁誕生は古色蒼然とした家父長制・家制度の象徴として、"It's a boy"と世界に伝えられ、国内ではこれが慶事として、形ばかりとはいえ祝意の表明がいたるところにみられました。実際、これで天皇制は「伝統」とされる男系・男子による世襲制の継続を可能とし、世間はそのことを受け入れているかのようです。このかんの騒動は、私たちの社会がいまだに身分制度・家父長制度に呪縛されていることを明らかにしています。
 しかし一方で、ハイリスクであっても妊娠・出産を女性に強要し、家のために子を産ませることを「価値」とする不条理を見事にみせつけてもくれました。
 ジェンダーフリーバッシングの先鋒である安倍首相のいう「美しい国」とは、天皇を中心にすえた戦争をする国家です。家父長制・家制度を伝統とする天皇一族は私たちにその家族の形を押しつけ、政治とは無縁といいながらイラクに派遣された自衛隊をねぎらうなど、いつでも政治の表舞台で私たちの主権・民主主義を無に帰す役割をはたしつづけています。安倍政権は昨年の教育基本法の改悪、防衛庁省昇格でさらなる格差社会、愛国心強制社会、軍事国家に大きく踏み込み、今年成立を目指している共謀罪で私たちの言論・活動の自由を剥奪し、国民投票法で改憲を実現しようとしています。男系・男子による世襲制を強固なものにするための「皇室典範改正」もささやかれています。
 私たちの目の前には、安倍政権の成立でさらにパワーアップしたマッチョな天皇制がたちはだかり、戦争にひた走る天皇制国家はすぐそこまできています。
 私たちは、女性・女系天皇で天皇制を維持しようとした政府に異議申し立てするために集まり、「女性天皇はいらない!天皇制はもっといらない!」をスローガンに4年間、言論活動を行ってきました。状況が変わったいま、新たな「天皇制はいらない」の声をあげる必要を感じています。この声明は、これからもひるまず言論活動を続けるという私たちの意思表示であり、今年の第一声として発信します。これを皮切りに今年も女天研発のメッセージをお送りします! どうぞ沢山の方が私たちと一緒に声をあげてくださることを! 天皇制と戦争の「美しい国」はまっぴらごめんです!

2007年1月1日                 
                 女性と天皇制研究会


アメリカとの関係をめぐって拡大する右翼内部の亀裂

加藤周一「平和・独立の四つのケース」

 「九条の会」憲法セミナー(十一月二十五日、明治大学アカデミーホール)で加藤周一さん(九条の会呼びかけ人・評論家)は憲法をめぐっては、「平和かどうかということの他に独立かどうかという国の独立の度合いが問題とされなければならない」として、次の四つの組み合わせをあげた。@護憲で独立、A護憲で従属、B改憲で独立、C改憲で従属。そして、@を「一番理想的」としながら、現在を「独立はしないが戦争しない、自衛隊員は死なないというこれまでのかたち」としながら、改憲派にもBCの二つの流れがあるとし、「今進んでいるのは改憲・従属という方向だ。日本のためでなく外国のための戦争が出来るようにするための集団的自衛権を行使するということで、自衛隊員が多数死ぬことになる」と述べた(本紙十二月四日号参照)。
 いま、改憲派ひろく言って右翼が、今後の日本の進路をめぐって、究極的に言ってBで行くのか、Cで行くのか、で分岐が進んでいる。もちろん主流は、Cの対米従属改憲派なのだが、ここにきて、「反米」右翼の言論のオクターブが上がってきている。中心は対米関係をどうするかにある。

「反米」右派の主張

 昨年末に、関岡英之・編『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』(イースト・プレス)が出版された。編者でもある『拒否できない日本』の著者・関岡英之、漫画家の小林よしのり、評論家の西部邁、それに鈴木宗男事件で外務省を追われた佐藤優、その他の「反米」右派の面々が登場している。
 その中には、小泉の郵政民営化に反対し、二〇〇五年九月の「郵政」総選挙で、「刺客」に倒された小林興起・元自民党衆議院議員もいて、「なぜ、私は『造反議員』となったのか? ―『主権在米経済』でアメリカに貢ぎ続ける日本との闘い」で次のように言っている。
 「郵政民営化法案ではアメリカによる日本植民地化計画が極まりました。私がアメリカ人だったら大賛成ですよ。しかし私は日本の政治家です。だから徹底的に反対論を主張しました。『解散するぞ』なんていう脅しも怖くありません。日本の国富をアメリカがチューチュー吸い取れるような制度づくりに躍起となっている小泉・竹中政権なんて、国民のまともな審判を受ければ首が飛ぶだろうと思ったら、小池百合子さんという有力な刺客を仕向けられて首が飛んだのはこちらでした。なぜそうなったかというと、国民に真実があきらかにされなかったからです」。小林は、日米経済関係を「日本の国富をアメリカがチューチュー吸い取れるような制度」とし、郵政民営化などはそれを強化するものとして民営化反対の論拠としている。なお『主権在米経済』とは昨年出版された小林の本のタイトルである。
 また、小林よしのりは、関岡との対談で、アメリカの対日「年次改革要望書」をとりあげない日本マスコミに文句をつけながら、一転して安倍新政権批判を展開する。「安倍政権にも、わしはもう、ほとんど絶望感を感じています(笑)。わしはものすごく期待していたんだけどね」「(外務省に)『日本は自己主張できるような立場にはないのですよ』と言われたときに。安倍総理は初めて『アメリカをはじめとした戦勝国に屈した形の戦後体制を黙々と維持しつつ、なおかつアメリカに守ってもらうためには、アメリカの要求に大筋において抵抗はできない』と悟ったんじゃないの。そして、すっかり変節した。」
 つづけて関岡も安倍ブレーンの中心で、アングロ・サクソン(アメリカ)と協調していれば万事問題なし論の外務省OB岡崎久彦に攻撃を向ける。
 そこでは靖国神社の付属施設である遊就館の展示変更が問題となっている。岡崎は〇六年八月、産経新聞「正論」欄に「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」を書いた。関岡は、これを「(岡崎が)『私は遊就館が、問題の箇所を撤去するように求める』と激烈な文章を書」いたとし、「岡崎先生がそういうことを産経に寄稿されたのは、アメリカ議会で遊就館の展示を問題視する動きがでてきたからですよね。『アメリカが本気で怒ったら一大事だ。そうなる前に早く展示を書き換えろ』と岡崎先生は靖国神社に歴史観の修正を迫った。私はどうも安倍さんに歴史観の修正を迫ったのと、発信源はおなじじゃないかと思うんです。東京裁判史観はそもそもアメリカが主導してでっち上げ、日本人に押し付けた虚妄ですからね」と発言している。
 これに小林よしのりは「『新しい歴史教科書をつくる会』をわしが脱会した後に岡崎久彦が『新しい歴史教科書』をすっかり親米に書き換えてしまった」と応じている。

外圧による書き換え

 遊就館「展示」書き換えについて、同じく「反米」右派の一人の小堀桂一郎が『別冊 正論 〜 徹底討論 本当に汚辱の戦争だったのか 大東亜戦争―日本の主張』の「それぞれの歴史観」で次のように書いている。
 「ところで遊就館の現代史図解の説明中に、『ルーズベルトの世界戦略・アメリカの大戦参加』との見出しの下、以下の如き一文があった。……大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(一九四〇)年十一月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英連合の対独参戦を決意していたが、米国民の反戦意志に行き詰っていた。米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した。……」「筆者の管見に入ったかぎりでもアーミテージ、タルボットといふ二人の米政府高官(共に元国務副長官)が遊就館を訪れて展示(英文説明がついてゐる)を見たらしく、この解釈に不満を述べてゐたが、岡崎久彦氏の紹介(十八年八月二十四目付産経新聞「正論」欄)によると歴史家のジョージ・ウイル氏の反応は非常に感情的で、かつ激しかった様である。曰く『これは唾棄すべき安っぽい(あるいは、虚飾に満ちた、不誠実な)議論であり、アメリカ人の中で、アンチ・ルーズベルトの少数ながら声ばかりは大きい連中が同じようなことを言っていた』とワシントン・ポスト紙上で論じてゐたといふことである」。そして「靖国神社遊就館課は傷つけられたウイル氏の愛国的感情を尊重して、その説明文に修訂を施した由である」、「この言論戦は我々の小さな敗北である」「この前例が後にも尾を引いて又次々と同じような要求と妥協の連鎖を繰り返すようなことだけは心して避けなければならないが」としている(歴史的かな遣いはママ)。

広がる右派の亀裂

 右派はアメリカへの従属という軸をめぐって分岐し、その亀裂はますます大きくなってきている。小泉・安倍などの親米右派の論理は、「反米」右派が攻撃するように、その民族主義は「ポチ・ナショナリズム」、かつての言葉で言えば「従属帝国主義」「番犬帝国主義」の色彩を一段と露骨に示している。彼らの言う「愛国心」とか「民族の伝統」なるものが、その実、日米同盟の下での集団的自衛権の行使などアメリカ帝国主義のために火中の栗を拾い、日本人に汗も血も流させるものであること、日本の支配層がそれによって利益を得ることがあきらかになりつつある。

破綻する「反米」右派の論理

 だが、「反米」右派の方の論理もいいかげんなものでしかない。外務省のラスプーチンといわれた佐藤優は起訴休暇外務事務官の肩書きで、『アメリカの日本改造計画』のなかで、「アメリカが押し付けた『東京裁判史観』が封印した、戦前日本の知的遺産 大東亜共栄圏思想・陸軍中野学校・満鉄調査部」と銘うって、関岡と対談している。そこでは、最大の戦争イデオローグでA級戦犯であった大川周明の『米英東亜侵略史』をおおいに持ち上げている(佐藤は、昨年これを『日米開戦の真実』なるタイトルで、自らの解説(本の約半分)で出版した)。
 大川は、一九四一年の対米英戦開戦直後の十二月にNHKラジオで連続十二回の講演を行い、それを翌年一月に出版したのが『米英東亜侵略史』である。そこで大川は、この戦争に、欧米植民地主義からのアジア諸民族の解放戦争として意味づけを行ったのである。

大東亜戦争という呼称

 右派は、アジア解放の意味をもつ「大東亜戦争」をアメリカ占領軍が「太平洋戦争」という名で呼ばせることによって、その意味を変形・否定させたと言ってきた。
 評論家の松本健一『大川周明』(岩波現代文庫)は「大本営には)この対米英戦を『大東亜戦争』と名づけようかあるいはまた『太平洋戦争』と名づけようか議論」があったとし、「『大東亜戦争』と名づけた場合にはその『アジア解放』理念に重点が置かれ、『太平洋戦争』と名づけた場合には『対米英戦』の現実に重点が置かれるという違いがある」と書いていたが、大本営自身は「大東亜戦争」という言葉を、もっと散文的な意味で使っていたのであった。大本営参謀でシベリア抑留者、帰国後は伊藤忠会長、そして中曽根行革の参謀総長であった瀬島龍三は、著書『大東亜戦争の実相』のなかで、「大東亜戦争」とは「大東亜共栄圏」「大東亜新秩序建設」などの意味はなく、ただ戦場の地理的区分からそう読んだとその「実相」を書いていたのである。先にあげた『別冊 正論』でも、富岡幸一郎「大東亜戦争の『義』とは何か」はその事実を認めながらも、「しかし、あの戦争が一九世紀以来の西欧列強のアジアにたいする植民地支配からの解放と、アジア諸国の独立という意味合いを持っていたのであれば、GHQ(連合国総司令部)が『大東亜戦争』を昭和二十年十二月五日以降『太平洋戦争』と呼ばせたことの意図は明らかであろう。日本人は、いわばあの戦争の大義名分を奪われたのである。それは何よりも祖国の戦争として、主体的に捉える姿勢を失わせた」と。
 たしかにアメリカ占領軍は戦争名称の変更を含めてさまざまなことを行った。だが、アメリカがそうしたのは、実は、日本はアジア諸民族の抗日戦争にではなく、なによりもアメリカに敗北したのだ、そしてアメリカの排他的な支配下におかれたのだという、対日支配の宣言なのであったのだ。

戦争への意味付与

 一九四一年十二月八日の「米国及び英国に対する宣戦の詔書」では、「自存自衛」が強調され、十二日になって閣議で戦争の名称が「大東亜戦争」と決められた。
 しかし日本軍の緒戦の勝利は続かず、翌四二年六月ミッドウェー海戦で海軍は壊滅的敗北を喫し、同年八月ガダルカナル戦敗北で日本軍は完全に守勢に転じ、四三年五月にはアリューシャン列島のアッツ島守備隊の「玉砕」があり、これ以降は敗北に次ぐ敗北の連続となっていく。
 このような戦局悪化という中で、四三年十一月五〜六日、日本(東条首相)は「大東亜会議」なるものを東京で開催する。出席者は日本(東条)、中国「南京政府」(行政院院長・汪兆銘)、「満州国」(総理・張景恵)、フィリピン(大統領・ラウレル)、ビルマ(総理・バーモウ)、タイ(総理代理・ワンワイタヤコン)、オブザーバーとして自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースであった、会議は「大東亜各国は相提携シテ大東亜戦争ヲ完遂シ大東亜ヲ米英の桎梏ヨリ解放シテ……」なる「大東亜共同宣言」を採択した。これも右派にとっては、アジア解放戦の決定的な「証拠」だということになっている。また『別冊 正論』からだが、「正論」編集部による「世界が見た大東亜戦争」で、この大東亜会議についてふれ、「日本にアジアの盟主にならんとする野望があったことは否定できないにしても、ここで採択された大東亜宣言は、一九五五年にインドネシアのバンドンで開催された第一回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)の反帝国主義、反植民地主義、民族自決の精神を謳ったバンドン十原則の先駆をなすものであった」とあった。開いた口がふさがらないとはこのような時に使うものだろう。

東亜民族の離反・抗日

 では、大川周明のアジテーション、大東亜戦争という名称、大東亜会議などで「論拠」づけられた解放戦争は結局どうだったのか。 松本健一は、先に上げた本の中で書いている。「東条英機はその『遺言』において、『実は東亜の他民族の協力を得ることができなかったことが今回の敗戦の原因であったと考えている』と言った。これは、どちらかといえばわたしが人間的にあまり好きになれない東条英機にあって、唯一、傾聴に値する言葉のような気がする。かれは米英の物量に敗けたとも、作戦を誤ったともいわず、ただアジアの解放のためにと戦った戦争が『東亜の他民族の協力を得ることができなかったこと』に敗戦の原因を求めているのだ。これは、大東亜戦争を指導したものとして、真の自戒、自省への手がかりといわねばならない」。

孫文・王道か覇道か

 欧米列強のアジア侵略・植民地化を非難し、アジア他民族の協力を得たければ、まず日本がみずから朝鮮、台湾の植民地を解放し、「満州国」を解体し、中国などからの完全撤兵と善隣友好関係の構築で率先手本を示し、非抑圧民族、人民とともに列強植民地主義と闘う以外ない。しかし、富国強兵・脱亜入欧の帝国主義・植民地主義・軍国主義の「大日本帝国」には所詮それは不可能な話あったのである。  
 孫文は、一九二四年十二月二十八日、神戸高等女学校で「大アジア主義」について講演した。それは、日本にいかなる道を行くのかを問うものであった。
 「我々の主張する不平等廃除の文化は、覇道に背叛する文化であり、又民衆の平等と解放とを求める文化であると言い得るのであります。貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の手先となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」。
 孫文のこの言葉はいまでも重く切実に響いてくる。
 最後に一言。親米右派はもとより、「反米」右派も、アジア・世界での帝国主義的権益をまもり、アジア諸国の追い上げに対抗するために日米同盟が機軸だというのは変わらない。だから反米にカッコがつくのである。   (MD)


マルクス主義哲学者・艾思奇の評価は?

北田氏の提案

 今年はロシア一〇月革命の九〇年に目にあたり、各方面で記念の催しがなされ、賛否両論さまざまな意見があらわれるだろう。本紙前号に北田大吉氏が「一九一七年のロシア革命とその今日的意義」を寄稿している。氏は、ロシア革命が「現代を拓く重要な節目」となったと指摘したが、その後の国際共産主義運動は紆余曲折の連続で、社会主義・共産主義社会の実現をめざしたソ連その他の国も内部から変質・崩壊していった。ソ連解体以降、資本主義の永久繁栄論のイデオロギーが蔓延し、新自由主義とグローバリゼーションの進展のなかで、労働者・人民の権利は次々と奪われていった。だが、新自由主義政策の強行は、社会的格差を拡大させるとともに、反撃の力も作り出してきた。いま、その闘いの先端は中南米にあるようだが。反米闘争、労働運動の前進の中で社会主義勢力もまた復活・再生していると思われる。
 やがて日本にも世界的な流れはおしよせてくるだろうが、日本でも北田氏の提起のように、ロシア一〇月革命九〇年目というこの節目の年に、社会主義について論議を活発にさせなければならない。関連して、この年末年始に何冊かの本を読んだのでそのことに関して書いてみたい。

艾思奇全書発刊のこと

 昨年、中国でマルクス主義哲学者の艾思奇(アイ・スーチー)(一九一〇〜一九六六)の著作の八巻全書(人民出版社)が出版された。艾思奇は、日本では中国のマルクス主義哲学者としてもっとも多くの翻訳がでている。代表的なものは、新日本出版社からの『弁証法的唯物論』(一九五九)、『史的唯物論』(一九六六)であるが、そのほかにも、プラグマティズムを批判したものなどかある。
 艾思奇は、抗日戦争のころは、解放区・延安にいて、延安新哲学会の中心になり、毛沢東が『実践論』『矛盾論』を著作するのに貢献した。中華人民共和国成立後は、北京大学教授、中国共産党中央党学校副校長などを歴任し、マルクス主義哲学の普及と哲学教科書の作成にあたった。先にあげた二つの翻訳書は艾思奇が主編した哲学教科書である。
 艾思奇が日本で有名だったのは、哲学者・楊献珍(一八九六〜一九九二)との論争である。これは、単なる哲学的な意見の違いではなかった。一九六六年にはじまったプロレタリア文化大革命中には、その論争が次のように位置づけられていた。北京・外文出版社の『中国哲学戦線での三回にわたる大闘争(一九四九〜一九六四)』(一九七二)は、「総合的経済土台論」「思惟と存在との同一性の問題」「二つが合して一つになるという(合二而一)理論」という三回にわたる哲学論戦は、「劉少奇の哲学界における代理人、楊献珍」との「わが国が社会主義の道を歩むか、資本主義の道を歩むかにかかわる闘争」「プロレタリア階級独裁かブルジョア階級独裁かにかかわる原則的なきびしい闘争」であるとされた。楊献珍の論敵はいずれも艾思奇が中心であった。
 中国で文革が否定された後は、これらの哲学論争の評価でも逆転が起こった。日本でも文革までの哲学論争をあつかったものはそれなりにあったが、その後は、こうしたテーマをとりあげる学者もいなくなったようで、国会図書館で探しても次の一文しかなかった。岩佐昌ワ「楊献珍と艾思奇…『思惟と存在の同一性』論争の周辺」(九州大学)文学論輯 (通号 38) (一九九三・三)。これは長命だった楊献珍の主張・回想を全面的に受け入れたもので、「彼(楊献珍)の不幸」は艾思奇との「個人的な対立に大きな原因があったとように思われてならない」とし、最後を「今はまだ栄光に包まれている艾思奇への再評価問題が今後浮上するのは間違いない。死せる楊が、艾の栄光を放逐したとき、楊献珍の名誉回復はそのときやっと完成するのである」と結んでいる。
 中国では、昨年、艾思奇全書が発刊されるとともに、学術界によって艾思奇が一九三六年に出版した『大衆哲学』発表七〇周年を記念する集会が北京や艾思奇の生まれた雲南省昆明など各地でひらかれた。北京での集会には、党中央宣伝部、中央党学校、社会科学院、北京大学などから参加者があり、多くの報告が行われた。中共中央党校元副校長の韓樹英、全国政協元副秘書長盧之超、中共中央組織部元部長張全景なども発言している。

現代中国での艾思奇の位置


 このことは、岩佐が危惧するように艾思奇肯定・楊献珍否定ということになるのだろうか。だが、そうはなってはいないのである。記念集会での簡単な発言記事をみるだけではよくわからないが、艾思奇全書と関連して出された盧国英『智慧之路―一代哲人艾思奇』(人民出版社)を見ると中国での艾思奇評価の微妙さがわかる。なお盧は、艾思奇の秘書で六〇年代に艾思奇主編の哲学教科書の編集にも参加している。盧は、三大論争における艾思奇についての「総評」で、「二つが合して一つになるという理論」問題では、「偏頗」と「行き過ぎ」があったとし、そして楊献珍の「合二而一」の観点」を「矛盾調和論」とし「階級協調論」として批判したのは「錯誤」であったとした。だが、この問題は、毛沢東の「一つが分かれて二つになる(一分為二)」論、これは文化大革命の重要な理論的基礎の一つであったのであり、その発動直前に死んだととはいえ、艾思奇の毛沢東・文革理論とのかかわりをうかがわせるものなのである。
 全書第八巻の最後の文章である「唯物弁証法的核心―矛盾規律(講学提綱 一九六五年春、秋)」には、編者注で「二つの階級、二つの道が主要矛盾である」という一段は整理するときに『削除(刪去)』した」とあり、最後から二番目の「弁証唯物主義的認識路線―実践和認識的弁証関係」でも、「大躍進」「人民公社」など言葉が削除されている。それ以外ものでも同様に処理されているものがある。艾思奇全書も、艾思奇自身の書いたものに一定の判断にもとづいて手が加えられているということである。
 そうした編集の判断基準の基礎には、「建国以来の党の若干の歴史的問題についての決議」(一九八一年六月二十七日に中国共産党第十一期第六回総会で採択された)があり、そこでは「『文化大革命』のなかで修正主義もしくは資本主義として批判されたものは、その実、マルクス主義の原理と社会主義の原則にほかならない」「党内には、劉少奇、ケ小平をはじめとする『ブルジョアジーの司令部』などというものはまったく存在しなかった」とされ、その結果、哲学戦線での三回の闘争でも、楊献珍の主張が正しいとされたわけである。
 だが、その後の事態の推移は一直線ではない。「死せる楊が、艾の栄光を放逐」(岩佐)という状況にはなっていないのである。
 艾思奇を評価する書物も発行された。追悼回想文集としては、『一個哲学家的道路―回憶艾思奇同志』(雲南人民出版社)、『馬克思主義哲学家艾思奇』(中共中央党校出版社)があり、後者には中央党学校校長、国家副主席を勤めた王震も文章をよせている。
 こうしてみると、現代中国の公的な理論界では、艾思奇と楊献珍の関係は、楊献珍の主張が主流になってはいるが、艾思奇の評価も依然として高く、岩佐の言う楊献珍の名誉回復の「完成」とはなっていない。とはいえ、その艾思奇評価には大躍進以降のものには大幅に手を加えられているのだから、実質的に三回の哲学論争における艾思奇については否定されているといってもよいかもしれない。

中国のネット新左派

 先にあげた、北京での記念集会の様子は、中国のウエッブサイト「毛沢東旗幟网站」に載ったものだ。それは中国で今、若者の間に雨後のたけのこのように広がっているといわれる新左派(その多くは毛沢東派)との関係が深いもののひとつだ。かれらの、サイトを覗いてみると、文革当時の機密文献もふくめておおくの文献が載せられている。艾思奇の著作のほとんどもそれらで読むことができる。なお、トロツキーや中国のトロツキストの著作も新左派のサイトでかなりのものが手に入る。そして、掲示板などの討論では、文革支持、改革開放派批判などの意見で毎日更新されている。これは、中国国内での現政権への不満を示すものかもしれない。 (K)


複眼単眼

      
「読売」の「安保」論議に一歩も引くことなく

 「読売新聞」はその「元旦社説」で「タブーなき安全保障論議を 集団的自衛権『行使』を決断せよ」と題して、非核三原則の再検討と集団的自衛権「行使」への踏み切りを主張した。この「社説」の限りでは、お得意の改憲論にすら全くふれていないのが特徴だ。いわく。
 「このまま、ずるずると、北朝鮮の核保有が既成事実化する恐れもある。日本はどうすべきなのか」
 「日本が、国を挙げて核武装しようとすれば、さほど難しいことではない。日本は世界第一級水準の科学技術力を有している。三〜五年で可能ともいわれる。数トンの人工衛星を打ち上げられるだけの宇宙ロケット技術の蓄積もある」
 「しかし、現在の国際環境の下で、日本が核保有するという選択肢は、現実的ではない」「核保有が選択肢にならないとすれば、現実的には、米国の核の傘に依存するしかない」「問題は、核の傘が確かに機能するかどうかである。機能させるには、絶えず、日米同盟関係の信頼性を揺るぎないものに維持する努力が要る」
 「同盟の実効性、危機対応能力を強化するため、日本も十分な責任を果たせるよう、集団的自衛権を『行使』できるようにすることが肝要だ。政府がこれまでの憲法解釈を変更すればいいだけのことだ」
 「他方で、……ミサイル防衛(MD)システムの導入前倒し・拡充は当然だろう。たとえ撃墜率一〇〇%ではなくとも、システムの保有自体が一定の抑止力となる。敵基地攻撃能力の保有問題も、一定の抑止力という観点から、本格的に議論すべきだ。また、非核三原則のうち『持ち込ませず』については議論し直してもいいだろう。核保有が現実的でないとしても、核論議そのものまで封印してはならない。議論もするなというのは、思考停止せよと言うに等しい」
 多少、引用が長くなったが、この考え方は「読売新聞」に特有のものではない。安倍政権の与党・自民党の政治家たちの中の有力な意見であることに注意を払うべきだ。
 安倍首相は年頭の記者会見においてもあらためて自らの政権の任期中に改憲を実現するとして、参院選での争点化と次期通常国会で憲法改悪のための手続き法案を採択する決意も表明した。一説では予算審議を終える三月中に同法案の衆院通過をはかりたい意向だとも言われている。
 その通りに実現できると安倍が真に考えているかどうかは別としても、「読売」は、核の傘の保障としての日米同盟維持のためにも、憲法の解釈を変えて、集団的自衛権の行使に踏み切るべきだと言うのだ。
 これは憲法「改正」をして集団的自衛権の行使を可能にする方策をとるほどの時間的余裕はないという警告でもある。
 日本は核兵器を保有する能力も、その運搬手段も持っているとあからさまに「実力」を誇示しながら、その日本が核保有国にならないためには、集団的自衛権の行使と、米軍による国内への核持ち込みを進めなくてはならないという論理なのだ。
「読売」は今後いっそうこのキャンペーンを進めるだろう。私たちは一歩もひかずにこれと闘わなくてはならない。 (T)