人民新報 ・ 第1224号<統合317号(2007年5月7日)
  
                  目次


 5月中旬の法案成立を狙う与党   改憲手続き法案阻止のために闘い抜こう

● 長崎市長銃撃殺害を許すな!   全国各地で抗議行動を巻き起こそう

● 集団的自衛権行使OKへ   安倍のお手盛り懇談会設置

● チェルノブイリ原発事故から21年 原発事故の危険が増大している   原発も再処理もいらない! 行動

● 地方選・参院補選から参院選勝利へ

● JR尼崎事故から2年   安全無視の根源は国鉄分割民営化だ

● 使い捨てはゴメンだ! 労働ビッグバンをぶっとばせ! 中小・非正規雇用労働者の春闘

● 清水私案(民族解放社会主義革命論)を再読する B

 複眼単眼  /  安倍首相の浅薄で誤った「歴史認識」の証明



5月中旬の法案成立を狙う与党

    改憲手続き法案阻止のために闘い抜こう


「5・3まで成立」阻止


 安倍晋三は首相任期中の新憲法制定を狙い、そのために「五月三日の憲法記念日までに改憲手続き法案を成立させる」というもくろみをもって国会で強行審議・採決を行なってきた。衆院での与党単独採決で、九条抹殺の改憲手続き法案阻止の闘いは参議院に移ってきた。だが、連休前の参院可決・成立は阻止できた。これは、反対運動の成果である。その背景には、広範な人びとにとって改憲という問題がいよいよ身近なものとなったうえに、最低投票率も定めないという手続き法案そのものの問題点もはっきりしてきたからであり、マスコミもようやくこうしたことを取り上げ始めたことがある。

改憲を急ぐ安倍の事情

 安倍はなぜ改憲を急ぐのか。そしてなぜ自分が首相であるうちに改憲を行なうと宣言したのか。安倍が超タカ派であることは事実だが、アメリカと財界からの圧力がそうさせているのである。アメリカは唯一の超大国として、グローバリゼーションに反対するものを圧殺しなければならず、世界各地で戦争を起こしている。多国籍企業化した日本もそうだ。日本は、アメリカからみずからも血を流して、アメリカによる世界秩序を守れと要求されているのである。そしてイラクやアフガニスタンにみられるようにアメリカは単独ではもはやその役割を果たすことができない状況に追い込まれている。こうした日米独占資本の要求が強まることによって、安倍政権の改憲への策動が加速しているのである。

法案の欠陥暴露

 だが、このような要求に積極的に応えようとして政府与党は焦りにも似た状況で無理に無理を重ねる法案審議・国会運営をやらざるを得なくなってきている。
 その象徴が手続き法案に最低投票率を設けないということだ。国会の審議でもこれは大問題となっており、国民の一、二割台の賛成でも憲法が変えられる仕組みでいいのかという野党の質問に、政府与党側は答弁不能に陥っている。このことは自民党憲法草案が国民の大多数の支持を受けることに自信を持っていないということの現われにほかならないのである。
 また、教育者、公務員が改憲国民投票問題で活動の自由をうばわれるということである。憲法問題で、約五百万人の口を封じるということは、これも自民党憲法案の支持基盤の弱さをしめすものに他ならない。
 そして、与党修正案のメディア規制では、テレビCMは何億円もかかり、資金力を持つものが有利になるものだ。
 このように改憲手続き法案はそのもっとも基本的なところに重大な欠陥を持つ法案であることがようやく報道されるようになった。
 自民党新憲法草案は、「前文」で「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」とか「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し…」とか書き連ねている。「自らの意思と決意に基づき、主権者として」新憲法を制定するというのなら、国民の圧倒的多数の賛成によって憲法を作るべきだし、本来なら自民党自身が少数の賛成だけで成立する憲法なら拒否すべきものであろう。しかし、実際には、自民党は本格的な憲法論議が巻き起こり、「主権者として」憲法を考えて、投票することに危惧を抱いている。それは、改憲が大多数の国民の利益のためでなく米日支配層のためのものであることを彼ら自身も知っているからなのである。
 まさに自民党新憲法草案と改憲手続き法案は一体のものであり、断固として粉砕しなければならない。

連続する法案反対運動

 いま、政府与党の手続き法案早期成立攻撃に対する反対運動は粘り強く展開されている。
 その一環として、国会に市民の声をこだまさせるヒューマンチェーン&リレートークがある。四月二十六日には、「STOP! 改憲手続き法 4・26国会へ行こうアクション」が行なわれ七百人が参加した。これは、「安倍内閣の暴走許さない! とめよう!戦争のできる国づくり・ひとづくり」を共通のスローガンに、「改憲手続き法案反対! 九条改憲反対! 改定教育基本法関連三法改悪反対! 米軍再編特措法反対! 少年法改悪反対! 共謀罪反対!  イラク派兵特措法延長反対!」と安倍内閣のさまざまな反動法案に反対する共同の行動である。集会では、さまざまな運動からアピール、社民党・共産党の国会議員の報告、国会に向けてのシュプレヒコールが行なわれた。

 連休明けから、政府与党は一段と国会審議を強権的に強行してくる。だが、かれらの弱点も見え始めた。大衆的な欠陥法案の本質の暴露、国会周辺をはじめ各地での大衆的な集会・デモ、国会議員への働きかけなどの活動に全力で取り組みなど多彩な活動を展開し、なんとしても手続き法案を廃案にするために全力で奮闘しよう。


長崎市長銃撃殺害を許すな!

    全国各地で抗議行動を巻き起こそう


四月十七日、伊藤一長長崎市長はその日の市長選遊説を終え選挙カーを降り事務所に向かう途中、背後から暴力団山口組系水心会幹部城尾哲弥に二発の銃弾を受け、翌十八日未明、帰らぬ人となった。伊藤氏は、長崎市長として核廃絶と平和運動のために闘い続け道半ばにして斃れた。
 伊藤市長の銃撃・殺害は民主主義を封殺しようとする暴力であり、断固糾弾し、全国からの抗議の声を上げなければならない。
 私怨による犯行という報道がなされているが、犯行には複数の人物がかかわっているとされ、政治的な背景も明らかにされなければならない。市政に対する不満ということでも、政治的な問題が含まれていたのかどうかが問題にされなければならない。
 昭和天皇に戦争責任はあると発言した本島等長崎市長(当時)が一九九〇年一月十八日に右翼団体正気塾所属の田尻和美に銃撃され重症をおった。田尻は、本島市長の支援者の一人で、「裏切られた」という理由で犯行に及んだと言っていた。今回の事件の城尾の弁護士である松尾千秋は、「日本会議」の長崎副会長で、「新しい歴史教科書をつくる会」の長崎県支部長なのである。
 長崎は被爆・反戦の地である。しかし、それととともに、戦艦武蔵を建造した三菱重工業長崎造船所のある軍需産業の町でもある。ということは暴力団や右翼の町でもあるということだ。
 この事件に対する安倍首相の当初の態度は、昨年夏の加藤紘一衆議院議員実家事務所焼き討ち事件の時の小泉首相(当時)の反応とおなじ様なもので、即時に批判するものではなかった。その後、世論の動向に押されて、「選挙運動中の凶行は民主主義への挑戦である」とし、「断じて許すわけにはいかない」と言うようにはなったが、本からのものではない。

 四月二十七日には、総評会館で「民主主義を封殺するあらゆる暴力を許すな! 長崎市長銃殺事件抗議 4・27集会」が開かれた。緊急の開催にもかかわらず二二〇人が参加した。集会では、呼びかけ人を代表して、ルポライターの鎌田慧さんが発言。昨年十月には八月に起こった加藤紘一議員事務所焼き討ちに対して言論テロを許さない集会を開いた。半年も経たないうちに同様の集会を持たざるを得なくなったのは本当に残念だ。しかし、今回は一〇日ほどですぐに行動できた。時間が経ってから一万人で集会をやるよりもすぐに反撃することが大事だ。こうした攻撃を右翼は英雄視させようとするが「テロは卑怯だ」という世論を作らなければならない。犯人は新聞がどう書いているかを非常に気にしていた。こうすることによって次ぎに起こるのを防げるのだ。この事件は、政治家・地方自治体への暴力的攻撃であり、政治テロであり、個人的なものというわけには行かない。事件が起こされた場合には市民がすぐに反撃することだ。
 上原公子(国立市長)、谷内真理子(ジャーナリスト)、福山真劫(平和フォーラム事務局長)、内田雅敏(弁護士)、きくちゆみ(グローバルピースキャンペーン発起人)、西川重則(平和遺族会全国連絡会代表)、富山洋子(日本消費者連盟代表)、斉藤貴男(ジャーナリスト)のみなさんから民主主義を圧殺しようとする暴力をけっして許さないとの発言が続いた。

長崎では、暴力の追放と民主主義の擁護を訴える長崎市民有志は、「長崎市長銃撃事件につき、暴力の追放と民主主義の擁護を訴える署名」活動にとりくみ、四月二十五日、世話人の平野伸人さんたちが上京し、内閣府を訪れ、署名簿を提出した。


集団的自衛権行使OKへ

   
安倍のお手盛り懇談会設置

 安倍晋三首相は四月二十七日、アメリカおよび中東訪問のためワシントンに向けて出発した。安倍の首相就任後はじめてのアメリカもうでとなる。安倍はこの訪米に手土産を用意した。
 まず、航空自衛隊をイラクに派兵し米軍支援を行うためのイラク特措法の二年延長案が衆院本会議で審議入りした。
 イラク戦争の最大の根拠とされた大量破壊兵器がイラクに存在しなかったことは、ブッシュ自身も認め、米上下両院ではイラク米軍撤退法まで可決されている。ブッシュの盟友ブレアのイギリスも段階的撤退をきめた。
 イラクでの米兵死者は公式発表でも三三〇〇人を超え、負傷者、戦闘後遺症患者は数知れない。イラク民衆の犠牲者も数十万人規模といわれる。もはやイラク戦争のあやまりは世界が認めるところとなった。ところが、安倍は、イラク戦争を正当化し、陸自撤収後も二百人を越える航空自衛隊員が三機のC130輸送機でクウェートからイラクの首都バグダッドへの米兵輸送などを行っている。政府は四月二十四日、昨年七月の陸上自衛隊撤収後のイラクにおける航空自衛隊の活動について次のように発表した。一五〇回、四六・五トンの物資を空輸。うち国連空輸が二十五回で七〇六人、物資は二・三トン。残りは米軍を中心とする多国籍軍の空輸だ。ほとんどが米軍のための作戦ということである。軍事支援が大半で、政府の言う「人道復興支援が中心」とはとても呼べない状況が見てとれる。
 もうひとつは、憲法解釈で禁止されている集団的自衛権の行使を容認する方向で有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の設置を発表したことだ。会議のメンバーは柳井俊二前駐米大使(座長)、北岡伸一東大教授、岡崎久彦元駐タイ大使、佐藤謙元防衛事務次官ら十人余りだが、顔ぶれを見れば、「集団的自衛権行使は可能」の結論が出ることは明白である。安倍は、これまでも「個別具体的な事例に則して憲法が禁じている集団的自衛権にあたるのか、海外での武力行使にあたるのか研究する」「国民の生命と財産にかかわることだ。(研究に)そんなに長い時間をかけるべきではない」と言っており、早急に結論を出す構えだ。研究課題の具体的内容は、@米国に向かう可能性がある弾道ミサイルをミサイル防衛(MD)によって迎撃できるかどうかA公海上で自衛隊と米軍の艦船が並走している最中に米国艦船が攻撃された場合、自衛隊は米軍とともに反撃できるのかどうかB海外での国連平和維持活動(PKO)中に自衛隊とともに活動する外国部隊が攻撃された際、救出できるかどうかなどである。
 集団的自衛権の行使は、これまでアメリカ側が日本に強く求めてきたところであり、アーミテージ・レポートでは、その障害となっているのが憲法であると九改憲を露骨に求めてきていた。
 イラク戦場がベトナム化し、多国籍占領軍から離脱が相次ぎ、米軍の敗北的撤退が時間の問題となる中、アメリカ・ブッシュ政権は、日本のよりいっそうの対米支援を必要としている。情勢は改憲すら待っていられない段階に来ており、安倍は改憲強行の前にも集団的自衛権行使は可能だという新たな憲法解釈を行なうことによってブッシュの要求に応えようとしているのである。
 こうした準備をして安倍は出国前の記者会見で、「日米同盟は外交、安全保障の基軸で、揺るぎない、かけがえのない同盟として、確固たる信頼関係構築が必要だ」「ブッシュ大統領とは忌憚なく話せる関係をつくりたい。…拉致問題についても米日間で連携していくという点を確認する」と語った。
 集団的自衛権の行使・九条改憲は、イラク戦場でのイギリス軍と同じ立場に自衛隊が立つということである。だが一方で日米間には、「従軍慰安婦」問題や六カ国協議問題など解決しなければならない諸課題もあり、日本外交は難しい局面に来ている。
 安倍訪米・日米軍事同盟強化反対!


チェルノブイリ原発事故から21年 原発事故の危険が増大している

            
原発も再処理もいらない! 行動

 このところ原発に関連したニュースが連続している。東電など電力各社の原発事故隠しが暴露されたが、原発推進政策の破綻を象徴するのは高知県東洋町の状況である。東洋町前町長は多額の交付金ほしさに国が進める核燃料サイクルにとって不可欠な施設である高レベル放射性廃棄物最終処分場の初期調査(文献調査)実施応募を独断専行して決めた。しかしこの問題をめぐって争われた四月二十二日の町長選で当選した沢山保太郎新町長は調査の実施主体である原子力発電環境整備機構(NUMO)に応募取り下げの方針を伝えた。これは政府や電力業界は大きなショックをあたえるものとなった。
 また、ウランの濃縮や原発等から生ずる使用済燃料の再処理をおこなっている日本原燃は、青森県六ヶ所村の試運転中の再処理工場で耐震設計の計算ミスがあったと発表したが、それも十一年前に計算ミスに気付きながら、隠ぺいしていたということだ。

 四月二二日、渋谷勤労福祉会館で「チェルノブイリ原発事故から二一年 原発も再処理もいらない!」集会(主催・原発とめよう!東京ネットワーク)が開かれた。
 集会では、東北大学教授長谷川公一さんが講演を行なった。

 「六ケ所再処理工場の本格運転を開始させないために」長谷川公一(東北大学・環境社会学)
 高木仁三郎さんの言葉を思い出す。高木さんは、『証言』(二〇〇〇年一〇月二〇日刊、七つ森書館)で「あらためて思うことは、このまま六ヶ所の計画を進行させてはならない、ということである。それはいよいよ先の展望のないゴミ捨て計画として進行し、国の廃棄政策に関する展望のなさが、すべてしわ寄せとなって地元の人々に押しつけられるという、泥沼状態的状況が、十年を振り返ることでいっそうはっきり見えてくる。この泥沼は、いまなら抜け出せるだろうが、もう何年かしたら、ほんとうに頭をとられて抜け出せない状態になるのではないか。そうなる前に、強力な理性の力がはたらくことを、祈らずにはいられない」と書いた。
 いま、各国で原発建設の動きがあり「原発ルネサンス」などという言葉さえ出回っている。これは、京都議定書発効前後から温暖化対策を口実としてのものだ。アメリカでは、昨年、原発新設三件の事前サイト許可申請が出された。ほかにも一三件の新設プロジェクトが発表された。ブッシュ政権は「エネルギー政策法」によって、建設・運転一体認可、政府によるリスク保証、発電税の減税措置など原発優遇政策をとっている。ロシアは毎年二機程度二〇〇万kWの原発を新設している。こうしたことの背景には、原油高や保守政権の政治的シンボルとしての原発推進策がある。
 なぜ日本は再処理に固執するのだろうか。実は、電力会社や資源エネルギー庁にとっての原発増設のための核燃料サイクル・再処理という必要度は低下している。電力自由化が進展し、発電コストの増大・電力需要の低迷という状況が進んでいる。しかし、予算の半分以上、人員の半数近くが原子力関係という官庁は自己維持のために、また政府・自民党・保守政治家にとっての核兵器開発技術・能力・スタッフの温存のために、また青森県当局の交渉力としての使用済み核燃料問題があり、それら再処理派が巻き返しを図っている。だが、青森県に巨額の違約金を補助金というかたちで国が払ってでも、再処理事業を中止すべきだという意見が産業界よりの経済学者からも出るようになっている。佐藤栄佐久福島県知事や、自民党の河野太郎衆院議員からも、再処理工場の操業凍結を求める意見も出た。ホンネは誰もやりたくないが、ここで今さら止められないという履歴効果・慣性が強いのではないのではないだろうか。政治のリーダーシップが必要だが、止めるための政治のリーダーシップがはたらかないという日本の悲劇がある。
 再処理工場本格運転の問題点は、なにより安全性ということだ。次々に出る改ざん、データ隠しなどでわかるように日本原燃には管理能力が欠如している。また秘密主義がある。そうして広範な汚染日常化の危惧がある。表面化したものは氷山の一角で重大事故の危険性は高い。また電気事業連合会は〇三年一一月に、使用済み核燃料の後処理費用は約一九兆円と試算を公表した。この増大する国の助成策を国民負担へ転嫁しようとしているという不経済性が指摘されるまでになった。このままでは再処理工場で重大事故が起きる。今の「危機」を再生・転換の機会にしなければならない。残された時間は少ない。

 つづいて新潟県刈羽村議の武本和幸さんが「第二次東電事件と能登半島地震」と題して報告した。
 集会を終えて、パレードに出発した。


地方選・参院補選から参院選勝利へ

 四月の参院補選・地方選が終った。
日本政治が改憲と社会的格差の増大という危険な方向に向かって進む中で行なわれた今回の選挙で、われわれは自民党安倍改憲内閣の政治に反対する候補者を支援して闘い、自治体議員選挙では一定の成果を勝ち取ることができた。
前半戦での都知事選、後半戦での沖縄参院補選での敗北、そして多くの首長選での現職優位という状況は自民党政治の壁の厚さを示すものであり、いっそうの闘う力の強化が求められていることをしめすものであった。だが、注目しなければならないひとつの特徴は自民党が地方選挙で後退したことである。このことは小泉・安倍の新自由主義政策による地方切捨てによって自民党地方組織が崩壊しつつあることを物語っている。すなわち、この間の自民党政治は、これまでの日本保守支配の基盤であった地方への補助金配分政治、そして終身雇用制などいわゆる日本型経営によって支えられてきた企業社会という二つの資本主義支配の基盤をみずから切り崩してきたのである。
 現在の無党派層は多くは現状維持派だが、その人びとに、格差問題の解決、イラク戦争などアメリカの無法な戦争に巻き込まれない平和政策など日本政治の改革の方向を提示することができるなら、自民党政治の批判者に変えることは可能であろう。自民党は参院選に向けて巻き返しを図ってきている。しかし、多国籍企業化した日本企業の利益確保のための政策と日米軍事同盟の機能強化のための改憲・在日米軍基地再編などは、いずれ多くの人びと、これまでの保守基盤であった人びとをも含めて、自民党政治離れの流れを強めるだろう。
 安倍首相が改憲を争点にするとし日本政治の今後に重大な影響をもたらす七月参院選の前哨戦でもあった今回の選挙では、東京都知事選、沖縄の参院補選での敗北という負の経験から、安倍政治に対するいっそう鮮明な対決の姿勢とおおきな野党共闘の実現が必要となっている。安倍による日米軍事同盟下での改憲攻撃は、右派の中にも亀裂を生み出している。安倍政治の本質の暴露と柔軟な選挙協力で改憲阻止にむけた国会状況を作り出すために、左翼はもとより、野党、そしてさらに右にもシフトを伸ばしての広範な人びとの共同が求められているといえるだろう。


JR尼崎事故から2年

  
安全無視の根源は国鉄分割民営化だ

 二〇〇五年四月二十五日、JR西日本福知山線脱線事故は死者百七人、負傷者五百六十人以上の大惨事であった。国鉄分割・民営化によって生み出されたJR会社の儲け本位=安全無視、人命軽視を象徴する事故であった。この二年、JR西日本は企業体質を改善し、事故をわが事として受け止め、二度と事故を起こさない会社に生まれ変わったであろうか。遺族・被害者に対する補償交渉の遅れ、情報についての秘密主義、依然として続く「日勤教育」などを見れば、答えはノーである。二十五日を前後して各地で追悼集会・抗議集会が開かれた。

4・22関西集会

 四月二十二日、二〇〇名を超える人々が参加し、尼崎市立小田公民館で「JR尼崎事故から二年 国鉄分割民営化から二〇年を検証する4・22集会」が開催された。
司会は、国労熊本闘争団で大阪に常駐している蓑田浩司さん(鉄建公団訴訟原告団)が行った。
 国鉄闘争京都の会の野坂昭生さんが主催者を代表して、事故の根本には民営化がある、再発を許さない闘いを、とあいさつした。
 講演は、労働問題はじめとしてさまざまな社会問題を取り上げてルポルタージュしている安田浩一さんが「尼崎事故から二年!今、民営化を問う」と題してJRの内情や事故の本質などを具体的な例を出しながら的確に問題点を指摘した。
 当時首相だった中曽根康弘がNHKで分割・民営化の狙いが闘う労働組合を解体するためのものであったと放言するビデオが上映され、また国労近畿地方本部の組合員が民営化のもたらした現在の厳しい職場の実態を報告した。そして尼崎鉄道事故遺族の会からのビデオメセージが映し出された。
 闘いの報告では、JR西日本株主・市民の会の桐生隆文さんが株主総会への取り組みについて、郵政ユニオン中央本部の松岡幹雄書記長が十月に民営化になる郵政職場における闘い、とくに非常勤労働者の問題や地域切捨ての郵便局再編問題を報告した。
 鉄建公団原告団からは、兵庫担当オルグの大串潤二さん(国労佐賀地区闘争団)が、労働組合が強くならなければ安全はない、一〇四七名闘争では裁判闘争とともに地域の闘いを強化しよう、と訴えた。
 集会アピール(別掲)を全員で確認し、市内デモに出発した。事故現場では全員で献花して追悼の気持ちを表した。
 全国で安全無視の事故がおこっているが、それを防ぐには労働組合や市民のチェック体制の強化が求められている切実に感じた。

4・24東京集会

 四月二十四日には、東京しごとセンターで、「―崩れゆく日本の安全―ノーモア尼崎事故二周年シンポジウム」が開かれた。国鉄闘争共闘会議の星野良明副議長が主催者あいさつ、週刊金曜日の北村肇編集長が協賛団体あいさつを行なった。ドキュメント「自動券売機カエル君吾妻線体験ツアー」のビデオ上映があり、国労東京闘争団の佐久間忠夫さんが体験ツアーの報告、尼崎事故遺族の藤崎光子さん(「4・25ネットワーク」代表世話人)からはビデオレターが寄せられた。
 シンポジウムでは、立山学さん(ジャーナリスト)、鎌田慧さん(ルポライター)、唐澤武臣さん(国労高崎地本書記長)が発言し、安田浩一さん(ジャーナリスト)がコーディネーターだった。人減らしと国労つぶしの分割・民営化は大事故をもたらした。それはJRだけでなく日本全国に広がっている。労働組合がしっかりしなければ安全もすべてだめになるなどの発言がつづいた。

JR尼崎事故から二年!国鉄「分割・民営化」から二〇年を検証する関西集会アピール

 二〇〇五年四月二五日死者一〇七名負傷者五五五名の大惨事を起こしたJR尼崎事故から早二年が経とうとしています。昨年末には国土交通省の航空鉄道事故調査委員会が「事実調査に関する報告書の案」を公表し、今年二月には「意見聴取会」を開催しました。出席したJR西日本の副社長は報告内容に対し、自らの行為の正当化を強調し、遺族はもちろんのこと事故調査委員会や全てのマスコミからも批判されました。事故の非を全面的に認めているJR西日本が、余裕のない「ダイヤ編成」や「ATS―P」設置の遅れ、運転手を精神的に追い詰めた「日勤教育」などに事故原因を求めず、事故原因の全てを運転手個人に押し付けようとしていることは許されるものではありません。JR西日本は『安全性向上計画』なるものを作成し「私たちは、この事故を決して忘れることなく、お客様のかけがえのない尊い命をお預かりしている責任を強く自覚し、安全第一を積み重ね、お客様からより高い安心と信頼をいただける鉄道を築き上げることに全力をあげて取り組んでまいります。」とホームページの冒頭に掲げています。
 しかしその実態は、事故以前と少しも変わっていないことが意見聴取会の意見表明でも明らかです。それに対し遺族の方々は二月一〇日に「JR西日本の安全を求めて」と題してフォーラムを開催しました。事故原因を追究し、二度と事故を起こしてはならないとする遺族の方々の思いとは裏腹に、事故当時の責任者を子会社に天下りさせ、意見聴取会で居直るJR西日本に対するご遺族の憤りは察して余りあります。
 また今年は国鉄「分割・民営化」が強行され二〇年になります。JR発足後二〇年の歴史は、「安全」を犠牲にし「稼ぐ」に走った二〇年でした。「分割・民営化」に反対するベテランの運転手、車掌、駅および保線労働者などの首を切り、モノを言えない職場の専制体制が「事故の芽」を摘み取り、一〇七名の犠牲者を出す大惨事を引き起こしたのです。JRの安全を取り戻す闘いは民営化・規制緩和の問題と深く関わっています。
 本日の集会を開催した私達は、まずJR西日本の事故原因と責任の明確化、抜本的な再発防止策を強く求めます。そして労働組合敵視政策をやめ、国鉄「分割・民営化」の犠牲者一〇四七名の解雇撤回を求めます。
 「利益第一」を改めさせ、「安全第一」の公共交通としての鉄道を取り戻しましよう。

〇七年四月二十二日


使い捨てはゴメンだ! 労働ビッグバンをぶっとばせ! 中小・非正規雇用労働者の春闘

 四月十八日、「使い捨てはゴメンだ! 労働ビッグバンをぶっとばせ! 勝ちとろう 安心して働ける職場と生活できる賃金を〜〜労働法制改悪反対!」を掲げて、「中小・非正規雇用労働者の春闘を闘い抜こう!4・18中小春闘」が闘われ、冷たい雨の中で一日行動・集会・銀座デモが行なわれた。
 「4・18中小春闘集会」は中央区立中央区民館で開かれた。
 主催者を代表して中島由美子・全国一般労働組合東京南部書記長のあいさつのあと、労働弁護団の棗一郎弁護士が来賓挨拶。
 ホワイトカラー・エグゼンプションの今国会上程を断念させた。これはわれわれのひとつの勝利だ。今度の国会は労働法制国会でもあるが、政府・与党は争点隠しで、あまりあからさまなことを言わなくなった。しかし、参院選を乗り切れば、また「労働ビッグバン」で雇用・労働時間の規制緩和を仕掛けてくるだろう。絶対に許してはならない。ともに闘おう。
 現場報告では、雇用責任の不在、長時間労働、労働契約法と少数組合の問題、有期契約、外国人労働者の人権を踏みにじる雇用対策法などについての報告があった。全日建運輸連帯労組からは、殺人的な超長時間過重労働に反対して労組をたちあげ、会社の組合潰しに抗して全面勝利を勝ち取ったことが報告された。全国一般東京なんぶからは外国人労働者の賃金・労働条件切り下げとの闘いが報告された。
 全統一労組外国人労働者部会とジャーナリストの安田浩一さんは、実習生・研修生という制度の問題について発言した。郵政ユニオンは民営化のなかですすむ非常勤労働者の過酷な現状と郵政4・28処分撤回闘争について報告した。埼京ユニオンは介護労働者の闘いについて報告した。
 社民党の保坂展人衆議院議員は国会報告を行なった。
 集会を終えて銀座デモを行なった。
 集会で確認されたアピールは、
 ……労働者不在の労働ビッグバン、労働を売買の対象にする労働ビッグバンを、絶対に許してはいけません。戦後の社会の枠組み=レジームが占領時代のお仕着せだと言うのなら、アメリカのイラク戦争に荷担するために自衛隊を増強し憲法九条を変えるのも、同じくアメリカの言いなりではありませんか。私たちは決して戦後を終わらせません。安定雇用と労働条件の向上、国籍も性別も年齢も条件にしない平等と均等待遇、平和な暮らしと人権の守られる社会を実現するべく、私たちは〇七春闘を闘うとともに、理不尽なことには「NO!」の声をあげて、広く社会に呼びかけながら、仲間と共に闘っていきましょう。


清水私案(民族解放社会主義革命論)を再読する B

清水私案への反論

 では、この意見(清水私案+反対提案の理由)についての左社執行部・労農派側の対応はいかなるものだったか。

 高島喜久男『戦後労働運動私史 第二巻 一九五〇〜一九五四』(第三書館 一九九三)が左社執行部側の反論を載せている。それによると、

 ……中央執行委員会の『綱領の蜜議経過』は、「それなら何故かような私案を、綱領委員会は絶対多数で否決したかというに……」として、約一二〇〇字を費して、反対意見を述べている。
 I 「われわれは、実践途上、しばしば、社会民主主義に関する理論的解明なくしては解決しえない重大問題にぶつかっている。そしてその解明がない為に党が混乱することもまたしばしば経験するところである。党の綱領とは、こうした問題解決の尺度たるべきで、ただ客観的条件に適応した大衆組織の行動だの、未組織大衆の意欲なぞに出発する行動基準は、……目的意識的な社会主義政党の組織的任務には堪えないものになる。」
 「平和四原則はたしかに重要な政策である。だが、それは当面いかに重要政策であろうとも戦略ではない。やはり一つの戦術的意義しかもタない。戦略とは、革命闘争の対象、そのための勢力配置であって、対象は独占資本であり、勢力配置は労働者階級を中心とする勤労大衆の組織化であるが、平和四原則はかかる立場に立って当面する情勢に対応する政策である。」
 「日本が資本主義であることを許されているかぎり、日本の独占資本はアメリカの資本そのものではない。仮りに、日本独占資本主義が、アメリカ帝国主義の一翼となっているというのであれば、……却って国内における階級闘争がその究極である社会革命が民族革命である、というわれわれの主張を裏づけるものである。」
 「また、平和=独立=社会革命の主体が労働者階級を中核とする勤労大衆だというのであれば、これへの革命の相手は独占資本である。そしてそこからはじめて階級が組織され、しかしてその上に立つ社会主義革命が民族革命でもあるのである。だが、もし民族革命から出発すると、労働者階級を中核とする勤労大衆という階級性がなくなり、単なる排外運動となる。植民地であれば、そうした運動も一個の革命的意義をもつが、資本主義国では、それはファッショヘの道を拓く危険がある。」

清水私案の否決

 こうして、清水私案は綱領委員会で、絶対多数で否決され、しかも公式には一散発表されることがなった。
 この間の経過を高島『私史A』は次のように記している。

……社会党の中央機関紙『党活動』五四年一月一〇目付号外のなかの「綱領の審議経過」(中央執行委員会名)には次のように書かれている。
 「私案が対案の形でだされたので、綱領委員会としてはその取扱いに関し清水委員をもまじえ協議した結果、次のように決定したのである。@綱領委員会では私案が絶対多数で否決され、さきに審議されてきた案(稲村=向坂草案)が原案として採用されたことを確認し、綱領委員会としては、この原案のみを委員会として中央執行委員会に提出する。ただしそのさい、対案の形をとった少数反対意見のあったことを報告する。A略、B大会の決定[高島、綱領作成をきめた五三年定期大会では、綱領の審議過程で出された意見は詳細に報告し、下部委員の討議の資料とすることが確認されていた]にもとづいて、来るべき大会の討議に資するため、政策審議会長(綱領委員長)は中央執行委員会案を下部に流すさい、同時にその経過報告の形式で反対意見の内容も出来るだけ詳細に知らせる。」
 ただし、清水私案支持のために組織された綱領研究会(後述)の『討議資料』bP『社会党綱領清水私案』のなかの「綱領草案成立の経過」では、
 「草案の審議に長時間を費したために、(綱領委員会で清水の)対案が審議されることになったのは、(綱領委員会の報告をうけて)綱領を審議するために開かれる予定の執行委員会の前夜、(つまり、綱領委員会の最終日の夜)しかもおそくなってからであった。そのときには綱領委員の大部分の人は引きあげてしまって、事実上対案を審議することは不可能な状態になっていた。結局、原案が絶対多数の賛成をえて、中央執行委員会に報告され、同委員会で原案が可決されるにいたった。右委員会において対案作成者の清水氏から、大会における確認もあることだから、異なった意見も同時に下部に流してもらいたい、と申し入れたが、その意見は容れられず、小委員長の綱領草案の経過報告の中で、その旨を言及することとなった。」

左社大会での論戦

 このような経過で清水私案は葬られることになったのだが、その後も、次に見るように原案反対派の動きは続いている(先の文章に「後述」となっている綱領研究会は、社会党左派として平和同志会→安保体制打破同志会となっていったグループである)。その辺の事情を高島は次のように書いている。

 ……さて、清水自身は論争からおりてしまうのであるが、清水のいう「高野がかついだのだから」ということもあったであろう。社会党のなかに、清水私案を中心として、綱領のことを考えようという綱領研究会が生まれた。五四年一月二一日から三日間開かれた左社大会ではそれが中心となって、猪俣浩三、木下源吾、高田なお子、田中稔男、細迫兼光、吉田法晴連名の修正意見書、また別に、細迫兼光個人の修正案、これもまた別に吉田法晴を代表とする福岡県運の別の修正意見書が出され、また綱領研究会とは別個に、しかしほぼおなじ内容で、党青年都近畿ブロックが発表し、大会へは京都府連から提出された代案、長野県肩井支部からの意見書、愛媛県連の一代議員からの意見書が出される。しかしまた、それら、アメリカ帝国主義を主敵として明記させようとする各修正意見書に対して、まったく反対の側からソ連を帝国主義として明記せよという、新産別=三戸信人(東京)、関野忠義(神奈川)、森川正栄(京都)、越田文夫(大阪)連名の修正意見も出された。……

 そして、高島はいくつかの大会発言を紹介している。ここでは、総評・高野派の民族闘争を強調する石黒清特別代議員(総評政治部長)の発言と稲村中執の答弁だけを引用しておく。

(石黒)「さきに日本社会党は、アメリカとの講和、安保条約が、青々(双方に反対)か、青白(一部賛成)か、で分裂した。いいかえれば、いわゆる全面講和の論争が党を分裂せしめたのである。それは何故であったか。われわれは講和条約が与えられても、日本に軍事基地がある以上、革命の達成は非常に困難になるし、なによりも、平和と独立をかち得られない、と信じたからにほかならない。……事態はわれわれの予想したとおり、そして、青々の理論のとおり進展している。いまもそうである。現実の事態はあの時と少しも変っていない。いや、かえって、MSA(日米相互防衛援助協定)の支配、教員の政治活動禁止など、一連の逆コースは益々ひどくなりつつある。私は、両条約反対、青々、MSAの支配反対、そして民族の独立と平和を守ることは一貫していなければならないと確信する。それなのに、どうしてこれが綱領の基礎になっていないのか。どうして、平和四原則と民族の独立ということが、綱領の基本になっていないのか。つぎに、現在、国鉄、日教組。炭労など、わが国の主要な労働組合を中心に、強力なMSAの反対闘争をおこなっているが、MSAの支配は、労働者階級ばかりでなく、あらゆる分野にわたって、その生活を脅している。この闘いは労働者だけでは闘えなくなっている。中小企業者や、家庭の婦人、未亡人、失業者など、すべてのMSA被害者を糾合して幅の広い闘いを進めなくてはならない。草案のように、階級闘争だけを革命の中心とするのでは闘いの幅がせまくなる。
 稲村中執(綱領委員)「そのようなことは綱領草案に全部のっている。」
 その他、新産別などの代議員によるソ連=帝国主義論の修正意見も出されたが略。

左社綱領の採択

 大会は、修正意見を全て否決し、その後で本部が原案を一部修正して、可決した。
 綱領草案の修正点は次のとおり。
 一、日本資本主義の現状のうち、日本労働者階級は、いまや社会主義革命という本来の歴史的使命《の外に》民族独立の回復と平和の維持という解決を迫られる重大な任務に立たされている、とある中の《の外に》を、《とともに》と改める。
 二、同じく、労働者階級の民族解放の闘いは同時に、アメリカと結ぶ日本の独占資本の支配に対する闘いを意味することを理解しなければならない。このような日本の独占資本に対する闘争、という項を、アメリカ帝国主義とこれに従属する日本独占資本の支配に対する闘い、と改める。
 三、過渡的段階の政府の任務が、原案では、《直接に社会主義を実現することではなく》となっているものを、《民族独立を闘いとるとともに》と改める。

 原案に比べて民族的課題が強調されているのが特徴的な変化であるが、かくして五四年一月、左社党大会で日本社会党綱領(いわゆる左社綱領)が決定された。構成は、第一部(@日本社会党の歴史的使命、A日本資本主義の現状、B平和革命の展望、C社会主義革命の諸条件、D資本主義下における闘争、E過渡的段階の政府)、第二部(@序、A平和と独立の確保、B自由と民主主義の擁護、C勤労大衆の生活防衛)、第三部(@党の階級性堅持と党内民主主義の確立、A党組織の活動分野、B労農提携は党組織を中心に、C党と大衆団体との関係、D他政党との共同闘争について、E国際的団体との関係、F党と民族闘争組織との関係、G党組織の本隊強化)となっている。
 (●「労働者運動資料室」《http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/》に左社綱領をはじめ社会党、社会主義協会などの資料が豊富に掲載されている)。

短命だった左社綱領

 だが、この綱領の生命は決定の翌年一九五五年十月の左右両社会党の統一までのものであった。清水は『日本の社会民主主義』で、社会党の統一には、社会党政権間近というマスコミ論調にのった二大政党論に立脚した統一論と高野の主唱した国民総抵抗路線の政治的代弁者の形成のための両社に労農党を加えての三党合同という二つの流れがあったとしながら「事態はまさに政権第二候補コースを進み両社合同は実現した。手ひどい打撃を受けたのは両派の党内で独自の党作りに精魂を傾けていた党活動家層でありとくに派閥ボスとの関係の薄い人たちであった。このような人は無論左派社会党に多かった。左社綱領も政治的効力を失って『たましい』のいこいの場になって行った」と書いた。(文中敬称略) (つづく) (MD)


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安倍首相の浅薄で誤った「歴史認識」の証明

 読売新聞の報道によると安倍首相は四月十四日、福島県会津若松市での街頭演説で、一八六八年の戊辰戦争について触れた。首相は長州藩などの「会津攻め」の歴史を念頭に「私は山口県の出身だ。先輩がご迷惑をおかけしたことをお詫びしなければならない」と陳謝した。さらに安倍家が平安時代に源頼義・義家親子に敗れた安倍氏の子孫と言われていることに触れて「安倍は岩手、青森の安倍一族だ。どうか仲間だと思ってください。これからは一緒に素晴らしい会津を作ろう」などと述べたという。
先ごろ「軍隊慰安婦」問題の歴史認識で、軍の関与について「狭義」と「広義」などという訳のわからない解釈を持ち出し、国際的にもひんしゅくを買った安倍首相が、今度は日本の歴史についての認識でもデタラメな認識ぶりを示したのだ。
安倍晋三の家系が奥州の「前九年の役」当時の「俘囚の長」とも呼ばれた安倍頼義・貞任らの末裔にあたるかどうかは知らないが、安倍首相が持ち出した源頼義・義家の奥州攻めは、当時の蝦夷のひとびとに基礎を置いて自立・独立の傾向を急速に強めつつあった安倍一族の東北国家に対する、京都の朝廷政権の侵略・抑圧のための戦争だった。
 これとは違って戊辰戦争における会津攻めは、徳川封建・幕藩体制をうち破るための歴史的な革命のなかでの一コマだった。のちに語り伝えられる「白虎隊の悲劇」に見られる会津藩の抵抗と悲劇は、幕府の命で京都にまで出兵し、京都守護職として有名な新撰組などを使って長州の志士らを弾圧し、維新革命に敵対した会津軍の敗北の過程での最後の抵抗であり、歴史的には会津軍は守旧派の反革命軍の位置にあった。城下一〇〇〇戸の焼滅や死者の骸の弔いすら禁じられて街に死臭が蔓延する状態であったと言い伝えられる官軍のむごいやり方は非難されるに値するにしても、旧幕藩勢力とのたたかい自体は維新革命側が謝罪すべきことではないだろう。
 ここで使われた「先輩が迷惑をかけた」などという言葉を聞くと、安倍内閣の歴史認識においては、近代において日本帝国主義が朝鮮半島や中国をはじめとするアジア諸国に「迷惑をかけた」と謝罪したのもこの程度の軽さであることがわかる。
もしも長州藩が会津に謝罪する必要があるとすれば、戊辰戦争のことではない。会津などの封建・守旧派を打倒して成立した明治政権が、会津藩士とその家族、一党を報復のために青森・下北に移封し、過酷な開発に従事させたことや、さらにその後、明治新政府が薩摩の三島通庸らを派遣して福島の自由民権運動を敵視し、喜多方における「弾正が原」の大謀略・弾圧事件を引き起こしたことなどこそ、謝罪すべきことではないか。
たしかに会津には「薩長を許さない、信用するな」という言い伝えがあるのも事実である。それは山口県の萩市と会津若松市の姉妹都市縁組みの話などが持ち上がってもつぶされたりするほどだ。
 しかし、その会津ナショナリズムにおもねり、全てを肯定する必要はない。何を謝罪し、何は謝罪しないかは、すぐれて歴史認識に関わることだ。
安倍は平安期と明治維新期の両方で、この問題を混同する誤りを犯してしまっている。選挙で支持を得たいという薄汚い動機に基づいて、歴史問題を話の種にしただけだったに違いないが、はからずも安倍の薄っぺらな歴史認識を露呈するハメになった。 (T)