人民新報 ・ 第1235号<統合328号(2007年11月15日)
  
                  目次

● 派兵・給油新法阻止! イラク自衛隊撤退!

● 国鉄闘争の勝利に向けて、11・30大集会を成功させよう

● 米軍再編反対! 来るな!第一軍団司令部  座間・相模原の反対行動

● 在日米軍再編・岩国基地機能強化反対! 米海兵隊の犯罪を許さない! 10・28ヒロシマ集会

● 労働法制改悪阻止!  労働約契約法案が衆院通過

● 故浅沼稲次郎委員長追悼集会  村山元首相の発言に違和感

● 図書紹介  /  内田雅敏 著 『半世紀前からの贈物」 ―いま蘇る小学校2年生の「文集」―』 

● せ ん り ゅ う  /  瑠 璃

● 複眼単眼  /  福田・小沢会談の憲法問題に関わる検証



派兵・給油新法阻止! イラク自衛隊撤退!

 自民党総裁福田康夫と民主党代表小沢一郎の党首会談とその後の小沢の辞意表明・撤回劇は、日本政治がいま大激動期にあることを示すものであた。七月参院選での自民党の歴史的大敗と衆参「ねじれ」構造という二〇〇七年政治体制の出現で、重要法案も簡単に成立させることが出来なくなった事態に直面して、「国士」を気取る中曽根康弘元首相や渡辺恒雄読売新聞グループ本社社長・主筆などが、「大連立」を画策した。
 党首会談で小沢は、福田が安保・防衛問題で自分の見解に大きく近づいたと思い込んで、それなら「大連立」も可能だとして、民主党へ持ち帰った。ところが、民主党執行部はそれを拒否した。選挙を目前に、民意は大連立ではなく、自公政権批判であることを感じている民主党の議員たちの判断がその背景にあったこと間違いないだろう。
 参院選前後から小沢は、これまでの独断専行の政治スタイルを改めて「ニュー小沢」をアピールしてきたが、今回の事態はそれが簡単にいかないものであることを立証した。自民党などはこれで民主党の崩壊を期待した。だが、小沢の「恥を忍んで」の辞表撤回という対応によって、「大連立」と民主党崩壊は回避され、民主党は、一応、対決姿勢にもどった。
 小沢の前の党代表の前原誠司がガセ・メールに引っかかって辞任したが、この党は、そうした弱さをもっている。しかし、前回も自民党との協調を前面に出していた前原体制が崩れることによって、自民との対決姿勢が強まり、参院選での与野党逆転という果実を獲得したのだった。
 民主党にはさまざまな政治潮流が存在する。自民党よりよほど右の個人・グループもいる。しかし、この間の民主党では与党との協調路線が出ても、なかなかうまくいかない。それは、自民党政治が最終的な金属疲労を起こして、政権交替の声が強まった。民主党は参院選では大きな信任を受けたが、原則論からする与党との対決論者だった小沢と民主党も今回のことで、重大な欠点があることを自己暴露した。自民党政治に換わるのは民主党で大丈夫なのかという気分がひろがった。
 「大連立」工作が失敗した自民党は、今度はさまざまな協議の場に野党とりわけ民主党を引き込んでくるだろう。そして、民主党の意見を表面的にとり入れることと交換に法案を成立させることに全力をあげてくる。民主党内の親自民勢力が動き、事態を見極められない勢力が引きずられていく危険性が大きくなっている。
 だが、このことで、民主党は、保守二大政党の一つだから、自民党と同じだ、いや欺瞞性があるのであるので自民党よりいっそう強く批判しなければならないということではない。
 現在の歴史的な流れは、さまざまなゆり戻しをともないながらも、自民党政治を終焉させ、政治の流動化を実現することである。もちろん国会での非自民勢力は民主党だけではない。現在の参議院は民主党単独では過半数にならず、共産・社民などの議席を加えることによって半数をこえているのである。民主党も、それら政党の主張も受け入れなければならない
 当面する国会の焦点は、イラク・アフガニスタン戦争関連法案の行方である。一一月二日、ついにテロ特措法は失効した。ブッシュ政権は福田内閣に、給油再会を強力に指示してきている。しかし、政治情勢は、政府・与党にとって厳しさをますものとなってきている。イラク・アフガニスタン情勢は悪化し、防衛省・防衛族議員と軍事産業との癒着・腐敗は強大な疑獄へ発展しつつある。
 ここに来て。与党は国会会期を三五日も延長し一二月一五日までとするとともに、衆院で新テロ特措法(派兵・給油新法)案を強行通過させ、闘いの場は参議院に移った。そして、
民主党は、イラク撤退法案(イラク特措法廃止法案)を参議院に出そうとしている。
 全国各地で、反戦・反改憲の運動、労働者・市民生活と権利の防衛・拡大の闘いを前進させよう。この力を国会での闘いに反映させよう。

 武力で平和はつくれない! 11・3市民集会アピール

 私たちは、日本国憲法が公布されて六十一年目の今日、11・3市民集会」に集まりました。
 日本を「戦争ができる国」にするため、憲法改正を掲げた安倍内閣に対し国民は参議院選挙で明確に「ノー」をつきつけました。政権を投げ出した安倍首相に代わって登場した福田内閣は、「自立と共生」、「野党との協調」などを唱えています。しかし、憲法に違反してイラク、アフガン戦争に加担し、給油を続けることをやめようとしていません。私たちの血税を米軍再編につき込み、年金・医療・介護や教育を崩壊の危機に追い込んでいます。自公政権では本当の平和も暮らしも守れず、つくれないことは、もはや誰の目にも明らかです。
 私たちは、かつての日本の侵略戦争と軍国主義の反省から生まれた平和と基本的人権と主権在民の憲法を、政府が誠実に守り、私たちの暮らしと世界の平和に生かすことを強<求めます。私たちは、強い決意をもって皆さんに呼びかけます。
 ★明文改憲も解釈改憲も許さず、憲法の理念を実現しましょう
 ★沖縄戦の実相を隠す教科書書き換えを許さず、歴史の真実を伝えていきましょう
 ★政府による教育破壊を許さず、子どもの権利を守りましょう
 ★侵略戦争の責任を明確にし、アジアで信頼と和解を実現しましょう
 ★日朝の国交正常化をすすめ、東北アジアの平和を築きましょう
 ★原子力空母の横須賀母港化をやめさせましょう
 ★軍隊によらない国際協力で平和をつくりだしましょう
 ★インド洋派兵・給油新法に反対し、イラクから自衛隊を撤退させましょう
 ★憲法改悪のための憲法審査会の始動に反対しましょう

 集会参加者一同


国鉄闘争の勝利に向け、11・30大集会を成功させよう

 いま、国鉄闘争は最終的な山場を迎えている。
 一九八七年の国鉄の分割民営化を口実に首を切られた労働者一〇四七名の解雇撤回を求めての闘争は、広範な労働者・市民へと支援を広げながら頑強に続けられてきた。とりわけ二〇〇五年、国労に所属していたことを理由に「JR不採用」となったのは不法行為であるとした東京地裁9・15
鉄建公団訴訟判決を一つの契機にして、それまでの団結回復へむけての努力が実り、分裂状態にあった被解雇当事者と国労・全動労(建交労)と二つの共闘組織の団結を回復させ、統一した行動が始動した。鉄道運輸整備機構(国鉄清算事業団・鉄建公団)と国土交通省に対する統一解決要求を提出し、当事者中心の大衆行動と裁判闘争を軸にした解決に向けての運動の体制が作られた。
 一〇月一四日、亀戸中央公園で開かれた「団結まつり」には、被解雇当事者をはじめ多くの人びとが参加した。
 まつりの決議では、「今こそグローバル資本主義に対抗するすべての労働者・市民とともに、貧困社会を変えさせ、人間として生きる権利が尊重される社会をともに創り出し、一〇四七名の解雇された当事者の闘いを勝利させよう。また、民営化=安全性切り捨ての交通政策の犠牲となった『尼崎事故』遺族・被害者の思いを受けとめ、規制緩和路線を転換し、公共交通としてのJRの安全性を確立する運動を大きく広げよう!」と確認した。
 この年末は、これまでの闘いの一つの集約期である。一一月三〇日午後六時半からは、東京・日比谷野外音楽堂で「二〇年の節目、総力をあげた闘いで勝利を!『JR採用差別』全面解決を迫る全国大集会」が、国鉄労働組合・全日本建設交運一般労働組合・国鉄闘争支援中央共闘会議・国鉄闘争共闘会議の四団体と国労闘争団全国連絡会議・鉄建公団訴訟原告団・鉄道運輸機構訴訟原告団・全動労争議団鉄道運輸機構訴訟原告団の四者の主催で開かれる。集会のスローガンには、一〇四七名解雇争議の全面解決を!すべての鉄道運輸機構訴訟裁判で勝利しよう!改憲阻止!労働法制改悪をやめさせよう!が上げられている。
11・30集会を大成功させ、同時に各段階での大胆な政治的なアプローチを平行して進め、まさに総力をあげた活動で勝利をもぎとっていかなければならない時である。


米軍再編反対! 来るな!第一軍団司令部

          
座間・相模原の反対行動

米統合参謀議長の来日

 一一月七日、米統合参謀本部議長マイク・マレン海軍大将が来日した。マレン大将は、一〇月にピーター・ペース前議長の後任として、米軍制服組のトップとなったが、その就任式でマレン議長は、「イラクとアフガニスタンでの戦いはいずれ終わる。われわれは次に来るものに備えなければならない」と発言している。八日には、在日アメリカ陸軍の司令部がある神奈川県のキャンプ座間を訪れて、アメリカ軍の再編に伴う陸軍の新たな作戦司令部の設置に向けた準備作業などを視察した。
 米軍は世界的な軍事配置の再編に拍車をかけている。いまや、アメリカはイラクでもアフガニスタンでも勝利の展望は見出せず、いかに「名誉ある」撤退を行うかの選択の時期に入ったのである。にもかかわらず、世界的な覇権の維持を確保するために、地球的規模での米軍再編を行おうというのである。
 日本政府は、この間、いずれの内閣も、日本国内の多くの反対の声を無視して対米追随政策を強行してきた。そのために、沖縄をはじめ日本全国各地で基地負担をよりいっそうかぶせようというのである。しかし、反米基地闘争は左翼だけでなく、市民、そしてその声を背景に自治体ぐるみでの基地反対・縮小・撤去の動きが拡大している。

再編交付金で反対抑制

 アメリカからの圧力と、保守層をも巻き込んだ形で拡大する反対運動の蔓延という事態にあせる政府は、これらの動きをおさえつけるためにさまざまな姑息な手段を弄している。基地負担反対をカネで買収するというのは政府の常套手段である。今年の五月に在日米軍再編に伴う基地負担の代償として支払われる交付金支給の仕組みを定めた米軍再編特別措置法が成立させられたが、一〇月三一日に、防衛省は、「再編交付金」の対象となる地方自治体三三市町を指定した。支給対象の自治体を決めたのは初めてだ。
そこには、はっきりとした政治的な意図が見える。来年二〇〇八年に神奈川県横須賀市は米第七艦隊の原子力空母ジョージ・ワシントンの母港に予定されているが、それを受け入れることを認めた横須賀市や大陸間弾道ミサイル迎撃のための新型早期警戒レーダー「Xバンドレーダー」の配備を受け入れた青森県つがる市、米軍F15戦闘機による千歳基地での訓練分散移転を容認した北海道千歳市などが指定された。
 一方、普天間飛行場の代替施設移設案に反対する沖縄県名護市や岩国飛行場への空母艦載機の移転受け入れに反対する山口県岩国市など米軍再建計画の受け入れに反対する七市町村は交付金の支給対象から除外されている。米陸軍第一軍団司令部の受け入れで司令部機能を改編する神奈川県のキャンプ座間をめぐっては、計画を容認した相模原市を支給対象としたが、計画に反対する座間市は指定から外した。
 まさに、米日政府の米軍再編に協力度を測ったうえでの露骨な「アメとムチ」の政策である。
 防衛省は、一一月中に交付金の内定額を各対象自治体に通知する(今年度から支給)が、その上で、「自治体から再編計画の受け入れ表明があれば今後も追加で指定する」としていて、反対自治体をカネに眼がくらんでの計画受け入れへ促そうという魂胆である。そして、各地の親米反動派は自民党を中心に各自治体で、反対運動の形骸化・無力化を策動しているのである。
 すでに座間市の星野勝司市長(保守系)は「国がキャンプ座間の恒久化解消策を先に示さなければ(反対か容認か)判断のしようがない」と言い出し動揺を見せ始めた。国の解消策提示を口実に、容認姿勢を見せたいという気持ちの表れではないかという見方もあり、さまざまな動きが出ている。座間市だけでなく全国で反対運動を堅持している各自治体でも同様な動きとなっているだろう。これから、本格的な闘いに入っていく。切り崩し工作に反撃し、戦争のための米軍基地強化に断固として反対していこう。

10・20座間・相模原行動

 一〇月二〇日、「とめろ!テロ特楷法 やめろ!日米軍事再編 来るな!第一軍団司令部」を掲げて、座間・相模原行動が闘われた。主催は、第一軍団の移駐を歓迎しない会、バスストップから基地スットプの会、神奈川平和運動センター、基地撤去をめざす県央共闘会議で、神奈川の労働組合員や市民が参加して、米軍基地強化反対の声をあげた。主催者を代表して、宇野峰雪・神奈川平和運動センター代表があいさつ。社民党神奈川県連合、神奈川ネットワーク運動のあいさつをにつづいて、安次富浩さん(海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会代表)と三浦半島地区労の田村豊さんの報告をうけ、集会宣言(別掲)を確認し、デモに出発し、途中のキャンプ座間メインゲートでは米軍へ申し入れを行った。

集 会 宣 言

 今日私たちは、移行チーム発足への大きな怒りと、誰も犠牲になることのない平和を願って集まりました。
 日米両政府は八月三一日に、反対する自治体・市民の声を一切無視して通告のみで、キャンプ座間に第一軍団前方司令部移駐準備のための「移行チーム」を発足させました。また、通告さえなく一〇月一五、一六日にはハンビー一四台とトラック四台を搬入しました。 
 一六日は「キャンプ座間に搬入する」と言いながら、嘘までついて相模補給廠に搬入しました。
 これらはすべて主権在民、地方自治を踏みにじるものであり、私たち市民は大きな怒りを禁じ得ません。このようなことが許され、またその積み重ねの上で「移駐」が強行されるのであれば、日本は戦前に逆戻り、再び大きな誤りを繰り返すことになるでしょう。
 そのようなことにしないためにも、私たち市民は声を挙げ続けなければなりません。

 「九・一一同時多発テロ事件」を口実にブッシュの「テロとの戦争」が始まり、そのための「米軍再編」が小泉政権のもとで合意されました。しかし、この六年間推し進められた、軍事力を背景にしたアメリカ型経済支配は、血なま臭く、一部のもの以外は弱者に追い立てるものであることがはっきりとわかってきました。世論はもう「テロとの戦争」を支持していません。「テロ特措法」論争が「米軍再編」の見直しに発展する前に既成事実を作ってしまえと焦っての有無を言わせぬ強行です。
 沖縄の辺野古・高江、山口県岩国、横須賀、そして座間・相模原で、民意を無視した膨大な犠牲が強いられようとしています。私たちは、早急に「米軍再編」ロードマップ廃棄の運動を作り出していかなければなりません。キャンプ座間、相模補給廠、横浜ノースドックに、皆さん集まってください!

 九月末、自衛艦が補給した燃料が、イラク戦争に転用されていたことが暴露されました。すべての航泊日誌の公開が求められる中、補給艦「とわだ」の〇三年七〜一一月の五か月分の航泊日誌が廃棄されていたことがわかりました。嘘で塗り固められた「テロ特楷法」と民意を無視した
 「米軍再編」はひとつながりのものです。
 もし、国家の安全保障政策を軍隊と基地のみでしか考えず、それに代わるものを模索しないのであれば、それは為政者の怠慢でしかありません。私たちは、全国の日米軍事再編と基地強化に反対する人たちとの繋がりを強め、安全と幸福の中に生きる権利と主権をしっかりと握り締めて、「日米軍事再編廃棄!」の大きな声を作り出してきましょう! 
 そして、武力によらない平和を実現させていきましょう!

 二〇〇七年一〇月二〇日

 とめろ!テロ特楷法 やめろ!日米軍事再編 来るな!第一軍団司令部   10・20座間・相模原行動参加者一同


在日米軍再編・岩国基地機能強化反対! 米海兵隊の犯罪を許さない!

                                10・28ヒロシマ集会


 一〇月二八日、広島県平和運動センターなど一八団体の集会実行委員会の呼び掛けによる『テロ特措法・イラク特措法は廃止を! 在日米軍再編・岩国基地機能強化反対!米海兵隊の犯罪を許さない! 10・28ヒロシマ集会』が、広島市中区の広島県庁前広場で開かれた。

 休日の昼時で、しかも天気も快晴とあって絶好の野外集会・デモ日和となった。
 懐かしい労働歌『ガンバロー』などがバンド演奏で流れる中に、県内外から結集してきた労組、政党、市民団体の参加者約一〇〇〇名が広場を埋めた。

 集会では主催者を代表しての向井さんの挨拶、連合広島、社民党、新社会党の来賓挨拶があり、つづいて、@在日米軍再編反対!全国の闘い(フォーラム平和・人権・環境から福山原水禁事務局長)、A岩国市新庁舎募金の会『風』からの訴え、Bテロ特措法の問題点(湯浅ピースデポ副代表)、C神奈川からの米兵犯罪の実態についてなど四つの報告が行なわれた。

 集会決議では次のように提起された。
 テロとの戦いとテロ特措法には、そもそも米軍のアフガニスタン侵攻は国際法に違反する侵略戦争である。現在のアフガニスタンは内戦状態であり米軍の行動は国際法に違反する内政干渉にあたる。米軍の攻撃により多数の民間人が死傷している。海上自衛隊から補給を受けた米艦船がイラク攻撃にも参加している。自衛隊の活動の詳細が国会に報告されることなく、シビリアンコントロールが欠如している。など様々な問題点がある。
 私たちは、テロ特措法・イラク特措法を廃止し、自衛隊の即時完全撤退、米国への戦争政策追従・加担をやめさせる闘いを強化していく。
 一〇月一四日未明、広島市で起きた米軍岩国基地海兵隊員による集団女性暴行事件は、市民生活を脅かす許し難い行為であり、強く抗議する。そして、繰り返される米軍兵士による凶悪犯罪に対して、捜査や再発防止の妨げとなっている「日米地位協定」の抜本的見直しを求める。
 岩国は、米空母艦載機の移転問題に対して、受け入れ拒否の声をあげている。そこには、米軍基地の拡大・強化が、爆音の被害、事故の可能性、環境への影響、米兵の犯罪など、市民の安心・安全を脅かしている事実がある。九月には、事前連絡無しで大型掃海ヘリコプター二機と約六〇人の米兵移駐が一方的に行われ、今月初めには、市街地上空での夜間訓練が強行された。又、政府は民意を無視して、約束されていた新庁舎建設の補助金を凍結するという暴挙で、反対する自治体の締め付けを行っている。
 私たちは、本日ここに大きな怒りを持って集い、米兵犯罪に抗議し、テロ特措法・イラク特措法の廃止と、在日米軍・岩国基地機能強化反対を強く訴える。

 参加者全員で集会決議を採択し、団結ガンバローで気勢を上げてデモに出発した。

 休日の賑わいを見せる電車通りに面した繁華街を、長いながいデモ隊の列はシュプレヒコールを響かせながら、「戦争への道を許さない!」と、道行く人々に強く訴えた。 (広島通信員)


労働法制改悪阻止!

   
労働約契約法案が衆院通過
 
労働法制の国会審議

 一一月八日の衆院本会議は、「最低賃金法の一部を改正する法律案」と「労働契約法案」の与党・民主党共同修正案を採決に付し、自・公両党に民主党が加わって賛成多数で可決された。
 最低賃金法改正案は、都道府県別に決められている最低賃金が生活保護の給付水準を下回っていることの解消が目的とされているが、少し上がったとしても東京でさえも一時間八〇〇円にもならないものだ。民主党は、賛成するにあたって、民主党の主張である「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができる」水準を考慮するよう明記したとしているが、憲法二五条の文言を入れただけでは積極的な意味はない。
 労働契約法案は、パートや派遣社員と正社員との待遇格差是正を図るとしているがそれに該当する非正規雇用労働者はほとんどなく実質的な改善は見られない。改正案には「就業規則の変更による労働条件の不利益変更ルール」が入っている。これが重要だ。。使用者は、就業規則を変えることによって労働条件を変える(引き下げる)ことがみとめられる。これまでも就業規則の変更はそうした役割を果たしてきたが、労働者・労組の闘いはそれを簡単には許さず、判例も労働者の言い分を認めるものも出ている。法案は、これまでの労働者の闘いの成果を否定するものだ。
 民主党は、与野党折衝で同党の主張が反映されたとして、もともと衆院に提出していた二つの対案を取り下げた。労働三法のうち、月八〇時間を超えた残業の賃金割増率を現行の二五%から五〇%に引き上げる労働基準法改正案は、儲けが少なくなうという財界の強力な反対、そして「月八〇時間を超える残業」などという超長時間労働に反対す野党などの対立が解消されず、この国会での成立は困難だと見られる。
 労働者の生活に重大な影響を持つ労働法案が、いとも簡単に成立させられようとしている最大の要因は民主党の軟化である。本来、国会での参考人招致、真剣な論議が必要であるが、それもなされず。また、民主党は共産、社民など他の野党との協議・調整も行うことなく、政府案を軸に衆院を通過させたことは大問題である。断固として、労働法制改悪反対の運動を強めていかなければならない。

望まれる労働契約法制
 
 一一〇月一七日、学習集会「望まれる労働契約法制」が中央大学駿河台記念館で開かれ、実行委員会を代表して、全国一般全国協の平賀雄次郎さんがあいさつ。 
 労働基準法は、労働者の最低限の労働条件を定めているが、大きな欠陥がある。それは、就職と退職という入口と出口のところが実にズボラに出来ている。ここのところを規制しなければ労働者にとって不利だ。与党の労働契約法案が上程されようとしているが、労働者の求めるものはこうしたものではない。

 近畿大学法科大学院の西谷敏教授が「望まれる労働契約法制〜就業規則中心主義からの脱却をめざして」と題して講演した。
 経営側は、ホワイトカラー・エグゼンプション法案と引き換えに、労働契約法案を受け入れるとしていたが、エグゼンプション法案の導入がだめになったので、「これは何だ」という気持ちになってきていて、積極的というわけではない。誰が積極的かというと厚生労働省の役人たちだという混乱した事態になってきている。
 この間、労働をめぐる状況は大きく変わった。偽装請負、働きすぎ、格差の拡大などにマスコミ報道も多くなり国民的関心も広がった。これも参院での与野党逆転の一因となっている。こうした情勢をどう考えるかだ。「つぶせ」というだけでなく、労働者のための労働契約法制をつくるチャンスとして生かしていくべきではないだろうか。
 いま放置できない企業社会の実情がある。非正規労働者の非人間的な労働条件、正社員の長時間労働・過酷な競争、労働条件の一方的変更、配転・出向、解雇・懲戒処分の濫用、セクハラ、パワハラなどの人権侵害、様々な労働条件差別、企業組織再編によるリストラ、労働条件引き下げなどあげればきりがない。こうしたことを発生させる原因として、使用者の単独決定がある。使用者の単独決定では、経営政策では、正社員から非正規労働者への置き換え、人数変更、そして不採算部門の外注があり、その都度の命令・権限行使が解雇、配転・時間外労働などの業務命令、懲戒処分となっている。それらが、就業規則によって「ルール」として決定されている。これまでの伝統的な考え方では、就業規則による集団的・画一的決定の必要性があり、また「就業規則の労働者保護機能」も言われてきた。しかし、いま、労働契約の意義の再確認が求められている。それは、@労働者意思の尊重、A労働者の多様性、B会社人間からの脱却、ということがあり、逆説的だが、C労働組運動合が後退していることもある。以上は労働者側からの要求だが、使用者側からの要請としては、@企業間移動の増大、非正規労働者の増加、A労働条件の個別化という労働契約のあり方の変更がある。
 労働契約(法制)をめぐっては、労働者の真の合意・納得を尊重した労働契約か、使用者の単独決定を単に覆い隠すための労働契約かという対立・分岐点がある。国家法によって契約ルールが整備されなければならないが、その内容は、@有期契約の規制、Aパートや有期契約労働者の均等待遇、B配転(とくに転勤)・出向の規制その他、C権利憲章としての就業規則でなければならない。そして、労働者の実質的意思が保障される仕組みが確立されなければならない。
 現行法の問題点は、内容が具体的に規定されずに包括性を持っておいることと、就業規則が使用者だけで決定されることだ。労働者は意見を言うことはできるが、使用者はそれを無視してもかまわないという制度だ。
 また、判例では、服務規律等についての「合理性」判断が形骸化していることが問題だ。
 現在の政府・与党案は、現在の判例法理を前提として、それに法律上のお墨付きを与えようとするものだ。
 ドイツでは、使用者のやっていけないことを詳細に決めている。そして、労働組合レベルでは産業別労組が産別協約を結んでいる。企業では、その権利を法律で決められている従業員代表委員会が使用者と交渉を行う。こうして使用者の自由を縛っている。
 日本で、これまで就業規則は、企業小社会を秩序付けるものとして位置づけられてきた。労組はそれを少しでもましなものにするために努力してきた。だが、重要なのは、中核的な労働条件の変更については労働者の個別同意が必要だという視点である。労働者を一個の独立した主体として労働組合運動が進められるべきなのだ。個人としては労働者は事実上同意を拒否できないのではないか、集団的・画一的変更が必要性なのではないのかという反論も予想されるが、新しい視点と運動が求められているのであり、そうしてこそ、労働運動の活性化が実現していくであろう。

 講演につづいて、全労働省労働組合の丹野弘さんが、特別報告「国会と労働法制の動向」を行い、最後に中小労組政策ネットワークの平賀健一郎さんが、まとめと今後の取り組みについて発言した。


故浅沼稲次郎委員長追悼集会

       
村山元首相の発言に違和感

 一〇月一二日、国会そばの憲政記念館で「9条改憲反対」をかかげて「故浅沼稲次郎委員長追悼集会」が開かれた。会場には、旧社会党の長老たちやかつての活動家が集まって、立ち見もでるほどの盛況となった。旧い人たちが中心になって憲法九条改憲反対を掲げるのはいいのだが、いささかかんがえさせられる集会であった。
 一九六〇年一〇月一二日、浅沼委員長は日比谷公会堂での三党(自民、社会、民社)立会演説会で、演説の最中に右翼に刺殺された。
 この集会の呼びかけ人は、土井たか子、村山富市、伊藤茂、江田五月、久保田真苗、清水澄子、藤田高敏、槙枝元文、矢田部理、山口鶴男、横路孝弘という人びとであり、当日の司会は、保坂展人衆議院議員、辻元清美衆議院議員で、開会挨拶が伊藤茂元社会党書記長(元運輸大臣)、スピーチが、横路孝弘衆議院副議長、渡部恒三前民主党最高顧問(前衆議院副議長)、清水澄子(元参議院議員)、藤田高敏(元衆議院議員)、矢田部理(元新社会党委員長)、山口鶴男(元社会党書記長、元総務庁長官)、福山真劫(平和フォーラム事務局長)、福島瑞穂(社民党党首)、久保田真苗(元参議院議員、元経企庁長官)などだ。渡部氏を除いていずれも社会党・社民党関係者だ。
 土井たか子元社民党党首(元社会党委員長、元衆議院議長)はいまこそ憲法九条をまもるためにがんばろうと元気にアピールしていた。
 集会宣言には「ヌマさんは下町にある戦災をくぐり抜けた古いアパートの一室に住み、近所の人々と気さくに付き合う庶民政治家でした。いうまでもなく議会制民主主義の人でした。戦争を許さない平和の人でした。そしてまさに憲法の防人でした。だからこそ凶刃の的になったのです。 四七年前の日比谷公会堂における最後の演説が、憲法九条戦争の放棄に関わる当時の最大焦点『安保条約』を弾劾するものであったことは、歴史の記憶から消えることはありません」とあった。そして改憲阻止のためには「『人々の価値観や考えの違いを超えた』『9条改憲反対一点での国民的大連帯』が必要です」ともあった。
 しかし、土井さんとおなじく元社民党党首で元社会党委員長の村山富市元首相の憲法が大事だという演説には、首をひねらざるを得なかった。社会党が分裂し、いまのような少数政党になったのには、村山内閣の責任は大きい。安保・自衛隊容認に大きく党の方針を曲げたのが、村山氏であった。かれは、民主党には行かず、社民党にとどまっているようだが、かつての護憲の党をつぶした責任者そのものである。その村山氏が、アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵と述べ、右翼の凶刃に倒れた浅沼さんを追悼し、九条改憲阻止を確認しあう集会で護憲派として発言している。村山氏にとっては、首相時の発言といまの発言は何の矛盾もないのかもしれないが、なんとも不思議なものではあった。改憲阻止闘争の大団結にしても原則は貫かれるべきであろう。


図書紹介

    
 『半世紀前からの贈物」 ―いま蘇る小学校2年生の「文集」―

                        内田雅敏 著  れんが書房新社 700円

 著者と同じ年代の私は、この本を読みながら、初めから終わりまで思わず顔がほころんでしまった。「そう、そうだったんだよね」「ウーンここはちょっとちがうなぁ」という具合だが、地域は離れていても、五〇年前のあのころは日本中でそんなに違わない子どもたちの暮らしがあったということだろう。
 これは、それにしてもまったく珍しい偶然によって生まれた本で、著者は人権弁護士として有名な内田雅敏さんである。内田さんが小学校の同級生から送られてきた「文集」は一九五三年一二月に発行され、著者が通っていた愛知県蒲郡町立南部小学校の二年生の頃のものだった。その同級生が偶然に見つけ、活版刷りの「いつつぼし」という題が付いている「文集」を内田さんが手にすることが出来たことが、事の始まりになる。文集の題は同じ学年に五クラスあったことに由来するようだ。実際この本のカバーの写真を見ると、ちょっと汚れがあり黄ばんではいるものの、赤と黒のインクがくっきりしていて立派な「文集」であることが見て取れる。当時この種のものはほとんどガリ版刷りであったと思うので、この学校の先生たちや地域の、教育への力の入れようが分かるというものだ。
 「蒲郡」というと、私は自分の中学校の修学旅行を思い出す。横浜で生まれ親戚も関東地方にしかなかった私は、それまで箱根山より西に行ったことがなかった。当時は京都まで行くのに鈍行で九時間ほどかかったように思うが、静岡を過ぎてしばらくすると、車窓に海岸線の素晴らしくきれいなところが現れた。こんなきれいなところは一体どこなのかと、駅名を確かめると「蒲郡」だったので、それ以来、東海道を通るたびに注意して「蒲郡」の景色を楽しんでいた。三〇代になって、やっと渥美半島や三河湾を訪れることができた思い出がある。
 それはともかくとして、この本は文集にある小学二年生の作文を紹介しながら、当時の子どもの暮らし、家族や地域の暮らし方、それに級友のその後の消息を伝える中で、日本の戦後の変遷が、エッセイとして語られる。敗戦の年に生まれた著者がすでに還暦を迎えており、言ってみれば、一庶民の目線からさまざまな戦後六〇余年の生活史が、ひとつひとつの実像として紹介されている。
 
 ――学校のかえりみちでうまがくるまをひきながら「ボトン。ボトン。」うんこをまって行きました。「きたねえぞ」と言うとおじさんが「うんこをふむと大きくなるぞ」といいましたら、うまがひひんと泣きました。(Y・T男児)――

 ほんとうに戦後七〜八年といえば、こういう事はよく見かけたものだ。私は横浜の国道一号線沿いに住んでいて、市の中心地には米軍基地がたくさんあったので、舗装した一号線には米軍のMPのジープもキャデラックも庶民のボンネットバスも牛車も馬車も同居して走っていた。朝鮮戦争当時は土のついた戦車や、ミサイルも通ったのを見た。国道一号線だから、物心ついたころから片道2車線の幅広い道は舗装されていた。舗装した道路の脇には幅広い自転車道路と歩道があったが、そこは舗装がしていなかったのでカボチャやトウモロコシの畑と化していた記憶がある。子どもが歩いても行けるような近くにあった農家は、たいてい野菜を牛や馬に引かせて運んできて、売っていた。
 この国道も戦後一二〜三年後には大改修の工事が行われた。掘り返した道路は、アスファルトの下に一メートル以上のコンクリートがうたれ、さらにその下に割り繰りという石が敷き詰められ固められていた。近所中で工事を見ながら、戦後米軍の要請でいち早く舗装された道路だから、さすがに戦車を通すことも出来るような工事がされていることに妙に感心したことがあった。などなどこの文集からは次々と当時のことが思い起こされてしまう。
 
 ――となりのねこがうちのにわとりを食べそうになった。ぼくは「しー」とぼってやったけどにわとりはしんじゃった。にくやにうったら三十円だった。(Y・K男児)――
 ――わたしとこの犬は、ぜんぶで五ひきいましたが、一ぴきは犬ころしにつかまってしまいました。四ひきぜんぶしにましたので、おはかをつくってやりました。(K・M女児)――
 ――お正月まちどぅしいな。まらそんでやってこい、いいにおいのするあたらしいげたがはけるのだ。(M・I男児)
 ――たかちゃんとてベースをしました。ぼくはへぼいからまけるなとあきらめていたらかってしまいました。(M・I男児)――
 
 文集に記された当時の子どもたちの声は、単に懐かしいだけでなく、自然に包まれ厳しいけれど生き生きとした暮らしぶりが響いてくるようだ。
 内田さんは「あの時代、日本全国同じように貧しくはあったが、ゆったりとした時間の流れの中でつつましい暮らしをしていたという事だろう。………下駄や靴の日用生活品ですら、新しい物を手に入れるには一定の時間を必要とし、それ故に新しい物を手に入れた時の喜びがひとしおであった。だから物を大切にした。」と書いている。
 また文集には、お手伝いのことを書いたものも多く紹介されている。暮らしが自然や生き物と近く、家の手伝いでも当てにされていた子どもたちは、成長の過程で生命や生活についてを次第に形成することが出来た時代だった。物のあふれた現在を当時に引き戻すことはできないが、人間形成の中で自然とふれあうこと、物を自分でつくり出す工夫などの体験は必須ではないかと思ってしまう。ちょっと年配の人が、「物はなかったけれど、昭和三〇年ころが一番人間らしい暮らしだったように思います」と、しみじみ話していたことを思い出す。
 文集に出会ったことがきっかけとなって、内田さんは級友のその後の消息を、よくここまでと思うほど実にうまく探し出して紹介している。多くの友人の消息をたどることができたのは内田さんの人徳のせいなのか。文集が内田さんのおかげでもう一度生命を与えられたようだ。その後の級友の消息は、日本の戦後史の断面を物語っている。
 「あとがき」には、活版刷りの文集を作った教師たちの苦心が語られている。私はこの教師たちに、生き生きとした戦後民主主義の力強い息吹を感じる。戦後民主主義と言うと、昨今では「平等悪」のように言われることがあるが、そのころに生活した経験から言えばこれはあきらかに間違っている。戦後、戦禍と抑圧から自由になった人びとは解放感に満ちあふれていたことを、私は子どもながらに感じていた。憲法の実現を教育に期待して制定された教育基本法。そして教え子を戦場に送った反省から、総合的な思考のできる教師像を求めて、師範学校を大学に改変する際には、教育学部ではなく学芸学部として設置された教員養成制度。子どもの教育を、地域住民とともに作り上げることを試みた教育委員の公選制。男女共学の実施にも、地域差はあるが理念に燃えた制度改革だった。今ではほとんど忘れられているが、家庭科は科学的思考、経済、社会関係を形成する総合的な科目として大いに重視されていた。課外活動も子ども、教師、親が一体となって開放的に行われていた。こうした戦後民主主義の輝きは、講和条約の発効や自衛隊発足など、戦後一〇年もしないうちから、どんどん経済効率第一のために置き換えられていったのではないだろうか。
 日本のあり方が問われている「いま」を考える手がかりのためにも、原点に立つことのできる一冊ではないか。  (Y・Y)


せ ん り ゅ う

 品格をなくし美しい日本か

 首相以下品格恥じ捨て皆踊る

 あの傘に移った世渡りお上手が

 不正義が正義のマント着て闊歩

 人類の愚かさ伝える軍靴音

 幾たびも踏まれた草が咲かす花

 あなたと私そこにその木があるように

                  瑠 璃


複眼単眼

     福田・小沢会談の憲法問題に関わる検証


 先の安倍首相辞任に続いて、福田・小沢秘密会談と大連立構想の失敗から小沢代表の辞任劇は、永田町を大きな騒動に巻き込んだ。この二人の党首のプッツンを、一部の論者は「永田町政治の劣化の象徴」と評している。
 しかしこれは「今に始まったことではないだろう」という意味で、いまひとつ、しっくり来ない。あえて「劣化」の理由を捜せば、たしかに永田町は二世、三世議員があまりにも多くなってしまったことだ。「世襲」という意味ではどっかの国を笑えない。安倍や小沢だけではない。「死刑」問題や「アルカイダ」問題で妄言をくりかえす鳩山邦夫もこの類だし、先の自民党党首選挙はいずれも二世、三世議員の争いだった。それが政治家のひ弱さの遠因であるのかも知れない。
 小沢代表が「プッツン辞任表明」をした四日の記者会見で考えるべき問題は「福田首相が安保政策で重大転換を決意した」と小沢氏が説明している問題だ。
 小沢はこう言った。
 (1)国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は、国連安全保障理事会もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る。従って、特定の国の軍事作戦についてはわが国は支援しない。
 (2)新テロ対策特別措置法案はできれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力体制を確立することを最優先するので、連立が成立するならば、あえてこだわることはしない。
 福田総理はその二点を確約されました。これまでのわが国の無原則な安保政策を根本から転換し、国際平和協力の原則を確立するものであるだけに、私個人は、それだけでも政策協議を開始するに値すると判断いたしました、と。
 要するに、小沢が福田に歴代自民党の「第9条の解釈改憲に継ぐ解釈改憲」という無原則な安保防衛政策の転換を迫り、福田がそれを呑んだ、よって小沢は民主党が連立政権への政策協議に入るべきだと判断したというのである。今後、自衛隊の海外派遣は国連決議によるのみ、これを海外派兵恒久法に明記する、新テロ特措法の成立にもこだわらないと福田が約束した、これは重大な成果だと言ったのである。
 第一、これは小沢の憲法論の最大の問題点である「国連安保理決定ないし国連総会の決議があったら自衛隊の海外派兵と武力行使は許される」というのは小沢の独特の9条解釈論であり、これは常識的に考えれば憲法9条の精神とは合致しないものであること。国連関連への派遣であっても明白な憲法違反であることは論を待たない。最近、小沢がこの持論にそってISAF派遣に言及して、党内外から批判をあび、その後、民生支援中心に主張を後退させたが、ISAF派遣は小沢憲法論からは必然的にでてくる議論ではあった。
 第二、小沢会見の「国連安全保障理事会もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動」というところの、「あるいは認められた国連の活動」という箇所は、さらに曖昧である。
 米国や日本政府は、かつての「湾岸戦争」も、今回のテロ特措法も「国連決議によって認められた」活動だといいはるのは明らかである。小沢が、「新テロ対策特別措置法案はできれば通してほしい」と福田が言ったと述べているところにもはからずもこの問題が表れているのではないか。仮に福田が小沢のいうように約束したとしても、福田にとっては新テロ特措法は約束違反ではないという議論が成り立つのである。ならば、小沢が「テロ特措法は憲法違反であるから反対だ」といってきたことと、どういう整合性があるのか。福田の確約が「根本的な転換」などではなかったことは明らかである。福田はここを第二回会談と、第三回会談の間に党に持ち帰って、「いままでの自民党の解釈とあまり矛盾しないで乗り切れる」と確認した。おそらく、この点で、小沢は老かいな福田と自民党執行部の策謀にはめられたのである。
 第三、それにしても、小沢の「自衛隊国連派遣合憲論」に乗った福田の責任は重い。「憲法解釈の変更」「転換」を「言った」「言わない」の水掛け論で逃げることは許されない。これは取引の問題ではなく、最高法規たる憲法解釈の問題である。小沢との会談での約束に従えば福田自民党は歴代の自民党の憲法解釈の変更、転換をしなくてはならない。そして、理の当然としてそれは「インド洋派兵・給油新法は不可能だ」ということだ。今更、新法を強行する論理はなりたたない。
 手負いになったのは小沢民主党だけではない。真実をいえば福田首相も傷を負ったのだ。 (T)