人民新報 ・ 第1237号<統合330号>(2008年1月15日)
目次
● 派兵・給油新法再議決糾弾! 戦争支援再開を許すな!
● WORLD PEACE NOW 新春リレートーク イラク戦争・占領をやめよ インド洋での戦争支援=給油再開反対
● 反天皇制は「改憲」状況にどう向き合うのか―討論集会
● 辺野古への基地建設を許さない実行委員会 2008年防衛省抗議行動始動
● ブッシュ外交の失敗と新たな米外交政策の模索
● せ ん り ゅ う
● 映 評 / 「ユゴ―大統領有故」(原題「その時、その人々」)
● 複眼単眼 / 改憲問題―敵の反転 攻勢に備えよう
派兵・給油新法再議決糾弾!
戦争支援再開を許すな!
福田内閣は二〇〇八年をアメリカの侵略戦争への加担再開でスタートさせた。一月一一日、参議院本会議は新たな給油・派兵法である新テロ特措法案(「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法」)を野党の反対多数によって否決したが、与党は衆議院での三分の二以上の多数決で可決・成立させた。
昨年末の各種の世論調査では、海上自衛隊のインド洋で給油を再開することについて、「再開すべきでない」が、「再開すべきだ」を大きく上回っていた。また、与党が衆院で三分の二を使って特措法を再議決することについても、「支持しない」が「支持する」よりはるかに多かったのである。今回の自民党・公明党の再議決は、多くの人びとの声を踏みにじるものであり、日本は再び、「反テロ」戦争を名目に、アフガニスタンをはじめとする多くの民衆の虐殺・抑圧の作戦支援を再開することとなった。われわれは断固としてこの暴挙を糾弾するとともに、インド洋への自衛艦の出航に反対する運動の前進のために闘わなければならない。
同時に、イラクからの航空自衛隊の即時撤退、アメリカによる新たなイラン攻撃準備に反対して闘うものである。
昨年七月の参院選大敗は、自民党政治に対する民衆的な怒りのあらわれであった。安倍の無様な辞任・逃亡も、国政選挙での大敗にもかかわらず居座りを策したもののいっそう自民党政治への批判を強めるものとなり、またブッシュ政権からも役立たずとして見捨てられた結果であった。
かわり登場した福田は、ひたすら低姿勢とマヌーバーで、逆風をかわす姑息な戦術を取りながらも、その内閣の任務の第一課題として、アメリカをはじめとする艦船への洋上給油の再開をあげた。アメリカからの強い要求にひたすら従うものであった。
しかし、その給油・派兵再開の根拠となるときわめて薄弱なものでしかない。一月九日の党首討論で福田は、次のように述べている。
「中東のことなので、わが国のエネルギー資源の調達の一番大事なところで、そう考えるのは当然かもしれないが、何か国際的な活動でお役に立ちたい。これは日本人みんな思っていると思う。無原則に出すわけにいかないということで、今回のインド洋における洋上補油、給水活動については慎重に検討した結果、テロ特措法というような形でもって法律化して、法律に基づいて出ていってもらっている、活躍してもらっている。…その理由は、この武力行使とかにあたらない国際平和協力活動と考えている。インド洋も武力行使しているわけでない。あくまでもテロを抑制しよう、撲滅しようという行動の一環として具体的な行動をしている艦隊に対して補油する、給水するという作業をしてきた。あくまでも国際平和協力の観点からの活動で、何も憲法の問題を持ち出すまでの話ではない。そのように考えている」。
福田発言の趣旨は、@石油輸送の海上ルートを守るために給油・給水活動やる、A国民の大多数もそう思っている、Bこれは武力行使には当たらない、C憲法の問題ではない、ということだ。
だが、そのすべての理由は成り立たない。 一番目の点では、イラク問題も含めて、アメリカの政策が中東情勢をいっそう混迷させているということだ。原油供給は逆に不安定化している。ブッシュは政権末期に外交的得点をあげるためにパレスチナ・イスラエル「和解」の調停に手を出しているが、単なるパフォーマンスに過ぎない。またイランにも戦火を拡大させようとしているのである。ブッシュの戦争政策は、中東、ペルシャ湾、インド洋などの緊張を高めているのであり、福田内閣は、文字通りその火に油を注ぐものなのである。二点目の国民の大多数云々というのが間違っていることは、先にあげた世論調査の結果を見ればわかる。三番目の武力行使ではない発言は、戦闘部隊に燃料を補給するのは武力行使と関係がないということである。これは、軍事の最重要部門である兵站(ロジスティクス)を無視する初歩的な欺瞞でしかない。最後に憲法と関係ないというのは前の点とのかかわりでの逃げなのである。そのうえ、いまイラク・アフガニスタン戦争にアメリカとともに突入した諸国は次々に脱落しているのである。ブッシュは、アフガニスタンの武装勢力は米軍によって制圧されたからもう安全だ、米軍に替わって、アメリカ以外のNATOは復興支援を中心になってくれればよいと言い、派遣米軍を大幅に縮小した。現在は、カナダ・イギリス・オランダ、さらにNATOが指揮する国際治安支援部隊(ISAF)が主軸だが、タリバンとの戦闘状況は、激化の一途を辿っているのだ。NATOのなかではアメリカに騙されたという思いが広がっている。
福田の説明はまったくなっていない。党首討論で、小沢は、「法律は憲法の前提があって法律が成り立つ。憲法に反する法律はありえない。どう解釈するかということが大きな問題ですから、福田内閣はどう考えて、どういう基準で憲法解釈をどうして、そしてこういう行動をしているのか」「例えば、アフガンの協力に対してもオーストラリアもカナダも、アメリカとの集団的自衛権の行使ということで参加している。では、日本政府もそういう考え方に立っているのかどうか。そういう点をそうでないんならどういう理由、根拠でどういう解釈でやっているのか、ということを明確にしないままで、自衛隊の海外派遣をすべきではないと思う」と食い下がった。だが、福田は例のノラクラで逃げ回った。
中東をはじめ世界の緊張激化の原因は、単独行動・先制攻撃主義のアメリカ・ブッシュ政権そのものである。日本政府は、その不当な侵略戦争に実質的に参戦し、世界人民に敵対する地位に自らを置いているのだ。
二〇〇八年は、福田内閣を打倒し、自民党政治を終わらせる年だ。歴代政府が作り出し拡大してきた年金問題、政界を巻き込んでひろがる底なしの防衛省汚職・腐敗問題などが与党の最大弱点となっている。米軍再編、沖縄教科書問題、雇用・社会保障、増税、改憲問題など自民党政治は大多数の人びとの利害にまったく反するものとなっている。
総選挙での与野党逆転を実現しよう。アメリカと財界の利益を代弁する自民党政治を打倒しよう!
WORLD PEACE NOW 新春リレートーク
イラク戦争・占領をやめよ インド洋での戦争支援=給油再開反対
WORLD PEACE NOWは一月六日の日曜日の一時から、新宿駅西口で、新春リレートーク「『国際貢献』のウソ 必要ないよ!インド洋での給油」と街頭宣伝行動をおこなった。
宣伝カーの上から、JVC(日本国際ボランティアセンター)代表の谷山博史さん、ピースボートの共同代表のチョウ・ミスさんをはじめ何人ものひとが反戦、給油・派兵新法反対を訴えた。命どぅ宝ネットワークの太田武二さんは沖縄の三線(さんしん)で歌でのアピール。年明け早々の行動に、福田内閣、自民党・公明党の戦争支援再開に疑問を持つ多くの人びとが演説に聞き入り、配布されたビラを受け取っていた。
WORLD PEACE NOWは、世界の反戦運動とともに、ブッシュとその仲間たちによる「反テロ」という名の侵略戦争に反対してしてきたが、ブッシュの戦争は多くの民間人の膨大な犠牲者を出して、いまその敗北が明確になる段階に入った。ブッシュは、アフガニスタンをNATOに任せて逃げ出し、イラクに力を集中し増派することになった。その結果アフガニスタンでは武装勢力の拡大が続き、NATO軍は基地内に閉じこもったままの状態が続いている。
米軍の増派によって、イラクでの米軍死者数は昨年一二月には二二人となり、二〇〇四年二月以来最少となったとし、ブッシュ政権は、作戦が成功し、イラクは安定化に向かい、米軍は段階的に撤退すると宣言した。
ところが、年明け早々の一月九日、「アルカイダ」掃討作戦中に、米兵六人が死亡、四人が負傷した。前日には作戦中に米兵三人が死亡している。これで二〇〇三年のイラク侵攻以降の米兵の死者は三九二一人となったが、これからも侵略者・アメリカへの攻撃はやむ事はないだろう。
ブッシュの戦争は、かれの希望的観測とは違って、はっきりと敗北の最終局面に向かっているのである。
反天皇制運動連絡会の主催による
反天皇制は「改憲」状況にどう向き合うのか―討論集会
一二月二三日、千駄ヶ谷区民会館で、反天皇制運動連絡会(反天連)主催による「反天皇制は『改憲』状況にどう向き合うのか―12.23討論集会」が開かれた。
反天連は、一二月二三日(「天皇誕生日」)を「国民の祝日」として祝わされることを拒否し、この日こそ天皇制の戦争責任を問い続ける日とすべく、毎年の集会を持ち続けてきた。
今回の集会で憲法問題を取り上げるにあたって、反天連は次のようによびかけている。「反天皇制運動は、日本国憲法で規定されている象徴天皇制に反対するという意味で、『護憲』派ではない。そうであるからこそ、天皇制を強化し、政教分離原則を破壊し、九条を骨抜きにしようとする右派・保守派の『改憲』とは真正面から対決することになるのだ。この間、政権の右翼的突出への危機感から、保守層も含めた反発が顕在化したが、『最悪』を回避するというだけの状況論に安住すべきではない。反天皇制運動が、いかに『護憲』派と結び、現在の『改憲』状況と対峙するか。これをテーマに、私たちは12.23の『天皇誕生日』に討論集会を持つ」。
はじめに、一橋大学教授の鵜飼哲さんが、「反天皇制は『改憲』状況にどう向き合うのか」と題して発言。
戦後の統治システムは、長く利益誘導政治であった。それは天皇制民主主義下の保守政治ということであった。しかし代替わり以後の国民統合の危機から、ポピュリズムと排外主義によるものに転換した。
だがポピュリズムは、小泉が極右勢力から国賊呼ばわりされているように天皇が人気の中心にはならない。それは本来共和制の政治文化であり天皇制とは矛盾する。
また嫌中・嫌韓ナショナリズムも直接には天皇制とリンクするものではない。こうして、新たな統治システムそのなかでの保守政治における天皇制の位置づけの模索がなされている。そして「靖国」や皇室典範、女帝・女系問題をめぐって右派内部の分岐が広がっている。そして皇太子一家の混乱だ。だがこれは離婚問題を逆手に取った皇太子のイメージ操作で新たな君主像構築の開始ともなっている。
つぎに安倍政権「戦後レジームからの脱却」とは何だったのかを考えてみよう。
それは九条だけでなく、総体としての現憲法を解体しようとする外科手術的改憲論の否定であった。かれらが「8・15」から始まったと考えるものを終わらせるというもので、フランス革命との類比で言えば、復古的革新の主張・革命としての改憲論であった。しかし、この安倍改憲切り札内閣は崩壊した。
日本政治は、世界的な情勢激変の八九年以降大きく変わった。小沢一郎は当時、日本の進むべき道を提起し、一時は非自民政権が出来たが、自民党の政権奪還があり、小沢は権力からはずれた。この間、小泉、安倍と続いた。新自由主義が政権の基本政策だったが、それは福祉切り捨てなどで格差が拡大し、階級を再び視えるようにした。それを「自己責任論」や新保守主義などでのりきろうとした。だがとても糊塗するようなことは出来ない。そもそも新自由主義と新保守主義という両路線は整合することはいたって困難なのである。それを小泉政治はポピュリズムによる突破で一時をしのいだがたちまち限界にぶち当たった。そしてふたたび小沢の登場という局面ににいこうとしている。
アメリカ型の新保守主義はキリスト教原理主義に立脚しているが、日本のそれに見合う天皇制の形はいまだ定まっていない。しかし改憲は必然的に天皇制の強化となる。
いま求められているのは、天皇制を敵の「弱い環」に転化させるような憲法問題への介入の道を見つけることだろう。
つづいて千葉工業大学教授の伊藤晃さんが発言。
反改憲運動と反天皇制運動は本来双方で増幅すべき運動である。そして、いずれの運動でも、民衆の大多数が天皇制を悪いものだと思っていないということを注視しなければならない。われわれはそれをいかなる意味で悪いのかを説明してこなかった。私は、天皇制の存在そのものが悪であると思う。それは民衆を侮辱しているからだ。民衆が主権者であるにもかかわらず憲法第一条ではそれが否定されている。戦前には天皇制の根拠は神勅によるものとされていたが、現憲法では国民の意思によって存在するものとされている。祖国という観念は、日本では天皇と国民によって構成され、国民は天皇の媒介によって国民になるとされる。
敗戦直後には天皇制は危機に直面した。それを支配集団そして天皇本人も意識して、アメリカに対して「命がけの飛躍」をおこなった。そのおもな柱は@アメリカに天皇の存在を保証してもらう、A戦前の天皇制の権力性・非合理性を減らす、B「国民の天皇」をみせつける、などだ。三番目のために天皇の全国巡幸がおこなわれた。背広・中折れ帽子で普通の人を演出し、人びとの生活を心配する、そして少々不器用でみっともないところまで押し出したのだった。これは天皇自身にとっても大きな賭けであった。この巡幸は一つの国民感情を引き起こした。天皇も自分たちも同じ、また偉い人が自分たちをわかってくれた、という共感がうみだされた。こうして天皇は賭けに勝った。ここで主権者は天皇と折り合ったのである。だが、これからハミ出すものたちには天皇制は激しい敵意を表したのである。こうしてパターナリズム・臣民意識が再建され、支配集団の意図は貫徹されたことになる。
憲法についていうなら、大日本帝国憲法の廃絶はなかった。憲法改正という形で現憲法が出来たのである。しかし、憲法の各条文をどう解釈し、どう日本社会に内面化するかを巡って鋭い対立が続いた。一方で、戦前の統治方式も密輸入されていた。たとえば、高級官僚制だ。上級公務員の採用については、かつての高等文官試験のようなもの、帝国大学出身者支配が継続している。戦前の天皇は裁可権をもっていたが、戦後は国民主権によって統治集団が統治するという形態になった。国家は、民主主義で、一応フォー・ザ・ピープルになっているが、バイ・ザ・ピープルが伴っていない。また市民権も日本国民の排他的な権利としてのみある。国民の方も国家への依存という態度が受け継がれた。こうして、日本では国家と国民の一体化=「国家と国民の気安い関係」という、主権の形式化、同時に先進国的な国権主義という構造が長く続いた。しかし、いまその「国家と国民の気安い関係」が危機を迎えている。それが国家主義へ改憲へという流れが生まれてくる状況だ。
しかし、これまでも民衆の側から憲法の各条を規定する運動はいくつもあった。労働運動がそうだったし、最近では沖縄の運動がある。沖縄の運動は本土の運動のひとつのモデルになっている。
上からの、大いなるものへの反感、自分たちのことは自分たちで決定する。ここに反天皇制運動の根拠がある。憲法を否定する政府は打倒されなければならない。反天皇と反改憲は意識的に相互増幅されなければならないのである。
三人目の発言者は反天連の天野恵一さん。
現憲法には次のような「上諭」がついている。「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第七三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」。
憲法学者の宮沢俊義などは大日本帝国憲法から日本国憲法への移行を「革命」だと法的に解釈し評価した。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を憲法三原則されるが、これに象徴天皇制を加えて四原則とすべきだ。天皇制は立憲主義の理念を十分に貫徹させないブレーキ装置としての役割を果たした。宮沢らの憲法論は象徴天皇制を支えるもので、本当の批判は成立しなかったし、左からそれを補完する役割を演じた。
戦後政治は大日本帝国イデオロギーを継承しながら、アメリカ追随、軍国化を進めるものだった。天皇にはオモテの顔、ウラの顔があった。しかし安倍はウラをオモテに出してしまったのであった。自民党新憲法草案よりもっと右に新憲法制定推進委員会準備会の新憲法大綱案というのがある。そこでの「天皇」条項の「具体化のための指針」の一つに「国家元首としての国事行為のほかに、象徴としての伝統的地位にふさわしい行為として、祭祀を含む『象徴としての行為』を公的行為として行うことが出来るようにする」とある。右翼の本音はこうしたところにある。かれらは、こうしたものの実現をめざしている。
辺野古への基地建設を許さない実行委員会
2008年防衛省抗議行動始動
一月七日は、辺野古への基地建設を許さない実行委員会による毎月第一月曜日の防衛省抗議行動の二〇〇八年のスタート集会だった。
今年も沖縄の人びとと固く連帯して、米軍辺野古新基地建設を阻止するために闘おうと多くの人が結集した。
防衛省は、アメリカの侵略戦争への加担を強める中で、前防衛事務次官による汚職・腐敗問題が顕在化し、いま防衛利権に群がる軍需産業や政治家への追及・逮捕が広がろうとしている。巨額の防衛予算を、軍事的な機密を盾にとって、貪り横領してきた連中が、同時に日米軍事結託、沖縄をはじめ基地負担を増大させてきた連中なのである。
集会では、沖縄からの電話報告、参加者からの闘いの発言、抗議のシュプレヒコールがつづいた。
当日の担当は、新しい反安保行動をつくる実行委員会で、福田康夫首相、石破茂防衛相に対して次のような抗議・要請がなされた。
「防衛汚職にまみれた『米軍再編』を許さない (新しい反安保行動をつくる実行委員会)
…守屋武昌の犯罪は、これまで報じられた内容から判断しただけでも、それが防衛庁・防衛省が構造的に生み出した汚職であり、その中で私欲に駆られた利権の追求であったことは、余りにも明白である。
ごく限られた企業との契約、防衛庁・省の九九・八%の契約が随意契約だという驚くべき事実があり、水増し請求が簡単にできる仕組みも明らかになってきた。否、「水増し」以前の問題だ。そもそも「自由競争」とは無縁で、単価計算や標準価格という概念すらないようであり、組織の内外から会計検査を受ける仕組みを欠き、国会にすら殆ど報告されていない。契約や予算執行のすべてに軍事機密のベールを被せて、私達納税者の目から塞ぎ、ごまかしてきたのではないのか。
特に、「米軍再編」の一環として、沖縄の基地をグアムに移転する費用の内、日本政府は約七〇〇〇億円を負担することで合意したそうだが、法外な金額にかかわらず、その積算根拠は全く明らかにせず、具体的な仕様に対して、経費を積み上げ予算を立てるのではなく、概算一兆二〇〇〇億円の五九%だというのだから呆れ返る。
そのうえ、「山田洋行」が、こうした「米軍再編」に伴う利権にも深く係わろうとしていたことが、検察当局の捜査過程で明らかになりつつあるのだ。
ところで、守屋武昌元防衛庁事務次官は、九六年に内閣審議官として沖縄特別行動委員会に係わり沖縄振興開発計画の策定に関与し、九八年一一月に官房長となり、〇二年一月、防衛局長、〇三年八月から四年余りの間、事務次官の要職にあった。それも彼を事務次官に任命したのは、外ならぬ石破茂防衛庁長官(当事)なのだ。この時間は、日本の自衛隊のアラビア海やイラクヘの派兵と沖縄・辺野古への新基地建設の押し付けとが完全に重なっている。
だから貴様らは、汚職まみれの守屋元事務次官が、沖縄の基地建設等の「米軍再編」を積極的に推し進めてきたことを深く知り得る立場にあり、そればかりか共に推進してきたのであり、監督責任は逃れようもない。そこで私達は、以下のとおり要求する。
@辺野古への新基地建設を初めとした「米軍再編」の一切の計画を撤回し、その作業を全面的に取りやめること。
A「山田洋行」等の関係法人・個人の「米軍再編」を巡る一切の汚職・利権の実態について、その構造を全面的に明らかにし、特に守屋元事務次官が、辺野古沿岸案、V字型計画の策定に関与した経緯と責任を明らかにし、貴職ら総理大臣、防衛庁長官・防衛大臣の一連の監督責任を明らかにし、謝罪すること。
以上
二〇〇八年一月七日
ブッシュ外交の失敗と新たな米外交政策の模索
自民党外交の行詰まり
前号「価値観外交の崩壊と右翼論客の泣き言」と題しての、安倍政治が国際的な情勢の激変の中で、破産せざるを得なくなったことについての文章が載った。歴代自民党政権は、アメリカ支配層の言うことに追随していけば万事OKという親米路線を堅持してきた。安倍も小泉にならってそうしてきたと思い込んでいた。だが、安倍政権は極右勢力の奪権した超反動内閣であり、戦前・戦中回帰の大日本帝国イデオロギーに依拠したものだった。このイデオロギーは、かつての侵略戦争を美化するものであり、敗戦以後のアメリカ主導の世界体制と対日占領・支配をも否定する契機をはらむものだった。これがアメリカから嫌われたことが安倍の突然の辞任の一因である。だが、それ以上に衝撃的だったのは、安倍の朝鮮バッシングや反中国包囲構想が、安倍らのブッシュ政権への片思いとは裏腹に、アメリカ政府自身によって梯子をはずされるという情況になってきたことである。ここに岡崎久彦や中西輝政ら安倍のブレーンたちの狼狽振りの根拠があった。
問題は、なぜアメリカは安倍ら日本の極右勢力が考えてきたようには動かなかったのかということだ。ブッシュ政権は今年限りだが、これまでの七年間を経過して、彼らがめざしたアメリカの世界覇権の再確立という狙いは「大失敗」したことが明らかになりつつある。そして、アメリカの国民はもとより、支配層も政策の見直しを始めている。これらが一一月の大統領選に向けての加熱ぶりにもあらわれている。
三人の大統領の失敗
ここでにわかに脚光を浴びてきているのが、カーター政権時の安全保障担当大統領補佐官であり、アメリカ外交についてさまざまな意見を出してズビグニュー・ブレジンスキーだ。
去年の九月に日本語版が出された「ブッシュが壊したアメリカ 二〇〇八年民主党大統領誕生でアメリカは巻き返す」(徳間書店)の原題は「SECOND CHANCE」だが、そこでブレジンスキーは、先代ブッシュ、クリントン、現ブッシュの三人のリーダーシップを検証し、新しい世界戦略を示そうとしている。
その前提として、ブレジンスキーは「世界体制の刷新に影響をあたえている主な転換点 一九九〇年〜二〇○六年」として次の一〇点をあげた。
…@ソビエト連邦が東欧からの撤退を余儀なくされ、ソ連内部でも分裂が始まる。アメリカ合衆国が世界のトップに君臨する。A湾岸戦争の勝利を、アメリカは政治的に生かしきれない。中東和平は推進されず、アメリカにたいするイスラム世界の敵意が増加しはじめる。BNATO(北大西洋条約機構)とEU(ヨーロッパ連合)が東欧まで拡大する。いわゆる『大西洋共同体』が一大勢力として世界に登場する。CWTO(世界貿易機関)が創設され、IMF(国際通貨基金)に緊急援助機能が追加され、世界銀行の汚職撲滅の姿勢が強まるなど、グローバリゼーションが制度化される。いわゆる『シンガポール・イシュー』(貿易円滑化、政府調達の透明性、投資及び競争という四つの新しい交渉分野の総称)を叩き台に、WTO交渉のドーハ・ラウンドが形成される。Dアジア通貨危機が起こった結果、中国が主導する形での、もしくは日中が主導権を争う形での、東アジア地域共同体の胎動が始まる。WTOに加盟した中国は、世界の経済大国として発展することをめざす。そして、地域貿易協定の中核となるべく、政治的な独裁性と急進性の高い貧困諸国と手を結んでいく。E二度のチェチェン戦争と、NATOのコソボ介入と、ウラジーミル・プーチンの大統領就任により、ロシア国内で専制主義と国粋主義が台頭する。ロシアは天然ガスと石油資源を利用し、強権的なエネルギー超大国の地位をめざす。Fアメリカをはじめとする各国の黙認の態度を受けたインドとパキスタンは、世界の一般世論を無視し、核保有国となる道を選ぶ。一貫性に欠けた的はずれなアメリカの対応のせいで、北朝鮮とイランは核開発の自制に追いこまれず、核武装をめざして秘密裡の作業に邁進する。G二〇〇一年九月一一日の同時多発テロによりアメリカは恐慌をきたし、一国主義的政策を推し進める。アメリカは『テロとの戦争』を宣言する。Hアメリカの対イラク戦争をめぐって、大西洋共同体にひびが入る。EUは独自の政治的アイデンティティを打ち出せず、独自の政治的影響力の展開にも失敗する。Iソ連崩壊の一九九一年以降、世界の人々は米軍が無敵であると思いこみ、アメリカは自らの権勢がどこまでも広がると夢想していたが、イラク戦争後の占領政策が失敗したことにより、これらの思い込みと夢想はもろくも崩れ去る。世界の安全保障を考える際には、EUと中国と日本とロシアの協力が欠かせないことを、アメリカは認識する。中東問題を解決できるかできないかで、アメリカのリーダーシップの真価が問われている。…
獅子身中の虫ネオコン
ブレジンスキーは、ソ連との冷戦に勝利したアメリカが、そのチャンスを生かすことが出来ず、いまのように孤立し、世界各地に反米の声が広がるようになってしまったのは、三人の大統領の政策の誤り、とりわけ現ブッシュ政権の責任だとする。「アメリカを誤らせたグローバリゼーションとネオコン主義」の章では、ネオコンたちが「世界の脅威の発生源がソビエト共産主義からアラブ諸国とイスラム過激派へ移ったという認識」にたち、彼らの「戦略的見解はあからさまにイスラエルの与党リクード寄りであり、アメリカ国内のキリスト教原理主義者たちも彼らに並々ならぬ支援をおこなった。…ネオコン主義は本質的に、帝国主義の現代風アレンジだった。新しい世界の現実や新しい社会の趨勢には、そもそも大きな関心を寄せておらず、中東地域の特定のできごとに高い優先順位をおいていたのだ。九・一一の同時多発テロがひきおこした恐怖と憤怒の中、『ネオコン』の示す選択肢は時流をとらえ、確固たる地位を築いていった」。
ブレジンスキーによれば、ブッシュ政権を乗っ取ったネオコンは、アラブ・パレスチナ勢力に包囲され存亡の危機に立たされたイスラエルのためにアメリカ外交を捻じ曲げたのだということになる。
ユーラシアこそ焦点
これに対してブレジンスキーの冷戦後の戦略は次のようなものであった。彼の地政学では「ユーラシア」が中心だ。『世界はこう動く 二一世紀の戦略ゲーム』(日本経済新聞社)の原書は一九九七年に出ている。そこにはこう書かれていた。「二〇世紀の最後の一〇年には、国際政治に地殻変動ともいえるほどの変化が起こった。歴史上はじめて、ユーラシア以外の国がユーラシアの国際関係を調停する主役になり、圧倒的な力をもつ世界覇権国になった。ソ連の敗北と崩壊によって、西半球の大国、アメリカは急速な勃興の最終段階に達し、有史以来はじめて、ほんとうの意味で世界全体を勢力圏とする大国になった。しかし、ユーラシアが地政上の重要性を失ったわけではない。ユーラシアの西端、ヨーロッパには世界有数の政治力と経済力をもつ国がいくつもあるし、東端のアジアはこのところ、世界の経済成長の中心になり、政治的な影響力が高まっている。したがって、世界政治に関与するアメリカがユーラシアの複雑な力関係をどのように管理していくのか、とりわけ、圧倒的な力をもつ敵対的な勢力がユーラシアに出現するのを防げるかどうかが、世界覇権国としてのアメリカの力を保つ上で決定的になっている。…ユーラシアを支配してアメリカに挑戦する力をつける勢力がユーラシアに登場しないようにすることが不可欠…したがって、ユーラシアを対象とする総合的な統合戦略を構築することが、本書の目的である」。
具体的な政策は次のようなものであった。 「短期的には、ユーラシアに現在みられる地政上の多元性を強化し、恒久的なものにすることが、アメリカの国益になる。この点から、反米同盟が結成されていずれアメリカの覇権に挑戦するようになるのを防ぐために、機動的な政策と術策を駆使することが重要になる。当然ながら、ひとつの国がアメリカの覇権に挑戦するようになる芽を摘んでおくことも重要である。中期的には、アメリカの戦略的な同盟国となる地域大国が力をつけていき、アメリカの主導のもとで、ユーラシア全体を対象とする安全保障の協力体制を築いていく際に協力を得られるようにすることに、重点が移っていく。さらに長期的には、世界政治の舞台で責任を共有する核を形成することに重点が移っていく。当面の課題は、単独であれ同盟を結んでであれ、アメリカをユーラシアから追い出す力をもつ国はもちろん、紛争を解決するアメリカの役割を大幅に弱める力をもつ国すら、登場しないようにすることである。しかし、ユーラシア大陸の地政上の多元性を強化することは、それ自体が目的ではなく、ユーラシアの主要な地域に戦略的な同盟関係を構築していく中期目標を達成するための手段だと考えるべきである」。ここから見て取れるように、「ユーラシアを支配してアメリカに挑戦する力をつける勢力」の潜在能力を有するのは中国が想定されていた。そしてブレジンスキーの本が出てから一〇年たった今日、ブッシュの対テロ戦争は行き詰まり世界で反米の動きが活発化している。アメリカに対する信頼は地に落ちた。その一方で中国は驚異的な経済発展を続け、また二〇〇一年六月にはロシアや中央アジア諸国と上海協力機構をつくり、経済的・政治的・軍事的な力量を急増させてしまっている。
これがブッシュ政権の外交政策が生み出したものだ。ネオコンは結果としてユーラシアに強大な勢力が形成されるのを助けてしまった。これではブレジンスキーの危機意識と批判のトーンが高まるのもうなずけるということにもなる。
注・上海協力機構(SCO)の加盟国
原加盟国(中華人民共和国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン)、オブザーバー加盟国(モンゴル、インド、パキスタン、イラン)、加盟申請国(アフガニスタン、ベラルーシ)
(つづく)
せ ん り ゅ う
瑠璃さんの十二月に出版した『女のつぶやきごと』(文芸社刊千三百円)から抜書します。
川柳が生活に密着した自己表出になっています。ふつうの女の暮しから見えている世の中への目。思うのだが、社会運動の原点はこういうところにあるのだし、回答困難な回答への道を苦闘している僕らの出発点があるように思う。 (ゝ史)
ああ、今の世の中どっか変! ってずっと思って来た。政治腐敗、自公政権の強行採決。七光りやその二乗の地盤継承議員達が幅をきかせ法律を作る危うさ。どうして国民は怒らないの? 日本はどうなっちゃうの? と。相次ぐ企業不祥事でのトップの品位のなさにも。
作品1 政治不信日本列島飼い殺し
イラクで高遠さん達がテロ集団に拉致された時も、首相だった小泉氏はじめ政府議員達は、「迷惑な若者だ」とか「非国民」という言葉まで発した。私とっても恥ずかしかった。
作品2 非国民そういうあなたは何なのさ
大体、先進国だなんて称する国々が非人進的な行為をしながら「民主主義」を声高に叫ぶ国際状況って、合点がいかない。全く恥を感じないのかしらって思ってしまうわ。
作品3 まるでゲーム大国ハイテク軍事力
次第に生活が豊かになって、人工が自然に取って変わって、格差社会が拡大、人の心もすさんで、利己的な人間がはびこっで来たような、世の中を媚びへつらって渡る人聞が増えたような。
作品4 人という身勝手なもののお通りだ
考えたら私、母とは昔から本当によくやり合ったわ。親子であるがゆえに、時によっては強烈に憤然と母とやり合ったものよ。
作品5 生きる智恵喧嘩した分母がくれ
「長く付き合っていい人」が周りに大勢いることが、何と言っても金銭に換えがたい一生の宝物なのだと、改めて感じて心軽やかになって、
作品6 私は私らしく萩のトンネル通り抜け
映 評
「ユゴ―大統領有故」(原題「その時、その人々」)
監督 イム・サンス(林常樹)
出演 ペク・ユンシク …… KCIAキム部長(金戴圭)
ハン・ソッキュ …… KCIAチュ儀典局長(朴善洛)
ソン・ジェホ
…… 朴正煕大統領
韓国映画 2005 104分
ある秋の日の早朝、電話の音で目をさまされた。眠い目をこすりながら受話器を取ると「テレビをつけてみろよ」と興奮した友人の声。わけもわからずテレビのスイッチを入れるとどこのチャンネルも韓国で朴正煕大統領射殺されるとの報道番組をやっていた。驚天動地とはこのことだろう。直前の釜山・馬山での市民決起があったのでありえないことではないと自分で納得しようとする。一九七九年一〇月二七日のことだった。
監督のイム・サンスは朴正煕射殺事件を題材に選んだ理由を次のように語っている。
朴正煕政権は、日本の極右国粋主義が朝鮮に生み出し、歪曲され、生き残ったその劣化バージョンとみなすことができるので、また朴正煕という人物を真正面から扱ってみたかった。朴正煕の一八年間の支配だけでなく、その後の全斗煥、盧泰愚政権の一〇年も朴の影響を受けていて、約三〇年間も韓国社会に影響を与え続けたその人生を射殺事件を通して描きたかった、と。
映画は朴大統領射殺事件前後の二四時間を描いている。舞台はKCIAの敷地内にある宴会場。朴正煕はその宴会場で毎夜のごとく女優や今売り出し中の芸能人を呼んでは少人数の宴会を開いていた。一〇月二六日の夜もそうだった。
ただひとつ違ったのは大統領に明確な殺意を持った人間がいたことだった。
大統領を殺害しようと思っていたKCIA金戴圭部長は秘密裡に人員を配置し、決起に備えた。宴会が始まり、少し時間が経過した後、金戴圭は立ち上がり、大統領と車智K警護室長に向けて銃を発砲した。その場は血の海となり、狙われた人物は逃げ惑う。
宴会の場では大統領のリクエストにより日本の歌謡曲が歌われる。当時は一般大衆が日本文化を受け入れることは禁止されていたにもかかわらず。裁判記録にも日本の歌謡曲を歌った記録はないのだが、イム監督は想像力を駆使して、そういう設定にした。
確かに射殺現場の映像は迫力はあるし、アクション映画でもそういう場面は数多く散見できるだろう。だがことの本質はそんなところにはない。事件のあとが問題なのだ。映画の上でも、実際にもそうなのだろうが、この事件が周到な準備をしてはたしておこなわれたものだったかという疑問だ。
金戴圭はピストルをかまえ、「韓国の民主主義のために」などという言葉を発する。多くの弾圧事件をおこし冤罪をデッチ上げた人物からそういう言葉を聞きたくはない。しかし半面、情報管理のトップだからこそ今のままの朴正煕統治では国がもたないと彼なりに真剣に考えたかもしれない。
最高権力者がいなくなって権力周辺はおおいに混乱する。憲法上後継者の規定がないと言って、その右往左往ぶりは滑稽でさえある。誰も後始末をしたくなく、手を上げないのだ。
別の考えも存在する。それは最高権力者への忠誠争いだ。大統領警護室長が権力を持ちすぎ、KCIA部長は権力の相対的低下からのあせりから警護室長を射殺してしまったのかもしれない。
当時の朴正煕はアルコール中毒におちいり、その性格はほとんど破綻していたとも言われている。酔いつぶれて官邸の庭の芝生で寝込んでしまうこともたびたびあったという。
その後、政治的なソウルの春は来るように思えた。だが、当時の首相・崔圭夏(チェ・ギュハ)が大統領代行になり、一九八〇年五月の光州事件を経て、朴正煕の最悪の後継者である全斗煥(チョン・ドゥファン)が登場してしまうのだ。
主要な登場人物はそれぞれその役を的確に演じていてイム監督の力量を感じさせてくれるのだが、ただ、朴正煕を演じるソン・ジェホだけは今まで温厚な役柄の演技が多かったため、不適任と言わざるをえない。
イム監督は朴正煕が家族などに見せたであろう家庭的な顔の部分を描きたかったのだろうが、私には逆効果であり、この映画上での朴正煕の存在感すらあいまいにしてしまった感があるとさえ思われてしまう。
この作品を評して早大教授の重村智計は次のように言っている。
「(この)映画は隣国の現代史の苦悩と、その歴史に翻弄された人間の痛みを描いている。権力に群がる人間の醜悪さと悲哀を見事に表現している。現代韓国を理解するためにぜひ見てほしい」。
イム・ナンスは「ユゴ―大統領有故」を含めて最近撮った「浮気な家族」「懐かしの庭」の三作品を自らの韓国現代史三部作と称している。とりわけ今年(〇八年)公開予定の「懐かしの庭」(〇六)は光州事件をとり扱った作品なのでぜひ見たいと思う。
政治的な背景を持った作品を撮り続けているイム・サンスについて私はたいへん勇気のある監督であると思う。実際に「ユゴ―大統領有故」公開にあたっては、朴正煕の遺族から裁判に訴えられているのだ。そんな重圧にもめげず、制作の意欲を失わないのはリベラルなジャーナリストの家庭に育ったということも無縁ではないだろう。
監督本人が意識しているかどうかはわからないが、現代のタブーに挑みつづけた大島渚(「日本の夜と霧」「絞首刑」「儀式」)や、すこしスタンスは違うのだが「帝銀事件―死刑囚」「下山事件」などの社会的事件を多く撮った熊井啓と比較してみるのも一興かも知れない。
でもやはり韓国の現代史、朝鮮半島の今後に興味のある人、実践したい人、研究対象にしようと思う人はぜひこの作品を鑑賞してほしい。(敬称略)
シネマアート六本木(東京)、千葉劇場(千葉)、シネマアート心斎橋(大阪)などで公開中 (東 幸成)
複眼単眼
改憲問題―敵の反転 攻勢に備えよう
振り返ってみると、昨年の年頭は明文改憲をめざす安倍内閣とのたたかいに備えて、大いに緊張して迎えた新年だった。
例えば安倍はそのための小道具として集団的自衛権の解釈の変更のために「安保法制懇」などというものも作り、お気に入りの「識者」だけをあつめて、お手盛りの答申を出させようとした。これは福田内閣が事実上お蔵入りさせる動きをしていることで、懇談会の政治生命は終わることになっている。
安倍与党によって改憲手続き法は国会で強行採決されたが、この動きは安倍の期待とは反対に、改憲の動きにブレーキをかけることになった。憲法調査特別委員会での自公民協調を崩壊させたからだ。憲法審査会は設置されたものの、中身は空っぽの開店休業状態になった。
こうして憲法改悪問題は振り出しに戻った(安倍以前に戻った)。民主党の某議員が述べたように、まさに安倍は「究極の護憲派」だった。
ここで福田内閣のもとで、憲法改悪の動きはどうなっていくのかについてふれておく。
福田内閣が成立した一六八臨時国会期間中は明文改憲の動きは完全にストップした。そしていま一六九通常国会を迎える。この国会での憲法問題は臨時国会のようにはいかないだろう。すでに「そろそろいいだろう」とばかりに改憲派がさまざまに蠢(うごめ)きだしている。
船田元・自民党憲法審議会会長代理は新年の共同通信へのインタビューでこう言っている。
「(憲法審査会で最初から憲法改正の中身を話すのは難しいので、まずは慣らし運転として)積み残された宿題を解くことから始めたい。国民投票の年齢を一八歳以上にしたことによる民法や公職選挙法などほかの法律改正問題や、民主党が提案していた国民投票の対象・範囲の見直し、その辺からはじまるべきだと思う。改正の中身を扱うにしても、いきなり憲法九条というのは、小学生が大学入試の問題を解くようなものだ。できるだけ折り合えそうな地方分権など統治機構や新しい人権、憲法裁判所を設置するかなどの問題が妥当ではないか」と。
そして「最短で二〇一一年に改憲実現というスケジュールはちょっときつくなってきたが、改憲案審査の凍結が解除される一〇年以降、そう遠くない時期に成案を得るのは可能だと思う」とも言っている。
われわれの改憲反対戦略はこれらの新しい動きに対応して再構成されるべきであろう。
明文改憲の時期は明らかに遅れることになった。まして九条改憲はさらに遅れるだろう。
とすれば与党にとって不可避な課題は解釈改憲をさらに拡大することで米国や財界の要求に応えることだ。しかし解釈改憲といってもすでに限界に来ている。人びとをごまかすに値する解釈を作るのは容易ではない。とすれば、与野党で共同して新しい解釈を作るしかない。与党はこの道を懸命に探ってくるだろう。
ここで海外派兵恒久法問題が出てくる。まさに当面する憲法問題の最大のポイントはここだ。
船田はいう。「恒久法は恒久法で地道な論議が必要で、憲法問題についても民意を反映した政党間の協議が正しい」と。
敵は一歩後退した。しかし、反転攻勢に出ようとしている。準備期間を経て、遅くとも秋にもあり得る総選挙の後、臨時国会では恒久法がでてくる可能性が濃厚である。さあ、私たちも体制を整え、改憲派の出鼻を打ち砕くたたかいにとりかかろう。 (T)