人民新報 ・ 第1244号<統合337号(2008年8月15日)
  
                  目次

● インド洋給油継続反対! 派兵恒久法阻止!  福田内閣を倒し、自民党政治を終わらせよう

● 原子力空母ジョージ・ワシントン 横須賀配備反対!

● 平和の灯を!  ヤスクニの闇へ

● 労働者派遣法の抜本改正を  野党各党トップに聞く

● 実効性ある労働者派遣法の改正を求めるアピール ( 日本労働弁護団 )


● 韓国シチズン精密労組の闘いを「応援する会」結成

● 2008ピースサイクル

     自治体訪問などで平和の訴え  埼玉ピースサイクル

     一八年目も元気いっぱい  長野ピースサイクル

     伊方原発プルサーマル計画反対  四国ピースサイクル

     63年目のヒロシマ  ピースサイクルのヒロシマ到着を迎えて

● 書 評  /  渡辺利夫 『新脱亜論』
 

● 複眼単眼  /  マルクスは眠られない



インド洋給油継続反対! 派兵恒久法阻止!

     
福田内閣を倒し、自民党政治を終わらせよう

 内閣支持率の低下に歯止めがかからない福田は、八月一日、内閣改造をおこなった。小泉構造改革路線からの「離脱」ぶりを演出し、自民党のイメージ・チェンジを図るつもりだろうが、新自由主義政策=構造改革路線の基本には変化はない。福田は、年金、医療、介護などの社会保障の破綻、貧困化・格差拡大などの新自由主義の矛盾の噴出を抑え、加えて物価高騰、景気後退などに有効な対処手段を打ち出すことができない。
 昨年の年参院選での与野党逆転、安倍内閣の無様な自滅、福田内閣の支持率の低落、山口二区補選や沖縄県議選などを経ていまも与党への逆風はつづいているが、自民党の悪政にたいする当然の結果である。そして内閣支持率はほとんど好転していない。新しい閣僚や党執行部の顔ぶれから見てもスキャンダル・失言でたちまちに政府危機に陥る可能性は大きい。政局は解散・総選挙に向かうモードはいちだんとあきらかなものとなっている。
 
 臨時国会の最大の焦点は、アメリカの侵略戦争支援のためのインド洋での洋上補給=新テロ特措法の延長問題である。アメリカ・ブッシュ政権は、反テロの名による侵略戦争の最終的な破綻に直面している。イラクでは、イギリス軍もがシーア派民兵組織と内通して戦場にわざとおくれて到着したなどという疑惑さえ生まれているという。
 ブッシュにとってとりわけ誤算だったのは、この間のアフガニスタンでの抵抗勢力の拡大であり、アメリカは戦線建て直しを迫られている。アメリカとともに戦う有志の国々はますます少なくなってきているなかで、忠犬のごとく対米従属路線を堅持している自民党政権は、アメリカにとって、「打出小槌」のようにあつかえる便利なものとなっている。
 すでに八月七日には、高村正彦外相と林芳正防衛相は、インド洋での給油活動について継続が必要と述べている。だが、自民党サイドからは、それでは選挙に負けるという危機意識から、麻生太郎幹事長による海自護衛艦による輸送タンカーの護衛など代替の貢献策を検討するとか、笹川尭総務会長の昨年の国会情勢のちがいを理由に慎重な態度をとるべきだなどという発言も出てきている。
 窮地に立つアメリカからの圧力はいっそう強まる。洋上補給だけでなく、陸自のアフガン派兵も言われ始めている。これには選挙を前にした公明党が躊躇し反対ということだが、もう一方で国連承認下での国際治安支援部隊(ISAF)参加が持論の小沢が代表の民主党がどう動くかが注目される。
 今秋の闘いでは、給油延長、派兵恒久法の制定、集団的自衛権の具体化、アフガンへの陸自衛隊派兵など福田内閣のアメリカの侵略戦争支援に日本がいっそう加担する政策に反対して反戦平和の闘いを一段と強めて行かなければならない。そしてこの闘いを軸に、年金を始め社会保障の切り捨て・形骸化反対、増税反対、労働者派遣法の抜本改革などの闘いをむすびつけ、福田内閣を追い詰め、早期の衆院解散・総選挙で衆院でも与野党逆転を実現しよう。
 同時に社共などの議席の確保・増大を勝ち取るとともに、新しい政治空間を切り拓き民衆運動の活性化と大きな前進を勝ち取ろう。


原子力空母ジョージ・ワシントン 横須賀配備反対!

 原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀に配備される。米海軍は「西太平洋における予想のつかない安全保障環境を考慮」したためと発表している。この空母は二基の原子炉を動力としており、熱出力は約百万キロワットで、原発原子炉一基分に相当する。まさに浮かぶ原発であり、事故が起これば広範に放射能被曝・汚染の危険がある。日米政府は、安全だとくりかえし主張してきたが、五月二二日に南米沖で、船尾の一角での火災を起こした。乗組員一人がやけどを負い、水兵二三人が軽い熱中症で治療を受けたと報じられた。米海軍は「原子炉の安全性に問題は発生しなかった」と発表しているが、横須賀配備を前に真実を言う可能性はきわめて低い。実際に、火災発生後、非常事態態勢が敷かれ、海軍報道官も、「深刻な」火災に分類されると語ったという。
 こうした危険な空母が大量の兵器・弾薬を搭載して配備されるのである。近隣諸国との緊張を高めるだけでなく、周辺住民は常に核爆発の脅威にさらされることになる。
 いま横須賀をはじめ全国で、ジョージ・ワシントン横須賀配備反対する声が強まっている。
 
 七月一九日、横須賀軍港に接するヴェルニー公園において、フォーラム平和・人権・環境などの実行委員会主催で「原子力空母の横須賀母港化を許さない7・19全国集会」が開かれ、横須賀の市民をはじめ全国から労働組合、反戦市民運動団体など一万五千人以上が参加した。
 平和フォーラム事務局長の福山真刧さんが主催者あいさつ。アフガニスタン、イラクをはじめアメリカの侵略戦争のために米軍再編があり、ジョージ・ワシントンの配備はその一環としてある。侵略戦争に反対し、福田政権を打ち倒そう。
 民主党の那谷屋正義参議院議員、福島みずほ社民党党首、社民党の山内徳信参議院議員、日森文尋衆議院議員が国会報告と連帯・激励のあいさつを行った。
 原子力空母の横須賀母港化の是非を問う住民投票条例を成功させる会、厚木基地爆音防止期成同盟、沖縄平和運動センターなどからの発言があり、集会アピールを採択して、米軍基地にむけてのデモに出発した。

集会アピール  
 
 日米両政府は、市民の合意なく「原子力空母ジョージ・ワシントン」の横須賀配備を決定しました。
 私たちは、原子力空母の横須賀配備が、米軍再編・米軍基地の戦力増強の一環であり東北アジアの平和を大きく妨げる要因となること、また積載する原子炉の安全性に対して納得できる説明がなく、いったん事故が起きれば首都圏住民の大きな被害が予想されることなどから、「原子力空母の横須賀母港化」に強く反対します。
 「原子力空母母港化の是非を問え」との市民の声を、二度とも受け入れなかった横須賀市議会でさえ、国に対して「米空母の交代配備に伴う諸問題に対し横須賀市民の安全・安心を求める意見書」を提出しています。原子炉を動力とする空母の安全性については、多くの疑問の声が上がっています。横須賀市も国も、市民の声に耳を傾けず、米国政府の言いなりに、安全性の確立しない原子力空母を押しつけようとしています。日本政府も、横須賀市も、市民の生活の安全に対する責任を放棄したといえます。毎年二〇〇〇億円以上もの思いやり予算を払って、なお、私たちは危険な原子力空母と生活をともにしなければならないのでしょうか。私たちは、原子力空母の母港化を決して許しません。
 沖縄や山口、神奈川など基地が置かれる全国の自治体で、米国兵士による凶悪犯罪が繰り返されています。綱紀粛正・再発防止の声を何度聞いたことでしょう。米軍基地が地域住民の安全と平穏な生活を脅かすものになっています。不平等な日米地位協定は、施設内への日本側の立ち入りを許さず、原子力空母の安全審査さえ拒むものとなっています。日米地位協定の抜本的改正に、大きな声を上げようではありませんか。
 今日の集会に参加した私たちの思いを、全国の平和を愛する心と力につないで、原子力空母の母港化の撤回と日米地位協定の抜本的改正を、そして米軍基地縮小・撤去を勝ち取ろうではありませんか。それぞれの場所で、それぞれの全力を尽くして、多くの仲間と平和の流れを作り出そうではありませんか。


平和の灯を!  ヤスクニの闇へ

 八月一〇日、日本教育会館ホールで、七五〇人が参加して「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動〜ヤスクニ・戦争・貧困」と題する集会とその後の平和のキャンドルウォークが開催された。「平和の灯を!ヤスクニの闇へ」東アジア反靖国キャンドル共同行動実行委員会の主催でひらかれたこの集会の第一部は靖国神社の存在とそれによる若者のナショナリズムへの絡めとりについてのトーク、第二部は靖国への合祀取り下げを求める証言、第三部の平和コンサート、そして第四部のキャンドルウォークの構成だった。

 トークでは、はじめに韓国・元総理の韓明淑(ハン・ミンスク)さんが発言。
 靖国の問題は、首相の参拝やA級戦犯合祀だけが問題なのではない。昨日、神社とその遊就館を見学したが、そこは天皇のために死んだ軍人・軍属を祀る戦争神社そのものだった。どこの国でも誤った過去をもっているが、韓国ではいま真相の究明と過去史の見直し清算が進められている。ドイツは過去を反省し、再びナチスが復活しないようにしているが、日本はまったくできていない。
 つづいて北海道大学准教授の中島岳史さん。
 死者への追悼と顕彰があるが、靖国神社は後者のものであり、その思想は大東亜戦争の全面肯定論だ。首相の参拝は問題だが、同時にそれに熱狂する世論という事実もある。
 ジャーナリストの安田浩一さんは、靖国が特定のイデオロギーの発信基地になって、そこが若者の一種の祭りの場となっていると述べた。
 さいごに東京大学の高橋哲哉教授。
 問題になっているのは、首相参拝とともに、合祀取り消し問題で現在四つの裁判が闘われている。A級戦犯をはずせばいいという議論があるが、それでは天皇の戦争責任がどこかへ消えてしまうことになる。

第二部では、平和遺族会の吉田哲四郎さん、沖縄・沖縄靖国合祀訴訟原告の金城実さん、ノー!ハブサ(NO!合祀)訴訟原告の李煕子(パク・ヒジャ)さんが証言した。台湾のチワス・アリ(中国名・高金素梅)さんは映像出演。

 集会を終わってのキャンドルウォークでは右翼の妨害をはねのけて闘われた。


労働者派遣法の抜本改正を  野党各党トップに聞く

 非正規労働者の増加は、アメリカと日本の財界の企業利潤追求第一主義の要求に応えて、自民党政府による労働分野での規制緩和法制化によって促進されてきた。労働者派遣法こそが格差拡大、貧困化社会を現出させた諸悪の根源といわれるものである。
 この間、そのあまりに酷い実態がマスコミに取り上げられるようになり、世論におされて政府与党までが派遣法の見直しのポーズをとらざるを得なくなるまでになってきている。これらの状況を生み出したのは、労働者の闘いとそれを組織化している労組、さまざまな支援の存在である。連合も、一般業務についての登録型派遣の禁止という方針である。日本労働弁護団も、七月二五日に「実効性ある労働者派遣法の改正を求めるアピール」(別掲)を出している
 今秋からの臨時国会では、派遣法の改正がおおきな問題となって来る。派遣法改正にむけてきた地道な活動の成果であるが、今後の動向はわれわれの闘いにかかっている。

 七月二五日、総評会館で「今こそ派遣法の抜本改正を 希望の持てる働き方を!」をかかげて、「各党トップに聞く集会」(主催・格差是正と派遣法改正を実現する連絡会)が開かれた。
 はじめに全国ユニオン会長の鴨桃代さんが主催者を代表してあいさつ。
 派遣法の抜本改正が大きな流れになってきている。与党も改正を言出しているなかで、野党は労働者の立場に立って改正に責任を持ってほしい。
 派遣法労働ネットワーク代表の中野麻美弁護士の司会によるシンポジウムでは、山田正彦・民主党ネクストキャビネット厚生労働大臣、志位和夫・共産党委員長、福島みずほ社民党党首、亀井亜紀子・国民新党副幹事長が発言した。
 四野党は日雇い派遣禁止では一致しているが、問題となっている登録型派遣について民主党は禁止を主張する他の三党と違って「二カ月以下の派遣契約の禁止」としている。この背景には、派遣業正社員を組合員とするUIゼンセンや派遣労働に賛成する電機連合などの影響がある。
 民主党への働きかけを強め、野党一致して、日雇い派遣はもちろん登録型派遣の禁止など派遣法の抜本改正を勝ち取っていかなければならない。

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実効性ある労働者派遣法の改正を求めるアピール

 日本労働弁護団 幹事長 小島周一

 一 日本労働弁護団は、本年三月二六日、派遣労働者(ことに登録型の派遣労働者)の生活と権利を守るためには、欠陥だらけの労働者派遣遣法を早急かつ抜本的に改正する必要があること、その場合の改正点としては、以下の五点が必要不可欠であることを指摘した。
 第一に、雇用は本来直接・無期限であることが原則であり、間接雇用、有期雇用は、それを客観的に必要かつ合理的とする特段の事情がある場合に限り許されるものであること
 第二に、雇用の原則に照らして、労働者派遣の許される範囲・期間を改めて見直し、常用代替が防止でき、派遣労働者の権利が保障できる業務に限定した場合に限って派遣を認めるポジティブリストに戻すと共に、雇用が極めて不安定となる登録型派遣は原則として禁止すべきであること
 第三に、派遣労働者の労働条件低下、派遣労働者に対する権利侵害を招く一因として、派遣先の責任が極めて不十分であったことに鑑み、違法派遣を受け入れた派遣先に対する雇用みなし規定の創設、派遣期間中の合理的理由なき派遣契約解約における派遣労働者への残存期間の賃金支払義務、労働災害の補償責任強化、派遣労働者の労働条件に関わる問題についての団体交渉応諾義務などを含む、派遣先の責任強化が図られるべきであること
 第四に、派遣労働者の労働条件を確保するため、これまで何ら規制の無かった派還元のマージン率について規制をすべきであること
 第五に派遣先労働者との均等処遇原則を明記し、派遣労働者に対する不合理な差別禁止を強化すべきであること
二 その後も格差社会、ワーキングプアに対する国民の厳しい批判は益々強まり、さらに本年四月二五日、偽装請負の就労先会社との雇用関係を認めた松下プラズマディスプレイ株式会社事件控訴審判決が言い渡されるなどの情勢のもとで、労働者派遣法の改正は避けられない情勢となっており、この秋の臨時国会にも改正法案が上程される具体的な展望が切り開かれつつある。
三 この労働者派遣法改正を、派遣労働者の権利と生活を守るために実効性あるものとするためには、我々が指摘した上記五つの改正点をもとに、これを具体化するものでなければならない。
 労働者派遣法は、その正式名称が「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」であることが示すように、いわゆる業法として成立したものであり、そのことの故に、派遣労働者の権利保護のための諸規定が不十分であり、かつ派遣先の使用者責任に関する規定が貧弱なものとなっていることを指摘せざるを得ない。
 労働者派遣法は、この機会に、単なる派遣事業に関する業法にとどめるのではなく、派遣労働者の雇用と労働条件を保護するための法としての性格を強めるべきである。
 我々日本労働弁護団は、労働者派遣法の改正が具体的な課題となりつつある今こそ、派遣労働者保護の観点から、上記五つの改正点にもとづく労働者派遣法改正を行うよう、改めて強く求めるものである。

二〇〇八年七月二五日


韓国シチズン精密労組の闘いを「応援する会」結成

 日本シチズン時計株式会社の子会社である韓国シチズン精密株式会社は韓国・慶尚南道昌原市で主に腕時計を製造してきたが、今年の四月に日本のシチズン時計の持株会社シチズンホールディングスは韓国高麗TTRという製靴企業に売却された。
 労働協約では事前に組合と協議するとなっていたにもかかわらず売却は突然なものであった。
 韓国シチズン精密労働組合は、こうした会社の暴挙に抗議し、職場を占拠し争議態勢に突入した。日本に遠征団を派遣し、シチズンホールディングス株式会社に対して誠実な交渉を求めて闘いつづけている。

 七月一六日、「韓国シチズン精密労組を応援する会」が結成された。
 鎌倉孝夫埼玉大学名誉教授は特別講演で、資本のグローバリゼーションの中で、企業は利潤のために不採算部門を切り捨て、労働者に犠牲を押し付けている、労働者の闘いこそが事態を切り開けると強調した。
 「異議あり!日韓自由貿易協定」キャンペーンの大畑龍次さんが経過報告。
 五月の第一次遠征団に続いて、六月から九名が来日して闘っている。これまで「支援する会(準備会)」として対応してきたが十分なものではなかった。今日の正式結成で闘いを支える体制を強めることができる。
 つづいて韓国シチズン精密労組の上部団体の韓国全国金属労組(民主労総)から発言。
 シチズン資本の非道徳性を糾弾して闘い、かならず責任を取らせる。連帯して闘う労働者はいつも勝利してきた。国際連帯した労働者の力を見せてやろう。金属労組も、シチズン精密労組とともに最後まで闘いぬく。ともに闘おう。
 つづいて当該の九人の遠征団がそれぞれ決意表明。
 東京全労協、国労闘争団、全国一般南部、全統一、神奈川シティユニオン、東京東部労組、電通労組などの労組をはじめ韓統連や日韓ネットからの連帯発言が行われた。


2008ピースサイクル

自治体訪問などで平和の訴え  埼玉ピースサイクル

 七月一五日、朝八時三〇分に集合し、それぞれ四コース(熊谷、寄居、浦和、北本)の実走が行われた。梅雨の終盤だったが晴天となった。自治体の合併が進み前年より訪問先が減少した。今年は一四自治体だった。また、賛同メッセージは出してくれるものの、賛同金は予算都合で出せないという自治体が増えるようになった。四コースとも東松山市役所に一五時に集合して要請行動をして丸木美術館へ向かって出発。
 各市町村には事前に要請書と合わせて昨年の埼玉ネット二〇〇七報告集とリーフレット「つくろう 戦争のない世界を!守ろう 未来の環境!」、ピースサイクル二〇〇八マップをセットにして送付しておいた。要請は次の内容でおこなわれた。 「貴自治体の常日頃のご奮闘に敬意を表します。また、私たちピースサイクル埼玉ネットの、この間の取り組みに対するご支援・ご協力に心よりお礼申し上げます。さて、昨年の参議院選挙では与党が大敗し、福田政権が誕生しました。福田政権は『衆参のねじれ状態』のなかでソフトなイメージを装い政治を進め、声高の改憲議論を行ってはいませんが、改憲を諦めたものではありませんし、水面下では、戦争のできる国家体制の準備を着々と進めています。一方、地球温暖化や大気汚染などの環境問題や原発問題などは、増々深刻な状況となっています。このような状況下、私たちピースサイクル埼玉ネットは二二年目を迎えた今日も、「反戦」「平和」などを訴え自転車でキャラバン行動を行います」などを基調に次のような具体的要請を行った。@貴自治体が行った「平和を願う宣言」(非核平和宣言など)の趣旨を生かすため、必要な予算を計上し、非核・平和のための行政に積極的に取り組まれたい。また、すでに予算が計上されている自治体は引き続き予算を計上し、非核・平和のための行政を強化されたい。A全世界の核兵器廃絶に向けた取り組みを強化するよう、政府への働き掛けをされたい。B広島・長崎に原爆が投下された日には、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う思いをこめて、サイレンを鳴らすなどの行動を行い、広報などでその趣旨を広く住民に周知されたい。また、「何らかの行動」を行っている自治体は、引き続き「行動」を継続されたい。C自然環境保護政策を推進されたい。D自転車道及び歩道の整備を推進するなど、自動車中心社会の緩和政策を推進されたい。
 市町村からのメッセージには「長きにわたり、ピースサイクル運動を続けていることに敬意を表します。現在なお、世界各地で紛争が起こり、子どもや女性をはじめ、多くの人々がその惨禍に苦しんでおります。また、広島と長崎が原子原爆弾による世界で唯一の被爆国であることを踏まえ、核兵器の廃絶と平和の確立を国際社会に訴えていく責任があります」などのメッセージをピースサイクルに寄せている。解散地点の丸木美術館前で集合記念写真を撮った後、交流会を開いた。今秋、埼玉ネットの交流会を取り組むことを実行委員長より提案があり、参加者の賛同を得て終えました。 (A)

一八年目も元気いっぱい  長野ピースサイクル

 長野ピースサイクルは七月二六日に、長野県の松本市と佐久市の二箇所から出発して、新潟県の糸魚川市に至る三日間で約二二〇キロのピースサイクルを慣行した。

 佐久からの出発組は、途中上田市で数名が合流して、元気に走り千曲市へ。松本からは、現地の反戦活動家の激励を受けて出発し、途中からの合流者を含めて千曲市へ。この日は三〇度を超える暑さで、ほとんどが向かい風できつかったが参加者全員がそれぞれ目的の区間を完走。

 千曲市での夜の交流会では、九条世界会議の成功の報告を受け、大阪発のDVDをみんなで鑑賞。さらに、長野ピースサイクルが五月に四日間かけて、九条ピースサイクルを行い、上田市から、群馬県、埼玉県、千葉県(松戸市)を経て幕張メッセまで自転車を走らせた様子や途中多くの人々と交流した様子なども報告した。

 その後は、お酒も入って熱心な討論会(?)となり、参加者が日ごろ思っているさまざまな社会問題や政治の問題などを出し合い、交流を深めながらも知らなかったことをお互いに学びあう場ともなった。

 二日目の二七日朝は新たな参加者も含めて、一路信濃町へ。途中松代大本営跡のある松代を経由し、須坂市にある脱原発北信濃ネットワークの拠点である長野ソフトエネルギー資料室を訪問。自家製の有機栽培のスイカをいただいて元気百倍。太陽光発電システムや太陽光を集めて湯沸しする凹面鏡型の調理器などを見て、あらためて脱原発の必要性を学びあい、それが実現可能であることを確信しあった。

 歓迎してくれた脱原発北信濃ネットワークの人々に見送られて、出発するころには蒸し暑さが上昇し始めた。夕方のにわか雨が心配になる。ここから約八キロ走ったところで途中参加の人たちが数名合流。長野ピースサイクルのルートのなかでは一番のつらい坂がここから始まる。
 毎年のことながら、昼食休憩の場所として公民館を確保し、歓迎してくれる国労OBと、この地の九条の会(飯綱町憲法九条の会)代表とも交流。ゆっくり昼食休憩をして、午前中よりさらにきつい坂に入る。全員が上りきったころから、心配していた雨が降りはじめた。有数の豪雪地帯である信濃町は、夏の雨もまたすごい。途中で雨宿りを余儀なくされる。昨年は雨の中をカッパを着て上ったことを思い出す。小降りになった機会を見て信濃町のキャンプ場へ到着。
 あえてそこに挑戦した六〇歳を越えた参加者のひとりは、上りきった後で、上田から参加していた六七歳、七〇歳の二人の名前と「戦争反対」を繰り返しつぶやきながらペダルを漕いだと言ってみんなを笑わせていた。この坂を登る苦しい体験で、また来年も参加したいという気持ちと言い知れぬ連帯感が生まれたようだ。

 三日目の二八日は、上越の海へと一気に下る。途中で「海外派兵」「日米合同訓練」への抗議の意志をこめて自衛隊の関山演習場前に立ち寄る。

 昼からは、ピースサイクル新潟と合流し、柏崎原発の様子や「廃炉の申し入れ」の報告などを聞いて、海沿いの快適な自転車道を糸魚川市の能生まで走って、今年の長野ピースサイクルの実走は終了。

 携えたピースメッセージは長野県内の自治体二〇個所を含めて、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ宛てに約一三〇通ほど、延べの参加者は文字通り「老若男女」三〇名、途中で関わってくれた方を入れると四〇名以上の人が参加して無事に終えることができた。

 今年は、地球環境の保全への具体的要求として、「自転車利用の促進に関する申し入れ」を訪問した自治体に行うなど、新しい取り組みも行った。実行委員は徐々に高齢化しているが新しい実行委員も参加して長野ピースサイクルの活動は今年も元気に前半を終えた。 (長野ピースサイクル実行委員)

伊方原発プルサーマル計画反対  四国ピースサイクル

 伊方原発のプルサーマル計画に反対する第二〇回ピースサイクルは、高校生と小学生を含む九名(広島ピースサイクル一名と呉ピースサイクル八名)で出発。

八月一日(金)
 酷暑の中、高知水道労組の仲間五名が自転車三台と車一台で高知市から国道五五号線の七子峠の手前から広島組と合流し、広島組の自転車五台が一緒に国道を実走した。
 雷雨で路面に水が溢れ、自転車を車に積んで、車三台で四万十町の島岡幹夫さんの所へ移動した。島岡さんからは、無農薬で作るための農機具を見せてもらった。
 翌日は土曜日で四万十町役場が休みのため、要請書は郵送とした。

八月二日(土)
 駐車場で高知水道労組の横断幕を広島組が引き継いで、自転車五台と車二台で国道三八一号線を約四〇キロメートル走った。
 一一時、四万十町の道の駅で清流の四万十川を見ながら、昼食を取った。
 一五時、虹の森公園に到着の時には、自転車二台を車に積み、自転車三台が峠に挑戦するが、酷暑にためまたも自転車を全部車に積み、宇和島市へ移動することにした。
 宇和島水産高校の慰霊碑に献花の後、淨満寺で焼香した。

八月三日(日)
 早朝、宇和島市から車二台で国道五六号線を移動。宇和町で自転車五台をおろし、残りの自転車で走行する。
 八幡浜市と伊方町にも要請書は郵送とした。八幡浜市を通り、伊方町を通り、伊方原発に到着したが、ここで国労の仲間一名が参加。
 伊方原発のゲートは閉鎖されており、警備員が「管理職がいない。明日ならいる」とのことで、翌日の再抗議を確認。

八月四日(月)
 朝八時、伊方原発のゲート前に到着。ゲートを閉めて、窪田総務グループチームリーダーが出てきた。
 四国電力への抗議文を読み上げ申し入れ。
 「伊方原発の沖に、最も危険度の高いA級活断層が走っている。日本最大の中央構造線活断層が動けば、中越沖地震と同様に、伊方原発の原発施設は壊滅する危険度が高くなる。最も活発なA級活断層を伊方原発の約六キロ沖合いに発見した高知大学理学部の岡村真教授も、いつ地震が起きてもおかしくないと警告しています。」
 総田は「伊方原発の耐震設定は、マグニチュード七・六で、東京電力が最終報告を出していない」とか「活断層の調査は終了している」とかではぐらかすばかりだった。
 車二台で、長浜町から自転車五台で実走してピースサイクルは終了。
 海水浴の後、自転車を車に積んで松山観光湊に到着した。(広島通信員)

63年目のヒロシマ  ピースサイクルのヒロシマ到着を迎えて

 六三年目のあの暑い「8・6」が今年もめぐってきた。核廃絶と原爆症認定をめぐる「変化」の兆しの中…。
 ヒロシマは例年と同じく、二三回目となったピースサイクルのヒロシマ到着集会で幕を開けた。そして一連の行動が取り組まれた。私たちの課題も明らかとなった。
 八月五日一一時、ヒロシマネットの歓迎横断幕が広がる原爆ドーム前に、七月にスタートして首都圏や各地からのバトンを引き継いだ全国ピースのメンバーが自転車で到着した。はるばる愛知からペダルをこいできた女性も元気だ。
 拍手の中、早速到着集会が始まった。
 まずは地元ネット代表の歓迎挨拶。続いて全国ネット事務局から今年のピースが掲げた目標とその役割について報告が行われた。地元市民運動からはヒロシマ平和へのつどいへの参加要請がされ、また高校生一万人署名運動からも発言を受け、到着したばかりのピースサイクル参加者から各ルートでの報告がなされた。
 発言では、イラク派兵違憲判決や改憲の動きにストップをかける世界会議の成功、クラスター爆弾禁止条約成立を評価するとともに、他方で米軍再編にともなう日米一体化・基地強化や温暖化を口実とした原発推進の動き、劣化ウラン弾禁止のために反対運動の強化を訴えるものとなった。
 また、年々高齢化するピースサイクル参加者の現状を憂いながらも、全国の様々な運動と密接な関係を深めてきた歴史を踏まえ、年齢と裾野を広げていくことの緊急性をあらためて確認した。
 到着集会は最後に、全国共同代表からの締めくくりの挨拶を受けて終了した。
 昼食後は、各フィールドワーク、そしてつどい第一部「平和を求めるなら九条を鍛えよう」とのタイトルのスピーチに参加して午後七時からのピースサイクル全国交流会となった。
 翌六日は、早朝から市民による平和宣言配布行動に始まり、ドーム前でグランドゼロのつどい、ピースウォーク、中国電力本社前での反原発座り込みに参加。ここまでで全国行動としては終了。その後はオプション参加となる。
 〇八ピースサイクル・ヒロシマ行動は無事終了したが、まだナガサキに向けて走行中だし、六ヶ所ピースがこれから始まる。気の抜けない日々が続いている。
 今年の変化は冒頭の動きに止まらない。何よりも被爆者の平均年齢が七五歳を越えた。ヒロシマだけでも毎年五千名を越える被爆者が亡くなっていく中であと何年被爆者が実在するのか。「直接の話が聞ける最後の世代」として被爆証言を残そう、受け継ごうという若い動きも始まった。暑い昼間はヒロシマ以外からの参加者、特に外国人の訪問者が目立った。様々な企画が創意的に催された。随分と若者の姿も多かった。そして早朝の慰霊碑には被爆者や年老いた遺族の姿があった。もう時間がないと痛切に思う。この声に福田首相は相変わらずのパフォーマンスとオトボケで応えた。そこには被爆国首相としての資質も見識もまったくない。
 本当の平和を創り出すために、いっそう創意的に、若者の中に、世界に広げよう。(I)


書 評

  日本の盟主の座は去った
  
    
渡辺利夫 著  『新脱亜論』(文春新書)

 「大国化する中国と世界秩序の行方」を特集する『論座』8月号で天児慧早稲田大学教授が次のように書いている。「東アジアの統合問題についても積極的に推奨してきた渡辺利夫氏が、『東アジア共同体』構想に対し、近年一転して『錯誤であり』『実現不可能であり、かつ実現すべきものとも考えない』と談じている。根拠を突き詰めれば、その主役が中国であり、『東アジア共同体を動かす最大の背景要因が中国の地域覇権主義である』(『新脱亜論』)。親交の厚い氏のこうした断定にはいささか驚きの念を禁じえない。」
 渡辺利夫といえば、『成長のアジア 停滞のアジア』(東洋経済社)などの著作のある開発経済学、現代アジア経済論の専門家であり、日中友好二一世紀委員会委員をつとめたこともあり、現在は拓殖大学の学長である。どのようことを主張しているのかと『新脱亜論』を早速よむことにした。たしかに天児教授が驚いたように、とてつもない内容だった。
 渡辺は、「生存リアリズムの欠如―北朝鮮」「反米、反日、親北の制度化―韓国」「『侮日政策の在処(ありか)―中国」「ペトロステート―ロシア」と周辺国に悪罵をなげつけ、「現在の極東の地政学は開国維新から日清・日露戦争前夜の明治のあの頃に『先祖返り』したかと思わせるほどまでに酷似してきた」ので「当時の政治指導者やオピニオンリーダーが日本の国際環境をどう認識し、どう行動したのかを明確な問題意識をもって追究し直す必要がある」として、本書を書いたという。
 そして、学ぶべき人物と選択すべきだった政策をつぎつぎにあげていく。
 「(日清)戦争の実質的な政治指導者、時の外務大臣陸奥宗光」は謀略と武力で戦争を起こし朝鮮を奪ったが、その経過について自ら『蹇々録(けんけんろく)』で赤裸々に記録しているが、渡辺は「外交とは友好や善隣ではない。国益の確保そのものである。陸奥の思想と行動はこのこと、つまり外交の『原型』を示して余すところがない」とを褒め上げる。この渡辺の覇権主義そのものの外交論は記憶しておいてよい。脱亜論の福沢と朝鮮の項につづいて、日露戦争の話がくるが、ここで渡辺は「海洋国家同盟」としての日英同盟が成立し、「イギリスと同盟を結んで背後を固め、全力を対露戦に注ぎ込む」「軍事力において劣勢の日本がロシアに勝利したのは、国際環境についての判断力と気概であった」と評価する。韓国併合については「代替策はなかった」、台湾支配は「圧倒的な成功」、「日本の台湾開発は列強の植民地支配のような『搾取』を目的としたものではない」などの言葉が続く。
 だが、太平洋・東アジアでの覇権を狙うアメリカは、日本の軍事力を制限し、日英同盟を廃棄させた。渡辺は「ここについに日露戦争後の日本の安全を保障してきた最も大切な『資産』である日英同盟は終焉のやむなきに至った。…日本はみずからの生存は結局のところみずからで守るより他なしとして、欧米列強から猜疑の目をむけられながら、独力で軍事力を整備し、大陸の中心部に入り込み、その深い泥沼に足を捕られて自滅への道を突き進まざるをえなかった。また後にドイツ、イタリアが軍事力を増強して英米に対する攻勢に転じるや、これに加わらんとする気運を日本人に生んだのも、結局は日英同盟廃棄にその遠因があったと主張して過言ではない」。
 このように渡辺の歴史観は、日英同盟=イギリスの力の傘の下にいればすべて安全だという情けない思想に立脚しているのである。
 だが、これは渡辺の大英帝国に対する一方的な思い入れでしかない。ロシアとユーラシア支配をめぐってグレート・レースを繰り広げていたイギリスにとっては、対ロ牽制・包囲のために使い勝手のよい日本との同盟があったのである。日英同盟の廃棄も、中国とりわけ華中地方に利権を持つイギリスが、日露戦争に勝利し「満州」をはじめ中国に影響力を拡大する日本はイギリスの許容する範囲を超えたと判断されたことからくる当然の結果だ。「外交とは友好や善隣ではない。国益の確保そのものである」と帝国主義外交を主張する渡辺のこうした対イギリス観は、同時にアメリカに対するものでもある。それは「海洋国家」論なる迷論からくるものだ。それがいかに成り立たないのかは後で述べる。渡辺は、「海洋国家同盟か大陸国家提携か」の項では、「東アジア共同体に日本が加わって『大陸勢力』中国と提携し、日米の距離を遠くすることは、日本の近現代史の失敗をくり返すことになる」として、東アジア共同体に反対する次の五つの理由を挙げる。それは、@東アジアにおける経済発展段階の相違、A政治体制の相違、B安全保障の枠組みの違い、C日中韓の政治関係の緊張、D「東アジア共同体における影の隠然たる主役が中国であること」「東アジア共同体を動かす最大の背景要因が中国の地域覇権主義」であることだが、焦点がDにあることにあることは一目瞭然である。そして、「不条理に満ち満ちた国際権力世界を生き延びていくためには、利害を共有する国を友邦として同盟関係を構築し、集団的自衛権の構えを持つ必要がある」とする。「叶うことであれば同盟の相手は強力な軍事力と国際信義を重んじる海洋覇権国家であって欲しい」。すなわち、アメリカの軍事同盟、集団的自衛権の行使=日米協働作戦の展開こそ唯一の選択だというのだ。
 しかし、彼の理論的基礎となっている地政学がそもそもインチキ極まりない代物で、帝国主義政策合理化の煙幕としての役割を果たしてきたものだったし、すでに破産したものである。それを今の時期にあえて生き返らせようとする渡辺の「理論」は成り立たない。
 まず第一に海洋国家同士は利害が一致すると前提されているが、ではなぜ、日英同盟は破棄され、ともに海洋国家であるはずの日本と米英は戦ったのか。アメリカは日本帝国と戦うために「大陸国家」中国を支援したことを忘れてはならない。現在でも、アメリカは経済的に躍進する中国重視を強めているのではないか。いま日本の右翼は、「拉致」問題をめぐって、頼り切っていたもうひとつの「海洋国家」アメリカのその国益に基づく「政策転換」(=「裏切り」)に直面してなすところを知らない狼狽ぶりをさらしている。もう一度くり返そう。渡辺にとって外交とは友好や善隣ではない。国益の確保そのもの」であったはずだ。帝国主義列強は、自分の利益のために、外交的な合従連衡をおこなうのであり、海洋国家だとか大陸国家だとかの恣意的希望的な国家類型で、自動的に同盟関係が決定されるわけではない。
 次に、渡辺はなぜ、東アジア連携論から不可能論・反対論に転向したのか。あるサイトに「拓殖大学の学長になったから」という書き込みもあったが、渡辺自身の理論そのものにこそ根拠はある。渡辺の開発理論、アジア経済の発展論が華やかだったのか、九〇年代くらいまでのアジア経済の「雁行的発展」の時代だった。当時のアジア経済構造は、日本を先頭にNIEs(韓国、台湾、香港、シンガポール)がそれにつづき、その後をASEAN・中国が追うという雁の群れが飛行する形のようなものとしてあった。当時は、世界的にも日本の商品・資本が世界を席巻する勢いだった。しかし、いまは、まったく違う。日本の相対的な地位が急落しているのである。渡辺は、あるところで「雁行経済が崩れている」のではないかという質問に「雁行経済の崩れは証明されているとは思いません。後発国、先発国の順序が変わっただけで雁行はもっと柔構造だと思います」と答えているが、日本がアジアの先頭を切るというかつての状況は消失した。いま東アジア連携を言えば、それはもはや日本の地域覇権のためではなく、中国のそれになってしまうというのが渡辺の言い分だ。かつての渡辺理論が、アジアの盟主をめざす日本の地域覇権のためのものであり、現在の状況の中では雁行の先頭を中国に譲りたくない、だから東アジア連携に反対だというのだ。それこそが「国益の確保そのもの」だというのだろうが、日本は、「海洋国家」であろうと、「大陸国家」であろうと、平和な友好関係を築かなければならない。
 渡辺の『新脱亜論』はいたずらに排外的なナショナリズムをあおって、周辺諸国との緊張を高めるだけの役割を果たすものではあるが、また同時に、「国益」を掲げながら結果的に日本を孤立・破滅に導いて行ってしまう右派の理論なるものを理解するのに手ごろな本でもある。(文中敬称略) (MD)


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マルクスは眠られない

 『産経新聞』七月三一日号の『正論』で、グローバリズム批判などで独自の対場に立つ保守主義者で京都大学教授の佐伯啓思氏が「『マルクスの亡霊』を眠らせるには」と題して、何とも面白い一文を書いている。中見出しは《急速に左傾化する若者》 《「無政府的な」資本主義》 《「経済外的」な規制必要》というもので、三番目の《「経済外的」な規制必要》などというのは、中身を引用しないとわかりにくいかも知れない。《急速に左傾化する若者》ではこう述べる。「若い人を中心に急速に左傾化が進んでいる。しかもそれはこの一、二年のことである。小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーになり、マルクスの『資本論』の翻訳・解説をした新書が発売すぐに数万部も売れているという。若い研究者が書いたレーニン論がそれなりに評判になっている。書店にいけば久しぶりにマルクス・エンゲルス全集が並んでいる。私のまわりを見ても、マルクスに関心を持つ学生がこの一、二年でかなり増加した。私のように、マルクス主義左翼全盛の学生時代に知的好奇心をやしなった者にとっては、マルクスを『卒業』したところから社会科学の研究は始まったはずであった。そのような時代的経験を経た者からみると、この動向は何か奇妙にみえる。 しかし、考えてみれば決して不思議なことではない。近年の所得格差の急速な拡大、若者を襲う雇用不安、賃金水準の低下と過重な労働環境、さながら一九三〇年代の大恐慌を想起させるような世界的金融不安といった世界経済の変調を目の前にしてみれば、資本主義のもつ根本的な矛盾を唱えていたマルクスへ関心が向くのも当然であろう。おまけに、アメリカ、ロシア、中国、EU(欧州連合)などによる、資本の争奪と資源をめぐる激しい国家(あるいは地域)間の競争と対立は、あたかもレーニンとヒルファーディングを混ぜ合わせたような国家資本主義と帝国主義をも想起させる」というのである。
 佐伯氏のまわり(京都大学か)でもマルクス主義に関心を持つ学生が「かなり増加し」ているというのである。その原因は何か。佐伯氏はいう。「いうまでもなく、社会主義の崩壊以降に一気に進展した金融中心のグローバリズムである。……グローバリズムは、経済の考え方を大きく変えた。戦後の先進国の経済は、製造業の技術革新による大量生産・大量消費に支えられて発展してきた。賃金上昇が需要を喚起してさらなる大量生産を可能とし、一国の経済政策が景気を安定化したのである」「八〇年代のアメリカの製造業の衰退は、資本主義経済の様相を大きく変えていった。国内での製造業の大量生産ではなく、低賃金労働を求める海外進出によって、さらには金融・IT(情報技術)部門への産業構造の転換によって、資本と労働を著しく流動化させ、そこに利潤機会を求めた」「その結果、九〇年代に入って、利潤の源泉は、低賃金労働や金融資本の生み出す投 機へと向かった。要するに、製造業の大量生産が生み出す「生産物」ではなく、生産物を生み出すはずの「生産要素」こそが利潤の源泉になっていったのである。かくて、今日の経済は、確かに、マルクスが述べたような一種の搾取経済の様相を呈しているといってよい」「資本主義が不安定化するというマルクスの直感は間違っていたわけではない」「問題は、今日のグローバル経済のもつ矛盾と危機的な様相を直視することである。市場経済は、それなりに安定した社会があって初めて有効に機能する。そのために、労働や雇用の確保、貨幣供給の管理、さらには、医療や食糧、土地や住宅という生活基盤の整備、資源の安定的確保が不可欠であり、それらは市場競争に委ねればよいというものではないのである。むしろ、そこに『経済外的』な規制や政府によるコントロールが不可欠となる。『無政府的』な資本主義は、確かにマルクスが予見したように、きわめて不安定なのである。マルクスの亡霊に安らかな眠りを与えるためには、グローバル資本主義のもつ矛盾から目をそむけてはならない」。
 この「経済外的な規制」とはなにか。それが資本主義の下で「修正資本主義」として可能なのかどうかこそが問われている。しかし、あらかじめ、マルクスと社会主義を否定している佐伯氏には回答がない。マルクスは眠っているわけにはいかないのである。今回は引用がきわめて長くなったことをお詫びしたい。 (T)