人民新報 ・ 第1245号<統合338号(2008年9月15日)
  
                  目次

● 安倍自滅から1年もたっていないのに福田内閣も自滅   いまこそ自民党政治を完全に終わらせよう

● 都教委が「分限免職・指針」を通知   首都圏ネット・都教委包囲行動で反撃

● 「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」の危険なもくろみ   8・15反「靖国」のデモと集会

● 8・ 31東京都総合防災訓練   防災に名を借りた治安出動訓練・戦争動員訓練に反対

● 東京3弁護士会の主催でシンポジウム   「貧困ニッポン ワーキングプアをなくすために」

● 規制緩和推進のためのイデオロギー集団=「法と経済学」派の危険な動き

● 複眼単眼  /  伊藤さんの葬儀で起こった拍手と給油新法問題




安倍自滅から1年もたっていないのに福田内閣も自滅

       
いまこそ自民党政治を完全に終わらせよう

 九月一日夜、福田康夫は首相辞任を発表した。昨年九月一二日の安倍晋三辞任に続いての突然の政権の投げ出しである。昨年九月二六日に正式発足した福田内閣の寿命は、安倍よりも短く、その辞任発表の記者会見も見るも無残なものとなった。多くの人びとが、自民党政治が最終局面に近づきつつあることの象徴的なできごとだと受け取ったであろう。
 安倍は、歴代の自民党政権とりわけ小泉の新自由主義・規制改革と対米従属路線のツケを背負わされ、日本社会に広がる矛盾と自民党・公明党政治に対する批判の強さ、外交的な行き詰まりに耐えられずに病気を理由に逃亡したが、福田も同様だ。福田は、奇策としての大連立策謀も挫折、支配層、与党内部の軋轢に耐え切れなくなってまたも
 福田では総選挙での敗北は必至であるという自民党内の危機感が福田退陣の直接の要因辞任・逃亡となったのである。であり、総裁選を華やかに繰りひろげることで衆目を引き、それにつづけて新内閣発足直後のいわゆるご祝儀ムードのなかで、総選挙に突入しようというもくろみは明らかだ。
 誰が新首相になろうとも、アメリカと財界からの要求を実行する以外にない。 いま、アメリカの対テロ戦争はいっそう敗色を濃くしてきており、とりわけアフガニスタン情勢はブッシュ政権にとって絶望的な段階に入りつつある。日本へのアメリカの戦争への協力・参戦の要求は一段と激しいものとなってきている。財界も規制改革の遅れに苛立ちを隠しきれない。本来は、首相辞任、総裁選、新内閣の発足などという時間的な余裕はまったくないのであるが、そうせざるを得ないところに自民党政治がまったく追い詰められてしまっているという現実がある。
 早期の衆院解散・総選挙の可能性は一段と高まってきた。総選挙では、衆院でも与党を過半数割れに追い込み、その中で社共などの護憲勢力の議席確保・躍進を勝ち取らなければならない。それがなければ、総選挙後の政界再編の中で、ふたたび大連立の策動、保守二大政党制が生まれるだろう。
 いま、なにより大衆的な自立した闘いが必要である。アフガン戦争に加担するためのインド洋派兵・給油新法を延長を許さず、自衛隊をインド洋とイラクから撤退させ、自衛隊海外派兵恒久法を阻止し、憲法改悪のための憲法審査会を始動させない闘いを前進させよう。原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化、米陸軍第一軍団司令部機能のキャンプ座間移転と日米軍事一体化の推進、沖縄基地強化の米軍再編に反対していこう。労働者派遣法の抜本改正をはじめ労働条件の低下に反対し、労働運動のいっそうの前進を勝ち取ろう。教育と社会保障・社会福祉を充実させる闘いなどを一段と活性化させ、これらの力を背景に、自民党・公明党の腐りきった政治を完全に終わらせていかなければならない。いまこそ日本の政治の新しい段階を切り拓こう。
 臨時国会の召集日が九月二四日に決まった。5・3憲法集会実行委員会(憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和を作り出す宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会)は、当日に院内集会をひらく。
 冒頭解散も言われているが、われわれは、団結をいっそうかためて自民党政治に鉄槌を下す決意を確認し、闘いを強めていこう。


都教委が「分限免職・指針」を通知

    
首都圏ネット 都教委包囲行動で反撃

 八月二九日午後三時から、都庁第二庁舎前で、都教委包囲・首都圏ネットの呼びかけによる東京都教育委員会包囲行動が行われた。この日の行動には約二二〇名が参加し、「日の丸・君が代」処分撤回を求めて抗議の声をあげた。

 全国に先駆けて反動攻勢を強め、いち早く戦争のできる体制を作るため、都知事の石原慎太郎は、教育の分野での先行実施を図り、都教委の「10・23通達」(二〇〇三年一〇月)を出させた。それは、@学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること、A入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること、B国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること、という内容で、「実施指針」は、「国歌の斉唱について」の項では、「入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする」で、@式次第には、「国歌斉唱」と記載する、A国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す、B式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する、C国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う、などと事細かに規定し、いささかでもこれに反すれば処分を行うというものだ。
 これは、翌年からの卒・入学式での「君が代」不起立の教職員に対して、これまでにのべ四〇〇人をこえる不当な大量処分を強行する「根拠」とされてきた。

 不当な処分以降毎年八月に都庁包囲行動が取り組まれてきたが、今年の行動には、「被処分者の会」「被解雇者の会」などをはじめ市民も参加しての行動となった。

 都教委包囲ネットの見城赳樹さんは、今年の三月に文科省が出してきた新学習指導要領、そして都教委の「分限事由に該当する可能性がある教職員に対する対応指針」(七月一五日)に対して、力を合わせて闘っていこうと発言。
 つづいて、解雇攻撃にさらされている根津公子さんを初め被処分者や市民のアピールが続き、集会決議文を確認した。

 「分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針」(7・15通知)に強く抗議し、その撤回を求める決議」は、次のように述べている。
 「本年、七月一五日、東京都教育委員会は『分限事由に該当する可能性がある教職員に関する対応指針』を都立高校校長及び区市町村教育委員会に通知した。…7・15通知の主要なねらいは、10・23通達に反対し、不起立・不伴奏などで処分された全ての教職員が対象であり、さらに、文科省・都教委の教育行政を批判する者、校長の学校経営のやり方を批判する者を学校から一掃しようとするものである。…いま時点での、ねらいの第一は根津さんを分限免職処分にすることにある。…分限処分は懲戒処分と異なり、一発で免職に出来る。また、処分理由は『日の丸・君が代』に限らないし、複数の理由を結びつけて処分できるという、極めてファッショ的方法である。…言論の自由をはじめとする民主主義は封殺され、教育現場での民主主義は死滅状態に陥ろうとしている。また、学習指導要領が改悪され、道徳と愛国心教育が全面に押し出されようとしている今、それに反対・批判する勢力を押さえ込むねらいもある。政治権力にこのようなファッショ的学校支配、教育支配を許してはならない。本日の行動に参加した全ての者は、都教委に対し断固抗議すると共に、7・15通知の撤回を要求する。また、10・23通達とそれに基づく全ての処分の撤回を要求する」。
 集会決議は、当日の行動参加者一同の名で都教委に渡された。

 四時過ぎからは都教委への要請・抗議行動に移った。行動参加者は要請書を持って、三〇階の教育長・教育委員長をはじめ、それぞれへ要請に行った。都教委側の対応は、今回もきわめて悪い。すべて「教育情報課」へ行けという。だが、この教育情報課なるものは、こうした抗議・要請行動をを体よくあしらうための機関であり、押し問答がつづいたが、要請団は合流して一〇階の会議室へ移り、そこでそれぞれが要請書を読み上げて提出し、また都教委の対応に抗議を行った。

 根津さんは「公開質問状」を渡した。これに対し教育情報課の黒田浩利課長は、「回答する、しないも含めて所管の判断をあおぐ」といつもの逃げ口上に終始した。
根津さんは、公開質問状で、以下のような質問を行っている。
 @「分限指針」策定の経緯について、いつ頃から検討してきたものか、教職員懲戒分限審査委員会に諮問・答申されたものか、策定にあたって、教育庁幹部以外の人たち、弁護士や学者、医師、保護者や都民の意見を聞いたか、「国旗・国歌」に係わる職務命令違反の被処分者に「分限指針」を適用するのかについて、「根津さん、河原井さんは、『国旗に正対して起立し、国歌を斉唱せよ』という職務命令には、どうしても従うことができません。このことは、『分限指針』第五にある例示(7)の「法律、条例、規則及びその他の規程又は職務命令に違反する、職務命令を拒否する」に該当するか、例示(7)にいう『職務命令』には、裁判所が違憲・違法と判断した職務命令、適法性についての裁判所の判断が分かれている職務命令も、含まれますか、…などである。
 
 都教委包囲行動で、暴走する石原都政・都教委の根津さんへの解雇・分限免職をはじめとする処分攻撃と「日の丸・君が代」強制に反撃していく決意が固められ、秋からの闘いのスタートがきられた。


「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」の危険なもくろみ

                8・15反「靖国」のデモと集会

 
「即位二十年」の動き

 天皇主義右翼は巻き返しをはかっている。この六月五日には、名誉会長に日本経団連会長の御手洗冨士夫、会長に岡村正日商会頭をすえ「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」なるものが設立された。
 第一回世話人会で以下の五つが決議された(以下、引用は原文のママ)
 @平成二十一年の「即位礼正殿の儀の行われた日」(平成二十一年十一月十二日)を臨時休日とする法律を早急に成立させる。A民間の「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」と共催で、本年一一月九日に「天皇陛下御即位二十年奉祝中央国民大会」を、来年一一月一二日に「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」(皇居前広場)を開催する。B来年一一月、政府主催で「天皇陛下御即位二十年奉祝式典」を開催するよう、政府に対して要望する。C来秋、御即位二十年をお祝いする「賀詞」を衆参両院で決議する。D御即位十年での奉祝事業を踏まえ、各省庁での「奉祝事業」の推進のため、内閣府に「天皇陛下御即位二十年奉祝記念事業連絡室」(仮称)の設置を要望する。

8・15行動@ デモ
 
八月一五日、8・15反「靖国」集会実行委員会による「〈戦争の記憶〉を問い続けよう!―8・15反『靖国』行動―」が闘われた。

 午後二時半に、西神田公園に集合し、小集会を開いた後、デモに出発した。例年のことながら右翼の挑発、妨害がつづいたが、断固としてそれらをはねのけて、シュプレヒコールをあげデモを貫徹した。

8・15行動A 集会

 六時からは、千駄ヶ谷区民会館で集会。
 今年は形式がすこし違って、はじめに全体の問題提起、つづいて分科会方式での討論になった。

 「人権と反中ナショナリズム」太田昌国(民族問題研究)
 日本の一九四五年に、戦前・戦中と戦後の断絶はなかった。このことにこだわり続けたい。戦後直後のアジアは日本の四五年までの戦争責任を追及する余裕はなかった。しかし六〇〜七〇年代はアジアの発展のときであったが、七〇年代後半には、中国の文革はじめ民族解放運動などアジアのイメージは失墜した。八〇年代からの日本は経済力を背景にナショナリズムが勃興してきた。九〇年代には、そのナショナリズムは、アジアからの侵略戦争・植民地支配の声に反撃するとともに、社会主義の崩壊を喜ぶものとなった。しかし、それもバブル経済の崩壊・低成長でねじれたものになった。いちじるしく内にこもったものになっていったのである。
 日野直近(靖国解体企画)「死者の追悼をめぐって」
 靖国神社は基本的に戦前とつながっている。国家目的の遂行としての死者を評価せよということだ。それに首相や天皇の参拝を求めるなどして権威付けるという非常に醜悪な姿をさらしている。
 成澤宗男(ジャーナリスト)「映画『靖国YASUKUNI』と表現弾圧」
 拉致問題、東京裁判、「従軍慰安婦」、歴史教科書問題などで、日本は、欧米などとも意見が違ってきて、孤立が深まっている。
 つづいて天野恵一(反天皇制連絡会)さんが、沖縄戦と大江・岩波裁判について報告した。

 分科会では、四人の問題提起者を中心に、討議が行われた。        

8・15 集会宣言

 連日の北京オリンピック報道の洪水の中、私たちは、今年も8・15を迎えた。
 オリンピックが、スポーツ・「平和」の式典の名を借りて、ナショナリズムに人びとを動員していく巨大イベントであることは、メダル競争、「国旗・国歌」の洪水ひとつとってみても明らかだ。「オリンピック招致に反対する人はいない」と公言してはばからない都知事の石原のことばが真実であるかのように、オリンピックそれ自体の政治性を問わずに、それ自体があたかも美しい式典であるかのように描き出す役割を、マスコミは日々果たしている。それは一見ハードな、強制的な動員装置ではないけれども、異論の存在を排除し、人びとを国家の側へと回収する政治イベントだ。
 石原は、このオリンピックを東京に招致するための活動に、皇太子夫婦を参加させようとはたらきかけ、宮内庁との軋轢さえ生みだした。それは、国家的なイベントを「成功」させるために、天皇制の利用価値を見出す政治的な意思と、天皇が、そのような狭い意味での現実政治からは超越した存在であるかのように描きだす政治的な意思との対立である。
 本日の、政府主催の全国戦没者追悼式、そして多くの閣僚と国会議員の靖国神社への参拝が意味するものは、過去の戦争の死者に対する国家による賛美にはとどまらない。そのことを通して、現在と未来の戦争の死者をも国は讃えるのだということを、はっきりと表明するものだ。私たちはこうした政治に反対の声をあげるべく、集会とデモに取り組んだ。全国戦没者追悼式における天皇の「おことば」、天皇の死者を祀る靖国。天皇はこうした「慰霊空間」の祭司として、大きな役割を果たし続けている。
 こうした中で、来年のアキヒト即位二〇周年を前に、それを「奉祝」しようという右派の動きが開始されている。日本会議系の「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」(名誉会長・御手洗日本経団連会長、会長・岡村日商会頭)は、島村宜伸を世話人とする超党派の[奉祝国会議員連盟]と連携して、今年一一月九日に「奉祝中央式典」を、来年一一月一二日に皇居前での「国民祭典」を実施しようとしている。計画では、今後、国会に対して「一一月一二日を臨時休日とする法律」の制定を求め、政府主催の記念式典、一〇万人規模のパレードなどを実現したいとしている。
 この「在位二〇年」をめぐる動きは、安倍退陣以降、一時的に後退を迫られたかに見える天皇主義右翼が、再度政治の表舞台に登場する機会を与えるものとなるかもしれないし、逆に、もっとグローバル化の時代にふさわしい天皇制のありかたを、と求める声が強まっていくかもしれない。いずれにせよ、そこで形づくられる言論のすべてが、「在位二〇年」をアキヒト天皇制を総括するひとつの節目となし、やがて到来する「Xデー」を見据えた象徴天皇制再編論議へと連続していくことになるだろう。それはまた、アメリカの戦争に加担し続ける日本国家の、戦争国家の「完成」と軌を一にしたものとならざるをえない。そして、一貫してすすめられようとしている歴史の偽造=「戦争の記憶」の改ざんも、そうした動きのすべてに関わっているのだ。
 国家による死者の「慰霊・追悼」を許さず、天皇制の戦争・戦後責任を問い続け、さまざまなかたちで強化されるナショナリズム・排外主義に反対し続けていくために、多様な方法で声を上げ続けていくことを確認して、集会の宣言とする。

 〈戦争の記憶〉を問い続けよう―8・15反「靖国」行動参加者一同


8・ 31東京都総合防災訓練 

     
防災に名を借りた治安出動訓練・戦争動員訓練に反対

 八月三一日、「関東大震災八五周年―朝鮮人虐殺事件・亀戸事件を忘れない!」「防災に名を借りた治安出動訓練・戦争動員訓練にNO!」「米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練に反対しよう!」などのスローガンを掲げて、「東京都総合防災訓練に反対しよう!抗議デモ・集会」が闘われた。
 例年は九月一日に開催されてきたが、今年は、一般の人が参加しやすいことや交通機関との調整が付きやすいことなどを口実にして日曜日に開催し、米軍と陸・海・空自衛隊を出動させ、大幅な交通規制、住民や観光客をもまき込んでの大規模な訓練となった。

 二〇〇〇年、都知事の石原慎太郎は、防災訓練に名を借りた治安・弾圧訓練である「ビッグレスキュー」を強行した。このとき石原は、「災害時に『三国人』が騒動を起こす」「治安出動訓練が必要」などの暴言を吐いた。そして訓練は年々軍事化の様相を強めてきたのである。
 都は、東京湾北部を震源とする震度六強の首都直下型地震を想定し、今年の統一テーマを「災害時における『即応力』と『連携』」とし、「訓練の特徴」では@陸・海・空路を活用した救援部隊の迅速な進出、A羽田空港等を活用した広域支援部隊の受入、B在日米軍に加え、アジア大都市ネットワーク21の二都市(ソウル特別市・台北市)が参加する、とした。
 晴海会場では、アジア大都市ネットワーク21二都市の救援隊と東京消防庁レスキュー隊が連携した救出救助、ヘリを使った広域医療搬送、巡視船を活用した東京DMAT等による医療救護、清掃工場を活用した部隊の集結など。銀座会場では、地下鉄等からの救出救助、陸自救急車や都バス等による医療搬送、地元商店街等による消火・救助・帰宅困難者支援など。木場公園会場では、河川・大江戸線等を利用した救援部隊の進出、防災機関が連携した救出救助、ヘリを使った医療搬送、検視・検案・身元確認など。亀戸駅周辺会場では、駅ビルのエレベータ閉じ込めからの救出など。その他、羽田空港では、広域応援隊の受入とヘリによる転進が、横田基地では、広域応援隊の受入とヘリによる転進、支援物資のヘリ輸送が、赤坂プレスセンターでは、ヘリによる負傷者の医療搬送、そして、東京港臨海部では、海上自衛隊・海上保安庁及び在日米海軍の船舶による帰宅困難者の輸送という、自衛隊・米軍を基軸とする軍事・治安訓練の色濃いものとなった。

 当日早朝から、実行委員会のメンバーは、公安警察の妨害を撥ね退けて各会場で監視活動を行った。晴海会場、木場公園会場では仲間たちの入場さえも認めない不当な妨害を強行してきた。
 
 京橋プラザ区民館からの抗議デモには、警察にくわえて、右翼が排外主義・差別主義をあおりながらの嫌がらせを続けた。

 午後二時からは、江東区文化センターで、「米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練を問う8・ 集会」が開かれた。
 集会では、はじめに、ビデオ上映などによって当日早朝からの訓練監視の報告がおこなわれた。公安の妨害、右翼の嫌がらせなどに抗しての闘いが伝わってくる。
 つづいて原子力空母の母港化に反対し、基地のない神奈川をめざす県央共闘会議の桧鼻達実さんからは、米軍再編の状況と間近かに迫った原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀母港化反対運動への参加のアピール、関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会の慎民子さんからは、これまでの取り組みの報告と追悼の集いへの参加要請があった。
 立川自衛隊監視テント村の大西一平さんは、立川自衛隊官舎反戦ビラ入れ裁判での最高裁の不当判決を糾弾し、これからも闘い抜くとの決意表明があり、実行委員会参加の団体などからのアピールが続いた。

 申し入れ書

 東京都知事 殿
 東京都総務局総合防災部 殿

 
 七月三一日、今年の東京都総合防災訓練の概要が明らかになった。「報道発表資料」によれば、今回の訓練の特徴として、その三番目に「在日米軍に加え、アジア大都市ネットワーク21二都市(ソウル特別市・台北市)参加」とあり、さらに会場説明で、東京港臨海部において、「海上自衛隊・海上保安庁及び在日米軍の船舶による帰宅困難者の輸送」を行うと明記されている。
 私たちは、二〇〇〇年のビッグレスキュー以来、防災訓練への自衛隊参加と、〇六年・〇七年における、在日米軍(艦艇)による訓練参加(帰宅困難者輸送)に抗議してきた。米軍参加については、戦闘用の軍艦が、少数(いずれも避難民に扮した都庁職員)の人間を輸送するという設定が不自然な上、同乗する報道関係も記者クラブに限られ、職員と記者ともども事前のチェックがあった。その上、〇六・〇七年とも、事前に詳細な計画が確定していたにも関わらず、実際に発表されたのは、数日前であったこと。
 これでは、軍事作戦行動下の統制と管理のやり方であり、防災訓練の主旨からしても、殺到する避難民という現実の想定からすれば、ほとんど意味をなさないのではないか。
 しかも、〇七年の「内外タイムス」紙による記者の「同乗リポート」によれば、「帰宅困難者訓練」とは裏腹に、「バーベキューパーティーあり米兵ライブありとまるで見学ツアー」とその様子が詳細に書かれている。当日「避難民」として同乗した都職員の方々は、これで納得したのか。要するに、防災訓練に名を借りた軍のデモンストレーションであり、軍による親睦だったことは明らかである。
 一方自衛隊も、二〇〇七年の昭島では、会場内に設けられた航空自衛隊のブースで子供たちに、イラク派遣を讃え、応援する「ブルーバンド」や戦闘機のファイルなどを配るなど、キャンペーンを展開していたが一体、防災訓練と何の関係があるのか。
 二〇〇〇年の「ビッグレスキュー」以来、自衛隊の積極的な参加が目立っている状況だが、多くの場合は、自衛隊の装備展示と本来の野戦用の訓練を「応用」した一般客向けのショーと化しているのが実態ではないのか。
 そもそも防災訓練は、地域住民にとって、その目的と実施の成果が納得できるものでなければ、意味をなさないはず。従って、詳細について知る権利があるし、責任セクションは疑問・不明点や賓間に対しては真摯に答える義務がある。
 一、二〇〇六、〇七年の米軍参加の評価と、今年の米軍参加の詳細を明らかにされたし。       
 二、陸・海・空の自衛隊はどのように参加するのか、その詳細を明らかにされたし。
 二〇〇七年の昭島における航空自衛隊のブースでなされた宣伝活動に対する見解は?
 三、この間、学童・生徒らの訓練参加・ボランティア動員(自衛隊との炊き出しなど)が目立つが、今回はどのような基準、方法、規模で実施するのか明らかにされたし。
 四、訓練エリア内での、野宿者のテント・仮小屋の存在については、どうするつもりか。
 五、防災訓練と国民保護訓練が、同じセクションで関係していることについて、防災部としてどのような見解を持っているのか、自衛隊関係者が顧問でいることの理由は?
 六、地域防災体制の強化は、先の「テロ対策訓練」に見られるように、無批判に「自警団」や「隣組」的なあり方の奨励につながるが、二〇〇〇年来の石原都知事による一連の外国人への排外的・差別的暴言も居直ったままの現状で、都として人権擁護、人権啓発の観点からどのように考えているのか見解を明らかにされたし。
 
二〇〇八年八月四日

 米軍・自衛隊参加の〇八年東京都総合防災訓練に反対する実行委員会
 


東京3弁護士会の主催でシンポジウム

      
 「貧困ニッポン ワーキングプアをなくすために」

 日本弁護士連合会は、今年一〇月に富山で開かれる第五一回人権擁護大会・シンポジウムのテーマのうちのひとつとして、「労働と貧困〜拡大するワーキングプア―人間らしく働き生活する権利の確立を目指して―」を設定している。
 そのプレシンポジウムとして、九月二日に弁護士会館で「貧困ニッポン ワーキングプアをなくすために」(主催・東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会)が開かれた。
 はじめに庭山正一郎第二東京弁護士会が開会挨拶。

 問題提起報告「ワーキングプアをなくすために」を橋本佳子弁護士が行った。
 日弁連は、二〇〇六年に釧路で開かれた第四九回人権擁護大会シンポジウムで、貧困問題を取り上げ、生活保護問題を中心に検討し、「貧困の連鎖を断ち切り、すべての人の尊厳に値する生存を実現することを求める決議」を採択した。今年の第五一回人権擁護大会はその第三分科会で「労働と貧困 ワーキングプア」を設定し、貧困の連鎖を断ち切るため、ワーキングプア増加の要因である労働の問題点及び社会保障制度の問題点などをテーマとする。
 昨年二〇〇七年には、非正規労働者は一八九〇万人、被雇用者の三五・五%であり、とくに女性では過半数を超えている。二〇〇二年〜二〇〇七年の五年間に初めて職に就いた者の四三・八%が非正規雇用であり、二〇〇六年には年収二〇〇万円以下が一〇二三万人となっている。二〇〇七年には国民健康保険の保険料滞納世帯が四七四万世帯、無保険者三四万世帯、生活保護利用世帯が一一二万世帯など、これが日本の現実だ。
 ワーキングプア拡大の要因は、まず財界の雇用政策と労働分野の規制緩和である。経済のグローバル化の下、国際競争に勝つためという理由で強行されてきた労働分野における規制緩和のひとつの起点は、一九九五年に当時の日経連が出した「新時代の『日本的経営』」にある。それは、正社員は基幹職の少数とし、その他は有期の非正規雇用にするというものだった。そして労働者派遣法制定と改正が行われた。一九八五年の派遣法制定時には専門的一三業種に限定されていたが、一九九九年になると港湾運送、建設、警備、医療、製造業務以外が原則自由化(ネガティブリスト方式)となり、二〇〇三年には製造業務も解禁された。このように、正規雇用からパート、アルバイト、契約社員、派遣等の非正規雇用への置き換えが進んできた。
 その一方で、社会保障制度が脆弱な上に、雇用保険の給付削減、児童扶養手当の縮減等の給付削減や負担増など構造改革による社会保障費の抑制が行われた。
 ワーキングプアに関連する法制度には問題点が多い。それを改善していかなければならない。
 労働法制では、有期労働契約の増大と雇用の不安定化に対して、その規制を強めていくことが必要だ。著しい賃金格差による低賃金には、均等待遇の原則を実現していかなければならない。偽造請負等の違法の蔓延と日雇い派遣の実態が社会問題化しているが、派遣労働の増大と雇用の不安定化は、使用者が派遣先と派遣元に分化している間接雇用(特に登録型派遣の不安定)というところに無理がある。これには、直接雇用の原則を適用すること、登録型派遣の制限ないし廃止、高額の手数料にはマージン率の規制がなければならない。いま派遣法の改正の動きがあるがこれを本当に有効なものにしていくことが大事である。最低賃金制度は、二〇〇七年の法改正では「労働者の生計費等を考慮して定めなければならない」とされたが依然として低レベルのものでしかなく、大幅にアップしたものにしなければならない。そして、職場では違法行為が蔓延しているにもかかわらず現在のところ労働基準監督署はじめ不十分な監督体制しかない。正規労働者の賃金低下、長時間労働と過労死に象徴される健康障害にたいする監督を強め、それらをなくしていくことがさし迫った課題となっている。
 社会保障制度では、雇用保険の改悪、雇用保険に未加入者の増加(失業給付失業者中の五人に一人)、そして失業給付受給でも低賃金のため低い給付額でしかない。また非正規労働者のほとんどは国民健康保険で、傷病手当や出産手当はない。
 また若年非正規労働者が増大しているにもかかわらず職業訓練システムは未形成である。
 最後のセーフティーネットとしての生活保護制度は勤労世帯の申請をさせないなどの違法運用が行われており機能不全状態だ。
 このような状態を解消し、すべての人が人間らしく働き生きるために日弁連としても努力していきたい。

 つづいて東京都福祉保健局生活福祉部生活支援課自立支援担当係長の松本功さんが、東京都の住居喪失不安定就労者サポート事業について報告。
 東京都では、インターネットカフェや漫画喫茶などで寝泊りしながら不安定な雇用形態で就業する住居喪失者にたいして、サポートセンター(新宿区歌舞伎町)を設置し、生活支援、居住支援をおこない、また厚生労働省と連携して就労支援を行っている。生活相談業務としては、生活状況、就労状況、健康状況の把握、自立意欲および能力などのアセスメント、年齢・身体状況などを考慮した自立意欲の喚起・生活指導などを行っている。居住相談業務では、民間賃貸物件の情報提供、賃貸借契約支援、保証人の確保、緊急連絡先の確保などであり、住宅資金四〇万円、生活資金二〇万円などの資金貸し付け業務などもある。

 パネルディスカッションの最初の発言者は、ドキュメンタリー「ネットカフェ難民」を作った日本テレビディレクターの水島宏明さん。
 ネットカフェで暮らす生活困窮者が急増しているが、きっかけは、消費や金融などのいわゆる「貧困ビジネス」によるものが多い。またかれらには共通点が多いが、湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)が書いているような五重の排除がある。それは、@家族福祉からの排除(「家との折り合いが悪い」「家族に頼れない」…虐待、引きこもり、家庭内暴力、仮面家族)、A教育からの排除(「高校、大学に行けなかった」低学歴…大卒かどうかで大きな差が出る)、B仕事からの排除(「まともな仕事につけなかった」、正規雇用=終身雇用、年金、健康保険、雇用保険、失業保険)、C公的福祉からの排除(「行政の支援? そんなものあるの?」…成長過程等で支援されない。制度を知らない、拒絶された経験など)、そしてそれらの結果として、D自分自身からの排除(「自分なんてどうなっても良い」)と自暴自棄に陥る人が少なくない。
 日本でも「反貧困」の運動が広がっているが、この問題への取り組みは待ったなしの状況にある。

 首都圏青年ユニオン書記長の河添誠さんは、「〈貧困〉と〈労働基準法以下の労働条件の拡大〉とどうたたかうか」と題して発言。
 いま最低限の労働条件の底が抜けたという事態が来ている。賃金、制度での格差だけでなく実態的に違法状態が放置されている点での格差が問題だ。労基法以下の労働環境があり、残業代未払い、有給休暇なし、社会保険・雇用保険未加入の「違法の三点セット」が横行している。最低限の労働条件の底を上げていく運動が求められており、個別の企業内での賃上げよりも、労働基準法などの改正で労働者全体の労働条件の底上げが必要だ。

 棗一郎弁護士は、「非正規労働者の現状とたたかい〜労働弁護士の役割」を報告。
 労働者派遣法改正などの取り組みでは労働組合のナショナルセンターの潮流をこえた共同行動という労働運動でも歴史的な動きが出てきている。労働ビッグバンを許さないために「良質な労働立法」を実現させる運動が求められており、派遣法の抜本的な改正を始め、残業の絶対上限時間を決める労働基準法の改正、「職場いじめ防止法」の制定や本来あるべき「労働契約法」の立法などを求めていかなければならない。

 岡部卓・首都大学東京教授は、「社会保障制度はワーキングプアの人たちの生活保障となりえているか」をテーマに発言した。
 日本の生活保護制度では、あらかじめある特定の対象層を「被保護層」としている。いまこの「制度対象としての貧困層」と「本来の貧困層」が乖離してしまっている。とくにワーキングプア層が問題だ。かれらは、「労働能力」のある者、「家族・親族の扶養」を受けられるものとされている。こうして低収入・失業状態にある稼動年齢層が生活保護から排除されてしまっている。

 つづいて、日弁連が今年四〜五月に実施した「諸外国のワーキングプア問題と対策」(アメリカ、イギリス、韓国、ドイツ、スウェーデン)について報告があった。


規制緩和推進のためのイデオロギー集団

       「法と経済学」派の危険な動き


規制緩和「最適理論」

 労働分野における規制緩和政策がもたらしたのは悲惨な状況であった。その結果、いま格差・貧困問題がひろくマスコミにもとりあげられるようになり、労働者・労働組合の反撃も力を増して来る中で、政府・与党も総選挙を気にして実態は骨抜きながらも労働者派遣法の改正を言わざるを得ないような事態になってきている。しかし、こうした動きを日本経団連などは規制緩和・構造改革の遅れだとして危機感を増し、それに呼応した御用学者たちも規制緩和の再進展に躍起となっている。
 規制緩和論の理由付けにはさまざまな「理論」が動員されているが、そのもっとも有力なものが「法と経済学」派のそれである。これは新自由主義の強い影響を受けたものであり、「法の経済分析」とも言う。
 八代尚宏(やしろ・なおひろ)国際基督教大学教授は、そのなかの有力な一員(法と経済学会会長)であり、経済財政諮問会議民間議員として『労働ビッグバン』を推進してきた。ホワイトカラー・エグゼンプション推進派であり、外国人労働力の全面開放論者でもある。格差是正については、年功賃金の見直しなどによって正社員と非正規社員の賃金水準の均衡化に向けた方向での検討も必要だとして、正社員の賃金・労働条件の切り下げによる「解決」を提唱している御用学者なのである。

八代尚宏の主張

 「法と経済学」とはなにか。八代の著書「規制緩和 『法と経済学』からの提言」(有斐閣)には次のようにある。
 「『法と経済学』は、主としてアメリカで発展した法学の一分野であり、その基本は、ミクロ経済学の理論を、法律や法的制度の形成や経済効果の分析に応用することにある。個々の法律の規定について『なぜ、そうなっているのか』という素朴な疑問に対しては、単に過去の制度的な経緯(昔からそうなっているから)とか、諸外国の先例(外国でもそうしているから)だけでは不十分である。なぜその法律に従うことが社会的に望ましいかを、法律の専門家以外にも明確に示す必要があるが、そのためのひとつの手段が、経済学の分析用具の活用である。法学と経済学とが共通の社会問題に取り組む『法と経済学』は、既存の法制度の解釈だけでなく、立法過程にも適用できる、いわば『法の統一理論』としての性格も有している。これは、現在の時代の要請にはもはや適合しない過去の法制度を、より新しいものへと改革しようとする『規制改革』の分野では、とくに重要となっている。」
 この理論にはいくつかの道具から構成されているが、中心はミクロ経済学のなかの「価格理論」である。まず、市場は永遠普遍のものであり、その中で人間は利己的であり、自己の効用を最大化するために、限定された状況(限られた資源)のなかで常に最も合理的な選択を行うとされる。これが「合理的個人」といわれる。
 「効率性」が最も重要な基準とされるが、それは人間の満足の総和が最大化されるように資源が配分されることだという。
そして社会の各制度は、「合理的個人」が、効率的資源配分の実現を可能とするように設計されているかどうかが評価基準とされる。
 「効率性」を高めるとは、市場メカニズムを十分に作動させるように制度設計(規制緩和)をすることであり、市場に対して法や国家はできるだけ介入を控え、市場メカニズム作動それ自体に任せるべきだという主張である。
 まさに一〇〇%規制緩和のための理論である。

労働法の意義とは

 しかし、この理論は前提からしておかしなところがある。それはとくに「労働」の分野で自己暴露する。
 八代は第四章「労働市場の規制改革」で次のように書いている。
 「労働法は商法や独占禁止法と並んで、市場の実態に応じた対応が迫られる分野である。しかし、これまで長い間にわたって『労働力は商品ではない』という建て前から、政府による全面的な規制がなされてきた。すなわち、労働者の働き方を定める労働基準法は、刑法と同じ強行規定である。また、職業紹介等の労働力の需給調整は、基本的に政府の任務と定められており、その結果、民間の職業紹介事業に対する指導監督権限が定められている。これを金融市場に当てはめれば、旧郵政省が自ら郵便貯金事業を行う半面、民間金融機関を監督する金融庁を兼ねるような図式といえる。雇用契約に関する規制は、一般の商品取引のように全面的に自由化できないことは当然であるが、経済社会環境の変化のなかで、よりよい規制を求めて改革する必要性に迫られている」。
 八代は、「労働法は商法や独占禁止法と並んで、市場の実態に応じた対応が迫られる分野である」としているが、そもそも労働法は、市民法による「取引の自由」「契約の自由」が労働者(使用者に比べて情報の量及び質、交渉力等に関し格差が存在)に劣悪な労働条件をもたらし、その結果として労働者(労働組合)の改善要求が強まり、またその劣悪な労働条件が貧困をもたらし社会の安定を崩壊させ革命の危機を感じた支配階級の一部がその回避のために譲歩して形成されてきたものである。
 日本では戦後、日本国憲法の生存権(憲法二五条)、勤労の権利(二七条一項)、勤労条件の法定(二七条二項)、団結権・団体交渉権・団体行動権(二八条)に基づいて労働法体系が形成されてきた。
 だから八代の「労働法は商法や独占禁止法と並んで、市場の実態に応じた対応が迫られる分野である」というところは「労働法は商法や独占禁止法とは違って、市場の実態に応じた対応が迫られてはならない分野である」と書き換えるべきなのだ。八代ではその出発点からすべてが逆転している。
 労働分野における規制緩和がもたらしたものは、簡単にできるリストラ、女性と若年層の非正規労働者化などの雇用の流動化による格差拡大・貧困化であり、「『企業を通じた雇用保障』が急速に形骸化しつつある現在、本来の『労働市場を通じた雇用機会の保障』機能がいっそう重要なものとなる」という彼の展望は、まさに労働法以前の赤裸々な搾取の世界の再現なのである。プロレタリア作家小林多喜二小説『蟹工船』が身近なものとして読まれる根拠はこうしたところにある。

法と経済学会

 法と経済学会は二〇〇三年に設立された。会員名簿を見ると、大学教員、大学院生、弁護士、裁判官、官僚、マスコミ人、公認会計士、税理士、社会保険労務士などなど各界からの著名人を網羅していて、裾野の広がりも影響力はかなり大きい。
 この学会はその設立趣意書のなかで「『法と経済学』は、現実の法解釈や裁判実務をできるだけ客観的なものとしていくためにも大きな役割を果たすであろう。さらに『法と経済学』は、法令の立案に当たっても、その影響を実証的に予測する有力な手段を提供するだろう」としている。そして「これらを踏まえて『法と経済学』の理論および応用に関する学術活動を振興するとともに、関連研究者・実務家の研究に関するネットワークの形成を図ることを目的として『法と経済学会』を設立する」として、アメリカのように、ロースクールでの教育への取り入れ、現実の裁判実務や立法への具体化という目標を定めた。

法と経済学を司法試験科目にと要求

 そのひとつとして、二〇〇七年一〇月一日に、法と経済学会会長・八代尚宏の名で、高橋宏志・司法試験委員会委員長宛に出された、「法と経済学」に関する要望書がある。
 そこでは、「複雑化する現代日本の法的問題を的確に分析するとともに、立法の効果をも正確に見据えるためには、狭義の紛争当事者に関する利益衡量を行うのみでは不十分であり、『法と経済学』による分析手法を駆使できるという素養は、実務法曹にとってきわめて重要な資質といえます。したがって、司法試験制度の見直しにあたりましては、『法と経済学』を論文式筆記試験における独立した必修科目、すくなくとも選択科目として位置付けられますよう要望いたします」としている。
 法と経済学派は、立法段階のみならず、司法実務・判例法理にも規制緩和のイデオロギーを浸透させようというのである。この動きはけっして見過ごすことはできない。規制緩和・格差拡大・貧困化をもたらす法と経済学派はカルト集団のようにさまざまなところに増殖している。新自由主義・規制緩和攻撃と闘う上でこの動きを注視し、的確な批判を加えていく必要がある。(MD)


複眼単眼

    
伊藤さんの葬儀で起こった拍手と給油新法問題

 八月二七日、アフガニスタンで民衆への援助活動をしてきた日本のNGO「ペシャワール会」の現地スタッフ、伊藤和也さん(三一歳)が、アフガニスタン東部のジャララバード近郊で、何者かに誘拐されたうえ、殺害された。
 幾多の困難を克服しながら、アフガン民衆のために献身的に活動してきたこの青年に対する理不尽な殺害に、いいようのないの怒りと悲しみを覚える。
 このコラムでも紹介したことであるが、ペシャワール会の中村哲さんが先ごろ、その「会報」で日本政府に警告を発していたことが改めて思い出される。
 「6月になって『日本軍(Japanese Troop) 派遣検討』の報が伝えられるや、身辺に危険を感じるようになった。あまりに現状を知らない軽率な政治的判断だったといわざるをえない。日本が兵力を派遣すれば、わがPMS(ペシャワール会医療サービス)は邦人ワーカーの生命を守るために、活動を一時停止する」(ペシャワール会報96号)と。この中村さんの心の底から絞り出すような訴えが日本政府当局者には届かなかった。
 日本政府は相変わらず新テロ特措法の延長にこだわりつづけ、そうした政治的発信を繰り返した。
 事件の真相はいまだ不透明な点が多い。犯人はタリバンに属する者だという説や、軍閥のヘクマチアル派の者だという説、身代金目当ての不良集団の犯行だという説、あるいはパキスタン情報当局(ISI)に雇われた者だという陰謀説まである。殺害の状況も、背後から機関銃で狙撃されたという説や、大腿部に受けた銃撃による失血死だという話、石で頭部を撲殺されたという話など、定かでない。
 一〇〇〇名に及ぶ現地村民の懸命の追跡によって窮地に立った犯人が、逃亡中に足手間どいになって殺害したという説や、逃亡したので背後から射殺したという説まであって、メディアのニュースを見ているだけでは容易に真相を探り当てることができない状況だ。
 しかし、そうした錯綜する報道ではっきりしていることは伊藤さんが、アフガニスタンの現地の圧倒的多数の民衆に慕われ、かわいがられ、愛されていたということだ。そうした青年を失い、いま現地で活動するNGOの人々は窮地に立たされている。ペシャワール会も現地の人々を中心に活動を継続するものの、邦人は引き上げるという決定をしたようだ。他のNGOもおおかたそうした方向になりつつある。
 米国ブッシュ政権が七年まえに鳴り物入りで開始した「反テロ報復戦争」という名のアフガニスタン攻撃は、タリバン政権を倒し、カルザイ政権を樹立したものの、アフガン民衆の多くの犠牲を出しただけで、戦乱はいっこうにおさまらず、いっそう激化しているとさえいわれる。それはイラクの状況にそっくりである。武力で平和はつくれないことがここでも明らかになっている。
 日本政府は米軍など多国籍軍を海上給油で支援し、戦争に加担してきた。米国など多国籍軍を派兵して戦争をつづけてきた各国政府と日本政府の責任は重大である。ところが今、米国は陸自、空自も含めていっそうの加担強化を要求し、日本政府と自公与党は「日本だけが手を引けば、日本はテロに屈したことになる」などと、伊藤さんの死を逆手にとり、この一七〇臨時国会で派兵給油新法の延長を決めようとしている。こうした姿勢は言語道断である。
 伊藤さんの故郷、静岡県で行われた葬儀で、伊藤さんの出棺にさいして、参列者から一斉に拍手が起こった。その拍手は伊藤さんの車が去るまで鳴りやまなかったという。わたしも伊藤さんに拍手を送りたい。あわせて、給油新法を廃止し、海上自衛隊をインド洋から引き戻すために全力で闘うことを誓いたいと思う。(T)