人民新報 ・ 第1247号<統合340号>(2008年11月15日)
目次
● 窮地に立つ麻生内閣を打倒し、自民党政治を完全に終わらせよう
● 麻生邸見学ツアーに突然襲い掛かる 公安警察の弾圧を糾弾する
● おおきく団結して、国鉄闘争の勝利を
● 格差社会に怒り 反貧困・世直しイッキ
● 労働者派遣法の抜本改正を
● 田母神の侵略美化を糾弾する! 麻生内閣の逃げ切りを許すな! 自衛隊内侵略主義集団を排除せよ
● 書籍紹介 / 五十嵐仁 『労働再規制−反転の構図を読み解く』
● せ ん り ゅ う
● 複眼単眼 / 自衛隊・防衛省の闇
窮地に立つ麻生内閣を打倒し、自民党政治を完全に終わらせよう
麻生内閣は、解散・総選挙にも打って出られず、支持率の低下の中で最後の悪あがきをしている。
細田博之幹事長をはじめ自民党幹部は、衆院解散の時期について「年内は今やない」「来年度予算と関連法案が成立してからだ」などと来年四月以降との見通しを示している。そもそも麻生は、福田に変わる総選挙の顔として後継総裁・総理になったにもかかわらず、立ち往生してしまっているという無残な姿をさらし、自民党政治最後の政権・短命内閣の汚名から逃れるためにのみ、だらだらと政権にしがみついているのである。国際的な通貨・金融危機への対処を大義名分としながら、なんら有効な政策を打ち出しているわけではない。戦後の長きに渡る自民党政治とりわけ小泉のブッシュに追随しての新自由主義的規制緩和はこれまでの日本社会の基礎を掘り崩した。これは同時に「自民党をぶっ壊す」ことにもなった。そもそも長期低落傾向にあった自民党政治を支えたのは、政権に加わることによって利権にありつき池田創価学会を防衛するという公明党の与党化と小泉の一回限りのパフォーマンスによるものであって、郵政選挙による衆院制覇はしょせんあだ花でしかなかったことがあきらかになった。
各種世論調査でも、麻生内閣、自民党政治が最終局面に立ち入りつつあることは明らかである。朝日新聞が、一一月八、九の両日実施した総選挙に関する連続世論調査は次のような結果となっている。麻生の総選挙むけの人気取り政策の目玉商品である定額給付金については、「必要」が二六%なのに、「そうは思わない」が六三%と麻生の思惑とは正反対の反応が出ている。また、内閣支持率が三七%、不支持率は四一%となり、政権発足わずか一ヶ月半で逆転というスピード記録を樹立した。内訳で見ると、三〇代から六〇代でのきなみ不支持が支持を上回っている。
また望ましい政権の形という問いには「自民中心」は二九%、「民主中心」が四〇%となっている。麻生自身の先の見えない政策、党内、与党内のいざこざの表面化などで有権者の自民党離れは加速してきているのであり、もはや麻生には、「神風」が吹くのをひたすら懇願するしか方法はないようだ。だが、それも期待薄であろう。
麻生政権は、自民党政治の負の遺産がついに爆発したときに、それもアメリカを中心とするバブル金融資本主義体制が崩壊し始めたとき、またブッシュの対テロ戦争が最終的に行き詰まり、イラク・アフガニスタンなどから敗北的な撤退を余儀なくされつつある、まさにそのときに、「お気楽に」登場してきたという特徴を持っている。
一一月四日の米大統領選挙での民主党オバマの勝利は、なによりブッシュ共和党政治に対するNOの声の勝利であった。日本政府は、9・11事件を契機に、対米追随政策をいっそう強化し、アフガニスタンやイラク民衆虐殺に加担してきた。憲法九条による派兵禁止によって、中東とその周辺地域民衆はわが国に対して一定の友好的な感情を持ち続けてきた。しかし、侵略戦争に参戦する日本の姿が明らかになるにつれて、事態は急変している。
いま、アメリカの単独覇権主義・強権政治は、世界中で行き詰っている。イラク・アフガニスタンだけではない。かつてはアメリカの裏庭といわれた中南米諸国はほとんどがアメリカから離反した。ヨーロッパも保守政権を含めてアメリカと距離を置こうとしている。アメリカが東欧地域にミサイル防衛網を設置しようとしているのに対してロシアは対米強硬策を取りはじめた。なによりアメリカみずからが引き起こした金融危機がこれまでのアメリカの世界支配体制を根底から動揺させているのである。
日本の外交政策は、強いアメリカについていくこと、アメリカがどんなに悪辣なことをしようとそれを断固として支持していくことのみが基軸となっており、それが強固な日米同盟といわれるものであった。自民党内右派勢力は、アメリカ支配層の一部にある反中国包囲網=新たな冷戦政策こそが有効であると考えてきた。それが安倍や麻生などの価値観外交構想の背骨にあった。その前提がいま崩壊しつつある。
麻生政権・自民党政治が続くことは、二一世紀の新たな国際情勢にそぐわなくなっているのであり、日本の支配階級のある部分もそれに気づき始めている。この流れが、広範な人々の政権交代をもとめる動きと複雑に絡み合いながら、総選挙による与野党逆転、その中での保守二大政党制の確立の動きとしてある。
民主党は、自民党政治に対抗し、政権奪取を狙っているとはいえ、その内実は複雑である。
インド洋での洋上補給の延長法案をめぐるうごきに典型的に見られるように、反自民の政治姿勢は確固たるものではない。だから、この法案に形式的に反対するだけで成立を許すせば麻生に早期解散してもらえるのではないかという甘い見通しの下に、実質的に審議・採決・早期成立を後押ししたのであったが、見事に裏切られることとなった。また、懸案の労働者派遣法改正でも、他の野党三党との共同をもなげすてて登録型を残すなどの「骨抜き」対案を提出しているのである。
解散・総選挙を麻生は先延ばしにして延命しようとしているが、内外情勢の激変はとどまるところを知らない。早期総選挙で来年夏の東京都議会選挙に全力挙げることが至上命題の公明党はこの間の自民党からの「しうち」に耐えているがそれがいつまで続くのか、麻生内閣の閣僚は辞任に追い込まれた中山成彬元国土交通大臣のような極右しかも低水準な連中がひしめいており、今後も閣内からのスキャンダルや麻生自身の暴言癖など、政治的破綻の条件はそろっている。すでに田母神俊雄航空幕僚長論文、それが大問題となるのを恐れた麻生によるトカゲの尻尾切り的な罷免とその後に事態は右翼政権である麻生内閣にとって、支持基盤からの反発をうみだして由々しい事態となることも考えられる。
逃げ場のない麻生政権を追いつめ打倒しよう。
早期解散に追い込み、総選挙では与野党逆転を勝ち取り、改憲阻止、労働者・民衆の側に立つ議員の当選を勝ち取ろう。
自民党政治を完全に終焉させよう。
麻生邸見学ツアーに突然襲い掛かる 公安警察の弾圧を糾弾する
一〇月二六日に渋谷で麻生首相の豪邸見学の平和な行動「リアリティツアー2――六二億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見」が、公安警察による弾圧をうけ三名が不当逮捕された。
この企画は、「ツアー目的地は、このたび『かしこくも』内閣総理大臣に就任された麻生太郎首相のお宅です。四五年間にわたり一着三〇万円のスーツを年間一〇着仕立てるおしゃれな首相。たった一日で大卒初任給の二倍の弾を撃ちまくって鍛えた射撃はオリンピック級の腕前。敷地だけで六、二〇〇、〇〇〇、〇〇〇円。大久保利通、牧野伸顕、吉田茂に連なる『華麗なる一族』の東京宅を見に行きましょう」とよびかけられたものである。
このたびの不当逮捕は、動画サイト「YouTube」にもアップロードされているが、公安警察のまったくの言いがかりの逮捕であったことは明白である。
一一月六日には、総評会館で、「でてこい三人! でてこい麻生! 麻生邸リアリティツアーの不当逮捕に抗議する集会」(主催・麻生でてこい! リアリティツアー救援会)が開かれた。
この集会には、この日の午後釈放されたばかりの三人も元気な姿で参加し、集会参加者の大きな拍手で迎えられた。
事件当日撮影されネットサイトに掲載された動画が流され、制服警官が、「徒歩で行くならなんの問題もない」「麻生邸のそばではかたまらずに三々五々に近づく分にはかまわない」などと行動参加者に説明しているのが映し出される。次には、公安らしい私服の男たちがなにやら相談し、「まず警告をしてから」などと話している。そして、「よしっ」の掛け声とともに行動参加者に襲い掛かる場面が映し出された。ツアーの行動はまったく平和裡に行われているのに、突然の警察による弾圧だった真実が鮮明に映し出されていた。
つづいて、萩尾健太弁護士が警察とのやり取りを、評論家の平井玄さんが今回の事件の意味について報告を行った。
東京管理職ユニオンの設楽清嗣さん、イラン人のジャマル・サーベリさん、作家の雨宮処凛さん、フリーター全般労組の清水直子さんらが、連帯の発言を行った。
リアリティーツアー救援会からは、今回の事件で、マスコミが警察の発表を鵜呑みにして、三人が警察の再三の警告を無視してデモを強行したとか、警官に暴行したとかのデマ報道をしたが、事実は数々の映像がしめすようなものだったのであり、マスコミは訂正報道をしてほしいと述べた。
釈放された三人からは、それぞれに公安の手口のいやらしさを糾弾し、また逮捕・拘留されていたときの仲間たちからの激励が本当にうれしかった、今度はもっと大きなツアーに取り組もうなど元気な発言が続いた。
おおきく団結して、国鉄闘争の勝利を
一〇月二四日、国鉄闘争の勝利を勝ち取るための総行動が闘われた。激しい雨の中、国土交通省、鉄道運輸機構、裁判所にたいする要請行動が展開された。夕刻には雨も上がって、午後六時からは日比谷野外音楽堂で「今こそ政治決断を!
JR採用差別問題の解決要求実現をめざす10・24中央大集会」(主催・国労闘争団全国連絡会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労争議団鉄道運輸機構訴訟原告団、国鉄労働組合、全日本建設交運一般労働組合、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争共闘会議)が開かれ、全国各地からかつてない一万一二〇〇人もの労働者・市民が参加し、闘う意思の統一を確認した。
主催者を代表して高橋伸二国労委員長が、与野党逆転の政治情勢などの有利な条件のなか、団結した力で解決の条件ができるところまできている、解決にむけて全力で闘おうと発言。
国会からは民主党(郡司彰参議院議員)、共産党(仁比聡平参議院議員)、社民党(保坂展人衆議院議員)からのあいさつがあった。
国鉄闘争共闘会議の二瓶久勝議長が解決に向けての報告・提起。
(国労などの組合員がJRに不採用、解雇された差別事件にたいする損害賠償と雇用関係の確認を求めた鉄建公団訴訟で)今年の七月東京高裁控訴審口頭弁論があったが、そのときに南敏文裁判長は解決に向けた当事者間での話し合いを双方に提案した。これは、これまでの運動の成果であり、早期解決へ積極的意義を持つものだ。しかし、鉄道運輸機構はこれを受け入れようとしてはいない。総選挙が予想されるし、来年三月にも鉄建公団訴訟の高裁判決が迫っている。大衆行動と裁判闘争の双方を強めて、雇用・年金・解決金の三点を絶対に勝ちとっていこう。
つづいて福山真劫平和フォーラム事務局長、大黒作治全労連議長、藤崎良三全労協議長から、ともに力を合わせて全面解決を勝ち取っていこうとのあいさつが述べられた。
参加者は集会アピールを確認して、デモに出発した。
いま国鉄闘争は、自民党政治の迷走と終焉の兆しの強まる中、おおきな変化を見せ始めている。規制緩和・構造改革の小泉政治に対して多くの人がその本質を認識し始め、流れは逆の潮目の時に差し掛かっている。振り返れば、労働の分野における規制緩和・解雇攻撃は、中曽根内閣の臨調・行革路線その目玉商品としての一九八七年国鉄の分割・民営化がその走りであった。それから二〇年余、国鉄闘争は反合理化闘争の中心としてあった。途中、さまざまな紆余曲折を経ながらも、闘争の基本部隊の団結を実現し、ここにきて裁判所も解決に向けての方向を打ち出さざるをえない状況を実現してきた。
それが、鉄建公団訴訟の東京地裁9・15判決(二〇〇五年)であり、四者四団体による闘争体制の形成となり、今年の東京高裁南裁判長の提案であった。当然、これらの流れには消極的な面が多々あるにしてもその積極面を評価して、その力を拡大させて、解決・勝利に向かわなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
10・24中央大集会アピール
私たちは、本日、日比谷野外音楽堂で「今こそ政治決断を! JR採用差別問題の解決要求実現をめざす一〇・二四中央大集会」を開催し、全国各地から結集した多くの仲間と支援者の圧倒的な力で集会の成功を勝ち取った。
国鉄からJRに移行の際に労働基本権の保障を謳った憲法二八条が大規模に侵害され、組合差別を受け、不当に解雇された一〇四七名問題は二二年もの長期紛争となり、既に被解雇者の内四九名が志半ばで解決の日を迎えることなく他界しており、人道上からも許されることではない。現在まで全国七七二の自治体から、一一五〇本もの議会決議が上げられている。
鉄道運輸機構(国鉄清算事業管理部)を相手とする訴訟では、二〇〇五年九月の鉄建公団訴訟判決に続き、本年一月二三日の全動労訴訟でも旧国鉄の不当労働行為を認定させる判決を勝ち取った。しかし、続く三月一三日の鉄道運輸機構訴訟は、不当労働行為に触れず「時効」で逃げる不当判決となった。
また、七月一四日の鉄建公団訴訟控訴審では、東京高裁第一七民事部南敏文裁判長から原告、被告双方に「ソフトランディングできないか」と裁判外での話し合いが提案された。それを受けて、冬柴国土交通大臣は、閣議後の記者会見で「お受けし、その努力はすべき」と鉄道運輸機構が交渉に応じるよう促すとともに、一〇四七名問題の解決に向けて強いリーダーシップを発揮し、「誠心誠意努力する」と政治的に大きく踏み込んだ発言がされた。
これまでの地を這うような闘いの積み上げで到達した情勢を踏まえ、当事者の要求である「雇用・年金・解決金」を実現し、路頭に迷わない解決を勝ち取るために、私たちは全力を上げるとともに、本集会に集まった仲間の総意として、鉄道運輸機構は直ちに紛争解決に向けた責任を取るよう強く求めるものである。同時に、国土交通省・鉄道局と政府に対し、国策として進めた国鉄の「分割・民営化」で一〇四七名の不採用問題が発生し、長期紛争となっている事に対して、紛争を発生させた当事者としての「解決責任」を求めるものである。
一〇四七名問題は、リストラの原点といわれている。企業の利益を第一義とする新自由主義路線の下で、現在、貧困と格差が急速に広がり、雇用・教育・医療・福祉・介護など、働く者の権利が後退させられている。こうした中で、ワーキングプアの増大、若者が職を求めても仕事がない、高齢者への医療費の負担増など、生存権そのものが脅かされる事態に立ち至っている。来る解散総選挙では、麻生政権にノーを突きつけ、危機にさらされている平和や安全、破綻した民営化路線、格差・貧困社会を変えてゆく大きな転換点にしていかなければならない。
私たちは、本日の一〇・二四中央大集会の圧倒的な成功を確認し、一〇四七名問題の納得のいく解決と、働く者の雇用と権利、平和と民主主義、安全で安心できる暮らしを保障させていくために全力で闘い抜<ものである。
格差社会に怒り
反貧困・世直しイッキ
いま格差社会・貧困化に対する怒りが全国各地から吹き上がってきている。
反貧困全国キャラバンは、埼玉(七月十三日)と福岡(七月十二日)を二つのスタート地点にして、全国をキャラバンカーが巡回し、三〇カ所以上での集会など、貧困の現状や社会変革の訴えを各地で遊説して、一〇月一九日に東京にゴールした。
明治公園で開かれた「反貧困・世直しイッキ!大集会」は、キャラバン隊の到着で進行し始めた。広島、愛知、宮城、滋賀、富山、埼玉、岐阜からの報告があった。
集会では次の一二の分科会開かれ、さまざまの発言があった。
@住まい、A労働、B食の危機、C死刑廃止、D多重債務・消費者問題、Eコトバの貧困、F社会保障、G後期高齢者医療制度、H女性と貧困、I子ども、Jフェアトレード、K語り合いの場。
採択された集会宣言は次のようにアピールしている。
「…日本社会に広がる貧困を直視し、貧困の削減目標を立て、それに向けて政策を総動員する政治こそ、私たちは求める。まず、労働者派遣法の抜本的改正が必要である。社会保障費二二〇〇億円削減の撤廃が必要である。…雇用保険、職業訓練、年金、医療・介護、障害者支援、児童手当・児童扶養手当、教育費・住宅費・子ども支援、生活保護、あらゆる施策の充実が必要である。この国ではそれらが、貧しすぎた。政治は、政策の貧困という自己責任こそ、自覚すべきだ。道路を作るだけでは、人々の暮らしは豊かにはならない。そしてその上で、国内の貧困の削減目標を立てるべきだ。貧困を解消させる第一の責任は、政治にある。…」
集会を終わって渋谷までのパレードに出発した。
労働者派遣法の抜本改正を
非正規雇用の増大に歯止めをかけワーキングプアを解消するために、格差拡大・貧困化の大きな要因となっている労働者派遣法制の抜本的改正を行うことが急務となっている。とくに、日雇い派遣、登録型派遣をめぐっては、雇用が不安定で景気後退で職を奪われるケースが広がっており、法改正は差し迫ったものだ。
一一月四日、「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律等の一部を改正する法律案」が閣議決定され、臨時国会に上程された。
これは、支持率の低迷に驚いた麻生が、広範な世論から猛反発を受けている派遣法を改正するそぶりを見せざるをえないところにおいこまれたためだが、それにしても、この改正案なるものは、まさに「まやかし」そのものである。
まず、派遣法の問題点を「日々雇用」だけに集中させて、他の問題点を消し去っていることであり、「日々雇用」に関しても以下のように問題点は多い。
この「三〇日以内の派遣禁止」は、「三〇日+一日」の繰り返しの「細切れ契約」の連続を可能にしているし、雇用期間の契約で三〇日を超えていれば法の網の目を簡単にくぐることができる。実際には、このようにして、労働者に毎日職場を変えて働かせることはできるのである。
次に、「マージン率の規制」についてであるが、ここでは平均的なマージン率の情報提供義務を課すだけで、上限規制を設けていない。このため、派遣会社の取り分に対する規制はできず派遣労働者の低賃金を是正し待遇を改善することにはならない。
これに対して野党は共同の改正対案を提出するとしていたが、民主党と他の共産・社民・国民新との意見の違いから予定されていた対案の国会提出は延期された。登録型派遣の規制について、民主以外の三党は、製造業への派遣禁止と専門職に限定することを主張しているが、民主党は業種制限せず、「契約期間二カ月以内」のケースだけを規制する方針である。このため、調整ができず、いったん単独提出を決めたが、他の三党の反発は強い。このため一一月六日に予定されていた対案の国会提出は延期されているが、民主党案のようなものではまったく日雇い派遣労働者の悲惨な状況の解決にはつながらないのであり、登録型禁止の改正案を実現しなければならない。
田母神の侵略美化を糾弾する! 麻生内閣の逃げ切りを許すな!
自衛隊内侵略主義集団を排除せよ
「そんなの関係ねぇ」
今年四月に、航空自衛隊のイラク空輸活動を違憲とした名古屋高裁の判決がでたが、それを「そんなの関係ねぇ」と発言して航空自衛隊トップの田母神俊雄の名は世間に広く知られるようになった。公務員のトップクラスにいながら、裁判所の判決を関係ないというまったく遵法精神のない奴だと思っていたら、今回の「論文」事件で、まことに危険なそしてお粗末な頭脳の持ち主であることもわかった。
田母神は現役航空幕僚長の肩書きで、アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、論文「日本は侵略国家であったのか」が、最優秀藤誠志賞(懸賞金三〇〇万円、全国アパホテル巡りご招待券)なるものを受賞した。
これは、「審査委員長・渡部昇一をはじめとする審査委員会の厳正なる審査の結果、受賞作が決定」したそうである。
そして、一二月八日、懸賞論文の表彰式および記者発表、受賞作品集出版記念パーティーを明治記念館で開くそうである。その後、これに応募した自衛官は、田母神だけでなく、これまでにわかっただけでも、航空自衛隊から七八人にのぼり(内訳は佐官級が一〇人、尉官級六四人、曹クラス四人で、七八人中六二人は空自小松基地の隊員だったことが判明した(もっと多くの自衛官が関係していると思われる)。また航空幕僚監部教育課が全国の部隊に懸賞論文の応募要領を紹介していたことも報道され、実質的に最高指揮官田母神自身の呼びかけによる空自が組織を挙げての取り組みだったことが暴露された。これは由々しい問題であり、自衛隊が平和憲法九条を無視し、侵略戦争を美化し、ふたたび同じ道をたどろうとしていること事態が表面化したのである。麻生内閣は空幕長罷免だけでことを済まそうとしているが、絶対に逃げ切りを許してはならない。
だが、航空自衛隊にだけにこうした連中が存在するわけではない。陸自、海自にも同様なものが存在し、それが民間右翼勢力や政府・与党とのつながりを密にしながら増殖し続けていることは疑いない。
米国は親、日本は子
論文の内容のあまりのお粗末さは言うまでもないが、こんな男が世界有数の暴力装置の親玉であることの意味を知っておくためにすこし詳しく見てみたい。
論文「日本は侵略国家であったのか」は「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである」というところから始め、在日米軍の「免罪」論につなげていく。
日米関係についてはつぎのようにも書いている。
「私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている」。アメリカが親だと言い切っているのだ。
「条約」で侵略免罪論
次に、田母神は、「我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は一九世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から『日本の侵略』を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」と主張する。一定の形式さえあれば、侵略などないということだ。カイライ政権をでっち上げて(ないしは現地「政府」要人にヒモをつけて)、条約を結ばせれば、それで、侵略はないことにするというわけである。
そして、「(日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置した)日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。」「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。」「一九二八年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。」「「日中戦争の開始直前の一九三七年七月七日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で『廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった』と証言していたことがわかっている。」
そして、その蒋介石の後ろにはコミンテルンがあり、それだけでなくアメリカのルーズベルト大統領もおなじくコミンテルンに操られていたのであるという。
植民地は日本が開発
つづいて、植民地支配についてである。
「我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。」とした上で、「満州帝國(は人口が増えたが)、それは満州が豊かで治安が良かったからである。…侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。」「朝鮮半島も(人口が)約二倍に増えている」として「成果」を誇っている。その他に、朝鮮と台湾に帝国大学をつくったこと、「日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた」ことなどをあげている。
朝鮮李王朝の李垠(イウン)についてのべている。「殿下は日本に対する人質のような形で一〇歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう」。だがこれは朝鮮国を植民地化するために「李王朝」を使ったまでのことであり、このようなことはカイライ国家づくりの常套手段であることは誰にでもわかる。さらに「清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である」と続ける。
こうして「これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。」「(ヨーロッパ列強と違って)日本は第二次大戦前から五族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである」。
究極の「自虐史観」
極めつけはアメリカによる謀略論(それを背後でコミンテルンが画策)が来る。
「さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し三百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。」その根拠は、「ヴェノナファイル」なるものであるという。それによると、「フランクリン・ルーズベルト政権の中には三〇〇人のコミンテルンのスパイがいた」「その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく」。読んでいてだんだん馬鹿馬鹿しくなってくるのだが、これでは当時のアメリカ政府もコミンテルンに騙され続けるアホであり、その謀略にまんまと乗せられた日本の軍部はよりいっそうのアホだったということになり、まさに「自虐史観」の極地とも言える「理論」を田母神は書き散らしているのである。
そして、これらが「真実」であるという証拠に挙げている文献が、「マオ―誰も知らなかった毛沢東(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」、「日本よ、『歴史力』を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」、「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」、「日本史から見た日本人・昭和編(渡部昇一、祥伝社)」、「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」などというものである。右派系の学者、多くはデマゴーグというような連中の「労作」ばかりである。
これには、さすがに名前を挙げられた現代史家を名乗る秦郁彦でさえ、TBSのニュース報道で「『謀略史観』、それを全部並べているというところに一番大きな問題がある」「非常に単純な事実の誤認、人名、日付、その他、そういうものをやたら間違えていますね」などと語っている。
田母神の「論文」は右派の面々の書き物からの剽窃以外の何者でもないのであり、これを仲間の渡部昇一などが誉めそやしている構図が浮かび上がる。
現代版「桜会」
自衛隊の中に、特殊な歴史観をもち、ひそかにそれを国の方針として、国家を動かそうとしている集団が存在することが浮かび上がってきた。
かつてファッショ国家体制をつくり戦争を拡大させ暴走させたのには旧軍内の超国家主義的侵略主義的な秘密結社集団が大きな役割を果たしてきた。そのひとつに、一九三〇年に結成された「桜会」がある。参謀本部の橋本欣五郎中佐、長勇少佐を中心に参謀本部や陸軍省の佐官級の将校らが参加したこの組織は、一九三一年に三月事件、十月事件を計画した。いずれも未遂に終わったが、軍部独裁に向けての条件をつくった。支配階級はこうした分子の跳梁を放置し、かれらは、軍部の中枢を握り、侵略戦争と軍国主義国家体制形成の中心となったのである。
田母神グループやそれに類似した集団が自衛隊の中にひそかに結成されてうごめいていることは間違い。
田母神が空自トップになれる状況というのは、政府・与党の有力者の支持がなくては絶対にできないことであり、田母神罷免も事件が大きくなり、国の内外からの日本政府批判を回避するためのやむをえない処置でしかない。
いま必要なのは、麻生内閣の責任追及であり、自衛隊内の極右ファッショ・グループの摘発・排除であり、国会内外の運動を連動させてその闘いを強化していかなければならないときである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
許すな!憲法改悪・市民連絡会の要請文
内閣総理大臣 麻生太郎様 防衛大臣
浜田靖一様
すでに報道されているように田母神俊雄・航空幕僚長は「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」とか、「(自衛隊が)集団的自衛権も行使できない(のはおかしい)」などとする論文を公表しました。
この見解は過去の侵略戦争と植民地支配についての明らかな歴史的事実を根本からゆがめ、日本国憲法制定の精神に真っ向から反したものであり、極めて主観的で、いい加減な歴史観にもとづくものです。それは平和を希求する日本とアジア諸国の民衆の願いを踏みにじるものです。
そればかりか、国民に軍事組織の暴走を連想させるような、憲法上、行使が許されない集団的自衛権問題の現状などに不満ものべるなど、重大な問題があります。
これらは日本国憲法の精神に真っ向から反するものであり、現役自衛官の最高幹部としての憲法尊重義務に反する、きわめて重大な憲法違反行為です。
田母神空幕長は、先ごろ、空白のイラクでの戦争協力を違憲と判断した名古屋高裁判決に際して「そんなの問係ねぇ」とちゃかした札付きの人物です。それだけでなく、今回の論文の基本的立場が田母神氏によって、従来から幾度も繰り返されていたことは、防衛省の中ではよく知られていたことです。
こういう人物を航空自衛隊の最高幹部にすえていた防衛省と政府の責任も重大です。麻生内閣はこの問題を「不適切な見解、不適切な行為」などとして、田母神氏を更迭し、六〇〇〇万円の退職金付きで「退職」させましたが、その政治的責任は田母神氏の罷免、退職だけでは終わりません。
これでは、平和憲法と立憲主義の根幹に関わる問題としての、ことの重大さの認識が全く違うといわざるを得ません。浜田防衛大臣と麻生首相は、「トカゲのしっぽ切り」のような対処をやめ、はっきりとこの論文の内容を否定し、シビリアンコントロールを台無しにするような、わが国最大の軍事組織の幹部の憲法違反行為を重視し、再びこのような事件を発生させないよう、全ての国民に対して事実関係を全面的に明らかにし、責任をとるべきです。
政府・防衛省はこの田母神問題を、このところ相次いだ「不祥事」問題などとあわせ、防衛省・自衛隊のあり方を抜本的に再検討する契機としなくてはなりません。
このごに及んで毅然たる態度をとれないでいる浜田防衛大臣は自らの責任を明確にし、辞職すべきです。
以上、心からの憤りをこめて要求します。
二〇〇八年11月4日
書籍紹介
五十嵐仁 『労働再規制−反転の構図を読み解く』 ( ちくま新書 777円 )
現在、緩和から再規制へと雇用・労働を巡る政治状況は変化の時期を迎えているといわれるようになった。
著者の五十嵐仁はその転換がはっきりしたのは二〇〇六年からだといい、その前年の秋から予兆があったとしている。
〇五年一〇月に小泉は内閣改造を行ったが、そこで経済財政政策担当相の竹中平蔵が総務相・郵政民営化担当相に横滑りした。小泉内閣では経済財政諮問会議の役割が大きく、ここを拠点として自民党・官僚を押さえ込み、小泉は首相官邸主導の政治を行ってきたのが特徴であった。
著者は、このことを契機に、「諮問会議と自民党との関係は次第に変化していきます。政策形成の主体が、諮問会議から自民党に戻り始めていたからです」と位置づける。竹中の著書『構造改革の真実』から「歳出歳入一体改革という重要課題を議論する舞台が、実質的に党に移ったことで、経済財政諮問会議は春頃から急に静かな雰囲気になった。…よく、諮問会議は改革のエンジンといわれるが、いまや諮問会議はエンジンでなく、利害のぶつかり合う『場』、すなわちアリーナになった、…改革の勢い(モメンタム)が落ちた…」を引いて二〇〇六年転換説のひとつの根拠としている。
しかし、「労働の分野」では、「時季はずれの『エンジン』が新たに経済財政諮問委員会に取り付けられた」とする。
それは「安倍内閣の発足と同時に改編された諮問会議に、何人かの民間議員の一人として起用された八代尚宏国際基督教大学教授」のことである。八代は、雇用流動化の「労働ビッグバン」を一気に進めようとした人物であり、格差拡大・貧困化社会を作り出した張本人のひとりであることで有名である。
規制緩和路線は、バブル経済崩壊後に、その苦境からの唯一の脱出策としてもてはやされた。細川非自民連立政権、村山自社さ政権、橋本自社さ政権などを経て、小泉内閣で本格化した。
しかしそれは、矛盾を蓄積させ、状況は変化の兆しを見せ始める。
著者は、反転の背景として、@経済的背景―格差の拡大と貧困の増大A社会的背景―「負の側面」の表面化B政治的背景―小泉内閣から安倍内閣C国際的背景―アメリカの没落をあげ、これらに対処するために財界の中でも路線的な対立が浮かび上がってきたことに注目する。また自民党も二〇〇六年一二月に、党の「雇用・生活調査会」をつくった。その事務局長に就任した後藤田正純衆議院議員は、インタビューに答えて次のように言っている。「これまで、労働法制は規制緩和の一点張りだったが、これからは党が責任を持って、規律ある労働市場の創設を働きかけていく」。
「反転を生み出した力」の章で、二〇〇六年末のホワイトカラー・エクゼンプション問題の攻防では、自民党からも雇用・生活調査会の発足に見られるように、批判が起こったことを指摘する。〇七年の通常国会は、改正雇用保険法案、改正パートタイム労働法案、改正雇用対策法案、改正最低賃金法案、改正労働基準法案、労働契約法案という六つの法案が提出され、「労働国会」になると見られていた。しかし、マスコミを含めてこれ以上の規制緩和政策には反対意見が多く出され、最大の争点であったホワイトカラー・エクゼンプションは早々と断念されることとなった。
流れは変わり始めたのだが、八代らの暴走はとどまるところを知らない。諮問会議の労働市場改革専門調査会(会長・八代)や規制改革会議労働タスクフォース(会長・福井秀夫政策研究大学院大学教授)などがその尖兵となっている。この二人は、かの「法と経済学」派の中心にいるという関係にある(「法と経済学」派については、人民新報第一二四五号―二〇〇八年九月一五日の「規制緩和推進のためのイデオロギー集団=『法と経済学』派の危険な動き」参照)。
とくに労働タスクフォースの「脱格差と活力をもたらす労働市場へ―労働法制の抜本的見直しを」(〇七・五・一一)では、「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強められれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている」として、最低賃金を引き上げることなどに反対する論調を、筆者は「労働の規制緩和を求める人々の『本音』がはっきりとしめされている」と記す。
たしかにこの文書が出されたときには労働側に大きな衝撃が走った経緯がある。しかし、その流れは徐々に弱まり、主流にはなることはなかったとする。そしてこの「文書」の提出が、「かえって『逆風』を強めた」として、林芳正内閣府副大臣の参院労働委員会での答弁(〇七・五・二五)が引用されている。「…労働政策の重要課題について、政府関連法案との趣旨に照らしまして進めるべき政策の方向と異なる内容のある文書が、規制改革会議そのものはないものの、下部組織である労働タスクフォースの名をもって公表されたことは不適切なことであり、まことに遺憾であります。…」。
しかし、労働タスクフォースの「この文書は、これで『お蔵入り』になったわけではありません。その主要な部分が、(規制改革会議)『第二次答申』に盛り込まれた」とも注意を促している。
こうして、流れはいくつかに分れて、「規制改革会議の孤立と弁明」の章で、規制緩和派が追い詰められている状況が描かれる。最終章「『アメリカ型』でも『日本型』でもなく―日本の針路をめぐる対抗」では、「本当の逆転」にむけて、新自由主義的なアメリカ型でも旧い日本型でもなくもうひとつの道が必要を提起している。
締めくくりには次のように書かれている。
「福田首相による突然の辞任の背景には、『アメリカ型』と『日本型』をめぐる亀裂と対立が存在しました。構造改革路線の継承か転換かという対立です。『二〇〇六年の転換』以来の小泉路線からの反転によって、この亀裂は拡大し続けてきました。
福田首相はこのいずれとも異なる『第三の道』を提起できず、進退窮まって政権を投げ出してしまったのです。こうして、本当の『反転』に向けての選択は、国民の手に委ねられることになりました。どのような答えを出すかが、問われることになったのです。」
せ ん り ゅ う
サギ万引きといわぬか公金の流用
自己責任を問わぬ政府の金融策
金融危機さらに儲かる金融業
自公は選挙買収を税金でやり
田母神は軍國神亡霊出没
ゝ 史
※ 國は国の旧字体、軍国主義当時この字を使っていた。
※ 公明党発案の『給付金』は何の政策でもない。選挙を前にしての人気取りのムダ使い二兆円。バカ者!
複眼単眼
自衛隊・防衛省の闇
田母神俊雄航空幕僚長がホテルチェーンなどを経営するアパグループの懸賞論文に応募し、「日本が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」とか、「日本は集団的自衛権を行使すべきだ」という主旨の主張をしたことに抗議し、市民団体が四日、防衛省正門前に結集することを呼びかけたことにたいする右翼の反応が興味深かった。
この間、軍隊慰安婦問題についての女性の市民運動に対して暴力的な妨害行動を繰り広げてきた札付きの右翼集団・西村修平らの「主権回復をめざす会」などは、このよびかけに過敏に反応し、「反日左翼を蹴散らせ」「田母神更迭は自衛隊という国軍に対する死刑宣告だ」「田母神幕僚長を更迭した麻生総理大臣は売国奴」などとして、同時刻の結集を呼びかけた。
当日、帰宅する防衛省職員に向かって行った彼らのアジテーションは「防衛省の職員は立ち止まって反日左翼を粉砕しろ」「そのまま帰って酒でも飲む気か、おまえらは税金泥棒だ」「田母神空幕長に呼応する者は一人もいないのか」「国軍は村山談話を継承する麻生太郎を許すな」などというものであり、あきらかに三島由紀夫を気取って演説していた。
市民団体からあらかじめ要請され、正門の前に出て応対した防衛省の係官に対しては、要請文を読み上げている間中、「受け取るな、受け取るな」の奇妙なコールを行った。そして防衛省の職員が受け取ると「おまえも同罪だ」と罵声をあびせる始末だった。この日の市民団体の行動が右翼分子の琴線に触れたのがよくわかる。
田母神が応募した懸賞論文には二三〇件の応募があり、うち自衛隊員の応募は少なくとも七八人以上になったという。田母神は「他の人に強制はしていない」などと語っているが、彼が部下に応募を薦めた可能性は十分にある。かつて、「二・二六事件」では日本軍の中に青年将校の政治的なフラクションがあって、それが行動の起爆剤になったのだが、この応募数の多さを考えると、今日の自衛隊の中にそうした秘密結社が出来ている可能性がある。これは、立憲主義と文民統制の立場から極めて重大な問題で、本来、厳重に調査されるべき事柄だ。
ところが今回の防衛省の対処は何とも奇妙だ。田母神は懲戒処分の手続きの一つの場である「審理」の場で「議論したい」と主張していたにもかかわらず、「処分手続き」に入らず、「審理」を忌避して「定年退職」とした。それを防衛省は「田母神が処分手続きに応じない」からなどと、虚偽の説明をしていた。本来、この「審理」の場でこうした多数の自衛官が応募したことについても厳重に審査すべき事柄だ。防衛省は事実が明らかになることを畏れているのではないだろうか。
このアパグループという会社も何とも得たいの知れない存在だ。自衛隊との癒着は異常なものだと言われている。こうした連中が自衛隊の思想工作にたずさわっているとしたら、それは北一輝ばりの動きだ。折しも防衛装備品の調達をめぐる汚職事件で、守屋前防衛次官に東京地裁で実刑二年半の判決がでた。いまこそ、自衛隊・防衛省の闇を暴かないと大変なことになりかねない。 (T)