人民新報 ・ 第1249号<統合342号(2009年1月15日)
  
                  目次

● 年越し派遣村の闘いが政治を動かした  労働者の怒りの行動を全国へ

● 生活破壊と戦争協力を許さない  5・3憲法集会実行委員会が院内集会

● 春闘に勝利するぞ!  全労協春闘討論集会

● 1500人でイスラエルに抗議  「即時停戦を求めるピースパレード」

● 田母神事件を注視・糾弾し続け自衛隊の暴走にSTOPをかけよう

● 高江への米軍ヘリパッド建設阻止!  辺野古への基地建設を許さない実行委員会の防衛省前抗議行動

● 失業増大の元凶・財界は責任を取れ  財界3団体新年パーティーに抗議行動

● 複眼単眼 / 砂場徹さんを送る言葉




年越し派遣村の闘いが政治を動かした

     労働者の怒りの行動を全国へ


雇用削減進める経営


 新自由主義政策の今日的な帰結が、派遣切りとなってあらわれている。職を失うことで寮も追い出されるケースも続出している。一方で、大企業は空前の儲けを出しながらそれをしっかりと溜め込んでいる。たとえばトヨタ自動車では一二兆三〇〇〇億円にのぼると報じられている。キヤノンも三兆円の内部留保があるという。
 日本経団連の前、現会長企業は、この間に空前の利益を上げているのである。

 御手洗経団連会長のキヤノンは、大分工場での大規模な人員削減をおこなった。御手洗は、人員削減について請負会社のせいにしたうえで、「苦渋の選択で雇用調整が行われていると思う」と会見で話したが、そこに彼ら大資本家たちの無責任・非人間的な体質が露骨に表れている。
 経団連会長の行動に続けとばかりにトヨタ自動車やソニーなどもあいついで人員削減を発表した。このような世界的超一流企業はたとえ減収減益であっても雇用を維持する体力は十分にあるのだから、いまおこなわれていることはアメリカ発の金融危機・世界同時不況を口実にした雇用削減に他ならない。
 そしてその攻撃対象は非正規雇用労働者にとどまらず、正規労働者にも及ぼうとしているのである。
 このように労働者にとって悲惨な情勢を資本蓄積の好機と捉える経営側による二〇〇八年後半からはじまった猛烈な攻勢は二〇〇九年に一段と強まることは疑いない。
 だが、この攻撃は労働者たちの反撃を生み出し、それがひろがっている。資本の激烈な搾取は、ついに労働者たちの怒りの行動を引き起こしたのであった。

年越し派遣村開設へ

 一二月三一日から一月五日まで、日比谷公園で、「年越し派遣村」が開かれた。派遣切りにより派遣労働者が仕事と住まいを奪われ、帰る家のない大半の派遣労働者がホームレス状態に追い込まれようとし、また派遣切りによる解雇が集中する一二月三一日及び直後の退寮日は、相談窓口となるハローワークは開いていない。派遣村は、この間の労働相談・住居相談・生活相談・医療相談の窓口を開設し、あわせて住まいを奪われた労働者のために緊急食事対策(朝・昼・晩の炊き出し)と住居対策(ハローワークが開く一月五日までの簡易宿泊)を実施した。その名誉村長には反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士、村長にNPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長の湯浅誠さんが就任し、多くのボランティア、ナショナルセンターを越えた労組の協力があり、諸食料品、衣料、現金などのカンパも全国から多く寄せられたのだった。一〇〇万円を名乗らずにおいていった人もあったそうである。

村開設式(12月31日)

 一二月三十一日午前一〇時から、日比谷公園の野外音楽堂の近くで年越し派遣村「開設式」がはじまった。
 司会は派遣ユニオン関根秀一郎書記長で、名誉村長、村長が任命され、湯浅村長が次のようにあいさつ。
 厚労省は、八五〇〇〇人が派遣切りされると言っているがそれは氷山の一角にすぎない。製造業だけでなく多くの業種に広がっていている。ここ以外でも炊き出しには例年をはるかにこえる人が集まっている。雇用を切られ、住むところを追い出され路上生活者が増えているが、これはおかしい。いま、多くの人びとの力が合わさって年越し派遣村を開くことができた。
 連合からは龍井葉二・非正規労働センター総合局長、全労連からはJMIU(全日本金属・情報機器労働組合)の生熊茂実委員長、全労協からは藤崎良三議長が挨拶した。連合の前会長で労働者福祉中央協議会会長笹森清さんの、自分の連合会長時代に労働者派遣が原則自由化されてしまったことに責任を感じるという発言もあった。
 社民党の保坂展人衆議院議員、日本労働弁護団、農民運動全国連合会、派遣労働ネットワーク、日産ディーゼルユニオンなどからの発言があった。
 その後は、村民、スタッフ、ボランティアが協力して、食事、テント設営など作業は順調に進み、無事に年越し準備が完了した。
 この派遣村には出張床屋や飴細工、似顔絵書き、獅子舞などなども登場しにぎやかな雰囲気になった。
 その後も派遣村民は増えつづけ、一月二日には三〇〇人となり、テント不足など収容能力を超えた。

厚労省に要望書

 このため派遣村は厚労省と交渉して同日夜、本庁舎講堂を宿泊場所として緊急開放させた。
 一月三日には、「派遣村」実行委員会が舛添要一厚生労働相に対し、一月五日以降の入村者への衣食住の保障を含む、生活・労働について、@厚生労働省の責任において、一月五日以降の村民希望者全員の衣食住を確保すること、A生活・労働・住宅・借金等の包括的な相談窓口を設置すること、B生活保護申請を…五日に直ちに開始決定すること、C安定的な就労先を確保すべきである、D安定的な居所の確保を行うべきである、E早急に「労働者派遣法」の抜本的な改正などの労働法制の見直しを行うとともに、「派遣切り」「期間工切り」を認めない緊急特別立法および諸政策を実施すべきである、などの要望を申し入れた。
 四日午後からの村民集会には、民主党(菅直人代表代行)、共産党(志位和夫委員長)、社民党(福島瑞穂党首)、国民新党(亀井久興幹事長)、新党大地(鈴木宗男代表)が参加して各党の代表クラスが勢ぞろいし、緊急に国会決議を提出して取り組みを強めることで一致した。
 四日夜には、派遣村実行委員会からの厚生労働省への要望行動に対して、当面の間、厚生労働省と東京都とで五〇〇名の住と食を保障するとの確約・回答を勝ち取ることが出来た。

閉村式と院内集会(1・5)

 五日(月曜日)には朝から閉村作業がおこなわれ、正午から国会に向けてデモ・請願に出発した。
 衆参両院の面会所には、民主党、共産党、社民党のものと並んで公明党の看板が出ていて公明党の議員が何人も顔を出していた。
 つづいて参院議員会館で「住まいと雇用を守る緊急集会」が開かれた。
 はじめに派遣村村長の湯浅誠さんが発言。問題の解決には政治の力が必要だ。今日から国会がはじまるが、みなさんにはその力を発揮して欲しい。
 集会には大勢の国会議員が参加し、前日四日の集会で発言した各野党党首クラスがここでもあいさつを述べた。この場には公明党議員は来なかったが、自民党からは大村秀章衆議院議員(厚生労働副大臣)と小泉チルドレンの一人である片山さつき衆議院議員の二人が参加して発言するなどという画期的な光景も見られた。

派遣村の教訓


 派遣村の闘いは情勢の要求に適切に応えたものとなった。
 この取り組みは、マスコミによって連日報道され多くの人が、派遣切りされた労働者の実態を知るようになり、雇用・労働問題が日本政治の焦眉の課題として意識されるようになった。
 これからいっそう厳しい状況をむかえ、各地で派遣村のように闘おうとの声が広がるに違いない。そして、なにより闘えば要求が実現できること、与党も政府にもその内部に亀裂をもたらすことができ、それがいっそう大きな運動の空間を作り出すという教訓が得られた。
 三月の年度末を向かえ、派遣切りはもっと増える。正規労働者もさまざまな手段で、賃下げ、労働条件の低下、そして解雇の攻撃にさらされる。いまこそ、おおきく団結して、労働運動の再生と前進を闘いとるべきときである。
 派遣村の闘いは、確実に現段階の階級闘争の新しい方向を示したものとなった。


生活破壊と戦争協力を許さない

   
5・3憲法集会実行委員会が院内集会
  
 二〇〇九年は経済危機の深化の中で明けた。経済とともに政治的にも年明け早々から激動が進行している。
 一月五日、第一七一通常国会が開会した。満身創痍の麻生は、政権延命のためになりふりかまわず居直り・居座りのブザマな姿をさらしている。小泉の新自由主義・規制緩和路線の破綻、安倍の行き過ぎた極右政策のこれまた破綻、それらを糊塗するために登場した福田も一年ももたずに逃亡し、総選挙の顔として財界と自民党指導部の最後の切り札となるはずだった麻生は、自民党の危機を乗り切るどころか逆に失政・失言・ブレの連続でまったくの期待はずれとなっている。これでは、総選挙即与野党逆転となるのは必至であり、いまだに解散もできずにいるが、選挙票集めのための究極のばら撒き政策=定額給付金問題でも迷走が続いている。渡辺善美元行政改革担当相は麻生批判を強め、その離党の可能性は高くなっている。これにどれほどの議員が追随するかは不明だが、党内にはさまざまな非主流的な動きが強まり、公明党も一定の距離を示すポーズさえ見せ始めた。
 年が明けて、内閣支持率は一段と下降している。麻生は、派遣切り・雇用問題などでは、舛添厚労相などの積極対応ポーズに乗りながら世論の好転を神頼みしているしかない状況に追いつめられたのである。財界は、雇用問題は大事、セーフティーネット拡充の必要性などを言い始めたが、それは政府・自治体がやることで、財界自身が負担する考えはない。御手洗のワークシェアリング論にしても、実質は正規雇用労働者の賃金・労働条件切り下げを狙ったものである。
 しかも、麻生が政権延命の中で一番に果たさなくてはならないと狙っているのは、アメリカからの要求に応えることである。すなわち、対テロ戦争への一段の加担と日米軍事一体化の推進、そのための集団的自衛権の具体化・憲法九条の破壊である。ソマリア沖への自衛艦派遣を突破口にそれに道を開こうとしているのであり、麻生内閣に対して攻勢を強め、自民党政治を終わらせるために奮闘しなければならない。

 5・3憲法集会実行委員会は、毎回の国会開会日にあわせて院内集会を開催し、共同して闘う陣形を構築してきた。
 一月五日には、衆院第一議員会館で「生活破壊と戦争協力を許さない1・5院内集会」がひらかれた。この集会はサブスローガンとして、「生活破壊の政治に反対、ソマリア沖派兵特措法いらない、海外派兵恒久法反対、憲法審査会始動反対、アフガン戦争に協力するな、衆議院は解散して信を問え」をあげている。
 はじめに主催を代表して高田健さんがあいさつ。
 5・3憲法集会実行委員会は、二〇〇一年のスタート当初は一日の集会を共同して開催することからはじまり、その後集会やデモなどさまざまの行動にともに取り組むようになり、国会開会日に合わせた院内集会も定例化できるようになった。今国会でも憲法審査会は始動できないようだか、改憲勢力はなんとかして審査会を動かそうとしている。けっして改憲に反対する運動の力を弱めるわけには行かない。九条を守ることは二五条の生活を守ることと結びついている。生活破壊と戦争協力は結びついている。なお、今年の5・3憲法集会のメインスピーカーには評論家の落合恵子さんとともにノーベル賞受賞者の益川敏英教授になっていただくことになった。
 
 つづいて社民党の重野安正幹事長、共産党の志位和夫委員長が党を代表してあいさつし、そして参加した国会議員からの発言がつづいた。
 実行委員会事務局団体からは、憲法改悪阻止各界連絡会議、憲法を生かす会、平和を実現するキリスト者ネット、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、許すな!憲法改悪・市民連絡会が発言し、最後に日本山妙法寺からの報告と発言があった。


春闘に勝利するぞ!

     
全労協春闘討論集会

 一二月一三日、全労協(全国労働組合連絡協議会)の09春闘討論集会が開かれた。
 はじめに藤崎良三議長があいさつ。
 いま労働者とくに派遣労働者が酷い目にあわされている。相次ぐ派遣切りで住むところも失うような状況が全国のあちこちで起こっている。こうしたことが正規労働者にも及ぼうとしている。今回の危機は新自由主義政策、金融資本主義がもたらしたものであり、その破綻はあきらかになってきている。こうした情勢で春闘が闘われるが、われわれはいっそう大きな力を結集して要求を貫徹していこう。同時に自民党政治の破綻も明らかであり、麻生内閣を倒し、政権交代を実現しよう。
 毎日新聞・社会部記者の東海林智さんが、「貧困の現場〜労働運動はそれとどう闘うのか〜」と題して講演をおこなった。
 バブル経済崩壊後の日雇い労働のかたちが大きく変わった。かつては寄場のおっちゃんが日雇い労働者を集めて仕事場へ運んだ。それが携帯電話で若い子を直接集められるようになると競争が激化してかつては日一万円ぐらいが暗黙の相場だったのが値崩れをおこしはじめた。こんな風景を一九九九年の大阪の寄場で見かけ始めたのがいまや全国に広がってきている。それが今日の日雇い派遣だ。しかし、それがTVなどで報道されて社会問題化するのはずっと後のことだ。以前、ネットカフェ難民の取材で、一週間くらい泊まったことがあるが、二晩目からは心が荒んでいくのを感じざるを得なかった。記者でさえそうなのだから、本当はずっと心を痛めているはずだ。ネットカフェにも泊まれない人は、二四時間営業のマクドナルドなどに、そこにもいけない人はコンビニをハシゴして夜を明かすしかなくなっている。このような雇用流動化の背景には、一九九五年の日経連「新時代の『日本的経営』」がある。労働者を「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の三層にわけたが、それが着実に実行されてきた。労働ビッグバンは、ホップとしての労働者派遣法の制定、ステップがその原則自由化、そして最後のジャンプがホワイトカラーエクゼンプションとなるはずだった。しかし二〇〇六年の最後のところで押し返した。これは労働組合のナショナルセンターの枠を超えての協力があり、またマスコミも過労死促進法案とか残業代ゼロ法案とかのネーミングで実態を暴露した面が大きかった。
 だが、経営側はあきらめたわけではない。労働者が多様な働き方を望んでいるなどとして製造業派遣すらやめようとしないし、厚労省、そして連合の自動車、電機などの大産別幹部もそうだ。雇用の多様化というのはたちの悪いことばだ。多様性の多用化が進んでいる。だが労働者は好きにチョイスできるわけではない。
 つづいて全労協中岡基明事務局長が春闘方針の提案をおこなった。貧困・格差社会に反対し、ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい労働)の実現を求めるなど闘いの基調(別掲)をあげ、賃上げ要求などの課題へ取り組み、ストライキを配置し闘う態勢を強化し、三〜四月の山場には春闘勝利総決起集会、外国人総行動、厚労省・労働局、自治体などへの申し入れ行動を展開していくことなどを提起した。       
 決意表明は、静岡、福島など地方からと国労東京および闘争団全国連絡会議、全国一般東京労組、東京東部労組、東京南部、全統一、都労連、東水労、東京清掃労組、電通労組全国協、N関労、郵政労働者ユニオン、石油連絡会からおこなわれた。
 情勢の変化を受けて、それぞれ具体的な闘争の報告と決意が表明され09春闘への全労協の意気込みが感じられる集会となった。

全労協09春闘方針

 闘いの基調

(1)貧困・格差社会に反対し、全ての労働者が差別なく、健康で文化的な生活ができる賃金、ディーセント・ワークの実現を求めて闘う!
 すべての労働者に働く場所の確保を求めて闘う。
 政府にセイティーネットの充実を求めてたたかう。
 生活できる最低賃金の大幅引き上げ、公契約条例を求めて闘う。
 非正規労働者、女性労働者、移住労働者への差別を無くし、均等待遇を求めて闘う。
 非正規労働者の正規労働者への転換促進を求めていく。
 「命と健康」の闘い…長時間労働の規制、セクハラ・パワハラを根絶させ、安全・安心に働くことができる職場をつくる。
(2)リストラ・首切りを許さず、中小・零細企業労働者の生活できる賃上げの獲得…物価高騰に反対し、大幅賃上げを求めて闘う!
 金融危機、景気後退に名を借りた雇い止め、解雇、内定取り消し、リストラ攻撃に反対して闘う。
 成果主義・能力主義に反対し、ベアの大幅引き上げで生活できる賃金を獲得していく。
 大企業の下請けいじめを許さず、中小零細企業の健全な育成で、中小企業で働く労働者の大幅賃金引き上げ実現を求めて闘う。
(3)「労働者派遣法」の抜本的改正を求めると共に、「労働時間法制」の改悪と全力で闘い、福祉切り捨て、高齢者・弱者切り捨て政策と対決して闘う。
 まやかしの労働者派遣法改正を許さず、労働者派遣制度廃止を基本に闘う。
 過労死を促進するホワイトカラーエグゼンプションの導入に反対して戦う。
 失業対策、雇用保険・生活保護制度の充実を求めて闘う。
 消費税引き上げに反対して闘う。
(4)国鉄闘争勝利! 闘争団の納得いく解決、全ての争議勝利のために闘う。
(5)憲法改悪、教育の国家統制に反対し、米軍基地の再編強化と闘う。
 解散総選挙で労働者のための政権を実現するため、護憲・労働者の生活を第一とする候補者の当選をめざして闘う。
(6)要求実現のためストライキを配置して闘う。地域の労組、市民団体と地域共闘で闘う。
 アジア・世界の労働者と国際連帯を強化し新自由主義・新保守主義に抗して闘う。


1500人でイスラエルに抗議

    
「即時停戦を求めるピースパレード」

 イスラエルのパレスチナ・ガザに対する無法・非人道的な攻撃が継続している。多くの市民とりわけ子ども、女性に犠牲者が多くなっている。
 アメリカ・ブッシュ政権や議会上下両院はイスラエルの戦争を支持しているが、これにたいして、世界各地で「虐殺やめろ」とイスラエルとアメリカへの抗議の波がひろがっている。

 日本では、昨年一二月三〇日のイスラエル大使館抗議につづいて、一月一〇日、「ガ ザ に 光 を ! 即時停戦を求めるピースパレード&シンポジウム」が一五〇〇人が参加して取り組まれた。
 プレイベントとして、増上寺の慈雲閣で広河隆一さん監督の『パレスチナ 1948 NAKBA』が上映された。
 午後三時半に芝公園 号地に集合して、小集会の後に六本木三河台公園までのパレードに出発し、攻撃の即時中止をアピールした。
 午後六時半からは聖アンデレ教会でシンポジウムが開かれた。
 はじめに仏教、キリスト教、イスラム教を代表しての発言あり、つづいて広河隆一さんが現在の状況について報告。
 マスコミなどでは、選挙で正当に選ばれたハマスを「イスラム過激派」と呼び、イスラエルはハマスのミサイル攻撃に反撃しているだけだと報道しているが、これは誤りである。問題の根源は、イスラエルが英米などの後押しによって、パレスチナに入り込み、そこに住んでいた人びとを追いだしたことにある。イスラエルや欧米の宣伝に惑わされてはならない。
 文学者の池田香代子さんは、イスラエルの建国神話について、民俗学者で名古屋イラク訴訟原告の大塚英志さんは国に憲法を守らせる権利と義務について話した。
 ガザからの人びとの声が伝えられ、坂本龍一さん、湯川れい子さんらのメッセージの紹介、小泉のイラク戦争加担に反対して罷免された元レバノン大使の天木直人さんたちからの発言もあった。
 最後に、今後もイスラエルの戦争に反対して声を上げていこうと確認した。


田母神事件を注視・糾弾し続け自衛隊の暴走にSTOPをかけよう

 田母神俊雄航空幕僚長の懸賞論文「日本は侵略国家であったのか」は、自衛隊内部に侵略主義的好戦集団が存在することを自己暴露するものであった。田母神は統幕学校長時代に右翼の論者を講師にした幹部教育を行い、国会での参考人招致でもその主張を展開してきた。麻生内閣は、「不適切な言動」としつつも更迭・退職というきわめて穏便なかたちでこの事件をやりすごそうとしている。だが、田母神問題とそれに象徴される自衛隊の体質にたいする批判と追及は厳しく行われていかなければならない。

 一二月二三日、総評会館で、「講演会(リレートーク)自衛隊の暴走にSTOPを! 検証・田母神発言とシビリアンコントロール」が開かれた。主催した講演会実行委員会は、憲法を生かす会、子どもと教科書ネット 、全国労働組合連絡協議会、日本消費者連盟、VAWW―NETジャパン、ピースボート、ふぇみん婦人民主クラブ、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会などで構成されている。

 都留文科大学文学部教授の笠原十九司さんは、「平成改憲クーデター(仮説)と田母神航空幕僚長問題」と題して講演した。
 まずこの事件を歴史の中でどう評価するかについてである。さきの戦争では陸軍の暴走がいつも問題になるが、海軍の果たした役割の大きさを見なければならない。南京への爆撃は海軍航空隊の山本五十六が行ったし、その山本は対米戦に勝てるかも知れないとして破滅の道に踏み出したのだった。一九三七年一二月におこったパナイ号事件というのがある。日本はその年に中国に対する全面戦争に踏み切り、首都・南京に向けて軍を進めた。一二月一二日、日本軍機は長江に停泊中のパナイ号に攻撃を行い、多数の死傷者を出した。このときには日本はまだアメリカと戦争しているわけではない。日本政府は攻撃は故意に行われたものではないと主張しながらも謝罪し、翌年には賠償金が支払われた。だが、アメリカでは、メディアにおいてパナイ号事件と南京事件について大々的に報道され、日本海軍機は「故意」に爆撃し日本軍はアメリカに敵対したとされた。こうしたパナイ号撃沈への怒りは、アメリカ国民の対日抗議・非難の高まりとなり、それが南京事件など日本軍の残虐行為への憤りと結びついて、日本の侵略批判と中国救援運動は拡大した。日本商品ボイコット運動も拡大し、対日経済制裁論が登場した。アメリカでは、「パナイ号事件を忘れるな」が国民的スローガンとなっていった。日本軍の行動はアメリカとの敵対関係を激化させ、アメリカの対日警戒心をあおり、石油などの対日禁輸が行われた。日本海軍は石油がなくなれば動けなくなるので、その前に対米戦を始めるというふうに追い込まれたのである。こうした歴史の教訓を忘れてはならない。
 ところがそうはならなかった。たとえば南京爆撃、真珠湾攻撃の立役者だった源田実は戦後、自衛隊の空幕長となり、その後自民党の参議院議員となったが、侵略主義の思想は変わらなかった。田母神事件も孤立したものではなくこうした歴史的経過の中でとらえなければならないのである。
 田母神は、航空自衛隊幹部学校幹部会発行の『鵬友』二〇〇七年五月号に「日本人としての誇りを持とう」という題でこんなことを書いている。
 「若い皆さんには明治以降、日本の先輩たちがこの国のために、そして国民のために血と汗と涙を流した感動の歴史を勉強して頂きたい。まずは『産経新聞』と『月刊正論』を読むことから始めてはどうだろうか」。田母神はこんな思想の持ち主なのである。田母神は、防大一五期卒で、第六航空団司令(石川県小松市)、統合幕僚学校長、航空総体司令官、航空幕僚長を歴任した。懸賞論文主催のアパグループの元谷外志雄代表は安倍晋三後援会の副会長で、安倍内閣当時に田母神は航空幕僚長に任命されている。
 一連の動きは一九九七年をひとつの契機としている。この年の一月には「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・西尾幹二)が結成され、二月に自民党国会議員「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(代表中川昭一、副代表中山成彬、事務局長安倍晋三)が結成され歴史教科書から「従軍慰安婦」の記述を抹消させ、南京大虐殺事件(南京事件)の記述を後退させる攻撃を始めた。五月には改憲団体「日本を守る国民会議」と宗教右翼「日本を守る会」が組織統一して日本会議が発足し、改憲を基本運動方針にした日本最大の右翼組織ができた。「日本会議国会議員懇談会」が会長・平沼赳夫、会長代行・中川昭一、副幹事長・安倍晋三・小池百合子、事務局長・下村博文、特別顧問・麻生太郎という体制で動きだした。
そのほかにも「憲法調査委員会設置推進議員連盟」(超党派の「改憲議連」)の発足、「神道政治連盟国会議員懇談会」(一九七〇年結成、現在は会長・綿貫民輔、副会長・平沼赳夫、町村信孝、幹事長・伊吹文明、事務局長安倍晋三)の活動も活発化した。
 二〇〇一年四月に、改憲の露払い、旗振りをした小泉政権が登場した。それは帝国アメリカの世界秩序形成を歴史の流れと考え、アメリカの衛星国として振舞おうというものだった。二〇〇一年の9・11を利用したブッシュ政権の「反テロ世界戦争」「悪の枢軸撃滅戦」の一環としてイラク戦争に参戦するなどアメリカの世界制覇・ドル市場形成と石油獲得のための戦争に加担してきた。
 小泉はマスメディアを利用し郵政選挙で大勝利を収め、また自衛軍保持を明記した自民党憲法草案発表した。
 つぎに安倍晋三政権であるが、この政権下での「平成改憲クーデター(未遂)」という仮説を立ててみたい。二〇〇六年九月二六日に安倍内閣が成立し、その年の一二月には教育基本法改悪され、二〇〇七年一月に防衛庁が防衛省に「昇格」し、五月に改憲手続法ができた。こうして、憲法改悪への「外堀は埋められた」のだった。
 安倍内閣は閣僚の六割が日本会議議連のメンバー、首相補佐官五名のうち四人が同メンバーとなった。財界では、いわゆる御手洗ビジョン「希望の国、日本」が、改憲、自衛隊の保持明確化、集団的自衛権行使、愛国心教育重視などを強調した。そして、自衛隊では、田母神の空幕長への就任と改憲への自衛隊の組織的「関与」の仕組みができたのである。その他、報道界、教育界、戦犯政治家・戦争責任政治家の世襲者たちが進出してきた。
 最後に、今後の課題として、以上に触れた「平成改憲クーデター」(仮説)構造の実証的解明、「つくる会教科書」不採用運動、「9条を守る会」の運動の歴史的意義、「国会議員に当選させない市民運動」の提案などが追求されなければならないだろう。

 つづいて前田哲男さん(ジャーナリスト・軍事評論)が発言。
 田母神問題は、三つの側面から明らかにされなくてはならない。
 その第一は、論文それ自身の内容である。これは、その中身のなさについては大部分の人が一致しているだろう。
 第二には、事件としての性格である。自衛隊高級幹部が民間グループの懸賞に応募したこと、その主催者である人物を自衛隊機に乗せたこと、隊内教育、そして任命責任についてである。
 第三には、こうしたもの発生させる自衛隊の土壌である。
 歴史的な類似性としては、栗栖事件がある。統合幕僚会議議長の栗栖弘臣は、一九七八年七月、「週刊ポスト」誌上で「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」と述べた。これが「超法規発言」であり、有事法制の早期整備を促すものだったが、事実上の解任となった。栗栖はその後、一九八〇年参議院選挙東京地方区に民社党から出馬したが、このとき宇都宮徳馬さんはこの対抗馬として立候補し、当選した。最近では、二〇〇四年からの自衛隊イラク派遣では第一次復興業務支援隊長を務めた佐藤正久が自民党国会議員となっている。
 戦前のファシズムの契機となったのは、一九三一年一月の陸軍大臣・南次郎による通牒(南通牒)であったが、これは軍人の国防問題・政治問題への関与を許すものだった。田母神らの要求している「自由」もこうしたものである。佐藤正久は、イラク派遣時に、憲法などで禁止されている武器使用も現場の判断で使うようにすると考えていたと発言したが、これこそかつての軍部が出先の独自判断で戦争を拡大していったのとまったく同じやり方である。
 その一方で、自衛隊のなかの状況は劣化しすさんでいる。犯罪・事故、いじめが蔓延し、自殺率は他の公務員の二倍の比率だ。イラクからの帰国隊員では二〇名もが自殺している。
 自衛隊については、どんなカリキュラムなのかなど隊内教育の透明化、人権状況の把握など第三者の目をさし入れることが必要である。

 古川純さん(専修大学・憲法)の発言。
 今度の事件で、田母神は公人と私人とを使い分けての逃げを打ってきている。表現の自由、言論の自由だといいながら、空幕長の肩書きでさまざまなところに投稿している。〇八年の一月には、航空自衛隊熊谷基地で、田母神はそこでは私見としながら「南京大虐殺は、見た人が一人もいない」「専守防衛が正しいのか、検討されなければいけない」とかの内容での話を空幕長の講話としておこなったのである。また「航空自衛隊を元気にする一〇の提言」などでも私見としながら空幕長名でかなりのことを書いている。今回のことではシビリアンコントロールについて言われているが、石破が防衛大臣だったとき、自衛隊員にも言論の自由があると訓示し、田母神のように外に対しても意見を言うようにしてしまったが、石破のような文民の責任は重い。市民社会と軍隊社会はちがうが、後者が前者に浸透しようとしている。主権者はひるまずにひとつひとつに対して反撃していかなければならない。


高江への米軍ヘリパッド建設阻止!

  
辺野古への基地建設を許さない実行委員会の防衛省前抗議行動

 一月の第一月曜日の五日午後六時半から、辺野古への基地建設を許さない実行委員会による定例の防衛省前抗議行動が闘われた。
 正月明け早々にもかかわらず多くの人が集まり、日米政府による在日米軍再編・日米軍事一体化とりわけ辺野古新基地建設にむけての攻撃に対して反対の声をあげた。
 いま辺野古ともに焦点になっているのは、沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド(ヘリ離着陸帯)建設である。これに反対して「ヘリパッドいらない」住民の会をはじめ沖縄の人びとは座り込みを続け闘いつづけている。昨年一二月一六日、安次嶺現達さんほか一四名に対して突然、那覇地方裁判所から呼出状が送りつけられた。国(沖縄防衛局)が、住民たちの運動に対して、一一月二五日に那覇地裁に「通行妨害禁止仮処分命令申立」を起こしていたのである。
 集会参加者は防衛小児怒りのシュプレヒコールを挙げるとともに〇九年の運動の前進を確認した。


失業増大の元凶・財界は責任を取れ

       財界3団体新年パーティーに抗議行動


 派遣労働者はいますさまじい派遣切りにあっている。そして解雇は派遣労働者から正規雇用労働者へと広がりつつある。経営側のなりふり構わぬ攻撃は拡大している。
 今年頭の財界首脳の発言では、情勢の深刻さを反映して雇用問題に触れるものが多かった。
 御手洗冨士夫日本経団連会長は、「雇用の安定に手段を尽くす」と述べ、桜井正光経済同友会代表幹事も年頭見解で「若者が希望の持てる社会の構築」を提唱するなど、新年から財界団体首脳の雇用問題改善にむけての発言が続いる。
 しかし、これはまったく口先だけのことで現実には失業者は急増していくが、それに対してはセーフティーネットの構築を国・自治体に丸投げし、税金で処理せよということにすぎない。
 この事態に直面して、政府・自治体はもとより、いっそう責任を感じ、負担すべきなのは儲けを溜め込んでいる大企業そのものなのである。

 一月六日、ホテルニューオオタニで経済三団体(日本経済団体連合会、経済同友会、日本商工会議所)共催の新年賀詞交歓会パーティーが開かれ、大手企業の経営トップなど一五〇〇人が顔をそろえた。
これにたいして、解雇・雇い止めされた期間工・派遣労働者が御手洗会長への公開質問状(別掲)を持って訪れた。
 ホテル前での抗議集会では、派遣切りをされた労働者や支援の労組が発言。
 財界首脳は新年を祝って祝い酒を酌み交わしているが、情勢はそんなものではない。財界もこの事態にこれまでに溜め込んだ儲けの一部を吐き出して応分の負担をするべきだ。われわれは財界とくにその代表である日本経団連の御手洗会長に申し入れをおこなう。
 そして代表を先頭に御手洗会長に申し入れをおこなおうとするが、ホテル側は中に入れないという。
しかし、労働者の力でついにホテル内に入る。
ホテル側は待機の部屋を用意し、そこで経団連側の対応を待つ。やっと現れた経団連事務局の男は、アポイントがないから受け取れないという。労働者側は、派遣村に五〇〇人も集まり、全国では数万の人びとが寒風の中で首を切られようとしている、ことは緊急性を要するものであり、財界としても直ちに対応をせよ、質問状を受け取れと迫るが、経団連事務局はただのらくらと逃げ回るばかりであった。しかも、アポイントがあれば会うといいながら、これまでの経団連にだした質問状の答えもまったくなく、今回はその受け取りをも拒絶したのである。
 労働者側は、再びホテルの前で集会を開き抗議のシュプレヒコールを挙げた。

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日本経団連・御手洗会長への公開質問状

2009年1月6日

社団法人日本経済団体連合会 会長 御手洗冨士夫 様

JMIUいすゞ自動車支部 執行委員長 松本浩利    
日産ディーゼルユニオン 委員長 荒井健太郎
首都圏青年ユニオン  執行委員長 武田敦
全造船機械関東地協いすゞ自動車分会 執行委員長 風呂橋修
全トヨタ労働組合 執行委員長 若月忠夫
日野自動車ユニオン 執行委員長 佐藤弘之
JMIU静岡西部地域支部 執行委員長 フランシスコ・フレイタス
日研総業ユニオン大分キヤノン分会 分会長 加藤州平

 新年明けましておめでとうございます。
 「派遣切り」「期間工切り」「請負切り」とよばれる大量解雇の嵐が日本列島を吹き荒れています。私たちは、この不当な解雇に立ち向かって結成されたユニオンの代表です。
 年の瀬に仕事と住まいを奪われ、日比谷公園の「派遣村」に身を寄せる労働者は五〇〇人にも及びました。「派遣切り」が重大な社会問題になっているのは十分ご承知のことだと思います。本日の新年賀詞交歓会にあたり、私たちは下記の通り公開質問状を提出しますので、この現実と働く者の声を真摯に受け止め、回答して下さるようお願い致します。
 なお、回答は、本日から三日程度を目安に、私たちに直接行っていただくのが望ましいのですが、主要メディアに対する会見のかたちで行っていただいてもかまいません。

  記

 1.「派遣切り」「期間工切り」「請負切り」を率先して行ったのは、御手洗会長ご自身のキヤノンやトヨタをはじめとする日本経団連の会員企業です。
この乱暴な大量解雇の結果、すでに厚生労働省の調査によるだけでも八万人を超す非正規社員が、仕事ばかりか住まいまで奪い取られ、文字通り人間としての生存の危機に直面させられているのは、いまや明白な事実です。
 しかし、これほど重大な社会不安を生み出しておきながら、御手洗会長をはじめ日本を代表する企業経営者たちの口からは、率直な反省の弁すら、ただのひと言も聞かれません。
 耐え難い苦痛を強いた非正規社員たちに対して、また、これら非正規社員のサポートに正月返上で奔走してきた国や自治体、NPO、ボランティア、無数の市民たちに対して、誠実に謝罪する考えはありませんか?
 また、年度末にかけてさらなる「派遣切り」が起きるとも言われています。これ以上の事態の悪化をくい止めるべく、こうした安易な解雇を即座に中止し、雇用の維持に務めること、また、寮などからの追い出しを即座に中止することを、日本経団連はじめ主要経済団体で速やかに決議する考えはありませんか?

 2.何の保障もなしに放り出された非正規社員を救おうと、各地の労働組合・団体や、国・自治体が、住まいの確保、生活支援、再就職支援などに懸命の努力を重ねています。大分県では、匿名の一市民が市役所に一〇〇万円もの寄付金を届け、高校生らが街頭募金活動に立ちました。
 しかし、「派遣切り」「期間工切り」「請負切り」を行った企業だけが、解雇は派遣会社が決めたことだなどと責任を転嫁して自らは何もしていません。おかしな話です。
 日本経団連の会員企業が、ほぼ揃って史上最高益を過去五年間連続更新し、内部留保を倍増できたのは、製造現場を支えた非正規社員の貢献があったからです。この際、解雇された非正規社員の住まい、生活、再就職支援のために、会員企業が思い切った資金の拠出を決断し、社会的責任を果たす考えはありませんか?
 なお、御手洗会長ご自身は、朝日新聞の新年インタビューで、「企業が基金をつくり、失職に伴う住宅確保や新しい仕事に就職するための職業訓練を支援する仕組みをつくるべき。政府や自治体と協力してもいい」と言明されました。これが口先だけのきれいごとでないというなら、各政党や私たち労働組合・団体と速やかに話し合う考えはありますか?
 なお、「派遣切り」で生じた解雇問題について、団体交渉すら拒否している日本経団連の会員企業もあります。労働法令を遵守し、労働組合と真摯に話し合うのも大企業の社会的責任ではありませんか?

 3.「派遣切り」などの残酷な現実を前にして、日本経団連が提唱してきた労働者派遣制度の有期雇用契約労働の自由化の誤りが、いまやだれの目にも明らかになりました。雇用創出や就業機会の多様化を謳い文句にした労働者派遣法や労働基準法の改正は、大量のワーキングプアを生み出しただけではなく、結局のところ、大企業がなにひとつ責任をとらず、労働者をいとも簡単に大量首切り(解雇)する暴挙を、法律の名で正当化するのに役立っただけでした。これら法制度の抜本改正に道筋をつけるべきです。
 国会にはいま、政府の見せかけの労働者派遣法改正案が提出されていますが、「派遣切り」という残酷な現実をふまえて、私たちと意見交換しつつ、派遣法抜本改正の議論をはじめからやり直す考えはありませんか?


複眼単眼

    砂場徹さんを送る言葉


 砂場さん
 八四年にわたる人生、大変お疲れさまでした。
 砂場さんは自らの生き様をもって私たちに多くのものを残して下さいました。
 砂場さんの人生は後輩の私たちから見ても、大変尊敬に値するものであり、「お見事」という以外に言葉がありません。
 一九二五年に生まれた砂場さんは一九四五年四月に二〇歳で軍隊にとられ、入営しました。いま考えますと、このときはすでに四五年二月に近衛上奏文が天皇にだされたあとでした。近衛はその中で、日本の敗戦は確実だから、速やかに降伏すべきだと言いました。しかし、天皇裕仁はそれを拒絶し、「あとひと戦やって、有利な条件をつくりたい」などといいました。
 砂場さん
 もし天皇裕仁が近衛の進言を受け入れていれば、砂場さんが体験した三月の大阪大空襲も、四月の入営も、そしてあのヒロシマ、ナガサキもなかったはずでした。裕仁の国体護持のこだわりのために砂場さんは兵役にとられ、入営間もなく、釜山から中国東北部のジャムスに送られ、敗戦を迎え、九月にはソ連軍に武装解除されて、以来、四年にわたるシベリア抑留を体験されます。
 砂場さんは二年前、この体験を著書「私の『シベリア物語』」にまとめられました。その際、私もこの出版のお手伝いができたことを光栄に思っております。砂場さんは「前がき」でこの本を書くに到った二つの動機を述べています。
 一つは当時の小泉純一郎内閣のもとで靖国参拝や憲法改悪がすすめられていることへの砂場さんのいかりでした。もう一つは、自然環境の破壊と地球の危機がすすむなかで、二〇代の砂場青年が過ごしたシベリアが「なぜかなつかしい」からだと言っています。
 砂場さんが帰国してからの六〇年近い人生は、このシベリア体験に裏付けられた反戦平和、民衆の抑圧と収奪を許さず、自由と平等を求め歩み続けた人生でした
 さまざまに紆余曲折はありましたが、砂場さんは一貫して困難にひるまず、不正義にたいしては一歩もひかず闘いつづけ、後輩の私たちを励まし、援助してくれました。
 砂場さんの体験と信念による議論は、時にはきびしく思うこともありましたが、砂場さん、見えますか。今日もあなたの教えを受けた後輩たちや、運動の友人のみなさんが沢山、ここに駆けつけて下さっています。これはつくづく砂場さんの人徳だと思います。
 砂場さん
 いま、日本も世界も大きく変わりつつあります。歴史的な変動期がきています。
 砂場さん、私はいま、一〇日ほど前に、砂場さんの家をお訪ねし、「マンガ資本論」という文庫本を見ながら二人でお話ししたことを思い出します。この二月に沖縄で憲法の市民運動の全国交流集会が開かれること、いま、大企業が巨額の内部留保を貯め込んでおきながら大量の派遣切りをやって労働者を路頭に迷わせ、その結果、労働者の反撃が始まっていることなど、いろいろ報告しました。
 砂場さん、あなたは「ほう、そうか」と言いながら聞いてくれました。「自分も元気ならそういう活動に参加したいが」と残念そうに語っていました。
 砂場さん、私はあなたの歩いた道をあゆみつづけたいと思います。
 「千の風になって」という歌があります。もし、あれが本当なら、砂場さん、風になって私たちの頭上を吹き抜けながら、天空から見守って頂きたいと思います。
 私たちはこれからも砂場さんを決して落胆させることなく歩みつづけるつもりです。砂場さん、本当にありがとうございました。  (T)