人民新報 ・ 第1250号<統合343号(2009年2月15日)
  
                  目次

● ソマリア沖への自衛隊派兵を許すな!  派兵恒久法制定阻止!

● 「日の丸・君が代」強制・不起立者処分と闘おう1

● 09けんり春闘全国委が発足  非正規・正規は団結して資本攻勢と対決しよう

● 48000を超えた「沖縄県議会決議尊重・国会請願署名」  請願署名提出院内集会

● 強制執行を糾弾し、支援の輪を広げ、京品ホテル労組の闘いの勝利を

● 派遣村の成果を拡大し、派遣法抜本改正を勝ち取ろう

● イスラエルの侵略に抗議し、1500人がパレード

● ロマン主義による「歴史の全的正当化」  筒井清忠(著)『西條八十』 (中公文庫)を読んで

● 複眼単眼  /  ソマリアの海賊ってなんだ?




ソマリア沖への自衛隊派兵を許すな!  派兵恒久法制定阻止!

 アメリカ・オバマ政権のヒラリー・クリントン米国務長官は就任後初の外遊として、二月一五〜二二日にかけて、日本、インドネシア、韓国、中国を訪れる。一六日〜一八日までは日本にいて、麻生太郎首相、中曽根弘文外相らと会談する予定である。
 麻生は、「最初の外国(訪問)が日本というのは、アジア重視という意味で非常に良いメッセージだ」として、「世界第一、第二の経済大国がまず危機を回避し、その後どういう世界の秩序を組み立てるかが一番の議題だ」と述べ、共和党ブッシュに替わった民主党オバマにも変わらぬ対米追随政策の継続を表明した。
 オバマ新政権の外交は、ブッシュ時代との違いを強調している。オバマは就任早々の一月二二日、「米国の指導力回復には外交が重要だ」などと演説したが、これはブッシュ政権の単独行動主義から決別し、外交を重視した協調路線を推し進める姿勢を打ち出したものとされている。またクリントン国務長官も、強力な外交と効果的な開発援助の組み合わせが、米国の将来を守る最善の手段だ、としている。
 ブッシュの対テロ戦争は、唯一の超大国になった状況を過信し、一気に世界的な覇権を再確立しようとするものだった。しかし、それはイラクでもアフガニスタンでも完全に失敗した。中東ではアメリカの宿敵イランの影響力が強まり、アメリカの中東の拠点であるイスラエルの侵略政策に対する批判は世界に広がっている。すでにアメリカは武力では世界を従わせることはできなくなったのである。それに決定的な追い討ちをかけたのが昨年後半からの経済的な破綻状況である。新自由主義・規制緩和政策の中で金融資本によるアメリカへの富の集中は巨大なものとなっていたが、それが中心部から崩れたのである。アメリカは、軍事的、経済的に急激に力を降下させつつある。
 オバマに残された状況では、そもそも単独行動主義なるものはまったく不可能なのである。だがオバマ政権の「協調路線」なるものは、アメリカ帝国主義の支配をあきらめたり、弱めたりするわけのものではない。アメリカの相対的な力の低下という情勢で、依然としてアメリカの利益を図るものであり、その最大の特徴は、他国とりわけ同盟国とされるところの物的人的資源を最大限に引き出し活用することに他ならないのである。対日政策では、ブッシュ政権時以上の対日要求が持ち出されてくるであろう。
 次期駐日大使に予定されているジョセフ・ナイも加わったいわゆる「アーミテージ報告」が対日要求の基本である。ブッシュ政権時代にもこの指示に従って歴代自民党内閣は日本をアメリカの世界軍事戦略に強く結び付けてきたが、これからはいっそうこれら文書に示された内容が重みを持ってくるに違いない。
 その第一次報告「米国と日本 成熟したパートナーシップに向けて」(二〇〇〇年一〇月)では、「日本が集団的自衛権を禁止していることは、同盟間の協力にとって制約となっている。この禁止事項を取り払うことで、より密接で、より効果的な安全保障協力が可能になろう。これは日本国民のみが下せる決定である。アメリカは、これまでも安全保障政策の特徴を形成する日本国内の決定を尊重してきたし、今後もそうすべきである。しかし、アメリカ政府が明確にしなくてはならないことは、日本がより大きな貢献をおこない、同盟のより対等なパートナーとなる意志をもつことを歓迎するということである」として公然と憲法九条を変えることを要求した。そして第二次報告「米日同盟 二〇二〇年に向けアジアを正しく方向付ける」(二〇〇七年二月)では、「日本はグローバルな影響力をもつ国である。しかし日本は最近まで、安全保障分野では強く自己規制してきた。日本がこの分野での突出を嫌ってきたことは歴史から説明がつくとはいえ、直面する挑戦や、グローバルな指導的役割を求める日本自身の願望から見て、こうしたやり方で今後も間に合うかどうか、将来的には意見の一致が求められる」と改憲要求をくり返すとともに、どこからそれを突破するかについてまで指図してきているのである。
 その付属文書「安全保障および軍事面での協力」は「われわれは、米国と日本の間の安全保障および軍事面での協力の質の向上をめざして、多くの非常に具体的な勧告を持っている」として、いくつかの項目を挙げているが、そのひとつが今回のソマリア沖への海上自衛艦の派遣などを想定したものといえよう。すなわち人道支援、災害救援などの口当たりの良い理由をつけて、とにかく自衛隊を海外派兵させ、そこで何らかの戦闘行為をつくりあげ、既成事実化することによって、改憲の実をあげるという狙いである。 
 「米国と日本は、緊急の危機に対する能力を向上させるべきである。日本の平和維持、人道支援、災害救援の諸任務にたいする能力も、強められなければならない。日本は、人質救出を想定し、そのために必要な専門的技能を発展させなければならない。日本は、現行の法制中に輪郭が描かれているこれら任務について優先度を引き上げる措置を検討すべきである。これら分野に十分に取り組めるように日本の国防能力を引き上げることが自衛隊の配備や二〇二〇年にかけて日本が直面する安全保障環境を考えれば必要となっている」。
 麻生政権は、海賊対策を口実にこうしたアメリカ政権の指示を実行し、派兵恒久法による改憲に道を開こうとしている。
 オバマ―麻生の下で、米軍再編と日米軍事共同作戦・一体化が推進される。先にあげた付属文書には次の項目もある。「よりよい調整のために、米国は、米太平洋軍への日本の防衛省代表の配置、また統合幕僚監部への米軍代表の配置を促進すべきである。これは、地域での作戦統合の強化にむけた第一歩とみなすべきであり、集団的自衛についての日本の国内的決定いかんにかかわらずおこなわれるべきである。米日防衛協力のためのガイドラインの中で発展させられた『日米間の調整メカニズム』は、すばらしい枠組みである。しかしながら、両国の調整は、『共同統合運用調整所』を全面的に実行することで作戦レベルにまで拡大すべきである。」この方向は、沖縄米軍基地の強化、キャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部機能の移転、横須賀への原子力空母の配備を軸に進められているのである。
 われわれは、麻生の「まず派兵ありき」の「ソマリア海賊対策」に断固反対して闘う。

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共同声明  ソマリア沖に海上自衛艦を出すな! 海賊問題に名を借りた海外派兵新法に反対する!


 麻生内閣はアフリカ東海岸・ソマリア沖などでの海賊被害に対処するとして、とりあえず現行自衛隊法の「海上警備行動」(八二条)を拡大解釈して海上自衛艦を派遣しようとする一方、一般法としての新法「海賊処罰取締法」と称する、海賊対策に名を借りた憲法違反の「海外派兵恒久法」を今国会で成立させようとしている。
 この背景にはイラク、アフガニスタン情勢の変化のもとで、「なにはともあれ自衛隊を派遣したい」との日本政府の強い願望がある。国連安保理では〇八年六月と一〇月に、日本政府が共同提案国になった「海賊対策決議」が行われ、一二月にはソマリア領土内で「あらゆる必要な措置をとる」ことを求める決議がだされた。海賊対策は第一義的に海上保安庁の責務である。にもかかわらず政府は、欧米諸国や中国などの艦艇派遣を引き合いに出して「派兵で肩を並べる」ことを目的に、自衛隊法八二条を適用して、海自艦を領海内からはるかに遠いソマリア沖に派兵しようとしている。しかしそれは、「専守防衛」を前提にしてきた自衛隊法の立法趣旨を逸脱するものである。また、小型の火器しか持っていない漁民などの「海賊」に重武装した自衛艦による軍事行動を対置するのは、憲法第9条の精神に真っ向から反するものと言わなければならない。先般来日した隣国イエメンのアルマフディ沿岸警備隊長をはじめ、各方面から、海自艦の派兵が海賊対策に役立たないとの指摘もされている。麻生内閣の立場は「まず派兵ありき」の極めて危険な動きである。
 そもそもソマリアの海賊問題は欧米各国の介入がつくり出したソマリアの内戦による無政府状態と漁民など住民の貧困、大国の海洋支配への反発が根本原因であり、この解決なくして「海賊問題」の解決はない。いまソマリアの近隣諸国は海賊対策で海上での警察力を強化しようとしている。憲法第九条をもつ日本の政府がまずなすべき事は、アフガン戦争以来、極めて安易になった列強の軍事介入に加担することではなく、アフリカ諸国の和平努力に協力し、沿岸諸国の自主的な努力に協力し、この地域の貧困と破壊を食い止めるためのあらゆる可能な平和的援助の努力である。

 麻生内閣の「まず派兵ありき」の「ソマリア海賊対策」に反対する。
 自衛隊法八二条を適用した海上警備活動派兵は行うべきでない。
 海賊対策に名を借りた憲法違反の派兵法「海賊処罰取締法」に反対する。
 武力で平和はつくれない。軍艦の派兵ではなく、平和的な民生支援を。

呼びかけ団体

 アジア連帯講座/新しい反安保行動をつくる実行委員会/アンポをつぶせ!ちょうちんデモの会/「憲法」を愛する女性ネット/憲法を生かす会/市民運動ネットワーク長崎/市民自治を創る会(札幌)/戦争への道を許さない女たちの会さっぽろ/日本山妙法寺/VAWW―NETジャパン/ふぇみん婦人民主クラブ/不戦へのネットワーク/平和憲法21世紀の会/平和を実現するキリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会


「日の丸・君が代」強制・不起立者処分と闘おう

        
都教委包囲・首都圏ネットが総決起集会

 二月八日、全電通会館で、今年の卒・入学式を前に、都教委の「日の丸・君が代」強制・不起立者処分と闘う体制形成にむけての「09年2・8総決起集会」(主催 石原・大原都教委の暴走をとめよう!都教委包囲・首都圏ネット)が開かれた。
 はじめに伏見忠さんが、「今日の情勢と私たちの闘い」と題して基調提起。
 現在の情勢を全国の仲間と共に確認して、連帯を強め反撃を開始するために今回の集会を設定した。一つは改悪教育基本法の実働化を許さない闘いだ。今日の集会で、東京における新たな「主任教諭制度」の攻撃や橋下大阪府知事の首切り雇い止め・賃下げ攻撃や全国で行われている教員評価制度といかに闘うか、などの報告発言から、教育労働者の団結を破壊するために、どんな攻撃をかけ反撃しているかを具体的に学ぶことである。二つ目は言うまでもなく、東京における「10・23通達」の撤回と、卒業式・入学式における「日の丸・君が代」の強制に反対し、不当な職務命令を拒否して闘う教育労働者の支援と、処分の撤回に向けた闘いを支援し生徒・教育の自由を守る闘いだ。三つめは「7・15分限指針」撤回に向けた闘いで、分限指針に関する攻撃は、公務員バッシングに端を発してかけられた攻撃だが、都教委による分限指針は、教育労働者支配の道具として機能する。すべての彼処分者を分限処分の攻撃から守り、とりわけ不起立・不服従を貫いて、不当な職務命令を拒否して闘い続けている根津さん・河原井さんを絶対に分限解雇にさせてはならない。共に闘うことで、支配者の意志をうち砕いていくそういう連帯を作り上げていこう。
 直塚文雄さんは、都立高校における主任教諭導入問題について報告。これは、給与に大きな差別を持ち込むもので教員間に分断を持ち込むものであり、同時に校長―副校長―主幹―主任という管理の体制をつくり、学校からモノを言う教職員を排除しようとするものだ。  
 町田教組の菊岡伸一さんは、都教委「分限処分」指針の問題点と今後の闘いについて報告。
 昨年七月一五日、都教委は二一項目からなる「分限事由に該当する可能性がある教職員に対する対応指針」を発表したが、都教委は人事院のものに三項目を加えている。
 分限免職指針は、@病体、産休、育休、介護を抱えている教職員に対して、休暇取得の方法までとりあげた配慮を欠いた内容であることA主任制度の導入、教員免許更新制度と連動することによって、恣意的に処分を出して教職員の使い捨て、低賃金労働化の拍車をかけるおそれがあることB「君が代」不起立による処分者に適用されかねないこと、である。この三月、都教委の「分限処分」攻撃を、根津さん分限解雇阻止の実現から切り開いていこう。
 大阪教育合同労組の武井博道さんは、橋下府政下での非正規職員の雇い止め攻撃について報告。
 非正規労働者との連携を強めていること、橋下府政の大リストラ攻撃に昨年ストライキで闘ったこと、給与削減攻撃には管理職手当ての廃止などをかかげて闘っているなどと発言した。
 「君が代」不起立の闘いへの決意表明では、はじめに根津公子さんが発言。
 分限免職処分の可能性は高いが、起立するわけには行かない。それは教員としての責務であり、子どもたちにウソをついてはいけないからだ。昨年、解雇にできなかったのは多くの人が都教委に対して声を上げたからだ。みんなで立ち上がろう。
 河原井純子さん
 これまでどこまでいっても横並びの職場を目指してきた。命令強制に反対して反権力、反差別の立場を貫かなければならない。大事なのは決して諦めないことだ。
 渡辺厚子さん
 式では起立しないが、処分は必至だろう。支援の輪をひろげて闘って生きたい。
 近藤順一さん
 憲法九九条は、公務員は率先して憲法を守れとしている。不起立を貫くことは、憲法を遵守することだ。
 
 つづいて、東京の被処分者たちの闘いの報告、全国からの報告があり、行動提起では、地域の学校長に「職務命令を出すな」などの申し入れ、卒・入学式でのビラまき、裁判闘争支援、そして根津さんの解雇阻止などが呼びかけられた。


09けんり春闘全国委が発足

   
 非正規・正規は団結して資本攻勢と対決しよう

 二月五日、けんり春闘全国実行委員会の発足総会が開かれた。

 実行委員会準備会を代表して、藤崎良三さん(全労協議長)があいさつした。
 09春闘は、これまでにない厳しい状況で闘われる。アメリカ発の金融恐慌・同時不況は、日本でも経済情勢を深刻化させる中で、派遣労働者切り、外国人労働者切りが強行されている。年度末までに職を失うのは、政府の発表でも一二万人、民間調査では四〇万人となっているが、実際にはもっと多くなるだろう。そして正社員切りまでもおこなわれるようになってきた。失業者は一〇〇万人を超えることは間違いないだろう。しかしこの春闘は労働者にとってかつてない素晴らしい情勢の中での闘いでもある。二〇〇九年は年越し派遣村で明けた。五〇〇人の村民に一七〇〇人を超えるボランティアがあつまった。そして、政治を動かした。テレビ・マスコミは連日、これを報道し、ほとんどすべての労働者、国民が、自分の利益ためには労働者に一切の犠牲をおしつけて首を切る企業の非道さを感じた。こういう酷いことをする企業・政府は労働者・国民から見捨てられるということだ。このような有利な局面を生かして春闘を闘い抜かなければならない。
 しかし、向こう側は反撃に移ってきている。労働者派遣法改正問題では、製造業派遣は全面的な禁止はできないとなってきており、またワークシェアリング問題でも正規労働者の賃金・労働条件を非正規に近づけるように狙っている。京品ホテルの強制執行は、派遣村に続いてこの闘いが各地に波及し拡大するのを恐れたためである。
 けんり春闘は、派遣労働者、女性労働者との連帯をはじめ、お互いが助け合い、労働者の生活、健康、権利の守るために闘いぬかなければならない。

 つづいて、中岡基明さん(全労協事務局長)が春闘方針案を提起した。
 09春闘では、メインスローガンを、「@不況を理由とした派遣・非正規労働者の首切り、リストラに反対し、今こそ均等待遇の実現、労働者保護政策への転換を、Aすべての労働者の連帯・ストライキ闘争で、09春闘勝利に勝利しよう 生活できる賃上げと健康で文化的な生活を勝ち取ろう、B麻生内閣打倒 国会を解散し、総選挙で民意を問え、C民営化・規制緩和路線反対 公務公共サービス労働の拡充を」とし、以下を当面の行動として展開していく。まず、二月一六日を東京総行動の日として、朝から日本経団連要請・抗議行動、トヨタ本社行動などをはじめ各争議の支援行動を行い、午後六時半から「国鉄闘争勝利!決起集会」(星陵会館)を開催する。三月中旬までに、「オバマのアメリカ、総選挙後の日本」をテーマとした春闘学習集会をひらく。三月八日には、渋谷・宮下公園で外国人労働者総行動・大行進(マーチ・イン・マーチ)を、翌九日には外国人労働者の生活と権利のための春の総行動・省庁交渉をおこなう。同時に全国で、外国人労働者の権利獲得のキャンペーンを展開する。三月中旬には東京をはじめとして各地で「春闘勝利! 国鉄闘争勝利!」の統一街頭宣伝をおこなう。四月八日には、「09春闘勝利!中央総決起集会」をおこなう。

 代表幹事に、二瓶久勝さん(金属機器労組協議会)と藤崎良三さん(全労協)が選出され、団結ガンバロウで、けんり春闘は本格的にスタートした。


48000を超えた「沖縄県議会決議尊重・国会請願署名」

                  
請願署名提出院内集会

 沖縄県議会は昨年七月一八日、「名護市辺野古沿岸域への新基地建設に反対する意見書・決議」を採択した。これは「辺野古に基地はいらない」「つくらせない」という県民の声のあらわれであった。
 「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」は、国にたいして辺野古に基地をつくらせないことを求めて、国会請願署名(「7・18沖縄県議会決議を尊重し、辺野古新基地建設の断念を求める請願署名」)に取り組んできた。

 二月三日には、参院議員会館で請願署名提出院内集会が開かれた。
 はじめに実行委員会の木村雅夫さんが経過を報告。実行委員会は、沖縄の闘いに呼応しての取り組みは何かと相談して、新基地建設を拒否した県議会の決議を尊重して、国会に基地を作らせないということを反映させるために署名活動をおこなうことにした。そして三万の目標をはるかに超える四八、三一六筆(個人)、団体署名も四六二という多くの賛同を得た。
 集会には、民主党、共産党、社民党、無所属など多くの議員が参加し発言した。
 呼びかけ人の山内徳信参議院議員(社民党)が、沖縄―岩国―横須賀―座間を軸に日米軍事協力が強化されようとし、麻生内閣はすべてに日米協定を優先させる政策を強行しているが、全国的に反基地の闘いが起こり、連携を強めている、この署名の成功もそのひとつである、政府は米軍再編の予算をだせるように狙っているが民衆が立ち上がることでそれをとどめていかなければならない、と述べた。
 渡嘉敷喜代子県議(米軍基地関係特別委員長)が県議会決議案採択とその後の状況について報告。
 昨年七月の県議会決議は、県議会選挙での与野党逆転からはじまり野党五会派の結束で採択することができた。いろいろな意見の違いを乗り越えての決議には歴史的な意味がある。沖縄では、いまも基地がらみのさまざまな事件が起こっているが、基地をなくすために全国の人とともに運動を強めていきたい。
 ヘリ基地反対協議会の安次富浩代表委員は、辺野古新基地建設や高江のヘリ基地建設をはじめ沖縄の反基地・平和の運動について報告した。


強制執行を糾弾し、支援の輪を広げ、京品ホテル労組の闘いの勝利を

 一月二五日、廃業と解雇攻撃に負けず、労働組合(東京ユニオン)を結成し、昨年一〇月から労働者の生存権をかけて自主営業で闘い続けてきた京品ホテルの労働者に対して、ホテルから立ち退かせる強制執行が行われた。
 前日二四日の夜、京品ホテルには組合からの呼びかけに応えて、続々と支援の労働者が駆けつけた。徹夜の泊り込み部隊は総勢二五〇名で、二組、一時間交代で警戒にあたった。
 二五日の早朝からは部隊をピケ隊とプラカード隊の二手に分け、ホテル正面で執行を阻止する体制を取った。早朝からも支援の労働者が増え、その数は約四〇〇名にも達した。社民党党首の福島瑞穂さんも徹夜の支援に駆けつけ、組合員と労働者を激励した。日本労働弁護団も行動支援と監視の目を光らせた。マスコミも物凄い数だ。
 午前七時前から高輪警察が動き出し、七時ちょうどに裁判所の執行官が警察と警備会社の社員に守られてホテル前に到着した。中に入ろうとするがピケ隊がスクラムでこれを阻止した。執行官は一旦、引き下がり、双方、代表者による話し合いが行われた。その最中も労働者部隊は「警察帰れ」「強制執行反対」「生活権を守るぞ」とシュプレヒコールを何度も何度も繰り返した。八時に連合の街宣車が到着し、ホテル周辺の宣伝行動を展開し始めた。連合の街宣車には連合以外の全労協等の組合員も乗ったが、「年越し派遣村」と同様に団体の枠を越えた行動が取り組まれたことが印象的だった。その間に話し合いが終了し、双方がそれぞれこの後の対応について協議することになり、組合側は「安易な妥協はしない」ことが支援の部隊に報告された。
 九時ちょうど、全ての支援がプラカードを置いて全員ピケ隊に入り、四〇〇名のスクラムで阻止体制を取った。正面と横から警察と警備会社の社員が近づき、一気に緊張感が高まった。すぐにホテル正面の入口を突破しようとする警察との押し合いが始まった。最初の一五分間ぐらいは一進一退の攻防が続いた。密集の中で圧迫感を感じ、息苦しくなることを度々あった。必死の肉弾戦が続く中、警察のごぼう抜きが始まり、メガネを壊される、引きずり出される、後ろに倒される、こんな光景が繰り広げられた。ついにけが人が出て、救急車で搬送された。約三〇分を過ぎ、残念ながら阻止線は破られ、執行官がホテル内に入っていった。
 一〇時からホテル横で集会が行われた。東京ユニオンの渡辺委員長があいさつし、そして京品ホテルの組合員が涙ながらに「絶対に戻ってくる」と力強い決意を語った。
 ホテルを経営する京品実業はリーマンショックで六〇億円の負債を抱えて「倒産」した。ホテル自体は黒字にもかかわらず、経営の失敗を一方的に何の責任もない労働者に押し付けてきたのが今回の事の発端である。まさに「派遣切り」と同じ理屈である。
 しかし、労働者の闘いによって資本家・経営の横暴さと無責任さが満天下に暴露された。また不屈の闘いが全国に知れ渡った。他人の痛みを分かち合い、支援・連帯の闘いはまさに「年越し派遣村」で示された意義そのものである。 (東京・N)

 一月二十八日の夜には、総評会館で「闘争一〇〇日突破!京品ホテル闘争勝利!連帯集会」が開かれ、東京ユニオン京品ホテル支部を中心に現地闘争本部を設置するなどいっそう強固な闘争体制をつくり、さらに大きく支援の輪をひろげ、闘いを継続し、あらゆる創意と工夫を駆使して勝利することを確認した。


派遣村の成果を拡大し、派遣法抜本改正を勝ち取ろう

 日比谷「年越し派遣村」の成果を受けて一月一五日、日本教育会館で「やっぱり必要!派遣法抜本改正集会―派遣村からの大逆襲―」(主催・「派遣法の抜本改正をめざす共同行動『派遣村』実行委員会」)が開かれた。
はじめに主催者を代表して鴨桃代さん(全国ユニオン)があいさつ。
 今回のことで全国に派遣村を作っていく必要をつくづく感じた。派遣労働者が雇用の調整弁のような状況をきちっと改善させていかなければならない。
 各政党からは、菅直人民主党代表代行、志位和夫共産党委員長、福島みずほ社民党党首、鈴木宗男新党大地代表が、挨拶の言葉を述べ、国民新党、公明党からはメッセージが寄せられた。
 連合の団野久茂副事務局長は、連合は日本経団連と「雇用安定・創出に向けた労使共同宣言」を結んだが、その具体的テーマについてこれから掘り下げていきたい、また連合としては、雇用の基本は期間の定めのない直接ものであると考えており、派遣法の見直しでは登録型の禁止を求めていきたいと述べた。
 日本弁護士連合会の中村和雄弁護士は、日弁連は派遣法について抜本改正を求めるとして次の八点を挙げた。@派遣対象業種は専門的なものに限定すべきであるA登録型派遣は禁止すべきであるB常用型派遣においても事実上日雇い派遣を防止するため、日雇い派遣は派遣元と派遣先の間で全面禁止すべきであるC直接雇用のみなし規定が必要であるD派遣労働者に派遣先労働者との均等待遇をなすべき義務規定が必要であるEマージン率の上限規制をすべきであるFグループ内派遣は原則として禁止すべきであるG派遣先の特定行為は禁止すべきである。
 日本労働弁護団の小島周一幹事長は、日雇い派遣の問題についての韓国での調査について、韓国ではポジティブリストが維持されているため、差別は禁止され、派遣期間も決まっていて日本の日雇い派遣のような細切れ雇用の問題は出てこなかったと報告した。
 ホームレス法的支援者交流会の後閑一博代表は、派遣切りされた人ともにホームレスの人たちにも支援が必要だと訴えた。
 派遣法抜本改正をめざす共同行動の安部誠さんが派遣村開村の経緯について報告。この間、日雇い派遣やワーキングプアが問題となっているが、その元凶は、九九年の派遣法の改正だ。いま抜本的改正の必要性がある。とくに昨年暮れにはサブプライムローンやリーマン破綻で、派遣切りが激しくなった。一二月四日の日比谷での「労働者派遣法改正を求める集会」のあと、年を越せない人が多く出てくる可能性があり、年末はなんとかしなければならないと思って派遣村が始まった。派遣村の目的は、雇用がなくなるとアパートを追い出される派遣切りにあった労働者をなんとかサポートをしなければならないということとこのことを社会に可視化することだった。
 つづいて派遣村の村民(元ゼネコン社員の男性)の話
 私は会社内の派閥問題で会社を辞め、家庭でもうまくいかなくなり、一二月三一日、死を決意して富士の方に行きました。ある駅のテレビで派遣村のことが映っているのを見て、足がとまり、我に返って派遣村に来ました。派遣村に着いたとき、生きる気持ちや前向きに生きる言葉をいただき、少し頑張ってみようかという気になり入村しました。その後、生活保護も得て、アパートも決まりました。これで派遣村から抜けますけれど、いつかこういう派遣村をやることがあれば、今度は私が声かけるようになり、いまの自分のように話せる人間をつくっていきたいと思っています。
 この話に会場から大きな拍手がわき起った。
 派遣村名誉村長の宇都宮健児弁護士は、名誉村長となったことに誇りに思うともにこの活動を通じて勇気をもらった、最後の一人が自立するまで見守っていきたいと述べた。
 東海生活保護利用支援ネットワーク副代表で司法書士の水谷英二さんは、大量の派遣切りがおこなわれている名古屋にも派遣村をつくりたい、と協力を要請した。
 シンポジウムでは、日本労働弁護団の棗一郎弁護士のコーディネートで、湯浅誠さん(NPO法人「もやい」事務局長、派遣村村長)、三木陵一さん(JMIU書記長)、小谷野毅さん(全日本建設運輸連帯労組書記長)が発言した。
 最後に、派遣労働ネットワーク代表の中野麻美弁護士が、労働者派遣事業の破たんを論証し、労働者派遣法の抜本改正にむけて運動を強めようと述べた。
 閉会のあいさつで全労協全国一般書記長の遠藤一郎さんが、派遣の大逆襲がはじまった、闘いはこれからが本番と述べた。


イスラエルの侵略に抗議し、1500人がパレード
 
一月一〇日、東京で「ガザに光を! 即時停戦を求めるピースパレード&シンポジウム」が展開された。 
 イスラエル軍によるガザ地区への大規模な攻撃が激化し、白リン弾、クラスター爆弾など非人道的な兵器の使用によって、犠牲者は多数の子どもを含んで増え続け、イスラエルの蛮行はとどまるところを知らない。こうした状況に、NGOが共同で、即時停戦を求める行動を起こした。
 芝公園からのピースパレードには、一五〇〇人もの人が参加し、「イスラエルは侵略と占領をやめろ」のシュプレヒコールをあげた。
 その後、聖アンデレ教会でのシンポジウムにも多くの人が参加した。
 電話録音での「現地ガザからの声」では、イスラエルの攻撃の中で多くの死傷者が出て、人々の生活がまったく破壊されている状況がなまなましく伝えられた。


ロマン主義による「歴史の全的正当化」

      
 筒井清忠(著)『西條八十』 (中公文庫)を読んで

 この本を読んで、西條八十の詩(歌詞)をそれと知らない間にいくつも覚えていたこと、そしてなによりびっくりしたのは、明治―大正―昭和と時代は変わり、戦時、戦後と激動の波にもかかわらず常に詩作がつづけられ、それぞれがヒットしたことだ。
 映画「人間の証明」では、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。…」が有名になった。
 また童謡では「かなりあ」「肩たたき」「鞠と殿様」など、歌謡曲では、「東京行進曲」「銀座の柳」「東京音頭」「青い山脈」「旅の夜風」「王将」などを作詞している。
 著者の筒井清忠は、「日本の広汎な大衆のロマンの欲求に応えたのは、大衆の口ずさむ歌の作詞者たちであり、その第一人者として西條八十の存在があったのである」としている。そしてロマン主義についてある哲学者の言葉を引いている。「ロマン主義の結果は、…自由主義、寛容、品位であり、生の不完全さの評価である」「芸術家も人間一般も、…あまりに合理的な、あまりに科学的な分析家が人間や集団について表明しているような単純化されすぎた見解によっては説明しえないという事実」「人間にかかわる事象についての統一的な解答は破滅に通ずるであろうという考え方」「完全で真なりと主張するどんな単一の解答も原理的に完全でも真でもありえないという考え方」「こうしたことすべてを、われわれはロマン主義に負っているのである」。
 ここから筒井の結論は、「八十を追ってきた私がたえず感じていたのもこうした、自由への感覚、生の不完全さの認識であった。それは二〇世紀の全体主義の対極に立つ思想である。人間の抒惰性はそうした感覚や認識の場において初めて十分に開花するのだともいえよう。そして、それは二〇世紀に登場した大衆の感性の最も良質の部分といえるのではないだろうか。そうした意味において、『大衆化したロマン主義』の代表者西條八十はいまあらためて評価されるべきだと私は考えるのである。」となるのだが、この結論はいただけない。
 問題にしなければならないのは、多くの軍歌の作詞にかかわるものだ。
 軍歌では「若鷲の歌」「同期の桜」「さくら進軍」「比島決戦の歌」「そうだその意気」「空の神兵」などが有名だ。とくに作詞・西条八十、作曲・古関裕而の「若鷲の歌」―一九四三(昭和一八)年―は「八十の軍歌の最大のヒット曲」となった。
 だが、こうしたものに筒井のいうような「自由への感覚、生の不完全さの認識。二〇世紀の全体主義の対極に立つ思想」があるのだろうか。
 一、若い血潮の予科練の 七つ釦(ぼたん)は桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く
 二、燃える元気な予科練の 腕は鉄(くろがね)心は火玉 さっと巣立てば荒海越えて 行くぞ敵陣殴り込み
 三、仰ぐ先輩予科練の 手柄聞くたび血潮が疼く ぐんと練れ練れ攻撃精神 大和魂にゃ敵はない
 四、命惜しまぬ予科練の 意気の翼は勝利の翼 見事轟沈した敵艦を 母へ写真で送りたい
 
 これは、海軍省推薦の東宝映画「決戦の大空へ」(四三年九月)の主題歌で、映画は茨城県土浦の海軍航空隊の予科練習生の生活を描いたもので、この歌は、練習生の作詞を慰問袋に入れたところ、曲を外地の先輩がつけたということになっている。予科練がまるで体育会合宿のように描かれ、和気藹々、軍隊は家族という描かれかただ。予科練習生の基地外の休息所のようなところの娘役を原節子が演じていた。その弟は、虚弱体質であったが発奮して予科練習生徒となり、みんなが喜ぶという筋書きだ。この映画を見て、多くの青少年が予科練を志願して、特攻隊となって死んでいった。まさに海軍の特攻要員リクルートの宣伝映画そのものである。
 
 戦争も末期になると、軍歌もますます荒れたものになってきて敗戦の年にはこれも八十と古関裕而コンビの「比島決戦の歌」が出る。これがまたすごい。
 一、決戦かがやく 亜細亜の曙 命惜しまぬ 若櫻 いま咲き競う フィリッピン いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし
 二、陸には猛虎の 山下将軍 海に鉄血 大川内 みよ頼もしの 必殺陣 いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし
 三、正義の雷 世界を撼わせ 特攻隊の 往くところ われら一億 共に往く いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし
 四、御陵威に栄ゆる はらから十億 興亡わかつ この一戦 ああ血煙の フィリッピン いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツと南西太平洋方面の連合国軍総司令官マッカーサーの名を入れてのこの歌は、まさに敗戦間近い大日本帝国の断末魔の叫びのようだ。

 こうしたものを見た上で、筒井は、「八十の戦争に対する態度は、一般の庶民のそれに対するのと同じであった。戦争の目的や大義などということよりも、現に周囲の人々が次々に戦場に出て行き、死を迎えるという状況の中でどうすべきなのか。湧いてくるのは、彼らに『済まない』という感情ばかりなのである。右の経緯から見られるように、軍歌は一種の贖罪感の気持ちから書かれている」。
 しかしどう見ても「贖罪感の気持ちから書かれている」とは私には思えない。
 その上で筒井は、「これを知識人であるにもかかわらず侵略戦争の本質を理解していない、という風に今日の時点から批判することは易しいが、問題をそのように立てた瞬間に、当時の一人一人の日本人が立たされていた問題状況が消失してしまうように筆者には思われるのである。日本社会では、こうした問題は、犠牲の平等性を一人だけ回避するのか、という形で個人につきつけられてくるからである。死者・犠牲者・被害者を前にして、あなたはなお個人・仏性を主張するのかという形で共同体が追ってくるからである。しかも、それらは人生の成長期の早い段階で内面化されているので、他者からの強制というのではない形で個人を規制してくるのである」と続ける。しかし、これこそ最悪の全体主義=天皇制の機能に他ならないのであり、筒井のように考えるなら反戦の立場などは決して出てこない。ロマン主義と一種の諦念をもって総力戦を戦い抜くしか人の生き方が出てこないのではないだろう。

 本書には面白いエピソードが引かれている。一九二九(昭和四)年に西條八十作詞・中山晋平作曲で「東京行進曲」が出た。
「昔恋しい 銀座の柳 仇な年増を 誰が知ろ」からはじまる歌詞の四番は元々は「長い髪してマルクス・ボーイ 今日も抱える『赤い恋』 プロの新宿あの武蔵野の 月もシネマの屋根に出る」だった(「赤い恋」は女性革命家アレクサンドラ・コロンタイの著書)。
 これにはレコード会社(ビクターの岡文芸部長)から「官憲がうるさそうだから、ここは何とか書き換えてくれ」との注文が出た。そのときの八十の対応である。「この場に居合わせた佐々木紅華は、『西條先生は岡さんに頼まれると、長椅子に腰を下ろし、しばらく四番の歌詩を眺めておいでになったのですが、やがて洋服の内ポケットから万年筆を取り出すなり、スラスラスラッと新しい歌詩を書き『それじゃこれで如何ですか?』と岡さんに渡されました。それが『いっそ小田急でにげましょか』というあの有名な四番でした。岡さんから頼まれてから書き上げられるまでに五分はかかりませんでしたね。あれには驚きました』と後年語り遺している。才気煥発な八十らしいエピソードである」。
 なんでも注文に応じるまさに「職人」ではある。この場合、八十には左翼に対するシンパシーはないわけだからより簡単に変更できたのであろうが、この対応の姿勢は冒頭にも上げた戦前―戦中―戦後のその時々の変貌と同じではないだろうか。
 
 また、この本には出てこないが、「愛馬花嫁」という曲がある。はるか昔、近所の蓄音機で聞いて、総力戦への動員はこうしたもののほうが有効なのかなどと感じてすごい歌だと思ったことがあったが、最近「YOU TUBE」にアップロードされているのに気づいて久しぶりに聴いた。松竹映画「征戦愛馬譜 暁に祈る」の挿入歌(一九四〇年六月新譜)とかで、これも西条八十の作詞だった(作曲は万城目正)。これこそ八十の戦時歌謡・思想動員のなかでも傑作だといえると思う。
 一、主(ぬし)は召めされて 皇国(みくに)の勇士 わたしゃ銃後の 花嫁御寮 主の形見の かわいい黒馬(あお)に まぐさ刈かりましょ かいばも煮ましょ
 二、 忘わすれられよか 去年の春を 黒馬に揺ゆられて 初里帰 主に手綱を とられて越こえた 峠三里は ただ夢の中
 三、 雨の露営へ 弾薬積つんで 朱に染まって 来た馬見たら みんな泣いたと 戦地の便たより 黒馬も早よなれ 名誉の馬に
 四、 お姑さまさえ 元気でござる なんで辛かろ 銃後の嫁は 黒馬を大事だいじに きりりと襷(たすき) 主の手柄てがらを ただ待つばかり

 一、二、三、四と起承転結で、軍国の体制確立が歌い上げられていくのである。とくに「かわいい』馬に「早く国のために死ねと言い、夫には銃後は大丈夫だからと早く手柄をあげろとのメッセージである。歌わされた国民とは違って、こうした形象を与える文化人の役割に対して筒井はあまりにも軽視している。「比島決戦の歌」には軍部の注文がはいり、グロテスクなものになっているが、この歌のような詩の職人の「大衆化したロマン主義」の作品が流した害毒は予想以上におおきい。善も悪もまるごと肯定し、一丸となって流されていくロマン主義の肯定ではなく、理性的な切開こそが必要なのだ。 (MD)


複眼単眼

   
 ソマリアの海賊ってなんだ?

 自衛隊のソマリア沖派兵が緊急の問題になっている。当初は海自だけの派兵の動きだったが、三軍統合運用となり、数百人規模の部隊の派兵の動きになった。とりあえず隊法八二条の海上警備行動の拡大解釈、脱法解釈で国会の論議もなしに政府の権限での派兵になった。後追いで海賊対策新法を作って、憲法を乗り越えた派兵の正当化を図るという。この問題はどうしても許せない。
 ところで、このコラムに適した話題でいうと「海賊ってなんだ?」という話である。「山賊」「海賊」などという話で、時代が「中世」にさかのぼったような話である。政府は「海賊の取り締りは当然だ」と啖呵をきる。この「二一世紀の現代になぜ海賊がいるのか」が一つの問題なのだ。
 元来、ソマリアの海は豊かな海であった。歴史的にソマリアは列強の覇権主義の下で、部族間、宗教間の対立が煽られ、一九九一年に中央政府が崩壊し、無政府状態になった。ここに欧米や日本などの漁業船団が侵入し、魚の略奪とゴミの放棄など海洋環境破壊をしつくした。環境団体のグリ−ンピースによれば、「夜、ソマリアの海は沢山の漁船団の灯火でマンハッタンの夜景のように見える」状況で、この魚の略奪と環境破壊は「海賊行為だ」と指摘していた。これがソマリア海賊問題の原点だ。海賊の先輩は日本や欧米の漁業船団だったのだ。
 〇八年一一月一五日の朝日新聞で、ソマリア海賊の「広報担当者」がこういった。
 「(我々は)みんな漁師だった。政府が機能しなくなり、外国漁船が魚を取り尽くした。ゴミも捨てる。われわれも仕事を失ったので、昨年から海軍の代わりを始めた。海賊ではない。アフリカ一豊かなソマリアの海を守り、問題のある船を逮捕して罰金をとっている。ソマリア有志海兵隊(SVM)という名前もある。……カネ(身代金)は武器購入、仲間の給料に使っている。国を守って給料がもらえるこの仕事に誇りを持っている」と。
 ソマリアを担当している日本の駒野エチオピア大使は一月二三日の朝日新聞にこう語った。
 「海賊の多くは沿岸を拠点とする元漁民で、無政府状態になった九一年以降、当初は漁場を荒らす外国の漁船を追い払う目的で武装。その後、私兵集団と結びついて人質の身代金ねらいの海賊行為に手を染めるようになった」と。「海賊のリーダーは現地ではもっとも女性にもてる存在」ともいう。
 一二月二六日の日テレで、AP通信が配信したインタビューがあった。自称海賊の男は「ヨーロッパやアジアからの密漁船に漁場を荒らされているから、武装して防ぐのだ」と語った。
 これが現代の「海賊」の正体である。この海域を知り尽くしたプロだ。自衛艦といえども容易にとらえることはできないだろうといわれている。
 隣国イエメンの沿岸警備隊長は一一月の前出の朝日新聞で「(海自派遣は)高い効果は期待できず、必要ない。むしろ我々の警備活動強化に支援をしてほしい。……日本から自衛艦を派遣すれば費用がかかるはず。現場をよく知る我々が高性能の警備艇で取り締まったほうが効果が上がる」と財政援助を求めている。
 肝心なことはソマリア派兵をやめさせることだ。 (T)