人民新報 ・ 第1255号<統合348号(2009年7月15日)
  
                  目次

● 麻生内閣を追いつめ打倒して、自民党政治を終わらせよう

● 北朝鮮貨物検査(臨検)特措法案阻止

● JRは安全と法令遵守を徹底せよ   国鉄一〇四七闘争勝利へ

● オキナワピースサイクル20周年成功裡に

● 保守オピニオン誌『諸君!』が休刊   右派論壇の混迷

● 映 評  /  「ハゲタカ」

● KODAMA
          はじめて沖縄ピースサイクルに参加して

          映画『鶴彬〜心の軌跡』(監督・神山征二郎)

● 複眼単眼  /  内田弁護士の『いつつぼし』3部作完成

● 夏季カンパの訴え  /  労働者社会主義同盟中央委員会




麻生内閣を追いつめ打倒して、自民党政治を終わらせよう

窮地に立つ麻生内閣

 麻生内閣は、満身創痍の状態にある。解散・総選挙に打って出ることもかなわず、ラクイラ・サミットでも各国首脳から相手にされず何の得点も挙げられなかった麻生は、各種地方選挙でも敗北をつづけながら支持率を低下させている。
 最近の読売新聞の世論調査(七月七〜九日の実施)によると、自民党が選挙に「麻生首相で臨む方がよい」と思う人は三九%で「別の人に代わる方がよい」は四四%、投票先は小選挙区で民主四一%なのに自民は二三%でしかなく、比例も民主四一%が自民二四%となった。また、首相にふさわしいのは、鳩山四六%に麻生はわずかに二一%で、内閣支持率は二〇・二%、不支持率は六九・三%という結果だった。
 福田に代わって「総選挙の顔」として登場したはずの麻生は、支持率の急激な下落の中で、首相の大権である解散権も行使できずに、ただただ自分が短命内閣となる記録者となるという汚名を避けるために最後の悪あがきをしてきた。
 安倍、福田についで国民の審判を受けていない政権なのだから早期に総選挙をやるべきだという声には「政局よりも政策」だと言い、国際的な通貨・金融危機への対処を大義名分としながら、実際にはなんら有効な政策を打ち出せているわけではない。麻生は「政策よりも政権(維持)」なのであり、それはすでに大衆的に見破られている。

自民党政治の結果

 この状況は、戦後の長きに渡る自民党政治、とりわけ小泉のブッシュに追随しての新自由主義的規制緩和政策の強行での日本社会破壊の結果としてある。
 すでに以前から自民党支配の終わりは始まっていたのだが、それをしばし逆転させたように見えたのは小泉の目くらましパフォーマンス政治・選挙であった。それに長期低落傾向にあった自民党政治を支えたのは、政権に加わることによって利権にありつき、かつ池田大作・創価学会を防衛するという公明党の与党化だったが、自民党の基盤崩壊は同時に公明党にも存亡の危機をせまるものとなった。

二大政党制に反対

 自公政権打倒の時が、いままさに到来しようとしている。
 だが、いかなるかたちで自公政権打倒・与野党逆転が実現されるのかが、今後のわれわれの運動にとってきわめて重要なことである。
 総選挙で、民主党が衆院で単独過半数を占めるようになった場合、民主党は他の野党の意見を尊重せず、実質上、自民党政治の延命に手を貸すことになるだろう。
 しかし現在の参議院は、与野党逆転状況ではあるが、民主党単独過半数ではない。
 その結果、民主党は共産党、社民党、国民新党、無所属などの主張も取り入れた議会運営、法案提出という行動をとらざるを得ない。
 この状況を衆院でも実現することが、これからの政治にとって重要な意味を持つのであり、与野党逆転はぜひともこうした形で勝ち取らなければならない。
 来るべき総選挙では、麻生内閣を打倒し、与野党逆転をかならず実現しなければならず、同時に自民・民主の「二大政党制」に反対する。民主党以外に改憲と生活破壊にはっきりと反対する野党の存在が不可欠であることを宣伝し、社民党・共産党とりわけ社民党への支援に積極的に取り組まなければならない。また民主党の中にいる少なくない「護憲派」への支援も重要である。

新時代を切り開こう

 ブッシュによって強行開始された対テロ戦争は破綻的な状況に陥っている。そして昨年後半には世界資本主義の危機がついに爆発した。
 こうして世界的な規模での情勢の激変は、歴史的な意義を持つ重大な転換の始まりとなった。
 世界的な大激動・大再編の時代、資本主義の危機の時代は到来している。
 われわれは、情勢の特徴をしっかりとつかんで、この好機を最大限に生かし、いっそう大きく団結して、新しい時代を切り開いていこう。 
 
 麻生内閣打倒!

 自民党政治を終わらせよう!

 労働運動をはじめ民衆の運動の高揚を実現しよう!


北朝鮮貨物検査(臨検)特措法案阻止

 七月一〇日、衆院テロ防止特別委員会で、北朝鮮関係船舶の貨物検査を可能にする特別措置法案(臨検特措法)が実質審議入りした。中曽根弘文外相は「北朝鮮による弾道ミサイル発射や核実験は、わが国の安全に対する重大な脅威であり、国際社会の平和と安全を著しく害する。断じて容認できない」と強調した。これまで麻生内閣は、核実験を行った北朝鮮に対して、「制裁」の一段の強化を叫び、国連においても「制裁決議」採択のために積極的に動いた。同時に独自の追加制裁として北朝鮮向け輸出の全面禁止を決定した。
 政府は、今回の法案の口実に国際連合安全保障理事会決議一八七四(二〇〇九年六月一二日に国連安全保障理事会で採択)を使っている。二〇〇九年五月の朝鮮の核実験に対するこの決議は、「核実験を最も強い表現で非難する」としているが、「北朝鮮に出入りするすべての貨物について、その貨物が…供給、売却、移転、輸出が禁じられている品目を含んでいると信じるに足る合理的な理由を提供する情報を得た場合、上記条項の厳格な履行を確かなものとするため、自国の権限と法律に従い、また国際法に従い、港と空港を含む自国の領内で検査することを求める」(公海上でも)としながら「船籍国の同意を得て船舶検査をするよう求める」としている。
 ところが麻生内閣の特措法は、そうした国連決議の枠を乗り越えるきわめて攻撃的なものとなっている。疑わしい北朝鮮船に臨検・貨物検査をおこなうというが、どのようにして北朝鮮関係船舶に対して「検査の同意を要請する」のだろうか。
 かねてより北朝鮮は日本が敵視政策をとっている判断しており、また臨検は宣戦布告と理解すると明言しているのである。
 まずは海上保安庁の責任でとしながら、後ろに自衛隊が控えている構図の中での日本の臨検・貨物検査は、まさに戦闘行為開始の可能性は高いのである。麻生内閣は、総選挙での大敗北から逃れようとまたも「北朝鮮カード」を使おうとしているが、それはきわめて危険な策動である。
 国連決議だといって、憲法九条をもつ日本が実行できないことがあるのは当たり前のことだ。そうした日本であればこそ冷静に対処すべきであり、選挙キャンペーンの一環のようにして、こちらの側からの戦争瀬戸際政策を採るべきではない。だが与党は、七月二十四日までの今国会会期中に衆院三分の二のあるうちになんとか法案を成立させようとしている。
 民主党の一部にもまた早期解散を交換条件にして法案の早期成立に加担する動きもあり、阻止の闘いを一段と強めていかなければならないのである。

 七月九日には十二時半から、衆議院第二議員会館前で、5・3憲法集会実行委員会の主催による「北朝鮮貨物検査(臨検)特措法案反対、7・9国会前緊急行動」が展開され、国会議員や参加者から特措法成立阻止の闘うアピールがつづいた。


JRは安全と法令遵守を徹底せよ

         
国鉄一〇四七闘争勝利へ

 七月九日、東京しごとセンター地下講堂で、「JRの安全とコンプライアンスを問う集会」(主催、国鉄闘争共闘会議・原告団中央協議会 協賛・後援、週刊金曜日・JRウォッチ・ノーモア尼崎事故キャンペーン)が開かれた。

第一部 「裁判報告」

 はじめに主催者を代表して、国鉄闘争共闘会議の二瓶久勝議長があいさつ。
 国鉄闘争は二三年目となり重要な局面を向かえている。この間、二月一六日の集会には、全野党とともに与党の一部である公明党も参加した。高裁判決前にも政治解決を実現しようと努力してきたが出来なかった。だが、三月二五日の高裁判決では一審よりも明確に不当労働行為を認定する判決がでた。その後、自民党にも窓口が出来た。こうしたことは地道な大衆運動の積み重ねの成果があってこそ勝ち取られたことである。われわれは、人道問題であり、政局に関係なく解決に向かうという立場で運動を進めていく。

 つづいて、鉄道運輸機構訴訟弁護団の萱野一樹主任弁護士から、当日に行われた第四回控訴審(東京高裁第一四民事部、房村裁判長)の報告がなされた。
 鉄道運輸機構訴訟で去年三月に東京地裁の中西茂裁判長は、訴訟の柱である不当労働行為の判断をしないまま、原告請求を「消滅時効」で退ける不当判決を出した。すでに〇三年には、最高裁で責任は旧国鉄(→鉄清算事業団→鉄建公団→鉄運機構)にあるとし、鉄建公団訴訟では地裁、高裁でも不当労働行為を確定しているのに、中西判決はまったく不当なものである。
 鉄運訴訟控訴審では、被告主張の時効論に的を絞って法廷闘争を展関しているが、鉄建公団訴訟の高裁南判決では時効消滅判断がなされており、有利な展開が期待できる。JR西日本元社長の井手正敬、元国鉄職員局員だった佐藤正男を証人として喚問するよう求めていきたい。

第二部 「JRの安全とコンプライアンスを問う」

 第二部ではJRが自分の発電所のために信濃川から不正に取水していた問題の調査で現地を訪れ、信濃川やダム、それに市民運動団体へのインタビューなどのビデオが上映された。
 JRウォッチの松原明さんが現地視察報告。
 六月八〜九日にJRウォッチの仲間たち一三人で視察を行った。都内の電車はこの川の水で動いている。地方の犠牲に上に都会の生活がなりたっている。豊かな自然がわずかな時間で破壊された。もうやめてほしい。これらの施設でも多くの労働者が働いていた。違法を知っていた人もいたはずだ。ものを言う人がいればこんなに長い間放置されなかったはずだ。

 ルポライターの鎌田慧さんは「痛憤の時代を斬る」というテーマで講演。
 福知山線脱線事故による業務上過失致死傷罪でJR西日本の山崎正夫社長が起訴され辞意を表明したが、社長が起訴されたことはこれまでにないことでいいことだが、まだ責任を取るべき人たちはそのままである。かつて、一九六三年に三井三池炭鉱炭じん爆発事故が起こり五〇〇名近くに人が死に、また後遺症に苦しむ人もまた大勢いいたが、そのときは経営者は不起訴になっている。
 三池闘争のときの組合長は宮川睦男さんといって、戦前からの炭鉱労働者で、おどろくべき貧乏な生活をしていた。繊維女工だった宮川さんの奥さんに話を聞いたとき、労働者はむかしは男工女工といってバカにされていたということを聞いたが、今はハケンハケンといってバカにされる時代になった。労働者の人権がまったく無視されている。人権争議で有名なのは一九五四年の近江絹糸争議だ。僕も東京で労働組合の運動ではさまざまな争議や組合作りにはしりまわっていたが、数え切れないほどの弾圧にもあった。当時は、労働者は殴られ蹴飛ばされる中で働かされていた。人間としてあつかえ、そうした要求が広範にあった。そうした力が六〇年安保闘争に向かっていった。
 派遣は人夫供給業のようなものだが、すでに五六年ころから新日鉄の前身のひとつである八幡製鉄では、構内下請け制度が導入されていたが、それが造船などにもひろがり、下請組夫が五割にもなっているところもあった。労働者供給を禁止する職安法はあったが、基幹産業にヤミの労働者は大勢いたのである。そうしたことを合法化したのが労働者派遣法なのである。いま、
偽装請負などの問題でトヨタ・キャノン・パナソニックなど日本を代表する大企業の違法行為が続出しているが、かれらはとにかく儲けのためには何でもやるということである。
 いま日本はひどいに状況になっているが、どうしてこんなことになってしまったのか。国鉄の分割民営化と村山政権の役割が大きい。分割民営化の時には国労を支持する労組はほとんどなかった。労働運動の理想・理念が投げ捨てられたのだった。
 しかし、いまでは小泉・竹中路線の中で、おこぼれさえくれなくなった。そして、ようやく理想・理念の大切さが実感されるような時代になろうとしている。

 ジャーナリストの安田浩一さんは、「JR西日本尼崎事故から見る安全問題」のテーマで講演。
 JR西日本では山崎社長は起訴されたが、当時の井手正敬社長は起訴もされていない。これはおかしい。儲け第一で安全無視のJR西の企業文化を作った人だからだ。また、国鉄改革法二三条を作った江見弘武は高松高裁長官になったあとJR東海会社の監査役に就いた。これもおかしい。江見は、退官後の一年間は大阪にある大江橋法律事務所のカウンセル(顧問)となったが、この事務所は一〇〇人もの弁護士、外国人弁護士もいる大きなところで、オーナーの一人の塚本宏明弁護士は、偽装請負を告発した松下プラズマディスプレイ訴訟の会社側代理人だ。国鉄の分割・民営化の負の遺産をパナソニックにも感じる。尼崎事故についてJR西は問題を議論もせず教訓化もしていない。そうした会社の中にある労働組合が、市民の目線で会社に語りかけることが問われているのではないだろうか。

 最後に鉄道運輸機構訴訟原告団の川端一男代表のあいさつで集会は終了した。


オキナワピースサイクル20周年成功裡に

 今年で二〇周年となるオキナワピースサイクルは、六月一九日から二五日までの日程で取り組まれ、成功裡に終了した。
 千葉・東京・神奈川・大阪・広島・大分・長崎・沖縄から総勢二七名が参加した今回のオキナワピースは、二〇周年にふさわしく充実したものとなった。
 まず、前日オキナワ入りしたメンバーによって、全国ネットと愛知ネットから寄せられた県知事への申入書が、平和振興室の担当に手渡された。

六月一九日
 一九日、全国からそれぞれ那覇空港へと降り立ったメンバーが、結団式会場の宿舎に到着する。開始時刻まではオプションで県立博物館、首里城、南風原陸軍病院跡などの見学が行われた。夕刻から結団式は始まった。
 結団式での記念講演は、石原昌家沖縄国際大学教授。「新靖国訴訟から沖縄戦を考える」と題した講演は九〇分にもおよび、「遺族援護法」によって一般住民を「準軍属」に扱うことで戦争被害者を積極的戦闘参加者にすり替え、靖国神社に合祀することによって、沖縄戦の真実が捏造され「もう一つの沖縄戦後史」に塗り込められていった構造を解き明かし、靖国合祀と「集団自決」を教科書から抹消した根は同じであり、今日の国民保護法という名の新たな「軍民一体」の意識形成と田母神発言に通底すると喝破し、「靖国と反靖国の視座」のせめぎあいこそが問題であり、沖縄戦をどう認識するのか、その本質は公民化教育にあるのか、皇軍の住民犠牲・国体護持にあるのか、「見かけの事実と真実との見究めを」ときわめて重要な問題を提起した。
 質問に答えて、戦後六四年を経た今日、後継者の育成が課題、希望を持って運動の継続を、との呼びかけは、明日からのスタートに向け私たちの決意を固めさせる内容であった。

六月二〇日
 二〇日、この日は戦跡のフィールドワークを行いながら北部への車移動。県庁前で新たな参加メンバーも加わり出発式。案内は平和ガイドの宇根さん。まずは糸数壕へ。整地され「観光名所」に変貌したこの壕も、かつて南風原から撤退してきた傷病兵と住民の避難壕としてあり、戦局悪化によってさらに南へ撤退する際に、「足手まといな」重傷者が毒殺されたり「自決」を強いられた場所だ。
 続いて平和祈念公園へ。韓国人慰霊碑、平和の礎、資料館と回って沖縄戦最大の激戦地嘉数高台へ。着いて展望台に上るやいなや、普天間基地を離陸した岩国所属のF18ホーネットの三機編隊が真上を通過。耳をつんざく爆音を実体験した。ガード下どころの比ではないすさまじい音だ。ここで宇根さんのガイドは終わり、一路ヘリパッド新設に反対して座り込み監視を続けている東村高江へ。防衛局が座り込み排除の裁判を起こしたことで自縄自縛に陥り、工事はストップしているとのことだった。だが、断念に追い込んだわけではない。米軍はオスプレイの配備を公然と表明しているが、日本政府はこれを黙認する姿勢だ。
 初めての参加者にとって、嘉手納以南の基地を整理し北部と伊江島に基地機能を拡充移転しようとする米軍再編の意図が、明確に見て取れる交流となった。
 高江を後にしこの日最後の交流先へ。「オキナワピースサイクル二〇周年と東恩納名護市議の一年間を振り返るつどい」が、プロジェクターでの写真を交えながら行われ、二〇年の歩みを皆で深めあった。

六月二一日
 二一日、いよいよこの日から実走が始まる。新基地建設に反対して一八〇〇日を越える阻止行動を続けている辺野古では、安次富さんから説明を受ける。辺野古では、ウソだらけのアセスによって基地建設が強行されんとしているが、このウソを逆手にとってやり直しを求める取り組みが力を発揮している。県と日本政府それに米軍との三つどもえの暗闘がジグザグしている中で、アメリカ側から案の見直し要求が出された。住民のためではなく、米軍にとってもV字形滑走路案は使い勝手が悪いというのだ。
 辺野古からマングローブを植林した海岸を見学した後、最大の難所の許田を越え西海岸へ。ところが読谷を前にしてアクシデントが。転倒事故が起きてしまった。メンバーの一人が、風で飛びかけた帽子を押さえた際に右ブレーキをかけたため、前輪がロックして前につんのめり、落下時に左手で全体重を支えたことで左肘を骨折してしまったのだ。つくづくヘルメットの着用が不可欠だと痛感する。
 読谷に到着後は村内のフィールドワーク。そして知花さんとの交流。座喜味城跡で村内を一望しながら、オキナワ・読谷の歴史、沖縄戦、基地返還の闘い、経済活性化など「基地に頼らない経済、基地返還の進む読谷村」のテーマでお話をうかがう。チビチリガマに入って、なぜ「集団自決」と呼ばれる強制集団死が起きたのか、このガマと全員生き残ったシムクガマとの違いはなぜか、が説明された。軍隊は住民を守らない、軍隊が守るのは軍隊自身と「国体」=天皇制だけだという歴史の教訓を今日にどう活かすのか。

六月二二日
 二二日、読谷を出発して、嘉手納基地進入路を目前に北谷町砂辺地区の公園で区長から説明を受ける。米兵の基地外住宅が治外法権のごとく建ち並ぶ砂辺の現状。爆音被害にとどまらず米兵による事故犯罪の多発や、住民税も町内会費も払わず地域を我が物顔で占拠している実態。過去の被害しか補償しない裁判の限界に見切りを付けて出ていく住民と、それに入れ替わって入り込んでくる米兵家族との軋轢が、基地問題はフェンスの外でこそ新たに生じていると実感させる。
 宜野湾に着いて、市役所内で市長表敬訪問と普天間基地返還の取り組みについて説明を受ける。議会中にもかかわらず、わざわざ時間をとっていただいた伊波洋一市長から激励の挨拶を受ける。市長は二〇年前からピースサイクルを受け入れてきたこと、二〇年も続いてきた運動に敬意を表すると歓迎し、「クリアゾーン」(利用禁止区域)AZP(事故危険区域)問題をはじめ、アメリカの安全基準ではおよそ存在することを許されない普天間基地がSACO合意以降一二年余りも存続し、ついには〇四年八月には沖縄国際大学構内に米軍ヘリが墜落した。こうした安全基準や環境管理基準などを国民にひた隠す日本政府を批判し、市としての取り組みとともに国会における追及の必要性を述べた。
 「町の上を飛ぶな!」と大きな英文スローガンが書かれた市庁舎屋上で、市職労委員長から普天間基地撤去は火急の課題であり、跡地利用計画が説明され、皆さんが今度こられるときには基地の真ん中に道を造り、走れるようにしておきますと力強く決意を述べられた。
 那覇市内の宿舎に到着後は、ピース団の交流がいつもの山羊の店で。参加者がそれぞれの思い、感想を述べあう。

六月二三日
 二三日、この日は沖縄戦で「組織的戦闘が終結した日」として慰霊の日に定められている。行政は摩文仁で、市民は魂魄の塔でそれぞれ祈念行事を取り組む。今年は麻生が出席するとのことでものものしい警備が敷かれた。
 県庁前で自転車の隊列を整え、一路ひめゆりの塔へと向かう。集合までのわずかな時間にひめゆり資料館を見学。年々ひめゆり学徒隊の存命者が少なくなり、いつまで証言活動が続けられるか、との話には身につまされる。しかし、それゆえに今まで口をつぐんできた人たちから、新たな証言者も生まれている。核武装、敵基地先制攻撃まで公然と語られ、それを田母神など現職の自衛隊トップが追認するかの動きが強まる中で、危機感も相まっている。
 昼前から魂魄の塔に向けピースウォーク。自転車は押しながらの参加となる。塔の前でアピール朗読、黙祷。その後、昼食をとり、ロングランの第二六回「六・二三国際反戦沖縄集会」が始まる。恒例の海勢頭豊さんのミニコンサートでスタートした集会は、渡嘉敷島強制集団死生存者の吉川さんの証言、摩文仁で取り組まれた麻生来沖抗議行動の報告、辺野古・高江の報告、途中、社民党国会議員の辻元清美さんと山内徳信議員の秘書さんが紹介され、伊波宜野湾市長のスピーチ、靖国訴訟の報告、今年のメインのグアム協定に反対して闘う現地からの報告をリサ・ナティビダードさんが行った。永年アメリカの支配下に置かれ、基地を押しつけられ、今またグアム移転が基地の増強を伴って進められようとしているが、チャモロをはじめ住民の多くはこれに反対しており、私たちは最後に勝利する、とリサさんは力強く締めくくった。沖縄にいらない物はヤマトでもいらないし、グアムでもいらない。必要としている人々の庭先にでも置けば良いのだ、との主張こそが当たり前なのだ。集会は泡瀬干潟埋め立て反対の報告、まよなかしんやさんのミニコンサートを最後に、高里鈴代さんの閉会の挨拶で終了した。
 那覇にとって返し、総括と打ち上げの団交流会。事故はあったものの、全国からの参加で内容充実した二〇周年のオキナワピースの成功を確認し、続く夏のピースでも全国各地で奮闘することを誓い合った。

六月二四日
 二四日、この日からはオプションで一二名が伊江島へ。車で港のそばにあるLCT爆弾処理船爆発事故犠牲者慰霊碑をスタートし、沖縄戦の縮図と言われる伊江島を一周。激戦を今なお物語る公益質屋跡を経て城山へ。一望できる山頂から米軍の上陸地、激戦地、そして生存壕と強制集団死壕の所在地を確認。銃剣とブルドーザーで強制接取され基地にされたエリア、今なお無数の不発弾が残る耕作地での葉煙草を中心とする耕作地、二百軒近い民宿などを見る。海岸の千人壕へ向かう途中、米軍ヘリコプターからの降下訓練が行われていたが、惜しくもウージ(サトウキビ)に遮られて写真には納められなかった。阿波根さんの作った団結道場、湧出、一五〇名が強制集団死したアハシャガマを経て命ど宝の家へ。ここで、謝花さんからお話をうかがう。阿波根さん亡き後その遺志を継いで語り部を続けている謝花さんは、本当の平和はどうしたら作り出せるのか、との阿波根さんの終生の問いに、恐怖のない社会、安心して暮らせる社会こそが平和な社会で、それを作り出すのは大人の責任だ。しかし、少しも良くなっていない。政治も教育も企業も人間の価値観もおかしくなっている。国民の責任だ。阿波根世代は終わった。他人任せでなく自分がどうするかが問題だ。生命と平和と健康がなければ幸せではない。伊江島ではずっと戦後ではなく戦中だった。一方で無駄な税金が使われ、他方で財政的に絞められて村は核演習、パラシュート訓練、P3C問題も条件付きで受け入れの方向だ。海邦国体で皇太子が降り立つだけのために一三億も出して作られた空港は、めったに使われていない。民泊ブームが去って教師すらもここには来ない。生命は買えない。借りられない。阿波根はこう言った。理解は力なりと。ここに理解者が一人もいなくても世界中にいると。ここの資料館は設備が整っていないが、明確な主張と実物で構成された唯一の資料館だと言われている。しかし、法人化したものの運営は阿波根の教えもあって借金だらけだ。平和運動は一人ではできない。殺し屋、戦争屋のために金を出すのではなく、本当の平和を作り出すために頑張って行きたい。とお話を締めくくった。何とか財政的にも全国で支えていきたいものだ。
 その後の夕食は、手作りの料理をたらふくごちそうになった。感謝。

六月二五日
 二五日、いよいよ本日をもって二〇年目のオキナワピースがすべて終了。
 謝花さんにお礼とお別れの挨拶をして島を後にした。那覇空港に到着後、解散。それぞれの参加者は各地に戻った。

 こうして二〇周年オキナワピースサイクルは成功裡に終わった。私なりにそれを概括すると、第一に、参加地域と参加者の数だ。そしてリピーターが多くをなしたこともあって、どん欲な問題意識を持って見聞し、交流を深めたこと。第二に、二〇年も続くと各交流先との関係も深まり、ピースサイクルがオキナワにおいてもそれなりの位置を占めてきたこと。ヤマトの運動からようやくオキナワピースサイクルという固有名詞になってきた。第三に、余生短くなり、教科書からも抹殺されようとした強制集団死問題に危機感を持った存命者が、新たに証言を始めたこと。その証言を聞く機会に恵まれたことが上げられよう。
 高齢化、マンネリ化が言われ、ピースサイクル運動の将来が危ぶまれる中でスタートを切った今年のオキナワピースは、ある意味で「解」を包含している。
 夏の全国ピースを走り抜いた後に、総括と方針が明らかになるだろう。そのためにも、ぜひ無事故で完了したいものだ。 (オキナワピース参加者)


保守オピニオン誌『諸君!』が休刊

          
右派論壇の混迷

 前々号と前号にわって『諸君!』休刊号を見てきた。
 予想以上に右の挫折感が大きいのに驚いた。前に引用したように中曽根の「平成二一年となった現在でも憲法改正は達成されていない。しかも、それは当時よりも遠退いてさえいるような印象である」という言葉に代表される。中曽根はつづけて「昨今では、保守政治においても、選挙に勝つ、負けるといった短期的な目標ばかりに血道を上げているような印象だが、本来はもっと長い目で国家の行く末を見据えて国民に提示しなければいけないはずなのである」として右派の展望のなさを嘆いたのである。他にも、右派が、小泉・竹中路線の規制緩和政策と裏腹の偏狭な民族主義がつくりだしたムードに安易にのっかりアジテーションに終始したことを指摘した論者もあった。そもそも右派の主張には自己矛盾をしているところが多々あり、それがいま露呈したのである。
 アメリカ・ブッシュ政権に追随し、海外派兵を強行し、また日本の富をアメリカ資本に売り渡した小泉時代に最高潮に達した愛国・排外主義の後に残った日本の現実は、国内的には格差・貧困状態の蔓延であり、国際的には日本の地位の低落であった。船橋洋一は朝日新聞(〇九・七・二)の連載コラム「日本@世界」で、日本の没落ぶりを描いている。
 「日本はいま、『危機の二〇年』の底だまりに喘いでいる。…国民一人当たりの国内総生産(GDP)は、四位から一九位(〇七年)に落ちた。国際競争力は、一から九位(〇八年)へと転落した。…国の債務残高のGDP比は七一%から一七四%に悪化した。…九八年に年間自殺者の数が三万人を超え、その後一一年間、それを下回らない。一〇万人比でみると、米国の二倍、英国の三倍である。学力も下がっている。〇〇年と〇六年を比較すると、「科学的リテラシー―」(二位→六位)、「数学的リテラシー」(主位→一〇位)、「読解力」(八位→一五位)のいずれも低下している。…」
 以上のような数字にあらわれる「相対的な総合国力の低下」のなかで国内政治にも外交的にも混迷がつづいている。こうしたことを指摘することは自虐的な見方なのであろうか。右派言論の自国美化の自己催眠こそが、現状認識を曇らせてきたのである。自己中心的で自己を美化するだけで、自らの欠陥、負の側面の事実を見ようとしない彼らのメンタリティーこそがこの結果をつくりだすのに大きな責任があったといっても良い。まさに「自己責任」なのである。
 そもそもかれらの論理に無理があるのだ。「アジア解放のための戦争」を肯定しながら、その主敵であったアメリカに国内に軍事基地を置かれ、その世界政策に積極的に従っているのはなぜか。アメリカが八紘一宇・大東亜共栄圏の主張に変わたのか。いや、変わったのは日本の右翼の方なのだ。かつての日本の右翼思想は、反欧米とともにアジア連帯の主張があった。それがアジア侵略の隠れ蓑だったとしてもだ。しかし、いま彼らにはアジア主義はない。それはアジア諸国の民衆が日本の侵略を憎み嫌っているからである。彼らはアジアが怖いのである。
 言葉だけでのアジア主義もなき、反欧米主義。しかし、右派論客の大部分は、現在の親米派であり、かつての反欧米の思想を堅持しているわけではない。にもかかわらず、大東亜戦争肯定論、これでは支離滅裂、自己思想崩壊に行かざるを得ない。親米と大東亜戦争肯定論をどうむすびつけるのか、不可能なことである。
 そうすると、右翼は内へ内へとこもらざるを得なくなる。現在の右翼思想には非常に内向きの姿勢が強い。そして仲間内での褒め合い、慰めあいが基調となる。当然、現実から離れ、論理もきわめて荒いものになる。論理というよりアジテーションになるのだ。一種のカルト集団に近いものとならざるを得ないのである(これは左翼の一部にも生じたことだ)。
それが前々号で引いた佐藤優の「思想のマニュアル化が保守論壇で起きた。右翼、保守の論壇誌が排外主義を煽る傾向を強めた」ということの理由であろう。
 それに右派論壇の現状でもうひとつ見逃せないのは、西尾幹二に見られるような天皇・皇室論である。西尾は、『諸君!』での発言でも皇太子夫妻にたいするバッシングを強めているが、右派の論客が皇室の現状についてあれこれ文句をつけて平然としているし、それがまた右翼運動の中にも広がっている。より右のほうからであれ天皇制のありかたについて注文をつけることは、実際には、天皇制を論議の対象にするということによって地上に引き降ろす役割を演じ、とくにスキャンダル的に語るようになったことの意味である。いずれにしても「諸君!」が「休刊」したことは、ひとつの時代のひとまずの終わりと見てよいだろう。  (おわり)


映 評

    
「ハゲタカ」


            原作 真山仁   監督 大友啓史   脚本 林宏司
  
           出演
                鷲津政彦(鷲津ファンド代表)…大森南朋
                柴野健夫(アイマ自動車役)…柴田恭兵
                劉一華(ブルー・ウォール・パートナーズ代表)…玉山鉄二


 NHKの土曜ドラマシリーズとして六話放送されたいへん好評を博したといわれる「ハゲタカ」の後日談が映画の舞台に登場となった。
 冒頭シーン。農作物も何も生えていない不毛の大地に一台の赤いスポーツカーが疾走する。その光景を見つめているひとりの少年。このシーンの持つ意味はあとあと判明してくる。
 内容のポイントを短くしるすと、ヒット商品を出せず経営悪化した自動車会社の株式を買収し経営権を掌握しょうとする勢力(外国の国家ファンドの資金が流入している)とそれを阻止する側との暗闘が延々と続く。短い局面で立場・優位性がめまぐるしく変化し、勝者はどちらかということはなかなかわからない。
 数年前、ホリエモン率いるライブドア、あるいは村上ファンドなどがTOB(株式公開買いつけ)を繰りかえし、企業買収に名のりをあげた時、とうとう終身雇用制などに守られた日本経済に金融資本主義の波が押し寄せてきたのかと認識したものだった。
 映画の中ではTOB、ホワイトナイト(買収される企業にとって友好的な第三者のこと)、EBO(エンプロイー・バイアウト)、バルクセール(多数の不良債権をパッケージ化してサービサーや投資ファンドに一括して売却する手法)などいわゆる経済用語がひんぱんに出てくる。
 劉一華を名のる買収側の先兵はやがて中国残留孤児だとあかされる。ただ映画のシーンの展開は相当めまぐるしくて宣伝パンフレットでは「スタイリッシュな映像」となっているが、本来はかなり長い映画なのだが局面の展開が早くてあきさせはしない。しかしあまりにも不安定なカメラワークは見る側に不安な気持ちにさせるのに十分である。映画のなかではハゲタカと呼ばれる投資ファンドについて肯定も否定もしない。対決によって起こりうる状況を延々と提示している。私はもっと投資ファンドの負の面をはっきり描いてほしい気がした。その点では大いに不満である。
 自動車工場の末端で働く派遣労働者の青年に劉は接触し、資金を提供し、待遇改善のためのデモを組織するようにけしかける。経営陣を驚愕させるために。しかし一介の青年が短期間に派遣労働者を組織して会社に圧力をかけるほどの組織力を発揮できるだろうか。飛躍がありすぎるのではないか。
 もうひとり重要な登場人物を忘れてはならない。鷲津ファンドの代表…鷲津政彦である。かつては派手な企業買収を繰り返していたが、引退して海外で生活しているところを自動車会社の経営危機で呼び戻される。映画の本題は鷲津と劉の対決なのだ。最後にはドバイまで資金調達に出かけた鷲津側が勝利し、劉は一敗地にまみれる。暴漢に襲われ劉は死んでしまい、その後、鷲津は劉の出身地の中国を訪れ、劉が現地に実際に住んでいる人の戸籍を買って別人になりすましていたことを知る。劉はいったいだれなのか…。その謎は謎のままで残されていく。
 自動車会社は買収はまぬかれ、役員の柴野がしみじみつぶやく。「日本にはそれなりにいいところもあるので、私はそれを信じたい」と。ちょっとまってほしい。そんな簡単なことばで結論づけないでほしい。もちろんマネーゲームにあけくれているよりは実体経済を大切にして生産拠点に重点をおく経済のほうがいいに決まっているだろうが、偏見を承知で言わせてもらえば、投資ファンドの存在そのものが利益至上主義そのものであり、中小零細企業で働く労働者の生活のことなど微塵も考えていないように思える。かすめとった富をさらに新たな投資先につぎ込んでいるだけではないのか。サブプライムローンの問題もあいまって世界の経済を冷えさせてしまった。タックス・ヘイブンにもこれからはメスが入るだろう。
 映画のラストシーン。冒頭の場面と同じように中国の荒野の風景が写し出される。しかし、そこにはもう赤い車は走っていない。このシーンは重いと思う。栄華を極めた金融資本主義のなれの果てを象徴的に表現しているようで深い。この映画は資本主義社会における経済のありようの一面をよく表現してくれていると思う。ただ見る視点によって評価は真逆のものになるかもしれない。 (評 東 幸成)


KODAMA

はじめて沖縄ピースサイクルに参加して

 二〇周年を迎えた沖縄ピースサイクルは全国から総勢二十八名の参加という大部隊となり、私も沖縄本島と伊江島へ。自転車とレンタカーで、見学と交流、集会へ参加しました。自分自身、沖縄は初めてでしたが、参加している人は二〇年前の最初から来ている人もいて、いろいろな話を聞けて、大変勉強になりました。そうした中で、二日目の記念講演(沖縄国際大学教授・石原昌家さんの「新靖国訴訟から沖縄戦を考える」)の話を聞きました。石原さんは話の中で、この「訴訟」は、「援護法」の適用拡大によって「靖国神社」に祭神として合祀された人たちの取り消しを遺族が求めている裁判なので、どのように「援護法」の適用がなされていったのか、そして「援護法」の適用を受けると沖縄住民の戦争被害者が積極的戦闘参加者として、靖国神社に祭られるという国家によるすり替えのトリックが明るみになっていく、と指摘していました。そして、今の日本は「有事法制」成立や「国民保護法」の制定など、戦前の状況に酷似しているとも言われ、われわれが今なにをなすべきかを考える非常に意義ある講演でした。
 最終日の伊江島では、わびあいの里・反戦資料館ヌチドゥタカラの家の見学と謝花悦子さんのお話を聞きました。ここは他の平和記念館と違い、資料の保存管理はいきとどいていない状態でしたが、この資料館自体が反戦平和の運動の原点ともいえるものではないかと思いました。
 七泊八日という長旅の強行スケジュールでしたが、反戦・反基地・平和の大切さを身をもって実感した時をすごすことが出来ました。
 今後の自分自身の反戦平和運動に対する、それこそ礎(いしずえ)にしていきたいと思っています。
 なお、今回の参加に対しては、多くの人からの支援、カンパを受けました。紙面を借りまして、お礼申し上げます。 (沖縄ピースサイクル参加の一読者)

 映画『鶴彬〜心の軌跡』(監督・神山征二郎)

 いつも本紙に川柳を寄せていただいている安藤ヽ史(ちょんし)さんからプロレタリア川柳家・鶴彬(つるあきら)の映画を「是非観ていただきたく御案内」とありました。(編集部)

 鶴彬(一九〇九〈明治四二〉〜一九三八〈昭和一三〉は、一五歳の頃から川柳をつくりはじめ、一九三〇年金沢第七連隊での軍隊内で反戦活動・赤化事件で軍法会議にかけられ収監(刑期一年八ヶ月)その後は常に警察の監視・圧迫を受け続け、一九三七年には治安維持法で逮捕、留置場で赤痢にかかり翌年九月に二九歳で亡くなるまで、千をこえる句をはじめ多くの評論・詩を残している。

 都会から帰る女工と見れば病む
 胎内の動きを知るころ骨がつき
 手と足をもいだ丸太にしてかえし

 評論家の佐高信さんは「権力にとって鶴彬の川柳は恐るべき凶器となる。私たちは、その『心の軌跡』を知り、それを強力な武器とする」とメッセージを送っている。

公式サイト http://tsuruakira.jp/
 上映中 7月4日(土)〜24日(金)
 ポレポレ東中野


複眼単眼

   
  内田弁護士の『いつつぼし』3部作完成

 弁護士の内田雅敏さんの愛知県蒲郡町立南部小学校二年生当時の「文集・いつつぼし」にまつわる物語の三部作の三番目の本「追録 よみがえった『いつつぼし』記念パーティ」(文庫判九二頁、れんが書房新社発行 五〇〇円)がでた。
 第一部『半世紀前からの贈物〜いま蘇る小学校二年生の「文集」』、第二部『戦争が遺したもの〜「半世紀前からの贈り物」補論』につづく本だ。前二冊は当時教師だった方の戦争についての語りの録音を起こしたものや、級友たちの文集「いつつぼし」にまつわる学校生活の思い出の記などとあわせ、内田さんや彼の多彩な友人たちが「現代の戦争と平和」について論じている。これらの本は決して個人の感傷的な思い出の物語にはなっていない。
 本紙二四三号に(Y・Y)さんが書評を掲載して、こう述べている。「この本は、平和憲法が人びとの願いの集約されたものであり崩せないこと、憲法三原則は日常的に生活とともにあり、それは国民の不断の努力によって保持しなければ手にすることができないことを示している。内田さんはこの本のなかで『最近つくづく思います。人生とは人との出会いだということを。人と人との間に一人か二人を置くことによって昔の友人、知人と繋がってしまう。……なかなか楽しいことです。皆、意外と近いところで、しかも地道に生活し、活動している のを知ってうれしくなります。』と書いている。内田さんのこうした人柄が、形になりにくい人びとの願いを目に見えるものにしたものといえる」と。
 内田さんのこの本を読んでいて、私は少々うらやましい思いがした。内田さんとほとんど同世代だが、私は東北地方の山の中の貧しい農村に流れ着いた鉱山師の子どもとして育った。戦後、米国占領軍もみていない。五〇人ほどいた同級生のほとんどが農家の子で、給食というものはない。二年生の頃、暖房は木炭の火鉢だった。教師たちのほとんどは五キロも離れた町からバスで通ってくる。そんな山深い農村の小学二年の時のことを私はほとんど覚えていないのだ。
 地元に住んでいた教師は住宅を与えられた校長と、軍隊上がりの男性の教師(この教師は朝礼の時に「キンチョー」と号令をかけるのであだ名が「キンチョー」だった)ぐらいだった。この教師はなぜか他の教師とあまりウマが合わなかったように見えた。「キンチョー」が「謹聴」だということを最近になってふと気がついた程で、子どもたちはみな、号令をかけられると懸命に「緊張」したのだった。
 文集もあったかどうか、一生懸命思い出してみるのだが、確か原稿用紙らしきものにそれぞれが作文を書いて、担任の年配の女の先生が表紙をつけてこよりで閉じたのを何冊か教室の後ろの壁に下げておいた回覧雑誌だったように思う。私はある表紙にススキの穂とまるいお月様の絵を書いたことはあったような気がするが、中身は何が書かれていたかは全く記憶にない。
 つい、内田さんにつられて少し「戦後民主主義教育」が山村にまで浸透しつつあった時代の自分の小学生時代を回想してしまった。
 内田さんの第三部の本の特徴は、とうとう昨年夏、故郷で「いつつぼし記念パーティ」まで実現してしまったことだ。第三部はそこから始まって、最後は内田さんによる「いつつぼし世代からの平和への発信」と題する田母神俊雄前空幕長問題の検討でしめくくられている。
小さい本なので、読みやすくできている。  (T)


 夏季カンパの訴え

   労働者社会主義同盟中央委員会


新自由主義政策の吹き荒れたこの間に、世界は格差と貧困化の重圧に押しつぶされました。しかし、ブッシュの対テロ戦争は破綻し、世界資本主義もアメリカ発の経済危機が全世界に蔓延でのたうっています。アメリカはブッシュ時代の政策を否定せざるを得なくなり、オバマを登場させ、世界の明主としての体制の建て直しに躍起となっています。
 世界は激動の時代を迎えました。日本でも、いよいよ自民党政治は最終局面をむかえています。安倍晋三、福田康夫と二代にわたる無様な退陣劇の後、自民党の「総選挙の顔」=「最後の切り札」として登場したはずの麻生太郎は、与党勢力の期待とは裏腹に、その内閣は失政の総合デパートの様相を呈しています。
 麻生は解散・総選挙に打って出ることも出来ず、短命政権の汚名をさけるため延命に躍起になっています。そして、小泉の「郵政」マヤカシ選挙で得た衆院三分の二状況を駆使してさまざまな悪法を成立させています。
 一日も早く、麻生政権を倒し、自民党政治を完全に終わらせることが必要です。
 その闘いの中で、労働組合運動をはじめ、反戦反核平和闘争、改憲阻止の運動をいっそう強力に進め、次の政治的な段階での発展の基礎をつくりあげましょう。
 いまこそ、大きく団結して闘い、社会主義政治勢力の再編・強化の事業をすすめましょう。
 運動の発展と拡大のため、夏季カンパをお願いします。
 ともに闘い、ともに前進しましょう。

二〇〇九年夏