人民新報 ・ 第1256号<統合349号(2009年8月15日)
  
                  目次

● 自民党政治を終わらせ政治の新たな地平を創り出そう

● 沖縄・嘉手納基地爆音訴訟   最高裁闘争の勝利を

● 2009ピースサイクル

   ピースサイクル・東京

   ピースサイクル・山陽

   ピースサイクル・埼玉

   ピースサイクル・長野

   ピースサイクル・静岡

● 反貧困ネットワークの主催で 「選挙目前! 私たちが望むこと」集会

● 映画『鶴彬(つるあきら)〜心の軌跡』を観て

● せ ん り ゅ う  /  ヽ史

● 複眼単眼  /  「言論の自由」に名を借りた自由と人権への攻撃





自民党政治を終わらせ政治の新たな地平を創り出そう

 支持率を急速に低下させながら一日でも長く政権の座にしがみ付いてきた麻生も七月二一日、ようやく衆議院を解散した。こうして、与野党逆転の可能性のきわめて高い総選挙が戦われることになった。われわれは、この夏を日本政治の大きな転換点にしなければならない。

 自民党政治の崩壊の危機は、世界的情勢の地殻変動に連動している。昨二〇〇八年後半から世界資本主義体制は決定的な動揺の段階に入った。これまで、グローバリゼーションという名の世界の市場化・世界のアメリカ化が進行し、アメリカ帝国主義の一極支配・強権政治の下、巨大資本が世界の富を収奪し、世界中に格差・貧困がひろがった。しかし、それは同時に、資本主義の矛盾を極度に蓄積する過程、広範な労働者・民衆の怒りの噴出を準備する期間でもあった。そして、溜まりに溜まった矛盾の激発の時代が到来したのである。
 いまアメリカ一極支配の時代が終わり、あたらしい時代への動きが誰の目にも見えるような局面に入った。オバマ新政権の登場の背景には、内外での力の弱体化をとどめられず、民衆の不安と不満が増大し、いままでどおりにはやっていけないというアメリカの状況がある。
 日本でも、経済的な危機は深刻となっており、膨大な国家財政を投入して行われたバラマキ財政での必死のてこ入れにもかかわらず、本格的な改善の様子は見えてこない。
 政治的には、これまでの支配体制の断末魔のあがきが悲喜劇的に繰り広げられている。つぎつぎに政権を投げ出した安倍晋三、福田康夫に続いて、総選挙の顔として登場したはずの麻生太郎は、予想されたとおり自民党の最後にして最悪の看板として存在している。
 名古屋市長選、さいたま市長選、千葉市長選、静岡県知事選、横須賀市長選、東京都議選と与党の敗北が連続する中で、麻生は、解散も出来ず迷走を続けた。しかし、麻生にとってみれば、解散・総選挙となればすれば、どんなことがあっても参院で否決された法案の再可決を可能にする衆院三分の二状況の消滅という事態は確実であり、そして、野党への転落も十分に予想されるのであるから、解散を先送りしてきたのには理由がないわけではない。
 だが、麻生は、その最後の任期をかけて、さまざまな悪法を成立させてきたのである。六月には海賊新法を成立させ、つづいて北朝鮮貨物検査(臨検)特措法成立も狙った。だが、これは結局、国会解散で廃案となったが、この過程で、駆け込み的に自民党国防部会と内閣の「安保・防衛懇」が次期防衛大綱策定に向けて「提言」や「報告」を出し、集団的自衛権の憲法解釈の見直し、専守防衛の放棄、敵基地攻撃能力の保持などを打ち出してきたことは断じて許すことができない。自民党政治は最後の最後まで悪辣なことを強行してきた。

 最近、共同通信社のひとつのアンケートした結果が発表された。それは郵政民営化を最大の争点にした二〇〇五年衆院選で自民党に投票した四七都道府県一〇〇人を対象にしたものだ。小泉の構造改革を評価したのは五二人だが、一方で、この四年間の暮らし向きについて「給与が減った。雇用も不安なので貯金に回すようになった」「夫が失業した」などと生活が厳しくなったと訴える人が目立った回答だった。共同通信社は「改革に期待し投票したが、改革の痛みも顕在化し、変化を求める有権者の意識が浮かび上がった」とコメントしている。「次の衆院選で政権交代するべきだ」と答えたのは六八人。その理由として「自民党に反省を促したい」「官僚の天下りにメスを入れてほしい」などの答えがあった。自民党支持者の中でも、少なくとも今回だけは自民党に投票しないという傾向にあることがわかる内容だ。
 こうして八月三〇日投開票の総選挙で、自民党政治を終わらせることが目前の最大の課題となったのである。

 総選挙において参院選に続いて与野党逆転を実現し、自民党とそれを支えてきた公明党を下野させなければならないが、その事態において同時に実現しなければならないことがある。自民党政治が終わるにしても、民主党単独で安定多数を占めるような政治状況は決して好ましいものではない。これでは自民党政治の真の終焉は勝ち取れないのである。民主党の中には、安保・自衛隊政策や規制緩和・新自由主義イデオロギーの面、金権・腐敗体質などの多くの面で、自民党とほとんど変わらないか、またはいっそう反動的な政治主張の持ち主も少なくない。民主党全体としてもどこに流れていくかわからないからである。与野党逆転・自民党政治の終焉を求めるわれわれは保守二大政党制にも反対する。
 国会において、民主党以外に改憲と生活破壊にはっきりと反対する野党の存在が不可欠である。このことを主張し、社民・共産などの前進のための運動を強めなくてはならない。とりわけ社民党への支援に積極的に取り組み、日常的な連帯関係をつくり出すようにすべきである。そして民主党の「護憲派」への支援も重要であることは言うまでもない。
 ようやくにして到来しつつある日本政治の大きな変化は、労働者・民衆の政治的進出の可能性に道を開くものである。われわれはいっそう奮闘して、麻生自公連立内閣打倒し、自民党政治を完全に終わせるために闘い抜こう。 
 
 麻生内閣打倒!
 自民党政治を終わらせよう!
 労働運動をはじめ民衆の運動の高揚を実現しよう!


沖縄・嘉手納基地爆音訴訟

     
最高裁闘争の勝利を

 沖縄には在日米軍基地の七五%が集中している。とくに極東最大の空軍基地である嘉手納基地(広さ約一九九〇ヘクタールに長さ約三七〇〇メートルの滑走路が二本)はF 戦闘機やKC135空中給油機など約一〇〇機が常駐しており、その爆音は周辺住民の生活を破壊し続けている。嘉手納基地の周辺に居任する住民らは一九八二年に嘉手納基地爆音訴訟(旧訴訟)に続いて、二〇〇〇年三月に新嘉手納基地爆音訴訟(五五四〇名の原告団)提訴した。国側はW値(うるささ指数)八五未満については「社会生活を営む上で受忍すべき範囲内」と主張し、また飛行差し止めは「外国の主権的行為に民事裁判権は及ばない」としていた。なお、W値とは、国際民間航空機関が定めた航空機騒音の単位で、国の防音工事助成措置はW値七五以上の区域で実施される。
 本年二月二七日に出された福岡高裁那覇支部(河辺義典裁判長)の判決は、「損害賠償についてはW値七五以上の地域に賠償の支払い」(原告五五一九人を対象に、約五六億二七〇〇万円の損害賠償)を命じたが(一審・那覇地裁沖縄支部判決では、対象原告三八八一人に約二八億円)、一方で夜間の飛行禁止や騒音と健康被害との関係は認めず、将来の被害に対する損害賠償は否定するというものだった。しかし、判決は初めて政府の怠慢を問いただしたものであり、国に対し解決に向けて努力することが責務だとも指摘している。
 この福岡高裁判決に対して、三月一一日には国(原告のうち騒音が最も激しい地域に住む住民を中心とした原告の代表四六六名)と米国(同二〇名)に対して、夜間と早朝の飛行差し止め等を求めて最高裁判所に上告した。原告側は「これまでの全国の基地訴訟で夜間の飛行禁止は認められていない。被害が深刻と言われている嘉手納基地での裁判でその判例を覆したい」と決意を述べている。

 七月二四日には、全水道会館で、「沖縄・新嘉手納基地爆音訴訟〜最高裁へ飛行差止等求める7・24東京集会」(呼びかけ 新嘉手納基地爆音差止等請求訴訟原告団、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が開かれ、二〇〇人をこえる参加者があった。
 集会では、DVD「静かな夜を返せ!」が上映され、真夜中でもすさまじい米軍戦闘機の騒音などの状況や裁判官の現場検証などが映し出された。
 新嘉手納基地爆音差止等請求訴訟原告団の又吉清喜副団長は、国・外務省の日米安保条約を結んでいるので米国には何も言えないという態度を批判し、祖国復帰すれば日本国憲法の下に生きられるとの思いは裏切られた、全国の皆さんとともに、憲法で保障されている人権を勝ち取ろうと述べた。
 池宮城紀夫弁護団長ほか三人弁護士が、航空機騒音による影響について報告した。
 沖縄平和運動センター山城博治事務局長が、嘉手納、普天間などの既存の基地機能強化、辺野古や高江などの新基地の建設、石垣島や西表島上原港など空港、港湾などの民間施設の軍事利用などについて報告した。
 つづいて同じく裁判闘争を闘う岩国(山口県)、小松(石川県)、厚木(神奈川県)、横田(東京都)、普天間(沖縄県)など全国爆音訴訟原告団連絡会議からの発言があり、フォーラム平和・人権・環境、東京全労協、辺野古への基地建設を許さない実行委が連帯のあいさつを行った。


2009ピースサイクル

ピースサイクル・東京

 七月一九日、今年の東京ピースサイクルは練馬区役所を出発した。ルートは、練馬区役所から新目白通り、山手通りを経由して新宿区の旧陸軍細菌研究施設跡地、そこから環七通りを使って、大田区の池上本門寺までである。
 練馬からの参加者は、自転車二五台と宣伝カー。参加者のほとんどが買い物自転車か区のレンタルサイクル。地元練馬からの参加者のほかに、東部ピースや埼玉、三多摩のメンバーも参加した。
 九時半に出発し、一一時前に新大久保駅に到着。軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会の鳥居さんの案内で、陸軍技術本部・陸軍科学研究所跡(現在の国立科学博物館分館、都立健康安全研究センターなどがある)、陸軍戸山ヶ原射撃場跡地(山手通り内側から明治通りにかけて)を見下ろせる諏訪神社とここにある明治天皇射的砲術天覧所址、陸軍軍医学校防疫研究室跡(戸山公園)、そして一九八九年に大量の人骨が発見された陸軍軍医学校跡地(現在は国立感染症研究所など三施設がある)。ここには、遺骨保管施設もつくられている。約一時間半のフィールドワークで、七三一細菌部隊のことや毒ガス研究のことなどを学習。
 今話題の新大久保コリアタウンにて昼食をとったのち、大田のメンバーも合流して自転車の数もさらに増え、一路大田区の池上本門寺へ。曇りとはいえ東京の夏はじめじめして暑い。ここでは、地元大田の市民運動のみなさんが出迎えてくれる。懐かしい顔ぶれも。ここ池上本門寺も歴史を学ぶ上では貴重なお寺だ。力道山の墓の碑文に、公然の事実に反して彼が日本生まれと刻まれていること、日本がでっち上げたニセ「満州国」の軍人たちの慰霊碑、満蒙開拓団の碑などを案内してもらった。(T)

 今年の東京ピースサイクルは練馬からのルートに集中した取り組みであったが、のべ五〇人からの参加があり、久々に賑やかな取組みとなった。
 なお翌日朝には、大田のメンバーが神奈川ピースにバトンタッチした。 (T)

ピースサイクル・山陽

 広島の〇九ピースサイクルは、沖縄を皮切りに山陽ルート、四国ルートと取り組まれた。ピースサイクルも今年で二四年目を迎え、沖縄ピースサイクルも二〇周年を迎えた。今年掲げるピースサイクルのスローガンは「守り活かそう!憲法九条!止めよう戦争への流れを!」となっている。これに加え山陽ルート、四国ルートはで反基地、反原発をメインに上関原発建設予定地、伊方原発向けて抗議行動を行った。

 山陽ルートは、七月三〇日平和公園に七時に集合し慰霊碑に献花した後、伴走・実走者七人が七時四〇分に出発した。途中参加者や家族を含め延べ一三人がピースサイクルに参加した。
 初日は、岩国基地拡張工事現場を見学し、その日は柳井市に宿泊。夜は反原発を掲げる柳井市民の前山口県議会議員小中進氏を中心としたグループと交流。翌日は上関半島の四代に行き、上関原発予定地が見下ろせるログハウス(団結小屋)を訪問、そこで交流を行った。
 二日目は小倉で宿泊。昨年までは下関が宿泊先であったが、三日目の走行距離などを考慮して小倉に変更。夕方からは北九州の郵政ユニオンの仲間が中心となって「ねえ聞いてっちゃ北九州連続集会実行委員会」と地域ユニオンの人々と交流。広島と同様に派遣労働、外国人研修生・実修生問題、生活保護申請等の意見と経験が交わされ有意義な交流会となった。
 三日目は、郵政ユニオンの仲間と一緒に大分県中津に向けて出発。途中、福岡県築城航空自衛隊基地へ反基地の一環として抗議。昼食時に大分の市民グループと合流し、午後から中央公園に向けて出発。一六時に中津市民の草の根の会・赤とんぼの世話人(梶原)さんたちが向かえてくれた。「平和の鐘まつり」はピースサイクルと同様に年月を重ね今年で二四回目を迎えていることに新たな感動をおぼえた。
 夕方からは場所変えて「平和の鐘まつり」に参加。記念講演として上関原発建設に反対している祝島の山戸貞夫さんより「上関原発反対闘争のいまは」と題する講演があった。講演はDVDを活用して反対闘争の歴史を振り返りながら進められ、あらためて中国電力の卑劣な行為が赤裸々に暴露された。これまでも言われてきたように、魚業保障として一人三〇〇〇万円から四〇〇〇万円の札束で買収。山戸さんは祝島魚協に数億円の銭が勝手に振り込まれてきた経緯があったことを暴露し、これを拒否した。また、山戸さんは議員報酬に一切手をつけず活動に使っている。現在では祝島の強固な意志を背景に、自力できる運動も一方では追求していることが報告され、その具体的なとり気味として、びわ茶、タコあし、ヒジキなどを活用しながら、一〇〇万人署名に取り組み来る総選挙で自公政権打倒し、社会情勢の変化を期待して運動を展開することを強調して講演は終了した。その後、居酒屋で交流を深めた。
 最終日は予定を変更し、築城基地前での座り込み行動に一〇時から一二時まで参加。
 これで〇九ピースサイクル山陽ルートは無事事故もなく終了することができた。(N)

ピースサイクル・埼玉

 関東地方の梅雨明け宣言がされた翌日の七月一五日に、ピースサイクル埼玉ネットの実走が行われた。
 朝八時三〇分のスタートで県北は神川、寄居、熊谷、そして県南は北本、浦和の五コースで行われた。
 各コースとも自治体訪問を主体に取組まれ、一四の市町村を廻ることができた。しかし、ここ数年市町村の合併が進み自治体訪問数が減少してきている。各自治体の訪問に際しては総務担当や議員を通じ、二〇〇八年埼玉ネット報告集、要請書、リーフレット「つくろう戦争のない世界を!守ろう未来の環境!」、ピースサイクル二〇〇九全国マップの四点をセットにして事前に配布をした。

 自治体訪問時には要請書について次の内容で読み上げられた。
 百年に一度といわれる大不況の中、労働者をとりまく状況は非常に厳しく、「派遣切り」という言葉に代表されますように、労働者を「モノ扱い」し、「法」さえ守られない状況が続いています。一方、「核」の問題や地球温暖化、環境汚染や原発問題、さらに今尚、世界の国々で続けられている「戦争」や「内紛」などは、深刻な状況となっています。このような状況下、私たちピースサイクル埼玉ネットは二三年目を迎えた今日も、「反戦」「平和」などを訴え自転車でキャラバン行動を行います。つきましては、ピースサイクル運動の趣旨をご理解いただき、ご支援・ご協力をお願いすると共に、以下の諸点についてご協力下さいますように要請いたします。@貴自治体が行った「平和を願う宣言」(非核平和宣言など)の趣旨を生かすため、必要な予算を計上し、非核・平和のための行政に積極的に取り組まれたい。すでに予算が計上されている自治体は引き続き予算を計上し、非核・平和のための行政を強化されたい。A全世界の核兵器廃絶に向けた取り組みを強化するよう、政府への働きかけをされたい。B広島・長崎に原爆が投下された日には、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う思いを込め、また、「戦争を風化させない」ために、サイレンを鳴らすなどの行動を行い、広報などで、その趣旨を広く住民に周知されたい。また、「何らかの行動」を行っている自治体は、引き続き継続されたい。C自然環境保護政策を推進されたい。D自転車道及び歩道の整備を推進し、自動車中心社会の緩和政策を推進されたい。(以上要請文から)

 自治体によっては八月の平和行政の一環として、広島、長崎へ市民派遣、市民と協力してアニメ映画会、平和コンサートや原爆朗読劇、原爆の図の展示などに取り組んでいる。ピースサイクル埼玉ネットにメッセージを毎年よせてくれるある自治体の担当者はオバマ大統領の核兵器廃絶発言は全世界が望んでいたことであり支持したいと話していた。

 実走の途中、休憩していると自転車につけていた憲法九条の旗を見て地元の「九条の会」の人が声をかけてきたので全国マップを手渡す場面もあった。終盤には五コースとも東松山市役所に集合し、要請行動を行った。その後、丸木美術館に全員到着、短時間で交流会を開き、今秋に憲法の講演会と交流会を開催することを実行委員長が提案し、参加者の賛同を得て一日の行動を終えた。 (A)

ピースサイクル・長野

 今年も元気に平和への想いを共有して走る

 一九年目を迎えた長野ピースサイクルは、七月二五日から二七日の三日間、総数三〇名の参加を得て実走を終了した。

 二五日早朝、長野県松本市からは一三名が、佐久市からは四名が出発した。伴走車には、「憲法九条の心を世界へ」「すべての核廃絶」などの横断幕やピースサイクル旗を掲げて、道行く人に訴えながら走った。途中から千曲市の市会議員も電動自転車で参加してくれ、一九名が千曲市に向って自転車を走らせた。梅雨空のもとで時々雨ではあったが、それでも元気に松本組は約八五km、佐久組は六五kmを無事に走って千曲市で合流した。
 宿舎では今年二月に「許すな改憲市民運動全国交流集会in沖縄」に参加した仲間が持ち帰ったDVDをもとに、高江のヘリパッド、辺野古の新基地建設反対の闘いの様子を学び、闘いに連帯することを確認しあった。
 二六日は夜の間降っていた雨も上がり、時々は太陽が顔をのぞかせる天候のなか、千曲市からの五名も加わって、二〇名で出発した。長い自転車の隊列に農作業の手を止めて見ている人々もいた。約二七km(二時間)走って、須坂市にある長野ソフトエネルギー資料室へ到着した。ここは早くから、脱原発を訴えて太陽光発電を実践提唱し活動している市民グループの拠点である。毎年スイカやキウリ、冷たい麦茶で歓迎してくれる。汗をかいて走ってきた仲間達の歓声と感謝の声が響く。ほとんど一年ぶりの再会ではあるが、平和を願う連帯の絆は今年も確認された。暖かい声援に見送られて、みんな元気に出発した。
 そして、いよいよこれから先は、ナガーイ上り坂が待っている。蒸し暑い中を約一六km走ってようやく昼食。ここでは飯綱町の国労OBの皆さんが今年も歓迎してくれた。昨年に続いて「飯綱町九条の会」の代表からあいさつと激励を受け、ともに平和のために頑張っていくことを確認しあった。
 昼食のあといよいよ長野ピースサイクルの一番辛い坂道約四km。ここを自転車で走るとやはり「ピースサイクル、今年も走った」という実感が沸いてくるから不思議である。出発した頃からポツポツと雨が来そうな天気になってきた。きつい坂を登り切った頃からは雨が降りはじめて、最終手前の休憩地点に着く頃には「どしゃぶり」になってしまった。
 この日帰る人はここで撤収。ようやく小降りになったところで、この日の宿泊地の野尻湖高原キャンプ場へ。雨に見舞われたが、様々な闘いのことを含む体験談などで盛り上がり、深夜まで交流を深めあった。 
 翌朝はやはり雨、キャンプ道具をかたづけて新潟県に向けて出発。昨夜からの大雨で新潟ピースサイクルは柏崎からの出発を断念したとの連絡が入り、今年は新潟ピースサイクルとの合流は出来なかった。長野ピースサイクルも安全を考えて、この日の目的地まで走るのを断念した。

 今年運んだピースメッセージは自治体からのものを含めて、広島市長に五四通、長崎市長に五一通、沖縄県知事に五一通、更に六カ所の核リサイクル施設の運転中止を求める寄せ書き布三枚などである。

 来年は長野ピースサイクルも二〇周年、早くも実行委員会の話題となっている。これから、衆議院選挙に向けた「平和のためのアンケート」を行い、秋には報告集を作成する。
 一月から八回の実行委員会を重ねて準備した三日間の実走は終わったが、「温暖化対策としての自転車利用や、自転車専用道路の建設等」自治体に提出した要望も含めた、通年の取り組みを更に続けていく。(長野ピースサイクル実行委員)

ピースサイクル・静岡

 七月二五日、ピースサイクル浜松は、人権平和浜松・NO!AWACSの会浜松の仲間とともに、自治体と自衛隊に要請行動を行った。
 一四時から一時間にわたっての浜松市役所の要請行動では、浜松市長に対して、@航空自衛隊浜松基地の撤去、AAWACSの廃棄、BPAC3(新型ペトリオット)配備に反対の意思表示、C中部電力浜岡原発のプルサーマル計画に反対の意思表示について、あらかじめ提出していた要請書をもとに意見交換をした。
 つづいて、航空自衛隊浜松基地の正門前で、@PAC3配備の中止すること、A市民運動への監視を中止すること、B夜間飛行訓練の中止し、静かな夜を市民に返すこと、C防衛省は隠ぺい体質を改めること、DAWACSの飛行を中止すること、の要請書を読み上げた。
 浜松基地では一〇月二七日に開催する航空祭で、米軍のサンダーバードの飛行が予定されている。浜松を戦争の拠点にさせない取り組みを、さらにつづけていきたい。 (静岡・読者)


反貧困ネットワークの主催で 「選挙目前! 私たちが望むこと」集会

 七月三一日、総評会館で、反貧困ネットワーク主催の「選挙目前!私たちが望むこと」集会(2009年「反貧困キャンペーン」スタート企画)が開かれ、三五〇人が参加する熱気あるものとなった。

 反貧困ネットワークでは、総選挙に向けて「私たちが望むこと」と題した文書で、それぞれの分野で具体的な要求を打ち出し、各政党にその実現を求めている。「貧困対策全般」では、@貧困率測定調査を行い、貧困削減の具体的な数値目標をかかげること、A貧困施策においてはパッケージで対策をこうじること、B社会保障費は削減せず、穴だらけになっているセーフティネットを早急に再構築すること。又、社会保障を充実させる法の制定等、社会保障全体のグランドデザインを示すこと、「生活保護」では、@生活保護基準を文化的最低生活と社会参加ができる水準へと引き上げること、A申請権をすべての人に保障すること、があげられ、また「雇用、労働」では、@不安定雇用をなくすため、労働者派遣法の抜本改正と有期雇用規制の強化を行なうこと。Aすべての労働者に雇用保険、社会保険の完全適用を行なうこと。B雇用・労働条件の均等待遇を確立すること、が求められている。
 その外に「住宅」「年金」「女性」「子どもの貧困・教育」「母子家庭・父子家庭」「外国人」「医療」「介護」「障害者」「DV問題」「多重債務問題」「ホームレス問題」「税・社会保険料」「その他(自殺対策)」などがあり全部で一七の分野にわたるものである。
 
 集会では、はじめに同ネット代表の宇都宮健児弁護士が、総選挙では貧困問題に取り組む政治が実現できるようにしていかなければならないとあいさつ。
 総選挙を控えた各党国会議員も参加。自民党の森雅子参院議員、菅直人民主党副代表・前衆院議員、日本共産党の大門実紀史参院議員、国民新党の亀井郁夫参院議員、無所属の川田龍平参院議員、社民党の保坂展人前衆院議員がそれぞれ発言した。
 老人医療制度、派遣切り・偽装請負、官製ワーキングプア、中小企業からなど当事者からの切実な報告と訴えがつづいた。
 確認された集会宣言では、「私たちが、どのような政府、どのような『国の形』を求めるのかが問われています」として、「貧困問題に関心を寄せる私たちは、すべての候補者に国としてただちに貧困率を測定し、貧困率の削減目標を立てるよう求めます。そして、次期首相が国会の施政方針演説で、日本国政府としてその実行を宣言することを求めます。…貧困率の公認は、貧困問題を直視し、それに立ち向かおうとする政権の『意思』の問題となっています。貧困問題を解決する『意思』を欠く政府に、私たちは私たちの生活を任せることができません。貧困と向き合う政治的な意思、それを可能にする選挙結果を、私たちは『反貧困キャンペーン2009』に参加する全国各地の人々とともに、求めます」ことを求めている。
 閉会のあいさつで、同ネット副代表の赤石千衣子さん(しんぐるまざーずフォーラム)が、「政治を変えていこう」と述べた。


映画『鶴彬(つるあきら)〜心の軌跡』を観て
 
『蟹工船』現象の背景

 映画『鶴彬(つるあきら)〜心の軌跡』(監督・神山征二郎)を観てきた。今年がプロレタリア川柳家の鶴彬生誕一〇〇年ということで作られた映画だ。「ポレポレ東中野」は小さな劇場だったが、八割方の椅子が埋まっている。平日の午後という時間帯でもあってか観客の年齢層はかなり高いが、若者も十数人はいた。映画そのもののストーリーは省くが、いろいろと考えさせられ、何冊かの関係文献も読んでみた。そして、鶴彬の川柳のいくつかを紹介しておきたい。

 「年越し派遣村」であけ、世界資本主義の危機が深まるという二〇〇九今の時期に鶴彬の映画とはまったくふさわしい。資本は利潤の増大を求めてどこまでも労働者を搾取するが、それに一定の歯止めをかけたのが労働組合運動であり、労働者保護法制などの社会政策だった。それが歴史の歯車を逆転させるような新自由主義の規制緩和で、ふたたび赤裸々な資本の横暴さがでてきて、かつてのプロレタリア文学が描くような世界が再現したわけである。小林多喜二の『蟹工船』などが共感を持って読まれる根拠である。資本の側が圧殺しつくしたと思った労働運動や社会主義運動の再生そのものを彼らの側から促進しているわけである。

鶴彬をめぐる人びと

 映画では一歩も引かぬ姿勢で戦争に抗する若いプロレタリア川柳家の姿が描かれているが、興味深いのは、彼を取り巻く人々、支援する人々のことである。
 たとえば鶴彬がその作品の多くを載せた『川柳人』の井上剣花坊という人は実に興味深い。彼は弾圧にあった鶴彬を自宅にかくまったりする。だが、川柳革新の中心人物であるが決して左翼ではない。
 剣花坊の句には「咳ひとつ聞こえぬ中を天皇旗」や「民艸(たみくさ)のスグの真上の紫宸殿」のようなものがあるとともに、また「搾取した金は善窃取した金は悪」「飢ゆるとや倉には腐るほどの米」などがある。長州出身で自由民権運動にも参加し、その主張は「私の主義は、平民主義です、自由主義です」という。だが、それも「人間としては上、御一人を除くの外は貴賎の差別はない、という簡単な主義」と自ら言うような一種の国家社会主義的な思想の持ち主であった。もっともアナーキストなどとの付き合いも含めて幅広い交友関係を持ち、政治嫌いな自由人だったとも言われる。
 その剣花坊は昭和九年(一九三四年)九月に死去するが、鶴彬は、『川柳人』同年一二月号に追悼詩「若き精神を讃える唄―井上剣花坊をとむらう―」を載せる。
 (前 略)
 悲しむことのうるわしさよ
 しかし、悲しみに敗けてはならぬ
 かかる愚痴と未練は
 隕石になった星と一しょに
 言葉の花束でうずめてしまえ
 いまこそ若き時代のために
 プロレタリアの夜明けのために
 彼の詩の情熱がさし示す
 新鮮な黎明の大気を
 胸深く呼吸せよ
 ――(黎明の大気の中にひらく花)
 肉体の老いに背ける
 若きたましいのもちぬしよ
 なんじのすべてを
 未来の花咲かせる
 われらの意志と情熱に安んぜよ
 (「黎明の…」は剣花坊の句)

 鶴彬は、剣花坊を「肉体の老いに背ける 若きたましいのもちぬし」と呼び、その志しの継承をうたった。一九三〇年代にはプロレタリア運動は打ち続く弾圧を受けながらも英雄的に闘いぬいた。しかし、その一面で数々のセクト主義的偏向を犯しもしていたが、こうした侵略戦争激化の情勢下でのマルクス主義者・鶴彬と剣花坊のような人物の関係は実に貴重だ。

 鶴彬は句作だけでなく、詩や評論も多く残している。新興川柳の流れの中にも、さまざまな流れがあり論争があった。鶴彬は、その評論のひとつで(「川柳の大衆性と芸術性―木村半文銭を駁す」)で、アナキズム的要素を持つ神秘主義的川柳の流れを批判して書く。ここで鶴彬の目指す川柳とはどんなものかが鮮明に打ち出されている。
 「吾々が川柳をプロレタリアートのものたらしめやうとするのは、吾々の生活する現実の諸矛盾が、この階級の成長と発展なくして解決し得ないといふ、認識に基づいてゐる。プロレタリアートこそ、あらゆる、人間生活を可能ならしめる生産的基礎である。これは一切の社会的上部構造を醗酵せしめる貯水池であり、すべての文化はこの勤労の貯水池からの吸収なくしては花咲くことが不可能である。にも拘はらず、現代階級社会における現実に、いかにこの生産的基礎と、文化的構造とが、驚くべき距離を余儀なくされてゐることか。勤労の貯水池に一片の文化の花びらを落すことがいかに拒まれてゐることか。カイザアのものはカイザアに、創造的成果は創造に汗するものへ、そして文化はつひに勤労する大衆へかへらねばならぬ。
 吾々は川柳をかくしてプロレタリアートの文学として守るものであると共に、それによって川柳を発展する歴史の方向にさしむけんとするものである。ましてや川柳は歴史的階級的に勤労人民の短詩として発生し、発展した諸条件によって、この国の短詩中比類なき大衆的性格を身につけてゐる。かヽる見地に立つとき、川柳はつひに一人の為の所有ではなく、万人の為の共同的所産として、必然大衆的性格を創造せざるを得ないといふことは不可避であらう。」
 まさに当時の正統派のプロレタリア文学理論による川柳論である。

 鶴彬は一九三七年一一月『川柳人』に最後の作品となった反戦川柳「胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき」を載せたが、それを理由に治安維持法違反で逮捕され、東京・野方警察署での拷問と長期の勾留から衰弱して赤痢にかかり、一九三八年九月移送先の豊多摩病院で二九歳の生涯を閉じた。官憲による虐殺である。
 死の前年の一九三七年七月には日本の侵略戦争は中国全土に拡大された。その二八歳の時の作品。

 高梁(コーリャン)の実りへ戦車と靴の鋲

 屍のゐないニュース映画で勇ましい

 出征の門標があってがらんどうの小店

 万歳とあげて行った手を大陸において来た

 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 こうした人生があったからこそ、その後に続く日帝敗北後の民衆の運動、資本主義廃絶にむけた闘いの高揚があった。
 与謝野晶子の『劫初より 作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ』ではないが、それぞれの人のまさに協働で歴史は作られていく。

民族の伝統とは

 鶴彬の映画を観ながら日本の革命伝統ということについても考えてみた。
 自国帝国主義の敗北による革命を主張していたレーニンに『大ロシア人の民族的誇りについて』という論文がある。
 これは、一九一四年に第一世界大戦が勃発して、反動派が民族だ祖国だとわめきたてていたときに書かれたものだ。
 ここでレーニンは「われわれは、民族的誇りの感情をいっぱいにもっている」として、その理由を「大ロシア民族も革命的階級をつくりだしたからであり、また大ロシア民族は坊主・ツァーリ・地主・資本家にたいするはなはだしく卑屈な態度や大がかりなポグロム(ユダヤ人の組織的な虐殺)や絞首台の行列や拷問部屋や大飢饉を人類に提供する能力があるばかりでなく、自由と社会主義のための闘争の偉大な模範を人類にしめす能力もあるということを、やはり証明したからである。…」と指摘した。
 われわれの過去も、侵略抑圧の歴史であるとともに、それに反抗して闘いぬいた人々の歴史でもある。われわれは、世界の民衆と連帯するとともに、過去の革命的進歩的な伝統を評価して継承する必要がある。 (H)


せ ん り ゅ う

 折込も求人減りパチンコ増えた
 
 「きぼう」は宇宙に俺らにはない

 人民元資本の顔を売りはじめ

 ドブ板を歩く大物の大邸宅

 オバマさん広島おいで謝罪しに

            ヽ 史

 二〇〇九年七月

 ○ 中国資本はいま投機家たちの関心の的だ。米ドルの次はユーロか円か元か……否々、社会主義でどうだ!と「きぼう」を言いたい。
 ○ 遅すぎた総選挙。ドブ板を踏んづける代議士たちの同士討ちですかね。まあまあ。自公は引っ込め!


複眼単眼

 
 「言論の自由」に名を借りた自由と人権への攻撃

 八月六日の原爆の日に、ヒロシマの原爆ドームの近所(メルパルク広島)で、田母神俊雄元航空幕僚長が「日本会議」主催の「ヒロシマの平和を疑う」という講演を行う(本紙が出るのはその後だが)。これにたいして秋葉忠利広島市長は「被爆者や遺族の哀しみを増す結果になりかねない」として「日程変更」を申し入れ、一〇〇団体を超える市民団体が連名で「講演会の中止を要求する共同声明」を発表した。
 田母神・元空幕長は核武装論者であり、退任後、全国各地でそうした言動をつづけてきて、今回も「日本のために核武装するべきだと考えており、講演ではそこに触れることになる」と言明している。被爆地広島の市長や市民団体が、講演会の「変更」や「中止」を要求するのは当然のことだ。
 これに対して、「日本会議広島」は「中国新聞」に意見広告を掲載し、「予定通り開催する」と宣言している。この場合、田母神氏や日本会議の口実は「言論の自由」である。
 田母神氏は航空幕僚長当時、論文「日本は侵略国家であったか」を公表し、それをとがめられると、この時も「言論の自由」に反する不当な弾圧だと称して、抗議していた。日本最大の暴力組織=自衛隊の最高幹部に憲法に反する言説を公言する自由などあり得ない(憲法九九条)にもかかわらず、田母神氏は「言論の自由」で自己を正当化し続けた。当時でも、およそ憲法や言論の自由という問題を理解できない人物だとひんしゅくを買ったが、今回もまたこの類の言説の主張である。
 たしかに日本国憲法はそれが言論にとどまっている限りにおいて、「表現の自由」を保障している。しかし、今回の田母神氏と日本会議の行動は、一四万人の人びとが米国の投下した原爆で瞬時に生命が奪われ、その後も犠牲者総数が二四万人にも達するといわれるヒロシマの八月六日にねらいを定めて行われるという極めて悪質なものである。しかも先のオバマ米大統領のプラハ演説以来、世界的にかつてなく核廃絶への期待と流れが強まっているときである。
 この田母神氏らの行動によってどれだけ多くの被害者と遺族の人びとの心が傷つけられ、苦しまされることになるのか。この日はヒロシマの被爆者の多くの人びとの命日であり、特別の日である。全国・全世界から被爆者に思いを寄せ、反核平和を願う人びとがヒロシマに集う日である。
 田母神氏と日本会議の行動はこれらの人びとに対する侮辱であり、攻撃であり、人権に対する侵害である。かれらにそうした行動をとる自由は保障されていない。広島市長が「日程変更」という最低限の譲歩した要請を行い、市民団体が「中止」を要求するのは人権の立場から当然のことである。このことを理解しない田母神氏らが「言論の自由」を掲げることは笑止である。
 本来、表現の自由、言論の自由は権力によって被抑圧者の人権が奪われることを許さないためのものである。「表現の自由」は、この国の最高権力者の一翼にいて、それを行使して来た田母神氏の味方ではないし、退職後も日本の核武装化と軍事力の強化のために奔走している田母神氏に行使できる権利ではないということを、彼に思い知らせてやる必要がある。
 今回の市民の「中止要求」は人道的に見て全く正当なものである。 (T)