人民新報 ・ 第1257号<統合350号(2009年9月15日)
  
                  目次

● 自民党の歴史的大敗 民社国三党連立政権の成立   生活防衛・改憲阻止・対米自立の大衆運動のさらなる強化を!

● 首都圏ネット主催による都教委包囲アクション

● 8・15 「アキヒト天皇制二〇年=『戦争国家で安心安全』を問う」行動    排外主義右翼による襲撃=テロを許すな!

● 8・30  自衛隊・米軍参加の東京都総合防災訓練に反対する行動

● 「郵政選挙から4年、そしてまた熱い夏を!―私たちの社会を取り戻すために―」    郵政民営化を監視する市民ネットワーク市民討論集会

● 地震学者の島村英紀さんが講演   危うい地殻にのる地震国日本

● ピースサイクル
 
     ピースサイクルおかやま日本原ルート  日本原燃事業所や自衛隊日本原駐屯地に申し入れ

     四国ピースサイクル   21回目にして節目をむかえ、伊方原発装荷反対集会全力参加へ

● 映 評  /  「嗚呼 満蒙開拓団」

● KODAMA  /  岡崎ら保守親米派は何を恐れるか

● 複眼単眼  /  総選挙後の衆院議員の憲法問題での変化




自民党の歴史的大敗 民社国三党連立政権の成立

    生活防衛・改憲阻止・対米自立の大衆運動のさらなる強化を!


自滅した自民党

八月三十日の総選挙は六九%以上の投票率となり、自民・公明与党の歴史的惨敗、民主党の圧勝、共産・社民の現勢力維持という結果となった。長きにわたる自民党政治はついに打ち破られた。こうして五五年体制確立以来の大変革への第一歩がしるされた。今後、各政治勢力の激しい闘いの中で、日本政治の新たな段階が切り拓かれることになる。
総選挙の敗北の総括、後継総裁の選出、特別国会での首班指名などでの混乱をめぐって、自民党執行部の体たらくが連日マスコミを賑わせ、同時にその地方組織、支持団体の分裂、離反が報じられている。そもそも自民党政治は、公明党の支持によって支えられながらも、長期低落をつづけ、小泉の前の森喜朗内閣の時にはその終焉が語られていた。ところが二〇〇一年に登場した小泉内閣はアメリカ・ブッシュ政権の「新自由主義・構造改革」路線と、対テロ戦争に積極的に加担するとともに、「自民党をぶっ壊す」などのスローガンを叫びながらのデマゴーグ的政治手法で自民党支持率回復を実現した。とりわけ四年前の二〇〇五年「郵政」総選挙によって奇跡的な大勝で衆院での三分の二与党勢力を手にいれ、それ以降、自民党は郵政問題以外のさまざまな悪法を成立させてきたのである。
小泉の後を次いだ安倍晋三内閣は、新保守主義的なイデオロギーを前面に押し出し、教育基本法を改悪したばかりか、自分の任期中の「憲法改正」までも口走り、改憲を第一のテーマとして二〇〇七年参院選を戦ったが大敗してしまった。自民党の強行してきた新自由主義・規制緩和政策は都市労働者を襲っただけでなく、自民党の伝統的支持基盤でもあった地方の農業、地場産業、都市の中小零細企業に打撃を与えた。こうした社会的格差・貧困が拡大したことに対する反発の結果であった。また、改憲・新保守主義に対する不安・警戒感が全国に広がったからであった。安倍は、小泉改革に対する不満の高まりをみて政策の手直しをしようとしたがかえって自民党の政策を混迷させるものとなり、支持者の一段の自民離れを促進した。そして安倍は内外で孤立を深め、ついに政権を投げ出したのである。つづく福田も短命政権に終わり、総選挙に勝てる「顔」として麻生太郎の登場となった。麻生はこれ以上に自軍を敗北させるのにふさわしい者はいないというしろものであった。こうした観測が多くのところから出されているのにもかかわらず、自民党はまったく逆に考えていたのである。事態は大方の予想通りに進行し、麻生とその内閣は失政を重ね、その上自分の任期を一日でも延ばすために解散の時期を先送りしたことは民衆の不満を限りなく蓄積させることになった。その結果、麻生内閣と自民党・公明党にとって最悪の時期に解散・総選挙を設定して歴史的かつ壊滅的な敗北を喫し、麻生は自らの手で失笑の中に自民党政治を終焉させたのであった。

新内閣の内外政策

 有権者が「変化」もとめた総選挙結果が確定した三〇日夜、鳩山由紀夫民主党代表は記者会見で、「政権交代」「古い政治との決別」「主権の交代」の三点をあげた。最後のものは官僚主導型政治と決別し、政治家主導を実現するということだ。
 現在、九月一六日の新内閣の発足にむけて、民主党と社民党の連立協議が行われている。民主党、社民党、国民新党三党の「衆議院選挙に当たっての共通政策」では、「家計に対する支援を最重点と位置づけ、国民の可処分所得を増やし、消費の拡大につなげる。また中小企業、農業など地域を支える経済基盤を強化し、年金・医療・介護など社会保障制度や雇用制度を信頼できる、持続可能な制度へと組み替えていく。さらに地球温暖化対策等に資する新産業を支援していく。こうした施策を展開することによって、日本経済を内需主導の経済へと転換を図り、安定した経済成長を実現し、国民生活の立て直しを図っていく」ことをあげ、また「もとより三党は、唯一の被爆国として日本国憲法の『平和主義』をはじめ『国民主権』『基本的人権の尊重』の三原則の遵守を確認する」とされている。新内閣は、まずこの共同政策の課題である@消費税率の据え置き、A郵政事業の抜本的見直し、B子育て、仕事と家庭の両立への支援、C年金・医療・介護など社会保障制度の充実、D雇用対策の強化―労働者派遣法の抜本改正、E地域の活性化、F憲法遵守、憲法が保障する諸権利の実現を第一とする、などを具体化すべきである。


安保とアジア外交

 外交政策では、鳩山をはじめ岡田克也や小沢一郎など民主党幹部は、「アジア重視」を表明している。鳩山は民主党政権発足後、首相就任後は靖国神社を参拝せず、中国の内政に干渉しないと言っている。
 また民主党は米国との対等性を堅持し、在日米軍基地の縮小や「思いやり予算」の削減・廃止なども検討していると報じられた。だが、こうした傾向はアメリカにとって脅威と受け止められ、日本の新政権が海上自衛隊が行っているインド洋での給油活動を中止し、在日米軍再編計画を見直す方針を示しているとして民主党の安保・外交政策を懸念し、また、鳩山が「対等な日米関係」を目指し、対米追随外交を改め、アジア重視の外交政策を展開する考えを表明していることにも警戒している。
 そうした中、九月三日未明、アメリカ・オバマ大統領と鳩山代表は電話会談を行い、オバマは、「日米関係をますます強化したい」と表明し、鳩山も「日米同盟は基軸だ。建設的な未来志向の日米関係を築き上げていきたい」と述べ、また九月下旬に、首脳会談が行われる見通しとなった。
 国務省のキャンベル東アジア・太平洋担当次官補は、日本がより「自立した役割」を果たすことは、米国の外交政策と矛盾しないとしつつ「日本がアジアでより強力な指導力を発揮することを期待し、支援する」と語り、日本の一段の「貢献」を求めている。
 アメリカは依然として従来のままの対米従属的な関係を維持しようとし、自民党、官僚、マスコミの中にもこれに呼応する動きが強まっている。民主党は旧社会党員から、自民党より右の反動勢力の議員も含めた雑居政党であり、どの勢力が優位にたつかで新政権の政策はおおきく動揺する可能性は高く、注視しなければならない。

更に大衆運動強化を

 新政権の政策についての態度としては、民主党の衆院選政権公約(マニフェスト)で公約し、三党共同政策でも確認された自民党政治からの脱却、格差是正などの政策についてはこの実行を促すともに、アメリカ、財界、右翼勢力の要求に呼応するような政策には断固これに反対して闘わなければならない。
 まずアフガニスタンの復興支援では、軍事力ではなく、非軍事民生協力に徹するようにはっきりさせるべきだ。海上自衛隊のインド洋給油は、撤退方針を明らかにし早期に実現すべきである。海賊対処新法で自衛隊を派遣したことも即刻あらため、自衛隊の撤退をはからなくてはならない。海外派兵は憲法に違反するものであり、これまでの自衛隊の活動を見直しに着手すべきである。
 沖縄基地問題では、辺野古新基地建設の中止をはじめ基地縮小と撤去にむけた動きを加速させ、そしてさまざまな基地被害の根源にある日米地位協定(「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」)の抜本的な見直しが必要である。
 自公与党提出の北朝鮮貨物検査特別措置法案は先の通常国会で廃案となったが、それとほぼ同様のものを民主党は九月一日、国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁決議の内容を実行するためとして、秋の臨時国会に提出する方針を固めたという。民主党のマニフェストでは「北朝鮮の核保有を認めない」としたうえで、「貨物検査の実施を含め断固とした措置をとる」と明記していたが、この法案では、北朝鮮に出入りする船舶や航空機が禁輸品を積んでいる疑いがある場合に海上保安庁と税関で検査するとしていて、また海上保安庁が対応できない「特別の必要がある場合」は、自衛隊法八二条の海上警備行動を発令して自衛隊が対応するとする。こうした法案はいたずらに緊張を激化させるだけのものであり、断固として反対する。
 安倍内閣の突然の倒壊と今回の自公政権の敗北で、以降、改憲の動きは大きく後退したが、右派勢力(そしてアメリカ)は宿願の改憲をあきらめたわけではない。自民党の敗北によって、右翼勢力はその政治拠点を弱体化させたが、同時に自民党のいっそうの右傾化による再建、在野右翼の暴力化も進行している。かれらは、靖国神社問題、民族排外主義とともに改憲運動がかれらの主な活動としている。憲法問題は鳩山政権下でいっそう焦点化し、連立政権の行方を左右する問題となってくるだろう。民主党、自民党の連動した改憲策動に反対し「憲法審査会を始動させない」「改憲手続き法を発動させない」運動を強めてかなければならない。
 憲法問題とともに、三党連立協議での対立点は国会議員定数是正問題だ。衆院の比例代表は既に二〇〇〇年の総選挙で二〇〇から一八〇に削減された。民主党はさらに八〇を削減するといっている。これ以上減らせば大政党に有利な小選挙区の比重が決定的に高まるのであり、国会内外の行動を組織し、断固として阻止しなければならない。

民社国三党連立による鳩山政権の発足という事態を迎えて、われわれはこの新たな政治的条件を生かしながら、いっそう独自の労働者・市民の大衆運動を強めていかなければならない。それを通じて反動政治と資本の専制を決定的に打ち破る運動と組織力量を強めていかなければならない。


資料

     鳩山由紀夫民主党代表に新憲法制定議員同盟「顧問」の辞職を要請します
 
   第四五回総選挙は有権者の自公連立政権への厳しい批判のなかで、民主党の大勝となりました。いま、多くの人びとは鳩山由起夫代表が首相になると言われている新しい連立政権が、民衆の切実な要求と期待に応える政治をすすめていくかどうか、息を呑んで注目しております。
  ところで、鳩山氏はさる二〇〇八年三月四日、特異な改憲論を基盤として改憲をめざす「新憲法制定議員同盟」(中曽根康弘会長)の顧問に就任されました。そして今日、なおこの職にあると聞きます。しかし、新しい政権の首相となる鳩山氏が、こうした政治的立場にとどまることは、多くの国民の願いに合致するものとは思われません。首相には憲法第九九条の「憲法尊重擁護義務」がよりいっそう厳しく問われるのであり、特定の憲法観をもった改憲団体の役職にあることは極めて不適切なものと言わなければなりません。
  私たちは鳩山氏が英断をもって直ちに同職を辞任することを公式に表明されることを要請致します。
 
 二〇〇九年九月
 
 呼びかけ団体
  憲法を生かす会/第九条の会ヒロシマ/日本山妙法寺/日本消費者連盟/VAWW―NETジャパン/平和を実現するキリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会


首都圏ネット主催による都教委包囲アクション

  「改悪教育基本法の実働化と闘おう!」「10・23通達を撤回せよ!通達に基づく処分を撤回せよ!」「石原は即刻辞職せよ!」
 
  八月二十八日、都教委包囲・首都圏ネットワークの主催による「8・28都教委包囲アクション」が闘われた。この行動は、メインスローガンを「改悪教育基本法の実働化と闘おう!」「10・23通達を撤回せよ!通達に基づく処分を撤回せよ!」「石原は即刻辞職せよ!」とし、「教職員の差別・分断を図る主任教諭制撤回!」「職員会議での挙手・採決禁止の通知を撤回!」「業績評価制度(人事考課制度)廃止!」「『君が代』不起立分限処分を許さない!」「教員免許更新制度撤廃!」を掲げて展開された。
  午前中には、根津公子さん(三年連続での停職六ヶ月)、河原井純子さん(二年連続の停職六ヶ月)の「都庁前座り込み」を闘い、午後三時から都庁第二庁舎二階玄関前で、「日の丸・君が代強制反対」や「石原は辞めろ」などの文字が書かれた「アドバルーン式横断幕」を路上で上げて集会がはじまった。この日の行動には二五〇名が参加。
  「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会、「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会などからの発言があり、つづいて二つの要請行動(石原都知事への要請団、都教委への要請団)が行われた。都側は職員、ガードマンが並んで妨害するがそれに抗議して要請団は押しまくった。都知事への要請では、参事が出てきたが、要請団は知事の辞任と「日の丸・君が代」強制処分反対の要請書を読み上げ手渡した。
  都教委への要請では、都教委の部屋の前でシュプレヒコールをやり、その後、情報課課長が対応し十数団体の要請をそれぞれ読み上げ手渡した。
  要請行動をおわり、再び第二庁舎前で総括を行い、決議文(別掲)を確認した。

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 8・28都教委包囲アクション決議
 
  石原都政が発足してから一〇年が経過しました。この一〇年間で都政と都民生活はずたずたに引き裂かれました。なかでも教育の反動化と福祉の切り捨てのすさまじさは群を抜いています。このような都政は一日もはやく終わらせなければなりません。
  石原都政の下で都教育委員会は、何一つ教育のためになることはやってきませんでした。定時制高校の統廃合をよりいっそう進めるなど生徒の教育の場を次々に奪ってきました。一方で、進学重点化や数値目標などを導入し、自由な伝統のある都立高校の予備校化を進めています。
  なかでも際立っているのが、10・23通達による卒業式・入学式での「日の丸・君が代」の強制です。二〇〇六年の予防訴訟9・21判決によって違憲・違法と宣告されたにもかかわらず、職務命令違反を理由とする懲戒処分が続けられその数は四一二〇名以上にものぼっています。さらに処分された教員には分限処分の脅しがかけられています。
  それだけではありません。
  二〇〇六年四月に開設した「学校経営支援センター」は、教育活動の監視を毎日のように続けています。都教委は加えて、職員会議での採決の禁止をさらに徹底させ、学校で自由にものが言えない状態にしています。そして、主幹制に加えて主任教諭制度も導入し、教職員を上下の命令・服従関係のもとに置こうとしています。加えて、残業に次ぐ残業で教職員は疲れ果てています。
  石原都政下の都教委はいったい何をしようとしているのでしょうか?
  都教委は、改悪教育基本法の実働化を全国に先駆けて行おうとしているのです。かつての安倍反動内閣がかかげていた「戦後レジームからの転換」を安倍が辞めても性懲りもなく東京でなおも実施しようとしているのです。戦後の民主的な教育の体制を根底から覆し、教員と教育の統制を通じて、国家のために進んで命を投げ出す国民を作り出す教育ができるような仕組みに変えようとしているのです。東京の公立学校全体を愛国心で洗脳しようとしているのです。都立の中高一貫校や特別支援学校全校に「つくる会」社会科教科書を採択したのもそのような理由からです。
  都教委の暴走はとどまるところを知りません。しかし、決してあきらめてはいけません。10・23通達は、教職員の抵抗を根絶やしにすることをねらいとしていました。しかし、抵抗し抗議する声を絶やすことはできませんでした。
  いま、石原都政は新銀行問題や築地市場移転問題、それに都議会議員選挙の歴史的敗北などでかつてないほど動揺しています。
  都知事を最大の後ろ盾とする都教委に抗議し、都教委を糾弾する声は、以前にもまして広がっています。私たちはこの闘いの意義に確信を持ち、都教委を糾弾する声を全国に広げて行こうではありませんか。そして石原都知事を一日も早く退陣に追い込み、10・23通達の撤回及び処分撤回を勝ち取って行こうではありませんか。


8・15 「アキヒト天皇制二〇年=『戦争国家で安心安全』を問う」行動

               
 排外主義右翼による襲撃=テロを許すな!
 
  八月一五日、「アキヒト天皇制二〇年=『戦争国家で安心安全』を問う8・15行動」が展開された。全水道会館では開かれた集会は、はじめに実行委員会からの基調提起。「この間、私たちの眼前に展開してきているのは、社会全体の治安国家への再編と戦争国家化という現実であり、格差と貧困の拡大であった。そのような中で、右翼治動家たちは排外主義を煽りたて、この現実の社会的危機状況を、他の国家や在日外国人などへの攻撃に転化しようとしている。こうした右翼たちによる脅迫や暴力は、すでに各地において蔓延し、集会などが圧殺されるばかりか、その悪質な攻撃の矛先は、生活している個人の存在にまで向けられている。この二〇年間、天皇や皇族たちは、折にふれて『平和』や『環境』などについて発言してみせたが、これと同時に進められたのは『日の丸』や『君が代』の強制化であり、国粋的な意識の鼓吹だった。いま天皇制への『奉祝』を煽るのは、こういった事態を覆い隠し、さらなる国家への動員を私たちに強要することに他ならないのだ。こうした戦争国家化の進展と天皇制国家による動員は、今後の政治日程に『憲法改正』を組み込むことにならざるをえない。その具体的な進展はまだ曲折が予想されるにせよ、衆院選の結果、次期総理の地位が本命視されている鳩山由紀夫は、明確な改憲論者である。私たちは、民主党を中心とする政権のもとで進む改憲策動に反対していくという課題をも担うことになろう。この秋の『二〇年奉祝』への反対行動に、引き続き取り組んでいこう。そして、天皇制の強化にあらゆる方面から抵抗していこう」。
  小倉利丸さんのお話は天皇制と右翼の動向についてのものだった。
  現在、右翼のカウンターカルチャーが若者のあいだに蔓延しているようにみえるが、それには一九六〇年代の社会運動が継承されなかったことがある。わたしたちの世代が残せなかったということであり、反省が求められている。戦後の象徴天皇制という捉え方は変えなくてはならない。戦後は終わったのであり、そうした新たな時代の天皇制を見なければならない。戦後の日本は「豊かな日本」であり、「日本人でよかった」という内向きな象徴天皇制だった。高度成長で打って一丸となった日本人像があった。しかし、七〇年代八〇年代を通じて変化が進行した。とくに冷戦以降、グローバリゼーションの中で一億総中流意識は解体した。格差が広がり日本人が階級的に分断された。日本人と呼ばれる幻想が崩壊したのである。これをどう立て直すかはいまだに模索中である。まだ新しい象徴天皇制を作り出していないのだ。天皇制と日本ナショナリズムはある危機を迎えているが、それを立て直すために即位二〇年奉祝行事が押し付けられようとしているのである。
  つづくリレートークでは、入管法改悪問題、外国人排斥問題、靖国問題、国民保護法問題について発言があった。
 
  集会を終わって、デモに出発した。小泉時代と激変した状況で右翼は政治的に敗北しているが、こうした状況で右翼勢力は危機意識をつのらせ下からの市民運動をつくりだそうとしてセンセーショナルに衆目を集めようと暴力化している。彼らは数日前から動員をかけ、当日は例年にない大量の右翼が差別排外主義的な言辞を吐きながら妨害・暴力的なテロでデモ隊に襲い掛かり、数名の参加者が負傷させられた。排外主義・天皇主義右翼による襲撃=テロを断じて許してはならず、彼らを孤立させ、おいつめ排除していかなければならない。


8・30  自衛隊・米軍参加の東京都総合防災訓練に反対する行動
 
  東京都は、八月三〇日の午前九時から正午まで世田谷区・調布市合同総合防災訓練を行った。都は、今年の「統一テーマ」を「発災時における『連携』の強化と『地域防災力』の向上」とし、「訓練の特徴」を@ヘリ等による負傷者の広域医療搬送、A地域住民が主体となった防災機関との連携による救出救助、B米軍、アジア大都市ネットワーク21二都市(台北・シンガポール)の参加、とした。この訓練は、今年も、横田基地を使った支援物資搬送訓練、米軍艦船への負傷者受け入れなどが含まれ、日米合同での実働軍事演習と言えるものとなっている。もうひとつのキーワードは、「自助・自救」の「自主防災組織」であり、国民保護法(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」)による「国民保護」訓練としてもある。
 
  八月三〇日、自衛隊・米軍参加の東京都総合防災訓練に反対する実行委員会2009の主催による防災訓練に反対するデモと集会が行われた。
  実行委の呼びかけによる三軒茶屋、三宿周辺のデモでは防災訓練の軍事演習として危険性をアピールし、デモ終了後、代田区民センターで報告集会を開いた。
  はじめに世田谷区会場監視団、仙川会場監視団、調布市会場監視団からの報告。それぞれ妨害にはねのけての抗議、訓練の実態などが報告された。最後に、連帯発言が行われた。


「郵政選挙から4年、そしてまた熱い夏を!―私たちの社会を取り戻すために―」
 

               
 郵政民営化を監視する市民ネットワーク市民討論集会
  
  総選挙で郵政民営化を目玉商品とした小泉―竹中路線の破綻に多くの人々の怒りが盛り上がる中の八月二三日、郵政民営化を監視する市民ネットワーク第五回総会&市民討論集会「郵政選挙から四年、そしてまた熱い夏を!―私たちの社会を取り戻すために―」が開かれた。
 
  第一部は、監視ネット第五回総会。結成以来の五年間の主な活動がDVDで上映された。四年前の八月、一度は参議院で民営化法案が否決された時の国会前での連日の取り組み、そして小泉の郵政選挙以降の闘いが映し出される。
  総会では代表に稲垣豊さん(アタック・ジャパン)が選出された。
 
  第二部は討論集会ではじめに各パネリストからの発言。
  郵政労働者ユニオン中央執行委員の棣棠浄さんは、新自由主義による民営化を歴史的にふりかりながら、郵政民営化の強行によって起こった状況について述べた。全国の特定郵便局の統廃合、簡易郵便局の廃止などによって多くの地方過疎地域の荒廃に拍車がかけられ、また四分社化によって利用者の利便性が著しく低下した。郵政職場では正規社員が減らされ日本最大の非正規労働者となり、労働条件は極端に低下した。自公与党の敗北は確実だが、現在の野党各党は民営化の見直しでどこまでいけるのか、とくに民主党がどうするのかが問題であり、いっそう闘いを強めていかなければならない。
  民営化監視ネット事務局の下見徳章さんは、東京都の檜原村や長崎県の新上五島町など過疎地の状況について報告。それらの地区では、郵便局が遠くなったり、なくなったりすることによって、人口が減少に歯止めがかからなくなっており、地域再生のためにはもう一度、郵便局をひとつの軸にした公共性のネットワークの再建が必要だ。
  フリーター全般労組委員長の清水直子さんは若年労働者の状況について発言。多くのフリーターは、常に遣い捨てられるという気持ちが強いし、年収もきわめて低い。将来展望もないまま働き続けなければならない。いまも間接雇用が拡大していて、賃金単価も下がっている。非正規労働者の増大とともに労働者をとりまく環境はきびしいものになっている。
  アタック・ジャパンの秋本陽子さんは、新自由主義―グローバリゼーションの破綻が迎えていることについて話した。カジノ資本主義は悲惨な状況を生み出した。いま中南米諸国をはじめ世界各地で新自由主義路線から脱却しようという動きも出てきているが、新自由主義路線は簡単には終わらないだろう。しかし、社会的な公共セクターの再評価がはじまっており、世界的に拡がっている。
  最後に、監視ネット第五回総会アピール「郵政民営化の見直しと公共サービスの社会的確立を」が確認され、その中で、次のような郵政事業のあるべき事業論が提起された。@持ち株会社を含む五分社化した郵政事業を、三事業(郵便・保健・貯金)一体化したユニバーサル事業として再構築する、A経営形態は過渡的には政府全株持ち株会社の特殊会社とする、B金融資金の地域環流の仕組みを作る、C郵政事業を三事業のみのユニバーサルサービスに限定し、特に郵便事業は独占事業として経済の好不況に左右されない安定的な経営環境を確保する、D郵便局空白地域を解消し三事業一体化した郵便局の全国網を再構築する、E職員の雇用保障と労働条件の格差を是正する。


地震学者の島村英紀さんが講演

      
危うい地殻にのる地震国日本

  九月三日、脱原発と環境破壊のない社会をめざす「たんぽぽ舎」の「地震がよくわかる会」公開学習会が開かれた。地震学者の島村英紀さんが、「首都圏 大地震」と題して講演した。
 
  地球は卵と同じようなものだ。黄身を中心に、その外側に白みがあり、殻で守られている。地球も核(金属質)があり、マントル(岩石)があり、表面に薄い地殻(岩石)がある。地殻は卵の殻と比べれば弱いものだ。地球を卵大にして、殻の上にパチンコ玉を置くと中に沈み込んでしまう。地殻とマントル上端の固い部分は、いくつかの「プレート」という巨大な板に分かれている。マントルは岩石の固体でできているが、長い時間で見るとまるで液体のように対流していて、上昇・移動・沈降の運動を繰り返している。そして、プレート境界部では断層、地震、火山などが起こるなどのさまざまな地殻変動が発生している。日本列島近くのプレートは、太平洋プレートが、日本海溝で潜りこんでいて、滑り台の様になっている。太平洋プレートは海溝からいちばん深い先端まで、長さ一〇〇〇kmもあり、日本海の下全部に太平洋プレートが滑り込んでいる。太平洋プレートとユーラシアプレートがぶつかっているだけでなく、フィリピン海プレートというのもある。さらに東北と北海道は北米プレート上にあることもわかってきた。日本列島付近は、四つのプレートが押し合っていて世界でも稀な地震が起きやすい場所であるということが明らかになっているのに原発をつくり稼動させるのは危険だ。


ピースサイクル
 
ピースサイクルおかやま日本原ルート
  日本原燃事業所や自衛隊日本原駐屯地に申し入れ
 
  八月一日から二日にかけてピースサイクルおかやま日本原ルートの実走が行われた。二日間ともに天候にも恵まれた中のべ三〇人が参加した。
  岡山県人形峠にある日本原燃事業所に「県外で採掘されたウラン残土及びウラン残土製レンガを県内に持ち込ませない」旨を申し入れた後に出発した。
  途中で自衛隊日本原駐屯地及び三軒屋弾薬庫に対して、海外派兵を中止し自衛隊用地を住民に返還すること。津山市、赤磐市、岡山市、和気町には、表敬訪問をし住民が安心して暮らせるようにとの平和のための申し入れを行った。
  日本原では、演習場に反対している現地農民の方から、三ヶ月に一度の割合で実弾演習がおこなわれていると現状説明を受けた。
  参加者の一人は、「原発や自衛隊があっては、安心して生活できない。またオバマの発言により核兵器削減に向かっている、日本としては9条改憲を許さず、武力によらないで話し合いによって紛争を解決する外交をすべきだ」と語っていた。
  全員無事に目的地の岡山市役所に到達し実走が終了した。 (岡山読者)
 
四国ピースサイクル   21回目にして節目をむかえ、伊方原発装荷反対集会全力参加へ
 
  二〇〇九年の四国ピース・サイクルは、総勢三名で八月一日に呉を出発し高知の須崎にて高知水道労組の青年部四名と合流し高知の窪川〜宇和島〜八幡浜を経て四国電力伊方原発まで自転車で歩を進めた。途中の宇和島では、宇和島水産高校のえひめ丸慰霊碑に献花、そして伊方原発の周辺自治体(伊方町・八幡浜市・四万十町)に対し原発からの脱皮、プルサーマル計画の断念を四国電力に対しはたらき掛けるよう要請行動をおこない、四国電力の伊方原発に対してはプルサーマル計画の撤回を求め抗議文を手渡した。
  政府地震調査委員会の報告は、伊方原発前の伊予灘にA級の活断層の存在を認めている。そして、東海から南海までの太平洋プレート付近はいつ地震がおきてもおかしくない状況だといわれている。
  さらに、電気事業連合会は、二〇一〇年までに一六基から一八基の原発でプルサーマルを実施するとしていた計画を五年間延長、二〇一五年度までに実施するとの計画変更を公表した。電事連から計画見直しの検討を要請されていた電力会社などは、これを受け北海道電力、東北電力および中国電力など八社は時期などの見直しを発表したが、九州、四国、中部の電力三社はプルサーマル計画を予定通り実施するとしている。使用済みMOX燃料の処理方法がいまだに決まっていないにも拘らずである。したがって、高レベル放射能を帯びた〜使用済みMOX燃料は、原発サイト内に保管されることになり、原発の危険性はより一層増大することになる。原発を抱える地方自治体からも使用済みMOX燃料が原発に長期保存されないよう処理体系を早期に確立するよう求めているがなしのつぶてが現状である。近隣周辺・地域住民も危機感を募り、この秋に伊方町で開催が予定されるプルサーマル計画撤回集会に向けその力を集中しようとしている。
  私たちは、伊方原発抗議終了後、八幡浜・原発から子供を守る女の会のメンバーと交流した。そのなかで、四国ピースの現状を報告、メンバーの固定化さらに年を重ね二一年目にして一定の区切りをすることを伝えた。ピース隊を掛け値なしに歓迎してくれる地域の人々からは「暑いさなかに自転車を漕ぎ、ご苦労様」の気持ちと「連帯して共に走れなかったこと」そして「長い間ほんとにご苦労さん」の言葉と感謝の念をもらった。それは、このたび訪れた四万十町、宇和島の皆さんも同様であった。平和のメッセージを届ける役目や、地域を結びつける役割、熱烈歓迎をしてくれる人々への想いなど、中々簡単には捨て去れないがされどピース参加者を飛躍的に増やす上手い策など持ち合わせてはいない。残念ながら四国ルートで云えばひとまず区切りをつけざるを得ない・・・。
  一〇月二五日には伊方原発MOX燃料装荷反対の抗議集会が開催予定であるが、四国ピースとしても全力参加する予定だ。 (木村 博)


映 評
   
   
 「嗚呼 満蒙開拓団」
 
            08年 120分    演出・ナレーション/羽田澄子    協力/ハルビン市方正県人民政府 他
 
  一九二九年に起きた世界大恐慌のあと、三〇年代に入って東日本では冷害の多発と繭価の暴落で東北地方や長野県などの農民は急速に貧窮化し、人身売買なども横行した・対策に困った政府は「王道楽土」「五族協和」のスローガンを振りかざして、農民を中国東北地域―旧満州に入植者として大量に送り込んだ。無謀にもその入植は敗戦直前まで行われた。与えられた土地の多くは中国農民から安く買い取った場所も多かった。ソ連軍の侵攻によって逃げまどう関東軍とその家族は優先的に列車で逃亡してしまう。取り残された農民とその家族は町をめざしさまよい続けるが、やがて悲劇が訪れてしまう。犠牲者の数は実に八万人以上に上るとされる。
  今までも満蒙開拓団に関する報道は部分的にしかなされてこなかった。現代に生きる私たちはその冷厳な事実を直視しなければならない。
  演出の羽田は残留日本人孤児を育てた中国人養父母あるいは帰国者にていねいにインタビューを試みている。彼らの証言を記録する作業は遅きに失したとはいえ、だれかがやらなければいけないことだった。羽田たちの取り組みは高く評価してもしすぎることはないだろう。羽田自身も旧満州から引き上げてきたのでどこか自分の体験と重ね合わせているのかもしれない。
  
  撮影隊は年に一回実施される「近現代の歴史検証と北東アジアの未来を展望する旅」と称する八日間のツアーに同行する。開拓団跡地や残留日本人を育てた中国人養父母を訪ね、一九六三年に周恩来首相(当時)の許可で建てられた「方正(ほうまさ)日本人公墓」を訪問する。いくぶん耳は遠くなってはいるが養父は健在だった。彼らに育てられた帰国者は感謝の言葉を述べるが、養父はそんなことは当然のことだ、当時はだれもが犠牲者だったと話す。なんという心の広さなのか。国内では帰国者に何人にもインタビューする。ソ連軍の侵攻により町をめざした女性、老人、子どもたちが爆撃から逃げまどう。途中で弱った者から死んでいく。だれの口からも悲惨な状況が語られる。帰国者には帰国してからの言葉の問題、生活の質の問題が存在する。これらへの証言に対して私たちには何ができるのかすぐには答は見つからない。
  軍隊の身勝手な論理により発生した多くの犠牲者はまさしく国家の棄民政策であり、戦後行われたドミニカ移民政策と本質的には変化はない。満蒙開拓団についての記録映画が作られ、日本の占領政策に光があてられたことはたいへん意義があると認めた上で、この映画についての若干不満な点をあげてみたいと思う。
  東京地裁前で中国残留孤児裁判やその報告集会ではなぜか居並ぶマスコミのカメラの後のポジションで撮影を行っていて、カメラワークがまったく落ち着きがない。マスメディアに対する遠慮などまったく必要がないと思うのだが。
  日本国内でのインタビューはじっくり時間をかけていて貴重な証言が聞かれるのだが、中国内ではツアーの同行取材のため時間的制約など悪条件が重なっているようで、どうもつっこみが足りないように思う。養父母にもっと焦点をあててもいいだろう。
  歴史を検証するツアーに二年続けて同行している。どうしても同じことのくり返しになるのでツアーとは別にじっくりと時間をかけて取材してもらいたかった。
  ナレーションで一ヵ所気になった部分「敗戦のとき、一カ月かかって避難した距離を車は四時間で走りました」。このコメントはなにかおかしくないですか。やはり避難民が歩いた道程のほんの一部でもいいから、撮影隊はたどるべきだったのではないかと思う。
  中国人証言者、帰国者の一部の人の証言は、字幕、ふきかえ、通訳を介して日本語に直すという三つの方法が使われている。一貫性がなさすぎて観ていてたいへん疲れてしまう。これは字幕という方法で統一した方がいいのでは。
  私はあまりにもたくさんの不満点をあげたのかもしれない。これは期待感のあらわれです。念のため。
  大八浪泰阜村の広大な農村風景。開拓団を多く送り出した飯田市の南側に位置する長野県泰阜村の草深い山村風景はともにとても美しいのだが。この映画の続編、もっと深化させた映像はぜひ必要だろう。再び過ちを繰り返させないためにも。
 
  開拓団を送り出した一枚の写真がある。そこには岸信介と藤山愛一郎が写っているそうだ。誤った政策の責任などだれもとってはいない。
    (文中敬称略)   東 幸成


KODAMA
 
   
 岡崎ら保守親米派は何を恐れるか
 
  衆院選での自民党の大敗以降、産経新聞が面白い。右翼・親米の路線で保守層に販売を促進してきたこの新聞は、今回の事態をまるで革命が起こったかのように報じている。そして、かれらの反革命のためのキャンペーンをはっている。
 
  九月一日の同紙「正論」欄には、アメリカの後についていきさえすればすべて安心と主張してきた元駐タイ大使の岡崎久彦が、「『リベラル政権』の桎梏忘れるな」という題で書いている。保守派の当面する政略とはこうしたものであろうから、引用してみる価値はあろう。
  岡崎は「民主党がリベラルな政権であるかどうかは今の時点ではよく分からない。ただ、民主党の中には左翼リベラルの流れを汲む人々が少なくないのも事実である」とみている。そして、「戦後日本でリベラルあるいは左翼的な政権と言えば、三木、細川、村山、宮沢各内閣」と規定し、それぞれの「罪状」を列挙する。
  三木内閣では「F―4戦闘機から空中給油能力を外したのを復元するのにはF―15の発注まで待たねばならなかった。防衛費の一%の枠を外すのには中曽根内閣まで一〇年を要した。武器輸出三原則の拡大解釈は三〇余年を経ても今なお日米同盟の障害である」「また、三木総理が自分の靖国参拝を『個人の資格』でと言った結果、天皇の行事には公私の区別をつけるのが難しいので、戦没者慰霊のために戦後欠かさず続けられていた天皇陛下の靖国参拝がそれ以来妨げられている。それは、韓国、中国の反対で靖国が国際政治問題化する一〇年前の話である」。細川内閣については「さして負の遺産は残していない。一九九四年の北朝鮮核危機で日米間に不協和音が生じる恐れがあったが、内閣は自ら退陣して同盟の危機を避けた。それはそれなりに日本の国益に沿った立派な出処進退だったと思う」。村山内閣は「国会の多数の支持もないまま、一方的に発した村山談話が、その後日本外交に及ぼした足かせについては今更言うまでもない。他に鈴木政権の教科書問題の時の宮沢官房長官談話、そして宮沢内閣の時の従軍慰安婦に関する河野談話は長く傷痕を残した」。こうして「過去のリベラルな政権が遺したものが長く日本国民の桎梏(しっこく)となった例があまりに多いからである」と。
  そして「過去のリベラルな政権が遺したものが長く日本国民の桎梏(しっこく)となった例があまりに多い」として、「民主党政権は心して、このような後世の手を縛る一事を生むことを慎んでほしい。非核三原則の法制化などは、万一の場合によっては、国民に惨害をもたらす可能性をよく考えてほしい。党内の良識派も監視機能を発揮してほしいし、また、三木、村山政権と違うのは自民党という強力な野党が存在していることであり、自民党は国会で、そういう余計な一害が生じるのを避けるよう十分なチェック機能を働かしてほしい」という。
  一方で、集団的自衛権の行使は許されないという政府解釈を「自民党支配半世紀の残滓(ざんし)」であるとして、民主党は「これは憲法問題とは無関係で、ただ日本国民の安全を守るにはどうするかという行政府の政策の問題だと割り切れば、それこそ自民党支配半世紀の残滓を一挙に解決することになる。どうしても行使したくなければ、法的問題としてではなく民主党政権の間は政策として行使しないと言えば良いだけの話である。ただ、不測の事態を考えれば、それも言ってほしくはない」と虫のいい願いを語るのである。
  自民党にできなかったことを民主党にこそやらせるとい目論見もある。「(自民党単独支配の残滓の)整理を民主党政権にお願いするスジかどうかわからないが、政権が代わったときこそかかる堆積(たいせき)物を整理する機会であり、そうでなければ、二大政党交代の意味がない」と提案しているのだ。
 
  だから、われわれのやらなければならないことは、岡崎のいい分とは逆のこと、すなわちアジア諸国民に対する侵略戦争の謝罪と補償、そして集団的自衛権を認めないということなどを新政権に確約・実行させることだ。
  自民大敗、新政権樹立の熱い政治の季節にこそ、自民党政治の腐りきった堆積物を片付けるための運動をおおいに盛り上げなければならないのである。 (H)


複眼単眼 
 

 
   総選挙後の衆院議員の憲法問題での変化
 
  総選挙後の国会で特徴的なことの一つは、「改憲派」の凋落である。
  改憲政党の自民党が激減したのだから当然といえば当然だが、無視できない大きな変化である。
  一つは憲法調査会以来、その運営をすすめてきた自民党の論客だった面々の落選で、もう一つは改憲議員同盟(中曽根康弘会長)加盟議員の大量落選である。
  自民党の改憲運動でもっとも象徴的人物であった中山太郎が落選した。八三歳の中山氏は憲法審査会などでも民主党議員などとの協調関係形成に苦心してきた人物で、最後は強行採決もしばしばしたが、会議の民主的運営で評判を得てきた人物である。
  この中山氏の運営を番頭格で支えてきたのが船田元氏、これも落選。弁護士出身で自民党の憲法問題の「理論派」の保岡興治も落選。若手で切り込み隊長格の葉梨康弘も落選した。自民党が目指す今後の憲法審査会の始動の際のリーダーを次々と失った形だ。
  公明党では護憲から、加憲へと同党を変質させてきたリーダーの赤松正雄氏は落選したが、民主党が比例区の候補者不足でおこぼれに預かり、ゾンビ議員として復活したが、今後大きな顔をしにくいかもしれない。
  改憲議員同盟はより深刻である。
  加盟国会議員一三九人中、八六人が落選し、再選は五三人であった。
  うち自民党は一二二人から七三人が落選し、再選は三九人。会長代理の中山太郎、幹事長の愛知和男をはじめ、山崎拓、中川昭一、島村宣伸ら札付きの改憲派が落選した。
  この改憲議員同盟の顧問を新首相予定の鳩山由紀夫が務めているという大きな問題があり、市民運動のなかで「辞任要請」が始まっている。
  共同通信が当選者の立候補の際のアンケートから分析したものによると、
  改憲賛成が六四・一%で、民主党では五六・五%、自民党では八八・六%が何らかの改憲に賛成だった。
  改憲の内訳は、九条以外の部分的改憲が二八・三%、九条を含む部分的改憲が一九・五%、全面改憲が一六・三%であり、九条改憲派は三五・八%にすぎなかった。
  自民党では全面改憲が四二・〇%、公明と民主は九条以外の部分改憲が五二・四%だった。共産、社民は全員が反対した。 (T)