人民新報 ・ 第1262号<統合355号(2010年2月15日)
  
                  目次

● 名護市長選で沖縄県民の基地建設NO! の意思はより鮮明に示された 普天間基地即時閉鎖 辺野古新基地建設阻止

● 第一七四通常国会開会日に5・3憲法集会実行委が、9条を守り、法憲改悪を許さない院内集会

● 春闘勝利 生活できる大幅賃上げを! 貧困・格差社会反対!  けんり春闘実行委発足総会

● 今国会で労働者派遣法の抜本改正を! 派遣法改正共同行動が院内集会

● 東アジアの民衆が共同して未来を切り拓く   「『韓国強制併合100年』共同行動日本実行委員会」結成

● 都教委包囲ネットが2・6総決起集会   改悪教育基本法路線と対決しよう! 「日の丸・君が代」強制反対!

● 書籍紹介 /  宮本太郎『生活保障―排除しない社会へ』(岩波新書)

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  山川暁夫さんが語った「直訴の思想」と行動





名護市長選で沖縄県民の基地建設NO! の意思はより鮮明に示された

               
普天間基地即時閉鎖 辺野古新基地建設阻止

 「辺野古新基地はいらない!」 アメリカ、自民党、地元財界などのかつてない圧力をはねのけて、一月二四日の名護市長選挙では基地反対を掲げて稲嶺進さんが当選した。稲嶺新市長は二月八日の初登庁に際しても、「辺野古の海に新たな基地はつくらせないと市民に約束した。この問題に終止符を打とう」と述べた。
 名護市長選での基地反対派の勝利は、沖縄の米軍基地ノーの意思を日本政府とアメリカ政府に叩きつけた大きな勝利であった。この声を背景に、普天間基地即時撤去、辺野古新基地建設阻止の闘い、そして全国の米軍基地撤去、日米地位協定の抜本見直し、日米安保条約の廃棄にむけての運動をいっそう強めていかなければならない。沖縄では、ひきつづき夏の参院選、そして一一月の沖縄県知事選での勝利をかちとり、沖縄全体の基地への怒りを示す闘いが取り組まれている。いま沖縄に連帯する運動は全国各地でかつてない盛り上がりをみせている。この流れを強化・発展させていこう。  

 一月三〇日、東京・日比谷野外大音楽堂で平和フォーラムや辺野古への基地建設を許さない実行委員会などのよびかけで、「チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない」をスローガンに「辺野古・新基地建設を許さない1・30集会」が開催され、六〇〇〇人の労働者・市民が参加した。
 藤本泰成平和フォーラム事務局長が主催者あいさつ。安保改定五〇年の今年、日米の関係はどうあるべきかが問われている。しかし安保に利権を持つ連中の恫喝の声も大きくなってきている。しかしもう自民党政治の時代ではない。沖縄の人たちとともに新しい時代へ歩みだそう。
 社民党党首の福島みずほ参議院議員があいさつ。与党三党の連立合意で沖縄基地の見直しを確認したが、その言葉は生きている。辺野古には新基地を作らせないということだ。沖縄、ジュゴン、環境の破壊などを社民党は許さない。コンクリートから人へと鳩山首相は言っているが、まさに沖縄でこそそれを実現しなければならない。
 民主党の斎藤つよし衆議院議員があいさつ。稲嶺新市長誕生をみんなで喜びたい。これまでの闘いが結実したのだ。総選挙での政権交代、とくに沖縄では比例区でも自民党は当選できなかった。これはアメリカにはっきりとノーといってもらいたいという沖縄県民の思いの表れだ。
 沖縄からの報告にうつり、はじめに沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さん。沖縄からは一〇〇名をこえる上京団が参加しているが、まさに沖縄返還闘争以来の大結集の状況となりそうである。名護では六期二四年の自民党市政を打ち倒し、普天間基地は作らせないという意思を示した。全国の仲間とともに基地・沖縄の歴史を清算したい。アメリカとの交渉は政府がやるべきだが、基地問題解決は国民一人ひとりの責務でもある。
 つづいてヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さん。稲嶺市長は、この間の長い闘いはこの一年で決着をつけると言っている。沖縄の自民党も県外移設を言わざるをえなくなってきた。仲井真弘多沖縄県知事はどうするのか。鳩山首相は普天間の継続はないとしている。基地はアメリカにもっていけばいいのだ。
 「ヘリパットいらない」住民の会共同代表の伊佐真次さん。沖縄では米軍のジャングル訓練など軍事的行動が続いている。こうした動きに反対して、高江地区でもふたたびヘリパット反対を決議した。闘いを通じてわれわれは憲法九条の精神を世界に広げて行きたい。
 稲嶺名護市長からのメッセージが紹介され、沖縄と連帯して運動している熊本県合志市議会議員の神田公司さんが一三名の地方自治体首長・議員での呼びかける「普天間飛行場の閉鎖・返還と海兵隊の米国への移転を求める自治体首長・議員の共同声明」について報告し、井原勝介前岩国市長は、在日米軍再編の一環である厚木基地からの空母艦載機部隊の移転に反対について発言した。
 最後に、集会決議(別掲)を拍手で採択し、銀座へのデモに出発した。

 チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない1・30全国集会決議

 一九九六年日米両政府は、宜野湾市の四分の一を占める普天間基地の全面返還を合意しました。普天間基地は宜野湾市の中心部にあり、滑走路延長上のクリアゾーン(危険性が高い土地利用禁止区域)が市街地に張り出し、そこには保育園や小学校もあり宜野湾市民約三六〇〇人が生活しています。五年前には基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落しました。現在も米軍ヘリが頻繁に飛び交う普天間基地は一刻も早く無条件に返還されるべきです。

 しかし、一三年経った今も返還は実現していません。その理由は、普天間基地返還の見返りに米国は辺野古新基地建設を要求し、これまでの日本政府もそれを容認してきたからに他なりません。この背景には、新基地建設に絡み一兆円ともいわれる基地建設事業の利権が見え隠れしています。
 新基地建設で沖縄は豊かになるどころか、危険と生活破壊を増幅し、ジュゴンが生息するたぐいまれなる自然環境を失うことになります。
 辺野古がある名護市民は、二四日の市長選挙で、新基地建設に反対する立場を明確にしました。全国の市民、労働者はこの民意を守るため闘わなければなりません。

 のどかな島沖縄はかつて戦場となり、米軍に占領され、基地がつくられ、今も危険と基地被害にさらされる生活を余儀なくされています。
 日米安保五〇年、冷戦終結二〇年を迎える今日、米軍再編が進む中、旧来の核・軍事力を背景とした抑止力に頼る安全保障のあり方が根本的に問われています。日米地位協定や思いやり予算の根本的な見直し、米軍被害の徹底検証も取り組まなければなりません。
 安全保障に特化した日米関係を見直し、鳩山連立政権の東アジアの平和と共生に向けた基本政策を強めるべきです。

 鳩山首相は沖縄県民の痛みを受け止め基地問題の解決を図ろうとしています。これを孤立させることなく、普天間基地返還、辺野古・新基地建設反対、沖縄をはじめとする全国の米軍基地の縮小・撤去に向けより大きな闘いを目指そうではありませんか。
 右決議します。


第一七四通常国会開会日に5・3憲法集会実行委が

        
 9条を守り、法憲改悪を許さない院内集会

 一月一八日、第一七四通常国会が開会した。同日、二〇一〇年5・3憲法集会実行委員会(憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法二一世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会の八団体が事務局団体)は衆院第一議員会館で、「普天間基地撤去、辺野古新基地建設反対!」をスローガンに「9条を守り、憲法改悪を許さない1・18院内集会」を開催し、一〇〇人をこえる人が参加した。
 平和を実現するキリスト者ネットの鈴木伶子さんが主催者あいさつ。国会は九条、普天間、辺野古にきちんと焦点をあててほしい。イラクでもアフガニスタンでも武力によらない平和が求められている。日本の将来のために、アメリカの世界戦略に唯々諾々と従うのではなく、憲法九条にもとづいた政治がおこなわれなければならない。それでこそ、ポリティシャン(政治屋)ではないステイツマン(政治家)というものだ。
 参加した国会議員のはじめに、社民党を代表して福島みずほ党首・参議院議員があいさつ。社民党は憲法を生かし、沖縄の負担を見直すために連立政権に参加した。本国会は沖縄基地問題の正念場だ。普天間基地返還、辺野古新基地を作らせないために全力を上げて闘う。
 共産党を代表して穀田恵二国対委員長・衆院議員があいさつ。今国会の重要な課題は、生活不安をなくすこととともに、普天間基地問題では移転ではなく無条件撤去ということだ。現在の政権は依然として抑止論に立脚し、日米安保堅持ということで、これはわれわれと違う。いまこそ安保体制か憲法体制かということが問われなければならない。
 沖縄選出の無所属の糸数慶子参議院議員は、基地をどこへもっていこうとも基地負担は同じだ、基地撤去の運動を強めてこうとアピールした。
 つづいて、事務局構成団体から発言が行われた。


春闘勝利 生活できる大幅賃上げを! 貧困・格差社会反対

                   
 けんり春闘実行委発足総会

 二月三日、全水道会館で「10けんり春闘発足総会」が開かれた。

 はじめに、けんり春闘代表の藤崎良三・全労協議長があいさつ。安定雇用の確保と生活できる賃金の獲得こそ春闘の課題だ。大企業労組の言う定昇確保だけではだめだ。経営側は膨大な利益を抱え込んでいる。大企業の内部留保を吐き出させる闘いこそが必要なのだ。株主重視から従業員重視へと変えていかなければならない。賃上げこそデフレからの脱却の基礎である。コンクリートから人への政権交代が起こったが、企業優先から生活優先への政治を実現していかなければならないときだ。労働組合運動の役割はますます大きくなっている。

 つづいて、中岡基明事務局長(全労協事務局長)が議案を提起した。
 けんり春闘は新自由主義・市場原理主義の行き詰まりと政権の交代という歴史的転換点にあって、働くものが報われる社会の実現へと闘いを進める大きな一歩とならなければならない。けんり春闘は、@貧困・格差社会に反対し、生活できる大幅賃上げの獲得、A長時間労働の規制…過労死、過密労働による精神疾患、サービス残業の撲滅、時間短縮で雇用を、Bセーフティーネットの再構築…失業者の住宅、仕事の確保、C労働者派遣法の抜本改正の実現…名ばかり「改正」を許さない、D沖縄の基地撤去…普天間基地返還と辺野古新基地建設を許さない、の五項目を春闘目標として闘いの輪を大きく作り出していきたい。そして、次の八項目のスローガンを掲げて闘う。「10春闘勝利 生活できる大幅賃上げを! 貧困・格差社会反対!」「最低賃金の大幅引き上げ! 全ての労働者に月に一七〇、〇〇〇円、時間当たり一、二〇〇円の賃金保障を! 公契約条例の制定を!」「不況を口実とした、雇い止め、解雇・リストラ反対! 総人件費抑制を許さない!」「労働者派遣法抜本改正の早期実現! 全ての労働者に『健康で文化的な』最低限の生活を保障せよ!」「非正規労働者・外国人労働者の権利確立、均等待遇を実現せよ!」「セーフティーネットの拡充を」「国鉄闘争勝利! 政治の責任で今こそ闘争団の納得いく早期解決を!」「沖縄・普天間基地即時返還、新基地建設を許さない」。
 組織体制としては、代表幹事組合を全労協と金属機器労組連絡会とし、代表を金属機器労組連絡会の二瓶久勝さんと全労協の藤崎議長とする。
 政府への労働者保護政策の実現を求めていくわれわれの政策要求(要求案)作りでは、@セーフティーネットについて、縦割り行政を是正し、相談から申請までのワンストップの実行、A全ての労働者が加入でき、厚い保護を受けることが出来る雇用保険、社会保険の改善・拡充、B自治体による失対事業などの緊急雇用政策としての仕事作り、C公契約法・条例の制定、企業の支払い能力でなく生計基準の最低賃金制度の抜本改正、そしてD全ての労働者に労働基本権を!、という項目を中心にして策定していきたい。
 当面のスケジュールでは、二月一六日に、全ての争議・国鉄闘争勝利総行動(日本経団連要請・抗議行動と一〇四七JR不採用問題解決へのための日比谷野音での中央集会)を展開する。三月行動では、三月七〜八日に、外国人労働者のためのけんり総行動、外国人労働者の権利のためのキャンペーン、そして、三月一七日に予定されている大手企業回答日の周辺に先行集中行動・ストライキを設定して闘う。全港湾も三月二五日の回答指定日を受けてストライキを予定している。四月七日には、春闘総決起集会と経団連・政府へのデモ、二一日には、春の共同行動決起集会・銀座デモ、外国人労働者企業要請行動、中小・未解決組合支援を闘い抜き、五月一日の日比谷メーデーにつなげて行きたい。同時に、この時期は、労働者派遣法の抜本改正を求める闘い、沖縄・普天間基地撤去、辺野古新基地建設反対の闘いを強力に進めて行きたい。
 以上の提起は参加者の拍手で確認された。

 第二部の講演会では、元東京大学教授の田端博邦さんが、「歴史の転換と労働運動」と題して、国の内外で猛威を振るった新自由主義が多くの悲劇を生み出して破綻している状況とこれからの労働組合としての課題について話した。
 最後に団結がんばろうで、10春闘の勝利を誓い合って、けんり春闘は本格的にスタートした。


今国会で労働者派遣法の抜本改正を! 派遣法改正共同行動が院内集会

 昨年の九月九日、「連立政権樹立に当たっての政策合意」において、民主党、社民党、国民新党は、「労働者派遣法の抜本改正」をあげ、そこで「『日雇い派遣』『スポット派遣』の禁止のみならず、『登録型派遣』は原則禁止して安定した雇用とする。製造業派遣も原則的に禁止する。違法派遣の場合の『直接雇用みなし制度』の創設、マージン率の情報公開など、『派遣業法』から『派遣労働者保護法』にあらためる」として「職業訓練期間中に手当を支給する『求職者支援制度』を創設する」「雇用保険の全ての労働者への適用、最低賃金の引き上げを進める」「男・女、正規・非正規間の均等待遇の実現を図る」とした。これは、昨年八月の総選挙・政権交代前の民・社・国の野党三党法案(六月二六日)の線上にあるが、しかし、昨年一二月二八日の労働政策審議会職業安定部会では、自公時代の法案(いわゆる二〇年法案)とほとんど変わらないものが建議されるなど、経営側からの巻き返しも激しくなってきている。労働者派遣法の抜本改正を労働者の団結した行動で勝ち取らなければならない。

 一月二七日、参議院議員会館で「政治主導で抜本改正を!〜派遣法改正共同行動1・27院内集会〜」が開かれた。
 はじめに日本労働弁護団幹事長の水□洋介弁護士が報告。政権交代が多くの人びとの期待を担って実現した。与党三党はその政策合意の実現に向けて責任を果たしてほしい。しかし労政審答申の内容での政府提出法案では野党三党法案時代にあった派遣先での年休などの不利益取り扱いの禁止、派遣先企業の団交応諾義務など派遣先責任の強化はすべて先送りされる。また、事前面接についても期間の定めのない労働者には容認するとしている。これでは旧政府法案と同じだ。運動を強めて抜本的な改正を実現していこう。
 共産党の小池晃参議院議員、高橋千鶴子衆議院議員、社民党の福島みずほ党首、近藤正道参議院議員、民主党の稲見哲夫衆議院議員、松野頼久衆議院議員が参加して、それぞれ改正に向けた決意を表明した。
 派遣ユニオン書記長の関根秀一郎さんは、「運動側からみた答申の問題点」をテーマに発言。企業の立場から言えば、派遣の本質は簡便に労働力の調達ができるということだ。かつては労働者を大事にして確保する、労働者は会社の宝だといわれることもあったが、派遣法ができてからは要らなくなったらすぐやめさせると、大事にされなくなった。この状況を全面的に変えなくてはならない。これから、労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動は派遣切り被害者とともに議員に要請(別掲)を行う。今が大事なときだ。ともにがんばろう。
 三菱ふそう、日産で派遣切りと闘う労働者、ガテン系連帯からの決意表明、大阪での派遣法の闘いの報告、そして棗一郎弁護士からは、日本弁護士連合会の派遣法改正の取り組みが報告された。
 まとめと行動提起で井上久全労連事務局次長は、ワンストップの会の取り組み、年末年始の公設派遣村の状況と問題点を指摘し、不況が長引く中で派遣切りなど非正規労働者をとりまく困難さが増している中で、一刻も早い派遣法の抜本改正を実現しようと訴えた。

 労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動・派遣切り被害者有志一同による要請書


   (略)

 三党法案の内容を合意事項として連立政権が誕生しましたが、昨年一二月二八日に示された労働政策審議会の答申は、三党法案から大幅に後退し、労働者派遣法改正を骨抜きにするものとなりました。
 今こそ政治主導で、不安定雇用の温床となっている労働者派遣制度を抜本的に見直す労働者派遣法改正を行うべきです。
 一部には「登録型派遣や製造派遣を規制すると失業が増える」という俗論が流布されていますが、それは真実ではありません。使用者は、労働力の調達が簡便にできる登録型派遣という制度が温存されているからこそ、躊躇なく派遣切りできるのであり、むしろ現行の労働者派遣制度こそが大量失業を生み出すことは、派遣切りによって証明されたところです。
 登録型派遣を規制することは、簡便に労働力を調達し簡便に切り捨てるシステムを規制することから、むしろ企業に労働力確保の必要を生み出し、派遣切りや大量リストラを抑止することになります。
 つきましては、真に派遣労働者を保護する労働者派遣法改正を実現するため、下記のとおり要請いたします。

 一、「直接雇用みなし制度」による派遣先の直接雇用は「期間の定めのない雇用」とすること。
 二、「育児休業を理由とする不利益取り扱いの禁止」「性別を理由とする差別の禁止」「労働組合法に定める使用者責任」など「派遣先責任の強化」を盛り込むこと。
 三、登録型派遣を原則禁止するに当たり、「常用雇用」を期間の定めのない雇用と定義するとともに、例外となる専門的業務の「専門性」を見直すこと。
 四、登録型派遣原則禁止、製造派遣原則禁止を早期施行すること。
 五、「特定派遣」を届出制から許可制に変更すること。
 六、「事前面接」の一部解禁などの規制緩和をしないこと。
 七、「日雇い派遣」は例外なく禁止するとともに、「二ヶ月以内の雇用契約の派遣禁止」に違反した場合には「2ヶ月+1日」の雇用契約とみなす規定を盛り込むこと。
 八、その他、派遣労働者の権利を保護するとともに、違法派遣への取り締りを強化する内容を盛り込むこと。


東アジアの民衆が共同して未来を切り拓く

         
  「『韓国強制併合100年』共同行動日本実行委員会」結成

 今年は、安保改定五〇年であるとともに「韓国強制併合一〇〇年」の年である。しかし、日本政府による本格的な侵略戦争など過去の反省と植民地主義の清算はなされないままでいる。とりわけに韓国・朝鮮との間ではまったく未解決のままである。日本でもようやく自民党政治が打ち破られて政権交代が実現し、新首相も東アジア共同体構想を提起している今こそ東アジアの民衆が共同して、懸案を解決し未来を切り拓くときである。韓国では今年の八月に「韓日市民共同宣言大会」を準備している。それに連動する形で、一月三一日「『韓国強制併合一〇〇年』共同行動日本実行委員会」が結成された。

 一月三一日、早稲田奉仕園スコットホールで「過去を清算し平和の未来へ1・31集会〜『韓国強制併合一〇〇年』共同行動日本実行委員会結成の集い〜」が開かれた。
 はじめに、韓国側を代表して、「真実と未来 国恥一〇〇年事業共同推進委員会」常任共同代表のイ・イファさんが「未来の一〇〇年を開いきましょう」とあいさつ。
 一九世紀はヨーロッパから出発した植民主義が東アジアヘやってきた、骨身にしみる時代であり、長い歴史をもった韓国もここに含まれていた。そうだといって日本の韓国植民地支配が正当だったという意味ではない。これまで日本軍国主義、国粋主義の幻想に染まった日本当局者と多くの日本国民たちが歴史的過誤に対する反省はおろか、むしろ美化と自負心をもつ姿を見て胸が痛んだ。しかし、私は多くの日本の友だちがいる。今日この意義深い集会を契機に私たちは友だちになろう。互いに理解し、志が通じる友だちになれば解決できないことはない。韓国と日本は一衣帯水、また唇歯の関係にあり、そのため長い交流があった。よい記憶を思い起こしながら真実を明らかにし、未来の平和と人権の時代を開いていこう。
 つづいて、日本側は伊藤成彦中央大学名誉教授があいさつ。
 一九一〇年八月に日本帝国が大韓帝国に併合条約を強制し、三六年間にわたって言語に絶する抑圧を行い、隷属と犠牲を強いた植民地支配が、一九四五年八月に日本の敗戦によって終結した。にもかかわらず、それ以来六五年を経ながら、今なお「過去の清算」がなされていないことを、私たち日本人は心から恥じ、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の皆さんにお詫しなければならない。私たちは、東北アジアに生活するものとして、近隣諸国の皆さんとの相互の友好と繁栄を心から願っている。しかし、過去を清算することなしには、未来を拓くことはできない。昨年の総選挙で民主党を中心とする三党連合政権ができた。共に、韓国併合条約に対する正しい見方に立って過去の清算を行い、力を合わせて東北アジアの新しい未来を切り拓こう。

 第一部は講演と問題提起。
 「真実と未来 国恥一〇〇年事業共同推進委員会」常任共同代表のイ・ソクテ弁護士が「韓国強制併合一〇〇年〜植民地主義の清算と東アジアの平和な未来を拓いて行くために」と題して講演。
 植民地支配が残した傷を治癒して植民地主義を克服するための韓日間の連帯はすでに前々から様々な分野で行われてきた。この運動は被害回復を要求するだけではなく、韓国と日本の二つの社会を変えるための運動でもある。被害者の権利を回復する道は即ち人間の尊厳性を確認する過程であり、国家暴力から社会を保護し民主化を促進する道でもあるからだ。キム・ハクスンさんが恥を忍んで自ら日本軍「慰安婦」だったことを、勇気を持って明らかにしてからは日本軍「慰安婦」問題は韓日間の過去の清算問題の最も大きな象徴として提起された。日本軍「慰安婦」問題は日本の天皇制という国家暴力によって植民地の女性に強要された奴隷的な生と反人倫的な性犯罪、そして家父長的な秩序のもとで抑圧された女性たちの人権剥奪による人間性の抹殺と帝国日本の暴力性を克明に見せている。韓国と日本で展開された韓日協定文書公開運動もやはり、強制動員被害者の権利を回復するための前提として自分の権利が国家権力によってどのように扱われたかを確認するための運動であり、国家が独占している情報を公開させるための運動でもあった。この運動を通して私たちは韓国と日本の情報民主主義がどれほど脆弱なのかを確認することが出来た。日本社会が真実、東アジアの一員として平和と共存の世の中をともにつくって行こうとするのならば先ず、このアジア蔑視と差別意識を克服しなければならない。日本の「韓国強制併合」一〇〇年になる今年、既に、部門別に進行されてきた国際連帯活動に力を注ぎ綜合的で体系的な対応をするために韓国と日本の関連団体がともに問題を解決していく時点に来ている。何よりも当面の行動計画として侵略の過程で発生した日本軍「慰安婦」をはじめとする強制動員被害者らの被害実態を明らかにし、被害を回復するための政治的、法的処置をとるように日本政府に要求することが必要だ。二番目には、朝日修好正常化が正しく推進されるように一緒に力を合わせることだ。三番目に、韓国と日本だけではなく全世界に根を下ろしている植民地主義を打破し、自由と平等、人権に基づく新しい時代をつくるための共同宣言を採択してその理念の実現のために共に努力することである。この場に集まった私たちは誤った過去の負の遺産をもう一度はっきりと確認して、その治癒と清算の過程で未来を拓いて行く共同の義務がある。

 「課題提起―清算されない植民地主義」では、「日本軍『慰安婦』(性奴隷制)問題と植民地責任」(鈴木裕子さん)、「戦時強制動員とその被害補償について」(山本直好さん)、「韓国人の靖国神社合祀問題とその解決について(大口昭彦さん)、「関東大震災時朝鮮人虐殺の国家責任」(山田昭次さん)、「清算されない植民地主義と在日朝鮮人」(金優綺さん)、「歴史認識問題について」(俵義文さん)が発言し、増田都子さんが特別報告「私の闘いから見えてくる日本の教育行政と司法の歴史認識」を行った。

 第二部では、「二〇一〇年『韓国強制併合一〇〇年』日韓市民共同宣言行動」(日本では八月二二日、韓国では八月二七〜二九日)の行動計画案が提起された。
 行動計画の柱を、@「日韓市民共同宣言」の文案の起草作業、A日本の中で戦後(=朝鮮解放)六五年を経てもなお植民地主義が清算されていない現実・実態を確認し、東アジアの平和な未来を切り問いていくために、植民地主義を克服していくことを呼びかけていく行動、B日本政府に対する要請・要求運動、C韓国実行委員会の企画・行動との連携、日本実行委員会に参加・賛同する団体等が企画する行動への協力・後援、とする。
 その中で、「韓国強制併合」一〇〇年に当たって、日本の政府・国会に、朝鮮植民地支配の過去を反省し、植民地主義を清算し、真の和解を実現して平和な東アジアを構築していく旨を表明(首相談話、国会決議等のかたちで)するよう求めていくことや日朝国交正常化を促進するよう政府に要求していくことが呼びかけられている。
 また、日本実行委員会の共同代表には、伊藤成彦(中央大学名誉教授)、姜徳相(在日韓人歴史資料館館長)、鈴木裕子(日韓の女性と歴史を考える会代表)、宋富子(高麗博物館名誉館長)、中原道子(VAWW―NETジャパン共同代表)、山田昭次(立教大学名誉教授)の皆さんが選出された。
 最後に集会は、「『水晶の夜』を許さない市民のアピール〜在特会による人種差別を糾弾する」を採択した。「在特会」(在日特権を許さない市民の会)グループはさまざまな暴力的な排外主義の行動を行っているが昨年一二月には、京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、悪質な嫌がらせを働いた。集会アピールは、「私たち『過去を清算し平和の未来へ1・31集会』参加者は、日本による侵略戦争と植民地支配の清算がいまだになされずにいることが、今日における新たな人種主義と人種差別を産み出す仕会意識構造を温存していることに注意を喚起するとともに、在特会による犯罪によって被害を受けた子どもたちを始めとした朝鮮学校の人々や、在日外国人に対して二度とこのような事件が繰り返されぬよう、広く社会に訴える。外国人と共に生きる社会をつくるために努力している日本人が、この問題に注目し強い怒りをもち、決して沈黙することなく、声をあげるよう呼びかける。そして日本政府に対して、子どもの人権を保護することを最優先するよう求める。こうした事件を繰り返さないためには、市民、メディア、政府がそれぞれの責務を自覚して、民族差別や人権侵害に反対し、普遍的な人権擁護の立場で発言し行動することが重要である。これは、この社会に生きる私たち一人ひとりの責務である」と暴力的排外主義グループへの糾弾・反撃を呼びかけた。


都教委包囲ネットが2・6総決起集会

      
改悪教育基本法路線と対決しよう! 「日の丸・君が代」強制反対!
 
 二月六日、中野ゼロ・ホールで「改悪教育基本法路線と対決しよう!」「『日の丸・君が代』強制反対!」をかかげて、都教委包囲ネット主催の「2・6総決起集会」がひらかれた。

集会でははじめに、主任教諭制度が導入された東京都の学校現場からの報告。
 つづいて評論家の斉藤貴男さんが「民主党政権の教育政策と石原・都教委の教育行政を批判する」と題して講演。政権交代となったが、民主党の路線は小泉・竹中の新自由主義と変わっていない。教育政策では、民主党の日本教育基本法は愛国心を強調している。それは、公明との関係でトーンダウンした自民党のそれよりも露骨だ。
三人の裁判闘争原告からの発言、そして、君が代・日の丸不起立を闘い抜いている近藤順一さん、根津公子さん、河原井純子さんたち被処分者からの発言があり、会場からおおくの拍手が起こった。
 最後に、「総決起集会決議」、「民主党による新たな教員免許法案に反対する2・6集会決議」を採択し、今年の卒・入学式に向けての闘う態勢を作っていくことを確認した。

2・6総決起集会決議

 昨年8月末の総選挙で、「政権交代」が起こりました。
 「新自由主義」政策により格差拡大・貧困増大をもたらし、「愛国心」を盛り込んだ改悪教育基本法を強行採決した自公政権が惨敗したのです。しかし、それに代わった民主党を中心とする新政権も、この間の動きで決して幻想をもてない政権であることが明確になってきました。…時代は変わりつつあります。民主党政権や都教委がいかにこれまでの政策を継続しようとしても、名護市長選での移設反対派の勝利、東京での教員採用試験の倍率低下などに見られるように、人々は彼らの思惑通りには動かなくなりました。…今集会では、東京における「日の丸・君が代」強制反対の闘いをはじめ、改悪教育基本法の実働化に反対する様々な闘いが報告されました。私たちは今、民主党政権や日教組本部などを乗り越える闘いを、市民レベルや教育現場から作り出しつつあります。したがって私たちは、「10 ・23 通達」と処分の撤回、「7・15分限指針」撤回、さらには「新学習指導要領」「業績評価」「教員免許制度改悪」などに見られる改悪教育基本法実働化阻止のために、多くの仲間と団結し、絶えず新たな闘いを作り出し、交流し合い、闘い続けることをここに決議します。
 「政権交代」を乗り越え、私たちの力で「愛国心教育」、「格差拡大教育」を打ち破りましょう!

新たな教員免許法案に反対するアピール

 …鳩山政権の文科省は悪評の教員免許法更新制を廃止すると明言しました。当然のことです。しかし、この廃止は「新たな教員免許制度」の導入と同時に行うとしています。この「新たな教員免許制度」が問題です。それによると、教員免許の取得は大学院修士課程を終了しなければできません。取得まで最低でも六年間を必要とします。経済的負担が大変です。また、教員養成のできる大学が限られてしまいます。これでは戦前の師範学校のようなものになってしまいます。戦後の開放教員養成の制度が崩れてしまいます。…このように民主党案の「新たな教員免許制度」は、「教員の資質向上」を名目に教員免許を通して教員の管理統制を強化し教員の選別と分断を図るものです。…私たちはあらゆる改悪教育基本法路線に反対し、その実働化にひとつひとつ反撃を加えていかなければなりません。わけても教員の管理統制と選別と分断を図る「新たな教員免許制度」を絶対に導入させてはなりません。全国の仲間と連帯し共に闘っていこうではありませんか。


書籍紹介 宮本太郎『生活保障―排除しない社会へ』(岩波新書)

            
雇用保障と社会保障とを結びつける「生活保障」とは

 著者の宮本太郎北海道大学教授は、『生活保障―排除しない社会へ』(岩波新書)で、「生活保障」による「生きる場」の確保・「排除しない社会」の実現についての提言を行っている。「生活保障」とは雇用保障と社会保障とを結びつけたものである。
 著者は、「着実な改革は、私たちが生きる社会の歴史と現状から出発」しなければならないとして、「この国でこれまで人々の生活を支えてきた仕組みを発見し、問題点を是正しながら、発展させていく発想」が必要だという。著者は福祉国家論とくにスウェーデンの研究者であるが、本書でも「雇用と社会保障をどのようにつなぎなおすかについては、アクティベーションという考えかたを重視した。アクティベーションの考え方をもっとも体系的に制度にとりいれたのは、スウェーデンなどの北欧の国々である」としながらも「こうした国々も固有の問題に直面しており、世界のどこを探しても、日本が直面する事態のそのまま使えるモデルは存在しない」と、単なるある特定の外国からのモデル導入はではないとする。そして、「戦後日本の実現してきた雇用を軸とした生活保障は、ある意味で『福祉から就労へ』という『第三の道』型の社会像を先取りしていた。日本型生活保障の、こうした形は継承されていってよい。その一方で日本型生活保障は、すべての人々をカヴァーしたわけではなく、経済成長の中での貧困や孤立など、たくさんの問題点を伴ってきた」と指摘する。具体的日本的な特色を持つ「生活保障」の構築でなければならないというわけで評価できる視点だ。

 アクティベーションとは、ある機能を有効(アクティブ)にするということであるが、この場合には労働することによる有効化、活性化という意味である。ヨーロッパの例では、失業給付や公的扶助などに本来就労可能な者がそのまままの状態にとどまり公的支出が増大してしまうという事態からの脱却のために用いられている。就労させるといっても、単なる強制ではなく、その条件を作り出す職業訓練、職業紹介などの積極的労働市場政策がキーワードになっていて、これによって失業者などの社会復帰を図ろうとするものである。積極的労働市場政策によって失業率を下げ、収税状況も改善するというわけだ。

 著者は「生活保障」という言葉と概念はすでにあったと書いている。一九五〇年の社会保障制度審議会の「社会保障制度に関する勧告」がそれで、この勧告は戦後日本の社会保障制度の骨格を示したものであり、そこでは「すべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすること」と同義であるとされている。その柱は「社会保障」であるが、それだけでなく、「経済の発展」と「雇用の安定等にかかわる政策の発展」がむすびついて実現できるものだとされ、「社会保障と雇用が連携」が強調されていた。
 なぜこの「生活保障」が、いま提起されなければならないか。「生活保障は、社会のダランドデザインが改められる時に必要な視点なのである。大多数の人々が生活に足る見返りのある仕事に就けた時代には、雇用と社会保障はそれぞれ別の次元に属する問題のようにも見えた」。たしかに、そのように感じられた時代は存在した。しかし、現在の日本は違う。いまこそ、長期不況の中で貧困化と社会的格差の拡大雇用と社会保障は結び付けて考えられなければならないというわけだ。

 本書の狙いは、「雇用を軸とした生活保障を、より多くの人を包摂するものとして再検築し、併せて囲い込み構造を解消して人々のライフチャンスを拡げていく道筋を考えた。雇用とその外部の問に、参加支援の橋を架けでいくことは、そのための第一歩である。スウェーデンに典型的なアクティペーションの考え方が、参加支援のための多くのヒントを提供した」としている。そうした構想が実現できれば、一度、就職したらそこでコースが決まってしまい、そこからドロップアウトした途端に居場所もなくなるという現在の日本のような仕組みではなくて、労働市場を中心に、失業したり、教育訓練を受けたりしながら、安心して雇用、家族、地域ゴミュニティなどの間を行き来できるとする。こうなれば「生活保障の二つの機能」のうち生活資源の確保ができ、同時に、もう一つの機能「人々が『生きる場』に逢着する機会を広げるためにも必要な条件」ができるようになるという展望が語られる。
 なお、スウェーデン型アクティベーションは、グローバル市場に競争力を発揮する先端部門への労働力移動に力を入れるあまり、とくに地方で雇用が縮小する状況を招いているとする批判には、「この点では、地方に雇用を確保してきた日本の方法を、抜本的な改作を経て継承していくことが考えられる」とする。

 雇用と社会保障の連携による排除しない社会づくりの提言は魅力的である。新自由主義の嵐がいまだおさまらない状況で、「生活保障」を実現させる勢力はどのように形成されるのだろうか考えてみたい。 (H)


せ ん り ゅ う

                   ヽ史
(ちょんし)


 小沢批判ただそれだけの自民党で
 
 マスコミはいまだ自民に借りがあり
 
 アフガンで米企業は荒稼ぎ
 
 米国樹の根食い込むアフガニスタン
 
 使い捨てやめた生産3割減
 
 宜野湾の海のこころで名護市長
 
 「私は投げ出さない」反戦・反基地で
 
 ◎ マスコミは市民の代表ではない。市民を笑い落とす広告主野郎の幇間だ。「ビンラーディン犯行声明」と新聞見出しであった。これを見てほくそ笑む社長は誰だ。まだまだ儲かる!か。
 アメリカ型の使い捨て経済は終焉に、愛車は一〇年使って、一労働日5時間にしようよ。
 一月二四日、稲嶺進氏接戦であったけれども反戦で名護市長選に当選。米軍は引揚げろ。
 オバマ演説のしめくくり「我々は決して投げ出したりしない。…夢を前進させ、結束をもう一度強めるため、この瞬間からはじめよう。」
              


複眼単眼

     山川暁夫さんが語った「直訴の思想」と行動

  
 三月六日午後、わが同盟の初代の議長であった「山川暁夫=川端治さん没後一〇年のつどい」が各界の人びとの努力で準備されつつある(山川さんの命日は二〇〇〇年二月一二日である)。その中で「山川さんが生きていたら今の情勢をどのように語ったであろうか」という声が少なからず聞かれる。
 そこで一つのエピソードを紹介したい。
 山川さんが委員長をしていた「新困民党」(秩父蜂起記念行動実行委員会)という団体の会報に九四年九月に山川さんが書いた「『直訴の思想』と戦後五〇年への闘い〜村山政権にどう立ち向かうのか」という文章がある。
 「私は、村山政権の登場に関連して、『民衆の側こそが政治の変動への受動的な傍観者になるのではなく、社会党を突き上げ、《国家的反動綱領》に対決、対抗する闘いを強めること』が必要だろうと書き、『被爆者援護法』を例に挙げながら、『かつての田中正造が命をかけてやったように、《直訴》してもその主張を実現していくような政治行動に立つべき時ではないのか』と問題提起した」と。
 そして、こうも書いている。「(五九年十一月の『ベトナム賠償』反対闘争でデモ隊が国会中庭になだれ込んだことを口実に国会周辺へのデモの接近を厳しく取り締まる動きとなったときに)私も加わって、何人かで本気になってそのことを討論しあったことを思い出す。そうしてそこでひとまず出した考えは、一人一人が『白い紙(請願書)』を持って三々五々、デモの形を取らずに国会に出向いていったら、警察はそうした単なる通行人の動きを阻止できるだろうかというアイディアだった。可能性あり――そう判断した私たちは(中略)新橋から数寄屋橋までの二回のデモの後、先の考えを活かして、次は国会に向けて歩いてみようということを提案した。同時に、国会の社会党の関係部局の議員達にも連絡をとり、『請願』の受付所を院内につくることに同意してもらった。この試みは見事に成功し、やがて人びとが国会に出向いて請願する道が開かれ、それがきっかけになって、労働者の部隊もまた国会に事実上のデモ行進をかける状況がつくられていった。今もって残念なことは、次第にふくれあがるデモ隊の動きに押されて、請願の受付を、当時の議員面会所の前の道路に持ち出すことになったことである。こうした結果として、のちに『お焼香デモ』と言われたパターンをやがて定着してしまった。あのとき最後まで、国会内で請願を受け付ける形をとりつづけていたとすれば、反安保闘争のその後の展開はどうなったか。死んだ子の歳を数えるようなことだが、小さくない悔いが私には残っている」と。
 そしてこういう。「こうした古い思い出話をあえてここで紹介するのは、この時の懸命な思いと、それに応じた多くの人びとの行動こそが、私のいいたい『直訴の思想』だということである」。締めくくりにこういう。「顧みて、われわれ『新困民党』がその心とする秩父『困民党』の闘いも、そうした虐げられた人びとのいわば止むにやまれぬ『直訴』の思いを原動力にしたのではなかったか。民衆自身のそうした重いと決意こそが、『闘い方』の如何にもまして決定的に重要なことである。形と組織の形態は、そのことに従属して定まっていくことだろう」と。

 今号のコラムはほとんど引用になったが、山川追悼としてご容赦願いたい。
 読者の皆さんは、この村山政権評価と請願デモ創始の思いでについての山川さんの言葉から何を汲み取るだろうか。(T)