人民新報 ・ 第1265号<統合358号(2010年5月15日)
  
                  目次

● 沖縄の基地反対の意思は鮮明だ!   全国をつなぐ普天間閉鎖、県内・国内移設反対の闘いを

● ピースサイクルからのアピール

● 団結は力 継続は力    生かそう憲法!輝け9条! 歩みつづけて一〇年 5・3憲法集会

● 非正規労働者の権利実現!  労働者派遣法の抜本改正を実現しよう

● 「『韓国併合条約』―朝鮮植民地化から一〇〇年 東アジアの平和と共生をめざして―」   八月の「日韓市民共同宣言大会」に向けてシンポジウム

● 全世界の人々とともに闘う! 第81回 日比谷メーデー

● 朝鮮植民地化は浸透したのか?   4・29反「昭和の日」集会での講演

● 書 評  /    辛淑玉著 『怒りの方法』 

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  O君を送る





沖縄の基地反対の意思は鮮明だ!

  
全国をつなぐ普天間閉鎖、県内・国内移設反対の闘いを

 五月十五日に、沖縄は米軍の占領から日本に「復帰」して三八年になる。だが、日本の米軍基地の七五%が集中するなど、沖縄はいつまでたっても安保体制の犠牲を押しつけられている状況は変わっていない。アメリカも認める「世界一危険な」普天間基地の返還が決まって一四年ともなり、閉鎖はもはや待ったなしの状況であるが、アメリカが要求するのは、その代替としての辺野古新鋭基地建設である。アメリカの対テロ戦争と「極東有事」に対する日米軍事結託の強化は、普天間の危険の一段の増大をもたらしている。基地の沖縄県内たらいまわしという日米政府のやり方にたいして、沖縄県民はノーの意思をますます強めている。いまこそ、米軍基地撤去、日米安保体制の根本的見直しの時期である。 

沖縄県民大会の成功

 四月二五日には、九万人をこえる沖縄県民が読谷運動公園に結集し、「日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し国外・県外に移設されるよう強く求め」た(「県民大会決議」別掲)。この集会には、こうしたものには顔を見せることのなかった沖縄県知事仲井眞弘多も参加した。参加者は一九九五年の米海兵隊員による少女暴行事件後の県民大会を上回った(この事件は普天間飛行場の返還合意のきっかけともなった)。しかも、今回は県内四一市町村すべてから自民党を含めて党派を超えて人々が参集した。ここに沖縄県民の意思は鮮明に示されたといえよう。

東京での呼応行動

 沖縄県民大会には、全国でさまざまに呼応した行動が取り組まれた。
 東京では二五日午後に、社会文化会館において、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの呼びかけ(共催・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)による「沖縄県民大会とともに声をあげよう 東京集会 〜米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める〜」が開かれ、一〇〇〇名もの人々が結集した。会場では、スクリーンで沖縄県民大会の状況が中継で映し出された。現地からは、一坪反戦地主で与勝海上基地建設計画反対うるま市民協議会の事務局長代理の崎原盛秀さんからの電話回線での報告で、基地撤去への熱い思いが伝えられた。
 集会のあとデモに出発、日比谷公園までのコースで米軍基地撤去をアピールした。

明治公園で人文字

 午後六時からは、「『沖縄に基地はいらない』全国同時アクションTOKYO」(協賛・沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、WORLD PEACE NOW)の呼びかけで、「沖縄に基地はいらない 全国同時アクション TOKYO 〜 キャンドルで人文字をつくろう!@明治公園」が開かれた。この行動は、平和や環境問題にとりくむNGOや知識人など幅広い人びとが呼びかけたもので、午後七時過ぎからは、一二五〇人が手に手にキャンドルの灯を掲げて「NO BASE! OKINAWA」の人文字を描いた。

 これらの行動は、一部マスコミも報道し、沖縄をはじめ全国に伝えられた。この日、米軍基地撤去の声は、沖縄を先頭に全国的な規模で結びつきはじめた。

各地で基地反対運動

 沖縄の基地反対の運動はかつてない盛り上がりを示しているが、これは沖縄だけではない。基地のたらいまわしに各地で反対運動が展開されている。
 五月八日には、鹿児島市で約五〇〇〇人が参加して政府が画策する徳之島への移転に反対する大規模な集会が開かれた。徳之島の三町長も参加し、伊仙町の大久保明町長は「(鳩山首相に)徳之島の絶対的民意を直接伝えた」などと発言し、鹿児島県の伊藤祐一郎知事も「三人の町長と足並みをそろえていく」と述べるなど、ここでも「移設に断固反対だという民意」が明らかになった。
 移転先に指定された地域ではどこでも反対運動の大きなうねりが起こっている。基地機能・訓練の移転でも同様だ。全国各地で、沖縄の同様に基地の痛みを感じて、ともに闘う運動を作り出していかなければならない。

政府は民意を政策に

 こうして基地反対の民意が鮮明になるにつれて、鳩山内閣の五月決着方針はますます困難になってきている。
 問題は何を持って決着というかである。
 鳩山の学べば学ぶほど、在沖縄米軍の抑止力の必要性がわかったなどという発言は、米日の安保マフィアにつながる官僚、マスコミのあやまった論調の鸚鵡返しにすぎない。政府としてなすべきは、民意として示された普天間基地即時閉鎖、そして辺野古への新基地建設案や徳之島への一部移転案の撤回である。その上でのアメリカに対する毅然たる交渉である。今こそ、民意を具体化する政策が必要なのである。 

米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める決議

 普天間飛行場の返還は平成八年日米特別行動委員会(SACO)合意から一三年経過した今なお実現を見ることはなく、その危険性は放置されたままです。
 しかも、平成一六年(二〇〇四年)八月一三日に発生した沖縄国際大学構内への米軍海兵隊所属CH51D大型輸送機ヘリコプターの墜落事故は、市街地に位置し、住宅や学校等が密集する普天間飛行場の危険極まりない現実を明らかにしました。一歩間違えば大惨事を引き起こしかねず「世界一危険な飛行場」の存在を改めて内外に明らかにしています。しかも、平成一八年(二〇〇六年)の在日米軍再編協議では同飛行場の全面返還を合意しており、県民や宜野湾市民は、最も危険な普天間飛行場を早期に全面返還し、政府の責任において跡地利用等課題解決を求めているのです。
 私たち沖縄県民は、去る大戦の悲惨な教訓から戦後一貫して「命どう宝」、基地のない平和で安全な沖縄を希求してきました。にも関わらずSACO合意の「普天間飛行場条件つき返還」は新たな基地の県内移設に他なりません。
 県民の意思はこれまで行われた住民投票や県民大会、各種世論調査などで明確に示され、移設先とされた名護市辺野古沿岸域は国の天然記念物で、国際保護獣のジュゴンをはじめとする希少生物をはぐくむ貴重な海域であり、また新たなサンゴ群落が見つかるなど世界にも類をみない美しい海域であることが確認されています。
 名護市長は、辺野古の海上及び陸上への基地建設に反対しています。また、勝連半島沖埋め立て案についてはうるま市長・市議会ともに反対を表明しています。
 よって、私たち沖縄県民は、県民の生命・財産・生活環境を守る立場から、日米両政府が普天間飛行場を早期に閉鎖・返還するとともに、県内移設を断念し国外・県外に移設されるよう強く求めるものです。
 以上決議する。

 二〇一〇年
   四月二五日

四・二五県民大会


 内閣総理大臣
 外務大臣
 防衛大臣
 沖縄及び北方対策担当大臣
 内閣官房長官
 アメリカ大使


 ピースサイクルからのアピール

 ピースサイクル全国ネットワークはこれまで全国各地で反戦平和、人権、環境を訴えてきました。今年は二五周年を迎え東京でイベントを取り組みます。
 五月二八日(金)には、国会ピースで防衛省、東京都教育委員会、東京電力本社、外務省、内閣府に対し、要請行動を行います。
 翌日二九日(土)午後一時からは、豊島区民センターにおいて、講演『新政権と憲法問題〜憲法九条、二五条を考える』(講師・高田健さん)と「寿」のライブの集いを行います。
 またピースサイクルの活動を映写で紹介したり、各運動の上関原発、沖縄米軍基地、労組づくりなどの報告も行います。
 この取り組みを成功させるため、皆さんのご協力と賛同をよろしくお願いします。(A)

職場・地域から中小春闘のうねりを
  けんり春闘・春の共同行動決起集会・銀座デモ

 中小企業での春闘はつづいている。四月二一日、交通会館で、けんり春闘の春の共同行動決起集会がひらかれた。
 主催者を代表して、けんり春闘代表の藤崎良三全労協議長が挨拶。年収二〇〇万円以下の労働者が増え、新卒者の五人に一人は就職できていない。雇用不安とワーキングプアの時代だ。雇用安定、賃上げは春闘でのすべての労働者の要求だ。しかし大手組合は賃上げなし、一時金も下げられ、ようやく定昇維持で終わり、相場形成力はなくなっている。しかし大手企業は内部留保を溜め込み、トータルでは四二九〇兆円に上る。これからは、中小、非正規、派遣、労働者が職場・地域から闘いを作り上げて要求を実現しなければならない。
 遠藤一郎中小労組政策ネットワーク共同代表が基調の提起。中小春闘はいまがど真ん中で、今年も銀座デモで闘いたい。こうした取り組みを一〇年継続してきたが今日の行動も元気を出してしっかりと貫徹したい。労働者派遣法の抜本改正についても、労働政策審議会での本格審議が始まるが、国会行動についても強化していきたい。傍聴、国会前行動などしっかりと取り組んでいきたい。そしてよりよい修正を勝ち取っていくことが必要だ。六月一六日までの会期ぎりぎりまで、派遣労働者=当事者の声を国会に届けることが大事で、それで決まる。最後まで闘いぬこう。
 つづいて全統一労働組合の中島浩さんが、外国人研修生・技能実習生の受入れ機関のJITCO(財団法人・国際研修協力機構)や日本精工(NSK)をはじめ外国人労働者問題を抱えている機関や企業に対する申し入れなど今日のこれまでの行動について報告を行った。
 全統一外国人分会、神奈川シティーユニオン、全国一般なんぶ、全日本建設運輸 連帯労働組合、ネットワークユニオン、埼京ユニオン、下町ユニオン、全造船関東地協、電通労組、郵政労働者ユニオン、国労闘争団からの決意表明が行われた。
 全統一労組の鳥井一平書記長が行動提起し、最後に、六月末までの闘いで要求を勝ち取ろうと団結ガンバロウ。そして新橋駅から東京駅までの銀座デモを行った。


団結は力 継続は力

   生かそう憲法!輝け9条! 歩みつづけて一〇年 5・3憲法集会


 五月三日、日比谷公会堂で四五〇〇人が参加して「生かそう憲法!輝け9条! 歩みつづけて一〇年 5・3憲法集会」が開かれた。呼びかけ団体は、憲法改悪阻止各会連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法 世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会。

 今年も会場に入りきれずに、日比谷公園に第二会場が設営された。

 主催者を代表して高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)があいさつ。本日の集会はこの5・3憲法集会が始まって一〇回目の記念すべき集会だ。一〇年前、政治的、社会的立場の違いを超えて、「憲法改悪は許さない」という立場で大きく団結し、広範な共同行動を作りだしてきたが、それ以来、運動は全国的に広がり、改憲反対の大きな世論を作り出してきた。この間、明文改憲をすすめようとしてきた自公連立政権が倒れた。これは運動の大きな勝利であり、共同は力であり、継続こそ力であるとあらためて思う。しかし改憲派は、憲法改悪のための策動を続けている。今年は日米安保が改定されてから五〇年であり、沖縄の普天間基地の撤去は当面する最大の憲法問題となっている。米軍基地のたらい回しや海外での戦争のための軍事基地を押しつけることは憲法違反の最たるものだ。この五月一八日には、改憲手続き法の凍結解除の動きがあり、与党の一部からは憲法審査会の始動を求める声さえでている。集団的自衛権の行使など、明文改憲ができないままで、解釈改憲をすすめようとの動きも相変わらずである。しかし私たちは決して運動のこの歩みを止めることはできない。アジアと世界の人びとと共に平和のうちに生きることを保障した憲法九条を、この憲法記念日にあらためて高く掲げて、それを守り、生かすことを誓い合いたい。

 スピーチでは、はじめに法政大学教授の田中優子さん。
 いま憲法を生かすということでは、三つのことが必要だ。第一に沖縄から米軍基地を完全になくすこと。もちろん米軍の代わりに自衛隊がその後を受けるようなことになってはならない。第二には憲法を変えて再軍備を行うことを阻止すること。そして第三には東アジア共同体を実質的に作っていくということだ。その三つが同時になされなければならない。
 東アジアのことを考える上で江戸時代を見てみよう。そのときには日本と朝鮮半島の関係は良好だった。当時は、海外に依存することなく国内でゆったりと生活していた。江戸時代を遅れた暗黒の時代だったとするのは近代からの批判にすぎない。
 この憲法はある意味では奇跡のように生れたものである。改憲派の人たちは憲法を現実に合わせる必要があるといっているが、そうすれば憲法は死んでしまう。憲法の問題は単に国内の問題ではなく、東アジア、世界の問題である。これからも、東アジア共同体形成について自分なりに研究を進めて生きたい。

 つづいて伊藤塾塾長の伊藤真さん。
 私は将来の法律家の養成が仕事だが、アフリカから来ている学生もいる。政権が変わるたびに憲法が変えられる国から来たある学生は、日本の憲法が六〇年以上も変わらないことはうらやましいといっていた。そしてどうしたら国民が大統領の権力を縛ることができるのかを学びたいとも話していた。戦争はいけない、人の生命を道具に使うことはよくないというのは世界共通だ。
 この五月のすばらしい空の下で、沖縄では毎日戦争のための爆音に悩んでいる。そしてアメリカ軍の事件・犯罪は二〇万件をはるかにこえ、死者も一〇〇〇人以上だが、沖縄がほとんどだ。アメリカは日本人を殺す側にいるのだ。だが、沖縄のことについて、植民地のこと、外国のことと思っている人が多い。普天間基地は今にも大事故を起しそうな危険なところだ。その代替地に辺野古などがあげられているが、沖縄の人は大反対だ。徳之島の人もそうだ。日本各地どこでもそうだ。鳩山首相は、皇居、大手町、東京駅、国会などをふくめて、その腹案としての移転候補地を次々に出してほしい。そうすれば、みんなが基地問題、沖縄の問題そして平和のこと、憲法のことを自分のこととして必死に考えざるを得なくなる。そうして国民の意思が基地反対だということを明確に出していくべきだ。
 六五年前の敗戦の中から憲法は生れた。天皇制下での戦争はごめんだという実体験の中で憲法は生れた。国民が自分のこととして、平和、人権、国民主権などをとらえたから憲法は生きてきた。いま、政権交代、「反貧困」運動のひろがりなどなどの中で、自分たちの力で憲法の価値をみつけるという状況が生れている。
 「国民投票法」が施行されようとしている。だが、私たちとしても、この三年間、周囲に憲法の話をどれだけしてきたか反省しなければならない。もっと憲法について声を大きくして人々に語りかけていくことがますます大事になってきている。

 つづいて俳優の市原悦子さんが、仲の良い家族が犠牲になる戦争の怖さ、悲しさを描いた「ちいちゃんのかげおくり」を朗読し、参加者に感動の渦が起きる。
 
 社民党党首の福島みずほさん、共産党書記局長の市田忠義さんがスピーチし、最後に集会アピール(別掲)を確認した。

 集会を終って、パレードに出発。
 改憲を許さず、憲法の原則を生かすこと、普天間基地の撤去、辺野古など県内や国内移設に反対するシュプレヒコールあげながら街行く市民に訴えた。

 いかそう憲法! 輝け九条! 歩みつづけて一〇年  二〇一〇年五・三憲法集会アピール


 二〇〇一年の五月三日、五・三憲法集会実行委員会が初めて共同の集会を開いてから、今年は一〇回目の記念すべき日にあたります。
 小泉純一郎政権、安倍晋三政権の改憲暴走に抗して、私たちは政治的・社会的立場の違いを超えて、「憲法改悪は許さない」の一点で共同した運動を作りだし、歩みつづけ、世論に訴えてきました。昨年の総選挙で、九条を目の敵にして明文改憲を策動した自公連立政権はとうとう倒れました。ひきつづき改憲を呼号している自民党は四分五裂のありさまです。情勢はあらたな段階に入りました。
 今年は日米安保改定から五〇年の年です。目下、焦眉の課題となっている沖縄の普天間基地の撤去をはじめ、米軍再編に伴う日米軍事一体化など、憲法九条に関わる大きな問題が存在しています。沖縄県民は島ぐるみで基地のたらい回しに反対しています。私たちはこれ以上、沖縄に犠牲を強いることは断じて容認できません。もう戦争のための軍事基地は要りません。
 本日、ニューヨークには核兵器の廃絶をめざして全世界の仲間の皆さんが結集しております。
 また今年は改憲手続き法の三年間の「凍結期間」が切れる年であり、日弁連をはじめ、各界の有識者が異議を唱えているにもかかわらず、総務省は強引に施行令を準備しています。与党の一部からも改憲につながる憲法審査会の始動をめざす声が聞こえてきます。武器輸出三原則や非核三原則を骨抜きにするような動きとあわせて、集団的自衛権行使の容認や海外派兵恒久法などのさまざまな解釈改憲の動きもひきつづき存在します。私たちは気をゆるめるわけにはいきません。
 五・三憲法集会の一〇年の歩みは、団結は力、継続は力であることを明確に示しております。一〇年にわたって、幅広く共同してきた私たちは、本日の集会とパレードを機に、あらためて、いっそう大きく共同行動を発展させることを決意するものです。

   二〇一〇年五月三日


非正規労働者の権利実現!

  
労働者派遣法の抜本改正を実現しよう

 四月一六日、総評会館で、非正規労働者の権利実現全国会議の第三回集会「どうなってるの!?民主党政権〜派遣法改正案を斬る〜」が、開催された。

 開会挨拶につづいて、宇都宮健児日本弁護士連合会会長が来賓あいさつ。
 日弁連は労働者派遣法改正について、この二月にも「労働者派遣法の今国会での抜本改正を求める意見書」を発表し、この意見書の趣旨に沿った抜本改正を強く求めてきたが、四月一四日にも「真に労働者保護に値する労働者派遣法抜本改正を求める会長声明」を出し、以下のとおりの修正を要請した。
 それは、第一に、改正法案では、登録型派遣について原則禁止としながら、政令指定二六業務を例外としている。登録型派遣は全面的に禁止すべきである。仮に例外的に専門業務について許容するというのであれば、真に専門的な業務に限定されなければならないにもかかわらず、現行の政令指定二六業務の中にはもはや専門業務とは言えない事務用機器操作やファイリング等が含まれており、専門業務を偽装した脱法がなされるなど弊害が大きい。また、これらの業種は女性労働者の占める割合が高く、女性労働者の非正規化、男女賃金格差の温床となっていることからも、厳格な見直しが必要である。
 第二に、改正法案では、本来全面禁止されるべき製造業務への派遣を含めて「常用型」派遣は認められている。ところが、改正法案では「常用型」についての定義規定が定められておらず、期間の定めのない雇用契約のみならず、有期雇用契約も含まれる運用がなされる危険性がある。また、行政解釈では、有期契約であっても更新によって一年以上雇用されている場合や雇入れ時点で一年を超える雇用見込みがあれば、常時雇用として取り扱うとされており、登録型派遣を禁止する意味がない。「常用」については「期間の定めのない雇用契約」であることを法律に明記すべきである。
 第三に、団体交渉応諾義務等派遣先責任を明確にする規定が今回の法案には定められていない点も問題である。派遣労働者は、派遣先の指揮命令下に日々労務の提供を行っているのであり、派遣先が自ら使用する労働者の労働条件改善について一定の範囲で責任を負うべきである。
 改正法は、真の派遣労働者の保護ひいてはわが国の労働者全体の雇用の改善に資するよう派遣労働者の実態を踏まえた修正されたものでなければならない。

 脇田滋龍谷大学教授は、「労働者派遣法『改正』案の問題点と抜本的改正の課題」と題して講演し、「毒の缶詰」と呼ぶべき日本的派遣制度の弊害を厳しく批判した。

 つづいて弁護士などによるコント「どうしてダメなの?事前面接」では、改正案の問題点が指摘された。

 当事者からの報告では、日産の業務偽装(事前面接)、横河電機の雇い止め、一〇年前から同じ派遣先に勤務するシングルマザー派遣労働者の三人の女性が発言した。

 最後に参加者一同は「派遣労働者の権利を蔑ろにする現行派遣労働法の下において、各地の裁判所で、派遣労働者の権利救済に背を向ける判決・決定が相次いでいます。私たちは、国会において、劣悪で不安定な状態で働き続けている派遣労働者の権利がきちんと擁護される派遣労働法の真の意味での改正を早期に実現することを強く求めるものです」とする「声明」を確認した。


「『韓国併合条約』―朝鮮植民地化から一〇〇年 東アジアの平和と共生をめざして―」

                  
 八月の「日韓市民共同宣言大会」に向けてシンポジウム 

 四月一八日、全水道会館で、「シンポジウム 問い直そう!『韓国併合条約』―朝鮮植民地化から一〇〇年 東アジアの平和と共生をめざしてー」(主催、「韓国強制併合一〇〇年共同行動」日本実行委員会)が開かれた。これは、今年の八月に予定されている「韓国併合」一〇〇年を問い直す「日韓市民共同宣言大会」に向けた取り組みの一環である。

 はじめに在日韓人歴史資料館館長の姜徳相さんが報告。
 明治期日本の栄光というものは、朝鮮の植民地化と表裏一体の関係にあった。一八九四年にはじまった日清戦争は日本の軍事力とともに朝鮮の独立の実現などという詐欺の上に行われた。その年(甲午)に朝鮮で起きた甲午農民戦争は、日本の侵略戦争の後方確保ためにジャマだと皆殺しにされた。開戦に大きく関わった当時の川上操六参謀本部次長が「ことごとく殺戮せよ」と命じたのだ。日露戦争では、朝鮮を占領したが、それは何の法的根拠もないものだった。その後の韓国併合は、韓国強制占領というべきものである。現在も日本の知識人の多くは、朝鮮半島の分断について触れないことが不思議でならないが、これは日本の国家利益と考えられているのであり、知識人も麻痺しているとしか言いようがない。

 明治大学教授の笹川紀勝さんは、「韓国併合の違法性」をテーマに発言した。
 不思議なことに、一九〇五年のいわゆる保護条約といわれるものは(それは韓国側にだけ原本がある)、その第一行が空白であり、両国の共通の名前がない。これは脅迫に基づいたものである上に、韓国皇帝の署名・押印がない。署名しているのは、日本側代表の特命全権公使林権助と韓国側代表の外部大臣朴斉純である。これは、とりあえずの行政上の取決めにすぎない。条約としての合意も形式も整えられていないものである。
 一九〇五年一一月一七〜一八日、朝鮮王宮である慶遷宮(キョンウングン)の狭い部屋で、伊藤博文は長谷川好道駐箚司令官と憲兵隊長を伴い、韓国の七人の大臣の行動の自由を奪って条約への賛成の署名を強制した。この点については世界的にも不法性だとする意見が多い。
 一九四〇年にチューリッヒ大学のヴェンナーは言っている。一七九三年にロシア軍がポーランド国会を包囲し、皇帝と議員を議会に長時間閉じ込め行動の自由を奪い分割条約への署名を強制したが、これは代表者への条約強制で違法だとして、一九〇五年の韓国保護条約の事例も類似の違法なものと主張したことに注目したい。
 すでに、一九〇六年には、パリ大学のフランシス・レイが次のように指摘していた。軍事力による大臣の意思の自由の剥奪であり、違法だ、と。
 また、一九三七年のハーバード大学の国際法研究グループは、第一回ポーランド分割条約(一七七二年)、一九〇五年の韓国保護条約、一九一五年のハイチ国会に対するアメリカ占領軍の圧力を条約強制としてあげ、いずれも無効の事例だとした。このように世界には韓国保護条約違法をいう論文が沢山ある。
 領土獲得の方法として軍事占領と条約締結による「合意」の二つがあったというが、実際に英米仏独の帝国主義は、植民地獲得のために法的安定性を求めて条約締結を重視していた。日本も英米仏独に倣って、韓国を軍事占領出来るのにしないで、形だけでも条約締結による合意を獲得することを選択したわけだが、ここに韓国併合の違法性の特色がある。だが、実質的には日本による軍事占領だった。問われるのはこのことである。
 しかも第二次世界大戦後、アフリカ諸国は「合意」にも関わらず、反乱を起こし、脱植民地主義を勝ち取ったが、安重根の伊藤殺害を含めて韓国の独立運動はそうした世界史の中にあることを忘れてはならない。ここに、いまだに韓国併合の合法性をいう日本の異質性があり、それを世界から問われているのだ。

 ソウル大学名誉教授の李泰鎮(イ・テジン)さん「韓国併合条約強制の実相」の報告。
 日本は韓国植民地化の口実として、朝鮮には「自力近代化の能力がない」という口実を設けていた。それが植民地支配の正当化、明治日本の施恵意識としてあり、歴史歪曲の基礎となり、現在もなお存在している。
 これが真の和解を困難にしているのである。まず歴史を正しく知ることが不可欠なのである。だが、併合前の大韓帝国には自力近代化の動きがあった。都市計画、鉄道建設などもあった。日露戦争の前には、フランス、ベルギーの技術援助で西北鉄道が開通したが、日本外相の小村寿太郎の対朝鮮侵略はこの鉄道を剥奪することからはじまった。
 正式の条約には、全権委任状、条約文、批准書が必要だが、初期には日本の方から常に正規の文章化を要求していた。これは、親清勢力を追い出すためであった。ところが日露戦争以降は、すべて略式にしたのである。一九〇五年の第二次日韓協約(乙巳保護条約)は、タイトルも批准書もない略式文書の形式だ。本来なら、条約案を日本公使が韓国・外相に提案し、それを韓国・議政府会議で決め、中枢院の同意、皇帝への上奏・裁可、最後に皇帝の署名・押印(批准)となるが、この場合は、議政府会議では反対が多く、伊藤特使の指揮で駐箚軍を動員し、武力を行使して、外部大臣に署名・捺印させただけもので、違法なものだ。
 
 最後に、参加団体からの発言が行われた。


全世界の人々とともに闘う! 第81回 日比谷メーデー

 五月一日、第81回日比谷メーデーが「雇用確保と生活できる賃金を! 派遣法の抜本改正を! 沖縄・普天間基地撤去、日米安保の見直しを!」をスローガンに開催された。
 「歴史的転換期を活かし、公平と公正、共生と共存、平和と民主主義を掲げ、すべての労働者市民、そして戦争に反対する全世界の人々と手をつなぎ、ともに闘う」などのメーデー・アピールを採択し、二つのコースに分かれてデモ行進に出発した。


 朝鮮植民地化は浸透したのか?

    
4・29反「昭和の日」集会での講演

 四月二九日、「4・29反『昭和の日』行動」(主催・同実行委員会)が行われた。

 恵比寿区民会館での集会では、朝鮮近現代史の庵逧(あんざこ)由香さんが、「植民地支配と朝鮮動員体制」と題して講演。
 最近、韓流ブームなどで普通の国同士の付き合いが始まったとはいえ、差別・偏見が変わったとはいえない。対象が、韓国から北朝鮮に変わっただけだ。在特会の運動や高校授業料無償化での朝鮮高校の除外などが起こっている。
 しかし、植民地研究でも大きな変化がおきている。朝鮮植民地支配についての歴史像では、「植民地支配貢献論」や「善意の悪政」という支配を正当化するとらえ方がある一方で、運動側には「徹底的に収奪した日本帝国主義」というものがある。後者では、日本帝国主義にやられっぱなし、悲惨さが強調される。だが、そこには民族解放のイメージ、主体としての朝鮮人が見えてこない。これは誤りではないだろうか。結論を先に言うなら、植民地化はそれほど浸透していなかったといえる。
 では植民地化とは何か。国権が奪われた状況、国家の保証のない難民のような状況になることだ。ある韓国の学者が言っていることだが、それは政治的権利、とりわけ民主的政治制度をつくるための民主的訓練を受けられないということだ。
 朝鮮植民地化の過程を見てみよう。一九一〇年の「併合の詔書」に次のようにあった。「東洋平和のために、韓国を併合する」「朝鮮総督を置いて、天皇の命令を受けて陸海軍を統率、諸般の政務を行わせる」。その朝鮮総督の権限は、立法権、行政権、司法権そして軍隊統率権という四大権力を一手に掌握するものであった。なにより朝鮮植民地支配の基盤は、朝鮮駐箚日本軍(朝鮮軍)の存在であったが、その主な役割は、独立運動の弾圧と対ソ連防備である。
 朝鮮は早くから日本の国家総動員体制に組み込まれる。一九一七年に出た小磯国昭(敗戦直前の首相)の『帝国国防資源』は、日本は資源がないから、中国大陸から取る、それを朝鮮半島経由で輸送するとしている。一九一八年には軍需動員法が朝鮮にも適用された。日本は平時から戦争のための総動員体制の準備をしていたのである。朝鮮に課された役割は、大陸資源を安全に日本に輸送するための陸上・海上交通路、食料や綿布などの供給、「日本人」労働力・兵力補充のための労働量・兵力供給、天然資源の開発および供給などであった。そのための体制機構は、上意下達の命令伝達体系である軍隊組織モデルによっていた。そのひとつが、日本の隣組のような「愛国班」で、朝鮮全域に七〜二〇戸を単位に結成が強要された。これは、食料の配給、強制貯蓄、供出の集荷など生活に密着した問題を扱うもので、同時に民族矛盾を隠蔽しようとしたものである。
 こうした中で、「皇国臣民化」政策が行われた。目的は「笑って天皇のために死ねる人間」を作り出すもので、朝鮮語の禁止、「皇国臣民の誓詞」の普及、日本語教育の拡大、創氏改名、神社参拝強要などさまざまなことが行われた。だが、こうした植民地化政策は成功したのか。そうではなかったのだ。日本の敗戦の直後から朝鮮全域で独立運動が巻き起こった。一九四五年八月一五日のすぐ後に、各地に建国準備会が作られ、三ヵ月後には北半部では全地域で、南では五割を超える地域に人民委員会が結成された。このことが示すのは、植民地化は結局ほとんど浸透していなかったということであろう。

 つづいて「韓国強制併合一〇〇年」共同行動日本実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、立川自衛隊監視テント村、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、女たちの戦争と平和資料館(WAM)、二〇一〇安保連絡会などの各団体からのアピールが行われた。

 最後に次のような要旨の4・29集会宣言が確認された。
 「政権交代」から半年、鳩山民主党政権は、沖縄の「米軍基地移設」問題(まったくインチキな「密約」問題の処理もこれと無関係ではない)、「政治とカネ」をめぐる問題などによって揺らぎ続けている。その支持率の急落やそれにともなう「求心力の低下」は、当初打ち出していた外国人地方参政権付与、夫婦別姓法案などをめぐる論議においても、連立政権内部や民主党内部をも巻き込んだ「争点」を生みだすことによって、参院選に向かう政治状況の中で、「慎重姿勢」に転じているように見える。 
 同時に、「韓国併合一〇〇年」にあたる今年、とりざたされていた天皇訪韓の可能性も、依然として不透明なままだ。もしそれが実現し、天皇による植民地支配の「清算」のパフォーマンスがおこなわれたとしても、それは問題の隠蔽にしかならない。歴史的責任と不可分である天皇個人が、天皇の地位についたまま、一片の「謝罪」めいたことばを発すること自体、大きな欺隔だ。日本国家が、植民地支配の歴史と自らの責任を明らかにし、正式に謝罪して、被害当事者・遺族への個人補償をおこなうことぬきに、真の意味での「和解」の入り口に立つことはできないのだ。
 日本は、本来、不法に結ばれた「韓国併合条約」を破棄し、真に植民地支配の責任を果たすために締結されなければならなかった「日韓条約」を、被害者への補償を「経済協力」方式にすり替え、冷戦体制下の南北分断を固定化する方向で締結した。この「日韓条約」によって、日米韓軍事同盟体制が築かれ、日本は圧倒的な対韓進出の足がかりを得たことも忘れてはならない。こうした東アジアの冷戦構造のもとで温存された天皇制と植民地主義に彩られた日本国家と沖縄を含むアジアの人びととの関係こそが、歴史的に問われなければならない。
 そして本日、四月二九日「昭和の日」は、これまで述べてきたような時代を、その責任者であるヒロヒトの名とともに、まるごと賛美することを押しつける天皇制の記念日にほかならない。われわれは、それを決して祝うことはできない。逆にこの日を、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を追及し、沖縄をはじめとするアジアの人々との連帯をめざす日としていこう。そして天皇制に「否」の声を突きつけていくための行動を、ともに持続していこう。

 集会のあとは、右翼の妨害をはねのけて渋谷までのデモを行った。


書 評

    
『怒りの方法』  辛 淑玉(しん すご)著    (岩波新書)

  
 本書は人材育成コンサルタントであり、自らを「在日朝鮮人」と呼び、帰化とは王=権力の支配に属することとして拒否し、朝鮮人であるというアイデンティティに立脚しながら、「怒る」ことを忘れた日本人を批判している。
 そして「怒りをきちんと表現できることは、豊かな人間関係を築くための第一歩なのである」と説く。一貫してマイノリティ、とりわけ女性、民族、被差別部落にこだわり、どのようにこれらの差別に「怒り」をもって対抗していくのかを実践論的に示していく。
 著者は自らの言論と行動に対する「正統」な批判には相手の眼を見てしっかり反論し、いわれなき脅しやイヤガラセは少しも怖くないと言う。なぜなら東京生れの三代目の本物の江戸っ子であり「匿名で嫌がらせしてくる人が、本当に行動に移す(例えば、ぶっ殺してやるなど)までには相当の距離がある」ことを体得しているかららしい。
 そして第二の問題として権力と闘う以前に権力と連動した「無知」な人々が、隣人が、弱者を排除していく現実にいかに抗するか、ファシズムの中では隣人との闘いとなる状況においての問題である。その一例として現場の教師たちが「私たちは首になるのでできない」という理由で著者に「日の丸・君が代」問題について糾弾してほしいというとき、「こういう輩が、保守的な言論と闘うときに『アジアの人々』を弾よけに使う」と断罪し、いわゆる「保険をかけておく」のでなく、「他人事ではなく、その問題を解決していこうと主体的に向き合っていることが大事」と説く。
 本書では最後に石原慎太郎というマザコンでろくに恋愛もできなかったために女性嫌悪主義になった人物の「三国人」発言と「女性が生殖能力を失ったら存在は無駄」という「ババァ発言」に怒りを爆発させる。
 ここでは理論でなく実践、例えば「石原やめろパラソル大行進」や、外国人の犯罪が多発するという新宿歌舞伎町への「多文化たんけん隊」というトライ、「車椅子でラブホテルに行く(バリアフリー・ツアー)や「多文化共生防災実験」という行動を起し、「地方自治研究賞優秀賞」を受賞したりしている。ボブ・ディランに石川一雄さんの歌を作ってもらおうと渡米したりする。著者の結論は、「社会への新しい怒り方は、見る、もらう、参加するイベント化することだ」。読後感が実に痛快だ。   (R・T)


せ ん り ゅ う

  国民が第一反基地の声うねり

  反戦のキャンドル文字がたちあがり

  軍事植民地脱却へ鳩よ飛べ

  つぶやきは反基地反戦九条まもれ

  沖縄の民に泪トルストイの眼

                            ヽ 史 (ちょんし)

二〇一〇年四月

 ○ 「国民が第一」の声で政権奪取したよね。四月二五日読谷村に呼応して東京の夜にキャンドル人文字が灯った。アメリカ依存立国の終止符は沖縄からはじまる。 
 ○ トルストイの反戦思想をテレビ特集していた。日露戦争を批判し非戦を論じ、ガンディとも交誼あった。ロシア革命ただ中のレーニンからはブルジョア・インテリと一蹴されていた。このトルストイの苦悩。沖縄の苦悩と重なる。


複眼単眼

         O君を送る

                           
O君

 君と初めてあったのは、今から四〇年以上も前のことで、たしか、君が一〇代の終わり頃で、私が二〇代の半ばのころでした。
 当時の、私たち若者は、熱い議論を重ね、「新しき明日」「戦争のない、搾取なき自由の国」を夢見たものでした。
 以来、さまざまに曲折した道をあゆんできましたが、一〇年ほど前に君に再開したとき、お互いがその夢を見続け、歩いていることを再確認できました。それは本当にうれしいことでした。
 私たちの共通の夢は見果てることのない、途方もなく大きな夢でした。O君は君の命が終わる瞬間まで、その夢を見ていたのだと思っています。私たちの夢はいまだ、実現しておりません。それにはまだまだ時間がかかりそうですね。

 歌人の石川啄木がかつてこういう歌を作りました。
 「新しき明日の来たるを信ずといふ  自分の言葉に嘘はなけれど」
 私はいまでもそう思っております。
 私が尊敬する人物の一人だった山川暁夫さんもそうした夢を見続けた人でした。先日、山川さんの没後一〇年のつどいをやりました。その場で、山川がハイネの詩を愛読していたことを、ある人が紹介しています。彼の持っていた詩集の赤線が引かれていた部分です。

 されど時の歩みは、のろき群衆のごとし。
 この群衆、気軽にのろし。
 あくびしてゆるやかに往く。
 いざ急げ、のろき群衆よ!

 私たちは時折、こうしたハイネのような気持ちになります。私たちが出会った若い時代はそうだったでしょう。しかし、私はいま「歩みののろさを焦ってはならない」と思っています。群衆の歩みを信ずるべきだと思っています。やがて、のろい歩みの、私たちの小さな営為の積み重ねが、夢に近づいていくことを思います。

 私より若いO君が先に逝ってしまったことは返す返すも残念です。しかし、私はこれからもO君と共に見ていた「新しき明日」の夢を追い続けようと思います。それが私のできる君へのはなむけだと思いますから。   (T)