人民新報 ・ 第1266号<統合359号(2010年6月15日)
  
                  目次

● 日米共同声明撤回 辺野古新基地建設阻止  沖縄民衆の意思を無視するな !

● イスラエルの蛮行を糾弾する  世界で日本で抗議行動が展開される

● 鳩ではない サギだ    大雨の中4000人が結集して、見直せ!米軍再編岩国大集会

● 普天間基地包囲行動に参加して

● ピースサイクル25周年   国会ピースサイクルや「集い・コンサート」

● 改憲手続き法の凍結解除に対して、許すな!憲法改悪・市民連絡会が抗議文

● KODAMA

   三〇年目の光州へ

   玄先生の思い出

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  鳩山政権の崩壊と菅政権への態度

● 夏季カンパの訴え  /  労働者社会主義同盟中央委員会






日米共同声明撤回 辺野古新基地建設阻止

        
 沖縄民衆の意思を無視するな !

鳩山の優先順位は

 鳩山首相が辞任した。鳩山は、六月二日の民主党両院議員総会で、辞任表明の理由を述べている。
 自分自身の政治とカネの問題とともに、普天間基地の問題をあげた。そこには鳩山の政治姿勢がよく見て取れる。「沖縄のみなさんにも徳之島のみなさんにもご迷惑をおかけしています。ただ、私は本当に沖縄の外に米軍の基地をできるだけ移すために努力しなければいけない。その思いで半年間、努力してまいりましたが、結果として県外にはなかなか届きませんでした。」
 自分は精一杯沖縄の人たちのことを思って努力してきた、だが、よく勉強してみると(レクチャーしたのは日米の安保マフィアたちであろう)、「抑止力」というものが大事で、結局のところ「沖縄にご負担をお願い」することにしたというのである。
 連立政権を離脱した社民党については、「社民党さんと協力関係を模索していきながら、今ここはやはり、日米の協力関係をなんとしても維持させていかなければいけないという、この悲痛な思い。……」と述べた。
 こうした発言に鳩山の優先順位は、はっきりと第一はアメリカということであり、社民党、そして沖縄という優先順位だ。その結果としての沖縄への基地の押し付けなのである。
 そして、辞任表明した後は、菅新首相の母校である東工大での講演でギャグを連発するなど、これまでとは違ってなんともご気楽に毎日を過ごしているのである。

鳩山があけた箱の中

 こうして鳩山政権の八ヶ月は幕を閉じた。最終盤での世論調査では、内閣支持率も民主党支持率も急落し危機水域に迫っていた。この状況に、自民党や自民党という党名を隠すために生れたさまざまな新党は再度の政権奪還の機運が生まれたとはしゃいだ。しかし、鳩山が菅に変わると民主党への支持は急回復、自民党や亜自民党への支持は急落した。このことが示すものは、政権交代(自民党政治からの脱却)への大衆的な支持は変化していないということだ。自民党政治への逆行などは非常に難しいのである。
 このように、日本政治が直面し解決を迫られている問題は、依然として提出されたままなのだ。自民党政治の終焉、日米関係の見直しなど、菅新政権の立ち向かう課題は、鳩山のできなかったことをやらねばならないという歴史の要請によるものだ。
 だが、しいて鳩山の積極的な役割をあげるなら、沖縄をはじめとする在日米軍基地問題、そして日米関係の本質を全国民的にさらすことなったパンドラの箱を少し開けたということである。

沖縄は断固拒絶する

 六月八日、菅首相は、就任後初めての記者会見で、「(米軍普天間飛行場の問題について)日米合意に基づいて進めなければならない」と発言した。五月二八日の日米安全保障協議委員会による「普天間移設めぐる日米共同声明」では、「両政府は、オーバーランを含み、護岸を除いて一八〇〇メートルの長さの滑走路を持つ代替の施設をキャンプ・シュワブ辺野古崎地区及びこれに隣接する水域に設置する意図を確認した」とされている。
 だが、菅発言の前日七日の那覇市議会定例会は、日米両政府に対して、「名護市辺野古」と明記した「日米共同声明」の撤回を求める意見書を全会一致で可決していた。「県民の県内移設に絶対反対との総意は、4・25県民大会や全市町村長の反対表明、マスコミの世調査などでも明確だ。怒りを込めて日米合意の撤回を強く求める」というものだ。
 地元の合意も得ていない共同声明などまったく無効であり、地元を無視した計画は実現不可能なのである。
 鳩山がやめ、菅や民主党への支持は回復しているが、各種世論調査でも、辺野古新基地建設への反対は減少していない。
 沖縄県民の八割が辺野古に反対しているだけではない。
 鳩山の正式辞意表明直前の六月一日、産経新聞は「日米で合意した普天間飛行場の移設先を、自民党政権と同じ沖縄県名護市辺野古地区とする今回の決定は、民主党支持層でも四九・二%とほぼ半数が『評価しない』。無党派層になると七五・八%と、四分の三が『ノー』を突きつけた。男女とも二〇代で八割前後と高い批判票が出ているのが特徴だ」と報じた。
 こうした意見の割合は簡単には変化することはない。

参院選での課題

 社民党が連立から離脱したことによって、菅政権と民主党の政策は、さまざまな分野で大きく後退することは必至である。
 沖縄基地問題だけではなく、労働者派遣法の抜本改正をはじめとする労働問題、社会保障、消費税増税など財政面での菅政権との闘いを進めていかなければならないのである。
 参院選では、沖縄基地問題、憲法問題、労働問題などでの基本政策で原則的な立場を堅持する政党、とりわけ社民党の候補への投票を集中させよう。
 参院選での目標は自民党政治への逆行は論外として、自民党政治の延長をゆるさない流れを国会内外の力を合わせて実現することである。
 全国の多くの人々とともに労働者・民衆の要求の実現に向けて新しい政治局面を切り開くために奮闘しよう。


イスラエルの蛮行を糾弾する

   世界で日本で抗議行動が展開される


 イスラエルは、パレスチナの地に侵入「建国」以来、無法な支配と周辺アラブ諸国への拡張を行ってきた。最近では、とりわけパレスチナ自治区ガザを封鎖し、住民を危機的な状況に追い込んでいる。これに対してガザ住民への国際的な人道支援の輪が広がっている。支援物資を積んだガザ自由船団の船舶はトルコを出発し途中、他の船と合流し、それにイスラエルの支援団体も加わって、ガザに向かっていた。ところが五月三一日に、平和な船団をイスラエル軍が急襲し、トルコの支援船マヴィ・マルマラ号に乗船していた九人を殺し、負傷者多数を出すという蛮行を働いた。
 ただちに国連安全保障理事会は緊急会合を開き、民間人の犠牲を招いた行為を非難し、同問題に対する公正な調査を求める声明を発表した。
 イスラエルは、アメリカの中東支配の要としてあり、歴代のアメリカ政府の強力な後ろ盾によって守られてきた。ひそかに核武装していることは周知の事実でありながら、北朝鮮やイランの核には過剰な反応を示すアメリカは、イスラエルに対しては非難しないというダブルスタンダードの態度をとり続け、イスラエルの拡張主義政権を守り続けてきた。
 しかし今回のイスラエルの行為は、これまで比較的イスラエルと友好的だと見られてきたトルコが自国民の大量殺傷を受けてイスラエルへの非難を強めているなど中東諸国をはじめ全世界からの糾弾を受けている。
 日本でもイスラエルの蛮行に対する抗議行動が続いている。
 六月一日には、東京・麹町の在日イスラエル大使館前で、ピースボート主催による緊急抗議行動が展開された。「イスラエル軍のガザ自由船団人道支援活動家殺戮に対する抗議とガザ封鎖即時解除を求めるピースボート声明」は、「ガザ地区沖合の公海上において、封鎖が継続するガザ地区に人道支援物資を運搬中の『ガザ自由船団』の船舶をイスラエル軍が急襲し、多数の死傷者を出したことに対し、激しい憤りを感じると共に、この非文明的で非人道的なイスラエル軍の行為を強く非難します。…私たちは、イスラエルへの軍事援助を続ける米国、およびその政策を容認している日本政府を始め、すべての政府に対し、一刻も早くイスラエルの不法なパレスチナ占領を終結させるべく国連を中心に具体的な手段を講じることを求めるとともに、国際市民社会に対しパレスチナにおける恒久的な平和の実現に向けて連帯行動を続けることを呼びかけます」と申し入れた。
 しかもなお、イスラエル軍は六月五日にも、遅れて出発した支援船「レイチェル・コリー号」を拿捕し、イスラエル南部アシュドッド港に連行するなどの行為を続けている。この船にはノーベル平和賞受賞者のマイリード・マグアイヤーさんをはじめマレーシア国会議員や元国連事務総長補佐官などの多くの平和人道活動家が乗船し医療品や建築資材などの支援物資を乗せての非武装の船による資材の搬送であった。


鳩ではない サギだ

     
大雨の中4000人が結集して、見直せ!米軍再編岩国大集会

 「鳩ではない。サギだ」と揶揄される鳩山が沖縄を訪れた五月二三日、沖縄の「基地移転問題」に隠れて着々と米軍再編=岩国基地へ厚木から空母艦載機部隊移転を進めようとする日米政府に、「怒」をたたきつける「見直せ!米軍再編岩国大集会」(岩国市元町公園)が開催された。
 この集会は、四・一八徳之島一万五千人、四・二五沖縄九万人集会と連動して地元一五団体の実行委員会の手で準備されてきたものだが、折からの大雨にもかかわらず四〇〇〇人の結集で成功裡に開かれ、沖縄・徳之島・厚木の闘いと連帯して「これ以上の基地強化はいらない」「来るな!艦載機 いらない愛宕山米軍住宅」の意思を再度明確に表明し、断念に追い込むまで闘い続けることを確認する熱気あふれるものとなった。
 二人の岩国市議の司会で始まった集会は先ず、主催者を代表して愛宕山米軍住宅に反対する訴訟団のあいさつの後、代表世話人の井原勝介前岩国市長が発言した。井原さんは、政権交代で期待された米軍再編見直しには変化がなく、住民の悲願であった騒音と墜落事故の減少のため求めてきた滑走路の沖合い移設が完了すると、それを逆手に取ったかのように空母艦載機を移転させ、極東最大の米軍海兵隊基地ができようとしている。また、埋め立てのために削り取った愛宕山の跡地を米軍住宅用地にすり替えようとしている、と厳しく政府を批判した。そして「最低でも県外」を反故にして米国の要求に従う普天間問題に関連して、民主主義の原点に返り民意に向き合って問題を解決するよう政府に求め、基地のたらい回しに反対して声を上げ、政治を動かすウネリを巻き起こそう、と訴えた。
 つづいて、米軍再編に反対して闘う沖縄・徳之島・厚木などの代表からの連帯アピールが行なわれ、寄せられたメッセージ紹介の後、国会議員あいさつに移った。トップバッターの民主党の平岡秀夫衆議院議員には、「公約を守れ」「なぜ県外が辺野古だ」とのヤジが飛んだ。社民党重野安正幹事長にも「いつまで連立か」「スジを通せ」と厳しい声が上がった。
 発言の最後は地元の女高生。「嘘つきは政治家の始まり」と皮肉を込め、爆音でたびたび授業が中断させられる実態を前に、生徒の中でもあきらめや無関心があるが、それは責任を果たそうとしない政治家や大人の問題だ、と鋭く告発した。沖縄をはじめとして爆音や基地被害に苦しむ各地と同様に、静かで安全な生活をと訴えた。
 集会は最後に大会アピール(別掲)を採択し、参加者全員が黄地に「怒」と書かれた紙を掲げて、「艦載機いらんど(怒)」「米軍住宅いらんど(怒)」とシュプレヒコールを上げた。この怒の文字は、鳩山の訪沖時にも随所で掲げられた。
 厳しい豪雨の中、途中で帰る者もなく、これ以上の基地強化は許せない、米軍再編を見直せ、沖縄・全国と連帯して闘う、との岩国市民の民意を余すとことなく示した集会であった。
 集会を挟む前後に、広島県知事も山口県知事も同様に「応分な基地負担をしており、これ以上の負担は受け入れられない」と表明したが、はたして民意を背景にどこまで政府と渡り合う決意なのかが、今後に試される。
 上関原発建設、伊方プルサーマル運転と合わせて、反対運動の底力が問われていくだろう。  (I)

見直せ!米軍再編5・23岩国大集会 アピール

 私たちは、四月一八日の徳之島一五、〇〇〇人集会、四月二五日沖縄九万人集会に連帯してこの集会を計画しました。
 新たに岩国へ五九機の艦載機が配備され、極東最大の軍事基地になるなど誰が望んだでしょうか。
 「滑走路を一km沖合に出すので爆音は少なくなる」と防衛省は言いますが、その保証はどこにもありません。また、世界遺産である宮島を含む広島県や周防大島町の上空は、確実に飛行ルートに当たり、四国や中国山地のまちや村が低空飛行の爆音で切り裂かれるなど、その影響は広範囲に及びます。
 川下のデルタ地帯は私たちの祖先が営々として開拓してきたものです。この祖先からの贈り物を未家の子ども連にのこす責任を私たちは負っています。
 戦後六五年にもなるのにアメリカ軍が居座ることなど、一体誰が予想したでしょうか。
 良好な住宅地ができるはずであった愛宕山開発の夢も無残に打ち砕かれ、防衛省はその跡地に米軍住宅を計画し、一九九億円の予算を決定しました。「市民の意見も聞く」と言いますが、米軍住宅や米軍関連施設などもってのほかです。長年の苦難に耐えてきた岩国市民のために、愛宕山跡地はそっくりまちづくりに使うべきです。
 またアメリカは「地元の合意がないところには行かない」と言います。しかし岩国、沖縄、徳之島、厚木の住民は誰も「合意」しでいないのです。
 もちろん私たち岩国市民は、艦載機移駐にも愛宕山米軍住宅にも反対です。沖縄をはじめ全国のみなさんと連携して、たたかい続けることを、ここに高らかに宣言します。

二〇一〇年五月二三日


普天間基地包囲行動に参加して
          
 今年の沖縄は、デイゴも鳳凰の花も咲き誇ることなく終わりそうとの事でした。まるで普天間の顛末を予測していたかのように…。

 例年よりも数日早く入梅した五月の沖縄に、今年も行って来ました。嘉手納ラプコンが四月にようやく米軍から日本に移管され、沖縄の空の管制権が一応那覇に帰ってきました。しかし一年ぶりの那覇の空は雨模様。まさか滞在中風雨にさらされるとは、晴れ男の私は夢にも思いませんでした。

 今回の訪沖の特徴は、一六日の米海兵隊普天間基地返還を求める県民包囲行動に参加するのが、メルクマールですが、職場の先輩と二〇代の若手と共に何よりも「沖縄を体験する」ことでした。
 初日は空港から辺野古・高江と北部を回り、「ジュゴンの海とやんばるの森」を襲う、日米軍事同盟の魔の手と闘う住民と交流してきました。
 翌日は朝から読谷村を訪れ、座喜味城・シュムクガマ・チビチリガマなどを見聞・体験し、沖縄戦における住民被害の甚大さを参加者で共有しました。
 読谷村役場の近くで、旧陸軍のゼロ戦格納庫を見ました。土を盛りその上にコンクリートを流し込み、乾いたら土を掘り出すという工法の簡素で貧弱な半円形格納庫でした。
 戦後は豚・鶏などの家畜舎や農耕具の納屋として平和利用していたと聞き、一同大笑いでした。

 嘉手納基地では、土曜日にも拘らず輸送機と戦闘機の離着陸に遭遇し、爆音被害の深刻さを体感しました。戦闘機は二機が同時に離陸を開始し、テイクオフする前に次の二機が離陸を始めるという形で九機が鉛色の空に飛び去りました、周囲の人の耳鳴りと頭痛を残して。ここでは、戦争がすぐそこに感じられるのです。

 いよいよ普天間包囲行動の日。嘉数の丘から見る普天間基地も滑走路の端しか目視できない位の暴風雨。しかし『怒』れる一万七〇〇〇人の「人間の鎖」を三回とも成功させ、普天間基地の早期無条件返還・沖縄の基地軽減への強い意思を内外に示しました。

 今回の訪問でひとつ気がかりなことがあります。普天間基地代替地としての辺野古案もそうなのですが、高江のヘリパッド反対運動がリンクして前面に出てこないことです。普天間・伊江島・高江を結ぶ三角点がヘリ部隊の要衝だからです。そしてこの三角形の中に膨大な弾薬庫を持つ嘉手納があります。米軍の不沈空母化した沖縄に平和を取り戻すには、高江区民の命と生活をかけたギリギリの闘いも重要です。七月一日にもヘリパッド建設資材が搬入されようとする高江の闘いを孤立させてはならないと痛感しました。 (星野達郎・東京)


ピースサイクル25周年

 
  国会ピースサイクルや「集い・コンサート」 

 平和への願いをペダルに込め、「反戦・反核平和・反基地・反原発・環境保護・人権問題」を訴え日本全国を走るピースサイクルも今年で二五年になった。
 ピースサイクル全国ネットワークは五月の下旬に東京で二日間にわたって行動を展開し、各所への要請および、ピースサイクル全国会議そして、記念のイベントを開いた。

 五月二八日には六回目の国会ピースサイクルの要請行動が四カ所に向けて行われた。

 まず午前九時三〇分より市が谷の防衛省に対して、普天間基地の閉鎖と沖縄県内、国内移設に反対する要請行動が行なわれた。

 東京都庁では、教育委員会、都知事あてに、「日の丸・君が代」の強制のとりやめとこれに関る教員四二三名の処分取り消しと四名を採用するように要請した。

 東京電力株式会社への要請行動では、柏崎、刈羽原発六・七号機運転強行「再開」、一号機「再開」策動に異議ありとして安全性を追及した。

 外務省、内閣府への要請行動は、議事堂の会議室で民主党山根隆治副幹事長、岡崎トミ子参議院議員との面談において「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律」(案)を制定すること、また、普天間基地の閉鎖・返還を米国政府に毅然と要求することなどを要請した。

 翌二九日には、午前中にピースサイクル全国会議が開かれ、夏の各地の取り組み状況の報告と秋の総括会議に向けて問題点を整理提案することなどが話しあわれた。

 午後からは、池袋の豊島区民センターホールで記念イベント「ピースサイクル25周年の集い・コンサート」が開かれ一〇〇余名が参加した。
 はじめに全国事務局の平田一郎さんがあいさつ。大阪から広島にむけた八名のピースサイクルがスタートしてから二五年たった。ピースメッセージをヒロシマ、ナガサキに届けながら各地の市民運動との交流や自治体などへの要請を行ってきた。いま直面しているのはいかに若者につなげていくかという課題である。現在、沖縄の米軍基地をめぐって全国で大きな運動の盛り上がりが見られる。今後ともピースサイクルは、皆さんとともに反戦平和を掲げながら走り続ける。
 つづいて、ピースサイクルの二五年間のさまざまな活動がDVDで上映された。
 許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんが「新政権と憲法問題〜憲法九条と安保、二五条を考える」と題して講演(要旨別掲)。
 ナビィとヨシミツの「寿」のライブで会場はおおいに盛り上がった。
 沖縄一坪反戦地主会関東ブロック、ピースリンク広島・呉・岩国、全国一般東京労組三多摩地域支部、たんぽぽ舎などからのアピールが行われた。
 最後に、ピースサイクル全国共同代表の吉野信次さんが、アジア・ピースサイクルの残された課題である台湾、朝鮮半島縦断の走行、地域での活動基盤の強化、そして世代を超えた多彩なピースサイクルとしてこれからも取り組んでいこうと閉会の言葉を述べた。

 こうして全国からの仲間の参加、また、多数の個人・団体の賛同を得て、二五周年イベントは成功のうちに終わることができた。  (A)

 国会ピースサイクルでの内閣府への要請行動では、鳩山由紀夫首相に対して沖縄米軍基地問題の解決と原発推進政策の見直しを求めたが、そのうち沖縄基地問題について要請書は、鳩山首相と民主党の「最低でも沖縄県外」という選挙公約まったく裏切ったことを批判してつぎのように求めた。
 「『最低でも沖縄県外』という公約をかなぐり捨てて、名護市辺野古に普天間基地(米海兵隊の飛行場)を移設。さらに『徳之島に普天間の航空部隊の一部、もしくは訓練の一部をもっていく』案とセットで地元に提案されたことです。政府の提案に対して、沖縄でも徳之島でも、全県民・全島民が反対する中で、この「移設案」は宙に浮いています。……米軍普天間基地の無条件撤去を求める《島ぐるみ》の声に、日米政府がどう応えるのか、いよいよ正念場の時です。あらためて、県民・島民大会に集まった人たちの普天間基地の即時閉鎖・返還、名護市辺野古やキャンプ・シュワブ陸上部、勝連半島沖などへの『たらいまわし』の拒否。鹿児島県、徳之島など県外の『移設』候補地とされる地域での受け入れ拒否の現実を直視してください。鳩山首相は、行き詰った『移設』探しを断念し、普天間基地の無条件撤去のための対米交渉に取り組むしか道が残されていないことを認めてください。
 さらに、問題となっている海兵隊の存在が日本を守る『抑止力』論には、日米両政府自身が、そのような事実がないことをよく知っているのではないですか。今こそ、普天間基地の撤去を第一歩に、『基地のない日本』を求めていくことが大きな課題となっていることを沖縄県民、徳之島島民を始め、国民の中で論議を深めていくときだと思います。
 私たちは以下のことを、鳩山首相に強<要求します。
 一、徳之島への普天間基地の移設および訓練の移転を行なわないこと
 二、沖縄・名護市辺野古への普天間基地移設案を撤回すること
 三、米国政府に「世界一危険な」普天間基地の即時閉鎖・返還を毅然として要求すること」。

ピースサイクル25周年の集いでの高田健さんの講演「新政権と憲法問題」(要旨)

 日本をアメリカとともに戦争ができる国にしようとすることをくい止める民衆の闘いは、無駄でも無力でもなかった。この間の普天間基地問題での運動の拡がりで、アメリカおよび日本の両政府と沖縄をはじめとする民衆の抵抗という構図がはっきりしてきた。
 敗戦後の日本は、平和憲法の法体系と日米安保体制の法体系の相矛盾する法体系のせめぎ合いの歴史だった。
 明文改憲の動きは、一九五〇年に勃発した朝鮮戦争、そして一九五一年の対日講和条約と日米安保条約調印の時を第一回とし、つづいて「五五年体制」の成立と鳩山一郎政権によるものがあった。しかしこれは一九六〇年の安保闘争など戦後平和運動の高揚によって粉砕された。そして、九〇年代から現在にいたる第三回目の明文改憲攻撃である。ソ連の崩壊によるポスト冷戦時代の到来、とりわけ一九九一年の湾岸戦争、九三〜四年の朝鮮半島の核危機があり、そうした状況の中で一九九四年に読売新聞が改憲試案を発表した。一九九七年には改憲議連が設立され、一九九九年には小渕内閣が周辺事態法、憲法調査会設置法、「日の丸・君が代」法、盗聴法などを強行した。二〇〇〇年には憲法調査会が設置された。その年の秋には、アーミテージ・ナイ報告が出され、アメリカは九条改憲の要求をした。しかしその一方で、二〇〇一年からは、広範な共同行動としての5・3憲法集会がはじまり改憲阻止の運動は拡がりをしめしはじめた。
 二〇〇一年に「同時多発テロ」を口実にアメリカの対テロ戦争がアフガニスタンに発動された。この一一月に改憲議連が改憲のための国民投票法案を作成し、これを翌年の通常国会へ提出しようとしたができなかった。二〇〇三年三月にブッシュ政権は、イラクへの戦争に踏み切ったが、これに反対してイラク反戦運動が全世界的に高揚した。一方で、武力攻撃事態対処法など有事三法が成立させられてしまった。
 だが、この頃から憲法をめぐる情勢には大きな変化が現れてくる。二〇〇四年には「九条の会」が呼びかけられ、全国各地、各界に急速に拡がっていく。同時に「憲法行脚の会」も結成された。読売新聞の世論調査でも、減り続けていた改憲反対の意見がはっきりとV字回復を見せ年々増大している。そして小泉に続く安倍晋三内閣が九〇年代明文改憲運動の頂点となったが、それは決定的に破綻した。昨年の総選挙では、規制緩和・新自由主義政策による格差拡大・貧困化の状況に、「国民の生活が第一」のマニフェストを掲げた民主党が圧勝し、ついに自民党政治は終った。こうした歴史的な政権交代・政治変革に果たした市民運動の力はきわめて大きいものだった。
 そして、民主・社民・国民新三党による鳩山連立政権が誕生したが、そこでの政権合意・政策合意は、与党各党のマニフェストを上回るスーパー・マニフェストというべきものである。その一〇項のうち、一〜八は小泉構造改革による民生破壊の修復を図ったものである。一〇項目では、「唯一の被爆国として、目本国憲法の『平和主義』をはじめ『国民主権』『基本的人権の尊重』の三原則を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とに国民の生活再建に全力を挙げる」ことを確認した。問題は、九項目だ。そこでは「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる。日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことで、より強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」とした。だが、「沖縄県民の負担軽減」「日米地位協定の改定」「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直し」などをあげながら、「緊密で対等な米同盟関係」としている。国家間の同盟関係とは軍事同盟のことである。かつてこの言葉をめぐって内閣が崩壊したこともあったが、いまはそうした意味も踏まえないで、日米関係といわずに、安易に同盟という言葉が使われている。そして、軍事同盟では「緊密」と「対等」は両立するものではない。この点をしっかり踏まえずに、連立政権に参加した社民党は禍根を残したといえるだろう。しかし、普天間基地問題では、社民党は、基地の県外国外移設を堅持して連立から離脱した。
 民主党の憲法政策だが、鳩山首相にしても小沢幹事長にしても改憲が持論である。だが、それがさまざまな要因によっていま封じられている。ひとつは二〇〇四年の小沢・横路合意で、「自衛隊は憲法九条に基づき専守防衛に徹し、国権の発動による武力行使はしないことを日本の永遠の国是とする」とある。また鳩山首相は改憲議員同盟の顧問だったが辞任したが、これは市民運動の要求が実現したものである。
 現在の民主党内閣の下での解釈改憲の動きに注意しなければならない。それは、国会法の改正の動きに見る解釈改憲の危険性であり、防衛相を中心に繰り返しあらわれる海外派兵の動きなどだ。
 これからの私たちの運動の課題と展望は、「九条改憲反対」の広範な共同をさらに広げながら、九条を遵守させ、生かし、実現していく運動を堅持することであり、そして、「九条を変えない方がいい」が同時に安保容認だという消極的護憲の多数派から「自覚的に九条を変えさせない、生かす」積極的護憲の多数派形成へむけて、力を蓄えていくことである。 (文責・編集部)


改憲手続き法の凍結解除に対して、許すな!憲法改悪・市民連絡会が抗議文

 五月一八日、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」は政府による改憲手続き法の強行施行に対して鳩山首相、原口総務相らへの抗議文を発表した。

内閣総理大臣  鳩山由紀夫様
総務大臣     原口一博様
 
改憲手続き法の凍結解除に抗議し、ひきつづき憲法審査会の始動に反対する

 二〇一〇年五月一八日、政府は改憲手続き法施行令を強行し、従来実行されてきた同法の凍結を解除した。これによって、今後、法的には国会で改憲原案の議論や改憲案の作成ができることになった。憲法第九条をはじめとする平和憲法など、憲法三原則の擁護と実現のために活動してきた私たちはこれに厳重に抗議する。

 三年前に強行採決された改憲手続き法は、安倍内閣が憲法改正を焦って、強行採決を繰り返して成立させたものである。それはいくつもの重要問題を「附則」にし、一八項目もの「附帯決議」 を付けた欠陥法だった。この時に憲法改正案の審議や国民投票の実施可能な時期も三年間凍結した。その三年目が本日、五月一八日であった。しかし、この間に選挙で与党は大敗し、「政権交代」 が起きた。この三年、憲法審査会は国会に設置されず、附則や附帯決議などの議論も全く進まなかった。当時、附帯決議などで指摘された改憲手続き法の問題点は、(一)投票権者問題(一八歳投票権の公職選挙法や民法との整合性)、(二)国民投票の対象(憲法だけでなく、国政の重要問題についての国民投票の可否)、(三)広報や広告など、メディアの在り方(議席数で広報の分量を決めてよいか、有料広告を認めると資金能力で宣伝に差ができる)、(四)国民投票運動の自由に関する問題(公務員や教育関係者の政治活動の制限などによって、自由な活動が制限される)、(五)投票成立の要件問題(「過半数」の分母問題や成立に必要な最低投票率規定の有無)などなど数多くあった。

 また施行のための準備が全くできていないもとで、強行するということは、同法制定当時に憲法調査特別委員会で議論された立法趣旨からしてもあってはならないことである。憲法審査会の設置など、法施行のための条件整備がほとんどされていないのだから、今後、同法を執行することも事実上不可能である。今回、これらの問題を全く無視して政府が施行を強行したことは、従来の民主党など与党各党の見解や立場からも完全に逸脱し、自民党など、明文改憲をめざす勢力を喜ばせ、その策動の場を与えるだけである。

 この間、改憲手続き法の条件整備ができなかったことには理由がある。その最大の原因は国民世論がいま改憲を望んでいないからである。今回の施行強行はこの国民の意思に逆行するものであり、悔いを千載に残すものとなる可能性がある。

 今回の事態を受けて、私たちはあらためて憲法審査会の始動に反対し、改憲手続き法の廃法を強く要求して闘う決意を新たにするものである。

二〇一〇年五月一八日

 許すな!憲法改悪・市民連絡会


KODAMA

三〇年目の光州へ


 五月一一日、韓国ソウル・竜山駅からKTX(韓国新幹線)で光州をめざした。大田までは時速三〇〇kmを超えるスピードで走行していたが湖南線に入ると単線・非電化区間のため極端にペースダウンしてしまう
 三時間後、光州駅着。ある雑誌の取材で八一年四月に訪れた光州駅とは違う。〇四年に新しい駅舎に生まれ変わっていたのだ。
 タクシーで繁華街の錦南路・忠武路へ移動する。広い道路には「5・18民衆抗争精神継承国民大会」への参加を呼びかける横断幕やその他の宣伝物が掲げられていた。そして錦南路・忠武路一帯を歩いた。八〇年五月、光州市民・労働者・学生多数が戒厳軍兵士たちと激突し、多くの犠牲者がでた場所だ。平日の昼下がりにもかかわらず通りは多くの人びとであふれていた。三〇年前の街並みと比較しても格段に色彩豊かになり、経済発展の様子がうかがい知れた。これはソウルの中心部のメインストリートでも同じなのだが、以前はくすんだモノトーンの街並みが続いていて飲食店も濃い色ガラスでさえぎられ店内は見通せなかったが、現在の光州一の繁華街の街並みは例えて言えば原宿の竹下通りといった感じを呈している。
五月一六日には光州で、「5・18民衆抗争三〇周年精神継承国民大会」が催され、全南大学から錦南路までデモ行進が行われたそうだ。
 そして五月一八日には光州市国立墓地で政府系の追悼式典が催されたが、李明博大統領は二年続けて欠席した。光州市民の反軍政・反独裁の闘いが、現在の韓国の民衆の心の中にどれほど根付いているのか私にはうかがい知るすべもないが、民主化のなかで一〇年にわたる左派政権の誕生や南北統一の気運が少しでも出てきたことが、光州市民の闘いの成果と言えるのではないだろうか。
 この五月、日本のマスコミはほとんど光州事件を無視し続けた。今回の光州行きは私に三〇年前の光州事件の映画製作、あのすばらしい光州市民の闘いをよみがえさせてくれ、これからも東アジアを観察し続ける決意を持たせてくれた。光州市民の闘いはまだ歴史の中に埋もれているわけではない。  (東幸成)

 * * * * 

玄先生の思い出

 私の師であり、一番私のことを応援してくださった玄文昌(ヒョン・ムンヤン)先生は中国国内に住む朝鮮族であった。
 数年前に年賀状のかわりに先生が亡くなったというハガキが来た。
 先生が元気な頃は岩手県の朝鮮総連の狭い駐車場に割り込んで出入りし、世間話をしたり奥さんから朝鮮料理のレシピを教わったり、岩手県へ強制連行された朝鮮人の実態を知るために釜石市へ調査に行ったりしていた。
 東京の朝鮮総連本部が発行している「朝鮮時報」にも岩手での活動を日本人の視点から文章にして何度か寄稿したのが写真入で載った。配達するのは青少年部の若い人だ。
 岩手県には朝鮮学校がないので、仙台にある東北朝鮮初中高級学校の見学につれて言っていってもらった。ちょうど設立記念日にあたる日だったので歌舞音曲と朝鮮料理で迎えられた。岩手からも三世四世がたくさん来て学んでいる。
 玄先生もやはり旧日本軍に強制連行され日本の新聞の従軍記者をやらされた人で、「高橋さん。いまだに釜石の炭鉱をはじめ強制連行された朝鮮人の遺骨が私たちの足の下の土のなかに埋まったままなんですよ。」という言葉に強く心を動かされた私は朝鮮総連の人たちと本格的に付き合いをするようになる。
 とくに青年部の若い衆の心は熱かった。
 頼まれたわけでもないのに在日本大韓民国民団へも始めは相手が迷惑そうにするにもかかわらず通い詰めた。
 南北統一して犠牲になった朝鮮人の供養塔を立てようという計画が持ち上がっていった。
 他のことで忙しかった私に変わって幸い二人の教員が動いてくれて、犠牲になった人のわかる限りの名簿ができて、立派な供養塔が南北統一しての除幕式を迎えることができた。毎年夏には慰霊祭がいとなまれている。
 私が今でも尊敬してやまない金大中元韓国大統領も亡くなったが、韓国の民主化に大いに貢献し、南北朝鮮の距離も首脳会談によって縮めた。
 日本の九段下のホテルから当時の軍事政権の諜報機関によって拉致される事件があったが、これらをウヤムヤにして『政治決着』させたのが日本政府であり、バックには北朝鮮とは戦争状態(停戦中)にあるアメリカがいた。
 日本は二〇〇二年に当時の小泉首相が訪朝し、こわばった表情のままで日朝首脳会談と日朝平壌宣言を発表するという画期的なことを実現させた。
 しかし小泉首相はその後にA級戦犯が合祀されている靖国神社の参拝を行い、「過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えた」という平壌での謝罪の言葉が実を伴わないものだったことをみずから暴露してしまったのだった。
 今年は韓国併合百年にあたるが、日本政府による本格的な過去の反省と植民地主義の清算はなされていないまままだ。
 北朝鮮との間にある拉致問題の解決、北からの軍事的脅威を取り払い民主化をはかるためには、日本政府が侵略の歴史を反省すべきである。民主党政権は金大中氏が行ったように勇気を持って北朝鮮と交渉し、正式な外交ルートつまり国交正常化を実現し直接に話し合うことだ。これが一番効果があり、アメリカもこれに協力すべきだ。
 玄先生は亡くなる少し前に、「新潟から船で共和国へ行って自分の眼で見てきませんか」と勧められたが、諸般の事情から行けなかったことが今でも悔やまれてしようがない。  高橋龍児(アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ心に刻む岩手の会事務局長)


せ ん り ゅ う

 谷垣さんリバタリアンを背負っている

 しかとされ手続き法は凍えてる

 クリントン鳩にリンゴを食わしに来

 合意という糸で首相あやつられ

 罷免する舌の根本に糸が見え

 あの握手われらが手をも重ねてる

         
  ヽ 史(ちょんし)

 二〇一〇年五月

 ○ リバタリアン(LIBERTARIAN)―米国経済思想リバタリアニズムを推進したのがブッシュ―小泉・竹中ら。国家の干渉を排除して個人の自由な活動こそが豊かな社会を実現すると考え、国を超えた自由経済を求め国家の役割は武力による抵抗者の弾圧=対テロ戦争とする。小泉政権が自民党内の反リバタリアンを抵抗勢力と呼び郵政選挙で追放したことは記憶に新しい。
 ○ 五月一八日は「改憲手続き法」施行といっても政府・議会は無関心で実質的な凍結とみたい。
 ○ 蛇がエバにリンゴを食べさせる話、罪堕落の象徴。エデンの園ならぬ内閣から鳩山首相は追放される。
 ○ アメリカによる傀儡政治が露呈。
 ○ 五月二五日福島みずほ消費者担当相沖縄訪問、稲嶺進氏、仲井眞弘多氏との固い握手、それは沖縄民衆そして私たち運動とのあつい握手であった。


複眼単眼

   
 鳩山政権の崩壊と菅政権への態度

 鳩山内閣が参院選を前に、成立後八ヶ月で退陣した。普天間基地の辺野古移設という公約違反の「日米合意」を強行したことで三党連立が崩壊したことと、「政治とカネ」の問題で、内閣支持率、民主党支持率が急落し、このままでは参院選での敗北が確実であることによるものだ。代わって、四日、菅直人氏が両院で首相に指名された。これを書いている現在では、菅内閣の構成は明らかではない。菅代表の対応次第では参院選後の政界再編という事態に見舞われる可能性も含んでいる。
 鳩山前首相が辞任後、語ったところによると、日米合意の以前から首相辞任を考え始めていたという。そうだとしたら酷いものだ。公約違反の日米合意を置きみやげにして辞職したわけだ。沖縄の人びとに日米安保のいっそうの負担をしわ寄せし、無責任に逃亡したのだ。
 この国の戦後史は憲法九条を軸とする平和憲法の法体系と、日米安保を軸とした法体系の二つが拮抗して来た歴史だ。「政権交代」を経て、この日米関係に何らかのメスを入れようとしたふうが見える鳩山政権に、日米安保が立ちふさがり、米国政府・国防総省の恫喝や日本の外務省・防衛省などの官僚体制が立ちふさがり、それにヘナヘナと腰砕けになった図だ。鳩山前首相はこの日米関係を見誤っていたようだ。「抑止力について学んだ結果、自らの見解が変わった」などという発言がその象徴だ。なんと無様なことだ。
 その結果、沖縄県民を自らの約束を破って裏切り、「日米合意」を取り結んだ。それを社民党の福島瑞穂党首に咎められると、罷免して、今回の内閣総辞職の導火線に火を付けてしまったわけだ。
 しかし、菅直人首相に代わったからといって、この鳩山前首相が敷いた路線が変わるわけではない。菅新首相は指名後の記者会見で「日米合意は民主党としての鳩山首相が合意形成したものだ。しっかりと踏まえていく」などと言明している。「合意でも沖縄の負担軽減は重要視しているからしっかりと取り組む」などとも言っている。
一部の評論家は菅直人首相に日米合意見直しの期待を表明している。しかし、それは幻想だ。「市民運動出身だから」などという期待も存在する。
 菅直人の「市民運動」を市民運動一般と同列に論ずるのはマユツバだ。
 たとえば、菅氏の憲法論もいい加減だ。彼は、また聞き程度の著書(例えば岩波新書の「大臣」)で三権分立批判などに終始しながら、従来から「市民が創る創憲の必要性」等を強調することで、改憲の必要性の議論に道を開く。現在の改憲論が何をめざしているのかを明確に把握せず、創憲一般を論ずるやりかたは、改憲派の常套手段だ。いま、改憲派によって九条改憲にターゲットを絞った改憲論が展開されているときに、問われているのは、これを許すかどうかだ。憲法論議が九条論に特化しているのが問題なのではない。現実にある改憲論が九条に特化しているのだ。
 とりわけ普天間基地撤去に集中される課題は、沖縄民衆の闘いに呼応しながら、運動によって「日米合意」を実行不能に追い込むことだ。菅内閣に過大な幻想を持たずに、運動に依拠してこの新たな条件を活かし、民主党に積極的な攻勢をかけていく立場こそが必要だ。必要なことは、単なる受動的な「期待」ではなく、可能性を開く構想と具体的な運動だ。 (T)


夏季カンパの訴え

  
労働者社会主義同盟中央委員会

読者のみなさん!

 社会的格差の拡大と急速な貧困化に対する大衆的な抗議として昨年夏に政権交代が実現し自民党政治は終焉しました。しかし、鳩山政権は、民衆の要求を取り入れる方向を言いつつも、結局は、自民党政治の延長としてのアメリカと財界、官僚の志向する政策を残して退陣しました。沖縄基地問題がその典型です。
 菅新政権もその路線を継続しようとしています。しかしすでに始まった日本政治の新たな段階は、不可逆的です。
 労働者・人民にとって依拠すべきは自らの団結した力です。
 全国の民衆運動や労働組合運動をいっそう活性化させるために大きく団結して闘い、同時に社会主義政治勢力の再編・強化の事業をすすめましょう。
 夏季カンパをお願いし、あわせて機関紙「人民新報」の購読を訴えます。

二〇一〇年夏