人民新報 ・ 第1267号<統合360号(2010年7月15日)
  
                  目次

● 自民党政治への回帰阻止!  辺野古新基地阻止を軸に大衆運動を進めよう

● STOP!在沖縄米海兵隊の矢臼別実弾砲撃演習!  釧路で知花昌一さんの講演会開催
 
● 怒りの沖縄ピースサイクルに参加して

● 奇兵隊と菅内閣の行方

● 六〇年安保闘争から五〇年  もうやめよう! 日米安保条約    ─ 米国・日本・沖縄の新しい関係をめざして

       講演記録  /  日米安保体制の問題点と目指すべき日米関係  (  浅 井 基 文 )

● 書 評  /  大内要三・著 『日米安保を読み解く 〜アジアの平和のために考えるべきこと』

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  「率先して身を切る」のが定数削減とは嘘だ






自民党政治への回帰阻止!

   
辺野古新基地阻止を軸に大衆運動を進めよう

ねじれ国会状況

 七月一一日投開票の第二二回参院選で、民主党が大敗した。その結果、与党は一一〇議席(民主党、国民新党、新党日本)となり、定数二四二の参院の過半数を一二議席も割り込むという野党が参院で多数を占める衆参ねじれ国会状況が生れた。
 菅首相は一二日未明、敗北の記者会見で「私が消費税について触れたことが、やや唐突な感じをもって国民の皆さんに伝わった。十分な事前の説明と言いましょうか、それが不足していたことが大きな要因かと思っている」と語った。しかし、民主党の敗北の原因はそれだけではない。沖縄米軍基地をめぐる迷走、政治とカネの問題、そのほか、昨年の政権交代をもたらしたマニフェスト、その基となったインデックスやプロジェクトなどの無視、それらは社民党の連立からの離脱をもたらしたばかりでなく、基本的な政策での党内での意見の不一致を激化させ、そしてにわかに政権与党となったことによる傲慢さの露呈などによるものである。
 一方、自民党は改選第一党となり意気が上がってはいるが、比例では民主党に水をあけられていて本格的な党勢回復という状況にはない。民主党は一六議席で〇七年より四議席減で、自民は一二議席だが、過去最低だった〇七年の一四議席に届かなかった。勝敗を分けたのは一人区での民主党の敗北である。二九ある選挙区では、当選は八人のみ(沖縄では公認候補を立てられず)で、自民党は二一勝となった。昨年夏の総選挙とは逆の結果が出たのである。民主党は都市部では支持を確保したが、農村部では今回は負けたということだ。疲弊する地方では消費税反対の声がより強く、菅への怒りが噴出したことは間違いないだろう。
そのぶん、マスコミが宣伝に力を入れたみんなの党が始めての参院選で二桁の議席を確保した。公明党は改選一一議席から六議席となった。共産党、社民党は、消費税反対、沖縄基地問題などをテーマに奮闘したが、残念ながらともに議席を減らすことになった。 今回の選挙結果は新たな政治的不安定をもたらす。普天間基地移設問題や財政再建などで、菅内閣は政策を実行していくのが難しくなるだろうことは疑いない。

「八月末」という期限

 参院選をうけて今後どのような政治の段階に入るのだろうか。
 消費税問題の行方はどうなるか。参院選を受け日本経団連の米倉弘昌会長は、「消費税に反対したところが全部負けている。選挙前のアンケートでも六割近い国民が消費税増税はやむなしと答えている。消費税が原因になったとは思っていない。これをきっかけにもっと議論が進めばいいと期待している」と述べた。菅の提起する自民党を含めた政策協議による進展を財界は期待していることは明らかだ。
 鳩山を退陣に追い込んだ沖縄米軍基地問題は、参院選で支持基盤を弱体化させた菅政権にとっても、依然として最大の懸案である。菅や岡田は、日米関係は「修復」したなどといっているが、問題は沖縄だ。沖縄選挙区では、自民党現職の島尻安伊子が当選したが、島尻は、「辺野古移設は無理だ」「日米共同声明撤回を政府に求める」として選挙を戦ったのであり、自分と自民党の方針との違いを強調して当選したのである。
 島尻当選について、仙谷由人官房長官は、「島尻氏は党本部のマニフェストと異なることを言っている」と県外移設を訴えた同氏の姿勢を批判しつつ、基地移設問題に関する沖縄との対話については「沖縄の民意や普天間移設の作業は、沖縄の方々の話を良く聞いて見極めないといけない。軽々な発言はできない」と微妙な発言をおこなった。菅政権にとっても沖縄はきわめてデリケートな問題であることは明白である。しかし、沖縄基地問題はすぐにも政治の焦点になる。
 五月二八日に日米安全保障協議委員会(SCC)メンバーの岡田克也外相、北沢俊美防衛相、クリントン国務長官、ゲイツ国防長官の連名で発表された日米共同声明の中には「普天間飛行場のできる限り速やかな返還を実現するために、閣僚は、代替施設の位置、配置及び工法に関する専門家による検討を速やかに(いかなる場合でも一〇年八月末日までに)完了させ、検証及び確認を次回のSCCまでに完了させることを決定した」と明記された。「いかなる場合でも一〇年八月末日までに完了」なのである。
 沖縄は超党派で政府に日米共同宣言の撤回を求める姿勢を強めている。この動きに応えて、全国各地を結んで普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地建設反対の運動の強化のために奮闘しなければならない。九月名護市議選、一一月沖縄県知事選で、基地反対派の勝利を勝ち取るために闘いぬこう。

待ったなしの諸課題

 参院選の結果、菅の政権基盤弱体化は避けられず、連立組み替えや政策協議など野党に働きかけるという局面となる。だが、その一方で、菅政権の内外政策のさまざまな分野で自民党政治への回帰が見られる。だが、これによって問題が解決されるはずもない。衆参ねじれ国会状況の下で、日本の抱える課題は日増しに深刻化し、「国力」は凋落の度合いを強めていき、それにしたがって政局の流動化、各種矛盾の激化の状況が一段と深まることは必至だ。
 これから日米安保条約、在日米軍基地、対米・アジア政策、社会保障、雇用、税制などの諸問題、総じてめざすべき社会像・国家像はいかにあるべきかという政治の全体像が真正面から問われざるを得ない時期に入る。
 日本の社会状況はまったなしの危機的なものになっている。経済学者の金子勝氏は、最近のブログで「実際、日本は滅びの過程に入っています。日本の産業の競争力、少子高齢化、年金・医療、財政赤字、貧困と格差、農業などの食料生産……どれをとっても近い将来もたなくなることははっきりしています」と書いているが、こうしたことが多くの人々に不安の蔓延と政治への覚醒を強いるようになってきている。
 菅内閣は早晩行き詰まりの状況に陥り、財界の意を受けての民主・自民の大連立による増税推進や自民党政治への逆行が予想されるが、こうしたことを断じて許してはならない。
 今回の参院選は、昨年夏の総選挙から本格化した自民党政治からの脱却過程の第二段階だが、民主党指導部の動揺が激しい。それはかれらの中に、自民党との保守二大政党制論者が多いからであり、それが自民党政治転換を求めた多くの有権者の思いと国内外の情勢が求めるものとの矛盾となっている。沖縄をはじめとする闘いを推進し、各政党の階級性と本質を暴露する活動を強めていかなければならない。


STOP!在沖縄米海兵隊の矢臼別実弾砲撃演習!

           
釧路で知花昌一さんの講演会開催

 六月六日北海道釧路市で反戦地主と知られる沖縄県読谷村の村会議員・知花昌一さんの講演会が開かれて六〇名が参加した。
 主催は一九九七年から始まった陸上自衛隊矢臼別演習場での在沖縄米海兵隊の実弾砲撃演習に毎年反対してきた市民フォーラム946(くしろ)で、「第一四回チャンプルフォーラムINくしろ」として実施された。

 知花さんは「沖縄の今から日本がよく見える」と題して次のような講演を行った。
 今回の日本政府の仕打ちは、沖縄県民の意向を全く聞かないという第四の琉球処分だ(処分とは―一方的に決着をつけること 権力の発動)。
 第一の琉球処分は一八七九年の琉球国の軍事併合であり、第二は一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約による屈辱の異民族軍事独裁支配、第三は一九七二年五月一五日の米軍基地維持を目的とした沖縄返還、そして第四の琉球処分が二〇一〇年五月二八日の辺野古新基地建設の日米共同宣言である。
 しかし沖縄県民の怒りはかってなく高まっており、県民世論の八割が反対、沖縄県議会全会一致で県内移設に反対、名護市長選挙での勝利、全市町村長・議会が反対決議、九万人県民大会の開催、県知事の反対表明などこれ以上の民意はないといえる状況にある。

 また会場からの「県外移設」の質問に答えて「私は決して皆さんへ押し付けることに賛成しません。皆さんがどうするかを議論して政府に意見をいうことが重要です。
 知花さんは、「政権は変わったが、政治は変わっていない。政治を変えるため一人一人が声を上げていくことが大切」と訴えて講演を終えた。

 なお今年で一一回目の米海兵隊の実弾砲撃演習は五月二六日から六月九日まで行われた。
 今回の演習は、人員四三〇人、使用兵器は一五五ミリりゅう弾砲一二門、車両一〇〇両の規模で砲撃数は計一五五六発(うち夜間砲撃三四八発)が確認された。
 イラク戦争で非人道的兵器と批判された「白りん弾」の使用も行われ、着弾地で五回も原野を焼く火災が発生したが、第三海兵師団第一二海兵隊第三大隊長のショーン・ウェスター中佐は「砲弾は日米合意のあるものだけ」と強弁した。また日米合意の辺野古移設案に絡んで「沖縄の負担軽減」が叫ばれる中、米海兵隊のヘリ部隊の矢臼別移転演習の可能性が高まっていることがしきりに報道された。 (S)


怒りの沖縄ピースサイクルに参加して


 参院選公示を目前に控えた六月二二日から四日間、二〇一〇沖縄ピースサイクルが取り組まれ、いよいよ今年の全国ピースがスタートした。

 期待を振り回した挙句に元に戻った前政権の唯一の《成果》が、普天間・辺野古の全国焦点化であったが、「最小不幸社会の実現」を唱える菅政権にしても、早々と日米合意の尊重を表明するに及んで馬脚を現してしまい、沖縄の民意は民主党から完全に離れてしまった。
今や「怒」が琉球弧全体を包んでいる。その怒りは、沖縄の犠牲の上に安住してきたヤマトにも向けられていることを痛感させられる四日間だった。

 六月二二日、待ち合わせの那覇空港に各地の参加者が降り立つ。総勢七名の少々淋しいメンバーではあるが、神奈川・大阪・広島からの顔見知りの参加者達だ。互いに奮闘を誓い合う。
 昼食の後、午後の開始時刻に合わせて県庁を訪れ、「平和・男女共同参画課」の担当者に県知事へのピースメッセージを託した。日米両政府に翻弄され爆発する民意を前に、沖縄差別や辺野古新基地建設の見通しについて「むつかしい」と言わざるを得ない仲井眞弘多県知事に、民意の側に立って一体となって反対して欲しい、との要請が大半のものだ。
 レンタル自転車を宿舎で点検した後は、結団・交流会。いつものヤギの店だ。

 二三日は慰霊の日、那覇から自転車でひめゆりの塔へ。途中、「感謝はいらない。基地を持って返れ」との糸満市議団の横断幕が目を引く。ここからは「魂魄之塔」まで平和行進。二七回目の「6・23国際反戦沖縄集会」に参加。
 集会は海勢頭豊さんのミニコンサートでオープニング。主催者を代表して石原昌家さんがあいさつ。沖縄を置き去りにした日米共同声明に対して、「声明と協定は違う。変更できる」と喝破。だが、岡田外相などは「日本国民の安全と平和のためには沖縄の基地が必要」と言う。これに対して沖縄は怒りでいっぱいだ。また、かつて統幕議長だった栗栖弘臣は、『軍隊は住民を守らない』のは当たり前だとぬけぬけと言い放つ。これでは《独立》の声が強まって当然だ。「平和は眠りを許さない」と言うが、いつまでこうした集会を続けなければならないのか、と鋭く提起。
 靖国訴訟原告団のあいさつの後はグアムからの報告。教師のビクトリアさんは、米軍再編によって、沖縄からの海兵隊と家族だけでなく、空母やミサイル部隊など八万人の米軍が移駐する。八万人もの人口増加よって様々な問題が生じる。すでに三分の一の土地が取られているうえに、深刻な水不足、海の汚染が生じ、教員ですら不足する、と告発。これはチャモロ・ネーションの自己決定権を勝ち取る闘いであり、軍隊は米本土に返れと要求。
 続いて徳之島からの報告。ヤマトの新聞論調に温度差を感じる。徳之島と沖縄は文化を共有した同胞だ。県外で括れない。二万五千島民中一万五千人が参加して島を挙げて反対している。この一年に徳之島空港には六六回も米軍機が着陸した。既成事実を作ろうとしている。復帰ではだまされたがもうだまされない、と現状を報告。
 「かまどぅぐわーたちの集い」の発言では、会場が紛糾。沖縄はもう心配要らない。基地はできない。ヤマトへ引き取れ、との趣旨だが、菅直人首相の追悼式典でのあいさつに「菅が持って返れ」の怒り心頭の野次があり、ヤマトの運動は基地を引き取ってから地元で闘って見せろ、沖縄に来る必要はない、とまでヒートアップ。これに会場から反対のヤジで騒然。
 間をおいて辺野古からの報告。名護市議選と県知事選の二つの選挙に勝利し、最終的に追い込む。高江区からは県・国外移設にも反対する。基地撤去が正しい。裁判を闘いながら工事再開阻止を訴え。集会の最中に雨が降り出したが、泡瀬干潟を守る会、国会議員・候補あいさつ、大城しんやさんのミニコンサートなどをはさみながら、一一月の県知事選への出馬が取りざたされる伊波洋一宜野湾市長の力強いスピーチと続き、閉会あいさつを高里鈴代さんが行なって、三時間に及ぶ集会が終了。
 雨の中、折り返して那覇へ戻る。

 二四日、この日が最長の走行で約八〇キロ。五八号線を那覇から普天間・嘉手納・読谷を経て、許田から山越えして東海岸に抜け辺野古へ。テント村は大型バスでゴッタがえす。
 あいさつもそこそこに宿舎の二見へ。名護市議の東恩納琢磨さんやイギリスからの脳学者と、宿舎での交流。

 二五日が最終日、まずスタート地点の辺野古の浜で安次富浩さんから説明を受ける。テント村の皆さんの見送りでいざ出発というところにNHKの取材を受ける。名護まで同行。これは夕方のローカル番組で九州地方まで放映されたそうだ。
 最大の難所の世冨慶へぬける峠越えでは、梅雨明けにもかかわらず特有のスコールに見舞われ、自転車隊全員ビショ濡れのまま、この日メインの稲嶺進名護市長表敬訪問。市庁舎を一周して玄関に向かうと、議会開会中にもかかわらず市長自らの出迎えを受ける。全国から寄せられたピースメッセージや激励の寄せ書き一三〇通あまりを一部代読して手渡す。市長からは「絶対に辺野古に新基地は作らせない」との力強い決意と団への激励のあいさつがあり、琉球新報・沖縄タイムス・NHKからの取材攻勢を受ける。そして最後まで雨のオキナワピースは無事終了した。
 その後、帰途に付く者もあり、成功を確認しあってここでひとまず団を解散。

 二〇一〇オキナワピースは、怒りの沖縄を体感した。ヤマトのピースとして始まり、オキナワピースとして定着した時期を経て、再びヤマトのピースが問われている。いや、ヤマトの運動と民衆の自覚こそが問われている。
 過重な犠牲を押し付けておきながら、そのことへの自覚も反省もなく「平和」を享受することは、沖縄差別に他ならない。憲法が等しく何人にも保障される前提で「祖国復帰」したのだ。しかし何も変わらないではないか。もう騙されない。人殺しのための軍事基地を新しく作ることは絶対に許さない。これ以上強いるならば沖縄は自立する。こうした叫びが各所で突きつけられた。
 走り続けながら考えよう。焦点となった普天間を直ちに閉鎖させ、辺野古に新基地を作らせないために、私達に何ができるのかを。「要らないものはどこにもいらない」という基本と、県外・国外なら良いのかという矛盾をどう解決するのかを。そして、基地移設を最終的に断念させるべく、七月参院選に続いて行なわれる、九月一二日投票の名護市議選と一一月二八日投票の県知事選に勝利するために、私達はいかなる行動ができるのか、を。 (I)


奇兵隊と菅内閣の行方

 鳩山首相の辞任を受け、六月に成立した民主党政権の菅直人首相は、自らが山口県宇部市出身であることから幕末の長州藩士、高杉晋作が創設した武士と庶民の混成部隊になぞらえ、自身の内閣を「奇兵隊内閣」と命名した。
 そこで果たして菅内閣は明治維新回天の原動力となった奇兵隊と同じような役割を担うことができるのか否かについて歴史に照らして見ることにしたい。

 高まる攘夷論に押されて一八六三年 (文久三年)幕府が全国の大名に発した攘夷令を忠実に実行した長州藩は、同年五月関門海峡を航行中のアメリカ・フランス・オランダ艦船を砲撃した。これに対し米仏両国の軍艦が報復攻撃を仕掛け長州藩は圧倒的な近代兵器の前に無残な敗北を喫した。旧来の武士戦法の無力な実態が白日の下に晒されたのであった。
 こうした中、長州藩の藩士の中核である大組二百石出身の高杉晋作(吉田松陰の松下村塾門下生)は、前年の一八六二年外国の支配に抵抗する中国上海で太平天国軍の蜂起を体験し欧米諸国による植民地化の危機感を抱いていた。高杉晋作は長州藩の敗北を深刻に受け止め、藩に対して奇兵隊の結成綱領ともいえる五か条を提出した。高杉は「従来の世禄の士は腰抜けで役に立たぬから、これは新たに勇壮の士を募って、軍隊を組織した方が宜いと云うので、百姓でも町人でも何でも構わぬ、勇気があって身体の壮健な者を召募して、一隊を組織した」(長州戦争 野口武彦 中央公論新社四四P)としていた。奇兵隊と命名された理由は、『孫子』の「凡そ戦いは正を以て合し、奇を以て勝つ」(兵勢 第五)から採ったものである。その結成綱領の第1条では奇兵隊は「有志の者」で構成し「陪臣軽卒藩士を不撰(えらばず)同様に相交(あいまじわ)り」主に「力量」を重んじて「堅固」な隊にしたいとしていた。これは幕藩体制の家格や身分を基準とした伝統的軍事組織とは、対立する観点に基づく組織であり、特に身分にかかわらず「同様に相交(あいまじわる)」ことに注目して「これは奇兵隊の水平軸ともいうべきものであり、この水平軸こそが奇兵隊を基本的に規定していたといえるだろう」(田中彰著 「高杉晋作と奇兵隊」 岩波新書 十九P)とみる視点は重要である。
 だが一方で高杉は、その第二条で「藩主との意思の疎通をうたい」(同 二一P)自らを「毛利家恩古臣高杉某嫡子」(同 二〇P)とする「垂直軸」(同 一九P)というべきものがあり奇兵隊は「水平軸」と「垂直軸」が混在する矛盾を抱えていたのである。
 その後、長州藩は幕府征長軍の圧力の下で幕府恭順を唱える「俗論派」が主導権を握るようになり、奇兵隊など諸隊の解散命令が出された。しかし奇兵隊と諸隊はこれに応じず幕府征長軍と対決するためとして「論示を隊中に分つ」たのである。
 この「論示」の七ヶ条の中では「一、農事の妨げ少しもいたすまじく、みだりに農家に立寄べからず、牛馬等小道に出遭候わば道べりによけ、速に通行いたさせ可申(もうすべく)、田畑たとい植付無之候所にても踏あらし申しまじく候。 一、山林の竹木・櫨(はぜ)・楮(こうぞ)は不及申(もうすにおよばず)、道べりの草木等にても伐取(きりとり)申まじく、人家の菓物鶏犬等を奪候などは以(もって)の外に候。 一、強き百万といえどもおそれず、弱き民は一人と雖(いえど)もおそれ候事、武道の本意といたし候事。」(田中彰著 同六一P)とし徹底して農民の側に立とうとする原則が明記されている。
 また奇兵隊は、隊内では「隊長会議」や「伍長会議」(隊員は数名を一伍として組織され、それを伍長が指導掌握している)などの機関運営を行っていた。
 奇兵隊の組織構成は、武士階級の中下層の指導監督の下で、下層の士格分(二七二名)四四% 中上層の農民(二三七名)・町人(二五名)四%となっていた。
 封建体制の中で奇兵隊は、平等主義的な組織形成と民主主義的色彩を帯びた組織運営を行い、政治的には倒幕の為に、当時の被抑圧階級である農民の利益を擁護することを明確にして、近代兵器を活用した軍事活動を推し進めた。ここに奇兵隊が倒幕軍の中核になりえた真の根源があるのである。

 では翻って菅内閣とこの奇兵隊と比べて見よう。
 一、組織形成と民主主義的運営 民主党党内では小沢グループを排除し、内閣では国民新党の亀井郵政改革担当相を切り捨て、国会では少数政党を抹殺する衆議院議員定数の削減を推進しようとしている。
これは反民主主義的強権的政治への傾斜でしかない。
 二、被抑圧階級の利益擁護 菅内閣は「日米合意を守る」を掲げ沖縄の民意を踏みにじり「辺野古移設」の強行をはかろうとしている。大衆収奪の消費税一〇%を公然と打ち出し一方で巨大企業を優遇する法人税率の引下げを実施するとしている。
 菅政権は「奇兵隊内閣」を標榜したいならば、奇兵隊が自らを厳しく律した「強き百万といえどもおそれず、弱き民は一人と雖(いえど)もおそれ候事」を実践しなければならない。
 それが出来ないのなら明治維新後、奇兵隊がたどった同じ道を歩むことになるだけである。
 
 戊辰戦争に勝利し長州に凱旋した奇兵隊は、一八六九年(明治二年)藩から常備軍への改編を命じられた。しかも藩による上からの「精選」による諸隊の常備軍への編成替えである。排除されることになった隊員の中には「賞罰の不正・不公平 総督以下幹部の堕落 会計の不始末 兵士に対する差別的な処置」(田中彰著 同一二三P)について幹部を批判する動きが拡がった。やがて諸隊や脱隊兵の中には農民一揆と結びつく動きも表れた。しかし明治政府と藩は常備軍を差し向けて徹底的に鎮圧したのであった。
 
 菅内閣は、末期の奇兵隊の幹部のように下部隊員を切り捨てて当時の支配階級に取り込まれ、自らの基盤であった民衆を弾圧する側に完全に移行するのかが、まさに問われているのである。  (関 孝一


六〇年安保闘争から五〇年  もうやめよう! 日米安保条約

              
 ─ 米国・日本・沖縄の新しい関係をめざして

 六月一九日、社会文化会館(三宅坂ホール)で、2010安保連絡会の主催で「六〇年安保闘争から五〇年 もうやめよう!日米安保条約─米国・日本・沖縄の新しい関係をめざして」が開かれた。

 DVD「どうするアンポ」の上映につづいて、浅井基文さん(広島平和研究所所長)が「日米安保体制の問題点とめざすべき日米関係」と題して講演(別掲)。

 グアムから海外ゲストとして参加したビクトリア・レオン=ゲレロさん(チャモロ・ネーション)が発言。グアムのチャモロ民族はスペイン、アメリカ、日本またアメリカと次々に植民地化された。アメリカは兵士とその家族などをグアムに移住させようとしている。グアムの基地を強化するためだ。これは多くの悪影響を生み出す。皆さんとともに米軍の移設を止めさせたい。
 ヘリ基地建設反対協議会の安次富浩さんは「沖縄・辺野古の闘いと日米安保」を報告。県内の世論調査では、九割が辺野古移設に反対である。昨年八月の総選挙では沖縄県では自民党候補は全滅した。その後も沖縄県議会では与野党全会一致での反対決議があり、地元名護での今年一月の市長選では「海にも陸にも基地はつくらせない」と公約した稲嶺市長が誕生した。沖縄ではこの間、基地反対の運動が大きく盛り上がり、辺野古案に戻った鳩山は退陣せざるを得なくなった。そして菅政権に交代したが、岡田外務、北澤防衛、前原沖縄担当の戦犯三閣僚と長島防衛政務官は再任されるということになった。今後の闘いは、八月末の「工法と位置決定」、環境アセス法にもとづく評価書の沖縄県への提出、そして九月の名護市議選、一一月の県知事選とつづく。とくに県知事選では辺野古基地建設反対の知事を実現させることを絶対に実現させたい。

 米軍再編関連地域からアピールでは、ピースリンク広島・呉・岩国、全ての基地にNO!を ファイト神奈川、バスストップから基地ストップの会、横田基地問題を考える会からの報告が続いた。服部良一さん(社民党衆院議員)も参加して発言した。
 最後に集会アピールと首相宛のアピールを確認して、首相官邸前へ移動。
 
 途中、国会正面正門前では安保反対のパフォーマンスを繰り広げた(写真一面上段)。首相官邸前では、抗議の集会と申し入れ行動をおこなった。

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講演記録

       日米安保体制の問題点と目指すべき日米関係
 
                            
浅 井 基 文

 一九五二年の旧日米安保条約は、米ソ冷戦の激化とアメリカの対日占領政策の一八〇度の転換が背景にあり、日本にとっては独立回復の代価としての安保締結だったが、それは沖縄を切り捨てるものだった。その内容は、米軍に「日本国内及びその附近に配備する権利を日本国は許与」するもので「外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」とするものだった。これを、一方が攻撃された場合のは双方になされたものとするという「双務的」なものにしようとしたのが六〇年の安保改定だった。当時の岸内閣のナショナリズムの自己主張と反基地闘争を考慮したアメリカの対応があいまってのことだったが、それ以来、日米安保をめぐる硬直した保革対決構造が形成され、高度経済成長路線のなかで国民意識の保守化傾向が強まった。しかしその一方で、解釈改憲が進行した。違憲の海外派兵と合憲の海外派遣とを区別して、PKO派遣は合憲だとして強行された。また、集団的自衛権の行使として違憲の後方支援と集団的自衛権行使には当たらない合憲の後方支援とを区別するとして、アフガニスタン戦争への海上自衛隊の洋上支援は行われた。九〇年代に入ってからは、「国際貢献」論、「国連中心主義」論や「普通の国家」論などにより保守派は攻勢に出てきた。こうしたことで、日米軍事同盟の変質・強化への国内的条件ができてきた。

有事法制と2+2

 しかしこの時期、国際的にアメリカは国力を低下させてきており、日本に対する軍事的な要求を増大させてきた。九〇年代初めの湾岸戦争や朝鮮「核疑惑」は、アメリカにとって日米安保の実情は危機に軍事的に対処できないとして、日本の重要性と日米安保の再編強化の必要性を再認識させるものとなった。これが、その後の日本の有事法制の確立と「2+2」(外務・防衛閣僚協議)による日米軍事同盟の変質強化となった。
 そして二〇〇三年には、「武力攻撃事態対処法」がつくられた。その第二条の七(対処措置)の「イ 武力攻撃事態等を終結させるためにその推移に応じて実施する次に掲げる措置」では、「@武力攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動」「A @に掲げる自衛隊の行動及びアメリカ合衆国の軍隊が実施する日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に従って武力攻撃を排除するために必要な行動が円滑かつ効果的に行われるために実施する物品、施設又は役務の提供その他の措置」となっている。こうして米軍が必要だとする「すべての物品、施設又は役務の提供その他の措置」を行わなければならないとされた。かつての日本全土基地方式に戻ったわけである。
 つづく、翌二〇〇四年の「国民保護法」では、第一五条(土地の使用等)で「内閣総理大臣は、武力攻撃事態において、合衆国軍隊の用に供するため土地又は家屋…を緊急に必要とする場合において、その土地等を合衆国軍隊の用に供することが適正かつ合理的であり、かつ、武力攻撃を排除する上で不可欠であると認めるときは、その告示して定めた地域内に限り、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法…の規定にかかわらず、期間を定めて、当該土地等を使用することができる」とされた。

ブッシュ・小泉の時代

 ブッシュ・小泉時代には軍事同盟関係がいっそう深化した。 
 「日米同盟:未来のための変革と再編」(「中間報告」。二〇〇五年一〇月二九日)は次のように規定した。「日米安全保障体制を中核とする日米同盟は、日本の安全とアジア太平洋地域の平和と安定のために不可欠な基礎」であり、「同盟に基づいた緊密かつ協力的な関係は、世界における課題に効果的に対処する上で重要な役割を果たしており、安全保障環境の変化に応じて発展しなければならない」と世界をにらんだ軍事同盟とされたのである。とりわけ、中国・朝鮮に対する軍事同盟としての性格が強調された。「閣僚は、アジア太平洋地域において不透明性や不確実性を生み出す課題が引き続き存在していることを改めて強調し、地域における軍事力の近代化に注意を払う必要があることを強調した」。
 その上で、「周辺事態が日本に対する攻撃に波及する可能性のある場合、又は、両者が同時に生起する場合に適切に対応し得るよう、日本の防衛及び周辺事態への対応に際しての日米の活動は整合を図るものとする」というものになった。そして、日本全土の米軍への提供を明記したのだ。「日本は、米軍のための施設・区域を含めた接受国支援を引き続き提供する。また、日本は、日本の有事法制に基づく支援を含め、米軍の活動に対して、事態の進展に応じて切れ日のない支援を提供するための適切な措置をとる。」とした。
 また二〇〇六年六月二九日のブッシュ・小泉共同声明「新世紀の日米同盟」では、「総理大臣及び大統領は、双方が就任して以来日米の安全保障関係において達成された著しい進展を歓迎した。日米の安全保障協力は、弾道ミサイル防衛協力や日本における有事法制の整備によって、深化してきた」と「有事法制」を評価している。
 小泉は、イラクヘは、武力行使しないから憲法違反とならない非戦闘地だとする強弁で自衛隊を派遣するなどのことまでおこなった。
 しかし、解釈改憲では行き着くところまで行ったが、保守政治による武力行使正当化のためついに第9条改憲をやるとことまで来た。それが安倍内閣だったが結局は破綻した。

オバマ政権では?

 このようなブッシュ時代のような日米軍軍事同盟は、ではオバマ政権になってどうなったのか。オバマは、チェコのプラハでの演説で核廃絶を言ったとされているが、その内容を再確認する必要がある。彼は「本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。…この目標は、…おそらく私の生きているうちには達成さされないでしょう」「核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します」といったのである。しかも、オバマはノーベル平和賞受賞決定に際しても、「世界に邪悪は存在する。非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊をとめることはできなかっただろう。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を置かせることはできない」ともいっているのだ。

日本への軍事的脅威
 
 日本に対する軍事的脅威は存在するか否かが、日本の安全保障を考える出発点にならなければならない。
 北の脅威はフィクションに過ぎない。朝鮮のほうがアメリカを怖がってハリネズミのように防衛を固めているのである。
 日本は、自分の意識だけで世界を見る天動説に立っている。地動説にならなければならないのだ。
 米日は対中警戒感を共有している。アメリカは台湾有事を想定しているが、台湾有事は日本にとって「周辺事態」になり、有事法制発動の引き金になる。だが、アメリカには戦略的思考が働くが、日本にそれは欠如している。この違いは大きい。

民主党政権の政策

 民主党指導部の多くには、政権をとる前からの北の脅威論があるが、外相になった岡田は「北朝鮮は拉致問題の再調査を約束しながら、まったく進んでいない。ミサイルや核の実験をやる中、日本が融和的な態度をとることはあり得ないことだ。国連安全保障理事会決議に基づいて制裁を強化する中で、北朝鮮の政策転換を待つということだ」と述べた。また北沢防衛相も韓国海軍艦艇沈没事案について、「北朝鮮の魚雷攻撃は、許しがたいものであり、我が国としても、これを強く非難」した。そして、「中国脅威論」が公言されるようになってきている。
 こうした政策は、今年の一月一九日の岡田外務大臣、北澤防衛大臣、クリントン国務長官、ゲイツ国防長官による「『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』署名五〇周年に当たっての日米安全保障協議委員会の共同発表」で、「日米同盟が、日米両国の安全と繁栄とともに、地域の平和と安定の確保にも不可欠な役割を果たしていることを確認する。日米同盟は、日米両国が共有する価値、民主的理念、人権の尊重、法の支配、そして共通の利益を基礎としている。日米同盟は、過去半世紀にわたり、日米両国の安全と繁栄の基盤として機能してきており、閣僚は、日米同盟が引き続き二一世紀の諸課題に有効に対応するよう万全を期して取り組む決意である。日米安保体制は、アジア太平洋地域における繁栄を促すとともに、グローバル及び地域の幅広い諸課題に関する協力を下支えするものである。閣僚は、この体制をさらに発展させ、新たな分野での協力に拡大していくことを決意している」としている。そして、極めツケが、辺野古の新基地建設を明記した五月二八日の「2+2」共同発表だ。これらは民主党が自民党の対米政策を踏襲していることを物語るものだ。

いまなすべきこと

 いま、なすべきことは、二一世紀の人類の歩むべき方向性を指し示す先駆性をもつ日本国憲法という座標軸を出発点することだ。そして、核廃絶の先頭に立つ使命と責任を自覚して、アメリカの原爆投下責任を問いただし、アメリカをして核抑止肯定論を最終的に断念させることだ。
 そして、私たちが克服すべき課題として、日本という国家の国際的重みを理解し、健全な国家観を育むこと、平和観を鍛えること、である。
 菅首相は二〇〇二年に「救国的自立外交私案」という文章を書いたが、そこには非核三原則の二・五原則化、核抑止力肯定、「北朝鮮」脅威論、対国連軍事協力などが書かれており、これはかなり危険なものだ。
 だが、民主党を見る上では指導部だけでは不十分である。民主党国会議員の憲法感覚を見ておきたい。昨年の総選挙の当選者では、改憲に賛成が自民では四二%だが、民主では八%となっており、新に当選した議員の方が護憲派は多い。こうした議員と外の運動との連携はますます必要になってきている。  (文責・編集部)


書 評

安保・沖縄を考える上で市民の必読の入門書

   
 『日米安保を読み解く 〜アジアの平和のために考えるべきこと』

                     
大内要三・著

                                   出版・窓社 1200円+税 四六版142頁

 新安保五〇年であり、沖縄の普天間基地の撤去が参院選の重要な焦点となっているいま、これを考える上で格好の書が出版された。著者の大内要三さんは、今は亡き山川暁夫さんを「私のジャーナリストとしての師匠」と公言(本書「序」)する人で、かつて某新聞社に所属していた平和運動家である。
 この国の平和について論じようとすれば、日米安保条約とその体制について語ることは不可欠である。一九六〇年の安保改定をめぐる大闘争を経て、六〇年代、七〇年代の平和運動の議論においては、安保問題の評価がその中心を占めていたものだった。メディアもそうだったが、活動家も評論家も多くが、日米安保体制とは何かについて熱く論じていた。しかし、この安保五〇年を迎えて、それはメディアの責任でもあるが、安保問題についての議論の当時と現状の議論との落差の大きさをあらためて痛感させられる。
 かつて憲法学者の長谷川正安が喝破したことであるが、「戦後日本には『二つの法体系』、つまり憲法と安保の相反する二つの法体系がある」(本書二一頁)のである。戦後の民衆の政治闘争史はこの二つの法体系をめぐってのせめぎ合いの歴史だった。そしてそれは六〇年安保闘争後の一時期、新左翼内部の議論で流行したように民衆の「敗北の歴史」でもなかった。民衆がくりかえし、不屈に憲法を道具として安保体制に抵抗を続けた歴史でもあった。
 しかし、安保体制と闘うには、安保とそのもとでの軍事同盟体制の歴史と現実について知らなければ闘えない。本書で著者が指摘するように「シビリアンコントロール」とは俗論になっている自衛隊内の制服組を背広組がコントロールすることなどではなくて、民が、要するにその代表たる国会が、そして我々市民が軍事の知識を持って軍事を統制することであるはずだ。それにしては、たとえば人気を博している「事業仕分け」の防衛予算への切り込み方の無様さはなんだ。あまりにも軍事問題に無知ではないか。このような問題意識が著者の本書への取り組みのエネルギーの淵源である。
 本書の「帯」で評論家の高野孟が「鳩山総理に読ませたい本だ」と書いているが、いまでいえば「菅直人総理に読ませたい本だ」というところだ。私たちは、昨年の政権交代で防衛相になった北澤俊美が初々しいほどに「国防を任された私の立場から申し上げれば、内閣は憲法を遵守することが義務づけられておりますので、まず憲法九条の中で防衛を考えていくことを念頭に置く」(『世界』臨時増刊799号)などとのべながら、その防衛問題の認識の浅薄さもあって、ずるずると日米防衛官僚の論理の虜になっていく過程を見た。
 メディアの安保問題への関心の希薄さはいうまでもないが、それに挑戦できるわれわれの側の水準も問われている。
 例えば、「日米同盟」という用語だけをとっても、いまでは当然のごとくつかわれ、ほとんど異議申し立てがない。本書では、「いつから、なぜ『安保』は『日米同盟』となったか」と問うているが、まさに、かつて、「日米同盟」は禁句だった。一九八一年、鈴木善幸首相とレーガンの会談で日米同盟という用語が初めて使用され、その解釈をめぐって国会の議論が紛糾し、伊東正義外相が辞職するほど大きな問題だった。九条のもとで「防衛を考えれば」軍事同盟としての「日米同盟」などありようがないのである。八一年当時の国会はまだそのような正論が通る時代であった。それが一九九六年の「日米安保共同宣言」(橋本・クリントン会談)をへて、二〇〇三年の小泉・ブッシュ会談での「世界の中の日米同盟」という表現、二〇〇五年の「日米同盟:未来のための変革と再編」にまでいたって、日米関係を表現する常套句になった。このもとで普天間基地問題がかたられ、在沖海兵隊の意義が語られている。
 本書はこの日米安保の変質の過程とその内容を分かり易く説いている。本書が著者の講演を基調につくられたものだから、語り口が分かり易いのだと思う。
 いまいちど、日米安保について整理してみようとする読者に最適の本である。ぜひ購読をおすすめしたい。
 一点だけ疑問を指摘するが、一九九四年の朝鮮半島の核危機の際に米側が日本に要求した兵站支援の項目を本書は「四〇〇項目」(三五頁)としているが、後日、西日本新聞社が入手したといわれる「防衛庁の内部文書」では「輸送・施設提供・補給・空港港湾の使用・艦船航空機の修理・医療・米避難民の支援・基地警備・給食など」一〇五九項目の兵站支援要求にのぼったのではなかっただろうか。
 指標の取り方、数え方が異なるのかも知れないが、著者も各所で触れていることなので気になった次第である。   (T)


せ ん り ゅ う

 マスコミは軍事を付けず同盟といい

 安保なぞ切手に作る反民間

 アンポってアンポンタンかと子は訊き

 抑止力効いて鳩山抑止され

 痛みは沖縄にうまみはどこどこ

 消費税これで普天間やみの中

 秋水の反戦を知る百年忌

  二〇〇六年六月  ヽ史(ちょんし)

 ○ いつの間にか「同盟」が一人歩きしている。九条の下で日米軍事同盟は許されぬ国家犯罪だ。
 ○ 「日米安全保障条約改定五〇周年」の八〇円切手発売。胸くそ悪。
 ○ 大逆事件から百年。幸徳秋水は日露戦争から一貫して反戦平和の社会主義の論陣を張っていた。日本の社会主義運動の産声は力強かった故に、政治的弾圧捏っち上げ事件は凄まじかった。


複眼単眼

     「率先して身を切る」のが定数削減とは嘘だ


 「このままではギリシャのようになる」と国民を脅迫するような言辞を弄して消費税一〇%導入を突如、叫び始めた菅直人首相。
 早速、ギリシャの債務内容と日本のそれとの違いを経済学者に指摘されて顔色なしの体だが、それでも消費税導入のための与野党協議の提唱など、首相は懲りる様子がない。「蛮勇をふるっている」ポーズの民主党には、この参院選で、有権者のきびしい判断が待っていることだろう。
 それにしても問題なのはこの議論を国会議員の定数削減に結びつける論調が目立つことだ。
 各党でも、国会議員の定数削減を民主・自民がいうだけでなく、政界再編狙いの「雨後の竹の子諸政党」までが主張している。公明党もあいまいで、定数削減に真正面から反対しているのは社民党と共産党だけだ。
 産経・読売などのメディアも定数削減論を展開する。
 曰く「政治家は率先して我が身を削る姿を見せよ」(七月三日、産経主張)。「菅直人首相は消費税増税を争点化した。そうした以上、国民に負担を強いる政治家の側が範を垂れなければ、国民がそっぽを向くのは間違いない」(同前)として、定数削減を迫る。国会議員定数削減の大合唱が始まる。
 民主党は参院四〇程度削減、衆院比例定数八〇削減」をいい、秋の臨時国会で決めるという。自民党は三年後に両院の定数を六五〇(現在七二二)に、六年に五〇〇にする。「みんなの党」は衆院三〇〇、参院一〇〇、「立ち上がれ日本」は衆院四〇〇、参院二〇〇、「新党改革」は両院半減である。
 衆院議員の歳費(月給+ボーナス)+文書通信交通費(月一〇〇万円)+立法事務費(月六五万円)の総計で四一二〇万円、これに秘書給与などを合わせても、民主党のいう八〇人を削減したら、五六億円程度である。金額の問題だけでいうなら、政党助成金で支出されている資金は年間三二〇億円である。八〇人削っても、その六分の一程度に過ぎないのだが、メディアの側からこの話は全く出てこない。政党助成金を二割削減しただけで衆院議院を八〇人削減した額は帳消しになる。
 また国会議員の歳費の額の問題も議論して良いかもしれない。日本の議員の調査能力補償の問題や、秘書制度の脆弱さがあるから、あまり議員歳費の削減の議論に筆者は踏み込みたくはないが、しかしこれも議論の対象ではあるべきだろう。
 先日、初めて入ってきたが今度新築された衆参議員会館はとても大きい。今までがせますぎたから、これも目くじら立てるつもりはないが、総事業費一八〇〇億円で、従来の会館は更地にして駐車場にするという。「首都移転」はどこへやらである。
 国会議員の定数をへらし、それも菅直人氏らの従来の主張のように、比例区をなくして小選挙区だけにするようなことをめざせば、まさに二大政党制である。民主が自民の政策にますます似てきた現在、保守二大政党制といわれても仕方がないだろう。社民や共産は国会に残れない。「雨後の竹の子」政党はどちらかに吸収合併すれば良いのだから問題はない。
 これはまさに民主主義の基本に関わることだ。死票を拡大し、少数政党をきりすてる。市民の多様な意見が国会に反映しない。
 だいたいにおいて、連邦制の米国をのぞいて民主主義の「先進国」といわれる国の制度と比較しても、日本の国会議員は多い方ではないことはさまざまな調査で明白だ。
 かにかくも定数削減論は成り立たない。憲法が保障する民主主義の原則を真に擁護するためにも、まやかしの定数削減論に反対することは急務である。  (T)