人民新報 ・ 第1268号<統合361号(2010年8月15日)
  
                  目次

● 国会議員比例定数削減反対  沖縄・反基地闘争に勝利しよう !

● ピースサイクル2010

    ピースサイクル長野

    ピースサイクル埼玉

    ピースサイクル東京・練馬

    ピースサイクル浜松

    ピースサイクル四国

● 寄 稿  / 百年 ― 反戦平和主義者幸徳秋水 ―  (安藤裕三)

● 普天間米軍基地爆音訴訟の控訴審判決

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  国会議員の比例定数削減は民主主義の破壊





国会議員比例定数削減反対


    沖縄・反基地闘争に勝利しよう !


参院選後の菅内閣

 七月三〇日、臨時国会が始まった。鳩山由紀夫が普天間問題の迷走・裏切りで首相を菅直人に交代し、その体制で参院選に臨んだ民主党が敗北したあとでの初の国会である。
 菅内閣のまえにはいくつもの難題が控えている。菅は参院選で消費税増税をぶちあげ、それもひとつの要因で与党少数の参院状況をもたらし、当面は消費税を前面に出さずにいるが、それも九月の民主党代表選で勝利すれば再び公然と持ち出してくることは間違いない。消費税は臨時国会の影のテーマとなっていた。そして、米軍普天間基地に代わる辺野古への最新鋭基地の建設問題である。そして今、菅は、なにより、それらの難題をスムースに進めていく国会づくりを狙っているのである。

比例定数削減の狙い

 国会議員の定数削減問題への菅の意気込みは大きい。
 八月二日の首相官邸での記者団での「議員定数削減について、野党からは比例定数を削減することへの反対論が出ている。格差の是正には、選挙区の区割りの見直しも必要だと思われるが、選挙区改革に可能性はあるか」という問いに、菅は「私が先日七月三〇日の緊急記者会見でも申し上げたことでまず第一の趣旨は、いろんな意味で無駄の削減を進める中で、国会議員自身も、自分たちの身を削る努力をしなければならない。定数是正についてはすでにマニフェストにも盛り込んでおりますので、そういうことをしっかり取り組んでほしいということを、幹事長をはじめ、党関係者に指示をした」と答えている。
 無駄の削減を口実にした国会議員の定数削減は、小選挙区制という民意を反映しない選挙制度とあいまって、社民党や共産党などの反対派野党を国会から締め出し、二大政党制によって、大衆的な反発の強い法案を成立させようという下心が見え見えである。

国会冒頭日定例集会


 国会冒頭日にあわせて、5・3憲法集会実行委員会(事務局構成団体・憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法二一世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会)が院内集会を開き、国会の内外を結んでの国会闘争のスタートの場とすることが定例になっている。その集会に参加した国会議員たちからも、院内での闘いむかって非常に勇気付けられるという発言が続いている。

 今回の集会名称は「憲法を生かそう!7・30院内集会」で、「憲法審査会を始動させるな!」「普天間基地撤去!辺野古新基地建設反対!」「国会の比例定数削減反対!」の三つのスローガンが掲げられた。新装なった衆議院第一議員会館大会議室に、一三〇人余が参加した。
 国会報告は、社民党の福島みずほ党首、共産党の市田忠義書記局長が行い、出席した社民党や共産党の議員があいさつした。

 福島党首は次のように発言。憲法審査会については民主・社民・国新の三党連立合意では始動させないとしてきた。しかし、民主と自民が組めば審査会を始動させ、九条改憲もできるようになる。これをどう止めていくのか。いまも国民新党とは憲法審査会は慎重に、そして議員定数問題でもともに行動することで合意している。定数問題では公明党とも一致できる点がある。大きく超党派で取り組んでいかなければならない。
 次に非核三原則の問題だ。「密約」があったことが明らかになったが、それを「密約」を前提に原則を変えようという動きがある。また「武器輸出三原則」を見直そうということが一部で言われている。そうではなく、ヒロシマ、ナガサキの経験からも非核三原則の法制化を急ぐべきなのである。
 三番目に辺野古新基地建設反対についてだ。
 昨日、普天間基地騒音訴訟の高裁判決があったがそこでも普天間基地が世界一危険な基地であると認められた。普天間基地の撤去はただちに行われなくてはならないが、辺野古への移転ということではない。
 社民党はこの問題で連立を離脱したが、わたしたちが変わったのではなく、政権のほうが変わってしまったのだ。だが、民主党の議員の中にも辺野古反対の人は多い。これからもいっそう、皆さんと大きく力を合わせていくことが必要だ。

 市田書記局長は、冒頭に参院選では議席、得票数で後退し、いま時間をかけて総括しているが、次の選挙では国会の中に巨大な護憲勢力をつり上げたいと述べたあと憲法審査会、比例定数削減、普天間問題について発言した。〇七年以降のすべての国政選挙の争点などをみれば、国民は改憲などは求めていない。改憲手続法も多くの欠陥を持つものであり、両院の審査会の始動は許されるものではない。手続法そのものが廃止されなくてはならない。比例定数削減は、民意を削る反民主主義的な暴挙だ。神戸新聞、信濃毎日など各地方紙も少数意見を封殺するものだと批判している。今回の参院選でも民主、自民を合わせても五五%というかつてない低い割合であり、国民が小選挙区制見直しを求めていることのあらわれだ。定数削減反対は、共産党、社民党、公明党だけでなく、みんなの党、そして自民党の中にも石原伸晃のような人もいる。立場の違いをこえて超党派で比例定数削減に反対しよう。普天間基地の閉鎖、辺野古基地建設反対では、沖縄県民の意思ははっきりしている。より大きな協働をつくりだそう。

沖縄と連帯して闘う

 普天間基地即時閉鎖、辺野古新基地建設阻止の闘いが政治の焦点になってきている。日米関係のありかたを含めて今後の日本の未来を決する重要な課題であり、九月、名護市議選、一一月沖縄県知事選に勝利し、日米安保体制の抜本的見直しに踏み出そう。


資料緊急共同アピール

   国会議員の比例定数削減は民意を無視する民主主義の破壊です。


 菅首相は七月三〇日の記者会見で、「衆議院の比例定数八〇削減、参院定数四〇削減」を「八月中に党内の意見をとりまとめ、一二月までに与野党で合意をはかる」よう、枝野幹事長と輿石参院議員会長に期限を区切って指示したことを公表しました。
 これは議会制民主主義の根幹に関わる重大な問題で、私たちは容認できません。
 参院選挙に際して、菅首相は「財政再建」を口実にして消費税の増税を主張し、世論の反発を受けましたが、そのためにも「まず国会議員自ら身を切ることが必要だ」というもっともらしい理由で、比例区定数削減を主張しています。
試算では比例区を八〇人削減すると改憲反対を主張する社民党も共産党も国会から消えかねないといわれています。小選挙区制を中心にして二大政党をめざすといいますが、二大政党制では多様な民意の選択肢が失われ、多くの民意が無視されることは明らかで、民主党が手本としてきた英国においてすら選挙制度を含めた見直しが始まり、連立政権が成立しています。また世界各国の国会議員数を有権者数と比較しても日本は少ない方に属します。
 そして菅首相らがいうように衆院議員を八〇人減らしたところで、秘書給与などを合わせても年間五六億円、参院の四〇人を加えても八四億円減にしかなりません。
 例えば自衛隊の装備の新規契約費は二〇一〇年度で六八〇〇億円にものぼり、いま自衛隊はさらに新型超音速機や、新型対艦ミサイルなどまで導入しようとしています。米軍への「思いやり予算」も年間二〇〇〇億円に達しており、駐留軍関係費は六〇〇〇億円を超えています。また米海兵隊のグアム移転費を日本は五〇〇〇億円以上も負担しようとしています。政府がいうように辺野古に新基地がつくられれば、さらに巨額の税金が投入されることになります。その一方で消費税増税は法人税引き下げとセットになっていることも見逃せません。菅首相と民主党のマニフェストは明らかに論理のすり変えです。
 多数の民意を政治から排除し、二大政党制という非民主主義的な国会につながる国会議員の比例定数削減と小選挙区制への純化という暴挙を許さないための声を、思想や政治的立場の違いを超えて、今こそ大きく広げましょう。

 私たちは共同でこの声明に対する諸団体・個人の賛同を呼びかけます。第一次締め切りは民主党が集約するといっている八月末に合わせて、八月二五日とし、国会議員に届けます。その後もひきつづき集めたいと思います。団体・個人とも連絡先を明記して下さい。発表は団体名と、個人は在住する都道府県名のみを付した個人名とに致します。インターネットでは個人名は公表しません。

 【呼びかけ団体】 キリスト者政治連盟、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、全国労働組合連絡協議会、日本キリスト教協議会、日本山妙法寺、VAWW―NETジャパン、ふぇみん婦人民主クラブ、平和憲法二一世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会(八月四日現在)

賛同連絡先
 FAX〇三(三二二一)二五五八
 Email……kenpou@annie.ne.jp


ピースサイクル2010


ピースサイクル長野

 二〇一〇長野ピースサイクルは七月二三日から七月二五日、長野県の松本市、佐久市からそれぞれ出発し、新潟県の柏崎原発まで合計二六〇kmを走った。参加者は通算で二四名で、二〇年目のピースサイクルとしては、若干結集不足の感があったが、二〇代から七〇代までの参加者が連日の猛暑の中、ピースメッセージを携えて自転車を走らせた。
 今年は二〇周年を踏まえて、久々に長野県から新潟県への県境越えを、飯山市から十日町市へのルートに変えた。長野ピースサイクルは毎年年初に開く最初の実行委員会からほぼ毎月実行委員会を行って、ルートや立ち寄り場所の検討を行い、試走を行って最終ルートや休憩地点を決めている。
 自治体訪問は事前に行い、市町村の首長や議長のピースメッセージをお願いしたり、自転車道の整備に関する要望、平和行政の要請などを行っている。今年は自治体から広島、長崎、沖縄へそれぞれ二一通のピースメッセージをもらうことが出来た。市民からのピースメッセージは普天間問題を意識して、広島市長、長崎市長の他に宜野湾市長、名護市長あてを加えた。市民からのメッセージはそれぞれへ三〇通ずつとなった。
 七月二三日は朝から真夏の太陽、強い紫外線が降り注ぐ中、佐久市と松本市からスタートを切った。途中からの参加者を加えつつ一日目の宿泊地千曲市には、伴走車も含めて一二名が到着した。夜は軽い学びの要素を含めるために「夕やけこやけ」という、戦争で供出された梵鐘の代わりに「大きな石」がぶらさげられた鐘楼のある寺についてのビデオ観賞をし感想を語り合った。鐘楼は梵鐘が無ければ倒れてしまう構造のために、石が必要だったことでつり下げられたが、戦争に反対する意志表示として、六五年以上下げられていることを知り、近々ピースサイクルで訪ねたいという話も出ていた。美空ひばりが「一本の鉛筆」という反戦歌(?)を歌っていたはなしなどに花が咲いた。
 翌二四日も朝から晴天。夕方の雷雨を心配しながらの出発で、この日の走行距離は約一二〇km、長い上り坂に悩ませられるルートである。マツシロ(大本営跡)、須坂市(脱原発信濃ネットワークの事務所)を経て千曲川から信濃川に呼び名が代わる地点まで一日で走る。日本中から熱中症のニュースが伝えられる猛暑の中ではあったが、途中は眼下に千曲川を見下ろす緑に囲まれた快適なルート、さわやかな木陰での休憩で疲れを回復させながら、途中から追いついて合流してくる健脚の参加者を加えて、予定より早くにこの日の目的地十日町市の宿に着いた。
ここでの宿泊者は一五名となる。残念ながら、途中で一名が転倒し、後日入院手術となる骨折を負ってしまい、長野ピースサイクル二〇年目にして初めての大事故となってしまった。リハビリを含めて二、三週間の入院ということだが、自転車が走りにくい道路事情が災いして、歩道と車道の段差にぶつかっての転倒で、日本の道路が自転車にとって安全でないことを象徴するような事故になってしまった。
 宿泊地の十日町では二〇〇二年頃からの長野ピースサイクルの記録をビデオで見たりしながら、参加者のそれぞれの「思い」を語り合った。
 二五日は少しばかり雲があったが、蒸し暑い日である。ミンミンゼミの声に送られて柏崎に向けて出発。例年だと最後の日は少し人数が減るのだが、今年は日曜日ということもあって、最終日の参加者が一番多い。一二名の自転車と三名の伴走車が約七二kmを走った。午後二時過ぎには最後の難関二km位の柏崎原発までの上り坂。ある人曰く「苦しくて原発への憎しみが倍加する」急坂だ。ここを登り切って柏崎原発に参加者全員が到着した。
 今年は、中越沖地震の被害で停止していた原発を柏崎市民や周辺の在住者の不安や抗議のなかで、東京電力が相次いで発電再開を行っていることに抗議する意味で目的地を柏崎原発とした。ここでは、新潟から走ってきたピースサイクル新潟と合流して、東京電力に申し入れを行った。地震後の対策は「鉄筋が問題なければ」とか「ひび割れの補修は接着剤」など、被害を受けた原発のコンクリート補修にしては「しろうとっぽい安全性」をもって運転再開を行っていることなどを含めて、多くの専門家たちが「非安全」を指摘している事実を突きつける抗議文を手渡した。
 抗議文の手交に際して、原発側の応対者は「そちら側の人数が多すぎる」とか「横断幕や旗などは他のお客様に迷惑」などと称して、自転車置き場で受け取ろうとしたが、私たちの抗議とピースサイクル新潟の代表との話し合いで、玄関側での申し入れ行動となった。まず運転再開ありきで「安全」を一方的にアピールし、反対者がいることを市民の目から覆い隠そうとする東京電力の姿勢には参加者一同、怒りの声を上げた。
 こうして、三日間の長野ピースサイクルの夏の実走は猛暑を乗り越えて貫徹したが、実行委員会は事故の反省を含めて、初心に返ってのピースサイクル運動の再構築を誓い合っている。
 秋風の吹き始める頃には、報告集の作成を終え、二〇周年を記念する秋のホリディピースサイクルや沖縄の新基地反対、柏崎原発運転再開反対など具体的行動を計画していきたいと思っている。(投稿 長野ピースサイクル実行委員OT)

ピースサイクル埼玉

 梅雨明けが間近となった七月一五日は久ぶりの夏日となった。この日、ピースサイクル埼玉ネットの実走が行われた。朝八時三〇分にスタートし、県北は神川、寄居、熊谷、県南は北本、浦和の計五コースで行われた。各コースとも自治体訪問が主体で取り組まれ、一四の市町村を廻ることができた。しかし、ここ数年市町村の合併化が進み自治体訪問数が減少してきている。各自治体の訪問に際しては総務担当や議員を通じ、二〇〇九年埼玉ネット報告集、要請書、リーフレット「つくろう戦争のない世界を!守ろう未来の環境!」、ピースサイクル二〇一〇全国マップの四点をセットにして事前に配布をした。
 
 自治体訪問時には要請書については次の内容で読み上げられた。
 歴史的な政権交代が行われ一年が経過しようとしていますが、日本経済は依然として不透明で深刻な状況が続いており、また、私たち労働者を取り巻く情勢も非常に厳しい状況が続いています。一方、もんじゅ運転再開の是非などにみられる原発問題や「核」の問題、地球温暖化、環境汚染、さらに今なお、世界の国々で続けられている「戦争」や「内紛」などは、深刻な状況となっています。このような状況下、私たちピースサイクル埼玉ネットは二四年目を迎えた今日も、「反戦」「「平和」などを訴え自転車でキャラバン行動を行います。つきましては、ピースサイクル運動の趣旨をご理解いただき、ご支援・ご協力をお願いすると共に、以下の諸点についてご協力下さいますように要請いたします。@貴自治体が行った「平和を願う宣言」(非核平和宣言など)の趣旨を生かすため、必要な予算を計上し、非核・平和のための行政に積極的に取り組まれたい。また、すでに予算が計上されている自治体は引き続き予算を計上し、非核・平和のための行政を強化されたい。A全世界の核兵器廃絶に向けた取り組みを強化するよう、政府への働きかけを行われたい。B広島・長崎に原爆が投下された日には、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う思いを込め、また、「戦争を風化させない」ために、サイレンを鳴らすなどの行動を行い、広報などで、その趣旨を広く住民に周知されたい。また、「何らかの行動」を行っている自治体は、引き続き継続されたい。C自然環境保護政策を推進されたい。D自転車道及び歩道の整備を推進し、自動車中心社会の緩和政策を推進されたい。(以上要請文から)

 ある自治体では八月の平和行政の一環として、広島、長崎へ市民派遣、市民と協力して原爆朗読劇「一九四五ヒロシマ・ナガサキ」やアニメ映画会、戦争体験講演会、資料展示として丸木美術館「原爆の図」の展示、中学生を対象とした「平和ポスター・平和標語展」などが取り組まれている。実走の途中、休憩していると自転車につけていた憲法九条の旗を見て地元の年配の人が声をかけてきた。その人は八月下旬に行政で行う平和資料館などの見学ツアーに参加するという話をしていた。別れ際に全国マップを手渡した。こちらも出発しようと準備していたら、先ほどの人が戻ってきて自分の家の玄関に張りたい、ほかの人にも渡したいからもうなん部かほしいというので五,六部差し上げるととてもよろこんでもらえた。

 また、三多摩ピースより航空自衛隊入間基地、陸上自衛隊立川駐屯地、横田米軍基地の申入れに埼玉ピースの連名で提出したいという申し出があったので埼玉ピースはこれを了解した。

 この日の終盤には五コースとも東松山市役所に集合し、要請行動を行った。その後、丸木美術館に全員到着、すぐ集合写真を撮り、短時間でしたが交流会を開いた。一〇月頃に反省会を開催することの提案があり、参加者の賛同を得て長いが充実した一日の行動を終えた。  (A)

ピースサイクル東京・練馬

 今年も、東京・練馬ピースサイクルは、平和への願いをペダルにこめて、七月一八日に走行した。今年のコースは、猛暑を予想して数年前にも走ったことのあるコースとし、前半は練馬区役所から練馬区総合グランドに出て、石神井川沿いの遊歩道を中心に北区王子駅の音無視水公園まで石神井川のせせらぎを聞きながら走った。後半は、王子駅から市街地の路を走り、北区豊島五丁目団地を経由して荒川河川敷の荒川サイクリングロードヘ出て、ちょっと暑かったが快適なサイクリングができるコースだった。自動車との事故も心配なくサイクリングを楽しみながら、最終目的地は江東区夢の島「第五福竜丸展示館」をめざした。前半の石神井川コースは木陰がほとんどで涼しく走れたが、後半の荒川サイクリングロードでは、日陰は、橋の下しかなく暑さに少し苦労した。しかし、水が近くにあるせいか都心のコンクリートジャングルのアスファルト道路を走るよりは、風もあり気持ちよく走れたと思う。今年は、サイクリングを楽しめるコースであったと思う。
 しかし、ピースサイクルは、ただ自転車で走るのではなく、コース途中の戦争史跡や平和問題等にまつわる物を見たり、聞いたりしながら学習するサイクリングであり、今回のコースでは、石神井川コース途中の板橋区加賀町での戦争に関わるフィールドワーク、「第五福竜丸展示館」見学と第五福竜丸の乗組員であった大石又七さんの体験を聞く会を企画した。
 板橋区加賀町は、江戸時代には、今の石川県にあたる加賀藩の江戸下屋敷だった。明治時代以降、陸軍の酉洋式製造法による日本最初の火薬製造所が建設された。ここに「陸軍砲兵本廠板橋属廠」が誕生し、その後様々な変遷をして、後に「東京第二陸軍造兵廠板橋製造所」と改称して、敗戦まで火薬に関する製造工場や研究施設があった地である。現存するものとしては、石神井川にかかる線橋の近くに火薬製造所の煉瓦造りの建物の一部がモニュメントとして残っており、それを見学した。また、火薬の研究施設の一部として、現在、旭化成関連研究所である野口研究所内に鉄砲等の砲弾の飛距離などを調べる施設が残っているので研究所の了解を得て、見学した。これらに関する説明資料としては、野口研究所に隣接する「加賀公園」内に説明パネルがあるので一度訪れてみて欲しい。
 次の「第五福竜丸展示館」では、展示館の見学と乗組員であった大石さんの体験を聞いた。展示館は何度も訪れているが、戦後の核兵器開発及び実験のためにビキニ環礁地域の人々が大きな犠牲になっていることを知らされる。広島、長崎に原爆が投下されたことは多くの人に知られているが、ビキニ環礁で核実験が繰り返されていたことはあまり知られていない。大石さんのお話は、第五福竜丸での生々しい体験とあわせて、今年五月アメリカ・ニューヨークの国連本部で開催された「NPT再検討会議」にあわせて核兵器廃絶を願い集まった人々の集会に参加し、ビキニ事件のことを伝えてきたとの報告があった。しかし、ビキニ事件をアメリカのほとんどの人が知らなかったそうである。大石さんは、一人でも多くの人に知ってもらわなければと自分の体験を交えて核兵器の廃絶を訴えてきたという。
 お話しを問いた後は、東部ピーサイクルの仲間の協力で展示館脇の野原でささやかではあるが、参加者の交流会をした。「今年も暑い中、走って良かった」、「八月広島の原水禁大会に行くので、良い事前学習になった」など感想を語り合ってピースサイクルを終えることができた。
 また、二〇日には大田ピースサイクルの仲間が東京での走行の想いを神奈川ピースサイクルの仲間ヘバトンタッチした。 (Z)

ピースサイクル浜松

 七月二五日一四時、浜松市役所正面玄関に集合したピースサイクル浜松の七名は、当日の要請先である航空自衛隊浜松基地に向けて猛暑の中を走った。浜松市役所への要請は日曜日ということもあり来年に回すこととした。
 航空自衛隊浜松基地の要請行動では、自衛隊内のいじめやパワハラによる自殺の増加など人権問題を中心に要請を行った。現在、静岡地方裁判所浜松支部で「航空自衛隊浜松基地自衛官人権裁判」を闘っている。上官のいじめ・暴力によって自らの命を絶たされてしまった自衛官の裁判だ。
 翌二六日は、浜松から愛知県豊川市に向けて、八時に浜松市和地山公園駐車場に集合した。
 当日は、静岡地方裁判所浜松支部で「航空自衛隊浜松基地自衛官人権裁判」の口頭弁論があり裁判に集中したためピースサイクルの参加者は三名となったが、猛暑の中でも、自転車で浜名湖を渡る景色はいつ来ても最高のものだと思う。
 そして愛知県の豊橋公園でピースサイクル愛知の五名と合流。陸上自衛隊豊川駐屯地へ要請行動をおこない、ピースサイクル愛知へバトンタッチ。今年のピースサイクル浜松は終了した。 (K)

ピースサイクル四国

 奥田勝さんの遺した道を再び

 四国ピースサイクルを名実ともに牽引してきた奥田勝さんが、本年三月一日、伊方原発でプルサーマルが起動したその日に亡くなった。昨年八月の原爆ドーム前での到着集会で、闘病のため四国ピースを断念せざるを得ないと表明してから、わずか七ヶ月の後であった。自ら病魔に冒されていることもあって、持ち前の責任感からこれ以上の迷惑はかけられないとの断腸の思いであったろう。長年来反対してきた伊方原発で、しかもプルサーマルという人智をこえた危険極まりない原子力発電が開始されることに、人一倍危機感を抱いていた彼の遺志を継ぎ、「弔い合戦」としての今年の四国ピースサイクル継続が急遽決まった。
 こうして二三回目となる四国ピースサイクルは、七月三〇日から八月四日まで参加人数二一名、走行距離三三〇キロ、ほぼ四国半周ルートで取り組まれた。以下、概略を報告する。

 七月三〇日、フェリーで前泊のため道後温泉の宿に向かう。ピースサイクル広島・呉のメンバーだ。自転車「奥田号」もしっかりと整備され、ともに参加だ。宿で結団式。

 七月三一日、早朝から車に自転車を積み込み、一路高知をめざす。九時過ぎに高知水道局にて水道労組の青年部と合流。ここからルート五六で窪川町をめざす。ところが、いきなり奥田号にマシントラブル。チェンジが切り替わらない。これでは四国の山坂は越えられない。まるで奥田さんが「四国ルートを甘く見るんじゃない」と警告を発しているかのように。やむなく、修理のため隊から離脱。昼休憩の間に運良く修理完了。うわさの「七子峠」も難なく制覇。途中、町議の島岡幹夫さん宅に立ち寄り激励を受ける。四電の「窪川原発構想」を断念させた旧窪川町には、土・日のため残念ながら訪問はかなわなかったが。宿は三七番札所の「岩本寺」宿坊。さすがに静寂の中にも凛とした趣がある。ここで、高知水道労組青年部との交流会。脱線するが、高知は栗の産地らしく、「ダバダ」という栗焼酎がことのほか美味く、またまたハメをはずしてしまい「ビールサイクル」とのお叱りをいただいてしまった。

 八月一日、四万十川支流に沿ってルート三八一・三二〇を経て窪川から宇和島市へ。一番長い距離ながら、比較的平坦で気持ちの良いコースだ。昼休憩の道の駅で、バイクで日本一周をしているという青年と会話。そう言えば、お遍路さんだけではなく、自転車やバイクの人達とよくすれ違う。出発時には、耳が聞こえないので大きなバックミラーをつけた自転車で、日本一周しているという人にも出会った。こういう出会いは、どちらにも励みになる。彼とは原爆ドーム前での再会を約した。宇和島では、お世話になっている浄満寺に立ち寄り焼香。九年前、米原潜によって沈没させられ多くの犠牲者が出た宇和島水産高校の慰霊碑に献花。ここでメンバーの一部が入れ替わる。プール付きの宿ではしばしのフリータイムを楽しむ。

 八月二日、宇和島から伊方原発を折り返し八幡浜へ。山坂も厳しいうえにトンネル続きの難所だ。伴走車は新たに加わるメンバーとともに、八幡浜市・伊方町への申入れのため先発。どこの原発もそうだが、周辺は人を寄せ付けない急坂の作りになっており、それほど放射能や秘密が漏れることを恐れているのかと痛感させられる。伊方原発「ビジターズハウス」という原発の宣伝施設に到着。電気が余っているのか、外気温とは大きな差があり寒い。館内は原発模型と「安全神話」で塗り固められ、これでもかという力の入れようだ。展望台に上がると、瀬戸内海と宇和海が一望でき、すぐ近くに山口県の上関町・祝島が見える。中国電力が金と権力で建設しようと躍起になっている上関原発を結ぶ線と、島根鹿島原発を結ぶ三角形の中にヒロシマはある。一たび事故が起こると確実に致命的被害が及ぶ。その意味ではヒロシマも「現地」だ。ひっきりなしに「無料接待バス」が出入りする館を後に原発ゲート前に向かう。ここで抗議の申入れ。屈強なガードマンに守られながら、総務グループリーダーなる者が対応する。申入れ後の質問に、まともな回答ができない「責任者」と原発に向けて抗議のシュプレヒコールをたたきつけ、下ってきた急坂を自転車でこぎ上がる。人間の力をナメるなよ、とペダルに全体重を乗せて。
 宿舎のある八幡浜に取って返し、ホテルのビアガーデンで反原発を闘っている地元市民運動との交流会。
 奥田基金によって作製された幟旗と、上関原発反対の祝島の旗を前に、ピースメンバーと地元市民運動からそれぞれの思いが述べられる。金で屈服させられた自治体の現状や、命と引き換えにはできないとの運動の底力が、その対比の中で語られる。そして、亡き奥田さんへの感謝と、その遺志を継いで走り続ける意味が交錯する。四国ピースにとっての正念場だ。

 八月三日、八幡浜から松山・道後温泉への海沿いのコース。長いトンネルを抜けると、そこは瀬戸内海だ。かすかだが伊方原発が見える磯崎で、なんとナブラが湧き上がっている。青魚に追われたイワシの群れが逃げ回り、波立って見える現象だ。昨日の交流会に参加した漁師に連絡したいが、どうしようもないだろう。年々漁獲量が減少しているとは言え、豊かな海だ。
 昼休憩の海の家では、なんとバスケットボール大のスイカが一個千円という破格値だ。豊かな畑だ。これらを台無しにしようとする原発に、あらためて怒りがこみ上げる。
 全国中学校体育大会開催ということで宿舎確保に苦労したが、ホテルで「坊ちゃん湯」に浸かる。そういえばまともに風呂にも入れなかった日々。ここで思いっきり垢を落とす。ところが、交流会の会場は五百メートルも坂を上ったところ。また大汗。夕刻からの交流会は、地元「原発さよなら四国ネットワーク」の手作り料理でのもてなし。感謝感激。プロジェクターでピースサイクル二五年の歩みが映し出される。また、今年の四国ピースのホットな模様が上映される前で、秀でたアマミュージシャン達によって様々な歌が伴奏つきで唱われ、「君が残してくれたもの」という奥田さんを偲んで作られた歌も披露される。感涙。それにしても、二五年も続けてきたピースサイクルが、いかに認知されていないものか。ピースサイクルとは自転車で走るものだとは今まで知らなかった、という「衝撃」の発言も出る。アピール不足をわびる。そして、今年一〇月一七日の伊方原発抗議集会での再会を約して、ほぼ終了した四国ピースの成功を確認し交流会も終了。

 翌八月四日、道後から松山港までの一〇キロを走り、一〇四国ピースは全行程を無事終了した。
 事故、怪我人なし。無事これ名馬と古人は言う。帰途のフェリーでは、三々五々での総括会議。またまた、ビールで話の花が咲く。最初から最後までのビールサイクル、それが四国ルートだ。完走した奥田号にもビールをかけて、奮闘をたたえ、慰労する。到着した呉にて解団式。

 思い起こせば二三年前の、ヒロシマ〜ナガサキルートを走った年から四国ルートも並走した。その最大の焦点は伊方原発であった。その最大の功労者は奥田さんであった。そして今年、上関原発阻止・岩国基地への空母艦載機部隊移駐反対と結び付けて、彼の遺志を継いで四国ルートが継続した。来年以降をどうするのか、秋の行動に絞るのか、それとももう一踏ん張りして再開するのか、真剣な検討が必要とされている。高齢化問題と並行する深刻な課題だ。「君が残してくれたもの」に私たちは必ず答えを出す。どうぞ安らかに見守ってください。 (一参加者)


寄 稿

  
百年 ― 反戦平和主義者幸徳秋水 ―

 韓国併合百年また大逆事件百年になる。百歳以上の方が一万人。このとき幼少であったとはいえ時代の波を生きてきたお年寄がいる。私の亡母も生きていれば百歳。遠い時代ではない。大逆事件の社会史を述べる知はないが翻って思うことあり。
 ちょうどロシア革命前夜であり、このころから世界は二つの思想によって展開してきた。ひとつは資本主義経済社会を形成している自由主義思想であり、一つは前者の批判者・社会主義思想であった。自由主義社会のもたらした悪弊への怒りから社会主義理想運動が興った。ロシア革命の成功とソ連を中核とする共産主義国の存在そして次々の誕生は、わたしたち資本主義社会の悪弊に苦悶する下層階級の人々にとって大きな力、理想と希望の原動力であった。
 この強力な原動力を、資本主義勃興期のわが国に早々と紹介し、社会運動を展開した先駆者の一人が幸徳秋水であった。幸徳秋水というと大逆事件の首謀者として刑死したアナーキストというレッテルが張り付いている。このレッテルはマスコミ・権力の謀略であって、コミュニスト秋水の力強い影響力を抹殺するがためのネーミングであった。この誤解は、民衆に社会主義者への恐怖心をもたらすという効果をもって、いまだ幸徳秋水への誤れるレッテルは剥がされていない感がある。
 百年前。ロシア革命前夜の当時、マルクス主義者にとって暴力革命は常識であり、また他方、民主主義的な議会による革命の論もあった。秋水は諸々論を学んでいたようで、秋水の心根は非人間性をも含む暴力は好まずであった。
 大逆事件(冤罪)で無念にも刑死せる幸徳秋水を偲びつつ『社会主義神髄』を開いていて思ったことである。維新から数十年、新しい国家形成と共に出現した社会の悪弊を憂え人道を正さんと果敢な闘争精神の魂『社会主義神髄』だ。今現在の社会を批判しているかの内容ではないか。なんと百年一日の如し。一節を紹介します。

「然り今の文明や、一面に於て燦爛(さんらん)たる美華と光輝とを発すると同時に、一面に於て暗黒なる窮乏と罪悪とを有す。燦爛の天に?翔(こうしょう@)する者は千万人中僅に一人のみ、暗黒の域に滾転(こんてんA)する者は世界人類の大多数也。是れ豈(あ)に吾人人類の自ら誇るに足る者ならん哉。」 

 「夫れ土地や資本や、一切の生産機関は、人類全体を生活せしむる所以(ゆゑん)の要件也、之を壟断(ろうだんB)し占有するは、即ち人類全休の生活を左右し、死命を制する所以也、彼地主資本家なる者果して何の徳あり、何の権利あり、何の必要あつて、之を壟断し、専有し、増大して、以て多数人類の平和と進歩と幸福とを蹂躙(じゅうりん)するや。」 

 「……今の自由競争を以て必要となすの愚は実に之に類せずや。

且つや真個の競争を試む、必ずや先づ競争者をして平等の地位に立たしめざる可らず、其出発点を同じくせしめざる可らず。而も今の競争や如何、一は生れながらにして富貴也、衣食足り、教育足り、加ふるに父祖の譲与せる地位と信用と資産とを以てす、他は貧賎の子也、凍餒C(とうだい)窮苦の中に長じ、教育なく資産なく、地位なく信用なし、有る所は唯だ赤条々の五尺躯のみ。而して此両者を直ちに競争場裡に投じて長短を較せしむ。而して其勝敗の決を見て喝采して曰く、是(これ)優勝劣敗也と、是れ豈(あ)に残酷なる虐待に非ずや、何ぞ競争たるに在らんや。」 

 「社会主義は、現時国家の権力を承認せざるのみならず、更に極力軍備と戦争とを排斥す。夫れ軍備と戦争とは、今の所謂「国家」が資本家制度を支持する所以の堅城鉄壁とする所にして、多数人類は之が為めに多大の犠牲を誅求(ちゅうきゅうD)せらる。今や世界の諸強国は軍備の為めに、実に二百七十億弗(ドル)の国債を起し、而して単に之が利息のみにして、常に三百万人以上の労働を要すといふに非ずや。加之(のみならず)幾十万の壮丁は常に兵役に服し、殺人の技を習ふて無用の労苦を嘗(な)めざる可らず。独逸(ドイツ)の如き、壮丁の多数は皆な兵士として徴集せられ、田野に耕耘(こううん)する者は、半白の老人若くば婦女のみなりといふ。嗚呼(あヽ)是れ何等の悲惨ぞや。況(いは)んや一朝戦争の破裂に会うや、幾億の財帑(ざいどE)を糜(ついやF)し、幾千の人命を損して、国家社会の瘡痍(そうい)永く癒ることを得ず、?(あまG)す所は唯だ少数軍人の功名と、投機師の利益のみ。人類の災厄罪過豈に之に過ぐる者あらんや。」 

 紹介文中の難語の語意

@?翔…鳥のとびまわる、遊びまわる、得意にふるまう。

A(滾転)滾…水の流れるさま、もののころがり行くさま。

B壟断…うまく利益を独占すること、ひとりじめ。 

C凍餒…こごえうえる。衣食の乏しいこと。

D誅求…租税や貨財などをきびしくとりたてること。

 E(財帑)帑…かねぐら。金銀をいれておく所。

F糜…ついやす、むだにする、ただれる。

G?…あまり、生産の余計のあるをいう、利益をうる。 


一九一〇年六月一日に幸徳秋水検挙され、翌年一月に死刑執行

     (安藤裕三)


普天間米軍基地爆音訴訟の控訴審判決

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の周辺住民が、米軍機の騒音による健康・生活被害を訴え、国に夜間・早朝の飛行差し止めと損害賠償を求めた普天間爆音訴訟で、福岡高裁那覇支部(河邉義典裁判長)が判決を出した。判決は「飛行差止」については退ける不当なものであったが、もう一方で、普天間基地を「世界一危険な基地」であるとして、これまでの慰謝料額の倍額の賠償を認定した。

 八月二日、沖縄からの上京団を中心に、国会前での座り込み、要請行動、集会などが行われ、午後七時からは全水道会館で、普天開爆音訴訟団、全国基地爆音訴訟原告団連絡会議、沖縄・一坪反戦地主会関束ブロックの共催による普天間爆音訴訟支援・報告集会が開かれた。
 集会では、伊波洋一・宜野湾市長が特別報告を行い、普天間基地閉鎖を訴えた。社民党、共産党の国会議員もあいさつ。全国基地爆音訴訟原告団連絡会議からのアピールが行われた。
 弁護団事務局長の加藤裕弁護士が「普天間基地爆音訴訟控訴審判決の特徴」と題して報告。飛行差し止めについては、国は共同妨害者として米軍に対して影響力を行使して規制すべきとの原告の主張に対し、「第三者行為論」に加え、国の「政治的責任を伴った広範な裁量」との判断をしたが不当なものだ。しかし、普天間基地の「欠陥」に正面から向き合った認定をした。そこでは、「米軍機の墜落への不安感や恐怖感(ひいては生命又は身体に対する危険への不安感)」「米軍機の墜落への恐怖は現実的」を認め、低周波音暴露により、「心身に対する騒音被害が一層深刻化」するということを認めた。騒音防止協定にも関わらず「午後一一時までの飛行が常態化」「被告は、米軍に運用上の必要性について調査・検証するよう求めるなど…適切な措置をとってはいない」などとも言っている。そして、クリアゾーン内に「学校、病院その他、本来建築されるべきでない施設が存在する」「そのため、普天間飛行場は『世界一危険な飛行場』と称されている」として、慰謝料額は現在の爆音訴訟の水準を突破したのである。これらのことは今後の基地問題の運動にとって積極的な意義を持つ。

普天間米軍基地爆音訴訟控訴審判決に対する総会決議

 福岡高等裁判所那覇支部は、七月二九日、普天間米軍基地爆音訴訟において、国に対して原告三九六名全員への損害賠償を命ずる一方で、米軍機の飛行差止請求を棄却する判決を下した。
 本判決は、「航空機騒音に低周波音が含まれることにより、精神的苦痛が増大」「(国は米軍に対して)平成八年規制措置(日米合同委員会の騒音規制協定)を遵守させ、これを実効あるものにするための適切な措置をとっていない。そのため、平成八年規制措置は、事実上、形骸化している」等と、一審の那覇地方裁判所沖縄支部での判決よりも、普天間基地爆音の違法性を踏み込んで認定し、米軍と政府を断罪した点に重要な意義がある。
 しかしながら、原告がもっとも求めてきた飛行差止については、従来の「第三者行為論」を適用して退けたことは極めて不当である。
 そもそも普天間基地は、沖縄戦のさなか米軍が、先祖伝来の土地に暮らしてきた住民を収容所に追い立て、集落まるごとを不法に強奪して建設された米軍基地である。そして本判決も指摘しているように「基地と住宅など民間の施設とが極めて近接して存在しており、そのため、普天間飛行場は『世界一危険な飛行場』」であり、二〇〇四年八月には普天間基地と隣接する沖縄国際大学に米軍大型ヘリCH―53Dが墜落する事件まで発生した。不法な建設経緯、違法な運用実態、これらの事実をふまえれば、裁判所は人権救済の砦として、「第三者行為論」援用を退け、米軍機の飛行差止に向けた踏み込んだ判断をすべきであった。原告は、現在もそしてこれからも、基地の爆音と墜落の恐怖にさらされる人権侵害を受け続けるのである。
 一九九六年のSACO合意によって日米所政府が普天間基地返還を合意してから、すでに一四年を経過しようとしているが、普天間基地の閉鎖・返還はいまだに実現のめどがたっていない。これは、大多数の沖縄県民が基地のたらい回しによる被害のおしつけに反対しているにも関わらず県内移設に固執してきた歴代政権にすべての責任があるものである。
 そして今、普天間基地の「県外・国外移設」を主張していた鳩山前首相が最終的に沖縄の民意を裏切り、辺野古移設を表明して辞任した。これを受けた後任の菅首相は、辺野古移設を明記した「5・28日米共同声明を踏襲する」として、県内移設を強行しようとしている。これは、許し難い暴挙といわねばならない。普天間問題によって崩壊した鳩山前首相から、政権を引き継いだ菅首相の最重要課題は普天間基地の閉鎖・返還であることを正面から認識すべきである。
 普天間基地による被害が極めて甚大であることは、本判決でも認定されているとおりであり、政府は、この判断を真摯に受け止め、県内移設を断念し、普天間基地の即時閉鎖・返還を実現しなければならない。
 私たちは、本判決を受け、改めて日米両政府に対して、何よりも、普天間周辺住民に対する甚大な人権侵害を根絶するために、普天間基地を即時閉鎖・返還することを断固として求める。そして同時に、新たに基地爆音訴訟を提訴した岩国、小松をはじめとする全国各地の基地爆音訴訟において住民が訴え続けてきている飛行差止について、政府の米軍基地提供の責任において早期に解決する道筋をつけるよう強く求めるものである。

二〇一〇年七月三〇日

    全国基地爆音訴訟原告団連絡会議第二回総会(沖縄・宜野湾市ジュビランス)


せ ん り ゅ う

 広島長崎、ベトナム枯葉剤

 米軍の歴史巨万の死屍累累

 共通の利益の餌です沖縄

 軍事基地民衆抑圧ひめゆりの

 わがシーサー基地怨んで六〇年

 ピカドンの絵本わたしも孫もみる

         ヽ 史(ちょんし)

 ○ 米軍による戦争犯罪ジェノサイドはいまだに子孫をまで苦しませている。アメリカは謝罪せよ。沖縄に基地はいらない。オバマよ、菅首相よ、この声を知れ。
 ○ 絵本『ピカドン』は「原爆の図」の丸木夫妻が一九五〇年に出版したが米軍により発禁処分。講和条約締結後に復刊されいまも書店に並ぶ。


複眼単眼

  
国会議員の比例定数削減は民主主義の破壊

 菅直人首相は「衆議院の比例定数八〇削減、参院定数四〇削減」を「八月中に党内の意見をとりまとめ、十二月までに与野党で合意をはかる」よう、民主党幹部に指示した。
 先の参院選挙に際して菅首相は「財政再建」を理由に消費税の増税を主張し、世論の反発を受け、敗北した。その結果、そのためにも「まず国会議員自ら身を切ることが必要だ」という理由で、比例区定数削減を主張しはじめている。
 参議院議長になったばかりの西岡議長が「行政府の長が国会の構成に口を出すのは越権行為だ」と文句をいったが、当たり前だ。
 しかし、この論理は案外、多くの人びとの心を捕まえるようだ。最近でも、ある民主的な団体の執行委員会で、比例定数削減反対の主張が否決されたと聞く。
 曰く、「不勉強な、ろくでもない国会議員が多すぎる」「二世、三世議員などが多すぎる」等々。そういう気持ちはわかるが、騙されてはならない。定数を減らしたとして、こういうろくでもない議員が消えるという保障は全くないのだ。
 それどころか、比例定数を八〇削減すると改憲反対を主張する社民党も共産党も国会から消えかねない。民主党は小選挙区制で二大政党をめざすというが、それでは多様な民意の選択肢が失われ、多くの民意が無視されることは明らかだ。保守系の小さい新党が定数削減に賛成しているのは、いずれ二大政党のどちらかにくっつけばいいと考えているからだ。
衆院議員を八〇人減らしても、秘書給与なども合わせても年間五六億円、参院の四〇人を加えても八四億円減にしかならない。
 例えば米軍への「思いやり予算」は年間二〇〇〇億円だ。対等な日米関係をいうならこの一部でも減らしたらどうか。
 削減できるものはまだまだある。年間総額三〇〇億円にもなる政党助成金なども全部でなくてもせめて半分にしたらどうか。自衛隊の戦闘機なども一機で一〇〇億円などするものはざらにある。
 問題は何が必要で、何が必要でないかの判断だ。
 国会議員が身を切ってから(といっても国会議員の給与を減らすわけではない)、消費税だという菅首相の指示は明らかに論理のすり変えだ。
 民主党が手本としてきた英国においてすら、二大政党制の見直しがはじまり、連立政権が成立している。また世界各国の国会議員数を有権者数と比較しても日本は少ない方に属する。
 これは民主主義の根幹に関わる重大な問題だ。この問題で広範な統一戦線が形成できるかどうか、公明党にも、自民党や民主党にも反対の意見を持っている者が結構いる。
 その実現の方途を真剣に探らなくてはならない。   (T)