人民新報 ・ 第1269号<統合362号(2010年9月15日)
  
                  目次

● 名護市議選で基地反対派が圧勝  明白な辺野古新基地阻止の意思

● 韓国強制併合一〇〇年日韓市民共同宣言日本大会  植民地主義の清算と平和な未来を

● 平和遺族会全国連絡会「アジアの平和と和解・共生をめざそう! 8・15集会」  

       和田春樹さんが講演  「『韓国併合』一〇〇年―東北アジアの平和と和解・共生を求めて」

● 市民文化フォーラム主催の8・15集会

        「平和の条件を根底から考えなおす」

● 8・15反「靖国」行動・集会

        安川寿之輔さんが福沢諭吉の思想を民主主義とする虚構・誤解を正す

● 8・28 「君が代」処分撤回! 石原は即刻辞任しろ!都教委包囲行動

● 「日米共同声明」撤回! 辺野古への基地建設を許さない実行委員会が集会

● 映 評  /  「グッドモーニング・プレジデント」

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  「政権交代」を機に、安保・防衛政策の基本的転換をねらう安保防衛懇報告書





名護市議選で基地反対派が圧勝

   
明白な辺野古新基地阻止の意思

 普天間基地の即時撤去と辺野古新基地建設阻止は日本政治の焦点となっている。鳩山前首相は、「最低でも県外」の公約を守れず、自民党時代と同じ辺野古への新基地建設地の回帰をアメリカに約束して辞任に追い込まれた。菅内閣は、沖縄の反対の声を圧殺すべくさまざまな策動を強めてきた。とりわけ辺野古新基地建設予定地の名護市の動向が今後の政治の成り行きにおおきく影響する。
 基地建設の是非を問う九七年一二月の名護市民投票では「反対」が多数を占めた。それ以降の容認派の戦術は基地問題を正面から問わずに選挙をやるという姑息なものであった。基地問題が焦点になった九八年の市長選では岸本建男が「知事に従う」などとして自身の判断を示さずに基地問題隠しで当選したが、すぐに容認を宣言するという裏切り行為をやった。そのうえで、島袋吉和に後継を託した。島袋前市長は政府の沿岸案に反対することを公約にかかげて市長になったにもかかわらず、実際には「V字形」をめぐって政府と交渉を続けてきたのである。しかし、今年一月に、基地移設反対を掲げる稲嶺進市長が実現し、民意は新基地建設反対であることをしめした。だが、市議会(定員二七)は賛成派の方が多数であった。この状況を是正し、議会でも反対派が優位に立つことをしめすことによって、最終的に名護市民の基地反対の意思を日米両政府に示すことが求められていた。
 九月一二日には、沖縄統一地方選挙の日であった。五市六町一四村の議会議員選挙と大宜味・伊是名両村長選挙の投票が一斉に行われた。なかでも名護市議選は全国の注視の的となり、直接に選挙応援に駆けつけるなど各地からの支援が展開された。
 今回の選挙では、稲嶺進市長を支持する与党は一二から四増の一六人が当選し(辺野古基地移設に反対する議員は一八人となるといわれる)、移設を条件付きで容認してきた島袋前市長らが支援した反市長派は、改選前から一議席減の一一議席にとどまった。基地反対派の圧勝であり、沖縄の基地撤去闘争、日米安保見直し闘いをいちだんと促進することになった。
 選挙結果を受けて、仲井真弘多沖縄知事は、辺野古移設について「非常に難しいと前から言っており、その方向に行ったということだろう」と述べた。仲井真知事は、普天間移設容認派の島袋前市長らの市議選候補者らを激励する集会に顔を出し、応援のあいさつするなど、容認派の支持を続けてきたがそれは実らず、自らの知事再選にも不安を感じての発言でもある。
 アメリカの強い要求にしたがって是が非でも辺野古に基地を作ろうとしている菅内閣にとっては大きな打撃となった。「移設作業が停滞するとの見通しも出ており、移設作業に当たる責任者らは口々に『想定外だ。辺野古はより状況が厳しくなった』と驚きの言葉を重ねた」と報じられているが、辺野古で基地容認の結果が出るなどという「想定」をすること自体がまったく理由が無かったのであり、かくして五月の日米共同声明以降の沖縄側の反対運動の「冷却」化と「あきらめ」への期待、そして日本政府や沖縄県が基地反対派に対して陰に陽に繰り広げた買収・恫喝・分裂策動が成功するとの期待は粉砕されたのであった。
 そもそも在日米軍再編そのものが迷走し始めている。二〇一四年までに沖縄のアメリカ海兵隊のうち八〇〇〇人がグアムに移転することで日米政府は合意していることになっている。その移転経費約一〇二億ドルの六割にあたる六一億ドル(五一〇〇億円)を日本側が負担することになっている。だが、海兵隊のグアム移転が延期される可能性でてきている。それはグアムの上下水道などのインフラ未整備で、海兵隊の家族も含めて一万七〇〇〇人の人口増に対応できないという「理由」のためである。そのため、日本政府が追加負担しなければならいということで検討が始められたのである。日本に居られるだけ居続け、カネは日本が出せるだけ搾り取り、そして基地再編を口実にして最新鋭基地までも確保しようとしているのが、アメリカ政府であり、その要求にしたがっているのが日本政府であり、とりわけ岡田、前原らの対米従属の延長によって自らの支配を続けようとしている連中であり、官僚、マスコミなのである。
 名護市議選での大きな勝利をうけて、各地で、反基地、反安保の運動を広げ、一一月沖縄県知事選で、基地反対派の統一候補となる伊波洋一さん(宜野湾市長)の勝利を実現するために、連携を強めて闘い抜こう。


韓国強制併合一〇〇年日韓市民共同宣言日本大会

           
植民地主義の清算と平和な未来を

 八月二二日、豊島公会堂で「韓国強制併合一〇〇年日韓市民共同宣言日本大会〜植民地主義の清算と平和な未来を」(主催・「韓国強制併合一〇〇年共同行動」日本実行委員会)が開かれ千人を越える人が参加した。
日本実行委員会の共同代表である伊藤成彦さんが開会の挨拶。私たち日韓の市民運動は、二〇一〇年一月以来、日韓それぞれが実行委員会を結成し、一〇〇年来の植民地支配の完全な清算を目指して、共同作業を重ねてきました。そしてその結果、今日、この大会で発表する「日韓共同宣言」を完成することが出来ました。この「日韓共同宣言」は、植民地支配下で強制され、支配からの解放後も清算されなかった諸問題に対する日韓市民の様々な運動の活動と研究成果に立ち、衆知を集めて完成したものです。従って「日韓共同宣言」は、これまで営々と活動されてきた皆さんの努力の集約であり、私たちの今後の活動の出発点であり、指針でもあります。皆さんはこの「日韓共同宣言」を、そのようなものとして受け取り、植民地支配の未清算の問題の完全な清算を目指して、皆さんの力でさらに内容を豊富にし、発展させていただきたいと思います。
韓国実行委員会常任代表のイ・イファ(李離和)さんのあいさつ。植民地主義を清算することは、東アジアの平和共同体をつくる近道の役割を果たすでしょう。 一九世紀末、日本の軍国主義者たちは、結局、アジアを死と恐怖に追いやる帝国主義へと進んでいきました。アジアの「良い友人」になることは、アジアの人々の心を掴むことであり、これを実現するための最もよい方法の一つが植民地支配が残した痛々しい遺産を清算する道です。市民宣言と行動計画を具体化させ、地域間の市民運動の連帯を強化する道は何であるかを実践的に模索する時期です。
 基調講演は、青山大学院教員のソン・ヨンオク(宋連玉)さんが「韓国強制併合一〇〇年目の植民地主義の克服」をテーマに、立命館大学教員の庵逧由香さんが「『韓国強制併合』一〇〇年―東アジアの平和の未来と希望を開くために」と題して行った。
被害当事者からの証言では、元日本軍「慰安婦」被害者、元強制動員被害者、サハリン残留者がそれぞれの体験を話し、関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相を解明し名誉回復を求める市民の会、日朝国交正常化連絡会、東京大空襲朝鮮人犠牲者についての報告、そして、東京朝鮮中高級学校生徒からの発言と続いた。
 そして「植民地主義の清算と平和実現のための日韓市民共同宣言」が確認された。その「行動計画」では、@「日韓市民共同宣言」に対する支持と共感を多くの市民の中で広げ、「宣言」に対する賛同者を獲得していくA日韓の間で姉妹・友好都市関係を結んでいる自治体を中心に、日韓・日朝の友好と平和な未来を切りひらいていくために過去の清算にとりくむことを政府に促す議会意見書採択運動を進めていくB国会議員の中に「日韓市民共同宣言」に対する理解と支持を広げ、被害者への謝罪と賠償を実行するための法律を制定するよう求めていくC植民地支配の事実、加害・被害の実相を記録として残すために「植民地支配真相究明法」の実現を図る一方、民間次元でも共同の調査報告書を作るために努力するD政府の中に、過去清算のための諸課題(関東大震災時朝鮮人虐殺、サハリン残留者、文化財返還、歴史教科書編纂、等)に取り組むための組織の設置を求めていくE植民地主義の清算と東アジアの平和のために活動する日韓両地域の市民団体と市民たちは、これまでの運動の成果を土台に国際連帯活動をいっそう強化していく、ことなどが提起された。


平和遺族会全国連絡会「アジアの平和と和解・共生をめざそう! 8・15集会」

    和田春樹さんが講演  「『韓国併合』一〇〇年―東北アジアの平和と和解・共生を求めて」

 八月一五日、午前九時四五分から、日本教育会館で平和遺族会全国連絡会の主催による「アジアの平和と和解・共生をめざそう! 8・15集会」が開かれた。

 基調報告は、平和遺族会全国連絡会代表で八二歳になる西川重則さんで、「アジアとどう向き合うかが私の生涯のテーマ」だとして、二四歳の兄がビルマで一九四五年の九月一五日になくなったことから話を始めた。一九四五年の七月にポツダム宣言が出されたのに、当時の鈴木貫太郎内閣はこれを「黙殺」し、昭和天皇は有利な条件で降伏するためにもう一度の反撃を、などと言っていた。天皇などが敗戦を遅らせたことで、ひきつづいて多くの犠牲者が出たのだった。このことは忘れられてはならない。平和遺族会は憲法をよく学びよく生かすことをモットーにしている。菅首相は当分改憲はないとしてるが、依然として憲法を改悪しようとする動きは続いている。民主党は、侵略戦争の深い反省に立ってできた憲法の原点にかえるべきだ。そして、東アジア共同体構想を進めていくべきだろう。私は、兄の仇を平和運動でかえそうとおもっている。
 記念講演は、東京大学名誉教授の和田春樹さんが「『韓国併合』一〇〇年―東北アジアの平和と和解・共生を求めて」と題して行った。九五年の村山談話は植民地支配がもたらした損害と苦痛について反省・謝罪し、今年の菅談話は「政治的・軍事的背景の下、韓国の人々の意に反して」植民地支配を実行したと認定した。いま求められているのは、北朝鮮との関係改善をつうじる戦後体制からの飛躍である。現在、北朝鮮に対する侮蔑と嫌悪、反感が蔓延し、政府、メディア、国民は拉致問題症候群にとらわれ、それがあらゆる非合理的な大国主義、膨張主義、排外主義、軍事力強化、憲法改正論、核武装論などの根元となっている。北朝鮮と無条件で交渉し、国交樹立へ前進し、過去を清算し、核開発をやめさせ、拉致問題解決の進展をはかることが重要だ。北朝鮮核問題を解決して、東北アジア六国安保協力体制をつくることは、東北アジア共同の家の出発点となる。それを東南アジア共同体と並んで立つようにし、その上に東アジア共同体をつくるべきである。東北アジア、東アジアを成り立たせるのは、歴史問題の解決、和解への情熱なのである。

 集会後、平和行進に出発し、靖国神社に向けてシュプレヒコールをあげ、解散地点の錦華公園まで元気に貫徹した。


市民文化フォーラム主催の集会

   「平和の条件を根底から考えなおす」

 国民文化会議以来の市民文化フォーラム主催の「8・15集会」は四六回目を迎えた。今年は、「平和の条件を根底から考えなおす〜アジアの平和と市民〜」がテーマだった。
 はじめに、市民文化フォーラム共同代表の内海愛子さんが、「平和と市民…市民文化フォーラムがめざすもの」で、一九六五年以来の8・15集会の歴史を振り返り、あの戦争は何だったのかを根底から問い直すことの大事さ、とくにアジアの人びとの視点から戦争と日本の敗戦をとらえることの重要さを述べた。
 村井吉敬さん(早稲田大学客員教授)は、一九五五年のバンドン会議(インドネシア)以来のアジアでの体験、そしてベトナム戦争、アチェ紛争、東チモール独立運動などのスライドを示しながら「アジアの中で生きる日本」と題して基調講演をおこなった。日本はアジアの人びとと共に生きていたかといえば、それはちがう。隣人のことを理解し、平和に生きてきたかと考えれば答えは明らかだ。日本はアメリカとの同盟の中に生きてきたのであり、それがアジアと共に生きてきたということの反対のことなのだ。日本はアジアの国というよりは、アメリカのロスアンジェルスの傍にあるというのが実感だろう。アメリカという国は世界が見ているように実に危ない国だ。戦争・暴力・不正義の国だ。そうしたアメリカと友だちの日本、それでいいのかが問われている。いまのままでは、日本はアジアから信頼されていない。日本は経済・ビジネスばかりで、アジアの人権、民主主義などには無関心だ。結論を先に言えば、日本はアメリカ離れしなければいけないということだ。アジアに信頼されるためにはそこから出発しなければない。
 
 映像ジャーナリストの南風島渉さんの「見えないアジアを伝える―国家・国境の意味を探る」、東京大学教授の小森陽一さんの「『沖縄』を自らのコトとするには」、獨協大学教授の古関彰一さんの「『安全保障』を根底から考え直す」などの発言が続いた。


8・15反「靖国」行動・集会

    安川寿之輔さんが福沢諭吉の思想を民主主義とする虚構・誤解を正す

 「植民地主義と排外主義を許すな! 8・15反「靖国」行動」は、靖国神社にむけての抗議行動を右翼の妨害と警察の規制をはねのけて貫徹したあと、文京区民センターでの集会を行った。
 基調報告では、「戦争はつねに『平和』を口実として引き起こされる。そして、現実の戦争を『平和』のためのものとして美化する役割を果たし続けてきたのが、アキヒト=ミチコ天皇制である。敗戦によって、『外地』を失い、アメリカに従属するかたちで『一国平和主義』的に戦後体制を構築した日本は、かつての『帝国』の国体としてあった天皇制を『象徴天皇制』へと衣替えして存続させた。それは、『帝国』の植民地責任を忘却し、安保体制の下に国内の『平和』を謳歌する戦後日本を支えるシステムとしてあった。『死者に思いを寄せ、平和を祈る』天皇という演出は、そうした日本の戦後のありかたと見合っている。われわれは、天皇制の機能を批判しぬき、国家によるあらゆる『慰霊・追悼』を拒否するための行動の日として、本日の『植民地主義と排外主義を許すな! 8・15反《靖国》行動』を最後まで貫徹しよう」など提起があった。

 お話は、名古屋大学名誉教授で反戦などさまざまな運動にとりくんでいる安川寿之輔さんが「排外主義的天皇制ナショナリズムの歴史―福沢諭吉に限定して」と題して、福沢諭吉の思想を民主主義とする虚構・誤解を正す講演を行った。
 福沢は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と主張した人間平等論者と誤解されているが、実は天皇崇拝の差別主義者なのだ。例えば、アジア諸国民を蔑視して次のように書いている。「印度支那の土人」、朝鮮・中国人は「頑冥倨傲」「無気力無定見」「怯儒卑屈」「恰も乞食穢多」「支那兵の如き…豚狩の積り」、「チャンチャン…皆殺し…造作もなきこと」などだ。女性に対しては、「男女の間を同権にするが如き、…以て衝突の媒介たる可きのみ」、売春婦を「無智無徳破廉恥の下等婦人」「夜叉鬼女」と蔑視しながら、公娼制度には積極的に賛成している。また一般庶民を「素町人土百姓」呼ばわりしている。福沢の長男一太郎の初婚の相手は「下等社会素町人(商人)」の娘だから失敗したが、「今度は士族(医師)の娘だから大丈夫」と姉宛に手紙に書いている。一方で、福沢は天皇とかかわるとくり返し「感泣」し、「声涙共に下り言葉も途切れ勝」ちとなり、「かりそめにも見下すことは畏れ多い」「聖恩」「恐憎の外なし」「身に余るの光栄」などと言い立てたのである。こんな福沢を、日本人はいまだに「民主主義」の先覚者と誤解し、彼が最高額面紙幣一万円札の肖像を飾っていることになんの疑問ももっていないのである。これには、日本の戦後民主主義を代表する著名な学者・思想家の丸山真男が創りあげた壮大な虚構の福沢諭吉像=「丸山諭吉」神話が、誤ったマスコミや学校教育の圧倒的な影響下に未だに信奉されているからだ。さすがに近年では丸山が解明した福沢諭吉像が、丸山の願望で勝手に読み込んだ「丸山諭吉像」であることが、ようやく知られるようになってきている。
福沢は「従順、卑屈、無気力」の国民性を日本人の「殊色」と評価したが、その従順と献身没我を説いた「教育勅語」の臣民像こそが、農村の高率小作料と工場の低賃金・長時間労働に耐え、帝国主義釣軍事行動にも欣然と参加するものと予測したのだ。あわせてアジア侵略を先導した福沢は、日本を「亜細亜東方」の「盟主」に位置づけ、日本の民衆に朝鮮人民を「滅亡こそ、むしろ…幸福」な「軟弱無廉恥の国民」、中国は「東洋の老大朽木」「良餌」だと説いたのだった。
 長年にわたり、司馬遼太郎の『坂の上の雲』や丸山真男が主張するいわゆる「明るい明治」(明治前期の「健全なナショナリズム」)を象徴・代表する福沢諭吉の思想が、『学問のすすめ』の「一身独立して一国独立する」と理解・信奉されてきた。しかし、それは福沢研究史上最大の誤読である。福沢自身の「一身独立」の意味は、「国のためには財を失ふのみならず、一命をも抛て惜むに足ら」ない国家主義的な「報国の大義」のことであった。逆に言えば、日本兵の「国家のために死ぬという観念」、つまり「暗い昭和」期同様の滅私奉公の「愛国心」を、福沢諭吉は、日清・日露戦争の二、三〇年以上も前に先駆的に主張・啓蒙していたことになるのである。
 アジア諸国から、激しく憎悪・非難されている福沢が人間平等論者・天賦人権論者と誤解されている事実は、身分差別・女性差別・障害者差別で成り立つ「天皇制民主主義」国と呼ばれる日本には、いかにも相応しい、破廉恥で恥ずかしい光景であろう。

 アピールは、靖国解体企画、ヘイトスピーチに反対する会、「韓国強制併合一〇〇年共同行動」実行委員会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、東京都総合防災訓練に反対する実行委員会、APECはいらない!神奈川の会、立川自衛隊監視テント村から行われた。 


8・28 「君が代」処分撤回! 石原は即刻辞任しろ!都教委包囲行動

 八月二八日、「10・23通達撤回!」「『君が代』処分撤回・裁判闘争に勝利しよう!」「分限免職を許すな!」「業績評価・成果主義反対!」「主幹・主任教諭制反対!」「石原は即刻辞任しろ!」などをスローガンにして都教委包囲行動(都教委包囲首都圏ネットワークの主催)が闘われた。二学期が始まる直前の八月下旬に行われるこの行動は今年で七回目となった。
 東京都教育委員会は二〇〇三年一〇月に「日の丸・君が代」を強制する「10・23通達」を出し、それ以来、今年の卒業式での停職六カ月二人、停職三カ月一人、減給十分の一・六カ月が四人、同一カ月が一人、戒告四人など10・23通達に基づく処分者数はすでに四三〇名にのぼっている。
 当日は午後二時から新宿駅周辺での街頭宣伝と署名活動につづいて三時に新宿柏木公園から、新宿駅周辺やアルタ前などを通る炎天下の新宿繁華街デモで、石原都政による都の教職員に対する「日の丸・君が代」の強制と処分の不当性をアピールした。
 四時からは都庁第二庁舎前抗議行動を展開した。はじめに、「東京音頭」の替え歌「東京怨頭」でおおいにもりあがり、つづいて各団体などからの発言、そして集会宣言(別掲)が確認され、都教委に向かって抗議のシュプレヒコールをあげた。

 翌日の三〇日にも都教委への抗議・要請行動に取り組み、都教育情報課に対して、都教委包囲首都圏ネットワーク、予防訴訟を進める会をはじめ団体・個人からの要請を行った。

8・28 集会決議

 二〇〇九年八月末総選挙で自公政権が倒れ、民主党を中心とする連立政権が誕生しました。しかし、普天間基地移設問題における「抑止力」発言や日米軍事同盟容認発言、加えて消費税増税発言や財界との関係修復等々、旧自民党と変わらぬその姿勢に国民の怒りが高まっています。
 また、「財政再建」を口実とする公務員労働者への攻撃も強められようとしています。加えて、免許更新制の見直しにはほとんど手を付けず、むしろ教員免許法の改定によってさらに教員の管理統制を強化しようとしてさえいます。私たちは、民主党政権に対する幻想を捨て、新たな闘いに踏み出さなければならない時に来ています。

 オリンピック招致失敗により都政に対する求心力を失ったにもかかわらず、石原は醜く都知事の座にしがみつき、福祉の切り捨てや築地市場移転・新銀行東京など、とうに破綻した政策のとりつくろいに最後のあがきを見せています。
 そのような都知事を後ろ盾にしながら、都教委はさらに、教育内容の反動化と教員及び教育現場に対する管理・統制を強めています。

 二〇〇七年に導入された「主任教諭」制は、賃金と連動することによって、教員の管理統制と教員分断、職場破壊にその猛威をふるい始めています。また、「学校経営支援センター」は、教育活動の監視を日常的に続けています。採決の禁止の徹底により、職員会議は機能停止の状態に追い込まれ、学校教育の現場は死に瀕しています。
 このような都教委による教育現場の管理・統制の原点であり、出発点であったのが二〇〇三年の10・23通達です。

 学校現場が厳しい状況におかれる中であっても、卒・入学式における「日の丸・君が代」の強制に屈しない教職員の闘いは統いています。
二〇一〇年にも七名が「君が代」不起立・不伴奏を行い処分されました。被処分者の累計は合計四三〇名にものぼっています。不起立・不伴奏者をゼロにするという二〇〇三年当時の都教委のもくろみは見事に失敗しています。

 私たちは、被処分者と連帯しつつ、石原都政下の都教委を糾弾し、都の教育行政の民主化を強く求め、さらに改悪教育基本法の実働化を阻止していこうではありませんか。
 以上、決議します。

2010年8月28日

8・28都教委包囲行動参加者一同


「日米共同声明」撤回! 普天間基地即時閉鎖! 辺野古への新基地建設をとめよう! 沖縄切り捨てを許さない!

                  辺野古への基地建設を許さない実行委員会が集会

 普天間基地(沖縄県宜野湾市)は「世界一危険な基地」であることはアメリカ政府も認めたところである。沖縄県民の基地即時撤去の願いが一段と強まる中で鳩山由紀夫前首相も「最低でも県外、できれば国外」などといわざるを得なくなっていた。しかし、アメリカ政府とそれに呼応する財界、官僚、マスコミは逆襲をかけ、それに屈した鳩山は沖縄県民の頭越しに「5・28日米共同声明」を出し、辺野古に代替新基地を建設することでアメリカと合意してしまった。この共同声明を撤回させ、普天間基地の即時閉鎖、辺野古への新基地建設阻止することをめぐる闘いが現在の日本政治の軸となっている。

 八月二八日、文京区民センターで、「『5・28日米共同声明』撤回!普天間基地即時閉鎖!辺野古への新基地建設をとめよう!沖縄切り捨てを許さない東京集会」(主催・辺野古への基地建設を許さない実行委員会)が開かれた。

 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんが報告。
 鳩山政権は、北朝鮮・中国の脅威に対抗するためには「『抑止力』が必要だということがわかった」と称して「最低でも県外」の約束を反故にして辺野古に回帰した。鳩山は辞任しそれに続く菅は自民党政権当時の対米約束を守るとオバマに誓約した。民主党政権も自民党政権と同じでアメリカの世界戦略にからめとられている。アメリカ国内でもこれまでのやりかたは時代に合わないという意見も出ている。それには沖縄に米海兵隊はいらないということも含まれている。民主党政権は、辺野古新基地をつくることだけでなく、日米の軍事同盟関係を深化させるという日米共同声明をだした。八月末までに滑走路に仕様や工法を決定するという。日米共同声明は正文は英語で、日本語は仮訳となっている。平等関係で無い象徴だ。そこでは滑走路について日本政府はV字型滑走路だけでなくI字型も考えているという。しかし英文ではSがついていて滑走路は複数ということになっている。日本政府の説明はおかしいものだ。
 このところ民主党は、沖縄に対する強硬姿勢を強めている。前原沖縄担当相は、名護市の島袋前市長をはじめ受け入れ賛成派の人びとと、九月の名護市議選や一一月の沖縄県知事選について意見を交わしているといわれる。県知事選については北澤防衛相が仲井真知事の再選を希望したり、また民主党本部は、辺野古反対候補には与しないといったりしている。この五月に、一九九八年の県知事選で当時の小渕内閣(自民党・公明党連立政権)が官房機密費三億円を県知事選で自民党候補に渡したと述べたという新聞記事がでた。そして米領事も移設受け入れ側の辺野古区長たちと接触するなどしている。
 これからが本格的な勝負のときだ。決して負けられない闘いであり、全国から沖縄へさまざまな連帯をよびかけたい。

 つづいて、WWFジャパン、ゆんたく高江実行委員会、「沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会」、WORLD PEACE NOWからの発言があり、さいごに沖縄一坪反戦地主会関東ブロックから県知事選勝利などの行動提起が行われた。


映 評
 
     「グッドモーニング・プレジデント」


               09年 韓国映画 132分

     監督・脚本 チャン・ジン

     出演 キム・ジョンホ大統領(イ・スンジェ)
         チャ・ジウク大統領(チャン・ドンゴン)
         ハン・ギョンジャ大統領(コ・ドゥシム)女性


 「グッドモーニング・プレジデント」は、チャン・ジン監督の八本目の作品で、〇五年に製作された「トンマッコルへようこそ」は本欄で取り上げたことがある(「人民新報」第一二一八号二〇〇七年二月五日)。
 韓国映画史上大統領について描いた作品はそう多くない。側近による朴正煕射殺事件を描いた「ユゴ 大統領有故」(05)、名優アン・ソンギが演じた「ピアノを弾く大統領」(02)など数えるほどしかない。それも韓国民主化宣言以降に作られた作品ばかりだ。
 「グッドモーニング・プレジデント」は三人の大統領を描いたオムニバス形式の映画である。最初に登場するキム大統領は温厚な性格で引退する日が近い。国民を前にした演説の中で数字選択式の宝くじ(ロト6のようなもの)に当選したら全額寄付すると思わず宣言してしまう。ところが運悪く最高位の当選を果たしてしまい、引退後の郊外での牧場経営を夢見ていたが国民との約束のはざまで思い悩んでしまう。
 野党ながらキム大統領との密約であとを引き継ぐことになったチャ大統領は相当若くてイケメンだ。父子家庭の父親でもあり、朝鮮半島をめぐる一触即発の事態にも米軍の介入を断固拒否する指導力を発揮する。大統領はなぜか非常に珍しい血液型の持ち主で、そのことを知った父親想いの青年の強引な直訴を受け入れて臓器移植手術のドナーになってしまう。
 三番目の大統領はキム元大統領の夫人で、夫婦は現在離婚の危機にあるが、当然のことながら韓国初の女性大統領になる。
 それぞれの立場で悩みぬく三人の大統領は官邸の台所の料理長たちを突然訪ね料理を教わったり、自ら料理つくりに手を出したりして、つかの間の休息の時間を得る。料理長をはじめとする料理人たちは恐縮至極なのだが、この映画は料理長の目を通した大統領像を描いているとまではいえないにしても、映画全体の中での大変重要なスパイス役になっている気がする。
 朴正煕が大統領緊急措置、戒厳令などを発令して長期間にわたり独裁体制を維持し続けた反省から、盧泰愚の民主化宣言以降、韓国の大統領は一期五年のみ在任できるという規定ができたが、それでも大統領に権力が集中しすぎていることは事実だ。退任後、刑事訴追されたり、政治的報復をくり返しているのが現実だろう。
 この作品でチャン監督が描こうとしたのは欠点もたくさんあるそれぞれの大統領が、普通の人間と変わらない感情や愛情を持ち合わせているということを強調したい点であろう。映画の中でははっきりと表現されていないのだが、どうも日本に軍事政権が誕生していて日本の軍隊(自衛隊ではない正規軍)と米軍が合同して日本海(東海)で北朝鮮軍と対峙し危機一髪の側面にまで発展していくシーンにはさすがにドキッとさせられてしまった。かといって映画の中で分断国家という面はほとんど強調されず、北朝鮮に対しても否定も肯定もしていない「トンマッコルへようこそ」では朝鮮半島のある山村に立場のまったく違う人びとが吸い寄せられるように集まり最初は反目しあうが、やがて友好関係を結び合う関係になり巨大な本当の敵に向かうといった想像力豊かな作品づくりが大成功していたと思うが、本作品はもともと最高権力者にまつわる物語なのでチャン監督が想像する国民が望むであろう大統領像を映像化しても見る側としてはフィルターが一枚かかっている感じで素直に感情移入できない。そのあたりで本作品が中程度の成功作と規定しておこう。また大統領の交代についてあまり時間の経過が読み取れず、身近な関係で権力をたらいまわしにしていると見えてしまうのも映画のスケールがあまり大きくない証明になるのかも知れない。
 「グッドモーニング・プレジデント」というタイトルは官邸で料理長たちが大統領にいうあいさつと同時に国民が敬愛をこめて呼びかける言葉の象徴なのだろうか。ほんの少し国民の望む指導者とはと考えさせてくれる映画でもある。
 でも私はやはり「トンマッコルへようこそ」の型破りの発想があり大変テンポのいい壮大なファンタジーのほうが好きだ。   (東幸成)


 せ ん り ゅ う

 新首相祟り憑りつく基地の島

 上意下達成田忘れた辺野古策

 驕慢の牙城を守る軍事基地

 安保懇将棋指すほどの知恵だし

 仮想敵どこにも無くてでかい基地

 献花も反省もなく米大使

        ヽ 史 (ちょんし)

 二〇一〇年八月

 ○ 安保懇(=首相の諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛に関する懇談会」)の報告書が公表された(8月 日)。まるでゲームのあの手この手論の如し。実態のない遊戯に見える。
 ○ 広島に反省の弁もなく米大使出席。沖縄に威張る米軍に反撥が掻き立つ。


複眼単眼

   
「政権交代」を機に、安保・防衛政策の基本的転換をねらう安保防衛懇報告書

 九月初めの現在、政権与党である民主党の代表選が菅直人首相と小沢一郎前幹事長との間で激しく争われている。論争の中で両者の安保・防衛論での意見に食い違いも一定程度明らかになってきた。
 昨年の衆院選を経て日本の政治は大きな激動期に入った。沖縄の普天間基地の名護辺野古地区への移設を決めた本年五月の「日米合意」は沖縄の民衆の圧倒的多数に反対されている。いま日米関係は揺らいでいる。世界経済の危機と連動して、日本の経済・財政政策の危機もまったなしである。民主党政権がこれに有効に対処できるのか、民主党代表選の行方が注目される。
八月二七日、民主党代表選を前にした時期に、菅直人首相の私的諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力懇談会」(座長・佐藤茂雄京阪電鉄代表取締役CEO)が 「新たな時代における日本の安全保障と防衛力の将来構想−『平和創造国家』を目指して」と題する報告書を提出した。菅首相はこれを「新しい防衛計画の大綱の作成にあたり参考にさせて頂きます」と受け取った。
 この懇談会は政権交代を果たした鳩山由紀夫内閣が二〇一〇年二月に組織したもので、「現在の防衛計画の大綱」の見直しについての提言をもらうために組織されたものである。
 「防衛計画の大綱」 (防衛大綱)は一九七六年の三木内閣において定められ、以降五年ごとに定め直されてきた。大綱は当面する防衛力の基本方針と自衛隊の主要装備調達計画などを決めるもので、九四年以降は「有識者」による懇談会をつくり、その報告書によってとりわけ第九条を中心とする憲法解釈の突破がはかられ、権威づけられてきた。前回の防衛大綱は小泉内閣時代の二〇〇四年に策定され、五年後の〇九には新大綱が策定される予定であった。政権交代の結果、それを一年のばしにして、今年末を目指して策定にのぞもうとしている。
 三木武夫内閣の下で策定された七六年の大綱は、歴代自民党政権のもとで拡大し続ける軍事力に一定の枠をはめるということを大義名分にして、必要最小限の防衛力の保持、「基盤的防衛力構想」という考え方がうちだされ、防衛費もGNP比一%以内とすることなどが決定された。しかし、これは際限のない軍拡に歯止めをかけるという看板とはうらはらに、拡大する自衛隊の現状を合憲化する解釈改憲の容認という側面を持っていたし、当時はGNPが年々拡大していたこともあり、軍拡の動きを促進する側面があったのであるが、一方、憲法九条が生きて現実政治に影響力を発揮していたことの証左であるという側面は否定できず、軍拡論者の怨嗟の的にもなった。
 小泉純一郎内閣のもとで作成された 「〇四大綱」は、日米同盟重視の名の下にブッシュ米国大統領の反テロ戦争、先制攻撃戦略に追従し、米国の世界戦略を積極的に補完するため、従来からの「基盤的防衛力構想」を全く否定しはしないものの、「多機能で弾力的な実効性を有する防衛力を整備する」こととされ、「基盤的防衛力構想」 の足下の掘り崩しをねらったものであった。そして安倍晋三内閣の下で〇六年一二月に、従来の「国防」 に加えて、「海外派兵」 を自衛隊の本務とする防衛庁設置法改定・自衛隊法が成立し、防衛庁は防衛省に格上げされ、海外で活動する自衛隊への変質が合法化された。
 今回の懇談会報告書は政権交代を「これまでの政策の不合理なところを見直す絶好の機会」としてとらえ、従来、「基盤的防衛力構想」に代表される憲法の前文と九条に代表される平和原則のしばりを受け、歯止めとなってきた諸原則を全面的に否定するという野心を露わにした、極めて危険なものである。
 報告書の主な問題点はとりわけ以下の諸点である。
 @基盤的防衛力構想の全面的否定、A集団的自衛権に関する従来の憲法解釈の見直し、B PKO五原則の修正と自衛隊海外派兵恒久法の制定、C武器輸出三原則の見直し、D非核三原則の将来的な見直し、などなど。
 報告書は、これらによって憲法九条のもとでの「受動的な」 「平和国家」 から、「日米同盟」のもとで自衛隊を武力による 「能動的な」「平和創造国家」に全面的に転換させようとする極めて危険なものである。 (T)