人民新報 ・ 第1270号<統合363号(2010年10月15日)
  
                  目次

● 第176回臨時国会にむけて

    国会の比例定数削減反対!  憲法審査会を始動させるな!   普天間基地撤去!辺野古新基地建設反対!

● 憲法九条を生かし、尖閣問題の政治主導解決を

● 「韓国強制併合」100年 ピョンヤン宣言から8年 〜 東北アジアの平和と日朝正常化を求めて

● 第五回反トヨタ世界キャンペーン  フィリピントヨタ労組の闘い

● JCO事故11周年で首都圏行動  槌田敦氏講演 「日本の核兵器原料生産の現状」

● 文化批評  /  映画監督に見る様々な視点

● 映 評  /  遠くの空

● KODAMA  /  マスコミ批判

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  菅伸子の本のタイトルは名言だ





 第176回臨時国会にむけて

    
国会の比例定数削減反対!  憲法審査会を始動させるな!   普天間基地撤去!辺野古新基地建設反対!

 一〇月一日、第一七六回臨時国会がはじまった。国会開会日に合わせた5・3憲法集会実行委員会主催による憲法を生かそう!10・1院内集会」は、「国会の比例定数削減反対!」「憲法審査会を始動させるな!」「普天間基地撤去!辺野古新基地建設反対!」の三つのスローガンを掲げて開かれた。
 許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんが主催者あいさつ。今回だされた新安保防衛懇報告書は、これまでの日本の国是をひっくり返すようなとんでもないものだ。これが防衛大綱に反映されると思うとぞっとさせられた。危険な内容を暴露しなんとしてもつぶしていかなければならない。憲法審査会の始動の面でも、参院で自民党が比較第一党となるような状況であり、注視して対応していく必要がある。沖縄県知事選では全国で勝利のための大きな運動を起していかなければならない。国会の比例定数削減で狙われているのは民意の圧殺であり、決して許してはならない。臨時国会の闘いをともに推し進めていこう。
 共産党を代表して穀田恵二衆院議員(国対委員長)があいさつ。辺野古にはV字滑走路でもI字滑走路でもダメだ。名護の市議選で基地拒否の民意は明らかだ。沖縄・本土の連帯した力で沖縄県知事選に勝利しよう。新防衛懇報告は軍拡と海外派兵の方針だ。定数削減は国民負担を増やすためのものであり、議会制民主主義の根幹に関わる重大事だ。
 無所属の糸数慶子参議院議員があいさつ。われわれは微力であっても無力ではない。名護市議選で勝った。県知事選でも勝利できる運動を作り上げよう。菅内閣は沖縄の負担軽減についても言うが、それは日米同盟の深化とは両立しない。求められているのは主体的外交だ。
 社民党の福島みずほ参議院議員(党首)があいさつ。国会開会日にいつも開催されるこの集会にでると元気が出る。本当に感謝する。名護市議選に勝った勢いで県知事選にも勝利し、日米安保を見直していこう。国会の定数是正では二大政党だけになってしまう。社民党は公明党とこの問題で幹事長会談を開いたが、反対する広い運動をつくっていきたい。
 つづいて、実行委員会参加の各団体からの発言があり、今国会へ向けての闘いの前進を確認した。


憲法九条を生かし、尖閣問題の政治主導解決を

 九月七日におきた中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件以来、尖閣列島問題をめぐって日中間の緊張はかつてない高まりを見せた。
 日本政府の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」は、「尖閣諸島は、一八九五年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、一八九五年一月一四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです」としている。「無主地である」こと、「清国の支配が及んでいる痕跡がないこと」をあげている。しかし、このことについては、歴史的にはまだ相当議論のあるところであり、一八九五年前後という日本が拡張主義の時代にあったことも含めて、今後とも研究はいっそうすすめられるべきであろう。そもそも、日本、中国本土、台湾、琉球などの海上交通の只中にあった尖閣列島は、新に発見されたわけではない。当時、尖閣以外に「無主地」なるものが、周辺にあったわけでもないのである。
 中国は「釣魚島(日本名・尖閣諸島)問題は、中日間で未解決の領土問題である」として譲る気配はまったく無いが、歴史的に領有を主張し続けたわけでもない。
 現在の日中関係の形成には歴史があり、その時々の条約などによって規定されてきた。論議ではこうした総体的な観点が必要だ。煩わしいが引用が多くなる。
 七〇年代に入って尖閣問題で日中両国は対立した。だが、一九七二年には田中内閣によって日中国交がおこなわれたとき、この問題がネックとなることはなかった。その時の「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」では、両国の関係について「日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」とした。
 一九七八年の「日中平和友好条約」でも中身もほぼ同様だ。日中平和友好条約の批准書交換のために来日したケ小平は、「この問題は、われわれと日本国との間で論争があり、釣魚島を日本は『尖閣諸島』と呼び、名前からして異なる。この問題は、しばらく置いてよいと思う。次の世代は我々より賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない」と述べたことがある。この発言については、日本側が合意したものではないが、その後の経過はしばしば摩擦はあったにせよ両国による事実上の「棚あげ」状況にあったことは間違いない。
 注目しなければならないのは自民党の谷垣禎一総裁の発言だ。九月二五日に尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で中国人船長が釈放されたことに関し「騒いで得をするのは中国で、問題を深刻化させないことが一番大事だ。直ちに国外退去させた方が良かった。最初の選択が間違っていた」と講演したと報じられている。ちなみに靖国神社参拝などで中国と激突していた小泉政権の対応を見ておこう。二〇〇四年三月二六日、小泉政権は、尖閣諸島に上陸し逮捕した中国人活動家七人の送検をしないまま、強制送還した。「しっかり取り調べて必要があれば起訴し、裁判にかけることになるだろう」という安倍晋三自民党幹事長(当時)の主張を押さえ込んでのことだった。ちなみに、当時の国交相は石原伸晃現自民党幹事長だった。自民党主流はそれなりに判断し政治的・大局的に対処してきたということだ。
 だが、今回の事件当時の国交相は、かねてから中国の「現実的脅威」を強調する前原誠司現外務相であり、「国内法遵守」で、中国船員の逮捕、船長の起訴・拘留延長とすすんだ。これは、事実上「棚上げ」からの決別であり、日中対決の段階に踏み切ったことを意味する。前原は石垣海上保安部で、巡視船艇の係留所を視察し、職員を激励する熱の入れようだった。同時に、地元沖縄をはじめとして辺野古新基地建設に反対の声に対抗するために民主党政権の一部もこの事件を利用して軍事緊張を図り、対中日米軍事同盟強化の思惑もあったように見える。アメリカ側でも安保マフィアのアーミテージなどは好戦的な気運を煽ったが、アメリカ政府としては結局のところ、「両国間での話し合いでの解決」をせよというこれまでの姿勢に変化も見られなかった。しかし、この際に一定の対中対抗を強めるとともに、アメリカの軍事戦略の展開に日本がもっとカネを出し、負担を増やして支えてくれることを期待して、尖閣周辺での日米合同演習などがもくろまれている。
 中国側としても、前原派(凌雲会)が中心の民主党政府が実効支配を背景に「国内法にそって粛々と」問題を処理するという言葉を繰り返したことは、日本がこれまでの対応をやめ、対中強硬策に変化したとして、かつてない対日政策に打って出ようと判断したのではないだろうか。
 しかし事態は、中国側の猛反発の前に、財界も日中間の緊張緩和を要求し、船長の「超法規的」な釈放をおこなうなど日本政府が政策を転換し、中国側も対応を柔軟化させた。その後、一〇月四日にはブリュッセルのアジア欧州会議(ASEM)首脳会合で、菅首相と中国の温家宝首相は約二五分程度の話をし、悪化した日中関係について、今の状態は好ましくないという認識で一致し、双方が戦略的互恵関係の原点に立ち返り、政府間のハイレベル協議を進めることで合意したのである。
 日中の戦略的互恵関係とは、二〇〇八年五月七日に、来日した胡錦濤中国主席と当時の福田康夫首相が署名した「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」に規定されているものだ。その五つの柱として、@政治的相互信頼の増進、A人的、文化的交流の促進及び国民の友好感情の増進、B互恵協力の強化、Cアジア太平洋への貢献、Dグローバルな課題への貢献があげられているが、とくに@政治的相互信頼の増進で「双方は、政治及び安全保障分野における相互信頼を増進することが日中『戦略的互恵関係』構築に対し重要な意義を有することを確認するとともに、以下を決定した。両国首脳の定期的相互訪問のメカニズムを構築し、原則として、毎年どちらか一方の首脳が他方の国を訪問することとし、国際会議の場も含め首脳会談を頻繁に行い、政府、議会及び政党間の交流並びに戦略的な対話のメカニズムを強化し、二国間関係、それぞれの国の国内外の政策及び国際情勢についての意思疎通を強化し、その政策の透明性の向上に努める。安全保障分野におけるハイレベル相互訪問を強化し、様々な対話及び交流を促進し、相互理解と信頼関係を一層強化していく。国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のために緊密に協力するとともに、長い交流の中で互いに培い、共有してきた文化について改めて理解を深める」としている。双方が戦略的互恵関係の原点を確認したことで、当面、各分野での対話などが行われていくだろう。
 しかし、両国の尖閣をめぐる主張は双方まったく変えていない。この問題が解決を求められていることはまちがいないが、それをどのようにうまく処理するか、できるかである。最近、六〇年代末にはしばしば武力衝突をおこしていた世界一長い国境線をもつロシアと中国は国境問題を解決した。そうしたことも参考になるだろう。いずれにせよ、今回の事件は、尖閣列島だけでなく、北方領土などその他の領土問題の解決と隣国との善隣友好関係に向けて日本の基本国策が求められていることをしめした。各国の大衆受けするナショナリズムの暴走での相互自滅的な対抗ではなく、共存、共栄こそが必要なのである。
 いまこそ、憲法九条を生かした日本の自主的な平和外交がもとめられている。それだけが日本もアジア諸国にとっても平和と繁栄の道になるであろう。 (MD)


「韓国強制併合」100年 ピョンヤン宣言から8年

    
〜東北アジアの平和と日朝正常化を求めて

 九月一八日、文京区民センターで「韓国強制併合」一〇〇年・ピョンヤン宣言から八年―東北アジアの平和と日朝正常化を求める9・ 集会」(主催、「韓国併合」一〇〇年 真の和解・平和・友好を求める二〇一〇年運動)が開かれた。
 はじめに、渡辺健樹さん(日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表)が、「『併合』一〇〇年―植民地主義の清算と日朝国交正常化」と題して講演。
 今年は日本が朝鮮半島を植民地支配した「韓国併合」から一〇〇年にあたる。しかし、いまだに、韓国との間では過去の清算が未解決であり、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間では国交正常化交渉すら進まないという異常な状況にある。
今年の八月一〇日に菅直人首相は「日韓併合一〇〇年談話」をだした。「ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」「この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べたが、「これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます」として、日朝関係にはまったく触れていないものとなっている。
 日韓の間にも日本の韓国植民地支配の「不法性」をめぐって問題は解決されているわけではない。日韓基本条約の「一九一〇年八月二二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効であることが確認される」という規定でも、日本政府は「もはや無効」の時点を「一九四八年大韓民国成立時」としたまま今日に至っている。日朝正常化交渉でも「日韓条約との整合性」という主張で、この立場を押し通そうとしたのであった。
 これまで交渉は、日本政府が朝鮮植民地支配の「不法」性を認めるのか否かを焦点にしている。
 現在もなお、日本の朝鮮侵略過程で結ばれた旧条約等が「合法か、不法か」という問題で、日韓学者の対話・論争が続いている。論点は、日韓議定書から、一九一〇年の韓国併合条約などの条約・協定類が、どのように「締結」されたかの検証であり、それが国際法上、条約の無効原因を構成するのか否かという点と国際法そのもの、とりわけ当時の慣習国際法がどういうものとしてあったかという点である。 韓国の学者は、日清戦争の前までの日本は、条約の形式を整えていたが、日清戦争で朝鮮の支配権を奪って以降、条約の形式も整わない「略式条約」方式への転換が図られた、第二次日韓協約自体、最初から成立していないと主張している。もうひとつの問題の国際法上の問題では、合法論者は、当時の事柄については当時の法理が適用される(「時際法」)とし、強国による弱国に対する強制を認めており、その下で条約が無効となる原因としては国家代表者個人に対する直接的な強制・強要のみで、第二次日韓協約において韓国側大臣らが伊藤らに協約締結を強制されたが、これを国家の機関員への強制と見るか国家代表者個人への脅迫と見るかは当時の国際法上の区別は明確でなく、無効とは言えない、などという主張だ。
 しかしこれには、笹川紀勝国際基督教大学教授が、次のように批判している。当時の慣習国際法が、強国による弱国への強制を認めていたのは事実だが、どんな武力や強制も認めていたわけではない。当時の慣習国際法においては、国家に対する強制と国家代表者個人に対する脅迫とは明確に区別されている。したがって、第二次日韓協約は国家に対する強制という面からも、国家代表者への強制の面からも「有効」論には大きな難点がある。
 韓国併合は、朝鮮半島全体に及んだものであり、菅首相の「韓国併合一〇〇年」の談話は、当然、朝鮮半島の南北と歴史的経緯のある在日の人々に対して向けられるべきであったし、在日コリアンへの人権侵害や北朝鮮への「制裁」の中止・日朝国交正常化交渉の再開を行うべきである。

 つづいて哨戒艦事件真相究明のためのドキュメンタリー「スモーキング・ガン」が上映され、北川広和さん(関東学院大非常勤講師)が「韓国哨戒艦沈没事件を問う」報告を行った。


第五回反トヨタ世界キャンペーン

    
 フィリピントヨタ労組の闘い

 多国籍企業フィリピントヨタは、二〇〇〇年にフィリピントヨタ労組(TMPCWA)との団交に応じないばかりか、一方的に二三三人を解雇した。二〇〇一年には、その大量解雇に反対して七〇〇人がストに突入したが、会社は二六人を刑事告訴した。また御用組合を結成したり、工場内に軍隊を駐屯させたりなどした。フィリピントヨタ労組は、日本の全造船関東地協に加入して闘いを強化した。闘いは世界的な行動となり、その間に、ILO「結社の自由委員会」がフィリピン政府に対して「解雇者の職場復帰」を勧告したり、IMF(国際金属労連)が支援の体制をとるまでになっている。
 しかし、トヨタ側は自主労組を絶対に認めようとせず、差別と弾圧を続けている。トヨタの他の地域の労働者も立ち上がることを恐れているからだ。この八月二日にはトヨタはウェニー副委員長を含む四名の組合員を解雇した。


 第五回反トヨタ世界キャンペーンのために、九月一九日からフィリピントヨタ労組のエド委員長とウェニー副委員長が来日して名古屋市、豊田市、神奈川、そして東京での日本の支援の労働者とともに行動をくりひろげた。二二日が行動の最終日で、トヨタ東京本社への抗議の申し入れを行い、SK会館で「連帯集会」が開かれた。
 エド委員長は「トヨタとの闘いは歴史の新しいページを拓くものだ。国際連帯で勝利まで闘う」とあいさつ、ウェニー副委員長は「私たちの闘争はみなさんの闘争であり、みなさんの闘争は私たちの闘争だ。ともに闘おう」と決意表明した。最後に参加者全員がタガログ語で力強く「労働者階級の力で解放を勝ち取ろう」とシュプレヒコールをあげた。
 
 なお今年五月に開かれたフィリピントヨタ労組を支援する会の二〇一〇年度総会は、国際面では、ILO総会ロビー活動としてILO結社の自由委員会及びIMFへの訪問、そしてフィリピンでの解決交渉促進のための特別戦略チームを編成して現地からの要請があった場合即応体制で臨むこと、国内関係では、OECD(経済協力開発機構)多国籍企業ガイドライン違反での日本のNCP「連絡窓口」(日本では外務省・厚生労働省・経済産業省に日本経済団体連合会と日本労働組合総連合会で構成)に対する諸取組みを行うことや、東京総行動や世界キャンペーンで対トヨタ抗議諸行動を展開することなどが決定されている。


JCO事故11周年で首都圏行動

   
槌田敦氏講演 「日本の核兵器原料生産の現状」

 一九九九年九月三〇日午前一〇時三五分、茨城県東海村にある株式会社JCO東海事業所の化学処理施設「転換試験棟」で日本の原発・核燃料サイクル史上最悪の核爆発事故が起きた。二名の死者と多くの被害者が出た大惨事であった。
 JCOは、核燃料サイクル機構の高速実験炉「常陽」用燃料である濃縮ウラン溶液を均一化する作業が行われていたが、ウラン溶液の製造は初めてであった現場の労働者たちは、現場の労働者たちは充分な教育もされず、その結果として臨界の知識もほとんどない状態で作業をさせられていたのである。
 このJCO事故は、日本の原子力・核燃料サイクル計画の総破産を意味していたが、日本政府は事故からまったく学ばずに無謀な事業継続を行ってきたのである。

 九月三〇日、臨界被曝事故一一周年東京圏行動実行委員会は、午前一〇時から経済産業省別館前での犠牲者追悼・抗議行動、経済産業省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁に対する申し入れ(別掲)を行った。
 夜の集会は、明治大学リバティタワーを会場にして開かれた。
アツミマサズミJCO臨界被曝事故一一周年東京圈行動実行委員会代表が基調の報告。
 野菜には補償しても人間には補償しないJCOに怒り、大泉昭一、恵子夫妻は民事裁判を提訴したが、しかし一審、二審とも棄却となり、最高裁でも棄却された。原告敗訴の不当判決だ。判決は低線量でも急性症状が生じることを認めている原爆症訴訟の流れを無視している上に、JCO事故による被曝と健康被害についての因果関係の立証を被害者に求めたのである。今後の事故被害者に対して高いハードルになり、国の安全軽視の表れと言わざるを得ない。今後とも、JCO臨界事故の原因と背景を追及していくとともに、プルサーマル導入や原発老朽化などによる原発事故の危険性についてひろく訴えていく。同時に横須賀の原子力空母母港化反対運動などに取り組んでいく。
  
 つづいて健康被害裁判元原告の大泉恵子・昭一さんが、臨界事故を語り継いでいくことの重要性を語った。

 槌田敦さん(核開発に反対する会)が「日本の核兵器原料生産の現状と9・30JCO臨界被爆事件」と題して講演。

 日本政府は一貫して核武装を追求し、そのための核原料の生産を続けてきた。しかしそれらはいま破綻の状況を迎えようとしている。核兵器原料生産の方法には四種類ある。
 第一は、天然ウランを機械的に高濃縮する方式だが、これは電気代が高くつく。しかし、確実に爆発させることができるので核実験は不要だ。濃縮の方法には二種類あり、ガス拡散と遠心分離の方法だ。六ヶ所ウラン濃縮工場は後者だが、国産遠心分離機に失敗した。現在、新型機種に変更作業中で、 一〇年後には完成というがどうだろうか。二番目が、黒鉛炉方式で、世界の核兵器のほとんどはこの方式で作った高濃縮プルトニウム(以下、プルト)を使う。防衛庁研修所の提案で、一九六一年にイギリスから黒鉛炉購入した。これが東海原発で、発電しつつ原爆原料を生産する。しかし、核独占を狙うアメリカが介入し、高濃縮した軍用プルトはイギリスに全量売却させられ、原子炉は老朽化で廃炉となった。三つ目が、重水炉方式だ。インドはカナダの重水炉(CANDU)を用いて、原爆を作り、核実験した。国策会社「電源開発」はこの原子炉の購入を計画したが、これもアメリカの介入があって挫折した。四つ目が、高速炉「常陽」による自主開発だ。これは軽水炉で作った低濃縮プルトを用いて高濃縮プルトを作る、つまり、原発燃料再処理→原発プルト→高速炉→再・再処理→原爆プルトというプロセスだ。かつての日本原子力研究所で自主開発したものだが、その設計が完成した段階で、原研から取り上げ、人と技術を動力炉・核燃料開発事業団に移転して建設した(二〇〇五年に日本原子力研究所と統合され、独立行政法人・日本原子力研究開発機構となる)。ところがこれも、原爆原料を生産するプランケット燃料が外させられた。しかし、プランケットを入れればいつでも原爆材料が作れるので、常陽を維持している。日本の核武装計画は、この軽水炉・高速炉方式に集中している。なおこの方式は世界では唯一日本だけである。JCOで創っていたのは、この常陽の燃料である濃縮ウラン溶液であった。
 日本政府は、単なる軍事目的では、アメリカの介入を防げないと考え、新しい巧妙な口実を考え出さざるを得なかった。そのため、発電に加えて、プルト増殖の研究をするという理屈で、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構のナトリウム冷却高速中性子型増殖炉「「もんじゅ」」計画を打ち出した。そしてこの頃には同時に、アメリカも、アジア支配計画推進のため、日本の核能力が必要と判断し、容認するようになった。
 だが、夢の増殖炉という宣伝はウソだったのである。標準高速増殖炉では、核分裂性プルト収支は、年間一・二九トン装荷、年間一・五〇トン回収、ゆえに年〇・二一トン増殖という。しかし、初期装荷として三・二三トンが必要で、回収プルトがこの初期装荷を超えるには三・二三÷〇・二一=一六年必要。増殖はそれ以後再処理回収率が九〇%なら、回収プルトは一・三五トンだから、年〇・〇六トンしか増殖しないことになり、これでは、三・二三÷〇・〇六=五三年必要となって、炉の寿命を超えてしまう。つまり、結局のところ増殖はナシということだ。
 そして、事故故障多発で、日本の原爆材料計画は頓挫しつつある。「もんじゅ」は、一九九一年から性能試験を開始したが、一九九五年にナトリウム漏出火災事故が起きたために運転を休止した。その後運転停止一五年間。その間金属ナトリウムの加熱で、すでに電気代三〇〇〇億円を浪費している。一九九七年には、東海再処理が工場・爆発炎上事故を起し、二〇〇六年に、電気事業者との業務は終了した。
 一九九九年には、高速炉常陽を維持するウラン燃料の加工工場であるJCOで、臨界事故が起こり、作業者二名が死亡し、従業員・住民の被爆者は六六六名に達した。事故の原因は、臨界条件を無視した動燃の注文であった。作業は、精製した濃縮ウラン粉末を水に溶かすだけのことであり、これは動燃ですればよいし、またしていたのに、無理にJCOにさせていた。しかし、検察、裁判所、弁護士は、この動燃の発注を一切隠した。なぜなら、これが暴かれると、動燃が多額の金銭をJCOに与えていたことがばれて、国策事業団である動燃の裏金作りが問題になるからであった。
 また、核兵器級プルトを抽出する施設(RETF)は、二〇〇〇年までに、七〇〇億円も投入して本体建物を建設したが、内部再処理施設を搬入しないまま、建設を中止した。二〇〇八年末には六ヶ所再処理工場で、高レベル廃液から析出する白金族元素のためノズルが詰まってしまい高レベル放射能のガラス固化作業止まった。二〇〇七年には「常陽」で、原子炉内部で操作を誤って、炉内構造物破損させ、六個のピンが行方不明となったが、液体ナトリウムは不透明のため発見不可能となっている。この液体ナトリウムを抜くことはできないから、廃炉にするしかない。
 今年の八月には深刻そのものの炉内構造物破損事故が起こった。「もんじゅ」の、燃料集合体を入れて運ぶ「炉内中堅装置」(三・三トン)を原子炉内で二メートル下に落としてしまったのである。原因は、ステンレス製のネジ(長さ一センチ)のゆるみだったが、ほかに落下を防ぐ手段ない。これも「常陽」と同じで、液体ナトリウムで満たされているから、破損状況を調べる方法もないのだ。
 「もんじゅ」の火災事故後一五年間もナトリウムを温め続け、電気代三〇〇〇億円も浪費したのは、その問題が解決できないからで、「もんじゅ」の再生は不可能になったと考えるしかない状況になった。もはや日本の自主核武装計画は夢と消えようとしているのではないだろうか。みんなで拍手したいところである。

9・30 申し入れ書

 日本の原子力史上、最大最悪の東海村JCO臨界被曝事故から一一年日の今日、私たちは再び怒りを顕わにしなければなりません。今年五月一三日、被曝による健康被害の補償を求める民事裁判で、原告側上告が棄却されました。これにより、被曝住民への救済の途は閉ざされてしまいました。そればかりか、このことは、当時の科学技術庁、原子力委員会のおざなりの手抜き審査、政府の無対応のために東海村の住民が恐怖のどん底に突き落とされ、二〇時間もの長きにわたり被曝し続けていた、この責任をも免罪したものにほかなりません。国はあの一一年前の東海村JCO臨界事故から何を学んだのか!?といわざるを得ません。
 菅政権は、あくまでも原発・核燃料サイクルの推進を鮮明にしています。アメリカに追随して、NPT未加入のインドや、アメリカがウラン濃縮に理解を示したベトナムに対して、積極的に原発を売り込もうとしています。これはアジアの緊張を拡大するばかりか、核拡散につながります。エネルギー基本計画によれば、二〇基もの原発を増設するといわれています。「クライメートゲート」事件が発覚し、IPCCがデータを程造し、科学的な根拠が証明されていない「人為的地球温暖化説」を世界に振りまき、国連に根本からの改革を求められている団体であるということが露顕しました。民主党政権が作成した「地球温暖化対策基本法」はその根拠を失いました。にもかかわらず、日本政府は、原発の新増設の旗を降ろしていません。
 JCO臨界被曝事故の背景として、二〇一〇年の日本原子力学会の春の年会で、@原子力政策の経済至上主義的進め方、A排他的、特権的な業界体質、B安全の根拠なき自信などが指摘されています。にもかかわらず、昨今の事態は何らJCO臨界事故の教訓が生かされているとは思えません。ましてや地震国に原発適地などあるわけがなく、一刻も早く稼働中の原発は、停止し廃炉にすべきです。再処理工場も必要ありません。
 私たちは、以下、申し入れます。

  一、東海村JCO臨界被曝事故の徹底した原因追及を行うこと
  一、東海村住民被曝者の健康被害を認め、全員に救済措置を完全に行うこと
  一、三〇年を超えた考朽・オンボロ原発を直ちに止めること。また稼働中の原発を件止し廃炉にすること
  一、計画中、建設中も含め新規原発の建増設を中止すること
  一、プルサーマルを含む核燃サイクル事業から撤退すること
  一、「地球温暖化対策基本法」を撤回し、「資源エネルギー基本計画」をみなおすこと
  一、「新成長戦略」から原発推進を削除すること

                         以上

          JCO臨界被曝事故一一周年東京圏行動実行委員会


文化批評

   
映画監督に見る様々な視点

 七〇年代は東大安田講堂での学生と機動隊の攻防戦はあったものの、七〇年安保は自然延長となり、その年の選挙では自民党が圧勝した。
 当時流行ったのは映画「昭和残侠伝シリーズ」(マキノ雅弘監督など)で、高倉健が不正を積ねて肥え太るヤクザの親分一家に唐獅子牡丹を背に一人で乗り込んで悪を切るというものだった。血に染まった背中に羽織をそっとかけるのが当時うけた。第一作の『昭和残侠伝』(佐伯清監督)が一九六五年一〇月一日公開で、シリーズ最後の第九作『昭和残侠伝 破れ傘』(佐伯清監督)が一九七二年一二月三〇日公開だった。
 学園闘争に参加した学生や卒業生などで映画館は満員になり、現実では果たせぬ夢をスクリーンで実現してみせると思われた健さんに声援や拍手が寄せられたという。
 七〇年代がはじまったころの日本は高度経済成長の真っ只中で、やがてアメリカについで当時の言葉で言えば「GNP世界第二位」と上り詰めていったころだ(その直後に石油ショックという大きな破綻が来ることを予想した人はほとんどいなかった)。

 その中で、ストイックな高倉健に変わって、明るく人を笑いの中に引き込む「男はつらいよ」シリーズが渥美清主演、山田洋次原作・監督ではじまる。第一作の公開が一九六九年八月二七日で、最後の四八作が一九九五年一二月の公開だ(渥美清は一九九六年八月になくなっているが、一九九七年一一月に、「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」がある)。
 「フーテンの寅」こと渥美清が演じるキャラクターは、下町育ちで義理と人情に厚く、涙もろくてお人よし、どこかのオッチョコチョイとおなじで女に惚れやすい。
 柴又という東京の「田舎」で子どものように思う存分遊びまわり、観る者を笑いと泪の世界へと連れて行ってくれる。けだし渥美清は名優であったと思う。私生活は一切明らかにせず、新聞によると家を離れて都内のマンションに一人で住み読書ばかりしていたという。若い頃は結核で入院してから、タバコはもちろん酒も口にしなかったという。こういう《名人》はあと百年もしないと出てこないだろう。
 いつも失恋するのはイイ。ところがかならず女性の相手の男が寅みたいに「バカ」なんかではなく、大会社の社長だったり大学教授だったり、いわゆる市民社会における《上流階級》の人間である。恋愛が絡まなくとも、このシリーズには弁護士とか芸術家とか小説家といった人間が登場してくる。しかも肯定的に描かれる。そうした場面になるとなにか観るほうもシラケてしまうのはなぜだろうか。たぶん監督の山田洋次も、子どものころから貧乏なプロレタリアの家庭の出身ではなく、父親がインテリとかいう環境のなかで育ってきたようなニオイがしてならない。それでも「下町の太陽」(一九六三)でのように《下層階級》や庶民に眼を向けていこうという視線はよいとしても、一方でどの作品をとっても、貧しくて最底辺でももがくような生活は描かれることなく、あくまでも貧しくとも明るく生きる楽観主義で描かれてしまっている。こうしところに、貧しさや差別をとことん見つめていくという浦山桐郎の「キューポラのある街」(一九六二年 主演・吉永小百合)の足元にも及ばない軽さを感じさせられてしまう。
 山田洋次のこのような演出には渥美清も必ずしも快く思っていないフシが伺えるが、大衆迎合主義の山田によって、いつまでも寅次郎として使い果たされ、ついには殺されてしまったといっても過言ではないように思えてならない。

 渥美清が亡くなって「男はつらいよ」を撮れなくなった山田は、今度は西沢周平に目をつけて「武士の一分」を撮って成功した。
 だが、これは、原作者の西沢周平が東北地方のある藩権力の抑圧の中で、下級武士の清貧な生活を共感をもって描いたということの結果なのである。
 他には「学校」シリーズ全四作品があるが、偽善性に満ちた駄作に終わり、最近の「母べえ」や「おとうと」は見向きもされなくってしまっているのではないだろうか。
 以前の作品である「幸福の黄色いハンカチ」(一九七七年一〇月に公開)や「遙かなる山の呼び声」(アメリカ映画「シェーン」のリメイク、一九八〇年三月に公開)のヒットは主演が高倉健だったからこそというべきであろうか。

 日本映画学校(一九七五年に横浜放送映画専門学院として開校)の創設者であった今村昌平は二〇〇六年に七九歳で亡くなったが、映画史に残した数々の名作を残した。広島への原爆投下を描いた井伏鱒二原作の「黒い雨」(一九八九年)はいまだに人びとの心に訴える力を持ち続けている。
 一〇〇歳を前にして今なおメガホンを握り続ける新藤兼人は、自分の妻であった乙羽信子の命を削ってまで「午後の遺言状」(一九九五年公開、新藤が監督と脚本を兼任)を完成させた。二人とも映画監督であることにこだわり続け、作品を通じて命がけで仕事に取り組む姿が観るものに強い印象をあたえた。

 山田洋次について言えば、今村や新藤のような反骨精神に溢れる映画づくりに学び、貧困や差別、戦争に対しても正当に向き合い、義理や人情を描くにしても今日の民衆というものを社会からあぶりだすように見つめなおす必要があるだろう。もっとも山田も高齢になったので、心を入れ替えろといっても無理かもしれないが、それにしてもそうなってくれればよいのにと淡い期待をしてみたい気もする。  (H・T)


映 評 

    
遠くの空

     監督  井上春生

     
主演 松木美江 ・・・ 内山理名

            柳正培(ユウ・ジョンベ) ・・・キム・ウンス

               松木明子 ・・・ 黒田福美


 主人公の美江は父を早くに亡くし、母は在日韓国人で、美江は東京にある投資顧問会社に勤務していたが、会社の業績悪化のてこ入れのために韓国から柳が課長として赴任してきた。敏腕をふるう柳の仕事ぶりに美江はしだいにひかれていくのだ、年の差もありそれは淡い恋心を抱いたといえるようなものだった。やがて美江は柳が一九八〇年に起きた光州事件での学生側のリーダーだったことを知るようになる。そして、その時代に交際していた女性の存在も・・・。
 この映画は光州事件という重いテーマを抱え込んだためにその重さに規定され振り回されている。美江と柳は帰路、車を降り、都会の道を延々とさまざまな話をしながら歩いていく。そこは釣堀だったり、波止場だったりする。また、高層ビル群、高層ビルから見た地上の大都市のスクランブル交差点(まるで鳥瞰図のように)、コンビナート、大歓楽街など大都市のその中に生息する小さな人間を対比させるかのようなさほど意味の無いシーン、カットが連続する。ふたりの心象風景を表現しようとしているのかも知れないが、映画の尺をのばそうとする無駄な努力に思えてくる。風景に語らせすぎなのだ。映画の冒頭で、光州あるいはソウル市内での学生・市民・労働者と戒厳軍兵士との戦闘がモノクロのスチール写真で映しだされる。外から激突の音がかすかに聞こえてくる病院かアジトのような場所で負傷した少女が横たわり、若き日の柳が出入りして看病する少女は療養しながら、なぜか太宰治の「斜陽」の文庫本を広げて読んでは「斜陽」の中のワンフレーズを朗読するのだが深い意味はなさそうだ。
 この映画は重いテーマをきちんととらえられないので、核心に迫ろうとすると常にすうっと横道にそれてしまうイメージがつきまとう。また光州事件=学生運動の延長線上の事態であるという固定観念にとらわれすぎているために、少女はある組織から送り込まれたスパイだったという設定におちいらざるをえないのだろう。だからこそ少女は柳を裏切りたくなくて、柳の前から姿を消すということになってしまうのだろう。そしてこの少女が実は美江の母親だったという種明かしにいたってはなにか言わんやである。三〇年の時空を超えてその事実は判明した。まさにご都合主義と言っていい映画なのだ。全体としてもったいぶった語り口はこの映画にとって光州事件は一つの素材にしかすぎないということを如実に物語ってしまっている。冒頭で登場した何枚かのスチール写真で光州事件を表現しているのだが、その表現形態はあまりにも安易すぎる。極端な言い方をすれば、凝縮された一枚の写真で表現するか、光州の現地の風景を取り入れるかでそのことによって表現は劇的に変化したはずだ。最近の日本映画の悪いくせなのだが、すべてをファッション化して、軽く表現してしまう傾向にある。この映画はその悪しき例の一つなのだろう。
 美江の母親が光州にかつて存在し、現在の東京に存在しているのはご都合主義以外の何ものでもない。また学生運動のリーダーだった柳が投資顧問会社でマネージャーにいそしんでいたが、学生時代を思い起こし反省させるシーンは一つの救いか、いやそうではないだろう。
 やはり井上監督は光州事件に真摯に向き合ってはいないのだ!  (東幸成)


KODAMA

   
 マスコミ批判

 学生運動が華やかだった頃に、学生たちの間ではよく「商業新聞」という言葉が使われていた。当時の学生や政党、労働組合は自分たちの主張を全面的に押し出し、一般大衆にも支持されていたメディア=新聞、雑誌を発行しており、企業や時の権力の意向に左右されがちな一般紙を、ある種侮蔑的な意味をこめてこう読んでいたのだった。
 作家の森村誠一氏は一個の表現者として自ら火の粉をかぶる覚悟で取り上げなければならないテーマとして、一、天皇制批判、二、日本軍のかつての戦争犯罪の追及、三、差別問題、を挙げているが、新聞は表現者ではなく報道が主な仕事であるといわれればそれまでだが、例えば誰かの論説という形でその人物に責任を負わせるということでもいいから、いまだに社会に大きな問題を投げかけているこれらのテーマにも社会的責任を果たすために意欲的に取り組んで欲しい。
 かつて日本の新聞は、いわゆる一五年戦争その最たる「大東亜戦争」において軍国主義に協力するということで生き残り、これに反対する言論人は例えば「横浜事件」のように投獄され、特高に殺されるものもいた。
 新聞の功罪は六〇年安保改定の時にも見てとれる。当時、全学連(全日本学生自治会総連合)主流派が戦後空前ともいえる日本の変革運動をリードしていた。一七万人とも言われる人びとが国会を取り巻く中、事態の重大さに恐れをなした当時の首相・岸信介は五月一九日、「《声なき声》にも耳を傾けなければならぬ。今のは声ある声だ」と記者会見した。これが逆に火に油を注ぐ結果となり、「声なき声の会」という市民の会が、一般の商店主や会社員、中には芸者さんまでが参加して「安保反対」と声をあげながら三百人余りが国会へデモをかけたという。
 そして六月一五日、国会南通用門へ学生が突入する中で、東大生の樺美智子さんが二二歳という若さで命を落とした。
 当時はラジオや新聞はおおかた学生たちの行動には好意的で、岸の強行策には批判的であった。
 ところが一七日の朝刊では在京七新聞(朝日、産経、東京、東京タイムス、日本経済、毎日、読売)は「暴力を排し議会主義を守れ」という共同宣言を発表した。それも岸が退陣する以前のことであり、早々と闘争の終戦処理に出た。これには評論家の中野好夫や樺美智子さんの父で中央大学教授の樺俊雄などの人びとが、「全学連の学生たちをして国会構内への侵入を余儀なくさせた政府の非民主的行動は不問にするというのであるから、これほど不条理なことはない」と非難している。
 新聞は、それまでの自分自身の歴史をいま一度顧みて、過ちを認め、少なくとも戦争には二度と加担することのないよう襟を正すべきであろう。  (R・T)


せ ん り ゅ う

   冤罪の根っ子検事のゲーム趣味

   やくざより恐喝凄し検事どの

   検事さん作文だけの優等生

   先覚の無い大臣でよわりよう

   ルースさん私的訪問長崎に

   知事選は反基地みんな一筋で

      ・

   先輩の知恵人生のレアアース

            ヽ史 (ちょんし)

 ○ 人間ルースの顔を見せてくれた。早くに、アメリカ大使として長崎広島に反省の謝辞懺悔を捧げて下さい。
 ○ ハイテクに欠かせぬレアアース(希土類)は八百段階もの精錬によって抽出される。先輩たちの精錬を極めた教えは誠に尊く人生を豊かにしてくれる。


複眼単眼

    
菅伸子の本のタイトルは名言だ

 菅直人が民主党代表選挙で小沢一郎を破って再選された。その後、組織された第二次菅内閣の顔ぶれは、仙谷官房長官や、前原外務大臣、枝野副幹事長など右派新自由主義的な「凌雲会」系人脈の重視など、危惧していたような布陣になった。このグループは、未熟でかつ硬直した路線のゆえに、発足直後に中国との間で尖閣列島問題を引き起こし、まともな対応もできずに、窮地に立たされた。
 問題なのは内閣において菅直人首相の存在感がないことだ。首相のリーダーシップが見えてこないのだ。鳩山内閣に於いても、副総理という重要な位置に座りながら、ほとんど存在感がなかった。当時は鳩山の次を狙って、ただひたすらおとなしくして、失点を作らないでいるためだ、虎視眈々として次期総理を狙っているからだと、一部でいわれていた。
 そのかいあって、まんまと首相の座に座ることができたわけだが、菅直人はその座を維持するために凌雲会グループと手を結び、小沢一郎と対立した。しかし、今では仙谷由人が影の総理と言われるほど、困ったことに菅直人が何を考えているのか見えにくいのだ。民主代表選では、マスメディアも反小沢で菅支持を煽ったが、肝心の菅直人の主張が見えない。せいぜい、消費税アップとか、「一に雇用、二に雇用、三に雇用」とか、少し理念的なものでは「最小不幸社会」という程度のことだ。
 以前、この欄で菅の著書「大臣」(岩波新書)を紹介したが、たいした著書ではない。
ところで、妙な本がある。菅直人の妻の伸子が鳩山辞職、菅首相就任直後の七月末、参院選での民主党敗北の前に書いた本のことだ。タイトルは「あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの」(幻冬舎)という長い名前の新書だ。帯には「夫・菅直人を叱咤」と書いてある本で、話題を集めた本だから知っている方も多いと思う。タイトルだけ見ると、菅直人を貶(けな)しているような名前だが、読んでみると、結局は菅直人の太鼓持ちをしているような本だ。でしゃばりで有名な伸子氏が彼女一流の表現で夫の宣伝をしている。ジャンクブックを連発する「幻冬舎」のベストセラー戦略で作られた典型的な無内容の本で、あえて買う必要のない本だ。
 しかし、「売らんかな」を狙って付けたこのタイトルがいまでは、なんとも適切なのだから皮肉なものだ。たしかに私たちは問わなくてはならない。「菅直人が総理になって日本の何が変わったの」と。裏付けはなく、結局裏切ったが、鳩山由紀夫は人びとに期待を持たせるような「夢」を語った。小沢一郎は「国民生活が第一」と叫んだ。小沢をまねて、代表戦で「私にも夢がある」と叫んだが、菅には「夢」がない。菅直人は「一にも、二にも雇用」などといったが、雇用の悪化は変わらない。沖縄の日米合意は継承をとなえ、沖縄の民意と全く対立し、出口すら見えない。伸子氏に言わせると菅は改憲は考えていないとのことであるが、先の「新安保防衛懇報告」や「国防白書」を見ると、自民党政権時代と変わるどころか、前原らが満足するであろうようなより危険な代物だ。「いったい、日本の何が変わるの」とはこっちがいいたい台詞だ。 (T)