人民新報 ・ 第1271号<統合364号(2010年11月15日)
  
                  目次

● 11・3憲法集会  /  武器輸出三原則見直しなどによる解釈改憲阻止へ !  基地撤去へ沖縄県知事選勝利を !

● 第24回団結まつり  1047名問題 残された「雇用」の解決を

● 今国会で「郵政改革関連法案」の成立をめざし、郵政産業労働組合と郵政労働者ユニオンが共同行動

● 《国際共同行動》 PEACE WEEK   武力で平和はつくれない〜もう一つの日米関係へ

● チリ鉱山労働者救出報道に思う

● 名護市民の民意を沖縄県民の民意へ  県内移設がってぃんならん

● 労働者派遣法の改正を実現しよう  今国会での成立を !

● イラク帰還兵の話を聞く  岩手・盛岡

● 秋の四国ピースサイクル  伊方へ走る !

● 映 評  /  「桜田門外ノ変」

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  第九条を掲げて、争いの東アジア から平和と共生の東アジアへ





11・3憲法集会

  
武器輸出三原則見直しなどによる解釈改憲阻止へ !  基地撤去へ沖縄県知事選勝利を !

 一一月三日の憲法公布の日を記念して、東京の韓国YMCAスペースYホールで、11・3憲法集会実行委員会(「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、憲法を生かす会東京連絡会、市民憲法調査会、全国労働組合連絡協議会、日本消費者連盟、VAWW―NETジャパン、ピースボート、ふぇみん婦人民主クラブ、平和憲法 世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくりだす宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会)の主催で、「11・3憲法集会 沖縄から問う憲法と日米安保」集会が開かれた。

 主催者を代表して市民連絡会の高田健さんがあいさつ。小泉・安倍時代の明文改憲策動は押しとどめられたが、このことに果たした市民運動の役割は小さくない。いまは、解釈改憲によって九条を骨抜きにしようとしている。この八月に出た菅首相の諮問機関である「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」がまとめた報告書「未来への安全保障・防衛力ビジョン」は、三木内閣以来の国是を変更しようとしている。「基礎的防衛力整備」構想や武器輸出三原則や非核三原則などの見直し、そして集団的自衛権の解釈見直しと憲法解釈の変更を提言している。これを、年末に策定するとされている日本の軍事力のあり方の基本的指針を示す新「防衛計画の大綱」に入れようという危険な動きがある。尖閣列島問題で偏狭な右翼ナショナリズムが煽られるなか、自衛隊の増強による南西諸島防衛などが主張され、産経新聞などはもはや憲法前文や九条は時代に合わなくなったとキャンペーンしている。いま、参議院にも憲法審査会を設けて、民主・自民が合意すれば改憲手続きに入れるような状況が作られようとしている。こうしたことが菅首相の言う日米同盟の深化ということだ。しかし、この間に全国で行われた辺野古新基地建設に対するシール投票の結果を見ても七〇%の人が基地反対と答えている。一一月末には沖縄県知事選が闘われる。沖縄基地問題は、沖縄だけでなく、全国の一人ひとりの問題だ。緊張と戦争への政策ではなく、平和で友好的な東アジアの環境を作り出していこう。

 講演は、弁護士で普天間基地爆音訴訟弁護団長の新垣勉さんが行った。
 沖縄の長い歴史を見る上では、三つの視点が大事だ。第一に一六〇九年の薩摩による侵略があり、つづいて悲惨な沖縄戦とその後の米軍による占領であり、最後に一九七二年の復帰以来の米軍基地と平和憲法の矛盾ということだ。普天間基地の危険性が大きな問題になっているが、そもそも普天間基地は、アメリカ航空局も認めている飛行場の安全性の確保のためのクリアーゾーンを設置していない。普天間基地は、沖縄戦の最中に作られたものでクリアーゾーンを確保しないままで海兵隊の基地となった。そこに戦後、住民が当然にも帰ってきたのであり、極めて危険な状況にあるもので、本来あってはならないものが日米安保によっておかれている。伊波洋一さんは、普天間のある宜野湾市長としてこうした指摘をアメリカにも行って主張するなどの活動を踏まえて県知事選にむかっている。
 日米安保は変質している。安保条約第六条は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持の寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」としているが、一九九六年の「日米安全保障共同宣言―二一世紀に向けての同盟―」では「日本の防衛及びアジア太平洋地域の平和と安定」に拡大され、二〇〇五年の「日米同盟:未来のための変革と再編」では、ついに世界的な規模にまで拡大された。それも安保条約そのものは一切変えることなく行われてきたのである。
 しかし、基地は支えるものがなくしては存在しない。基地は、日常的なサポート、自由使用、政府の公的サービス支援、政府の財政的支援(思いやり予算)が不可欠だ。なかでも自由使用は、日米地位協定(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)の第三条(施設・区域に関する合衆国の権利)で規定されている(「合衆国は、施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる。日本国政府は、施設及び区域の支持、警護及び管理のための合衆国軍隊の施設及び区域への出入の便を図るため、合衆国軍隊の要請があったときは、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で、それらの施設及び区域に隣接し又はそれらの近傍の土地、領水及び空間において、関係法令の範囲内で必要な措置を執るものとする。合衆国も、また、合同委員会を通ずる両政府間の協議の上で前記の目的のため必要な措置を執ることができる」)。つまり何でもできるということだ。その結果、米軍にとって非常に居心地のいいところになってしまっている。
 基地をなくすには、さまざま手段を使って住み心地の悪い状況にすることだ。すでにアメリカは巨額の財政赤字となっていて、軍事費の削減をせざるをえない。イギリスは大幅な国防予算カットに踏み出そうとしている。アメリカは冷戦後もその支配権益を守るために地球規模の軍事展開を行っているが、「同盟国」への負担分担をふやしている。とくに日本へのいっそうの負担増大の要求が示されている。だが、日本も財政赤字ということではアメリカに負けていな。地位協定で、在日米軍基地は爆音・騒音も勝手だということだが、これには横田、厚木、嘉手納、普天間など各地で爆音訴訟が闘われた結果、億単位の巨額の賠償金が支払われるようになった。これも日本の税金からだが、政府にとっては大きな打撃となっている。
 また、基地をめぐる環境の変化、基地の弁証法ということを強調したい。沖縄は、経済的に基地に依存していて基地撤去は不可能だという意見があった。沖縄における基地経済の比重は、一九七二年度でみると県民総所得四八五一億円のうち基地経済関係受取は八三〇億円で、全体の一七・一%もあったが、二〇〇七年度では県民総所得三兆九三七九億円のうち基地経済関係受取は二〇八八億円となり、わずかに五・三%だけになってきている。基地が撤去された場合の経済効果についても計算されているが、それによると、現状のままの基地の経済効果は、四二〇六億六一〇〇万円だが、SACO最終報告書のとおり、基地が返還された場合の跡地利用効果は九一五五億五〇〇〇万円となり、基地経済効果の二・一七倍となる。そして、基地が完全に撤去された場合の跡地利用効果となれば、四兆七一九一億四〇〇万円となり、基地経済効果のなんと一一・二一倍にもなるのである。
 基地撤去に向けての戦略が必要だが、その点で大事なのは、基地は地域の支援なくしては機能できないということで、住民運動と自治体が連携した闘いが重要である。地方自治体と住民が一体となって自治体の持っている行政力を発揮することで国と闘うことが、絶大な力を発揮するのである。
 なんとしても行政力を私たちの側に引き寄せよう。
 沖縄県知事選で勝利しよう。

 千葉利江さん(東京大空襲訴訟原告)と志葉玲さん(イラク戦争検証運動ネットワーク)が発言し、つづいてベトナムの民族楽器トルン、ピアノが演奏された。


第24回団結まつり

   
1047名問題 残された「雇用」の解決を

 一〇月二四日、亀戸中央公園で、第二四回団結まつりが開催され、総数七四の出店団体、来場者は一万八〇〇〇人となるなど成功を収めた。一〇四七人問題の政治解決を受けての今回のまつりは、残された「雇用」を団結して断固として闘いとる決意を確認する場でもあった。
 ステージ第一部が始まり、国鉄闘争共闘会議の二瓶久勝議長が主催者を代表して開会挨拶。当事者・家族、四者四団体、政治家の力によって国鉄闘争は解決に向かうことができた。しかし雇用問題が残っている。政府・国交省からJR各社へ要請をしてもらうが、もし拒否された場合には大衆行動で闘う。雇用を獲得するまで闘いは終わらない。
 鉄建公団訴訟原告団の佐久間誠事務局長は、私たちの要求は勝ってJRに戻ることであり、何としても雇用を勝ち取りたい、と決意を述べた。
 第二部では、闘いのアピール、歌、踊り、神田香織さんの講談などがつづいた。
 第三部では、四者を代表して鉄建公団訴訟原告団団長酒井直昭さんが、全面解決まで全力を挙げて闘うと決意表明。
 最後にアピールを確認し、団結ガンバローを行った。


今国会で「郵政改革関連法案」の成立をめざし

       
郵政産業労働組合と郵政労働者ユニオンが共同行動

 小泉政権のペテン的な郵政民営化法の強行成立、そして民営化・分社化の強行から三年が経過した。しかし、予想通り国民・利用者へのサービスは著しく低下し、それへの大衆的な反発を重要な要素として、ついに自民党政権は崩壊し、政権交代が実現した。国民・利用者へのサービスと利便性を向上させる「郵政改革」が求められている。民主党・国民新党政権は、「郵政改革関連法案」を国会に提出した。それは、郵便、貯金、保険の基本業務について、あまねく全国で公平な利用を確保することを郵政改革の目的に組み入れ、金融サービスも含めユニバーサルサービスとして実施する責務があるとしている。また、労働環境の整備が盛り込まれている。

 一〇月二七日、郵政産業労働組合と郵政労働者ユニオンは、サービス・利便性を向上させる「郵政改革」を!、金融・通信のユニバーサル・サービスの確保を!非正規雇用の「処遇改善」、希望者全員の「正社員化」を!などを求めて、「郵政改革法案の臨時国会での成立をめざす10・27国会行動」を展開した。
 国会前での集会には、両労組の組合員をはじめ一〇〇名が結集した。
 午後二時からは、院内集会が開かれた。主催者の郵産労の広岡元穂委員長は、国民サービスの低下をくい止めるためにも郵政改革を実現しなければならない、現在の法案にはいろいろ意見はあるが、国民のための郵政事業の確立に向けて改革を迫っていこう。
 主催者の郵政ユニオンの松岡幹雄委員長は、ペリカン便との統合などもありいま職場は大混乱だ、郵政改革問題を政争の具にすることなく早急に改革法の成立が必要だ、と述べた。
 郵産労・郵政ユニオンによる「郵政改革関連法案の臨時国会での成立をめざす共同声明」(別掲)が発表された。

郵政改革関連法案の臨時国会での成立をめざす共同声明

 郵政民営・分社化が強行され三年が経過した。この間の民営・分社化の中で郵政サービスは大きく後退し、国民・利用者の利便性も著しく低下している。また、「かんぽの宿」問題に見られる民営利権の問題も明るみになっている。さらに、西川前社長が強引に進めたゆうパックとペリカン便の事業統合は、大混乱をもたらし事業の信頼失墜をもたらしている。郵政民営・分社化を早急に見直し、国民・利用者へのサービスと利便性を向上させる「郵政改革」が求められている。
 政府は、先の国会に「郵政改革関連法案」(以下、政府案)を提出したが国会の閉会とともに廃案となっている。私たち両労組は、これまで金融・通信ユニバーサルサービスの確保、三事業一体経営、一社体制、公的事業形態を内容とした郵政改革をめざしてきた。その立場から政府案については、これを批判し、修正を求めてきた。しかし、七月一一日の参議院選をへて国会情勢は大きく変化をした。参議院段階では、野党が多数となり政府案の法案通過は困難な情勢となっている。こういう厳しい情勢の中、国民新党と社民党は七月二二日「合意書」を取り交わし、政府案の成立をきすことを確認している。一方、「みんなの党」は、郵政民営化促進法案を提出する構えも見せており秋の国会は郵政民営・分社化の見直しか郵政民営化の促進かはげしい対立が避けられない情勢となっている。
 政府は、今臨時国会で再び同内容の政府案を一〇月一三日国会に提出した。政府案については、国や新日本郵政が、郵便、貯金、保険の基本業務についてあまねく全国で公平な利用を確保することを郵政改革の日的に組み入れ、郵政三事業を郵便局で一体的に利用できるようにするとともに将来にわたり郵便局ネットワークを維持することを明らかにしている。また、これまでの五社分割から三社体制へ再編し、国の新日本郵政持ち株が三分の一超、新日本郵政の金融二社の持ち株が三分の一超と規定し、一体性を確保するとしている。さらに、労働環境の整備が盛り込まれ、非正規雇用や処遇改善へ踏み出そうとしている。このように、政府が臨時国会で成立を期す「郵政改革法案」は、現行の「郵政民営化法」に比較すれば国民・利用者・労働者にとって一歩前進といえる。
 現状のままでは、政府案の成立も危ぶまれる情勢となっている。万一、この臨時国会を逃せば、郵政民営・分社化の見直しは更に遠のくこととなり、当然、私たちが要求しその実現に全力をあげている郵政非正規雇用の見直しと正社員化にも多大な影響を与えることとなる。政府案を否決させず今国会で可決・成立させることが必要だと判断する。
 しかし、政府が提出した「郵政改革法案」が一歩前進であるとしても、株の出資比率や金融のユバーサルサービス確保など、修正すべき点もある。したがって、政府案のもつ問題点や課題についてはしっかりと指摘しその修正をめざすことは当然である。
 今回の政府案を第一歩とし、公共サービスのあり方と事業形態を検証し、さらに「郵政改革」を国民・利用者本位のものとし、あるべき「郵政改革」に近づけていくことが必要である。
 私たち両労組は、今後一層共同を強め、今臨時国会で「郵政改革関連法案」の成立をめざすことを明らかにし声明とする。

二〇一〇年一〇月二七日

        郵政産業労働組合  中央執行委員長 廣岡元穂

        郵政労働者ユニオン 中央執行委員長 松岡幹雄


《国際共同行動》 PEACE WEEK

      
武力で平和はつくれない〜もう一つの日米関係へ

 一〇月一七日、約六〇〇人の市民が参加して、東京の芝公園23号地で「《国際共同行動》PEACE WEEK 2010武力で平和はつくれない〜もう一つの日米関係へ、やめさせようアフガン戦争、なくそう普天間基地、つくらせない辺野古新基地」を掲げた集会とピースパレードが行われた(主催・同東京実行委員会)。
 このPEACE WEEKの期間中には、普天間基地の名護・辺野古への移設に賛否を問う市民シール投票が取り組まれ、本土でも多くの人が辺野古新基地建設に反対している結果が確認された。
 集会では、ピースボート共同代表の野平晋作さんがオープニングの挨拶。グリーンピースジャパン事務局長の星川淳さん、JVC(日本国際ボランティアセンター)のアフガニスタン現地代表の長谷部貴俊さん、また在日アメリカ人のエミリー・マグローンさん(US FOR OKINAWA)が発言した。福島みずほ社民党党首は、なによりも沖縄県知事選で伊波洋一さんの勝利を勝ち取ろうと述べた。
 集会では「オバマ大統領への手紙」を採択した。そこでは、アフガンからの撤退と普天間基地の返還などを要求するとともに、「私たちは、『武力で平和はつくれない』という真理をあなたが共有され、それを行動で示されることを期待しています。それによって初めて、信頼と平和の『もう一つの日米関係』が生まれるからです」と呼びかけた。
 また、米国の市民団体「ピースアクション」から届いた連帯のメッセージが紹介された。
 集会後、アメリカ大使館へのピースパレードに出発した。


チリ鉱山労働者救出報道に思う

 八月に発生したチリ鉱山の落盤事故で、地下七〇〇mの避難所に閉じ込められた人達の救出は連日テレビで報道された。そして事故発生から六九日後に、三三人が全員無事に生還した。これはまさに奇跡そのものである。この感動的な出来事をテレビなどのマスメディアは報道したが、どのテレビ局も径四五p程の救出孔を「穴または立穴」と、キャスターは言い、解説フリップもそう表示していた。通常、鉱山では「穴」という言葉は決して口に出して言わない。文章でも使わない。「穴」は墓穴に通じ、鉱山や炭鉱などに働く人達は忌み嫌うからである。正確には掘削孔、救出立(竪)孔と表現すべきである。人が忌み嫌う言葉をよく調べもせずに使用し、人の心情を傷つけるとは何と無神経な事なのであろうか。

 テレビ報道では「穴」以外に、「作業員」とか「トンネル」とかの語句を使用していた。坑内で地質や鉱物に関することを調査していた専門技術者の方が三三人のなかに居たという。坑内調査や採掘作業は地上での作業とはまったく違って、劣悪極まる環境や危険リスクが隣合わせのもとでおこなっている。鉱石採掘、積み出し、運搬の作業や専門の坑内調査に従事している人達を単に「作業員」と呼んでいいのだろうか。私は過酷な坑内作業や調査をしている方達にその労苦にねぎらいと尊敬の思いをこめて、坑内技術者と呼ぶべきではないかと思っている。また、鉱山の坑道は「トンネル」とは言わない。
 テレビ画面では、坑内の様子が映っていた。しかし、坑道の天盤や側壁にしっかりとした支保工がなく、貧弱な金網だけが設置されていたのを見て、身震いがしたのを覚えた。このような安全管理と危機管理がほとんどなされていない鉱山が、チリ有数の銅山であることに驚いている。
 しかし、それにしても、すでに開孔していた孔をリーミング(拡孔)したとしても、七〇〇mの驚くべき長さにわたって、三三人が待つ避難所に寸分違わず見事に到達させたということは、まさに神技そのものである。通常、掘削孔(ボーリング孔)は孔曲がりするものである。孔の中心から数pもずれることなく、避難所に到達させた掘削技術者の神技的な技術に驚嘆し、最高の敬意を表するものである。他国の出来事とはいえ、「奇跡と神技」の現実に直面したことに、私は本当に生きていて良かったと思うのである。

 また、極めて感動的であったのは、救出される前に避難所の三三人の人達が肩を寄せ合ってチリの国旗をバックに国歌を熱唱していたことであり、救出された一人の方が地上で待っていた仲間と力強く抱き合い、「チリ、チリ、チリ、鉱山労働者万歳!」と激唱したシーンを見て感激の涙をとめることが出来なかった。これらの事から、私は人間同士の力強い相互信頼と団結や連帯こそが人が人であることの証であると強く実感するものであり、これこそが人間社会の真の姿であると思うのである。
 チリ鉱山での奇跡的な救出を果たした出来事は、地下七〇〇m(!)での二ケ月(!)に及ぶ避難生活、地上での懸命かつ献身的な救出部隊の活躍、救出孔を掘削した技術者の驚くべき神技的な技術、地上で必ず生還すると信じて仮設テント暮らしをして、困難な生活にも挫けることなかった家族の人達、世界中の人達からの手厚い支援と祈り、これらが今回の奇跡を実現させたものである。まさに「絶望と不可能」に打ち勝った素晴らしく、輝かしい出来事であり、私たちが学ぶべき点は数知れない。
 チリ鉱山事故に遭遇した三三人の人達と救出に関った、全てのチリ鉱山労働者の人達の相互信頼、団結そして力強い連帯と家族の方たちの熱愛に最大限の拍手を送りたい。チリ鉱山労働者万歳!  (横山一夫)


名護市民の民意を沖縄県民の民意へ

          
県内移設がってぃんならん

 一〇月二二日、文京区民センターで「普天間基地の閉鎖・撤去 辺野古新基地建設反対〜名護市民の民意を沖縄県民の民意へ〜県内移設がってぃんならん大集会」が開かれた。「がってぃんならん」とは「許さない」ということである。
 はじめに名護市議会議員の仲村善幸さんが発言。 
 名護市議会では、一〇月一五日に、圧倒的多数の賛成で「(名護)市議会は市民の生命及び財産を守る立場から、辺野古への務設は容認できない。したがって、政府に対して名護市民、沖縄県民の総意を踏みにしろ『県内務設の日米合意』に、激しい怒りを込めて抗議し、その撤回を強く求めるものである」という決議をあげた。名護市は、今年の一月の市長選、九月の市議選、そして今回の日米合意反対の決議と闘いに勝利してきたが、沖縄県知事選では、沖縄にとっても日本にとっても歴史的な勝利をかちとりたい。

 特別報告は、宜野湾市長を辞任して県知事選の立候補にむけて活動している伊波洋一さん。
 沖縄県民は県内移設は許さない。二月には沖縄県議会が、普天間「国外・県外移設求める」意見書を可決し、四月の県民大会で県民の意思を明らかにした。しかし、政府は辺野古移設の日米合意を行った。その後の名護市長選では辺野古の地元で基地反対派が圧勝した。普天間基地は、世界一危険な基地といわれるようにその存在はきわめて異常なものだ。選挙で勝って基地撤去を知事として主張していきたい。みなさんの支援をお願いする。また、尖閣諸島問題であるが、沖縄と中国とは長い歴史がある。話し合いができないわけは無い。平和的な話し合いで、沖縄周辺を平和の海にするように、日本・中国両国政府に対して求めたい。

 平和フォーラム、全労協、平和委員会があいさつ、労組、市民団体からの発言があり、参加者一同で沖縄県知事選を闘う決意の確認をした。


労働者派遣法の改正を実現しよう

           今国会での成立を !


 雇用問題が一段と深刻化するなかで労働者派遣法の抜本改正はまさにまったなしの状況にある。にもかかわらず人材派遣業界などからの巻き返し圧力は強まり、政権交代前の野党三党案からかなり後退した今の法案でも先の国会からの継続審議となっているが今国会でも依然として成立のめどが立っていない。労働側はいまこそ力を結集して派遣法改正のために運動をもりあげる時期である。

 労働者派遣法改正案の早期の審議入りを求めて、一〇月二五日午前一一時から、一六〇人が参加し、衆議院第二議員会館前で、派遣法抜本改正を求める共同行動の主催による「派遣法抜本改正を求める国会前行動」が行われた。集会では、労働弁護団佐久間大輔事務局長、社民党の福島みずほ党首、吉田忠智参議院議員、日本共産党の高橋千鶴子衆議院議員などが連帯のあいさつを行った。全労協、全労連、全国ユニオン、大阪共同行動、神奈川シティユニオン、韓国シチズン労組、JMIU、全日建連帯労組、首都圏青年ユニオンなどから決意表明が行われ、国会にむけてシュプレヒコールを行った。

 午後一時からは、衆議院第一議員会館で、日本労働弁護団の主催による「今国会における労働者派遣法改正案の成立を求める院内集会」が開かれ、二二〇名が参加した。
 日本労働弁護団の徳住堅治副代表が開会挨拶。労働弁護団は、一〇月五日に、「今臨時国会で、改正法案について十分な審議を尽くしたうえで、改正法を早期に成立させるよう強く求める」という内容の「声明」をだした。規制強化に車のギアをチェンジしなければならない時だ。
 基調報告は幹事長の水口洋介弁護士が行い、法案は不十分な面もあるが様々ところで活用できる部分を含んでいる。今回で派遣法改正を実現し、それをまず第一歩前進ということで、今後の抜本改正に向けて運動を進めていこう。
 集会では、全労協、全労連や各地からの報告、グッドウイルユニオンと日産労働者からの報告があった。


イラク帰還兵の話を聞く

        岩手・盛岡


 〇三年三月に開戦したイラク戦争の帰還米兵たちが反戦の願いを込めて、戦場・現場での体験を語る「冬の兵士証言集会」が一〇月九日、岩手県の盛岡、北上の両市で開かれた。盛岡集会では、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)のジェフ・ミラード元会長(二九歳)が「戦地で人の死が影響を与えないことは無い。帰還しても私の中で戦争は終っていない」と自分の苦悩や戦争の不当性を訴え、来場した約三〇〇人は熱心に耳を傾けた。
 ニューヨークの陸軍州兵だった〇四年一〇月、イラクへ派遣され、基地内で無線傍受を担当したミラード氏は帰国前後の心境を振りかえった。「わたしがイラクに行ったのは臆病だったからだ。多くの人の意識が戦争に向かうとき、反戦を口のする方が勇気がいる」。
 鮮明に覚えている出来事がある。「約三〇〇人のイラク人武装集団に囲まれ交戦中」と無線報告を受け、航空支援隊に連絡。出動した武装ヘリなどの攻撃でイラク人一七五人が死亡した。だが、武器は自動小銃三丁しか残っていなかった。実際は平和的なデモで、銃は単なる護身用、襲撃と勘違いしたという。「集団が本当に武装していて私が任務を放棄したら仲間が死ぬ。だが結果としてたくさんの罪の無い人を殺してしまった」。
 過酷な体験は身体を蝕む。膝の負傷や背中の変性的骨疾患に加え、心的外傷後ストレス障害などで毎日一八種の錠剤を飲んでいるという。
 同席したホセ・バスケスIVAW事務局長(三六歳)は、多くの貧乏な若者が学費などのため入隊する実態を語った。
 質疑応答で「経済的理由から自衛隊への入隊を考えている」とうちあけた高校生には「除隊後、どんな目に遭うか考えて。入隊前にあらゆる人に就職について相談することが大切だ」と答えた。
 「冬の兵士」は〇八年三月、IVAWが米国で開いたのが始まりで、ベトナム戦争中の七一年に開かれた同名の集会で反戦の世論が高まったことから名を継いだ。   (岩手通信員)


秋の四国ピースサイクル

        
 伊方へ走る !

 爽やかな秋晴れとなった一〇月一六日、
広島ピースサイクルと大分ピースサイクルは海を渡り、愛媛県・八幡浜市で合流して秋の四国ピースサイクルがスタートした。翌日開催される第二四回伊方集会に向けての街宣ピースとして、八幡浜市から松山市に向けて自転車四台に伴走車一台で幟旗をつけアピールを行ないながら走りました。
 松山市に到着してからは、松山市駅前でアピールを行いながら「原発さよなら四国ネットワーク」作製のビラを配布しました。その後、四国ネットの方と一緒に商店街に移動して自転車を押してアピールを行いました。
 一七日は、前夜駆けつけた大阪ピースに広島からの日帰り組も伊方町で合流して、午前中は八幡浜から半島の先の三崎までのビラ入れに参加しました。青空の中、一一時半には、瀬戸町農業公園に集合して「原発とめよう第二四回伊方集会」が始まりました。参加者からのアピールや歌ありと盛りだくさんの内容ですが、今回の集会での目玉はメッセージ入りの短冊作りと設置でした。用意された木製の短冊は横二〇センチ縦三〇センチ位で赤・白・黄色の三色で合計二〇〇枚です。六歳から九二歳の参加者がそれぞれ原発に反対する思いを書きました。作製した短冊は、伊方原発の真上にあり、原発に反対して闘い続けておられる方所有の土地に設置です。国道に面した場所に「原発反対」の大看板が二つ設置されているところを結ぶように参加者が取り付けていきました。三崎に向けてドライブやツーリングの時は直ぐに目に入ることでしょう。
 最後は、伊方原発に向けて移動して、現地の方より現況報告を聞きました。
 一五時前からは伊方原発ゲート前で抗議の申し入れです。
 事前に申し入れを連絡していましたが、四国電力はゲートを閉めて、私たちを中に入れず、ガードマンともども広報担当が対応に出ましたが、抗議や質問にも、「安全に運転しています」を繰り返すのみでした。不誠意な答弁に地元の方が「あんたー、ここへ何年すんどるんや」「いつも不安に思ってすんどる」と言われて全く返事がありませんでした。参加者一同から抗議及び要求書が読み上げられ、四国電力に手渡されました。参加者は怒りのシュプレを行い原発がなくなるまで闘い続けることを誓い「第二四回集会」を終えました。
 二日間の四国ピースサイクルは現地の熱い思いを受け止めこれからも共に闘うことを確認して、それぞれの地に帰りました。   (広島通信員)


映 評

   
   「桜田門外ノ変」

     製作 「桜田門外ノ変」製作委員会
     原作 吉村昭
     脚本・監督 佐藤純彌


            出演
               水戸藩士    関鉄之介 ・・・・ 大沢たかお
               水戸藩主    徳川斉昭 ・・・・ 北大路欣也
               江戸幕府大老  井伊直弼 ・・・・ 伊武雅刀

  「桜田門外ノ変」は幕末日本を驚愕させた大事件であった。教科書にも登場するこの事件の背景について少しふれてみようと思う。
  一八五三年、ペリーが黒船で来航し、日本に開国をせまってきた。
 相当、不平等的な日米和親条約が翌年結ばれるが、アメリカの圧倒的な軍事力・技術力の前に開国はやむをえないという勢力とあくまで幕府を守り抜くという勢力の対立が深まってきた。これがいわゆる開国派と尊王攘夷派の激烈な対立だった。ことに幕府大老として勢力を伸ばしてきた彦根藩主の井伊直弼は開国派の旗頭になり、対抗する勢力の大粛清を断行した。この中で松下村塾の思想家・吉田松陰も粛清してしまう。また水戸藩主の徳川斉昭の政敵でもあり、斉昭を水戸に蟄居させてしまう。これが世に言う安政の大獄であり、井伊直弼のやりかたに憤激した関鉄之介をはじめとする水戸藩を脱藩した浪士一七名と薩摩藩士一名の計一八名が、桜田門外で井伊直弼を討つことを計画し、三月三日に実行に移したのだった。この大事件がおこったことによって、ようやく幕藩体制は終焉に向かうことになった。
 映画は襲撃のクライマックス・シーンから始まる。これは佐藤監督の意図でもあるらしい。季節はずれの大雪が降りしきる桜田門界隈、愛宕山に集結し、桜田門周辺に集結した浪士たちは井伊直弼らの行列が門を出るのを待ち構える。行列が門外に出てくると直訴する振りをしたひとりの浪士が駕籠の前にたちふさがる。そこに井伊をめがけて短銃が発射され、これを合図にいっせいに襲撃が始まる。
 この襲撃シーンはすごい迫力がある。襲撃側と守る側の人間が入り乱れ、降りしきる雪の白さとあいまって、迫力あるシーンが延々と続くように思える。やがて井伊直弼の首を取り、襲撃は終わりをつげる。成功を見届けた関たちは京都へ向かう。三千名の兵で挙兵し、朝廷を守る幕府から守るはずだった薩摩藩は決起しなかった。このあたりから浪士たちの行動の歯車が狂い始め、関たちは幕府側はもちろんのこと、かつての同志だった水戸藩士からも追われる身になってしまう。「我らは井伊直弼の首一つを奪うためにどれだけの多くの命を道ずれにしたのでしょうか」という関のつぶやきはまさに本心の吐露だろうし、自らが信ずる行動に対して、周りの犠牲のあまりの大きさに気づいた時の無念さから出た言葉なのだろう。
 映画の展開は襲撃シーンのあと少し時代をさかのぼり、水戸藩主の徳川斉昭が井伊直弼と対立し、実質的に敗北して蟄居させられる過程をえがく。そのなかで決起にはやる若き水戸藩士は論議を重ね、薩摩藩士も含めてやがて開国派の頭目である井伊直弼を討つべしという結論に達する。このあたりの水戸藩士のたちの隠密裏の話し合いのシーンは真にせまって迫力がある。実に丁寧にそれぞれの水戸藩士たちの性格もえがききっていてたいへん好感がもてる。ただ最初に襲撃シーンがあり、時間を巻き戻し、襲撃にいたる過程をえがく方式は時代のさかのぼり方が短いスパンなので少しとまどってしまう部分がある。関たちの逃亡生活、地方への説得計画は仲間が捕縛されていきだんだん少人数になっていく。彼らの抱いた思いとは裏腹に、自分たちの行動は本当に正しかったのかという疑念を抱いてきているのだろう。かつて盟約を結ぶと言った鳥取藩に裏切られ、薩摩藩領には封鎖されて入ることもかなわなかった。
 この映画は二つの路線の対立、政治闘争をえがいたものであり、関鉄之介も最後には斬首の憂き目に会うのだが、藩を思う美学に、その純粋さに心をうたれる。脱藩した水戸浪士一七名のそれぞれの性格までよくえがかれていると思うし、今から一五〇年前の政治状況をよく映し出している、相当に完成度の高い映画だと言えよう。
 安政七年(一八六〇)の出来事といえば、相当に古い時代のように思えるがたかだか一五〇年しかたっていないのだ。日本の近代史における大事件といっていいだろう。多くの人にこの映画を見てほしい。
 この映画は茨城県の市民団体が最初に企画し完成にこぎつけたもので、撮影場所は偕楽園に隣接する千波湖畔に作られたオ^プンセットも含めてすべて茨城県内で行われたとすれば、地域映画、県民映画などといえば完成度は低いものなのだが、この映画は佐藤監督の力量にも寄るものなのだろうが、相当よくできている。この映画は歴史の一大スペクタクルをえがいているが、時代のさきがけとなった先駆者たちの過酷な運命を思うときに、どうしても暗澹たる思いにたどりついてしまうのははたして私だけだろうか。
 映画のなかでのファースト・シーンで現在の桜田門界隈の映像が映し出され、続いてカメラが国会議事堂へ至る。これはその当時の政治状況が現代の状況にもつながっているという暗喩かもしれないが、無駄なシーンだと思う。どうしても違和感がただよう。江戸時代だけの映像で完結してほしかった。さらにラストシーンに雪の桜田門周辺が映し出されるが、石積みの城壁が平板すぎて凹凸感が少なく、作りもの(ハリボテ感)がですぎてしまっている。もう少しリアリティがほしかった。一九六七年に製作された中島貞夫監督の「日本暗殺秘録」の最初にほんの少し「桜田門外ノ変」が登場する。他に五・一五事件、二・二六事件、血盟団事件などが登場したように記憶している。
 千波湖畔に作られた映画のオープンセットは保存されて、記念館を含めて来年の三月末まで開設されているので見学に出かけるものも一興だろう。   (東幸成)



せ ん り ゅ う

  反戦の旗たかだかとねり歩く

  九条の波紋雨滴の数の数

  知事選へ基地はいらぬの声ばかり

  ジュゴンなど眼中にないCOP

  尖閣のモグラはいったい誰のもの

  武器輸出するか答弁にえきらず

  黒字みな内部留保し景気冷え

  熊的気分わたしゃ野山も街中も

               ヽ 史

  二〇一〇年十月

 ◎ PEACE WEEK国際共同行動の反戦集会とパレードがあった。声を出す一人一人の波紋は広がっていく。
 ◎ 生物多様性条約第 回締結国会議(COP が名古屋で開催。大自然の生命・生物多様性は諸国にとって貴重な資本であることが自覚され、その利権のみが争われた。他方、途上国におけるグローバル企業のたれ流し公害・労災の凄まじきこと恐ろし。センカクモグラが突然マスコミに。
 ◎ 国会論戦で景気回復策として武器輸出三原則の見直しが問われた。とんでもない。


複眼単眼

   第九条を掲げて、争いの東アジア から平和と共生の東アジアへ


 普天間基地問題、尖閣列島問題、北方領土問題、拉致問題などなど、日本政府と東アジア諸国の関係が極度にギクシャクしている。一年前、「東アジア共同体」構想を掲げて、政権交代を実現した鳩山由紀夫前首相の言がなつかしいほどだ。目の前にあるのは民主党政権の迷走だ。
 こういう時には目先の問題だけを見るのではなく、中長期の展望を見据える中で考えることが大事だ。民主党政権にはそれがない。と思っていたら、朝日新聞の十一月二日の夕刊コラム「素粒子」が面白いことを書いていたので紹介したい。
 朝日新聞は船橋洋一が主筆になってから、親米右派の「日本財団」により設立された怪しげな「東京財団」と異様な癒着を推進するなど、いっそう急速に路線転換し、往時の面影もないが、こんなことを書く記者もいるのだなとあらためて思った。
 「★戦争で得たものはたやすく返さない。欧米がつくった世界の掟。米軍基地もまたしかり。かつては日本もそれを利用した。★戦いに明け暮れた欧州が、国境を定めたのが十七世紀。列強は世界中にも、そこに住む人や自然におかまいなしに線を描いた。★もともとアジアの海に国境などなかった。線の引きようで争うより、線を薄めることを考えるのがアジア流ではないのか」
 なかなか含蓄のあるコラムではないか。
 それでも欧州はすでに「線を薄め」EUを創った。世界に非核地帯というのが七つもできている。東アジアのみがまだ二十世紀という前時代の争いを継承している。
現実に紛争が起きている中で世迷いごとに思われるかもしれないが、「東アジア共同体」という夢を語ることはいいことだ。目標があって、展望があって、初めて進むべき道が見えてくる。
 仮想敵を前提にした沖縄米軍基地の「抑止力」、北朝鮮の政治的転覆、実力をもって尖閣を防衛すべき、北方領土を支配するロシアに制裁を、などなどの勇ましい話に引きずられて、ナショナリズムを煽ることは愚かなことだ。
 誰に対する抑止力なのか、北朝鮮敵視政策で拉致問題が少しは解決に向かって進んだのか、尖閣周辺を含む日中漁業協定はこの海の平和を約束していたではないか。 北方領土だって、日本政府もロシア政府も無視するアイヌ民族の主権問題はどうなのか、ロシアが終戦記念日を九月二日に定めたのははたして荒唐無稽な論理なのか。
 少し長いスパンで、冷静に考えるべきことはいろいろある。それをあの能面をかぶったような、硬直した姿勢の前原誠司外相にはできない。
 争いの海ではなく、平和と共生の海を! これは憲法第九条を持つ日本こそができることではないか。かつての侵略戦争の敗北を経て、現行憲法を得た日本にはそう主張する資格と責任がある。歴史が、二十世紀から二十一世紀に移行した今こそ、憲法第九条が輝いてくる。    (T)