人民新報 ・ 第1273号<統合366号(2011年1月15日)
  
                  目次

● 菅政権による日米韓軍事同盟強化反対  東アジアの軍事緊張激化を阻止しよう

● 小泉の手法を真似る菅首相
 

● 春闘に勝利しよう  全労協春闘討論集会

● 「大逆事件一〇〇年」反天皇制運動の集会

● 狭山裁判再審  「事実調べ」で無実は明白になる

● 文化批評  /  反ファシズム、啄木・・・

● KODAMA  /  国家の暴力装置

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  米日韓軍事同盟の亡霊に反対する日韓民衆の連帯を




菅政権による日米韓軍事同盟強化反対

      
東アジアの軍事緊張激化を阻止しよう

 菅民主党政権は支持率の劇的な低下を前にしてもがいている。日本の経済的、政治的、社会的な危機の深まりは、長年にわたる自民党政治を破綻させ、ついに政権交代をもたらした。
 だが、この間に明らかになったのは、民主党も日本が直面する巨大かつ深刻な課題の解決能力を持たず、逆に、政策的なあやまりによる混迷を繰り返して、事態をいっそう深刻化させているということである。いまこそ、アメリカと財界の言うなりになる政治を完全に終らせるために、政治局面を新たな段階へと押し上げるために断固として奮闘すべきときである。

行き詰る菅政権

 〇九年総選挙で民主党はそのマニフェストで自民党政治からの脱却に向けた政策を有権者に約束した。その結果とし政権交代が実現し、自民党政治の終焉をもたらした。
 だが、鳩山政権は沖縄基地問題をめぐっての迷走の末に崩壊し、つづく菅政権は、自民党政治からの脱却という流れを強めるという大衆的な「期待」にまったく逆行して、公約した「五つの約束・五原則・五策」などの路線はほとんど無に帰している。民主党は支持率を低下させ、昨年七月の参院選では大敗して、野党が参院で多数を占める衆参ねじれ国会状況が生れた。
 このことにより、自民党政治への回帰という傾向はますます強まっている。現在の菅政権は、日米軍事同盟深化と財界の利益のための政治という自民党政治と同様またはそれを上回る様相を強めている。とくに、尖閣諸島問題、朝鮮の延坪島砲撃問題は、菅内閣の外交政策を親米と反中の方向へと推し進めた。

東アジア共同体論

 09マニフェスト政策各論の「7・外交」では、@緊密で対等な日米関係を築く、A東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する、B北朝鮮の核保有を認めない、C世界の平和と繁栄を実現する、としていたが、それを対米従属、反中国へと変更した。現在の朝鮮半島情勢の緊張の原因は南北双方、とりわけアメリカとそれに追随する日本にある。この事件への対処を口実に、米韓、米日は大規模な軍事演習を繰り広げた。この二つの軍事演習にはオブザーバーとして日、韓が参加する形で、米日韓三国の軍事演習となった。
 だが、これらの軍事演習は、尖閣、延坪島事件が起こるずっと以前から計画されていたものであった。背景には、アメリカの「アジア回帰」がある。それに日韓の親米勢力がアメリカとの軍事同盟を強化し、また緊張を激化させることによって、政権基盤の弱体化を克服しようとする意図があった。
 菅政権とりわけ前原グループは、こうした状況を作り出す一環を担うとともに、諸事件を最大限に利用して、日米軍事同盟と自衛隊・防衛力の強化に拍車をかけている。
 昨年末には、新防衛大綱と中期防衛力整備計画(二〇一一〜一五年度)を決定した。それは中国を「地域・国際社会の懸念事項」として、南西諸島・島嶼部の自衛隊強化を打ち出した。それととともに、前大綱までの、抑止力重視の「基盤的防衛力」構想を捨てて、多様な事態に機動的に対処するとして即応性や柔軟性を重視した「動的防衛力」の構築を掲げ対処能力の強化へと変化させた。武器輸出三原則の見直しについては、明記を見送ったとはいえ、装備品の共同開発にむけて「大きな変化に対応するための方策を検討する」とするなど三原則緩和の意図は明白に残された。

日韓ACSA

 一月一〇日に訪韓した北沢俊美防衛相はキム・グァンジン韓国国防相との会談で、自衛隊と韓国軍の物品役務相互提供協定(ACSA)の締結に向けて、協議に入ることで合意した。日本はすでにアメリカ(一九九六)、オーストラリア(二〇一〇)との間でこうした協定を結んでいるが、これは、自衛隊が同盟国の軍隊との間で物資や役務の相互利用を行う枠組みを定める二国間協定である。アメリカとは日米共同訓練、PKO(国連平和維持活動)、人道的国際救援活動、周辺事態に対応する活動などがその対象となっている。しかし、日韓の協定では、日帝の朝鮮植民地支配への「配慮」からPKOや国際救援活動に限定する方向になっていると報じられているが、やがて日米ACSAと同様の水準にまで押し上げられていくことは必至であろう。また、日韓は軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の締結についても交渉するとしている。物資・役務および情報を共有しての軍事同盟の具体化・実戦力化である。こうした安保協力には、アメリカからの強力な働きかけがあった。それは米―日―韓三国共同軍事作戦のための準備にほかならない。この動きは、朝鮮半島だけでなく、中国に対応するためにも必要だとされている。

軍事的対抗の拡大

 だが米―日―韓の軍事同盟強化は、北朝鮮のいっそうの硬化した対応を引き出すもととなり、同時に中国における軍拡テンポをも加速させる役割を果たすことになる。中国は米日に対抗するためと称して、航空母艦の建造、ステルス戦闘機の開発などの対抗措置を一段と強めてきている。こうして、いま、東アジアでは、軍事的な緊張が高まり、対抗的軍備拡張競争という泥沼状況に陥りつつある。平和と繁栄ではなく、戦争と軍国主義への傾向が各国で強まっている。それは同時に各国内部で戦争勢力と平和勢力の矛盾・対立の構造を作り出している。緊張激化の状況において最も利益を得るのはアメリカの支配層である。かれらは、中国との経済的な関係を強化させ、また米中軍事交流を図りながら、日中対立を煽り、「中国の軍事的脅威」論、東アジア危機論が広まれば、日本・韓国に米軍を容易に配備できる。とくに日本には、辺野古新基地を作らせ、「思いやり予算」を増額させることができるからだ。各国の軍産複合体、軍国主義・ナショナリズム勢力こそが東アジアの軍事緊張の受益者であり、損失をこうむるのは各国の一般民衆である。各国の予算上では軍事向けが拡大して社会保障などその他の部分が削られる。その上、社会は軍国主義化することになるということだ。

九条による外交を

 いま、東アジア諸国と民衆に求められているのは、隣国との善隣友好関係を作り出すことである。日本の周辺を戦争状態ではなく、平和・友好と発展・繁栄の地域にすることである。日本だけでなく関係各国での大衆受けするナショナリズムが暴走しはじめて、相互自滅的な対決構造ができつつある。しかし、これを阻止して消滅させていくことが日本としての基本政策にならなければならない。日本の民衆は、東アジアの民衆とともにそれぞれの国の戦争勢力との闘いを強化していかなければならない。
 いまこそ、憲法九条を生かした日本の自主的な平和外交がもとめられている。それだけが日本にもアジア諸国にとっても平和と繁栄の道になる。このことを声を大にして主張していかなければならない。


小泉の手法を真似る菅首相

 菅直人首相の手法が小泉純一郎のやりかたに似てきている。政権交代の理念を投げ捨て、政権維持のためには、財界、アメリカの主張をそのまま取り入れるとともに、いわゆる小泉が郵政改革のときに駆使したワンフレーズ・ポリティックスのスタイルを使い出した。一月四日の、記者会見で菅は、「私が目指す国のあり方についての三つの理念」@平成の開国元年A最小不幸社会B不条理をただす政治をあげた。一番目は、アメリカが起死回生の策として進める環太平洋連携協定(TPP)に参加方向ということだが、これは日本社会を崩壊させる可能性が濃厚にあるということだ。二番は、昨年の民主党代表選で菅が叫んだ雇用、雇用、雇用がまったく効果を上げない中、「社会保障の整備」をあげているが、実は税制改正という名の消費税率の値上げが狙いである。三番目のものについては、首相の年頭所感でも「政権交代にも、従来の政治がなおざりにしてきた不条理を解消してほしいという国民の期待が込められていた。残念なことに、政治とカネの問題に対する私たちの政権の姿勢に疑問が投げかけられている」と言っているように、小沢排除が目的であることは明らかだ。菅は、民主党内で小沢を叩くことによって、支持率の回復を狙っている。これは小泉が自民党内に抵抗勢力を設定して、これを叩くことによって、民衆の反自民意識に迎合したことと同じだ。そして、郵政をはじめとする「改革」での活性化をアピールしたのだったが、格差拡大・貧困化しかうみださず、唯一実現したのは「自民党をぶっ壊すという」スローガンであり、政権交代の下準備をするという皮肉なものとなった。いま、菅は、小沢を切り、またマニフェストの見直し・総点検、「国民の生活が第一」の政治からの転換で、小泉時代の新自由主義政策を前面化させようとしている。一月一三日の党大会、その後の内閣改造でそれはいっそう鮮明になるだろう。政局は年初から混迷を深めている。自民党政治はノーを突きつけられたが、民主党はまったく時代の要請にこたえられていない。そしてねじれ国会状況である。早晩、菅政権はやっていけなくなり、またもやの首相交代劇もありえないことではない。政治の根本は、いま日本社会が解決しなくてはならない課題を直視することであり、アメリカや財界の要求に唯々諾々と従う政権でない「もうひとつの政治」が求められている。


春闘に勝利しよう

      
全労協春闘討論集会

 全労協11春闘討論集会が昨年一二月一八日に開催された。
 全労協を代表して金澤壽議長が挨拶。菅政権は、経済・雇用、基地、憲法などで迷走をつづけ、先行きの見えない政権となっている。臨時国会は政権交代の意義を見出せないままに終った。年収二百万円以下が一〇〇〇万人をこえますます増大しようとしている。この春闘は極めて厳しい状況下で闘われるが、われわれは賃金闘争をはじめ辺野古新基地建設反内など様々な要求で運動を展開していく。
 記念講演は宮里邦雄弁護士(日本労働弁護団会長)が「有期労働契約の法規制」と題して行った。
 一九八五年の労働者派遣法の制定以来、労働法制は規制の緩和、緩和、緩和という状況である。そのための弊害が誰の目にも明らかになり、これまでの流れを変えなければならないという世論が大きくなってきた。しかし、臨時国会でも派遣法の改正は実現できなかった。通常国会では必ず改正を勝ち取らなければならない。だが、労働者派遣問題より普遍的なものとして有期労働問題があり、これこそが労働法制改革の本丸である。期間の定めのない労働契約こそが安心して働ける条件である。
 九月一〇日に出た「労働契約研究会報告」は、@有期労働契約の不合理・不適正な利用がある現状があることを認め、そうした有期労働契約の利用を止るため新たなルールを設ける必要性を強調し、A「有期契約労働者の雇用の安定、公正な処遇」が必要だとし、B「契約の締結から終了に至るまで」を視野に入れて、不合理・不適正な利用がなされないようにする視点が重要であるとした上で、規制の選択肢を示し、それぞれの選択肢の課題を指摘している。それは、D多様な実態を踏まえた対応として、有期契約労働者の「職務タイプ」の四類型(正社員同様職務型、高度技能活用型、別職務・同水準型、軽易職務型)である。
 そして、有期労働契約の締結事由の規制とその効果、更新回数・利用可能期間の規制と規制違反の効果、雇止めに関するルール、正社員との均衡待遇(差別禁止)、正社員への転換推進、労働条件の明示とその違反の効果、大臣告示の法定化などについて立法化の当否について検討しているが、具体的な方向性については今後の検討に委ねているとして、明確には打ち出してはいない。
 いま有期労働契約法制のあり方に必要なのは、実効的法規制であり次のようなことである。@「労働契約は期間の定めなく締結することを原則とする」との原則規定を定める(有期労働契約を例外と位置づける)。A有期労働契約の締結規制(締結事由の限定)―「入口規制」(臨時的又は一時的な業務など客観的な理由がある場合に限定する。違反した場合は、期間の定めのない雇用とみなす)。B更新を繰り返した場合(例えば、三回以上)には、期間の定めのない雇用とみなす―更新回数の制限、期間の上限規制。C有期労働契約の雇止めを規制する―「出口規制」(客観的合理的理由がなく、社会的相当性を欠く雇止めは無効とする。解雇権濫用法理を立法化した労働契約法一六条(「解雇は、客観的に合理的理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」)を有期労働契約の雇止めにも適用することを立法上明記する。D期間の定めのない雇用への転換措置―有期労働契約労働者が期間の定めのない雇用へ転換をできるような措置を講ずることを義務づける。E差別禁止―均等待遇(期間の定めのない労働者と客観的合理的なく、賃金その他の労働条件や処遇において差別してはならないことを明記する。)F契約締結時の労働条件の書面による明示義務(明示すべき事項として、有期労働契約の期間、有期労働契約を締結する具体的理由、従事する職務の内容、賃金・手当などの労働条件、社会保険の適用。明示義務に違反した場合は期間の定めのない雇用とみなす。G法規制の中心をどこにおくか―「入口規制」か「出口規制」かについては、民主党、連合、日本労働弁護回の立法案は「入口規制」の立場である。H立法形式は、労働契約法の改正、労基法の改正、有期労働契約法制定である。
 研究会の報告の方針は、労働政策審議会の議論を経て、二〇一二年の通常国会に法案提出の可能性が大きい。有期労働契約法制の立法化の影響を考えると、経済界からなどからの規制反対の動きが強まるだろう。すでに日本経団連「多様な雇用機会の創出を制限する過剰な規制に反対」をアピールしている。そのため派遣法改正以上に強力な運動展開が必要となっている。

 つづいて、中岡基明事務局長から11春闘方針が提起された。
 春闘は労働者国民を覆う「貧困と格差社会」「雇用不安におびえる日々」から「働きがいのある人間らしい仕事」ができ、「安心して働き、安定した生活」が享受出来る社会へ作り替えるため、労働者が団結し、一丸となって資本に要求を突きつけ、闘いによって要求を実現する場である。その成果はすべての労働者の生活の向上と権利の拡大に波及されなければならない。そのために労働者は企業の別を超えて団結する。労働者の団結を示し、ストライキ権を確立し、ねばり強い交渉を重ね、必要に応じてスト権を執行して資本に譲歩を求め、集中して闘う時である。また、政府には労働者のための政策の実現を求め、大衆的な闘いを作り出していくことになる。
 日本経団連は世界的な経済危機と円高を理由として賃金の引き上げを認めないとする姿勢を強めている。そして、大資本・金融機関は巨額の純利益を達成しながら、内部留保を取り崩すことなく、下請けの中小零細企業にたいして理不尽なコスト削減を要求し、金融機関は貸し渋り・貸し剥がしを行い、中小企業は経営の維持が困難になっている。ますます労働者は働いても生活することの出来ない貧困へと追いやられる。そして倒産による解雇、低賃金・無権利の非正規労働者へ追いやられている。過労死も絶えない。 一二年も続いて自殺者が年間三万人を超える状況となっている。
 全ての労働者に「職」と「食」と「住」が保障されるために闘かわなければならない。働いても生活できない低賃金は「人間としての基本的権利、生存権」を犯すものとして決して許されるものではない。また、雇用形態、国籍、民族や性別によって待遇が異なることは許されない。均等待遇の実現こそ喫緊の課題である。
 全労協は11春闘を以下の闘いを目標に(別掲)、全ての仲間と共に、職場で団結を強め、地域に共闘を建設し、全国で11春闘勝利にむけて全力をあげる。そして、私たちの闘いはすべての労働者に見えるものとして作り出していく。未組織労働者一人ひとりに、労働組合への結集を呼びかけ共に闘いに起ち上がることを訴えていく。未組織の仲間の組合結成を助け、一人の労働者でも組合に加入できるように全力を挙げよう。
 賃金闘争では、全労協は要求基準を次のように設定し、雇用形態を超えて共通の要求として闘う。月給制労働者は一律、一七四〇〇円、時間給労働者は一〇〇円/時の賃金引き上げを求めて闘う。また、全ての労働者に月額一七四〇〇円、一二〇〇円/時の最低保障を求めて闘う。全労協は、労働者は働けば最低限の生活が維持できる賃金として、誰でも何処でも、年収二〇〇万円を下回ることなく保障を求めて闘いを強める。
 闘いの進め方としては、全労協独自の闘いを強めると共に、多くの単産・団体と共同して11けんり春闘全国実行委員会を組織し、春闘を「闘いの広場」として闘っていく。そして、全ての職場でスト権を確立し、ストライキを配置して闘う。私たちの闘いはストライキ権を確立して、ねばり強く経営側に譲歩を迫って闘う。ストライキは労働者の唯一の武器である。必要によっては果敢に実行していくこととする。
 中央段階では政府へ政策要求闘争、日本経団連へ総人件費抑制策の撤回、派遣切り、雇い止め、リストラの中止と雇用確保を求めて要請行動に取り組む。
 今後のスケジュールとしては、一月二一日に全労協・東京全労協の共催旗開き、二月一日に11けんり春闘発足・決起集会、二月二六〜二七日に徳島で西日本春闘討論集会を開催し、三月一三〜一四日に外国人総行動(マーチ・イン・マーチ、外国人労働者の権利についての省庁交渉)を予定している。そして三月下旬か四月初旬に中央総行動・決起集会を行い、四月下旬に民間中小激励決起集会、ストライキを設定する。

 特別報告として、航空連事務局次長の和波宏明さんが、日本航空の整理解雇撤回闘争の報告を行い、闘いへの支援の要請がおこなわれた。

 つづいて各産別・労組、地方代表からの決意表明では、都労連、国労、全国一般全国協、全統一労組、石油連絡会、大阪全労協、広島県労協、郵政ユニオン、宮城全労協、全労協女性委員会、神奈川県共闘、N関労が発言し、最後に全員で団結ガンバロウを三唱して春闘勝利にむけての決意を確認した。

全労協の11春闘の目標

 賃金の大幅引き上げで人間らしい生活を! 最低賃金の大幅な引き上げ!
 すべての労働者に仕事を!―雇用の確保と仕事作り要求
 貧困・格差社会に反対し、非正規労働者の権利確立・均等待遇の実現
 労働時間の短縮、命と健康が守れる職場を!―長時間労働禁止、未払い残業の撲滅、いじめ、パワハラ、セクハラを一掃しよう!
 労働者派遣法の披本改正の早期実現、有期労働契約の規制強化を!
 地域共闘で公契約条例の制定を!
 反戦平和・沖縄闘争への連帯・参加を強めよう!
 希望者の雇用を実現し、JR不採用問題の最終解決を!
 未組織労働者の組織化に全力で取り組もう! 全労協フリーダイヤルを活用し、労働相談の強化を!


「大逆事件一〇〇年」反天皇制運動の集会

 一二月二三日、豊島区民センターで、「『大逆事件』から一〇〇年―反天連12・23集会」(主催・反天皇制運動連絡会)が開催された。

 はじめに池田浩士さん(文学研究)が発言。
「大逆事件」は過去の出来事ではない。またアナキストに限定される事件ではない。事件を冤罪ととらえることには違和感があるが、これは国家犯罪であることは事実だ。事件は国家権力を敵にした平民の立場からのもので、現実的には不十分さを持ちながらも
一〇〇年前に無政府共産の世を作ろうとし、その最大の障害が天皇制なのであるとしたのであって、冤罪というのは失礼だ。また、この出来事を日本という閉じられた社会だけでとらえるべきではない。幸徳秋水は日露戦争の後にアメリカにわたる。そこで在米日本人社会主義者や各国の社会主義者と交流し、議会制民主主義ではなくゼネラルストライキによる直接行動主義に転換する。これは国際的な社会主義運動での分岐における有名なローザ・ルクセンブルグの「マッセン・ストライキ」論と軌を一にするものである。しかし、ローザは階級性・政治性を強調するが幸徳は次のような考えを書簡の中で述べている。「革命」というものは自然なもの、歴史的必然なものである。また天皇制をどうするかについてはそれが革命のときにどのような態度をとるかによって決まる。「謀議」としては、皇居に乱入して天皇に社会主義を認めさせるというもので、天皇・天皇一家は階級対立の外にあり、天皇は主体的判断をする人間としてとらえている。
 次に、韓国併合と大逆事件の関係だ。大逆事件と同じ年の一九一〇年に韓国併合条約が結ばれた。「韓国併合ニ関スル条約」は、一九一〇年八月二二日に調印された。その前文には、「目本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ハ両国間ノ特殊ニシテ親密ナル関係ヲ顧ヒ相互ノ幸福ヲ増進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ此ノ目的ヲ達セムカ為ニハ韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲二両国間ニ併合条約ヲ締結スルコトニ決シ」とされている。そして調印から七日後の八月二九日、明治天皇は、「韓国併合ノ詔書」を「臣民」と全世界とに向けて発した。調印から「詔書」までに一週間もの日数が費やされている。たとえば、日露戦争終結を協議決定した「日露講和条約」(いわゆる「ポーツマス条約」)は、一九○五年九月五日に調印され、一〇月一四日に批准、一五日に両国が相互に批准通告したのち、一六日に日本帝国において天皇の「日露講和ノ詔書」とともに「公布」された。つまり、条約成立のための手続が終わるや、ただちに条約を公布したのである。韓国併合が、いかに難しいものであったかということを物語るが、朝鮮支配をめぐるロシアとの関係、朝鮮支配の実行そのものと大逆事件の関係についてはまだ本格的な解明がなされていない。

 つづいて伊藤晃さん(近現代史研究)。
 考えるべきは、なぜ反天皇制運動が世論の支持を受けないかということについてだが、人びとは「天皇制は悪いことをしない、だから天皇制がその中にある今の体制を支持する」となっている。その答えの一部は歴史の中にあるだろう。反天皇制の民衆的な主体が生れるかどうかだが、民衆的な痛覚ともいうべきものがそれにかかっている。
 徳富蘆花の講演草稿「謀反論」は有名なものだが、そこには明治知識人のある部分が共有した天皇観が見られる。蘆花は明治維新が日本人に明るい気分、高らかな意気を与えたと言い、それを導いた志士たちの功績をたたえる。そして幸徳秋水らに、蘆花自身とは異なる立場ではあるが、維新の志士を引き継いで自由平等の新天地を夢見るものを見るのである。そこで蘆花は明治天皇に彼らを「抱擁」するところがあってほしいと思い、また必ずそうであるはずだと考える。ところが「輔弼のもの」にその精神がなく、志士たるものを乱臣賊子扱いし、圧迫して実際そういう行動に走らせ、冷酷に彼らを殺し、結局天皇の徳を傷つけたものだと非難する。蘆花は新生日本に自分を一体化させている。むしろ自分たちこそ新国家の主流なのだと感じている。彼の天皇観は、その自分たちと希望を共有するものへの共感・親しみに立っているのである。天皇に抑圧者を見、暗い恐れやタブーを感じるよりは、一人の人間として話しかける気分があったであろう。彼らは一般に国家の指導グループ(閥族)に国の進路をねじまげたものとして反感をもつのだが、この対立において天皇は自分たちの味方だと感じている。私は、明治社会主義者たちのもともとの天皇観にも、蘆花のそれと似たものがあったと思う。幸徳もその「暴力革命について」で、権力の圧政や軍国主義に対しては強い敵意を抱きながら、天皇制自体が社会主義への変革における重大な障害だとは思わない。かつて「社会主義と国体」で国体論のたてまえが社会主義の目標と一致すると言ったのが彼の信念であった。この天皇観は彼の社会変革論と関係がある。彼は、社会主義は社会進化の必然的結果であって、この大勢は人為で妨げうるものではなく、革命運動とはこの変革の準備としての教育・訓練なのだという。社会主義左派を右派から区別する直接行動とは、この革命における労働者の自主性強調の思想なのである。「暴力革命」が彼の思想とされるのはまったく権力側の「発明」だと幸徳がいうのは、彼の実感だっただろう。社会進化論にもとづく社会主義論は当時片山潜・田添鉄二ら右派にも共通しており、天皇制論についても大きな差異は、天皇制下の憲法政治に期待するかどうかの政策論の次元で見られるにすぎない。管野スガらの「謀議」は、権力の暴虐への慎激から、皇室への「迷信」が権力の行為と深い関係にあるとの認識に達していったことを示している。しかしそこにも一貫した天皇制論はない。だから彼らは、天皇制権力との正面からの対決に、それを予想しないまま引き出されたのである。幸徳が獄中で完成した遺作「基質抹殺諭」は、キリスト信仰の迷妄への批判が天皇信仰の迷妄批判をも含意しているようで、そこまで幸徳は到達したともいえるが、ここにも天皇制が全社会に及ぼすヘゲモニーヘの広い視野はない。つまり彼は天皇制への一貫した敵対者ではなかったのである。だが、社会主義運動は、天皇制の正面の敵となってしまっていたことを自覚すべきであった。


狭山裁判再審  「事実調べ」で無実は明白になる

 一九六三年に起きた「狭山事件」で石川一雄さんは無実の罪にとわれている。これまで長期にわたる闘いが続けられてきた。一二月一六日で、第三次再審請求審で東京高裁は検察に証拠開示を勧告してから丸一年となった。その日、日本教育会館ホールで「開示勧告から一年〜今こそ全証拠の開示と事実調べ」(主催・狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会)が開かれた。

 はじめに組坂繁之部落解放同盟中央本部委員長が開会あいさつ。狭山裁判は部落差別に基づく冤罪事件である。昨日も裁判所、検察、弁護団の三者協議が開かれた。来年にも再審決定・無罪判決による解決を実現しよう。
 民主党の辻恵衆議院議員と社民党の福島みずほ参議院議員(党首)があいさつ。
 石川一雄さんは、無罪を勝ち取るまで前進あるのみだ、私はまだ青年だ、勝ってから歳を取ると述べた。
 つづいて弁護団から主任弁護人の中山武敏弁護士が、再審請求が書面審理だけで棄却されているが、必ず事実調べをすべきだと発言。中北龍太郎弁護団事務局長は、石川さんがだした上申書と脅迫状の書面を詳細に比較して、両者は別人のものであることを明らかにした。
 松岡解放同盟書記長の今後の闘いに向けての基調提案につづいて、足利事件、布川事件、袴田事件の再審冤罪事件当事者からの連帯アピールが行われた。
 集会まとめとしてルポライターの鎌田慧さん(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長)が、日本国憲法が保障している基本的人権は事実上無視されているが、こうしたことを変えていかなければならない、と述べた。
 最後に、アピール(別掲)を採択し、勝利に向けて運動を強めていくためのガンバローで集会を終えた。

狭山集会アピール

 昨年一二月の東京高裁による開示勧告をうけて、ことし五月に三六点の証拠開示がおこなわれた。そのなかに、四七年たって初めて日の目を見た石川さんの筆跡資料がふくまれていた。逮捕当日に石川さんが書かされた上申書などである。
 一昨日、狭山弁護団は、これらの筆跡資料をもとにした二通の筆跡鑑定書を新証拠として提出した。証拠開示された逮捕当日の上申書を見れば、脅迫状と同じ人が書いたとは考えられない。市民常識の問題である。すみやかに事実調べをおこなうべきだ。
 今回の証拠開示とそれにもとづく新証拠の発見・提出は、再審請求において、いかに証拠開示が重要であるかを物語っている。むしろ、石川さんの筆跡・書字能力が脅迫状と明らかに違うことを示す証拠が半世紀近くも隠されていたことこそ重大な問題だ。足利事件で取調べ録音テープがずっと隠され、布川事件で毛髪鑑定や目撃証言がずっと隠されていたこととまったく同じではないか。
 しかし、裁判所の開示勧告にもかかわらず、検察官は、犯行現場の血痕検査報告書など三点を「不見当」と回答し、いまだに開示していない。殺害現場だと自白した場所の裏付けを警察や検察がやらなかったということは考えられない。なぜ血痕検査の報告書がないのか。警察の調書に「撮影した」とはっきり書かれている現場撮影八ミリフィルムがなぜ見当たらないのか。かつて、検察官が、積み上げれば二〜三メートルあると言っていた手持ち証拠はいったい何だったのか。まだ隠されている多くの証拠があることは明らかだ。わたしたちは、全証拠の開示と事実調べによる真実究明を強く求める。
 新証拠の発見・提出が必要とされている再審請求において、新証拠となる可能性のある資料を検察官が隠すなどということは、明らかに正義に反しており、断じて許されない。免田事件から足利、布川事件にいたるまで多くの再審事件で、証拠開示と事実調べによって真相が解明され冤罪が明らかになったということを忘れてはならない。東京高裁の岡田裁判長は、さらに証拠開示勧告をおこなうべきである。
 きょう、足利事件で再審無罪となった菅家さん、布川事件で再審開始をかちとった桜井さん、杉山さんから、自白を強要した警察の取調べの実態、証拠を隠しておいて有罪を主張する検察官の不当性が訴えられた。狭山事件もまったく同じである。
 検察官による証拠改ざん事件で、検察官のありかた、証拠開示に市民の関心が高まっている。いまこそ、袴田事件など再審や国賠の闘いとの連帯をすすめ、取調べの全面可視化、再審請求における証拠開示の法制化を実現しよう!冤罪をなくすための司法改革を政府・国会に働きかけていこう!
 狭山弁護団は、さらに石川さんの無実を証明する新証拠を提出し、事実調べと隠された証拠の開示を求めていく。狭山事件では三六年以上も事実調べが一度もおこなわれていない。石川一雄さんは半世紀近くも無実を叫びつづけているのだ!
 わたしたちは、東京高裁の岡田雄一裁判長が、石川さんの無実の訴えと市民の声に耳をかたむけ、足利、布川の教訓と再審の理念をふまえて、いまこそ、徹底した証拠開示と事実調べをおこない、狭山事件の再審を開始するよう求める。
 
二〇一〇年一二月一六日

 狭山事件の再審を求める市民集会参加者一同


文化批評

   
 反ファシズム、啄木・・・

 アメリカのオバマ大統領が共和党によるティーパーティー運動(一七七三年、当時の宗主国イギリスが茶に課税したのに反対したボストン茶会事件に由来する)を契機に、次期大統領選での再選にむけて苦戦している。それと並行して、アメリカでも経済不況の中で軍人への風当たりも強くなってきているという。こうした中で振り子が右寄りに傾き始めている。アメリカでも日本でも。
 家で古いビデオテープやDVDを整理していたら、フレッド・ジンネマン監督(一九〇七年〜一九九七年)のアメリカ映画「ジュリア」(一九七七年)が出てきた。一言で表すならば、ナチズムの台頭に抗して戦ったアメリカの作家たちの姿を描いた実話だ。華やかなハリウッドの世界でも自分が納得した映画にしか出ないので有名なヴァネッサ・レッドグレイヴがジュリアを演じ、そして作家の落合恵子氏が「普段着のジーンズがよく似合う社会運動家」と評したジェーン・フォンダが、ジュリアの「おさななじみ」として出て来るリリアン・ヘルマンの原作だ。
 リリアン・ヘルマンといっても知る人は少ない劇作家だ。ヘミングウェーの「ハードボイルド」という文体(書き手の感情を入れないことによって現実をよりリアルに描く手法)を受けついだ「マルタの鷹」で有名になったダシール・ハメットの妻であった。ハードボイルドは別名「失われた世代」とも呼ばれ、後にレイモン・チャンドラーやロス・マクドナルドなどという作家を輩出し、常にアメリカ社会の闇をテーマにしてきた。もう一言いうならば、ヘミングウェーの真価は「誰がために鐘は鳴る」ではなく「老人と海」だ。前者が映画になっても、のちにイスラエルの首相(ゴルダ・メイア)を演じたイングリッド・バーグマンが好きになれない。その理由は後に述べよう。「老人と海」に主演したスペンサー・トレイシーは、公開当時辞に大きな論争を巻き起こした黒人差別を告発した「招かれざる客」(一九六七)が最後の作品となった。
 さてジェーン・フォンダのリリアン・ヘルマンである。ウィーンそしてベルリンを中心に反ナチズム運動に身を投じていた女性医師「ジュリア」をはじめとする知識人のグループのために、資金をベルリンまでとどける役割を実行するのが映画のスリリングなポイントなっている。
そういえば最近では「ヒトラー 最期の一二日間」(二〇〇四年)をはじめとして正反両面からナチズムを再評価しようという動きが活発になっている。
 少し前には同じアメリカ映画の「レッズ」(一九八一年)が製作されている。原作は、 一九一七年のロシア革命を記録したアメリカ人ジャーナリスト、ジョン・リードの「世界を震撼させた一〇日間」で、ウォーレン・ビーティが ジョン・リード役で出演し、レーニンに会う場面をクライマックスにし、そしてアメリカにおけるレッドパージを描写して作品に深みを与えていた。それにしても、この作品のデータはよほどの好事家の間にしか語り継がれていないのはもったいない。若い人こそこのような名作に出会って自らの価値観を研ぎ澄ましておかなければ、来るべき変革の時にどう行動しなければならないのか理解できないだろう。
 ハンフリー・ボガートの「カサブランカ」(一九四二年)についてはチェックすべき名画としていまだにTSUTAYAの年間リストに載っていて、比較的若い人も観ている。たしかに反ファシズム、フランスの解放、そして男のダンディズムが程よく入っていて良く出来ている。しかし、この映画は日本の真珠湾攻撃の翌年の一九四二年に公開されたアメリカ人の戦意高揚のための映画で、ここでもイングリット・バーグマンの美貌が利用されている。彼女は後に女優としての人生に苦しむが、最後にはシオニズムに救いを求めてしまう。残念である。前にも触れたがイスラエルの女性首相をバーグマンが演じたTV劇「ゴルダと呼ばれた女」(一九八二年)遺作となった。
 また今年二〇一一年は、二六歳という若さで死んだが今も日本中で読まれ続けている岩手県出身の石川啄木が「一握の砂」を発表して一〇〇年にあたる。この時に手にした印税二〇円は妻節子との間に生れた子どもの葬式代に使われた。金田一京助の経済的援助なくしては書くことが出来なかった困った若造であった。当時「坊ちゃん」を発表して流行作家として世に出た夏目漱石の力量に感服しながらも、ヘソまがりの啄木は「雲は天才である」を書いて漱石に文学上のケンカをふっかけたりしている。
 その前年の一九一〇年六月には幸徳秋水らが検挙され、啄木は同年八月に「時代閉塞の現状(強権、純粋自然主義の最後および明日の考察)」という評論を発表し、これは日本の社会主義文学の先駆とされている。この「時代閉塞の現状」は今日こそ、その精神が生かされるべきだ。
 ロシア革命の波紋が日本にも押し寄せた一九一八年に米騒動が起こり各地に波及して、寺内正毅内閣が退陣し、政友会から岩手県出身の原敬内閣が成立する。彼は昭和天皇となる皇太子裕仁をイギリスに旅行させ、ヨーロッパ列強と戦争することがいかにおろかなことかを諭すという「平和主義者」の一面をもち、啄木ともある種気脈を通じたようなところがあるように思われる。原敬が大阪毎日新聞社長時代に新聞連載したエッセーをまとめに出版された本「でたらめ」(一八九九年)を見ると、啄木とは少し異なる味わいであるがそうした感じを強くする。薩長土肥の時代が終わり、この反骨・「平和」思想は、同じ岩手出身の米内光政の「(日独伊)三国同盟反対」へと受けつがれているとも言えるのではないだろうか。

 もう「坂の上の雲」にも食傷気味の今、田舎の政治家や文士、軍人を描く映画を製作しようと言う映画人がそろそろ出てきても良い頃である。それはあくまでも戊辰戦争のかたきをとろうなどという魂胆ではないことを最後に付け加えておきたい。  (T・H)


KODAMA

    
 国家の暴力装置

 国会の答弁で、仙石由人官房長官が自衛隊の存在について「暴力装置」と発言して自民党の議員にたたかれたことがあった。仙石氏が全共闘運動の活動家であったことは有名で、それに対してはいっそ「マックス・ヴェーバーの読みすぎでした」とでも応じておけばよかったのにと評する人もいる。
 確かにマックス・ウェーバーは警察や軍隊などの物理的強制力を暴力装置と規定し、同時代に生きソ連を建国したボルシェビキのレーニンも、軍隊、警察、裁判所などを支配階級の体制を維持するための暴力装置であり、その暴力は外的に向けられるだけでなく、自国の民衆へも向けられると言っている。これは、ロシア革命とりわけ一九一七年の一〇月革命の勝利によってレーニンが自ら実践をもって証明した。
 この問題については、九八年一月二三日の「岩手日報」紙上において「組織的犯罪対策法案」が取り上げられたとき、私はいかにこれが自由な言論や政治活動を阻害する危険なものであるかを論じたことがあった。警察が好き勝手に盗聴できるようにする悪法だったので、さすがに廃案となった。
 この中で私は「一個の暴力装置である警察の権限を民主主義の圧殺のために拡大すべきではない」と主張したら、早速、当時の県警本部長なる人物から反論が寄せられた。私は住所氏名を明らかにして自らの主張をしたにもかかわらず、かの本部長の住所は県警本部になっていた。ケンカにもならない。当然のように岩手のみならず、秋田や東京からも県警と「盗聴法」を糾弾する投書が寄せられた。戦前のように「治安維持法」の上に胡坐をかいた「オイ、コラ」警察の存在は許されない。ましてや日本はアメリカのような銃社会ではないので、警察といっても日常的に拳銃を携帯すべきではない。
 レーニンは国家の暴力装置のひとつとして裁判所をあげているが、日本の裁判所のありかたが最近、気になる。
 二〇一〇年七月、死刑廃止論者であった千葉景子法相(当時)が二人の死刑を自ら立ち会って執行させた。これ以前にすでに死刑執行のペースは速まり、二〇〇六年以降、法相だった長勢甚遠は一〇人、鳩山邦夫は一三人の死刑執行にサインしている。
 欧州連合(EU)は死刑を廃止することが加盟条件となっており、千葉法相の執行の際にはEUは「極めて遺憾に思う」との声明を発表した。こうした日本では、もはや、数千件にものぼる死刑を実行したといわれる中国を非難できないだろう。これは数の大小ではない。
 「人を殺したものは死ぬべきである。これはまさに正義の要求だ」と主張した哲学者のカント、あるいはイスラム教的「復讐」の刑罰観でのぞむのか、生命や人権を重視する立場をとるのかが問われているのだ。
 「命を差しださせて何になるのか。償われた人の寿命が五〇年延びるのか。命では何も償えない」(ロベール・バダンテール元フランス法相)
 いずれにしても、時の政治をつかさどる者の恣意的な判断で人命をもてあそんではならない。暴力装置である裁判をもてあそぶのは今すぐやめるべきだ。 (R)


せ ん り ゅ う

 世界へと和敬清寂の九条

 反戦の声民と民わを作り

 魂に革命ありや九条で

 破魔矢なり時事川柳の射しところ

 反戦の戦略を練る年賀状

             ヽ 史

二〇一一年 元旦

◎ 千利休が茶道の精神として好んだ「和敬清寂」。主客和して敬い合い、道具や茶室の清楚質素の心得。武士といえども茶室に帯刀は許さなかった。


複眼単眼

    
米日韓軍事同盟の亡霊に反対する日韓民衆の連帯を

 筆者の若い頃の話だが、日米安保や日韓条約の締結に反対する運動の中で、NEATO(東北アジア軍事同盟)という言葉を聞いたことがある。
 うろ覚えだが、当時は冷戦体制のまっただ中。米国はソ連、中国という共産圏の大国をにらんで、ユーラシア大陸を取り囲むように軍事同盟体制を敷いていた。欧州にNATOがあり、中央アジアにCENTO(バグダット条約機構)があり、東アジアにSEATO(東南アジア条約機構)があり、大洋州にANZUS(太平洋安全保障条約)があって、米国は東北アジアにNEATO(米・日・韓軍事同盟)をつくろうと狙っているのではないかというような話だった。北極圏の北米大陸も含めて地球儀を上からみると、東北アジアの所だけが米国との軍事同盟機構による中・ソ包囲網から欠けている状態だった。「戦争のためのNEATOを許してはならない」、そんなことを若い私たちは熱心に議論していた。
 以来、四〇年余。米ソ冷戦体制は崩壊し、NATOはボーダーレス志向のEUに包摂され、CENTOも消えた。ANZUSのみが残っている。SEATOは消えて、代わりに東南アジア共同体(ASEANU宣言)をめざす時代になった。今昔の感をもって、歴史の大きな変化を確認する思いだ。
 ところが、突然、昨年末以来、ASEANの再来かと思うような「米日韓軍事同盟」の妖怪が立ち現れた。時代錯誤もはなはだしい。
 尖閣諸島沖での中国漁船拿捕事件、朝鮮半島の西海岸の南北軍事境界線付近の延坪島への北朝鮮軍による砲撃事件を契機に、偏狭なナショナリズムを背景にして、こともあろうに民主党政権が事実上の米日韓・三角軍事同盟体制づくりに走り出した。
 米国と日本には安保条約があり、米国と韓国にも軍事同盟がある。この三角形で、影が薄いのは日韓の辺だ。菅直人政権の北澤防衛相や前原外務相などは、この日韓の軍事関係を対北朝鮮、対中国の軍事同盟の方向で構築したいと考えはじめたようだ。トンデモない時代錯誤の動きだ。
 憲法第九条は「国権の発動による戦争と、武力による威嚇または行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。歴代自民党政府が、北朝鮮仮想敵視の立場にあっても、米日韓軍事同盟構築に踏み込めなかったのがこの九条の壁だ。自民党すら躊躇したこの壁を民主党政権がいま、いとも簡単に乗り越えようとしている。無知、無謀としか言いようがない。
 今年前半に予定される韓国大統領・李明博の来日の際の「日韓共同宣言」がその一理塚だ。宣言では対北朝鮮で両国が軍事的に連携を強めることをめざして、自衛隊と韓国軍の物品役務相互提供協定(ACSA)を締結し、軍事情報包括保護協定(GOSMIA)を締結することを確認するという。三角同盟を具体化するには周辺事態法の日韓間への適用のための改定も必要になる。日本政府は、自衛隊に対する韓国のきびしい世論の中で、とりあえず、両軍の平時の協力の蓄積を足がかりにしたいと考えているようだ。
 これらの動きと関連して、産経新聞などは「相互性、双務性」を実現するような「普通の同盟国」関係をめざした日米安保条約再改定を主張しはじめている。
新年、私たちは韓国民衆と連携して、本格的に米日韓軍事同盟に反対する運動をつくらねばならないようだ。 (T)