人民新報 ・ 第1276号<統合369号(2011年4月15日)
  
                  目次

● チェルノブィリ級の原発事故を起した責任を追及しよう

      全力をあげて被災者の救済を!

            救援と復興の中から新しい社会をつくりだそう

● 急速に広がる東電、経済産業省などへ抗議の声

● 11けんり春闘勝利・中央総行動

● より一層の支援を! 東北全労協からの要請

● 巨大地震と原発事故  たんぽぽ舎が緊急集会

● 都教委の「日の丸・君が代」処分を糾弾する!

     「日の丸・君が代」処分取消訴訟東京高裁判決 ― 都教委に対し処分取り消しを命令

● KODAMA

      原子力安全委員会か原子力「産業」安全委員会か

      書くということ

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  災害に便乗した「大連立」という党利党略の政治





チェルノブィリ級の原発事故を起した責任を追及しよう

      全力をあげて被災者の救済を!

           
 救援と復興の中から新しい社会をつくりだそう

 三月一一日の大地震・巨大津波・原発事故は、かつてない被害をもたらしている。被災地域を壊滅させ、死者・行方不明者は三万人を越えると見られている。いまだに、かなり大きな地震が頻発しており、東北沖から茨城、千葉、静岡、長野、新潟そして九州を含む全国的なものとなって続いていて、今後も巨大な被害をもたらす可能性が高い。なかでも東海地震とそれに連動した浜岡原発事故は差し迫ったものとなっており、そうなれば壊滅的な事態になるだろう。東電福島原発の事故は、救済・復旧の最大の妨げとなっているだけでなく、原子炉の状態はますます悪化している。政府もようやくスリーマイル島事故のレベルをはるかに越え、チェルノブィリ級に規定しようとしている。だが、現在の基準ではチェルノブィリ級までしかないのであり、それを上回ることも予想される史上最悪の原子力事故の様相を強めている。
 早急で手厚い救済にむけた政策・措置が求められている。われわれは、犠牲になられた人びとに対して心からの哀悼の意をあらわすとともに、困難な状況にある人びとへの支援の輪を拡大し支えるためにさまざまな形でのできる限りの努力をしていかなければならない。

 巨大地震と大津波、原発事故による壊滅的な惨害という事態は、日本の直面している課題を鮮明にうつし出し、これまでの日本の政治、経済、社会のあり方に対する深刻な総括と新たな展望をもとめるものとなった。日本政治が第一に立ち向かうべきもの、その脅威に対しての備えは、地震大国という日本のおかれた客観的な状況から、なによりも防災・環境本位への政策への転換ということでなければならない。政治・政策の根本はこの点から再構築されるべきである。日本の自損自滅ともいえる原発推進政策からの大転換、予防的な国土の安全・保全のための政策、自衛隊のアメリカの政界戦略と日本独占資本の対外進出、国内治安のための暴力装置から自然災害から国土を防衛するものへの改編、米軍への思いやり予算や米軍基地なども必要ではない。こうしたことを全国的な意見の表出と論議のなかで実現していくことが必要だ。

 周辺諸国をはじめ世界各国から、日本が放射能汚染した空気や水を撒き散らしていることに強い抗議と糾弾が起こっている。日本政府が言ってきた「大国日本としての国際貢献」どころの話ではない。すでに国際的な加害を行っているのである。日本は、災害に対する各国からの支援を受け入れているが、ますます深刻化する原発事故・放射能災害に対し、アジア諸国をはじめとする協議による共同対処の体制づくりを早急に行うべきである。
 アメリカは「トモダチ作戦」なるものを発動し、核兵器・生物兵器・化学兵器(NBC兵器)専門の海兵隊の特殊部隊(CBIRF)を送り込んできた。横田基地に米軍の「統合支援部隊」(三〇〇人規模)を新設したが、そこに自衛隊は陸将補をはじめ一〇人程度を常駐させ、米軍と自衛隊の共同調整機関ができた。震災救援を口実に日米の軍事結託を強めたのである。だが自衛隊と米軍などの軍隊は、災害支援にはそぐわない。それは一九九五年の阪神淡路大震災の時にも確認されたことだが、軍隊は、本来的に破壊・殺戮のためのものである。今回も実際に原発事故そのものに対する対処はどこが行っているのかを見ればわかるだろう。

 暴露されてきたもうひとつは、日本の政治・経済・社会システムにある特徴的な無責任体制である。この構造はかつての大戦の時の政治・軍事指導部の体質と違わないものだ。「安全だ」「さしあたり人体に影響はない」などという大本営発表の連続のなかで事態は深刻化していく。危機を危機としてとらえない宣伝の中で、多くの被害者は放置され、さらに多くの人が拡大する被害にまきこまれる。この背景には、政治家、官僚、電力会社、学者、マスコミなどに強固な原発利権構造がある。その利益のために、「安全」「安価」な原発を言い続け、今日の悲劇的な災害を作り出したのである。このことは心ある地震学者の主張が、政官財によって圧殺されてきたことと同根である。徹底的にかれらの責任を追及し、利権癒着構造を解体しなければならない。
 そもそも今回の大震災が起こる以前から、日本はきわめて困難な状況に陥っていたのである。すでに一定の衰退・没落の状況が見え始めていたのである。失われた二〇年なるものには本格的な改善が見られず、人口の絶対的な減少、国家財政赤字の破綻などがあり、GDP世界二位の座を中国に取って代わられるということがあった。
 現在の事態をもたらしたものは日本資本主義の体制であり、長年続いた自民党政治であった。二〇〇九年選挙では、国民の期待に沿って政権交代が行われた。だが、民主党はアメリカと財界の要求に屈して、自らのマニフェストの推進を放棄し、その結果、自民党政治と変わらないものとなり、支持を失うことになった。今回の事態でも菅政権の対応は、迷走・無責任というしかないものだ。

 いま、日本社会のつもりに積もった矛盾が激発している。原発事故を一刻も早く収束させるとともに、復興に取り掛からなければならない。しかし、元のままにもどす復興・再建であってはならないのは言うまでもない。被害者救済・復興のための犠牲をだれが負担するかをめぐって対立はいっそう鋭いものになるだろうし、根本的はいかなる階級の利益になる展望、政策を実現していくのかという路線の闘いがが問われているのである。かつてない被害・犠牲の原因究明と総括、復興の努力、そして今後の闘いを基礎にして、よりよい社会制度の形成のために団結してともに闘おう。


急速に広がる東電、経済産業省などへ抗議の声

 東電福島原発の同時多発事故は日増しにその深刻さを増している。原子炉の冷却は進まず、大量の放射性物質が空気中に海洋に流され続けている。にもかかわらず政府、東京電力の対応は、全く不十分、不誠実なものである。

 さまざまな団体・個人によって経済産業省別館(原子力安全・保安院)や東電本社などへの抗議行動が続いている。東電本社前では連日の抗議の集会が取り組まれている。
 いま原発の廃止を求める行動は着実に拡大しつつある。

 また、福島原発だけでなく、東海地震による中部電力・浜岡原発の事故の切迫が懸念されている。事故がおこれば、放射能は首都圏を直撃する。しかも浜岡原発を止めても中部電力の電力量は十分な余裕があるのである。
 四月一〇日には、芝公園 号地で、浜岡原発すぐ止めて!実行委員会による「浜岡原発すぐ止めて! 4・ 東京 市民集会」が開かれた。集会には二五〇〇人が参加し、経産省別館、中部電力東京支社、東京電力本社などへの抗議のデモを行った。

 また同じ日には、高円寺中央公園で、「高円寺・原発やめろデモ!!」(呼びかけ・「素人の乱」)が開かれ、ネットでの呼びかけに若者を中心に一五〇〇〇名があつまり、高円寺周辺をデモでアピールした。


11けんり春闘勝利・中央総行動

    東日本大震災・被災者の救援を全力でやり抜こう! 

       全ての原発を即時停止・廃炉へ!

          生活できる賃金の引き上げを! 

            労働者派遣法の改正を直ちに実現せよ!


 四月六日、11けんり春闘全国実行委員会の主催で、「東日本大震災・被災者の救援を全力でやり抜こう!」「全ての原発を即時停止・廃炉へ!」「原発依存のエネルギー政策を転換せよ!」「11春闘勝利! 生活できる賃金の引き上げを!」「労働者派遣法の改正を直ちに実現せよ!」などのスローガンをかかげて「11春闘勝利・中央総行動」が取り組まれた。
 この行動には、各労組や職場、地域から、約三五〇名が結集した。
 午後一時半からは、日本経団連前に「すべての労働者に仕事と生活できる賃金を!」の横断幕を広げて集会が始まった。
 主催者を代表して全労協の金澤壽議長があいさつ。
 春闘のさなかに、地震・津波・原発事故という大災害が起こった。労働者とりわけ自治体労働者は自らが被害にあいながらも必死に奮闘している。全労協は「東日本大震災対策本部」を設置し全力を挙げてあらゆる援助・支援を行っていく。原発災害はこれからどうなるかも知れず、さらに大きな被害も予想される。一日も早く事故を収束させ、全原発の停止、エネルギー政策の転換が実現されなければならない。今回の災害を口実にさまざまなところで解雇などが強行されているが断じて許されない。われわれの闘いが被災者支援ともなる。最後までともに闘おう。
 つづいて、全港湾、全石油昭和シェル労組、全統一労組、全造船関東地協、東水労、郵政労働者ユニオン、東部けんり総行動などから、春闘での闘いや被災者支援についての報告が行われた。

 経団連前での行動を終わり、郵政本社と首都高速会社前での行動を行い、厚生労働省に震災・原発被災住民の救済と有期契約労働の規制などを求めて要請行動を行った。
 細川律夫厚労相あてて、@労働者派遣法改正を早期に成立させ、直ちに施行すること。A求職者支援制度を直ちに実施し、セーフティーネットを充実させること。B社会保険に関する内容を見直し、雇用保険(日雇保険を含む)、社会保険に全ての労働者を加入させること。また、加入を拒む使用者には罰則をもうけること。C最低賃金を大幅に引き上げること。また、公契約の締結に際しては生活できる賃金の保障を法律で確立すること。ILO九四号条約を直ちに批准すること。(…中略…)H公務員改革に際し、労働三権を確立すること。I東日本大震災にともない、被災労働者の保護を確実に行なうこと。労災保険、雇用保険の給付、休業補償を一〇〇%支給するなど再建に資する全ての法律を拡大適用すること。J企業に震災を口実とした安易な首切りを行なわないよう強力に指導し、雇用の維持に全力を上げること。K原発事故に関わる作業員労働者の安全と健康を守ることを徹底指導すること。また往民の放射能被害を最小限にとどめるために迅速・正確な情報公開を行い、被害軽減のための対策など全力で取り組むこと。L被災した中小企業、農漁民の経営維持のための融資制度等必要な援助を行なうこと、などについて要請した。

 最後に、日比谷公園から東京電力本社にむけてのデモに出発し、すべての原発の即時停止、原発依存のエネルギー政策の転換などのシュプレヒコールを行い、春闘勝利中央総行動を貫徹した。

        ・・・・・・・・・・

11春闘勝利中央総行動の日本経団連への要請書

                  二〇一一年四月六日

 (社)日本経済団体連合会会長 米倉弘昌 殿 
        
 三月一一日に発生した東日本大震災は巨大津波の発生並びに東京電力福島第一・第二原子力発電所の爆発事故によって、被災地では住民・労働者に多数の死傷者をもたらし、また各地に放射能被害をまき散らしています。現地の人々は生活の再建もままならない厳しい状況が続いています。政府は一日も早く生活再建に向け、労働者の生活を維持する為の施策をフル動員して行くことが求められています。
 日本経団連としても社会的責任を自覚し、被災労働者の復興にあたり全力を尽くすことが求められています。
 また、貴団体並びに加盟企業におかれましてはリーマンショック以降の世界不況にあっても人員削減、コストカットによって大幅な利益困復が伝えられています。
 しかし、労働者の生活は依然として高い完全失業率や新卒者の超氷河期とも言える就織内定率にも見られるように非常に厳しいものがあります。一方、貴団体も認めておられるように企業の内部留保は大幅に拡大をつづけています。今春闘にあたっても貴団体は「総額人件費抑制」―「株主第一主義」政策によって労働者の賃金引き上げを認めないとする姿勢となっています。これでは労働者の生活回復に資することができず、貧困と格差社会を拡大することになります。これでは日本経済の内需拡大・景気回復・デフレ脱却にも逆行するものであり、政府の経済政策にも反し、不況を長期化させることになります。今こそ、これまでに貯め込んだ内部留保金を「雇用」と「賃上げ」のために活用するよう以下要請致します。

 貴団体が企業の社会的責任を目覚し、「企業第一・利益第一」という姿勢を転換して、一層深刻化する「格差社会、貧困化」の解消に尽力することが求められています。
 つきましては下記の通り要請を行います。
 貴団体の真摯な回答をお願い致します。            記

 一、総額人件費抑制策を改め、内部留保金を「雇用拡大」と「賃金引き上げ」に充てること。
 二、派遣労働者など非正規労働者の雇用打ち切り、新採用予定者の内定取り消しを行わないこと。
 三、派遣・契約社員等労働者の正社員への転換を進めること。
 四、偽装請負、違法派遣、サービス残業、名ばかり管理職、違法「見なし労働」を根絶すること。
 五、正当な理由のない有期雇用契約を行わないこと。
 六、下請け企業に対する不当な単価切り下げの強要を行わないこと。
 七、企業経営を「株主重視」から「従業員重視」、「社会的責任」を自覚した経営に転換すること。
 八、東日本大震災を口実とした首切りを行なわないこと。労働者の雇用維持に全力を尽くすこと。
 九、原発事故の復旧に携わる労働者の安全・健康維持に最大の注意を尽くすよう傘下企業を指導すること。また住民の放射能被害を最小限に止めるために正確・迅速な情報公開並びに被害軽減のための対策を全力で行なうこと。
 一〇、貴団体並びに傘下企業は社会的責任を自覚し、震災復興のため基金を拠出すること。

                以 上


より一層の支援を!東北全労協からの要請

 東北全労協は次のように考えています。

 一、当面、安否確認に全力をあげる。
 二組合員は当面、自力で生活を確保し、組合員への支援、被災者への支援のための準備として米、ガソリン、ストーブ、灯油等を入手可能ならば確保し、連絡態勢を保持すること。
 三、東北の被災者には、津波避難者、地震避難者、原発避難者がいる。
 四、全国への窓口は東北全労協とし、口座を作り、支援要請は然るべき時期に物資も含めて要請する。

 以下は、全国へのお願いです。

 一、救援物資は、医療、福祉関係が最優先です。次に避難所で生活する津波避難者へ生活するためのあらゆる物資が潤沢に届けられることが必要です。そのために政府、企業、各県への要請を行っていただきたい。
 二、イオン等大型店は、商品と販売労働者を一体で派遣してほしい。
 三、食品製造業の労働者は、会社に対し増産を要求し、被災地に送る努力をお願いしたい。
 四、各県全労協は、各県に対して、県が各々の災害用備蓄品の一日から二日分を放出するように要請していただきたい。官僚制度は許可制なので、要請がない限りは県民の財産を放出できないからです。
 五、ガソリン、灯油などの不足については、大手元売と政府に対して、石油備蓄を取り崩し、被災地に優先的に輸送するように要請していただきたい。
 六、津波で水没した平野を通る幹線道路で、タンクローリー、LPガスローリー車が多数被害にあい、多くの輸送労働者が死亡しています。輸送労働者の仲間にお願いしたい。この悲劇をともに乗り越えるためにも、物資輸送を会社に働きかけてほしい。
 七、太平洋側の各県はガソリン、灯油不足です。各県からの消防隊、電気工事者などはガソリン不足と灯油不足の中、不眠不休で頑張ってくれています。それらの皆さんに頑張っていただくためにも、派遣した県に対して、派遣した労働者の支援体制強化を要請してください。
 八、宮城県内の港はすべて破壊されました。東北の太平洋側は同様の事態です。仙台空港は約二メートルの土砂で埋まっています。JR東北新幹線、東北線は最短でも一ヶ月はかかるでしょう。常磐線は数ヶ月先、第三セクター等も同様です。ガスの復旧はプラント設備破壊により一〜二ヵ月はかかると思います。電気はたとえば仙台市の場合は五〇%が回復しています。水道は少しずつですが回復しています。
 関係各位から寄せられている御見舞いや物資支援・義援金等のお問い合わせにつきましては、そのような状況の中で、東北全労協が安否確認と被害状況を正確に把握でき次第、率直に要請させていただきたいと思います。
 九、あえて最後に書きますが、福島原発について、東北緊急対策が要求される場合がありうると考えております。事態の推移の中で、福島の仲間と協議し、その際は全国の皆さんとご相談することになるかもしれません。
       以上

東北全労協対策本部。

 宮城県仙台市若林区新寺一―五―二六―一〇一

      電話・ファックス  〇二二(二九九)一五七七/〇二二(二九六)四四七五


巨大地震と原発事故  たんぽぽ舎が緊急集会

 三月一一日の大地震・巨大津波はかねてからの反原発運動の主張が「不幸にも」立証されることとなった。原発の事故の実態や今後の状況などについて、政府、電力会社、学者、マスコミは、無根拠に「安全」を言うばかりで、それが的確な対処方針を確定することを阻害し、また多くの人びとの生命を危険にさらすことになっている。

 三月一八日、「たんぽぽ舎」の緊急集会が東京学院大教室で開かれた。
 はじめに、たんぽぽ舎の柳田真さんがあいさつした。地震は天災だが福島原発事故は人災であり、原発は最強地震に耐えられるといっていた電力会社・政府の「想定外」の言い分はは、あとづけ、言い訳にすぎず、原発震災は「想定内」の事故だ。原発反対派・たんぽぽ舎も「原発大国の日本に原発適地はない」「大惨事の前に原発撤退を!」と訴えてきた。その声を聞かないで原発を増設し続けて、今回の福島原発惨事を招いた原因と責任は電力会社、政府、御用学者たちにあり、かれらは責任をとらなければならない。原発事故への東電と政府の対応は、ひとことで言って後手、後手であり、無能力ということだ。原発震災を甘く考えていたが故だ。たんぽぽ舎は「逃げないで」東京にとどまり、がんばる方針だ。第一に放射能漏れを防ぐことで、もし大量に漏れたら上空から大量の水で下に落とせ、半径五km以内に放射能をとどめて、全国各地に散るのを減らせ、と提言した。第二は市民に必要な情報、逃げ方などを発信し続ける。第三は市民に必要な情報、逃げ方などの緊急学習会を連続して開く。第四はすぐに運転中の全原発を停止せよと政府・電力業界に要求している。第五に原発惨事の責任者(電力業界と政府)を追及し、原発廃止へということだ。

 物理学者の槌田敦さん(核開発に反対する会)が「スリーマイル島からチェルノブィリ類似事故へ 福島原発・同時多発事故の展開」と題して講演。
 三月一一日、マグニチュード9の地震が発生した。激しい揺れによりいずれの原発も運転を停止した。ここまでは正常になされたようだが、東電の福島第一原発の四つの原子炉では、すべてのECCS(非常用炉心冷却装置)のポンプの使用が不能となり、冷却水供給失敗、原子炉冷却不能、原子炉圧力高、格納容器へ放射能放出となり、小口径破断、ECCS不能のスリーマイル島事故酷似事故の巨大化というものになった。一号原子炉は空焚き状態で、水素と放射能を含む水蒸気の放出となり、格納容器圧力抜き作業の火花で、翌日の原子炉建屋では水素爆発で壁天井が吹き飛んだ。二号炉は爆発で格納容器下部損傷に、三号炉も水素爆発し、定期点検中の四号炉は原子炉建屋上部で爆発した。対処では、原子炉に海水注入という大失敗をおこなっている。海水は蒸発して塩になり、燃料棒の透き間を塞ぎ、炉心の冷却を妨害する。しかも、第二の壁である被覆管を化学的に壊すから、使用済み燃料の管理が困難になる。なんとしても真水でやるべきだったのだ。このような操作を認めた原子力安全・保安院の責任は大きい。
 原子力安全の論理は、「原子炉をまず止める。次に、ECCSで解決」ということだ。この原則が軽視されてきたのが日本の安全対策だった。福島原発のECCSは津波にさらわれた。なんというお粗末さだ。福島では、多数の原子炉と多数の使用済み燃料プールからの大量の放射能の放出ということになる。風と雨で汚染が広がる。チェルノブィリ事故の時のウクライナ、ロシア、ペラルーシという非常に広範囲な汚染が日本でも起こるということだ。とくにヨウ素とセシウムの内部被曝に注意しなければならない。逃げる、吸わない、飲まない、食べない、で対処をすることが必要だ。

 つづいて地震学者の島村英紀さんの「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」と題しての報告。今回地震については何回かの訂正の後にマグニチュード9と発表された。というのは、気象庁がそもそも「マグニチュードのものさし」を勝手に変えてしまったから、こんな「前代未聞」の数字になったのだ。いままで気象庁が採用してきていた「気象庁マグニチュード」だと、いくら大きくても8・3か8・4どまりだ。それを私たち学者しか使っていない別のマグニチュード、「モーメント・マグニチュード」のスケールで「9」として発表したのだ。これは、すべてのことを「想定外」に持っていこうという企み、あるいは高級な心理作戦の一環であろう。今回の地震は、政府が想定して発生確率を発表してきた個別の地震が、それぞれ個別のものとしては起きずに「ドミノ倒し」で起きた地震である。震源の拡がりは南北四五〇km、東西一五〇kmにおよんだ。なお一九六〇年のチリ地震、二〇〇四年のスマトラ沖地震のように、世界にはもっと大きな地震も起きたことがあるので、その意味では「想定外の大地震」ではない。地震のメカニズムは逆断層で、これは津波がもっとも大きくなる断層の動きである。海溝型地震ではもっとも多いパターンの地震であるが、震源が大きかったこともあり、このため大きな津波が発生して、広く海岸を襲うことになった。しかし、地震を感じてから津波が襲ってくるまで、今回のように沖合の地震ならば少なくとも一五〜三〇分(仙台空港では四五分後)ある。適切な津波警報が出されていれば、人命だけは助けることが出来るはずだった。今回は「まったく幸いなことに」高層ビルや長大な橋のように固有周期の長い建造物の被害はほとんどなかったが、慢心してはならない。これから起きる大地震では、周波数スペクトルが今回とは違うことが十分に考えられるからである。むしろ、今回の地震が例外であったと覚悟すべきであろう。
 今回もまた、地震予知には失敗した。一九六五年の地震予知計画発足以来、今回を含めて一回も、地震予知に成功していないのである。


都教委の「日の丸・君が代」処分を糾弾する!

   
 「日の丸・君が代」処分取消訴訟東京高裁判決 ― 都教委に対し処分取り消しを命令

 三月三〇日、東京都教育委員会は、都立学校(高校・特別支援校)の卒業式における職務命令違反を理由とする懲戒処分を発令した。
 今回該当者は六名で、内訳は、停職六ヶ月が一名(北特別支援学校)、減給(一〇分の一)六ヶ月が二名(都立杉並総合高校、都立東大和高校)、同一ヶ月が一名(七生特別支援学校)、戒告二名(都立江北高校、都立立川高校)であった。
 この処分で東京都教育委員会が〇三年一〇月二三日に発した通達(10・23通達)関連によるこれまでの処分者は延べ四三六名にものぼっている。

 三一日には全水道会館で、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会、「日の丸・君が代」強制反対 予防訴訟をすすめる会、被解雇者の会、「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会などによる卒入学式対策委員会の主催で都教委の卒業式「君が代」処分に抗議する集会が行われた。また四月四日に、都教委要請行動が行われた。

 10・23通達「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」は、「@学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。A入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙『入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針』のとおり行うものとすること。B国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」となっており、別紙「実施指針」で、「式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」としている。しかし、この通達の背景にある「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)は、一九九九年八月に公布・施行されたものだが、この法律には多くの反対があり、国会審議での質問に当時の小渕恵三首相(自民党)でさえ、「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております」と答えているのである。
 石原慎太郎都知事と都教育委員会は、不法不当な強制と処分を乱発し続けてきたのであった。

 度重なる弾圧・処分に屈せず、闘いは継続し、新しい人にも引き継がれてきている。被処分者たちは裁判闘争にも取り組んできている。
 東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(一次訴訟)は、東京地裁で処分取り消しと損害賠償の請求を棄却された判決を不服として一六八人が控訴していた裁判闘争だが、三月一〇日に東京高等裁判所で判決があった。それは一審判決を破棄し、都教委に対し処分取り消しを命じたが、賠償請求は棄却したものとなっている。東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(一次訴訟)原告団・弁護団は声明で、「私たちは、判決が、本件懲戒処分を裁量権逸脱として取り消したことを、高く評価する。一方で、『日の丸・君が代』を職務命令をもって強制することを憲法一九条違反、改定前教育基本法一〇条違反と判断しなかったことについては、承服しがたい」と位置付けている(憲法一九条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」、改定前教育基本法一〇条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」)。
 そして三月一七日には、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団と弁護団は、都知事、都教育委員会委員長、東京都教育長にたいして「@東京高等裁判所第二民事部(大橋寛明裁判長)の判決を受け入れ、最高裁判所に上告しないこと。A10・23通達を撤回すること。B10・23通達に基づく全ての懲戒処分を撤回すること。C10・23通達に基づく新たな懲戒処分を行わないこと」の四点を申し入れた。

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東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟・東京高裁判決にたいする声明 

 一 本日、東京高等裁判所第二民事部(大橋寛明裁判長)は、都立学校の教職員一六八名が卒業式等の国歌斉唱時に校長の職務命令に従って起立斉唱・ピアノ伴奏しなかったために懲戒処分(一名が減給、一六七名が戒告)されたことに対し、処分の取消しと国家賠償を求めた事件につき、教職員らの請求を棄却した第一審東京地方裁判所判決を取消し、懲戒処分を取消す逆転勝訴判決を言い渡した。
 二 本件は、東京都教育委員会(都教委)が二〇〇三年一〇月二三日付で全都立学校の校長らに通達を発し(10・23通達)、卒業式・入学式等において国歌斉唱時に教職員らに対し、指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること、伴奏すること等を命じて、「日の丸・君が代」の起立斉唱強制を進める中で起きた事件である。都教委は、卒業式等の国歌斉唱時に起立斉唱またはピアノ伴奏せよという校長の職務命令に違反したとして、控訴人らを戒告・減給等の懲戒処分とした。
 三 判決は、控訴人らの不起立行為等は、自己の個人的利益や快楽の実現を目的としたものでもなく、生徒に対し正しい教育を行いたいなどという歴史観ないし世界観又は信条及びこれに由来する社会生活上の信念等に基づく真摯な動機によるものであり、少なくとも控訴人らにとっては、やむにやまれぬ行動であったということができる、と判示した。さらに、「歴史的な理由から、現在でも『日の丸』・『君が代』について、控訴人らと同様の歴史観ないし世界観又は信条を有する者は、国民の中に少なからず存在しているとみられ、控訴人らの歴史観等が、独善的なものであるとはいえない。また、それらとのかかわりにおいて、国歌斉唱に際して起立する行動に抵抗を覚える者もいると考えられ、控訴人らも、一個人としてならば、起立を義務づけられることはないというべきであるから、控訴人らが起立する義務はないと考えたことにも、無理からぬところがある」と判示した。
 そして、控訴人らの行為によって卒業式等が混乱したという事実はなかったこと等も踏まえ、結論として、不起立行為などを理由として懲戒処分を科すことは、社会通念上著しく妥当を欠き、重きに失するとして、懲戒権の範囲を逸脱・濫用するものであるとして違法であるとし、控訴人らに対してなされた各懲戒処分を取り消した。
 一方で、10・23通達及び職務命令は、憲法一九条及び二〇条に違反せず、改定前教育基本法一〇条の「不当な支配」にもあたらないと判断した。また、損害賠償請求については認めなかった。
 四 私たちは、判決が、本件懲戒処分を裁量権逸脱として取り消したことを、高く評価する。一方で、「日の丸・君が代」を職務命令をもって強制することを憲法一九条違反、改定前教育基本法一〇条違反と判断しなかったことについては、承服しがたい。
 五 都教委は本件において下された司法判断を上告せずに受け入れ、すべての教職員に対する懲戒処分を撤回するとともに、直ちに10・23通達を撤回し、教育現場での「日の丸・君が代」の強制をやめるべきである。

 この判決を機会に、教育現場での「日の丸・君が代」の強制に反対するわたしたちの訴えに対し、皆様のご支援をぜひともいただきたく、広く呼びかける次第である。

        二〇一一年三月一〇日

           東京「日の丸・君が代」処分取消訴訟(一次訴訟)原告団・弁護団


KODAMA

    
原子力安全委員会か原子力「産業」安全委員会か

 三月三〇日、「原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします」という言葉から始まる「福島原発事故についての緊急建言」なるものが出された。
 田中俊一(前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長)、松浦祥次郎(元原子力安全委員長)、石野栞(東京大学名誉教授)ら原発を「先頭だって進めて来た者」たち一六名によるものだ。提言の中には、「私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている」としている。注目すべきは「特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである」というところだ。また「福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している」とも言う。安全と強弁しながら原発推進してきた中心人物たちが「広範で深刻な放射能汚染」について言い出したのである。そして「事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である」とする。
 松浦祥次郎元原子力安全委員長は、あるテレビ・インタビューで、なぜ原発の危険性を低く抑える安全基準を設定したのかとの問いに、あれこれの危険性を全部取り入れて対処したら、原発が非常に高価なものになってしまうからという趣旨の答えをしていた。これでは原子力の安全を審議する委員会ではなく、原子力産業の安全を図るものといえるだろう。利権構造の根は深い。
 いずれにせよ今回の提言は、自らの進めてきた政策が完全に破綻し、「国家的な事件というべき事態」を生み出したことを認めたものだ。こうした提言をすることによって、自らの責任を最終的に回避する面をもつことは間違いないが、評価すべき行動ではあるだろう。かれら学者たちに問われていることは、今後どう実践していくかということだ。 (M)

       * * * *

    書くということ

 およそロクな実践もなしで文献ばかりあさって物を書いている小説家の本は面白くない。高橋克彦や浅田次郎がそうだ。その点で太宰治までの古典といわれるモノは何度読んでも面白い。私は人に会うと太宰の「人間失格」を読んだことある?と聞くので、みんなに嫌われる。昨今の芥川賞や直木賞には全部目を通しているが(読むのとは異なる)失望させられるだけだし、文学そのものの堕落しか見えない。私が学校で小田切進先生から教わったのは、「文学とは世代や人種や宗教や性別や時代を超えて人の心を動かすものである」という文学概論を聴講して、ある種の感動を与えられたからだ。それから何度も古本屋へ行って読みまくる日を送ったことを思い出す。
 あるときには共同通信社にいたころ辺見庸の「ものを食うひとびと」の新聞連載にはまった。もちろん本も買った。自らの精神と肉体を酷使しての血のにじむような文章だと思ったからだった。一昔前の「なんでも見てやろう」の小田実と同じようなものを感じたからだった。最近の辺見は共同通信を通じて週一回ほどダラダラ書いているが、ほとんど私小説と言ってもいいほどの社会への「あきらめ」しか感じられない。問題提起はしているが、何やったって無駄という文章にはまったく同感できない。
 このごろは読書三昧の日をおくっているので、すこし書いて見たい。
 夏目漱石と森鴎外のおもな作品のほとんどを最近読み直してみた。よく時代を反映していると感心してしまった。漱石は初期の「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」のころは石川啄木がうらやむほどの大衆性があるが、時代が日露戦争という暗い時代へ入ってしまうと、大学教授という立場に座して世を見ていたためか、だんだん狂気を感じさせる文章になっていく、悪い意味でも役に立たない哲学的文学へと入っていっていく。
 鴎外は大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで過ごしたり日露戦争に参加した。文体も大衆的で漱石と異なり分かり易いのではないだろうか。留学中のドイツ女性との恋を描いた「舞姫」をはじめ「雁」「青年」、そして「ヰタ・セクスアリス」なんてのは、読んでいる自分は決して異常ではないんだと教えてくれたので小学生の時に全文読んだ。
 つぎに正岡子規だ。鴎外から多大な影響を受けているので分かり易い。「歌よみに与うる書」なんて読んでいて踊りだしたくなる。日本ではじめて文章におけるロックン・ロールを確立したといっても過言ではないだろう。
 最近好きで読んでいるのは、高橋源一郎と池澤夏樹だ。高橋は日本の選挙や民主主義という幻想をわかりやすく暴いている。
「難解な文章ほどやっかいでニセものはない」と上野千鶴子は言っている(当人はけっこうムズカシイ社会学的本を書いているくせに!)。
 池澤直樹は、起立や斉唱の強制は憲法一九条が保証する「思想・良心の自由」という文言があるにもかかわらず「日の丸・君が代」を正当化した一月二八日の東京高等裁判所の判決を批判し「民主主義は多数決という欺瞞に小さい頃から何度だまされてきたか」と嘆く。ひとは《民主主義》なんてヤワなものでは変わらない。例えばハンセン病で苦しめられた太田明氏は言っている。「『ライ予防法』で世の中から隔離を余儀なくされていたが、それが廃止されても世の中の《差別》はなにも変わっていないじゃないか」という怒りは当然だ。
 私だって書くために書いているんじゃない。最近「県男女平等共同参画第三次答申会議」(二〇一五年までの行動方針を決める)を傍聴してきた。本も五、六冊読み、女性センターの意見も聞いて《理論武装》はちゃんとしていった。会場に入るとなんとも狭い。一〇人中七人がおとこで、「ハネカエリ女の主張なんてはやくかたずけろ」といわんばかりの雰囲気だ。事務の女性が「かいがいしく」委員にお茶を入れて回っている。職場の女性のお茶くみを無くせというのが、男女共同参画の原点だったのにこの情景だ。私は頭に血が上って、その女性から茶器を奪って「みなさん」にお茶を入れて回った。いつも家でやっているので上手だった。みんな恐れ入って立ち上がってかしこまっていた。「何か言うとつまみ出す」というような文章を受付で配布されたので、なにも言わずに行動で反抗した。
 座して世相を見てた漱石にしても、死んでいく兵士を見ていた鴎外も、日本の中国侵略を見て回った子規も、怒りを文学へとぶつけたのだろう。その点で宮沢賢治は私にとってなにか物足りない。その分、私は何か行動し、少しでも書き残してからでなければ死ねナイと思っている。 (H)


せ ん り ゅ う

  震災で三万!自死年三万

  フクシマの恐怖世界は忘れない

  スリーマイルを忘れ東電政府バカ

  鯰さま感謝かんしゃの菅首相

  津波さり強き一本高田松
                              ヽ 史


  やるべきことはやった木の芽野の花
                              瑠 璃

二〇一一年三月

 ◎ 鯰絵が江戸時代に流行っていた。地震を起す鯰だが、金持ちには震災で大損するから鯰を懲らしめる図が好まれた。貧乏人は復興景気で潤うから鯰殿に接待ご馳走する図が好きだ。菅首相、国会でやり込められていたが、東日本大震災で野党は協力の意向を示すこととなり政権安泰の図となった。
 ◎ 名勝・陸前高田の松原数万本のうち一本だけ残った。その真っ直に立つ景色は復興への力づよい希望。


複眼単眼

    
災害に便乗した「大連立」という党利党略の政治

 福島第一原発の事故がどこまで拡大するのか、東日本を襲った地震と津波の被害はどれほどだったのか、まだその被害の全容すら明らかになっていない中で、永田町では民主・自民両党を中心にした「大連立政権」構想をめぐる政治家たちの動きがめまぐるしい。大災害を口実にした、この動きは噴飯もので、薄汚いことこの上ない。
 当初、菅直人首相が自民党の谷垣総裁に「副総理兼震災復興相」として入閣要請を行い、谷垣総裁は「あまりにも唐突な話だ」と拒否した。しかし、この大連立内閣構想の火ダネはその後もくすぶりつづけ、自民党の中でも応ずるべきだとの声が長老たちを中心に強まっている。民主党からはすでに閣僚数を三ポスト増設(震災復興担当相、防災担当相、沖縄・北方担当相)するため内閣法を改定する話が出ており、自民党からはそれに応じるべきだとか、菅首相の交代が条件だとか、期間限定の連立でいくべきだとかいう意見などが相次いでいる。
自民党内には民主党がちらつかせる補正予算、復興構想会議、閣僚ポストという巨額の復興事業関係事業の利権にあずかりたいという魂胆がある。今のところ、自民党のほうで収束させたように見えるが、各党の候補者があい争う統一地方選が終わったら、誰が首班の内閣かは別として、現在のもたもたを吹き飛ばして一気に大連立政権=挙国一致内閣が誕生しかねないのである。
 この大連立構想は、極めて危険だ。これは総選挙を与野党で対立して戦った民主・自民両党の政策的相違をあいまいにして、大政翼賛政権的な状況を作るもので、民主主義を危うくする。もしもこの大災害に与野党あげて協力する体制をつくるというのであれば、災害への対策協議の場を設置すればよいのであり、こうした野合政権の試みは災害対処の責任の所在をあいまいにするものだ。こうした野合は有権者・国民の意思を無視して行われる政治的な取引であり、民主党政権の政治的延命という党利党略に他ならない。連立のために復興事業を撒き餌にするなどの政治手法は、巨額の利権に群がるハゲタカを思わせる度し難い発想に他ならない。
 加えて見逃せないのは、餌の閣僚ポストとして、沖縄・北方担当相を自民党に担わせるのは沖縄政策の自公政権時代への完全退却であり、沖縄県民の意志を無視して辺野古移転を推進するもので、これも言語道断である。
 さらに油断がならないことには、すでに自民党の一部から出ているように、この大連立政権に憲法問題も扱わせようという動きもあり、それは九条改憲につながる恐れがある。いま、もたもたしている憲法審査会の設置も、大連立政権のもとではどんどん進められるに違いない。
 それでなくともこの大震災の救援に便乗して、日米同盟と自衛隊を無原則に礼賛し、改憲を含めたその政治的意図のために利用する動きがあるときである。
 話はそれるが、自衛隊と米軍などの災害出動の「功績」と、日米安保と自衛隊の是非は本質的に異なるもので、別次元できちんと議論されるべきものだ。
 本質的に言えば、自衛隊にとっては「戦闘」が「本務」であり、「災害救助」は「余技」に過ぎない。そして、この「余技」もまた、戦闘訓練の一環に位置づけられているのである。原発事故への出動は米軍にとっても、自衛隊にとっても、絶好の核戦争への対処訓練である。
 日頃から「戦闘訓練」ではなく、ハイパーレスキュー隊で名を馳せた消防隊のように、「災害救助」訓練に徹すれば救援能力のより向上が図れる。高額な「武器・弾薬」の購入は不要で、財政的にも現在の軍事予算の十分の一に縮小できるという、ある憲法学者の試算もある。 (T)