人民新報 ・ 第1279号<統合372号(2011年7月15日)
  
                  目次

● 原発にさようなら集会、1000万人署名の成功を !    脱原発の日本を実現しよう

● すべての争議の勝利解決に向けて、6・22 けんり春闘の東京総行動

● 突破できなかったJR雇用   鉄建公団訴訟原告団など闘争終結を決断

● ひろげよう! 労働条件条項をつけた公契約条例    ILO94号条約の批准を
                       
● 人びととのふれあい ―― 震災被災の現地を見て感じたこと ――

● KODAMA  /  731部隊元少年兵の歴史的な証言

● 映 評  /  黒い神と白い悪魔

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  一部で語られている原発国民投票論の危険性

● 夏季カンパの訴え   労働者社会主義同盟中央委員会





原発にさようなら集会、1000万人署名の成功を !

                
脱原発の日本を実現しよう

広がる原発事故被害

 東電福島第一原発の事故は、収束のめどがつかないまま、放射能汚染・被害を広げている。そしてこの時期、日本全国で地震が頻発している。財界などの原発推進派は経済への影響を口実に、これまでの政策を維持しようとしているが、原発依存からの脱却、停止中の原子炉の再稼動阻止、全ての原子炉の停止にむけた怒りの声が高まってきている。3・11以来、各地でのさまざまな行動が取り組まれ、多くの人びとが参加する大規模なデモがいくつも実現した。
 こうした情勢が、中部電力・浜岡原発を廃炉にし、原発推進政策の再開となる試金石と見られていた九州電力・玄海原発や四国電力・伊方原発の再稼動も延期させた。これまで地道に続けられてきた原発反対の運動が広範な市民の共感を呼び、具体的な力となって政治を動かし始めている。逆に、意識的な事実隠しか、それとも実際を理解できない無能さかを問わず、原発利権のおこぼれでこれまで生きてきて、今もなお「原子力は安全」「原子力発電は安価で経済的だ」などと主張してきた学者・マスコミなどはその勢いを失っている。
 自民党内でも、これまでの原発推進の政策を見直す動きがあり、みんなの党の渡辺喜美代表が国会で「埋蔵電力」で原発五〇基分の電力があると述べるまでになっている。
 電力会社をはじめ原発推進派は、原発の稼動がなければこの夏の電力需要はまかなえず、停電、深刻な経済危機が到来するという「電力不足」キャンペーンを必死なって展開中だが、マスコミの中からさえも、原発の稼動なしでも乗り切れるという報道が出始めている。流れは変わりつつあるのだ。

想定外を「想定」?

 地震・津波と原発事故から四ヶ月目の七月一一日、政府は原子力発電所の再稼働の可否などを判断する新たな安全評価を発表した。全国の原子力発電所を対象に「ストレステスト」(耐性調査)を実施するとしている。それは一次評価と二次評価にわけられていて、一次評価は、定期点検中で再稼働準備が整った原発を対象にし、巨大地震や津波など「設計上の想定を超える事象」にどの程度、耐えられるかを評価し、これに基づいて政府が再稼働の可否を判断する。二次評価は、運転中の原子力発電所の運転継続または中止を判断するためのものだ。これは想定外を想定するというもので、政治的な判断が介入する余地が大きい。また、これを説明した枝野幸男官房長官が、この新たな安全評価の導入で「中長期的な電力供給が確保されるよう努力する」と語っているように原発の安全性を「裏書」し、再稼動にお墨付きを与えるものになることの危険性は高いものと見るべきだろう。

さようなら原発!

 いまこそ、全国から脱原発の運動を組織し、すべての原子炉を停止・廃炉にさせ、原発推進政策から新エネルギー政策への抜本的な軌道変更を実現する好機である。
 六月一五日には、内橋克人さん、大江健三郎さん、落合恵子さん、鎌田慧さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さん、鶴見俊輔さんの九人が呼びかによる「原発にさようなら集会」と「原発にさようなら一〇〇〇万人署名」の二つの脱原発行動の記者会見が行われた。記者会見には、澤地久枝さん、内橋克人さん、鎌田慧さんの三人が出席して取り組みについて述べた(九人の呼びかけ「『さようなら原発集会』にお集まりください」は二面に掲載)。
 澤地久枝さん。一人の力は小さいが、一千万人が「原発はいやだ」と署名したら、だれも無視できない。百万人では、ダメで、人を動かすことができる数字は、一千万人だ。
 内橋克人さん。いまは、建設された原発五四基と計画中が一四基あるが、日本は地震列島でありこれを過密原発立国、原発過密列島にしてはならない。
 鎌田慧さん。原発のある地域は、反対運動があったけれどもお金で潰された地域だ。原発は非道徳な存在ですべてをお金で解決してきた。不幸なことだが事故が起きたが、大きな運動で押し返していくチャンスだ。ヨーロッパに負けないような、大きな力を発揮したい。
 原発にさようなら一〇〇〇万人署名(「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」)は、横路孝弘衆院議長、西岡武夫参院議長、菅直人首相に対して、「@原子力発電所の新規計画を中止し、浜岡をはじめとした、既存の原子力発電所の計画的な廃炉を実施することを求めます。Aもっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉『もんじゅ』および核燃料再処理工場を運転せず、廃棄することを求めます。B省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策への転換を早急に始めることを求めます」という三項目を要請するものだ。「原発にさようなら集会」と「原発にさようなら一〇〇〇万人署名」の成功を実現し、脱原発の日本を作り出そう。

   9人の呼びかけ人からのアピール  「さようなら原発集会」にお集まりください

 三月十一日の東日本大震災によって、東電福島第一原発は、一号炉から三号炉までが最悪事態の炉心溶融(メルトダウン)を引き起こしました。
 水素爆発、工場外壁の破壊などによって、高濃度の放射性物質が、海水、大気、土壌に放出され、環境を汚染するという未曾有の大事故となりました。
 二ヶ月がすぎても原子炉の暴走は収束する気配がなく、いまなお極めて不安定な状況がつづいています。これまでの放射性物質の拡散量だけでも、地域の住民と労働者ばかりか、まだ生まれていない将来の子どもたちの健康と生命にとっても、計り知れない悪影響を与えると危惧しております。
 原子力と人間の共生など、けっしてありえないことなのですが、それに気づいていながらも、私たちの批判の声と行動があまりにも弱かった、と深く悔やんでおります。
 いま原発を拒否する声はさまざまな運動となって拡がっていますが、わたしたちはこれまでの怠慢を反省し、政府や財界や電力会社などが、原発推進の巻き返しにでないためにも、さらに大きな市民の力で、原発依存の生活から脱却する道をあゆみだしたい、と念願します。
 わたしたちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、自然エネルギーを中心とする「持続可能な平和な社会」にむかうために行動します。その目標です。

 一、新規原発建設計画の中止
 二、浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止。
 三、もっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」、「再処理工場」の廃棄。

 これらを実現して、わたしたちの生存と未来の子どもへの責任を果たします。
 「原発にさようなら集会」を、つぎの要領で開催いたします。どうか皆さんでご参加ください。

呼びかけ人

 内橋克人 大江健三郎 落合恵子 鎌田慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴 辻井喬 鶴見俊輔

  ● さようなら原発集会 ●

      日  時  九月一九日 (月・敬老の日) 午後 一 時〜

      場 所  東京・明治公園


すべての争議の勝利解決に向けて、6・22 けんり春闘の東京総行動

  六月二二日、2011けんり春闘の東京総行動が闘われた。今回は、原発事故と原発推進政策に抗議して、経済産業省資源エネルギー庁前からの出発となった。
 スタート集会では、はじめに東京全労協の纐纈朗議長があいさつ。歴代の政府と電力会社が無謀な原発推進を行い、多くの人びとが危惧していた通りの大事故を起し、その被害はますます広がっている。働くものの権利を守り、すべての争議の解決をめざす東京総行動は全原発の停止、エネルギー政策の根本的な転換を求めて闘う。
 つづいて全労協脱原発プロジェクトの遠藤一郎副座長(全国一般全国協副委員長)が発言。
 全労協は、その結成以来これまで反原発の闘いを進めてきたが、三月一一日の東日本大震災による東京電力福島原発の事故の深刻な事態から闘いをより具体的に取り組むことを常任幹事会で決定し、六月一六日に「全労協脱原発プロジェクト」(座長・金澤壽全労協議長)を発足させた。今後、反原発集会の参加、学習会・やシンポジウムなどを開いて、原発に反対する運動の一翼を担って行きたい。

 資源エネルギー庁前の行動を終わり、二手に分かれて行動開始。ひとつは、フジテレビ(解雇・反リストラ産経労)、三井不動産(アスベスト被害、不当労働行為・東京労組エタニット分会)へ、もう一隊はパナソニックPDP(解雇・なかまユニオン)、ニチアス本社(アスベスト被害、団交拒否・全造船機械アスベスト関連産業分会)、ヤンマー東京支社(解雇・びや湖ユニオン)へ。昼過ぎに、経団連前で合流し、要請と抗議の行動。経団連側はガードマンを前面に立てて、要請文も受け取らないという不遜な態度だ。ここでしばらく押し問答がつづいた。午後行動は、再び二隊に分かれて、UR都市機構(団交拒否・全統一都市開発分会)、東京都庁(解雇・東京都学校ユニオン、解雇・東京労組文京七中分会、学園再建・全国一般千代田学園労組)、キヤノン本社(解雇・キヤノン非正規労組)、日本基礎技術(解雇・本田君の不当解雇を撤回させる会)への抗議要請行動を行い、最後にまた全体がいっしょになってトヨタ本社の解雇・断行拒否(全造船関東地協フィリピントヨタ労組、フィリピントヨタ労組を支援する会)への抗議行動を闘い抜いた。


 突破できなかったJR雇用

    
 鉄建公団訴訟原告団など闘争終結を決断

 国鉄一〇四七名解雇撤回闘争は、昨年六月最高裁での一括和解が成立し、鉄道運輸機構と原告との間での金銭問題は解決された。その後の闘いは、「雇用・年金・解決金三点セットであり、雇用問題の解決に全力を挙げる」として、この一年間の取り組みがあった。政治窓口となっていた民主、社民、国民新の三党は政府に対してJR各社などに雇用を要請するよう申し入れた。その雇用希望者の内訳はJR各社へは九州九二人、北海道七五人、東日本九人、西日本七人、東海一人でJR関連会社が八六人、「公的部門」五一人、鉄道・運輸機構一一人など合計三三二人となっていた。
 そして六月一三日、四者・四団体(国労闘争団全国連路会議、鉄道建設公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団と国鉄労働組合、全日本建設交運一般労働組合全国鉄道本部、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争に勝利する共闘会議)は「雇用希望者最終報告書」を国交省を通じてJR七社に申し入れた。しかし、JR七社連名による文書「JR不採用問題に関する基本的考え方」文書が公表され、それはJRへの雇用問題は解決済みというものであり雇用要求をまったく拒絶するものとなっていて、窓口の三党からも六月二二日、「雇用はゼロ」との回答があった。

 六月二四日、鉄建公団訴訟原告団・鉄道運輸機構訴訟原告団の原告団中央協議会は、第五回原告団中央協議会総会を開催した。そこで共闘会議の二瓶久勝議長から報告があった。
 われわれの戦略は、裁判闘争と大衆闘争で闘い、最後に政治解決を目指すというものだった。三党から雇用はゼロとの回答があり、雇用では妨害がすさまじく成果をあげられなかったので闘争は敗北といわざるをえない。だが十分とは言えないまでも金銭には現状の中で最高水準といえるもの(解決金平均一人あたり二二〇〇万円)を勝ち取ることができた。昨日二三日、四者・四団体会議で検討したが、三者・三団体(国労闘争団全国連路会議、鉄道建設公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団と国鉄労働組合、国鉄闘争支援中央共闘会議、国鉄闘争に勝利する共闘会議)は、「政府、JRの対応は不満だが、精一杯の努力はした。この時が引きどきだ」としたが、全動労争議団・鉄道運輸機構訴訟原告団と全日本建設交運一般労働組合全国鉄道本部は、闘いを継続すると主張した。そして六月三〇日に四者四団体は解散することを確認した。
 討議の結果、@本日の総会を解散総会とし、雇用問題については精一杯闘ったことを確認し、闘いを終結する。A株主代表訴訟については前向きに受け止め、原告に名を連ねるものについては、七月一五日頃まで集約する。B「事業体全国ネットワーク」(略称・事業体ネット)を設置し、闘争団解散後の当面(三年程度)の受け皿としての機能をもたせ、交流団の受入、オルグ要請等の調整・連絡をはかることとするなど、について確認した。当事者の闘争終結の決定がなされたのである。

 同日夜には、国鉄闘争共闘会議の総会が開かれ、二瓶久勝議長が、この間の経過と原告団総会での全会一致での闘争終了を報告し、共闘会議の解散を提案した。突然の闘争終結の提案に反対の意見も上げられ白熱した議論があったが、最後には拍手で共闘会議の解散を決定した。

 六月三〇日、国鉄闘争共闘会議、鉄建公団訴訟原告団、鉄道運輸機構訴訟原告団は連名で解散に際しての「声明」(別掲)を発表した。

 二四年にわたる国鉄闘争は、新自由主義的な労働者攻撃に対する反撃の陣形の主要な環となり、労働運動の反転攻勢の契機として闘いぬかれてきた。多くの労働者・市民がこの共闘の行動に参加し、闘いを支えてきた。この間の多くの成果は今後の運動にいかされて行くだろう。それと同時に、また数々の弱点も明らかになり、歴史的な意義を持った闘争全体が総括され教訓化されて行く必要がある。そのことによって、闘争の勝利を願いながらも闘いの中で倒れていった大勢の仲間たちの意志を今後に生かし、また今後の労働運動の前進の基礎としなければならない。

国鉄闘争共闘会議・鉄建公団訴訟原告団・鉄道運輸機構訴訟原告団の声明

 一、一〇四七名採用差別事件は、紛争発生から四半世紀近くの長期闘争の末、二〇一〇年四月九日の政治合意に基づき、同年六月二八日、最高裁での一括和解が成立(裁判取下は同・六月三〇日)し、鉄道運輸機構と原告との間での金銭問題は解決された。

 二、しかしその一方で、原告らが求めていた「雇用」について、政府は「JRへの採用を要請する」「その他の雇用について努力する」との政治合意を、一年余にわたり放置した挙句に、一〇〇%鉄道運輸機構が株式を保有するJR北海道会社やJR九州会社への採用すら実現できなかったことは、誠実に対処したとは言い難い。政府としての力量が問われ、政治不信に拍車をかけるものとなった。

 三、二〇一一年六月一〇日、三党(民主党・社会民主党・国民新党)から「雇用問題」での申入れがようやく政府にされ、それを受けて同年・六月一三日、政府はJR各社を呼んで雇用要請を行ったものの、JR七社は連名で「雇用希望者の採用を考慮する余地はない」と断るという不遜な対応に出た。最高裁判決によって「JR各社に採用責任はない」、「余剰人員調整策等に協力した職員との間の不公正が生じる」などを、その理由としている。

 四、しかし二〇一〇年四月九日の政治合意は、「人道問題」との見地から、四党(民主党・社会民主党・国民新党・公明党)が政府に申入れ合意されたものだ。JRの対応に対して、六月二八日の閣議後の記者会見で大畠章宏国土交通相は「もう少し企業側は度量を持って対応すべきではなかったか」とJRの対応に不快感を示している。このように、JRの硬直した対応は四半世紀もの長期の紛争の和解に水を差した。そればかりではなく、「法人格」の違いと法律の壁に阻まれて、司法の限界性により「JR会社」としては採用責任を免れてはいるものの、旧国鉄時代に不当労働行為を行い、現在もJR会社の経営陣として在籍する役員らの罪は消えない。JR会社の経営陣は、不当労働行為に対する個人としての贖罪の機会を自ら蹴飛ばしたのだ。

 五、原告らの平均年齢は五八歳となっており、一〇四七名の中で鬼籍に入った者はすでに六九名(二〇一一年六月三〇日現在)となっている。かかる事態の中で、原告団は苦渋の選択ではあるが、「雇用実現」を目指し、金銭問題が解決した後のこの一年間、精一杯あらゆる努力を尽くし政治の場で交渉を重ねてきた結果を重く受け止め、これ以上「雇用問題」を引きずることは、いたずらに原告個々の今後の人生を翻弄すること事につながると判断し闘いの幕を閉じることを六月二四日の原告団総会で決断したものである。

 六、我々は、JR会社や官僚、妨害勢力らの前に膝を屈することを潔しとせず、名誉ある撤退を選択する。そして、今後、社会正義の立場からJR会社を追撃する。
それこそが、この四半世紀をかけた紛争を応援し、支えて頂いた方々への筋の通し方であると信ずるからである。

 七、「雇用」には届かなかったが、今日までJR不採用問題の解決のためにご奮闘いただいた各政党、関係国会議員の皆さん、各民主団体、そして、永年に亘って闘争を支え続けてくれた全国の仲間に、心から感謝申し上げる。

 二〇一一年六月三〇日


ひろげよう! 労働条件条項をつけた公契約条例

                
ILO94号条約の批准を

 新自由主義の規制緩和政策によって日本における労働環境は悪化の一途を辿っている。三月の地震・津波・原発事故によっていっそう状況は悪化している。グローバル化への対応だとして、一部の多国籍化した大企業が空前の儲けを上げている一方で、しわ寄せが中小零細業者や労働者を蝕んでくる。年越し派遣村によって社会的にあきらかになった非正規労働者切捨ては、労働者派遣や請負の悲惨な状況をあぶりだした。だが、労働者派遣法の抜本改正はいまだになされていない。そして裁量労働制がさまざまな職場に導入されることによって、労働時間が自由であるかのような宣伝文句とは逆に残業代のカットや労働強化が進んでいる。
 民間だけではない。官製ワーキングプアという言葉が一般にも通用するようになってしまったように、国や自治体の行政にかかわる公的な仕事をしていながら不安定雇用と低賃金の労働者、また安値受注で会社経営もままならないという中小企業者が増加している。いま自治体はこれまでの仕事を民営化して、それを請負・委任の契約(公契約)で行わせるのである。工事の請負、公共工事などは昔からあったが、ごみ収集・運搬・処理・処分、庁舎清掃、警備、建物の維持管理(ビルメンテナンス)、学校給食、保育などの「労務の遂行、提供」が増えてきている。しかしここでも入札で低価格が競われ、それが労働者の低賃金によって「保障」されるシステムができている。これは、自治体が低賃金構造の加担者となる姿がある。
 こうしたことは絶対に許されることではない。すでに一九四九年に国連の労働問題を担当する専門機関であるILO(国際労働機関)は、「公契約における労働条項に関する条約(第九四号)」で、公的事業で利益を得る企業は、労働者に人間らしい労働条件を保障すべきであり、国や自治体などの発注者はそれを確保する責任を持っているとした。
 九四号条約は、「第二条」で「この条約の適用をうける契約は、当該労働が行われる地方において関係ある職業又は産業における同一性質の労働に対し次のものにより定められているものに劣らない有利な賃金(手当を含む。)、労働時間その他の労働条件を関係労働者に確保する条項を包含しなければならない。(a)関係ある職業又は産業における使用者及び労働者の大部分を夫々代表する使用者団体及び労働者団体の代表者間の労働協約その他の承認された交渉機関により、(b)仲裁裁定により、又は(c)国内の法令又は規則により)」としている。「関係ある職業又は産業における同一性質の労働に対し次のものにより定められているものに劣らない有利な賃金、労働時間その他の労働条件」をいくつかの方式で決めなければならないのである。こうすれば、低価格の入札競争によるワーキングプアを生み出すことなく、また公共の仕事の質も保証されることが期待できる。
 だが、日本はこの第九四号を未に批准していない(ちなみに日本はILO条約の批准がすくない。そればかりか、一九三八年にILOへの協力を中止し、そうした非協力的な日本は一九四〇年にはILOからの脱退扱いされ、ようなく一九五一年に再加盟を認められたという恥ずべき過去を持っている)。
 日本政府の基本的には態度は、労働基準法なり最賃法等で最低労働基準の確保を図っているので、公契約においても個々の労働条件については関係の労使の間で決定するべきで、公契約中に労働条件条項を入れる必要はないという態度である。

 しかし日本でも、労働条項を含んだ公契約を結ぶ自治体が出始めている。二〇一〇年には、多くの関係者の努力が実り、千葉県野田市で「野田市公契約条例」ができた。それは前文で「地方公共団体の入札は、一般競争入札の拡大や総合評価方式の採用などの改革が進められてきたが、一方で低入札価格の問題によって下請の事業者や業務に従事する労働者にしわ寄せがされ、労働者の賃金の低下を招く状況になってきている。このような状況を改善し、公平かつ適正な入札を通じて豊かな地域社会の実現と労働者の適正な労働条件が確保されることは、ひとつの自治体で解決できるものではなく、国が公契約に関する法律の整備の重要性を認識し、適やかに必要な措置を講ずることが不可欠である。」とした上で、第一条(目的)で「この条例は、公契約に係る業務に従事する労働者の適正な労働条件を確保することにより、当該業務の質の確保及び公契約の社会的な価値の向上を回り、もって市民が豊かで安心して暮らすことのできる地域社会を実現することを目的とする」としている。つづいて神奈川県川崎市(政令指定都市)でも市議会の全会一致で公契約条例が成立した。
 このような流れを、労働組合は市民と力を合わせて大いに加速することが必要だ。

● 労働条項を含んだ公契約についての参考文献として小畑精武著『公契約条例入門―地域が幸せになる《新しい公共》―』(旬報社)がある。著者自身が江戸川区労協オルグ、自治労公共サービス民間労組協議会事務局長などを経験する中で実際に民間委託、公契約問題に取り組んできたため実例や資料も豊富でわかりやすい。

労働弁護団の「ILO94号条約の批准と公契約法の制定を求める意見

             二〇一一年六月一五日

  内閣総理大臣 菅直人 殿
  国土交通大臣 大畠章宏 殿
  農林水産大臣 鹿野道彦 殿
  総務大臣 片山善博 殿

         日本労働弁護団 幹事長 水口洋介

 一 国や自治体が公共工事や公共サービスなどを民間に発注する公契約の多くは、予定価格の内で最も安い金額で入札した者が落札する入札制度で受注者が決められている。
 しかし、この制度を野放しにしたならば、落札するために事業者は低価格で入札し、落札後は利益を出すために、その労働者の賃金や下請業者に対する請負代金を徹底的に切り下げ、その結果、非正規労働者を典型とする低賃金労働者が生まれることになりかねない。
 二 このような事態を憂慮し、ILOでは、「公契約における労働条項に関する条約」(第九四号)を一九四九年に採択した。同条約では、公契約における労働条件の相場水準を確保することを定め、約六〇カ国がこれを批准し、それらの諸国では公契約規制が進められている。
 ところが、これまで自民党政府は、民間部門の賃金その他の労働条件は関係当事者の労使間で合意されるべきものであり、労基法違反の場合を除き政府が介入するのは不適当だとして、同条約を未だ批准せず、公契約法も制定してこなかった。
 しかし、最低賃金法に基づく最低賃金ではフルタイムで働いても生活保護水準にも収入が達しない現実が存在することからすれば、この自民党政府の見解は、政府としての責任を放棄しているに等しい。
 三 これに対し、国内の一部自治体では、採算度外視の低額入札の増加や公契約に関する業務に携わる労働者の労働条件の悪化を懸念し、事業者が自治体から事業を受注した場合に一定の義務を契約上課すことを定めた公契約条例を制定する動きが出ている。例えば、この先駆けとなった千葉県野田市の公契約条例(二〇〇九年九月二九日成立)では、公契約の受注者や下請業者などが労働者に対し、市長が定める賃金の最低額以上の賃金を支払わなければならないと定める。
 四 しかし、この野田市の公契約条例もその前文で定める通り、「労働者の適正な労働条件が確保されることは、ひとつの自治体で解決できるものではな」い。まずは国が、公契約における適正な労働条件を確保する姿勢を明確にしなければならない。
 特に、本年三月一一日に発生した東日本大震災被害からの復興のため、これまでにも増して多くの公契約が国や自治体と民間業者の間で締結されることは必至である。復興事業の名に隠れて、これに尽力する労働者に不当な低賃金や劣悪な労働条件などのしわ寄せがいくことは決して許されない。
 五 以上より、公契約に関する業務に携わる多くの労働者の労働条件を適正に確保するために、政府はすみやかにILO第 号条約を批准し、公契約に関する基本法を定めることを求める。
                                


人びととのふれあい ―― 震災被災の現地を見て感じたこと ――

 六月二〇日から二二日の三日間、岩手宮城の被災地を見てまわってきた。

 内陸部は、東北新幹線や在来線が復旧しており、震度5から7レベルの地震の被害を感じさせない平穏な雰囲気であった。しかし、在来線で沿岸部へ出てみるとその視界は一変する。
 かつて訪れたことがある岩手県釜石市街は、新日鉄釜石など大きな工場を抱える企業城下町だ。港には、大型クレーンなどが立ち並び漁港という風情はない。大きな煙突と巨大な倉庫などに囲まれて、狭い平地にひしめきあうように市街地がある。
 JR釜石駅は、釜石線の終点であり、駅舎の損傷は見られなかった。タクシーに乗り町中へ向かうと、商店の建物が連なっているものの、一階部分のシャッターがめくれあがり、ショーウインドウはなくなり、商品の一部ががれきと供に積み上げられていた。
 市役所で下車し街角を歩く。昼過ぎだが人影もなく、がれき撤去作業中のボランティアが数人店先などで作業をしていた。街ごともぬけの空になったところをひとりで歩いていると怖いような、切ないような想いがこみ上げてくる。消えた信号機、いたるところの軒先に立てられた赤い旗、シャッターに印された赤い丸バツ、連絡先を伝える貼り紙、間もなく取り壊されるであろう廃墟の街の最後の姿がここにあった。
 何か後ろめたさを感じつつカメラのシャッターを切る。後から聞いた話だが、被災状況を撮影する時の思いは共通するものがあるらしい。
 しかし、この記憶を写真に残すことは重要だともその時聞いた。
 被災地を回る中で岩手、宮城の人々の今の思いを伺うと「今はテレビの報道でも原発問題ばかりで被災地の報道が少なくなっている」「被災地が忘れ去られているのではないか不安だ」などの答えがかえってくる。津波で多くを流され失っても、そこには生き抜く人々がいることを忘れてはならない。

 私たちにできることとは何か? それは、東北に行ってみて感じることであり、土地の人々の話を聞き同じ時を過ごすことではないだろうか。
 テレビのニュースや新聞記事、ネット動画など被害を伝える情報は身近にあるが、ひととのふれあいがこれから本当に求められていくと思う。(丸山 まどか)


KODAMA

      
731部隊元少年兵の歴史的な証言

 岩手県在住の元731部隊の少年兵(当時十四歳)だった今は八〇歳になる人の説得に半年以上の歳月がかかった。

 このため、何冊かの記録本を取り寄せたり、私が書いた冊子を送ったり、「中国帰還者連絡会」と連絡を取ったりした。
 元少年兵の一人の千葉智さんはようやくOKをだしてくれて、平泉まで来たら証言すると言う。何通の手紙や本を送ったか覚えがない。
 証言してもらう当日の六月一〇日には、NHKの記者の車に乗せてもらって同行した。前日には記者さんを731部隊のハイラル支部の軍医だった和野予武男さんのところへ案内した。
 なんと今年の八月には全国放送されているお年寄りたちに人気のNHK「ラジオ深夜便」で「731部隊の証言特集」をやるらしい。NHKのアナウンサーの人もやりがいのある仕事と思っているらしく鼻息が荒く、車のエンジンをかける。後部座席は資料の詰まった私のスーツケースとボストンバッグで占領されていた。
 記者にも言ったことだが、屋根裏から一九五三年出版の731部隊の元少年兵が書いた手記が出てきた。おそらく千葉さんと同じ四期の少年隊の人が書いたもののコピーだ。もちろん当時は、部隊長の石井四郎中将をあがめる連中の『房友会』が幅を利かせていた時期なのでペンネームだ。
 ところで、731部隊のことに取り組んでいる私のところにもイヤガラセの電話がかかってくる。この間には三日三晩つづけてだ。妻が精神科の看護師をしているのでうまく対応してくれた。「ハイ、ハイ、貴重なご意見ありがとうございました。それで……」と言うと、相手は心を開いて「私の言うことをマジで聞いてくれた人ははじめてだ。アリガトウ」と言ったという。そして、当面は役に立たないけれど、情報を教えてくれたりもするのだ。
 ある日には、森村誠一『悪魔の飽食』にも名前が出てくる金田康志氏から電話が入った。
 当時生存していた四期生や私が集まってまっていたら、金田氏があらわれて、NHKや共同通信の記者も交えての大宴会となった。金田氏は岩手の少年隊員を『房友会』に入るよう勧めたが、全員が断った。その急先鋒が千葉さんだった。金田氏は裁判所勤務とかで、それなりにスジを通す人らしく、五年前に戦時中の資料を全て焼き払って亡くなったという。
 もはや『房友会』はない。イヤガラセもなくなるだろう。まっていた甲斐があった。それで今回の六月一〇日の証言会が実現した。
 大きなスペースで報道もされ、歴史的な証言が残ることになった。  (辻 宏)


映 評

    
黒い神と白い悪魔

                1964 ブラジル モノクロ 118分     サンフランシスコ映画祭大賞

               監督・脚本 グラウベル・ローシャ


 あなたはグラウベル・ローシャというブラジル出身の映画監督の名前を聞いたことがあるだろうか。一九六〇年代直前、フランスでヌーベル・バーグと呼ばれた映画の革新運動が起こった。今までの映画手法を排して新しい映像表現の方法を模索しようとしたのだ。六八年五月のパリ五月革命において、権威を持ちすぎたカンヌ映画祭に対抗する形で別の映画祭を催そうとまでした。ゴダール、アラン・レネなどの才能溢れる映画監督が数多く輩出した。それらの動きと軌を一にするように遠く離れたブラジルの地に、クラウベル・ローシャたちがあらわれた。彼らの作品は後にシネマ・ノーヴォ(ポルトガル語で新しい映画という意味)と呼ばれるようになった。ヌーベル・バーグの動きは日本にも上陸し五社体制で身動きが取れなくなっていた映画界から、松竹ヌーベル・バーグが誕生するようになっていた(大島渚、吉田喜重など)。一九七〇年ころ、日本でローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」(死のアントニオ=殺し屋アントニオの意味)が上映された。その作品を観た私は表現の斬新さと強烈なパワーの前に圧倒されてしまった。

 八一年にローシャが逝去して三〇年目の今年、「グラウベル・ローシャ ベスト・セレクション」という映画会が行われた。日本での未公開作品も含めて五作品が公開された。そのうちの「黒い神と白い悪魔」を鑑賞した。
 この作品の構図はそれほど複雑ではないが、内容をしっかり把握することはなかなか困難だろう。貧しい牛飼いのマヌエロは、不毛な土地を与えられて、干ばつのために牛を死なせてしまい、そのことで領主と争い、弾みで領主を殺してしまう。手配が及んだため、妻と一緒に逃亡する。山岳地帯に逃げてくると、そこに原始キリスト教と土着宗教を融合させたような教えを説き、多くの民を引き連れた黒人指導者に出会い、彼に感化され、一緒に急峻な山岳地帯をさまよう。その指導者は山のかなたに理想郷があると彼らに信じさせる。その姿はまるでシナイ半島を出て新しい土地を目指したかつての指導者と重なって見えてしまう。政府軍との激しい戦闘をくりかえすが、彼らに土地を奪われた領主や神父たちはカンガゼイロの殺し屋として名高いアントニオ・ダス・モルテスを雇い対峙させようとした。カンガゼイロとはかつてブラジル北東部に存在した盗賊であり、領主から土地を奪い、貧しい農民に分け与えた義賊でもあった。現代でも伝説的に語られることも多いそうだ。マヌエロと妻はどこまでも逃亡する。アントニオ・ダス・モルテスとなぜか途中から参戦してきた大佐との闘いの最中にもうまく逃げまくる。二人は荒涼とした大地を延々と逃げ、やがて風景は浜辺に変わるがまだ逃げまくる。このラストシーンの描き方は実にすばらしい。賢明な読者はすでにおわかりだろう。題名の黒い神とは黒人の宗教指導者であり、白い悪魔とは銃を持った白人の殺し屋のアントニオ・ダス・モルテスのことなのだ。ただ、映画の内容は肌の色で区分できるほど単純ではない。
 「黒い神と白い悪魔」に登場するアントニオ・ダス・モルテスは地主などの支配階級に雇われた殺し屋なのだが、後の作品の「アントニオ・ダス・モルテス」に登場する殺し屋は始めには領主側につくが、やがて正義は民衆側にあることを理解し、支配階級に銃を向け農民の側に立つようになる。ローシャはここで本当の敵はだれであるかを観衆にわからせようとたいへん手の込んだやりかたで行ったのだろう。
 「黒い神と白い悪魔」は五〇年も前の作品なのだが、いまだに新鮮さを失ってはいない。静かに展開する画面が突然、動的になる。その転換が非常にさえわたっている。映画にはフォルクローレをはじめとしてさまざまな音楽あるいは音の要素を取り入れているが、その音たちが見事に映像の中にとけこんでいる。映画はもともと総合芸術でさまざまな分野が取り入れられているものだが、これほど見事にそういった要素が融合している映画を私は知らない。

 六〇年代中期に活動の場をヨーロッパにもひろげたローシャは、チリのピノチェット政権誕生など南アメリカ諸国の右傾化、独裁化によって出国を余儀なくされキューバなどに滞在、ブラジル帰国後の八一年、四〇代の若さでこの世を去った。かつてトルコにユルマズ・ギュネイという映画監督がいた。クルド族について描いた「群れ」などすぐれた作品を数多く作ったのだが、投獄の憂き目に会い、ローシャと同じように四〇代で病死した。彼らにとって映画を作るという行為は命がけだったのだ。
 話をもとに戻そう。ローシャの映画に出てくるキリスト教的宗教世界は日本人にとってはなかなか理解が難しい側面があるが、そういった部分を除いても映像的な力量には驚嘆せざるをえない。今回上映されたのは五作品だったが、そのすべてを観る機会には恵まれなかったことは残念でならない。
 二〇一四年にブラジルでサッカーのWカップが開かれ、一六年にリオ・デ・ジャネイロで南アメリカ初のオリンピックが開催されることになっている。またリオ郊外にかつて数多く存在したファベーラと呼ばれるスラム街は犯罪組織の温床となっていたが、そこに下水道施設の完備などインフラが整備されたことによって犯罪は激減したと聞く。またローシャの生きた時代とは大きく変わりベネズエラのチャべス大統領のように反米を唱える国も増加してきた。もしローシャが生きていたら今の南アメリカの現状をどう表現するのだろうか。想像するだけで興味はつきない。

上映作品
 『バラベント』(一九六二年)、『黒い神と白い悪魔』(一九六四年)、『狂乱の大地』(一九六七年)、『アントニオ・ダス・モルテス』(一九六九年)、『大地の時代』(一九八〇年)

 渋谷・ユーロスペースで上映
                                 (東幸成)


せ ん り ゅ う

  死の灰をうっすら被る街に住む

  フクシマが反原発の独伊生み

  この国は電気仕掛けのおもちゃかな

  地デジ化で骨董となるわがテレビ

  沖縄の民意をほめる米議会

                           ヽ 史


 福島は親の故郷私の古里

                           瑠 璃

 ◎ 6月 日、米上院は普天間基地移転関連予算の全額削除を可決した。…さぁ国際民主主義の時代へと世界は進む…民意に国境はない。


複眼単眼

     一部で語られている原発国民投票論の危険性


 七月六日の朝日新聞朝刊の「オピニオン」欄の「争論」が「原発を国民投票で問う」という記事を載せ、今井一氏(みんなで決めよう「原発国民投票」事務局長)と前原誠司氏の意見を載せた。「原発国民投票に反対」が民主党憲法調査会会長の肩書きで、前原氏だというのが、どうにもならない。
 今井氏は、目的は「脱原発」でも「原発容認」でもなく、「大事なことは主権者が国民投票で決めよう」ということにあるという意見だ。
 前原氏は@賛成、反対の単純化は危険、A日本は間接民主主義の政治制度をとっているのだから国会で決めるべき、という反対論だ。筆者は、この前原氏の論点にはほとんど同調できない。
 私の原発国民投票に反対する意見を要約して言えば、@過疎地の原発立地、大都市の電力消費地という日本の社会の差別構造を解決しないままの原発一票投票は不公平で、日本では原発問題は国民投票に適さない、A万一、国民投票をやるにしても、どのような国民投票法のもとでやるかが重大問題で、いまの自公民などが圧倒的な多数を占める国会でまともな、公正・公平な国民投票法がつくれるとは思わない。事実上、原発容認に誘導されかねない国民投票法が作られる可能性が大いにある(これはこの間の改憲手続法に反対する運動の教訓でもある)。B脱原発は国民投票ではなく、各原発の地元でのたたかい(住民投票を含む)を基本に、一つひとつ廃炉にさせていくべきで、あわせて自然エネルギーを柱とした持続可能なエネルギー政策への転換を実現する全国的な運動と運動をつくり出すことが大事だ。こうした点で、いま始まった「さようなら原発 一〇〇〇万人アクション」は重要だ。
 今井氏は「みんなで決めよう」のサイトで、こうした意見を念頭に置いて、この問題の重要な論点の一つである投票権者(定住外国人、年齢)をA案、B案の二本立てにして提起している。しかし、これではまともな法律案たりえない。
 〔A案〕 日本国民で年齢満十八年以上の者は、国民投票の投票権を有する。
 〔B案〕 年齢満十六年以上の日本国民および永住外国人は、国民投票の投票権を有する。(このB案はこの間、市民運動の中から上がっている声だが、いまの国会では容易に多数にはならない。二案併記は実際上、A案のためのマヌーバーの役割にしかなり得ない)
 もう一つの論点である国民投票に付す「設問」の問題では、今井氏らは「(次の)二つの選択肢から一つを選択する方式をとる。@現在ある原子力発電所について、これをどうすべきだと考えますか? ※運転、稼働を認める。 ※段階的に閉鎖していき、二〇二二年までにすべて閉鎖する。A原子力発電所の新規建設についてどう考えますか? ※認める。 ※認めない。
 しかし、肝心なことは、こうした今井案のような国民投票法が国会で成立するかどうかだ。すでに、前述した前原意見のように、「白か、黒か」ではなく、さまざまな中間案のあることを強調する(前原氏は「原発は二〇年と期間を区切って徐々に止める。その間は経済的に混乱しないように、原発の安全度を高めて、自然エネルギーとミックスしてやっていく」という)意見がある。間違いなく、この意見が今の国会では多数だ。こうした前原意見にそった設問を用意する国民投票法が作られてしまったらどうするのか。国民投票では財界などの後押しで、資金力にものを言わせた宣伝力を駆使して、こうした意見が勝利しやすいだろう。  (T)


夏季カンパの訴え

    労働者社会主義同盟中央委員会



 3・11の地震・津波・原発事故の被害はかつてない大きなものとなりました。原発事故はいつ収束するかも分からず、ますます深刻さを増しています。日本社会の構造的な弱点を暴露した今回の事件は、原発政策をはじめこれまでの日本の政治・経済・社会のあり方の抜本的な変革を求めています。一昨年の夏の総選挙で「国民の生活が第一」「東アジア共同体」などのマニフェスト公約によって政権党となった民主党は、しかし、アメリカと財界の圧力に屈して、国民との約束を反故にし、ずるずると自民党政治へと逆行しています。人びとの期待を裏切った菅民主党政権が支持率を急降下させるのは当然です。
 いまこそ、アメリカと財貨の利益のための戦後政治の真の終焉を実現すべきときです。未曾有の危機と混乱そして政治の迷走のこの時代にこそ、力をあわせて新しい日本社会のかたちを創造していくために奮闘すべきです。すでに各地でさまざまな民衆自身による行動が始まっています。3・ 以降に始まった戦後期を画する日本政治の新たな段階は不可逆的です。私たちは、労働者・人民の自らの団結した力でこの流れを加速させましょう。
全国の民衆運動や労働組合運動をいっそう活性化させるためにさらに大きく団結して闘い、同時に社会主義政治勢力の再編・強化の事業をすすめましょう。
 ここに夏季カンパをお願いし、あわせて機関紙「人民新報」の購読を訴えるものです。

二〇一一年夏