人民新報 ・ 第1280号<統合373号(2011年8月15日)
  
                  目次

● 日米同盟・対中対抗で軍事緊張をあおる防衛白書   東アジアに緊張緩和と平和・協力の国際環境を!

● 「米軍への思いやり予算を凍結し、被災地   救援に充てる事を求める」署名を提出

● 自衛隊は南スーダンに行くべきではない   栗田教授が講演 「南スーダン独立―背景・課題とPKO問題」

● 韓国・民主労働党の李正姫代表の講演会   統合進歩政党結成による、野党共闘、候補者一本化で来年の国政選挙に勝利する展望を語る

● 反戦平和、脱原発を掲げて  2011ピースサイクル

● KODAMA  /  「孫文と梅屋庄吉」展

● せんりゅう

● 複眼単眼  /  「日米新共同宣言」の頓挫と新たな改憲動向






日米同盟・対中対抗で軍事緊張をあおる防衛白書

   
東アジアに緊張緩和と平和・協力の国際環境を!

自民党政治への回帰

 八月二日、閣議で二〇一一年版「防衛白書」が了承された。民主党政権になってから二度目のものであり、昨年一二月に決定した「防衛計画の大綱」を受けた白書である。
 民主党政権は、選挙公約(マニフェスト)で掲げた「国民の生活が第一」「東アジア共同体」路線からまったく後退して、自民党政権末期の「価値観外交」路線の復活が濃厚になってきている。外交面では菅直人内閣は鳩山前首相の推し進めた「対等な日米同盟」政策を修正し、「同盟最優先」政策へ明確に転換した。
 菅政権の政策は、日米同盟強化路線=アメリカの世界戦略への積極的加担と東アジア情勢の緊張激化の路線であり、その程度は自民党時代以上のものとなっている。

防衛白書の特徴

 今年の白書の特徴の第一は、東日本大震災対応の特集で米軍による「トモダチ作戦」を「今後の日米同盟の更なる深化に繋がる」とするなど日米軍事同盟強化を押し出し、日米安全保障協議委員会(2プラス2)合意を具体化するものである。第二には、中国を「わが国を含む周辺諸国との利害が対立する問題をめぐって、高圧的とも指摘される対応を示す」「わが国を含む地域・国際社会にとっての懸念事項」であると規定して、対中対抗色をいっそう強めることとなった。そのために、沖縄米軍基地の再編・強化をすること狙うものとなっている。
 この白書の打ち出す方向は、アメリカの新しい戦略に沿うものである。これは、東アジアの情勢をいっそう緊張激化させるとともに、将来的に日本の存在にも不安材料を多く作り出すものである。

米国のアジア回帰

 オバマのアメリカは、イラク、アフガニスタンでの対テロ戦争で実質的に敗北し、「状況の一定の安定」を口実に撤退を始めた。だが、それらの地域の実態を見れば、米軍のみじめな退却に他ならない。その一方で、アメリカはアジアに回帰する戦略をとっている。経済的な成長地域であるアジアとの関係を強化するために積極的に力を投入しようとしている。それが、突如として浮上したTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)であり、いわゆる尖閣列島問題や南シナ海などの地域紛争への介入である。アメリカは、日本や韓国、ベトナム、フィリピン、インドネシア、インド、オーストラリアなどと組んでの新たな中国封じ込めをもくろんでいるが、同時に、アメリカは中国との間では経済的関係を強化するという政策をつづけており、綱渡りのような行動をとっている。アメリカは中国に対しては、封じ込め(コンテイメント)と関与(エンゲージメント)という政策(コンゲージメント・ポリシー)をとっているのであり、対決姿勢だけではないことを見なければならない。

東アジアの勢力変動

 いま、東アジアには大きな勢力変動が起こっている。明治以来の日本の東アジアにおける絶対的な優位性は完全に終焉を迎え、日中二大国の関係が生れた。GDP世界第二位の地位を中国に奪われた日本は、アメリカのアジア回帰戦略を頼みに、アメリカとともに中国をけん制することによって地域の主導権を奪回することを国家戦略にしようとするのである。
 一昨年の政権交代は、「国民の生活が第一」「東アジア共同体」路線が大衆的に支持されたのであり、アジアとの共存共栄による日本の平和と繁栄こそが日本の基本政策となるべきなのである。白書の打ち出すものはこの国民的願望を踏みにじるものであり、許されることではない。

民族主義を越えて

 アメリカの利益は、東アジアの国々同士が対立・緊張し、それぞれがアメリカに頼るという構図を作り出すことである。
 東アジアの国々は、軍事対抗・軍拡競争に巻き込まれてはならない。どこの国にも、軍部、軍需産業、さまざまな色彩の愛国主義を商売にする愛国屋がいる。かれらは戦争・緊張激化に利益を見出す。かれらの動きこそ、真の「脅威」なのであある。
 各国の平和勢力には、それぞれの国で、平和の潮流を強めるとともに、民族主義に陥ることなく国際的な連帯を強めることが求められている。


「米軍への思いやり予算を凍結し、被災地

     
救援に充てる事を求める」署名を提出

 震災・津波・原発被害対策には多くの予算が使われる。大増税の動きもある。だが在日米軍への「思いやり」予算は莫大なままだ。「思いやり」はまず第一に被災者・被災地に向けられるべきだ。にもかかわらず三月三一日の衆議院本会議では、五間で約一兆円を米軍駐留費用として支出するという「在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)に関する新たな特別協定案」が可決された。

 沖縄の三人がこの四月から始めた、首相、外相、防衛相に対する「米軍への思いやり予算を凍結し、被災地救援に充てる事を求める要請」署名は、次のように要求している。「…一日も早い復興が望まれますが、報道によれば復興資金は(放射能汚染処理費は含まず)二五兆円を下らないだろうと試算されています。一方、貴内閣は昨年アメリカと米軍駐留経費を今後五年間にわたり、計約一兆円を提供するという合意を交わし、三月三一日成立させてしまいました。今分かっていることは、未曾有の災害が起こった東北・関東地方の復興に、途方もない巨額の資金と歳月が掛かるということです。この事態に対し、『思いやり予算』を凍結し、国家予算を大幅に組み替えて被災地の支援・復興、原発災害の収束に向けて国の持てる総力を捧げるべきではありませんか。このタイミングでの『多額の思いやり予算支出決定』は、米国の名誉を損ねます。思いやり予算の凍結に向けてアメリカと再交渉すべきではないでしょうか。世界中が今日本に注目しています。しっかり復興の道筋をたてるためにも、アメリカの協力が不可欠です。困窮する日本へ、アメリカの真の『良き隣人政策』が今こそ必要です。予算執行を凍結し、アメリカ側から辞退させるべく、全力を挙げてご尽力下さるよう要請いたします。」

 七月一四日、衆議院議員会館で、署名提出・院内集会「米軍への『思いやり予算』は凍結して『被災地救援資金』に!」が開かれた。会場には外務省と防衛省の役人がならび、沖縄からかけつけた呼びかけ人の山口洋子さんと与那嶺芳子さんの要請を聞き、一二七四〇筆の署名を受け取った。社民党の服部良一衆議院議員は、政府は沖縄と全国の声を聞いてほしいと発言した。

 つづいて、軍事史研究家・評論家の前田哲男さんが「《思いやり予算》の真実」と題して講演を行った。
 菅首相は脱原発を言ったが、脱安保も言えばいい。実は自衛隊も今度の大震災で大きな損害をこうむっている。宮城県の航空自衛隊松島基地は水没した。そこではF―2支援戦闘機一八機など多数の航空機が水没した。二三〇〇億円の損失とも言われ、中期防衛力整備計画も組み替えざるを得ない。われわれの側からも組み換えを要求すべきだ。思いやり予算といわれるものは、きわめておかしなものだ。日米安保条約にもとづく「地位協定」では、在日米軍基地にかんして、日本側は用地・施設を無償提供するが、米側は「合衆国軍隊を維持することに伴うすべての費用」を負担する、となっていた。「思いやり」予算は一九七八年からはじまり、当時の金丸信防衛庁長官が、「(日米安保の)信頼性を高めるということであれば、思いやりというものがあってもいいじゃないか」と述べたことに由来するが、八〇年代の中曽根内閣時代に入って「ソ連の脅威」を口実に増大し続け、「なんでもあり」の風潮がつくられた。これまで支出された累計総額はすでに六兆円ちかくにのぼる。家族住宅の「光熱水費」もただだし、雇用労働者の二割がPX(基地内売店)やゴルフ場など「諸機関労働者」で、マニキュアリスト、ダイエットコック、ゴルフコース・マネジャーなどまでが含まれている。そして米側の請求どおりに支払われる。まったくチェックなしなのだ。そして、〇五年の「日米同盟・未来のための変革と再編」文書には「日本は、米軍のための施設・区域を含めた受け入れ国支援を引き続き提供する」と記され、翌年の「再編実施のための日米のロードマップ」文書では、「(再編)実施における施設整備に要する建設費その他の費用は、明示されない限り日本政府が負担するものとする」とされた。そして〇七年には、米軍と自衛隊が地球的規模で一体的に展開する体制づくりのための在日米軍再編促進法が制定された。一方アメリカ側の見方は、二〇〇〇年、当時のトーマス・フオーリー駐日米大使が、「日本のHNS(受け入れ国支援)は、謝意として米国に提供されるものではなく、日本の戦略的貢献の重要な一要素である。HNSにより、米国は財源を他の目的に使用でき、それは地域の防衛と抑止力の維持という両国共通の利益を推進するために利用されている」と新聞に書いているようなものだ。
 いま、必要なのは、維持運用費は米側負担の原則を再確認し、特別協定を執行停止にすることであり、併せて「地位協定改正要求」である。そして、最終的には、安保からの脱却ということだ。


自衛隊は南スーダンに行くべきではない

   
栗田教授が講演 「南スーダン独立―背景・課題とPKO問題」

 政府は、震災・原発事故という事態の中で、自衛隊の海外派兵を強行しようとしている。七月二八日、衆議院議員会館会議室で、許すな!憲法改悪・市民連絡会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくり出す宗教者ネット、憲法を生かす会などのよびかけで、「自衛隊は南スーダンに行くべきではない〜PKO五原則見直し、ジプチの基地建設など海外派兵に異議あり」緊急院内集会が開かれた。
 はじめに、許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんがあいさつ。ソマリア沖の海賊対策を名目に自衛隊を出し、ジプチに基地を建設するなど陸海空の自衛隊がアフリカに派兵されている。だが、海賊は減らないどころか増えている。ソマリア内部の政治的、経済的、社会的な問題を解決できないからだ。そして、スーダン内戦の中から、南スーダンという国が生れた。ここにも自衛隊を派遣するというのだ。これらは資源のため、シーレーンの防衛などの口実で行われている。朝日新聞も政府の政策を支持する社説をだした。こうした実績づくりのうごきは厳しく批判されなければならず、はっきりと反対の声をあげていかなければならない。
 国会からは、福島みずほ社民党党首、赤嶺政賢共産党衆議院議員、糸数慶子参議院議員がともに反対していこうと発言した。 

 つづいて千葉大学の栗田禎子教授が「南スーダン独立―背景・課題とPKO問題」と題して次のような報告を行った。
 この七月九日に、スーダン共和国から分離独立して「南スーダン共和国」が成立した。この背景には、長年にわたるスーダンのバシール政権下における強権政治と低開発地域に対する弾圧があった。南には豊富な資源があること、北部ではイスラムが、南部ではキリスト教などがそれぞれ多数派であるということもあって、紛争は長期にわたる激しいものとなっていた。その過程で、西部のダルフール地域での悲劇がおこっている。しかし、北部の民主勢力と低開発地域の運動の共闘による「新しいスーダン」ヴィジョンも提出され、それは民主化や開発格差是正を求めるものだった。だが、結局、南部住民の投票によって、南スーダンの独立がきまった。こうした南部の人びとの自決権の行使、独立の選択という判断は厳粛に受けとめられるべきものだろう。
 しかし南スーダンの独立によって問題が解決したわけではない。それは南北ともに抱える課題があるからで、これから石油、水などをどう分配するか、南北の帰属未定地域の問題などがあげられる。また初めから敵対的な二国家としての出発した両国関係がある。たえず戦闘がおこり、一触即発で戦争につながる危機もはらんでいる。北部では、内部の低開発があり、南スーダンの抱える問題としては、独立までの運動を指導してきたスーダン人民解放運動(SPLM)が、軍事組織から、党・政府へと脱皮できるのかどうかが問われている。また利権の分配、部族対立などがあり、北部からの干渉も脅威となっている。
 国連は、安保理決議一九九六(七月八日)によって、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)を設置し(軍事要員七〇〇〇人、文民警察官九〇〇人などで構成。当初の任期は一年間)、「国づくりの応援」を決めたが、南スーダンは依然として「国際社会の平和と安全を脅かしかねない状況にある」との認識を変えていない。UNMISSは、平和の定着、紛争防止、セキュリティ強化の支援などを通じて、南部スーダン政府を確立させるとしている。これには軍事力の行使も含まれるとされている。
 日本の自衛隊は、こうした活動に参加するとしているが、「海賊対処」のためのソマリア沖派遣、ジブチヘの陸上基地建設などと連動してくるだろう。それは自衛隊の中東・アフリカへの軍事力プレゼンス強化の一環であり、アメリカの戦略の補完である。先進諸国は、地域の資源や地政学的に関心を持っているのだ。だが、長い目で見れば、それらの国々は厳しいしっぺ返しを受けることになることは疑いない。


韓国・民主労働党の李正姫代表の講演会

     
統合進歩政党結成による、野党共闘、候補者一本化で   

          来年の国政選挙に勝利する展望を語る


 韓国は、李明博保守政権の下で、米韓軍事同盟が強化され南北関係は最悪の緊張状態がつづき、財閥優先の政策で格差拡大・貧困化が進んでいるという状況にある。このような危機を打開するために、来年の国政選挙で保守政権に変わる新しい政治が求められている。そのためには進歩勢力の大合流が必要であるが、その実現のための努力の中心を担っているのが民主労働党である。

 七月二一日、東京・文京区民センターで、韓国・民主労働党の李正姫代表の講演会が、福島みずほ参院議員・社民党党首や栗原君子新社会党委員長、金澤壽全労協議長らが呼びかけ人となって開かれた。 
 はじめに渡辺健樹日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表があいさつ。韓国の長く激しい民主化闘争の過程で民主労働党が誕生した。日韓の民衆は、反グローバリズム、反新自由主義、朝鮮半島の平和・統一そして原発問題などの共通の課題でいっそうの連帯を実現していこう。
 李正姫代表は「韓国政治―進歩勢力のめざすもの」をテーマに熱のこもった講演をおこなった。二〇〇八年の選挙で民主・進歩陣営が敗北した。これを契機に民主労働党は真剣な総括を行い、これまでの進歩政治運動を基盤に、実際に韓国の現実を変えるために「統合と連帯の道」という新しい段階に入った。金大中、盧武鉉政権による改革も財閥・官僚による圧力で変質させられた。こうしたことを繰り返してはならない。保守政権を敗北させるために、統合した進歩政党をつくり、野党共闘、候補者の一本化をしなければならない。これらは国民が願っていることだ。枠組みの大きな進歩政党創設に向けて、今年の五月に最終的な合意ができた。これは単に選挙にむけての政治統合という次元ではなく、韓国政治の未来に責任をはたせる力量をもった統合進歩政党をつくるという大きな意味を持ったものだ。ともに歩める人には、過去を問わず大きく門戸を開放したい。この九月には韓国の統合進歩政党を見ることになるだろう。進歩勢力による政権獲得は早ければ早いほどよい。二〇一二年の大統領選挙で、政権交代が実現されなければならない。国民は野党に投票したいと思っている。そして在外同胞も選挙に参加することができるようになった。野党が一本化すれば、野党が圧勝する可能性は高い。現在、南北関係は緊張状態にあり、米朝対話も遅れている。しかし、米中は、南北対話、米朝対話、六者会談の再開という三段階戦略を話し合っている。李明博政権は、南北対話はやらないと拒んでいるが、無条件の対話が必要だ。韓日の民衆は、いまのチャンスを逃すことなく、平和のために、民主主義のためにともに闘っていこう。


反戦平和、脱原発を掲げて  2011ピースサイクル 


止めよう原発の決意をこめて  長野ピースサイクル

 長野ピースサイクルの夏のピースサイクルは七月二三日に長野県松代を出発して、七月二四日新潟県柏崎までの二日間を延べ一六名(一六歳〜七二歳)が、約一四〇kmを「止めよう原発」の思いを胸に自転車で走った。
 二一年目の今年は長野ピースサイクルとして、長野から広島までの実走も予定(参加予定者にヤムを得ない事情ができ実現出来ずだが)していたこともあって、県内は春と秋のホリデイ・ピースサイクル(一日)にして、夏は脱原発要求を基本においた実走となった。
 七月二三日は快晴、参加者は今までの最低となってしまったが、一一名が松代大本営跡から出発した。出発地を松代に決めたのは、ここが二一年前の一回目の長野ピースサイクルの出発点であり、私たちの意識の中ではヒロシマ、ナガサキ、オキナワ(戦争被害の地)へつながっていく場所(戦争加害の原点)だからである。
 途中、毎年立ち寄っている須坂市の長野ソフトエネルギー資料室で、脱原発北信濃ネットワークのメンバーと交流し、美味しいスイカなどをいただきながら、脱原発への意思を確認しあった。
 その後さらに四人ほどのメンバーを加えて、長野ならではの急な坂道へ突入。昼には飯綱町九条の会のメンバーの歓迎を受けて、さらに急な坂道を「なくそう!原発」の黄色い旗(ピースサイクル全国ネット統一)をなびかせ、全員が励まし合って登り切った。いつものことながら、この坂を登り切った参加者の顔は」ピースサイクルならではの達成感」があふれている。
 いつもなら、ここで楽しいキャンプとなるのだが、今年は日程を二日間にしたため、一日目の距離を伸ばして新潟県の新井まで、下りの道を日本海の方に向って走った。
 夜の夕食を兼ねた交流会では、翌日柏崎刈羽原発で行う東京電力への要請行動で渡す要請書の内容をみんなで確認し合い、原発事故や放射線についても話し合った。
 七月二四日は先頃まで続いた猛暑に比べたら、サイクリングには快適な天候。ただし、海方面からの向かい風は吹いていた。昨日帰ったメンバーがいたので総勢一二名。柏崎刈羽原発めざして田園地帯をひたすら走り、昼頃には海の近い国道八号線へ。昼食を食べた食堂の主人から「脱原発のためにがんばって」との激励を受けた。
 柏崎市に入ったところの休憩地点のコンビニ前では、「子供はたから・原発は安全第一・ようにん」などと書いた地元のトラックが止まっていたが、「第一」の文字は後で追加し、別の所には「これ以上海をよごさないで」などと書いてあり、福島の原発事故を受けて原発立地の柏崎に住む「容認派」の複雑な表現だろうかと苦笑する一幕もあった。こちらは車から「脱原発」の音楽を流しながら、柏崎刈羽原発に向う。
 自転車は元気に柏崎刈羽原発手前の急な坂を登り切って、二時半頃には柏崎刈羽原発へ到着した。先に到着していたピースサイクル新潟のメンバーと合流し、一年ぶりの再会。
 ここで、東京電力に対して要請行動を行ったが、メンバー全員を部屋に入れるか入れないかで一悶着。東電側の対応はあの大事故を受けても昨年と全く変わっていない。しかも、一五分くらいしか時間をとれないというので、人数を絞って部屋に入っても仕方がないため、参加者全員が要請に対する回答を聞くことにし、誰でも自由に発言出来る条件で外での要請行動となった。
 福島第一原発の事故に対しては通り一遍の「おわび」があったが、回答はやはり「国の安全基準に従って運転している」「今後は津波に対する安全策を充実」等々紋切り型の回答だけだ。事故を反省し、責任を感じているとはまったく思えない回答に参加者一同あきれるばかりであった。
 時間は三〇分をオーバーしたが、東電側がしきりに約束した時間を過ぎたことばかり強調したため、参加者代表が「怒りの意思表明」をしてついに打ち切りとなった。
 こうして、今年の長野ピースサイクルの夏の実走は終了したが、長野県内の自治体や市民からのピースメッセージを携えて、代表が八月六日のヒロシマへ向い、全国の仲間と合流することにしている。
 今年の参加者が少なかったのは、長野市での「脱原発集会」、「沖縄高江に連帯する集会」がピースサイクル日程と重なったことも一因となったが、長野ピースサイクルは実行委員会として二つの集会に連帯のメッセージを送りともに闘う決意を表明した。 (O)

自治体に非核・平和の組み要請  埼玉ピースサイクル

 今年は梅雨明けが例年より一週間以上と早く、急に夏日を迎えた七月一五日、ピースサイクル埼玉ネットの実走は取組まれました。
 朝八時三〇分のスタートで県北は神川、熊谷、県南は北本、浦和の計四コースで行われました。各コースとも自治体訪問が主体で取組まれ、一四の市町村を廻りました。各自治体の訪問に際しては市民担当や議員を通じ、昨年の二〇一〇年埼玉ネット報告集、要請書、リーフレット「つくろう戦争のない世界を!守ろう未来の環境!」、ピースサイクル二〇一一全国マップの四点をセットにして事前に配布をしました。
 今年の要請書には震災、原発事故対策の項目を増やし、自治体訪問時に次の内容で要請を行った。
 「去る三月一一日に発生した東日本大震災では、地震と大津波により東北地方に甚大な被害が発生しました。また、福島県では、地震、大津波のほかに『明らかに人災』である福島第一原発の事故により、より一層の甚大な被害が発生しています。被害にあわれた皆さまにお見舞い申し上げ、復旧・復興にむけた取り組みにピースサイクル埼玉ネットは、微力ではありますが『細く・長く』支援していきたいと考えています。さて、今回の大地震により原発の「安全神話」は、ことごとく崩壊しました。また、各自治体の防災対策も『想定外』に象徴されるように、その機能を果たすことができませんでした。あらためて自然の猛威に驚愕するとともに、『放射能』の恐ろしさを痛感しています。被災地の復旧・復興や原発の問題。政治不信により先行きが見えない日本経済。世界に目をむければ地球温暖化や環境汚染、さらに今なお続けられている『戦争』や『内紛』など、私たちを取り巻く情勢は深刻な状況となっています。このような状況下、私たちピースサイクル埼玉ネットは二五年目を迎えた今日も、『反戦』『平和』などを訴え自転車でキャラバン行動を行います。つきましては、ピースサイクル運動の趣旨をご理解いただき、ご支援・ご協力をお願いすると共に、以下の諸点についてご協力下さいますように要請いたします。
 記@「平和を願う宣言」(非核平和宣言など)の必要な予算を計上し、非核・平和に取組むこと。A全世界の核兵器廃絶に向け、政府への働きかけること。B広島・長崎に原爆が投下された日には、犠牲者を追悼し、核兵器廃絶を願う思いを込め、また、『戦争を風化させない』ために、広報などで住民に周知。C東日本大震災を教訓に、防災対策・放射能対策などの点検・見直しを行われたい。D自然環境保護政策を推進されたい。E自転車道及び歩道の整備を推進し、自動車中心社会の緩和政策を推進。」(以上要請文概要から)
 訪問でわかったのは、各自治体では放射能線量測定をはじめたのは六月に入ってからが多く、危機意識があまり感じられなかったことでした。
 また、走行している路上で学校帰りの小学生たちは自転車に取り付けた「とめよう原発!」の黄色い旗を見て、「あ!福島原発だ」と叫んでいた。この日の終盤には四コースとも東松山市役所に集合し、要請行動を行いました。
 その後、丸木美術館に全員到着、すぐ集合写真を撮り、短い時間でしたが交流会を開いて一日の行動を終えました。(A)

PC(ピースサイクル)隊が広島で合流して、原爆ドーム前 に到着

 8・6ヒロシマを目指して、大阪から走ってきたPC大阪隊、四国・伊方原発・大分を経由して岩国から走ったPC広島隊が広島市内で合流して一〇台となり、地元広島を初め各地からの代表が待つ原爆ドーム前に午前一一時元気に到着しました。

 大阪PCには、今年中学生五名が参加して、みなとても若く元気があり来年以降に希望が持てると頼もしい限りでした。
 今年のPCは3・11の大震災での福島原発事故が未だに収束しない中での取り組みであり、「原発止めろ」をアピールしながら走りました。
 8・5到着では改めて一切の核に反対して、とりわけ原発反対の取り組みを全力で取り組むことを確認しました。

8・6ウォーク
 八月六日、午前九時より、「NO MORE ヒバクシャ みんなでウォーク」が原爆ドーム前からスタートしました。
 それに先立つ八時半からは「原爆ドーム前のつどい」が行なわれました。広場を埋め尽くした人々の前で「2011年 みんなの平和宣言」が読み上げられました。
 九時からスタートしたウォークには一〇〇〇人以上がそれぞれのパフォーマンスで参加しました。
 前半部分は六六年前のヒロシマ、ナガサキからフクシマまでの核被害者を想い、シュプレヒコールをしたり、また音のなしで穏やかに歩きました。
 後半の中国電力本社周辺では、中電への申し入れ座り込み行動の人たちへの激励や、「原発いらない!」「原発とめろ!」の声を上げて歩きました。

 その後、平和公園噴水前広場まで歩き、「NO MORE ヒバクシャのつどい」に引き継がれウォークは締めくくられました。(広島通信員)

繋がろう!脱原発ネットワーク  四国ピースサイクル

 福島第一原発事故をうけて、西瀬戸ピースサイクルの一環としてピースサイクル四国ルートが、特別な思いを込めてスタートした。
 七月三〇日に呉、広島から伊方原発を目指した一行七名は、地元松山市で反原発運動を闘っている市民グル―プ・原発さよなら四国ネットワークの人たちと合流して、人波でごった返す松山市駅前繁華街で街頭ビラ情宣を行った。
 翌日は九州ルートを繋ぐ大分ピースサイクルのメンバーも合流し、松山市駅前で再び街頭宣伝を行った。その後、昨日に続いて駆けつけてくださった地元市民の人達に見送られながら、一路、伊方原発に向かって出発した。
 今年で二六年目を迎えた夏の四国ピースサイクルは二五周年の昨夏を最後に秋の伊方行動へとシフトし、今夏のピースサイクルは正念場を迎える山口県の「上関」に集中することで地元とも合意を得ていた。ところが、三月一一日の東日本大震災がこれらの事情を一変させることとなった。昨年までのルートを変更した新ルートの設定にぎりぎりまでかかり、地元との調整も直前までかかった。それでも、なんとかスタートにこぎつけられたのは、長期にわたる脱原発へのお互いの思いが通い合っていた結果だと感じた。
 伊方原発ゲート前に到着すると、八幡浜・原発から子供を守る女の会の斎間さん、伊方原発反対八西連絡協議会の近藤さんたちに迎えられた。折りしも、昨日の新聞各紙には「保安院やらせ指示と要請」「四国電力・中部電力も」との文字が所狭しと踊っていた。会う顔が怒りに満ちている。
 メンバーの一人が代表して、「この度の福島第一原発事故で、嘘で塗り固めた原発安全神話が完全に崩れた。漏れ出した放射能は原発立地県に留まらず、広範囲に汚染と不安を撒き散らし、被災地の早期復興をも遅らせる深刻な要因となっている。福島の事故はA級活断層を抱える伊方原発にとっても対岸の火事ではない。世界が脱原発に舵を切り始めた今、直ちに稼働停止することを求める」とする要請文を炎天下の中で読み上げた。 
 伊方原発は、現在、一号機と二号機が稼働中で、問題の三号機は定期検査を終えて待機中だ。その三号機は六月下旬に千葉四電社長が中村愛媛県知事を訪ねて、引き続き、MOX燃料一六体に五体を追加したプルサーマル発電の稼働再開を打診したが保留にされた経緯がある。そうした中で「やらせ説明会」問題が明るみにでた。保安院がやらせを指示したのは、〇六年六月に伊方町で行われた「プルサーマル発電」の是非を問う重要な説明会で、四電は半数の三〇〇人を動員していた。四電は国の指導の下で安全に務めているというが、その国の指導がこの体たらくである。参加者は怒りをシュプレヒコールにしてたたきつけた。

 翌日には午前中に八幡浜市役所と伊方町に申し入れを行った。九電の「やらせメール問題」では古川佐賀県知事が事前に副社長と面会し「番組で原発の再稼働を容認する意見を出すことが必要だ」と九電側に進言していたことが明らかになったが、どこも同じような構図だ。「国の安全基準を信頼している」「四電は国の安全指導に従ってしっかりやっていると聞いている」との不誠実な回答を繰り返す伊方町。国と電力会社の言いなりになる自治体が一体となって、あのおぞましいプルサーマル政策を進めてきたのだと再確認した。

 一旦は途切れかかった夏の四国ピースサイクルであったが、伊方原発が全て稼働停止になるその日まで続けよう!との思いを参加者一同が新たにし、互いの再会を誓い合った。(広島・Y) 

浜岡原発を直ちに廃炉にしろ!  静岡ピースサイクル

 七月二四日、ピースサイクルは静岡県御前崎市にある、浜岡原子力発電所に申入れ行動を行った。
 今年の申入れは、福島原発事故の人災を受けて、全国で反原発・脱原発の運動が盛り上がる中、七月二〇日から走り続けてきた神奈川ピースサイクルのメンバーも加えて行われた。
 いま浜岡原発は、全機が停止した状態だが、東海大地震が起きた場合は、原発が停止していても原発事故になることは、誰もが指摘していることであり廃炉しかない。しかし、中部電力は津波対策の防波堤を建設して二年後には、運転再開をしようとしている。
今年の申入れ書では、@浜岡原子力発電所を、直ちに無条件に廃炉にすること、A中部電力は、脱原発を確立し、国民に親しまれる企業になること、を強く要求した。全国の原発を廃炉にさせるには、浜岡原発からしかない。
 翌二五日には、浜松市と航空自衛隊浜松基地にも申入れ行動を行った。一時間程度行われた浜松市の申入れでは、市民生活部の担当者にたいして、浜岡原発から四〇キロの距離しかない市として、浜岡原発の廃炉について、市として取り組むように要請をし、市独自の放射能汚染調査を行い、市民に公表すべきだ等の申入れをした。
 また、七月二七日、ピースサイクル愛知の仲間は、名古屋市の中部電力本社で、浜岡原発廃炉の申入れ行動を行った。(N)

ヒロシマからフクシマへ

 被爆六六年目の8・6ヒロシマはやはり暑かった。
3・11フクシマ後、最初の8・6となった今年は、特別の意味を有していた。
 六六年という歳月はヒロシマの被爆者に「もう後がない」ことを迫る。だが、フクシマ原発事故災害は二〇〇万人をこえる新たな被曝者を生み出した。三度、「人の住めない街」が作られた。
 原子力爆弾と原子力発電、被爆と被曝、大量無差別爆撃と大量無差別汚染、ヒバクシャに対する同じ棄民政策……。不信と怒りが交錯し、三つの都市を一つのこととして明確に結びつけた。
 「総動員体制」によるウソで塗り固められた原発安全神話=国策が崩壊したが、それは国民を戦争に動員した挙句、悲惨な敗戦によってもたらされたかつての事態とウリ二つの結果だ。はたしてこの国に反省というものがあるのだろうか。もう騙されまい。
 前広島市長は「オバマジョリティー」を提唱し提灯持ちを演じたが、現市長はヒロシマの声に背いてまで背信者を演じてみせた。「これでは菅以下ではないか」とは多くの声だった。復興を掲げながら現に進行しているのは、棄民政策と選挙対策上のリップサービスでしかない。
 歴史が教えることは、ヒバクシャに対する国家補償が今なおまともなものではない、ということであり、フクシマは棄てられるであろうということだ。責任を明らかにさせ、補償を勝ち取るには、過去に数倍する運動でしかありえない。
 ここから今年の8・6は始まった。
 「原子力の平和利用」に幻惑された反核(兵器)運動の限界をこえて、脱原発をも一体のものとして取り組んでいくためには、いかなる方針と主体が求められているのか。旧い市民運動から新たな市民運動への脱皮も同時に求められた。
 そしてその解は示された。
 上関原発建設反対行動で鍛えられた若者たちが、「ヒロシマで一万人の行動を」と呼びかけた。それに全国の脱原発運動を進める人々が応えた。そして、ヒロシマの市民運動は「ノーモア・ヒバクシャ」を軸に、ウラン採掘から核廃棄物処理に至るまで膨大に生み出される世界の核被害者が一つに繋がりあえる企画を発信した。
 五日から六日いっぱい、ピースサイクルの到着集会から灯篭流しまでの各会場は、どこも入りきれない人々で埋め尽くされた。原爆ドームから平和公園噴水までのピースウォークは、一五〇〇人の長蛇の列が続いた。
 ヒロシマ六六年目の8・6が、国の進路においても国民の生き方においても、大きな問いを突きつけたことは間違いない。それにいかなる答えを出すのか。ヒロシマからナガサキへ、そしてナガサキからフクシマへ、連動した大きな流れが拡がっていくことだろう。
 「核と人類は共存できない」この命題が現実となる社会の実現に向けて……。(広島・I)


KODAMA

  
 「孫文と梅屋庄吉」展

 今年は、中国の辛亥革命一〇〇周年に当たる。上野の国立博物館で特別展「孫文と梅屋庄吉 一〇〇年前の中国と日本」(九月四日まで)をやっている。
 中国革命に連帯・支援した日本人は宮崎滔天をはじめ多いが、梅屋についてはこれまでそれほど知られてこなかった。梅屋庄吉(一八六八〜一九三四)は、日本の映画産業の地盤(後の日活の前身四社の一つM・パテー商会)を築きつつ、孫文を物心両面にわたって手厚く支援した。展示では、白瀬矗(のぶ)による日本人初の南極探検(一九一二年)の記録映像『日本南極探検』が上映されていた。M・パテー商会の記録映画のひとつだ。記録映画だけでなく、劇映画も作っており、梅屋は、こうした事業で得た多額の資金を革命に投じている。現在の価値に直すと一兆円をこすともいわれる。
 梅屋と孫文が始めて出会ったのは一八九五年の香港。日清戦争の時だ。そのときの事を梅屋は、一九二九年の孫文追悼会での「祭文」で「中日の親善、東洋の興隆はたまた人類の平等について全く所見を同じうし、殊にこれが実現の道程として、先ず大中華の革命を遂行せんとする孫文先生の雄図、熱誠ははなはだしく我が壮心を感激せしめ、一午の誼、ついに固く将来を契ふにいたる」と述べている。庄吉は孫文に「君は兵を挙げよ。我は財を挙げて支援す」と盟約したという。
 特別展の解説での川島真東大準教授「孫文と日本―東アジア近代史の文脈に見る―」によると、「この時期の日本が先進国で清が後進国というイメージをもつことは正しくない。まだ国内総生産で日本が清を抜いていたわけではない。日清戦争で勝利し、清の衰退を感じながらも、日本の言論では清を大国と遇する向きも多く見られた。むしろ、農村の疲弊などの社会問題といった、近代国家建設にともなう諸問題を日中間、あるいは日本とアジア諸国間で共有していた点が、『同志』の基礎にあった面もあるのである」としているが、二人はアジアの解放に向けて意気投合したということだ。
 東アジアの緊張が激化する様子が見える昨今、静かにここ一〇〇年の歴史を振り返ることは必要なことだ。(H)


せ ん  り  ゅ  う

   日本沈没を見つつ左京逝く

   平和利用ですか核戦演習

   選挙できない原発疎開の村

   除染後の汚染泥をながめてる

   昨日の肉いまさらに吐き出せぬ
 
                ヽ 史


   平和への一本柱原爆忌
     
                瑠 璃

  ◎ 牛肉のセシウム汚染で厚労省は1s食しても大丈夫と広報。これだ! 政府の安全感覚が怖い、危機意識がない ……全国に拡散していく放射能……


複眼単眼

     「日米新共同宣言」の頓挫と新たな改憲動向


 昨年の日米安保改定五〇周年にかこつけて「日米共同宣言」を出すことは、鳩山首相時代の日米両国政府にとって、極めて重要な戦略的な意味を持っていた。
 というのはこの「宣言」で事実上の日米安保の再々定義をし、「集団的自衛権の行使」でも、従来の憲法解釈の壁を突き破って一歩前進させることが、オバマ政権にとっても、日本の支配層にとっても政治的な目標になっていた。
 ところが、昨年六月の鳩山首相の政権投げ出しと、あとを継いだ菅首相のもたつきで、首相訪米と日米首脳会談の開催そのものがいま、危うくなっている。日米関係にとって重大な危機が到来している。
 当初は首相の訪米は三月と言われ、さらに五月と言われ、先ごろまでは九月と言われるようになった。民主党の両院議員総会で、退陣を公言した菅首相だが、本人はいつ辞めるのか明らかにしない。菅首相は九月訪米にも意欲を持っていると言われるが、いまや訪米そのものが疑問視されている。
 オバマ政権にとって、間もなく辞職する首相と、日米関係の将来に関わる「日米共同宣言」を出すことは不安であろうし、この間、日本政府に要求していた米軍再編のカナメともいうべき普天間移設は沖縄県民の抵抗でいまだに不透明で、さらにTPP参加も先送りされたままだ。加えてオバマ政権がグリーン・ニューディール政策の柱としている「原発」についての菅首相の姿勢が「トモダチ作戦」まで展開して支えたのに、いまだ定まらない。
 「日米同盟」を強固なものにしていくための基地問題、経済問題ではっきりした戦略方向がだせないなら、首相訪米と「日米共同声明」は米国にとって意味がない。
 ここに来て、米国政府はしびれをきらしたように、首相訪米への対応が冷たくなっている。
 九〇年代から露骨になっていた米国の改憲要求と、日本の改憲派の動きは、ターゲットは「集団的自衛権の行使」だった。憲法第九条を変えて、日本が集団的自衛権を行使できるようにし、グローバルな範囲で米国と共に軍事力を行使できるようにすることこそが、九条改憲の狙いだった。もし明文改憲が困難であるなら、政府の判断で従来の日本政府の憲法解釈を変え、集団的自衛権を行使できる条件を整えることが米国の要求だった。
 集団的自衛権行使を可能にする解釈改憲、これほど重い力仕事をすることが菅内閣にできるのか、米国はもはやこの日本政府を信用していない。
 どうやら九月首相訪米は先送りの様子だ。
 こうした状況を見越して、国内の改憲派の動きが再び鎌首をもたげつつある感がある。
 六月はじめに超党派で結成された「九六条改憲議連」の動きや、中曽根康弘、中山太郎ら改憲議員同盟、櫻井よしこらの「民間憲法臨調」などが震災に便乗してくつわを並べて主張する「非常事態条項」を憲法に書き込む運動などにくわえて、民主党の憲法調査会の会長への前原誠司元代表の就任、鳩山由紀夫元首相の「憲法に自衛隊を明記する」必要があるという最近の発言など、民主党内での動きも見逃せない。
 大連立政権の可能性も含めて、切羽詰まった改憲派がどのようにでてくるか、これからの憲法をめぐる動きは要注意だ。(T)