人民新報 ・ 第1282号<統合375号(2011年10月15日)
  
                  目次

● 9・19集会は歴史的な大成功をかちとった   脱原発の巨大なうねりで全ての原発を廃炉へ

● 橋下大阪知事の教育条例を許すな   反ハシズム統一戦線の構築へ

● 憲法審査会を始動させるな! ただちに与党民主党へ抗議と要請の声を集中しよう!

● 自衛隊の島嶼防衛の危険に反対し、与那国島への自衛隊派兵を許さない緊急集会

● 派遣法改正・労働者保護法制の確立など求め、全労協23回大会

● CO事故12年の行動   JCO事故の教訓無視が福島原発事故をもたらしたのだ

● 郵政会社が不当な期間雇用社員雇い止め   郵政労働者ユニオン ストライキで闘う

● 9・14東京総行動

● 事故から半年たった9・11に  経済産業省包囲など全国で行動

● KODAMA  /  党大会を来年に控えた中国のイデオロギー状況

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  「鬼」の伝説






9・19集会は歴史的な大成功をかちとった

        
脱原発の巨大なうねりで全ての原発を廃炉へ

 九月一九日、東京・明治公園で「さようなら原発五万人集会」が開催され、予想を大きく上回る六〇〇〇〇人もの人びとが参加して成功を収めた。この日の行動は、数の多さ、若者たちの参加、そしてさまざまの潮流が一つに合流するなど日本の大衆運動においても歴史的な意義を持つ行動となった。
 この日の情景は記憶に残るものとなった。駅から会場までが人の流れでつながった。下車駅ではホームに人が溢れて、次の駅で下車しなければならなかった。集会場では人、人、人で動きがとれない。参加人数が多すぎて集会後のデモになかなか出られない。デモが終ったのはかなり遅くなってしまった……などなどという状況が生れた。3・ の大震災・津波・原発事故から半年、人びとの脱原発の声はおおきな意思表示の運動となってあらわれはじめた。状況は脱原発の運動の発展に有利なものとなってきている。
 この動きをさらにつよめ、政府と財界・官僚の推し進める原発推進政策を絶対に阻止・撤回させる闘いを強めていかなければならない。

 集会には、九人の呼びかけ人のうち、鎌田慧さん、大江健三郎さん、内橋克人さん、落合恵子さん、澤地久枝さんが参加し発言し、参加者は真剣に聞き入った。
 鎌田慧さん。きょうの集会は、これまでの集会の一つの結節点であり、これからの運動の出発点でもある。一〇〇〇万人署名ではすでに一〇〇万人をこえたが、あと九〇〇万人分を必死の思いで集め、脱原発のおきな声として首相に突き付けよう。脱原発運動は、文化革命であり、意識を変えていく運動だ。
 大江健三郎さん。私の先生の渡辺一夫さんは、「『狂気』によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、『狂気』に捕らえられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、地道になされるものです」と書いている。原子力によるエネルギーは、必ず荒廃と犠牲を伴うものだ。
 内橋克人さん。いま注意しなければならないは原発安全神話の新版・改訂版が出てきることだ。ここまでしてなお原発を持ち続けようとしていることは、私たちの国が核武装が可能な潜在力を持ち続けようという政治的意図をもっていることをしめしている。
 落合恵子さん。スリーマイル島、チェルノブイリ、福島、ついこの前にも原発大国のフランスでも核施設の事故があったが、情報を手に入れられない中で、私たちは生きている。このような社会を、これ以上続けさせてはいけない。
 澤地久枝さん。膝の骨折と手術で、足腰が萎えていたが、しかし今日は、どんなことがあっても立って参加したかった。核が暴走を始めてしまったら、人類はその暴走を止めたり、コントロールしたりする技術を持っていない。若男女を問わぬ、人間の砦を築いていこう。
 また海外ゲストのFoE(国際環境NGOのFRIENDS OF THE EARTH)ドイツ代表のフーベルト・ヴァイガーさん、俳優の山本太郎さん、ハイロアクション福島原発四十周年実行委員会の武藤類子さんなどからの熱情溢れる発言が続いた。
 集会終了後、参加者は、渋谷、原宿、新宿の三コースに分かれてのデモに出発。長く続く波は、注目を集め、脱原発のアピールに大きな声援が寄せられた。
 脱原発の行動をさらに発展させよう。一〇〇〇万人署名を成功させよう。原発推進勢力と対決し、全原発を廃炉にさせるためおおきな統一をつくりだそう。


橋下大阪知事の教育条例を許すな

       
反ハシズム統一戦線の構築へ

 大阪府の橋下徹知事は、日の丸・君が代強制の教育条例を押し付けようとしている。一〇月五日に上程された条例案の骨子は次のようなものだ。知事と府教委との協議を経て目標を設定し、教育委員が目標実現の責務を果たさない場合、議会の同意を得て罷免できる。人事評価をA〜Dの五段階とし、二年連続D評価の職員は分限処分の対象にする。同一の職務命令に三回違反した職員は分限免職にする、予算減少で余剰人員が生じた時は分限免職できる、などである。石原都知事のやり方と同様なファッショ的なやり方は「ハシズム」と呼ばれている。この条例案には、府教育長ら五人の教育委員全員が反対で、「この条例で大阪の教育がよくなるとは思えない。学力は上がってきているのに、今まで作り上げてきたものを自分たちで壊すことになる。耐えられない」などとの批判が続出していている。

 九月二四日には、大阪で、「『君が代』強制大阪府条例はいらん!全国集会」が開かれ八〇〇名が参加した。基調報告は、教育基本条例は旧軍隊と同じような上の命令に絶対服従せよというものだ、と批判し、条例案の撤回のための運動を強化しようと提起した。 東京大学教授の高橋哲哉さんが、「『日の丸・君が代』強制条例と『教育基本条例』の思想」と題して講演。条例は知事が目標を決定し、教委以下はすべて知事のロボットにするものだ。橋下は知事=天皇制的システムの府政を作ろうとしている。教育に対する政治介入の禁止を全く無視した教育破壊条例案である。
 弁護団や各地からの発言が続き、東京からは都教委から停職六ヶ月を三度も受けながら君が代不起立を貫いた根津公子さんが連帯の挨拶するなど集会は成功し闘う団結を確認した。

 大阪市議会では九月三〇日に、府条例と同様の教育基本条例案などが大阪維新の会(橋下大阪府知事が代表)・大阪市議団が提出した提案したが、公明、自民、民主系、共産の反対で否決された。市では敗北したが、橋下知事は、自らが立候補するとしている大阪市長選(知事選とのダブル選挙)で「是非を決めてもらえばいい」とあきらめていない。しかし、橋下と維新の会の暴走はさまざまなところで矛盾・軋轢を作り出している。反ハシズム統一戦線を拡大・強化し橋下らの動きを阻止・粉砕しよう。


許すな!憲法改悪・市民連絡会は以下のようなアピールを出し、多くの人びと・団体に抗議・要請のFAX行動などを呼びかけている。

憲法審査会を始動させるな! ただちに与党民主党へ抗議と要請の声を集中しよう!

 野田佳彦政権下で初めての第一七八臨時国会が閉会になります。このあと一七九臨時国会は一〇月下旬にも招集されると聞きます。
 この中で憲法審査会の委員の選定、憲法審査会の始動を目指す動きがあり、私たちは注目しています。
 二〇〇七年五月、明文改憲をめざす安倍晋三内閣主導で改憲手続法が自公両党によって強行されましたが、同法が定めた「憲法審査会」は以来、今日に至る四年数ヶ月の間、両院に設置を見ないできました。二〇〇九年六月、麻生太郎内閣のもとで、衆院憲法審査会規程が自公両党で強行策定され、本年五月、震災の混乱に乗じるかのように参院憲法審査会規程が民自公主導で策定されました。しかし、これまで憲法審査会委員の選定など、審査会の始動が見送られて来たのは、今日、改憲問題はまったく緊急の課題などではないからです。
 ところが、野田内閣が誕生した一七八臨時国会の直前になって、民主党から突如、動きが起こり、衆院審査会会長に大畠章宏前国交相を内定したと伝えられました。
 結局、短期間の一七八臨時国会で委員の選出を強行するのは難しく、見送られましたが、今後の国会でこの問題が再浮上することは明らかです。
 東日本大震災の未曾有の被害の復旧や原発事故の収束と被災者の救済という緊急で重大な問題が未解決のまま山積する中、改憲のための憲法審査会の始動を企てる政治感覚は、まったく理解できません。腹だたしい限りです。この背景には、「集団的自衛権の行使ができる日本、米軍と共にグローバルな範囲で戦える自衛隊」を要求する米国や日本の改憲勢力の野望があるに違いありません。また、民自公の大連立願望もその一因であるかも知れません。

 今、緊急に必要なことは改憲のための憲法審査会の始動ではなく、二五条をはじめとした憲法の人権条項を生かした被災者の救済と復旧・復興です。 私たちは改憲をねらう憲法審査会の始動に向けた動きを容認する事はできません。ただちにやめるよう強く要求します。

 民主党へ抗議・要請の電話・FAXを集中するよう呼びかけます!

二〇一一年九月末日
        
 許すな!憲法改悪・市民連絡会


自衛隊の島嶼防衛の危険に反対し、与那国島への自衛隊派兵を許さない緊急集会

 政府が昨年末に閣議決定した「新防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」は、中国脅威論を煽り南西諸島への自衛隊の配備強化を打ち出した。与那国島への沿岸監視部隊の配備、宮古島、石垣島への戦闘部隊の配備、那覇基地の戦闘機の増強などである。防衛力整備計画では「南西地域の島嶼部に陸上自衛隊の沿岸監視部隊を新設し、配置する」として日本の最西端に位置し、台湾に近接している与那国島への自衛隊の配備に向けて動き出したこの危険な動向に対し、自衛隊誘致によらない島の活性化に向けて取り組んでいる住民は、「与那国改革会議」に結集し自衛隊配備反対運動を展開している。
 自衛隊誘致については、与那国防衛協会が二〇〇八年九月に町民五一四人分の署名を添えて町議会に誘致を要請し、町議会が賛成多数で決議し、町長と議長連名で国に誘致を要請したが、それは町民の意思を反映したものではない。
 改革会議は、昨年一一月から自衛隊誘致決議の撤回と誘致活動の中止を求め署名活動を展開し、町在住五五六人と島外一七七五人の計二三三一人の署名を集め、九月二〇日に、決議の撤回と誘致活動の中止を要請した(前回の誘致署名の賛同者二六人分の署名撤回も提出)。だが、町長は「すでにスイッチが入っており、後戻りできない」と述べるなど拒否の回答をしながらも、米軍の使用については反対だなどと述べている。しかし、自衛隊基地は、日米共同使用されるのであり町長の言い分は全くのペテンである。その町長自身も含めてアジアとの交流による島の発展を求めるプロジェクトがすすめられる一方で、緊張関係を作り出そうとしている国と自衛隊誘致派の動きは決して許されるものではない。

 一〇月三日、与那国島住民の闘いに連帯する「10・3与那国島への自衛隊派兵を許さない緊急集会」が、東京・全水道会館で開かれた。集会には、毎月一回月初の月曜日の防衛省前抗議行動に参加してから駆けつけた人を含めて、緊急集会にも関わらず多くの人が集まった。
 集会では与那国町議会の二人の議員が報告を行った。
 はじめに崎元俊男町議が発言。与那国などへの自衛隊の配置は、ソ連がなくなったことで北海道に大量にあった陸上自衛隊を存続させるためであり、国を守るというより陸自自体の防衛にほかならない。現在、与那国町議会は、四対二で誘致派が多数だが、選挙は接戦であった。町長は、住民説明会を開こうとしない。これには下地島で住民説明会を開き、その中で、自衛隊誘致の問題点が広く分かるようになってしまい、反対意見が多くなったことの再現を恐れているからだ。われわれは二年後の町長選挙を目指し、そこで勝利し、誘致を撤回させていきたい。
 田里千代基町議が、自衛隊ではなくアジアとの共生による与那国の発展にむけた「与那国町自立ビジョン」を中心に話した。ビジョンは、二〇〇五年三月定例議会において全会一致で決議されたものだ。それは、祖先が残してくれた自然、歴史、文化、英知を大切な資源として活かしながら新しい島づくりを通じ、自立を目指して次世代へと継承していくことを展望している。与那国町は台湾と近く、その花蓮市と姉妹都市関係にあり、双方に事務所を開設する。与那国は、今後、交通を発展させ、東アジア交流の一つの拠点として発展していくべきである。国境離島型特区もめざしてきたがまだ実現していないけれども、二一世紀の東アジア共同体のなかでこそ発展の展望が描けるのである。
 参加団体からのあいさつにつづいて最後に集会参加者全員で「与那国町への『自衛隊誘致決議の撤回』と『誘致活動の中止』を求める要請決議」を確認した。そこでは、「今、与那国町は、『自衛隊誘致』をめぐって島が二分し、島民間の不毛な対立すら招いている最悪の状況にあります。『心豊かに、安心・安全に暮らせる島を守る』、『住民が主体となり、島の発展を目指す』、『先人から受け継いできた島の宝、与那国町の資産を次世代に継承する』ことこそ、多くの住民が望んでいる島のあるべき姿であり、民意であると考えます。住民の幸せ、島の自立と発展、次世代を見据えた島づくりの原点に立ち返り、まさに今、自衛隊誘致決議の撤回、誘致活動の中止を決定すべきであります。我々は、地方自治の理念に基づき、『議会ならびに行政は、民意を把握し、それに応じるべき』と考え、以下、決議を要請します。与那国町長並びに与那国町議会は、速やかに与那国町への『自衛隊誘致決議の撤回』と『誘致活動の中止』を決意し、防衛大臣をはじめ、島内外に表明すべきであります」としている。


派遣法改正・労働者保護法制の確立など求め、全労協23回大会

 九月二五、二六日、全国労働組合連絡協議会(全労協)第二三回定期全国大会が開かれた。
 金澤壽議長が、脱原発の闘い、国鉄闘争の継承、JAL不当解雇撤回闘争などについて報告し、野田政権の新自由主義政策と対決し格差・貧困と闘おうとあいさつした。
 中岡基明事務局長から総括・活動方針が提案され、真剣な論議が行われ、闘う方針と体制が固められた。
 また大会では「労働者派遣法の抜本改正の早期実現と労働者保護の労働法制確立を求める決議」と「原発の即時停止・廃炉にし、再生可能な自然エネルギーヘの転換を求める決議」が採択された。
 大会宣言では、「自公連立政権が進めた小泉構造改革・規制緩和の下で、貧富の差が極限まで拡大し膨大な貧困層、失業者、自殺者、非正規雇用労働者を生み出したわが国は、その後引き続くアメリカ発世界同時不況に襲われた。そしてさらにその傷も癒えぬ間に、今年三月一一日、東日本大震災に襲われた。…住まいを奪われた人々の避難生活は長期化し復興事業は遅々として進んでいない。こうした事態を口実に、『震災便乗リストラ』が横行し雇用の機会を奪われた人々の生活再建の希望が奪われている。特に外国人労働者、非正規労働者、高齢者、障がい者など、社会的に弱い立場の人々の状況は困難を極めている。全労協は、便乗リストラを許さず被災地復興支援に全力で取り組む。…全労協は、震災復興、脱原発を前面に掲げて、この間の取り組みを進めてきた。九月一九日の『五万人集会』は、全労協の総力を挙げて取り組み、その成功を勝ち取った。世論の風化と推進派の巻き返しを評さない闘いを、引き続き進めよう。…さらに、沖縄米軍基地問題、震災復興を口実に本格化する消費税増税問題、社会保障制度に関わる諸問題、改憲、橋下大阪府知事に象徴される教育の反勧化の働きなど、全労協が取り組むべき課題は山積している。こうした状況にひるむことなく、ここに集う闘う仲間の団結を確信し団結の輪を広げ、闘いを大きく拡げていくことを宣言するものである」とアピールした。


CO事故12年の行動

    
JCO事故の教訓無視が福島原発事故をもたらしたのだ

 九月三〇日は、JCO臨界被曝事故12周年にあたる。一九九九年九月三〇日、茨城県の東海村にあった住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設JCOで、ウラン溶液が沈殿槽で臨界状態に達し核分裂連鎖反応をおこす原子力事故がおこり、作業員二名が死亡、一名が重症、多くの被曝者を出した。日本国内で初めて、事故被曝による死亡者を出したこの深刻な臨界事故にもかかわらず、日本は原発推進政策を採り、事故の教訓は生かされることなく、今回の福島第一原発事故にいたった。第一原発事故は、いまだに収束が見えず、放射能汚染の広がりは続いて、その被害は日を追って深刻さを加えている。

 九月三〇日、9・30JCO臨界被曝事故12周年東京圏行動実行委員会による行動が取り組まれた。午前には経済産業省別館前で追悼と抗議行動がおこなわれた。夕方からは、講演集会「JCO臨界事故の教訓と福島第一原発事故」が開かれた。
 はじめに、たんぽぽ舎副代表山崎久隆さんが「臨界被曝事故の教訓を福島第一原発事故へ生かそう」と題して報告。JCOの臨界事故の際に、最も大きな問題となったのは「事故の収束を誰がするか」だった。原子力安全委員会の委員長代理が陣頭指揮を執り、JCOの職員と近くにあった原研の職員が臨界を止めた。その時は、沈殿槽を取り巻く水を抜く作業をしただけで臨界は止まったのだが、それでも最大一二〇ミリシーベルト被曝をした人がいた。このことは、法定被曝限度を守っていたら、事故の収束は出来ない場合があることを示していた。そのため緊急時にある程度の被曝を覚悟で事故収束をするメンバーを募らねばならないという大問題が発生する。しかし福島原発震災が起きるまで、この問題に誰も何もしなかった。事業者の責任と言うことなのだろうが、手に負えないような場合をそもそも想定しないので、それで収束できると勝手に決めつけていたのが現実だ。チェルノブイリ原発事故では、旧ソ連軍兵士の六〇〜八〇万人の兵士のうち一万人以上が既に亡くなるという過酷な事態を生んでいる。彼らの運命は、日本の福島原発労働者の将来の姿でもある。JCO臨界事故で死亡した従業員と被曝した労働者と住民を、十分ケアしなかったツケが、今に現れている。そのことは強調しなければならない。
 つづいて、福島原発事故緊急会議被曝労働問題プロジェクトなすびさんが「ヒバク労働について…山谷の経験から」と題して報告。福島原発事故の直後、大阪の西成労働センター経由での騙し求人があった。それは「女川でダンプ運転」ということだったが、実は福島第一原発での原子炉冷却のための注水作業だった。今後の建屋内作業で除染要員が膨大に必要になるが、こうしたことは、これから頻繁におこるだろう。そのため、強引なヤクザ手配師による多重債務者、借金のある野宿労働者がねらわれることになっている。原子力事業の労働者には労働者の基本的権利があるのか、人権があるのか、が問われなければならない。そして、すべての原発を止めても、廃炉作業や廃棄物管理で被曝労働は残る。すべての原発を止め、非人間的労働を生み出す重層下請労働を一掃するべきである。


郵政会社が不当な期間雇用社員雇い止め

           郵政労働者ユニオン 
ストライキで闘う

 郵便事業会社は、六五歳以上の期間雇用社員(非正規社員)の九月末一斉雇い止めを、期間雇用社員にたいする説明もないまま一方的に強行した。全国で一三六九四人が対象になり、雇い止め通知書が交付されている。これは、会社の経営失敗による赤字を一番弱い非正規労働者に転嫁しようとするものである。働く意欲も能力もあるにもかかわらず、また生活のために就業をせざるを得ない事情があるにもかかわらず、ただ年齢だけを理由としての採用拒否は不当・不法である。会社は、まず本人の希望や本人の事情を考慮して雇用の延長を図るべきであり、また会社が基準としている要件を満たしていない期間雇用社員についても要件の弾力的な運用を行うべきである。
 郵政ユニオンは要求書の中で「日本郵政は日本最大の非正規雇用の会社であり、非正規社員がいなければ一日も業務が回らない状況であり、こうした中で、六五歳を超えた人を雇止めすれば正常な業務運行が不可能となるのは明らかです。正常な業務運行を確保することは最優先に取り組まなければならない。六五歳を超えた人も雇用を継続すること」「一〇月以降、期間雇用社員の募集を行う場合には、六五歳を超えたことを理由として雇止めになった人を優先的に採用すること」としている。まさに正当な要求であり、会社は日本有数の企業としてその雇用責任を果たすべきである。
 交渉はぎりぎりまで続いたが、九月一五日の「六五歳雇用打ち切り」第三回交渉では、会社は、「回答変更しない」と返答した。郵政労働者ユニオンは、すでにこの二月に、二〇一一年度賃金引き上げ等に関する要求と期間雇用社員の六五歳雇用契約打ち切りに関する要求についての全組合員によるストライキ権確立投票を行い、高い批准率でストライキ権を確立している。会社の回答に対して、組合側は翌九月一六日のストライキ突入を指令した(スト拠点職場は、東日本は千葉県千葉支店・栃木県佐野支店、西日本は大阪府豊中市店)。ストライキには、全労協や地域の労働組合、そして同じ郵政職場で働く郵政産業労働組合や郵政倉敷労働組合などが激励・支援にかけつけ、スト集会に参加し、ともに解雇撤回の声をあげた。また郵政ユニオンの全国の各支部は、職場でのビラまきなどの行動をおこなった。
 スト当日には、日本郵政本社前でも集会が行われ、郵政ユニオン松岡幹雄委員長は、会社のまったく誠意のない回答にストライキで闘うと述べた。また郵政ユニオンは九月二七、二八日の二日間、郵政本社前で、雇い止め反対を掲げて座り込み闘争を闘った。


9・14東京総行動

 九月一四日、けんり総行動実行委員会の東京総行動が闘われた。東京総行動では、この半年あまりで、全石油昭和シェル労組、全造船アスベスト分会住友重機下請け労働者、全統一光輪モータース分会、国鉄一〇四七名争議など長期にわたる闘いを解決させてきた。これからも、解決組合をふくめて総行動の隊列をいっそう拡大させ、働く者の権利、全ての争議の全面解決に向けて闘いを強化していかなければならない。
 9・14行動では、新に総行動に加わったカルテがないC型肝炎訴訟原告団・C型肝炎患者をサポートする会をはじめ、全造船機械ニチアス関連企業退職者分会・全造船機械労働組合アスベスト関連産業分会、東京労組日本エタニットパイプ分会、ヤンマー解雇・びわ湖ユニオン、キヤノン非正規労働者組合、吉岡さんを松下電器の職場に戻し人権侵害・不当な雇い止めをなくす会、東京都学校ユニオン、田畑先生の再雇用拒否の真相を究明する会、教育情報研究所・丹羽争議を支える会、全統一都市開発分会、反リストラ産経労、NTT木下職業病闘争支援共闘会議、日本基礎技術本田君の不当解雇を撤回させる会、東京労組文京七中分会、全造船関東地協・フィリピントヨタ労働組合、全国一般千代田学園労働組合などの争議の解決に向けて、八時四五分の総務省前での集会・要請行動からはじめて、各資本・東京への抗議の行動を展開した。


事故から半年たった9・11に

       経済産業省包囲など全国で行動


 3・11から半年、九月一一日には依然として原発推進の政府に反対する行動が各地で取り組まれた。主催者の「9・11再稼動反対・脱原発!全国アクション」は全国で八〇ヶ所をこえ参加者数総数は七万九千人に達したと発表した。海外でもヨーロッパを中心に多くの都市で9・11行動が行われ、脱原発の声を響かせた。
 全国アクションの一環として東京では三つの行動が取り組まれた。
 「今こそ自然エネルギーへの未来へ」エネルギーシフトパレード(代々木公園)、新宿サウンドデモ、そして経産省を人間の鎖で囲もう!一万人アクション。

 経産省包囲アクションには約二〇〇〇人が参加して行われた。
 午後一時に日比谷公園に集まり、早速デモに出発し、東京電力にむけて怒りの抗議行動を行った。
 午後三時からは、経済産業省の本庁舎、別館をともに包囲する「人間の鎖」を展開した。別館には原子力安全・保安院、資源エネルギー庁が入っている原発推進の総本部だ。ここの原発推進機能をストップさせなければならない。経産省別館前で開かれた集会では、玄海原発プルサーマル裁判の会の田中靖枝さん、上関原発計画白紙撤回・再稼働反対ハンスト者の岡本直也さん、つながろう!放射能から避難したママネット@東京、脱原発を掲げてトップ当選した福島県郡山市議滝田はるなさん、福島老朽原発を考える会の阪上武さん、浜岡原発を考える静岡ネットワークの鈴木卓馬さん、反原発自治体議員・市民連盟の布施哲也さん、さようなら原発一〇〇〇万人アクション実行委員会の井上年弘さんなどが発言した。
 人間の鎖・ウェーブは三回行われ、すべて成功した(実行委員会は、実行委員会と各地からの要請書を手渡そうとしたが、経産省は当日の受け取りを拒否したが、翌一二日に大臣官房に提出した)。

 また九月一一日からは経産省前で四人の若者たちによる一〇日間(二四〇時間)ハンストが開始された。「コブシを使わず、拡声器を使わず、ただ食べずに想いを発信する〜将来を思うハンガー・ストライキ」と名づけられた行動のスタート集会に、経産省包囲に参加した多くの人びとも参加し、その中で若者たちが次々と決意と思いを語った。九条改憲阻止の会などによる座り込みも開始。

 9・11再稼働反対・脱原発!全国アクション実行委員会からの野田首相、経済産業相、原子力・安全保安院長への申し入れ

 (…前略…)野田新内閣のもとで、事故を引き起こした勢力が息を吹き返しつつあることに、私たちは戦慄を覚えています。誰が新経産大臣になろうと、経産省と保安院が行うべきことは明確です。
 私たちは以下を要求します。

 1、福島第一原発事故の早期収束に民間を含む世界のあらゆる叡智を結集して取り組むこと。そのために、事故対処態勢を抜本的に組み替えること。
 2、予断と憶測を排した事故の徹底的な原因究明を行うこと。そのためにあらゆる関連情報を即刻開示すること。
 3、巨大事故を引き起こした最大の責任官庁として、高濃度汚染地帯から人々を避難させ、雇用や生活を保障し、東電に自力避難者を含むすべての被災者への公正な賠償を行わせること。
 4、「ストレステスト」という名のアリバイテストを中止し、原発の再稼働に向けたプロセス自体を無期限停止させること。現在運転中の原発も停止させ、危険な「無免許運転」をやめること。
 5、建設中および計画中のすべての原発、高速増殖炉もんじゅ、核燃料再処理工場、使用済み燃料中間貯蔵施設などへの予算措置を取り止め、建設と計画を白紙撤回すること。
 6、原発輸出に向けたヨルダン、ベトナム、トルコなどとの実務者協議などを即刻中止し、原発輸出推進政策を白紙撤回すること。
 7、人類未曾有の巨大複合原発事故を引き起こした重大な責任を自覚し、再稼動を断念したうえで来春の全原発停止を受け入れ、すみやかな原発廃止に向けてあらゆる政策を総動員すること。そのために、新たに発足予定の「原子力規制庁」の内実を「脱原子力庁」へと抜本改編すること。


KODAMA

    
党大会を来年に控えた中国のイデオロギー状況

 中国共産党は来年秋に第一八回大会を開催する。胡耀邦・温家宝時代から、第一七期五中全会(二〇一〇年一〇月)で党中央軍事委員会副主席に選出された習近平らの時代が来る。中国では指導部の年齢制限制が事実上導入され一〇年に一度の政権交代が制度化された。習近平時代の政策はどのようなものになるかは、中国だけでなく世界的な影響を与える。
いま中国国内でも政権交代と新政策の策定に向けてさまざまの動きがくりひろげられている。この間、劉暁波のノーベル賞受賞をめぐる問題、七月の高速鉄道事故、そして九月には上海地下鉄事故などが起こり、失業問題や土地収用問題をめぐる暴動状況も伝えられるが、日本ではやりの論調は中国脅威論と崩壊論がない交ぜになった奇妙なものの蔓延である。民衆と体制を対立させるだけの二元論的な単純なものが多い。民衆の不満があるのは事実だが問題はそれがどういう方向に向かっているのか。中国社会は改革・開放路線の下で、資本家、中産階層がうまれ、階級・階層分化が進んだ。党と政府に対する態度のとり方も、さらなる西欧的な民主化・資本主義化を要求するいわゆる右からのものだけでなく、改革・開放政策の見直し、格差是正と社会主義化を求める左からのものなど多様だ。西側の報道はこの左からの批判というものをあまり取り上げない。しかし、この間、中国の理論界では左傾化が著しいように思える。もちろん、何が右でなにが左か、マルクス主義・社会主義とは何かは各人それぞれに違うのは言うまでもない。
 今年はソ連共産党の崩壊、ソ連解体から二〇年目にあたる。その総括は、共産党執権の中国にとっては決してゆるがせに出来ない真剣なものとならざるを得ない。その総括と教訓化は二〇年にわたって地道に続けられてきた。今年の三月には『居安思危―蘇共亡党二〇年的思考』(『安きに居りて危きを思う―ソ連共産党亡党二〇周年の考察」』)という本が出版された。中国社会科学院副院長の李慎明が中心になって国家社会科学基金項目・中国社会科学院重項目の「蘇共亡党の歴史的教訓の最終研究成果」だという。
 その内容は、序論で「ソ連共産党の変質がソ連解体の根本的な原因」「ソ連共産党亡党、ソ連解体は巨大な歴史的災難」だとして「ソ連激変の根本的な原因は、『スターリンモデル』つまりソ連社会主義モデルにあるのではなく、フルシチョフ集団からゴルバチョフ集団までが、次第にマルクス主義、社会主義と最も広範な人民大衆の根本利益から背離して最後には裏切ったことにある」とする。そして「ソ連共産党盛衰の歴史軌道」「ソ連共産党の基本理論と指導方針」「ソ連共産党のイデオロギー活動」「ソ連共産党の党風」「ソ連共産党の特権階層」「ソ連共産党の組織路線」「ソ連共産党の指導グループ」「ソ連共産党の西側世界による西洋化、分化戦略への対応」と続く。ソ連共産党内に発生した特権階層(修正主義集団)が西側の平和的な転覆策略と呼応して、ソ連に資本主義を復活させたということが結論である。なお「居安思危」という同じ題名の学習資料DVDが二〇〇六年にすでに全国に配布されている(画像は鮮明ではないがインターネットのユーチューブでも見ることが出来る)。
 毛沢東時代の中国は、一九五六年のソ連共産党二〇回大会以降フルシチョフらによる修正主義が発生したとして、中ソ論争を繰り広げてきた。中ソ論争では中国党のソ連党への公開批判書簡がいくつも出されたが、集大成ともいえるのはフルシチョフ退陣直前の一九六四年七月にでた『フルシチョフのエセ共産主義とその世界史的教訓』(いわゆる第九評)だ。第九評は「ソ連には敵対階級と階級闘争が存在する」「ソ連の特権階層とフルシチョフ修正主義集団」などの章立てだ。もっとも『居安思危』では、特権階層の固定化をフルシチョフ時代ではなく、ブレジネフ時代の「超安定・停滞」時期だとし、それが共産主義のベールを被りながら権力を悪用して私利私欲を図り生産手段も実質的に占有して互いに結びついて階層化し、ゴルバチョフ時代末期になってそのベールをぬぎすてて公然たる私有化・資本主義化を実行したとするのである。まさに中ソ論争時代の反修防修文献を彷彿させる(そして、これらの理論が中国国内に適用されたのが文化大革命となった)。
 三月一日の『居安思危』の出版記念会には、中共中央の組織部、宣伝部、対外連絡部、政策研究室、党学校をはじめ、解放軍総参謀部、社会科学院、北京大学、清華大学、中国人民大学、人民日報、光明日報や専門学者が参加して開かれ、そこで社会科学院常務副院長の王偉光が、この本は、ソ連崩壊の原因には数々あるがソ連共産党という政権党が堕落変質したことにあり、その根本は思想路線においてマルクス・レーニン主義に背いたことにあるという重要な視点を提起しているとあいさつしている。四月二三日には中国社会科学院主催で、「ソ連解体二〇周年国際学術研討会」が、ロシア、ベトナム、日本、アメリカ、ドイツ、ブルガリアなどの学者も参加して開かれた(ロシアからはロシア共産党中央委員会書記、ベトナムからは党国際部副部長、ドイツからは元東ドイツの国家評議会議長でドイツ社会主義統一党書記長だったクレンツなどが参加)。
 改革・開放政策は、四つの基本原則(@社会主義の道Aプロレタリアート独裁B中国共産党の指導Cマルクス・レーニン主義、毛沢東思想)とセットになっていたが、それでも政治体制改革論では旧ソ連型の過度の集権制からの脱却もめざされていたが(とくに八七年の党一三回大会の政治路線)、『居安思危』は体制の問題ではないという論調だ。
 こうした論調がかなりの範囲で公然と主張されていることは事実だが、問題は、このようなものが一八回大会で正式に新指導部の政治路線となるかどうかだ。七八年末の一一期三中全会以降の改革・開放期にはまったくの傍流でしかなかった左派の主張は間歇的に現れてきてはいたが、ケ小平晩年(ケ小平は一九九七年二月に死去)の九〇年代中期、いわゆる北京地下「万言書」という文書が注目をあびた。万言書という形態は、歴史的に中国の執政者に政策提言する伝統的形式でもある。この北京地下「万言書」はいくつかの文書からなっていて、その一つに、ソ連の崩壊をあつかった馬堅の「イデオロギー領域では必ず旗幟鮮明にマルクス主義を堅持しなければならない」「必ずプロレタリア独裁を堅持しよう」があったが、当時こうした主張はほとんど無視されていた。当時は、一九八九年の天安門事件があったとはいえ、一九九二年のケ小平の遺言とも言うべき「南巡講話」の改革・開放政策が主流としてあった。そして江沢民の「三つの代表論」も批判していた尖鋭な左派雑誌『真理的追求』や『中流』」は二〇〇一年には停刊に追い込まれたりしていた。
 だが、経済発展の中で深刻化してきた格差の拡大・貧困化の問題は、左派の主張に大衆的な基盤を形成することになった。中国の左派は三派あるといわれる。老左派が、ソ連型の社会主義建設時期に育った人々、文化大革命時代を経験した中左派、そして欧米の思想文化をくぐった新左派だが、それらが一体化しているわけではない。
 右派の著名の評論家の馬立誠によれば、中国の論壇において、いまは左派が急速に影響力を拡大してきており、民主派の陣営は危機意識を高めているという。
 さまざまな動きがある。広東省は自由化の先頭に立っているが、四川省の重慶市(中央直轄市)では、習近平に近い薄熙来党書記の下で、発展とともに平等を求める政策を進め、マフィアの摘発や革命歌を歌い、古典を読む運動をすすめ経済的にもうまく言っているといわれる。左派は「紅色重慶」を実験的な典型としている。
 いずれにせよ、中国にも階級闘争があり、各階級・階層の利益を反映した路線闘争、党内対立がある。各勢力は来年の党大会を意識しながら、それぞれの主張を鮮明にしてくるだろう。(K)


 せ ん り ゅ う

    (南スーダン独立考)
  独立の祝儀に武力は似合わない

  スーダンへ民生支援で祝おう

    (狂歌)
  災難を研究せよと請求書
        六十頁書かせ不可あり

  フクシマよ水俣訴訟おもいだせ

 プルトニウムやっぱり出てた
           ストロンチウム

               ヽ 史

  揺れ揺れるガマの穂先にトンボいる

               瑠 璃

   ◎ 水俣病発生時・政府は経済成長重視のため化学肥料増産を優先し公害病に目をつむり解決を回避してきた。 年以上の最近に和解というありさま。東電から 頁もの請求書送附の意図……悪意ありあり……。水俣もチッソ様さまの町であった。東電様さまの原発村よ! 資本家による人権侵害であり、階級的支配の意思が露骨であることを知ろう。

   ◎ 9月30日、文部科学省やっと公表。福島原発事故でPuとSr が放出されていること。


複眼単眼

       「鬼」の伝説


 先ごろ、明治公園で開かれた「9・19さようなら原発」集会で、福島県からきた「ハイロアクション福島」の武藤類子さんのスピーチのなかに「私たちは静かに怒りをもやす東北の『鬼』です」という言葉があった。
 有名な「桃太郎の鬼退治」の話をはじめとして、「鬼」の伝説は全国にある。武藤さんの住んでいる福島県にも「鬼」伝説はいろいろある。もしかしたら、武藤さんはそれを思い出しつつ、スピーチをしたのかも知れないと私は思っている。
 福島県の「鬼」で比較的知られているのは「安達ヶ原の鬼婆ア」だ。武藤さんの住んでいる三春町には「三春駒」という木で彫った、全国的に有名な馬の玩具がある。これは平安時代、八世紀の末、東北地方・陸奥の国で栄えていた蝦夷と呼ばれたアテルイをリーダーとする人びとと都の将軍、坂上田村麻呂の軍隊との戦争に関係する。東日本の縄文文化の伝統を受けついだこの地は豊かな地方であった。坂上田村麻呂は「征夷大将軍」という肩書きを、弥生文化に基礎を置く「朝廷」から受けて、この東北に攻め入った。
 その途中、いまの福島県田村市にある大滝根山の石穴(今もこの辺に多い鍾乳洞だと思う、有名なのはあぶくま洞)に籠もる「大多鬼丸」という部族の抵抗にあい、大変苦戦したという。大多鬼丸も蝦夷の一族であったのだろう。
 三春駒の由来書きなどによると、その苦戦を助けたのが突如、現れた一〇〇頭の黒馬で、田村麻呂はそのおかげでかろうじて勝利を拾ったと言われる。翌日、その黒馬の内の一頭がいまの高柴デコ屋敷のあたりに現れたことから、三春駒が彫られるようになったという。おそらくこの黒駒は、大多鬼丸と対立していた地元の部族で、田村麻呂はそれを手なづけて援軍に使ったのだろう。
 哀しいことに、住民が侵略者の手先になった黒駒を、「子育てに御利益がある」として、伝統民具にしてあがめてきたのだ。同様なことは、いま、この地が田村郡とよばれたり、田村市と呼ばれたりすることにも見られる。そういえば、青森のあの有名なねぶた祭りで、勇壮な坂上田村麻呂のねぶたが登場し、蝦夷征伐の業績を称えた田村麿賞というものまであったことだ(今はこの賞の名は変えた)。被侵略者の末裔が侵略者を祀るというのは何とも言い難いことだ。
 この侵略でアテルイはだまし討ちにあって敗れ、以来、東北は辺境の植民地として中央に収奪された。東北の人びとは幾度も幾度も反乱した。鬼婆アの伝説もそうしたものの一つのはずだ。
 封建時代には権力の最高の地位は「征夷」大将軍の名で呼ばれた。戊辰戦争ではこの地は「白河以北一山百文」とさげすまれた。あえなく降伏した「奥州列藩同盟」の武士たちとは異なり、百姓は一揆で抵抗を続けた。
 鬼は「まつろわぬ」民を象徴する伝説だ。その「鬼」という言葉が武藤類子さんの口をついて出たとき、私は喝さいした。この震災の中でも、東北人は従順だと言われ、我慢強いなどと言われてきた。そうではない、福島県人は、東北人は「辺境」の鬼なのだ。戦後、日本資本主義の肥大化を支えてきた東北の「出稼ぎ」と集団就職の「金の卵」たちも鬼の末裔だ。東北が原発立地にされたこともこれに連なる。
 震災のあと、東北のブロック紙「河北新報」はその社説で、東北と沖縄の辺境を犠牲にする政治に抗議したことがある。シャンデリアに輝く都市を辺境の鬼がどんな思いで見ているかに思いを馳せるべきだ。井上ひさしに「吉里吉里人」という小説がある。沖縄人と同様に東北人の深層心理にある「独立」願望だ。いま、東北の「鬼」たちの末裔が抵抗ののろしを上げた。 (T)