人民新報 ・ 第1283号<統合376号(2011年11月15日)
  
                  目次

● 第179国会開会   野田政権の対米追随、国民生活無視、改憲の政策を粉砕しよう!

● 憲法公布六五年 11・3憲法集会  改憲阻止運動のさらなる前進を!

● 震災・津波・原発事故が拡大しあぶり出した貧困   2011反貧困大集会

● 国鉄闘争を継承しよう! 全ての争議の勝利解決を!   第25回団結まつり

● アメリカのパネッタ国防長官来日・日米防衛首脳会談に抗議  辺野古新基地建設反対! 防衛省にむけ緊急抗議行動

● 国旗国歌法から一〇年   「日の丸・君が代」強制に反対して院内集会

● 子どもたちを原発と放射能から守ろう!  上野で脱原発の集会とデモ

● 映 評  /  「明りを灯す人」

● KODAMA  /  私の図書館

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  「原発住民投票」の提唱者の民主主義観の底の浅さ






第179国会開会

      野田政権の対米追随、国民生活無視、改憲の政策を粉砕しよう!


 一〇月二〇日、第一七九臨時国会が開会した。補正予算、地震・津波・原発事故対策、TPP(環太平洋連携協定)、普天間新基地、対中対抗軍備配置、そして改憲に向けた憲法審査会の始動など問題山積の国会である。
 とくに憲法審査会は〇七年八月の設置から四年、この間の粘り強い闘いで始動を阻止してきた。審査会の始動で改憲阻止の闘いは新しい段階に入る。野田政権の反動的な動きの背景には、アメリカのオバマ政権が経済圏づくりと安全保障とを一体視してアジアとくに日本を取り込もうとする強力な圧力が存在する。野田政権は、軍事的にも経済的にもアメリカの戦略・政策に積極的に加担することが、政権の基盤を強めることになると誤認している。それは大きな災難をもたらすものであり、野田内閣のアメリカすりより、人びとの生活無視の政策と対決する運動を強めていかなければならない。

 一〇月二〇日午後、2012年5・3憲法集会実行委員会による「憲法審査会を始動させるな、憲法を震災復興に生かせ!10・20緊急院内集会」が開かれた。集会スローガンは、「いらない!原発 支えよう!子どもの命と被災者の暮し」「なくそう!普天間基地 つくらせない!辺野古新基地 やめさせよう!南西諸島への自衛隊増強、南スーダンへの派遣」「減らすな!比例定数 民意の届く選挙制度を! 許すな!増税」として、一二月九日までの国会期間中の闘いの課題を打ち出した。

 国会からは日本共産党の市田忠義書記局長があいさつ。
 野田政権は、みんなで負担を分かち合うといって復興増税と行おうとしているが、実際には九兆円の所得税増税のうらで、一一兆円の法人税減税をやろうとしている。大企業・資本家への大幅な減税である。きちんと法人税を納めさせるべきで、そうしてこそ復興財源が出来る。また放射能除染にも数十兆円かかる。野田政権が憲法審査会を始動させたことに断固糾弾しなければならない。安倍政権が改憲のための法律は作ったが、民主党も「始動させない」と言ってきた。しかしねじれ国会という状況で国会対策から完全に自民党の軍門に下ってしまった。辺野古基地建設のために閣僚が頻繁に沖縄に行っているが、沖縄県知事も名護市長もふくめて沖縄の多くの人びとが断固拒否している。野田政権はいったいどこの政府かと言いたい。

 社会民主党の福島みずほ党首。
 憲法審査会は始動させられようとしているが社民党は委員の名簿を出さずに抵抗して闘っている。いま官邸はTPP一色だが、政府はアメリカや外務省のいいなりの状態で、強引に参加しようとしている。野田首相はTPP参加をAPECのお土産にしようとしているが、国民の生活よりもアメリカ重視だ。民主党が自民党にすりよっているがそんな大連立は日本の危機だ。消費税増税、原発再稼動、改憲の野田政権は許すことは出来ない。力を合わせてがんばっていこう。

 社民党から服部良一衆院議員、吉田忠智参院議員、共産党からは笠井亮衆院議員、井上哲士参院議員、紙智子参議院議員がともに闘うおうと発言した。


憲法公布六五年 11・3憲法集会  改憲阻止運動のさらなる前進を!

 平和主義、国民主権、基本的人権の尊重が憲法の三原則であるが、いま、民主、自民、公明などの勢力は改憲の動きを活発化させている。

 一一月三日、東京・水道橋の韓国YMCAホールで「2011年11・3憲法集会 〜 沖縄と福島、そして憲法」が開かれた。主催は、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、憲法を生かす会東京連絡会、市民憲法調査会、全国労働組合連絡協議会、日本消費者連盟、VAWW―NETジャパン、ピースボート、ふぇみん婦人民主クラブ、平和憲法 世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、平和をつくりだす宗教者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会などで構成する11・3憲法集会実行委員会。

 はじめに、許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんが主催者あいさつ。いま改憲の動きが進んでいる。安倍内閣の時に、明文改憲をめざして「憲法改正手続法」=改憲手続法が強行制定された。しかし、この法律で定められた「憲法審査会」は多くの人びとの批判と反対の中でまる四年にわたって凍結されて来たが、この臨時国会で、とうとう始動させられた。審査会の構成は衆議院五〇名、参議院四五名のうち、改憲反対の政党である社民党、共産党の委員は各一名しかいない。衆参とも民主党にはいわゆる護憲派が数名ずついるが、圧倒的に改憲賛成論者が多数だ。とくに自民党が会長を握る参院憲法審査会の動きは極めて危険だ。米国などからの集団的自衛権の行使など日本への要求は極めて強い。私たちは、この憲法審査会の動きをしっかりと監視しなければならない。警鐘乱打して、大きな市民運動を起こし、改憲を阻止しよう。本日の集会がそうした大きな歴史的な運動の第一歩となるよう願っている。

 お話は、いわきアクション!ママの会の佐藤有正さん(「いわきアクション!ママの会」は、「いわき市在住のママ、パパ、おばあちゃん、これからママになるチャーミングな若い女性たちの集まり」で、会の理念は「清く正しく美しく子供を守る」こと)。私の住んでいるところは原発事故から三七キロメートル地点にあるが、避難地域にもならないが、実際には大量の放射能がばら撒かれている。原発事故収束などの工事関係者が多くの人が来ているがみんながいい人とは限らない。柄の悪い人もいて夜歩きが出来なくなっている状況も出てきている。いろいろなことがあったが、3・11以降何もいいことはなかったという感じがする。国や県などは「安全」「安全」といってきたが、情報操作だったということだ。行政任せではぜったいにダメだ。自分で決めるしかないというのが実感だ。

 つづいてのお話は、「沖縄から問い直す日米関係の現状」をテーマにした新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)。沖縄の米軍基地は、当初は日本本土攻撃のためだった。ついで中国を攻撃目標とするものとなった。まず基地があり目標が一八〇度変わったわけだ。沖縄に対する構造的差別は占領政策として作り出されたものだが、戦後日本の対米従属構造はこの構造的沖縄差別の上に成り立つ。アメリカは日本占領に天皇制を利用したが、昭和天皇も体制維持のために、沖縄をアメリカにリースするということをした。一九五二年の講和条約と旧安保条約が結ばれる中で、沖縄は分離された。そして、五〇年代後半以降、この構造的沖縄差別は日本によっても積極的に利用されることになる。一九五七年の岸・アイゼンハワー会談で、米軍の地上戦闘部隊は日本から撤退して沖縄に集中されることになる。そして、一九七二年の「返還」でアメリカは日本に沖縄を買い取らせた。
 日本は、警察予備隊、保安隊、そして自衛隊と陸海空の武力をもちアメリカの戦略の一翼を担うようになった。沖縄はベトナム戦争など常にその軍事的役割を担わされた。構造的沖縄差別は沖縄の人びとの怒りを蓄積させてきた。その爆発が一九九五年の米兵による少女暴行事件だった。沖縄の声も大きな要因となって、ついに二〇〇九年には政権交代が実現した。当時の鳩山首相は、対等平等な日米関係=構造的沖縄差別の是正、またインド洋での洋上給油の停止、東アジア共同体の創設などの民主党の政権交代の理念に沿って、沖縄の基地問題では普天間基地の撤去と新基地の国外、最低でも県外という政策を出した。だが、アメリカの圧力、官僚の抵抗、そしてジャーナリズムの思考停止などによって結局、辺野古への移転を日米合意してしまった。とくにマスコミの鳩山バッシングはひどいものだった。鳩山を継いだ菅政権は党内対立と場当たり的ポピュリズムで自滅した。野田政権は党内対立の融和から理念なきそろい踏みで態勢を立て直そうとしているが、いっそうのアメリカへのすりよりが目立つ。TPPへの参加などを見ればそれは明らかだ。辺野古新基地建設では前原誠司や北澤俊美をはじめ閣僚・与党幹部などの沖縄詣でが続いているが、これも沖縄に普天間の固定化か辺野古移設の二者択一を迫るだけのもので、これを振興策と基地のリンクで押し付けようとしている。
 冷戦が終って、日米安保の位置付けも変わって来ている。クリントン政権時に日米安保の再定義が行われたが、ブッシュ政権の時には対テロ戦争が行われ、この間に中国が大国として台頭してきた。戦費の増大でアメリカの財政は破綻している。グアム移転も予算上の問題が出てきている。ここでジャパンハンドラーとか安保マフィアと呼ばれる連中が暗躍しているが米軍再編も予定通りにはいかないというのが現状だ。
 日本も中国とは、尖閣問題などがおこったとはいえ経済的相互依存関係=戦略的互恵関係にある。こうした関係にあることと軍事的対抗関係を両立させるのは非常に困難である。
 沖縄の声の最大公約数は、「国外、県外」ということだ。いま、基地反対の世論は急速に高まっており、八〇%が反対となっている。この流れは決して押しとどめられない。

 浪花の歌う巨人・パギやんこと趙博(チョウ・パギ)さんの力強い歌。
 また経産省まえの座り込み現場から駆けつけた北海道の山口たかさんのアピールなどが、会場を力づけた。


震災・津波・原発事故が拡大しあぶり出した貧困

                   2011反貧困大集会


 一〇月一六日、法政大学市ヶ谷キャンパスで「反貧困世直し大集会2011 震災があぶりだした貧困」が開かれた。3・11の震災・津波・原発事故は、貧困を新たに「作りだす」と同時に、もともとあった貧困を「あぶり出す」ことになった。もともと生活の苦しかった人たちが、より深刻なダメージを受けざるを得ず、それは東日本大震災前の生活状態を引き継いでいる。今年の集会は、それがテーマだった。
 全体集会のはじめに反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児弁護士の挨拶。貧困率は大幅に上昇し、とくに子どもの貧困の急増している。児童虐待は年間五万五〇〇〇件にのぼり、過去最多となった。震災は今まであった貧困をあぶりだした。これをどうして行くのか、どう解消していくのかを討論していくのが集会の課題だ。
 つづいて各地から多くの人びと発言。
 はじめにDVDによる福島県の漁業を営んでいる人からの報告。港湾のすべてが壊滅し、漁船も半分以下になった。魚も放射能に汚染されているが、福島にこだわって、みんなで協力し合って再構築していきたいと思っている。
 岩手県の飲食店の経営者は、二重ローンの問題で金融機関の対応やTPPへの不安などを報告した。
 福島で農業をしている女性。原発事故以降、土の汚染による出荷は前年の半分で大幅な収入減となった。農業など可能性のあるもので地域の良さを取り戻していきたい。
 国家公務員(国公労連東北ブロック)は、ハローワークでは非正規の職を担当する職員は非常勤の非正規という状況がある。公務員削減が復興・雇用問題の対策を遅らせているのだ。
 震災孤児について、福島の高校での就職の困難さについて、精神障がい者の立場からの発言、外国人女性、農業従事者、小学校事務職員など切実な報告がつづいた。
 午後からは、「雇用」「原発労働」「教育」「住まい」「多文化」「官製ワーキングプア」「わかちあい」「女性」「女性非正規」「精神障がい」「災害と女性」「保育」などの分科会が開かれた。
 最後にふたたびホールで、竹信三恵子和光大学教授、宇都宮健児反貧困ネットワーク代表、鈴木浩福島県復興ビジョン検討委員会座長などのパネリストで全体会「シンポジウム―生きるために必要なこと」が開かれた。


国鉄闘争を継承しよう!  全ての争議の勝利解決を!

                        第25回団結まつり


 一〇月二三日、東京・亀戸中央公園で、「止めよう原発 核のない世界へ! なくそう 非正規労働、全ての争議勝利! 作り出そう 戦争と貧困のない社会を!」をテーマにして、第二五回「団結まつり」が開かれた。

 午前一〇時に開会。はじめに、二瓶久勝さん(元国鉄闘争共闘会議議長)があいさつ。国鉄一〇四七名闘争は、一定の解決金などを獲得する成果を勝ち取ったが、雇用問題ではJRの拒否の壁を越えることはできなかった。私たちは、長期にわたる国鉄闘争の成果をいかすために、「国鉄闘争を継承する会」を結成する。そして、闘争団の全国の事業体を支えることによって雇用を確保したい。同時にさまざまなJRの社会的な問題を追及していくこと、また団結まつりのテーマにあるような諸課題を実現していくことで、闘いを継続していきたいと考えている。
 元鉄建公団訴訟原告団団長の酒井直昭さんは、元原告たちとともに、闘いをともに続けていく決意を表明した。
 キヤノン偽装請負争議原告団、ふくしま集団疎開裁判の会、浜岡原発差止訴訟弁護団などがアピールをおこなった。
 会場では、各地の闘争団、争議団が店開き。また署名あつめや闘争の交流の場など賑やかなまつりとなった。

 今回の団結まつりは、国鉄一〇四七名闘争の終結を確認するとともにその継承と新たな闘いをともに進めるという確認の場となった。


アメリカのパネッタ国防長官来日・日米防衛首脳会談に抗議

      
辺野古新基地建設反対! 防衛省にむけ緊急抗議行動

 アメリカのパネッタ国防長官は一〇月二一〜二八日の日程でインドネシア、日本、韓国を歴訪した。パネッタ国防長官のアジア訪問は今回が初めてだ。
 二五日には、日本で、野田政権発足後初の日米防衛首脳による直接会談が行われた。一川防衛相は、「北朝鮮、中国、ロシアの動向を踏まえ、日米同盟を新たな安保環境にふさわしい形で強化・発展させていきたい」と発言し、パネッタ長官は「米国は現在も将来も太平洋国家であり続ける。この地域の世界における軍事力プレゼンスを維持、コミットメントを強化していく」と述べるなど、アジア・太平洋地域での日米軍事協力をアピールした。アジアへと回帰するアメリカの中国への対抗戦略へ日本は積極的に加担する態度を表明したのである。沖縄はその最前線に位置付けられることになる。米国防総省は、対テロ戦争などで深刻化する財政状況から国会の軍事予算支出抑制論に直面している。グアム移転のための歳出にもブレーキがかかっている。グアム移転経費歳出を議会で承認を得るためには、辺野古移設の「進展」が条件とされていて、パネッタ長官の任務はそれであり、対日強硬意見となっている。米軍普天間飛行場移設問題については、移設先を名護市辺野古とする現行計画を「可能な限り早く進展させる」ことで一致したと発表された。一川防衛相は、辺野古周辺の埋め立て工事の前提となる環境影響評価(アセスメント)評価書を「年内に沖縄県に提出する準備を進めている」として、日本政府として全力で手続きを行っているとアメリカ側に報告した。パネッタ長官は評価書の早期提出に期待感を示し、アメリカ側も沖縄海兵隊のグアム移転に関して、米議会側との合意できていない問題について、早急に調整するとの方針を示した。今回の日米防衛首脳会談は一段と危険な道へ踏む出すことになり断じて許しがたいものである。

 一〇月二五日、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの呼びかけで防衛省門前でパネッタ米国防長官来日に対する緊急抗議行動が行われた。緊急行動にもかかわらず人びとが結集し、辺野古移設のための環境影響評価(アセスメント)評価書の沖縄県への年内提出方針などに抗議のシュプレヒコールをあげた。
 沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックは一川防衛相に対する抗議文(別掲)を申し入れた。

沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの抗議文

防衛大臣
 一川 保夫 殿

2011年10月25日
  
普天間飛行場の辺野古移設を断念せよ!

 われわれは沖縄に集中している米軍基地に反対している団体で、「軍用地を生産と生活の場にとり戻そう!」を合言葉にしている。米軍嘉手納空軍基地や普天間飛行場内にある共有地の地権者である。

 われわれ関東ブロックは、来日中のパネッタ国防長官が本日午後四時過ぎから貴大臣と会談し「普天間の辺野古への移設」にむけて協議しようとすることに強く反対する。

 パネッタ長官は自国米国の国益を、財政状態を考慮した上での見解を持っているであろう。貴大臣も歴代防衛大臣すべてが認めている過度に沖縄に集中している米軍基地を解消するように、自国事情をパネッタ長官と協議することをわれわれは望んでいる。辺野古移設できるように長官に働きかけるようなことはやめてもらいたい。ましてや、沖縄に圧力をかけて辺野古移設を推進することは、沖縄全部を敵に回すことになる。

 沖縄では今日午後、嘉手納にある沖縄防衛局に一五〇人がパネッタ長官との会談を危惧して抗議の行動を行っている。この辺野古移設反対の声を貴職らは受け止めるべきである。嘉手納統合も辺野古移設と同様、実現不可能である。実現不可能な計画は断念すべきである。問題を先送りせず、はっきりと「県内移設は断念した」と貴職らは表明すべきだ。日米合意できる最も現実的な具体策は「辺野古移設と嘉手納統合の断念」である。

 一、普天間飛行場の辺野古移設は断念せよ。
 二、普天間飛行場はただちに閉鎖せよ。
 三、普天間飛行場の嘉手納統合反対!


国旗国歌法から一〇年

      「日の丸・君が代」強制に反対して院内集会


 一一月二日、衆議院議員会館で「国旗国歌法から一〇年の今 『条例』『通達』は? 院内集会」が開かれた。集会は、「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会、「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟をすすめる会などの共催で、会場に入れない人も大勢出るなど大きな関心が集まるものだった。 
 集会では、東京・教育の自由裁判弁護団から水口洋介弁護士が、都教委の二〇〇三年10・23通達や大阪の教育条例(案)による「日の丸・君が代」強制は、生徒や保護者、教師の教育の自由を奪うものだ、と批判した。澤藤統一郎弁護士は次のように発言した。「日の丸・君が代」強制による思想弾圧は四〇〇年前の「踏み絵」と同じだ。権力が嫌う思想を明示し、それを禁圧する。屈するか、弾圧されるかを選択しろというのだ。石原都政の下で行われているこのようなことは断じて許されない。
 東京学芸大学の大森直樹準教授は「東京都教育行政の問題点」と題して報告した。
 必要なのは「子どもが仲間と安心して楽しく生活し学習できる学校づくり」「子どもの生活の現実を見つめ自然・社会・人間についての認識を深める学習の蓄積」「教員が子どもと遊びつきあうことから子どもについて認識を深めてきたこと」だ。しかし、教育行政はそれとは逆行する道を進めてきた。
 勤務評定(一九五八)、主任制(一九七六)の全国実施などが行われてきたが、都教委は、全国に先駆けて教員の仲間意識を損い、決定権を縮小し、上意下達のピラミッド型の組職づくりを進め、「教育実践の成果」の継承を困難にしてきた。とくに管理職の業績評価導入(一九九五)が重要だ。教育内容の統制ということでは、戦後教育改革で基本的に解体された戦前の「一九〇〇愛国心教育」を「二〇〇六愛国心教育」として復活再編させ、国の動きを先導してきた。
 「一九〇〇愛国心教育」とは、国が教育の目的・教科編成・教科内容・評価・学校儀式のあり方を細部までトータルに決定し、国が求める人材育成を行った教育内容統制制度であり、「一且緩急あれは義勇公に奉し以て天壌無窮の皇運を扶翼すへし」とするなど当時の政策目的は従順な労農兵の養成ということだった。
 「二〇〇六愛国心教育」は、一九四七年からの「愛国心教育」復活への布石をふまえ、二〇〇六年の「改正教育基本法」を頂点に、国が教育の目的・教科等編成・教科等内容・評価・儀式的行事のおり方を詳細に決定するものだった。  都教委はすでに、二〇〇一年に都教育目標を改訂している。そこでは、憲法や教育基本法などについての記述を削除した上で、「わが国の歴史や文化を尊重し国際社会に生きる日本人の育成」を強調した。その当時の横山洋吉教育長は「都の教育目標見直しが日本全体に大きく影響してくるかと思う」と発言し、また米長邦雄教育委員は「東京都は独自に教育基本法を改正した」「教育委員としての私の一番大きな仕事」などと発言しているのである。
 だが、一九八五年から今日に至る「新自由主義教育政策」は、それまでの復古とは違った新たなイメージに基づくものとなっている。例えば、一九九九年に品川区教育委員会が学校選択制を導入し、二〇〇三年には荒川区が学力テストの結果を自治体で最初に学校別に公表した。こうした政策から出てくるイメージは、「教育をサービスと再定義して次のように考えるものだ。学校選択制を導入すると、サービス提供者(学校・教員)は消費者(保護者・子ども)に選択されるよう競争を始める。全国学力テストを学校別に公開すると競争は「学力向上」を軸に過熱する。「学力向上」商品の開発に血道をあげてきた教育株式会社には商機が訪れる。公立保育所のように公立学校の経営を株式会社が受託するのは反対が予想されるが、法整備はしておく。まず、コミュニティスクール等に株式会社から経営者を送り込み、成果をあげる。教育の地方分権を前面に掲げて、「国庫負担法」などの改正を重ねて、徐々に「国の規制」を緩めれば、株式会社の参入が容易になる。以上の諸施策への「反対勢力」となる教育委員会は弱体化し首長部局の権限を強める。英語教育への外国人登用など合意が得られやすい部分から公教育の株式会社への部分委託を拡大すると、株式投資の対象となる教育市場が拡大し、経済が「活性化」して金融資本が利益を上げることができる、などだ。こうした新しい教育政策と、古色蒼然としたものには一定の相互補完性があるとしても、これらには解決しがたい矛盾が存在する。
 
 山田昭次さん(立教大学名誉教授)は、「『君が代・日の丸』強制の背後にある歴史認識を問う」と題して報告。
 二〇〇一年に都教委が開催した教育施設連絡会で国分正明都教委委員は、「明治時代、日本は欧米文化を取り入れて戦争を乗り越え、世界有数の豊かな国を作ってきた。しかし同時に多くの人は心の潤いを欠くと感じた。戦後、歴史を自虐的に解釈して教えることさえ行われかねない状況があったが一度失われた伝統・文化は回復できない」などと発言したが、都教委は、自由主義史観を奉ずる人々と同じく近・現代日本のアジア侵略・植民地支配に対する批判的認識を「自虐」と見做すのである。すなわち、都教委が言う日本人のアイデンティティとは、近・現代日本のアジア侵略や植民地支配に対する反省を排除した所謂「愛国心」を持つことなのである。
 都知事の石原慎太郎も、戦後の日本の歴史は堕落の歴史であるとしている。すなわち「戦勝国アメリカの統治下、あてがい扶持の憲法に表象されたいたずらな権利の主張と国防を含めた責任の放棄という悪しき傾向が、教育の歪みに加速化され国民の自我を野放図に育てて弱劣化し、その自我が肉親といえども人間相互の関わりを損ない孤絶化した結果に他なるまい」と最近出した『新・堕落論』で書いている。石原が言う日本人のアイデンティティも、日本の戦争責任に対する認識を排除する所謂「愛国者」で、日本の自前の軍事大国化に献身する人間なのである。石原の「君が代斉唱・日の丸掲揚」の強制の先にあるビジョンはこのようなものなのだ。

 被処分者の会の近藤徹事務局長が最高裁あての署名の協力をよびかけた。
 大阪から駆けつけた井前弘幸さん(大阪府立高校教員)は、焦点となっている大阪維新の会による「大阪府教育基本条例」(案)を巡る情勢と大阪での闘いについて報告を行った。 
 集会には、社会民主党の服部良一衆議院議員、日本共産党の宮本岳志衆議院議員、田村智子参議院議員も参加してあいさつした。

 集会を終って、同じ場所で、文部科学省との交渉・要請を行ったが、事前に省に提出してある大阪府教育基本条例に関するものと「日の丸・君が代」強制の人権侵害等に関する質問書・申入書に対する回答を文科省担当者が口頭で述べたが、通り一遍のものでしかなかった。次回の交渉・要請には誠意ある回答を出すように要求したが、「要請は一年に一回しか受けない」などの回答に参加者から不満と抗議の声が上がった。

 府議会での「大阪府教育基本条例」の審議など事態は切迫している。さらなる「日の丸・君が代」強制反対の力を作り出していこう。


子どもたちを原発と放射能から守ろう!  上野で脱原発の集会とデモ

 一〇月二三日、東京・上野公園野外ステージで「子どもたちを原発と放射能から守ろう! 10・23歌とお話とデモ」が開かれた。
日本消費者連盟の富山洋子さんは、福島原発事故の被害は拡大している、絶対に全ての原発を廃炉にするために運動を強めていこうと発言し集会は始まった。
 高木章二さん(プルトニウムなんていらないよ!東京)が主催者挨拶。子どもたちを放射能から守る福島ネットワークの佐藤幸子さんと柏崎刈羽原発反対同盟の武本和幸さんなどが報告。集会宣言を採択しデモへ出発した。


映 評

   「明りを灯す人」 


     キルギス 2010 80分

       ユーラシア映画祭グランプリ(2010)

          
監督・脚本・主演     アクタン・アリム・クバト


 「ブランコ」「あの娘と自転車に乗って」「旅立ちの汽笛」という自伝的な要素を多く含んだ三部作で注目されたアブディカリコフ監督は、本作「明りを灯す人」でロシア名からキルギス名のアリム・クバトに名前を変え、制作に取り組んだ。
 キルギスの天山山脈のふもとに位置する小さな村の話。
 まわりの村人から尊敬の念を込めて「明り屋さん」と呼ばれている男が主人公。
 明り屋さんはたいへん器用な男でこまごまとした電気工事をなんなくこなし、時には貧しくて電気料金が払えない村人のために電気メーターを細工して、電気が通るようにしてやったりもする。
 そのために警察に逮捕されてしまうのだが、本人はあまり気にしたようすもなく、また同じことを繰り返す。
 冒頭のシーンは、明かり屋さんが手作りの風車を整備しているところ。
 彼の夢は強く風が吹く谷を風車でうめつくし、村中の電気をまかなえるようにすることだ。
 遠くに見える高い山なみ、たくさんの動物が疾駆する草原、そして風の流れは、一見牧歌的でたいへん美しい光景に見える。
 しかし、実際の村人の置かれている状況は厳しいものだった。かつてシルクロードの通過点として東西交流の中継地にもなったかの地は往時の繁栄が夢のように、ソ連崩壊後、独立をかち取ったものの経済は疲弊していった。
 時おりテレビの映像やラジオが都市でのデモや政権崩壊を伝えている。平和な村にも開発の波が押し寄せ、議員候補が都会から土地買収のために甘いえさを携えて訪ねてくる。そこにはお決まりの村民同士の対立が生まれてくる。
 ユルタと呼ばれる遊牧民用の組み立て式住居(基本的にはパオ・ゲルと同じようなもの)で接待用の宴会が行われる。
また、コク・ボルというヤギを奪い合う伝統的な騎馬競技が遠来の客のために催される。
さらに、隣接する大国である中国から投資家がやってくる。その接待の場にしかたなしに出席させられた明り屋さんはその不条理ゆえに怒りを爆発させて、その場の雰囲気をぶちこわしてしまう。
 やがて、明り屋さんは報復にあい、まるで犠牲のヤギのように馬に乗った男たちになぐり殺しにされてしまう。そのシーンはまるで伝統競技の再現のように、たいへん痛ましい。
 アリム・クバト監督自身が主演した作品なのだが、彼の風貌はたいへん人なつっこい農民顔で明り屋さんのイメージにぴったりだ。
 ラストシーンは象徴的と言えるかもしれない。村に強い風が吹いて、明り屋さんが作った風車が力強く回転し、裸電球の灯りが次々と点灯していく。
 これはまさに明り屋さんの夢の実現のようだ。
 この映画のストーリー展開はたいへん簡単で、あまりひねりがない。そのために感情移入もしやすいと思う。
 特に、たいへん初原的な手作り風車で電灯がともるシーンなどは、大げさに言えば人類が最初に電気を使いだし、そのあかりに感激したというようなプリミティブな感情も抱かせる。電力を浪費し、福島の原発事故でようやく電気のありがたさを再認識した多くの日本人にとって見ておいたほうがいい作品かもしれない。電気がふんだんにあることがあたりまえだと思っていた私たちに多くのことを思い出させてくれる作品でもあるだろう。
 だが、それにしても八〇分という上映時間は短すぎる。作品構成にもう一つの大きな物語が必要だという気がする。残念ながら見終わってもの足りないという感情がどうしてもでてきてしまうのだ。
 なお、この映画の原題は「THE LIGHT THIEF」(電気泥棒)なのだが、日本公開時でのタイトル「明りを灯す人」の方がよほどアリム・クバト監督の制作意図を忠実に表現しているいい題名だと思う。(東幸成)


KODAMA

      
私の図書館

 私が小学生の頃は今の学校にあるみたいな図書室ではなく、渡り廊下でつながった別棟に立派な図書館があった。そこは私にとって別世界のような存在であった。今から思うとあまり本は読んでいなそうな若い女性の司書さんが入り口に座って目を光らせていた。床も本校舎の黒くくすんだ板張りではなく、週一回、茶色の固形油で磨くフローリングだった。ここで私は大江健三郎とであった。「死者の奢り」は医大のホルマリン漬けされた死体をアルバイトで洗う青年の話だ。それから日本の未来を予想した「万延元年のフットボール」へと進む。
 中学に入ると、教育行政もケチになって小さな図書室が生徒委員室の隣にあり、図書委員会によって管理されていた。シェークスピアの「真夏の夜の夢」や「ハムレット」もそこで読んだ。
 高校に入るとそれ以前のように多くの本は読めなかった。テネシー・ウイリアムズやヘミングウェーからロス・マクドナルドにいたるハードボイルドという文体を確立した作家群にはまっていったからだ。とくに前期の「失われた世代」と呼ばれる作家が好みであった。かつてそれらの作品は田中小実昌が訳していたが、いま、「さらば愛しき人よ」が代表作であるレイモンド・チャンドラーを村上春樹が次々に新訳して出版している。なにしろ受験校へ入ってしまうということになってしまい、ウイスキーを飲みながらの受験ベンキョーをしなければならないということになり時間がない。それでも合間を見て太宰や啄木には目を通してはいた。

 小学校へ入る前から映画館へ出入りしていたが、それはこの辺では不良ということになっていた。高三のときだった。「キネマ旬報」年間第一位になったものが町の映画館にかかると聞いたが、なぜか成人指定となっている。私はいつも映画について議論する同級生と三人分の前売り券を買いに松竹映画館に学生服のまま行った。窓口のおばちゃんとしばし押し問答をしたが、「ゲージュツを見るんじゃコラ」と言うと「観に来るときは私服で入りなさいよ」といって売ってくれた。

 いまは、以前にあったところよりかなり遠くに新築された県立図書館までバスで通っている。ここへ、昨年、私と仲間が出版した郷土の戦争体験の本を寄贈した。ある日、朝鮮の済州島事件をテーマにした小説「火山島」(金石範)を出してくれるようにお願いしたら、二人の職員がそれぞれ数冊ずつ重そうに抱えて来てデスクの上にドサリと置いた。「こりゃ全部読むには一年はかかる」と思った私は第二巻まで借りることにして逃げ帰ってきた。おかげで二人の司書さんとも仲良くなって、何かと役に立ってくれる。二人とも本の話となると止まらない頭の切れる若い女性だ。これだから死ぬまで勉強はやめられない。

 内田樹の近著「最終講義」は「学知」のあり方について書いている。「そもそも人間の知的活動は、金銭的利益や社会的地位のために行うものではない。人が学びの世界で努力し続けるのは、よって得た事実や気づきによって自らの世界観が劇的に変わる経験をしたからだ。そうした感得を再び得るために学びは続けられてきたし、これからもそうだ。」
 私にとっての「学知」とは行動するための指針である。さあ今日も「世直し」のために出かけよう。(辻宏)


せ ん り ゅ う


   非暴力えがお笑顔に平和あり

   用がない憲法審査会すぐ仕分け

   戦争で稼ぐやつにはじゃまな九

   三原則破るは憲法やぶり

   除染土はどこへ置いても三十年

   政策はビンボー国へと給与カット

                 ヽ 史

   原発基 利権やらせで五十四

                 瑠 璃


複眼単眼

    「原発住民投票」の提唱者の民主主義観の底の浅さ



 「原発国民投票」を呼びかけていた「みんなで決めよう『原発』国民投票」(今井一事務局長)が突然、東京や大阪での「原発住民投票」運動を呼びかけ始めた。
 今井氏たちは、今年六月末、この原発国民投票運動の構想として、「私たちが要請している『原発』国民投票法の制定を立法府に受け入れさせるべく、二〇一一年十一月十一日までに『原発』国民投票の実施を求める『請求人』を百十一万人、本会の活動に賛同しサポートしてくれる『賛同人』を十一万人獲得するという(語呂合わせのような)目標」を掲げ、運動を始めた。しかし、間もなく、目標期限が来るのに達成率は一%程度に過ぎない。
 そこで今度は「原発『住民』投票」を東京都、大阪市などで行うことを呼びかけている。今井氏の説明によれば、「原発は、立地先だけの問題ではなく、消費地の問題であるということを多くの国民に理解してもらう。主権者が、消費地の人間が、自身で決定して責任を取ることを実現させよう。
 そのことによって同志、仲間の輪を飛躍的に広げていく可能性を見出せる。この機会を逃すと、国民投票運動は、近々、尻すぼみになって運動が滞り、結果として、署名やカンパを頂戴した大勢の方を裏切ることになる」という。「みんなで決めよう」「私たちの未来は、政治家に委ねず、自分で決めよう」ということを強調し、直接民主制の重要性をいう。このコピーに、あまり深く考えないまま乗っている人びともいる。
 しかし、この今井氏の「国民投票」や民主主義に対する立場には、かつてナチスの台頭を許したドイツの「ワイマールの悲劇」の例を挙げるまでもなく、重大な落とし穴がある。「一票投票」「国民投票」は無前提的に「善」ではない経験を民主主義の歴史は持っている。
 第一に、東京電力福島第一原子力発電所が未曾有の事故を起こし、立地地元の福島県民をはじめ、近隣住民に多大な被害を与えているのに、電力「大消費地」の東京都民・大阪市民にたいして、原発賛成でも、反対でもない立場を強調して「原発稼働か、廃止か」を提起し、選ばせるという運動の思想は、原発の問題をまったく理解していない底の浅い提起だ。まさに原発とは都市に象徴される弱肉強食の資本主義がこうした過疎地(辺境)に立地を押しつけて、弱者が原発を受け入れざるを得ないような構造の下で、存在してきた。
 東京都民に福島県民を犠牲にする「原発稼働」を投票で選択する「権利」などない。「辺境」を犠牲にした「都市」の電力の浪費はやめなくてはならない。「辺境」にあぐらをかいて、繁栄を謳歌する「民主主義」は、かつて奴隷制のうえに特権市民の「民主主義」を展開したギリシャの民主主義のレベルの思想だ。
 第二に、地方自治法の規定に基づく住民投票条例制定の直接請求に必要な「有権者数の五〇分の一」の署名を集めても、条例制定がその議会で否決されたら、それは元の黙阿弥だ。
 原発維持論者の石原慎太郎都知事のもとで、都議会では民主、自民、公明各党が圧倒的な議席数を占めている。これらの人びとが、いまのままで脱原発を選択する可能性のある原発住民投票条例制定賛成にまわることはありえない。
 第三に、いかなる住民投票条例が議会で作られるのかの問題だ。今回、今井氏たちが発表した「条例案」は、この間の「憲法国民投票」や「原発国民投票」での論争を経て、他の重要な問題が残る(住民投票運動期間、若ものの将来を左右する原発問題で意思表示する権利の年齢は一六歳でいいのか、テレビ・ラジオ・新聞の有料広告などマスメディアでの宣伝の公平性をいかに保障するか、などなど)とはいえ、最低投票率が設定されたことや、投票権者の「国籍」問題、「年齢」などでは従来の今井氏らの主張より、一定の「前進」が見られる。しかし、現在の東京都議会、大阪市議会がこうした市民の要求する条例案を支持し、その条例制定が実現可能だと考えるのか。例えば投票権者の「国籍」の問題(永住外国人など)で、世論が盛り上がっていないもとでは、民主党の大半の議員や自民党の議員の条例の拒否の理由になるのは明らかだ。
 第四に、このような「実現不可能」な運動に多くの市民活動家のエネルギーを投入し、浪費することは、脱原発運動に亀裂を持ち込むことになる恐れがあり、問題が大きい。いま、緊急に必要なことは、被災地の子どもたちをはじめ住民の救援を優先させつつ、脱原発の世論を盛り上げながら、ひとつひとつ、原発立地や周辺自治体に確実に脱原発の橋頭堡を作っていく運動だ。福島県議会につづいて、浜岡での牧ノ原市議会や焼津市長の永久停止要求や、東海での村長の脱原発宣言、上関での建設計画の中止の運動などなど、ひとつひとつ民衆の運動で脱原発を実現するための橋頭堡を作っていくことだ。いま、全国各地で無数に取り組まれている大小の集会やデモ・パレードなど、これらが世論を作っていく。これらこそが脱原発の実現と民主主義をたたかいとっていくことに連なる。(T)