人民新報 ・ 第1285号<統合378号(2012年1月15日)
  
                  目次

● 多くの人びとの声と力を総結集して、脱原発へ政治の進路を転換させよう

● 多支援・連帯で全ての争議の勝利を   東京総行動

● 多労働争議への不当な規制を許すな !   全港湾など三労組が呼びかけ院内集会

● 多労働者社会主義同盟第5回全国大会について

● 多反天皇制運動連絡会の「原発ファシズム・天皇制」集会   敗戦と同様にウソのシステムを暴露した原発事故

● 多復興連帯春闘を実現しよう   全労協春闘討論集会

● 多映 評  /  「TESE」

● 多せ ん り ゅ う

● 多複眼単眼  /  澤地久枝さんが提案した「1000万人」署名




多くの人びとの声と力を総結集して

     脱原発へ政治の進路を転換させよう


「収束宣言」のペテン

 昨年一二月一六日、政府の原子力災害対策本部は、東京電力福島第一原発の事故を起したすべての原子炉が「冷温停止状態」になったとし、これを受けて、野田首相は、「事故そのものが収束に至った」そして、事故収束に向けた「ステップ2」の工程が終わったので、これからは廃炉を目指す新たな段階に入ると発言した。また避難区域の本格的な見直しに着手するとも表明した。だが原子炉は「死火山」になり、終息したわけではない。一〇〇度以下の冷温停止になったとはいえ、核燃料はまだくすぶっている状態にあり、今後どうなるのかまったく予想がつかないのが現実だ。圧力容器や格納容器の損傷の状態、その中での核燃料がどうなっているのかもまったくわかっていない。
 にもかかわらず野田は「収束宣言」をぶち上げたのである。これは人気の落ちている自らの政権維持のため事態の深刻さを隠蔽した前のめりの政治的宣言でしかなく、原発事故発生以来、政府が繰り返してきた愚行のさらなる一歩なのだ。そもそも原子炉内部、発電所内部のことなどをはじめ事故の具体的な状況も分かっていない現段階でこのような判断をし、それにもとづいて被災地・避難区域の縮小などの政策を採ることはいっそう悲惨な被害を拡大させるものに他ならない。
 一九七九年の米スリーマイル島原発事故は、福島原発事故同様の炉心溶融(メルトダウン)を起こした。米国政府は、一〇年以上にわたって溶けた核燃料を回収、汚染水処理を行ったうえで、多くの内外の専門家によって「収束」を認めたのだった。野田政権のわずか九ヶ月あまりでの「収束宣言」は、あまりにも明白な政治的パフォーマンスであり、いっそうの不安感をもたらすものとなった。そして宣言には、当然にも地元福島の自治体首長や住民をはじめとして国内外の多くの専門家やマスメディアも批判を上げているのであり、野田政権には原発事故の処理はできないという声の広がりの中で、政権の支持率は急降下し続けている。

一〇〇〇万の署名を

 一二月一〇日には、日比谷野外音楽堂に五五〇〇人が参加して、「がんばろう!さようなら原発一〇〇〇万人署名」集会が開かれた。集会後、東京駅前を通過して常盤橋公園までのデモを行った。
 集会では呼びかけ人から鎌田慧さん、大江健三郎さんがして発言した(大江健三郎さんの発言要旨は本紙四面参照)。
 鎌田慧さんは次のようにアピールした。原子力発電は、原子爆弾から生まれ、原子爆弾は原子炉から生まれる。高速増殖炉でプルトニウムが作られている。一〇〇〇万人署名を政府にたたきつけて、原発をやめさせよう。そして原発に賛成する政治家は選ばない。それで早く平和な社会を実現させよう。私たちは、三月二四日にこの場所で、集約報告集会を開く。それまでに一〇〇〇万以上を集めて、国会に持って行こう。

 この「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」(さようなら原発一〇〇〇万人署名)は、三つの要請事項(@原子力発電所の新規計画を中止し、浜岡をはじめとした、既存の原子力発電所の計画的な廃炉を実施することを求めます。Aもっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」および核燃料再処理工場を運転せず、廃棄することを求めます。B省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えた、エネルギー政策への転換を早急に始めることを求めます。)を衆参両院議長と首相に求めるもので、一二月二一日までに三二〇万筆が集まったと発表された(最終集約日は二月二八日)。
 いま各地でさようなら原発一〇〇〇万署名が取り組まれている。一〇〇〇万の署名達成をめざしてラストスパートをかけていこう。

原発輸出をやめろ

 福島第一原発事故は大量の放射性物質を撒き散らした。その被害は海洋汚染を通じて近隣諸国をはじめ世界に及んでいる。日本は放射能加害国となった。原発推進だった民主党でも菅前内閣は昨年七月に閣議で「原子力発電所の新増設を含む今後のエネルギー政策の在り方」見直しを決定した。だが、八月に「諸外国が我が国の原子力技術を活用したいと希望する場合には、我が国としては、相手国の意向を踏まえつつ、世界最高水準の安全性を有するものを提供していくべきであると考える」とする閣議決定を行った。「世界最高水準の安全性を有するもの」と言っているが、その日本の原発がかつてない事故をおこし、安全神話は吹き飛んだのである。原発輸出推進はただちに止めなければならない。日本に求められているのは、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマの経験を教訓化して、脱原発にむけて世界に発信していくことである。


支援・連帯で全ての争議の勝利を

              
 東京総行動

 一二月一五日、二〇一一年の最後の東京総行動(主催・けんり総行動実行委員会)が闘われた。「働く者や生活者が主人公の社会へ」「同一労働には同一賃金を支払え」「組合つぶしには刑事罰を科せ」「教員への弾圧はファシズムの道」「加害者の責任で、謝罪と補償を」「労組の復権で使い捨てを禁止」などのスローガンで朝八時四五分、総務省前集会でスタートした。申し入れは、反リストラ産経労と東京労組文京七中分会。
 当該の東京労組文京七中分会の早川由紀子さんがアピール。東京都公立中に採用されたが職場における過労とストレスによる頚肩腕障害・腰痛症などの診断が出た。にもかかわらず、校長はそれを握りつぶしていた。このことを裁判で争ってきたが、九月の東京高裁では一審判決同様に、学校長の不法行為を認め、慰謝料等の支払いを命じた勝利判決を勝ち取った。判決では、所属部局長(東京都)に公務上外の判断権はなく、公務災害手続き拒否は出来きず、公務上外認定を受ける法的利益を侵害したと認めるとした。また、一審判決では「所属部局長が違法に証明を拒む場合には、民間の労災申請手続きと同様、証明印がなくても申請を受け付けられる」とされていたが高裁判決でも同様になった。この判決は、所属部局長から証明が得られないばかりに、公務災害認定請求手続を行うことができなかった大勢の地方公務員の公務災害認定の実務に大きな影響を与える判断で、公務員の労災手続きに道を拓くものとなった。だが、東京都は上告をし、闘いは最高裁に移った。皆さんの支援を受けながら最高裁でも勝利を勝取っていきたい。
 その後、二つのコースに別れ、抗議・要請行動を行い、昼過ぎに厚生労働省前で合流した。
 「真の一律救済を! 国は薬害C型肝炎患者を救済しろ!」を求めて、カルテがないC型肝炎訴訟原告団・C型肝炎患者をサポートする会が訴え。薬害C型肝炎で苦しみ続けてきたにもかかわらず、カルテがないために国からの救済対象に認定されないC型肝炎患者は苦しみ続けてきた。二〇〇八年にC型肝炎患者を救済するための特別措置法が施行されたが、特定血液製剤を使用したことを証明するカルテや医師の証言が必要とされたため、全国で一万人とされるC型肝炎患者のうち、特別措置法で救済された患者は一七〇〇名程度に留まっている。このような事態を打ち破るために二〇一〇年に原告団を結成し、東京地裁へ提訴し、つづいて全国で裁判が起されている(省前集会後、原告団とサポートする会は厚生労働省との交渉で、@薬剤の月別納入リストの公表A薬剤の問屋納入リストの公表B納入リストで不明と記されている理由C障がい者認定の県別調査結果の四点について申し入れた)。
 再び二つのコースでの行動が行われ、総行動の最後は、トヨタ本社前の集会。全造船関東地協・フィリピントヨタ労組(TMPCWA)とフィリピントヨタ労組を支援する会が、解雇と団交拒否に対して抗議・申し入れを行った。


労働争議への不当な規制を許すな !

     全港湾など三労組が呼びかけ院内集会


 この数年目立ってきたことにナショナルセンターをとわず多くの労働組合の正当な組合活動や争議行為に対して、警察、検察の不当な介入事件がふえていることがある。また経営側が損害賠償請求裁判や活動禁止仮処分裁判などの訴えを起すことが多発している。このような事態を許さず労働組合運動の総力をあげて反撃していかなければならないときだ。

 一二月一二日、参議院議員会館で、全日本港湾労働組合、全国一般全国協議会、全日本建設運輸連帯労働組合の呼びかけで「労働争議への不当な規制を許さない院内集会」が開かれた。
 全港湾労組の松本耕三書記長が主催者を代表して基調報告を行った。労働組合運動に対する攻撃が強まっている。まったく話し合いも交渉もなしに仮処分をかけてくる。ストライキにはすぐ損害賠償請求だ。そして検事弾圧だ。これまでと違うのは攻撃は闘う労組だけでなく労働運動全体にかけられてきているということだ。こうしたことには裁判所の労働組合運動への対応の変化がある。ほうっておけない状況だ。労働運動では実践で勝負をつけていくことが基本だが、司法の場でも声をあげ、権利を奪還していかなければならない。
 つづいて各組合からの報告が行われた。全国一般全国協神奈川からは、学校事務職員労組がくろう神奈川の不当逮捕、港南台幼稚園による組合宣伝活動等に対する制限訴訟仮処分について報告。全日建連帯労組関西生コン支部からは、関西宇部の威力業務妨害を口実とする権力弾圧事件、尾崎商店・大寿・三友生コンの不当解雇・雇用関係不存在攻撃事件について、全日建連帯労組関東支部からは、神建運輸損害賠償請求事件、阪和興業街宣活動禁止・明け渡し仮処分事件、玉南建材面談強要禁止等仮処分事件、全港湾労働組合からは、沖縄地方沖縄セメント工業分会損賠事件、ユニオン大阪山陰放送不当逮捕事件について、それぞれ報告があった。
 そのうちの、がくろう神奈川への弾圧事件は以下のように報告された。二〇〇九年三月に行われた組合員勤務の横浜市立中学校校長との校長交渉(労使交渉)で「脅迫、暴行を含めた強要未遂があった」という口実で、一〇月二五日にがくろう神奈川の組合員四名を「強要未遂」で逮捕した。だがこの校長交渉は事前に申し入れされ、日時、場所、議題、出席者などをあらかじめ決められた上で、校長も受諾した地方公務員法五五条に基づく交渉であった。明らかに正当な組合活動に対する不当な刑事弾圧であり、当たり前で原則的な職場闘争を進めるがくろう神奈川への弾圧であった。地域共闘を積極的に担ってきたがくろう神奈川と地域の労働運動・市民運動との分断を図るものであり、地域の労働運動・市民運動の解体や萎縮を狙った弾圧としてあった。一一月二日に全員の釈放、同二八日に全員不起訴(起訴猶予)を勝ち取った。とはいえ、このような不当弾圧を仕掛けてきた神奈川県警やこれを容認してきた司法権力に対する責任追及が残されている。不当弾圧に対し全国、とりわけ県下の多くの団体・個人が結集し、連携を深め大きな力を発揮したが、これからも取り組みを更に拡大し、恒常的な組織とすべく財政的組織的整備を進め、地域の仲間との連帯・共闘を進めていかなくてはならない。
 連帯の挨拶で労働弁護団団長の宮里邦雄弁護士が司法の現状について述べた。労働組合法などは正当な労働組合の争議活動を保証しているが、いまの裁判所の判断は「多くの労働組合がやっていない=正当ではない」としている。これまでの裁判法理では、目的の正当性が実際行動の正当性を担保してきた。しかし関西生コンなどの事件で裁判所は「目的を問うまでもなく」などと言っている。また親会社、取引先は直接の当事者ではないと判断している。そして労組の行動が経営者の「私生活の平穏」を侵害するので制限を加えるとしている。こうした動きには十分な警戒をして対処し、宣伝とか大衆運動のやり方について無用な弾圧を招かないようにするとともに、共同行動でキッチリ反撃していかなければならない。
 集会のまとめで、連帯労組の小谷野毅書記長は、今日の集会を皮切りに、@弾圧問題のみならず広く情報交換を行い共通認識をかちとり、A数は力を念頭にネットワークを広げ、B各党に働きかけて国会で問題を取り上げてもらうことを実現したい、の三点を集約した。


共同声明 

    違法な辺野古アセス評価書の提出に強く抗議する


               二〇一一年一二月二七日

 政府・防衛省は、辺野古アセス(普天間飛行場代替施設建設に係わる環境影響評価)の評価書を、沖縄県に提出する方針を固めたが、二〇一一年一一月一七日にWWFジャパンを含む一一団体での共同声明に記したとおり、辺野古アセスは、以下の点で、適切な環境アセスメント手続きに値しない違法なものである。
方法書を公開する前に、自衛艦を導入して事前調査(環境現況調査)を強行したことは、環境アセスの手続きを定めた環境影響評価法および沖縄県環境影響評価条例に違反している。
 事前調査で、水中ビデオカメラ、パッシブ・ソナー(音響探知機)、サンゴ幼生着床板などを一一二カ所に設置し運用したことにより、自然環境と野生生物に悪影響を与えてから環境アセスの現地調査を行ったため、環境アセス自体が非科学的なものになっている。
 方法書における事業内容の記述が不十分なだけでなく、その後で、弾薬装弾場、洗機場、ヘリパッドなど環境影響が大きいと考えられる新たな事業内容を後出し追加しているため、法に従って方法書段階に戻るべきである。また、これらの追加に関しては、住民意見を述べる機会が奪われている。
 準備書の結論は「事業実施区域周辺におよぼす影響は総じて少ない」となっているが、これは先に結論があり、それに向けて調査結果を羅列し、影響は少ないと強引にこじつけただけで、まったく非科学的で正当性のないものである。
 辺野古アセスでは、環境影響の大きい垂直離着陸機MV22オスプレイの配備を隠蔽してきた。米国では、オスプレイ配備については、それだけで環境アセスが義務づけられている。たびたび墜落事故を起こしているこの機種の配備が、環境アセスに含められていないのは問題であり、環境アセスとしては大きな欠陥である。
 以上のことから、今回提出する政府・防衛省の辺野古アセス評価書は、環境影響をできるだけ正当に予測・評価し、充分な環境保全の措置を検討するものとして不適当である。よって同評価書に基づく手続きを即時停止するよう要請する。

      JUCON(沖縄のための日米市民ネットワーク)
      沖縄・生物多様性市民ネットワーク
      日本環境法律家連盟(JELF)
      ジュゴン弁護団
      辺野古への基地建設をゆるさない実行委員会
      沖縄意見広告運動
      許すな!憲法改悪・市民連絡会
      WWFジャパン


労働者社会主義同盟第5回全国大会について  

 二〇一一年一一月、労働者社会主義同盟第五回全国大会が開催された。同盟はわが国の労働者階級と人民の解放闘争の歴史を受けつぎ、その一翼を担おうとする自覚的な共産主義者によって一九九八年に結成された。私たちの目的は、歴史的な困難に直面していたわが国の社会主義運動の再生とその強化、発展であり、そのための推進力の一翼としての任務を自らに課す革命政党の建設であった。以来、私たちは民衆のたたかいのなかにあって奮闘してきた。二〇一一年三月一一日、東日本大震災、津波、原発事故はかつてない甚大な被害をもたらした。この災害はわが国の政治経済社会構造とそのもとでの悪政による「人災」の結果であった。いま、この社会は未曾有の災害をまえに重大な危機に陥り、政治をはじめ全般的な価値観の転換が迫られている。
 前回の同盟全国大会は、小泉政権を受け継いだ安倍政権下での政治反動という情勢下で開かれた。安倍政権は、新自由主義と対米追随政策を継続したが、長期にわたる保守政治の負の遺産は爆発寸前の状況にあった。私たちは、反動の流れに抗し、社会主義の路線を堅持し、広範な人びととの結びつきを深めながら、反戦、反改憲、労働組合運動強化をはじめ各地、各戦線で力をふりしぼって闘い、少なくない成果を勝ち取ることが出来た。いま、私たちは、世界的な大激動と各種の矛盾の激化という情勢の真っ只中にいる。今回の同盟全国大会の課題と目的は、前回大会以来の活動の総括、大きく変貌した内外情勢の分析と当面する闘争任務・同盟建設の課題の確認、そして新しい時期の中央指導部の選出であった。
 開会のあいさつで、城戸翔子副委員長は、「前回大会から内外の情勢はめまぐるしく変動し、同志たちは各地で奮闘した。大会で闘う方針を決定し、指導体制を確立しよう」とのべた。大会役員が選出され、議長団のあいさつに続いて資格審査が行われ、大会の成立が宣言された。
 橋本勝史委員長は、前回大会以降の中央委員会・中央常任委員会の活動報告を行い、大会決議案を提案し、また綱領問題委員会の活動について報告した。橋本同志は、「国内・国際的に右派勢力の攻勢が強まっている中で、私たちは団結を固めて闘い抜いてきた。リーマンショックを契機に世界資本主義の危機はかつてなくあらわとなり、日本でも年越し派遣村などが貧困化の可視化させた。多くの人びとの怒りが集まって、自民党政治の終焉と政権交代が実現した。だが、民主党政権下で、社会的格差の拡大と貧困はいっそう進行している。そして3・ がおこり、人びとはきわめて厳しい状況に直面している。いま、アメリカと財界の圧力に流された菅、野田らによって政権交代時に公約された『国民の生活が第一』『東アジア共同体』などの政策はまったく捨て去られた。中東や中南米での民衆の民主化の運動、米国のウォール街占拠、欧州での財政破綻の労働者へのしわ寄せに抗する運動など世界各地での闘争が続いている。われわれの任務はいっそう重大なものとなっている。大きな展望のもてる論議を展開し、闘う方針を確立しよう」と述べた。
 斉藤吾郎書記長からは、特別決議案「全ての原発の廃炉を実現し、脱原発社会を作り上げよう!―憲法審査会に拠る改憲策動をうち破り、憲法三原則を生かし、実現しよう!」が提案され、同時に流動する政治情勢と各種政治勢力などについての分析が報告された。
 大会の論議では、各地から結集した同志たちによって情勢の見方、闘いの経験やそれらから引き出した教訓などについての意見が続いた。
 私たちの当面する任務についての論議では、大会決議案で提起された@反原発・脱原発の取り組み、A反戦反核平和の闘い、B改憲阻止の闘い、C労働運動の強化と生活と権利を守り発展させる闘い、D女性、わかもの、高齢者、子ども、障碍者などへの差別をなくし、人権・生存権を保障させるたたかい、E広範な闘う人々との連帯などの諸課題について、それぞれの地域の特徴と結び付けて具体化し断固としてやり抜き、またそれらの力を全国的に結集して、闘いの新しい段階を切り拓くことが確認された。
 各代議員からの決議案に対する修正意見を含めて大会決議案と特別決議案の採決がなされ、出席代議員全員の賛成で採択された。決算報告・監査報告が行われ、予算案が提案され、質疑が行われた後、出席代議員全員の賛成で承認された。つづいて第五期の中央指導部が選出され、新役員たちによる決意表明が行われた。
 労働者社会主義同盟第五回大会は、その全ての任務を完了した。私たちは、この大会で、同盟組織の団結をうち固め、より多くの労働者・人民と深く結びつき、その先頭に立って闘い、同時に、社会主義革命の展望を切り拓く主体的力量を建設するために奮闘する決意を新にした。


反天皇制運動連絡会の「原発ファシズム・天皇制」集会

           
 敗戦と同様にウソのシステムを暴露した原発事故

 一二月二三日、千駄ヶ谷区民会館で集会「原発ファシズム・天皇制」(反天皇制運動連絡会)が開かれた。
 天野恵一さん(反天連)、田浪亜央江さん(パレスチナ・対話のための広場)、山口素明さん(フリーター全般労組共同代表)が発言した。

 天野恵一さんは、天皇と原発の関わりについて話した。
 3・11は敗戦と同じところがいくつもある。敗戦は国家がついていた戦争のウソのベールを剥がした。今回の事態でも巨大なウソのシステムがあきらかになった。いまはその敗戦過程がつづいている大切な時間だ。しかし敗戦後の体験と時間とは一方で回復させていく過程でもある。敗戦後の天皇の地方巡幸は国家の責任を拭い去るものであった。今回の被災地巡幸も同じで、国家・企業の責任を忘れさせるものとしてあった。
 今回の集会のタイトルを「原発ファシズム」としたが、山本義隆が言ったように、原発推進は、かつての戦争遂行システムであった大政翼賛会と同様に政・官・財とマスコミの総結集したものよっておこなわれた。ルーツは戦時統制経済と電力国家管理にあり、大電力会社が旧財閥系大企業と原子力開発を進める「国策民営」にあった。そしてこれが他の企業では考えられない潤沢な宣伝費用を投入することによって大マスコミを抱き込み、安全宣伝を繰り返し、こうして地元やマスコミや学会から批判者を排除して翼賛体制を創っていったのだった。政官財一体となった怪物的権力が押しすめた原子力開発が福島の惨状をもたらしたのだ。
 また藤田裕幸は、正力松太郎が一九五六年に原子力産業会議が作られた当時のことを書いている。その設立総会には、会長に当時の東電社長、副会長・常任理事には経団連の副会長など財界の大物が占め、「構成は、電力、ガス、石油、鉄鋼、金属、造船、重機、鉱業、海陸運輸、紡績、化学、紙パルプ、精糖、水産、建設、貿易、保険、金融、新聞放送などの分野を網羅し、その数六百社に達し」、こうして「占領軍によって解体された戦前の財閥が、原子力によって完全に甦ったことの意味は大きい」としている。


復興連帯春闘を実現しよう

          
全労協春闘討論集会

 一二月一七日、全労協(全国労働組合連絡協議会)の「12復興連帯春闘勝利」をかかげた春闘討論集会が開催された。

 はじめに金澤壽議長が主催者を代表してあいさつ。
 12春闘の主要な課題は三つある。第一は、労働戦線からの脱原発運動の構築だ。3・11は甚大な被害をもたらしたが原発事故は復興を妨げるものとなっている。原発労働者のみならず多くの労働者に被曝労働が拡大している。脱原発は労働組合の社会的責任だ。第二に、悲惨な非正規労働を蔓延させている労働者派遣法の抜本改正だ。臨時国会末のドサクサに骨抜き改正案がでてきた。通常国会での闘いが重要である。第三には国鉄の分割民営化攻撃と同様の日本航空(JAL)不当解雇撤回の闘いだ。ここでは整理解雇の法理が無視されようとしていて、問題は多くの労働者に及ぶものとなっている。いま資本主義の危機が露呈する歴史の転換点に立っている。脱原発、政治反動と闘う春闘を実現しよう。

 亀谷保夫・東北全労協事務局長は「東日本大震災の復興にどう向き合うのか…私たちの任務」と題して、現地の状況と支援の活動、今後の闘いについての生々しい報告を行った。
 三月一一日、突然の大地震によって、組合事務所は電気・ガスなどが止まった。電話もぜんぜん通じずまったくの情報遮断の状況となった。津波がおおきな人命を奪ったことなどもぜんぜん知らなかったが、仲間やその家族、知人の安否の確認、救援に走り回った。数日後にやっとテレビを見て津波や原発事故の凄まじい実態を知ることになった。いまも行方不明者がおり、遺骨の収集も出来ていない。原発事故も被害の様子があきらかになるにつれて広範囲にわたるその深刻さが知れ渡った。しかし、政府は原発推進政策を改めようとせず、原発輸出など言い続けている。このような政策をやめさせ、また被災地域では財界の進めようとしている新自由主義的な復興ではない下からの復興・地域の生活の再建がもとめられている。

 全労協常任幹事で「不当解雇と闘う日本航空労働者を支える会」の柚木康子事務局長は当該JAL不当解雇闘争原告とともに、「支える会」への参加を呼びかけた。

 つづいて、中岡基明事務局長が12春闘方針案を提起した。
 全労協は闘いの方向を確認し、賃金闘争では、全力で粘り強よく闘っていく。月一七、四〇〇円、時一〇〇円時以上の賃金引き上げを求め、全ての労働者に月一七〇、〇〇〇円、時一、二〇〇円の最低賃金保障を求めていく。労働時間については、過密労働を許さず、健康で働ける職場を作り出すことに全力をあげ、とくに長時間労働を規制する闘いを強めていく。職場闘争と省庁交渉を連携させて闘っていく。残業割増率の中小企業への適用(改正労基法)では、残業割り増し率を五〇%、深夜体日割り増し一〇〇%とする。時間外規制では日二時間、月二〇時間、年一五〇時間を労基法の三六協定締結基準とする。
 また公契約運動を地域共闘の柱に全国で連携を強め闘い、公務公共職場からワーキングプアを撲滅するために全力あげて闘っていく。自治体交渉を強め、入札要件に労働条件の明示と生活できる賃金の保障、臨時公務員の待遇改善(差別取り扱いの禁止等)を実現する。
 闘いの進め方としては、一月の全労協旗開きを皮切りに、全労協独自の闘いを強めると共に、多くの単産・団体と共同して二月に「12けんり春闘全国実行委員会」を組織し、春闘を「闘いの広場」として闘う。すべての職場で積極的にスト権を確立し、ストライキを配置し、ねばり強く経営側に譲歩を迫って闘うこととする。
 中央段階では、経団連にたいし総人件費抑制策の撤回を求めて闘う。政府にたいしては、震災復興への諸政策の要求、緊急雇用対策の策定、雇用創出のための諸政策、セーフティーネットの拡充、労働者のための労働法制確立を求める(自公民の修正に反対し、現派遣法改正案の早期成立。非正規労働者を保護できる有期労働契約法の制定。差別是正につながるパート法改正)。この闘いを職場・地方の闘いと結んで垂層的に作り出す。

 春闘方針提起をうけて、都労連、国労、全国一般全国協、全統一労組、郵政労働者ユニオン、電通労組、石油連絡会、大阪全労協、神奈川県共闘などから決意表明がなされ、最後の団結ガンバロウで春闘行動方針を確認した。

全労協 春闘方針

     「闘いの大きな目標」


 12春闘は東日本大震災からの復興を労働者・市民共通の課題として担わなければならない。私たちも12春闘の闘いの中で被災地の人々とどのように手を携え、連帯できるのか問われている。新崎盛輝(沖縄大学名誉教授)さんは原発事故が可視化させた都市生活の快適さ・利益のために地方に危険を集中させる差別を沖縄差別の視点から捉え、復興に向けた立場を「頑張ろう日本」ではなく「変わろう日本」「変えよう日本」でなければならないと訴えている。……12春闘は東日本大震災と原発事故被害からの復興という全労働者・国民の課題を、弱肉強食社会の復活ではなく、安全・安心・安定した、人間らしく働ける社会に変える文字通り「日本を変える」、「変わろう日本」という闘いとして闘われる必要がある。
 競争社会から共助社会へ、誰でもどこでも、男女、国籍、雇用形態を問わず、均等待遇によって安心・安全・安定を得て人間らしい生活を享受できる社会に日本を変えていこう。その一里塚を獲得することに全力をあげよう。私たちは12春闘を「復興連帯」春闘と名付けて闘いに挑むこととする。
 全労協は以下の大きな目標を掲げ、闘いを全力で組織する。
 ◎震災復興連帯春闘へ、脱原発闘争へ
 被災地の仕事興し要求と農漁業への支援策要求
 来春には全ての原発が定期修理で止まる。再稼働を許さず、これを機に全ての原発を廃炉にすることを求め、再生可能な自然エネルギーヘの転換を求めていく。
 ◎最低賃金の引き上げと公契約の実現、中小零細企業への支援
 震災口実の首切り・リストラ反対、引き続くボランティア、義援金活動
 ●生活できる賃金引き上げ! 最低賃金の引き上げ!
 ●すべての労働者に仕事を! (雇用の確保と仕事作り要求)
 ●貧困・格差社会に反対し、非正規労働者の権利確立・均等待遇の実現
 ●地域共闘で公契約条例の制定を!
 ●ディーセントワークの実現
 長時間労働禁止、未払い残業の撲滅
 ◎官民共闘の強化
 人事院制度の破壊と自律的労使関係制度との対決
 ◎セーフティーネットの一層の充実を目指す
 職業訓練と求職者支援制度の充実
 ◎労働者保護の労働法制確立
 ●労働者派遣法の抜本改正の早期実現
 ●有期労働契約法の制定
 ●実効性のあるパート労働法へ
 ◎TPP参加反対! 沖縄普天間基地撤去の闘い!
 護憲の闘い!
● 消費税率引き上げ反対!


映 評

    
 「TESE」

      監督 姜 成明     2011年 85分     「TESE」製作委員会

 あなたはサッカー・Jリーグの川崎フロンターレに在籍していた鄭大世(チョン・テセ 以下テセと表記する)という選手を知っているだろうか。在籍していたという過去形で表現したのは〇九年七月にドイツのブンデス・リーグ二部ボーフレムというチームに移籍したからだ。
 
  「TESE」はテセの生きざまを描いたドキュメンタリー映画である。

 テセは八四年名古屋市にうまれた在日韓国人三世で、現在二七歳。父親は韓国籍だが母親は朝鮮籍、そのため本人は韓国籍となっている。父親はテセを日本人として育てたいと希望していたが、母親の強い意志で朝鮮学校を経て朝鮮大学校に入学し、学内蹴球部で頭角をあらわすようになった。サッカーには幼い頃から慣れ親しんでいたようだ。その闘志に溢れた活躍ぶりが注目され、〇六年川崎フロンターレに入団することになる。映画はJリーグから離れ北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)代表として、一一年ベトナム・ホーチミン市で催されたチャリティー試合出場から始まり、一〇年南アフリカ共和国で行われたワールドカップ第一次リーグでのブラジル戦、ポルトガル戦の背景をえがきだす。
 北朝鮮代表チームには日本から安英学(アン・ヨンハ)も参加しているのだが、他の代表選手はもちろん北朝鮮の出身者でありテセ自身自らの出自からなかなかチームにとけこめないでいる。いらだちをホテルの部屋での私的な会話で吐露する。人間ブルドーザーと呼称されサイドではなく正面からぶつかって突進してゴールに迫っていくスタイルは彼自身の人となりをよくあらわしている。
 映画はテセの内面世界にはわけいり彼の心情をあらわした力作といえるのだが、いかんせん八五分というそう長くない上映時間の中でさまざまなテーマを盛り込みすぎて全体として散漫になってしまった印象は否めない。 各地で活躍していることを表現するための演出なのだろうが、冒頭のホーチミン市での短い映像は不必要だろう。

 テセの子どものころのサッカーをして遊んでいる八_フィルム、ビデオテープの挿入はしょせんプロが撮った映像ではないので演出効果を高めているとはいいがたい。
 テセ自身北朝鮮代表になろうとしたのはそのサッカーの技術的な面はさることながら、その意思の面については画面上で語られてはいるが少し取り組みかたが浅いような気がする。テセは次のように語っている。なぜ北朝鮮代表になることを選択したのかと聞かれて「もちろん北朝鮮が世界からどのように見られているか知っています。しかし母国は母のようなもので親が悪いことをしても親を見捨てるわけにはいかないでしょう」と答える。なぜ、このような考えに到ったのか。映画が明確に答えてくれるわけではない。ここにこの映画の欠点がある。テセの祖母(ハルモニ)は在日一世で戦後広島県の大竹市に住んでいたころ、朝鮮学校の設立のために毎日建設現場に出向き尽力したそうだ。そうして民族教育の拠点を作った。このようなテーマが映画の中にほしかった。私は祖母の思いがテセに確実に受けつがれていると考えるからだ。テセの原点はそのあたりにある。もちろん祖母たち同胞が参加する愛知での朝鮮総連傘下の人たちの焼肉パーティーが映像として映し出され、組織がどれだけ同胞の人たちに役立ったかというような歌も披露される。そういう映像よりも祖母の生きざまについてのインタビューのほうが重くはないか。またテセがサッカー・チームの国籍を選択する際、FIFA(国際サッカー連盟)と法律面など資格問題をクリアするために何回もやりとりをしたそうだ。そのことを映像にすることはむつかしいと思うが、何らかの形で映像としてほしかった。

 スポーツの力を過大評価してはいけないが、逆に、小さく見すぎても問題だと思う。かつて日中の間にピンポン外交なるものが存在していたし、〇二年のワールドカップ日韓大会(日韓共催)は政治的な側面は別にして、両国間のスポーツあるいは文化交流の幅をひろげてくれた(この点について異論があるのは百も承知だ)。テセは〇九年七月、ドイツのチームに移籍したが、その前に川崎フロンターレのサポーターたちとの別離があった。それぞれが新しい舞台への飛躍を祝福しているようであった。かれらは在日韓国人・朝鮮人としてのテセを愛しているのではなく、Jリーガーとしてのテセの力量を評価していたのだった。

 鄭大世はこれからどこへ歩もうとしているのか。鄭大世は闘争心あふれるいい朝鮮人の顔をしている。なお、Jリーグにはもうひとり在日韓国・朝鮮人選手の李忠成がいる。彼は日本国籍を取得しているので、イ・チュンソンではなく、り・ただなりとマスコミにおいて呼称されていて、国際試合には日本代表として出場している。 (東幸成)


 せ ん り ゅ う

     元旦の机上に開く憲法書

     胎動す民衆の力日の出かな

     御キゲンを取り買わされたF

     評価書を御歳暮ですと宅急便

     戦意あり平和のためと武器輸出

     九条が世界標準さ初夢


                   ヽ 史


複眼単眼

   
 澤地久枝さんが提案した「1000万人」署名

 一二月一〇日、東京の日比谷公園野外音楽堂で、「がんばろう!さようなら原発一〇〇〇万人署名 十二・一〇集会」が開催され、首都圏を中心に、個人参加者や、市民団体・労働組合の関係者など、約五五〇〇人が集まった。そこでの、よびかけ人の大江健三郎さんの発言が重要だと思われるので以下、要旨を紹介する。
       (T)

 九月一九日の明治公園で行われました、「さようなら原発 五万人集会」は実際には六万人を超えたのです。この大きな人波を見ておりまして、これは私がいままでの人生で見た、二番目に大きな集会だと思いました。
 今までに見た最大の集会は、二〇〇七年九月の沖縄の集会でした。それは宜野湾市の海浜公園で行われた、「教科書検定意見撤回を求める九・二九県民大会」でした。十一万人の人々が集まりました。沖縄の人口と日本全体の人口を比較しますと、十一万人の集会は一〇〇〇万人の集会と同じなのです。東京でやるならば一〇〇〇万人の集会なのです。教科書検定意見撤回を求める集会が、どうしてそれほど多くの人々を集めたのでしょうか。人々は関心を持っていたのでしょうか。
 教科書検定は、沖縄の人々にとっては、非常に根本的に大きな問題でした。私も集会の二年前から、教科書検定を進めようとする人たちから告訴されて、裁判になっていました。沖縄は、日本国内で唯一の地上戦が行われた場所です。その戦争について、特に日本の軍隊が戦争の末期に沖縄で行ったことに対する事実が、教科書から省略されてしまった、ほとんどなくなったことに抵抗する、人々の集まりでした。
 日本国の人口と対比すると、一〇〇〇万人を超える人々が集まった集会だと申しましたが、参加した人々の数よりも多くの人々の願いと怒りを持った集会でした。
 それ以前にも大きな集会がありました。それは一九九五年の米兵による少女への暴行事件に抗議した県民の集会でした。それは八万五〇〇〇人の人が集まりました。先ほどの比較でいえば、八五〇万人の集会が東京で開かれたようなものです。
 この集会での県民の意思表示は、非常に大きなものでした。そこで行われた若い人たちや、戦争を経験した人たちの講演、あいさつは、大変素晴らしいものでした。そのことが、沖縄にいる米軍幹部たちの関心を強く惹いたのです。それまでは、沖縄の人々がどのような危機感、切羽詰まった怒りを持っているのかは、鉄条網の向こう側には伝わっていなかったと思うのです。日本人や日本政府がそこに行って、英語で正確な事情を話すこともなかったのでしょう。
 沖縄の人々の思いを知った人々が、アメリカ側で非常に良い委員会を作ってくれました。それはおそらく戦後に日本でできた、アメリカ側の委員会としては、もっとも妥当で公正で優秀な人々が集まった委員会でした。そこで普天間基地を移動させなければならないことが決定されたのです。それが一九九五年であることを、もう一度、思い出していただきたいと思います。
 しかしそれから二〇年近くが過ぎようとしていますが、いまも普天間基地は動かないままです。そういう状態があって、沖縄のいまの課題があるのです。普天間基地は動かさなければならない、しかし辺野古では基地を受け入れられないということがはっきりしています。それに対して日本政府は、なんとかなるということを言っています。それを信じていないのは、沖縄の基地にいるアメリカ軍の将校たちです。またアメリカ本土の政治家たちにも知られています。
 いま行われています一〇〇〇万人署名の運動について、一〇〇〇万人という数を考えたのは澤地久枝さんです。彼女は「一〇〇〇万人が原発はいやだと署名したら、政治家たちは無視することができないでしょう。一〇〇万ではだめだ」と言っています。一〇〇万人ではだめでも、一〇〇〇万人なら何とかなると彼女が思った理由には、彼女の心の中に沖縄での十一万人の集会があると思うのです。それが日本で行われるならば一〇〇〇万人でなければならない。だからまず署名をしようということだと思います。(T)