人民新報 ・ 第1289号<統合382号(2012年5月15日)
  
                  目次

● ついに稼動原発はゼロに  再稼動阻止、脱原発社会の実現へ

● 5・3憲法集会   輝け九条 生かそう憲法 平和とくらしに被災地に

● 春の共同行動・けんり春闘による中小春闘勝利! 銀座デモ

● 沖縄と「本土」は連帯して闘おう!

● 植民地支配と日米安保を問う反「昭和の日」の行動

● 欧州債務危機とマルクス恐慌論の再起動 B

● 映 評  /  僕達急行 A列車で行こう

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  自民党の第二次改憲草案





ついに稼動原発はゼロに

      再稼動阻止、脱原発社会の実現へ


 五月五日、ついに日本のすべての原発が停止した。全国の原発で唯一稼働していた北海道電力の泊原発3号機が定期検査で運転を停止して国内に現在五〇基あるすべての原発が止まり、日本は一九七〇年以来じつに四二年ぶりに原子力による発電量がゼロの状態に入るという歴史的な意義を持つ事態が現出した。これはこれまでの闘いとそれに呼応する世論の大きな勝利である。枝野幸男経済産業相は先月、泊原発3号機が運転を止めると、「(稼働する原発は)一瞬ゼロになる」と述べたが、政府、経済界、電力会社、そしてもろもろの原子力ムラ構成員は、関西電力大飯原発3・4号炉をはじめ原発の早期再稼動に全力を上げてくるだろう。闘いは、すべての原発の停止を求める局面から、再稼動阻止、脱原発社会の実現というあたらしい段階に入った。原発推進勢力を追い詰め打撃を与えるため、全国各地で脱原発の運動をさらに強化しよう。

 五月五日の「こどもの日」、泊原発の現地である北海道をはじめ全国各地で、脱原発の集会やデモ、宣伝などが展開された。

 東京では、芝公園23号地で「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」が開かれ、手に「さようなら原発鯉のぼり」などを持って五五〇〇人が参加した。なお午前中には、有楽町や錦糸町など主要な駅頭で一〇〇〇万人署名が取り組まれた。
 集会では、はじめに主催者あいさつとして、呼びかけ人の鎌田慧さん(ルポライター)。今日、いよいよ原発がすべて止まるという歴史的な瞬間を迎えた。わたしたちは子どもたちにこの地球と日本列島を残す責任があったけれど、その責任を果たして来なかったということが、やはり大きな反省としてある。止めた原発は、もう絶対に再稼働させない。このままずっと持続可能な世界にするというのが私たちの今日の集会だ。「さよなら原発ゴーゴー集会」と名付けたのは、さよなら原発に向かってGO、GOと進んでいくという思いからだ。
 呼びかけ人の澤地久枝さん(作家)。今日は、原発ゼロの記念すべきこどもの日だ。しかし、これからマイナスというふうにあの日を境にして日本は核兵器からも、そして原発からもずっと遠ざかっていくことができて世界の中のいくつかの先進的な国の一つになったということを子どもたちに誇りを持って伝えたいと思う。一〇〇〇万人の人たちが反原発、脱原発の署名をし、一〇〇〇万人の人たちが「もうわれわれは原発は嫌だ」という声をはっきりあげたなら、政治は変わらざるをえない。
 呼びかけ人の内橋克人さん(経済評論家)。今日は本当に五月晴れとなった。わたしは、鯉のぼりの中で話をするのが好きだ。幸せいっぱいだ。泊原発3号機は夜の一一時に、原子炉内の核分裂反応が完全に止まる。これで、原発に依存するエネルギーはゼロになる。おめでとう。こういう状態を指して、「日本人の集団自殺だ」と言った人がいるけれども、絶対にそうはならない。なんの破綻も起きていない。ただ注意をしなければならないのは原発停止、稼働停止というのは、新たな原発立国への準備だということで、これを肝に銘じておく必要がある。いま再稼働をするための準備がすすめられている。炉心とかタービンとか、あるいは非常用の発電機など主な施設を点検をしている。「核燃料の四分の一を取り換える」と言っているが、これは再び稼働させて、3・11の前の姿に戻す、原発立国を再び立ち上がらせるための入念な準備を進めているという、こういう現実がある。今日のゼロをさらに永久にゼロにする。しかし社会を転換させなければ、本当の意味で原発ゼロという日はやって来ない。その事を胸に深くたたき込む、今日の集会は、さよなら原発の再スタートとならなければならない。
 つづいて古今亭菊千代さん(落語家・賛同人)、長田秀樹さん(北海道平和運動フォーラム事務局長)、崔冽(チェヨル)さん(韓国・環境財団代表)、椎名千恵子さん(子どもたちを放射能から守る福島ネット)、神田香織さん(講談師・賛同人)、山口幸夫さん(原子力資料情報室共同代表)などの人びとの発言があり、最後に、呼びかけ人の落合恵子さん(作家)が、原発ゼロで迎えた子どもの日を心から歓迎し、ずっと続くことを自分たちで約束しあい、子どもたちと私たちの未来をスタートさせよう、と集会を締めくくった。集会を終えて、パレードの長い列が続いた。


 5・3憲法集会

         
輝け九条 生かそう憲法 平和とくらしに被災地に

 日本国憲法施行六五年にあたる今年の五月三日、朝からの激しい雨の中、日比谷公会堂で、一二回目の5・3集会実行委員会(事務局構成団体 憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法 世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会)による憲法集会が「輝け九条 生かそう憲法 平和とくらしに被災地に」を掲げて開かれ、二六〇〇人が参加した。

 主催者を代表して女性の憲法年連絡会の西田美樹さんが、自民党は国防軍などを規定した憲法案を出したが、憲法というものは、国民に義務を押し付けるのではなく権力者を縛るものであることを強調して開会の挨拶を行った。
 松本徳子さん(つながろう!放射能から避難したママネット@東京)は、原発事故は人災であり、いまだに収束していない、賠償も未解決だ、福島第一4号炉の燃料棒冷却プールもいつ爆発するかわからない、同じことを繰り返させない、そのためにも大飯など現在停止中の原発の再稼動を絶対に許してはならない、子孫のために原発を全部無くすべきだと政府、東電などを強く批判した。
 元宜野湾市長の伊波洋一さんは、原発事故と沖縄の基地は同じものだと次のように述べた。沖縄の基地は住居や畑を壊して作られたものだ。銃剣とブルドーザーで六〇の村落が消えた。米軍の横暴な土地接収につづいて、米軍人・軍属による犯罪が続いた。沖縄も黙っていたわけではない。ベトナム反戦闘争そして無条件の本土への復帰などでは大きな闘いがあった。しかし沖縄は裏切られ続けている。本土「復帰」後、日本政府は基地をつくり続けている。日米政府間には、在日米軍については日本政府は介入しない、米軍人・軍属の犯罪について日本側は起訴しないという密約がある。沖縄をはじめ在日米軍基地はアメリカの戦争のための基地なのである。在日米軍には日本の法律、航空法などの適用がない。危険な飛行もまったく規制されないのである。しかしアメリカ本土では、米軍も法的な規制を守っている。安保優先の政策が沖縄を苦しめている。日米合意で普天間基地移転の二〇年先送りや危険なオスプレイ機の配備などを確認した。首相、防衛相、外相などは即刻辞任すべきだ。米軍と自衛隊は中国との戦争を準備している。だが現在は対米より対中国貿易が拡大しているのであり、まったく逆立ちした考えだ。こうしたアメリカの言いなりの軍事強化、日米安保の見直し、清算こそ必要なのである。
 脚本家の小山内美江子さんは、外国を訪れたときその地の人びとに憲法九条の素晴らしさを語りかけられたことなどを語った。
 中川美保さんのサックス演奏につづいて、社民党党首の福島瑞穂さんは、始動した憲法審査会や自民党などの改憲案について語った。安倍内閣のときに出来た改憲手続法による憲法審査会が動き出した。なんとしても改憲させないことだ。生存権、幸福追求権などがいまこそ生かされなければならない。必要なのは被災地に憲法をということだ。それは沖縄に新基地を作らせないことだ。自民党などは憲法に緊急事態が規定されていないことが復興を遅らせているなどと言っている。しかし憲法に緊急事態法がなくて困ったことなど何もない。そして、いまなすべきこと、憲法を生かすことは、原発がなくてもやっていけること、脱原発社会の実現にむけて動き出すことだ。
 日本共産党委員長の志位和夫さんは、憲法と相いれないものは原発、日米安保条約、大阪橋下「維新の会」などでありそれらを拒否しようと訴えた。明後日五日には、北海道泊原発が止まり、稼働する原発がゼロになるが、闘いが原発固執勢力を追い詰めた重要な成果だ。日米政府は、日米が海外で肩をならべてたたかうという集団的自衛権行使をやろうとしているがこれを絶対に許すわけにいかない。今年は、憲法施行六五年であるとともに、日米安保条約が発効して六〇年の年だ。憲法と安保とはいよいよ両立できなくなった。憲法と安保のどちらが日本の羅針盤にふさわしいか。日米安保条約という「憲法と相いれない現実」をなくし、基地のない沖縄と日本、憲法九条が輝く平和日本をつくろう。
 集会アピールが提案され、全参加者の拍手で確認された。
 集会後、パレードに出発。このころには雨もほとんど止んだ。例年の通り右翼が歩道からのイヤガラセでデモ隊に対して、聞くに堪えない下劣な罵詈雑言を浴びせていたが、参加者は、憲法を生かそう、改憲をぜったいに許さない、すべての原発の止めようなどのシュプレヒコールをあげて人びとにアピールした。

輝け九条 生かそう憲法平和とくらしに被災地に ― 2012年5・3憲法集会アピール

 東日本大震災から、はや一年余がすぎました。しかしながら、原発震災の被災地・福島では、多くの子どもたちを含む住民は高い放射能の中での生活を強いられ、放射能は東北や関東などにも拡散したままです。大震災の被災地では死者・行方不明者が二万人近くにまで達し、肉親や友人を失った多くの人びとの心の傷はいまなお癒えず、また避難生活を余儀なくされている被災者は三〇数万人、仕事も生活もままならず、苦しんでいる人びとは数えきれないほどです。憲法二五条が保障しているはずの生存権は、いまだに実現にほど遠い状況です。そして、あろうことか、早々と原発事故の「収束」が宣言され、まもなく五四基すべてが停止することになる原発をなんとしても再稼働させる企てがすすめられています。私たちはこうした状況に強い怒りを覚えます。
 憲法審査会の始動を機に、特にこの憲法記念日を前後して、改憲派は一部のマスメディアと一体となり、「非常事態条項」の導入や自民党第二次改憲草案作成などをはじめ、改憲を声高に論じています。
 私たちは、憲法九条をはじめとする日本国憲法の先駆的な価値と、その精神に誇りをもち、それを社会とくらしに生かすことをめざして、この一二年間、さまざまな政治的立場の違いを超え、毎年五月三日の憲法記念日に共同の集会を積み上げてきました。この運動は全国的に広がっています。
 私たちはいま、必要なことは改憲論議などではなく、すべての被災者と国民の生活のすみずみに憲法が保障する二五条など、平和的生存権と基本的人権の実現をはかることであると確信します。
 今年は旧日米安保条約発効六〇年目にあたります。復帰四〇周年を迎える沖縄では「日米同盟」とよばれる安保体制によって、普天間基地をはじめとする基地撤去の願いは、いまだに実現されておらず、沖縄の人びとは基地の重圧に苦しめられつづけています。憲法九条の下で、事実上の「国是」となってきた武器輸出三原則が緩和され、PK〇五原則や非核三原則も緩和されようとしています。南スーダンヘの自衛隊の派兵に続いて、ホルムズ海峡への派兵も探られています。北朝鮮の「ロケット」発射に乗じてPAC3やイージス艦の沖縄への配備も強行され、武力行使寸前の場面が演出されました。
 私たちは、軍事同盟や軍事的抑止力による平和はありえないと確信します。いたずらに東アジアの軍事的緊張を強めるのではなく、憲法九条を生かし、実現するための努力こそ必要です。
 本日の憲法集会に参加した私たちは、この信念をもって、今年も銀座パレードに出発します。

二〇一二年五月三日

 五・三憲法集会参加者一同


 春の共同行動・けんり春闘による中小春闘勝利! 銀座デモ

 四月一八日、春の共同行動・けんり春闘全国実行委員会による、中小春闘勝利!銀座デモが闘われた。
 交通会館で開かれた集会では、金澤壽全労協議長が、けんり春闘全国実行委員会を代表してあいさつ。正規・非正規の格差の拡大を許さず闘いぬこうと述べた。大阪ユニオンネットワークの柿沼陽輔代表はハシズムとの闘い、大飯原発再稼動阻止、生コン産業での闘いなどについて報告した。神奈川シティユニオンの藤原千織巣書記次長は当日の生活と権利一日行動の報告を行った。職場報告では、全国一般なんぶ、全統一労組、埼京ユニオン、移住労働者と連帯するネットワーク、JAL争議原告団などからアピールがあり、集会を終って、新橋駅、数寄屋橋を通って東京駅付近までのデモを貫徹した。


 沖縄と「本土」は連帯して闘おう!

 辺野古新基地建設反対、普天間基地の即時閉鎖・返還・県外・国外移設、オスプレイ配備反対、高江ヘリパット建設反対、与那国島への自衛隊配備反対

 今年は沖縄の「復帰」四〇年にあたる。この四〇年は、沖縄にとって基地の押し付け、基地被害の続出、差別の年月であった。いま、日米軍事同盟の強化、中朝への対決、軍備増強という日本政府の政策の下で、辺野古新基地建設、高江ヘリパット建設、南西諸島へ自衛隊配備が強行されようとしている。日米両政府によるこうした攻撃に反対する運動を沖縄・「本土」を貫いておおきく盛り上げていかなければならない。

 四月二〇日、全電通労働会館ホールで「ガッティンナラン!沖縄差別 4・20集会〜復帰四〇年・サンフランシスコ条約六〇年〜」(主催はフォーラム平和・人権・環境と沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が、辺野古新基地建設反対、普天間基地の即時閉鎖・返還・県外・国外移設、オスプレイ配備反対、高江ヘリパット建設反対、与那国島への自衛隊配備反対のスローガンをかかげて開かれた。「ガッティンナラン」とは、「許せない」という意味の沖縄の言葉だ。
 集会では、民主党の近藤昭一民主党衆議院議員、社民党の照屋寛徳、服部良一衆議院議員、山内徳信参議院議員があいさつした。
 元宜野湾市長の伊波洋一さんは、この四月、宜野湾市では米軍戦闘攻撃機十数機が普天間飛行場に離発着を繰り返し、そのため入学式が中断されるなど、米軍基地の被害状況を報告した。
 沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんは、PAC3が沖縄に配備され、これは北朝鮮に向けての軍事演習であったが、戦争準備ではなく外交的話し合いこそが必要だと述べた。
 つづいて新川秀清さん(第三次嘉手納基地爆音差止訴訟原告団団長)、島田善治さん(普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団原告団長)、安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会共同代表)がそれぞれ沖縄の痛みを語り、ともに闘おうと訴えた。


植民地支配と日米安保を問う反「昭和の日」の行動

 四月二九日、「植民地支配と日米安保を問う 反『昭和の日』集会とデモ」が行われた。日本キリスト教会館での集会では、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会、盗聴法に反対する市民連絡会、やぶれっ!住基ネット、立川自衛隊監視テント村、東京にオリンピックはいらないネット、沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック、山谷労働者福祉会館、女たちの戦争と平和資料館、反改憲運動通信、福島原発事故緊急会議などからの一人八分のスピーチが行われた。
 つづいて、最近のデモへの弾圧のとそれへの抗議・対処について報告があった。
 最後に「集会宣言」は次のように提起した。
 「本日、四月二九日は昭和天皇の誕生日であり、六回目の『昭和の日』である。同時に昨二八日は、一九五二年四月二八日のサンフランシスコ講和条約発効から六〇年目にもあたっていた。…さらに今年は、沖縄が『本土復帰』してから四〇年にあたる。秋には、記念事業の一環としての『海づくり大会』に向けて、天皇の沖縄訪問も予定されている。…琉球処分に始まるアジア侵略と植民地拡大の歴史が、沖綴織や「集団自決」・日本軍による住民虐殺、米軍による軍事占領と軍政支配などをもたらしたのだ。戦後日本は、米軍占領下の沖縄を「本土」から切り難し、アメリカに軍事基地として差し出した。それがサンフランシスコ講和と一体である安保体制の枠組みであり、そのために積極的に暗躍した一人が昭和天皇にほかならなかったのである。一九七二年の沖縄「本土復帰」とは、日米支配層の取り引きに基づく、日本への再統合にほかならなかった。沖縄は引き続き基地の島としておかれ続けている。このように沖縄をほしいままに扱う日本の態度は、まさに沖縄に対する『植民地宗主国』としてのふるまいである。現在にいたる米軍基地の集中などに代表される『沖縄問題』とは、そうした『国内植民地』ともいえる沖縄の状態の持続である。…私たちは、こうした戦前・戦後の歴史的現実を踏まえ、いまなお天皇制国家としてあリ続ける日本の戦争・戦後責任、植民地支配責任を繰り返し問い、現在に続くこの支配的構造の克服をめざしていこう」。

 集会を終って、右翼の暴力的な妨害と警察の規制を排してデモを行った。


欧州債務危機とマルクス恐慌論の再起動 B

                      
 関 考一

 W 二十一世紀型恐慌の特徴と労働者階級の課題

  @これまでの世界恐慌は資本主義に深刻な動揺を与えたため、一九三〇年代以降、各国は「有効需要の創出」=「ケインズ主義」を採用するようになった。
 それは民間の需要だけでは過剰生産を解消出来ないので、政府支出を財政赤字によって賄い、大規模な公共投資を通じて消費・投資需要の不足を補うことを柱とした。
 しかし長年にわたる公共投資と核兵器(原発を含む)の大量製造など肥大化した軍事費やアフガニスタン・イラク侵略戦争などの「軍事ケインズ主義」による財政赤字は膨大な国債の累積を生み出し、一九八〇年代からは新たに発行する国債の大きな部分が実体経済をなんら刺激することなく利払いにだけ当てられるという「金融空洞化」現象を招くに至った。
 恐慌回避・不況脱出の切り札たる「ケインズ主義」の無力化と肥大化する元利払いを迫られる国債累積の重圧は、今日の欧州債務危機や新自由主義構造改革と称される国家財政の緊縮策・消費税などの大増税の根源となっている。
 旧来の恐慌の特徴は過剰生産による大幅な販売価格の暴落を伴った。
 これに対し二十一世紀型恐慌においては、為替市場と国債市場の暴落による爆発的インフレーションが発生する一方、銀行の破綻から決済システムが麻痺し大規模な企業倒産と失業者の増大による大不況が同時に進行するというハイパースタグフレーション(stagflation)を引き起こす可能性が高い。スタグフレーションとはstagnation(停滞)、inflation(インフレーション)の合成語で、経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇が共存する状態を指し、オイルショック(一九七四年)時の不胎化した「恐慌」の際、この現象が表面化した。
 そのためインフレを抑えようとして金利を上げれば不況は深刻化し、不況から脱出しようとして低金利にすればインフレが進行するというジレンマに陥ることになる。このことからこの恐慌からの回復は、非常に困難で経済的収縮=落ち込みは、かってないないほど酷くかつ長期化すると想定される。恐慌の震源地となりうるEU・米・日本の資本主義支配階級がこの危機に対応する手段は、耐え難い緊縮策と更なる国債発行の比率の加減だけの「時間稼ぎ」にすぎない。あとはギリシャか?他の南欧諸国か?株式・為替・債権市場のいずれかかが「王様は裸だ」と叫ぶだけである。ひとたびパニックが起きたなら各国中央銀行の政策は、流動性の無制限の供給=紙幣の大増刷=ハイパーインフレの発動という極限的大衆窮乏策でしかない。ベン・バーナンキ米FRB(連邦制度準備委員会)議長は以前より「不況を克服するには、ペリコプターから現金をばら撒けば良い」と発言し、「ヘリコプター・ベン」と揶揄されている。「…さて日本。国債残高は欧州のどの国よりも多い。国債発行額(借金)が税収を上回る異常事態は、歴史をさかのぼれば第二次世界大戦の終戦の翌年一九四六年以来。その年に新円切り替え、預金封鎖という荒治療が行われている」(日経 二〇一二年二月二十号大機小機欄)という記事が指摘した歴史的事実は再現されうる。 

  Aしかし経済的な破綻である恐慌は資本主義の自動的崩壊を決して意味するものではない。
 わたしたちは迫りつつある恐慌にいかに立ち向かうべきか。「自由とは必然性の洞察である。『必然性が盲目なのはただそれが理解されないかぎりにおいてのみである。』」(反デューリング論 道徳と法。自由と必然性) エンゲルスによって引用されたヘーゲルの観点こそ闘いの基礎と考える。
 それは三・一一における地震や大津波など外的自然法則にあてはまるだけでなく「社会的に作用する諸力は、自然力とまったく同じように作用する。すなわちわれわれがそれらを認識せず、考慮に入れないあいだは、盲目的に、暴力的に、破壊的に作用する。」(同前 第三編二 理論的概説)のである。
 危機に直面している資本主義の「必然性の洞察」を実現するには、労働運動やあらゆる実践活動に基礎を置きながら、職人的・属人的・小党派=小グループ的経験を基とする法則化・理論化の段階から根本的な社会革命を目指す強力で全国的なそして国際的連帯を志向する労働者階級の組織をいかに形成するかにかかっている。それはまた「自由」を根底におく限り、意見の違いを暴力や排除によって「解決」することとは決して相容れない。
 今こそマルクス主義を再起動し、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取がますます耐え難いものへとなりつつある資本主義を強制終了させる組織的闘いを開始する必要がある。
 それは「多数の人の協業から、すなわち多くの力が一つの総力に融合することから、マルクスのことばを借りていえば、彼らの個別的な力の合計とは根本的に異なった、一つの『新しい高次の力』<neue kraftpotenz>が生まれる」(同前 第一編十二弁証法 量と質)からである。 (おわり)


映 評
       僕達急行   A列車で行こう

                  監督・脚本 …… 森田芳光
                  主演 小町圭 …… 松山ケンイチ
                      小玉健太 …… 瑛太


 
自らが育った湘南地方をえがいた「ライブイン・茅ヶ崎」(78)という8ミリフィルムを携えて鮮烈にデビューを果たした森田芳光は「の・ようなもの」(81)で劇場用映画の分野に進出した。かけだしの落語家の成長していく姿をとらえたこの作品は斬新な感覚で観るものに感動を与えてくれたラストシーン、主人公が夜の東京の下町をとぼとぼと歩いて帰るシーンを私はたいへん興味深く感じたものだった。また松田優作主演の「家族ゲーム」(83)では家庭教師役の松田と家族がテーブルに一列にならんで食事を取るシーンがたいへん話題になったものだ。
 「僕達急行 A列車で行こう」は、長年、鉄道に関する物語を撮りたいと考えていた森田監督にとっての遺作になってしまった。冒頭のシーン旧国鉄の足尾線(現わたらせ渓谷鐵道、谷中村に大きな公害をもたらした足尾鉱山近くを通る線)で主人公二人は出会う。二人とも鉄道ファンである(最近よく言われる鉄ちゃんなど鉄道オタクの人びとに対する呼称はここでも使わないことにする)。小玉は東京南部の最先端技術を持つ中小町工場の二代目。小町は土地開発会社の営業マンという設定。映画のなかばくらいまでの進行状況はかなり退屈に感じてしまう。第一印象は相当軽いタッチ映画だなと思ってしまう。同じ趣味を持つ二人はひんぱんに鉄道に乗る。やがて小町は新しいプロジェクトのてこ入れのため九州支社に転勤を命ぜられ、小玉親子は新技術を取り入れた設備投資のため資金融資を銀行に断られ、苦難に直面し打開策を探ることになる。離ればなれになった親友たちは運命の巡り会わせで九州の地で再開することになる。
 国鉄の分割・民営化以降、九州では鉄道は独自の進化をとげた。著名なデザイナーが特急の車両デザインを手がけ、各地から鉄道愛好家が乗車するために出かけてくる。九州のローカル線の映像はたしかに美しい。筑肥線の無人駅で二人は待ち合わせをすることになるのだが、緑豊かな田園風景に黄色一色に塗装されたディーゼルカー一両が登場するシーンは目にも鮮やかではっとさせられる。かつて東宝でたいへんな人気だった社長シリーズ(森繁久彌、加東大介など主演)に登場するようなゴマをすることばかりが上手なディベロッパー会社の管理職の姿や中小零細工場の経営者の資金繰りの苦労などがたいへんおかしくかつ愛情をこめて描いている。結局、工場への融資は受けられ九州支社の土地買収も相手が鉄道ファンだということで理解しあい、成功し、二人の青年は人間的に少し成長していく。ここで森田監督の面目躍如の点は単にハッピーエンドで終らせるのではなく、いくつもの隠し味を含ませ、めでたさも中くらいなりという終わり方を提示してくれるという点にあると思う。
 はたして森田監督はこの作品が遺作となると思ってとりくんでいたのだろうか。私は考える。この作品はあくまで自らの作品歴の通過点で、まだまだ撮りたいテーマ、作品の構想があったのではないだろうか。そうでなければ少しだけ深みのある軽いタッチの作品を選ぶはずはないだろうからだ。
 登場人物の名前なども特急列車の愛称を多用する。例えば、主人公の小町(こまち)、小玉(こだま)、外にも、あずさ、みどり、筑後、北斗、いなほ、あやめなど多数登場する。余裕があるならどの区間を走っている特急か調べてみてほしい。
 88年に制作した「悲しい色やねん」は大阪を舞台にして、対立するヤクザが組織の抗争をコメディータッチでえがいた作品だが、対立する組の名称が、夕張組と三池組、監督のいたずら心がここにもあった。
 話が少しそれるのを許してもらえるなら、熊本・三角(みすみ)(天草諸島への入り口)間(三五km)に「A列車で行こう」という観光特急が休日を中心に走っているそうだ。「A列車で行こう」は有名なジャズのナンバーだし、A列車のAは天草の頭文字とのことだそうだ。
 この作品は鉄道ファンにとっては見逃せない作品だろうし、そうでない人にとっても安心して観ることができて、最後になにかしら心に残るものがある作品だと思う。
 映画の終わりに、スタッフ・キャストのクレジットタイトルが展開し、最後に「ありがとう 森田芳光監督」の文字が浮かび上がる。これは大げさに言えば、日本の映画界全体が森田監督に最大の感謝をささげていることを表したラストシーンであった。主人公二人の関係がさわやかすぎて現実離れしており、葛藤というものが感じられなく、またこの作品には悪人がまったく出てこない点、そのあたりが不満といってもいいだろう。しかしこのことだけは言える。私たちは森田芳光の映像をもう見ることはできない。  (東幸成)


せ ん り ゅ う


   憲法を祝えぬマスコミの堕落

   特権の護持をかためる改憲論

   改憲の先に見えてる軍事国

   空襲被災は自己責だと判決

   天皇を騙り驕りの長者たち

                   ヽ 史


複眼単眼

       
自民党の第二次改憲草案

 自民党の次期衆院選政権公約(マニフェスト)の原案「日本の再起のための政策」は全七項目構成で、その第一項に憲法改正を掲げ、自衛権明記や緊急事態条項新設、憲法改正発議要件の緩和を打ち出した。これで民主党の自民党化で区別がつきにくくなった二大政党体制の下で、自民党らしさを表現し、衆院選を戦うのだという。

 思い出すのは二〇〇七年参院選で安倍晋三が改憲を公約の筆頭に掲げて挑み、大敗し、退陣に追い込まれたときのことだ。
 今回、谷垣自民党はかくも前のめりになって、またも安倍晋三の轍を踏むのだろうか。
 このほど、サンフランシスコ講話条約発効六〇周年(日米安保発効六〇周年)にあたり、自民党は従来の同党の改憲草案を改定し、より復古主義的なものを作った。あわせて自民党はこの四月二八日を「独立記念日」とする祝日法案も準備しているという。四・二八はかつてこの日を区切りにして米国に分断支配された沖縄では「屈辱の日」と呼んでいる。この「祝日法案」は沖縄の心を逆撫でするとんでもない法案だ。辺野古に新基地を押しつけようとする一方で、祝日法案とは、どこまで沖縄の人びとを侮辱する気なのだろう。その無神経ぶりにはあきれ果てる。
 それにしても自民党の第二次改憲草案(日本国憲法改正草案)のひどさである。
 以下、その特徴的な点を列挙しておく。

「前文」
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、……日本国民は、良き伝統とわれわれの国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

【第1章 天皇】
 1条 天皇は、日本国の元首であり、日本国および日本国民統合の象徴。 
 3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする

【第2章 安全保障】
 9条 自衛権の発動を妨げるものではない……国防軍を保持する。……国防軍に審判所を置く

【第3章 国民の権利および義務】
 24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない
 25条の3 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない

【第9章 緊急事態】
 98条 内閣総理大臣は、わが国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる

【第10章 改正】
 一〇〇条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする

【第11章 最高法規】
 一〇二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない

 こんなものを許してはならない!     (T)