人民新報 ・ 第1292号<統合385号(2012年8月15日)
  
                  目次

● 着実にひろがり浸透する脱原発の運動   17万人が結集して政府、原子力ムラに抗議の声

● オスプレイ配備を阻止しよう!   森本防衛相の「安全・快適」発言糾弾

● 大きなうねりで はね返そう不当判決! 勝ちとろう職場復帰!   JAL解雇撤回・控訴審の勝利へ

● 骨抜き逆行の有期・労働契約法改正   非正規労働者のための抜本改正を

● 資 料  ・・・  共同アピール:憲法無視の集団的自衛権行使は認めない

● 2012長野ピースサイクル   脱原発と平和への想いを込めて

● オスプレイMV22の陸揚げ反対!   岩国 海と陸で抗議行動

● 「災害派遣」を口実にした自衛隊治安訓練

● 映 評  /  The Lady アウンサンスーチー ― ひき裂かれた愛

● せ ん り ゅ う

● 複眼単眼  /  デモの「主催者発表」と「警察発表」の落差






着実にひろがり浸透する脱原発の運動

     
17万人が結集して政府、原子力ムラに抗議の声

 福島第一原発事故とその後の経過は、原子力被害の深刻さ、そしていまもなお燃料棒の爆発の可能性の拡大など、野田首相の「収束宣言」が真っ赤なうそであることを示した。政府、電力会社、マスコミ、学者など原子力推進勢力は、依然として、悔い改めずに、これから原発事故は絶対にないかのように振舞い、関西電力大飯原発3・4機再稼働を強行した。これからも、「安全性」(?)を確保したうえで、その他の原発も再稼働させようとしている。
 しかし、こうした嘘で固められた強権の発動に、多くの人びとは反対の声を上げるようになってきている。いま、日本でも万の単位でかぞえられる集会がたびたびひらかれるなど日本各地で脱原発の波は着実に広がっている。

 七月一六日、東京・代々木公園で、さようなら原発一〇〇〇万人アクションによる「さようなら原発10万人集会」が開かれ、全国から一七万人の人々が参加した。3・11以降の取り組みとしては昨年の九月一一日の明治公園集会が六万人で、その三倍近い人びとが脱原発の声をあげたのである。
 7・16集会はこれまでで最高の数となったが、これからも脱原発を叫ぶ流れはますます発展していくにちがいない。
 集会のメイン会場である第一ステージでは、はじめに呼びかけ人あいさつがおこなわれた。
 鎌田慧さん(ルポライター)。七八〇万筆の署名を六月一五日に首相官邸で藤村官房長官が受け取ったが、大飯原発の再稼働を決めた。主権者の声、民意を踏みつぶして平然としている内閣に私たちはノーを突き付けたい。
 坂本龍一さん(音楽家)。いま原発への恐怖と日本の原発政策に対する政府への怒りが国民の間にひろがっている。われわれに出来ることは電力会社への依存を減らすということだ。子どもの未来を危険にさらすようなことはするべきではない。福島の後に沈黙しているのは野蛮だ―これが私の信条だ。
 内橋克人さん(経済評論家)。代々木公園を埋め尽くし、会場の外にまであふれる巨大で勇気ある「さようなら原発」の声が、ゆがんだ国と社会のあり方を正す大きな確かな力になっていく。国民的コンセンサスのないままの原発大国は破綻した。福島の悲劇に学ばない政治家を二度と国会に送らないこと、これが未来への最低限の責任だ。
 大江健三郎さん(作家)。昨年九月の明治公園での「さようなら原発集会」に参加して、多くの人の姿を見て「さようなら原発」の運動は勝つと思った。首相官邸で官房長官に多くの署名を渡したが、野田首相の大飯原発再稼働声明を聞くこととなった。私らは、侮辱の中で生きている―といえる。
 落合恵子さん(作家)。コンクリートから人へと言っていた人たちが命より原発を選んでしまった。私たちが守るのは命であり、暮らしであり、田畑であり、海であり、空である。原発もオスプレイも基地も全部反対だ。再稼働反対、原発そのものの反対することから命は再生する。
 澤地久枝さん(作家)。核はいらない。日本は産業大国、経済大国だとか言っているが、小さな国になることを恥じる必要はない。この国に生まれてきてよかったと思えるような国にしていくことこそが大事だ。
 瀬戸内寂聴さん(作家)。大逆事件など一〇〇年前に日本には大変自由を奪われた時代があり、そういう冬の時代を経て、現在がある。悪いことはやめてくれと、たとえ相手が聞かなくても言い続けなければならない。
 賛同人の広瀬隆さん(作家)。いま原発が動いているというのは、私たち日本の社会全体が、子どもたちや若者に対して、取り返しのつかない罪を犯していると私は感じている。だから何とか止めたい。関西電力の経営陣とも取引をしたい。条件は原発を止めること。向こう側が求めることは経営破たんを避けたいということ。これはできると思う。
 つづいて、大飯原発の地元、福井県小浜市の中嶌哲演さん(住職)、武藤類子さん(ハイロアクション福島原発 年実行委員会)が、力を合わせて絶対に原発を止めようとアピールした。
 メインの第一ステージのほかにも三つのステージで、トークやライブがつづいた。集会の途中から、三つのコースに分かれてパレードが行われた。
 原子力ムラはこの運動の広がりに対して、さまざまなキャンペーンをはり、権力側は弾圧、分断策動をなど強めてくるだろう。それに乗じられた動きの可能性もあるが、逆流を許さず、運動を進め拡大していこう。


オスプレイ配備を阻止しよう!

     
森本防衛相の「安全・快適」発言糾弾

 八月五日、沖縄県宜野湾市の海浜公園で予定されていた「オスプレイ配備に反対する沖縄県民集会」は台風接近のため急きょ延期が決定された。この事態に実行委員会は、「災い転じて福となす」「より大規模な結集を目指す」とし九月にさらに大きな規模の集会開催を準備している。
 この日、沖縄に連帯して各地でオスプレイ配備に反対する集会・デモがおこなわれた。東京では、猛暑の中、日本教育会館ホールに一〇〇〇名が参加して「10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会」が開かれた。
 集会では、高橋哲哉東京大学大学院教授が次のような問題提起をおこなった。森本防衛相は、先日アメリカで新型輸送機MV オスプレイに試乗し、「快適だった」と述べた。これでだませると思っているのか。しかしオスプレイの事故を調査したある米軍の高官は、国防総省の圧力で事故なしとされ、記録もなくなったと証言している。森本発言を沖縄の人びとをはじめ多くがまったく信用していない。この問題をめぐる事態の推移の中で、歴代の日本政府の本質があらわになった。原発でもそうだが財界の圧力が優先されている。日本政府にとっての政治はアメリカ向けのものであり、国民の安全ということは二の次だ。断固として声を上げなければならない。ある人の利益がある人の犠牲の上に成り立っている構造を犠牲のシステムという。日米安保は沖縄の犠牲の上に立っていることは明白である。原発もウラン採掘会社をはじめ一連の利益集団が人びとの上にある。原発、沖縄はいずれも犠牲のシステムであり、両方ともただちにやめなければならない。かつての日本はまさに犠牲のシステムでなりたっていた。戦後は日本国憲法のもとで、人権、幸福追求の権利などが保障されたが、沖縄はいまも依然として憲法の外にある。これは沖縄の現状が憲法違反となっているということだ。ただちに正されなければならない。
 沖縄の問題では、ヤマトとの温度差がある。原発では首相官邸前などで十数万人が何度も行動を起こし、闇の中の一筋の光明といえるが、沖縄のことではまだこのような動きはおこっていない。まだ沖縄はヨソ者だと思っている。こうした恒常的な差別、植民地主義の問題がある。ヤマトの側は差別者・加害者の側になってしまう。本土では安保支持が多数派だ。自分たちが差別者・加害者であることをやめなければならない。いま本土の沖縄化といわれるが、圧倒的に沖縄が犠牲になっていることを認識しなければならない。沖縄の問題では中立であってはならない。オスプレイ配備の問題でも中立であることは、結果として配備に賛成したことになる。現状容認・賛成ではなく、いまこそ反対の声をあげていこう。原発問題と同じように全国で行動を起こしていかなければならない。
 つづいて東京沖縄県人会の島袋徹さんは、県人会の「米軍普天間飛行場の固定化とオスプレイ配備に反対するアピール」を報告。アピールは「オスプレイは世界で一番危険な軍用機ですが、そのオプスレイを世界で一番危険な普天間飛行場に配備することは暴挙そのものであって、決して許されるものではありません。沖縄では、仲井真知事が反対を表明し、県内全ての四一市町村議会が反対決議をしています。東京沖縄県人会は悲惨な沖縄戦の経験者を身内にもつ会員が大勢おり、平和と安全を強く願っております。その立場から普天間飛行場が固定化されることとオスプレイの配備に強く反対することを表明します。また、この問題に関して同旨の意見を表明している諸団体の行動を支持するものであります」と決意を表明している。
 ゆんたく高江実行委員会は、会場にオスプレイの大きさを示す巨大な布をひろげての配備阻止の訴えをおこなった。
 呼びかけ団体からは、フォーラム平和・人権・環境、厚木基地爆音防止期成同盟、JUCON(沖縄のための日米市民ネットワーク)が、ともに行動していこうとアピールした。
 沖縄現地からは電話でメッセージ。沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんは、県民大会は延期されたがより大きな力を結集する集会を準備し、オスプレイ配備反対の県民の一丸となった声をあげる、と報告した。またヘリ基地反対協議会共同代表の安次富浩さんは、森本がオスプレイに試乗したことに対して、たった一時間半程度で安全なんて言葉を吐く者は信用できない、森本はオスプレイに乗ってアメリカに行けばいいなどと述べた。
 岩国からの田村順玄市議(リムピース共同代表)のメッセージが紹介された。メッセージは「わたしたちは三日、岩国爆音訴訟団の新たな取り組みとして一計を案じ、オスプレイの飛行差止め・エンジンテストの差止めを求めて岩国地裁に追加提訴を行いました。来週からは何とか配備反対を唱えている岩国市長へも、具体的な反対の意思行動実践を求め、要請行動を進める予定です」と闘う決意を示している。
 集会参加者は、団結ガンバローで集会を締めくくり、沖縄エイサー隊を先頭にデモに出発した。


大きなうねりで はね返そう不当判決! 勝ちとろう職場復帰!
 
             
JAL解雇撤回・控訴審の勝利へ

 JALの不当解雇は明らかだ。七月には日本人二五〇名と外国人二六〇名の客室乗務員が入社し、さらに一〇月にも追加採用するとしている。来年度の二〇〇名採用の予定もある。過剰人員を口実に大量解雇を強行し、いまは深刻な人員不足となっている。新入社員は二ヶ月の訓練で乗務を始めるが、職場復帰を求めている被解雇者なら五日間の訓練で乗務に戻れる。

 七月二六日、日比谷公会堂で、大きなうねりではね返そう不当判決!勝ちとろう職場復帰!をかかげて「JAL控訴審勝利、7・26励ます集い」(主催は日本航空の不当解雇撤回をめざす国民支援共闘など三団体)が開かれ、八〇〇人が集まった。
 はじめに糸谷欽一郎全国港湾委員長が開会あいさつをこない、不当解雇とたたかう日本航空労働者を支える会の柚木康子事務局長と女性のアピール呼びかけ団体の堀江ゆり婦団連会長が激励の言葉。
 弁護団の山口泉弁護士は「高裁に向けて」と題して、高裁では三点を中心に争っていきたいと報告。第一に、整理解雇の四要件を無視した地裁不当判決は認められない。第二には不当労働行為としての解雇であり、人員整理の未達は作られたものであり、解雇の必要はないにもかかわらず特定の人を狙い撃ちにした仕組まれた解雇であったこと。第三にはJALの再生とは安全な公共機関として再生しなければならないということ―会社の言う利益無くして安全なしなどというのはまったく逆転した考えで、交通輸送機関ではとくに優先されなければならない安全性をいちじるしく阻害するものだ。
 つづいて牛久保秀樹弁護士がILO結社の自由委員会からの勧告について報告した。これは非常に重要な勧告だ。A項で、委員会は、「従業員の人員削減の過程において、労働組合と労働者の継続する代表者が役割を果たせるように、関連する当事者間で協議が実施されることを確実に保障するよう」日本政府に要請し、労働者側との協議を求めている。B項で「整理解雇された労働者一四八人が、二〇一一年一月に会社を相手取り、東京地裁に提訴し、労使間に法的拘束力のある雇用契約が存在していることを認めるよう、裁判所に要求していることに注目し、委員会は、当該の裁判の結果に関する情報を提供するよう」日本政府に要請している。C項では「再建計画を策定する場合、そのような性質の計画が労働者に及ぼす悪影響を可能な限り最小限に止める上で、労働組合は主要な役割を担うため、委員会は、労働組合と十分かつ率直な協議を行うことの重要性を強調する。委員会は、日本政府がこの原則が、十分に尊重されることを確実に保障するよう、期待する」とした。最後に「委員会は、『企業再生支援機構の不当労働行為』について東京都労働委員会が二〇一一年八月三日に交付した救済命令の破棄を求め、二〇一一年九月一日に会社が東京地方裁判所に提訴した訴訟の結果に関する情報を提供するよう」日本政府に要請するとしている。このように東京地裁判決は国際的に批判されているといってよい。こうした傾向はILOだけではない。JAL解雇問題は、たんに日本だけでなく世界の航空労働者の問題でもある。国際定期航空操縦士協会連合会(IFALPA)や国際運輸労連(ITF)などの国際労働組織も支援に立ち上がっている。
 国民支援共闘会議の津恵正三事務局長は、当面の取り組みとして、東京高裁あての署名、毎月一回の全国一斉街頭宣伝行動、日航本社前宣伝行動、裁判当日の行動、支える会の会員拡大をあげ、諸行動を強め闘いに勝利しようと述べた。
 決意表明は、客室乗務員原告団の内田妙子団長、乗員原告団の山口宏弥団長が行った。
 最後に労働歌「団結がんばろう」を参加者全員で歌い団結して闘う決意をかためた。


骨抜き逆行の有期・労働契約法改正

      
非正規労働者のための抜本改正を

 労働契約法(有期労働法制)改正案は、衆議院につづいて、八月三日、参院本会議で民主、自民両党などの賛成多数で可決・成立した(二〇一三年春施行、一八年春からの適用)。政府・与党は従来、同法案を「雇用問題の本丸」としていたにもかかわらず、自公との談合で「消費税増税」を強行するため、衆議院で三時間半という超短時間審議を行ない強行採決を行った。参議院でもより短い審議で採決したのである。この改正法は拡大する有期(非正規)労働を規制することを名目にしているが、実際には有期労働者を保護するには抜け穴だらけであるばかりか、様々な弊害が指摘されている。それは、五年直前で雇止めが大量発生したり、不更新条項への有効な防止策がないことであり、無期労働契約に転換されたとしても「現に締結している有期労働契約の内容である労働条件と同一」とあり格差が固定化されることになるなどである。
 七月二五日には、MIC(マスコミ文化情報労祖会議)・全労協・全労連などの呼びかけによる「ゆうき緊急連帯行動」は、衆議院厚生労働委員会の傍聴闘争と国会前抗議行動をおこない、全労連小田川義和事務局長、全労協中岡基明事務局長、MIC東海林智議長が挨拶し、「有期労働の規制を!」「臨時・一時的業務に限定せよ」などのシュプレヒコールをあげた。


資 料・・・

  共同アピール:憲法無視の集団的自衛権行使は認めない

 歴代内閣でさえ憲法が禁じているとしてきた「集団的自衛権の行使」を可能にすべきだという議論が再び公然と持ち出されてきています。私たちは、憲法九条を踏みにじる動きに強く抗議し、このような勝手な憲法解釈を許さない運動を共同で強め広げていきます。

 まず、自民党が四月二七日に発表した「日本国憲法改正草案」では、現行憲法の第二章(九条)の「戦争の放棄」を「安全保障」と変えた上で、「自衛権の発動」を認める規定を置いています。この「自衛権」には、個別的自衛権か集団的自衛権かの区別はなく、当然に集団的自衛権の行使を「合憲」とするものです。

 これに加え自民党は七月六日の総務会で、「わが国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態」では集団的自衛権を行使できるとする「国家安全保障基本法案」を了承しました。これは米国が交戦国になった場合、日本が参戦するというもので、「国際紛争の解決の手段としての武力の行使」を禁じた憲法九条を真っ向から覆すものです。自民党は次期衆院選の公約に盛り込み、選挙後に法案を国会に提出する方針です。

 これらと歩調を合わせるように、政府の国家戦略会議の「フロンティア分科会」は七月六日、「集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直し」を盛り込んだ報告書を野田首相に提出しました。集団的自衛権の行使が違憲であるというのは、単なる「慣行」などではありません。

 同分科会の報告書は、二〇五〇年の日本のあるべき姿を描き、そこから現在を振り返って二〇二五年までの方向性を提言するとしたその基調は、いわば「大国・日本」の再生という大国主義の願望で貫かれていて、「軍事力、経済力、外交、科学技術、開発援助、文化、環境などの手段」を組み合わせた<能動的な平和主義>の実践を提起しています。この<平和>の課題については、分科会の中の「平和のフロンティア部会」(部会長・中西寛京大大学院教授)が出した報告を踏襲しています。

 そして同部会の報告は、「同盟国アメリカや価値観を共有する諸国との協力を深めるため、集団的自衛権の行使を含めた国際的な安全保障協力手段の拡充を実現」と明記しています。そのため、「グローバル、リージョナルな米軍配置や日米の役割分担」などを日米間で協議し、不断に更新していくとか、他国への「(軍事的)能力構築や防衛援助」の実施、「武器使用原則やPKO五原則、集団的自衛権行使や海外での武力行使をめぐる憲法解釈」の見直し、「秘密保全法制」の制定などを提唱しています。

 この報告書を受け取った野田首相は、もともと集団的自衛権の行使を容認する考えの持ち主で、「社会全体において、わが国の国づくりに向けた中長期的国家ビジョンの議論を喚起することに期待したい」と歓迎しました。

 日本の政治中枢での、このような集団的自衛権行使論の公然化は、標的とされる中国などを警戒、緊張させ、東アジアにおいて軍拡競争と対立激化を促すことにしかなりません。それは関係諸国の国家主義者や軍部、軍産複合体を喜ばすことにはなっても、《平和の実現》はますます遠ざかるだけです。

 私たちは、あくまで憲法の国際平和主義と不戦・非武装の原則を守り生かして、アジアと世界の平和の実現に力を尽くすことをもとめ、集団的自衛権の行使に道を開く策動をやめるよう要求します。

二〇一二年七月一三日

  呼びかけ:「憲法」を愛する女性ネット/憲法を生かす会/市民憲法調査会/全国労働組合連絡協議会/「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター(VAWW RAC)/第九条の会ヒロシマ/日本山妙法寺/ピースボート/平和を実現するキリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/許すな!憲法改悪・市民連絡会


 2012長野ピースサイクル

     
脱原発と平和への想いを込めて

 長野ピースサイクルは、七月二一日長野市松代を出発して、二二日柏崎刈羽原発までの約一四〇kmを二一人の参加者が自転車一八台(最大時)を連ねて走った(伴走車は三台)。
 今年で二二回目を迎えた長野ピースサイクルの夏の本走は、長野県内の多くの首長や議会議長、市民の皆さんからの、広島、長崎、名護などの各市長に当てた、いつもよりたくさんのピースメッセージを携えて走った。
 松代からの出発はかつての戦争加害の原点が松代大本営跡にあり、原爆被災地広島とを自転車で結び「平和への想いをつなぐ」という長野ピースサイクルの想いが有るからだ。
 二二年前の第一回目にも同じ場所を出発し、北陸ルートを走るピースサイクル新潟の仲間とも合流して広島、長崎への想いを馳せた。
 「憲法九条の心を世界に」「全ての核に反対する」つまり、戦争の無い世界と反核兵器・反原発が長野ピースサイクルの出発点。その想いは、伴走車に掲げた横断幕で表現し、大きな声では言わなくても、いつも一緒に走る仲間の気持ちの中で共有している。
 今年は二日間のほとんどが、雨の中での走行であったが、参加者全員が「脱原発と平和への思い」を込めてペダルを漕ぎ完走した。活動を始めてから二三年目となる実行委員会(最初の年は準備期間であった)だが、二二回の走行期間中今年ほど長い間雨に降られたのは初めてだが、どんな天候もいとわず走り続けるのもピースサイクルならではだろう。

 一日目は途中、須坂のエネルギー資料室の皆さんと交流し美味しいスイカを戴き、絵入りのすばらしいピースメッセージを戴いた。このピースメッセージはエネルギー資料室会員の娘さんが書いてくれるらしいが、確実に中身が進歩している。それを書いてくれる娘さんがしっかりと成長していることが読み取れる。
 さらにはこのルートを走る時は恒例となっている信濃町九条の会の皆さんとの交流もばっちりで、この二つの出会いは今年も熱かった。
 しかしながら、心臓破りの急坂にさしかかるころには雨がしっかりと降り出して、つらい走行となった。それでも、事後の感想では気温が高く晴れている時より体が楽だったとの声も。
 夜は翌日の東電柏崎刈羽原発への要請文をつまみ(?)にしながら、ビールとお酒でほどほどの大宴会。
 今回は広島まで走る二人だけが野宿の訓練(?)でテントで眠る。残りの人はホテルで安眠。

 二日目も朝から雨模様。出発直後にカッパが必要なほどの降りになった。それでも、みんな黙々とペダルを漕ぐ。気温が低く、向かい風が無い分だけ楽に走れるとはいえ、カッパはうっとうしい。脱いだり、来たり繰り返す降り方が続いた。
 それでも、海沿いの道に出て、柏崎刈羽原発に着くころには、雨は嘘の様に上がって、原発手前のきつい坂(約二km)を登るときはまさに夏本番の状況。全員が最後の力を振り絞って登り切った。
 先に着いていたピースサイクル新潟のメンバーと一年ぶりに再開し、東電に対するも申しれ行動に入る。私たちの要請に際して「室内での対応」「文書での回答」を要求したが、駐車場での応対。しかも自分たちは日陰、私たちは日向で立たされてという状況。そのなかで、厳しい抗議の気持ちを込めて要請文を読み上げ、手交したが「福島第一原発の事故についてはお詫びします」と言いながら、柏崎原発の再稼働については「安全確認をして」を繰り返すばかり、文書での回答も拒否された。「福島の人たちの苦しみを本当に理解しているのか?」との質問にも「先ほどお詫びを申し上げた通りです」と逆に不満げに回答する態度。
 東電の体質は未だに変わっていないのを実感した。大飯原発再稼働で事故直後には低めになっていた腰が少し高くなった感じがある。何を要求しても堂々巡りで埒があかないので三〇分ほどで切り上げたが、もっともっと大きな声で「再稼働反対と廃炉」を要求して行かないと、柏崎刈羽原発だけでなく、この国の原発は復活する危険を強く感じた。

 今回は新たな参加者が二名加わり、大阪や東京から参加した女性も一緒に走り、さらに二六日からは実行委員長と事務局長の二名が自宅から広島の八月六日に向けて自転車で出発する。呉では大阪と広島や全国のピースサイクルの仲間と合流し、広島の熱い夏を一緒に体験することにしている。
 今年は、ホリディピースサイクルでは、脱原発に取り組む若い仲間も参加し、自転車という「乗り物の魅力」を通して、少し低調だったピースサイクル運動に弾みが付いている。

 秋には報告集も作成するが、時々ホリディピースサイクルとして一日で近郊を走るサイクリングも企画する予定。そこから、新しい動きが広がる予感がする。

       長野ピースサイクル実行委員(お)
 


オスプレイMV22の陸揚げ反対!

             
岩国 海と陸で抗議行動

 墜落事故が相次ぐ垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ(欠陥機)一二機が、二三日に米海兵隊岩国基地(山口県)に上陸された。
 基地を挟んで門前川の対岸に全国から駆けつけた市民団体や労働組合などが、早朝から結集して海と陸で抗議行動が展開された。
 市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」のメンバーが中心となって海にボートをこぎ出して抗議を行った。陸では炎天下、午後一時より抗議集会が開催され市民・労組組合員六〇〇名が「オスプレイいらない」「オスプレイはアメリカに持って帰れ」「日本の空を飛ぶな」などの抗議の声を叫び続けた。
 集会では実行委員会共同代表の一人、大川清代表が「こんな暴挙を許してはならない。配備されれば、全国各地で低空飛行がおこなわれ、全国に危険を振りまくことになる」ことを強調した。
 つづいて長崎県佐世保市市民団体も「飛ばさずに米国に送り返す」と主張。
 さらに、沖縄から駆けつけた辺野古「アセス訴訟」原告団長の安次富浩さんや、米軍嘉手納基地「爆音訴訟」の原告団長の福地勉さんたちは、沖縄に配備されれば「このままでは日本全体が米軍の演習場になる」「沖縄だけの問題ではなく日本全体の問題でもある」と強く訴えた。
 集会の最後には緊急声明(集会アピール)が読み上げられ、集会に結集された人びとによって採択された。その後、基地にむけて六〇〇名の抗議のシュプレヒコールを行った。(N)

 緊急声明(集会アピール)

 岩国市民や沖縄県民のみならず、日本中の人々が強く反対する中、米政府は世界一危険な新型戦闘輸送機MV22オスプレイを岩国へ陸揚げしようとしています。
 オスプレイについては開発段階から事故を繰り返し、今年に入ってからも四月(モロッコ)と六月(米フロリダ)で相次いで墜落事故を起こし、「世界で最も危険な戦闘機輸送機」と言われています。このような危険極まりないオスプレイを沖縄・岩国に配備することなど言語道断、住民の命と安全を全く無視した計画であり、私たちは絶対に認めることはできません。
 私たちが岩国への陸揚げを許してしまえば、その後はなし崩し的に試験飛行が行われ、普天間基地への恒久配備への道筋を作ってしまうことになります。
 更にその後の運用では、沖縄・岩国だけに留まらず各地で低空飛行訓練が行われ、全国に危険を振りまくことも明らかになりました。
 私たちは今こそ、沖縄をはじめ全国の人達と連帯し、このように全ての国民に新たな危険をさらす新型戦闘輸送機MV22オスプレイの岩国への陸揚げに強く反対します。
 そして、その配備を撤回させるまで日米両政府にしぶとく粘り強く働きかけ、今後も取り組んでいくことを、本日の緊急行動で確認します。


「災害派遣」を口実にした自衛隊治安訓練

 七月一六日夜から一七日午前にかけ、災害派遣を口実に、陸上自衛隊第一師団(東京都練馬区)の隊員(連絡員)が徒歩で東京都二三区役所に行き、被害状況や出動要請の有無などを確認し区役所内に一泊するという統合「防災」演習がもくろまれた(実際には多くの区役所で宿泊ができないなど自衛隊の予定していたすべてが実現できたわけではなかった)。
 自衛隊員は、迷彩服、ヘルメット姿で、夜の街を行進した。当日の行動は、第一師団を出発した二人一組の連絡員が情報収集訓練をしながら部隊に先行して展開予定地に進出して、区役所でさまざまな情報を収集し、後続部隊を誘導するというものだ。情報収集は、部隊の行動のための情報であり、区役所への宿泊は区役所などの施設を宿営地化する訓練であった。
 自衛隊は自衛隊同士の情報伝達体制、行動体制を構築しようとしており、自治体はその一環として位置づけられようとしている。この災害派遣を口実とした訓練は、治安出動訓練と表裏一体のものである。
 本来、災害派遣ではレスキュー隊などはオレンジ色などの目立つ色彩の服装で行動しなければならないが、自衛隊は、人目につかないことを目的とする迷彩服で行動していた。このような自衛隊の行動に、自治体、住民をなれさせることがもくろまれていたのである。

 この自衛隊の情報・伝達訓練に対しては監視抗議行動がいくつかのところで取り組まれた。
 第一師団南門では、有事立法・治安弾圧を許すな!北部集会実行委員会などが自衛隊の出動に抗議の声をあげた。練馬区役所でも行動が行われ、区役所に入ろうとする自衛隊員二名に抗議の行動を行った。


映 評

     
The Lady 
         アウンサンスーチー  ― ひき裂かれた愛


             2011年 フランス 133分

      監督 リュック・ベッソン
      主演 アウンサンスーチー …… ミシェル・ヨー
           マイケル・アリス  …… デヴィッド・シューリス


 この映評を書くに際してひとつの困った問題に直面した。この映画の主な舞台である国の呼び名をどう表せばいいのか。映画の舞台は独立の英雄アウンサン将軍(アウンサンスーチーの父)が暗殺された一九四七年から二〇〇七年の自宅軟禁された家の門前に立ち支持者の歓呼に答えるアウンサンスーチーの姿が写し出されるまでのシーンでおわるので、あえて国名はビルマ、都市の名はラングーン(ヤンゴン)と表現したいと思う。この国の現在の状況についてはミャンマー、ヤンゴンと書くことにする。
 基本的にこの映画は、アウンサンスーチーとその家族(イギリス人の夫と二人の男の子ども)との愛の物語である。ヤンゴンには数多くのパゴダ(仏塔)があり、その中でもひときわ異彩を放つのがシュエダゴン・パゴダ(現地ではバヤーと呼ばれている)で黄金色に太陽の光の反射で輝くこの仏教施設は民衆の信仰のよりどころになっている。仏塔に貼られる金箔は敬けんな仏教徒である国民の寄進によっている。このパゴダの前の広場の数十万人の民衆の前で演説するアウンサンスーチーはいやがうえでも国民的指導者に祭り上げられ、最初は少し自信なさげに演説を始めるが、しだいに迫力にあふれる演説をし、民衆の心をつかんでいく。その場面はたいへん感動的なシーンになっている。
 アウンサンスーチーは国民に人気のあったアウンサン将軍の娘であり、母親もインド大使をつとめたことのあるエリート一家の出身であった。留学先のイギリス・オックスフォード大学でチベット研究家と知り合い、結婚し、二人の男の子をもうけた。本来なら彼女は軍事政権の弾圧に苦しみ貧困にあえぐビルマの民衆とは接点がほとんどなかったはずだった。しかし悪らつな軍事政権は民衆を弾圧し、少数民族を排除したため、少数民族側には反政府武装闘争を開始する勢力もいた(カレン族など)。母の病気のためイギリスから帰国したアウンサンスーチーは反政府運動にたちあがった学生たちが銃で弾圧される光景を目のあたりにする。逡巡した末、彼女は民主化運動に身を投ずる決意をする。「長い間外国で暮らし、夫はイギリス人ですが、祖国に対する愛情は誰にも負けません。ともに闘いましょう」とビルマ語で感動的な演説をし、国民民主連盟(NLD)をたち上げた。アウンサンスーチーが民衆から熱狂的な支持をうける姿の報告を受けた当時の軍事政権を支配していたネ・ウインは彼女の力をそぐためにあらゆる方策を考える。自宅軟禁措置がそうであり、外国人と結婚した者は指導者にはなれないという法律まで通してしまう。NLDの活動家たちを何の根拠もなしに拘束し、刑務所の奥深く鎖でつないで収監してしまう。監獄に犬が鎖につながれて檻に入れられているが、それとまったく同じ状況に人間が置かれ、食べ物はエサを与えるように天井から投げ入れられる。このシーンは衝撃的だ。非人間的扱いをすることによって抵抗する精神まで破壊しようというのだろう。
 一時的に自宅軟禁を解かれたアウンサンスーチーはふたたび民衆の熱狂的支持を得、山岳地帯の少数民族の住む村々に宣伝活動をしにいく。あざやかな民族衣装をつけた少数民族の女性は美しい。日本の一・六倍の面積を持つこの国はさまざまな少数民族が存在している。なかでもカレン族民住地では麻薬の原料となるケシが栽培され、ゴールデン・トライアングルとも呼ばれていた。それはもともと第二次世界大戦中にこの地に逃げ延びた中国国民党の残党が栽培を始めたものだった。
 ビルマとイギリスとではなればなれになったアウンサンスーチーの家族に悲劇が訪れる。夫がガンに侵され、余命いくばくもないことが判明するのだった。軍政側は彼女に「すぐ夫のもとにいって看病してあげなさい」とすすめる。それはもちろん善意からではない。出国してしまったら二度とビルマに帰国させないという悪魔のささやきなのである。悩みぬいたアウンサンスーチーは国内にとどまることを決意する。死に行く最愛の夫のもとにすら行けない彼女の心は察してもあまりある。
 アウンサンスーチーを演ずるのはマレーシア出身のアクション女優のミシェル・ヨーなのだが、演技のたちふるまいといい、実際のアウンサンスーチーに似すぎている。もう少し違う人格で演じてもよかったのではないかと思ってしまう。
 アウンサンスーチーが自宅軟禁されたのは一九八九〜九五、二〇〇〇〜〇二、二〇〇三〜一〇の二四年間のうち実に一五年もの間だった。その期間を耐え抜いた精神力の強さには感心させられてしまう。やはりそこには民衆への熱き想いがあったのだろう。
 一九六二年、ネウインが軍事クーデターを起こし、自ら革命軍事評議会議長になり、実権を掌握した。そして一九七四年、ネウインはビルマ連邦社会主義共和国大統領になり、このころから独自の閉鎖的と言われた社会主義路線を歩みはじめ、朝鮮民主主義人民共和国とも協力関係を結ぶようになる。一九八九年、国名をミャンマーに変更する。
 映画の中でネ・ウインたちは軍事政権内の少し意見の違う人物をすぐ射殺してしまう極悪非道の連中としてえがかれる。その中に後に最高権力者に登りつめるタン・シュエの姿も見て取れる。確かに軍事政権のやり方は残虐であり、国の方針もあやしげな占い師に頼り、疑心暗鬼が渦まいている。だがこの映画の視点は、すすんだヨーロッパ(イギリス)の視点はすべて正しく、遅れたアジア(ビルマ、ミャンマー)側はすべてまちがっているという視点で貫かれているのがたいへん気になり不満が残る。この映画はフランス映画であり、フランス人の監督の作品なので仕方がないのかもしれないが、ビルマはかつてイギリスの植民地であったし、その時代資源収奪など負の遺産が数多くあったはずなのだが、そのことの反省の上にたたないと宗主国と被支配国との関係はいつまでたっても対等な関係にならないと思う。進んだ国が遅れた国を指導してやるという思い上がりはいまだにこの映画の中にも存在しているのだ。そのあたりがしっくりこないところである。
 最近、アウンサンスーチーは対外活動を再開しはじめた。タイで少数民族の難民たちに面会し、二一年遅れのノーベル平和賞の受賞演説をノルウェー・オスロで行った。その時のあいさつは英語で行われ国名をビルマと表現していた。なお、ミャンマーは二〇一四年、ASEANの議長国をつとめるそうだ。(東幸成)


せ ん り ゅ う

       ―― 八月十五日 ――(連句)

    残酷を反芻しつつオスプレイ

    熱帯の島遺骨は黙示

    断層を秘し再稼働にんまりと

    大金持ちのふところ加減

    民主糖自民糖に公明糖

    省略されたあまい「生活」

    非正規で階級以下の視線あび

    テロより怖い乱射の美国

                       ヽ 史

◎ 熱帯の島はニューギニア、日本軍全滅 万の遺骨が眠る。 非正規雇用・派遣・パートは労働者とみなされない法体系にしてしまったのはだれか。 美国は中国語でアメリカ。青年による乱射事件たびたび。社会病理は根深い。


複眼単眼

     
 デモの「主催者発表」と「警察発表」の落差

 このところの脱原発運動の高揚と関連して、それらへの参加者数が、いわゆる「主催者発表」と「警察発表」の間に大きな差があることが話題になっている。
 たとえば七月二九日の『東京新聞』には作家の中沢けいが「新聞を読んで 抗議行動の人出の数え方」というコラムを書いているし、七月三〇日の『毎日新聞』には、「なるほどり」という読者の質問と回答の欄で「集会の参加者数ってどう数えるの?」という記事がある。他にもいろいろあったように思うが、とりあえず、これらを少し紹介する。
 中沢は言う。「デモや抗議集会の人出というと主催者発表と警察発表の数が報じられる。警察発表の四倍が主催者発表ということが多い。これまでなんとなくそんなものだと思いこんできた。首相官邸前の反原発抗議活動も六月二二日は主催者発表で四万五千人、警察発表は一万一千人……翌週二九日になると警察発表は一万七千人だったが、主催者側は十万人から十五万人となり、二〇万人と報じるメディアもある一方で、全く報じないメディアもあった。……以後、十倍近い差のある数字が報じられている。その一方で、ソーシャル・ネットワーキングサービスでは警察発表はほんとに警察が発表しているのかという懸念が表明されている。東京新聞……では十六日に代々木公園で開かれた集会の参加者について、主催者の発表約十七万人、警視庁関係者によると約七万五千人と、警察発表という表現を微妙に避けている。……警察発表とはいったい誰が作っている数字なんだろうか」と。
 前記「なるほどり」はさようなら原発一〇万人集会は一七万人らしいがどうやって数えたのと設問して、「主催者側によると、会場となった公園を九区画に分けて、それぞれの人数をスタッフが目視で数えたそうです。午後〇時半までに十一万人となり、……その後も参加者が増え続けたため、さらに六万人をプラスして約十七万人としたようです。……警視庁は、過去の集会のデータなども参考に、代々木公園を混雑度に応じて複数のエリアに区切り、さらに面積と掛け合わせて参加者数をはじき出したとしています……八〇年代のメーデーなどでは、警察当局の確認でも代々木公園に二〇万人前後が集まったようです。また六〇年安保闘争時には国会前でのデモに約一三万人が参加」と書いている。ちなみに六〇年安保の六月一八日は国会前に三三万人と言われている。
 二〇〇三年からのイラク反戦の「WORLD PEACE NOW」の集会は最大時四〜五万人だった。
 私は前掲・中沢説はさておき、経験則で警察発表はデモの実数の約半分と考えてきた。警察には治安対策からできるだけ少なく発表したいという動機がある。「警察発表」というのはないのだが、メディアの取材を受けて警備当局がだいたいの数字をリークする。メディアはそれを「警察発表」と書くわけだ。
しかし、時には運動の側にも、参加者数をできるだけ大きく見せたいという動機から過大に発表することがないとはいえない。参加者個々人には全体像が見えないから、かなり集まると、実際よりずっと多く感じることがある。今回の代々木公園の集会でも参加者から「二〇万人以上はいたはずだ。主催者は謙虚すぎる(?)」などという意見もある。
 私もいろいろとそういうことを経験してきた。実数が警察発表の倍というのは、その上での私の判断だ。そんなに間違いではないと思っている。
 これでいうと、一六日の代々木公園の主催者発表はほぼ実際に近い冷静な数字と言える。ちなみに昨年の九・一九の明治公園の集会は、主催者は六万人と発表したが、警察は二万七千人(これも約二倍)とメディアにリークし、あとで警備当局が五万人くらいだったと言っていたという話がある。
 代々木公園の集会を興奮のあまり「戦後最大規模だ」という人もいるやに聞く。それは言い過ぎだろう。この間のメディアなどでの議論の中に、あれこれとケチをつけるねらいを持つ輩もいるから、この問題は腑分けして議論する必要があるが、警察の不当な発表を糾弾しながらも、主催者は参加者数はできるだけ冷静に報告した方がいい。それは参加者への責任でもあるだろう。
 自戒しておきたいことではある。(T)